○小林(進)
委員 この問題は、歯舞、色丹はちょっと置いておきましょう。国後、択捉に対しては、我が社会党の中にも、サンフランシスコ
条約において吉田はちゃんと放棄してきたのだという説を唱える者が今でもずっとおります。これは単に社会党の中だけではありません。国民世論や学者の中にもこの意見は実に強いのです。多年の間、私もこの点は非常に疑問を持っていた。あのサンフランシスコ
条約第二条(C)項に、クリル諸島はこれを放棄するということがちゃんと書いてある。そのクリル諸島の中に国後、択捉が一体入っているのかいないのかという、問題の中心はここに来ているのでありまして、私はその点を疑問に思っておりました。
時間を節約する意味で申し上げますけれども、最近、私は雑誌を見た。この中に「北方領土返還の切り札」と称して、上智大学の
教授のグレゴリー・クラーク、この人が論文をお書きになっている。この論文を私は四回も五回も繰り返し読んでみた。これは多年私が
考えていることとぴたっと合っている。この中には、いわゆるサンフランシスコ講和
条約の第二条(C)項の中に明らかに、
日本はクリル列島を放棄すると書いてある。そのクリル列島というのは、
日本語で訳せば千島列島ということなんだな。千島列島を放棄するということになっているのです。
この問題を
日本は、ちゃんと放棄をしておりながら、その放棄をする問題の前段として
アメリカから、サンフランシスコ講和
条約が開かれる前に大変強く、この放棄の問題で示唆をされた。そこで時の吉田総理
大臣が、千島列島の国後、択捉は
日本の固有の領土だから、これを放棄することだけは何とかやめてくれということを、文書で三十二回にわたって
アメリカ政府に送ったという、そういうことがちゃんと記載されている。これは歴史上厳然たる事実なのです。その三十二回の往復文書、
日本政府がクリル、千島列島に対して
アメリカ政府に渡したという、その文書をひとつ私に見せていただきたい、これが第一の注文です。いいですか。
けれども、
アメリカ政府は了承をしないで、サンフランシスコ
条約には、この千島列島を
日本に放棄せしめるように
条約を結んでしまった。そこで吉田さんが
条約を結んで帰ってきて、九月十一日ですか、
日本の本
会議場の中で、私は最後まで抵抗いたしました、これは不当な
条約だから、今後この問題でも私はあくまでも闘い抜くぞということを本
会議場で証言をしておりますからね。こういうような
現実の歴史がずっとあるのですが、それをいつの間にやら
日本政府自体がごまかしてしまった。いいですか。
外務大臣、これがあなたの運命を決する重大問題ですから、これをやらなくちゃいけませんよ。
千島列島のクリル・アイランド、これは英語が使われている。講和
条約でのダレスの
発言なのです。これは五一年の九月五日です。サンフランシスコの講和
条約「第二条(C)に記載された千島列島という地理的名称が歯舞諸島を含むかどうかについて若干の質問がありました。歯舞を含まないというのが合衆国の見解であります。」講和
条約のときにはダレスは歯舞だけを突出して、これは千島列島に入っていない、クリル・アイランドに入っていない、彼はこう言っている。国後、択捉には何にも言わないのです。千島列島の放棄について、ただ
グロムイコが、これはサンフランシスコの
会議でですよ、
日本国は云々とあって、「千島列島に対するソヴィエト社会主義共和
国連邦の完全なる主権を認め、これら地域に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」との修正意見を執拗にやってきたわけですね、サンフランシスコ
条約で。ただ、これに対しては、どこの国も
発言する者はなかった。無視してしまった。それで
グロムイコの修正意見はそこでは通らなかった。不明のままに放棄された。これが
日本にとっては
一つの救いでありましょう。
こういうようなことの
条約が終わって、その九月八日です。講和
条約が九月五日ですから、八日、吉田全権がサンフランシスコで
発言しているのです。いいですか。そこで、千島列島及び南樺太の地域は
日本の侵略によって奪取されたものとの
ソ連全権の主張は承服いたしかねます、これは、吉田さんにしては大変立派な
発言でしたよ。これは、武力や権力によって剥奪したものではない、こう言っている。
それからまた、
日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島及び歯舞諸島も、終戦当時たまたま
日本兵営が存在したために
ソ連軍に占領されたままであります、
ソ連軍に占領されたが、しかし色丹島と歯舞諸島は北海道の一部でございます、これは、吉田さんは明確に論じている。歯舞、色丹は出てくるけれども、国後、択捉はさっぱり出てこない。以上について異議を申し立てる国は、四十八カ国のうち一国もなかった。そこで、
日ソ共同宣言のときに歯舞、色丹だけはやはり千島列島の中に入らないということを確認せられて、そして
ソ連もこれを引き渡すというような結果になった、こういうことになった、いいですか。
ところが、今度、そのサンフランシスコの講和
条約が終わった昭和二十六年の十月十五日です。一月もたたないわけです。鈴木正文という当時社会党の、これは国務
大臣をおやりになった方ですが、この方が吉田総理
大臣に質問しておられる。歯舞、色丹だけは北海道の一部である、これを放棄したのはよろしくない、こう吉田さんに追及しているわけです。北海道の一部だと言いながら、あなた、これを放棄してきたじゃないか、どういうわけなんだと鈴木正文が言っている。私の先輩ですよ。そして吉田総理はこれに答えて、歯舞、色丹については、しばしば北海道の一部であると主張してはばからないのであります、私は、北海道の一部であるということをしばしば主張してまいりました、こう本
会議場で
答弁をしていた。
これに対しまして、今度は鈴木義雄氏です。歯舞、色丹等の
ソ連による不当な占領について指摘したところだが、
条約ができてから一方的に捨てぜりふを言って去るとは、政府は責任がなさ過ぎるじゃないか、こう言って吉田さんを追及しているのであります。あなたは捨ててきちゃって、それで
日本の国会へ来て、
日本の固有の領土だなんてそんな捨てぜりふを言ったって、それは負け犬がしっぽを動かしているようなものだ、話にならぬ、こう言って追及されたことに対して吉田総理はこう言った。歯舞、色丹を含めて、無条件降伏した
日本としては、連合国の決めた領土条項を甘受する、これを受け入れるというのは
条約上の義務である、
条約上の義務を投げ出してとやかく言うのは甚だ当を得たものではありません、こういうふうに
日本の国会で
答弁しているのです。いいですか。
条約で放棄してきたんだから、それをとやかく言うのは無条件降伏したことにならぬじゃありませんか、こういうことを言っている。これは本
会議の
答弁です。
同じく昭和二十六年十月十九日、これは当時の高倉定助という北海道から出ている代議士でありました。私はよく知っております。我が親友でございまして、この人がこういう質問をしているんですね。千島の中に歯舞、色丹を含むのか、こう質問した。それに対して吉田さんは、
アメリカにも申し入れている、それを報告させると言い、そのことについて
答弁をさせます、こう言って後ろを振り返った。そうしたら当時の西村
条約局長、立派な人でしたよ、ちょっとそこら辺にいるのとは違いましたよ。これはよく知っている。その西村
条約局長が答えていわく、千島列島には北千島も南千島も含みますと答えている。「現在に立って判定すべきだと
考えます。」歴史上の問題なんかだめです、こういう意味なんです。「従って先刻申し上げましたように、この條約に千島とあるのは、北千島及び南千島を含む意味であると解釈しております。」千島全域を含むんだと言っている。
その次には、小川原政信という人の質問に草葉隆圓さん、これは自民党の代護士でなかなか立派な人でした。当時
外務省の政務次官でした。この政務次官が立って答えていわく、北千島、中千島と南千島ということになっております、現在千島というと、北、中、南を総称いたしております、その中に国後、択捉もちゃんと含まれているということを、草葉隆圓も西村
条約局長もちゃんと
答弁をしているのです。いいですか。ここに非常に問題があるのでありますが、一体
日本の政府がいつごろ変わったかというと、途中で変わっちゃったんだ。変身をしたのです。
だから、
ソ連側から言わせれば、ちょっと話がくどくなりますけれども、ともかくヤルタ協定で
アメリカとイギリスと
ソ連と会ったときに、
日本への参戦、これを受けなければ、
アメリカは百五十万から二百万余計に本土決戦でやらなくちゃならないから、どうしても
ソ連が参戦する必要があるということで、そこで国後、択捉でなく、千島列島をスターリンにやることを
アメリカが提案したんですよ。それを
ソ連が受けて、しからばよろしい、それではおまえの言うとおりひとつ
日本に参戦してやろうや、ドイツを
解決した後にはひとつやりましょうやという契りができた。これが
グロムイコをして、
国際条約の上では領土問題はもう終わったのですと言わしめた。
だから、この論文を読んでいただければわかるように、
日本の領土である国後、択捉を含めて千島を放棄せしめたのは
ソ連じゃないんですよ、
アメリカなんですよ。何で一体
日本の
外務省は、その本体の
アメリカに真実の追及をしないのか、ピントが外れているじゃないですかということをこの論文は言っておる。これはそのとおりなんです。ひとつ原点に返って
考えてもらわなくちゃいけない。これを追及しなくちゃいけない。だから、この中には、なぜしからば一体
アメリカは
ソ連にそういう
日本の固有の領土をやって、そして参戦せしめたか。参戦した直後のサンフランシスコ
条約にも、歯舞、色丹だけは北海道の一部だけれども、国後、択捉に対してはだれ一人として触れてない。触れられるわけがないのですから、それはもう
アメリカはちゃんと先に
ソ連にやってしまったんだから。
そのときにはまだ
ソ連の力というものが、
ヨーロッパにはまだ東欧圏だの西欧圏だのといって、
ソ連がぐぐっと言うと
ヨーロッパの方ががらがらっと
ソ連圏に入るという危険があったから、まだサンフランシスコ
条約のころには、
アメリカは
ソ連の
ヨーロッパにおける力を恐れて
日本の味方をすることができなかったから、百分が
日本の領土を
ソ連にやって知らぬ顔をしておいて、そうして国後、択捉だけは
日本の領土だというようなことを言ってごまかしてきた。この問題を明らかにしなければ、
外務大臣、対
グロムイコとの交渉において、それは腹の底から真実をもって通そうなんというのでは交渉になりませんよ。
日本がいつ一体変わったかといったら、鳩山さんの
日ソ交渉だ。一九五六年です。サンフランシスコ
条約が済んで五年もたって行ったときに、当時の重光
外務大臣、重光全権いわく、国後、択捉は
日本国有の領土である、こういうことを言い出したのです。その日突然変身してしまうわけだ。どうしてこういうことを五年も後に言い出したかわからない。五六年七月三十一日に言ったのだが、それから一カ月余おくれてようやく
アメリカが、重光さんがこう言った後にこういうことを言ってきた。歴史上の事実を詳しく研究した結果、国後、択捉は
日本の固有の領土の一部をなしてきたものである、こういう摩訶不思議な文章だね。サンフランシスコ
条約の一番大事な舞台でみんな口をぬぐって
一つも言わない。歯舞だけは
日本だと言っていながら、五年も六年もたって突然こういうようなことを言い出してきた。
何で言い出してきたか。これは鳩山さんが
日ソ国交回復
条約に行ったとき、こんなことでうっかり手を握られて
日本と仲よくされてはいけないから、むしろ
日ソの
関係を悪くするためにはこういう文章でもよこして、いやいや、国後、択捉は本来は
日本のものだといって
日ソ交渉に水をひっかけるために言ったのではないかという
一つの意見をなす者もある。また、今
考えてみたら、この領土問題で今日に至ってもなお
日ソの
関係ががたがたしているということは、もし
アメリカに
日本と
ソ連との
関係を円滑にやらせたくないという陰謀があったとすれば成功しているわけだ。こういうようなこともひとつ明確にやってもらわなければならない。
結論を急ぎますけれども、この問題を受けて、昭和三十六年から
日本の政府の意見が変わってきた。そして、三十六年十月三日の予算
委員会で、当時の総理
大臣の池田勇人が、西村
条約局長の言っておることは間違いだ、こういうことをぴたっと言い出した。そこで我が社会党の横路君が、これは関連質問と言って立って、おかしいじゃないかということで質問をいたしますと、そこで池田さんは何と言ったか。千島に北千島、中千島、南千島などあろうはずがない、西村
局長の言っていることはうそだ、こういうことを予算
委員会で
答弁をして、今まで吉田さんも西村さんも千島は放棄した、択捉も国後も放棄したんですということをここで百八十度転換をした。こういう歴史上の事実をあなたはきちっと整理をしてこなければ、
グロムイコとの交渉なんかできません。
そこで、やめろという紙ばかり持ってくるからやめますけれども、結論として、一体どこの国に
日本は千島列島を放棄したのか、これがまだ明らかでない。これをひとつ聞かせていただきたい。
グロムイコとの交渉のときに言ってもらいたい。
第二番目は、千島の範囲というのは今なお
日ソの間に明らかになっていない。歯舞、色丹は北海道の一部だと、ちゃんと
アメリカのダレスも言っている。そのときに国後、択捉には、
一つも
アメリカは
発言していない。それはスターリンにやってしまった張本人だから、それはあなた、国後、択捉は
日本のものだなんと言えないから
発言していない。そして、
米ソの
関係が冷却時代に入って、五年も六年もたって、そろそろ
日本が
ソビエトと仲よくしようかというときに、いや国後、択捉は、あれもどうも調べてみたら
日本の固有の領土らしいということの文書を
日本によこして、
日本と
ソ連とのけんかをあおるようなことをやっている。いいか。こういうことを、どうぞひとつ
外務大臣、明確に腹の中におさめていただきまして、こういうことからきちっと整理をして対ソ交渉、
グロムイコ交渉に当たらなければ、まず
日本国民を納得させることができません。対
ソ連じゃありません。国民の中でも、こういう歴史的事実を全部知っておりますから。
そこで、私はもう時間が来ましたからなんでありますが、まず
外務省の官僚に言っておきます。これは売っている本だ。この本を見ていただいて、これには私が今概略指摘した問題がもっと詳しく書いてあるから、文書でひとつ回答してもらいたい。これは歴史的文献であるし、歴史的事実ですから、ごまかしができる問題じゃありません。これをひとつ読んでいただいて、これに基づく
答弁書を文書で出してくれ。それを得て、私はさらにこの論陣を張っていきます。それは、決して
日本の政府を追い込もうというのじゃありません。対
ソ連交渉において確信を持って我々の主張を通すためには、これをやってもらわなければいけません。
結論として私申し上げますけれども、
アメリカが
日本の固有の領土を自分
たちの
戦略のために
ソ連にやったというこの不当な
国際条約は、これは認めるわけにはいきません。これは不当なる
条約です。この不当な
条約を
国際条約上認めるということになれば、
世界の正義はありません、国際上の正義はありません。その意味において
日本はこういう不当な、
日本国有の領土を勝手に大国がやったり引っ張ったりしていることは了承できないというこの原点に返りて、千島列島の返還を要求するように理論構成を改めるべきだというのが私の結論です。
大臣、ひとつ御
答弁をいただきたいと思います。