○
磯村参考人 磯村でございます。
私、専門以外のことにつきまして、国権の
最高機関で意見を述べるというのはまことにじくじたるものがございます。ただ、私
NHKに入りましてから三十二年でございますが、その半分以上の十八年を海外の
報道関係に当たりまして、いわばジャーナリストとしていろいろな経験を積んでまいりました。とりわけ各国の首脳並びに庶民といろいろな取材の経験もございますし、また各種のゼミナールみたいなものでの耳学問も多少はいたしましたので、そうした経験をもとに、日本の
科学技術が現在世界に与えておりますインパクト、いわゆる影響力について、意見を述べるというような大それたことでなく、御報告を申し上げたいと思います。私の至らざるところ、あらかじめ御寛容をいただきたいと思います。
例えば、
イギリスの
サッチャー首相に
インタビューしたときのことでございます。
イギリス大使館では、
サッチャー首相に聞いてはいけないことはたった一つで、英国病のことを聞くとそれに対する答弁で
インタビューは一時間が過ぎてしまうから、それだけは避けなさいという注意を受けました。しかし
インタビューに参りました
サッチャーさんは、いわゆる
日本人が
イギリスに対して持っております紳士の国であるとかあるいはデモクラシーの模範の国であるとか、彼女の表現によりますと、そうした
イギリスを
文化博物館として扱うことにかなりのいら立ちを示しておりまして、
インタビューのさなか、頭の方で私に逆に質問をいたしました。日本は
科学技術で進んでいると思うけれども、あなたは
イギリスの
ノーベル賞獲得者の数を知っておるか、七十六人である、パーヘヅド、一人
当たり国民にすると世界一だということを申しました。その番組が終わりました後で
サッチャーさんはさらに補足をいたしまして、磯村さんは知っておるかどうか知らないけれども、ペニシリン、レーダー、ジェット機、原発、コンピューターのソフトウェア、これらはいずれも
イギリス人が発明したものである。そのときの
サッチャーさんの目の輝きというものは、千方言を要する必要もないようなものでございました。つまり、日本は偉そうな顔をしておるけれども、後で申しますインノバティブテクノロジー、
創造性技術工学というものについては
はるか我が国の後塵を拝しておるではないかという、老
英帝国宰相の一つの本音がちらりと見えたような気がいたしました。
では、こうした
指導者に対して庶民の方はどうかということでございます。去年、一九八四年の五月三日に
朝日新聞と
フランスのルモンドという新聞が行いました
世論調査によりますと、
フランス人の七二%が日本を
科学技術の
先進国だと判断しております。数年前に
NHKが行いました調査では、日本をまだ
途上国だと見る
フランス人が三分の一はいたのでありますが、去年の
朝日新聞の調べでは一四%がまだ
途上国と見ておりますけれども、七二%が
先進工業国と見ております。そしてその
先進工業技術国になった原因について、
フランスの庶民は勤勉というのを第一に挙げておりまして二三%、それから政府の研究費が非常に割かれておるというのが一六%、さらに奇妙なことには、安い人件費のおかげだと答えておる
フランス人が一五%もおります。やや事情通だと思われる、例えば軍事費の負担が低いとか教育が行き渡っておると答えた
フランスの庶民はわずか二%でございました。
また、一九八一年に
NHKが行いました
フランス人に対する
世論調査の中で、
黄色人種の禍い、「黄禍」という言葉を聞いてあなた方は何を思い浮かべますかという
世論調査をいたしました。調査の項目の中には元寇、蒙古軍の大軍が
ヨーロッパも征服したわけでありますが、そういう元寇的なもの、あるいは中国の
人海戦術ということで
朝鮮動乱で
アメリカ軍に襲いかかったような回とか、そういう
質問項目が五つほどございましたが、四年前の
NHKの調査では、
フランス人の大多数が「黄禍」という言葉を聞いて、
フランスの市場にあふれた日本の
自動車の群れを思い浮かべるという答えが一位でございました。七八年に同じ調査を
NHKで行っておりますけれども、このときはむしろ元寇的な
イメージの方が強かったわけであります。「黄禍」と聞いて
自動車を思い浮かべるというところに、私は非常に大きな変化を読み取ります。
と申しますのは、
自動車の持っております意味というのが二つあると私は思います。一つは、日本がカメラをつくり
トランジスタをつくるのと違って、
自動車というのは
ヨーロッパ、
アメリカにおいて
大変すそ野を持つ産業でございます。
アメリカの場合は
関連産業まで入れますと大体二〇%、
ヨーロッパの場合は一五%のシェアを産業の中で占めておりまして、
アメリカの場合には八五%の国民が通勤に
自動車を使っております。つまり
自動車というのは、そういうセンシブルな産業である。二番目に、ドイツのフォルクスワーゲンが国民車と呼ばれ、またメルセデス・ベンツがさまざまの神話を生んでおります。同じことが
アメリカについては、キャデラックが
アメリカンドリーム、
アメリカの夢の象徴とされておりますし、
フランス人はシトロエンというおもしろい格好をいたしました車に、
自分たちの創造性の才能の一つの開花を誇りにいたしております。つまり
自動車というのは、物ではありますが
ナショナリズムそのものでございまして、日本の
科学技術がついに車の分野で欧米に進出をしたということが、初めて欧米の心の琴線に触れた状態をつくったんだというふうに思われます。
一九八〇年、八一年という段階になりまして、日本問題とか日本の挑戦とか日本の現象といった言葉が
マスコミに多く登場するようになりまして、日本の
科学技術の問題は一部の
人たちの関心事からついには全国民の関心事に、この車の進出ということを契機にいたしまして、いわば世界の表舞台にこの問題が登場してきたということが言えるのではないかと思います。
余談でございますけれども、笑いの世界にも日本がしばしば登場するようになり出したのが、この一九八〇年初頭からでございます。よく言われることですが、先般東京で開かれました日本と
ヨーロッパの
セミナーの席上で、
ヨーロッパの代表がこういう
ジョークを飛ばしました。御承知のようにQC、
品質管理運動というのが今世界的な関心を集めております。かつて
日本人は
国際場裏で非常におとなしい存在だったのですけれども、最近ではノイジー・ジャパニーズというようなことで、やたらに説教癖のある
日本人ということが言われております。そういうことを前提にしてこういう
ジョークがあります。三人の
ビジネスマンがあるとき過激派のゲリラに襲われて人質になった。ゲリラはまず最初に
フランスの
ビジネスマンを殺すことに決めた。彼はマルセイエーズを歌い、
フランス万歳を叫んで殺されていった。二番目に哀れにも日本の
ビジネスマンが血祭りに上げられることになった。そうしたらその日本の
ビジネスマンは、ちょっと待ってくれ、死ぬ前に自分の工場の
QC運動について
後輩諸君に書き残したいことがあるということを言ったそうです。それを聞いたもう一人の
アメリカの
ビジネスマンが、もう
QC運動についてお説教を聞くのは真っ平だ、先におれを殺してくれと言ったというのであります。こういう
ジョークが
国際場裏で語り継がれるほど、日本の例えば
QC運動というものは今、大きな広がりを持っているということでございます。
以上のいわば前提のもとに、では日本の
科学技術あるいは
工業力全般というようなものが世界でどういうふうな見られ方をしているかということを、ちょっと時代を追って御説明申し上げたいと思います。
まず最初に、無知及び偏見の時代というのが、第二次
世界大戦の戦前から戦後の六〇年代に至る時期にわたって長く続きました。この偏見といいますか決まり文句のことを
クリシュと言っております。これは
フランス語なんですが、英語の
出版物にもしばしば登場する表現でございます。日本をめぐる
クリシュ、偏見には、まず安かろう悪かろうという
イメージがありまして、戦前にはチープレーバー、低賃金のもたらすいわば働きバチ的な
イメージ、それから
ダンピングをするというずるい、不公正だという
イメージ、さらには物まねをする
日本人ということがやや世界的な定評になっておりました。このことは、庶民だけではなくて
指導者の間にも広く行き渡っておりました。
先週の
ワシントン・ポストという新聞に小さな
囲み記事が出ております。一九五四年でございますから昭和二十九年に、時の
アメリカの
ダレス国務長官が閣議で発言をいたしまして、日本は復興目覚ましいけれども、しかし日本の技術には限界があるので、日本は後進国、
途上国に物を売るように指導すべきであるということを発言いたしました。そしてその五週間後に
ダレス国務長官は、
ワシントン・ポストの伝えるところによりますと、日本の時の大使を呼びまして、
アメリカの国民が望むような質の高い製品を日本はつくる余力がないと思うので、余り
アメリカの市場に期待はしなさんな、こういうことを大使に言ったというのであります。これを紹介した
ワシントン・ポストの記事は、
ライシャワー教授のそれに対するコメントを載せておりまして、既に戦争中に零戦とか日本の空母とかの高い
技術水準に
アメリカはかなり痛めつけられたにもかかわらず、このダレスのような人が五〇年代における
アメリカの
指導者の一般的な
考え方であった、今考えてみるとおかしいということを
ライシャワー教授は言っておられます。
NHKの取材班の調べによりますと、昭和二十四年十二月に戦後初の
技術白書というのが出ているそうでございます。その中で
技術白書自体が、日本の製品というのは戦前は安く悪かったのが、戦後は品質が悪い上に価格だけは高くなったという
自己批判をしているということでございます。戦前のそういうふうな一般的な風調の中で、しかし最近では、日本の
経済的発展あるいは
科学技術の飛躍ということの背景に、実は長い間の
封建時代の積み重ね、日本の高い
教育水準といったものがあったのではないかという説が、少数ではありますが出ております。
その中で注目すべきは、先ほど申し上げた
ライシャワー教授の
徳川時代を高く評価するような学説と並びまして、
パリ大学の学長であります
レヴィー・ストロース教授が四年前に発表した論文でございまして、その中で
ストロース教授は、日本の
封建時代、
徳川時代における識字率がそのときにおける欧米のどの国よりも高い。
江戸時代の
回船問屋は、こん色の技術まで含めて高い水準を持っていた。あるいは鉄砲を例に挙げまして、一五四三年に種子島にもたらされた二丁の銃が一年後には数十丁にふえ、三十二年後の長篠の戦いでは三千丁も量産されている。ちょうどそのころ、そのころというよりはそれから百年後のルイ十四世の時代に、
フランスには記録によればまだ百台の銃もなかった。これから比べると、三千丁も百年前につくった日本の技術は大変なものだということを
フランスの
学識経験者が言っております。
また、こうした学者の意向を受けまして、政治家の中でも日本のそうした戦前からの伝統を重視する見方がよく出ておりまして、私が
インタビューをいたしました
フランスの。
ミッテラン大統領は、京都での
インタビューで、ちょうど日本の庭園の中で行った
インタビューなんですけれども、日本のこのすばらしい
技術発展の背景には、これが突然変異的に出てきたのではなくて、日本の庭園に見られるようないわゆる
科学技術の心が日本には備わっていたのだ、我々はそれを見ないでいたずらに表面的な日本の
科学技術の進歩だけを見てはならないということを、非常に
日本人の耳には快い賛辞でございますけれども、私との
インタビューで言っております。
また同じく私が若いころに、もう三十年近く前になりますが
インタビューいたしました
ドゴール大統領が、
日本人の非常に小さなものをめでる、そうした手先の器用さとかそういうものは、日本が必ず将来
経済大国になる素地を築くものだということを
NHKとの
インタビューで明らかにしております。御承知のように
ドゴールさんは、そのとき訪れた当時の
池田総理を
トランジスタの商人と言ったことで日本で相当問題になりました。しかし、今考えてみますと、中ソの対立を早くから予言したような
予言能力といいますか、
先見力を持っておりました
ドゴール大統領のこの
トランジスタの商人という発言は、今はやりの半導体にいたしましても超LSIにいたしましても、いずれも
トランジスタをただ積み重ねたと言うと語弊があるかもしれませんが、そういう集積の上に成り立った日本の進展でございますから、あるいは池田さんをけなすために言ったことというよりは、
大変日本に対する
先見力のある予言であったのかもしれないという感じがいたします。しかし、残念ながらこうしたような見方というのは今日でも依然としてまだ少数でございまして、第一期の日本に関する
クリシュが幅をきかせていた時代には、全く少数であったということは言うまでもございません。
日本のGNPは一九六〇年代に入りましてから急激な伸びを見せまして、六六年に
イタリアを抜き、六七年に
イギリス、そして六八年に
フランスを抜き去りまして、同じく六〇年代最後の年、奇跡の復興と言われ、いわば
世界経済のモデルでありました西ドイツをも抜き去ります。そしていよいよ七〇年代を迎えるわけでございます。この七〇年代は、日本を三度にわたって
シッョクが見舞いましたけれども、その
シッョクを乗り切ったということで記録されるべき年代に当たります。日の出の勢いで七〇年代を迎えました日本、それに対してようやく世界からも
集中豪雨的輸出であるとかエコノミックアニマルであるとか
日本株式会社、ジャパン・インコーポレーテッドというような非難が集中すると同時に、一方六〇年代の後半から七〇年代にかけまして、例の
ハーマン・カーン教授の「日本の奇蹟」とか、あるいは太平洋の時代ということが叫ばれるようになります。
一九七〇年に出版されました
アメリカの
週刊誌タイムが
日本特集を行っておりますが、その中の一、二の表現を挙げてみます。日本は十四世紀の
武装商人、これは倭寇のことでございますが、
武装商人や第二次大戦のときの
軍事官僚のように、今や世界で
貿易戦争に従事し、あらゆるところの戦いに勝ち抜いている、そこに見られるのは、鉄砲を撃たぬかわりにそろばんを片手に行う
経済戦争であるというようなかなりどぎつい表現を使いまして、押し寄せる黄色い輸出とか
不当競争、
ダンピング、新しい黄禍、
為替レートの
不当操作ということをしばしば言及しておりまして、このころからいわゆる
貿易摩擦が燃え盛ってくるわけでございます。私がそのころ
在外勤務をしておりまして一番記憶に残っております本は、
フランス語で書かれました「
日本人をストップしなければならない」という題の本でございます。これは恐らく韓国の人が書いたのではなかろうかと思われる本でございますが、かなり
フランスでも売れまして、今申し上げたようなさまざまな非難を日本に浴びせております。
七〇年代にそういう
日本非難の大合唱が起こるのと軌を一にいたしまして、一九七一年のニクソン・
ショック、七三年、七九年のいわゆる
石油ショックによりまして、欧米の日本に対する論調もやや変化を見せてまいります。「
ひよわな花・日本」というベストセラーが、後に
大統領補佐官となりました
ブレジンスキー教授によって書かれたのも七〇年代でございます。また一九七二年に、私も取材に当たりました
ストックホルムでの第一回
国連環境会議というのが開かれておりまして、そのときに日本は公害の
先進国、ありがたくないあだ名でございますけれども、水俣の患者が訪れるとか四大
公害裁判が行われるということで、日本の
科学技術の弱点、それは狭いところで急激な
工業発展を遂げることに伴う環境の破壊であるというようなことが欧米の論調の主流を占めるようになってまいります。
光化学スモッグとか、あるいは
日本人が風邪の予防のためにマスクをいたしますが、それを勘違いしたドイツの教科書には、日本では公害で空気がひどいので住民がみんなマスクをしている、あるいは
光化学スモッグで川崎の小学校で
酸素吸入をやったというようなことが紹介をされるようになりました。
その当時の代表的な一つの声として、ファイナンシャル・タイムズの次の表現を御紹介しておきます。莫大な投資で近代化され、そして
科学技術の粋を尽くした工場、非人間的なまでによく働く労働者、絶え間なき政府の企業に対する援助、我我は深い違和感を覚える、これが七〇年代初頭の一つの見方でございます。そして、その集大成とも言うべきものが七九年に発表されましたEC、
ヨーロッパ共同体の
秘密文書というものでございまして、その中で、
ウサギ小屋のようなところに住む
働き狂いというようなことを言ったことは、もう皆様御承知のとおりでございます。
ところが、これにつきましても、例えば八二年に第二回の
国連環境会議がナイロビというところで開かれまして、引き続いてロンドンで
公聴会が開かれました。私はその
公聴会に日本側の
マスコミの代表みたいな形で出席をいたしましたのですが、
ストックホルムの第一回のときからわずか十年を経た時点の八二年の段階では、日本は公害の
先進国から
公害対策の模範生ということで、日本の代表がちょっとくすぐったくなるくらい、省資源、そして省エネの日本のすばらしい
科学技術によって富士山が晴れた日には必ず東京から見えるようになったとか、
無鉛化ガソリンでこれほど
排ガス規制を徹低して行った国はないとか、各国からの賛辞を一身に浴びるということがございました。
そして七〇年代初頭には、彼らの琴線に触れてきた
自動車の問題につきましても、例えば
EC委員会の
オルトリという
委員長は次のように言って、これもまた非常に有名になりました。御承知のように
ヨーロッパ共同体、ECの中では俗に
ワイン戦争というものが行われておりまして、
フランスと
イタリアが
ワインを
お互い競争で量産することによる摩擦が起きております。それを調停すべき立場にある
EC共同体で
オルトリ委員長が調停をしようとしたら、
フランスの
酒造組合の代表が
EC委員会に対してこういう提訴をしたというのですね。
イタリア産の
ワインは安い上に、しかもぐあいの悪いことに質もよろしい、安かろう悪かろうならまだ許せるが、こういうニュアンスでございます。日本車のことを実は七〇年代後半に
EC委員会では、まさに
イタリアの
ワインのごとし、安い上に質もよろしいということを言っております。
日本産業の力と展開の早さ、また
技術革新のレベルの高さといったものは、七〇年代以前から既に世界の関心を集めておりましたけれども、七〇年代の三つの
ショックを見事に乗り切ったことによって、さらにその力が国際的に見直される機運をつくったということが言えると思います。
次いで八〇年代に入って、ここら辺はもう皆様御承知のごく近い過去でございますから駆け足で申し上げますけれども、私は八〇年代に入りましてから日本に学べといった感じの機運が急速に高まってきたのを、海外の勤務で肌に感じております。ストラスブールという
東フランスの町で開かれました
日欧セミナーというものがございまして、そこで
シュペーヌマンという
フランスの科学・
産業大臣は次のように言っております。我々は日本の
技術革新のいいところを学んで、そして一九九〇年には
ヨーロッパの日本になるのだ。この
シュペーヌマンという人は今、
文部大臣をやっておりますが、
フランス社会党の中でも超左派に属します
社会主義協会の系列のCERESの代表でありまして、いわば共産党よりも左と言われているような
考え方の持ち主ですけれども、その人が手放しての
日本賛辞をいたしました。
時を同じくいたしまして
イギリスの
サッチャー首相は、国会での答弁で、一九九〇年に
イギリスは
技術革新の面で
ヨーロッパの日本になるということを言いました。
サッチャーさんは
シュペーヌマンとは全く違う右寄りの
考え方をする人でありますが、いずれも我が田に水を引くように、そうした日本というものを一つの合い言葉に使い出されたのも八〇年代の大きな特色でございます。まして何事につけて
ナンバーワン意識の強い
アメリカにも、こうした日本に学ぼうといった機運が伝わってまいりまして、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の
ボーゲル教授が言っておりますように、日本の絶え間ない
科学知識の追求に学べという声は
アメリカでも高まってまいります。
しかし、もちろん一方において、現在も大きく国際問題になっております日本の進出に対する危機感というものも一段と深刻になってまいります。とりわけ八〇年代に入りまして、七〇年代後半からの日本の半導体での進展、
キーコンポーネントについての日本の圧倒的な優位ということが明らかになるにつれまして、
出版物でも日本の陰謀、コンスピラシーとかあるいは
半導体戦争ということ、あるいは産業の米と言われるような
ICチップを全部日本に占有されるようなことは国防上もゆゆしき問題だとか、あるいは日本の市場を開放しろ、
アンフェアだといったような声が
アメリカや
ヨーロッパで次第に高くなってまいります。
特に
ヨーロッパではユーロペシミスム、
ヨーロッパ悲観主義と言っていいような機運が高まってまいりまして、日本の鉄鋼、造船、繊維、
自動車、そしてついには半導体、エレクトロニクスということで、あしたはどうなるかわからない。
ヨーロッパのあるコンサルタントは、一九九二年には一人当たりにして
ヨーロッパは日本や
アメリカの半分のエレクトロニクス製品を使用するというようなことになりかねない、一九九二年には
ヨーロッパはひょっとしたらブラジルやインドネシアの人よりも半導体なんかの使用の度数が少なくなるのではないかといった警鐘を鳴らしております。
アメリカについても同様でございまして、この間帰ってこられたソニーの研究所の菊池博士によりますと、例えば七〇年代の中ごろまでは、
アメリカとしてはほとんどのパテントが
アメリカでございますから、日本が半導体なんかを量産しても、パテントでもうければその分パテント料が入ってまいりますからということでたかをくくっていたようでございますけれども、八〇年代に入りますともう日本の企業はもちろん、我々
NHKのような報道機関に対しましても、例えばIBMなんかの取材は完全にシャットアウトされました。私、一九七〇年代の初頭にIBMを取材したことがございますけれども、そのときには下へも置かないもてなしぶりでございまして、どうぞどうぞと言って見せてくれたのでありますが、八〇年代はもうそういうことが全くなくなりました。最近ではそういう取材拒否とか企業に対する完全秘密主義のほかに、いわゆる光ファイバーの問題なんかをめぐりましては裁判ざたになる。つまり、同本の方が特許を侵害しているというITCの係争の種にもなっているという変わりようでございます。
以上、大変に駆け足で申し上げてまいりましたけれども、もうこれも先生方にはっとに御承知のように、最近
アメリカではジャパン・バッシング、ハッシュというのは辞書を引きますと、パチンとやるような破裂音的な意味合いを込めた言葉のようでございまして、つまり
日本人をぶん殴れ、この黄色い小猿どもにのさばらせるとろくなことはないという表現を、
アメリカの地方新聞などはかなりどぎつい表現で言っております。三月二十八日に
アメリカ上院を通過いたしました
日本非難決議、これは九十二対ゼロという、ベトナム戦争のさなかでも必ず四、五人の反対投票というのがあったのが私の取材経験でございますが、九十二対ゼロという反対票なしの決議、まあ法案ではございませんけれども、そういうものが通るような状況が今醸成されているということが、率直なところの現在の状況かと思われます。
以上、ざっと時代的な位置づけを駆け足で申し上げましたけれども、続きまして、ではそういう間において日本の技術というものでどういう点が特に世界の注目を集めているのかといった点に話を移らしていただきたいと存じます。私は、四つほどの日本的な
考え方というものが今世界の注目を集めているというふうに思います。
まず第一には、日本のローテクと言われておりますすそ野の技術の広がり、ハイテクに対するローテクでございますが、そうしたものに対する世界の関心というものは非常に高まっております。いろんな
技術革新関係の
セミナーというものが今
ヨーロッパではほとんど毎月のごとく開かれておりまして、そこでさまざまの専門分野の講師が必ず触れることが一つございます。それは、日本の技術者のすそ野の広さということでございます。去年の四月にパリで開かれました「太平洋の挑戦」と題する
セミナーの席上で、
フランスの兵器産業の最大の会社でございますマトラの社長が
セミナーのパネリストに対して次のような提言をいたしました。今この席の周りで、日本の
技術革新の問題「太平洋の挑戦」を論じている
ヨーロッパ側のパネリストの中で、工学部出身がいたら手を挙げていただきたい。
フランスの代表に一人、工学部の出身がおりました。あとはほとんどが文科系か、理学部系は二人ほどおりましたけれども、何と
イギリスの代表は四人とも哲学の博士号とか修士を持っている
人たちでございました。このマトラの社長の言によりますと、これは非常に象徴的なことだ、
技術革新を論ずるこの
セミナーに、工学部出身が
ヨーロッパ側には一人もいない。日本側はほとんどそういう方でございます。これは、大学の研究所に
イギリスなり
フランスの研究者は残りたがるけれども、企業に出ていくということはしない。それから、
イギリスでサイエンティスト、科学者と呼ばれることは非常な名誉だけれども、エンジニアと言われることは何か手作業の一段劣るような感じがあるということでございます。これは先般の
委員会でお話しになりました東京大学の石井先生に伺った話ですけれども、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学にはいまだに工学部がないそうでございまして、何とハーバード大学にも工学部がない。ところが日本は、石井先生の話によれば、東京大学は明治十九年にできたときから工学部というのがあるそうでございまして、現在日本では九万近い工学部の学生数を誇っているのに対して、一番多いと思われる
ヨーロッパあたりでは大体一万台でございまして、工学部の出身者が十分の一でございます。
また、
NHKの調べによりますと、世界の研究者の数は一九八一年現在で、ソ連が世界一位で百四十万人、これは人口千人に対して五・三人、
アメリカが二位で千人に対して三人、日本は二・七人ということでございますが、さらにこの内訳をよく見てみますと、日本の場合は工学系の研究者が六十に対して理学系が十一でございます。ところが、ほかの国は全部、
イギリス、
アメリカも含めまして理学系の研究者の数が圧倒的に工学系を上回っております。ここら辺にも、日本が単にハイテクだけではなくて、周辺技術のすそ野の広さで世界をリードしているということがうかがえるわけでございまして、このことに世界は今非常に注目をいたしております。あらゆる
セミナーでそのことが必ず一言触れられない日はありません。また、去年の夏にニューヨーク・タイムズが日本の教育のことを特集いたしておりますが、その「教育の危機」と題する記事によりますと、
アメリカではブルーカラー、工場労働者の四〇%が小学校の五年卒業程度の学力しかない、二六%は何と小学校三年の学力しかない。これに対して日本は、ブルーカラーでも非常に
教育水準が高いのだということを警鐘を鳴らしております。
こうしたすそ野の広さのことから今盛んに欧米の
マスコミをにぎわしておりますのは、インノバティブテクノロジーとインプルービングテクノロジーという表現でございます。これは先生のお手元にあります私のレジュメにも書いてありますけれども、インノバティブというのはもちろん創造的な革新技術、インプルービングというのは改良技術ということでございます。
NHKの番組で野村総研の産業技術研究室の室長をしていらっしゃいます森谷正規さんにお話を伺ったことがございますけれども、森谷教授によれば、欧米の
人たちというのは、
日本人は物まねで人様が発明したものをただ改良に工夫を凝らしてインプルーフしてやっただけの技術ではないかということを必ず言う。例えば日本が自慢にしております新幹線でございますが、その相当部分に
フランスの発明した技術の特許が入っているそうでございます。
フランスは日本におくれること実に二十年にして今パリ−リヨン間にTGVという新幹線を走らせております。ところが、この新幹線は一時間に一本でございまして、速度こそただいま現在の日本の新幹線よりは若干速い時速二百七十キロでございますが、しかし日本の新幹線の場合には十五分おきに、しかも正確に発進をされているというようなことを考えると、どちらがどっちを自慢すべきかということは非常に疑問があるというのが森谷さんのあれでございまして、特に森谷さんによれば、最近はハイテクと言っても原理上の革新的な新しい技術というのはほとんど出る余地が少なくて、むしろ従来ある技術をいかにチームワークやいろんなことによって改良していくかということが、一九八〇年代の少なくとも後半の各国の
技術革新競争のいわば目玉でございまして、その典型に超LSIといったような、つまり原理的には
トランジスタを積み重ねるということなんですけれども、そのいわゆるチームワークのよさを誇る日本の技術の優位性というものは当分崩れないのではないかというのが森谷さんの御託宣でございます。
森谷さんだけではございません。これもかなり多くの関心を呼びましたニューヨーク・タイムズの大特集がございます。日本語でも講談社から出ている「ネクスト」という雑誌に翻訳が出ております。「
アメリカはハイテクで日本に勝てるか」という、ニューヨーク・タイムズのアンドリュー・ポラック記者の非常に精密な分析がございます。それをお読みになった方には繰り返しになりますけれども、一応復習させていただきますと、ポラック記者によりますと、日本のインプルービングテクノロジー、改良技術のようなものがなぜ八〇年代後半の日本の勝利を不動のものにしているかというと、まず一つは日本の科学情報、技術情報の摂取能力が大変に高いことだというのを第一に挙げております。ポラック記者の挙げている例では、例えばATTという
アメリカの大きな電話会社がございますが、その役員が日本を訪問するというのを、ATTの東京支社の人間よりも日本の商社あたりの情報の方が早いとか、あるいは日立製作所がモトローラという競争会社の売り上げについて非常に詳しい情報を即刻入手しているということを挙げております。
二番目の日本の優位の原因は、これからのテクノロジーは単なる天才の思いつきというよりはチームワークであって、その場合、やたらと自己の売り込みを図ったり天才的ないわゆる個性の強い研究者よりも、日本のようなチームワークで研究をしていく方が、LSIとがバイオテクノロジーとかというものに非常に向いているのだということを言っております。
さらに三番目の原因としては、これからの研究は、これまでのようなシリコンバレーのベンチャービジネスといったような作業から、むしろ数百億円単位の巨大資本が開発する例えば超LSI研究というようなものがあって、この意味でも日本は企業が非常に活発だ、しかも軍事で柱やかされた
アメリカとは違って、民生との競争で鍛え抜かれた日本は強いのだというのが、このニューヨーク・タイムズの「
アメリカは日本に勝てるか」という特集の一つの見方でございます。
もちろん、こうした見方がある一方で、インテル社のノイス副会長が
NHKの
インタビューに答えて、かなりどぎつい言い方でこういうことを言っております。日本は改良技術というようなことをおっしゃるけれども、これを例えて言えば、立食のパーティーでおいしそうなごちそうだけをさっさと食べて、ほかの人がありつけないでうろたえておる間にたちまち姿を消してしまう厚かましい夫婦者のごときものであるということであります。
次に、日本的技術で今世界的に非常に注目されておりますのは、日本の技術の土壌というものがちょうど時代の趨勢と一致した、とりわけミニアチュア技術というものと日本の伝統との深い関係です。このポラック記者も、例えばセラミックと日本の陶磁器の技術ですね、そういう伝統との関連をかなり長いページを割いて分析をいたしております。また、
NHKのテレビで「日本の条件技術大国の素顔」というのを放送したことがございますが、そこで紹介した例は、ディスコという何か非常にナウい名前の会社でございますが、これは例の
ICチップの丸いウェハーの上の四角いICを一つ一つ切り離すための、さいの目切りにする非常な薄刃の技術なんだそうでございますが、これは日本の鉄砲かじに始まるいわゆる物を切り裂く技術、その伝統の上にさらに日本のそうした、ミニアチュアなもの、小さなものをとことん追求する職人かたぎ的なものの成果だそうでございまして、髪の毛の半分くらいの薄さのチップを、半導体のものを切り裂いていく技術で、これは現在日本のシェアの九五%、世界の七五%を占めているそうでございます。こうしたことから、その
NHKの番組の中でATTのベル研究所のラッキー博士は次のように言っております。「確かに軽薄短小を価値基準とする技術分野で、
日本人が目覚ましい成功をおさめつつあることは紛れもない事実である。セイコーのテレビウォッチ、ビクターのビデオカメラ、松下のマイクロカセット、シャープやカシオのごく薄い電卓などに注がれた技術は、あるいは
日本人特有の文化を抜きにしては説明がつかない種類のことかもしれない。」と言っております。
確かにラッキー博士の指摘を待つまでもなく、例えば韓国の人が書いた「縮み志向の
日本人」というのが三年ほど前にベストセラーになったことがございます。彼によれば、世界じゅうで
日本人だけが折り畳む扇子というものを発明したのだそうでございまして、
日本人がお互い祖先のころからかさばるものを嫌って、重厚長大なものを非常にやぼと断じ、軽薄短小に美を見出した、そうした感性が世界最小の、あるいは世界で最も薄い、世界で最も軽い商品の開発を支えている一つの文化的な伝統であって、半導体産業の多くの局面で
日本人の細やかな感性というものが世界的に見ても非常に注目を集めておるということが言えるのではないかと思います。
こういう技術の趨勢に合ったときにちょうど日本の経済の高揚期を迎えておるということが、いわば日本民族の非常な財産でございまして、このことは巨大志向の
アメリカ国民がちょうど一九六〇年代のアポロの開発に見るような、そうした時の利を得たのと同じ現象が今の日本に見られるというのが一つの見方となっております。
次に、在来技術の改良という面についても、日本はかなり世界に大きなインパクトを与えております。先ほど申し上げましたように、今はミニアチュア的なもので日本は世界をリードしておりますけれども、巨大なものでも、重厚長大なものでも、実は日本がかなり世界を圧倒しておるわけでありまして、「世界の挑戦」という著書を書きました
フランスのジャン・ジャック・セルヴァン・シュレベールという人は、選挙区がローレーヌといういわゆる鉄鋼産業のところであります。ここは御多分に漏れず今、世界同時不況の波をもろにかぶっておりますが、このジャン・ジャック・セルヴァン・シュレベールは、日本の技術とりわけ製鉄技術は何といっても世界の一位であって、日本のミニアチュア技術の方に今世界の目が向いておるけれども、実は歩どまりの高さといい、また完全に自動化されたコンピューター制御による巨大な高炉といい、転炉の技術の拡張といい、日本の製鋼技術のすぐれておることによる歩どまりのよさによって、実は日本は
フランス一国分の生産量を浮かしておるのだという事実を指摘しております。
例えば新日鉄の技術者は、今
ヨーロッパ十四カ国、アジア九カ国、中南米八カ国に技術協力の名で技術者を派遣しておりまして、これは後で御説明申し上げますような
イタリアあたりにまで、単なる技術だけではなくて人事管理の面にまで踏み込んだ指導をいたしております。
また一次産業、とりわけ国連食糧農業機構、FAOの調べによりますと農機具、あるいは今世界の注目を集めておりますのは漁業の面でも日本が非常に先端的な技術を駆使しておりまして、この間私、取材でドイツから帰ってきたところですが、北ドイツのハンブルク、リューベックというあたりに行って聞きますと、北海の漁場でも今ほとんど日本の技術のお世話になっておるということを言っております。中でも今注目を集めておりますのがスキャニングソナーという魚群探知のシステムでございまして、これは
アメリカあたりですとヘリコを飛ばして魚群探知をやったり何かしておりますけれども、日本の場合には魚群探知機、いわゆる魚探というものをばらばらに使うのではなくて、特にまき網船に装備して、イワシだとかサバとかサンマというような多獲性の魚の魚群の認識から、潮の速さから、魚群の速度から、到達地点をコンピューターでたちまち計算しましてそこに網をかぶせるというシステムが、今北海あたりで、ハンブルクあたりでは大きな注目を集めておりまして、もうこれに対抗するシステムがないということで、続々
ヨーロッパのしにせが日本の軍門に下っておるという状況でございます。あるいは、特に
ヨーロッパの北海あたりでは、二百海里水域の問題と絡めまして領海が非常に入り組んでおります。ですから、自分の位置を知るということが非常に大事になっておるわけですけれども、ここでも日本が開発した衛星航法によって、衛星で自分の位置を絶えず知りながら微妙に入り組んだ領海の間で操業するということについても日本の技術が生かされておりまして、実はその底辺、第一次産業の面でも日本の
技術革新の国際的なインパクトが強いということを私、今度の旅行でもつとに肌にしみて感じた次第でございます。
時間の関係がございますので、ちょっと後のところをやや急ピッチで話をさせていただきます。
世界に与えた日本的技術コンセプトの中でも、これを技術といっていいかどうかは先生方にも疑義がおありかもしれませんけれども、影響力の強かった点で
QC運動というものがその最左翼に来ることは申し上げるまでもございません。現在
ヨーロッパにはいろいろな経営の研修あるいは学校の経営の授業というものがございますが、一番誇り高き中華思想の
フランスあたりでも日本型人事管理、とりわけQCサークル活動に対する研修が盛んでございまして、
フランスの高等商業学校ではわざわざ研修に日本にまでやってくるというほどの熱の入れようでございます。QC活動とかあるいは稟議とかコンセンサス、意思決定方式とか、根回しというようなことが今や国際語になっているということも、これまた皆様よく御存じのとおりでございます。
私、実地にQC活動をしておりますところを
ヨーロッパで二、三見てまいりましたが、一番注目すべきは、例えば
イタリアの長靴のような半島の先にあるタラントというところにある大きな製鉄所がございます。この製鉄所は一九六七年から六年間にわたりまして、新日鉄が第一回の技術協力ということで最新式の設備を技術援助いたしました。ところが設備をつくっても魂入らずといいますか、
イタリアのいわゆるのんびりした国民性、
教育水準の低さ、さらにはクラフトユニオンと言っております職能別労働組合が山猫ストを頻発するというようなことで、あたら世界一流の設備が赤字経営に悩むという状況がございました。そこで
イタリア側は、今度は人間面からの技術協力ということを求めてまいりまして、一九八一年九月に新日鉄は七十八人、通訳や家族を入れますと二百人近い人数ですが、それをタラントに派遣をいたしまして、イロハからQC活動を実際に導入して、職人かたぎに偏る
人たちにマニュアルによる品質の向上に努めるというような指導をいたしまして、現在このタラントの製鉄所は歩どまりが五年間で実に一〇%も向上いたしまして、十年前の日本の水準、八五%台の高品質の鉄を産するまでになってきております。さらに
フランスでも、シトロエンという
自動車会社でQCサークルの導入を五年前から行っておりまして、これも見事な成果を上げております。これらについては、また御質問でもございましたらお答えしたいと思います。
こういうQC活動、さらには私ここに、注目された日本的コンセプトとして日本が欧米に与えた方の
ショックの第一に、戦艦大和や零戦ということを書きました。これは「世界の挑戦」という私が先ほど御紹介いたしましたジャン・ジャック・セルヴァン・シュレベールの著書を翻訳した際に勉強した受け売りのことなんですけれども、例えば大東亜戦争の初期に日本の海軍の航空隊がプリンス・オブ・ウェールズという
イギリスの誇る戦艦を撃沈をいたしました。その報を受けたチャーチルは夜も眠れないほどのシュックを受けたと言われております。翌日決心をして議会でその事実を明らかにしたのですが、その
ショックを受けたのは、これも受け売りでございますが、日本の技術というよりは、飛行機を使って戦艦という、これまでいわば難攻不落的な不沈戦艦と思われていたものを魚雷による、低空飛行による攻撃を反復して破壊するという、今で言えばそうしたコンセプト、ソフトウエアですね、そういうものに非常に
ショックを受けたんだと言われております。この間の事情については、
NHKの元の同僚で今フリーの評論家になっております柳田邦男君が書きました零戦の話とか、あるいは有名な話ですけれども、亡くなりました韓国の朴正照大統領が日本と韓国がいつ並ぶかという議論があるときに必ず言う例え話は、日本という国は戦前に既に空母とか機動部隊の発想をしているような国で、そういう国と韓国が属を並べるのは大変なんだよということを口癖のように言っていたそうですが、それに類する話はいっぱいございます。
最近
フランスでよく言われることは、神風特攻隊を精神面から見ないでテクノロジーの面から見ますと、これも一種のソフトウェアだそうでございまして、これを活用すると今
アメリカが欧州に配備しております巡航ミサイル、これは人間こそ乗っておりませんが、そうしたいわゆる標的に向かってテクノロジーを使ってあれするという、これも一つのコンセプトになっているんだということを
フランスあたりでは盛んに言っております。
しかし、何といいましても日本が国際的な技術的な
考え方で大きな衝撃を与えましたのは、私は、日本が安くてしかもいい物を大量に生産できるということを世界に示したことだと思います。
ヨーロッパでは、よい品物ならば、質の高い物ならば高くても買ってくれるはずだという思い上がりがございます。これは私流の表現をお許しいただきますと、
ヨーロッパに施された方は皆様御承知のとおりで、薄利多売が日本の商法だといたしますと、
ヨーロッパ型商法は高利薄売でございます。いい品ならば、ルイ・ヴィトンならばどんなに高くても買ってくれるはずだという思い上がりがこれまでの
ヨーロッパの一つの主流でございましたけれども、そうした
考え方を根底から崩して、いい物でしかも安くできるんだよということを示したのが、日本の
技術革新が世界に与えた一番大きなインパクトではないかと思います。そして品物の検査というものは、でき上がった段階で専門家がただやるという種類のものではなくて、製造の過程から完璧な物をつくっていくというやり方、これもやはり日本が世界に示したことだと思います。
これに関連して私が思い起こしますのは、一九八〇年にパリで日仏財界人会議というものがございまして、そこに日本側から本田宗一郎さんと井深さんがお見えになりまして
フランスの財界人と意見を交換されたわけですが、談たまたまQCの話に及びまして、本田さんがこういうことを言われたのです。我々の工場では、一応通産省の規格があるので、でき上がった車を検査する建前にはなっているけれども、検査でひっかかるようなものをつくる、そういうラインをつくるようじゃ、もうそれは失格なんだ、本来ホンダでは政府の取り決めさえなければ無検査で輸出をしたいぐらいで、事実検査でひっかかるような欠陥車は一台もない。ソニーの井深さんも同じようなことを言われまして、これには
セミナーに参加しておりました
フランス側の発言者が寂として声なしといったような状況もございました。これはヒューレット・パッカード社の調査によりましても、LSIの不良品率というのは
アメリカは日本の六倍だそうでございます。さらに、まめにユーザーの注文を聞くといったような点でも日本は
ヨーロッパに非常に大きな教訓を与えているということは、先ほど申し上げた高利薄売的な思想を十分に反省させるという意味で、今、日本問題に関するあらゆる
出版物がそうしたマインドの切りかえ、頭の切りかえの方が大事だということを
ヨーロッパではしきりに強調しているゆえんでございます。
以上、大変に雑駁に述べてまいりましたが、結論生言えないような種類のことですが、一応三点ほど指摘して、私のつたない話を終わらせていただきます。
先ほど「
アメリカは日本に勝てるか」というニューヨーク・タイムズの記事の御紹介をいたしましたけれども、結論として、日本が戦前から外国の物、特に外国のいい物をいち早く取り入れて、それを活用していくという受信型体質を持っていたということが、いろいろな競争面で
アメリカ、
ヨーロッパに非常にまさってきたことだろうと思います。ポラック記者によりますと、
アメリカの企業家の頭の中には、
アメリカ以外に参考になるような技術情報などはないのだという思い上がりがあって、技術情報に非常に疎い。ところが
日本人は、そういう意味では非常に情報マインドであって、例えばつくばの科学万博のようなものがさらにまた加速して、日本のそういう情報のマインドを形成していくであろうということを言っております。
確かに日本でジャーナリズムが非常に発達している。とりわけ技術ジャーナリズムとか専門商社というようなことが発達していたり、国が狭かったり、あるいは非常に平等な社会で国民が皆中流意識を持っているというようなことが、今後のコミュニケーションの面におけるニューメディア時代に入ってまいりますと、日本はますます情報の発達した国になって、その意味での利点というものは非常に大きいというふうに思われます。また大きくしなければいけないんじゃないかというふうに考えるものでございます。
ただ、二番目に私がふだん考えておりますことは、先ほど冒頭で御紹介いたしました
サッチャー首相の本音ではございませんが、どうも私ども
日本人は思い込みが激しいところがあるんではないか。例えば一般的に日本の世論も寄らば大樹の陰で、
アメリカには技術情報を含めまして非常に神経をとがらせておりますが、
ヨーロッパは過ぎ去りし文明であって、やや軽べつしているというところがございます。これが
サッチャー首相の怒りを買う原因でもございますし、あるいはまた
フランスの
ミッテラン大統領によりますと、自分のところへ来る日本の政治家もほとんどが、自分は若いときにモーパッサンを読んだとかそういう文学の話、あるいはどういう映画を見た、ジャン・ギャバンが好きだ、あるいは今自分がしているネクタイは
フランス製だとか、自分のかばんはということは言うんだけれども、しかし例えば、今コンピューターの基礎になっている世界最初の計算機は、もちろんブレーズ・パスカルという天才の手に成るものであるし、多くの数学その他のものは全部
フランスのコンセプトに成る。現在でも、過去の栄光だけではなくて、核の問題、宇宙通信技術その他においても
フランスは決してばかにならないのだ。
ミッテラン大統領の言によりますと、先ほど御紹介したように、我々はもっと日本の文化的な伝統というものを知る必要があるけれども、日本は
ヨーロッパのテクノロジーに、ただばかにするだけじゃなくてもっと目を開いて、そして日本の改良技術のよさと絡んで大いに提携していこうということを言っておりました。これも一つの参考までに御披露するわけでございます。
さらに三番目として、戦後四十年を経ました。ちょうど日露戦争から終戦までが四十年で、終戦からことしが四十年でございます。
ヨーロッパでは戦後四十年ということで、さまざまな書き物が戦争の反省や未来の展望をいたしております。そこで際立っていることの一つが、従来の
アメリカとソビエトといった感覚で世界を二分して考えることではなくて、国際交流という面でもただ西側、東側ということではなく、いわば東西の交流というものをもう少し進めることが平和に一番大きく寄与をするというような
考え方でありまして、そこから東西
ヨーロッパ間の情報の交換あるいは日欧間の密接な関係というような多面化、多角化を示唆する論文が多いのが、今度私三週間前に出張から帰ってきたばかりですが、四十周年を迎えた
ヨーロッパでの注目すべき現象のように思います。
以上、大変に雑駁でございましたが、駆け足で私のつたない知識の中から御報告をさせていただきました。どうもありがとうございました。(拍手)