○元信
委員 僕に言わせれば、本当に言っていることが汚いのだよ。あなたたちは言葉の上では
努力をすると言うが、
努力というのは実らなければ
努力にならぬのですよ。幾ら言葉の上で
努力してもらったって、上がらなければ何にもならない。そうでしょう。今では国民、特に
公務員の中で、
政府が
努力をすると言うことを信用している人は一人もいない。
努力をしてそれがだめでもこれだけはやりますということをあなたたちは盛んに言っているわけですけれども、もうこっちの
努力の方は相手にせずにこっちで安心せよ、こう言っている。そうでしょう。最低これだけはやってやるから安心せよ、そう言ったじゃないですか。こんなことを言っていると、今度は「
努力」という言葉が笑い物になりますよ。「できもせぬことを言うことを
努力と言う」こういう新たな定義ができはせぬかと僕は心配するのです。そういう意味で後藤田さんの名前が歴史に残るのではないかと思うんだな。「
努力」という言葉に新しい意味をつけた。やらないということを、今からやらないつもりのことをそこまでの間つなぐためにごまかすのが
努力だというのでは、どうしようもないですね。
このことばかり言っておっても先に進みません。私は改めて
指摘しておきたいのは、今、日本を取り巻く国際
環境というのは甚だ厳しい。特に貿易摩擦等について、従来から日本の低賃金・長時間労働ということが言われているわけですね。それの
一つの根拠として、
公務員に対して刑事罰まで加えて労働基本権を制約して、そうしてその代償
措置は
政府の都合によって適当にサボっておる。値切っておる。奴隷労働だと言うのですよ。それに対してILOは、
完全実施は当たり前のことであって、
完全実施できぬような
制度であるなら
制度そのものを本来の姿、労働基本権の制約と言うなら労働者の参加がある、しかも下した裁定については
勧告しかできませんということではなくて、ちゃんと法的に拘束する
制度にしなさいということを言っているわけです。これは世界の世論というものが、
我が国の労働慣行、労働
制度、
公務員の
制度に対して極めて厳しい見方をしているということです。
それをさらに敷衍して言えば、
我が国の従来からある低賃金・長時間労働に対する批判に
一つの大きな根拠を与える、言うならばそのきっかけを
政府が与えている、こういうふうに言わざるを得ないと思うのです。そういう意味からも、毎年ILOにこういう問題がかけられて、しかも
政府に対して厳しい
勧告がその都度採択されている事態というのは、国際的には極めて恥ずかしい事態であろうと思います。ですから、これを早急に
政府の責任において解消しなければならぬというふうに思うわけです。
ちょっと話を変えますけれども、ことしは四月四日に政労交渉をやって、そこで
政府から、
人事院勧告を完全に
実施するように
努力をする、こういう
態度の表明がされて、労働側もそれを受け入れたような形になって一応の合意を見たということになっておるわけです。そして
政府は、八三年の分のILOに対する労働側の提訴に対して、既にこういう政労交渉が持たれて、それがますます発展することを期待をし、そうして最終的には必ず労働組合との間に合意が成立するものと期待しておる、こういうことを言いましたね。その後の経過について、一体どういうふうになったのか、ちょっと御
説明を願いたいと思います。