○森(清)
委員 私は国の
安全保障、最も大切な国の任務でありますが、その中で広い
意味の
安全保障から国の
防衛ということに絞りましてきょうは御
質問を申し上げたいと思うわけであります。
国を
防衛するということは、もちろん
軍事力、これは
基本でありますが、そのもとには
国民的な
合意、どうしても
我が国は
国民が守るのだ、こういう決意が
国民になければ、いかに精強なる自衛隊、
国防軍を持ってもそれはなかなか守れない、また、そういう
国民的合意がなければ精強なる
防衛軍はつくることはできない、このように
考えるのであります。それでは、この
国民に国を守る、そして外敵に対しては断固として戦うのだ、この
国民的合意を得るには、
我が国が置かれている
国際情勢、そうしてまた、
我が国が
脅威であると
考える国々の
情勢、そしてまた
我が国の置かれた
現状、そして、それに対応して
我が国がどのような
方針のもとにこれに対処していくかということが十二分に
国民に理解され、そして支持をされておらなければならない、このように
考えるのであります。そのためには、先ほど言ったようなことが
国民にそのまま素直な形で
情報が与えられておらなければならない、このように
考えるのでありますが、従来の
我が国の
防衛については、そのような
意味での正しい
情報、これが
国民に与えられておったかどうか、私は大変疑問に思っているのであります。特に、
国会でいろいろ
議論がなされておりますが、
国会の
議論そのものも、本当にそういう
意味で
日本の
防衛のために何をすべきかということを正面からとらえた
論議が果たしてどの程度あっただろうかということを深く私は反省するものでございます。
そこで大事なことは、
民主主義国家にとっては
防衛戦争をやるかやらないかどうかということはすべて民意によって、最終的には
国民の意思によって決めるわけであります。ところが、残念なことに、
国家が危急に立つときに、
情報の伝達の手段によれば
国民の意識あるいは
国民の意見というものは非常に一方に偏る傾向があるわけであります。したがって、そういう
意味からいっても、平常のときにおいてやはり正確な
情報、
認識を
国民が持っておらなければならない。そうしなければ、いざというときに
国家を大きく過たせるのではないか、このように思うのであります。戦前の
我が国の
状態、
考えてみましても、
軍事についてはほとんど一般の人は関与しない、そうして余り知らされてなかった。そういうときに、いざとなったときに軍部が独走をいたしますし、また、それにこたえて
新聞はもとより、
国民も歓呼をもってこれを支援してきた。それがあの悲惨な、最終的には大
東亜戦争に突っ込んでいって、そして
敗戦の憂き目を見るようになった。そういうことを
考えましても、私はふだんから
我が国の置かれている
情勢というもの、そして、それに対応する
防衛力は、あるいは
防衛力の整備はいかにあるべきかということを
国民に知らせる必要がある、私はそういう
意味できょうは
質問に立ったわけでございます。
それを申し上げますと、例えば最近の
新聞の
世論調査を見ますと、
防衛費は
GNPの一%以内がいいかどうかとか、そのような
アンケート調査をする、そうすると大多数の人はそれでいい、したがって、
国民はそれを支持しているんだ、こういう
新聞報道になるわけであります。しかし、それは非常におかしな
情報を与えられての
判断ではないか。というのは、国の
防衛の最終的な
責任者である
内閣総理大臣、それから
防衛庁長官が一%でやれます、こう言っているわけですね、
国会で。一%でやれます、もしかしたらちょっとどうかもわからぬが、一%でやれますということを
国会で繰り返して言っている。そういう中にあって、一%を突破していいか、こういう
質問を
国民にすれば、
防衛の
責任者が一%で何とかやれますと言っているのに、いや、それ以上必要なんだと言う人は、
総理大臣の言っていることや
防衛庁長官の言っていることは怪しいぞ、本当はもっときつい
情勢にあるんだということを知っている人、この人があんなことを言っているぞ、それじゃ到底だめだと非常に
防衛について
政府と異なる
見解を持っている人、この人が一%を突破してもいい、また突破すべきだ、こう答えるのであります。私はこういう人が何%もおる、一〇%近くもいるということ自体が大変な問題であると思うのであります。
防衛の
責任者があるいは
アメリカの
国防報告のように実は足りないんです、足りないんですと言い続けて、さあどうしますかということを聞けば、もっともっと
国民の
世論というのは正確に出るんじゃないか。一%でやれるんですと
防衛責任者が言っている。にもかかわらずそれを突破しなければ危ないですよという
国民がいるということ一つをとりましても、私は
国民が本当に突破しなければならないかどうかはそれは
判断したらいいと思うのであります。しかし、そういう
意味において本当に
国民に今私が申し上げたような
情報が正確に伝わっているかどうか、これは非常に疑問なんであります。そこで、
防衛の
現状についてもう少し率直に
国民に知らせる必要がある、私はこのように
考えるのであります。
私は、
国会の
論議を聞いておりまして、例えば大分前でありますが、
日本の購入した
戦闘機、これに
空中給油機構をつけるかどうか、こういう
議論があって、とうとう最初は外された。そのときの
議論はどういうことかというと、あの
戦闘機は大体
航続距離一千キロあるんです。そうすると、
日本から中国あるいは
ウラジボストクへ届くじゃないか、そういうものを持つとはけしからぬ、こういうことであります。ところが、例えば青森県の三沢、ここから
ウラジボストクの
距離というのは約一千キロでありましょう。しかし、それを内地へ向ければ京都と
大阪あたりです。千歳から
ウラジボストクの
距離は千歳から
東京の
距離と同じです。
九州の北から
上海の
距離は
東京と同じです。
九州北部から
上海へ行くのと、
東京へ行くのとは同じ
距離です。沖縄から行けば、
上海へ行く
距離がせいぜい
九州です。
九州の北端にも届かない。そうすると、
日本が攻められて、あるいは
東京が空襲され、あるいはそのほかの
基地ですね、そういうときに残っている
基地から
救援に行くあるいは
戦闘に行くのにそれだけの
航続距離が要るわけです。
飛行機は西にばかり飛ぶわけじゃないです。北にも西にも飛ばなければいけない、東にも飛ばなければいけない。ところが、それが
上海や
ウラジボストクへ届くからこれはいけないというふうな、こういう
議論が堂々と
国会で行われて、そうして
政府もそうですかと言って
給油機構を外す、こういうもう今から
考えればばかげた
議論が行われてそうなっている。それは最近撤回されて、まあまあ正常化しているわけであります。
そのほか言いたいことがいっぱいあるわけでありますが、例えばこういう
議論が行われている。
我が国は憲法の制約があるから必要な
自衛力を持たぬでもしようがない、それは
アメリカにおんぶしておきます、そして孜々営々として
経済繁栄をすればいい、そうして、それだけでは
国際的責務は果たせませんから、
後進国援助その他をやればそれで
日本の
責任は果たせるんです、したがって、
防衛力の
増強よりか
海外経済援助をすればいい、こういうことを言っておられるという人がおるわけです。
国民はなるほどそうかと思います。
我が国だけの中で
考えればあるいはそれは通用する
議論かもわかりません。しかし、
防衛を金で買うことができましょうか。
我が国が攻められたら
日米安保条約によって
アメリカが
救援してくれる、これは
条約であります。みずからの国を守るのにみずからの
国民は血は流すのは嫌です、
アメリカ国民の
税金と血によって
日本を守ってくれ、おれ
たちはそうは血は流さない、
税金も出しません、その
かわり金はあるのだから、金はひとつ
後進国援助に幾らでも出します、こういうことは
国内の一部の人には通用する
議論かもわからないが、これが
世界的に、あるいは
世界じゃなくて、要するに普通の人が
考えてそういうことが通用しましょうか。ところが、その通用しそうもない
議論が
国内で堂々と行われている。そして、それが通用したかのごとき
——これは単にここにおられる野党の方だけじゃない、
自民党の中にもそういう
考え方の人がいる、こういう状況なんです。
さらに、例えば
吉田路線というのがあるのかどうか知りませんが、それにのっとって、軽
武装で、そして
経済繁栄をやっておればいいんだ、これが
日本の今までやってきた正しい道であったし、今後続けていくんだという人がまた我が
自民党の中にもおる。こういうことが通用するでしょうか。
吉田路線というのは、
我が国が
敗戦によって占領されておるとき、そして
経済もむちゃくちゃになっておったとき、ようやっと
占領解除になって二、三年しか
吉田内閣はないわけであります。そういうときにつくった
路線。監獄の中に入れられて、そこでどうこうしようといった人間がちゃんと出てきて、そして、いざ
日本の国をどうしようか、こういう
状態のときに、それが続くと思うのかどうか。仮にその
背景は除くとしましても、
経済の
繁栄を追い求めればいいんだ、それには軽
武装で
軍事費は使わないのが正しい
選択であった、これはそのとおりでありましょう。
例え話をいたします。
子供が
大学を出るまでは親の仕送りを受けて勉強した、したがって、非常に
学問も進んだ、
世の中に出て働く知識も得た、非常によかった、
生活も楽であった。それはその限り正しいと思うのです。ところが、その
大学を出た人が
社会へ出て、結婚をし、
子供を持っても、
学生時代までにやってくれておった
選択が正しかったから、独立をして妻子を持ってもそのままやっていきたい、どうぞひとつそういう難しいことは、親御さん、これは
アメリカでありましょう、やってください、私はもっともっと
生活をエンジョイし、
学問だけしたいのです、こういうことを言っているに等しいわけであります。そういうことがまかり通っている。これもこの
議論をするとき問題があるわけであります。
例えば、これは後でまた詳しく触れますが、先ほど言った
GNP一%問題。一%を突破したら
軍事大国になる、他の国に
脅威を与える、したがって、
GNP一%は
軍事大国になる歯どめの意義がある。これを言っているのは恐らく
日本のある特定の人だけだろうと思うのです。
外国人でそんなことを思う人はないと思うのです。ところが、
我が国の
責任者やあるいは
政治家が、一%を突破したら
軍事大国になって
他国に
脅威を与えるんだ、こういうふうに言うから
外国の人はそうかと思う。
東南アジアの人やなんかは
日本のそんな
国内情勢や
軍備の
情勢を余り知らない。
日本の
責任者が一%を突破したら
軍事大国になってあなた方に
脅威を与えるんですよということを言うからそう思うだけの話で、何で一%を突破したら
軍事大国になって
他国に
脅威を与えるのですか。御存じのとおり、
軍事大国というのは
アメリカや
ソ連のことを言う。
アメリカや
ソ連は
日本の
軍事費の何十倍という金を何十年使ってきておるわけです。そして
軍備をつくっておるわけです。
日本はせいぜい一%か、昔は二、三%だ。ちっぽけな
軍隊です。
イギリスや
フランスや
ドイツの
軍隊と比べたってちっぽけな
軍隊なんです。今でこそようやっと
軍事費は相当使ったといっても、今使っている
軍事費というのは
イギリスや
フランスや
ドイツの半分以下だ。そんなものが何%ふえたからどれぐらい、
軍事大国になるの、
他国に
脅威を与えるの。
駆逐艦しかないじゃないですか。
航空母艦は
おろか巡洋艦すら持っていない。そんなものが
他国に
脅威を与えるの何の、およそ夢物語みたいなことを言っている。普通の
サラリーマンが、
大金持ちになったら
東京に大
邸宅を
構え別荘を構えなければいかぬ、それが
大金持ちのことである、今度ベースアップが三%あったらひとつ
東京に大
邸宅を構えたり
別荘を買うなんということを
考えなければいかぬということを言っているのと同じなんで、
軍事小国日本が何%、あるいは一割、二割、あるいは二倍、三倍の
軍事費を使ったところで
軍事大国とかなんとかということとおよそ
関係のない話なんです。普通の
サラリーマンが月給が二倍になったところでそんな大富豪になるわけがない。ところが、そうなるのだなるのだということを言って、そして人を驚かして
——人というのは要するに
国民とそれから近隣の諸
外国を指している。
いろいろこういうことを言い始めると、例えば
通信衛星を使うのは
平和利用であるかどうかとか、宇宙はどうであるとか。平和というのは、これは、どう定義したって
戦争のない
状態を平和というのであって、積極的に定義することはできない。そうすると、平和を維持するには
戦争をなくする以外にない。
戦争をなくするには、広い言葉でいう
抑止力が
戦争をなくしているのです。また、
抑止力のための
利用は
平和目的であると言ったって構わない。またそうあるべきである。だが、そういう
議論も行われない。
これは国是みたいに言っておりますが、私がここで発言すると問題になるかもわからない。しかし、私はあえて言います。
非核三
原則というものがある。初めのつくらず、持たずは、それは結構でしょう。しかし、持ち込まない、
——核を持ち込んだら
日本は
核攻撃を受けるということがはっきりする、持ち込んだら
核攻撃を受ける、この
原則、図式というものが確定的であってだれも疑うことのないものであれば、それは私は賛成いたします。しかし、
日本の
国内に
アメリカの核があるかないかということが本当に
日本が
核攻撃を受けるかどうかということについて、あるから
攻撃を受けるという
考え方もあれば、
世界の大勢からいえば、あるから受けないということの方が私は
軍事常識だと思うのであります。ところが、
アメリカの核が
国内にあれば
核攻撃を受けるという一方的な
見解のもとに
非核三
原則ができておると思うのです。そういうことを突っ込んで
議論をしない。ああ
非核三
原則、
非核三
原則、だれ言うともなく言い始めて、そうしてこういうものができ上がってきたのじゃないか。本当に
日本の
防衛ということを
考えて、その中から
非核三
原則というものが出てきたのかどうか、私は非常に疑問に思っているところであります。
以上申し上げたようなことは、例えばそれについては
武器禁輸三
原則にも触れなければならない。
アメリカが
日本を守ってくれているのです。
軍事同盟を縮んで
アメリカが
日本を守ってくれている。その
アメリカに
日本を守るための
武器、この技術を輸出するのがいいの悪いのと
議論する。ナンセンスじゃないか。当たり前じゃないか。その分については
アメリカの
軍隊といえども
日本を守るための
軍隊、それについて
武器輸出をするのがいいのかどうかということが
議論の対象になる。私は本当に
防衛というものを
考えてやっているかどうかということについて大変疑問に思う。
そういうことを
前提にいたしましていざ御
質問を申し上げますので、ひとつ
国民にわかりやすく、我々議員にもわかりやすく、そうして、本当に
国民的合意が
——私は
非核三
原則がよければいい、守ります。しかし、それは本当に
日本の
防衛のために役立つかどうかという
議論を経た後に決めていただきたい、こういう
考え方でありますので、それについて御
質問を申し上げたいと思うわけであります。
まず、私は
我が国の
防衛の
基本方針というものについて
考える。先ほど申し上げましたように、
戦争を防止するのは、残念ながら現在の
人類、これは将来にわたって直ることはないと思います。これはほっておけば必ず
戦争が起こります。これは
正義というものが一義的に決まらない。自分の
正義があれば相手の
正義もある。
正義と
正義の
衝突は必ずするのであります。あるいは利害の
衝突は必ずする。そのときに、個人の争いは裁判所が解決してくれます。そして、実力をもってそれを実現していただきます。しかし、
国際間にはそれがないのであります。したがって、最後には
戦争に訴える以外に解決の方法がない。これは
人類の長い歴史であります。
そこで、そういう
戦争をなくするにはどうしたらいいか。これは単に軍縮をするとか宣言をするとかということによって
戦争がなくなるわけじゃない。やはり現時点では、残念ながら
抑止力を持つ以外に
戦争をなくすることはできないのであります。核超
大国の
アメリカと
ソ連については、MAD、
相互確証破壊、これによって、一方がやれば必ずつぶれるぞ、両方ともつぶれるぞ、こういう核の恐怖のもとにおける平和が維持されている。これは残念でありますが、
現実であります。また、恐らくこういうことは、そう簡単には解消しないだろうと思う。そうするならば、我々
非核国、そして
アメリカと
軍事同盟を結んでいる国、この国が
戦争をさせないようにするためにはどうすべきか、これは、その
敵対国に
日本への
通常兵力によっての
侵攻の意図を起こさせないだけの
通常兵力を持つ、これが
我が国の
防衛の
基本方針でなければならない。そういうふうに私は
考えるのでありますが、
長官、そういう
考え方についてどう思われますか。