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中曽根内閣総理大臣 私は、一月の会談で、非常に事態が切迫しているということを前から知っておりました。昨年は
大統領選挙がありましたから、対日貿易問題というものを
大統領選のイシューにすることは適当でないということで、共和党も民主党もセーブしておったわけです。特に、民主党側がこれを出してこようという気配があったときに、もしそれを出した場合には、労働組合の御機嫌をとり過ぎるとモンデールさんは一般市民から批判される、そういうような面からも、民主党も自粛して選挙には出さなかったのです。選挙が終わったら、
日本のドルがこれだけ蓄積されておるという現象が出てきたので、それでどっちかと言えば論議が解禁になったという
性格が去年の十二月から出てきております。
私はそれを見まして、これは一月以降相当大事なことになるという予測がありましたから、それでレーガン
大統領にも会い、この問題の打開に関する方法をまず話し合おうということで、四つのセクターに関するMOSS方式という方法を決めたわけです。
内容については、これは両国のそれぞれの当事者が談判し合うことであり、また商品自体の競争力にもかかってきていることでありますから、我々としては、国際水準あるいは両国の
関係で必要と思われる妥当な開放は行う。行うが、それ以上入ってくるか入ってこないかということは向こうの努力であって、どれくらい競争力があるか、あるいは向こうの売り込みがどの程度熱心であるか、そういう問題にかかっておるので、そこまで我々は
責任を持つわけにはいかぬということも言ってきておるのであります。
そういう
意味でMOSS方式という方式を決めたのでありますが、その折衝が始まって、そしてこういう状況になってきた。私は、去年の十二月以来のものをどう打開するかという方法を決めなければ、これはもう大変なフラストレーションを
アメリカ国内に起こす、そういう考えがありまして、そして、そういう道で誘導しつつこの問題を解決しようということを考えてやったのであります。いいか悪いかは、それは御批判を受けなければならぬと思いますが、私の考えでは、それ以外に方法はない、そう思ったわけです。これは行政当局者が
責任を持って許認可とか、そういうことはやるわけでありますけれ
ども、行政当局者のチャネルをつくってそのメカニズムをつくった、あとは交渉能力とか競争力とかいうものにかかってくる、そういう形でやったのであります。
それで四月一日というのは、
電電公社が今度は会社として発足する、その会社として発足するについては政令、省令、
法律をつくる、そういう政令、省令の段階になっていますけれ
ども、そういうような段階で四月一日というものが
一つの時期的なめどにも登場してきたわけなのであります。そういうことで、向こうは
上院がいろいろアクションを起こしてきたということも、政治的には理解されるところで、政治家ならわかることであります。そういうような
過程を経て、この問題を必死になって今解決すべく努力している
過程である、そういうふうに御理解願いたいと思うのであります。