○経塚
委員 はっきりしないですね、大臣、ここが大事なところだと思うのですよ。公明党さんの方の質問もありましたけれども、自治省としてはっきり理論づけという質問がございました。いわゆる
社会保障制度の国と
地方の
負担割合の問題について自治省はどういう見解を持って臨むのか、私は焦点はここだと思うのですよ。ここをあいまいな考え方を持っておると、これは何ぼ重大な決意で臨んだところで金の話として押しまくられてしまう。金の話で押しまくられたら、これは局長の今の姿勢、答弁からもうかがえますけれども、押し切られますよ。中期試算、六十年度の枠組みで六十一年度予算を組むとすれば三兆七千億円調整
財源が必要だ、こうなってくるのでしょう。これはまた出てきますよ。大型間接税、間接税と言っておりますけれども、こんなものそんな簡単にいきますかいな。そうすると、これは六十一年度引き続きカットですよ。
私は大臣の答弁を聞いて、ははあ、これはちょっと困ったなと思ったのは、大臣は一生懸命頑張ったけれども、最終段階で国の
財政事情でもうやむを得ずこれは認めざるを得なかった、これが認めた理由ですね。そして今度認めてきたら、皆さんに納得してほしいという理由としては、財政上諸般の
措置が講じられて支障のないように手当てをしてもらったから、これはやむを得ずのんだけれども、のんだ理由はこういうことだから納得してくれという理由です。だから、入り口も財政問題、出口も財政問題、全部財政が理由でのんだけれども、財政が理由で手当てをしてもらったからもう納得をしてくれ、こういうことです。これはあきません、こんな論でいっておったら。絶対あきません。何であかんのか。金の話になったら大蔵の方が強うおまんがな。今から一年かかって一生懸命勉強したかて太刀打ちできやしませんがな。向こうはどんどん数字出してきよるわけです。
そうすると、何が問題かと言えば、こういう
社会保障制度、公的扶助について一体国がどんな責任を負わされておるのか、その中での
地方の
役割分担はどういうことなのか、ここを理論的にはっきりさせることやおまへんか。
生活保護法第一条には、憲法二十五条の理念に基づき、国が
生活困窮者に必要な保護を行い、ちゃんとこうなっているのです。これがあとの児童保護、身体障害者保護、婦人保護、老人保護、
地方財政法十条で定める国庫
負担金の根幹になっておるわけでしょう。そして憲法二十五条は、
社会福祉、
社会保障について国がその
向上に努めなければならない、こうなっているのでしょう。これは、戦後憲法が制定されたときの経緯がそうだったのですね。
これは、もうずっと戦前から、内務省
時代からこられております大臣は、私よりもはるかにこの間のいきさつについては、もう百も御承知だと思うのです。国会に出されました憲法のこのくだりの案はどうだったのですか。健康で文化的な
生活の
向上に努めなければならないということだけだったのですよ。これが
国民の権利だという条項もなかったのです。そして「国は、」という、国の義務もなかったのです。これが国会で論議されました結果、単に
向上に努めなければならないというだけでは、だれが責任を負うのか、
向上に努めることを求める権利はだれにあるのかはっきりせぬじゃないか、こういうことになりまして
国民の権利として文化的な
生活の保障が明文化され、一方国の義務として「国は、」という言葉が入ったのでしょう。これに基づいて
生活保護法第一条が生まれ、先ほど言いましたようにこれに基づいて各種の立法での
負担割合が高率
補助――私は高率だとは思っておりやしません。何でかといいますと、御承知のとおり
生活保護も戦後一時期は国が十割給付だったのですよ。そして国が八割、
地方が二割となりましたときに、
社会保障制度審議会から、
地方が二割では重過ぎる、もっと国の
負担割合を高めなさいという答申が出たのでしょう。これもいろいろ論議になったのでしょう。だから本来からいえば、憲法第二十五条、
生活保護法第一条からいえば、十割
負担が建前なんですよ。
これは大臣、
地方制度の方から見て、全額いわゆる一般
財源化して、そして
事務も権限も完全に
地方に移譲させなさいといったときに、厚生省が大反論やったのですね。そのときの理由がこういうことでしょう。
地方には任せられぬ、何でかといえぱ、
地方の財政というものはときの景気不景気によって
財源が左右される、公的扶助というものは景気不景気、財政によって左右されてはならないものなんだ、たかる憲法で明記され、
生活保護法第一条で国の責任、義務が明確化されておるんだ、どんなことがあっても
地方に渡すわけにはいかぬ、また
機関委任事務にも問題があるといって、英国の例を挙げたのです。英国は国直轄でやっておるのでしょう、予算も
事務も。この例を挙げて厚生省は反論をしてきたのです。そういう経過があるのですよ。
だから、どんな経過があろうとも、財政を理由にして公的扶助に対する国の責任を放棄してはならない。建前は十割給付でも当然なんだ。もしこの国の責任があいまいにされるということになりますと、そして金の都合で十分の八を十分の七に
引き下げてもええということになりますと、財政は当分好転をする展望が開かれませんから、後退に歯どめがかけられなくなるのですよ。十分の八が十分の七になり、十分の七が十分の六になり、こういうことになりかねぬわけですね。だから、これは最低限度の
生活を保障するためにとられた公的扶助に対する国の責任問題でありますから、金の都合によって左右されてはならないという確固とした不動の見解を自治省が持つかどうかです。私はここがかなめだと思うのですよ。どうなんでしょう。