○草川
委員 私は今から公健法の経過等について少しお伺いしたいと思うのです。
私自身の個人の経験を申し上げるわけでございますが、私は、
公害が非常に多発した
昭和四十年代の前半、名古屋の南部の方で、ちょうど
公害の
指定地域になっておるわけでございますけれ
ども、ここで労働組合の
委員長をやっておりまして、名古屋南部の重化学工業の労働組合の
委員長懇談会をつくろうということを提唱いたしまして、これは
全国的に見ても珍しかったと思うのですが、
公害に関する労使
会議というのを提唱いたしました。そこに経営のトップの方々にも集まっていただき、そして行政の県知事、市長にも出席を願い、あるいは
地域住民の代表の方々も御参加を願いました。
当初は経営側の方々も
地域住民の方々と直接
お話をすることを非常に嫌われたわけでございますが、それぞれの組合の
委員長が説得いたしまして、経営側にも出ていただく、あるいは県知事、市長にも出ていただく、労働組合もそういう企業で働く組合の
立場で
公害の原因を除去するために少し
努力しようというので労使
会議を開きまして、そこで
公害被害者救済基金制度というのをローカル的に、わずかではございますけれ
どもつくりまして、子供さんたちを林間学校に行かせるとか入院されてみえる方々に見舞いをする、あるいはその
地域、名古屋では初めてでございますが、名古屋南部の柴田という
地域にオオムラサキツツジを我々組合が植えるというような非常に新しい運動をした経験がございます。もちろん組合員自身が被害者の方々というよりは
地域住民の方々にアンケート
調査をして、柴田ぜんそくという名を私
どもがつけたわけでございますが、そういう経験があるわけであります。でございますから、患者の方々の苦しみもそれなりに、私
どももおつき合いをさせていただいていろいろな強い怒り、本当に苦しい生活も目の前に見てまいりまして、
公害発生源に働く労働者として、少なくとも組合の責任として
公害防除をしなければならない、こういうことをやってきた
立場があるわけです。
そういう
立場があるだけに、私は現在の大気汚染の
現状あるいは患者の方々が今日なおたくさん多発していること、あるいは私は今回の質問の中にも、
公害患者の方々にも直接
お話をしてきたこともあるわけでございますが、
公害健康被害補償法の一部改正について患者切り捨てになるのではないかというような御心配も非常にあるわけでございまして、私
どもはそうではない、とにかく現在の認定患者の方々が一日も早く治っていただけるように国にただすべき点はただしながら、そして早く治っていただくように
努力する、あるいはまた従来の大気汚染の発生源の内容が異なるとするならば、その原因を明らかにしながら新しい患者の方々の発生を食いとめていく、そういう
努力こそが今回の法律の目的ではないだろうか、こういうことを申し上げながら来ておるわけです。そういう
立場できょうは少し御質問をさせていただきたい。まず最初に私のスタンスを申し上げながら質問をさせていただきたいと思うわけでございます。
そこで、この法律ができましてからもう既に十年半になるわけでございますけれ
ども、いろいろな問題点が出てきております。私ひとつ、
日本医師会が
昭和五十九年三月に
環境保健
委員会の活動の取りまとめをやっておるわけでございますが、これは
環境庁の方も御存じかもわかりませんし、既に国民医療年鑑にも出ておりますので、ちょっとそこのところを読んでいきたいと思うのでございます。「
公害については学問だけでは割り切れない問題も多いので、現実面での追求と対応をおろそかにせず問題を検討していただきたいという執行部の要請を受けて発足した。」云々というのがあるのでございますけれ
ども、このことについては当局は御承知をなすっておみえになりますか、お伺いをしたいと思います。