○中山千夏君 かたい確信をお持ちだということだけがよくわかりました。結局、私は冷静に考えさしていただくと、少なくとも死刑をなくしてみてどうだったかとか、それは細かいことを言えば、そのときどきで状況は違うし、それから前の十年と今の十年とでは世の中が違うということはおっしゃるとおりだと思うんです。だけれども、例えば少なくとも同じ
アメリカの州の中で、なくしているところと存置しているところを比べたりという、抑止力がないと言っている人たちの方には、気がするというだけではない、少しは研究をした結果というもの、それから実際にさっきの私が挙げた文書の中にも書いてありましたけれども、自分たち死刑をなくした国が身をもって体験したように、それは
犯罪の抑止ということと死刑とは
関係がないんだというようなことを体験的に言っているそういうヨーロッパ
会議などというものもあるわけですね。それに比べますと、そういうふうに確信している、ただただ確信しているというだけでもって
犯罪の抑止効果を存置の理由としてお挙げになるのは不適当だというふうに私は思うんです。それで、むしろ
犯罪の抑止効果は不確実だということ、科学的なデータも何もありませんと、ただ我々は確信しておるんですということならおっしゃっていいと思うんですよ。だけれども、そうじゃなくて、あたかも
犯罪の抑止効果が非常に確として証明されたもののように、少なくとも法律をつくっていくときなんかに
犯罪の抑止力というのを挙げる理由の一つとしては、
犯罪の抑止力というのはとてもあいまいで不適当だと私
自身は見ていて思います。
それと、もう一つ、抑止効果というのは挙げない方がいいと思うもう一つの理由は、これはもうよく御存じなことで言うまでもないかもしれませんけれども、国際
人権規約というのを
日本人も締結国になっていますね。その中の市民的及び
政治的
権利に関する国際規約というものの第六条の中に、「死刑を廃止していない国においては、死刑は、
犯罪が行われた時に効力を有しており、かつ、この規約の規定及び集団殺害
犯罪の防止及び処罰に関する条約の規定に抵触しない法律により、最も重大な
犯罪についてのみ科することができる。この刑罰は、権限のある
裁判所が言い渡した確定
判決によってのみ執行することができる。」と、こういうふうに書いてあるわけです。これは二項です。それからその次に、その六項にとても重要なことが書いてあって「この条のいかなる規定も、この規約の締結国により、死刑の廃止を遅らせ、または妨げるために援用されてはならない。」と書いてあるんですね。そして、この今話しました規約の第六条という部分をどう解釈するかということで、
人権委員会が一九八二年にその解釈を採択した中に「この条項はまた、一般に死刑廃止が望ましいことを強く示唆する。」というふうに言っているわけなんです。だから、こうやって死刑やってもいいですよという話ではなくて、死刑は廃止が望ましい、望ましいけれども、いろいろ国の事情もあるだろうからという条項なんだろうと私は思います。
それからもう一つには、さっきのワルトハイム国連事務
総長の
声明のワーキングペーパー、さっきもちょっとお話しましたが、その中にこれは縛るといいますか、
義務づけるというような力はないとは思いますけれども、「人々に、死刑の
犯罪抑止効果が不確実であることを啓蒙することは……政府、学界、マス・メディアその他の公共
団体の重要な責務と思われる。」というふうにあるわけです。それからもう一つは、一九七七年十二月八日の死刑に関する国連総会決議というのがあります。この中にも「死刑廃止が望ましいという観点に立って、死刑の適用される
犯罪の数を制限してゆくことにあることを、再確認する。」という一文があります。
つまりこれらは死刑廃止に向かっていった方がいいんだという世界的な流れをはっきりあらわしていることだと思うんですね。その中で国連の事務
総長のお話にもありましたけれども、抑止力が不確実であるということを啓蒙するどころか、抑止力があるのだってみんなに言っていたら、じゃ、死刑がなくなったらもっともっと治安が乱れたら大変だというので、死刑がなくならない方がいいという
意見がふえるのはこれ当然のことでして、それで、ふえたところで、いや、
国民は死刑を望んでいるから存続させるのだと言っているのではちょっと本末転倒だと思うわけなんですよ。この国連
人権規約の締結国としても死刑廃止に向けての啓蒙活動をこそするべきだと私は思うんですよ。それなのにその逆のことしかしていらっしゃらないように私には見えます。それどうお考えになりますか。