○小澤(克)
委員 そこで、
先ほどの大臣のお
考えについて私なりの見解を述べましてまたそれについてお答えいただきたいと思うのですが、
裁判官の見識、視野を広げるためにいろいろな仕事をやってもらう、この
趣旨は私大変結構だろうと思うのです。比較的最近でしたか新聞社にしばらく
裁判官が行かれたというような報道も耳にしたことがあります。大変結構だろうと思います。
ただ、これをもって
先ほど大臣のお言葉の中に法曹一元の一つのあらわれであるというような
お話があったのですが、これは何かの勘違いではないかと思うわけです。法曹一元というのは、
御存じのとおり英米法における理念でございまして、そこにおいては単に経験の豊かな方を
裁判官に任ずるということではなくて、法の支配あるいは司法の優位という英米法の理念と一体のものというふうに理解しなければいかぬのじゃないかと思うのです。すなわち、行
政府あるいは立法府も含めて国民の基本的人権についての侵害があれば
裁判所に救済を求める、その場合は
裁判所が基本的人権の擁護に当たる、すなわち行政機関といえ
どもあるいは立法機関といえ
どもその側面においては
裁判所の判断に従わなければならない、これが法の支配であり法の優位、司法の優位だろうと思います。行政
訴訟について司法
裁判所の任務とされており、また違憲立法審査権が与えられておるのもそういうことだと思うのですが、そのような法制度をとる場合に、そこにおける
裁判官像というのは行
政府あるいは立法府に対しても批判すべきは批判するという確固としたものを持っている方が
裁判官になるべきである。ということになりますと、国民生活の実態についてよく知っている、国民の生活実態について国民に生に触れて知り、経験を積んだ者、そして行
政府、立法府に対しても批判すべきときは批判する、そういう視点をも、そういう感性を持ち得た経験豊かな人が
裁判官になる、これが法曹一元の理念であろうと思います。したがいまして、上命不服の行政部において仕事をした者が、そこでの経験を積んだ者が
裁判官としてより的確な広い視野を持ち得るということにはどうしてもならないのじゃないかというふうに理解いたしますし、要するに、経験豊かな者が
裁判官になるべきであるというその経験豊かというのは、単に何らかの経験があればいいというその
内容を捨象したものではなくて、その経験というのは国民生活の実態に十分触れたもの、そういう経験の質が問われているのではないかというふうに
考えるわけです。したがいまして、本来の意味での法曹一元の理念とは全く合わないのではないか。
それから仮に、その経験の質について捨象するにいたしましても、一方的に行政部での経験のみをさせる、これはいわば片面的な、法曹一元という言葉を使うとすれば片面的な法曹一元ではないか。現実に、訟務検事として行政
訴訟において国の立場を代理し、国民と対峙する立場にあった者が後に
裁判官になるこういうことは国民の側からも司法に対する信頼を失わせるんではないかというふうに思います。また、実際に
裁判官そのものが行政部において経験を積めばどうしてもそこに引きずられるといいますか、特に判、検事間の一体感のようなものが生じやしないか、そういう実質的にも影響を受けるおそれが十分ある。そういう意味から
先ほどのような判、検事の交流の実態というものについては、極めて危険な要素を含むというふうに私は
考えるわけです。大臣の御答弁のように、これを積極的に評価するということにはどうしてもならないのじゃないかと思うわけでございます。
そこでお伺いしたいのは、今後もこういう判、検事間の交流というものは続ける意思なのかどうか、これは
裁判所、法務省双方からお尋ねいたしたいと思います。