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国務大臣(
岩動道行君) 原子力船「むつ」につきましては、今日まで長い経過がございます。特に
昭和四十九年には、残念ながらごく微量ではございましたけれども放射線漏れという事故を起こしました。したがいまして、これは早急に完全な遮へい工事をしなければいけないということで佐世保に回航いたしまして、大変な難儀でございましたけれども、これを完全に遮へい修理を行い、安全点検も行いました。その後「むつ」の定係港につきましてはいろいろな折衝を続けてまいりましたけれども、これにつきましてはとりあえず大湊に仮の停泊をして、そして地元と非常な折衝を重ねた結果、関根浜に港をつくって、そこで試験研究から実験、廃船に至るまでの基本的な合意もできたわけでございます。
しかしながら、
予算編成の段階におきまして各方面からいろいろな御議論が出されました。したがいまして、私どもは舶用炉の研究開発は必要である、特に資源の少ない国、油が九九%も海外に依存しなければならない、また御案内のように、その大部分を中東に依存しなければならない、不安定な地域に依存する、こういうことから原子力エネルギーの平和利用、そしてまた舶用炉の研究ということは、二十一
世紀へ向かって
日本としては極めて大事な分野でございます。問題は、「むつ」による研究開発をどうするかということにつきましては、先ほど申したようないろんな経過がございまして、
予算編成の段階におきまして、私どもは
政府与党の
話し合いにおきまして本年の八月末を目途として基本的にそのあり方を検討するということでございます。また、地元の御
協力、御理解がなくしてはこのような原子力船の開発は進めてまいることができませんので、したがいまして地元と
昭和五十七年には五者協定を結びまして、そして大湊から関根浜に港をつくるということになりまして、この地元と
政府とのお約束はこれは守っていかなければならないということで、関根浜に港をつくり、そして大湊からそれを移す、こういうことで私どもは五十九年度の
予算編成を進めてまいったところでございます。したがいまして、今後「むつ」による舶用炉の研究は、本年八月までに自由民主党の検討
委員会等を通じ、また
政府の意見も十分に反映させながら結論を出すと、こういうことに相なっているわけでございます。
このような
状況で、今後、原子力の平和利用という基本理念に立って十分な検討をさしていただきたい、各方面の御意見は十分に謙虚にこれを受けとめてまいりたいと、かように
考えておるところでございます。