○木部国務大臣 私も多少定かでない点もありますけれども、今の明石の鳴門の橋との関連性の問題でありますけれども、私が記憶している
範囲では、あそこへ明石からずっと大鳴門へかけて通しで橋をかける、こういうことが構想として大体まとまったのが
昭和三十九年の五月ころだと記憶いたしております。
それで、当時
建設省の首脳部の考え方と地元の考え方というのは大きな開きがあったと私は記憶いたしております。その開きというのはどういうことかというと、
建設省の首脳部の考え方というのは、もう鉄道の時代は終わったということですね。それから、四国全体と今までの国鉄の連絡船その他のいろいろな関連性というものを考えてみても、明石よりも坂出ルートの方が非常に意味がある。今までの故事来歴から考えてみても、また四国と中国
地方や何かの経済的交流とか人的交流とか文化的交流、そういうふうなものの因果
関係というか因縁というか、そういうものが向こうの方が強い。
国鉄の方は今ほどこうなるとは思っていなかったでしょうが、交通体系というものが、当時先進国を見ても飛行機とか自動車とか変わってくるというようなことで、鉄道の時代というものは非常に疑問があるということで、言えば、促進をしよう、橋をかけようという考え方は一致しておりますが、その辺がどうも調整がとれなかったというところに、かなり時間がかかっているように私は記憶をいたしておるわけであります。
そういう意味で、いよいよ一般
調査から実地
調査もして
工事着工ということに鉄道併用橋でやったところが、オイルショックになってしまった。そこで一時中断をせざるを得なくなったというような経緯もありますし、それから今度やっと開通して——まだ建設中の中でも論議をされたことは、鉄道がこういう状態になってしまった、したがって今私が前段申し上げたように、坂出ルートの方が今までの交通の流れとか歴史的経緯からいって一番自然であるというような論議が出てきて、そして今御承知のとおり、場合によったら単独橋でいいのではないか、そういう御
意見もあるわけですね。
でありますが、しかし一方ではあれは新幹線がかかっているのですから、私が承った
範囲では百六十億ぐらいというのですが、これをそのまま何の解決もしないでこっちだけ単独橋でといったって、これは
国民が許すわけはないと私は思うのです。
でありますから、
国土庁長官もおいでになられますけれども、運輸省とか国土庁とか我々もその問題について一体どうするのかということの結論がないのに、いかに地元の熱望が強いものであるかは私も承知しておりますけれども、そんな国費のむだとかそういうことには政治として厳然とした明快な合意が得られるような努力をしなげればならぬわけです。そういう問題なども実は率直に言ってあるわけであります。
私自身もこの間テープカットをさせていただいて、ある意味では非常に自然との調和のとれた文化的遺産だ、また海外に誇れる日本の
技術陣、
公団を初め
関係者の皆さん方の、また日本
国民としても非常な誇りだ、子孫に対してあれだけ立派なものを遺産として残すということは非常にうれしいことだ、私はそういう大きな感動を覚えましたけれども、一方では、地元でも非常に強いいろいろな、明石の橋の問題もあるというようなことで、これをそこでもうさよならだということは、これも百億以上の
調査費がかかっているわけですから、率直に申し上げて来年も今までと同じように
調査すべきだ、やるやらぬの問題はもう少し高度の政治
判断がありますから。
それからまた、効率的、効果的という面を考えた場合に、坂出ルートもかなり進んで六十二年の予定になっておるわけですから、これがおくれるということになったらやはり大変な問題だ。私どもは、先ほど申し上げましたように、
横断道とかアクセスの
関係を、四国の地域経済に貢献できる、そういう問題も財政の厳しい中で努力をしなければならぬでしょうし、そういうような全体的、包括的、総合的に
検討しなければならぬ問題がたくさんあるわけですね。
私は、この間ある新聞の論説を見ましたけれども、日曜日の論説だったですが書いてあるのを見て、これも前から論議されたことを、非常に明快に心配の
問題点を書いておられました。そういう点で、私ども国費のむだ遣いと言い切れないし、それによって子孫に対して将来に対してより夢と希望を持った大きな可能性を生み出す努力を政治も行政もしなければならぬ。そういう点を考えてみますと、今の
上野先生のような御
意見もございますけれども、私どももいろいろ御指導をいただきながら誤らない方向に努力しなければならぬ、そういうふうに考えております。