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参考人(
永井道雄君) ただいま共通一次のお言葉がございましたが、その前に、教育
改革との関係においてどう
考えるかというそういう御質問でございますので、初めに教育
改革について、次に共通一次に
関連する入試制度について私の
考えを申し上げさせていただきたいと思います。
今日、いわゆる偏差値教育というものが非常にはびこりまして、そして入学試験制度の圧力のもとに、高校生、中学生、予備校生、すべてが勉強せざるを得ない
状況の中で狭い意味の学力教育が行われますために、幅の広い、そしてしなやかな、また力強い人間が育ちにくいということは多く
指摘されておりますが、この問題について
総理大臣もそのように述べておられる、また文部
大臣もそう述べておられるということを私は新聞報道等で知っておりますが、全く同感でありまして、敬意を表したいと思います。
そこで、どうするかという問題でありますが、最初に共通一次「これは私が文部
大臣在任中に行いましたことでありますから、当然
責任もあることですので申し上げたいと思います。共通一次について私は決心をして実施をいたしましたが、その後の推移を見ておりますと、残念ながら、これは当時
考えたような方向において成功したというふうに見ることはできません。大変残念なことであります。
どういうことであるかというふうに御
説明を申し上げますと、当然、大学の自治というものは尊重すべきことでございますから、したがって文部省が
責任を持って共通一次を行いますけれども、しかし入試制度全般について国立大学協会がどのようにお
考えになるか、これを極めて長い期間にわたって大学協会において御審議を願いました。大学協会は学長の集まりでありますから、学長先生方だけが合意をされたのでは不十分でありますので、御審議の結果を各大学の評
議員会、さらに教授会において御検討を得た上で最終
報告書をおつくりいただきたいという手続をとったわけであります。そして、
昭和五十一年に国立大学協会の
報告書ができまして、これが文部省に提出されました。それに基づいて実は共通一次に踏み切ったわけでありますが、その文書は非常に重要でありますので、私は、その特に重要な部分について今日もそらで申し上げることができるほどであります。
共通一次につきましては五教科七科目について必修科目の中から選んでこれを全国的な試験を行う、しかしながらこれだけでは到底大学の入試制度として不適切であるので、このほかに二次試験というものを行いますが、その二次試験というのは共通一次に含まれていない科目から選び、そして試験の方法は記述試験、論述試験、あるいは面接試験、さらに実技試験などの方法によって記述力、表現力、創造力などを調べることとする、そして共通一次試験の結果ともう
一つの結果、二次の結果、この総合判定を各大学が行うことによって入学試験を実施する、
改革を実施する、これが国立大学協会の御決定になった御意向であります。
それに基づいて文部省の方は共通一次試験を実施いたしましたが、しかしながら二次試験の方で、今申し上げたような実技、論文あるいは面接等の方法によって記述力、表現力、創造力というふうなものを調べる試験が十分な形で進行していないことは皆様御承知のとおりであります。一部の大学におきましてそういうことを行った例が、例えば
宮城教育大学においてあります。また筑波大学が相当努力したという例もございます。しかしながら、全般的には共通一次試験に依存いたしまして、そして二次の方がそれほど力を入れられていない。東大などの場合には二次に力を入れておりますが、しかし一次と違った形の試験をするというのではなくて、一次と類似の科目について類似の問題を東大の
責任において繰り返すということでありますから、これが国立大学協会
報告書の趣旨に沿っていないことは明らかであります。すなわち、残念ながら国立大学協会は文部省その他天下に公表された
報告を今日まで実施されていないわけでありますから、私の
考えでは、入試
改革はいまだに半分が行われただけであって、あとの半分は行われていないと見るのが妥当であると
考えます。
そうした
状況の中で偏差値教育というものが蔓延いたしまして、そして狭い意味の学力テストだけがあたかもテストであるかのごとき
状況を呈しているのは、実は当時から予想していたことでありまして、私は最初の
報告書に基づいてもう一回やり直しをしなければならないのだと
考えております。すべてをやめてしまうというのではなくて、最初の
報告書に戻るということであります。
その場合、まず最低限の方法としてどういうことが必要であるか。ただいま申し上げましたように、国立大学協会におかれましては、当時の天下に公表された
報告書どおり何ゆえに行われないのかということの御
説明の文書が必要であると
考えます。私も長く大学の教師をいたしておりましたから、したがいまして、論文試験というようなもののためには大変大学教師の労苦が必要であるということは十分に承知いたしておりますが、しかしながらわが国の国立大学の教官諸氏が労苦をいとって第二次試験を行わないというようなことは私として
考えたくなく、またさようなことはあり得べからざることと思っております。
さらに、文部省に
一つの注文がございますが、当初この試験に踏み切りましたときに、一挙に試験
改革というものはできるわけではない。そこで大学入試センターを設けますが、その入試センターの中に二つの部門を設置する。
一つは共通一次の実施部門、もう
一つは研究部門というものであります。この研究部門は、果たして入試
改革がうまくいっているかどうか毎年実情を
調査して、これを天下に公表して、
国民とともに
考えるというはずのものでございますが、大学入試センターは今日に至るまで研究部門の研究を発表いたしておりません。私にとって
理解のできないことでありますので、二代の所長、
加藤先生、小坂先生、それぞれに伺いました。陰で伺ったわけではなく、私はNHKの討論会で伺ったことさえございますが、これに対してお答えがございません。最近のある文部次官に聞きましたところが、私の質問の方がごもっともであるというお答えでございましたから、私は、私だけがそう
考えているのではなく、でき上がった
一つの部門が動いていないのだということは文部省内においても御
理解のあることと思っております。
以上が入学試験に関する問題点でありますが、これと、首相その他の御発言との
関連において教育
改革について見解を述べさしていただきますが、実は入試
改革を行うときには労働省の協力が非常に必要であります。なぜかといいますと、指定校制度というものがありまして、相当の企業が実は学校をあらかじめ選定いたしております。そのことが大学間格差というものを強化いたします。しかしながら、実は相当数の企業が極めて良心的に我が国の学校教育というものの成長を願いまして、採用、昇進に当たって、学歴にとらわれないで人々を遇していこうという努力を続けておられています。既に経済同友会においてそうした研究が行われて公表されておりますが、この問題は、私は文部
大臣だけで解決しようと思ってもなかなかできない、我が国の雇用形態の問題でございますから、文部省、労働省においで御努力いただくほかはないのだと思います。
また、先ほどの総理の御発言との
関連で申しますと、
昭和四十六年の中教審
答申は立派なものでございますが、その後、推移、変化があったという御趣旨でございましょうが、私はそのお言葉は社会の実情を反映している点で正しいものであると
考えます。どういうことであるかというと、その間、生涯教育というものも極めて必要になり、社会の高齢化を迎えて不安の中にいる多数の老人と高齢者がいるということも明らかであります。その間、我が国の家庭に崩壊現象があるということは、経済企画庁の
国民生活
審議会の
報告書も明らかにしている点でありまして、特に
昭和五十四年度以降、家計の構成、また家庭内における夫婦、親子の関係などに不安が増している、すなわち第二次石油ショック以後の我が国の家庭の変化について経済企画庁も
指摘しているとおりであります。
さように
考えますと、今日、教育をどのように扱っていくかという問題は確かに文部省だけではできない、労働省も自治省も、あるいは経済企画庁も、またそのほかに、我が国の企業内教育というものは世界的にも極めて大きな規模を持つものでありますから、通産省の協力も必要であると
考えます。
では、そうならば、中央教育
審議会の見解をさほど尊重しないというよりは、尊重しても全くほかのものにただいけばよろしいかというと、私はこの点について若干保守的な
考え方を述べさしていただきたいと思います。
今のように各省にまたがりますけれども、しかしながら教育の問題について中核としての
責任を持たれるのは文部
大臣並びに文部省であると私は
考えております。そして、そこの現業というものが動かなければ、幾ら立派な文章が臨調においてできましても実際に発展というものを望むことができない。これは
行政管理庁長官を御
経験になった中曽根総理御自身が臨調と行政管理庁との現業の関係について恐らく私が今申し上げたようなことについても御腐心になったのではないかと私は推察する次第であります。したがって、中教審と重なるから臨調は問題だということよりもさらに重要な点は、文部
大臣並びに文部省が中核になって仕事ができるかということが重要な点でございまして、この点について基本的な詰めがございませんというと、私は、どんな立派な
答申が総理府でできましても、あるいは中教審においてできましても事は動かないというふうに
考えます。
さらに第二番目、
改革を進めるに
当たりましては、先ほどから申し上げましたように、各省にわたりますから連絡
会議のようなものが必要でございまして、他の事項についてもそうでございますが、教育問題閣僚連絡
会議というような方法も
考えられるのではないか、これは素人としてこんなことも夢見る一人でございます。
さらにまた重要なことは、一億二千万の
国民のすべてが教育者であり学習者であるというところが教育の特色でございますので、これをどれほど立派な専門家が集まって文章をつくり、文部省の役人さんたちが本当に獅子奮迅の仕事をいたしましてもなかなか解決はつかない。そうすると、そういう
国民の全般的な地盤と今後の
改革の関係をどのようにしていくかということが重要であります。その
国民を代表される各党各派というものがあると
理解いたしておりますが、その
国民を代表する
政治勢力の間にこの問題について政争を離れて
国民的課題として取り組むということがなければ、これまた教育
改革を推進することは極めて困難であるということにつきましては、私が申し上げるまでもなく、ほとんどすべての人々はさように
考えているのではないかと思います。
以上やや長い時間をいただきまして多岐にわたりましたが、私自身力が足りない点もあって、共通一次試験について決して満足しているものではなく、その後なお新たな
改革を行わなければいけない。ただ、諸外国の例を見ましても、大規模な教育組織ができました場合、我が国の場合一億二千万人中四人に一人、三千万人が学校教育に
関連いたしておりますが、そうした巨大な組織というものを動かして適正な制度をつくっていくときに一挙に解決はできない。それであるからこそ文部省も、もっと積極的に研究成果というものを入試センターは発表いたしまして
国民の中の論議を盛んにする、国立大学協会も
国民に対して
責任を持って
報告書の追跡をしていただく、そうしたことで試行錯誤を繰り返しながら、あくまでも中核は文部省の現業部門の人たちにおいて手がたく一歩一歩進めていく、かようなことが必要であると、私が思うままに率直に申し上げさしていただいた次第であります。まことにありがとうございました。