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佐藤(徳)
委員 実は、私は先般、先ほどお答えになっておられました
日本語学級を開設しております東京江戸川区立の葛西小
学校と中
学校を訪問いたしましてその実態の
調査をしてまいりました。昨日は、この
子供たちが住んでおります、近くに常磐寮という寮があるわけでありますが、そこにお邪魔をいたしまして、たくさんの方々といろいろお話をする機会がありました。身につまされるようなお話をいっぱい実は伺ってきたわけであります。
特に、授業参観をさせていただいたのでありますが、私が中
学校にお邪魔をしたときには、第二次試験を行うという発表がまだされる以前でありました。したがいまして、実は合格者、不合格者がいたわけであります。それだけに、高校の合格者と不合格者の
子供たちの心の暗さや心配や不安というものが折り重なっているなという空気を入った瞬間察知することができたのであります。ところが、小
学校に行ってみましたら、これはまた非常に明るいですね。授業風景そのものも、そして
子供たちも非常に明るさを持って
日本語を勉強している、そして
先生と一体となって真剣になって取り組んでおられる、こういう
状況を実は拝見させてもらったわけであります。
学校の校長
先生あるいは学級担任の
先生から、従来までの経過や実情というものをたくさん聞いてきたわけであります。特に、校長
先生が言っているのは、永住の条件は社会参加ができるようになることであると何回も繰り返して私に聞かせてくださいました。そうだと思います。だから、社会参加ができるようになるために、この
子供たちを野放しにするのではなくて、もっと政治が温かい手を差し伸べて、財政的にも
行政的にもきちんとしてやる、こういう
状況をぜひつくってもらいたい、実はこう思っているわけであります。
それで、ほとんどの親が思っておりますのは、きのうも聞かされてまいりましたけれども、子供に
教育をさせたい、そしてこういう悲劇は
自分一代でたくさんだ、みんな子供に望みをかけているわけであります。
日本語学級を
考える会の方々がまとめ上げられました幾つかの資料があります。例えば入学拒否をしている事例、
学校のたらい回し、学習のおくれ、いじめによる
学校嫌い、こういうものがまとめられているわけであります。ぜひ一度目を通していただきたいと思いますが、とりわけ、
日本語ができない、受け入れ態勢がないという理由で入学を拒否されるというのが実はあるわけであります。どこかで
日本語を学習してから来てほしいということである。一年後に再度入学を申し込む予定であるが、今度は年齢で断られるのではないかという不安を持っているという実態も実は報告されているわけであります。さらに、この日中出版社が出しました「血が呼んだ祖国」、この本の中には非常に詳しいことも書いてあります。そしてまた、残留孤児の人たちが短い文章でつづったわけでありますけれども、「一九四五年慟哭の満州」という、こういう本が発行されておりまして、これも全部目を通しました。まさに大変な
状況であり、いかに祖国に帰ってきたいかという気持ちがにじみ出ておりましたね。もし暇でもあれば
大臣もひとつこういう本を読んで、これからの対応をしていただきたい、こう
要請をしているところであります。
さて、そこで私は、葛西小
学校でちょうど給食の時間でありましたから、誘いを受けまして給食をともにしながら
子供たちといろいろ話し合う機会がありました。若干中国語を知っているものですから、
子供たちに聞きました。皆さんは中国人ですか、
日本人ですか。私の質問に対して、全員が中国人ですと答えるのです。
日本人ですと答えた子供は一人もいません。しかも、その
子供たちの中に朝鮮系中国人がいるんですね。だから、親が朝鮮語をしゃべる、中国語もしゃべる、そして今
日本語を勉強している。こんな小さな
子供たちが、中国語も知っているし、朝鮮語も知っているし、
日本語も知っている。これは大変な遺産ですよ。こういう
子供たちを将来、岩槻小
学校の校長
先生が文章でつづってあるように、日中の文化交流のかけ橋の役に立てるような、こういう
人間に私は育てていきたい、こう思っているのであります。
それで、少し
紹介をいたしますが、そのときに私は作文をいただいてまいりました。「ぼくのふるさと」、一人はこういう題であります。
ぼくのふるさと内蒙古です
ぼくのふるさとはうつくしいです
内蒙古の大きな地方
とてもうつくしいです
ぼくと友だちいっしょに山とあそびます
おもしろかったです
ぼくのがっこうのせいと八百人です
ぼくとともだちいっしょに馬にのりました
ぼくのうちいぬありました
いぬがとてもおもしろかったです
たどたどしい文章ですよ、しかし、心の中では本当に中国がふるさとだな、周囲の条件が全く違ってまいりましたから、余計こういうふうな文章を作文にぶつけるのだろう、私はこう思っているわけであります。
あるいは「わたしの未来」というので書いた生徒でありますが、
わたしのおとうさんは
日本人です
おかあさんは中国人です
わたしのきぼうは
将来中国にいきたいです
これを作文で訴えているわけであります。
あるいはまた、ある子供は「わたしのふるさと」という題で、
わたしのふるさとは中国の小さな村です
この村はとてもすばらしく
私はこの故郷を愛しています
そこは勤勉で善良な人々でいっぱいです
私の故郷は
また美しい自然にとりかこまれています
山茶花や菊花など
美しい月記梅の花があります
故郷は人をうっとりさせるものがあります
故郷の風景がとびぬけて美しいことを
私はいつまでも忘れることができません
私はいつまでも故郷を愛しています
たくさんあるわけであります。
特に、私どもも
考えなければいけないなと訴えられた文章がありました。こういうことであります。
いじめられたこと
なんでぼくをいじめるですか
それは中国と
日本 せんそうしました
日本まけた
中国かった
だからおまえのせいだといいました
ぼくはこたえました
なんでぼくのせいですか
ぼくはせんそうをしりませんです
ぼくのせいじゃない
ぼくはせんそうがはじまりのとき
ぼくはうまれていませんでした
いじめられた子供です。
まさに深刻じゃありませんか。こういう
子供たちの気持ちに立って、しかも、冒頭申し上げましたように、
大臣の
答弁にもありましたように、戦争の犠牲者であり、その後遺症が孫の代まで続いているということなんであります。これはまさに人権問題であり、人道問題であります。こういう実態を文部省がきちんと把握して、そして対応していくということが今日一番望まれているのだと私は思います。
先ほど
大臣にもお見せをいたしましたが、五人の中国にいる人たちが書いてよこしたたどたどしいこの文章、何とかしてやらなくてはいけないな。ボランティア活動、一生懸命やっておられる人があります。その人たちだけに任しておいていいのだろうか。まさに私は、戦後政治の総決算をするならば、金もこれにつき込んで温かい政治というものを世界の人々に、中国の人たちに知らせてやるべきだ、こう思っているのでありますが、
大臣の所見を伺います。