○沼川委員
所得制限が妥当と言われると、随分また反論したくなるわけですが、確かに
所得制限についても
国会の附帯決議でもっと緩和しろと何回も言われていますね。結果的には、実際緩和の
方向ではなくて、強化する
方向に来ているわけです。これもまた同じことですから言いませんが、
国会の附帯決議は一体何なんだろうか、こう思いたくなるほど実態は逆行しています。特に私、
所得制限そのものは抜本的に廃止すべきだ、こういう考えですけれ
ども、現状で少しでも
所得制限を緩やかにできないものだろうか、この努力はすべきじゃないかと思うのです。
特に発足当時の
所得制限の問題を見ますと、四十六年度当時は
所得制限が二百万円になっておるわけです。この二百万円というのは、あの当時この
制度の二百万というのは随分考えてあるのじゃないかという気がします。扶養親族五人の場合、給与所得者の前年の収入の二百万以上に
所得制限を課すということですが、たしか聞くところによりますと、この
所得制限は、あの当時本庁の課長クラスの方で
児童手当がもらえたとも聞いています。たしかそのクラスの給与水準じゃなかったかと思うのです。ということは、現在と比べると、同じ
所得制限を課しながら、随分いろいろな状況を考慮してこの基準はつくられた。もともと
所得制限そのものは反対ですけれ
ども、そういう面ではあの当時の
所得制限は非常に緩やかじゃなかったか。したがって決して低所得者対策じゃない、そういう考え方が貫かれておる
所得制限じゃなかったかと思うのです。
ところが、この当時老齢福祉
年金の
所得制限と対比してみますと、
児童手当が二百万に対して老齢福祉
年金の場合は百八十万です。ですから、このときの所得水準は私一応評価できるのじゃないかと思うのです。ところが、十何年かたって、これは一九八一年の比較を申し上げます。
児童手当の場合の
所得制限が四百五十万、ところが老齢福祉
年金の扶養者の
所得制限が八百七十六万円。いつの間にか逆転しています。しかも
所得制限の経緯をいただいたデータでずっと見ていきますと、四十七年から五十一年までは二百万が四百六十四万五千円、徐々に
所得制限がいわば切り上げられております。ところが五十二年に四百九十七万になったきり、四年間これは据え置きです。しかも五十六年から四百九十七万を四百五十万に切り下げています。そして五十七年はもっとひどいですね。確かに行革
国会であったということもあって、例の
特例法の関係で、三百九十一万。ですから、
所得制限はむしろ緩やかにすべきなのに、これをどんどん強化すること自体が結局このせっかくの
制度を低所得者対策、多子貧困の対策と認めておるようなものではないですか。この点、いかがでしよう。