○滝沢
委員 もちろんそう答えなければ検定をなさった立場からいうと困るのでしょうけれ
ども、ちょっと煩項ですが、一緒にページをめくって勉強してみてくれませんか。
「侵略」という言葉がこの一冊の本にあらわれておりますのは、九十一ページに「明・朝鮮と、倭寇の侵略地」ということで地図が載っております。そして二百三十一ページに「列国の中国侵略」ということで、これは日本は出兵をしたということで下関条約等をめぐることについて書いているわけです。これは一九〇〇年のことを言っているわけです。そして二百六十八ページ、「世界恐慌と日本の中国侵略」という大きな見出してございます。これは今お話のありました満州事変のことでございます。そして二百七十五ページ、「中国は、このような日本の侵略を国際連盟にうったえた。」こう言っているわけです。
そして二百七十六ページ、ここはちょっとおもしろいところなんですが、「日中戦争」ということになっております。実は日中戦争なんという戦争はないのですよね。これはまた議論のあるところでありますが、
法律的にはないのです。中国の方で言っている話です。日本ではかつて日中戦争を布告したなんということはないのです。これは支那事変ないしは日支事変、時の政府以来こう言ってきたわけです。戦争に負けて東京裁判以来こういうことになったのでしょう。これは大東亜戦争と太平洋戦争もそうです。ちゃんとこのたびの事件を大東亜戦争と呼称すると時の閣議で
昭和十六年十二月十二日に決めているわけですから、その後、これを太平洋戦争と改称するなんというような閣議はやっていないわけですから、形式を重んずる政府がこのような戦争の呼称の間違っているものを検定してはいけません。アメリカの教科書に太平洋戦争と書いているならよろしい。中国の教科書に日中戦争と書いているならよろしい。日本の教科書ですから、日本の閣議決定を書かなくちゃいけません。それにしても「日中戦争」という大きな見出しで、「共産党は、日本の侵略に対抗するため、内戦をやめようとよびかけ、」「蒋介石にこれを認めさせた。」というけれ
ども、これは南京だか何か知りませんけれ
ども、いわば動けない状態にして蒋介石に認めさせたんだから。しかし、これこそ中国の中の話ですから、ここでそれまで言及する必要はないことです。それは向こうの話です。
二百八十二ページ、「ドイツの侵略にならってこというふうな
言い方で日本がドイツの侵略にならってしたというふうに書いてあります。
二百九十一ページには、「満州事変や日中戦争をひきおこして、中国への侵略をおし進めていった。」こういうふうに書いてあります。さらに「ドイツとイタリアが、他国を侵略しこれはドイツ、イタリアのことを言っているわけですが、これはあの国々が侵略をした、こう言っているわけです。
以上が侵略という言葉を直接使った表現です。
次が、侵略以外の表現で同じようなことを表現しているものでございます。百二十二ページの「ポルトガル・スペインの動き」という中で、「スペインが進出したアメリカ大陸にはこういうふうに書いてあります。そして「力で征服し、広大な植民地をつくった。」こう書いてある。この前も申し上げましたけれ
ども、広辞苑によりますれば、侵略ということは不法に押し入って財物、領土等を奪い取ること、こうなっているわけですから、植民地にしたということは奪い取ることでしょう、これは侵略になるのかもしれません。しかし、日本はかの戦争によって領土は取りませんからね。取ったのはアメリカの沖縄でしょう、ソビエトの北方領土でしょう。日本は取らなかったのですから。
そして、次のところに、「オランダは、十七世紀の初めには、ジャワを占領して
根拠地とし、アジアの各地に進出した。」「ロシアは、十六世紀の末、シベリアへの進出を開始し、北からアジアにせまった。」みんな外国は「占領し」で「侵略」じゃないのですよ。日本は戦争が勝っているときに南方や中国にしたことは占領でしょう。何で日本は占領したと書かないのです。占領したけれ
ども、後で手放して負けて降服したと書くのが本当でしょう。
そして、百六十二ページには、「アメリカ合衆国の独立」の中で「イギリスは、十七世紀の初めから約百年のあいだに、北アメリカの東海岸に十三の植民地をつくった。」こう書いてある。これだって侵略でしょう。
また、百六十四ページには地図がありまして、この地図の説明の中に「ロシアもまた、黒海・バルト海方面やシベリアに進出して、ヨーロッパの大国に発展した。これらの国々では、専制政治がおこなわれていた。」こう書いてある。これも侵略ではなくて進出だ。
さらに百六十七ページ、ここにはナポレオンのことが書いてある。「ナポレオンは、産業の発達をはかり、新しい社会に合った制度や
法律を定め、一時はヨーロッパの大
部分を支配した。」ナポレオンのやったのが侵略でなくて何ですか。
百七十三ページ、ここには「ロシアやオーストリアなどに支配されていた、ポーランド、ハンガリーなど東ヨーロッパの諸民族は、十九世紀の半ば、あいついで独立運動をおこした。」「ロシアの改革」「ロシアは、アジアへ進出するいっぽう、バルカン半島への進出をはかり、」ロシアは全部進出ですね。ロシアは絶対侵略はしたことはない、進出はした。
百七十四ページ、南北戦争のことも書いてあります。「アメリカは、独立後西方へ領土をひろげ、十九世紀の半ばには、メキシコからカリフォルニアを奪って、太平洋岸に進出した。」アメリカさんも進出。
百七十六ページ、「海外へ進出して富を増したヨーロッパの国々はことなっているのです。「進出して富を増した」というようなことで書かれるのと、正当防衛だと思ってした戦争に対して侵略だ、侵略だとみずからの国のみずからの政府に言われる国民の兵士は大変な違いですね。
百八十二ページにはこういうことが書いてあります。「シベリアから南へと進出する機会をうかがっていたロシアも、この機会をとらえて、黒龍江以北の地と沿海州とを領土にした。」そして、百七十八ページには「欧米諸国のアジア進出」と書いてある。進出ですよ。
そして、二百三十三ページ、「アフリカでは、イギリスが、エジプトから南アフリカにも勢力をのばすと、フランス、ドイツ、イタリアな
ども、争って進出した。こうして、広いアフリカはほとんどヨーロッパの列国に分割されてしまった。これらの国々は、さらに太平洋の島々にも進出し、また、アメリカ合衆国も、十九世紀の末には、スペインと戦ってフィリピンを手にいれた。ロシアは、シベリア鉄道の建設にのりだし、東アジアへの進出をつよめた。 三国干渉後の列国の中国進出も、こうした帝国主義の動きのあらわれであった。」こう書いてある。そして「義和団の乱」となって、「列国が進出した中国ではこういう
言い方になっておる。そして「日英同盟」というところでは、「義和団の乱ののちも、ロシアは満州の占領をつづけた。」こう書いてあるわけです。そして二百三十四ページ、「ロシアの中国進出を喜ばないアメリカも、」云々と書いてある。
三百ページには、「ソ連の勢力下にはいった東ヨーロッパの国々では、ソ連の
指導のもとに、社会主義の国家がつくられていった。」ところが、例えばハンガリーにしてもチェコスロバキアにしても、あれがソビエトの侵略でないという
言い方は日本が侵略だとするならばないのじゃないですか。「
指導」ですか。同じく三百ページに「アメリカと結ぶドイツ連邦共和国(西ドイツ)と、ソ連と結ぶドイツ民主共和国(東ドイツ)との
二つの国がつくられ、ドイツは分裂した。」同じようなことでも表現というのは、これは日本語が豊かなせいでいろいろうまい
言い方もあります。
三百二ページ、「北朝鮮軍が急速に南下するとこれは「南下」ですね。「国際連合の安全保障
理事会は、ソ連の欠席のまま、韓国への武力援助を決めた。」こう書いてございます。
また、三百八ページ、これは欄外でございますけれ
ども、「このとき日本は、国後島や択捉島など北方領土が、固有の領土であることを主張したが、ソ連がこれに応じなかったため、平和条約を結ぶことはできなかった。しかし、現在もその
努力はつづけられている。」となっているけれ
ども、これはソ連が侵略をやめないからでしょう。
三百九ページ、「アメリカの支配からはなれ、自主性を強める動きがおこってきた。」これは「アメリカの支配」ですね。そして「キューバに建設中のソ連のミサイル基地」、こうなっております。
三百十二ページ、「一九七五年には、解放戦線がわが勝利をおさめ、翌年、南北両ベトナムは統一をなしとげ、ベトナム社会主義共和国となった。」つまりこれも武力介入、そして侵略でしょう。
このように数えてみただけでも数々あるわけであります。これは、今
局長おっしゃったようなバランスのとれた教科書ではないのではないかと私は思うのだけれ
ども、検定されたという立場を抜きにして、今一緒にお読みした感想をおっしゃっていただけませんか。