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1984-08-03 第101回国会 参議院 内閣委員会 第21号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十九年八月三日(金曜日)    午後一時三分開会     —————————————    委員異動  八月二日     辞任         補欠選任      伏見 康治君     峯山 昭範君  八月三日     辞任         補欠選任      小西 博行君     藤井 恒男君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         高平 公友君     理 事                 亀長 友義君                 坂野 重信君                 小野  明君                 太田 淳夫君     委 員                 板垣  正君                 岡田  広君                 源田  実君                 沢田 一精君                 林  寛子君                 林  ゆう君                 桧垣徳太郎君                 堀江 正夫君                 穐山  篤君                 菅野 久光君                 峯山 昭範君                 橋本  敦君                 藤井 恒男君                 前島英三郎君    政府委員        文部大臣官房総        務審議官内閣        審議官      齊藤 尚夫君    事務局側        常任委員会専門        員        林  利雄君    参考人        法政大学法学部        教授       永井 憲一君        お茶の水女子大        学文教育学部教        授        河野 重男君        早稲田大学文学        部教授      大槻  健君        筑波大学教育学        系教授      鈴木 博雄君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○臨時教育審議会設置法案内閣提出、衆議院送  付) ○国民教育審議会設置法案久保亘君外二名発議  )     —————————————
  2. 高平公友

    委員長高平公友君) ただいまから内閣委員会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  昨二日、伏見康治君が、また本日、小西博行君が委員辞任され、その補欠として峯山昭範君及び藤井恒男君がそれぞれ選任されました。     —————————————
  3. 高平公友

    委員長高平公友君) 臨時教育審議会設置法案及び国民教育審議会設置法案の両案を一括議題といたします。  本日は、両案について参考人から御意見を拝聴いたします。  御出席いただいております参考人は、法政大学法学部教授永井憲一君、お茶の水女子大学文教育学部教授河野重男君、早稲田大学文学部教授大槻健君、筑波大学教育学系教授鈴木博雄君、以上四名の方々でございます。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙中のところ、本委員会に御出席いただきましてありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。  それでは、議事の進め方について申し上げます。まず、各参考人十分程度ずつ御意見をお述べいただき、その後各委員質疑にお答えを願いたいと存じます。  なお、恐縮ですが、時間が限られておりますので、簡潔にお答えくださるようお願い申し上げます。  それでは、まず永井参考人お願いをいたします。
  4. 永井憲一

    参考人永井憲一君) 三つの柱で御意見を申し上げさせていただきます。  最初に、私自身申し上げます参考意見基本的な考え方についてです。  教育改革は、今や国民の声として、それぞれから教育のあるべき姿についての意見がたくさん出されております。非行、落ちこぼれ、受験戦争教育費家庭負担増、教科書問題、学校塾の問題等さまざまな解決されるべき問題が山積されておりますので、私は教育改革方向について国民的な世論がたくさん出されてくることを願っている者の一人です。  理念的に申しましても、教育改革の問題は、今日の日本における民主主義社会あり方の問題としても大変重要視しなければならない問題であろうと考えております。日本は、明治維新以来ずっと、政治が常に教育というものを政治目的実現するための手段として活用してきました。その結果につきましては、さまざま日本の中に問題を生じておりますし、そうした日本教育あり方について、ほかの国からもいろいろな評価がさまざまであることは周知のとおりであります。本来、近代民主主義国家権力の分立というようなものを確立する過程は、国家権力の乱用をいかに制度的に考え直していくかというところにあったと思いますけれども、現代民主主義や自由を求めることが全人類的な要望である今日において、政権交代というものを前提とする国において、国民の間で現代民主主義というものをどんなふうにして確定していくかということについては大変重要な問題でありまして、常に政治権力教育というものを支配していいということにはならないのではないかということが私の基本的な考え方であります。  第二に、今日出されております臨時教育審議会設置法案——政府案と呼ばせていただきますけれども、もう一つ国民教育審議会設置法案——社会党案と呼ばせていただきますけれども、この両法案について、簡単に問題点と私自身意見を申し上げます。  まず、政府案につきましてです。第一条を見ますと、教育基本法精神にのっとって、教育基本法に規定されている教育目的の達成というものを考えていくためであると書かれておりますけれども、そのような目的に沿って教育改革実現しようとするならば、なぜに同じ法律の中に書かれている第十条の理念というものについて、これだけ国民の間にさまざまな意見の対立があるにもかかわらず、政府教育改革を進めるということをお考えになるのかということについて、問題点とそれから疑問を申し上げたいと思います。  法案の中には、若干修正されたようではありますけれども、委員任命及び審議会公開等について国会の同意というような形はとっておられる ようでありますけれども、この審議会公開ということについて規定がないわけでありますし、衆議院等質疑をされていた会議録等を読ましていただきますと、どうもこの審議会が余り国民の前に開かれた議論になっていない。本来教育国民のために行われるものであるわけでありまして、国民に開かれていない審議会あり方ということは一番大きな問題とすべき点ではないだろうかと私は思うわけであります。その点、社会党案を見ましても委員任命文部大臣中央教育審議会にかわって国民教育審議会というものを設置するんだという御意見でありますけれども、そしてその委員には議院の同意、そして文部大臣任命ということがありますけれども、やはり同じように公開制ということについて必ずしも十分であるとは思えませんのでして、こういう形で教育改革が進められるということが大変問題になるのではないか、日本の将来の民主主義にとって悔いることになるのではないかということを懸念いたすわけであります。もっと、常に一応政権交代前提とする一つの政党が一定の目的教育をし、国民をその教育目的に合わさせるという形で、いわば政治の手段化していくというようなことがいつまでも続くような形で、本当の民主主義自由主義というものの社会が到来するのかということを、本当に謙虚に人類史的にお考え直しいただければというふうに思う次第です。もっと関係の学界、学術会議等々のいろいろな国民の参加あるいは国民同意というものを得つつ、時間をかけた教育改革を、二十一世紀に向けた日本をどうするかということに考えあわせてつくられていくことが望まれる次第です。もっと教育によって地域を変え、地域によって教育をつくっていくというような、そういう努力を積年いたしていかれることを望む次第です。  三番目に、教育改革を進められるという、いわば政治を実務とされておられる方々お願いをしておきたいことでありますが、最近さまざまな形で財界、いろいろなところから教育改革論が出されております。一長一短、私自身感ずるところもありますし、中には共鳴できるところもございます。けれども、一番大切な部分は、これまで人間の長い間の歴史がつくってきた、たとえ貧しい者であっても教育を受けて人間として自立して生きていける、そうした人間の自立の保証というものを公費によって賄っていくということの重要さというものはぜひ貫いていっていただきたい。今日の情勢に流されて、どこの家庭にも若干の経済的余裕ができたから教育を受けることは受益者負担にしてよろしいのだというような安易な考え方でお考えになるのではなくて、常に国の施策としては根本的に公費によって、公教育費というものをきちんとした形で確保することによって、教育を受け一人一人が自立していける道というものを保つような教育改革方向に推進をしていただきたいというふうに思うわけです。そして教育改革には、何といっても今日大学大衆化に伴う日本学術研究のレベルの確保と、大学の入試をめぐってのさまざまな問題がその根底に最も強くあるのではないかと思いますので、ただいたずらに制度というものをいじれば教育改革ができるのではない。一番最も重要なところは何であるかということを、国民合意ということをもう少し求める形でお考えいただきながら、教育改革ということについて推進されることを提唱されていっていただきたいというふうに思う次第であります。  ちょうど十分になりましたので、一応私自身基本的な考え方を申し述べさせていただきました。
  5. 高平公友

    委員長高平公友君) ありがとうございました。  引き続いて、河野参考人お願いを申し上げます。
  6. 河野重男

    参考人河野重男君) それでは私の意見を述べさせていただきます。  最初に、今回の臨時教育審議会設置、これは非常に意義のあることだと思い、賛成であります。この観点から、臨時教育審議会に対する私なりに期待していること、あるいはお願いを申し述べさしていただきます。  第一には、やはり教育改革理念を明確にしていただきたいことでございます。つまり何のための教育改革かという視点の問題になろうかと思います。さまざまな論議が行われている中で、大方の意見として共通しておりますのは、二十一世紀に生きていく国民育成ということとして挙げられようと思いますが、例えば昨年の十一月に出されました第十三期の中央教育審議会のいわゆる審議経過報告では、これから重視すべき方向、あるいは視点として、御承知のように自己教育力育成基礎基本をさらに徹底していくという視点、それから個性創造性、とりわけ個性の伸長、そして国際社会に生きていく日本人ということを考えた場合の文化と伝統という四つの点を、これから重視すべき視点として打ち出しておりました。  私は中でもこの自己教育力を持った子供育成していくという視点が大事だろうと思います。つまり二十一世紀に主体的に変化に対応できる人間として育成していかなければならないという視点に立ちますと、いつでもこれは学習していくんだという旺盛な学習意欲と、それに取り組んだら最後までやり遂げるという意思の力、気力を持った子供でなければならないでしょうし、あるいは生涯教育社会になっていくと思われます。その中で、学習の仕方についての基礎をきちんと身につけていること、こうしたことが大事になろうと思いますし、第三にやはり自己が高まるということだけではなくて、自己を高めることと他を高めるということと結び合わせていくような、そういう学習取り組みをしていく人間、こうしたことが要請されると思いますので、これは生き方をじっくりと探求していく人間ということになろうかと思いますが、この三つを包み込んだ意味として私なりには自己教育力という言葉をとらえているわけですが、いずれにしましても国民の各層を代表する臨時教育審議会改革指導理念を明確にしていただきたい。そして、そうした改革理念について国民的な合意が得られ、明確になるといたしますと、それが現実にあすから教育実践に取り組もうとしている先生方教師たち取り組みにも反映していくことでしょうし、親たち子供をとらえる目というものも変わっていくようになることと思われます。  そういう意味で、第一にまず改革のいわば理念というようなことについて十分に検討していただきたいと思うわけです。  それから二番目に改革課題についてでございますが、これは恐らく審議会で包括的に論議されて明確にされていくことになると思いますけれども、私なりには短期的、中期的、長期的というふうな課題の仕分けをしていただくことが大事ではないだろうか。例えば高校、大学の入試問題のあり方検討、あるいは過大学級とか四十人学級といったような短期的に解決していかなければならない課題もあると思いますし、教育内容をどうしていくのか、あるいは教員養成の問題、さらにはもっともっと学校制度——高等学校とか中学校制度多様化を進めようというようなことは中期的な取り組みにかかわることかと思いますし、より長期的には学校制度の全体的な再編成というふうなことも考えられようかと思います。審議経過報告でも、例えば中期的な課題としまして、特に今の学校段階のそれぞれの接続にかかわるところを問題点として指摘しているようでございます。例えば幼稚園と小学校学年つながりのところに問題、それから特に中学校高等学校つながり接続にかかわること、さらに高等学校大学の特に一般教育とのかかわりといったようなことを検討すべき視点として打ち出しておりましたし、その中で小学校の特に低学年教科構成をどうするかとか、あるいは中学校高等学校教育内容の面での一貫性をどのように図っていったらいいか、そして現行の制度のもとで個性化とか多様化とか弾力化、そういったことをもっともっと推し進めていく必要があるのではないか、こういうことが検討課題になっていたようでございま す。  一方、学校教育制度の全般にわたる問題という、これは長期的な課題ということになると思いますが、この問題になりますと、一体就学の時期をどのように考えていくのかといった問題、さらには義務教育というとらえ方をどう考えていくのか、それから学校設置主体が国公私立とか、あるいは都道府県立市町村立というふうに設置主体が違うというような問題、それから教育内容と教科書をどのように性格づけていくか、とりわけ施設、設備といった問題がどのような関連になってくるのか、とりわけある改革実現しようとする場合に、それを負担すべき教育行財政システム負担能力がどうなっているのか、そういうものを全体として結び合わせでとらえる、つまり改めて申し上げるまでもなく学校教育制度が全体として一つシステムを構成しているものですから、ある部分だけ合理的に改革してみた場合に必ずしもそれが全体的な合理性ということにつながらない。場合によっては、画一化を避けようと思ってやった改革が、別の画一化を生んでしまうというようなことも出てこよう、こういうわけで、もう少し全体のシステムについて部分を構成する一つ一つ検討して改革考えていこうというふうなことが長期的な取り組みということになろうかと思います。  そういう中で多様化弾力化ということ、あるいは都道府県による工夫というようなことを十分に組み込みながら、長期的に改革課題考えていくという方向だったと思います。とりわけ長期的な課題ということになりますと、幼児教育幼一元化の問題も含めました幼児教育のところ、それから特に高等学校後の教育段階になりますと大学、短大、専修学校、さらには放送大学、そして各省庁の持っている教育機関、あるいはかなり高度化されております社会教育機関、こういうものの全体的な相互の有機的な関連ということも考えながら、高等教育をどのように位置づけていくか、あるいはその中に大学をどのように位置づけていくか、こういうふうな全体的な観点が必要になりましょうし、あるいはリカレントエデュケーションと言われていますように、一度社会に出てまだ大学大学院に戻ってくるというふうなシステム考えなければならないと思うのですが、いずれにしても個々になりますと各省庁の枠を超えた問題になろうと思うんです。  さらに言いますと、教育改革の問題は一面では社会改革の問題であるということもできようと思うんです。いわゆる学歴社会の弊害を是正しようとすれば、今後企業における採用あるいは昇進といったような慣行も改善しなければならないでしょうし、よく言われる能力人物評価の物差しについても変えていかなければならないということになろうと思うんですが、こうしたことが文部省の枠を超えた政府の全体を挙げての取り組みが必要ですし、何よりも大事なことは、そうした取り組みについて国民的な合意が得られるということかと思います。したがって、臨教審への私のお願いということにもなりますが、課題をやはり羅列的に取り上げて論ずるということでなくて、全体的にとらえて何が優先課題なのかということを明確にしていくことだと思います。そして、行財政的な負担ということも考えて、実現可能性のある複数の代替案というようなものを出していただいて、それについて国民的な合意を問うというような方向考えられるのではないかというふうに考えます。  最後に、教育改革は、現実父母教師子供教育に対する構えと取り組みが変わるということでもあると思うんです。現在、各地でそうした改善に向けて父母それからそれぞれの学校における取り組みは、いろいろ問題を抱えている学校もございますが、各地でかなり意欲的に取り組みを始められているようにも思います。そういう点からぜひ臨時教育審議会審議父母を勇気づける、とりわけ毎日実践に当たっている意欲的な教師を勇気づけ、あるいはともに歩むというような方向臨教審での検討が行われることを念願したいわけでございます。  以上のような趣旨で、今回の臨時教育審議会設置については意義が大きいと思って賛成でございます。  以上でございます。
  7. 高平公友

    委員長高平公友君) ありがとうございました。  次に、大槻参考人お願いいたします。
  8. 大槻健

    参考人大槻健君) 大槻でございます。  私は、教育改革政府の手で進められるということについて基本的に疑問を持っております。必ずしも賛成ではございません。しかし、現段階において国民の多くが何らかの意味教育改革すべきではないかということを考え、あるいは感じているという、そういう状況の中で私たち教育改革のことを今後考えていかなければならないとするならば、どういう点を大事にしていくべきなのかという、こういう点から意見を申し上げてみたいと思います。  第一は、本法案の中にも盛られているように、教育基本法精神にのっとって、その教育基本法目的実現するための改革を行うんだと述べられております。この点は大変大事なことだと思うのですが、それではこの教育改革に当たってのっとるべき教育基本法理念というのは何であるかということが考えられなければなりません。私の考えに従えば、それは教育基本法理念というのは、第一には教育機会均等実現を図るということにございました。詳しい説明は時間がございませんのでいたしかねますけれども、教育基本法理念を私たちが解釈する場合には、歴史的な考察といいましょうか、戦前日本教育がどうであったのかということとの関連の中で考えられなければなりません。そう考えたときに、教育機会均等実現を図るということは、戦前のいわゆる複線型の学校制度に対して、すべての国民に平等に開かれた単一の学校制度として六・三・三・四制が施行されたというところに大きな意義を見出すことができるわけでございます。  それから第二には、教育基本法の第一条に、平和と民主主義、真理と正義、勤労と責任を重んずる国民育成を目指す云々という言葉が見えます。このように、教育基本法はいわば近代的な国民世界に向かって開かれた国民育成を図るというところに大きな理念意義がございました。戦前は、御承知のように、例えば昭和十六年から始まりました国民学校制度に見られますように、その教育目的皇国民の錬成というところに置かれていたわけでございます。こういう非常に限定されたある特殊な目的教育が奉仕すべきではなくて、世界に向かって開かれた、日本のこれからの平和と民主主義を担う国民というものをどう育成していくかというところにその意味が置かれているわけでございます。そういう意味では、教育基本法の第八条で「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、これを尊重しなければならない」ということも大変な重い意味を持ってくると言わざるを得ません。  それから第三には、教育基本法国民教育を受ける権利、あるいは別の言葉で言えば教育における国民主権とでも言ったらいいでしょうか、そういう理念を明らかにしております。申し上げるまでもなく、戦前日本国家が、あるいは日本教育がすべて国家権力によって支配され、あるいは取り仕切られていたという過去の現実に立つときに、国民自身こそが教育における主人公で、国民意思国民要求によって教育は運営されるべきであるということを明らかにしたということは歴史的にも大変重要なことであるというぐあいに考えられます。したがって、教育基本法の第十条に言っておりますように、不当な支配に服することなく、国民全体に対して直接に責任を負う教育というのはいかにあるべきかというのを問うのが教育基本法意味であるというぐあいに私は考えます。  こういうように、大ざっぱに申し上げて教育基本法理念三つにまとめることができるわけでございますが、私はそのように教育基本法精神 を本当に実現していくという、そういう方向で今後の教育改革考えられなければならないだろうということが第一点でございます。  それから第二に、教育改革を推し進めるに当たって考えなければならないことは、既に申し上げた教育基本法理念の中に含まれていることでございますけれども、何といっても国民教育要求国民教育意思というものを尊重して、その上に立脚して改革というものを考えていかなければならないということでございます。しかし、国民教育要求ということは大変複雑で漠然とした内容を持っておりまして、大変その意味がつかみにくいわけでございます。しかし、科学的に、歴史的に国民教育によってどういう状況に置かれてきたのかということを考えながら、国民教育要求の本質はどこにあるのかということを今後私たちは明らかにしていかなければいけないだろうと思っております。  その点で、私の現段階での考え方参考までに申し上げてみたいと思うんですが、国民教育要求というのは次のような性格を持っているというぐあいに思っております。  第一は、国民教育要求はあくまで生活要求との関連で出てくるものであるという点であります。御承知のように、現在国民教育要求といえば、多く学歴要求となってあらわれております。しかし、この国民学歴要求に固執するということも、その背後には自分たち生活を、言いかえれば子供たちの未来に向かっての生活を何とか一人前にしてやりたい、幸せにしてやりたいという、そういう生活の願いと深く結びついてあらわれ出るものだと言わなければなりません。  それから第二に、そういう意味では、国民教育要求というのは矛盾した側面をたくさん持っております。いわゆる建前と本音というようなものを含みながら国民要求というものが顕在化してくるものでございます。この矛盾は大変ややこしくて複雑な関係を持っておりますけれども、私たちはこの複雑で矛盾した要求をやっぱりどう本音の方へ引き寄せていくかという観点国民要求というものをとらえてみる必要があろうかと思います。  第三には、国民教育要求は多くの場合、具体的に教育条件の整備と、それからすぐれた教師実践への期待という形をとってあらわれております。時間がないので項目だけ申し上げてみたいと思います。  それから第四に、先ほど申し上げたように、国民は一人一人は矛盾した要求を内包しているわけでございますけれども、それにもかかわらず、集団の中で討議を踏まえて国民要求というのはお互いにその質を高め合うという性質を持っているのではないかと思います。これは今までのたくさんの経験がそれを立証しているというぐあいに言えようかと思います。  以上、こういう国民要求の本質に則して教育改革というものはじっくりと腰を据えて取りかかるべき性質のものであるというぐあいに第二には考えたわけでございます。  第三に申し上げてみたいことは、何といっても今日の教育改革の必要を国民の多くが感じ始めているということの背後には、俗に言われる教育荒廃の現実があるという問題でございます。したがって、私たちはこの教育荒廃の現実をどう国民課題として克服をしていくかという、そういう問題を考えなければ、教育改革だけがひとり歩きをしてしまうということになろうかと思います。教育荒廃と一口に申し上げましても、その原因は極めて多様でございます。あるいはその様相も多様でございます。特にその原因を考える場合に、非常に多様な原因が折り重なって今日の荒廃現象をつくっているにもかかわらず、それを一義的に戦後教育の行き過ぎであるといったような、こういう解釈で一方的に断ち切ってしまうということは、これは教育荒廃を真に克服する道につながらないのではないかというぐあいに思います。  それから第二に、教育荒廃の中で俗に低学力とか落ちこぼれとか言われているような問題がございます。こういう問題については、何よりも私たちは十分に豊かな教育条件を整備し、例えば学級定員を減らすことだとか、過大学校を減らすことだとか、なくすることだとかといったような、そういう教育条件を何よりも先にやり遂げていくこと、そして第二には教師が自由に個性的な実践を伸び伸びとやれるような、そういう教育の自由を保障していくということが今日求められているのではないかと思われます。  第三に、教育荒廃の中の一つの現象としてある非行の問題がございます。この非行に走っていく場合、青少年が非行ないしあるいは暴力等に走っていく場合の多くは、あすに希望の持てない、その場限りの享楽や感情に負けているというケースが多いわけでございます。したがいまして、基本的にはこの問題は、現代に生きる大人である、国民である私たち自身があすの日本に向かってどういう展望を持つのか、希望を持つのかということがひどく欠けているのではないだろうか、そのために、この後に続く子供や青年たちに向かっても、あすに向かっての希望をしっかりとした形で持たせることができないでいるという、そういう現代大人の社会がつくり出している状況の反映だというぐあいに考えることができるわけであります。このように、私たち教育荒廃の背後にある社会的、文化的な条件の克服を目指して、これに国民全体が力を合わせて取り組んでいくということが必要なわけで、これを安易に管理主義的なやり方や、あるいは心がけ、心構えを説く道徳主義的なお説教で済ませるという、そういうことで教育荒廃を真に克服することはできないのではないかと私は考えるわけでございます。  こういう取り組みを通して教育改革というものが推し進められるべきであるだろうというのが私の考えでございます。  以上でございます。
  9. 高平公友

    委員長高平公友君) ありがとうございました。  では最後に、鈴木参考人お願いを申し上げます。
  10. 鈴木博雄

    参考人鈴木博雄君) 最初に、本委員会参考人として出席をいたしまして意見を述べさせていただく機会をいただきましたことを、私は心から感謝申し上げます。  私自身は、大学を卒業しまして以来、日本教育の歴史をずっと勉強してまいりました。それから大学教師としては、横浜国立大学で十年、東京教育大学で十年、そして今筑波大学で約十年を過ごしております。その関大学の紛争の問題に横浜国立大学と東京教育大学の中でかかわってまいりました。それから筑波大学では、筑波大学の創設にかかわってまいりました。それから四年前から筑波大学の附属小学校の校長として初等教育にも少し関係を持っております。  以上のような経歴の中から、私今度の臨時教育審議会というものに対して心から賛成をいたしまして、できるだけ早く実質的に審議をしていただきたい、こういうような気持ちを持っております。  その理由は、こういうことでございます。  第一に、今日の教育の荒廃とか混乱とかというものを見ておりますと、これはもう戦後つくり上げてきた日本学校制度の中での教育システムだけでなしに、日本社会全体の教育システムが既に混乱をしておる、整合性を失っておる、こういうふうに私は考えるわけであります。そういう意味で、学校の中での教育システムの混乱であれば、これは中央教育審議会、文部省の管轄の中での細かい議論をしていただくことが大変大事だと思うんですけれども、教育を支えておる社会的条件そのものが、実は教育を破壊するようないろいろな阻害的な要因を出してきている、こういう状況考えますと、やはりこれは国政全般にわたって日本教育日本人の教育をどう考えるか、こういう立場から真剣に議論をしていただきたい、こういうふうに思いますので、そういう意味でやはり臨時教育審議会検討をしていただくことが一番望ましいんではなかろうかと思うわけであり ます。  そういう意味で特にお願い申し上げたいのは、今まで明治以来百十数年、また戦後三十数年の教育についての考え方教育についての制度、そういうようなものに余りとらわれないで、そういうもの自身基本的に考え直す、そういうような立場から少し時間をかけて、これからの二十一世紀国民教育というのはどうあるべきか、そういう形で基本的なところを検討していただく。昔から、新しい酒は新しい革袋に盛れということがございますが、どうも最近の教育改革の議論は、またいろいろな努力というのを見てますと、やはり古い革袋の中で何とか無理をしてその中へ押し込めよう、こういうような努力をしているわけでありますが、それがなかなかに実らない、こういうふうに思います。  小学校中学校高等学校大学、それぞれの教育の現場におる先生方はそれなりに今日の教育問題点については本当に努力をしております。中には本当に驚くような、日夜涙ぐましい努力をしておるわけです。にもかかわらず、そういう努力をしてみても、実は今の教育の混乱の根本的な原因が解決されない限りはやはり一時的な改善にしかすぎない、そういうことを考えますと、やはりどうしても臨時教育審議会では、基本的な問題についてじっくり考えていただきたいと思うわけであります。これが第一点であります。  それから第二番目には、今までは教育の現場が混乱しておるものですから、どうしても現実に対する対応ということが中心になりますけれども、しかしもっと大事なことは急速にやってきております日本社会の変化、特に高齢化社会であるとか、情報化社会であるとか、国際化の社会であるとか、こういうものがもう目の先に迫ってきておるわけでありますが、そういうものに対応する教育システムというのはほとんど考えられていない、そういうことがいろいろなこれから先の日本人の形成というものを考えた場合に大変に心配でございます。そういう意味では今の教育の混乱を救うということと同時に、もう一つは二十一世紀日本のあるべき姿というものを想定して、それに対応する教育あり方というものを考えていただきたい、そういうことが第二点でございます。  そういうようなことになりますと、特に日ごろ感じておりますのは、やはり国の政策に教育的な観点から見ても一つの整合性がなければいけないと思います。どうもその点がこういう役所の縦割りということに原因もあるかもしれませんけれども、政府全体、国の施策全体としてもっと教育的に整合性のある、そういう施策を展開をしていただきたい。そのためにはやはり臨時教育審議会のような一段高い立場から全体の日本人の形成について考えていただくことが望ましいのではないか、こういうふうに思うわけであります。  最後に、臨時教育審議会に対して私の希望でございますが、とにかく教育のことというのは、教育を研究している学者や、教育のことを扱っている役人だけで教育のことを考えてもらっては恐らく大きな過ちを犯すだろうと思います。一番大事なことは教育実践している教師にやはり意見を聞いていただきたい、また実践をしておる体験というものを十分酌んでいただきたい、そういう意味でできるだけ多くの機会をつくって教育実践している先生方意見なり、体験なりをどうか知る機会をつくっていただきたいということであります。  そういう中に実は本には書いてないような、日本が百年の間に脈々として続けてきた教育の英知といいますか、私は日本教師というのは明治以来随分一生懸命努力をしてきて大変すばらしい教育の知恵を蓄積してきておると思うのですけれども、そういうようなものをぜひとも教育審議会審議の中で、百年以来の日本教師が蓄積してきた知恵をどうか酌み取っていただきたい、そういうふうに思うわけであります。同時に、教育の現場のことをいろいろ知っていただきますと、教育というものはそんなに簡単にきれいに割り切れるものではない。具体内に言えば一人一人の子供をどうするかということが一番大事な問題なのでありまして、ある子供に当てはまることがある子供には当てはまらない、そういうことが本当の教育現実でございますので、大きな国の法律をつくったり、制度をつくったりする場合に、そういうような教育の難しさということも、実際に現場に当たっておる教師の体験を知っていただくことで、そういうことにも理解がいただけるのじゃないか、そういうふうに思いますので、そういうことを希望として申し添えたいと思います。  以上です。
  11. 高平公友

    委員長高平公友君) ありがとうございました。  以上で参考人方々からの御意見の聴取は終わりました。  これより質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  12. 小野明

    ○小野明君 四万の御意見をお聞きをいたしますと、教育改革の各論においてはそう開きがないように私はお聞きをいたしました。ただ一番原則的なところで意見が分かれているように思われるわけでございます。  そこで私は永井参考人にお尋ねをいたします。  ほかの参考人の御意見にもございましたが、戦前教育に対する反省が必要である、私はその点については政治教育を支配してはいけない、これを再び繰り返さしてはいけないという立場を持っておるわけでございます。そこが四万の賛否が分かれている一番根本のところではないだろうか、こう思うわけであります。  そこで永井先生に政府が提案をしております臨教審法案で、政治教育を支配していると思われる点をひとつお述べをいただきたいということが第一点であります。  第二点は、教育公費によって賄われるべきである、この原則を貫いてほしい、こういう御意見でございました。ところが、先ごろ発表されました行革審の答申では、教育費についてもこれは削減をすべきであるという答申がございますし、現に中曽根内閣のもとでは教育費を削減をしてまいりました。四十人学級もこれ停滞、あるいは私学助成も大幅に削ってまいったわけであります。そういうことから、今、政府の提案しているこの臨教審というのは矛盾があるんではないか。今までの国会での質疑では教育財政については触れないんです。これは全然保証をするという答弁がございません。そういうことから見ますと、この臨教審というのは大きな矛盾があるのではないか、こういうふうに考えております。この点について御意見が伺いたい。  第三点は、これはほかの参考人の皆さんからも出たように思いますが、この教育改革国民合意を得なければならぬ、あるいは国民の参加を得なければいけない、こういう御意見がございました。この国民参加あるいは国民的な合意が必要と言われる、これは私は非常に大事な点だと思いますが、この点について永井参考人のいま少し具体的な御説明がいただきたいわけでございます。  以上三点お尋ねをいたします。
  13. 永井憲一

    参考人永井憲一君) 私の考え方を申し上げます。  十分の中で舌足らずであったので御理解しにくかったかと思います。お許しいただきたいと思いますが、私が申し上げておりますのは非常に大きな観点から第一の点については申し上げているわけです。もう一度繰り返すことになりますけれども、権力の分立制というようなことが考えられて今日の政治制度ができておるのは、私は十九世紀におけるいわゆる専制的な封建社会から国民政治というものを民主政治として独立させていくための一つの大きな手段であったというふうに思っているわけであります。しかしながら、そのときに考えられておらなかったいわゆる教育あり方ということについては、その権力分立制の中における一つの国会なら国会、内閣なら内閣というような機関がすべて教育あり方というものを決定していいかどうか、新しい現代の社会において新しい問題の提起がなされている時期であろうと思 います。一つの政権が交代するということを前提としている今日の民主主義社会の中において、ある一定の年月の間ある一定の政党がその教育の方針やら制度というものをつくったら、それが交代したらまた次の政権が違った教育の方針や教育目的というものを実現するということによる、長年にわたる国家の体制というもの、国家教育あり方というものは一体どうなのかという問題は、国民のレベルで考えられなければならない現代民主主義の大きな課題だと思う。したがって私は、教育の問題が全社会的な分野にわたる問題だから、内閣や何やらがその問題を考え教育あり方考えていいというレベルの問題ではない重要な問題ではないかということを申し上げているわけです。  そういう意味で、私は、内閣臨時教育審議会をつくって、その教育あり方公開しないで教育方向を決めてしまって、それを国民に押しつけていくというような形の教育改革は、現代民主主義社会教育あり方として決して望ましい姿ではないということを申し上げたわけであります。  それと第三番目の問題とは観点がつながっていきますので申し上げます。  教育改革というのは、確かに、戦後一時期は占領軍が日本教育改革を進めていくのに、内閣教育刷新委員会等々をつくって、戦後日本教育あり方というものを決めてきました。これは戦後一時期の問題でして、戦後今日まで長年かかって今の状態がつくられている今日においては、もっと国民意思国民の参加という形による、国民の内部における、国民の求める将来の日本の姿というものに、もっと謙虚に耳を傾けていくべきだというふうに思うのです。  戦後民主主義においてもいわゆる教育あり方として教育委員会法などをつくり、地域の実情に合わせた、地域の住民の生活しやすい教育あり方というものを教育委員会という形で考え学校教育につきましても教員の身分の保証を図る教員身分法案考えたり、あるいは学校設置及び編制に関する基準の法案をつくろうというような趣旨であった戦後教育改革方向は、これは、一つは、教育の地方自治と言われる、教育はできるだけその人たちが住んでいるその地域生活のしやすい方向で、住民の育成というものを地域の実情に合わせて進めていくべきだということが一つ理念であったと思いますし、教育あり方は、そうした政治の道具としていろいろな政争の具として利用されるということのないように、子供一人一人に対して、責任を持って子供一人一人が将来の社会において自立して生活していけるように、教師と親が一人一人の子供と日常接しながら、その子供個性を伸ばしていく、そういう方向教育あり方というものが考えられてきたと思うわけです。  そういう中で、今回なお、教育は荒廃していると言われながらも、その荒廃を克服して、日本教育あり方子供教育あり方というものはどういう方向をとるべきか、さまざまな地域においてさまざまな人たちが努力をしているさなかであります。それによって非行の問題等についても多く解決をし、その非行の問題の解決に当たっていった親たち自身がその問題の克服を通していろいろと教育あり方社会あり方ということを学んでいったわけであります。そうした学んでいったものから得られたとうとさというものがこれからの新しい民主主義社会というものをつくっていくという上においてとても大切にされるべきところなんだということにもっと真剣に思いをいたすべきだということを申し上げているわけであります。それが国民合意による、国民の参加による教育改革方向というものでありまして、そういうことを私ども研究者として考えておりますと、今日、国民の間に教育あり方についてのさまざまな意見があるから、それを広い見地から文部省なり内閣政治の問題として解決していくということに先走ることについて慎みを持っていただきたいということを私自身申し上げているわけであります。  本来、教育というものは、戦後における教育制度あり方として考えられておりましたのは、いわば欧州型の、ヨーロッパ型の学校区制行政があるいはアメリカ型の教育委員会制度ということの選択で、日本では行政区を単位とした教育委員会制度をとってきたわけでありますけれども、それはアメリカ的ないわゆる教育費教育税というようなことを前提として教育予算というものを考えていた面があったように思います。しかし、それが日本では実現せず一般予算の中に教育費というものを抱え込んで教育費あり方というものを考えるようになってきております。その教育費は一般予算の伸び、あるいはそのほか政府がしようとしている防衛予算の伸び等々に比べて、大変な少ない伸びでしかないことを考えてみますと、そしてまたその上に今日における行政改革教育臨調というような形で教育費の予算というものを伸ばさない方向でということが出てきますと、あわせて今日言われております学校の自由設置というようないろいろな改革論なんかとあわせて考えてみますと、公教育費負担というものを削減する方向で、安上がりの教育改革というものを実現していってしまうということになりはせぬかということを非常に懸念するわけです。本来、国の財産というものは、いろんな財産というもののあり方がありましょうけれども、教育というものが大変な財産であるということを見失ってほしくない。殊に、二十一世紀においていろんなことが要請される経済構造の変化などに見合って、そこに置かれてくる国民あり方というものを見てみますと、率直に言って今日のような状態というものが維持できるということを私はかなり懸念をするわけでありまして、経済的に貧しい者が続々と出てくるという危険性を感じます。  そういうことが当然に予想されるということであるとするならば、今後進められるべき教育改革方向としては、制度的な改革ということも内容的な改革ということも考えられる上で、あわせて同時に非常に重要視しなければならぬのは、公費による国民のだれもが学べる機会というものを失わさせてはならない。公費による公教育というものの保障というものが非常に重要だということを申し上げているのが質問を受けました第二の点であります。もし、そのような方向を見誤るということになりますと、私は大変な社会的な破綻さえ来さないとは限らないということを懸念いたしますので、私は参考人としては法案に関してのみ申し上げればいいと思いつつも、懸念される点をあわせて申し述べだということが公教育費にかかる問題であったわけでございます。
  14. 小野明

    ○小野明君 先生、国民合意の問題ですね、あるいは国民参加の問題で、この問題で政府が出している臨教審法案、そしてまた私どもが対案として出しております国教審法案、これとの対比でもう少し詳しくお述べいただけませんか。
  15. 永井憲一

    参考人永井憲一君) 失礼しました。  これまでに申し上げておりますように、私、できるだけ政治教育方向づけを行うということには慎重であってほしい、慎み深くあってほしいということを申し上げました。その論理からでございます。今度の法案を見ますと、そのいずれの法案にも国民の声を聞くということの、いわゆる審議会公開性ということに焦点をしぼって申し上げてもよろしいかと思いますけれども、この公開性というものを国民の声を聞くというような姿勢のものが法案の中に用意されてない、審議会はどうも修正されたところを見ますと、委員任命について国会の同意というようなことになるようでございますけれども、国会の同意を受けた非常勤職員には現在の法律ですと守秘義務がつくようになるのではないかと思います。委員になった者が国会の同意を得ると守秘義務を持つ、どういうことの発言をしたかということについて個人的にも言えない、会議の様子というものも全く公開されないということでは、国民が一体どういう方向教育改革をしていくのかということについても知らされない。一定の議会、議事が進んで一定の 結論が出たときに会議録が出されればそれでいいというものではないのであって、教育改革というものをどういうふうに進めるかということの審議そのものについて国民が非常に注目しておる。  本来国民意思に基づいて行われるべきであるとする教育改革方向について、それを国民意思ということの手続を経ないで、国会で一定の教育改革方向づけるとするならば、少なくともそこの中には国民意思が反映するというような仕組みというものを手続的に保障しておかなければならないというふうに思うのですけれどもその保障がない。審議会自身委員がそれを話すこともできない。僕は考えておりまして審議会の中の議事録を読んでおりますと、審議会の中でその審議にかかわる委員の自由な発言ができなくなるから公開としないのだというようなことを言っておられる大臣もおられるようですけれども、とんでもないことだ。国民意思を聞くということの姿勢こそが大事なんで、委員が自由に発言ができないというようなことでは困る。  もし仮に審議会ができるとするならば、その委員は自分の言っていることが国民の前に照らしてどういうことを言っているんだということの批判にさらされるということを堂々とやってのけられるような審議会の構成であっていただきたい。もし審議会が構成されるのであるとするならばという前提ですけれども、そういうことで私は今度の審議会が非常に閉鎖的である、政治としてまたそれを行っていくとすると、この教育あり方というものが政争の具とされるということの愚かさを、また日本は今後続けていかなければならなくなるということに対して、本来の民主主義あり方の論理から考えて非常に懸念をするということを申し上げたわけでございます。
  16. 小野明

    ○小野明君 そこで、非常に今回の臨教審というのは、中曽根総理に言わせますと、従来文部省がやってきた中教審というのは戦後教育をちょこちょこちょこちょこ手直しするだけで、これではだめなんだ、もっと内閣直属でスケールの大きい教育改革をやるんだ、こういったところが中曽根総理の発想のもとにあるようでございます。そこで中曽根総理は今回の教育費削減という行革審の答申も尊重する。そうするとこれはもう教育費を削減されつつあるわけですね。だから安上がりで金をかけないで非常にスケールの大きい教育改革というのは一体何なのか。かつてこの国会の初めに中曽根総理は教育基本法というのは、これは私の解釈でよろしいと、こういうことまで断言をしておるわけですね。教育基本法は私が解釈する。ですから私はこの教育基本法精神にのっとりと、ここに書かれておりましても、なかなかそうかと信用する気になれないのですね。非常に金をかけない安上がりでスケールの大きい教育改革ということになりますと、教育基本法を変える素地をつくったり、あるいは憲法を変える素地をつくったり、そういう国民の、そういったところで合意の地ならしをつくっていくのではないか、こういう見方を私は持っているわけであります。教育基本法にのっとりとは書いてありますけれども、なかなか信用する気になれない。  そこで永井先生にずばりお尋ねいたしますが、今回の政府の提案されておる臨教審方式による教育改革の真のねらいは一体どこにあるんだと、先生の本音をひとつお聞かせいただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
  17. 永井憲一

    参考人永井憲一君) 本音と聞かれまして、何か皆さんの前で本音をさらすことを拒むこともためらいますから、率直に申し上げます。  中曽根さんは私の同じ中学の先輩でありまして、何か聞くところによりますと遠縁に当たるんだそうでございますが、どうも私自身若いときにはお目にかかったことがあるんですけれども、しばらくごぶさたしておりまして、今考えておられることがどんなことか、直接会って話を聞いたわけではありませんので、推測することを私の本音として申し上げるというのもちょっと失礼かと思いますが、私が客観的な存在である一人として見ます場合に、三つあるのじゃないかというふうに思います。  一つは、国民教育が今のままであっていいというふうにはだれも思わない、そういう国民の世論が出てくれば、それを政治として国民の期待にこたえるような形で何かやりたいということなんだろうと思います。言葉をかえて言えば、一つの人気取りであるというふうにも思われます。そういうところに思いをいたすということをそれ自身悪いというふうには私は思っておりません。  第二に申し上げたいのは、やはり一応政治のキャップに立って、二十一世紀を展望するときにいろいろと考えられておられるんだろうと思います。財界の人たちなんかが日本の経済構造、社会構造がこのままでいいのか、もう物をつくって売る時代というものは過ぎたのではないか、不確実性の時代というふうには言いながら非常に確実なのは、もう生産輸出の時代じゃなくて技術輸出の時代に変わってくる、そういう二十一世紀日本に向けて、これから育ってくる子供たちをどうするかということについては真剣に取り組まざるを得ないというようなおつもりなのであろうというふうに思います。そのために、いわば個性の尊重ということを重点に掲げた、それが教育基本法を守るという姿勢に出てきたというふうにも思えます。  第三点として、本来日本の戦後の教育は、ある一定の時期からという表現にさせていただきますけれども、積極的に文部大臣に政党人を登用するようになって以来、教育国家統制を厳しく始めました。そして過日の新聞にも出ておりますように、とりわけあの池田・ロバートソン会談のときに、憲法を改正する方向で今日の政府である自由民主党は積極的な努力をするということを約束した。その憲法の改正ということは、直接的な憲法の改正というよりは、事実上憲法の改正を国民合意が得られる形で、いわば自衛隊の存在というものを肯定していくという方向に変えていく、こういうことに努力して了解を得たというようなことが新聞報道等にも報道されております。  今日なお国会議員の数の上からいって、憲法の規定にのっとった憲法の明文改正ができないということは客観的にも明らかであります。そうであるとするならば、今日進んできておりますような、その後の日本とアメリカとの安全保障体制の維持の仕方について、かなり変わった方向が事実上とられてくるようになりました。環太平洋の合同演習なんかでもそうでありますし、いわばシーレーン防衛というようなことが問題にされてくるようになりましたし、日本の国の他からの攻撃に備える防衛という域を越えて、積極的にアジアの平和と安全を保障するという集団安全保障の方向に進めるとすれば、私は当然に政治の問題としても憲法改正の問題というものが云々されてくるようになるであろうというふうに思います。  もしそれを、実現不可能だということの見通しの上で一定の政治目標を立てるとするならば、あの池田・ロバートソン会談に次いで、憲法の改正をしなくても集団安全保障体制に向けて、ちょうど二十一世紀を迎える時期に国民が集団安全保障体制をも肯定するような、いわば国民合意づくりを教育を通じて行うというそのための教育改革だと、教育臨調だというようなことまでもし考えられるとするならば、私はそんなことも考えられているのではないかという予測さえ立つわけでありますが、そうであるとするならば大変なことだということを個人的には考えております。  以上です。
  18. 小野明

    ○小野明君 河野参考人にお尋ねをいたしたいと思います。  先生の御主張には私も賛同できる部分が多いわけです。教育改革社会改革につながるものである、つながらなければならない、こう述べられました。同時に、教育改革にはしっかりした改革理念が必要なんだ、その理念というものが残念ながら国会審議の中では与えられていない。普通審議会設置する場合には、改革課題あるいは理念というものが示されるわけですけれども、今回の場合は審議会自体にお任せすると文部大臣は言 いますが、中曽根総理は任せたような任せてないような、御承知のように教育改革七つの構想とか、あるいは文教懇の報告とか、そういうものらしきものは出ておるわけでございます。  さらに重要でありますのは、先生も国民合意が必要だとおっしゃいました。この点は永井先生と同様であったと思います。  今の臨教審法案は御承知のように非公開である。そして、会長は総理指名になっておりますね。これは教育基本法十条に違反するのではないかという疑いを私は持っておるわけです。こういう審議会で、先生のおっしゃるような国民合意が得られるのかどうか、甚だ私はこの法案の性格から見て、構成から見て疑問とせざるを得ないのです。そういった点で、あえて先生が賛成とおっしゃられるところが私はどうも疑問としておるところですが、御意見を伺いたいと思います。
  19. 河野重男

    参考人河野重男君) 私はこう考えます。  国会で十分に審議されて臨時教育審議会設置。されるわけですが、その過程で何らかの意味改革理念につながるようなことはかなりあるいは十分に論議されたであろうということを前提にいたします、はっきりした形で出されているかどうかは別といたしまして。そういう国会での論議の過程を十分に経ながら設置された臨時教育審議会は、これもそう確信したいわけですが、国民の各層の意見を代表し得るような方で構成されて、したがって国会同意が必要だというふうな仕組みになっていると思うんですね。そういうところでこれまでのさまざまな形で国会審議で出された御意見とか、それからほかにさまざまな形で出されている改革についての考え方あるいは改革案、こういうものが議題にされ、それからかなりフリーな形での議論を経て、どういうことからまず手をつけていくのかというようなことが論点になって審議会で論じていかれるだろうというふうに思うんです。ですから、私は、やはりこれはそういう国会で審議されて設置された審議会でさまざまな形で国民的な合意をいかにして得るのかということについての検討、その審議会の運営そのものについての検討が十分になされて、そのルールに従って審議会が運用されていくと思いますので、そのことはむしろ願いでもあり期待でもあるという形でそうなるであろうということを確信したいわけです。少し楽観的過ぎるかもしれません。  しかし、非公開というふうになっているとしても、確かに公開制ということについて、その場その場の会議を全部公開するということについては、そういうことは絶対にあっちゃならぬと言われるかもしれませんが、かなり心理的な負担とかそういうことはございますし、自由な論議が行われにくいということはやはりある程度あるように思うんです。しかし、そうだとしても、その審議の結果をその後に何らかの形で外に向けて発表していくというふうな形もとれるでしょうし、あるいはその節目節目、その都度都度では要点あるいはかなり詳しい要点を世に問うて、そしていろんな面からの御意見を伺うというようなことも審議会の運用の、あるいは運営の一つの工夫としていろんなことが考えられるのじゃないか、あるいは公聴会あるいは世論調査あるいはその他さまざまの方法は、いかにして国民各層の意見を反映するかということについては工夫をすればできることだろうと思いますので、その辺を設置される審議会自身の運用の仕方というところで十分に検討していただく、そういうやり方でいわゆる公開制の問題にも対応できていけるのではないかというふうに思います。
  20. 小野明

    ○小野明君 重ねてお尋ねいたしますが、会長を総理が指名することになっておりますね。それと基本法十条とのかかわりはどのようにお考えでしょうか。
  21. 河野重男

    参考人河野重男君) 私は、それに違反するかどうかということについては法の専門家ではありませんので、そういうふうなことについてはっきりとしたことは申し上げられませんが、先ほど申しましたように、国会で十分に審議されて、それで総理の指名によるということになれば、必ずしもそう考えることもないのじゃないかというふうに思います。したがってあとはそういう国民的な合意を得るということが大前提だということで確認されているならば、それに基づいて設置された臨教審がどのような運用をしていかれるか、その大前提をどのような形で実現していかれるか、そこにかかってくるだろうというふうに思います。
  22. 小野明

    ○小野明君 終わります。
  23. 太田淳夫

    ○太田淳夫君 それでは、主に鈴木参考人にお尋ねしたいと思うんですが、鈴木参考人賛成という立場でいろいろと御意見をお述べになりました。私ども今回この臨教審法案につきましては賛成ということになっておりますが、それにはいろいろの原案の修正を行ったわけですね。そしてやはり一番心配しますことは、政治権力教育に介入をする、教育の中立性というものが失われてしまってはいけないということは、私どもの一番心配することでございますので、このたびのこの法案につきましては、人選をされました委員の国会承認の件とか、あるいは答申を国会に報告をするとかいうことで修正をしまして、一応賛成という立場でまいりました。  そこで、今公開のことがいろいろと問題になったわけでございますが、先生はこの公開につきましてどのようにお考えになっていらっしゃるのか。私ども中でもいろんな議論がございましたけれども、一応答申を出す場合に、反対意見等もありましたら、経緯をいろいろと付して報告をすべきじゃないかというような点にしておるのでございますが、その点どのようにお考えになりましょうか。
  24. 鈴木博雄

    参考人鈴木博雄君) 教育の問題でございますので、しかも先ほどからの御議論のように、国民的な合意を得なければ本当の意味でこれは成功しないと思いますので、そういう意味ではできることなら公開制ということが望ましいと思います。しかしながら、中にはやっぱり先ほどの参考人の御意見のように、公開できないようないろんな条件があったり、いろいろなことがあって恐らく非公開ということになったのだろうと思いますが、私はやはり基本的には公開ということが望ましいと思いますので、できることなら運用によって十分公開の趣旨が生かされるような運用の仕方をぜひ期待したいと思います。  その意味公開でなければもう絶対反対というのは、私はむしろこの臨時教育審議会そのものの重要性から考えて少し大人げないのじゃないか、むしろ公開するように努力してくれと私は強い要望したい、こういう気持ちです。
  25. 太田淳夫

    ○太田淳夫君 そこで、先ほども教育基本法の第一条の問題が出たんでございますが、この教育基本法には先ほども大槻参考人の方からもお答えありましたが、人格の完成あるいは平和と真理あるいは正義、個人の価値、勤労、責任の重視、こういった徳目というか、教育目的がうたわれているわけでございますが、昭和三十一年にも臨時教育制度審議会設置しようという動きがございました。しかし、それはできなかったわけでございますが、そのときにもいろいろと論議がされてきたわけですが、そのときの臨時教育審議会目的というのは、愛国心とか親孝行というものがこれは教育基本法第一条で教えられないということになっているので、これを含めて改正を検討しようじゃないかというような動きがあったわけですが、そのときの政府の答弁は第一条ではそれはできないんだということでございましたが、最近の予算委員会等見ますと、中曽根総理の考え方の中にはそれがだんだんとあらわれてきております。第一条の中でもできるのだということで、そういう多少の解釈の変化があらわれているような感じがするんですが、その点についてはどのようにお考えになっていらっしゃるんでしょうか。どうでしょうか。教育者の立場でちょっとお話いただけないでしょうか。
  26. 鈴木博雄

    参考人鈴木博雄君) 今までの国会の経緯については、私はよく承知いたしませんので、解釈がどういうふうに変わってきたということについては、ちょっとコメントいたしかねますけれども、 教育基本法そのものは、私は、日本国憲法と内容的に非常に深い関係を有するし、しかも教育基本法精神そのものは、これこそもう世界に恥ずかしくない立派な精神を持っておる。今日までそれは日本教育を支えてきた大事な精神だと思います。そして、親孝行だって、それはもう世界共通の原則でありまして、当然教育基本法と矛盾するなんていうことは到底考えておりませんし、ただ表現の仕方が、両親に対する深い愛情を持つというふうに言うか、親孝行というような儒教的な表現で言うかということでありまして、これは教育基本法でも親孝行でも、どちらにしても大事なことは当たり前なんでありまして、当然私は、教育基本法の中に親孝行のそういう考え方も入っているものだと、そういうふうに思います。  ただ、一言つけ加えて申しますと、余りにその教育基本法というものが万国に通ずる立派な基本的な精神をうたったものでありまして、やはり日本の国の具体的な教育目標というものが少しないと、やや抽象的な部分があるかと思うんです。その部分を改正するかどうかというのは、私の考えでは、改正するよりもあれはあれで立派なものだから置いておいて、あの精神に基づいてなお具体的な教育目標を、その下部のいわば法律といいますか、法規といいますか、憲章といいますか、そういうような形で、もう少し今の小、中、高の先生方日本子供たちにとって必要な目標をもう少し具体的にやった方がいいのじゃないか、そういうふうに考えております。
  27. 太田淳夫

    ○太田淳夫君 先生は先ほど、今日の教育の荒廃そのものは、社会全体の、学校制度のみでなくて社会全体の教育システムの荒廃という中に巻き込まれているのだということでいろいろとおっしゃっていただきました。それで、時間をかけて二十一世紀への教育問題も論議すべきだということでお話しになったわけですけれども、私どももその点については賛成でございまして、その点でどこから手をつけていくのか、今回も臨教審でもいろんな今まで具体的な内容についてはなかったんですが、きのうなんか同僚の前島委員の質問に答えて、多少文部省としては諮問内容の具体的な方向性については明らかにしたようですが、その中にもそういった問題は含まれておるわけでございますが、私どもの今までの社会が一番河口というか、下流と申しますと、その河口、下流がいろいろと荒廃をしている現状に合わして、中流、上流もいろいろと考えて、改良していかなければならないのじゃないかということで今も考え、そして提案もしてまいりましたが、これ非常になかなか難しい点があろうかと思うんです。  そこで私たちは、その学校制度改革につきましては、まず大学から改革に手をつけながら、それを高校、中学、小学校、あるいは幼稚園と、こういう教育の改善あるいは改革に結びつけていきたいということでやってきましたんですが、それは一つの長い国民の生涯学習の一環として、この六・三・三・四制の制度の位置づけとしていこうじゃないかということで提案もしてまいりました。  ここで、三十年間以上たった学校制度の現状でございますが、先生としてはどのようにやはり改革の端緒をつけたらいいとお考えになっているかお聞きしたいと思うんですが、私どもが今までやってまいりましたのは、一つ大学につきましては、四十三年に初めて特定学校間の単位互換性を提言してきましたし、あるいは四十七年に大学設置基準の改正によって、それは一応道が開けてきたわけですけども、あるいは大学における少人数授業ですか、そういうものを提言して、いわゆる放送大学が開講されるような運びになってまいりました。あるいは高校につきましては、必修科目の精選を今まで提唱してきましてですね、五十三年から学習指導要綱の改正をされてきたということもございました。ここで、大学入学試験のあり方ということが、やはりこれ問題になってくると思うんですが、そこのところについて、私どもなんか考えているところもありますけれども、先生はどのようにお考えになっていらっしゃるかお聞きしたいと思うんです。
  28. 鈴木博雄

    参考人鈴木博雄君) 教育改革の問題というのは、すべてが関連をしておりますので、一つだけ取り出して改革をしてもなかなか効果が上がらないと思いますけれども、しかし、その中でも今緊急にどうしてもいわば教育改革のかなめの中のかなめと思いますのは、私はやはり中高一貫の問題だと思います。いわゆる中等教育を三と三に分けだということは、これは中等教育そのものの論理から言って、必ずしも私は根拠があるとは思っておりません。むしろ義務教育の延長という、そういう理念の中で戦後三・三という形に分けたのだと思いますが、とにかく高等学校に九四%以上の者が進学する段階になってまいりますと、中等教育教育課程の一貫性、また指導上の一貫性、そういうものから考えても、これは当然中等教育は一本でいきます。常識的に考えても、三年ということはどんなすばらしい教育者が頑張っても教育効果は上がらないです。中学の三年も上がらない、高校の三年も上がらない、こういうことになりがちでございますので、私は一番大事なのは国民の大部分が関心を持っておる高校入試の問題を解決をして、どうか中高を一本化する方向にやっていただく。これだけでもやれば、非行の問題にも解決のあれが出てまいりますし、まあそんなたくさんのことを実は一遍に要求できないわけでして、今一番日本教育のポイントはやはり中等教育を三・三に分けないで、何かつなげる方法はないか、そこをやっていただきたい、そういうように思っております。
  29. 橋本敦

    ○橋本敦君 私からお尋ねをさせていただきたいと思います。  最初に、大槻先生にお伺いしたいと思うのでありますが、大槻先生は教育改革というなら何としてもそれは教育基本法目的理念実現ということを抜きにしてはならないということをまずお話しになりました。その問題に関連をして、この法案では法案自体で教育改革精神にのっとり、またその実現を目指すということが書かれているわけですが、国会の実際の論議を通して、大臣答弁などを伺いますと、そう書いてあるけれども論議の中身はとらわれないで自由に論議をしてもらうのだ、ですから教育制度全般について論議をしてもらうのだということをしばしばおっしゃるんです。  しかも、人選については、教育基本法を遵守するという方ももちろんですが、反対するという方も委員任命をするということも、これはあり得るかのごとき答弁もあるんです。そういうことと、さらに加えて今日の政治情勢から考えまして、本当にこの臨教審で先生がおっしゃったような教育基本法目的理念実現に向かう方向に行くのかどうかということに、若干危倶を持たざるを得ないたくさんの人もいらっしゃる状況があると私は見ておるんですが、そこらあたりどうお考えになっていらっしゃるか。これが第一点でございます。  それから第二点は、さまざまな国民教育要求を尊重して、それに根差した方向を目指さなくちゃならぬというお話でございました。その場合の国民教育要求というのは、具体的には生活要求に裏づけられたという意味で、先生おっしゃるように、まことに切実なものがあるんです。同時に、教育自体としてゆとりのある教育、一学級の定員を減らして、落ちこぼれのない教育、具体的な教育そのものの要求も、国民教育要求にはいろいろあると思いますが、そういう複雑で、先生のお言葉を借りれば時には矛盾するかもしれないような、そういうさまざまな国民要求を、視野を広げてくみ尽くして教育改革に乗じていくというためには、具体的にどういう手法がよいと先生はお考えなのか。そこの二つの点をまずお伺いしたいと思うのであります。
  30. 大槻健

    参考人大槻健君) 今の御質問に対しての第一点でございますけれども、その教育基本法精神にのっとるというのは一体具体的にどういうことなのか、教育基本法精神というのは何を指すのかということの論議を抜きにして教育基本法の精 神にのっとり云々ということだけで済ませますと、今御指摘があったように、あるいはその辺が十分生かされない、条文のその点が生かされないままで審議が進むという危倶は十分私もあり得るだろうと思います。したがいまして、教育基本法精神とは何であるのかということ、ここが十分明らかにされて、そしてそのことの上でそれを実現していくという形で教育論議が行われるということがいわば前提にならなければいけないのじゃないだろうかというぐあいに考えております。  それから第二番目の国民教育要求について、先ほど私はその性格とも言うべき点があるのじゃないかということを羅列的に申し上げたのに対して、そういった性格を持った国民要求を、具体的にはどのようにして掘り起こしていく必要があるのか、こういう御質問だったというぐあいに解釈してよろしゅうございますか。  私は長年、ここで言う国民教育運動とでも言ったらいいでしょうか、国民教育要求に根差した国民教育運動というようなことに長年かかわってきました経験から言いますと、先ほど申し上げたように国民教育要求というのは一人一人がさまざまな思いを込めて要求を出してまいりますから、相互に突き合わせますと、それがお互いに相互矛盾を起こすというようなことが多分にあり得るわけですね。しかしそれにもかかわらず、そういう国民相互が寄り合って、そして集団的な討議をしていきますと、それが共通の一致点を見出していくということがしばしばございます。過去、例えば一九六〇年代にたくさんの国民教育運動が展開されましたけれども、そういう国民教育運動などで共通した意見というようなものがどうやってつくり出されたのかという過程を分析していきますと、今私申し上げたようなことが見られると思います。  したがいまして、今後の教育改革を推し進めるに当たって、他の参考人の皆さん方も御同様におっしゃったように、国民合意を得なければならないということであるならば、その国民合意を得られるような問題をまず提起することが大事ではないか。その点について国民の間でさまざまの意見が取り交わされ、いわゆる教育論議が至るところで行われて、そして全体としての教育世論が形成されていく、その世論形成の上に立って、じゃ具体的にどういうような教育改革を推し進めればよいのか、あるいはここではそういう点については教育改革すべきでないということになるのか、これは問題点によって違いますけれども、先にやるべきことは国民教育運動なり、あるいは国民教育世論というようなものがつくられる土台をつくるというところに第一の条件があるというぐあいに私は考えております。  以上でございます。
  31. 橋本敦

    ○橋本敦君 この臨教審が出てくるいろいろな背景もあるんでしょうが、一つには臨調行革があり、次には教育臨調だというようなことも言われたこともあったわけですが、私はこの教育改革ということを国民要求にこたえてやっていくためには、一つには条件整備も当然含まれてまいりますし、それなりに教育財政の充実ということがこれは抜きにしては考えられぬという要素を持っている、これが教育改革論議だとこう思うんです。  ところが近年の文教予算は、御存じのとおり年々国の財政予算に占める比率が下がってきておりますし、来年度の予算概算要求でも残念ながらやっぱりマイナスシーリングの方向ということは強く言われてまいりますし、去る二十五日に出てきました行革推進審議会の答申でも四十人学級等を含む問題については極力抑制という方針が依然として出てくる。こうなりますと、まさに二十一世紀を展望した国民課題としての教育改革といううたい文句はよろしいわけですが、そういった国の財政事情の中で臨調行革路線ということをずっと進めていくという一本の大きな柱がありますと、この枠というものは当然引っかかっちゃって、それ自体が本当に十分な国民的な教育論議を巻き起こしていく足かせになっていかないかということを私は心配をするわけです。  そこで、教育条件整備ということと教育改革ということと絡めて臨調行革路線ということとの関係でどう見ていくのか、この点について申しわけございませんが、各先生の御意見を端的にお伺いさしていただきたいと思います。
  32. 永井憲一

    参考人永井憲一君) 先ほど御質問を受けたときに、本音というところで申し上げたところとほぼ重複いたしますので、よろしゅうございますでしょうか。
  33. 橋本敦

    ○橋本敦君 では結構でございます。
  34. 河野重男

    参考人河野重男君) 御質問の件については、私先ほど課題を明確にするということがまず大事ではないかというふうに申し上げました。先ほど。大槻参考人のおっしゃったことと文脈は違うかもしれませんけれども、国民合意を形成するといっても、やはりどういう課題についてということが出てまいりませんとなかなかいろんな意見を反映させるということもできにくいと思いますので、そういう意味でも課題を明確にする。そして、これも先ほど申し上げましたが、やはりこの優先順位、つまり先ほども申しました全体的に一つシステムとして教育制度が成立しておりますので、どの点をどういうふうに動かせば他の部分にどういうふうにはね返っていくのかというようなことを、現実の問題としてやはり検討していかなければならない。  これはよく言われる、恐らく教育計画あるいは長期の教育計画というところの問題にやや近づいてくるかと思うんですが、この優先順位というものを決めるのは十分な審議を経て、国民的な合意を得て優先順位が決定されるわけでしょうけれども、その際にやはりこれを実現しようと思えばほかの部分にどういうふうに及んでいくか、その場合に今のような教育財政への、端的に言ったらお金のかけ方を現状のままとした場合にどういうシステム内での変動あるいは変化が起きてくるのか、あるいはそれを一%増大したという場合にどういうふうな動き方になってくるのか、そういうことを十分に検討して複数の代替案を、ある課題を優先順位として決めて、それを動かすというときに複数の代替案を、それについて国民的な合意を求めるという形で論議されていけば、ですから初めからやっぱり削減削減という方向では何もできないという考え方ではなくて、具体的にこれが課題だと、それは国民的な合意としてこの解決に向かって取り組んでいくんだと、その場合には、しかし複数の代替案をとってみたけれども、どうしてもやはりこれだけふやさなければ実現できないんだということになれば、その時点ではやっぱりそれこそ国会等で十分にお考えいただいて実現していただくということではなかろうかと、こう思います。
  35. 大槻健

    参考人大槻健君) 私最初意見のところで三番目の視点として、現在の教育荒廃の克服をどう目指していくかということが考えられなければならないだろうということを申し上げました。その際に、国民の多くがこの教育荒廃に胸を痛めながらこの荒廃を克服していく道を探し求める中で、今もう国民世論に問うまでもなく、非常に多くの国民が一致して要求をしていることがかなりはっきりしてきているわけであります。  例えば、小学校一年生の子供を四十人も五十人も一つの教室の中に詰め込んで、それで先生たちに行き届いた教育をしてくれと言っても、これは到底不可能なことだと言わなければなりません。四十人ところか、一年生ならば二十人ぐらいの小人数のクラスで運営していかなければ子供の一人一人の発達を見きわめていくことはできないだろうということはもう明らかなことであります。そういうように、あるいはまた過大学校の中でもたらされる学校内部での荒廃ぶりというような点ももう明らかな点でございます。  こういうようなわけで、国民の現在要求するところ、教育荒廃にかかわって要求しているところというのは非常に明確なので、教育改革よりも、まず何よりもそのあたりに手をつけることが先決なのではないだろうかというぐあいに考えております。そのために教育にかける予算を十分に投ず べきである。何しろ教育というのは未来を形成する仕事でございます。現在育ちつつある子供たちは、二十年なり三十年先に初めて一人前になって、そして社会なり国家を担う人たちでありますから、この子供たちがより豊かな未来を形成するためには、今私たちが大人の責任として十分な費用をかけて、そして彼らの人間性をはぐくむべきだという意味で、現在政府があらゆることに、まず財政の締めつけを先考えて、緊縮を先考えて、そこで教育考えたり、その他を考えるというのは事が逆立ちした考え方ではないかと私は考えております。  以上です。
  36. 鈴木博雄

    参考人鈴木博雄君) 御質問は、論理的に言いますと私は正しいと思います。そのとおりだと思います。ただ、私自身は、実はもう少し教育に対して厳しい見方をしておりまして、日本教育、特に戦後の教育は、投資したものに対して十分な知的生産性は上がっていないと、生産性が低いと、そういうふうに私は考えております。戦前日本、例えば森有礼という初代の文部大臣は、金があって教育がうまくできるのは当たり前だと、金がない中で効率をいかに上げるかというところが一番大事なんだということを演説の中で言っておりますけれども、戦後は逆なんですね。お金はどんどんどんどん出しまして、どこへ行っても教室は立派ですし、それから校舎も立派ですし、施設、設備は立派なものです。ところが私はそれだけの投資したものならもっともっとよくならなければいかぬ。  ただし、今ほかの参考人の言われたように、ある部分では足りない部分もたくさんあります。しかし、余っている部分も随分ある。むだな部分も随分ある。ですから、余っているところ、足りないところを基本的に洗い直していただくということが大事なので、もちろん、初めから金を余計使い過ぎたからひとつ教育のところで削ってやろうと、こういうような考え方は、これはけしからぬ考え方で、私はそういうことには絶対賛成はいたしませんが、今の教育考え方子供教育のためなら無条件に金を出していいという考え方は私は絶対に反対であります。
  37. 橋本敦

    ○橋本敦君 最後の質問ですが、永井先生の御意見もあり、また小野先生から質問もあって、審議会公開制の問題もかなり議論されたわけですが、もう一つの当委員会でも大変議論になっておりますのは、委員が秘密を守る義務、守秘義務というのを課せられまして、それにもし違反をすれば国会の同意を得てでありますが、総理が罷免をすることができる、こういう規定がありまして、教育に秘密はないじゃないかというところから、この審議会で殊さらに守秘義務を課するというのはやっぱり開かれた教育国民合意を目指すということから言いましてもふさわしくないのではないかというかなりの議論があるわけでございます。また、事実国会の同意を得て任命する審議会でも守秘義務を規定していない審議会もたくさんあるわけでありまして、そういうところで余計議論を呼んでおるわけですが、守秘義務規定についてどうお考えいただいておりますか、各先生の御意見最後に伺って私の質問を終わります。
  38. 永井憲一

    参考人永井憲一君) 教育あり方については、開かれた討論を望むという立場から申し上げますと、守秘義務ということがもし課せられるということになりました場合には、これは私はできるだけ、何といいましょうか、何と表現していいのかわかりませんが、何か軽く考えるというのでしょうか、そんなに守秘義務だからといって、何か審議会の中の議論を外に出さないという形で貝のようになってしまってもらっては困るというふうに申し上げておくことがよろしいのじゃないかというふうに思います。できるだけ開かれた形で教育あり方論については議論を重ねていかないと、実際問題として、政府でどのような方針を立てようとも、それが実現しなくなっては何ら意味がない、そういうことを申し添えます。
  39. 河野重男

    参考人河野重男君) 守秘義務の問題ですが、これはやはり教育に秘密はないということはもう。そのとおりだと思うんですが、私は、これは恐らく立法技術上の問題として出てきたことなのかなというふうに思いますし、先ほど申し上げました、なるべく国民的な合意を得るということを大前提にして考えていく審議会の運用上の問題として、開かれた審議会にしていくということを原則にして考えていけばよろしいのじゃないかと、このように思います。
  40. 大槻健

    参考人大槻健君) そもそも、今日進められようとしている教育改革は、文部省だけで進めるべきではなくて、いわば内閣が総力を挙げて取り組むべきものだという、こういうことで進められていると思うんです。事さほどにも、教育つまり未来を形成する仕事についてはやっぱり非常に大きくみんなで関心を持っていかなければいけないだろうと、もしその趣旨を解釈していけばそういうことになるだろうと思うのです。そういう点からまいりますと、私は教育において守秘義務、守秘義務という言葉は私たちの間ではそんなにふだん使わない言葉なんですけれども、そういうものが果たしてあるのか、教育に秘密を守らなければならないというようなことは本来なじまない用語ではないか、あるいは概念ではないかと思うのです。未来を形成するんですから、すべての者がやっぱり意見を自由に言える、意見を闘わせることができる、その中から共通点を見出していく、そこに教育の向かうべき未来の方向があるんだというぐあいに考えますので、もし守秘義務が課せられているということであるならば、これは断然いけないことだというぐあいに私は考えます。  以上です。
  41. 鈴木博雄

    参考人鈴木博雄君) 私はその守秘義務という意味がよく、自分は法律の専門家でありませんのでわかりませんが、公開制と守秘義務というものは、これは確かに矛盾するかもしれません。個人個人の守秘義務とそれから臨教審で問題になっていることを国民に知らせるということと、これは運用の仕方によって十分両立するのじゃないかなと、そういうふうにも考えております。
  42. 藤井恒男

    藤井恒男君 鈴木先生にお尋ねいたしますが、先生が日本教育文化研究所の発行しております「教育創造」創刊号に、「教育改革その基本課題」、これは特集で「教育改革をこう考える」ということについての御論文を発表しておられますが、私は、この先生の論文に大変感銘を受けたわけであります。  この中から二、三お尋ねいたしたいと思うんですが、時間がありませんからかいつまんだ形での質問になりますけれども、一つは、先生御指摘の我が国が直面している教育の混乱は、大きく歴史的要因と社会的要因に分けられるというふうに分析なさっておられます。同時に戦後の、とりわけ第二次大戦後の占領軍により我が国に対する新教育制度実現を迫られたという状況の中で六三制というものが施行された。このことを取り上げられまして、教育目的理念がこのことによって大変混乱して、価値を実現すべき教育がその向こうべき方向を確定することができていない、このことが二十一世紀へ向けての確たる教育の指針を持たないことであり、現状の混乱を招いている。これまでのいろいろな制度改革なども、言ってみれば二十一世紀へ向けての我が国における教育理念というものが確立していないからだというふうに論じておられると私は読ませていただきました。この点について先生、短時間で大変恐縮ですけれども、先生のお考えの二十一世紀へ向けての我が国の教育理念というものはどういうものであったらいいか、お聞かせいただければと思うんですが。
  43. 鈴木博雄

    参考人鈴木博雄君) どうもこれはその中身について申し上げると大変時間がかかると思いますが、私のそこで書きました一番の大きな意味は、敗戦直後、そして占領下という非常に国民がもう何といいますか、虚脱状態で向かうべきところがない。私自身も一体これから日本は具体的にどうなるのであろうか、そういうことも非常に心配しているようなそういうような状況で、まさに自分の行くべき道がわからないような状態のときに 六・三制が決まって、その中では日本国憲法または教育基本法のように、人類としての普遍的な方向は決まった。しかし、日本の国が一体これからどうなるのか、それにやはり日本国民育成する教育ですから、どうしても日本の国の基本的な方向というものがはっきり確信が出てこなければ、それに伴ういわば教育理念というものも非常に抽象的なものになってしまう。それが例えば講和ができたとき、ああいうときに本当ならここで占領期間を脱したんだから、ひとつ本気になって日本の国の将来を考えて、教育基本法基礎にしてもう少し具体的な教育理念考えるべきだったと思うんですけれども、それがないままに、むしろ教育理念の争いの中で三十年来ておるということが今日の教育の、今度の臨時教育審議会ですらなかなか国民合意が得られない最大の理由だと思うんです。私は実際子供のためにという観点で、具体的に今混乱している教育現実一つ一つどう直していくかという議論になりますと、かなりの部分が私は共通する部分があるだろうと思う。ですから、臨時教育審議会ではそういうような二十一世紀のいろいろな、例えば高齢化社会、情報化社会、国際化社会、もう必然的に来るわけでございます。そういうような確実に予測される社会の傾向というものを十分見通した上で、国民が共通に日本の国はこういう形でひとつ共通の目標を定め、そういう目標を達成する教育はどういうふうにあるべきか、このことを臨時教育審議会で議論をしていただきたい、こういう意味であります。
  44. 藤井恒男

    藤井恒男君 お伺いしたテーマが大きいので大変失礼いたしましたが、次に同じ論文の中で、福沢諭吉先生が明治維新の際に唱えられた、四民平等、身分の公平、貴賤というのは学問をする者としない者との相違であるということから、身分にかわる学歴による社会的選別の方式というものを発想された、このことが自来我が国をずっと動かしてきたわけでありますが、現在の民主主義社会における社会的選抜の方式を教育制度とのかかわりでいかに考えていくかという視点で、短い文章でお述べになっているので細かい点はわからないわけですが、今の明治の、身分から学歴、そして学歴から大学志向というものが進んで、大学大衆化ということになり、この学歴が学校歴というふうに変わってきている。社会的選抜のシステムが、これからの先端技術が開かれ、国民生活が漸次高揚していくというような情勢の中でどう変遷していくのか、どういう姿が望ましいのか、ちょっとこれもお触れいただきたいと思います。
  45. 鈴木博雄

    参考人鈴木博雄君) これも大変大きな問題で難しい問題ですが、一言で申しますと、封建時代においては別に競争はなかったわけです、生まれたままにそれぞれの身分に所属するわけですから。ところが、明治に入って四民平等ということになった。ところが、四民平等になったけれども、実際には貴賤の区別はあるじゃないか、一体これはどういうことだ、これは実は学問をするとしないとにあるんだというのが福沢諭吉の「学問ノススメ」でございます。この考え方はその当時においては非常な国民の共感を得て、とにかく勉強すれば自分たちはとうとい地位にまで上がることができる、言いかえれば勉強することによって社会約な自分の階層を向上させることができたわけですね。それは明治以降戦後のある時期までは、進学率がそれほど大きくならない段階においては、確かに小学校より中学校中学校より高等学校より大学と垂直的に上に上がるに従って、言いかえれば勉強することによって、実はそれが同時に自分の社会的な階層の向上にもつながっておったんですね。そういう意味では教育機会均等能力主義というものは矛盾してなかったわけなんですね。戦後はそういう形で教育機会均等というものを実現してきた。  ところが、今日のように高等学校に九四%以上、そして大学に三十数%以上も行くようになってまいりますと、上に上がることによって自分の社会的な階層を上げていくということはこれはもうほとんど不可能になってきたんですね。今まで教育の仕事の中には人材を育てるという教育指導の役割と、同時にそういうふうに上級学校へ上がる形の中での社会的選別を行っていくという二つの機能を実は教育は持っておったと思うんです。ところが、今日のような大衆化社会の中で教育が普及、大衆化してきた段階においては、それを今までの明治以来のような形で社会的選別の機能までを教育に期待すること自身が間違っているのじゃないだろうか。今日のような成熟した社会民主主義社会においては社会的選別のシステムというものは教育とは別にもう少し違った形で考えられなければならぬじゃなかろうか。例えば財界での指定校制度とか、官界での例えば上級公務員にパスすればすぐにもう特別のコースを行くとか、こういうようなやり方をやっている限りは、いつまでたってもそういうことの弊害が教育システムの方に波及をいたしまして、それが入学試験の激化ということを招いているわけですから、これから一体民主主義社会の中での社会的選別のシステムというものは、教育の中でどういう形で行われるか、もしくは教育の外で行われるのか、どちらがいいのか。こういうような問題はこれは根本の問題ですけれども、こういう問題すら実は臨教審で議論をしていかなくちゃ、本当の意味教育改革につながらないのじゃないか、こういう意味であります。
  46. 藤井恒男

    藤井恒男君 先ほど大槻先生が国民教育要求ということで、その中には家庭からの生活要求というものを見逃すことができない、したがっていある場合においてはそれは相互に矛盾するものでもあるというふうにお述べになって、私も全く同感なんです。しかし、これは解決しなければならない問題だと、同僚議員から御指摘になって、その方法論を先生の経験の中からお述べいただいたわけですが、一つの私は方法かと思うわけです。しかし、現実家庭の中から出る生活要求というものを今のような大変忙しい世の中で、しかも女性の職場進出というようなことで、子供のしつけそれ自体もままならないというような状況に置かれているときに、現実教育を求める側が隠し立てのできない生活要求というものを持っているわけなんだから、もっとこれをシステム的に取り入れる方法というものがないものかなあと。大槻先生のお話は私よく承りました。  そういう面で鈴木先生、その点先生は小学校の校長先生も兼ねておられるということですから、そういった家庭とは非常に近いと思うんですけれども、どういうふうにお考えでしょうか。
  47. 鈴木博雄

    参考人鈴木博雄君) システム的に父兄、国民の実生活に根差した教育要求をどのように取り上げるかという御質問でございますか。
  48. 藤井恒男

    藤井恒男君 そうです。どういうことができますか、実際。
  49. 鈴木博雄

    参考人鈴木博雄君) 一つは、やはりこれは民主主義社会ですから、投票行動によって教育要求までを含めて実は国会議員を選挙しているのでありましょうし、また教育というのは実質的には地方議会での決定というのが非常に大きいわけですから、地方の都会議員とか県会議員とか、そういう者を選挙する中でそういうそれぞれの教育要求というものを判断しながら選挙を通してやっているのでありましょうし、もう一つは、やはりPTAとか教員の団体とか、そういうものを通してそういうような要求が集約されて、それがまた反映されると、そういうようなことになるのかと思いますが。
  50. 藤井恒男

    藤井恒男君 大槻先生、どうでしょう。先ほどもちょっとお話はいただいておったのだけれども。
  51. 大槻健

    参考人大槻健君) 私は全般的に言えば先ほど申し上げたように、国民全体の中に問題を投げかけていって、それについてさまざまな論議を巻き起こしていって、その中から一つの共通点を見出していくという、そういう方向性がいいだろうということをやや抽象的に申し上げたんですけれども、そういうことを申し上げる背後にありますのは、例えば一つの例でございますけれども、中野区が御承知のように教育委員の準公選をやってお ります。それになりましてから、行政当局である教育委員会が非常に積極的に住民の意思を聞くような場を夜設けてみたりなんかして、非常に苦心してやっております。私傍聴に行ったことはありませんけれども、新聞等でそういうことを拝聴しております。これなどは、ひとつ行政当局が積極的にやっぱり住民の意思を聞くような場を常に設けていくということは、今おっしゃったシステム的に国民教育要求を吸い上げていくという上での一つの方法ではないだろうかと私は考えております。  以上です。
  52. 藤井恒男

    藤井恒男君 最後鈴木先生にお願いいたします。  この臨教審設置法には、「教育基本法精神にのっとり」という表現が使われているわけで、きょうの四人の先生方も皆さん教育基本法というものを大切にしなければならない、私どもも全く同感です。しかし、現実臨教審で論議を進めていく過程で、先ほども先生お述べになったように、六・三・三と、三・三という細切れの教育の中では、どんなに練達の教師であろうとも子弟の教育を全うすることはできぬ、人間形成はできぬ、こういうふうにおっしゃった。断言されたわけです。  そうだとすれば、これは教育基本法の中の例えば義務教育年限というようなものも一遍洗い直してみる。そして、今日的なあるいは二十一世紀を見詰めた状態の中でそういった制度自体を根本的に考えてみるということもあり得ると思うんです。片や、教育基本法というものが厳然とそびえているし、これは絶対だと皆さんこうおっしゃる。私は教育基本法理念にのっとっているならば、つまりそれは憲法精神だと思うんだけれども、そういった中の問題が多少動いてもそのことは相矛盾することじゃないというふうに柔軟に私は考えていいと思うんだけれども、なかなかこれは議論の分かれるところですけれども、先生はどのようにお考えでしょう。
  53. 鈴木博雄

    参考人鈴木博雄君) 御質問のとおりだと思います。私も日本国憲法及び教育基本法精神、その精神をどのようにとるかということが、いろいろ議論があるかもしれませんが、ごく常識的に考えて、それは私は時代が変わろうとも、またよそのどこの世界の国に及ぼしても決して恥ずかしくないし、間違ってないものだと思いますが、しかしそれは精神理念の問題であって、それを具体的にこう考えていく場合には、時代とともに当然変わり得るものもありましょうし、検討し直さなければならぬものもありましょうし、例えば男女共学の問題があそこの中に入っておりますが、ああいうことは特別書かなくてもう今ではごく常識になっています。あのときには非常に大事だったわけですね。だからこそ三十年の間に男女共学がこのように普及したわけでありますから、そういうふうに具体的なことになりますと再検討しなければならぬこともあるし、なおつけ加えなければならぬこともあるかもしれません。そういう意味で、不磨の大典というような考え方、一字一句それを改正しちゃいかぬというような、そういう考え方では私は今度の臨教審目的は達成されない。しかし、その基本的な精神はあくまでもしっかり守っていくということは決して間違っていないと思います。
  54. 藤井恒男

    藤井恒男君 終わります。
  55. 前島英三郎

    前島英三郎君 長時間御苦労さまです。私も二、三お伺いさしていただきますが、ほとんど各委員の皆さんが御質問いたしておりますから、重複を避けたいと思います。  いろいろ私も審議に臨んでおりまして、これは「委員は、人格識見共に優れた者のうちから、文部大臣意見を聴いて、内閣総理大臣が任命する」と。そして、それは国会、両議院の承認を得て選ぶ。二十五人ぐらいの規模でその審議委員は選ばれるのだけれども、その審議委員の会長もこれもまた審議委員二十五人が選ぶのじゃなくて総理大臣が任命をする。それから、いろいろ審議をしていくんですが、審議していく中においては「委員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後も同様とする」。もしそういうようなことをすると罷免をする。非行があってはならぬというようなことで、一体だれがこういうがんじがらめの中で委員として選ばれるのに本当に喜んで委員になるであろうかといいますと、いずれにしましても両院でそれぞれどういう方が選ばれていくのかというのは我々も知っていくわけですけれども、一体その人が生涯にわたっていろんな意味で何か口とめされているといいますか、守秘義務を課せられるという苦しさを考えると、本当に良識的な一つ教育問題がしっかりと総理のもとに審議されていくだろうかという、そういう心配もあるんですけれども、率直に四人の方にお伺いしたいんですが、文部大臣から、そしてまた総理大臣から指名を受けたときに、皆さんはこの臨教審委員に喜んで参加されるか否か。その辺をまずお伺いしたいと思います。
  56. 永井憲一

    参考人永井憲一君) 私は、臨教審が今内閣総理大臣の意思を強く持った形でつくられていく、そういう形での教育改革には私は反対だという立場におりますので、その点ではもちろん、何といいますか、委員にと言われたらお断りするということになるでしょうけれども、要するに臨教審法案そのものの中でこういう守秘義務が必要なのかどうかということの点で意見を申し上げれば、先ほどから申し上げておりますように、教育というのはできるだけ開かれた中で議論をしていかなければならない問題なんだというふうに思いますので、あえて言えばこの第五条の第六項につけ加えられた条項は私は不必要なのじゃないだろうか。それこそ、もしできるという形で臨教審が進められるのだったら、まさに運用でそういうふうな守秘義務ということを個人的な良心でやっていくということがよろしいのじゃないかしらというふうに思います。
  57. 河野重男

    参考人河野重男君) 仮定のことですからなかなか答えられませんが、私はやはり臨時教育審議会、いずれにしても日本教育をよくするという方向審議されていくことを信じて疑いませんので、内からでも外からでも積極的にかかわっていきたいというふうに思います。
  58. 大槻健

    参考人大槻健君) 私は生涯にわたって秘密を守らなければならないといったような義務が課せられるようなところで、真に国民のための教育が議せられるということはあり得ないと思いますので、そういうところには参加したくありません。
  59. 鈴木博雄

    参考人鈴木博雄君) 私は恐らくそういう御指名もないと思いますけれども、大体おしゃべりの方ですから、私もちょっとこの守秘義務については責任が持てないようなふうに思っておりますが、ただそういう小さなことで大事な、国民全体が本当に願っている臨教審審議に参加しないというのは私は残念だと思いますので、少々窮屈でも、もし御指名があれば中に入って、そしてできるだけ守秘義務のないように、国民に開かれるようなそういうような公開の仕方をするように中で頑張っていきたいと、そういうふうに思います。  それから、ついでにちょっと一言だけ言いますと、ここ私わかりませんが、本当は臨教審は総理の諮問事項だけやるのでなくて、臨教審の方から建議できるようなそういうことをぜひ私は考えていただきたい、そういうことをちょっと一つつけ加えさせていただきたいと思います。
  60. 前島英三郎

    前島英三郎君 実はなぜこういうことをお伺いしたかといいますと、ついこの間公聴会で札幌に参りまして同じことを御質問したんです。そうしますと、やっぱり賛成、反対に先生方が分かれる。きょうの参考人先生方も分かれておられますね。そうすると、反対の人はまず私は選ばれないはずである、私は反対しているから選ばれないんだと、こういう前提に立つわけです。賛成の方は、もし選ばれればという、そういうことがあるんですが、そうしてみますと、何も国会へかけることもないような気がしますね。何かそこへ守秘義務を持たなくても、全く総理がお気に入りの、文部大臣のお気に入りの人がずっと集まっちゃうと、 それはもう単に国会では賛成、反対だけの結果で終わってしまって、何もそこには守秘義務も要らないし、それこそAと言えばAと答えるメンバーが結果的には何かずっと集まってしまうような部分をもふっと感ずるんですね。だから、やっぱり反対の人もそこに入ってもらいたいと思います。だからこそ守秘義務という問題が当然クローズアップされてくると思うんですね。全く同じ意見を、十なら十同じ意見を述べる人がいるならば守秘義務は要らないでしょうが、これも非常に何となく建前的に感じてしまうわけですね。  そういうことになりますと、反対だという人もむしろ率先して入ってもらわないことには本当の教育改革はできないし、本当の臨教審というもの、総理のお気に入りの臨教審には育っていかないだろうと、こういうぐあいに思うわけですけれども、きのう文部大臣は大体三つ教育制度などの三課題というようなことをこの委員会でアウトラインを述べられたんですけれども、じゃあ永井先生と大槻先生は選ばれないだろうということと、そういうものには臨みたくない、こういう御意見ですから、河野先生、それから鈴木先生に、もしお二人が選ばれた場合、緊急の課題として文部大臣学校教育制度というようなことを言っておりました。あるいは二番目として、学校だけでなく家庭社会を含むいろいろな問題と、こういうぐあいに言っておりました。それから、学歴社会の是正というようなことも文部大臣が述べておられたんですけれども、河野先生、鈴木先生は、もしそういう中に入ったときに、まず真っ先に何をこれからの二十一世紀へ向けての、また日本教育の緊急の課題として審議をなさるおつもりか、まずベストスリーでも構いません、ベストワンでも構いませんし、その辺をお述べいただければと思います。
  61. 河野重男

    参考人河野重男君) 私先ほど申し上げましたように、恐らくかなり包括的な問題について臨教審が取り上げることになるだろうと。その際、まず緊急に必要なことは、先ほど申し上げました短期的、中期的、長期的に取り組んでいかなければならない課題を明確にしていただくこと。それと、その過程で改革指導理念、これについては十分時間をかけて論議していただいて、これはやはり長期的といって今やはり現実教育実践に取り組んでいる先生方にとっては、こうした改革指導理念ということについては非常な関心を持っておられる。あるいは父母もそうだと思うんです。そういう人たちにこういう方向を目指して改革が行われていくんだということについては、やはりなるべく早くこういうことについての国民的な合意を得る形で出していただきたい。したがって、改革指導理念を明らかにしていただくことと、それから課題をひとつ洗い直していっていただいて、短期的、中期的、長期的な仕分けをしていただきたい。そういうことについて、どの部分は長期的に本格的に臨教審で取り組んでいくというふうなことを明らかにしていただきたい。  以上でございます。
  62. 鈴木博雄

    参考人鈴木博雄君) 大変難しい御質問ですけれども、今、参考人がおっしゃったように、私も緊急にとにかくやらなければいかぬ問題が一つあると思うんです。それからあと二十一世紀に向かっての教育のデザインということになりますと、これはよほどじっくりやらなければいかぬと思います。そのじっくりやらなければいかぬ方の一番の最大のものはやはり教育基本的な考え方であります。例えば先ほど国が一体どこまで国民教育責任を持ったらいいのかというようなことは、例えば発展途上国であった日本の時代と今の時代とは違うだろうと思うんです。発展途上国のときには、国がいわば政府主導型でどんどんどんどん教育を普及してきたわけですけれども、いつまでもそういうような方針がいいのかどうかというようなことも基本的に考えなければならぬ。いろいろ考えることはたくさんあって、しかもそのものを途中から国民にいろいろ意見を聞きながらひとつやっていっていただきたい。これはかなり時間がかかります。かなり時間がかかるからこそ早くから取り組んでもらいたい。  それから、今の当面の問題ですぐに手をつけなければいかぬのは、先ほど申しました中等教育の三・三の問題ですね。これは、やっぱり上の古いろいろなところに影響していると思いますので、まず三・三をどうにかつなげる問題をこれは緊急に取り上げてもらいたい。こういうふうに思います。
  63. 前島英三郎

    前島英三郎君 それでは永井先生、それから大槻先生に。  間もなくこれはほとんど審議が終わるであろうというふうに思いますけれども、もし何か補足的にその反対理由の中で、この部分は特にいけないんだというものがもしございましたら一言ずつお伺いして私の質問を終わります。
  64. 永井憲一

    参考人永井憲一君) もう繰り返し申し上げている原則なんですけれども、とても大切な二十一世紀を展望する日本あり方ということについて、どうも秘密に国民教育あり方論を政府が決めてそれを押しつけるという形になっていくような臨教審のつくり方については私は反対だと、そういう意味で反対だということであります。  教育の問題については、これは日本社会の今後のあり方についてもいろいろな意見もありましょうし、試行錯誤で変えていかなければならないところがたくさん出てくるのだろうと思いますので、それこそ三年という間の取り上げの中でどんなことをおやりになることを予定されているのかわかりませんけれども、私はそのことについて臨教審が決めると、それを変えるという場合にまた臨教審みたいなものをつくって変えなければならぬということにもなりはせぬかということを思って、ちょっと政府の立場に立ってもこれは困るのじゃないかしらんというようなことを、余分なことだけれども心配するわけで、そうであるとするならば、社会党案で出されておりますような文部大臣のところに半恒久的な形での教育あり方審議するような委員会設置するというようなことで、一定の国民合意というものを得られるという条件で教育あり方論を考える、議する、あるいは国民に対して問題提起をするというような形でのものをつくるということならば、私はそういうつくり方について国民合意は得られやすいのではないかというふうには思いますけれども。
  65. 大槻健

    参考人大槻健君) 私も永井参考人とほぼ同様の意見を持っておりますけれども、少しつけ加えさしていただくならば、そもそも教育改革というような未来にわたる仕事を教育の問題としてとらえる場合に、それを政府が行うということについて基本的な疑念を持っておりますが、しかし今御質問のように現在既に出されている臨教審法案そのものについての問題はどうかとおっしゃられれば、先ほど御質問あったような守秘義務のところだとか、任命のやり方だとか、そういうことについてこれは絶対避けるべきだというぐあいに考え。ております。
  66. 前島英三郎

    前島英三郎君 どうもありがとうございました。
  67. 高平公友

    委員長高平公友君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人方々に一言御礼を申し上げたいと思います。  本当に長時間にわたりまして、終始御熱心に、そしてまた立派な御意見を我々にお聞かせいただきましてありがとうございました。それぞれこの法案に対する、会期というのは本当に目睫にあるわけでありますけれども、皆様方の意見は大変貴重でありまして、これを外しつつ最後の決定ということに相なるだろうと思っております。  本当に御礼を申し上げまして、ごあいさつにさせていただきます。ありがとうございました。  暫時休憩いたします。    午後三時三十一分休憩    〔休憩後開会に至らなかった〕