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1984-05-15 第101回国会 参議院 法務委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十九年五月十五日(火曜日)    午後一時一分開会     —————————————    委員異動  五月十日     辞任         補欠選任      海江田鶴造君     源田  実君      山田  譲君     上野 雄文君  五月十一日     辞任         補欠選任      源田  実君     海江田鶴造君      藤田  栄君     園田 清充君      吉村 真事君     徳永 正利君      上野 雄文君     山田  譲君  五月十四日     辞任         補欠選任      徳永 正利君     佐藤栄佐久君      園田 清充君     大浜 方栄君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         大川 清幸君     理事                 前田 勲男君                 山田  譲君                 飯田 忠雄君     委 員                 大浜 方栄君                 海江田鶴造君                 佐藤栄佐久君                 名尾 良孝君                 寺田 熊雄君                 橋本  敦君                 柳澤 錬造君                 阿具根 登君                 中山 千夏君    政府委員        法務省民事局長  枇杷田泰助君    事務局側        常任委員会専門        員        奥村 俊光君    参考人        上智大学教授   池原 季雄君        国籍法改正につ        いて提言する市        民グループ会員        愛知県立大学教        授        田中  宏君        弁  護  士  伊東すみ子君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○理事補欠選任の件 ○国籍法及び戸籍法の一部を改正する法律案(内  閣提出、衆議院送付)     —————————————
  2. 大川清幸

    委員長大川清幸君) ただいまから法務委員会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  去る十一日、藤田栄君及び吉村真事君が委員辞任され、その補欠として園田清充君及び徳永正利君が選任されました。  また、昨十四日、徳永正利君及び園田清充君が委員辞任され、その補欠として佐藤栄佐久君及び大浜方栄君が選任されました。     —————————————
  3. 大川清幸

    委員長大川清幸君) 理事補欠選任についてお諮りいたします。  委員異動に伴い、現在理事が一名欠員となっておりますので、その補欠選任を行いたいと存じます。  理事選任につきましては、先例により、委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 大川清幸

    委員長大川清幸君) 異議ないと認めます。  それでは、理事山田譲君を指名いたします。     —————————————
  5. 大川清幸

    委員長大川清幸君) 次に、国籍法及び戸籍法の一部を改正する法律案を議題といたします。  本日は、本案審査のため、上智大学教授池原季雄君、国籍法改正について提言する市民グループ会員愛知県立大学教授田中宏君及び弁護士伊東すみ子君の三名の方々参考人として御出席をいただいております。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。本案につきましては、皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。  なお、議事の進め方といたしましては、まず各参考人方々からそれぞれ十五分程度意見をお述べいただき、陳述が終わりました後に、各委員の質疑に対しお答えいただく方法で進めてまいりたいと思いますので、よろしくお願いをいたします。  それでは、まず池原参考人お願いをいたします。池原参考人
  6. 池原季雄

    参考人池原季雄君) 私は上智大学国際私法を担当しております池原でございます。  我が国国際私法、法例の規定でございますが、ここでは本国法主義をとっておりますため、当事者の国籍決定がしばしば問題となりますので、国籍法につきましてはかねてから関心を持っておりますけれども国籍法専門家と言えるものではございませんし、もちろん国籍法について深い学殖を持っているわけではございません。ただ、この国籍法及び戸籍法の一部を改正する法律案基礎となっております国籍法及び戸籍法の一部を改正する法律案要綱審議に当たりました法制審議会国籍法部会に終始参加してきた者でございますので、今回の国籍法改正につきまして私なりの意見を述べさせていただきたいと存じます。  私は今回の国籍法改正には大きく分けて三つのポイントがあるかと存じます。その一は国籍決定における両性の平等、その二は重国籍防止解消、その三は国籍決定あり方一般の再検討、以上の三つになろうかと存じます。  まず第一の国籍決定における男女の平等につきまして、国籍決定における男女の平等、これを求める動きは国際的、比較法的に見まして、既に一九二〇年代ごろから勢いを増してきておりまして、近時に至りましては、夫婦国籍独立とともに、子の国籍決定における父母系主義をとる立法が急速に増加してきております。  我が国現行国籍法は、日本国憲法の制定後、旧国籍法、これは一八九九年に制定されたものでございましたが、これにかわって制定されたものでございます。そこでは、現行国籍法のもとでは国籍決定個人主義化が行われまして、夫婦国籍一体主義というものが廃止され、妻は夫から独立にみずからの国籍保有することになりましたが、なお子の国籍決定に当たりましては父系が優先し、また同じく日本人配偶者でありましても、妻の場合と夫の場合とでは帰化条件等差等が設けられております。  この現行法立法当時、父母系主義をとらないで父系優先主義をとっているというのはどうしてかということにつきまして、父としての権利、母としての権利にこれは差等を設けるものではないのだ、また重国籍発生防止のためにもこれはやむを得ない規定なんだと、こういうような説明がなされておりました。そうして、日本人の妻の帰化条件を夫の場合よりも簡易化していることにつきましても、夫としての権利、妻としての権利差等を設けるものではなくて、また現状においては日本人配偶者としては妻の方が夫よりもより日本に同化しやすいのだという、そういう現実にも即しているものであるというような説明が行われておりました。  しかし、国際的な人々の交流はその後日増しに進みまして、国際社会における家族生活状況も大いに変わってまいりました。近時は、母子は常に父の本国に居住する尊父の本国と必ずしも常に密接な関係を持つとは限りません。母の本国とより深い関係を持つということも少なくなくなってきております。夫と妻との関係につきましても同様の変化が見られまして、妻の方が常に夫の本国により同化しやすく、夫の本国とより深い関係を持っているとは言えないわけでございます。  また近時は、子の国籍決定につきまして父母系主義をとる国が相当増加してきておりまして、我が国ひとり父系主義を守っているとしましても、日本人を父とする子が外国人たる母の本国国籍をもあわせ付与されまして、重国籍というものが発生する可能性防止することはもはやできなくなっております。  このような状況のもとでは、子供国籍決定につきまして母系を無視するということは、日本人たる母にとりまして著しく不利なことになるおそれが増加してまいります。これに対しまして、重国籍防止のためにやむを得ないのだというようなことで、なお正当化を図ることは、もはや困難となってまいりました。また、日本人たる妻に対しまして、日本人たる夫よりも、その配偶者たる外国人をみずからと同じ日本国籍を持たせるために日本帰化させるということをより困難にするということも、これはまた妻に対する不利、不都合というものをもたらすおそれが多くなってまいりました。  かくしまして、少なくとも現時点では、現行国籍法における父系優先血統主義というものも、夫と妻の帰化条件差別も、両性の平等の原則に反するものと言うべきかと存じます。あえてこの点、婦人に対するあらゆる形態の差別撤廃に関する条約日本も一九八〇年に署名しておりますが、これをまつまでもなく、このような規定の早急な改正要請されるかと存じます。  今回の改正案父系優先血統主義父母系主義に改め、夫と妻の帰化条件を均等にしようとしておりますことは、国籍法において両性の平等の原則を実現したものとして評価されると存じます。  第二に、重国籍防止解消の点でございますが、人は常にただ一つ国籍を有するべきであるということは国籍唯一原則とも呼ばれておりまして、国際的にも承認されておりますところの国籍法立法理念一つとされております。  国際連盟のもとで開かれました国際法典編さん会議で採択されました国籍法のてい触についてのある種の問題に関する条約、これは一九三〇年四月十二日ヘーグで署名され、一九三七年七月一日発効いたしておりまして、現在加盟国十九カ国に及んでおります。もっとも日本は一九三〇年四月十二日に署名しただけでまだ批准はしておりませんが、この条約の前文にもこの理念が宣明されていることは周知のとおりでございます。また、より新しくは国際連合国際法委員会におけるロベルト・コルドバの報告、一九五四年四月二十二日に出されたものでございますが、ここにも重国籍防止解消原則が提示されているわけでございます。  我が国国籍法もこの理念を尊重しておりまして、このことは帰化条件としてのいわゆる重国籍防止条件、これは現行法の四条五号、外国への帰化による日本国籍自動的喪失、これは現行法八条、生地主義国出生した日本人の子につきましての留保制度、これは現行法九条、重国籍者国籍離脱を自由にするという規定、これは現行法十条、これらの規定にもあらわれております。また、さきに述べましたように、現行国籍法上の父系優先血統主義というものもこの理念によって正当化されようという向きもあります。  人は常にただ一つ国籍を持つべきであるということは、これは国籍意義から見ましても、また国籍が現に果たしております役割からしましても当然のことであろうかと存じますが、一人の人が同時に二つ以上の国籍をあわせ持つということは、実際にも多くの不都合を生じるおそれがございます。前述の国籍法のてい触についてのある種の問題に関する条約とか、あるいは国際法委員会コルドバの提案も重国籍が数々の不都合をもたらすということを前提として、そのような認識のもとでその解決を図ろうとしているものでございます。  近時国籍というものは、そもそも国家から個人が保護、恩恵を享受する基礎となるという面、これを強調しまして重国籍を許容し、あるいは重国籍から生じる不都合に対しましては別個に対策を講ずればそれで済むのではないかというような考えもないではないかと存じます。しかし重国籍から生じます不都合解消するために現在万全の的確な対策というものが確立されているわけではございません。依然として重国籍発生防止解消の必要が認められるわけでございます。  今回の改正案がとろうとしております父母系主義、それに帰化条件としての重国籍防止条項の緩和、これは改正案五条の二項でございますが、これらはむしろ重国籍発生を促すものでございまして、当然それに対応するための重国籍発生防止解消のための対策の用意がなければならないかと存じます。  そこで、改正案では前述しましたような現行国籍法中の重国籍防止のための規定に加えまして、新たに効果的な対策として留保制度を拡張すること、それと国籍選択制度の新設というものを定めております。  なお最近、父母系主義を採用するに至りました国々で、別に重国籍防止解消策がとられてないという例があることからしまして、例えばスウェーデンとか西ドイツ、イギリスなどもそうかと存じますが、これらから見て、むしろこれらの立法は重国籍を許容するというものであって、このような重国籍の許容ということこそが国籍立法の最近の趨勢なんだ、したがって我が国の今回の改正案の重国籍対策はこれは無用だとか、行き過ぎだというような説がないでもありません。しかし、このような説は諸外国のこれらの立法経緯というものを必ずしも十分に理解しでないことに基づくものではないかと恐れるわけでございます。実は上述の諸国でも重国籍防止解消の道を求めたけれども、結局適切な対策が用意できなかったというのが実情ではないかと見られます。我が国の今回の改正案中の重国籍対策が今後諸外国立法にもし範を示すことになれば非常に幸いではないかと存じます。  最後に、国籍決定一般の再検討という点で申します。  国籍国民たるの要件でありまして、多くの権利、義務の享有、負担の基準となっております。したがって、その決定に当たりましては、個人国家との間の地縁、血縁、本人意思等を中心に両者を結ぶ種々の要素が考慮されなければならないと存じます。従来は国家側の都合、例えば人口政策とか軍事的な配慮とか、こういうようなものが個人国際社会生活上の要請に優先するというような嫌いがないでもなかったように存じますが、国際社会の将来を展望いたしますと、もっと個人意思社会生活実情便宜等考えまして個人人権保障にも遺憾のないような配慮国籍決定にする要があるのではないかと存じます。  このような観点から見ますと、今回の改正案は幾つかの点で国籍法のあるべき方向への前進が見られるように存じます。  その一つは、国籍決定に当たりまして本人意思を尊重するということは、これはそもそも国籍立法理念として先ほど述べました国籍唯一原則と並びまして、あるいは国籍非強制あるいは国籍自由のこれらの原則として広く認められているところでございます。我が国現行国籍法が身分による国籍の自動的な変動を排していること、また国籍離脱を容易にしておりますのも、この理念に沿っているものかと存じます。  今回の改正案は、さらにこれを進めまして、例えば帰化条件としての重国籍防止条件軽減しております。これは改正案五条二項、その他の帰化条件軽減ないし合理化といたしましては、生計条件につきまして改正案五条四号、日本人が妻である場合のその夫たる外国人配偶者帰化条件軽減、これは改正案第七条、さらには日本人父または母の準正された子が日本国籍を取得することの簡易化を図っていること、これは改正案の第三条、これらの規定などがこの線に沿ったものとして挙げられるかと存じます。  その二は、無国籍発生防止し、あるいは無国籍状態を少なくするということ、これはまた国籍立法理念たる国籍唯一原則におきまして先ほど述べました重国籍防止と対をなすものでございまして、無国籍防止解消要請世界人権宣言とか、あるいは国際人権規約というようなものの規定を引用してちょうちょうするまでもないことかと存じます。現行国籍法にもその点に配慮した規定がございまして、例えば出生時の子の国籍決定につきまして補充的に母系主義を加味しているとか、あるいは生地主義を加味しているとか、こういうような規定国籍法の二条の三号とか四号でございますが、また国籍離脱条件といたしまして外国国籍保有を必要としている十条一項の規定等がございます。  改正案は、出生時に法律的に父または母が確定しており、かつそれが無国籍でなく、既に外国国籍保有する場合でありましても、血統に基づく国籍が付与されることのない、そういうことになった無国籍の子に対しましては、それが日本国内出生した者である場合には一定条件簡易帰化という道を開いております。これは改正案の第八条四号でございます。  その三は、国籍の持つ意義、その果たす役割というものを考えますと、国籍決定個人国際的社会生活現実と余りにも乖離したものであってならないことは、これは申し上げるまでもございません。すなわち実効性のない国籍の付与とか保有は望ましくないものでございます。現行国籍法帰化条件としてほとんどの場合に住所条件としておりますのも、この趣旨に沿ったものと言ってよろしいかと思います。  改正案では、外国出生しました子にはすべて留保制度を拡張適用することにいたしておりますが、このこと、それから一定の年齢までに我が国国籍選択意思を表明しないと日本国籍を失うという、その国籍選択制度、これを重国籍者についてとっているということ、これも形骸化した実効性のない日本国籍というものの発生とか保有防止する、そのために有用であろうかと存じます。  以上、改正案につきまして私の考えの一端を述べさしていただきました。結果といたしまして、私の以上申し上げたところはほとんど改正案の積極的な評価に尽きることになりました。改正案基礎となりました法律案要綱審議に参加いたしました者の言葉といたしましては、いささか手前みその嫌いがあってお聞き苦しいこともあったかと存じますが、御寛恕をお願いしたいと存じます。ただし、私自身としまして決してこの改正案が一点非の打ちどころのない完璧なものであると思っているわけではもちろんございません。私自身個人的な立場から見ますと、なお工夫の望まれるところがないではございません。しかし現実立法の案としましては十分批判にたえ得るものでありまして、また国会の御審議にもたえ得るものと考える次第でございます。  以上でございます。
  7. 大川清幸

    委員長大川清幸君) ありがとうございました。  次に、田中参考人お願いいたします。田中参考人
  8. 田中宏

    参考人田中宏君) 私は、そこにございますように国籍法改正について提言する市民グループという何人かの仲間と一緒に改正案がつくられる過程で数回にわたって意見を表明してきたグループの一員として、今回の改正案について若干の所感を申し述べて審議の御参考になればと思います。  それで、まず今度の改正案についての私の率直な感想は、今度の改正案国際条約加入契機につくられてきたというように理解をせざるを得ないし、どの程度国内における立法事実との関係を十分に踏まえたものかという点で、若干経緯にも問題があったのではないかというように思っております。  それは、私どもはいろいろな市民グループで直接今度の法律に最大の関心を持っているであろう外国人の男性と結婚している日本人の女性の言葉、私が非常に印象に残っているのは、私がおなかを痛めて産んだ子供にどうして私の国籍が伝わらないのという、この言葉をどういうように実現するかということがあったと思うのです。それからもう一つは、これは一九七二年に祖国復帰になった沖縄にあった現在の日本国籍法の持っている欠陥が生み出した無国籍児の誕生という問題、こういう切実な国内の声をどのように法改正出発点にするかということが本来あったと思うのです。  私どももかなり早い時期からこのことを問題にしたのですけれども、結局政府法改正に踏み切る契機は一九八〇年の婦人差別撤廃条約への署名ということ、そういう言い方をするとやや一方的な言い方になるかもしれませんが、私どもの感じは、結局条約に入るときしか変えなかった。沖縄の問題なんかは、本来日本の国の政策として米軍基地の五三%を沖縄に置くという政策をとって、そして長期にわたって米軍施政権下沖縄が残されたことによって生じた具体的な問題、それを祖国復帰のときにその問題に対する対策というものがなされないまま十年余に至って、むしろ国際条約加入との関係で問題が具体的には俎上に上ってきたということは、やはり率直に我々としては認識しておく必要があるのじゃないか。  私たち憲法両性平等についても私は非常にすぐれた条項を持った憲法だと思うのですけれども、その憲法のもとで生じた両性平等の問題を国内的な問題として解決するということがどちらかというとなおざりにされて、結果的には、国際婦人の十年行動計画最終年が来年でございますけれども、それを目途に法改正が行われるというやや転倒した経緯があったということはやはり確認をしておく必要があるだろうと思うのです。我が国における外国人をめぐる問題、あるいは内外人にまたがる国際的な側面を持った問題というのは、えてしてこういうことが従来も多かったし、今後もその点については十分認識する必要があるのじゃないかと思うのです。  ちょっと横道にそれますけれども難民条約加入したときに社会保障関係国籍による差別撤廃されるという法改正が行われたときも、私は非常にそういう感を持ったのです。それまでの日本社会保障法制日本住所を有する日本国民を相手に社会保障をする、こういう法制をずっと維持してきたのですけれども、この法制考えてみると大変自己本位というのか、日本にとっては極めて国際的な協調に反する制度だと思うのです。海外にいる日本国民社会保障、例えば老後、あるいはさまざまな障害を持つ子供だとか、あるいは母子家庭、そういう生活のサポートはどこがやるのかというように設問すれば、恐らく日本立法府はそれは滞在国で面倒を見てもらえるはずだということで法制をつくったとしか説明のしようがないのですね。ところが日本住所を有する日本国民ということでやると、日本住所を有する外国人は全部排除されるわけです。それじゃ、その人たち社会保障はだれがやるのかというように設問をすれば、恐らく日本としてはそれは多分本国が面倒を見てくれるでしょうと、こういうふうに思って日本法律をつくったというように 説明する以外にないのですね。これは大変手前勝手な法制だと思うのです。  それが今度の難民条約加入によってやっと日本国内住所を有するすべての人を対象にする、したがって、こちらに住んでいらっしゃる外国人は私どもの方で面倒を見ますので、ひとつそちらにいる我が国民についてはそちらでお願いをしたいと、やっと整合性のある社会保障制度に直ったのは、これも国内における立法事実との関係をきちっと踏まえた法改正ではなくて、条約加入ということを契機に今申し上げたようないびつなものが辛うじて整合性を保った、こういう経過があることも考え合わせると、やはり今度の経緯については今後の日本国内のいろいろなことを考えるのに非常に重要な問題点ではないかと思うわけです。  具体的に若干立ち入って意見を申し上げるとすれば、その一つは、やはり日本における国籍というものをどう考えるかということについて今度の法改正は不可避的に大きな変化をもたらすことになったと思うのです。従来はほとんど国籍の変更というのは帰化という形式をとらずして日本国籍を取得するという道はなかったわけですけれども、新法によって届け出による国籍の取得という全く新しい制度が誕生する、あるいは国籍選択という形で国籍のどちらかを選ぶということが制度として新しく導入される、これらは従来の日本国籍に関する観念の中にはほとんど見られなかった観念で、どちらかというと日本では国籍というのは極めて宿命的なものであって、自分たち国籍について云々するということは本来できないことだというような認識がどちらかといえば大勢を占めていたと思うのです。ところが、今度の法改正は、一方ではそういう国籍についての考え方を国の側から一方的に付与する国籍ということから少し状況がずれてきて、個々人の側から国籍を決めていくという側面が加味されたという点では非常に重要な変化日本国籍についての考え方の中にもたらしたと思うのです。  恐らく日本国籍法の歴史の中で最大の国籍をめぐる大きな問題というのは、植民地を持ったときに植民地の人たちを帝国臣民として併合する、そして植民地が分離したときに、これまた本人意思とか相手国との交渉とかということなしに一方的に旧植民地人の日本国籍喪失宣告をする、これも考えてみれば全く国家のサイドからだけ国籍を処断するという極めて伝統的な手法で国籍を扱ってきているわけです。そこへもってきて、今度の法改正では国籍についての個人契機というものが新しく持ち込まれたということは非常に我々の国籍についての考え方に新しいものをもたらしたという点では重要な意義があると私は思います。  ただ、旧来からの日本における国籍についてのかなり国家主導型の認識というのが相当色濃く残っているように私は思います。その一つは、やはり重国籍解消についての姿勢の中に、何か非常に国籍が二重になることを罪悪視するというのはやや極端な表現かもしれませんけれども、何か不純な国民であるというような認識がどこかちらちらあるのではないか。諸外国でも両性平等の導入というのは血統主義国には不可避的に重国籍を多発させるという側面をもたらすわけですけれども、しかし、それについては西ドイツの憲法裁判所の判決も指摘していますように、両性平等の実現と重国籍の回避というのは次元の違う問題であって、重国籍回避を理由に両性平等の導入をちゅうちょするということはおかしい、したがって西ドイツでは政府サイドは重国籍解消のために父系主義をとっているのだという弁明をはっきり否定した違憲判決を出していることを見ても、両性平等の実現という価値と、それから重国籍解消という価値との兼ね合いをどう考えるかというときに、やはり両性平等の実現を優先するということを諸外国がとっている。そして、両性平等の実現を導入した血統主義国で重国籍解消策日本のようにかなり厳しいものとセットにして両性平等の導入を実現している国というのはほとんどないわけです。  これは一つには、技術的に二重国籍解消というのは一国だけではできないわけです。日本国籍を選んで向こうを捨てますという判断をした個人がいたとしても、相手側の国が国籍を失わしめることについてどういう政策をとるかということは日本は指一本触れることができないわけですから、その点で重国籍解消といいますのは、自国籍の離脱を自由化する、重国籍の人は自分の国の国籍を抜きたいという人は自由に抜かせる。これは我が国では憲法から国籍法に至るまで完全に保障されておりますので、そのことはもう既に達成されているわけですね。  それから、あともう一つの課題というのは、日本国籍を抜くということは簡単に抜けますけれども、逆に相手国の国籍を離れて日本だけの国籍を持ちたいということを考え個人というのが当然出てくるわけですね。ところが、相手国の国籍を抜くということはこれは相手国との関係でできませんので、日本との関係では自分は日本国籍を選びたいということを日本側に意思表示するということで日本国籍選択を宣言するという制度をつくってあれば、それで日本サイドとしての必要最小限の重国籍解消への条件というのはできるはずですね。  むしろこれ以降の重国籍解消の具体的な努力というのは国際間の協力によって実現をしていくのが本来の姿であるはずですし、我が国は国際的な協力関係の中で生存していこうということを戦後決意してそういう外交努力をされているはずですから、私は今度の法改正との関係でこの重国籍解消についての関係諸国との協議ということがなされても決して不思議ではない。むしろそういう具体的な人間を取り巻く共存関係あるいは協力関係が実現することこそ真の平和共存の礎を築くことができるわけで、何かほかの国の国籍とタブって持っている者を不純な目で見るような視線というのは、むしろ私は慎むべき姿勢ではないか。そういう点で重国籍解消についての取り組みは、日本の今度の法改正案というのは、国際的な状況から見ても、従来の国籍についての古い観念の亡霊を感ずるような気がいたします。  それからもう一点は経過措置をめぐる問題で、衆議院でもいろいろ議論されたようですけれども、これも未成年に限るという法案になっているようですけれども、本来経過措置の持つべき趣旨は、法改正前に生まれた日本人母の子と法改正後に生まれるであろう日本人母の子との間の扱いをできるだけ均衡化する、これが本来の法改正の趣旨であるはずなので、そういうことを考えれば、憲法両性平等をはっきりうたった時点にさかのぼってとるということで特段の不都合が生ずるということは私には考えられないし、ましてや冒頭で申し上げたような沖縄という現実考えれば、簡易帰化で成年者についてはやる、その点で法務省では努力をするというふうにおっしゃっていますけれども、これは帰化という門をくぐって国籍を取得する場合と、それから届け出で取るという場合は、本人の受け取り方も国の側のそれに対する姿勢も全く違うわけで、ただ国籍が取れればいいだろうという問題では私はないだろうという気がして、経過措置についても法律を適用されて、そのために不利益を受けてきた人たちの立場に立って考えれば、遡及効を新憲法までさかのぼるということを妨げるそれほど大きな理由があるとは私には思えないわけです。  それから、時間もあれですから最後にもう一言申し上げたいと思いますけれども、今度の法改正戸籍法関係が手直しをされて外国姓を持った日本国民というのが誕生することができるようになったということも、今日の国際化というのが日本の非常に重要な国籍とか戸籍という次元にまで及んできたということで、日本の社会に新しいインパクトをもたらしたものだろうと思いますし、私は積極的にやはりそれに対応していく日本の社会づくりをむしろしなければいけない時期に来ているのではないかと思うのです。  ところが、日本では従来からの経緯があって、外国人にとっては非常に冷たい扱い方をする、あるいは外国人というものに対して先ほどの社会保障に象徴されるように非常に排外的な姿勢で臨む、そういうことが根深く残っていますので、今度の問題がこういう方向で転換するときにはもっと社会的にこの問題の意味を問うていくということがもっとなされるべきだと思います。  そういう点では教育の場においても、私のいる名古屋では先日ある朝鮮人の親が公立小学校に子供を入学させるときに本名で学校に行かせたいということを校長に申し出たら、そういう変わった名前で来てもらうといじめられたりすると困るので、日本名で来てくださいということを言われたということで、非常にその親が怒ったということがあって、私も教育委員会におかしいのではないかということで私ども意見を言いに行きましたけれども、しかしこれは校長さんを責められない側面があるわけで、残念ながら我々の社会ではそういう異質なものを妙な目で見るという現実が厳然としてあって、外国人であるにもかかわらず日本名を使わないと日常生活でいろいろな問題があるという現実を抱えているのですね。  そういう現実が厳にあるということを考えた場合に、今度の氏に外国姓を導入するということを決意されたからには、それに見合った社会的なフォローアップの体制を十分につくらないと、これは絵にかいたもちに終わるし、あるいはそのことがかえって日本の社会の中に新しい問題を持ち込むということになりかねない。その点では条約の期限を意識された非常に急いだ法改正だということは私もこの間感じてはきましたけれども、むしろ今後この問題が日本の社会の中で正当に位置づけられて真に日本国内の国際化という方向に進んでいくためには新しい契機としてこれをもっと積極的に取り上げていく。そういう点では教育現場だとか、あるいは外国人からだけは指紋を登録するというような非常に古い排外思想からいかに我々が脱却するか、そういうことを今度の法改正は結果的には日本の社会に迫っているのではないかというように思います。  どうも失礼しました。
  9. 大川清幸

    委員長大川清幸君) どうもありがとうございました。  次に、伊東参考人お願いいたします。伊東参考人
  10. 伊東すみ子

    参考人伊東すみ子君) 私は一弁護士でございまして、国籍法のことを特別勉強したわけではございませんけれども日本弁護士連合会の委員会国籍法改正検討に参加してまいりましたということ、それから御承知かどうか存じませんけれども現行国籍法の第二条が憲法違反であるという訴訟が二件起こりまして、一件は今最高裁に係属中、一件は一審の段階で、つまり二家族ございまして延べ三件ですが、その第一次の訴訟は二つとも上告審に行っておりまして、第二次のは一つ今東京地裁に係属中でございます。そういう訴訟の代理人をしてまいりました。その関係で、特に現行国籍法父系優先主義の矛盾というものを被告、国との論戦を通じまして非常に痛感しておったわけでございます。  日本弁護士連合会では昭和五十五年から五十六年にかけまして沖縄弁護士会と共同して沖縄の無国籍児の問題の調査をいたしましたわけです。そこで無国籍児の問題に関して人権保障の観点からかつ男女平等の観点から討議をしまして、まず最初に「国籍法改正に関する意見書」というのを発表いたしましたが、それが昭和五十七年三月でございました。その後国籍法改正の方針が決定されまして改正事業が行われるようになったわけでございますので、日本弁護士連合会としては改正が必要だという声をいち早く上げたということを自負しております。  その意見書、実は日弁連の意見書は全部で四通ございまして、きょう急ぎお配りしたかと思いますが、その最初の意見書はそのときの日弁連側の所信と申しますか、国籍法のこういうことがおかしいではないかという最初の声として基本的な点を含めていると思いますので、意見の内容をちょっと概略だけ指摘させていただきますと、  一、現行国籍法は国際結婚によって生まれた子の国籍取得について、父系優先血統主義を採用しているがこれを改め、父母両系平等主義を採用し、外国人父と日本人母から出生した子が日本国籍を取得できるように改正すべきである。  二、右改正にあたっては、性の差別を禁止した日本国憲法施行の日から改正法施行の日まで、外国人父と日本人母との間に出生した子について、一定期間を限って父母が共同して又は共同することができない事由があるときはその一方若くは子からの申請により子が日本国籍を取得することができるよう経過措置をおくべきである。  三、重国籍及びこれに伴う問題の解決は、終局的には国際協力によるほかはないので、わが国は国際的にこれが解決に努力すべきである。  当面の対策としては、国籍離脱自由の原則を尊重し、これが適正な運用によるほかはない。  四、現行国籍法は、日本国民の夫と日本国民の妻との間に簡易帰化のための居住要件並びに独立生計要件について差別をもうけているが、これを撤廃して平等にすべきである。  五、帰化の取り消し制度は採用すべきではない。  六、国は、「婦人に対するあらゆる形態の差別撤廃に関する条約」を早期に批准すべきである。ということでございました。  理由は省略いたしますけれども、その後立法作業が進みまして中間試案が発表されましたときに、それに対しまして「「国籍法改正に関する中間試案」についての意見書」というものを発表いたしました。さらに第三番目に、その中間試案公表後にさらに法制審議会国籍法部会で新しい論点が論じられたということを伺いまして、五十九年一月に「国籍法改正に関する意見書 中間試案公表後の審議に現われた若干の事項について」という意見を発表いたしました。しかし、今回の法案のもとになりました国籍法の一部を改正する法律案要綱案というものを拝見しまして、また新しい論点がありますので、それにつきまして五十九年二月付で「国籍法の一部を改正する法律案要綱案に対する意見書」というものを出しまして、この中に従来の意見を総まとめしてまとめましたわけでございます。  私どもといたしましては、改正案の準備が進みますに応じまして、先ほど読ませていただきました五十七年三月に上げました声、私ども意見、それがどのように実現されていくだろうか、あるいはその過程で何か問題点はないだろうかと、そういう態度でこの改正の準備を見守ってきたわけでございます。多少具体的に、今お二人の参考人は学術的に論じられましたけれども、具体的な意見というものを私どもは取りまとめておりますので、この五十九年二月の意見書に従いまして、私どものこの法案についての考え方を少し述べさせていただきたいと思います。  最初に、出生による国籍の取得でございますが、これは先ほど申しましたように、私どもの所信の非常に中核をなす部分でございましたので、もちろん賛成をいたします。  その根拠としては、まず第一に国際結婚から生まれた子供人権保障ということでございます。これは現行法では外国人父、日本国民母から生まれました嫡出子は日本国籍を取得することができない。それだけにとどまらず、父の国の国籍法との関係では無国籍になることがあるわけでございます。現に私が担当いたしております事件では、つまり二家族あると申しましたが、いずれも父親がアメリカ人、母親が日本人でございますが、そのうちの一つは、父親の方がアメリカの国籍法条件を満たしませんために自分の持っているアメリカ国籍子供に伝えることができないわけでございまして、その結果子供は無国籍でございます。 沖縄の無国籍児というのもほとんどアメリカ人父でございまして、そういう同じ事情の無国籍児というのも相当いるというふうに伺っております。  父系優先主義といいますのは相手の国が父系優先主義を同じようにとっております場合はうまくいきますけれども、相手の国が生地主義をとっております場合に、そうしますと国外で生まれた子供というのはどうしても国籍を伝えるのについて条件が厳しくなりますので、その関係で無国籍を生ずることがあるわけでございまして、これはそういう状況で生まれる子供の罪ではございませんが、その子供人権保障上非常に重大な問題を生ずるわけでございます。  世界人権宣言は「すべての人は国籍を有する権利を有する」という規定がありますし、国際人権規約B規約は「すべての児童は、国籍を取得する権利を有する」と二十四条三項で定めております。いわゆる内外人平等主義が進みますと、内国人も外国人も同じように人権が、保障されますけれども現実はなかなかそういっておりませんので、やはりどこかの国に所属してその国の国籍を持っておりませんと、無国籍者でありますと人権保障が危ぶまれるというのが国際社会の現状でございますから、そういう子供人権のために無国籍状態をなくすということが大事でございます。そういう意味では今までは重国籍防止が重視されてきたわけでございますけれども、重国籍の弊害と無国籍の弊害とどちらが重大かというふうに考えてみますと、私どもは無国籍の弊害の方が重大であると思うわけでございます。  また、父系優先主義は言うまでもなく男女平等、両性平等の原則に反しております。先ほど池原先生からもお話がありますように、最近諸外国でも次々に父系優先主義から父母系主義への法改正が行われました。我が国婦人差別撤廃条約に既に署名しておりますけれども、その九条二項では「締約国は、婦人に対し、子の国籍に関して男子と同等の権利を与える。」と規定をしておりますので、この点からもどうしても国籍法改正が必要だったわけでございます。  次に、準正による国籍の取得でございますが、これは嫡出子そのものではございませんけれども、認知と、それから父母の結婚によって嫡出子の身分を取得するのが準正子でございますから、なるべく嫡出子と同じように扱うべきであると考えます。今回準正による国籍の取得が認められたことは、そういう意味で大変結構であると考えます。  次に、帰化の中で、生計条件につきまして、生計を一にする配偶者その他の親族の資産または技能により生計を営むことができる外国人についても帰化が許可されることになりまして、これは帰化一般に適用になると思われますので、大変これは外国人から見ますと帰化しやすくなったわけでございまして、こういう親族で相互扶助の関係にある人たち帰化しようとするときには大変喜ばれると申しますか、適切な規定であると思われます。  重国籍防止条件の特例としまして、今までは従来の国籍を離脱してこなければ帰化は認められなかったわけでございますが、これを非常に厳格にやりますと、いろいろほかの外国国籍法との関係で矛盾を生じまして、帰化したいと思う人にとっては気の毒な事態が多かったわけでございます。例えばアメリカでは未成年者については国籍離脱を認めないので、そういう人はどうするかという問題がありますし、また中華民国などのように自国籍の喪失、放棄を政府の許可にかからせるところがございまして、政府が何かの理由で許可してくれないと離脱できない、そういうことでございまして、従来も法務省の帰化実務ではこの規定は人道的配慮の余地を残して緩やかに適用すべきだということが考えられていた、そういう運用であったというふうに伺っておりますし、学説もそういうことをおっしゃっておりますので、こういう改正は結構であると思います。  次に、日本国民配偶者帰化条件でございますが、これは先ほどから指摘されておりますように男女不平等な規定の中の重要な点でありました。それが両性同等に規定されましたことは大変結構であると思います。  もう一つ申しますと、居住要件が三年以上ということになっております。これは私どもの中でも意見が分かれまして、現行法は妻についてはゼロでございまして、日本国民の夫については三年以上となっております。これをどの線で統一するかということでございますが、二年で十分だという意見も強かったのでございますけれども、特にそれだけの具体的な裏づけというものが困難であるということであえて触れてないのでございますけれども、これから後もございますけれども、今回の改正作業を拝見していての一つの感想といたしましては、どうもこういう改正をするにはいろいろな調査あるいは統計でも結構ですけれども、事実というものが出てまいりませんとどういう改正をしていいのか迷うのでございますけれども、そういう点で不満を感じた点がございますけれども、この問題につきましてももっと日本にいる外国人状況、仮装結婚ということを法務省は心配されるわけでございますが、どういう実情にあるのか、もう少しそういう事実を披瀝していただきたいという感じを持っておりました。  一つ一つやっていきますと時間がなくなりますので、詳しいことはそれではお読みいただくことにいたしまして、大体賛成のところが多うございますが、どうしてもこれは問題だと思われますところを申し上げます。  まず特に重要だと思う点について申し上げますと、国籍の再取得のところがございますけれども、この中で国籍の再取得の1ですが、「五により日本国籍を失った者で二十歳未満のものは、日本住所を有するときは、法務大臣に届け出ることによって、日本国籍を取得することができるものとする。」というところがございますが、この「日本住所を有するとき」というのは適切ではないというのが私たち考えでございます。  つまりこれは国外で出生して、両親が留保届けをしなかったので日本国籍を取得していないわけですけれども日本国籍法血統主義を原則としております以上は血統の上では日本国とのつながりがある人たちでございます。このような人が国外で育ちまして、そして成長して日本国籍を欲しいと思いましたときの問題です。そのときに日本に佳所を持たなければいけないということを要求するのが妥当であるかどうか。  理論的には実効的国籍ということが国籍法上の重要な観念として国際的に認められておりますけれども、こういう未成年者にとって実効的国籍とは何であろうかと考えますと、生まれ育った所、これはむしろ両親のそれでございます。普通は親と同居して、そこで教育を受けているわけですから、未成年者については実効的国籍はつまり一緒に育ててもらっている親の国籍と同じだということになりますが、それでいいかどうか。やはり一人前になって、これから自分の人生を切り開こうというときの国籍選択というものが非常に重要ではないかと思いまして、そういう場合には本人選択意思、どこの国民になりたいという、それによって実効性を持ってくるということができるのではないかと思います。  もう一つ実際的な点から考えますと、未成年者が日本住所を設けようと思いますと非常に経済的負担が大きいですし、また入国の関係から考えますと、未成年者が日本に入ってくる場合に、例えば観光ビザで入ってきました場合に、それによって外国人登録をするということも考えられましょうけれども、そういう形で住所と認めてもらえるのだろうかと思うのです。もしそれができないと、普通考えるとそれは住所じゃないと言いたいところでございますが、そうしますと、そういう人たちはどういう形で日本に入ってきたらいいのか、まず国籍を再取得する前にどういう形で日本に入ってくるのかということが問題になると思います。そういうことまで考えて、そして未成年者が日本国籍を再取得しやすいように、したいと思う人はしやすいようにということが、住所を要求しますと非常に困難になるのではないかと思います。そういう点で「日本住所を有するとき」ということは不適切であるというのが私ども意見です。  また、国籍の取得等の効力の発生時期という点でございますが、どうも飛びまして恐縮ですけれども、「国籍の取得又は離脱は、その届出の時に効力を生ずるものとする。」ということで、この点は賛成でございます。取得とか離脱というのは意思表示でございますので、届け出によって効力を生ずるというのは適切であると思いますが、ところが帰化の許可については依然として官報告示によって効力を生ずることになっておりますが、これはちょっとおかしいのではないか。帰化の許可というのは行政処分だとされておりますので、その処分の、何といいますか、告知があったときにその効力が発生するのが一番適切ではないだろうか。つまり行為の性質から言ってそういうことになるのではないか。この点は法務省の方では処理上の御都合があるようでございますけれども、それはちょっと筋から言って不適切ではないかと思います。
  11. 大川清幸

    委員長大川清幸君) 伊東参考人、御発言中大変恐縮ですが、大分予定の時間が経過をいたしておりますので、もしどうしてもお述べになりたいことがあればはしょって述べていただいて、不十分で恐縮なんですが、あと質疑の段階でまた御意見があればおっしゃっていただきたいと思います。
  12. 伊東すみ子

    参考人伊東すみ子君) それでは、後どうしてもという非常に重要なところは戸籍との関係で、その前に施行の関係でございます。  一つは、改正法の施行の際、現に外国国籍を有する日本国民は、この法律による期限内に国籍選択をしないときは、期限が到来したときに日本国籍選択の宣言をしたものとみなすということになりますが、これは場合によって非常に国外にいる日本人にとって不適切なことになろうかと思います。つまり日本日本国籍を取得したとみなされることによって外国でその国の国籍を喪失するという事態を招くおそれがあります。  施行関係で第二点は経過措置でございますが、昭和四十年一月一日から生まれた子供という点は、先ほど申しましたように、私ども日本国憲法施行の日からとすべきであると考えております。それからまた、日本国民であった者を除くという点、それから母が現に日本国民であるということ、または死亡のときに母が日本国民であるということ、こういう条件は不適切だと思います。というのは、経過措置というのは先ほどちょっと出ましたように、新しい法律のもとで生まれる子供になるべく近づけるよう、つまり今までの父系優先主義のために日本国籍を取得できなかった子供たちを救済しようというのが本来のあり方だと思いますので、そういう救済するという意味ではこういう条件を付する必要はない、広く救済すべきであると思います。しかし、その後重国籍になれば、その重国籍解消の手段がこの法律にはあるわけでございますので、救済の道は広く開くべきである。  また法定代理人がやはり届け出ることになっております。かわって行うことになっておりますが、沖縄の例で父母が事実上離婚して夫がアメリカヘ帰ってしまうとか、あるいはどこにいるのかわからない、そういうときに法定代理人とありますと、父母の合意がないと帰化の申請ができないという事例がたくさんございました。そういうことを考えますと、法定代理人と言わず、先ほど申しましたように父母の一方でもいいという方が救済としては広くなると考えます。  また、先ほどちょっと申しました戸籍法関係では、これは国籍選択宣言による日本国籍選択外国国籍喪失をも戸籍簿に記載するということは性質上必要がないと思いますし、また、つまり戸籍簿に登載するのは戸籍編製のどうしても前提になる日本国籍の取得と喪失、それだけに限ればいいのではないかという意見でございます。  なお、その際に、なかなか日本国民は戸籍にこだわりまして血統を気にするのでございますけれども、この戸籍法改正で国際化が進むといたしましても、なおこういう戸籍や血統にこだわりがちな国民感情を配慮いたしまして、なるべく戸籍簿からはそういうものの記載を少なくするという配慮が必要ではないか、そういうことは別の帳簿をつくれば十分処理できることではないか、大体そういうふうなことでございます。  あとはまた御質問に応じて補足さしていただきます。
  13. 大川清幸

    委員長大川清幸君) ありがとうございました。  以上で各参考人からの意見陳述は終わりました。  これより参考人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  14. 海江田鶴造

    海江田鶴造君 お三方から大変有益なお話をいただきましてありがとうございました。私も素人でございますので、若干あるいはちんぷんかんぷんな質問かもしれませんが、お許しをいただきたいと思いますが、池原先生、重国籍により生ずる不都合、これを防止するということ、これは非常に大事なことだと、私もそう思いますけれども、重国籍から生ずる不都合というのは国の側、行政の側から見る不都合が多いのでしようか。それともその人間個人が重国籍を持っていることによっていろいろ不利益をこうむるのでしょうか。ちょっとお教えいただきたいと思います。
  15. 池原季雄

    参考人池原季雄君) お答えいたします。  私その点つぶさに具体的にお答えできるだけの資料を持っておりませんけれども、この点はやはり両方あるかと存じます。公益的に見ましても、一人の人が二つの国籍を持っていますと場合によりますと種々の国と国との間の無用のトラブルを起こすということもないわけではないと思います。が、しかし私益の点から見ましても、これは自分に不利だったならば、先ほどもほかのお二方がおっしゃいましたけれども、離脱という制度が十分日本のように自由に保障されておればそれで処理できるのですけれども、必ずしもすべての国がそういう国とは限りません。そうしますと、やはり国籍というのは常に恩恵だけをもたらすものじゃございません。負担、義務をもたらすこともあるわけでございますから、そこでやはり不利なことが起こるということは十分あろうかと存じます。
  16. 海江田鶴造

    海江田鶴造君 日本における国籍の問題で一番実務的に問題なのは、私はアメリカと韓国ではないかと思うのですね。特に沖縄、あるいはそれ以外にアメリカの男性とできた子供さんを持っている人が相当いるわけですし、それからまたもう一つは、韓国というか朝鮮半島、特に関西等には非常に朝鮮半島の方が男女ともに多い。それが日本人と結婚される方も相当いらっしゃるわけです。この辺アメリカとの間は、沖縄の問題はこの新法が施行されると三年以内に届け出れば国籍を得られるということですからいいのですが、ただ朝鮮半島の男女の方と結婚した日本人男女、この間に生まれるお子さんというものがいろいろ問題が出てくると思うのです。私も不詳にして韓国、北朝鮮の国籍取得の状況はわかりませんけれども、これは非常に大きな問題だと思うのですけれども、もし韓国の国籍取得の状況を御存じだったら池原先生にちょっとお教えいただきたいと思います。
  17. 池原季雄

    参考人池原季雄君) 私もその点今即座に答えろとおっしゃいましても、これは正確には答えられませんが、しかし韓国の国籍法は私かつて見た印象ではやはり日本現行国籍法に相当近い。これがもう少し古いといいますか、現行国籍法になる前の旧国籍法に近い面も若干残っているかと、そういうような状況で、結局は今のところは血統主義で、しかも父系優先が生まれた子供国籍の取得については残っているように存じます。
  18. 海江田鶴造

    海江田鶴造君 田中先生にちょっとお伺いしたいのですけれども、先ほど今度の新法の効力は憲法改正時にさかのぼるべきじゃないかという御意見でございました。私ちょっと考えてみまして、二十歳になって成年になって国籍をどちらか選択するということになると、例えば韓国籍日本国籍を持っておる人が成人になって、ほとんど日本人として生きてきたのが韓国籍を選んだということになると、やっぱり日本に住んでいながら何かそこに大きな私的利益その他の大きな差が生ずるのではないかというふうに、ちょっと私余りよく知りませんので思っておるのですが、この点そうなんでしょうか。その点をちょっと田中先生にお教えいただきたいと思います。
  19. 田中宏

    参考人田中宏君) それは経過措置の問題ですか。
  20. 海江田鶴造

    海江田鶴造君 そうです。経過措置です。二十歳になって韓国籍日本国籍を持っておって、どちらかの国籍を選びますね。その場合、韓国籍を選んだ場合に、それまで日本人として得ておったようなものが相当失われる可能性があるのでしょうか。先ほど社会保障その他難民条約のことを言っておられましたから。
  21. 田中宏

    参考人田中宏君) 一番、目に見えてはっきり違ってくるのは、二十歳がちょうどであれば、参政権というのはそれ以前はありませんのであれでしょうけれども、一番わかりやすいのでは参政権があると思いますね。それから外国人登録をしなければいけなくなりますので、先ほど申し上げた指紋の問題なんというのは非常に目につくところで出てきますね。  ただ、社会保障関係は大分難民条約加入その他で内外人平等が実現してきていますので、細かくはいろいろあると思いますけれども、非常にわかりやすいものでは今申し上げたようなことをお考えいただければいいのじゃないかと思いますけれども、細かくは一度私は日本でもきちっと議論を国会でもしていただければと思っていますのは、外国人と内国人とどういう点で違うのかというのは余りはっきりしていないことがあるのですね。例えば法律できちっと禁止してあってできないという、参政権なんかの場合はわかりやすいのですけれども、公立学校、小中高の先生になれるかどうかということを考えますと、私の愛知県では二年前から試験が受けられるようになりましたけれども、同じ東海地区でも岐阜県では願書さえ出せないという実態があるわけですね。それで、何となく外国人はだめだというふうに思われていて、よく考えてみると必ずしもそうでもないというようなことがたくさんあるものですから、本当は外国人だとこの点が日本人とは違うということをきちっとするということが双方のために必要だろうということは一般的に言えると思いますね。
  22. 海江田鶴造

    海江田鶴造君 伊東先生にちょっとお伺いしたいのですけれども沖縄の無国籍児、これは今度もし新法が通れば経過措置で三年以内に届け出でできるのですね。ただ、従来の国籍法のもとでは無国籍児が相当いらっしゃるということですが、これ、弁護士として見ておられて、無国籍児の非常にいろいろなマイナスがあると思うのですが、具体的にはどういう被害というかマイナスをこうむっておるのか、どういう救済措置が必要なのか、その辺ちょっともしおわかりならお教えいただきたいと思います、
  23. 伊東すみ子

    参考人伊東すみ子君) 申しわけありません。私は沖縄関係は直接存じませんで、沖縄委員のお話を伺っている程度でございますけれども、その中で印象的なのは、やはり日本ではどこの馬の骨がわからないという言い方がございますけれども国籍がないということで非常に人でない人のような社会的な感情がある、それで非常に心理的に不利である。これは社交上と申しますか、そのほかやはり日本の社会では何でも戸籍謄本を出さなければいけませんけれども、そういうときに戸籍謄本が出せないわけでございますね。そうすると、おわかりのとおり就職、結婚、就学、そういうときに一々少なくとも肩身の狭い思いをするし差別されることもあるということであると思います。  なおちょっとついでに、さっきはしょりましたのですが、こういうふうに今回の経過措置によりますと二十歳以上を救済しませんので、そうしますと、やはり救済されずに残る方があるそうでということを伺っております。つまりもう二十歳以上になっているそういう方ですね。これは日本人の母から生まれた子供ということだと思います。嫡出子ということだと思いますけれども、こういうふうに改正がこの時期になったということは、これはいわば国の側の都合でございますけれども、その方たちにとっては、たまたまその時期が昭和六十年一月一日だということによってこの意思表示による国籍取得を阻まれることになるわけでございますね。その場合は簡易帰化でいけばいいということのようですけれども簡易帰化の問題と申しますのは、一つは犯歴がありますと大変難しくなると思います。しかし少年法の理想を持ち出すまでもなく、成年前に多少迷うということは、これはありがちなことでございまして、それが成年後立派な社会人になるということがあるわけですから、そういう少年時代の犯歴なんかが問題になるということは私は本人には気の毒で、なぜまたそういう犯罪を犯すようになったか尋ねれば、必ずそこに今までの貧しい差別された生活というものに行き当たると思うのですね。  そういう意味でも救済は広くするのが国の責任ではないかという感じを持っておりますし、それからまた、ある場合に聞きました。これはほかの状況で聞きましたけれども、例えば心身に病気あるいは障害がございまして働けない人は、これは生計要件を満たしませんので帰化できないわけでございます。そういう人たちこそ国が社会保障で救済すべき人であると思うのです。社会保障外国人にも完全に広げられていけばそれはいいかもしれませんけれども、やはりそういう心身の障害のために働けない人を帰化のふるいに通れないということで排斥するということは好ましくない。やはりここは国としては広く救済すべきではないかと思っております。
  24. 海江田鶴造

    海江田鶴造君 私役所関係に長くおったので、ちょっと考えさせられるのですが、領事関係のウィーン条約なんていうものがありますね。ああいうので、国あるいは行政機関その他は自分の国の国籍を持っている人に対するいろいろな義務があるわけですが、同時に日本の行政機関も外国人に対してはいろいろなことについて領事館に通報するとか、外国に対する扱いとしてしなくてはならぬことがあるわけですが、これだけ父母系主義で国際化が進みますと、日本国籍を持っているのか外国人なのか、国籍の所在がはっきりしない。一体この人はどこの人だろうということでわからないと思うのですが、あるいは例えば警察等で犯罪容疑者として逮捕した場合に、この人は日本人かどうかというようなこともあると思うのですが、こういう場合の判定はこれは国籍はどうしたらわかるのでしようか。あるいは私は日本人だと言った場合に、あるいは私は外国人だと主張したけれどもどうも日本人らしいというような、そういう場合の判定の仕方というのは行政機関として何か非常に多くなると思うのですが、これは池原先生どうでしょうか。
  25. 池原季雄

    参考人池原季雄君) どうも大変難しい問題で、特に私のように全く実務の経験なく暗いものにはわからないわけでございます。ただ、私どもとしては、それは結局十分関係の資料に照らして国籍法との関係で判定するほかはないというように存じますが、今回改正でとられております留保制度といいますのは、これは本来目的はそういうためが本旨ではございませんけれども、これをとっておりますと、外国で生まれたような者の場合は留保しておりませんと、たとえ両親が日本人でありましても日本国籍は与えられておりませんので、したがって日本国籍があるかないかということについては、外国で生まれました者につきましても、かなりその限りでは把握が、手がかりがあるのじゃないかという気がいたします。
  26. 海江田鶴造

    海江田鶴造君 終わります。
  27. 山田譲

    山田譲君 多少ダブったようなことを御質問申し上げるかもしれませんが、お許しをいただきたいと思います。  まず、池原先生にお伺いしますが、重国籍は先生のお話によりますとよくない、できるだけ重国籍を避けようというのが世界の趨勢であるというふうなお話でございましたけれども、もう一つ男女の平等といいますか、そういう観点についての先生の御意見、つまり具体的には憲法との関係憲法違反のようなおそれがあるというか、男女平等ということをうたった憲法に対して憲法違反である、そういう意見もあるわけですけれども、その辺先生は今までの現行の国籍法についてどういうふうにお考えでしようか。
  28. 池原季雄

    参考人池原季雄君) それでは、私なりの考えをお答えいたします。  先ほど私の申し上げましたところでも若干それに少なくとも間接的には触れたわけでございますが、現行憲法に照らしてこれが憲法違反であるかどうかという判断になりますと、これは大変難しいかと思うわけでございます。と申しますのは、現行憲法が制定されましてから後になりましてこの現行国籍法は制定されたわけでございまして、そのときはこれは日本の国会におかれても、それからもちろん行政当局においても、この父系優先血統主義というようなものも違憲とは考えてなかったようでございます。その理由は、先ほどもちょっと申し上げましたように、これは当時の国際社会生活現実に合うのだ、それから両系主義を仮にとるとすれば大変好ましくない重国籍状態というものを招くおそれがあるのだ、こういうことで憲法のもとにおいても父系優先血統主義をとることはこれは許されるのだというようなことだったと思うのですけれども、しかしさっき私もちょっと申し上げましたように、その後やはり国際社会は大いに変わってきまして進んできましたので、少なくとも私は現時点ではこの現行の父系優先血統主義憲法に違反するのではないかと存じます。
  29. 山田譲

    山田譲君 それから、重国籍についてどちらかと言うと、先生、これはよくないものだというお考えが強いように思われるわけでありますが、どうも近ごろ聞いてまいりますと、全然別なことをおっしゃる方もいるのでして、つまり重国籍で構わないのじゃないか、どこが悪いのだというふうな、つまり国のサイドからじゃなくて、実際にそういう人たちの方のサイドから見ますと重国籍でどこが不都合だろう、とりわけ兵役というふうなことがよく出てくるのですが、日本にはそういう問題もありませんし、むしろ例えば父の国がアメリカである、母の国が日本であるという場合に、やっぱり重国籍でアメリカにも籍があるから父の国へも自分の国へ帰れる、日本にもお母さんの国だから帰れるのだ、こういう自由はむしろ重国籍の方が自然じゃないかというふうな非常に強い御意見もあるわけであります。ですから、重国籍であってはいかぬという決定的なものは、少なくとも個人の方から見た場合に、どういうところが先生は重国籍で困るのだというふうにおっしゃるかどうか。そこのところ、先ほどもちょっとお話出ましたけれども、もう一遍お聞かせをいただきたいのです。
  30. 池原季雄

    参考人池原季雄君) それではお答えいたします。  さっきもおっしゃいましたように、ちょっと触れたわけでございますが、国籍というものが国家から恩恵を受ける基礎になるというだけでございましたら、おっしゃいますとおり、あるいはある人々が言われるように、重国籍は何ら差し支えない、むしろ本人自身にとっては都合がいいのだということも考えられるかもしれませんけれども、しかし、申し上げるまでもなく国籍によって結ばれた国からはやはり義務を負わされる、その国に負担を負うということもあり得るわけでございますし、それからそもそもやはりその本人国際社会生活を営むにつきまして、いろいろな点で今なお国籍というものはその人の権利関係法律関係を判定する場合にかなり多くの役割を与えられているわけであります。  いささか我田引水の説明で恐縮でございますけれども、私の専門の国際私法というところで申しますと、先ほども申し上げましたように、日本の法例では本国法主義というものをとっております。要するに当事者の国籍が基準になりまして、親族関係とか、その中には婚姻関係、親子関係が含まれておりますし、それから相続関係とか、場合によりますと人の能力というものがいかなる国の法律によって規律されるかということが決まるわけでございます。ところが、そういう人が二つ以上の国籍を同時に持っていますと、一体そのうちのどの国籍を基準にするかというのでトラブルが起こってくるわけでございます。  そのトラブルが非常に起こっても、合理的に明快に解決されれば、これは本人の今申し上げましたような関係法律的に処理する場合に、これは構わないじゃないかということも考えられるかもしれませんが、必ずしもそれについての合理的な明快な解決基準というものはまだ確立されていないわけであります。場合によりますと、そのときにかなり不合理な基準が現実にとられるということもあり得るわけであります。  例えば、ある国の裁判所でそれが問題になった場合、日本の国の裁判所で問題になった場合に、その当該国の裁判が行われる国の国籍外国国籍を同時に持っているような重国籍者につきましては、その本人が実際にどちらの国により密接な関係を持っているか、したがってどちらの国の法律が問題の事案についてよりそれを規律するのに適当な法律であるかということに必ずしも関係なく、裁判が行われる国の国籍で決めてしまう、裁判が行われる国の法律を適用する、こういうようなこともしばしばあるわけでございます。例えば日本の法例の二十七条一項ただし書きがそうでございますし、これは何も日本の法令だけの得手勝手な規定ではないのでありまして、最近の立法でもなおかっこういうような規定は相当多く残っているわけであります。西欧諸国の立法にもあるわけであります。  こういうようなことになってきますと、本人にとりましても重国籍というのは決して好ましいことではないということが考えられるわけであります。これは単なる一例でございますが、以上です。
  31. 山田譲

    山田譲君 それから、さっき先生最後にちょっとおっしゃったように、今度の国籍法改正が必ずしも満足すべきものではないけれども、まあまあ合格点だというふうなニュアンスでおっしゃられたわけですけれども、例えば不満足と思われる点はどの辺でございましようか。
  32. 池原季雄

    参考人池原季雄君) それではお答えいたしますが、これもさっき申し上げましたように、私個人の立場からしますと、不満足といいますのは、これは私どもやはり理論といいますか、そういうものを勉強しているものでございますので、実務の方から見られますと空理空論をもてあそんでいるというように見られる節がないわけではございません。そういう観点からしますと相当注文はたくさんあるわけでございます。したがって、ここでどういう点が不満がというようにおっしゃいますとこれはかなり時間がかかるわけでございます。  まあしかし極めて簡単で、そして今お二人の参考人の方がおっしゃったことと関連することをちょっと申し上げますと、これは若干デリケートで、お二人の参考人の方はむしろ私と反対の点で、私が申し上げることは現在の改正についての不満でございますが、お二人から見ればこれは満足な点なんでございますのでちょっと違いますが、例えばさっき伊東さんがおっしゃいましたが、この改正案ができる過程では、既に御承知のこととは存じますが、中間試案というものが去年の二月一日でございますか発表されまして、そこでは国籍につきまして帰化の取り消し制度というものが提案されていたわけでございます。ところが、これに対しましては非常に多くの方が疑問を提起されるというようなこともありまして、結局これは置かなくなったわけでございます。しかし私の考えから申しますと、これは置いた方がよかったのではないかと思うのでございます。  と申しますのは、この国籍取り消し制度というのは、これはいわば重大な不正手段によって帰化の許可を得たような者につきましては一定条件帰化の取り消しということを認めるわけでございますが、これは本来から申しまして法理上こんな規定がなくてもできるはずのものを、むしろ事は日本国籍を少なくとも不正な手段にせよ一度取得した者の国籍を失わせるということですから非常に重大な意味を持ちますので、その条件を非常に厳格にしている、こういうような規定であったわけでございます。こういうようなものは私はめったに働くことはないと存じますけれども、しかし、これはあった方がむしろ個人権利の保護のためにもいいのじゃないかというように思っています。  これは極めて小さい点でございますが、大きい点で申しますと、若干抽象的になりますけれども、さっきから出ましたけれども帰化制度にしましても、これは国際社会の今後というものを展望いたしますと改正案ではかなり前進はしておりますけれども、なおもう少し前進の可能性考えられ得るのじゃないかという気がいたします。  それからまた、改正案でも血統主義をとっておりますけれども、この血統主義も果たして国籍決定のあり方として絶対的なものかといいますと、これは比較法的に見ましても決して絶対的なものではございません。うっかりしますと、血統主義というのは、人はそれぞれ自分の持っている国籍子供に継承させる権利があるのだなどというような誤解を招くようなこともないわけではありませんし、この血統主義というものが果たして国籍というものの決定の要素としてどれぐらい現時点で評価できるかということになりますと、かなり問題がございます。そういう点からしますと、これもやはりもう少し検討していいのじゃないかという気もするわけでございます。  しかし、いずれもこれは現在直ちに早急に適正な結論が出て立法手段が講ぜられるというのはかなり困難かと思いますので、これは今後の検討課題というようなことになるのじゃないかと存じているわけでございます。そういうような点でございます。  お答えになったかどうか存じませんけれども、以上でございます。
  33. 山田譲

    山田譲君 田中先生にちょっとお伺いしたいのですが、今池原先生のお話もありましたのですが、どちらかというと田中先生の方はやっぱり重国籍でもいいじゃないかといったようなお考えが強いように見受けられたわけですけれども、そうしますと、例えば今おっしゃられたようなこともあるかもしれないけれども、やはり重国籍の方がこういう点がいいのだと、こういうふうなお話はお聞かせいただけますか。
  34. 田中宏

    参考人田中宏君) 重国籍の方がいいのだというように、そういう意味で私は申し上げたのではないのですけれども、よくそういう理解がされることは承知しておりますけれども一つは、重国籍解消した方がいいだろうということは、私もそう思うのですね。ただ、それを国家のサイドからかなり強圧的に解消を迫るということを国内法で定めることは現段階でどうかということが最も申し上げたいことで、したがいまして重国籍解消については、ある特定の国がその国内法で律するのには限度がある。  先ほど時間がございませんので申し上げませんでしたけれども、例えば法案に、他国で公務について、選択の趣旨に著しく反したときには国籍を喪失させるというような規定があるようですけれども、これなんかはやっぱりかなり日本が無理をするので、相手国が例えばそういう地位につかせるだろうかということを考えていただけばわかると思うのですが、外国国籍を持っている人に、衆議院の段階では、民事局長の答弁では日本でいうと行政職(一)ぐらいのポストにつくというようなことを何か具体的に御答弁なさったようですけれども、例えば行政職の(一)というように格付されるような職務に相手国がつけるかどうかということをお考えいただけばわかると思うのですね。  それはむしろ相手国の方が、もし問題があれば、そういうことはおのずと好ましくないと思えば避けるはずなんですね。ところが、それを日本側がいろいろ追及していって選択の趣旨に反したことをやった場合には、それはけしからぬから国籍を取ろうというところまで踏み込みますと、かえって国際的には混乱が起きる。むしろそれぞれの国がそういうことについては解決をしてお互いに協力をしていくという体制をもってやるべきで、私は重国籍の方がいいのだという意味ではなくて、一国の国内法で重国籍解消について盛り込むべき制度というのにはおのずと限界があるし、そこが私が一番言いたいことで、今度の場合には、例えば相手国の公務の就任について常に目を光らせて、そういうのがいたら引き出して国籍を切るということには、私の発言との関係で言えば、何かもう一つ前の時代の国籍を忠誠義務として考えるような、そういう何か言葉はちょっときっいですけれども、亡霊のようなものを感ずるということで、少なくとも個人の側が重国籍でまずいというときには自由に解消できるようにしておけば、これは個人契機で全部解決されるはずですね。  そういう点で、守備範囲をきちっとけじめをつける必要があって、今回の改正案選択制度そのものをつくるところまでは払いいと思うのですが、それをさらに催告をし、そしてその趣旨に反した行為をやった人がいた場合には、それを見つけ出して国籍を剥奪するというところまで踏み込んでいくというのは問題があるということが私の一番言いたいところです。  したがって、その催告をするということになりますと、先ほど伊東先生の方からもお話があったように、戸籍に記載するということが不可避的になるわけですね。そうすると戸籍に重国籍者であるというレッテルを張るというようなことも必要になってきて、いやしくも一国の法務大臣が催告をするからには間違った情報に基づいて催告をするわけにいきませんので、厳重な記録に基づいて催告をせざるを得ない。そうすると、おのずと戸籍にそういうことを記載しなければいけなくなってくる。そうすると、最近では戸籍はできるだけそういう差別につながるようなものは避けようという傾向で、戸籍の公開そのものにも制限を加えるような工夫がされつつあるときに、また何か戸籍に別のものを書いていく。しかも外国国籍についての取り扱いを日本の戸籍に書くというのは、趣旨からいってもやや問題があるわけですね。  ですから、そういう点で重国籍解消についての踏み込み方がやや出過ぎているのではないか。それ以上のところはむしろ国際協力で解決をすることの方がかえってスムーズにいって、むしろ重国籍者がいることによってその相手国と日本との関係がスムーズにいくというように、重国籍者の問題を解決するために協力をしていくということの方がむしろ私は目指すことではないか。ですから、重国籍の方がいいのだとか、重国籍がいいという意味では必ずしもないというように御理解をいただきたいと思います。
  35. 山田譲

    山田譲君 重国籍の方がいいとかということは、たしかおっしゃらなかったわけですけれども考えてみますと、アメリカと日本の国際結婚の結果生まれた子供さんというのは間違いなく日本子供でもありアメリカの子供でもあるという点で、これをむしろアメリカにしてしまおう、あるいは日本にしてしまおうということの方が自然の原理に反するのじゃないかというふうな気もするわけです。ですから、当然その生まれた子供は両方の血を持っているのだから、両方の国籍にしておく方がいいのじゃないか。いいのじゃないかというか、自然じゃないかというふうな、そういう考えもちょっと私も持つのですけれども、その辺どんなものでしようか。田中参考人お願いしたいと思うのです。
  36. 田中宏

    参考人田中宏君) 私も大どころそういう考え方で臨むべきで、もしそれを個人生活歴の中でどちらかにしたいと思うときには自由にできるようにだけしておけばいいわけで、どちらの国に住むことになるか、第三国に住むことになるかというのは個々人の生活でどう変わるかわからないわけで、それをどちらかにそろわせるということでやるよりは、日本でも少なくともスローガンとしては国際人という言葉が使われているわけで、国際人というのは特定の国に余り深入りしないで、むしろ国際的な利害というものをにらんで生きていこうとか、あるいは特定の国に縛られないような人間がこれから必要ではないかというようなことさえ一方では言われているわけですから、その点がちょっと私は今度の法案については疑問を感ずる点で、その点では先ほども先生がおっしゃられたような気持ちを私も持っております。
  37. 山田譲

    山田譲君 日本もこれからそういう国際結婚みたいなものはどんどんふえてくるのじゃないかと思うのですが、とりわけヨーロッパあたりに行きますと、単にフランスとイギリスというのじゃなくて、じいさんはイタリア人だ、ばあさんはスペイン人だった、お父さんはイギリス人だ、私は行ってみてつくづく感じましたけれども、そういうケースが非常に多いわけですね。そうすると、二重どころか三重、四重というふうなことになってまいりますけれども、その辺は何もこだわらなくてもいい、四重なら四重でいいのだというふうなお考えでしょうか。
  38. 田中宏

    参考人田中宏君) 四重でいいのだというよりも、むしろそういう状態になって、それを個々人がどういうように生活の中で生きていくかということは余り国家の側が枠をはめないで、そのまま放置しておく。まあ国家としては基本的には放置して一個々人がおのずとたくさん国籍があっていろいろ問題が起きるようであれば整理をしていく。そのときにどこの国も、今は国際社会の最大の努力目標というのは少なくとも国籍が二重以上になっている人は自由に国籍を抜かせる、そういうことが一つのコンセンサ又としてつくられていくということがまず大前提なんですね。日本は少なくとも憲法に明確に国籍離脱の自由を保障しているわけですから、その限りでは国際的にはきちっとした水準に既に達しているということは非常に重要視すべきだと思うのですね。  それで、国によっては、資料にもありますけれども国籍の離脱を許可にかかわらしめたり、いろいろな形でまだ離脱について重国籍者でさえ制限をしている国があるわけですから、それを解消していこうというのが、例えば資料にも載っていますヨーロッパ理事会決議なんかもそうですね。とにかく離脱をできるだけ自由にしていく。どこの国も重国籍者については抜きたいときにはいつでも抜けるような体制をつくろうではないかというのが今到達されている水準で、私は、日本の場合には既にそのことはでき上がっている。  ただ、日本国籍法では日本の方を離脱するということだけしか現在ありませんので、それにもう一つ加えて、日本の方を選ぶという、離脱というのは日本から抜けるということですから、そうじゃなくて、自分は日本の方にしたいのだということを日本側に届け出る制度は合ないものですから、そういう点では日本国籍選択するという制度をつくるということは必要だと思うし、そこまでやっておけば必要にして十分ではないかというように思います。
  39. 山田譲

    山田譲君 もう一つお伺いしたいのですが、例えばさっきもちょっとお話出ましたけれども、重国籍を認めるというふうな立場に立った場合ですけれども、例えば被選挙権あるいは選挙権というふうなものが両方に出てくるというような結果になる。そうすると、旧国籍法なんかを見ますと国会議員にはなれないというふうなことがはっきり書いてありますけれども、そういう場合に、例えば重国籍の国会議員が出てくる。極端なのは重国籍の総理大臣が出た、こういうふうなこともあり得るわけですけれども、その辺についてはどういうお考えでしようか。
  40. 田中宏

    参考人田中宏君) 理論的に理詰めでいくと、よく書かれるように四重、五重ができるとか、しかしそういうことはおのずと選挙民が投票権を行使するときに私は解決されるとすればされると思うし、それから、構わなければそういう人を選ぶということも私はあってもおかしくはないと思う。とにかくそれはまずいと思えば選ばないでしょうし、それは何か制度としてその問題をいじるよりは、それこそそういう選挙制度という中で一定のふるいにかかるわけですから、その点は私はそれほど深刻に考える必要は、その国の制度として何かあらかじめ排除するというようなことを考える必要はないのじゃないかというように思っておりますけれども
  41. 山田譲

    山田譲君 わかりました。  次に、伊東参考人にお伺いしたいのですが、先ほどのいろいろなお話わかりましたけれども、例えば日弁連としては重国籍についてはどういうお考えですか。
  42. 伊東すみ子

    参考人伊東すみ子君) 私どもで議論しましたときに、やはり先生がおっしゃいましたような意見も強く主張されました。重国籍でそれでいいのだ、父親からと母親から、二つの文化的な資質といいますか、ものを持って生活する、そういうことはいいのであって、それによって不都合はないという意見もございましたが、私結論としては未成年の間はそれでいいということでございます。  ただ、成年に達するときに、それだけに本人意思を尊重すべきではないかということで、だから私ども考えは、例えば要綱案で「外国及び日本国籍を有することとなった時が二十歳に達する以前であるときは二十二歳」というのは、親が十五歳未満はできますので、留保届けしても親がまた選択をしてしまう余地があるわけでございますね。だから、本当は私たちはそういうのはおかしい、実効的国籍考え方になると思いますけれども、どういう生活環境で暮らしてきたかということと、やはり若い人の場合はこれから社会人になっていくときの、一人前に巣立ちをするときの選択意思というものをもっと尊重すべきではないか、そういう意味でいうと、これはもう二十歳になったときから起算してもいいのじゃないかと思ったわけでございます。  それで、重国籍の問題は、国家の側から見ますと、よく言われますのが三本ありまして、兵役の義務と外交保護権、それから池原先生おっしゃいました本国法主義の適用上の問題ということになります。それで、日本では兵役の義務はございませんで、本国法の問題は池原先生御説明ありましたけれども、逆に言えば法例によって一応の解決がされている。それが不適切であれば法例を改正するということで解決できないことはないと思いますけれども、外交保護権の問題は私どももよくわからないのでございます。ですから、こういう改正のときは今までこういう事実があって、だから重国籍は困るのだということを立法者側から事実を示してくだされば私どもも説得されたと思うのですけれども、どうも外交保護上、重国籍が具体的にどういうふうに困るのかということがわからなかったのが残念な気がしております。  個人生活からいいますと、むしろ重国籍は便利な面も多いのじゃないか。というのは、現在現行法のもとでの重国籍者というのは、ほとんど国籍法九条、つまり生地主義の国で生まれてその外国国籍を取得して、かつ留保したために日本国籍も持っている、こういう人でございまして、特に日米の重国籍者は戦後大分特権的な地位におられたように伺っておりますが、そういう話を聞くと重国籍はいいのじゃないか、二つパスポートを持って自由に往来できていいのじゃないかというふうな理解もあるようでございます。  だから、私どもとしては、この問題をもっと突っ込んで考えたかったのですけれども、材料が乏しいということで、あえて、御承知のとおりに日弁連は大勢の団体でございますから一人だけの意見でまとめるわけにまいりません。やはり委員の多数が意見を闘わして、その合意によりますので、どうもそういう重国籍でもいいじゃないかという合意を形成するに足りるだけの材料、それからその論証というものが難しかったということでやむを得ないのじゃなかろうかという格好になっております。  ただし、厳重にこの制度を実施されますと、憲法国籍離脱の自由の保障がございますので、これに抵触してくる可能性がありますので、私はむしろ今度の法律は重国籍に対して認めるように なった、つまり外国国籍を放棄するよう努力しなければいけないけれども、努力してもできない、個人の力ではできないときは重国籍でもいいのですよと、そういう点に注目したいと思っております。日本人は余り今まで重国籍ということを考え慣れておりませんので、私なんかの感じでは、今度の法律が施行になってだんだん重国籍とはどういうものかということが国民にわかるようになってきました。そしてまた、国際情勢によってはその次のステップとしてもっと重国籍に対して寛容な改正ができるのかもしれないとも思います。ちょっと何かただいま過渡期のような感じがしております。
  43. 山田譲

    山田譲君 じゃ、時間にもなったようですから、あと一つ、多少事務的な問題でありますが、催告制度、これがうまく有効にいくというふうにお考えになっていらっしゃるかどうか、それをちょっとお尋ねして終わりたいと思います。
  44. 伊東すみ子

    参考人伊東すみ子君) その点はむしろ私どもは法務省にお尋ねしたいと思っていたところでございますが、何といいましても主管が法務省でございますので、法務省としては例えば戸籍で様式がございますね。あそこへ、どこへどう書いて、そして通知というのは何を見てやるか。例えば戸籍だけ見ましても現住所わかりませんね。戸籍の付票というのは必ずしも正確でありません。住民票は別なところにいっているかもしれません。そういうときに実際どうしておやりになるのだろうか。まして国外にいる人に対して催告するのはどうすればできるのだろう、どういうふうにしておやりになるつもりなんだろうか。重国籍の問題でも、外国国籍法を常時把握していることすら実は大変だと思うのですね。その実務にまで及びまして把握するというのは難しい。で、外国国籍を離脱してきなさいという催告を出すには、しようと思えばできるという前提があると思うのですけれども、その調査すら大変だろうと思います。  ですから、これは私どもの推測でございますが、これは果たしてどこまで実効性のある運用がなされるのだろうか。としますと、やはり一応やってみて、だめなら重国籍でもやむを得ないのですよという方へ流れていくのじゃなかろうかと思わざるを得ないと思います。
  45. 山田譲

    山田譲君 ありがとうございました。終わります。
  46. 飯田忠雄

    ○飯田忠雄君 私、公明党・国民会議に属しております飯田忠雄でございます。最初に、池原先生にお尋ねを申したいと思います。  法例というのがございますが、この法例という規定はこのたびは改正になっておりませんけれども、例えば一番問題になるのは十七条ですが、十四条婚姻の効力の問題、十六条の離婚の問題、十七条の嫡出子の問題、それから二十条の親子の間の法律関係、こういうような規定を見ますと、これはやはり父系主義によっておるように思われます。それで国籍法改正されたのですが、法例の改正は行われないのですが、こういう点につきましては国籍法の御審議の際に問題にならなかったのでしょうか。いかがでございますか。
  47. 池原季雄

    参考人池原季雄君) お答えいたします。  国籍法改正のときには、問題がやはり国籍法の問題でございますので、直接にはもちろん法例をどうすべきかということは出ませんでしたけれども、しかし、そこでは審議に参加した委員等の間で法例の規定というものが今のままでいいかどうかということについては、やはり非公式な意見の交換等はございました。日本法制審議会でも、国籍法の問題が取り上げられるずっと前に、もう既に今飯田委員のおっしゃいましたような点につきましては問題にしておりまして、日本法制審議会国際私法部会で既に二十年以上も前に一応法例の改正につきまして婚姻の部と親子の部につきまして改正要綱試案というものをつくりまして一応発表しておりますけれども、そこでもその問題はもう既に取り上げまして、そうしてこれは憲法との関係考えても、あるいは憲法には直接触れなくても、やはり好ましいかどうかということで、改正する方が好ましいという方向でその方法を考えておるわけでございます。そういう状況でございます。
  48. 飯田忠雄

    ○飯田忠雄君 それでは次にお尋ねをいたしますが、これは池原先生と主として伊東先生にお尋ねすることになります。  留保制度の問題でございますが、戸籍法によりますと子供が生まれたときには届け出をする義務がございまして、外国で生まれましても三カ月以内に届け出るようにという、こういう規定がございます。そうしますと、届けを在外公館に出しますと、それでもう既に留保の目的は達するのではないか、つまりそういうふうに思われますが、この点につきまして審議の過程においてはどういうようなことでございましたでしようか。池原先生にお尋ねを申し上げます。後で伊東先生にまたお尋ねします。
  49. 池原季雄

    参考人池原季雄君) 今の点、たしか法制審議会での国際私法部会の審議のときにも出まして、この点はおっしゃいますとおり出生届のときに同時にできるということで、今回の改正案でも一応そうなっているかと存じます。したがって、わざわざ留保というような、それだけのことを出生届と別に何かやらなければいけないということは実際問題としてないというように理解しているわけでございます。これは改正案の中にもその規定が戸籍の関係、届け出でございますので、戸籍法の方にあったかと存じます。
  50. 飯田忠雄

    ○飯田忠雄君 今の問題に関しまして池原先生にちょっとお尋ねしますが、今度の改正法の十二条でございますが、この十二条によりますと「出生により外国国籍を取得した日本国民で国外で生まれたものは、戸籍法の定めるところにより日本国籍を留保する意思を表示しなければ、その出生の時にさかのぼって日本国籍を失う。」、こう書いてありますが、それで、どうもこの条文はわかりにくい条文でございまして、届け出をすれば事足りるのに、なお重ねて国籍の留保の意思表示をしなければせっかく得た日本国籍を失ってしまう、こう読めるのでございますが、この条文につきましてはどのような審議状況でございましたでしようか。
  51. 池原季雄

    参考人池原季雄君) その点は、ここで条文にこう書いてありますのは、これは日本国籍保有、取得の点では、やはりこれは国籍自身の取得、保有条件でございますので、これはこれなりに国籍法の中にそういう点を書かなければいけませんし、しかも留保というのは、やはり国籍保有するという意思表示でございますから、これは出生届とは法律的な性質も違うわけでございます。したがって、ここに当然法律の条文としてこう書いてあることはこれは至極当然だというように理解したわけでございます。ただ、実際の点で、出生届のときに、出生届のフォームの中にこれは留保するかしないかというようなことが同時にできるということになっている、実務ではそうなっているように私は一応理解しているのでございますが、これは誤りでございましたら後で当局の方にお確かめいただければと存じます。
  52. 飯田忠雄

    ○飯田忠雄君 まことに済みませんが、重ねて池原先生にお尋ねいたしますが、そうしますと、この十二条に書いてある「日本国籍を留保する意思を表示」ということは、結局これは法律言葉の問題であって、内容を言いますと出生届を出すことなんだ、出生届を出せばそれに留保の意思表示をしたという意味が含まれる、こういう意味でございましたでしようか。
  53. 池原季雄

    参考人池原季雄君) お答えいたします。  これ、私申し上げましたのは、法律の条文、言葉だけではございませんで、やはり法律制度として留保といいますのは国籍固有の問題で、日本国籍を取得、保有するために必要な行為でございます。したがって、この留保というものを、出生届は出したけれども留保しないということは、これは申し上げるまでもなくあり得るわけでございます。その点でも出生届というものと留保というものは現に同じ用紙で行われたといたしましても、これは法律的には別のことが行われたというように私は考えるわけでございます。したがって、規定もやはりそれぞれのところにそれぞれ別個に規定されるということになろうかと存じます。
  54. 飯田忠雄

    ○飯田忠雄君 先生、もう一つ関連しまして確かめたいのですが、出生届と留保の意思表示届を出すことになりますが、その場合に留保の意思表示を忘れたといたしますと、この規定によりますと日本国籍出生のときにさかのぼって失ってしまうわけでございますね。なぜそういうことをしなければならぬのか。その点について審議はどのようになされたのでございましょうか。
  55. 池原季雄

    参考人池原季雄君) この点、今申し上げましたように、私の聞いておりますところ、今覚えておりますところが間違いでなければ、今飯田委員が御懸念なさっているようなことは実際の出生届のやり方においてはまず起こり得ない。これは同じ出生届のときに留保するかしないかということが、同じようにそこで意思表示がされるというようなことが当然同じフォームの中にありましたか、これが出ておりますので、この方は忘れていたということはないでございましょうし、恐らくはそれを在外公館にでも出生届けするときには、その点は十分確かめられるだろうと思います。それで、留保についてだけは、出生届けしたけれども、留保については何にも考えないで知らなかったということはまずはないだろうと私は思うわけでございます。
  56. 飯田忠雄

    ○飯田忠雄君 もう一回確かめますが、出生届を出せばそれで事足りるというふうに私は考えるのですけれども、先生の御意見として、なお留保届も出さなければ不完全だというふうにお考えでしょうか。先生自身の御意見どうでしょう。
  57. 池原季雄

    参考人池原季雄君) 今飯田委員おっしゃいましたことは、出生届をしたときに、なお留保届を別にやらなければ日本国籍保有できないということになるかどうかというような御質問でございましょうか。——これは観念的には留保というのは別になるわけでございますが、実際の手続としてはそのとき同時に行う、留保する場合はする、しなければしないということになると思います。
  58. 飯田忠雄

    ○飯田忠雄君 それでは伊東先生に御質問申し上げますが、伊東先生の方から実はいただきました日本弁護士連合会の意見書でございますが、意見書のところに留保の問題について、留保制度を採用しなければならなくなった理由が書かれておりますが、それは結局催告に関連をして、催告をする際に、日本国籍選択の宣言をしない重国籍者日本国籍を失うとなっておるので催告しなければならぬ、しかしその場合に住所がわからぬ、留保をしておかぬというと住所がわからぬから、だから留保制度は必要だ、こういうふうにやむを得ぬこととして理解した、こうありますが、これはどういうことでしようか。出生届出せば、それで本籍地わかりますね。そのほかに現住所を一々届けるということは実際上これは困難でございますので、本籍だけになると思いますが、弁護士会でこういう理由を考えられたわけは私はどうもわからないのですが、いかがでございますか。
  59. 伊東すみ子

    参考人伊東すみ子君) どうも苦しいところを突かれましたのですが、実は中間試案の段階で留保届を存置するかどうかという問題について私どもが議論しましたときは、こういう国籍選択制度を設ける以上は留保制度は廃止すべきだと考えたわけです。それは「「国籍法改正に関する中間試案」についての意見書」に書いてあります。  といいますのは、留保届は、今池原先生おっしゃいましたように、出生届の中にそういう欄がございまして、そこに記入してないと指導して記入させて受け付けるということが実務としてされていますので、必ず一緒に出るはずのものになっているようでございます。留保届がしてないと日本国籍がありませんので、戸籍に記入してもらえない。ですからせっかく出生届を出しましても意味がない。こういうことになるわけでございます。留保届がありますと出生届が出ますので日本人の何々という親から生まれたという証明は非常に簡便にできるわけでございます。  もし出生届もしないで、私は日本人だと言いました場合に、確かに日本国民である親から生まれたという証明をしないといけないわけでございますね。就籍審判というのがそれに当たりますわけで、今中国残留孤児で問題になっておりますけれども、確かに日本人の、本当はだれそれということも必要なんでしようけれども、親から生まれたという証明をしまして、出生届が出さなくなった後でそういう証明をして、就籍して日本人だという扱いを受けるわけでございます。だから万事戸籍簿がついて回るわけでございます。そういう意味で、非常に留保届を置いておきますと、戸籍簿上明確になって、それだけ安心ができる、こういう感覚があるようでございます。  しかし、私どもとしましては、国籍選択をするのであればそういう留保というのは屋上屋を架するようなものではないか、出生届を出せばそれでよし、出さなくても後から証明をして就籍できればそれでいいのではないかというふうに思っておりましたが、この最終の要綱案になりますと、選択制度の内容が大分変わってまいりまして、一言で言うと緩やかなものになってまいりました。それとの関係でといいますか、委員会全体の合意というのが、こういう重国籍解消制度と関連して考えるならば、留保制度を残すということもそういう実務的なメリットを重視してやむを得ないのじゃなかろうかということになってまいりましたということでございます。  先ほど申しましたように、今の制度では親が留保届を出します。つまり親がしたくないと思い、あるいは何かの理由で、あるいは知らないでいて届けを出さなければ国籍を失ってしまうという点で、先ほど申しましたように、なるべく子供意思を生かそう、意思にゆだねるべきだと考えますと、どうもすっきりしない点がございます。  それから、国籍選択宣言も、さっき申しましたように子供がまだ十五歳未満のうちに親がかわってすることもできる、どうもそういう点は私どもはすっきりしない感じがあることは確かなんでございますけれども、そういうふうな戸籍制度のメリットを重視する意見が強かったために、こういうふうに路線がちょっと変更になったわけでございます。住所を知るためには留保届があるということは、ただほんの一つの資料にすぎませんで、その後引っ越しすればおしまいでございます。
  60. 飯田忠雄

    ○飯田忠雄君 実は戸籍法も今度改正になるわけでございますが、戸籍法の四十九条を見ますと、出生届は出さねばならぬことになっておりますね。外国で生まれますと三カ月以内に出せと。これは在外公館に出すわけですが、その場合に在外公館はこれを受け付ける義務があると私どもは今度の規定では解しますが、もし戸籍法出生届を出せと命じておいて、在外公館が受け取らないということであれば、これは問題だと私は思うのですよ。それで、留保届があろうがなかろうが出生届は受け付けて、在外公館はこれを本籍地の役場に送らねばならぬ義務があると私は思いますが、こういう点につきましてどうでしょうか。弁護士会の方ではそういうふうにお考えになっていただけるでしようか。ならぬでしようか。いかがでございますか。
  61. 伊東すみ子

    参考人伊東すみ子君) その点は今申し上げましたように、出生届だけ出ましても留保届がないと、つまり日本国籍がありませんと、戸籍薄の記入ができないことになる……
  62. 飯田忠雄

    ○飯田忠雄君 いや、あるでしよう。法律によって、男女両方から生まれた子供、みんな国籍ありますから、その国籍があるのをただ証明手段にすぎませんね。  ですから、質問はこうなんですよ。留保届いたしませんと、今度の十二条の規定でいきますと、せっかく法律でつけられた国籍がなくなっちゃうのですね。そういう規定を設けていいだろうか。つまり国籍をせっかく生まれて取得した人が親が留保届を忘れたら国籍がなくなっちゃう。そういう法律をつくることが第一おかしいということと、それから留保届のような二重に余分の義務をなぜ国民に課さねばならぬのかという問題、私はその二つが問題だと思うのですね。これひとつ御研究願えませんでしようか。いかがでしょうか、伊東先生。
  63. 伊東すみ子

    参考人伊東すみ子君) 確かにこの条文を見ますと、出生によって既に国籍を取得しているとすれば留保する必要がないわけでございますね。留保は本当の何か出生届で足りることになりますが、しかし立法者の意思というのはそうじゃなくて、生まれただけではまだはっきり国籍はあるかないか、そのレベルではないのだ、留保届をして、つまり同時に出生届をして、日本人の親から生まれたという証明をしたと見て、そこで国籍があるということに初めてなるのだと、こういう趣旨ではないかと思います。
  64. 飯田忠雄

    ○飯田忠雄君 今度の国籍法の第二条に、はっきりともう父母系主義で「日本国民とする。」と書いてあるわけですよ。だから、これで日本国民になっているのだから、なぜ留保届を出さなければいかぬのかがわからないわけ。この点はいかがですか。——まあもう時間が来ましたからいいです。答弁いいです。
  65. 橋本敦

    ○橋本敦君 私からも二、三お尋ねをしたいと思うのですが、まず最初に池原先生にお伺いしたいのですが、経過措置の問題であります。  私は今回の法改正に当たっての経過措置としては二つの観点からこれをどうとるかということが大事だと思うのですが、一つは、本改正の本来なら重要な立法事実となるべきはずであった沖縄の無国籍児童の全面的救済という観点ですね。それからもう一つは、どの時点まで遡及することがこの改正法の条理に合うかという二つの点から私は検討すべきだと思うのです。  この沖縄の無国籍児解消という問題について言うならば二十年の経過ということで基本的には解決されるという民事局長の答弁であったのですが、基本的に解決されることは結構だけれども、一人でも未解決で残るならば、それは簡易帰化の手続ではなくて、まさに本改正法そのものによって救済するように、それよりさらにさかのぼって全面救済を考えるべきではないかと私が考えたのが一つです。  それからもう一つの問題は、池原先生のさっきの御意見で、父系優先主義をとってきた現行法憲法十四条の男女平等に反する憲法違反ではないかという先ほどの議論で、立法当初はそこまで言えなかったかもしれないが、その後の世界の趨勢やあるいは我が国社会の民主的発展の経過に照らして今日では憲法十四条に違反する可能性がないとは言えないというお説がございまして、私も憲法十四条に違反すると思っている一人なんですが、そうだとしますと、先生の御意見もあったけれども、本来なら現憲法が制定、施行されたそのときにさかのぼって救済措置を全面的に講ずることが可能になるような、そういうことが妥当ではないか、こう思っておるのですが、この経過措置に関しての先生の御意見をまず伺わしていただきたいと思います。
  66. 池原季雄

    参考人池原季雄君) それではお答えいたします。  橋本委員の御質問くださいました点、これは今伺いますと二つの点がおありかと存じますが、憲法の方を先に申し上げますと、私は先ほど現時点においては日本父系優先血統主義はこれは憲法に反するだろうということを申し上げたわけでございます。しかし、その国籍法制定当時、一九五〇年当時やはり憲法違反であったかということになりますと、私はこれはそこまでは言えないのじゃないかというように考えるわけでございます。  じゃ、いつから憲法違反になったかということになりますと、これははっきりいつからと言えるかどうか、これはより具体的に検討しなければわかりませんので申し上げられませんが、抽象的に申しますと、やはり当時考えられていましたような父系優先血統主義正当化するような理由は、当時はこれは一応根拠としてなり得たかもしれませんが、それがもう妥当しなくなったような状態、このときにはもうこれは違憲と言わざるを得なくなったのじゃないかと思います。それはしかし、じゃ、どれくらいの期間がといいますと、具体的にはもちろん今申し上げましたようにわかりませんが、今をさかのぼること二十年以上には恐らく私はならないというように、これはそれぞれの人の考え方であるでございましょうけれども、私はならないのじゃないかと思います。  そういたしますと、二十年も、それよりも前に父系優先血統主義で、したがって母が日本人であるだけでは日本国籍を与えられなかったからといって、これでそのときから憲法違反であるかどうかということは、これはそこまでは言えないのじゃないかと思います。それから、その後のことにいたしましても、これはやはり仮に憲法違反だというような状況になりまして以降の国籍の取得について、今どういうような救済措置を講ずるかということになりますと、これはやはりそう簡単に、その当時母親が日本国籍を持っておれば、これは日本国籍を取得すべきであったのだから今もう当然文句なしに国籍を与えるべきだ、認めるべきだと、こういうことになるかといいますと、これはやはり制度の問題、国籍という制度国籍が果たしている機能から言いまして、やはり少し問題があるのじゃないかと思うわけでございます。  と申しますのは、これは先ほど来、もうどういう方々も皆さん一致してお認めになることと考えるわけでございますけれども、これはやはり国籍は現在いろいろな権利義務、政治的あるいは法律的な地位、こういうようなものの判定の基準として相当大きな機能を果たしております。これがその基準がひっくり返ってしまうということは法的安全を著しく害するおそれがあるわけでございます。したがって、少なくとも国籍をどういうようにするかということになりますと、既に日本国籍を持ってない者について国籍を付与する場合には、これはやはり当事者の意思を考慮しなければいけないのは、これはもうだれしも否定しないであろうと思います。ですから意思は問題だと。それからその上にさらに、生まれたときには実はその血統というものしか、あるいは生まれた他とかいうようなものしか、それ以外に国と個人との間のきずなを判定する要素はなかったかもしれませんけれども、その後でそのきずなを判定する要素として十分評価できるものができたならば、これもやはり考慮に入れた上で現時点での国籍というものを考える。これはやはり国籍という制度の趣旨から言いますと決して不当ではないのじゃないかと思います。その方が妥当じゃないかと思います。  そういたしますと、その場合にその後の経過、母親が日本国籍をずっと保有しているかとか、現在保有しているかとかというようなことも、あるいは場合によりましては住所日本にあるかなどということも考える余地もないわけではないと思うのですけれども改正案では母親が現に日本国籍を持っているかどうかということだけしか考えていませんが、そういう点はやはり考慮に入れられると思うのです。そういうようなことになりますので、仮に憲法に違反しているということになりましても、過去に生まれた日本人を母とする子供がすべて即時に日本国籍を与えられなければいけないということには必ずしもならないのじゃないか、この点をどうするかは、国籍という制度の趣旨をよく考えた上で立法政策として考えられるのじゃないかというように存じます。  それが第一でございますか、憲法との関係でどこまで救済をさかのぼらせるかということと関係すると思います。  もう一つは、より具体的な沖縄の問題の解決でございますが、これはなるほどおっしゃいますとおり、この場合に的確な容易な救済を与えるというためには、この当人が二十歳を超えていても意思表示だけで国籍を取得さしてはどうかということも考えられるわけでございますけれども、先ほど申し上げましたような点から申しますと、これやはりそれとの関係で言いますと、論理的にそこまでさかのぼらせることは、これは根拠が薄弱になってきます。そうして実際問題といたしましても、先ほどもコメントされた方がございましたが、沖縄の場合でございますと、実際問題として成年に達してなお無国籍の状態で非常に困っているというような者があるとしましても、これは極めて少数、しかもそれは簡易帰化の方法で、これは簡易帰化という手続はとらなければいけないのですけれども、これでまず問題なく救われるだろうというのが、これが国籍実務の方々の一致した御見解のようでございます。したがって、これは実際問題として本人の利益を害するおそれはないかと存じます。  しかも、制度としてのバランスから考えますと、成人に達した者が国籍を動かすということでございますと、やはり本人意思を最も尊重して国籍決定する帰化という本来の制度がございますので、なるべくそちらに寄せた解決の方が国籍法全体の中での解決としてもバランスがとれているのじゃないか、こういうような気がするわけでございます。  以上でございます。
  67. 橋本敦

    ○橋本敦君 私と先生と意見の違うところをひとつ申したわけでございますけれども、例えば簡易帰化によって国籍を取得するか、それとも本人意思で、意思を尊重するということは先生も私も全く同感ですが、本人意思で届け出によって日本国籍を取得するか、ここのところの違いは私は非常に大きいと見ておりますので、先生の最後の部分の御意見も私とちょっと違っておりまして、私の意見としてはいかに簡易であろうとも帰化という手続をとる場合と、本人意思で届け出によって、言ってみれば原始的に日本国籍を取得し得るような状況をつくることとは非常に意味が違うと思っておりますので、なお、この点は検討してほしい問題として私も委員会で指摘をしておるわけであります。  それから、もう一つ私が気になりますことは、この国籍というのをどう見るかということについて法務省当局と必ずしも意見が一致してない。つまり国籍というのは明らかに個人権利だというように私どもは重く見ていきたいという考えを持っているのですね。このことは人権規約やあるいは世界人権宣言その他でも国籍取得の権利というように言われているわけですね。また事実、国籍を持つことによってその国の主権者としての権利を行使できるし、あるいは外交保護権を受けられるし、あるいは教育、福祉全面にわたって社会保障を含む国民権利を主張できるということになるわけですから、それと不可分の関係にある国籍というのはまさに合法的な主権者の人格の承認という意味から言っても、私は権利性を持っているというふうに見ているのですが、しかしそれは具体的な権利性でないということで法務省当局となかなか意見が一致しない面があるのですね。  池原先生の考えは、この点で国籍本人権利と見るかどうかという点についてどうお考えなのか。この点について田中先生及び伊東先生それぞれに御意見をお聞きしたいと思っております。よろしくお願いします。
  68. 池原季雄

    参考人池原季雄君) 大変難しい問題でございますが、私なりに今考えているところでお答えいたしますと、確かにおっしゃいますように、世界人権宣言とか国際人権規約で非常に人権との関係の面が強調されております。これは確かにそういう面があろうかと思います。ただし、そのことは直ちに国籍権利かということになりますと、そう必ずしも論理的には直結しない。人権国籍の存否、国籍決定がかかわることはこれはもう言うまでもないと存じます。国籍というものは、本来の性質からいいますと、その権利自身というよりも、その権利の享有とかあるいは義務の負担とかいうものを決定する基準として私は評価したらいいのじゃないか、そのための一つ法律制度だ、こういうように私は今のところは考えているわけでございます。
  69. 田中宏

    参考人田中宏君) なかなか権利かどうかというのはうまく申し上げられませんけれども、私は長い日本国籍をめぐる歴史の中で、先ほども申し上げましたけれども、やはり個人権利としての性格をもっとはっきり打ち出す方向に世界の趨勢は進んできているし、日本もそういうものを受容すべき状況ではないか。  沖縄の無国籍児の問題についても感じますのは、人は一つ国籍を持つという考え方をとられたとしても、沖縄の無国籍児一つ国籍がないまま来たということを考えると、父母両系の前にもっと権利という認識があれば、実は父系優先をとってきたドイツとかフランスのような国でも、途中の段階で子供が無国籍になるような場合には母の自国籍子供が取得するという中間的な法改正をやった上で、そして今回の両性平等を導入するという経路をたどっているのですね。  ところが日本の場合には、無国籍が生ずるということがわかっていて、しかも日本と最も密接な関係のあるアメリカですから、にもかかわらず無国籍のまま放置してきたということは、やはりそこに権利としての国籍という認識が非常に希薄であって、国籍法の谷間でやむを得ないのだ、国家の側から見ればアメリカはアメリカで生地主義をとる、日本日本血統主義をとる、しかもアメリカの場合には海外出生児については親に一定の居住要件を課すという制度をとっているものですから、完全に無国籍が生ずるということが理論的にわかっていたわけですね。にもかかわらず今日まで放置してきたということを考えても、やっぱり個人国籍を持つ権利ということについての認識が極めて我々の社会では希薄であったということはこの際深刻に反省する必要があるというふうに私は思います。  そういう点で、国籍が厳密な意味で権利かどうかということについて私は断定的な意見は申し上げませんけれども権利という側面をより強く打ち出して国籍の問題を考えていく、国家から恩恵的に付与されるもので、もらえればいいけれども、もらえなければやむを得ないというようなものとして国籍考えるということは、早くそういう時代を終わる必要があるというように思います。
  70. 伊東すみ子

    参考人伊東すみ子君) 国籍は国と個人を結ぶ紐帯であるというふうなことが言われて、教科書には必ずそういうふうに書いでございますが、要するに国と個人法律関係でありまして、双方から見なければならないということはあると思います。しかし、これは国の方から見ました場合も以前の旧憲法下の国と臣民のあり方とはもう全然違うわけでございまして、それはもう現在は民主制国家でありますから、民主主義をとる日本の国の構成員としての権利関係ということで考えなければいけないと思います。だから、双方、権利があり義務がありということでございますけれども、実質は力関係のように考えました場合に国の方にだけあるというわけではいかない、かなり国と個人の中間あたりにまでは少なくとも来ていなければおかしい。これは素朴な感想でございます。  それから、実際に問題が起きました場合を見ますと、今田中先生おっしゃいましたように、そういう国籍を必要とする場面といいますのは、本当に個人人権にかかわること、そういう問題として発現してくるわけでございます。憲法では国籍については法律で定めるという条文しかございませんけれども、それだからといって国が何でも好きなように定めていいということではないのでございまして、やはり憲法保障している基本的人権、それを享受するための入り口でございますから、そういう意味では一番総括的な最初に問題になる基本的人権と言ってもよろしいと思います。ですから、そういう意味では基本的人権としての共通性を持っていると考えてよろしいのじゃないかと思います。ただ、もちろん具体的、本当の実定法レベルの権利と同じかどうかというのは問題ございますでしょうけれども憲法の基本的人権と比較すれば、それと同次元の権利であるといっていいのじゃないかと思います。
  71. 柳澤錬造

    ○柳澤錬造君 きょうはお三方の先生には貴重な御意見をお聞かせいただきまして感謝を申し上げます。  時間がなんですから一問ずつお聞きをしてまいりたいと思いますが、池原先生にまずお聞きをしたいのは、先ほど二重国籍を持つということは本人にとっても好ましくないことだという御見解を述べられたと思うのです。それはどういうことなんですかということを私は知りたいのです。二重国籍になるというのは、自分の意思ではなくて、それぞれの国の法律関係でそういう人ができ上がってくるのだと思うのです。したがいまして、二重国籍のままでいるか、どちらかの国籍選択をするかということは本人に自由にさせたらいいのであって、二重国籍のままでいることは本人にとっても好ましくないのですよということの、その辺はどういうことかということをまずお教えいただきたいのです。
  72. 池原季雄

    参考人池原季雄君) それではお答えいたします。  先ほど申し上げましたように、確かに国籍は二つ持っておりますと恩恵あるいは国からの保護という点でございますと、二つの国から同時に恩恵を受ける、保護を受けるということもあり得ますが、しかしそれによって逆に権利の享有の制限を受けるとか、あるいは義務を負担させるということがあることは、これはもう皆さん既に御承知かと思います。私はより具体的に申し上げて、私の専門に近い国際私法上の問題の解決についてこういうことがあるということを申し上げたわけでございますが、その場合でも二重国籍というものが、もしそういうような恩恵とか保護というところが主であって、義務を負担するとか権利の制約を受けるということは、これは大したことではないのだとしますと、あるいはそれがあるにしてもそれは本人がそういうような負担を与える、制約を与えるような、足かせ手かせになるような国籍は、国籍離脱の自由というところで自由な意思で捨てるようなことを保障してくれれば、それで済むじゃないかというようなことも出てくるかもしれません。  ところが、これは先ほど申し上げました私の国際私法における問題の処理の例などで申しますと、必ずしもそのような方法でうまく常に解決できるとは限らないわけであります。二つ以上の国籍を持っているために、自分をめぐる非常に重大な親族法上の問題とか、あるいは相続法上の問題とかいうようなものが必ずしも適当でない規律を受ける、要するに適当でない法律の適用を受けて規律されるというようなこともあり得るわけでございます。したがって、その場合にはやはり国籍というものの決定自身でそういうような問題を起こさないような適正な国籍を定めておくということが、これがやはり国籍の現在果たしている機能から見て必要なんじゃないか。これを個人に任じてしまうというのは、私は個人にとっても非常に難しい問題を引き起こされる、こういうおそれがあるように思うわけでございます。
  73. 柳澤錬造

    ○柳澤錬造君 次に、今度田中先生にお聞きしていくのですが、先ほど難民条約が非常に難しかったのは社会保障関係だというお説を言われましたのですが、全くそのとおりで、昭和五十六年ですか、あれを批准するとき日本の国は世界で八十九番目に批准をするということになったのです。ここで私がお聞きしたいのは、先ほど今回のこの法改正は大変整合性がとれているという御見解が述べられたのですが、そういう意味で、国籍関係だけじゃなくて、もうちょっと窓口を広げていって、難民の問題に関係をして今度の法改正というものが問題がないかどうか。その辺でもって先生のお気づきの点がありましたらお教えをいただきたいと思います。
  74. 田中宏

    参考人田中宏君) 難民条約には、ちょっと私今手元に条文を持っていませんので正確ではないかもしれませんけれども、難民が定住した国における国籍の取得すなわち帰化についてできるだけの便宜を図るようにというような趣旨の条文があったと思うのですね、国籍の取得をも含めて。  そういう点で考えますと、これは恐らくそういうものではないかと思いましたのは、今度の新しい法律五条二項で、例の帰化の申請をするときに、従来では重国籍の回避との関係で、現に有する国籍を失うことというのが帰化の申請の非常に重要な要件になっていたのですが、今度の新法では、特別な事情があるときにはその条件を備えないとぎでも法務大臣は帰化を許可することができるという趣旨の条文が追加されて、その中に「日本国民との親族関係又は境遇につき特別の事情があると認めるとき」という言い方がしてあって、後半の「境遇につき特別の事情があると認めるとき」というときには、難民が帰化をするような場合に、形式的には今のインドシナであればベトナムなりラオスなりカンボジアの国籍を持っている、外国人登録の国籍欄にはそういう表示がある、しかし従前の国籍の離脱をそれぞれの本国の官憲に求めるということは事柄の性質上難しいというようなときには、これが恐らく適用されるのではないか。したがって、従前の国籍の離脱をあらかじめ求めておくというようなことをしなくても、その条件については目をつぶって、ほかの条件が満たしてあれば帰化を許可するというような趣旨に使われるのではないかというように理解をしています。この部分は難民条約との関係で、一定配慮が図られているのではないかという気がいたします。  ただ、もう一つ不安があるとすれば、これは途中でもそういう意見を発表された方があったと思いますけれども、難民の場合には従前の国籍が形式的には残っていることになるのですけれども、いわゆる実質的にその国籍保有しているというふうにはみなせない場合が非常に多いと思うのですね。しかし、そういう場合でも日本国内でその人たち子供さんが生まれたときに、形式的にはベトナムの国籍が継承されるというような形で難民の子供がベトナム人になる。ベトナム国籍保有して日本国籍は取れない。もちろん父または母が日本人であれば日本国籍は取れますけれども、難民同士の間で生まれた子供は容易に出生と同時に国籍が取れるような、いわゆる届け出か何かをすれば帰化によらずして国籍ができるような措置をあるいはとった方がいいのじゃないかという意見もあったと思いますけれども、その点は今度の法案ではそこまではカバーがしてないように思います。
  75. 柳澤錬造

    ○柳澤錬造君 ありがとうございました。  伊東先生の方にお聞きしたいのは、先ほどお話が出ておりますように、この法改正というのは女性に対する差別撤廃条約を批准するのが一つのきっかけでということになっているのですが、先ほど先生言われました経過措置の昭和四十年一月一日以降しか適用しない、これはけしからぬじゃないかと。これは意味はわかりますし、後で法務省の方へ聞くことになりますから、それは別にして、女性の差別撤廃条約に絡んでこの法改正が行われるのですけれども、女性の立場として伊東先生がごらんになって、そういう意味ではこの法改正は合格だという合格点が与えられますかどうですか。
  76. 伊東すみ子

    参考人伊東すみ子君) 微妙な御質問だと思います。と申しますのは、現在の段階を考えれば、つまり経過措置を考えなければ平等化は達成されていると思いまして、その点では私どもは評価をしております。  ただ、そうなると、また一種イデオロギー的対立のような感じがしますけれども憲法違反であるかどうか、つまり国籍法制定時に、あるいは憲法施行のときにさかのぼって平等を実現すべきだというふうに考えますと、経過措置の点では不十分な点があるということになろうかと思いますが、私ども一つはそういう平等ということを大事に考えますけれども、もう一つはやはり社会的な問題の解決、そのための立法であると理解しておりますから、社会的な問題の解決のためにこの経過措置で大丈夫かということにも重点を置いて検討いたしたわけでございます。だから、経過措置はそのいずれの点から見ても不十分ではないか、憲法施行時にさかのぼらせるべきではないかという意見をずっと持ってきております。
  77. 中山千夏

    ○中山千夏君 きょうはどうもありがとうございます。最後ですので、もう少しおつき合いいただきたいと思います。  最初に、今の話のちょっと続きをお伺いしようかと思うのですが、二十年という区切りですね。 これは割と便宜的といいますか、区切らないと仕方がないので、何でもこれから改正していったときに憲法違反かどうかという問題が出てきたら、憲法発布のときにさかのぼったら大変だから、一応区切らなければならないから二十年にしたというのだとすごく理解しやすいのですけれども、いろいろ当時は憲法違反じゃなかったからというような理屈になってきますと、何かこの期間というのは余り合理的でもないような気がするのですね。その辺は本当のところはどうなんですか。区切らなければしようがないからというので区切ったというふうな感じがあるようなんですけれども、お三方の感想なり意見なりで結構ですから、ちょっとお聞かせください。
  78. 池原季雄

    参考人池原季雄君) それでは、今の点についてお答えいたしますと、二十年という点だけについて私なりの考えを申し上げますと、これはさっきもちょっと申し上げましたように、日本法律から言いますと二十歳、成年でございます。ですから、未成年者の場合の扱いと成年者の場合の扱いは、その国籍決定につきましても差異を考えるということは、これは必ずしも不当ではないと思うのでございます。  ただ国籍法は、御承知のように大体十五歳になれば国籍法上の行為能力を与えられているようでございますけれども、しかし制度として国籍決定するということになりますと、二十歳未満の未成年の状態の国籍の変更と、それから二十歳以上の国籍の変更の場合とでは、及ぼす本人に対するあるいは社会的効果も大きいわけでございます。そういうような場合には、日本法律制度一般の問題としましても、成年者になっておればもう一人前の人間の国籍の変更の問題に、すなわち帰化に準じた扱いで処理するというのが、これがやはりさっきも申し上げましたように、制度全体、国籍法全体の中での最も整合のとれた処理じゃないかというような気もするわけでございます。
  79. 田中宏

    参考人田中宏君) 二十歳に切った趣旨は、具体的に法案が準備されたところでお考えになったことで、必ずしも私は直接それに携わっていませんのでよくわかりませんけれども、いろいろな従来の経緯から考えて、今池原先生がおっしゃられたように、やっぱり成年か未成年かというのが一つの基準にはなっているだろうと思います。  ただ、私は、憲法との関係もこれありで、もしこういうやり方をするのであれば、少なくとも日本住所を有する者についてはさらにさかのぼるというような方法で、やはり沖縄の問題については国の政策なり、ある意味ではさっき申し上げたように無国籍になる場合には、特別に母の日本国籍を取得させるというような中間的な救済措置もとらずにずっと放置して、婦人差別撤廃条約まで手がつけられなかったという過去を考えても、二十年でもし切るのであれば、少なくとも住所要件はつけても、それ以前のケースについても救済をするというような、やはり具体的に従来その国籍法のために苦しんできた人たちの存在をきちっと受けとめる法改正、その程度の人間の存在を尊重するという姿勢というのは最低欲しいというように思いますので、もし二十歳ということで基準をつけるのであれば、これはその後は日本住所を有する者についてはさらにさかのぼって国籍の取得の道を開く。  池原先生がおっしゃった個人意思との関係では、一応形式は届け出ということになりますので、本人が欲しいか欲しくないかにかかわらず日本国籍を強制的につけるということにはなりませんので、やはり日本国籍が欲しいと思う人はその届け出をすればいいわけですから、もうすでに私は外国人として生きる形でやってきたので今さらと思われる人は別に届け出をしなければ経過措置の影響は受けないで済むわけですから、私は最低その程度の救済策は、沖縄現実考えても簡易帰化でやればいいというのは何か非常に従来の国籍法の欠陥を放置してきた責任についての感じ方の度合いにやや私は危惧するというのか、もう少し生身の人間のことを考えてほしいという気がいたします。
  80. 伊東すみ子

    参考人伊東すみ子君) 今の田中先生のお話で同感するところが多いわけでございます。やはり日本国籍法現行法のようであったということは、もう個人にとってはどうにもならない前提でございますから、生活が貧しければ、もう日本国籍はとれないものと思って、また母親が再婚してそれに伴って外国帰化したというケースもありましょうし、子供を養子に出すということもありましたでしょうと思います。それはやはり広い意味では日本の戦後の社会がそういう状態を生み出してきたわけですので、私は一つ憲法違反論を認めなくても、憲法違反かどうかを問わなくても、立法政策としてなるべく救済しようという発想もあっていいのじゃないかと思っているわけでございます。そうしますと、一番さかのぼれるのは憲法施行のとき、進駐軍が来ましたのはそれよりもっと前でございますけれども、それはまだ旧憲法当時だからやむを得ないとしましても、憲法施行当時まではさかのぼろうと思えば憲法違反論は別としてもさかのぼれるわけではないか。救済は広く、そして今度重国籍を整理する立法ができたわけでございますから、それにゆだねればそれでいいのじゃないでしょうかという感じがします。  なお、田中先生おっしゃいました成年に達している者は日本住所を持つことを条件にして認めたらどうかと。これは私どもの内部でもそういう少数意見が強力に主張されておりましたのでちょっと申し添えます。
  81. 中山千夏

    ○中山千夏君 初めの方の田中さんのお話の中で、重国籍者の不純を感じるというようなお言葉があったのですが、この委員会、おとといでしたか、この前の委員会のときにも重国籍者権利、立場というようなことが問題になったのですね。そのときにたしか法制局のお答えだったと思うのですけれども、重国籍者というのは特別な立場に立つものであって、合理的な理由があれば国民と異なる取り扱いをすることが憲法にも許されているというお話があったわけです。これは私なんかがわかりやすく考えると合理的な理由があれば差別をしてもよい相手であるということだと思うのですね。  今度法律改正で重国籍者がふえるということなんですが、その重国籍になった方たちも、今までの御議論を聞くと自分がなりたくてなったわけじゃないという場合がほとんどであって、国の都合でなるわけですね。そういう方たちが重なっているとはいえ日本国籍をちゃんと持っている。にもかかわらず差別されてしまうというのはどうも納得できない気が私はするのです。この合理的な理由があればというところが非常にかぎだろうと思うのですが、この法制局のような考え方に対するまずお考えと、それからもし合理的に理由があればそうされても仕方がなかろうというお考であれば、合理的な理由というのはどういうものであるだろうか、その辺が私よくわからないので、考えられるところを教えていただきたいのです。これも池原さんから順にお答えいただければと思います。
  82. 池原季雄

    参考人池原季雄君) それではお答え申し上げます。  それほど具体的に御理解いただけますように中山委員の御質問にお答えできるかどうかわかりませんが、私は、一般論としては今おっしゃいましたような合理的な理由というものがあれば、場合によれば権利の享有についてある程度配慮が行われてということはこれはやむを得ないかと思います。それでそういうこともあり得るかと思います。例えば日本現行法制で申しますと、これ私の間違いでなければ、外交官には日本国籍を持っていなければなれませんけれども、しかしその場合、消極的要件としまして外国国籍をあわせ持っているときにはこれはなれないのじゃないかと存じます。それはしかしそうあっても、これは外交官というものが果たす役割、機能からしてやむを得ないのじゃないかと思います。外国国籍をあわせ持っているような人は、やはりその人が持っているもう一つの国に駐在して活動する、あるいはその国との関係での問題を処理するようなときには、これはどうしても支障を生ずるということはあり得ると思います。  それからまた実際それほどシリアスな問題ではないかもしれませんが、実際私ども学生のとき、あるいは若い研究者としておりました時代、問題になったのでございますが、外国国籍を持っている者がある権利を得るための要件になることもあるわけです。例えばそれは国際交流のために奨学金を与えるというような場合ですね。例えばフルブライトの制度がございましたが、あのときのフルブライトの奨学金の受給資格は、これは日本国籍を持っていたら日本との関係ではいいのですが、アメリカ国籍を持っていたらだめなんですね。ですから、その場合重国籍者はだめでございます。そういうような場合に、その制度の趣旨から言いますと、これはやはり自国国籍を持っている者について、たとえ外国に居住していましても、そして外国国籍を持っておりましても、これを外国人向けの留学生の資金をこれに与えるのがいいかどうか、これやはり政策的考慮でこれはだめだということもあり得るかと思います。したがって個々具体的な場合で必ずしもどういう場合どうだということが言えるかどうか、これはつぶさにはお答えできませんけれども、私はそういうこともあるのじゃないかということでございます。
  83. 田中宏

    参考人田中宏君) 今度の国籍法改正で、私が日本の社会として考えていかなければいけないのじゃないかと思っておりますのは、国籍の機能というものをかなり絶対的なものというのか、あるいは国籍があるかないかで非常にいろいろな扱い方を異にするということが余りにも日本の社会には多過ぎたと。今でも国民体育大会というのが、意外なわけですけれども外国人は参加できない体育大会という意味なんですね。例外的に一昨年ですか、琵琶湖国体から高校生だけは参加を認めると。しかしスポーツの祭典にそんなに国籍にこだわるというのは実に奇妙な社会だと私は思うのですけれども、そういう点で、国籍があるとないということでどういうように考えていくのかというのはこれから日本社会に課せられた課題で、今出された合理的な理由に該当するかどうかということは、もっと本格的に日本の社会では議論をすべきだと思うのですね。  ひとつ、こういう立法府の席ですので、ぜひお考えいただきたいと思うのは、そういう重要な制限はすべて法律でやっていただきたい。例えば国民体育大会に外国人が出られないというのは法律には書いてないのですね。ところが実際にそういうことが行われているわけです。ですから、国民の代表である国会で、法律の名において制限するものはきちっとしてもらいたい。逆にそうでないものははっきり内外人平等にするという形で、私は立法府にも非常に重要な責任があるということをかねがね思っていますので、今出された問題については、国籍があるということが、ある具体的な権利なり義務に関して本来それが正当であるかどうかということを逐一検討するということを私はぜひ社会として考えていかなければいけない。  一つ思いつくことで申し上げると、重国籍者が参政権を持つことがどうかというようなことも当然念頭に上がってくるわけですけれども、参政権については外国籍の人が参政権を持つことはどうかという議論がもう既に国際社会では始まっているわけで、幾つかの国では地方自治体の参政権については外国人に認めるという制度をとっている国さえあるわけですね。それで、今度報道されるところによると、日本でも在外国民に参政権を保障するという法改正がなされるやに聞いていますけれども、報道ではその内容は国政レベルに限るということにどうもなりそうですね。そういうふうに考えてみると、同じ日本国民でも、国外にいる場合には地方レベルの参政権の行使は認めない、しかし国政レベルについては認める、こういう事態が起こりつつあるわけですね。  そうすると、それをそのまま裏返しで説明をしようと思えば、国内に住んでいる外国人も国政レベルについては参政権を認めない、しかし住民ではあるので自治体レベルについては参政権を認めるということは論理的に出てくる可能性があるわけですね。議会でそのことが議論されるときに、どういうふうに議論されるか私は大変関心を持っているのですけれども、そういうふうに国籍というものを非常にかたいもので、それがあるかないかで右左に真っ二つに分けるという関係ではなくて、もっと国籍そのものを機能的に考えていく。したがって重国籍者の問題についても、このことは重国籍者はどうだろうかということを考えるという方向でいかないと、重国籍者国民と違うという議論ではなくて、むしろ私は、今では外国人も二重国籍者日本国民も、その三者を通じて共有すべきものは共有する、そして違うものは違うと。  最後にもう一度申し上げたいと思いますけれども、あらゆる制限は必ず法律の名においてやっていただきたい。そういう点で日本におけるそういう取り扱いというのは、非常に行政の窓口なり、あるいは莫然とした認識で、例えば公務員には外国人はなれないというようなことを何となく当たり前のことのように考えている。国家公務員法にも地方公務員法にもそういう制限条項は全くないのですね。そういう点で法治主義をきちっと貫徹していただきたいということを特にその重国籍の問題を考える場合なんかには強調をしておきたいと思います。
  84. 伊東すみ子

    参考人伊東すみ子君) 先ほども申しましたけれども日本人はやはり重国籍ということについて非常になれてないと申しますか、どういうものであるかまだよくわかってないという現状ではないかと思います。私自身も余り具体的なイメージがわいてこないので、今の田中先生のようなお話を伺うと、ああそうかと思うような状態でございます。やはり合理性の有無というのは男女平等でもしょっちゅうぶつかりますけれども、具体的な場面で、それで理由が合理性を持つかどうか、ジャスティファイするかどうか、こういうことですので、やっぱり具体的状況を抜きにして一概に理由にするというのは困ると思います。  私なんかいつも莫然と感じていますのは、どうも日本では国家と社会が余りにもくっつき過ぎているのじゃなかろうか、社会と言いながら国家考えているということが多過ぎるのではないだろうか、国家国家国民国民ですけれども、やはりその前に我々この土地に住んでいる者が一緒の社会を構成して一緒に住んでいるのだという、そういう段階からまず考えて、それから権利義務を構成するようにしなくてはいけないと思っていることが多うございますので、これはお答えになるかどうかわかりませんけれども、苦し紛れのお答えでございます。
  85. 中山千夏

    ○中山千夏君 ありがとうございました。
  86. 大川清幸

    委員長大川清幸君) 以上で参考人に対する質疑は終わりました。  参考人方々には長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきましてまことにありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時六分散会      —————・—————