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竹内(猛)
委員 大体十一の中の、主な役所の今までとってきたことを聞いて、おおむねこの程度のことですね。これではどうも物足りないですね。
例えば、五十七年に京
都市では条例をつくって、市の条例の中に罰則まで加えて運動をやっていますね。けれ
ども、適用されている
ところはきれいになったかもしれませんが、それ以外の
ところは空き缶の山が絶えない、こう言うのですね。京
都市以外の
ところは、農村地帯には空き缶の山が絶えないと言う。それから、各地ではデポジットの運動やあるいはボランティアが空き缶を集めようということで日にちを決めて総出でやっていますね。これを見ると、
全国的に無数の運動が行われています。各地で行われておりますが、私の茨城県では日立市を中心として、県がつくった条例を日立市で適用して市民運動としてやっておりますけれ
ども、やはり依然としてこの問題には満足できないものがある。こういうことで、モラルに基づいた運動あるいは各県の市町村の条例等によることだけではどうも最終的にうまい処理にはならないというのが現状ではないかと思います。
そこで、ある新聞の論説にこういうことが書いてある。これは非常に傾聴に値しますから、ちょっとここの
ところを読んでみます。
空き缶
公害追放への
取り組みが
全国で進んでいるが、この問題の難しさは、現状では、結局はモラルの問題ということになってしまうことにある。やがて国民全体のモラルが向上し、空き缶、空き瓶をポイ捨てするような不心得者はいなくなるということは確かに理想的なことであるが、いまの姿は果たしてその理想に向かって進んでいるといえるのかどうか。モラル向上の呼び掛けは、これからも一層強めていく必要があるが、その一方では、この運動はそれだけでいいのかという気がしてならない。
空き缶
公害防止の責任者はだれかとなると、これがなかなか難しい。田畑やあぜに空き缶、空き瓶を投げ捨てられ、農作業の邪魔をされるだけでなく、まかり間違えば大けがをさせられるかも知れない農家も、被害者だとばかり思っていると、法律上は必ずしもそうではない。「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」によると「
土地又は建物の占有者は、その占有し、又は
管理する
土地又は建物の清潔を保つように努めなければならない」ことになっている。空き缶が散らばっていることと〝清潔〟という言葉との間にはイメージのずれがあるが、
土地を占有し、または
管理する農家にも、空き缶などが散らばっていないように清潔を保つ〝
努力〟をする義務があるということになっている。
この清掃法は大事なことを定めている。これは空き缶、空き瓶などの「一般廃棄物」は市町村に収集し、運搬し、処分することを義務づけているのだ。このことが、市町村以外の者に対しては空き缶
公害追放については
努力義務にとどめる結果を招いている。
農家とか市町村を持ち出す前に、空き缶
公害の直接の
原因者はいうまでもなくポイ捨ての本人である。ポイ捨ては、清掃法や軽犯罪法などいくつかの法律で罰則を定めて禁止しているが、実際はだれも見ていない
ところを見計らって捨てるのだから、これらの法律が適用されることはめったにない。法律の力でポイ捨てをなくそうというのは極めて困難である。
そこでモラル向上となるが、モラルが向上してポイ捨てがなくならない限り、捨てられた空き缶をどうするかの問題になり、農家がどうの、市町村がどうのという問題になる。市町村の廃棄物処分義務といっても、五十戸以上の集落がない町または字の区域については市町村のこの義務すら免除されているのでは、過疎
地域では立つ瀬がない
ところが少なくない。
投げ捨てられた空き缶、空き瓶をみて、製造したメーカーや販売した店には責任はないのかとだれしもが思う。この問題はしばしば論議されるが、先にもみたように、空き缶、空き瓶などの一般廃棄物を処分する義務は市町村にあるのであって、メーカーや販売店にはその義務はないことになっている。
しかし、われわれは、空き缶
公害を追放するためには、もう一歩踏み出すべきときではないかと考える。一歩踏み出すことは、小さな缶や瓶に入れた飲み物の製造、販売に何らかの
規制を加えることである。
以下、若干ありますけれ
ども、こういう論説がある。これについて
環境庁の責任者としてどのようにお考えになるか、ちょっとお答えを願いたいと思います。