○池田(克)
委員 あらあら状況はわかりましたけれ
ども、しかし、この自由化論というのは私は非常に心配したわけであります。この自由化論の最初の意気込みというものを拝見しておりまして、これは教育
基本法が危ないのじゃないかと率直に思ったわけでございます。教育
基本法は今日の教育を形づくっております。したがって、画一化とか管理化とか言われておりますけれ
ども、とにもかくにも教育の法体系というものの原点をなしているように私は理解しておりまして、なぜそうなったかといえば、やはり戦争に対する当時の強い反省、今日戦争に対する反省は
国民の意識から随分と薄れてしまったような心配を私はしております。したがって、いろいろな御議論が
国民の中にあってしかるべきだと思いますが、改めて戦争への警戒心、絶対に戦争はしてはならないという憲法の強い決意というものを私たちは確認していかなければならないし、そうした点から言うならば、教育
基本法は、国家に対する個人というものを対比した場合にあくまでも個人、そういうものを強く主張したものであったろうと思います。しかし、そういうことをいろいろ議論される中に、教育が自由化されていったその先に、自由な教育でありますからイデオロギー的な教育もそこに出てくるでありましょう、それは左右両方の議論が出てくるでありましょうし、日本の戦争責任についてもあるいは日本が過去にたどってきたさまざまな国家観というものについてもいろいろな議論があり、特に昨今におきましては戦争是認論のような議論というものも一部に出ており、非常に警戒しなければならない部分であろうと私は思うのです。そうしたことが教育の現場で子供たちに教えられていくということがあるならば、これはゆゆしき問題であり、むしろ、いろいろ弊害はありますけれ
ども、教育制度については慎重にしながら、各般の議論の上で、教科書においてもあるいは教員の資格においても、あるいは教室内でのカリキュラムの編成等においても慎重な態勢の中から少しずつ動かしていくべきではないか、こういう
考え方を持ったわけなんです。
公明党としては先般も臨教審の皆さん方に申し上げたのですが、教育改革の教育理念として、人間を原点とする教育、そして文化的、科学技術的な創造性の重視、日本文化の継承、発展と新しい形の国際人の育成、活力とたくましさを踏まえた自己教育、この四つの視点を提言をしてきたわけです。これについて実は岡本会長と先般若干の時間議論をいたしました。私たちが人間を原点とすると言っている場合の人間は、国家を原点とするという教育に対比しての人間を原点とする、こういう
意味でございます。また、経済至上主義を原点とするという教育、これはまあそういうのがあろうはずはございませんが、巷間そういう面も見えるという
意味で御理解をいただきたいのでありますが、それに対する人間を原点としたもの。あるいは科学技術を原点とする、これまたそうあるべきではありませんが、激しい科学技術の進歩発展の中にどうしても取り込まれて、それに引っ張り回されそうな人間というものが出てくる、これに対する人間を原点とした、こういう三つの
観点から申し上げたわけでございまして、岡本会長は科学者でいらっしゃるわけで、科学と調和できるあるいは科学と共存できる人間ということに共鳴を持たれまして、その日は終わったわけなんです。
私は、そういう
意味で、この教育理念の部分については、今お話がありましたように、いろいろな議論の中で個性尊重というふうに今日
答申に書かれるように伺っておりますけれ
ども、ぜひこれからもこの部分については慎重な議論を臨教審でしていただきたいし、それをなるべく
国民の目に触れるようにしていただきたい。今回も学歴の問題についていろいろと議論が出ましたが、いろいろ修正されてよかったと思います。私は、大事な
審議会であり、
答申は尊重すべきだという権威のある以上は、その以前にどんな議論があってどんな修正があっても差し支えないと思うのです。その上で、みんながある程度こういう
方向だと、この
審議会は心配ないんだと、こういう信頼性のあるものでなければならない、こんなふうに思っているわけでございます。
次のお尋ねとして、この
答申の位置づけについて
政府委員にお伺いしたいのですが、報道によりますと、この次に出てくる、六十一年の四月もしくは六月に出てくる第二次
答申を
基本答申とする、こんなふうに私は新聞報道を拝見しました。となると、今のは一体どういう
答申なのかな、予備
答申というのでしょうかあるいは緊急課題に対する
答申というのでしょうか、その辺、名前のつけ方はともかくとして、どういうとらえ方をしたらいいのかな、私としては緊急的な課題についていろいろ対応するというふうなとらえ方ならば理解できますが、若干
基本問題について議論がまだはっきりしないし、もうちょっと時間をかけようということで
基本的なものは第二番目に置いていこうということであるのかな、こんな推測をしておるわけでして、今回の
答申の位置づけ、次への助走が少しあるようですので、その部分をちょっとお聞かせいただきたいと思います。