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1984-08-02 第101回国会 参議院 内閣委員会 第20号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十九年八月二日(木曜日)    午前十時三分開会     ―――――――――――――    委員異動  八月一日     辞任         補欠選任      粕谷 照美君     矢田部 理君      菅野 久光君     本岡 昭次君  八月二日     辞任         補欠選任      本岡 昭次君     菅野 久光君      藤井 恒男君     小西 博行君     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     委員長         高平 公友君     理 事                 亀長 友義君                 坂野 重信君                 小野  明君                 太田 淳夫君     委 員                 板垣  正君                 岡田  広君                 源田  実君                 沢田 一精君                 林  寛子君                 林  ゆう君                 桧垣徳太郎君                 堀江 正夫君                 穐山  篤君                 菅野 久光君                 本岡 昭次君                 矢田部 理君                 伏見 康治君                 橋本  敦君                 小西 博行君                 藤井 恒男君                 前島英三郎君    委員以外の議員        発  議  者  久保  亘君    衆議院議員        内閣委員長代理  深谷 隆司君        修正案提出者   和田 一仁君    国務大臣        文 部 大 臣  森  喜朗君        国 務 大 臣        (内閣官房長官) 藤波 孝生君        国 務 大 臣        (総務庁長官)  後藤田正晴君    政府委員        内閣参事官    荘司 晄夫君        内閣法制局長官  茂串  俊君        臨時行政改革推        進審議会事務局        次長       山本 貞雄君        日本国有鉄道再        建監理委員会事        務局次長     林  淳司君        総務庁長官官房        審議官      佐々木晴夫君        総務庁行政管理        局長       古橋源六郎君        法務省刑事局長  筧  榮一君        文部大臣官房長  西崎 清久君        文部大臣官房総        務 審 議 官        兼内閣審議官   齊藤 尚夫君        文部省初等中等        教育局長     高石 邦男君        文部省教育助成        局長       阿部 充夫君        文部省高等教育        局長       宮地 貫一君        文部省学術国際        局長       大崎  仁君        文部省社会教育        局長       宮野 禮一君        文部省体育局長  古村 澄一君    事務局側        常任委員会専門        員        林  利雄君    説明員        会計検査院事務        総局第二局審議        官        黒田 良一君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○派遣委員報告臨時教育審議会設置法案内閣提出、衆議院送  付) ○国民教育審議会設置法案久保亘君外二名発議  ) ○参考人出席要求に関する件     ―――――――――――――
  2. 高平公友

    委員長高平公友君) ただいまから内閣委員会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  昨一日、粕谷照美君及び菅野久光君が委員辞任され、その補欠として矢田部理君及び本岡昭次君が選任されました。     ―――――――――――――
  3. 高平公友

    委員長高平公友君) 次に、派遣委員報告を聴取いたします。坂野君。
  4. 坂野重信

    坂野重信君 臨時教育審議会設置法案及び国民教育審議会設置法案についての札幌における地方公聴会のための委員派遣について、簡単に御報告申し上げます。  派遣委員は、高平委員長を団長とし、亀長理事及び林、穐山菅野、高桑、橋本、関、前島の各委員と私、坂野の十名であります。  現地における会議は、七月三十日午後一時から札幌教育文化会館において開かれ、四名の公述人から一人十分程度、忌憚のない意見が述べられた後、派遣委員から質疑が行われ、滞りなく議事を終了いたしました。  以下、各公述人意見概要について申し上げます。  まず、北海道教育大学教育学部助教授小島喜孝公述人からは、憲法及び教育基本法の示す教育原則と課題は今なお実現半ばないし空洞化状況であるから、それらを達成していくことが教育改革基本であること、また、教育のあり方を決定する主体は国民であり、その合意政治的力関係行政機関から独立した自由な協議の中で形成されなければならないこと、さらに、臨時教育審議会設置法案に示される審議会運営は、教育改革に関する国民自主性を確保するものではないとの理由から、同法案を廃案とし、国は内閣及び国会を挙げて教育条件充実に万全を期すべきであるとの意見が述べられました。  次に、北海道中央工学院専門学校理事長細谷猛公述人からは、臨時教育審議会設置法案に賛成の立場から、同審議会の構成及び運営について、国民的合意が得られるように委員及び専門委員は各界から選ぶとともに、会議は広く国民公開すべきであること、また教育改革広範多岐にわたるため政府全体として取り組む必要があること、その場合、過去に出された中央教育審議会等答申意見を尊重して行ってほしい旨の意見が述べられました。  また、教育改革の視点としては、基礎、基本定着化を図ること、個性化多様化教育検討必要性及び教員質的向上を望む国民の声に対する配慮が必要との三点が示され、それぞれ具体的な検討事項についての例示がありました。  次に、北海道大学教育学部教授鈴木秀一公述人からは、臨時教育審議会設置に反対するとの立場から、その理由が述べられました。その主な点は、同審議会設置理由となっている現在の教育問題の状況認識現象的判断に基づく対症療法的な考え方であり、これでは問題が解決されるとは考えられず、国民や教師みずからの改善努力の運動をもとにして初めて改革は成功し得ること、教育改革教育科学の成果に基づき、それを発展させるものであるべきこと、これまでの審議会答申を受けて法改正あるいは省令改正といった方式は審議会設置の本来の目的を十分に果たしているとは言いがたく、この改善の保障がないこと等の見解が示され、今すぐにでもやれる真の改革に向けての努力をしないで、制度改革への幻想を醸成するような方策は問題が多いとの意見が述べられました。  最後に、駒沢大学教養学部教授藤島範孝公述人からは、臨時教育審議会設置について賛成するが、次のような条件を具備することが大切との意見が述べられました。  すなわち、教育基本法の遵守、同審議会委員選出についての中立性の保持、審議内容の逐次公表といった条件を備えることにより、最終的に国民のコンセンサスを得ることが大切であり、それによって同審議会教育制度を含めた教育諸問題に対して真摯な論議をするよう希望する旨の発言がなされました。  また、戦後教育内容に対しまして、地方教育充実必要性、とりわけ独自性個性化への努力教育を困惑させている国立大学私立大学の格差問題、国家公務員教員との関係及び大学入試における教科の差別といった差別教育の撤廃並びに高校、大学私学化及び地域振興のてことするための教育産業化民営化必要性見解が示されました。  以上の意見等が述べられた後、派遣委員から各公述人に対し、審議会委員選出基準審議非公開の是非、審議会への要望、答申に対する国民的合意形成手続具体案、当面の文部行政審議会とのかかわり、教育経費節減をねらう行革路線臨時教育審議会による教育改革路線との矛盾に対する認識学歴偏重社会及び六・三・三・四制に対する見解偏差値教育を招来した理由入試改革への提言、教育中立性意味障害児教育に対する認識及び現在の教育荒廃の中で国民が求めているものに対する認識等質疑が熱心に行われました。  なお、詳細につきましては、別途、文書をもって委員長に提出いたしますので、本日の会議録に掲載されるようお取り計らいいただきたいと存じます。  以上でございます。
  5. 高平公友

    委員長高平公友君) これをもって派遣委員報告は終了いたしました。  ただいまの報告につきまして、別途報告書が提出されておりますので、これを本日の会議録の末尾に掲載することにいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 高平公友

    委員長高平公友君) 御異議ないと認め、さよう取り計らいます。     ―――――――――――――
  7. 高平公友

    委員長高平公友君) 次に、臨時教育審議会設置法案及び国民教育審議会設置法案の両案を一括議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  8. 本岡昭次

    本岡昭次君 まず、臨時教育審議会公開非公開の問題について伺います。  法律が制定された後、その法律解釈が問題になるときは必ずと言ってよいほど立法者意思が重要な目安になってまいります。そこで、きょうは本委員会でもしばしば取り上げられながら、しかしなお明確でない点についてただしていきたいと思います。  最初に、修正案提案者にお伺いします。修正された本法案の第三条は答申意見国会報告総理に課したわけでありますが、その意味するものは、設置される臨時教育審議会審議非公開で行わざるを得ないので答申意見国会報告することにより幾分かでも公開制に近づけるという立法趣旨であるというふうに、七月三十一日、我が党の菅野委員質問に対する答弁で私は理解するんですが、それでよろしいですか、確認を求めます。
  9. 深谷隆司

    衆議院議員深谷隆司君) 臨教審の一部始終すべてにわたって公開するということは、一体臨教審目的達成にどうであろうかという、さまざまな議論をいたしたわけでありますが、自由濶達議論をしていただくということでございますと、細かい発言等についてそのたびごとにさまざまな意見が寄せられるということはかえってこれを制限するような形になりはしないか、したがって臨教審公開というのは無理だと。しかし、政府もしばしば答弁しておりますように、区切りをつけてその都度内容について報告するという事柄がございますし、それから答申あるいは意見については、これは教育問題という非常に重要な問題でありますから、日本の将来を決定づけるような大事な問題でありますから、国民の代表である国会にこれを報告するということをきちっとしていただくということによって審議会公開に準ずるような配慮がなされるのではないだろうか、そういう考え方に立ってそのような形にしたわけであります。
  10. 本岡昭次

    本岡昭次君 もう少し明確に私の質問に答えていただきたいのであります。  臨時教育審議会非公開を旨として運営される、したがって、せめて国会の中に報告することによってその非公開という条件を緩和したいという今も御趣旨ですから、臨時教育審議会非公開で行うという前提に立っているというふうに理解していいですかと尋ねている。イエスノーかで答えてください。
  11. 深谷隆司

    衆議院議員深谷隆司君) この前の私の答弁の中でも申し上げたのでありますが、原則として公開にするかどうかというのは審議会自身決め事柄だと思います。ですから、あえて私ども公開に踏み切るというような文言を加えるということはいかがなものであろうか、そういう配慮であります。
  12. 本岡昭次

    本岡昭次君 そうすると、この修正法律を出すときに、臨時教育審議会非公開であるという縛りをかける、枠をはめる、そうした意図はないということですね。
  13. 深谷隆司

    衆議院議員深谷隆司君) 私たち考え方の中に、頭から枠をはめて秘密主義審議会を進めてもらいたいという意向は全くありません。しかし、今までもしばしば議論されておりましたように、公開という問題について問われれば、やはり公開についてはさまざまな問題点が起こるのではないか、こういうふうに配慮しているということであります。
  14. 本岡昭次

    本岡昭次君 そこで、七月三十一日の質疑の問題を初めに若干申し上げました。私が持っているそのときの修正案提案者答弁は次のようなことでありました。三党の中でいろいろ議論はあったが、やはり自由な論議を保障するために非公開がいい、非公開がいいとはっきりそこで言い切って、そこで国会報告によって公開に近づけるという考えをとったということであって、国会報告修正案の中に盛り込むその前提として非公開であるということがセットになっているというふうにこの答弁は見ざるを得ないんですが、今はそれを変更されるんですか。
  15. 深谷隆司

    衆議院議員深谷隆司君) 別に変更するつもりは毛頭ありません。今までの質問の中にも、例えば矢田部委員からの質問でございますが、公開の問題についてはどうして修正されなかったのか、こういうお言葉がございますから、それに答えて申し上げているのであります。
  16. 本岡昭次

    本岡昭次君 今の公開の問題についてというふうにおっしゃいましたが、今私が言っていることにストレートに答えていただきたいんですが、臨時教育審議会非公開を旨とする、非公開の方がいい、非公開であるべきだ、だからそれではいけ ないので国会報告というものをそこに総理義務づけたのだと、こういう一つの法の論理というんですか筋道というんですか、それを今そのとおりですかとお尋ねしているんですから、そうであるとか、いやそうではありませんとかという、そのことをお答えいただいたらいいわけなんです。
  17. 深谷隆司

    衆議院議員深谷隆司君) 同じことを繰り返して恐縮でありますが、なぜ修正の中に公開というものが入っていないのかという、こういう御趣旨の御質問でございますから、そういう点に立って申し上げれば、公開することにはかくかくしかじかの問題点がある、したがって私たちとしては公開に踏み切ることはできなかった、しかし区切りをもって報告がある、それから国会でその審議会から出された答申及び意見報告するということで公開に準ずる処置ができるのではないか、こう私どもは申し上げておるわけです。
  18. 本岡昭次

    本岡昭次君 委員長、私の質問したことに的確に答えられないで公開一般答弁をなさるので、私は公開原則とか一般論を何も質問しているのじゃなくて、その修正を提出したところの法律解釈考え方というものを、私がこうですかああですか、どちらですかということを求めておるのに、全然それから外れた答弁をされたのでは私は次の質問ができませんが。
  19. 高平公友

    委員長高平公友君) 速記をとめてください。    〔速記中止
  20. 高平公友

    委員長高平公友君) 速記を起こしてください。
  21. 本岡昭次

    本岡昭次君 私は、このことを繰り返し質問せざるを得ぬわけです。私の考えであなたに尋ねているんですから、答弁者は私の質問に対して右か左か、イエスノーかということを答えてください。  もう一遍尋ねます。修正の中で国会報告ということを盛り込まれたのは、臨時教育審議会審議非公開で行わざるを得ないので、答申意見国会報告することによってその非公開という状態を幾らかでも緩和させるということでそれを盛り込んだということであるのかどうかということを、そうだと言うのか、いやそうではありませんと言うのか、それだけ言ってくださいと私頼んでいるんです。
  22. 深谷隆司

    衆議院議員深谷隆司君) 私は、臨教審答申あるいは意見というものが日本の将来を決する非常に重要な問題でありますし、教育というのは極めて重要な事柄でありますから、審議会答申をした事柄意見については国民を代表する国会報告をする、こういう規定をきちんと築いた方が臨教審教育改革に対する取り組み、そういうものを国民理解し、協力していただくために必要なよき手段だ、こう考えたから国会への報告という条項を入れたわけであります。ただ、質問で、これはあなたの質問ではありませんが、なぜ公開ということに修正をしなかったのかという、そういう御意見がそもそも出されましたから、私どもとしては公開にした場合の弊害等を考慮して公開には踏み切りませんでした、こう申し上げているわけであります。
  23. 本岡昭次

    本岡昭次君 文部大臣に聞きます。文部大臣は、臨時教育審議会公開非公開かという問題については今どのような考えを持っておられますか。
  24. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 審議公開するか否かに限らず、臨時教育審議会運営等につきましては、国会審議会法案が御可決をいただきまして、スタートいたします審議会自身でその運営規則等々お決めをいただくということが、これは適当であろうという考え方をいたしております。  ただ、私は国会を通じまして、もちろん衆議院段階あるいは参議院段階等公開非公開か、どうするのかということのお問い合わせにつきましては、教育についての議論には秘密性はないけれども、できるだけ自由濶達に御論議をいただくという、そういう委員のお立場のことをお考え申し上げると、でき得ればこれは非公開の方がいいと私は考えております。ただし、広く国民理解と協力を得られるように、あるいは審議プロセス国民に明らかになるように、先ほど深谷議員からもその都度その都度というようなこともお話ございましたし、あるいはどういうことになりますか、これは会長や委員皆さんがお考えになることでございますから、私は適宜公表をなさる。あるいはそのプロセスについては地方公聴会を行う。あるいは考えましたことを、前に菅野委員から御質問をいただきました際にも申し上げましたけれども、それを一度国民の前に明らかにする。また、国民から意見をいろいろな形で聴取する。そして、フィードバックをさせながらまたそれについて議論をしていく、そういう形がいいのではないか、こういうふうに申し上げているわけであります。
  25. 本岡昭次

    本岡昭次君 それでは、修正案提出者にお伺いしますが、先ほどのあなたの答弁は私の質問に的確に答えていただけないわけで私は困惑していますが、しかし私の推察するところ、公開非公開かというのは、これは審議会決めることであるという立場をとっておられると私は見ます。そうすると、審議会がそれを論議したとします。公開で行こうじゃないかというふうになる可能性もあるわけです、審議会がお決めになるんですから。政府修正案提出者もそれを縛りをかけないということなんですが、そのときに非公開でいこうということになれば、まさにあなたが立法趣旨としてお考えになったとおりに国会報告義務はそういう一定の意味を持ってまいります。しかし、審議会公開で行こうというふうにお決めになった場合、一〇〇%公開でなくとも公開という中身を持つような審議の仕方をお決めになった場合、あなたは法律を提案された立場から、それでは国会報告義務との間にそこを来すから、国会報告はそれはやめてもらわなければいかぬというのか、いや、それは国会報告はそのままあってもいいとおっしゃるのか、あなたは法案を提出された立場からひとつはっきりさせていただきたい。
  26. 深谷隆司

    衆議院議員深谷隆司君) 御質問趣旨よくわかりませんが、この修正案を私たちが提案したことについての考えは既に述べたとおりであります。これが国会可決をされましたらば法律として生きてくるわけでありますから、その法律運営の仕方等々については既に私たちの手を離れるわけでございますから、今私がとやかく言うべき問題ではないように思いますが。
  27. 本岡昭次

    本岡昭次君 当然、そのとおりだと思います。そこで、立法趣旨の中に、非公開というものについては公開非公開かの論議の中だからそう言ったのであって、国会への報告義務ということと審議会非公開という問題をセットにして縛りをかけていないのだということになりましたから、私はそれでいいわけなんであります。  それで、次に官房長官においでをいただいておりますから、今の問題の論議についてひとつお尋ねをしてまいりたいと思います。  この臨時教育審議会公開にするか公開にしないかということはこれは非常に重要な問題であるわけなんですが、第二臨調の第五次答申の中にある情報公開に関する考えがその中に記述されておりますが、そこに書かれてある事柄政府基本方針基本姿勢であるというふうに確認してよろしいですか。
  28. 藤波孝生

    国務大臣藤波孝生君) 具体的にお答えをいたしたいと思いますが、臨時行政調査会の第五次答申の中に「審議会等会議公開は、それぞれの設置目的任務等に照らしつつ個別に決定されるべき問題であるが、審議概要公表を行う等できるだけ公開の精神に沿った措置を講ずる。」という趣旨が書かれてございます。その会議会議でいろいろな性格やあるいは任務があるけれども、できるだけ公開にすることが望ましい、こういう趣旨であると思うのでございます。  そういう意味では、先ほど来、深谷議員あるいは文部大臣からお答えがございましたが、審議会で自主的に公開非公開の問題はお決めをいただく、したがって審議会いろいろ運営については審議会が出発をいたしましてから委員の中で御相談をいただいて決めることになろう、このように文部大臣お答えになっておられるわけでござい ますが、同時に、それじゃ政府はどういうふうに考えるかという御質問があれば、いろいろ審議をしていく中で自由濶達に御論議をいただく、それには全部を公開という形をとることはどうかと思うけれども、しかしこの審議経過国民皆さんにも御理解をいただいて、先般来の委員会の御質疑の中でもたびたび出てきておりますように、この審議会論議を踏まえて国民の方からもいろいろな御意見がさらに寄せられるという中で、国民挙げての教育論議ということになっていくことが望ましいわけでございますから、そういう意味では適切にこの審議経過が外に出るような何かいい方法が工夫されればいい、こういうふうに文部大臣お答えになっておるところでございまして、そういうふうに運営されていきますれば、この調査会答申に出ております趣旨に沿うものになる、こんなふうに考えておりまして、できる限りそういった望ましい形で運営されることになればいいが、このように希望をいたしておる次第でございます。
  29. 本岡昭次

    本岡昭次君 今の官房長官答弁は、第五次答申の中に記述されてあることを文字どおり政府立場から御説明になりましたが、しかし、それにしても森文部大臣は同じ政府一員でありながら、先ほどの答弁審議会公開にするか非公開にするかは決めるべきであるがという前置きをしておられ、しかし私自身としてはやはり自由濶達論議を保障するためには非公開の方がいい、こうおっしゃるわけです。その後段の部分の私としてはというのは文部大臣としてはということであり、文部大臣というのは、そうするとこの第五次答申そのものと全く離れたところに存在してそういう意見を述べても差し支えがないのかどうか。少なくとも文部大臣も私としてはと言って後段で述べるところは、この第五次答申の言うこの言葉政府一員として述べなければ、官房長官と同じ立場を述べなければ、その審議会自身がお決めになることについて、その主務大臣である文部大臣が二足の非公開がいいと思うんだというそこで意思を明確にされているということは、これはこの答申を尊重するという政府意思、今、官房長官のおっしゃられたことと同じ閣内で私は重大なそごを来しておると思うんですが、ひとつそこは統一してください。
  30. 藤波孝生

    国務大臣藤波孝生君) そごは来していないと思うのです。それは今読み上げましたように、行政調査会答申の中には一般論としてそのように指摘をされておるわけでございます。そのことは私の申し上げたとおりでございます。しかし、一つ一つの審議会の性格とか任務とかによりまして、それはいろいろな態様があろう、しかしその精神が生かされていくことが望ましい、こういうふうに私どもは受けとめるべきものだと思うのでございます。  そういう意味からいたしまして、三年間かかって教育論議を進めていく、その中で全部公開ということによっていろいろもたらされるかえって自由濶達論議を阻害するというような部分があってもいけない、こういう心配に立って文部大臣非公開ということがいいと思う、しかし公開しておるのと同じような精神が生かされていくようなそういう運営の方法があれば非常にいいがと、こういうふうに言っておられるわけでございまして、少しそごしておるような感じがいたしますけれども、決してその精神はそごしていない。行政調査会答申趣旨も生かして、そして非常に適切な運営がなされていくように主務大臣としていろいろ御心配になっておられる、このように考えておる次第でございます。
  31. 本岡昭次

    本岡昭次君 文部大臣非公開原則とすべきだ、非公開とすべきだということをはっきりここでおっしゃるということは、本来、審議会公開非公開決めるべきことを主務大臣が一つの枠をそこではめてしまっているということになるし、そのことは審議会自身の自主的な、民主的な審議の仕方を決定することについての介入だと私は思うし、一方、行革審の答申の「審議会等会議公開は、」ということで、公開原則にしながらどうするかということがこの精神であるのにもかかわらず、非公開前提にしてどうするかという発想を持っている。これは重大なそごです。  答申そのものを尊重される内閣として、政府として、官房長官公開を旨とした上でどうするかということをおっしゃっているから、それはそれでいい。ところが、文部大臣はそうじゃない。非公開前提として、それならばどうかという、これは重大な違いがあります。これは少ない違いじゃない。基本的な問題の違いがある。ちょっと調整をしてください。今のあれじゃだめです。  文部大臣非公開をというのを取り消すかどうかの問題です。非公開をスタートにしてどうするかじゃなしに、これにはちゃんと公開ということをはっきりうたって、そしてここにずっと書いてあるじゃないですか。「行政機関は、開かれた行政という考え方に立って、その運営原則公開に転換させることを基本方針とすべきであり、」と書いてあるじゃないですか。ここに「運営原則公開に転換させることを基本方針とすべきであり、」と書いてあるのに、いや、それは非公開でいくべきだなんていうようなことを文部大臣が言うのはどういうことなんですか。結局、文部大臣は、この第五次の答申そのものを、わしは知らぬ、わしはわしの考えでいくのだ、官房長官、これは統一をとらなければ困ります、ここのところ。
  32. 藤波孝生

    国務大臣藤波孝生君) 調査会答申は今、先生がお読みになったとおりでございますが、その後にまたあるわけです。それは「それぞれの設置目的任務等に照らしつつ個別に決定されるべき問題であるが、」ということでございますから、その審議会の性格によって公開するのがいいか、あるいはまとめて時々発表するような仕方もあるし、しかし原則としてはどういうふうに審議が進んでいるのかというようなことが外に出るということが望ましいという趣旨だと、こう考えるわけでございます。  そういう意味からいたしますと、私は、全く非公開だ、密室の中で、この間から文部大臣お答えになっておりますように、この会議審議会の中だけでやるのだ、しかも三年間ずっと動いていくのだから外は関係ない、こういうことではなくて、自由濶達な御議論をしていただきますためには非公開ということにして、そして審議会運営の方法については委員の方々でお決めをいただくことではあるけれども、いろいろな工夫をして審議会の中での御論議が外にも出る、紹介されて、そして国民皆さんにも御理解をいただくということになればいいと思う、こういうお答えをしておられますので、これは調査会趣旨と全くそごするものでも矛盾するものでもない、こういうふうに考えておるわけです。  ただ、あくまでも審議会委員の方々によって運営をお決めいただく。これをあらかじめ余りがんじがらめにして枠をつくって、こういう枠の中でどうぞ御論議くださいということでは委員に対して失礼でもあるし、審議会そのものが自由濶達に御論議いただくことが目的でございますから、前もって余りその枠組みをつくらないで、ぜひひとつ委員の方々で御相談をいただこう、こういう審議会を大事に考え、そして運営についても柔軟に考えておる政府の今の姿勢をぜひ御理解いただきまして、そしていろいろな工夫をしていただきます中でこの精神が生かされていくようになれば非常にありがたいがと、こんなふうに思っておるところでございます。  当然、審議会の事務局長には文部事務次官がお当たりをいただくわけでございますし、この国会での御論議は十分踏まえて運営に当たることになろうと考えますし、また審議会の御論議が動いてまいります中で、国会でもいろいろな委員会等でいろいろな御論議もまたあろうかと思いまして、そういったところでもいろいろな御指導や御助言もいただけるものと、こんなふうに考えておる次第でございまして、この調査会答申と、そして今度の審議会運営方法、そしてその中でできる限り論議の中身が国民皆さんにも紹介されて、みんなで教育論議ができるような構えができれば いい、こういうふうに希望して審議会を出発させたい、こんなふうに考えております意味合いをどうぞ御理解をいただきたいと思うのでございます。
  33. 本岡昭次

    本岡昭次君 官房長官の話であれば理解ができるんですが、修正提案者も、公開非公開かを問われれば非公開ということでやはりやっていくべきで、それでは余り厳しいから、国会報告義務を課すということで公開という問題に少しでもかかわりたいと、こう言う。文部大臣も、決めるのは審議会であるけれども文部大臣として問われれば、自由濶達意見をいただくために非公開でやる方がいいと思うというふうに皆枠はめをされるわけです。しかし、官房長官は全然そういう枠はめをされないわけで、それを「それぞれの設置目的任務等に照らしつつ個別に決定されるべき問題で」審議会がお決めになって十分審議していただけばいいのだ、こうおっしゃる。違うでしょう。違わないんですか。  そうすると、文部大臣修正提案者、後段の部分取り消してください。あくまでこれは審議会が、ここに書いてあるように、審議会等会議公開問題は「設置目的任務等に照らしつつ個別に決定されるべき問題」でありますと、それでいいじゃないですか。文部大臣としてどうのこうのとかいうことは、それをつけることは一体どういう意味を持つかということは、内閣の特別な意思、今、官房長官のそういうものに介入してはならぬ、それは自由な意思に任せればいいのだとおっしゃっていることとはそごを来すでしょう。再答弁してください。時間もありませんから、後段のところを切って、一体審議会のこの問題はどうかということについて答弁してください。
  34. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) また同じような繰り返しになっておしかりをいただくかもしれませんが、再度答弁をしろということでございますから。  たびたび申し上げておりますように、審議公開するか否かとか、その他審議会運営の規則については、審議会をスタートさせていただきました際に会長を中心にして審議会皆さんがお決めになることだと思うんです。しかし私は、この第五次臨調答申にございますように、特に先ほど官房長官説明されましたように、「審議会等会議公開は、それぞれの設置目的任務等に照らしつつ個別に決定されるべき問題であるが、審議概要公表を行う等できるだけ公開の精神に沿った措置を講ずる。」、こういう決定があるわけでございますから、私としては議論を秘密にするということではなくて、審議会委員の皆様方の自由な御発言というものをある意味では保障する。そういう意味で、これは私の考えとしては、この性格から見ていろいろと御論議を自由にされる。  それはなぜかというと、やはり制度というものに対するいろいろな改善考え方というのは出てくるわけですから、あるいはまたいろいろなプライバシーの問題も出てくるわけでございますから、そういう意味で私としてはこれは非公開制の方がいいと思う。しかし、この臨調の第五次答申にあるように、審議公開ということの精神というものをできるだけ踏まえて、いろいろな方策を考えていただくことが一番よろしいのではないだろうか。その方策については、私などのような浅薄な者が考えるよりは、識見を有する方をお選びするわけですから、審議委員皆さんはもっともっといい方法が考えつくかもしれません。そういう考え方を出していただいて、できるだけ公開の精神に準ずるようなそういう方途を見出していただくことがよろしいのではないか、こういうふうに私は申し上げているわけでございます。(「明快」と呼ぶ者あり)
  35. 本岡昭次

    本岡昭次君 明快じゃないですよ。おたおた大波にもまれている答弁みたいなものだ。船酔いの答弁。それはだめだ。だけれども、さっきの答弁よりも幾らか非公開というものに縛りをかけて、我慢ならぬということではないし、私は官房長官答弁の方がやっぱりすっきりしています、邪念がないから。あなたには邪念がある。だめだ。  だから、官房長官、先ほどあなたの答弁のとおり公開原則としてどうするかという、自由濶達論議を保障するにはどうすればいいか、教育には秘密がない、こういうことなんですから、その立場でのスタート、それをひとつよろしくお願いしたい。よろしいですか。
  36. 藤波孝生

    国務大臣藤波孝生君) 文部大臣からお答えをいたしておりますように、この審議会の、自主性という言葉がいいかどうかと思いますけれども審議会委員の方々の御意見を尊重して政府としては対応すべきものと、こういうふうに考えておりまして、会の運営についてもいろいろ御相談をいただいて、いろいろな工夫をしていただいてお進めをいただくわけでございます。その中で行政調査会からはこういう答申もあるというようなことも当然、事務局として御説明も申し上げることになるわけでございますから、そういった中で自由濶達な御論議もいただき、そのための保障もなければいけませんし、また御論議経過国民の皆様にも御理解いただけるようにもしなければいけませんし、そういったことを十分踏まえて御相談をいただくのがいい、こんなふうに考えておる次第であります。
  37. 本岡昭次

    本岡昭次君 それでは、修正案の中の問題の同意人事のところに入っていきたいと思います。国会の同意人事問題です。官房長官のおられる時間が限られておりますので、はしょって質問をいたします。  修正によって委員の任命は国会の同意が必要ということになったわけですが、第五条の三項、四項で、国会の閉会中であれば総理が任命し、事後の国会に同意を得てもよいということに今度これはなっているわけなんですが、この運営問題についてちょっとお聞きしておきたいと思うんです。  委員の任命は行ったけれども国会での同意が得られていないという状態の中で審議会が発足し、そしてその審議会に対して政府が諮問を行い、その諮問を受けてその審議会審議を行い、中間的であろうと第一次であろうと一定の意見答申をまとめてそれを政府に対して答申を行う、こういうことは国会に人事の同意を求めるという事柄がある以上、審議会として軽々に行えない問題だと思うし、政府国会の同意を得ない前に審議会に対して諮問をしたり、あるいはまた審議を促して答申を出させたりするというふうなことは、これは国会の軽視にもなるし、国会の同意を得ていない審議会審議をして答申するというものは何の権威も私はない、こう思うんですが、私が今言っているようなことは国会の同意という問題に絡んであり得ないと考えますが、その点はいかがですか。
  38. 藤波孝生

    国務大臣藤波孝生君) 衆議院の段階で修正が行われまして、臨時教育審議会委員については、内閣総理大臣が任命したその顔ぶれを国会が承認するという段取りとすることに決まったわけでございます。したがいまして、ごく具体的な話になりますが、この御審議をお願いしております法律案が成立をいたしました段階で直ちに国会承認を求める手続をとらなければならぬ、こんなふうに考えておるわけでございます。たとえ、それが極めて残されておる会期末までの時間が少ないといたしましても、当然、国会開会中でございますればその承認の手続をとるということにしなければならぬというふうに気持ちとして持っておるわけでございます。  ただ、今御指摘がございましたように、その手続がとれない場合には閉会中どうするか。次の国会で事後承認という形も定められておるわけです。その場合には、承認されない場合には罷免しなければならぬということもワンセットで、やっぱり次の国会での事後承認も認められておるわけでございます。できれば何とかこの国会承認が得られるように手続をとるということを当然なすべきこと、こういうふうに考えております。  ただ、どうしても国会の御承認が時間的にとれない場合には、閉会中に審議会を出発して御諮問を申し上げて、そして答申のための御論議が始まっていくということは、これは法律で保障されておるわけでございますから当然行われていい、 こういうふうに考えております。これまでにも日本国有鉄道再建監理委員会であるとか、臨時行政改革推審議会であるとかいったふうに審議会を出発させていただきました例もあるわけでございますので、できればこの国会法律案を成立させていただいて、この国会で人事も承認をいただきたい、心の底からそのように念願をいたしておりますが、もし時間的に間に合わない場合には閉会になった後審議会を出発させることにいたしたい、こんなふうに希望として持っておる次第でございます。
  39. 本岡昭次

    本岡昭次君 今おっしゃったように、国会で同意人事を得られないまま発足した例は臨時行政改革推審議会委員あるいは日本国有鉄道再建監理委員会委員がありますが、これは五十八年六月二十八日から臨時行政改革推審議会は施行されて、委員の任命が五十八年七月一日、衆参両院の議決年月は五十八年七月二十二日、その期間わずか二十一日です。だから、この期間の間に私は諮問が行われて、審議が行われて答申が行われるなんていうことはこれはなかったと思います。そして、まさに法律の言うように、同意人事というものが大切にされて、任命はされたけれども二十一日間たったんです。それから国鉄の方も同じように委員の任命が五十八年六月十日、衆参両院の同意は五十八年七月二十二日、いわばこれも一カ月と十日余りということであって、恐らくこれも国会の同意を得ていない間にその審議会が機能をして、審議をして答申をして仕事をしたというふうなことにはこれはなっていない。  これが事後承認ということであっても許せる一つの私は限界じゃないか、こう思うんですが、官房長官のように、いや、そこで審議をしてもいい、答申をしてもいいということになれば、国会委員の同意ということはどういう意味を持つのか。国会の同意を得ていない審議会答申をやって、政府がそれに基づいて政策を立案し、法案をつくり、予算を組みというふうなことが果たして同意人事ということを前提にして審議会が機能して動けるものか。こうなれば、私は同意大事なんて空文化した全く意味のないことになるのじゃないか、こう思うんです。  こんなことは、私は許せぬと思うんです。国会を軽視しているし、そんな権威のない審議会が果たして重要な提言を内閣にして、内閣がそれに基づいて政策を推進できますか。私はやっぱり国会の同意人事を受けてからそうした具体的な行為が行われるのが筋だ、こう思うんですが、いかがですか。
  40. 藤波孝生

    国務大臣藤波孝生君) ぜひ一日も早く成立をさせていただいて、そして人事の国会承認も得られるようにぜひ取り運ばせてほしい、心からそのように念願をいたしておるわけでございます。特に、衆議院で修正という手続がとられて国会承認ということになったわけでもございまして、一日も早くこの法案が通って、早く審議会が出発をして、最も大事なこの教育のいろいろな検討の作業が進めばいいがと、各党の先生方にもいろいろ御指導や御理解もちょうだいをして、この審議がだんだんと進んできておるわけでございます。  したがいまして、国民皆さん方も一日も早くこの法律が成立をして動き出していくことを期待しておると思いますし、今日の教育の現状を考えてみますると、文部大臣からたびたび御答弁があったと思いますけれども、いろいろと青少年の非行の問題でありますとか、あるいは教育界で改善をしなければならぬいろいろな国民皆さん方の中で御論議が高まっておる問題がございます。したがいまして、ぜひ一日も早く審議会が出発をしていくように進めていくこともまた政府の責任だ、こんなふうに考えておるわけでございます。  法律で事後承認の手続ということは認められておりますので、ぜひ審議会を出発させていただきまして、そして法律に基づいて事後承認をいただく手続をとる。もし、どうしても間に合わない場合はそれしか仕方がないか、こんなふうに考えておりますが、これは決して国会を軽視しておる、あるいはこの審議会の人事を国会承認という手続をとるようにと御修正をいただきましたその精神に反するものではなく、年じゅう国会が開かれておるわけではありませんものですから、一方でこういった行政需要に対応して政府考え方で早く出発をさせたいという気持ちをぜひひとつ御理解をいただきまして、認められておりますような、間に合わない場合にはそういう措置を講ずることをぜひお許しをいただきたい、このように考える次第でございます。
  41. 本岡昭次

    本岡昭次君 お許しをいただきたいとか、許すとか許さぬとかの問題じゃなくて、同意人事というものの権威の問題を私は言っているんです。  だから、官房長官教育改革は必要だとか必要でないとかいう論議をやっているのじゃなくて、一つの形の問題を論議して私はあなたに尋ねているんです。だから、教育をどうこうという問題じゃなくて、国会の権威という立場から見て、同意人事の持つその意味の重さから見て全然得られていない、もし得られなかったら罷免という問題があるんでしょう。そういうものの前提に立って審議会は発足して、そしてそこで問題を論議して結論を出して、それに基づいて内閣が政策を推進するというようなことはあり得ませんね。あなたは、そのあり得るのかあり得ないのか、官房長官という重要な職責に立ってそれははっきりおっしゃいなさい。そんなことはできないでしょう。できるとしたら私は大変なことだと思うんだ。  もう時間がないから、あなたはできるということで、それで終わるのなら、私はそれはできる問題ができない問題かという問題は、それは国会全体の問題として論議してもらわなければいかぬ問題だと思うんです。できないでしょう。できますか。
  42. 藤波孝生

    国務大臣藤波孝生君) あくまでもこの法案を早く成立させていただいて、そして文部大臣の御意見を伺って総理大臣が委員を任命して、そして国会の御承認をいただくように手続をとりたい、このように考えておる次第でございますので、どうかひとつ深い御理解をいただきまして、国会承認もしてひとつすっきりと出発をさせよう、こういうふうにお考えくださって、ぜひ一日も早く成立をさせていただくようにお願いをしたいと思うわけです。  ただ、どうしても間に合わないということを前提とした御意見だと思うのですが、もしそういう場合があればということで、任命をして、そういった機関が動いていっても事後承認、そういう方法があるということを法律で認められておるわけでございますので、私からそれは出発させるわけにはまいりませんと言ったら逆に法律を無視しておることになりまして、法律で認められておりますので、そういう便法が法律で与えられておりますと。  ぜひこの国会で、万一も思っていないので、ぜひこの国会承認を御厄介になれると今思っておるものですから、ですから仮定の質問で大変答えにくいんですけれども、どうしてもだめな場合には審議会を出発させていただいて、事後承認という手続をとらせていただくしかない、こんなふうに思っておりますが、くどいようでございますけれども、ぜひ早く成立をさせていただいて、承認の手続をとらせていただくようにぜひお願いを申し上げたいと思う次第でございます。
  43. 本岡昭次

    本岡昭次君 もう結構です。だから、私はこれは反対する立場ですから、あなたのおっしゃるようにすんなりこの国会で同意人事が得られないだろうということで、そうなったらどうするかと尋ねているんですが、私はあなたの答弁はやはり国会軽視だと思いますが、今ここで論議をしている間がありません。それで、あなたは退席の時間ですので、どうもありがとうございました。  それで、文部省に一点だけ、残った私の午前中の五分の時間で聞いておきますが、文部省にかって籍を置いた局長の方が政治の舞台に出られて、それの後援会、だれも政治家は皆後援会というものがあるんですが、その後援会に文部省の補助金をもらっている体協関係の団体が当初の呼びかけ人にずらっと並んでいるわけで、体協というのは 補助金を昔もらっている団体なんですが、そうしたところが議員のこうした後援会等の、あるいはまた後援会に類するようなところに名前を連ねて支援をしてもいいのかどうかという問題を、まず端的にお伺いしておきたいと思います。
  44. 古村澄一

    政府委員(古村澄一君) 御指摘のとおり、体育協会には国庫補助金を出しております。ただ、ある選挙の候補者の後援会に名前を出すというのは、その人が個人として、個人の資格でもって名前を出すというふうに私ども考えております。
  45. 本岡昭次

    本岡昭次君 そうすると、それぞれの何々協会、何々協会ということで名前を並べていって、それは参加していってもいい、それぞれの団体がそれぞれの補助金をいろいろなところからもらっていてもいい、こういうことですか。
  46. 古村澄一

    政府委員(古村澄一君) その後援会の中に例えば体育協会の役員の人が入っている、名前を連ねているということであっても、それは個人として後援をしていることだというふうに思います。
  47. 本岡昭次

    本岡昭次君 そうすると、現在、教育懇話会というふうなものがあるんですが、そこの組織の中に体協関係の団体が参加組織として名前を現在連ねているのか連ねていないのか、その点はどうですか。
  48. 古村澄一

    政府委員(古村澄一君) 教育懇話会という団体は私の方の所轄の法人でもございませんので、内容そのものについては十分承知いたしておるわけではございませんが、聞くところによりますと、教育懇話会というのは各県において教育、学術、文化、スポーツ振興の集いを図って意見を交換する会であるというふうに承知いたしておりますから、そこにそういった同じ教育を大事にしようとする方々が集まるということはあってしかるべきだというふうに思います。
  49. 本岡昭次

    本岡昭次君 それは、教育懇話会というところにそれぞれの団体が名前を連ねていても構わないという見解ですね。そしたら、そこの問題は、後ほどいいのかどうかという問題は改めて解明をさせていただきます、一応時間が来ましたから。
  50. 穐山篤

    穐山篤君 久保先生はまだ見えておりませんので、質問の通告をしてあります順番を変えます。  最初、専門委員のことについてお伺いしますが、第七条で言う専門委員です。教育関係に学識経験のある者ですが、これは臨教審が発足をした当初から総理大臣が任命をするものですか、あるいはそうでないものですか、明確にしてください。
  51. 齊藤尚夫

    政府委員(齊藤尚夫君) 審議の具体的な審議事項につきましては、たびたび大臣から御答弁申し上げておりますように、審議会発足後、審議会の自由な御論議を通じて御決定をいただく。その審議事項に基づきまして、どういう専門事項につきまして委員をお願いするかという判断が出てまいるわけでございます。そういう意味で、七条では「専門委員を置くことができる。」という表現にいたしておるわけでございます。そういう意味では、発足当初からではないというふうに御理解をいただきたいと思います。
  52. 穐山篤

    穐山篤君 そうしますと、審議会が発足をして、二十五人の委員に、この分野で専門的な研究調査をしてもらう、それに必要な専門委員を選び出す、こういうことになるわけですが、そうしますと、この専門委員というのは、審議会意見とか、会長の意見とか、あるいは会長の推薦とか、そういう手続を経て任命をするのが常識的な任命の仕方ではないかと思うんですが、その点はどうでしょう。
  53. 齊藤尚夫

    政府委員(齊藤尚夫君) 先ほどお答えしましたように、会の運営上、審議会で御判断をいただいて、どの分野にするかとか、どのような人数が必要かとかいうことにつきまして、会または会長の御意見ということは当然お聞きすることになろうと考えるわけでございます。それとの関連におきまして、専門委員の任命人事そのものにつきましても、会長の何らかの意思表示というものは期待できるのではないかと思います。
  54. 穐山篤

    穐山篤君 会長からの何らかの意思表示を期待するという運営上の話でありますが、この第七条第二項には、それとは全く無関係で、文部大臣意見総理に出して総理が任命をする、形式的にも実質的にもその審議会あるいは審議会の会長の意思は全然この法律の中に入っていない理由は何ですか。具体的に言ってください。
  55. 齊藤尚夫

    政府委員(齊藤尚夫君) 「文部大臣意見を聴いて、」という文言を挿入いたしました趣旨は、本審議会教育及びこれに関連する分野に係る施策に関して広くかつ総合的に検討いただくということではございますけれども、あくまで教育が中心で議論が行われる、したがいまして我が国の教育について責任を有する文部大臣意見を聞くという手続を規定することにいたしたわけでございます。そういう意味で、この規定は文部大臣教育立場を表明したものであるわけでございます。  実際の審議会運営の問題といたしまして、一般的に審議会の御意思というものは、その都度その都度運営上必要なことに関しましての意見を聞きながら作業を進めることは当然でございますので、そういう意味文部大臣意見を聞くという手続規定を設けましたので、あえて会長の意思の問題につきましては法律上の規定としては設けなかったということでございます。
  56. 穐山篤

    穐山篤君 例えば中央教育審議会の場合には、「学識経験のある者のうちから、会長の意見を聞いて、文部大臣が任命する。」。会を総攬して会長が意見を出す。それから臨時行政調査会の場合につきましても、「会長の推薦により、内閣総理大臣が任命する。」。臨時教育審議会だけは、「文部大臣意見を聴いて、」というふうに、常識的な法律になっていないんです。  審議会二十五人のメンバーは文化、教育、芸術、全体の問題を議論するわけでしょう。その中で生涯教育の分野について十分な意見、専門的な意見を聞きたい、こうなれば審議会意思なり、それをまとめて会長が総理大臣に推薦をするとか、あるいは会長の意見を十分聞いてもらって任命をする、これが世のしきたりです。全くそういう問題が、私は運営上のことを言っているのじゃないです。名は体をあらわすということわざがあるとおり、いきなり文部大臣がここに出てくるわけです。時と場合によりましては、文部大臣審議会意思と無関係な人を推薦するかもしらぬ、あるいは推挙をするかもしらぬ、そういう間違いが内容的には出てくるわけです。私は、森文部大臣のことを言っているわけじゃないです。制度上の問題です。  言いかえてみれば、この専門委員、第七条に関しましては文部大臣意思というものが非常に強く出ている。これは絶対に許さるべき事柄ではないと思うんです。少なくとも会長の意見を聞いてとか、あるいは会長の推薦によりとか、非常に審議会というものを重視している以上、私はその二十五名の委員意見を軸にして、人選についても、話題についても、審議の方法についても進めるべきである、これが自由濶達にという政府の提案の本来の姿ではないかと思うんです。ここでいきなり文部大臣がということが出てきたことが非常に意表をついているわけです。審議会を無視して文部大臣専門委員について総理意見を述べるということもあり得るんです。私は、大臣の個人的な性格を言っているわけじゃないです。制度上の問題としてこういうやり方は間違いを起こす。文部大臣、その点はどうでしょうか、制度の問題として。
  57. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) これは穐山先生、こういうふうにお考えをいただけないでしょうか。むしろ、専門委員の場合は教育に関する専門的な事柄に入って審議をしていくということになるわけです。ですから、文部省、教育を担当する省というものを大事に考えなければならない。これは私のことを言っているのじゃないです。文部省、文部大臣という立場を大事にすることがいいのではないか、こういう気持ちを強めてあるというふうに御理解いただけないでしょうか。  委員は、法律にも書いてありますように、幅広く各界各層からお選びをする、そして豊かな知識や識見を持っております。ですから、人選の分野については、きのうもちょっと連合審査の際にも 申し上げましたけれども、労働界、経済界、いろいろな分野の方がいらっしゃいます。必ずしも教育の御専門家とは限らないわけです。それで御論議をいただいて、例えば、先生がさっきおっしゃったように、生涯教育に関するとか大学の問題について、こういうふうに専門委員を置いてやろうじゃないかというふうに会長と委員皆さん決められた場合に、会長がもちろんこういう方向で専門委員を設けよう、当然こういうふうに会長が発議されるわけです。  どういうふうになっていくかわかりませんが、そのときに、会長は法律上は総理が選ぶわけですから、会長と総理と御相談をするということになれば、教育に直接かかわり合いのある文部省の意見が入ってこないということになることがかえって危険、危険というと大変言葉は適切じゃないかもしれませんが、そういう意味専門委員を選ぶということは、まさに教育の仕組み、制度についての専門委員を選ぶわけですから、そのときには文部大臣意見総理に申し上げる、当然会長と委員の方がその専門分野を決めるわけですから会長の意見は十分入るわけでしょう。会長はこういう考え方の人を選んでほしいということを恐らく事務局に命ずるだろうと思います。そして、総理に任命してもらうわけですから、そのときに教育の任にある文部大臣意見を聞くということは、これは私個人ではなくて、文部省、教育を担当する省、教育事柄議論していくのです、審議調査をしていくのですという意味でむしろ大事なことであろう、私はそういうふうに考えて、この法律を随分いろいろと専門家の法制局等で考えていただいた。  私は、文部省、教育を担当する省を大事にしてほしいということについてここのところを配慮されたというふうに考えますので、逆に教育の問題について関心の深い先生方から見れば、よくこのことをちゃんと入れてくれたなと言ってくださるのではないかなというふうに私は思うんですが、そういうふうに御理解をいただけないでしょうか。
  58. 穐山篤

    穐山篤君 文部大臣は割合に常識家と思っていましたけれども、案外ですね。  体裁の問題と実際の運営の問題を申し上げてみましょう。例えば、私が主張するように会長の意見を聞いてとか、会長の推薦を得て内閣総理大臣が任命する、こういうことになれば、総理主務大臣である文部大臣を呼んで、これほど複数の人間が実は推薦を受けた、あるいは推挙を受けた、この中から文部大臣どうだろう、こうやって任命をする方がごく常識的です。文部大臣というのは、この審議会主務大臣です。その文部大臣が頭から専門委員の人事まで介入をするということは、この審議会自主性を非常に薄めることになる、あるいは要らざる誤解を非常に受けやすい、混乱をしやすいということを将来に残すだけです。  少なくともこういう問題は、客観的に見てなるほど国民全体の合意を得ようと内閣全体も努力をしているなというふうにするためには、やっぱり委員会そのものの議論意思あるいは会長の考え方というものを最大限重視する、こういうことでなければならぬと思うんです。その意味では、この第七条にかかわる専門委員というのは文部省が介入をしやすい条件になっている。そういうふうに思うのがごく常識です。文部大臣、どうですか。
  59. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 常識か非常識かというのは、これはまた別の議論だろうと思うんですが、会長が委員の御意見を聞いて専門委員を置こう、こういう分野において専門委員を選びたいということは会長が当然お決めになることです。そして、会長がどういう分野の方々をということの御希望は当然出ますから、会長の意見は当然あって、初めて専門委員というものをお選びすることになるわけで、法律上は総理大臣の諮問機関でございますから、総理が任命をするということになります。そのときに会長と総理だけでお決めをいただくということになって、かえって教育関係の責任の衝にある文部大臣意見が全く入らないということになる。これは介入とか、そういうことじゃないと私は思うんです。これは常識的に文部大臣意見を聞いて入れるということを明記することの方がより教育的であろうというふうに私ども考えて、教育のことを大変御心配なさってくださる方々に、私はそういう意味では、自分たちの口から言うとまたこれは非常識だとおしかりをいただくかもしれぬが、文部大臣意見を聞くということはむしろ常識的ではないかというふうに考えるんです。  それはやはり教育を大事にしようという、専門委員というのは、あくまでも教育の専門的領域の事柄について学識を有する方々、経験を有する方々の御意見を聞いていこうということになるので、私はそのような事柄を十分に踏まえた法律の書き方であるというふうに申し上げておきたいのです。
  60. 穐山篤

    穐山篤君 この問題は、第五条、第七条が実は両方がかっているわけです。なるほど修正によって国会の同意人事事項にはなりましたが、二十五人の委員の任命についても、あるいは会長の任命についても内閣総理大臣が全部当たることになっているんです。経過的に文部大臣意見を出すということはあったにしましても、委員の方は内閣総理大臣が全部握っているんです。専門委員の方は文部大臣が全部握っているんです。これは権力が人事問題について全部握っていると見られてもしようがないと思うんです。同意大事にはなりましたけれども、当初の政府の原案というのは頭から総理大臣の任命です。専門委員文部大臣意見を聞いて総理が任命をする、委員会意思、会長の意思、あるいは幅広い国民の気持ちというものはルールの上で選択の余地がない、こういうふうになっているわけです。だから、国民がこの臨教審の全体についての危倶も感ずるわけですけれども、なかんずく委員並びに専門委員の人事を通じてこれは大変なことだ、こう思うのはごく常識的です。  ですから、少なくとも専門委員ぐらいは、会長の意見を聞いてとか、あるいは推挙を求めてとか、そういう手続を経て任命することの方が民主的な手続ではないか、こういうふうに私はもう一度強調しておきたいと思うんですが、どうでしょう。
  61. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 先生のそういう御意見も、私は十分理解はされます。しかし、また同じようなことの繰り返しで恐縮ですが、専門委員を置くということになれば会長が審議委員意見を聞いて、その議論の中から専門委員をこういう分野に置きたいということになれば、どういう分野にするのか、どういう人数が必要なのかということは当然会長がお決めになることです。  ですから、そこで当然会長の意見が入るわけですから、そして会長が恐らくこういう方々がいいだろうという、いろいろな御意見が会長の中にも出てくるでしょう。そして、総理に任命をしてもらう。そのとき総理大臣は、やはりこれは教育行政の衝にある文部大臣意見を聞く、教育の諸制度を考えることですから教育行政の衝にある文部大臣意見を聞くということが、当然私は一番教育の大事な役割を担うという文部省の立場からいって、それは決して先生がおっしゃるように、文部大臣が全部握ってしまおうという意味ではないと思うんです。これはどう読んで見ましても、総理大臣が任命をする五条のところと同じであります。    〔委員長退席、理事坂野重信君着席〕  ただ、先生が御心配のように、会長が推薦する、会長が選ぶということは常識的であろう、これも一つのお考えだろうと思いますが、あえてそこまで明記をしなくても、会長が専門委員を置こうということを判断されるわけでしょう。そして、会長がどの分野から何人の人間をということをお考えになってお決めになることですから、会長の意見は当然入ってくるわけです。したがって、あえてそのことを明記する必要はない。むしろ、総理と会長の間でお進めになることよりも、繰り返して恐縮ですが、教育行政の衝にある文部大臣意見も聞くということを法律上に明記していくことの方がより教育の制度を考えていく上において効 果がある、私どもはそのように考えさせていただいておるんですから、ぜひその点についても御理解をいただきたい。  先生のおっしゃっておることを私は否定しておるのじゃないんです。先生がおっしゃるとおり、会長が推薦するということはごく常識的ではないか、こういうふうにおっしゃいますから、そのとおりなんです。ですが、当然会長が考えられることですから、あえて法律で明記する必要はないという判断を私どもはいたしたわけであります。
  62. 穐山篤

    穐山篤君 私の提案を否定していないということになれば、従来のいろいろな審議会法律のつくり方があります。ですから、私の意見を否定していないとするならば、会長の意見を聞いてとか、会長の推薦によりとか、あるいはそれに準じたような方法を本法の中に明記する、このことの方がより筋道が立つと思う。文部大臣主務大臣でありますけれども審議会に対しましては中立的な立場を最後まで通さなければならぬわけです。そういう人間が、そういう職柄にある者が専門委員を推薦する、専門委員について総理意見を出すということについては過剰だと私は思うわけです。これは意見の違いです。これは明確にしておきたいと思う。  それから委員国会の同意人事です。国会の本会議にまで上がる手続については従来の慣行を尊重されますか。どうでしょうか。
  63. 齊藤尚夫

    政府委員(齊藤尚夫君) おっしゃるとおり、従来の慣行、手続を尊重することとなるというふうに考えております。
  64. 穐山篤

    穐山篤君 私も、実はある委員会委員長をやっているわけですが、国会の同意人事事項もしばしば担当します。原局が、ある場合には衆参両院の常任委員会委員長、特別委員長に、こういう方を今度推挙したいと、経歴、実績その他そういうものをつけて、非公式ですが、あらかじめ同意を得てくる。あるいは必要によりましては、これまた非公式でありますが、理事会の意見を聞く。所要の手続をとって、最終的には議運に上がる。こういう従来の慣行はそのまま尊重していただけますね、今の御答弁では。
  65. 齊藤尚夫

    政府委員(齊藤尚夫君) これは法律ができますと総理府に設置される審議会になるわけでございまして、そのような人選についての手続は文部省が行うのではなくて、そちらの方で行うことになるわけでございます。文部省はこれまで国会同意人事というような手続をとったことがございませんので、そういう意味で的確なお答えができないのでございますけれども、常に人事を扱っておられます総理府の方で行われることでございますので、そういう意味で、そのような慣行が守られるのではないかというお答えを申し上げたわけでございます。
  66. 穐山篤

    穐山篤君 従来の慣行を尊重する、これは政府全体の気持ちだろうと私も率直に了解します。しかし所管が違うといえば、これはまた具体的な問題では議論はあるかもしれませんので、そこの部分は保留をしておきます。  さてその次に、前回も指摘をした問題ですが、仄聞するところによりますと、顧問制度を考えたわけではないんでしょうが、新聞には随分新聞辞令が出ています。新聞で人事が既に発令をされています。私どもはこの顧問制度というのは必要はない、もっと国民各層各界の意見を聞くとするならば、公聴会をやるとか、あるいはアンケート調査をやるとか、あるいは出張っていって意見を聞くとか、いろいろな広範囲にやるべきであって、屋上屋を制度の上で重ねるべきではない、こう申し上げた。文部大臣答弁としては、これは審議会考えることでしょうと、こう言われましたが、新聞辞令が出ていなければ審議会の話題にもならなかった話だろうと思うんです。私どもは、この顧問というんですか、元老会議というんですか、この必要はない、こういうふうにそこでは厳しく申し上げておきたいと思うんです。  それから、前回、粕谷先生から質問がありまして、保留になっていた問題がありました。それは守秘義務の問題あるいは公開の問題、罷免の問題、一連のことにかかわるわけですが、この法律にありますように、もし委員が職務上不都合のあった場合には罷免をされる、こういうことになっています。調べたところによりますと、過去こういう審議会で罷免になった事例は余りないようであります。しかし例としてこれからあるかないかは別だと思うんです。罷免になった場合に、その御本人の抗弁といいますか、釈明といいますか、そういう場が保障されているかどうか、このことについて政府の統一見解がなかったんです。文部大臣、その点いかがでしょう。
  67. 齊藤尚夫

    政府委員(齊藤尚夫君) 修正点につきましては、政府がその部分について具体に御答弁する立場にないことは御了解いただきたいと思います。一般論として申し上げたいというふうに考えます。  あのときの質疑につきましては、具体に罷免をする場合の手続についてお尋ねがございまして、罷免に当たっても国会の同意という手続が必要だというふうに粕谷先生からお答えがございました。その場合に、一般の公務員の不利益処分審査請求のようなそういう手続はないけれども、そのような罷免についての国会同意の過程の中で本人の弁明その他の手続が行われるという前提考えますと、その場合には国会自身で御判断いただく課題ではないか、そのような本人の弁明を求めるということも国会の御意思で決定していただければよろしいのではないかというのが粕谷先生の御答弁であったというふうに承知をいたしておるわけでございます。
  68. 穐山篤

    穐山篤君 その点について、今の答弁は前回の質問を十分踏まえていない答弁じゃないか、こう思いますが、どうですか。
  69. 齊藤尚夫

    政府委員(齊藤尚夫君) 粕谷先生が国会で御判断いただくことですというふうに御答弁したことは確かだと思います。そういう意味で  申しわけありません。深谷先生でございます。申しわけありません。すべて今まで申し上げましたことは深谷先生がそのように答弁を申し上げております。
  70. 穐山篤

    穐山篤君 国家公務員法百条でない特別職国家公務員の問題については法制上明らかにされていないんです。残念ながら、各種の法律を全部見ましても、法的に位置づけがきちっとされていないんです。ですから、いずれも新しい例をつくることになるわけです。深谷さんは、国会でそれは考えればいいことだ、こういうふうに言われました。  例えば特別職国家公務員が守秘義務を十分に守らなかった、そういう場合に罷免をされることがあります。それから先日の答弁によりますと、国家的な秘密をもし漏らした場合、そういう例があるかどうかよくわかりませんけれども、そういう説明もありました。あるいは考えられる事項としては不熱心で審議会審議に欠席をする、それから健康上の理由でやめられる、この後段の問題につきましては、これは物理的な問題だから健康を害してと言えばそれで理由が立つでありましょう。その他の職務上の義務違反で罷免をされるということになりますと、これは個人の問題に帰すわけでありまして、これは個人とすれば相当の弁明、抗弁をしなければならぬ、こういうふうになるものと思うんです。余り前例がない事柄でありますから、私は政府側の統一見解を聞きたい、こう申し上げているわけです。    〔理事坂野重信君退席、委員長着席〕
  71. 齊藤尚夫

    政府委員(齊藤尚夫君) これは今回の審議会に限らず、一般的に特別職の公務員につきましての服務あるいは身分保障の問題かと考えるわけでございます。そのような意味から申し上げますれば、特別職の職員につきましては、この前もお答え申し上げましたように、一般職の職員のような処分後の不利益処分の審査請求というような手続は規定されておらないし、そのことはなされないわけでございます。しかし、国会の同意を要する審議会委員の罷免につきましては、国会同意という極めて手厚い保障の措置がとられておるわけでございまするので、そういう意味からいえば一般の公務員以上に手厚い措置ではないかというふうに 考えられるわけでございます。
  72. 穐山篤

    穐山篤君 これは法制局長官をいずれ呼んで統一見解を聞いておきたいと思うんです。ですから、保留をいたします。  次に、私は毎回申し上げているわけですが、内閣総理大臣が臨教審に対して一般論とすれば教育、文化及び芸術の広い範囲ということを諮問するわけでしょうが、二十一世紀を担う青少年の文化、教育、芸術問題について諮問をするわけですから、当然幾つかのテーマがあるはずであろうということをしきりに申し上げたら、文部大臣は今のところそれはない、衆参両院の審議経過を十分に踏まえていずれ総理大臣が考えるでありましょう、こういう答弁になっているわけです。内閣総理大臣は衆参両院の審議を全部聞いているわけじゃないんです。主務大臣であります文部大臣にどういう諮問をしたらいいか御下命があるだろう、こう思うわけです。文部大臣はどういうテーマを大筋総理大臣に意見の具申をするのか、あるいは臨教審に対してこういうことをひとつ大胆率直に審議をしてもらいたいのだという課題を、考えられる範囲で結構ですから、ひとつ明示をしてもらいたいと思うんです。
  73. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 先般、穐山さんの御質問がございまして、諮問することについては今何も考えていないと答えたという御指摘がございましたが、そのような私は意味で申し上げたわけではございません。審議事項については、これは当然審議会自身で御判断をいただくことになります。審議会でお決めになることになります。これは自由な御討議をいただいて、その審議事項については当然審議会で御論議をいただきますが、これについて私どもから今事細やかにああだこうだということはかえって越権ではないか、これは私ずっと衆議院の内閣委員会も通じて申し上げてきたところでございます。  諮問のいわゆる内容については総理がお決めになります。これは国会でこの設置法が成立をさせていただいて、そしていろいろ国会で御論議をいただきました事柄などを踏まえて総理が諮問の内容をお決めになると思いますが、私どもは大変事柄が幅広くなりますから極めて基本的に、包括的になるのではないか、こういう私は予測を申し上げてきたわけでございます。しかし、何も全く考えていないというのはおかしいではないか、そういう御質問も先般ございました。したがいまして、総理は施政方針演説等で教育改革に対する御自分の考え方を幾つか述べておられます。これはきのう私は連合審査でもそのことを、少し長くなりましたが、どなたかの御質問がございましたから申し上げておきました。文部大臣として何を考えておるかということでございましたから、三つほどの私は視点もあのとき先生に申し上げたと思います。これは省きます。そういう考え方から教育全体の改革についての御論議をこれから願うということになろうかと思うんです。  そこで、ちょっと前段が長くなって恐縮でございましたが、確認の意味でそれだけ申し上げさせていただいたわけでございますが、今、穐山さんからまさしく御指摘がありましたように、総理国会論議を聞いておるわけではないから、当然総理に対して国会論議を、主務大臣としてやっておった文部大臣として何かを言うべきであろう、こういう今お問いかけでございますから、それにつきましては今まで予算委員会、本会議あるいは衆議院内閣、参議院内閣、衆議院文教、参議院文教、それぞれの立場でいろいろと具体的な御質問がございます。その御質問に対して、私はこうしたことなども検討いただくことは適当であろう、あるいは期待をしたい、こういうふうに申し上げてきた事柄がございます。  これを全部申し上げたら先生の時間にかえって御迷惑をかけてしまいますから、幾つかちょっとポイントだけを申し上げますと、全体的には学校制度の改善や教師の指導力の向上等というような問題、これを初等中等教育立場、高等教育立場、教師の指導力の向上、その他というふうに大体私が答弁をいたしましたものの整理を事務局にさせています。一いわゆる先導的試行のこと、学制のいわゆる年限、区切り等、あるいは就学年齢、これは昨日も出ました。あるいは中学校と高等学校との関係、あるいは高等教育では単位の互換性、あるいは高等教育機関全体のあり方、あるいは高等教育全般の見直し、教養課程のあり方、いわゆる九月入学などを含める入学期などの改善、試験制度全体の長期的なノーハウというような問題、あるいは教師の指導力につきましては教員養成の問題、インターン制度の導入、いずれもこれは私から申し上げたことでございません。念を申し上げますが、先生方からの御質問に対してお答えをいたしていることでございます。  それからもう一つ、大きな区分けとしましては、我が国社会における教育の諸機能全般の活性化というふうに考える観点から、幼保の問題、きのうこれは粕谷先生、糸久先生も連合審査で御質問なさった件です。幼児教育教育の中の荒廃や教育の環境づくり、塾や予備校という問題、それからまた大きな区分けとしましては、学歴社会の是正と生涯教育の機会の充実の確保、社会が求めている人材というのはどういうものであろうか、大学の入試等人物評価の多様化の問題、あるいは学歴社会の改善、資質が正当に評価される資格制度や雇用のあり方、こういうようなことを申し上げております。さらに生涯教育の問題として、ゼロ歳から生涯にわたる教育全般の問題、かいつまんで大変急ぎますけれども、私としては答弁としてこうしたことなどが審議会でいろいろと御論議をいただくということが期待ができるところではないか、こういうふうに申し上げてきたわけでございます。  こういうふうに申し上げてきました今日までの国会論議を踏まえて、私なりにこれはまさしく私が今私的に大体取りまとめをしてきたことでございますので、初めて国会を通じて申し上げることでございますので御理解をいただきたいと思いますが、こうしたことなどを大体まとめて総理に申し上げるということになるとするならば、臨時教育審議会への諮問はやはり基本的な、包括的なものである方がいいだろうと私は総理に申し上げたいと思うんです。そして、何をどのように審議するということについては、審議会で自由な論議を通じて審議会自身でお決めをいただくことが適当であろう。そして、諮問に関連をいたしまして、これまで答弁したことを今、先生にちょっと御説明させていただきました。そうしたことなどを整理して私の考え方をちょっとまとめてみますと、大体次の三点ぐらいになるのではないか。  それには、二十一世紀に向けて教育改革を推進するに当たって、まず一としては、学校教育の現状を再検討し、学校制度の改善や教師の指導力の向上等を図ることが基本的な課題であろうということ、第二としては、同時に教育は学校だけで行われるものではなくて家庭や社会においても行われる営みであるということを考慮するときに、学校教育のみならず広く我が国社会に存する教育の諸機能全般の活性化の方途、道を探る、探究することが必要ではないだろうか、三番目としては、さらに学歴社会を是正し、生涯にわたる学習の機会をどのように充実させ、そして確保していくかということも欠くことのできない課題ではないだろうか、私はこのような今まで御答弁申し上げてきたことをまとめ上げて、大体この三つの考え方を一つの課題として長期的な展望に立って社会の変化や文化の発展に対応する教育のあり方について広く、かつ総合的な御審議をいただきたい、こういうふうに考えておりますというふうに総理に申し上げよう、こういうふうに思っております。もちろん、まだ国会でどういうふうになりますか、また先生方からどういう御意見が出てまいりますか、当然そのことについてまた私なりの考えをまとめてみたい、こういうふうに思っています。
  74. 穐山篤

    穐山篤君 三カ月余にわたる審議の結果、ようやく腹の内と言えば語弊がありますけれども、整理されたものが言われました。  そこで、この臨教審に賛成の方の質問の中や反対の立場の中の意見を見ますと、しばしば教育基 本法の枠を飛び出すのか、あるいはこだわらないでいくのか、あるいはそれを堅持してやるのかということが随分議論をされています。もちろん、それは文部大臣も聞かれていると思いますが、基本的、包括的なことがよかろうという前提で三つ大きなテーマを出されました。これはもちろん教育基本法並びに憲法を尊重する、そういう立場審議が行われる、審議をしてほしい、こういうふうに理解をしていいでしょうか。
  75. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) この法律にも明記をいたしておりますように、私ども教育改革を行うに当たりまして、教育基本法の精神を大事にして当たりたい、こういうふうに再三答弁でも申し上げさせていただいております。憲法を大事に守る、その憲法の精神を教育の諸施策の中に生かしたものがこれは教育基本法でございまして、その教育基本法はいろいろな学校教育教育全体に対する諸法律の中の一つのこれはバックグラウンドといいましょうか、基本的な理念になっているわけであります。したがって、憲法、そしてまた教育基本法の理念を生かして、これは教育改革に当たっては当然守らなければならぬということでございます。したがいまして、私どもといたしましては、この法律の中にもそのことも明記をいたしますし、そしてまた臨時教育審議会が発足し、そして発足に際してこのことは総理からお話もあろうということは当然のことであろうと思いますし、また私どもとしても審議会の皆様方には教育基本法を大事にして、その精神のもとでぜひ御論議を深めていただきたいということを期待いたしたい、このようにも申し上げてきておるわけでございます。
  76. 穐山篤

    穐山篤君 総理が本会議答弁をされた部分がありました。その答弁はこういうことです。我が国の教育教育制度を含めて、戦後すぐれた部分が一方にある、しかしながら影の部分についてもある、十分それを踏まえて臨教審審議したい、こういう答弁がありましたので、私はすぐれた部分というのは何であろうか、影の部分になっているのは何であろうかという質問の通告をしました。その結果、代表的なことが回答として返ってきているわけです。  教育制度のすぐれた部分については三つありました。教育の機会均等の理念のもとで国民教育水準を向上させたこと、二つ目は国民の人間形成や人材育成の面で大きな成果を上げたこと、三番目は今日の我が国の発展と繁栄をもたらしたものとして国際的にも評価を得ている、この三つが明るい部分ということで統一見解が来ております。それから影の部分ですが、ここはよく記憶をしてもらいたいんです。近年における社会の変化や教育の量的拡大などは教育のあり方に対しても大きな影響を与えており、例えば一児童生徒の能力、適性などが多様化している実態に学校教育が十分対応しておらず、画一的に過ぎるのではないかとの指摘があり、また二つ目は青少年非行や校内暴力、登校拒否など児童生徒の問題行動、三つ目は偏差値指導を生みやすいような過熱した受験戦争や、これに関連して学歴偏重の社会的風潮などの問題が指摘されていると、自分の意見と他人の意見をまぜて答弁書が出ているわけです。この影の部分についてよく吟味してみますと、今の問題でもあるし、将来の問題にもかかっているわけです。  そこで、くどいようですが、二十一世紀を背負う青少年の問題ということになりますと、かなり先の問題です。時間的に先の問題です。総理から答弁をもらいましたこの部分というのは、当面の問題を含め、将来の問題も含まっているわけです。ほとんどこの三つの問題は当面の文部行政の重要な課題になる。したがって、この三つの問題は、将来にもかかっているけれども、今日的な課題ですから、これは文部省の固有の文部行政の問題として対応しなければならぬ、多分そういうふうに答弁はされるのじゃないかと思うんですが、その点はどうなんでしょうか。
  77. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 確かに穐山さん御指摘のように、このいわゆる影という、影という表現がいいかどうかは別といたしまして、御指摘がありました今の一、二、三の問題は確かに今日的な時点の問題でもございます。しかし、例えば青少年の非行、校内暴力、登校拒否、児童生徒の問題行動、今の時点としてもこれを解決していかなければならぬということは言うまでもございませんが、こうした事柄などを一つ一つ今改善をしていくだけでは解決点にはならない。やはり教育全体の仕組み、制度、あるいは例えば偏差値を生み出してきたような過熱した受験競争というのは、学歴社会という今の社会全体が持つ一つの、あえて病理と言っていいかどうかわかりませんが、そうした一つの今日までの国民的な意識もあるかもしれません。  こうしたことなども当然やはりバックグラウンドとして検討して改めていかない限りは、教育諸制度の中での一こまだけを改善してもなかなか解決できるものではない。当然、今日的な問題であると同時に、この問題はこれまでもいろいろな形で改善をするように努力してきた。例えば共通一次にしてもそうでございましょう。あるいはゆとりある教育の展開でもそうです。しかし、それだけではなかなか実は上がらないということも、我々がこの試行錯誤を繰り返してくる中で、そういうことも問題点として考えなければならぬ。今日的な問題であると同時に、将来、教育全体に対してのあり方、見直しというものもこの際並行してやっていかない限りは解決点が見出せないのではないか、私はこのように考えておるわけでございます。
  78. 穐山篤

    穐山篤君 原則的にはそうでありましょうが、例えば偏差値指導あるいは共通一次、入試の改善という問題は、文部省なり文化庁にあります審議会とか協力者会議の中に諮問をして、その諮問を受けて当面の対症療法と言っては語弊がありますけれども文教行政に乗せていく、そういう計画がおありですか。
  79. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 偏差値指導というようなことを今、先生がちょっと例としてお取り上げになりました。例えば偏差値指導を重視していくような、こういう過熱した受験競争、こういう学校の先生方、むしろ私は先生方が一番お気の毒だと思っているんです。  しかし、学校単位の評価の仕方というのはなかなかわかりにくい。何かのやっぱり指標がないといかぬ。先生にとっては親御さんから子供をお預かりする。言い方はいい言い方かどうかわかりませんが、ある意味では親御さんの期待を先生は一手に受けておられる。そして、この子たちを浪人もさせずにできるだけいいところへ進学指導してあげたい。こう考えるが、さて、よその学校とはどうだろうかということについては常に先生は心配しなければならぬ。ついついそういうこともあって、そういう指数みたいなよりどころを求めるために偏差値を利用せざるを得ない。これは先生の立場から考えると私はやむを得ないだろうと思うんです。しかし、そのことが大変受験産業みたいなものを助長させていく、こういう社会は私はこれは何としても排除しなければならぬということは言うまでもないんです。  そこで、そういうものをつくりなさんなということで、選抜方式を例えば大学に今お願いをする。しかし、国立大学にいたしましても、果たして受験のレベルを下げることがいいのかどうかということについてはいろいろな議論がある。あるいは私立大学についても、共通一次の中に加わっていないものですから、どんどんより専門的、より高度になり、より濃密な問題になって大変な偏差値の高いものに特定の大学はなってしまう。それについては共通一次の中に入ってやってくれませんかと言っても、なかなか教授会でも合意が得られないとか、いろいろな理屈が出てくる。  結局、そういうふうに考えれば、大学のレベルや学問を下げなさいということはなかなか文部省として言えるものでもない。こういうことは、やはり今日的課題ではありますが、今日的に短兵急に文部省の中だけでの議論ではなかなか解決できる問題ではない。あるいはまた、世の中が特定の大学から採らないようにしたらどうか、あるいはいろいろと国会を通じて先生方からも御意見がご ざいましたが、卒業証書などは要らぬのじゃないか、自分の必要に応じた学問を身につけ、その学問の単位を取る、そのことを社会が評価してあげるような制度にならないだろうかと国会論議では出てきても、社会がそんなもの認めなければどうにもならないことであります。  そういうことなども検討していかなければならぬということになりますと、やはり臨時教育審議会のような幅広い分野の中から、そしていろいろな方々の知識の中から諸制度全体に対して長期的な課題としてお取り上げをいただくということでなければ、偏差値の問題だけを今是正する方法というのは幾つかあると思うんですけれども、それだけ手にしていても、まだ次のそのことに対する別の私はまた問題が出てくるのではないかというふうに考えますので、文部省としては努力をし、そしてまた文教委員会などを通じて先生方の御意見等をちょうだいしながら、文部省固有の事務として改善をするように最大の努力はいたしておりますものの、社会全体の対応の仕方というものについてこの際、総理大臣の諮問機関として政府全体で検討いただくということがよりいい方向が見出せるというふうに私は確信を持っておるわけでございまして、そういう意味でこうした考え方で御論議を高めていきたい、御論議をしていただきたい、こういうふうに政府としてはお願いをいたしておるところでございます。
  80. 穐山篤

    穐山篤君 いかなる制度をつくりましても、それが一〇〇%ということは教育問題についてはないと思うんです。すべてそれは試行です。試行の積み重ねをしていって将来よりベターにしていく、こういうものであろうと思うんです。時間の都合がありますので、この諮問のテーマというものはわかりましたけれども、実際の諮問の仕方について指摘をし、質問をしたいと思います。  従来、長い間、文部省の中にはたくさんの審議会あるいは研究会、協力者会議がありました。文部大臣、よく聞いておいてもらいたいんですが、例えばある問題について自由に御審議をいただきたい、こういう諮問をしている問題があったんです。ところが、後ろの方から紙一枚参考資料で、これを審議しろ、これが文部省がよくやる手なんです。具体的に指摘をしてもいいです。しかし、時間がないからやめます。従来、文部省の諮問の仕方というのは、自由濶達にどうぞと言いながら、これを審議しろというふうに土俵をあらかじめ決めちゃうんです。そして、イエスノーかを求めるような形になる。一番典型的な諮問の内容というのは教員の養成及び免許制度の改善について、参考資料とは書いてあったのだけれども、実際のものは法案の原案です。こういうやり方を従来、文部省は間々とっていた。  そこで、私は確認をすると同時に、質問をしたいんですが、この臨教審というのは自由濶達に大きいテーマでやってください、これは政府意思としてはわかりましたが、裏側から紙を回して、これで審議しろというようなことは絶対ありませんね。その点、確認しておきます。
  81. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 私も、どのような形でおやりになるのかということについては経験もございませんし、文部省が従来やっておりましたことについて先生から御指摘ございましたが、私自身としてもそうしたことを承知いたしておりません。しかし、この臨時教育審議会の御議論をいただく上におきましては、今、先生から御指摘がございましたように、やはり広く、自由濶達論議をしていただく、そして冒頭の先生の御質問の中にもありましたように、必要に応じて会長と委員皆さんが判断をして専門的にさらにそれを深めていく、議論をされていくことが至当であろうというふうに私も考えております。
  82. 穐山篤

    穐山篤君 従来やった手は使わない、その点を確認しておきましょう。  さてそこで、この問題、臨調でもあるいは臨教審でも共通する事柄なんですが、やっぱりきのうの連合審査でもあるいは公聴会でも若干指摘をされたんですが、文部行政のあり方、文部省の体質ということがしばしば指摘をされたんです。私は、文部大臣は非常に情理を尽くして、誠意をもって答えられているから文部大臣だけを責めるつもりはありませんが、文部大臣が従来、文教の責任者として自民党の中でも力を発揮してこられました。いよいよ具体的に文部大臣としてその衝に当たられて、文部省をあるいは文部行政をどういうふうにごらんになっていますか。明るい面と暗い影の部分が当然あったと思うんです。いい面は私も評価します。影の部分は、あるいは直さなければならぬ、改善しなければならぬ。問題になる点はどういうところにあるか、まず文部大臣にお伺いします。
  83. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 突然、文部省についてどう考えるかというお問いかけでございますから……
  84. 穐山篤

    穐山篤君 突然じゃないんです、通告してありますから。
  85. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) そういう通告があったかどうかはちょっと私も明確でございませんが、私たびたび申し上げておりますように、日本の今日の繁栄、そしてまた国際的にも評価をされる、そうした国になってきた、これはまさしく国民総意のエネルギーであることは間違いありませんし、その大きなよってしからしめるところは教育にあったと思います。  非常に複雑多岐な世の中の変化に対して、文部省、そして文部省の任におります公務員、一生懸命よくやってこられたというふうに私は考えます。特に、戦前の一つの教育の成果、そしてまた敗戦ということに対する深い反省の中から新しい憲法、新しい教育基本法の理念のもとに、今日まで教育の成果がまさに誇るべきようなこれだけのすばらしい国にしたその大きな土台づくりは教育であった。そのことに今日までの文部官僚は大変な努力をしてこられたというふうに私は大変評価をいたしております。  しかしまた、一面においては、私も党の文教部会長などをいたしてまいりまして、政治家でございますから、他の役所の予算なども見てまいりまして、文部省の場合は他の省庁とはいささかちょっと趣が違っております。文部省の考え方としての指導助言をしていく、あるいは予算の配分をしていく、そのことの実際の効果あるいはその成果というものは、地方教育委員会が現実にこのことを行っていくわけでございますから、やはり文部省から見ていささか隔靴掻痒の感というものもあるだろう、こう思うんです。  しかし、今の教育制度というものは、いろいろな日本の国の過去の反省の中からでき上がった一つの新しい体系でございますから、これをしっかり守りつつ文部省はやってまいりました。そのことについては、私は他の省庁と違って大変な努力も要ったことだろう、こう思います。そしてまた、その具体的な実効をすぐ肌で感じて受けとめられることができないという、そういう仕組みにもなっているわけでございますが、それだけに、よく教育委員会等あるいは学校教育の現場等ともいろいろな連携をとりながら私は教育を展開してきたということは評価をいたしたいし、影の部分ということは私はあり得ないと思っておりますが、それなりにやはりもどかしさというものは常にあるだろう、こう思うんです。  そうしたところが、文部省の今日までのお役所の皆さんと私もおつき合いをしてみて、その点のところが一番彼らにとって苦痛といいましょうか、もう一つ喜びをすぐぱっと味わっていけないというような、そういう文部省独自の考えといいますか、そういう感覚を役所の皆さんはお持ちではないか、そんなことを聞いたことはございませんけれども、そんなふうに私は感じでおります。しかし、総じて今日までの日本の国の量的な拡大あるいはまた質的レベルの向上、そういう面で大変な努力をしてこられましたけれども、なお一層、たびたび申し上げておりますように、今日的に激しい世の中の変化やあるいは文化というものの進展に対して一生懸命これから取り組んでいくということについて、課題としては大変大きな問題でありますだけに、新たにそうした臨時教育審議会 などを設けて、そうした方々から幅広く御論議をよりつくっていただいて、そして国民の多くの皆さんからの御意見をぜひ求めたい、そういう気持ちで今文部省の皆さんは一番そのことを期待し、願っておるであろうというふうに私は感じとして受けとめております。
  86. 穐山篤

    穐山篤君 久保先生にお伺いしますが、国民教育審議会設置法の提案理由の中に、この審議会文部大臣が主宰する、こうなっていますが、その前提として、文部省あるいは文部行政の民主化、活性化というものがまず前提になって、その土台の上に国民教育審議会設置しよう、こういうように具体的に指摘をしているわけですが、文部行政のどこに問題があるか、何をどう改善すれば国民の期待に沿えるかという点について、ひとつ御意見を伺いたいと思うんです。
  87. 久保亘

    委員以外の議員久保亘君) ただいまのお尋ねに対して、私は細かい、どこをどういうふうに機構を改革するとかいう問題ではなくて、文部行政のあり方という立場からお答えをしたいと思うのであります。  森さんが文部大臣におなりになりましたときに、ある新聞のインタビューをお受けになって、その中で戦後一番力の弱くなったのは文部省だ、こういうことをおっしゃっております。これは、私は自民党文教部会の幹部としてやってこられた森文部大臣の就任のインタビューとして率直な御感想であったのではないか、こう思っております。  なぜ、文部省はそういうふうに無力な役所と考えられるようになったのか。私は、やっぱり憲法や教育基本法に定めてございます教育の政治的中立というものを文部省が正しく生かしてこなかった点にあるのではないかと思っております。政治的中立というのは、ただ単に政治的な権力の支配や介入を許さないという受け身の立場だけではなく、もっと積極的に教育権の自主、独立を確保して第四権的な教育権の確立を図る、そういう積極的な面が意味されていると考えているのでございます。そういう意味では、戦後の文部省の行政の基本というのは逆の方向へ動いてきたのではないか。その最も最たるものが、せっかく地方自治における教育権の確立を図ってまいりました地方教育委員会の公選制をみずから廃して、これを任命制に変える、こういうことによって確かに文部省は地方教育行政に対する支配権は確保したけれども教育権の本来持つべき自主、独立の機能を失わせてきたのではないか。それが中央の文部省の教育行政の中にもそういったような考え方がずっと濃厚にあらわれてきたものだと思っております。  今日、臨教審でなければ、つまり総理直属の審議会でなければ教育改革を論ずることができないような議論が行われるほど文部省が無力化したところに、今の文部省の改革をやらなければならぬ根本の問題があると私は思っているのであります。文部省が同じメンバー、同じ目的でつくる教育審議会を、なぜ文部省ならば実効性がなくて総理直属ならばそのことに実効性が伴うというような議論が行われるのか、こんなに不思議なことはないと私は思っているのであります。むしろ、そういう臨教審的発想が生まれてくるところに教育の政治的中立という基本の問題が揺らいでいるあかしがあるのではないか。私は、そういう意味において、非常に今の文部行政のあり方というものに対しては心配をすることがたくさんあるのでございます。  そして、そういうようなことを改革していくためには、まず文部省自体が教育権の自主、独立を確保して、その自主、独立の確保の上に国民全体の意見を糾合できるような審議会をつくって教育改革の方向を定める。その教育改革の定められた方向に対して政府が全体として責任を負う。審議の段階においてはこの文部省の枠を超える広範な各省庁の協力を求めることは当然のことでありまして、そういうことがやれなくなっているところに文部省の今日の重大な欠陥があるのではなかろうか。その証拠に、中央教育審議会が四六答申を出して文部省の中にそのための機構までつくっておりながら、臨教審法案が提出されるころになりますと、その看板がいつの間にか文部省みずからの手によって外された、ここに問題があるだろう、私はこう思っております。
  88. 穐山篤

    穐山篤君 これからの教育改革を進める上で、文部大臣あるいは文部省の位置づけというのは非常に重要です。今、久保先生からかなり厳しい意見がございました。その点について、文部大臣の御意見いかがですか。
  89. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 久保先生の御意見は御意見として、また同じ国会に議席を持つそうした政治家のお立場としてのお考えを示されたものであろうということで、御意見として私は伺っておきたいと思います。  しかし、文部省といたしましては、中教審が決して形骸化したとか、あるいは文部省の力が全くなくなってきたから新たな臨時教育審議会を設けるということではないわけでございまして、より幅広く、より内閣全体としての教育に密接に関連した行政の各機能、そことの関連をこれから問わずして教育制度というものは語れないというふうに私は考えております。確かに久保さんのおっしゃるように、それは文部省の中でやってもいいじゃないかという意見もありますけれども、今日までの文部省の中の固有の機関として一つの考え方を求める、あるいはそれについて出してきた際に、やはりこれは政府全体で受けとめていくという、そうした担保した法律ではないわけでございまして、そういう意味では今度の場合は内閣全体の総合調整権を持つ内閣総理大臣がそれを諮問することによって、そして文部大臣がその主務大臣として教育制度全般に及ぼしていく、私はこのように受けとめていくことは、将来の日本の文教行政というものはより強固になり、さらに飛躍をしていくという、そういう意味で大変私は意義あることだというふうに考えているわけでございます。  先般、たしか菅野さんの御質問の際にもちょっと申し上げましたけれども、よく臨調との関係はどうなるかというような御意見もこの国会で出てまいりました。臨調はすべて聖域なしに行政を身軽くしていこうということで、まさに財政や行政という立場だけで、教育の制度も農林行政も通産の制度も皆切っていくべきものは切るという考え方でございます。教育的な配慮教育的な見地という見方はもちろんあったとは思いますが、そこには重さはなかったと、こう考えます。しかし今度は、総理といういわゆる諮問をする内閣のそうした審議機関として、教育的見地というものを一つの基盤にして教育の諸制度を内閣全体で見るということが私は必要になってきたというふうに考えます。そういう意味で、臨時教育審議会というのは今の日本の国の教育をこれから考えていく上にとって極めて私は的確であるというふうな判断をして皆さんにお願いを申し上げておるわけでございます。
  90. 穐山篤

    穐山篤君 お二人の意見はわかりましたが、文部行政基本になりますのは文部省の設置法であろう、なかんずく第五条の文部省の権限というものが一つあります。それから教育基本法全体もそうでありますが、教育行政にありましては教育基本法の第十条というものが厳しく明示をされています。それから地方教育行政の組織及び運営に関する法律の第五十二条で文部大臣または都道府県委員会の措置要求、こういうものが基本になっているわけです。  そこで、今お二人から指摘をされましたが、文部大臣、私は私の個人的な意見ではありますが、この審議会を通じて次のように文部行政に問題の提起をしておきたいと思います。  一つは、文部省ないしは文部行政全体が戦前回帰の風潮が非常に強いんです。常にそれが底流になっているんです。いかなる法案を提示しようにも、かつての文部省は、昔の文部省はということが先に出るんです。具体的に幾つか申し上げることはないと思いますけれども、それが寄ってたかって文部省のOBなり文部大臣のOBを含めて昔は昔はという戦前回帰の底流があるために、非常 にそれが近代的な文部行政と常に対立をしているということについて十分認識をしてもらいたいと思うんです。  それから二つ目の問題は、個人として文部省の中で随分苦労されている人もあります。しかし、総じて言えますことは、教育現場の実態を知らないということなんです。これは私はひどいものだということをしみじみと幾つかの問題で感じました。教育現場の実態を、いい面もあるだろうし悪い面もあるだろうし、たくさん十分に熟知して、それを文部行政に上げなければならぬわけですが、ほとんど知らない。勉強している人もありますけれども、機構全体として教育現場のことを知らない人が多過ぎる。そういう機構になっている。そのことを厳しく指摘をしておきたいと思います。  それから文部行政、文部関係のあるいは文教関係の情報というものは偏り過ぎている、一方的であります。いい情報は中央に上がりますけれども、苦い話や嫌な問題というのは中央にどうしても吸い上げられない、途中でとまっているという弊害がたくさんあります。これを基礎にして文部行政考えられたのでは、これは子供さんも先生方も困っちゃう。  四つ目の問題は、最近塾を初めとしまして教育産業が非常に花盛りであります。文部省もこれにいや応なしにかかわらざるを得なくなってきたと思うんです。これはやむを得ない事態だと思う。しかし、それに文部省が手をかすような、結果として汚職が起きるようなことになっては困るし、ならないでほしいと思っていましたけれども、つい最近ぞろぞろ問題が出てきたわけであります。きのうの連合審査でも、これは単に個人の問題じゃなくて構造の問題じゃないかと言って指摘をされました。文部大臣は否定をしましたけれども、これほど教育産業が幅広くなってきますと、いや応なしにかかわらざるを得ないわけです。ですから、それはシステムとしてきちっと整理整とんをしておきませんと文部省というのは足元をすくわれる、その条件を十分に持っているというふうに言わなければならぬ。  それから五つ目の問題は、私は先ほど審議会なり協力者会議その他懇談会のことを言いましたけれども、この人選と運営が非常に偏っている。審議会なり協力者会議に指名されます先生方、学識経験者というのが、ああまたあの人かと、そう言われるようになる。そして、諮問をしながら、参考資料として実はそうでない文章が、諮問の裏側に紙が常について回っている、文部省の場合。こういうものが全体として文部行政をゆがめているわけです。厳しく言えば憲法及び教育基本法が文部省の中で定着していない、こういうふうに言わざるを得ないと思うわけです。  私は、文部大臣が非常に熱心に謙虚に今回の審議に当たっておりますので、個人を責めるつもりはありませんけれども、全体として言えばこういう欠陥を持っているわけです。だから、それを十分に改善をしなければ教育改善という話にはなかなか耳をかそうとしない、いいことであってもなかなか賛同しがたいという問題が現に出ているわけです。私は、具体的に五つの問題、それを踏まえて憲法及び教育基本法の堅持という問題を申し上げました。時間がありませんので、文部大臣の感想をひとつお伺いして終わりにしたいと思います。
  91. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 五つの具体的なお考えをお示しいただきまして、それぞれお一つお一つについて、私の感想や、また先生のお考え方について、また文部省の実態というものについても御説明をさせていただきたいと思いますが、限られた時間でございますから略させていただきます。  ただ、先生から御指摘をされましたことにつきましては、常々私どもとしては十分教育行政が国民皆さんから理解をされ、そしてまた協力を得るということが一番大きな前提でございますから、このことを十分配慮していかなければならぬということも多く御指摘があったというふうに受けとめさせていただきたいと思います。  特に、いわゆるシステムとしての、今回のような不祥事の問題についての御意見、これは文部省の体質ではないかということについては、これは大変極めて厳しい御指摘であり、文部官僚の諸君たちが大変な今日まで努力をしておるということ、これは私は党におりましても承知をいたしております。ただ、普通の役所と若干違いまして、できるだけ学問の自由あるいは大学の自治、自主性ということを考える、あるいは研究、教育というものが実効が上がるようにということをできるだけ文部省としては応援をしていく、そういう立場にあるということは基本的なスタンスであるわけでございまして、そうした信頼関係というものがこうしたことによって消されたということは大変残念なことだ、しかしそういうシステムについては十分これから考えていかなければならぬということで、今文部省としては事務次官を長としていろいろな角度から検討を加えているわけでございまして、このことが文部省の体質そのものにあるというふうな御指摘に対しては、これはぜひそうしたことではないという御理解を願っておきたい。これは文部省職員全体の名誉にかけて、私からこのことは申し上げさせていただきたいというふうに思っております。  特に、最初にお話しになりました戦前回帰の底流ということなどにつきましては、そうしたことに疑念が挟まれないように、そういう危険にならないように、憲法の精神、そしてそのことを教育法律であらわした教育基本法というものを大事にして教育改革をしていきたいということも常々申し上げ、また法律にも明記をいたしておるということも、ぜひ御理解をいただきたいと思うんです。  幾つが御指摘の点ございます。私どもも十分、先生の御意思を体して、文部行政が本当に国民理解と協力を得られるように、文部大臣としてもその責任を大きく私は痛感をいたしながら教育行政を進めてまいりたい、こう考えておりますので、今後ともいろいろな意味で御指導、御鞭撻を賜りますようにお願い申し上げて、意見にかえさせていただきます。
  92. 高平公友

    委員長高平公友君) 午前の質疑はこの程度とし、午後一時十分まで休憩いたします。    午後零時二十一分休憩      ―――――・―――――    午後一時十三分開会
  93. 高平公友

    委員長高平公友君) ただいまから内閣委員会を再開いたします。  委員異動について御報告いたします。  本日、藤井恒男君が委員辞任され、その補欠として小西博行君が選任されました。     ―――――――――――――
  94. 高平公友

    委員長高平公友君) 休憩前に引き続き、臨時教育審議会設置法案及び国民教育審議会設置法案の両案を一括議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  95. 本岡昭次

    本岡昭次君 文部大臣に伺います。  臨時教育審議会設置するのは「二十一世紀の我が国を担うにふさわしい青少年の育成を目指して教育全般にわたる改革を推進」するためだと提案理由説明をされています。今から四年前、昭和五十五年に戦後の文教政策の流れの中で学級編制基準は残された重要な課題だ、ゆとりのある個性を生かす教育をするためにぜひ必要であると、当時の文部大臣言葉なんですが、こういう趣旨のもとに四十人学級及び第五次教職員定数改善計画が制定をされました。これは文部大臣も御存じのことと思います。私は、この四十人学級及び第五次教職員定数改善というのは先ほど述べました臨時教育審議会設置理由とされている二十一世紀の我が国を担うにふさわしい青少年育成の学校教育を進めていく基盤づくりであったと思うし、その土台であった、このように私は考えているんですが、この点について、まず文部大臣の所見を伺っておきたいと思います。
  96. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 四十人が一番適当な一学級の編制であるかどうかということはこれはいろ いろ議論の分かれるところでございますし、また学説的にもどれだけがいいかというそういう明確なものはないわけでございます。しかし、行き届いた、また一人一人の先生方の立場、そして先生と生徒との触れ合い、そうしたことなどもいろいろ考慮してまいりますと、また先進諸国、諸外国の例もいろいろございます。そうした数字などを見ますと、四十人の学級編制が今日的な時点から考えてその方向としては極めて良好な学級編制ではないだろうか。こういう判断で、今、本岡さんから御指摘がございましたように、四十人学級の実現を含む第五次の定数改善計画を五十五年度から十二年計画でその編成をいたしたわけでございます。まさに先生がおっしゃるとおり、教育の諸状況を整える、そうしたことの一つとして学級編制も改善をしていく、このことは、やはりよりよき教育の現場、あるいはよりよき教育の将来の方向についての土台を固めるという意味では、確かにまた一つの方策であろうというふうに私ども考えておるわけでございます。
  97. 本岡昭次

    本岡昭次君 今、文部大臣お答えになりましたように、二十一世紀の我が国を担うにふさわしい青少年を学校はもちろん、教育全般の中でどう育成するかということですから、学校教育の面からいえばまさにその基盤づくりであったと思います。その点は文部大臣も同様のお考えに立っておられるようでございます。  その上に立って総務長官にひとつお伺いをしたいんですが、七月二十五日に「当面の行政改革推進方策に関する意見」ということで臨時行政改革推審議会政府に対して意見を提出いたしております。この中の昭和六十年度予算における行財政改革の推進方策にかかわる地方公共団体における行政改革の推進方策の中に、今、文部大臣と共通の考え方をつくり上げました「「第五次公立義務教育諸学校学級編制及び教職員定数改善計画」及び「第四次公立高等学校教職員定数改善計画」の実施は、引き続き、厳しい財政事情を考慮して極力抑制する。」という項があります。それで長官にお伺いしたいのは、この答申を受けた政府立場として、「引き続き、厳しい財政事情を考慮して極力抑制する。」ということは、五十七年度より三年間、行革の特別時限立法で凍結されていたこの改善計画をさらに凍結を延期して引き続いてやりなさいということ、これを求めているというふうに理解されているのかどうか、この点についてお伺いをしたいと思います。
  98. 後藤田正晴

    国務大臣後藤田正晴君) 臨調の御答申は、定数改善計画について厳しい財政状況等も考えて抑制をすべきである、こういう御答申をいただいておったわけです。今度の行革審は、この臨時行政調査会答申の延長線上に立って、それを今後どう具体化していくか、こういうことでついせんだって御意見をちょうだいしたわけでございますが、その中に、仰せのとおり、極力抑制することが必要である、こういう文言の御意見でございます。政府としてはこれを今後どう考えていくかということでございますが、これは行財政改革について全般の御意見が出ておりますが、その中でそれぞれの問題についてどのように具体化をしていくかということは予算編成の過程において具体化の方針について決めていきたい、こういうことでございますから、今日これをどうするということを明確にお答えする段階ではございません。いずれにせよ、年末までの予算編成の過程で、財政当局あるいは文部当局の間でこの御意見をどのように決めていくかということの御検討があるであろう、かように考えているわけでございます。
  99. 本岡昭次

    本岡昭次君 今言いました四十人学級及び第五次教職員定数改善計画の法律は六十六年完成を目途に現在も生きているわけで、ただ、行政改革特別措置法ですか、それによって三年間時限的にそれを凍結する、抑制するという措置を受けているわけです。その措置は、五十七年度、五十八年度、五十九年度、この三年間で時限立法ですから解除します。そうすると、来年度の予算編成の問題をおっしゃいましたけれども、当然六十年度からはその時限立法の解除が自動的にこれは行われるというふうに私は理解をしているのですが、その点はどうですか。
  100. 後藤田正晴

    国務大臣後藤田正晴君) おっしゃるとおり、今凍結の措置をとっているのは、いわゆる凍結ですが、これは三年の時限立法でございますから、これは期限が来れば当然それは廃止になる、これは大前提でございます。それで、今後どうするかということについては先ほどお答えしたようなことになろう、こういうように御理解をしていただきたいと思います。
  101. 本岡昭次

    本岡昭次君 重ねてお伺いしますが、行政改革推進の立場から三年間の凍結ということが特別立法で行われたわけであります。私は、そのときの特別委員会委員として審議にかかわりました。そこで問題になりましたのは、なぜ三年間凍結するのかということは、財政再建をするのに三年間必要だということでありました。財政再建とは何かと言いますと、それは赤字国債発行をゼロにすることであるという答弁を私も当時の鈴木総理からいただきました。だから五十九年度に赤字国債発行ゼロになって財政再建ができて、そして六十年度から凍結が解除される、こういう筋道であるというふうに当時は理解をいたしました。  しかし、最近の状況は変わってまいりまして、今年度赤字国債発行ゼロとなっていない。中曽根内閣になりましてから、それが六十五年にならないと赤字国債発行はゼロにならない、こういうふうに財政計画が変更になったということは、三年の時限立法をしいた大前提が変わってきたということになるわけで、この理屈からすると、四十人学級及び第五次教職員定数改善計画の凍結は、財政再建が成るまでとするならば六十五年まで引き続き延長されるという理屈になってくると私は非常に心配をいたしておるんですが、行革を直接推進し、旗を振られる長官として、この私の考えはどのように解明をしていただけますか。
  102. 後藤田正晴

    国務大臣後藤田正晴君) まさにおっしゃるように、当初は五十九年末までに財政の再建をなし遂げたいということで政府は当時計画を立てたわけでございますが、遺憾ながら五十九年末までには財政再建の見通しは立たぬということで六十五年まで延ばさざるを得ない。この点はまことに遺憾なことで申しわけない次第であると率直に私は申し上げておきたいと思いますけれども、これは客観的な財政の厳しい事実であることは間違いございませんので、といってこの財政再建を放置するわけにはいきません。そこで、聖域を設けないで国政全般にわたっての削減合理化ということをやらなきゃならぬという厳しい局面に現在政府が立っておるわけでございます。そういった中で、御質問の教職員の定員改善計画を今後どうするか。一応法律は五十九年で切れますから、これは予算編成の過程で十二月までの間に財政当局と文部当局、さらには政府全体で検討して適切な対策を立てるべきものと、かように私は考えているわけでございます。
  103. 本岡昭次

    本岡昭次君 重ねて恐縮ですが、財政再建すなわち赤字国債発行ゼロ、六十五年という新しい状況はあるけれども、三年の時限立法は五十九年で終わるわけであるから、六十年の文部省のそれにかかわる予算編成等については、五十五年に制定された十二年計画の四十人学級及び教職員の定数改善に基づいてやるということについて、その人数はどうするか別にしまして、考え方として何ら差しさわりはこれから起こりませんね。その行革推進の立場からです、長官に聞いているのは。財政再建が六十五年まで延びたのだから、当然行革特別措置法を延長すべきであるとか、あるいはまたその措置をさらに延期すべきであるとかという行革推進の立場から、そうした問題について今度は本法に戻ることについて圧力がかかったり、あるいはブレーキがかかったりするようなことはありませんねということをお尋ねしているんです。
  104. 後藤田正晴

    国務大臣後藤田正晴君) 今後の問題をどうするかということは、先ほどお答えしたとおり、予算編成の過程を通じて検討をすべき性格のものである。その検討の際に、私どもは行革審の御意見というものは最大限政府としては尊重する、こう いうことを閣議決定をいたしておりますから、その御意見の中に問題の改善計画についても極力抑制すべきである、こう申されておりますから、その趣旨に沿って検討が行われるのではなかろうか、また私としてはそれが当然であろうと、かように考えておるわけでございますが、具体的にその中身がどうなるかということは今後の推移を見なければならぬ、こういうことでございます。
  105. 本岡昭次

    本岡昭次君 どうも心配と安心が半々なんですが、今の答弁は。来年度の予算編成は今から概算要求、そして本予算を組んでいくわけですが、この前の特別立法をするときには秋に臨時国会を開きまして、そこでその法律決めて新年度からの予算問題についてやってまいりました。当然、凍結している時限立法がこれは三年でそこで解除になるんですから、それをさらに延期するとか引き延ばすとかという措置がなければ、今ある五十五年に制定されたこの法律を抑制するということは不可能だ。前もなぜやるのだと言ったら、現にある法律を抑制し凍結するためにこういう法律がなければできないのだということであの法が制定されたんですから、当然今の経過から見れば、そうした法律の制定の状況というものは、当面の課題の中で秋の臨時国会でも開いてやらなければ六十年度からのその予算編成の問題に直接かかわれない。だから、極力抑制するというその言葉は、新しい法律をつくって抑制するということじゃなく、あるいはまた延期をさせて抑制するということじゃなくて、現在ある法律に基づく改善計画を進めていくのだけれども、それについての抑制をしていくのだという考えに現実的には立たざるを得ないと思うんですが、そういうことでありましょうな。
  106. 後藤田正晴

    国務大臣後藤田正晴君) おっしゃるとおり、そこらの問題を含めて十二月までに予算編成の過程で政府部内で検討をしていきたい、こういうことでございます。これは、今おっしゃっているのは学校の先生の数の問題だけですけれども、ほかにもたくさんいろいろな問題ございますから、そこらをどう考えていくかはいずれも十二月までの政府部内の考え方である、こういうように御理解をしておいていただければ余り御心配になることもないのではないか、こういうふうに思うわけでございます。
  107. 本岡昭次

    本岡昭次君 私の頭が悪いので、もう一問だけお願いします。  今の話の中で、それではもっと端的に言いまして、今までのような凍結というものをさらに延期するという場合は、別の法律をつくるか、あるいは現在ある特別措置法を延長させるとかいう措置でなければできないと思うんですが、いかがですか。
  108. 後藤田正晴

    国務大臣後藤田正晴君) おっしゃるように、今の法律を延長するのも一つの方法かもしれませんし、別の一括法で検討するのも一つの方法かもしれませんし、法律をなくしてでもいろんな生徒さんの数の問題もいろいろあるでしょう。だから、そこらでこれから検討をして、どういう方法が私の立場としては行革審の極力抑制をするという御意見にこたえることができるのか、もちろんこれは教育という重大な問題でございますから、それらを頭に置きながら政府としては検討してまいりたい、かようなわけでございます。
  109. 本岡昭次

    本岡昭次君 これ以上論議しても今より前へ出ないと思いますので、私は国会議員としての経験も浅いし、法律の面にも嫌うございますが、しかしあの五十七年の行財政改革特別委員会に参加した一員認識としては、現在ある法律、五十五年度に制定された法律に示している計画を抑制し凍結するというのはそれを上回る一つの法律がなければできないというのはこれは当然ではなかろうか。それと同じことが予算措置の抑制の中でできるのであれば、法で制定した計画というのは一体どういうことになるのかということになりますので、その点だけは私ははっきりとひとつ長官に申し上げておきたい、こう思うんです。
  110. 後藤田正晴

    国務大臣後藤田正晴君) おっしゃっていることはわからぬではないのですけれども、予算の編成が十二月までです、政府の原案を決めるのが。法律はそれに従って必要なら通常国会で上げりゃいいんです。法律がまず先にでき上がらなければ予算が組めない、そういった問題でもありませんから、そこらは余り御心配にならなくていいのではないか。いずれにせよ、いろんな問題を含めまして、政府としては教育の重要性ということは基本に頭に置きながら行革審の極力抑制という線に沿っての処置を考えたい、こういうことでございます。
  111. 本岡昭次

    本岡昭次君 長官、どうもありがとうございました。極めて危険な状態にあるということがこれでわかりました。  それで文部大臣に、今の長官とのやりとりの中の問題を踏まえて論議をさせていただきたいんですが、当面文部省として考えることは、六十年度から第五次教職員定数改善及び四十人学級問題の凍結が解除されて、当然六十六年の完成年を目指してどういう方式でそれでは四十人学級なり教職員定数改善を進めていくのかという具体的なプラン、方式がなければならないと思います。昭和五十五年にスタートするときには、十二年計画として学年進行方式というものとそれから地域別方式というものの二本立てにして、私たちは非常にそのやり方に問題があるとはしましたけれども、一応そこに方式があったわけです。だから、一体何年たったら私たちの地域の学校のこの子供たちが四十人学級になれるとかいうことが、その計画がたとえ本来五年でやるものが十二年になったとしても、そこは一応プランがありましたから各地域はその見通しのもとにいろんなことを計画することができた。しかし、それが今凍結されたことによって無残にも打ち砕かれてしまっているんです。六十年からそれが再スタートをするというふうに私は考えなければならぬと思うんですが、それについて文部省が少なくとも来年度の概算要求をする等々の問題についてプランを示す必要があるし、また、なければこれは文部省として大変な失態ではないか、こう思うんですが、ひとつどういう方式でこれから六十年度より七年間に実施されようとしているのか、お示しをいただきたいと思います。
  112. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 今、先生から御指摘がございましたように、四十人学級を含みます第五次定数改善計画、私はこの国会の冒頭の予算委員会の際から申し上げてまいりましたように、六十五年までの全体計画、それからその最終年度、これについては全体規模等を含めて変更をする考えはないと、こういうふうに申し上げておりました。先生から今大変御心配また御指摘ございましたように、三年間の抑制期間がございましたので、この六十年の予算編成は非常に大事な段階を迎えているというふうに私は認識しております。たびたび申し上げておりますように、全体計画の規模は変えないことと最終年度も変えないという考え方で文部省は取り組んでまいりたいと思いますので、全体といたしましてはこの六十年度からどのようにしていくのかということについては極めて私自身が大事な問題であるというふうに受けとめているわけでございます。行革審の考え方も示されておりますし、政府といたしましてはそのことを最大限に尊重しようということでございますが、文部行政の責任を持っております私にとりましては、この全体計画を達成することもまた大事な仕事でもございます。  そういう意味で、先ほどから総務庁長官もお話があったように、これからどのような形でどのように進めていくかということについては、これは財政当局あるいは総務庁また文部省、十分協議をしていかなければならぬと思いますが、私にとりましては、このことは基本的な教育行政を進めていく上において極めて大事な政策であるというふうに受けとめておりますので、最大限にその方向を目指すように、計画全体の円滑な実施をするためへの努力をしていきたい、こういうふうに考えております。  具体的にどういうプランでどういう考え方でいくのかということについては、もちろんまだこれ から議論をしていかなきゃならぬところでございますが、事務当局の方で考え方を示す必要があるといたしましたならば、政府委員からそのことについてお答えをさせたいと思います。
  113. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) ただいま大臣からお答え申し上げましたとおり、昭和六十六年度を最終年度とし、約八万人の規模での改善を図るという基本方針を変えないという前提のもとで、来年度以降の予算編成に当たっての具体的な考え方を詰める必要があるわけでございますが、現在その基礎データ等につきまして各都道府県から資料等を求めましてその内容の分析等を行っている最中でございます。具体に従いましてその内容等を詰め、あるいは全体の予算要求の枠とのバランス等をいろいろ考えながら来年度の概算要求にどう対処するかということを具体的に考えなければならないわけでございますので、現段階でこれこれこういう方向でということまで申し上げかねるわけでございますけれども、いずれ概算要求を提出する時点では六十年度の概算要求の中で当然明らかにしなければならぬわけでございますし、それに伴いましてそれ以後の大体の進め方等についてもある程度考え方をまとめながら財政当局と折衝をするようにいたしたい、かように考えておるところでございます。
  114. 本岡昭次

    本岡昭次君 今そのデータを集めているということなんですが、そのデータの問題はデータの問題として、それ以前に六十六年という最終年度が決まっていて六十年から再スタートするんですから、その七年間どのような方式でやるのかという考え方は当然文部省として持っていなければならないのではないですか。学年進行方法でやると言うのならどういう形の学年進行方法、また地域別方式というものをセットにしてやってきたんですから、それではそれをセットにして、これをこういうふうに圧縮してという一つの方針が何もないというのはこれはどうしようもないわけで、初めの基本計画に基づいてやると言うのなら、あの基本計画に基づいてやりたくとも六十年度からやれないでしょう、変更しなければ。だから、その考え方はどうなのかということを聞いているんです。どういう方式でもって進めていくのか。
  115. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) まさにその点を現在検討しているところでございまして、概算要求をする時点で考え方をまとめるということで検討しているわけでございます。  先生御承知だと思いますけれども、現在の十二カ年計画、昭和五十五年度からスタートしたわけでございますけれども、その時点と現在とではその間に五年間という月日が流れておるわけでございますので、その後、児童生徒数の、当時推計値で行いましたものが実績値との間ではある程度の差ができているとかいろいろな状況の変化等もあるわけでございます。もちろん、当初の計画をつくりましたときの考え方基本に据えながら、その後の変化の状況等を見きわめ、さらに財政状況等とのバランスを考えながら判断をしていくということで、概算要求を固める時点までにもちろんそのことは腹固めをしよう、こういうことでございます。
  116. 本岡昭次

    本岡昭次君 概算要求の問題とも絡めて、どういう方式でどのように具体的に進めるのかという腹を固めるとおっしゃいましたが、もう概算要求期に入ってきているわけで、そう遠い先のことではありません。だから、そのことは八月の何日ごろまでに文部省としては、明らかにするというなら明らかにするということを言えるでしょう。でなければ概算要求も何もできないじゃないですか。
  117. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 先生御承知のことと存じますけれども、八月末日までに概算要求は固めなければならないわけでございますので、もちろんそれに間に合わせるということに相なるわけでございます。
  118. 本岡昭次

    本岡昭次君 私は、事務当局のそういう考え方ですね、今の段階に至ってなおまだそうした問題についてデータを集めている最中であるとか、あるいはまた具体的に論議できないと言っている。一方では、行革審の答申の中では極力抑制せよという事柄が起こっている。そこで、私はどうしてもその文部省のやり方について納得ができないのであります。各省庁との調整をするにしても、行革審がああした抑制の答申をしたにしても、抑制することの是非の問題も含め、そして抑制することが、今教育改革論議されておりますが、その教育改革を進めるための臨時教育審議会設置をするかせぬかが今論議されておりますが、その前提条件である現に進めなければならないその土台づくりが完成をしない、どうなるかわからないという問題にもっと深く文部省が考えを持って、そんなデータなんていうのは今せにゃいかぬことではないわけです。もっと早くデータをつくって、そして現状はかくかくしかじかだと、そして文部省としてはこれをこういう方式で進めていかなければならない、それを進めるためにはこれだけの予算が毎年このように要るのだという問題をはっきりと示して、そして財政当局なりあるいは関係の省庁に対して、あるいは行政改革をみずから音頭をとって進めようとする総理に対して積極的にその案を示していくということでなければ、今のように受け身、受け身の形でやっていったのでは私はどうにもならない、こう思うんです。  だから、第五次教職員定数改善の問題が又トレードに臨時教育審議会設置法の問題と結びつくというものじゃありませんが、少なくとも国民の目から見ますと、あれほど期待の大きかった四十人学級が一体どうなるかわからぬ、文部省側からは何もそれについてプランも示されなければ展望も示されないというふうな状態をそこに置いておいて、そしてこの臨時教育審議会総理直属でスタートをしていく。総理直属であればそうしたものがスムーズにいくかもしれないというふうな事柄になってくると、これはいよいよ文部省の存在そのものが問われることになるし、教育そのものが教育基本法による、まさに第十条による教育条件整備というものをまず第一義的にやっていかなければならない。そうしたことが何ら具体化されないという状況では国民はこの教育改革問題については信頼しない、このように思うんです。  文部大臣、今の時点でなお六十年度からの具体的なプランも示し得ない、そして一方ではそれはさらに大蔵省等の圧力から後退するかもしれない、実施できなくなるかもしれないという状態にあるときに。文部大臣としてこれは重大な決意をこれに対して持たなければならないのじゃないかと思うんです。私は、文部当局がちゃんとプランを持って、これはこれで行きます、こう言っているならいいけれども、全然そこのところがあやふやなんです。文部大臣も大変だと思います、こういう部下を持っておれば。あなた大変だと思いますけれども、しかし大変でもあなたにはやってもらわにゃいかぬ、これは国民のために。ひとつそこの決意を示してもらいたいし、そして敢然と六十六年完成を目指して、これは万難を排してやり抜くということをここではっきりと言っていただきたい。
  119. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) これもたびたび申し上げておりますように、全体規模を変えない、六十六年度の最終年度を変更しない、こう申し上げておりますことは、今先生がお尋ねになりましたように、このことについて明確に文部大臣として進めていきたい、こういう意思を私は明確に申し上げた、こういうふうにぜひ御理解をいただきたいと思うんです。  さてそこで、具体的に、別に文部省かひ弱であるとか怠っておるから数字が出てこないのではございません。先生も十分このことについては御専門の方でございますからよくおわかりのとおり、人口の動態、児童数の増減、いろいろ諸条件があるわけでございます。そして、都道府県がまたそれを市町村教育委員会を通じて種々整理をしていかなきゃならぬ、その数字を全部集める、そして日本じゅうのものを全部文部省に一遍集めなければなりません。そして、端的に申し上げて、こうして行革審の考え方が示されているわけですから、その財政の負担はどうなっていくだろうか。ある いは先ほど先生もお話しになっておりましたように、地域的にやっていくのか学年進行でやっていくのかということも考えなきゃなりません。地域的だけでということで考えていけば、当然教室というものも、やはり入れ物の問題もこれに関連してくるわけでございます。  そういう非常に細かな問題まで、むしろ私より先生の方がよく御存じだと思いますが、そうしたことなどを一つ一つ計算をして、さてどの方式でやることが一番いいだろうかということを今文部省は局長を中心にして資料を集めながら、そのことでいろいろと、できるだけ先生方の御要望、そしてこの国会を通じて本当に多くの皆さんからこのことについて熱心な御提言もございました。御意見もございました。それらのことも十分踏まえて、何とかして実現をしたい、こういう気持ちで今作業を進めておるということでございますので、決して怠ったり、サボったり、怠けたりしていることではございません。まさに大臣として、やりたいということを私は明確に予算委員会等でも申し上げてきたので、確かに先生がおっしゃるとおり、このことを達成しなければ私自身も責任を免れないというぐらいの気持ちで私はおるわけでございますから、十分なる資料を私は大事にしながら、できる限り前進ができるように、そしてもう一つは、これは先生にとってはお耳ざわりかもしれませんが、私ども内閣としては行革審の考え方を最大限に尊重しながら進めていきたい、こういうことで作業いたしておりますので、しばらくの間ひとつお見守りもいただきたいし、またいろいろと御指導ございましたら、ぜひまたお願いをしたいというふうに考えております。  もう一遍申し上げますが、ぜひこの計画は六十年度から六十六年に向けて何とかして実現をしたい、このように私は考えておりますことをもう一回明確に申し上げておきたいと思います。
  120. 本岡昭次

    本岡昭次君 文部大臣が責任を持ってやる、こうおっしゃっているので、私もそれを見守り、同じ立場で行動をしていきたいと思います。  それで、そうした問題が三年間凍結され、あるいは当初文部省が九年計画で進めるものが十二年間に延ばされた。今までは五年計画で進められてきたという状態の中で何が一体起こっているのか、教育現場の中で。その一つの問題について明らかにしてみたいと思います。  これは教育改革の問題、あるいは臨教審の中で論議をしてもらわなければならない問題なんですが、中学校の本務教員の中で一級、二級の免許状を持ってそれぞれが教えるわけですが、しかし最近ではその一級、二級の免許状を持たないで臨時免許状を所有して子供を教えなければならぬ、教壇に立たなければならぬ。自分でやりたくてやるのじゃなくて、やらされるという状態になっている現状が非常に多いんですが、文部省としてはこの中学校本務教員で正規の一級、二級の免許状を持たないで教壇に立って教えている教師が一体どのような状況にあるのかという点をここで報告してもらいたい。
  121. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) ただいまの御質問は、免許外教科担任の許可を得て教育に当たっている教員ということであろうかと思います。免許外教科担任許可の制度は、学校運営の必要上やむを得ない事情がある場合に例外的に認められるということでございますので、これはもちろん正規の免許状なしに教えるわけでございますから、好ましくない状態であるということは御指摘のとおりだというふうに考えております。  そういう観点から、一つは教職員定数の改善という形でその改善努力をしてまいっております。現在の進行中の定数改善計画の中でも、それを相当部分織り込んでその実現を目指しているというようなことでございますが、その結果といたしまして免許外教科担任許可件数でございますけれども、件数は、十年前が五万七千ほどでございましたのが五十七年度は三万九千ということで、十年間の間に二万ほど減っているということで逐次改善状況は出てまいっておるわけでございますが、今後とも定数増の問題等諸般の状況を方策を講じてこの改善に努めたいと思っておるわけでございます。  なお、現に免許外教科を担当せざるを得ない中学校の先生方につきましては、その指導能力の向上を図りますために、都道府県の教育委員会において研修を実施するということで、これは国の側としてもそれに対する援助を行っているところでございます。
  122. 本岡昭次

    本岡昭次君 ちょっとそれはおかしいのじゃないですか。減っているのじゃなくて、増加しているのじゃないですか。  文部省の「学校教員調査統計報告書」というのがあるんですが、それに「担任教科別中学校教員免許状別本務教員数」とかいうのがありまして、ずっと教科が並んで、一級、二級、その他、その他というのが今あなたのおっしゃった教育委員会の特別の指示によってやむを得ず免許外を教えさせられている人数なんですが、それが昭和五十二年度、公立学校が四万八千七百二十一人出てきます、合計すると。そして昭和五十五年になりますと六万八千五百八十五人。このようにして増加しております。それを中学校の本務教員とのパーセントで見ても、昭和五十二年度は免許外担任をさせられている教員が一八・六%であったのが、今度は二四・九六%というふうにふえております。あなたが今、減ったと言うのは、一人の教師というふうに数えているんです。一人の教師で二つも三つも教えさせられる場合がある。だから、完全に中学校の教育は、今や免許を持っていない免許外教員によって二四・九六%も教科指導が行われているという現状があって、明らかに五十二年度より後退をしております。一体これはどういうことなんですか。
  123. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) どうも御指摘の件が私どもの資料と合っていないようでございますけれども、私申し上げておりますのは、免許外教科担任の許可を得た者の人数ではなくて件数でございますので、したがって一人が三教科の免許外担任の許可を得れば三件と勘定しておるわけでございます。その件数で四十七年度と五十七年度を比較いたしまして五万七千件から三万九千件にということで二万件減ってきているというような状況がございます。  ただ、これはこのような状況、しかも相当数がなお今日もあるという状況は、一つには小規模学校、小規模の中学校等の教職員定数が十分でないということが原因にあるわけでございますので、その点につきましては、先ほど申し上げましたように定数改善によって逐次改善を図っているということでございますが、それ以外の部分といたしまして、例えば教員の担当授業時間数が教科によって非常にばらつきがあるというようなことから、人数は十分あるのだけれども教員の負担の時間をバランスをとるために、比較的だれでも教えやすい国語とかいうようなたぐいの教科につきましては他の教科の人も少しは持つことにしようではないかというようなたぐいで措置されているというようなケースもかなりあるわけでございますので、そういったケースについてはまだ別途の各都道府県教育委員会での御配慮が必要かと思っておりますが、いずれにいたしましても、免許外教科担任許可という点で申し上げますれば私申し上げた数字になっておるわけでございます。  なお、そのほかに、中学校でいわゆる臨時免許状ということで、正規の教員で全くない人が臨時免許状をもらって入るというようなケースがございます。これは手元の数字で申し上げますと、臨時免許状の発行件数が五十七年度で二千百七十三件となっておりますので、これはその前の年度等に比べますと若干ふえてきているという傾向はあるようでございますが、これはそれぞれの僻地その他の事情から、正規の教員の免許状を持った者は相当全国におるわけでございますけれども、地域の実態からなかなか人が採用できないというようなことによることではなかろうかと思うわけでございます。  なお、そちらの方の点につきましては、今の急のお尋ねでございましたので、十分な資料を現在 持っておりませんので、また別の機会にあるいは先生に御報告をさせていただきたいと思うわけでございます。
  124. 本岡昭次

    本岡昭次君 この問題を論争する時間がありませんからやめますが、私の今言いました資料でもう一度調べてください。中学校の現状は大変なことになってきております。正規の免許状を持たない教師が今おっしゃったように、国語ならだれでも教えられるだろう、数学ならだれでも自分が勉強してきたことだからやれるだろうという非常に安易な形で、そして教えさせている、無免許運転をどんどんさせている。高等学校とか大学へ行くとそれは完全に専門化されているんです。最も大事な中学校教育の段階でこういうふうなことがされているという現状認識、それを私ここで示したかったんです。そのことは挙げて第五次教職員定数改善の問題にもなるし、臨時教育審議会を設けて教育をどうこうしようという前に文部省としてまずやらなければならない教育条件の整備、特に公立学校の中学校、小学校が非常に劣悪な状況の中にあって、そして今の教育をそれでも必死になって支えているという実態を知らずにやったら大変なことになるということで、あえて数字を挙げて文部大臣にも聞いてもらった、こういうことなんです。  それで、時間も参りましたから、最後にこれは文部大臣に総括的な問題の所見を伺って終わります。  私は、この教育改革の問題は国民的な関心事であると同時に、政治的に大きな争点にならざるを得ない状況にこれはあります。政府は、総理直属の政治的に強力な審議会設置を合しようとしておられます。でなければ、広範な多様化した教育全体の問題を押さえ切れないという一つの立場。我が党は、文部省に民主的で国民的合意を得られる非政治的な審議会をそこに設置してはどうか。一方は政治的に非常に強力なものを、一方は政治的に弱いものを、非政治的なもの、こういうのが一つの端的なあらわれであろうと私は思います。今、教育改革論議するこの審議会設置するに当たって私が最も重要だと思いますことは、国民の中に多様な考え方があります。あるいはまた、多様な価値観をそれぞれが皆持っております。それをどうすればその審議会委員の構成やあるいは審議の過程に十分反映させることができるかということではないかと思うんです。  私は、多様化、当然現状をお互いに認識しなければいけません。しかも、その公開原則に立って民主的な手続によって国民的合意をどうつくり上げていくかということがこの審議会の中身でなければならぬと思うんです。ただ単に、今までのような文部省の力関係ではやれないから強力な総理直属の審議会でというふうな形の発想だけでは、この審議会そのものが本来の目的を達成し得ないのじゃないか、このように私は考えます。文部大臣、責任を持って、多様な考え方なり多様な価値観を持つこの国民の総意を、民主的な手続を経てどうそこにコンセンサスを得るために審議会を構成し、運営し、そして中身をつくり上げていくかという問題、これはまさに重要な問題であるわけで、その点についての明快なひとつここに文部大臣としての責任ある考え方をいただいて、私の質問は終わりたいと思います。
  125. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 本岡さんからいろいろと具体的な条項なども挙げられて、民主的でそして非政治的な国民合意を得られるようなそうした手続のもとに審議会をつくれ、こういう御注意でもございました。もとより私どもも、今、本岡先生のお考えになっているとおりの考え方を持っております。具体的には、国民の幅広い論議をぜひちょうだいをしたい、そしてまた政府全体で長期的な課題としてこれを考えていきたい、こういうことで総理の諮問機関としてお願いをいたしておるところでございまして、そのことは内閣全体で受けとめる。そして、内閣全体の責任を総合調整する内閣総理大臣の諮問機関でございますので、決してそのことは政治的であるという意味であるとは私どもは毛頭思っていないわけでございます。当然、審議の過程、プロセスにおきましても国民の広い理解と協力を得ること、そして答申を得たそのことについても当然、国会を通じてまた国民皆さん論議をちょうだいをして具体的に進めていかなければならぬ。  そしてまた、今、審議会設置法案もこうして長時間先生方のいろんな御意見をちょうだいしながら、まさに民主的なプロセスを経ながら国民的な合意を得るまずその前提として国会でこうして論議をいただいておる。こうしたことの手続を一つ一つ積み重ねて、先生が御心配をなさることのないように、まさに国民の広い合意を得られるようなそうした審議会をぜひ設置をさせていただきたい。そして、人選につきましても、これもまたいろいろと先生方からの御質問等もございますし、御意見もございました、そういうものを踏まえながら幅広く多くの分野の中から識見を有する方々もお選びを申し上げたい。そして、何といっても一番大事なことは、教育基本法の精神を大事にして教育改革に当たりたい。こうした基本的な考え方を述べているものでございまして、先生から御忠告いただきましたことなども政府としては十分なる参考にさせていただきまして、この審議会運営に当たっていきたい。  そして、審議会の皆様方には一日も早く御論議を始めていただいて、三年とは限られておりますものの、やはりこの期間についてはある面においては長いとも見えますし、こんな短い期間でやれるのかという御指摘もございました。私は、この三年の間で、御苦労も多いんですが、委員の皆様方に十分なる御論議をいただきまして、本当に二十一世紀を担ってくれる子供たちのためへの立派な教育の一つの方向づけを見出していただきたい、こんなことを期待いたしておる次第でございまして、先生のそうした御関心、または御注意につきましては、十二分に審議会に対しましても文部大臣として要望をしてまいりたい、このように考えております。
  126. 伏見康治

    ○伏見康治君 たびたびいろいろな先生方が入れかわり立ちかわり同じような質問をされて、多分御迷惑だとは思うんですが、私自身ちょっとまだ納得がいきませんので、重複になるかもしれませんが、お尋ねを申し上げたいことがございます。  それは、文部省の中には中央教育審議会という立派な審議会がございまして、長い歴史を持っておられてちゃんとした仕事をしてこられたと思うんです。それを差しおいて臨時教育審議会というものをもっと高いところにおつくりになるというその真意は一体どこにあるのかということを、御面倒でしょうが、もう一遍ひとつ御説明をお願いしたいわけです。
  127. 藤波孝生

    国務大臣藤波孝生君) 戦後の我が国の教育の四十年を見ますると、教育の機会均等が非常に前進をいたしまして、また教育の量、質につきましても非常に向上してきている、こういう非常に評価すべき事実がございます。我が国の戦後の発展に大きな役割を果たしてきた、このように考えておる一面がありますと同時に、また一方、近年におきます社会の急激な変化や、さらに教育の量的な拡大などが教育に対していろいろな影響を与えてきておることも事実でございます。そんな中で、国民の間にもいろいろと教育を一度見直して、そして改革すべきところがあったら大胆にその方途を講ずべきではないか、そういった御議論もよく聞かれるところでございます。  今日まで文部省の中に中教審があって、いろんな問題点を諮問をして、また御答申、建議等もいただきまして、文部省を中心にいたしまして教育改善改革にお努めをいただいてきておるところでございますが、今日、国民の間で言われておりますことをいろいろ広く考えてみますると、政府部内、各省各部にわたりましていろいろと関係の深い問題もございまして、文部省の中の教育の問題というよりも、教育そのものももっと広がりを見せておりますし、これらを改革改善をしていこうと思いますと政府全体が取り組んでいくことが非常に大事である、そういうふうに政府全体で受けとめまして、当然、従来教育を所管してき ております文部大臣に中心になっていただき、事務局は文部事務次官を充てる、こういうことになっておりまして、文部省を中心にしてこの審議会も事務局などのお世話をいただくことにはなるわけでございますが、内閣総理大臣が諮問をしてそれにお答えをいただく、そして答申をいただきましたならば政府全体で教育の一層の改善改革に取り組む、こういう姿勢を明らかにいたしますために政府総理府におきまして諮問を申し上げよう、こういう運びになった次第でございまして、今、先生の御質問の中に、もう一つ高いところからというお話がございましたが、文部省よりも総理大臣が諮問をするのが高いところだとは考えておりませんけれども、広いところで政府全体で取り組むことにしたら、こんなふうに考えまして今度のこの運びにいたした次第でございます。
  128. 伏見康治

    ○伏見康治君 高い広いの議論がございましたが、今御説明を伺った限りで私の受け取り方を申し上げますと、戦後の日本教育というものはGHQの司令部のさしがねが相当きいているわけでして、そういういろんな意味で戦後の総決算をする時期になっているということの一こまとして根本的に考え直そう。従来の文部省というものは、六・三・三制に始まった戦後教育のとにかく枠の中で大体行動をしている。それを突破することのためにはもっと違ったものにしなければいけないというふうに私なりには受け取れるんですが、機会均等、量的拡大の教育というだけの志向ではなくして、もっと別の観点を教育の中に取り入れるためには今までの文部省の姿勢ではちょっとぐあいが悪いので、それをいわば突破したいというふうに受け取ったんですが、間違いですか。
  129. 藤波孝生

    国務大臣藤波孝生君) 今、先生が御指摘になられました、戦後のいわゆる六・三・三・四の教育制度を中心として繰り広げられてまいりました文部省を中心としての教育充実努力は非常に大きな成果を示している、このように思います。今申し上げましたように、量的にも拡大をいたしましたし、特に機会が均等という方向で随分努力が重ねられてまいりました。また、高等教育などへの進学などを考えてみましても、非常に向上してきているという非常に成果があるわけでございます。それはそれで全然別のところで、新しい観点からというのではなくて、あくまでもそのことが中心になりまして、そしてさらにこの教育充実し、改善をしていくにはどうすればいいか、それを政府全体でひとつ今度は取り組んでみよう、こういうことになった次第でございまして、従来の文部省のあくまでも努力といいましょうか、従来の教育界の努力といいましょうか、そのことが中心になって今日があり、今後もそこが中心になって展開されていかなければならぬ、こういうふうに考えておるわけでございます。もう一つ広い角度から取り組んでみよう、こういうふうに考えておるということが真意でございます。
  130. 伏見康治

    ○伏見康治君 おっしゃるとおり、私も、過去における文部省の非常な努力の積み重ねというものをアプリシェートするのにやぶさかでは少しもないのでございますが、ただ、その枠組みがいささか狭かったので、それをいわば枠組みを取り払って新たなる物の考え方で処理なさろうということであろうと思うわけですが、もしそうであるならば、今回の臨時教育審議会のいわば担当大臣が森文部大臣であり、事務局が文部省の事務局であるというのはどういうことなんでしょうか。
  131. 藤波孝生

    国務大臣藤波孝生君) 今、先生は従来の文部省を中心としてやってきたという枠組みを取り払ってというふうにおっしゃいましたが、取り払うのではなしに、やっぱりそこが中心になってさらに充実をさせていこうという努力をするのだ、こう私申し上げたところでございます。したがいまして、従来、教育行政に責任を持ってお進めをいただいてまいりました文部大臣を中心にして各委員の御論議に対応しなければならぬと思いますし、いろいろお世話をいただきます事務局も事務局長には文部事務次官をお願いし、そしてそれに事務局は各省からそれぞれ出向といいましょうか、それぞれ出ていただいて事務局を構成して、そして単に文部省だけでなく、さらに各省庁も協力をして、広い角度で事務局を構成してお世話をしていくというようなことをもくろんで今度の運びになっておる次第でございまして、あくまでも文部省を中心にして、そして内閣総理大臣の諮問に対して御答申をいただく御論議が深められていく、こういう形でありますことを御理解をいただきたいと思うのでございます。
  132. 伏見康治

    ○伏見康治君 そういうことであろうと思いますが、そこで、中央教育審議会というものは別に廃止されたわけではなくてなお存在しているというふうに伺っておりますが、また新聞記事によると、この臨時教育審議会が進行している間はしばらくお休みだというふうにも承っておるんですが、その辺の関係はどうなっているんですか。
  133. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 御指摘いただきましたように、文部省には中教審のほかにそれぞれの専門的な審議会や懇談会等が設けてございまして、それぞれの特定の分野につきまして調査あるいは審議をしていただき、そして的確なる御提言、御建議をいただいております。これは先生の方が私よりはるかによく御存じのことでいらっしゃる。そしてまた、それらの提言を受けまして今日まで文部行政が適切に、そして先ほど官房長官からのお話もございましたように、文部省が努力をして今日までの教育の成果を誇り得るように積み重ねをいたしてきたわけでございます。  したがいまして、これから臨時教育審議会でどういう御論議を深めていただくかは、これは審議会自身で御判断をいただくことでございまして、もちろん的確に言えば、今あります文部省固有の現在のことも御議論をいただくことになるのかもしれませんし、もっと将来的な角度から長期的な問題を御論議いただくことになるのかもしれませんが、しかしいずれにいたしましても、日々刻々と毎日のこの文部行政はこれまた国民のためにも進めていかなきゃならぬわけでございますので、それぞれの審議会やあるいは懇談会の適切なる御意見、御助言等はその都度ちょうだいをして、これは文部行政を進めていくということになろうかと思います。ただ、中教審につきましては、もちろん角度、視点は違ってくるわけでございますけれども、共通した部分もかなり出てくるであろうというふうに考えまして、当面発足を見合わせていきたい、こういうふうに考えているわけでございます。
  134. 伏見康治

    ○伏見康治君 私の希望をちょっと申し上げたいのですが、せっかく中教審と臨教審とが並行して存在するとすれば、当面の処置しなければならないような問題はこれは中教審の方でいわば処理なさって、非常に根本的かつ長期にわたってしなければならないような大問題の方を臨教審の方でお取り扱いくださるというのがいいのではないかと思うわけです。  例えば、当面の魚として、私は大学教授だったものですから関心が深いのは、共通一次試験という私に言わせれば非常にばかげた制度があるんですが、それがいろいろと破綻を来しているように私は感じているわけです。最近読んだ加藤一郎さん、つまりこの共通一次の制度をおつくりになった加藤一郎さんが正直に告白しておられるところを見ると、例えば受験産業というものがこんなに活動的であるというようなことはちっとも予想しなかったというようなことを正直に言われている。それから国立大学の評判がこんなに悪くなるということも予想しなかったというようなことを正直に言っておられますが、そういういろいろな世の中全体を十分見通すことのできなかった制度だと私は思いますので、共通一次試験問題なんていうものは早目にどうするかということを突き詰めてお考えにならなくちゃいけないと思うんですが、そういう目の前の問題を臨教審がお取り上げになりますと、大事な問題が先送りになってしまってよろしくないと思うんです。そのくらいの、僕は共通一次の問題なんていうのは教育全体のこまの中からいえば比較的小さな問題だと思いますので、そういう問題は中教審の方で処理なさるのが適当であろう、そう考えるわけですが、お二人 のお考え方はどうでしょうか。
  135. 藤波孝生

    国務大臣藤波孝生君) 今度の審議会の場合に、文部大臣から再三お答えがありますように、どのようにこれを運営していくかということは審議会自身の判断で、御相談で決めていっていただくというふうに政府としては対応していきたいと思っておるところでございます。したがいまして、どのようにしてこの審議会運営されていくのかにもよるわけでございますが、せっかく内閣総理大臣の諮問という形で出発をいたしますので、先生御指摘のように、できるだけこれでひとつ百年の計を立てるというような意味で、長期の展望に立った教育の見直しなり、あるいは今後への展望なりを開いていただくと非常にありがたいがと、そんなふうに思っているところでございます。  ただ何といいますか、ごくこう決まって、こういうものは短期のもので、こういうものは長期のものでというふうになかなか分けられない。長い目で見て、やっぱりこういう方向だなというところの視点に立って短期のものも取り決めていかなきゃならぬというようなところが多かろうかと思うわけです。そういう意味では、従来のような教育のあり方でいいのかどうかということを見直してまいります中で共通一次テストの問題なども、当然この大学入試というのはどういう位置づけになるのか、どういうふうに改革すべきかといったような議論も出てくるのではないだろうかというふうに思います。そういうことになりますと、短期のものも長期のものもというふうに審議会の方もなるわけでして、先生おっしゃるように、なるべく早く解決していかなきゃならぬ問題は三年の審議会にゆだねているとおくれてしまうのではないかという御心配につきましては、文部省も十分その辺はお含みをいただきつつ、短期に速やかに手を打つべきものは行政として手を打っていくというような御努力をいただけるのではないかと思っておりまして、ただ中教審をどうするかという問題については文部大臣の御権限に属することでございますので、先生の御意見を御指導としてきょうは受けとめさせていただきたい、こんなふうに考える次第でございます。
  136. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 少し重複するようでございますが、臨時教育審議会で当然どういう事項などを論議するかということも話題になるであろうと思います。したがいまして、当面見合わすというふうにも申し上げておりますのは、共通した部分もかなりあるだろうということでございまして、例えば臨時教育審議会などで今の先生のような御意見が出てくるかもしれない。ということになれば、こうした問題については中教審、あるいはまた文部省が固有に持っておりますそれぞれの審議会で、そちらの方で一遍意見を出してこい、それをまた我々のところに示してくれないか、こういうようなことも将来あり得るかもしれません。それは当然審議会皆さんで御判断をいただくことになろうかというふうに思います。  ただ、共通一次につきましては、先生の御指摘も一つのお考え方でございまして、それをそのまま黙っておりますと、文部大臣がそれを認めたことになってしまうわけでありますが、確かにこうしたことは加藤先生のように予測し得ないことがやっぱり出てくるのだろうと思うんです。だからこそ私どもとしても、藤波さんもそうなんですが、私も自民党の当時文教部会の立場では、もうちょっと違うふうに展開するというふうに予測をしてお願いした面はあるんです。ですから、難問、奇問というものをできるだけ解消したいということが一つあったし、もう一つはクラブ活動、スポーツや文化活動は高等学校時代というのはやっぱり大事なことだ、それをやりながら高等学校の学問の進達程度を調べるのだと、こういうふうに私どもは信じ込んでおりました。ですから、第二次試験なんというのは、これは学力を問わないでほしいというのが当時自民党の私どもの要求だったんです。これは藤波先生が部会長をしておられたですからよく私も覚えておるんです。残念ながら先生方がああいうふうに、これは国立大学皆さんがおつくりになってしまわれたんでしょうが、私どもはそれはいけませんとか変えなさいとはなかなか言い切れない立場であったわけでございまして、いささかその点は確かに予想しなかった方向に行ったことは事実であると思います。  しかし、全体的な難問、奇問でありますとか、非常に学校差とか、それから量的に急激に高度経済成長の中でふえてまいりまして、そうしたものを吸収する上ではかなりの評価はあったというふうに私はそれは認めていかなきゃならぬと思っております。したがいまして、国大協の皆さんには、先生からまさしく御指摘どおり、私はこれは臨時教育審議会でやるということじゃないだろうなと、私は文部大臣として国大協の幹部の皆さんにもお目にかかったり、総理にも会っていただきまして、何とか改善をしてもらいたい、今、国大協としてはそれを入試改善懇談会などを設けて御検討いただいているようでございまして、できればこうしたことは審議会などで一々議論をしなくてもいい方向に改善ができるように私どもは期待をしたい、こう思っておるところでございます。
  137. 伏見康治

    ○伏見康治君 そういうことでよろしかろうと思いますが、私はもう少し今度の臨時教育審議会のメンバーをどういうふうに選ばれるか、いろいろのお話がありますが、私としてこういうことを申し上げてみたいと思うんです。二十五人という枠の中にいろいろなそれぞれの分野のいわば代表者的な方をお集めになるということですと、それは半数以上そういう方で占められるということはあり得ると思うんですが、私は審議会の議事を進行させる中核になる一部の人々がちゃんとおられるということがより大事だと思うんです。と申しますのは、教育に関する意見というものは、百人が百通りの意見をみんな持っているはずだと思うんです。そういったくさんの意見をただばらまいているだけではいつまでたっても何にも結論が出てこないというおそれが非常に強いので、私は新しくつくられる審議会の中心的なメンバーに必ずや議事をまとめる能力をお持ちになる方を何人がおそろえになるということが非常に必要だと思います。それをひとつ心がけていただきたい。  それはもう一つ別の意味合いがございまして、私は実は森大臣が先ほど指摘されましたように文部省に長らく出入りしておりまして、中教審ではございませんが学術審議会という方で十何年もおつき合いをいたしました。そこの長い経験から申しますというと、とにかくお役人の方がいろんなおぜん立てをして持ってくるわけです。その据えぜんの上でこっちの料理はまずいからこっちの料理だけ食べるといったようなお話で大体が済んでしまうわけです。それで、今度の臨時教育審議会もそういう形ではおもしろくないのではなかろうか。つまり、お役人の方が用意するにしても、それは最小限の資料の調達といったようなところにしていただいて、議論をまとめるという方の仕事は事務局は余りお手伝いをしないで、審議会自身がおまとめになるというのが私は適当だと思うんですが、こういうやり方について、官房長官、ちょっと答えられたらもうよろしいですが。
  138. 藤波孝生

    国務大臣藤波孝生君) 文部大臣にもいろな御。意見があろうかと思いますが、先生がおっしゃるように、ともすると政府のいろんな審議会とか調査会とかというのは、事務局があって、そこで前もって作文をしまして、大体こんな方向でなんというので委員の方々に、まさに据えぜんという御表現がございましたけれども、段取りをして会議を進めていくというような感じになる場合が多うございまして、それは限られた時間の中で能率的にいろんな御意見を伺おうと思うものですから、これもまた無理のないところではあるのですけれども、かえって委員の方々の持っていらっしゃる非常に該博な知識であるとかいろんな御識見というのが引き出せないまま終わってしまうような場合も多いわけでございます。そういう意味では審議会自身運営によりまして、大変御苦労ではありますけれども委員の方々のいろんなお取りまとめの御努力などがあって、それを事務局が補佐をしていくというような形になりますと、委員 の方々のいろんな御識見があふれた答申、建議が出てくるのではないかということを私ども考えるわけでございまして、今後審議会自身いろいろ運営についての御相談の中で進んでいくことではありますけれども、先生のきょうの御質疑を十分踏まえさせていただきまして運営に当たることにすれば大変いいがと、こんなふうに考える次第でございます。
  139. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 私も、そうした審議会というものは直接かかわり合いを持ったことございません。これはむしろ先生がいろいろと御経験深いわけでございます。しかし、確かに段取りという言葉がいいかどうかわかりませんが、やはりある時期に、今、官房長官が申し上げたように、まとめなきゃならぬということになれば、別におぜん立てをするというよりも、いろんな御意見が出たその御意見をある程度集約をする、そしてそれを最後の結論を出し得るようにするという意味で取りまとめをするということが従来官僚側ではあっただろう、これは必ずしも私は悪いとは申し上げられないと思います。  しかし、せっかくこれから臨時教育審議会で将来に向けて大いなるひとつ教育改革をしていこうということであるとするならば、やはり多くの委員皆さん意見ができる限りそれが中心になってまとまっていく、そして事務局のベースでそれがまとめられるというものではないというふうにすることが私はとても大事な留意点ではないかというふうにも考えておりまして、そういう意味では事務局構成はもちろん、今、先生が御指摘ありましたように、相当膨大な資料なども必要でありましょうし、また的確、迅速に出してこなきゃならぬという面もあると思います。また、ある意味ではそれを上手にまとめていかなきゃならぬ。そういう意味で事務局は事務次官をしっかり、特に文部省のやはり任に合った責任を持つという立場で事務次官がこれに当たっていく、そして各関係省庁からひとつ御協力いただくというこの体制は私は妥当なものであろうというふうに考えております。  それからもう一つ先生から御指摘がありました点は、とても私は御参考にさせていただくにふさわしいことだと思います。確かにこれだけの各界の御意見をお述べになる方々でございますので、やはり上手に取りまとめていくということはとても大事なことだろうというふうに考えますので、そうした意味では、そうした意見を上手に集約をしていくという考え方を十分に機能として果たし得るようなそうした委員の人選ということは十分の留意点として私も心得て総理に申し上げておきたい、こういうふうに考えております。
  140. 伏見康治

    ○伏見康治君 それで、臨時教育審議会でいろいろな教育改革の案がつくられると思うんですが、非常に率直に申し上げて、教育改革というものは余りやらない方がいいと思うんです。文部省は非常によくやってきたとは思うんですけれども、時々エラーも犯していると思うんです。今思いついたエラーを一つ申し上げますと、中学校の数学の教育の上で集合論はやりというのが一時非常に行われまして、丸や三角をしきりに並べて、含まれるとか含まれないとかいうようなお話が何か数学教育基本であるということが非常にうたわれた時代がございまして戸惑ったのですが、その後また徐々にもとへ返ってきているようですけれども、そういうやや軽率な改革が入ってくるというのは、これはお手本がアメリカにあるんです。  アメリカで、ある種の教育改革運動があって、そしてそういうやり方をやる場合があるのですが、ただアメリカは、日本と違って国全体を統べるような文部省というものは存在していないわけで、つまりアメリカのいろいろな教育改革というのは部分部分で行われているわけです。ですから、いきなり全国には広がらないわけでして、ある地域だけの教育改革が行われて、それが数年たって失敗だと思うとほかの州は別に何にもしないで済んでしまって、要するに、たとえその改革の意図がよくても結果において悪かったというようなことがありましたときに、その悪い結果が国全体を覆うということがないわけです。ところが我が日本の文部省の場合には、何か一つ決めますというとそれが全国的にすぐ広がってしまうわけで、実験的に何かをやるということが非常にやりにくいわけです、日本のようなところでは。したがって、いろんな改革というものはよほどよく考えたものだけについてやるべきであって、ちょっとこういうことをやってみようやというような安易な改革というものはむしろおやりにならない方がいいのではないか、過去の経験から私はそれを特に感ずるわけでございますので、よろしくお願いいたしたいと思います。  それから、これは官房長官がいたときの方がよかったんだけれども臨教審でいろいろ御議論になるときのその審議経過というものを国民全体がよく承知している方がいいと思うのでございますが、そういう意味審議公開ということが問題になるのでございますけれども、これに対する文部大臣のお考えはどうでしょうか。
  141. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 審議公開するかどうかということについては、随分この当内閣委員会でも御論議をいただきました。けさほども、そこにいらっしゃいます穐山先生からもいろいろと御意見をちょうだいいたしました。また、文部大臣が先に、公開するのかしないのか、非公開にするのかと言うとまたおしかりをいただいてしまいますが、あえて先生からのお尋ねでございますが、公開をするかしないかなどを含めて、審議会運営をどのようにするかということはこの審議会でお決めをいただくことになるというふうに私は考えております。したがいまして、審議会の皆様方が最も国民皆さんの前に理解と協力が得られるようなそうした審議プロセスども十分考慮して運営をしていっていただきたい、こう考えております。  ただ、私どもといたしましては、やはり審議会のこの性格、あるいは議論をいたしますことなどからも考えてみまして、先ほど先生がちょっとおっしゃったように、教育の問題については百人百様の考え方がある。また、教育改革というのは、確かに先生もおっしゃるようにそう簡単に改革はしない方がいいという御意見もある。どうしても教育の制度そのものに手を触れる、意見を狭めば、やはりどこかが切られたり、あるいはそこがある意味では改められたり、いろんなかなりラジカルな面も出てくるわけです。そうしますと、そのことについての意見というのは発言しにくいという面も出てくる。確かに公開をするということは非常に民主的な運営ではございますが、これは議論をする中身のことにとらわれると何か秘密めいて見えますけれども、逆に発言される委員立場というものを考えて差し上げなきゃならぬ。そういうお立場の方々は私どもと違って、だれもの目の前で責任を持って話していく政治家とはまた違うわけでありまして、それぞれのいろんな御自分のお仕事を持っておられる。それぞれの自分たちのいろんなグループや団体の指導的立場の方もおられる。そういう方々の御発言というものは自由に発言をさせてあげることが、そしてまたそのことを保障してあげることがより大事なことだというふうに考えます。  そういうふうに考えますと、やはり公開ということは一面民主的なようでございますが、ある面においては発言を制約してしまうようなことになってしまう、個々の個人の判断においてそうなると思います。そうすると、やはり本当の自由な論議が出た審議会とは言えないという面も出てまいりますので、私といたしましては、非公開の形の方が自由な御発言を得ることが多いというふうに、そういう判断をいたしておるわけでございますが、当然そのことについて国民から秘密性というふうな疑義が持たれないようにいろいろな工夫をして、審議状況概要などはこれはその都度公開をする、あるいはもっといろんな形で国民意見をフィードバックしたり、させたりするというようなことも十分加味した考え方は、恐らく識見を有する委員皆さんですからさまざまな工夫を凝らしたことをお考えいただけるのではないだ ろうか、こんなふうに私は期待をいたしておるところでございます。
  142. 伏見康治

    ○伏見康治君 大体そういう考え方ではなかろうかと私も想像いたしますが、委員会の席上でどなたが何を発言したといったような個人名を出す必要は私はないと思うんです。そうでなくて、何が論争点になっているかというところを国民に知らせる必要がある。そして、それがどういう理由でAという説が勝ってBという説が負けたかというそのプロセスが必要だと思うんです。そうしないと、ただ初めからAならAという答えだけが出てきますというと、それに対して疑いを持つ人が納得しないで終わってしまうおそれがあると思うんです。臨教審教育改革が、国民全体を納得させるということのためには、出す前の問答といいますか、それが知らされて、国民自身がそれを読んで納得できるという形になることが必要だろうと思います。どうぞ、よろしくひとつお願いいたしたいと思います。  もう一つ、臨教審の財政的な基盤をお伺いいたしたいんですが、パートタイマーで私も実は申しわけないことに、学術審議会に出たときに、席に出たときには一生懸命考えているつもりだったんですけれども、そこへ来るまでは実は余り考えていない。その場だけで物を考えているということが実はしばしばございました。私が大阪大学とかあるいは名古屋大学から東京に来るときには、来る汽車の中で考えてまいりまして、それで東京の先生に、おまえは汽車の中で考えてくる準備期間があるからいいと言われたことがあるんですが、その席へ出てきて、そこで思いつきで議論をするというのではぐあいが悪いので、私は、相当程度先生方に時間を割いていただくということのためには、やっぱりたっぷりお礼を差し上げなければいけないと思うんですが、いかがでしょうか。
  143. 齊藤尚夫

    政府委員(齊藤尚夫君) 今回、修正によりまして特別職の審議会委員ということになるわけでございますが、それにふさわしい報酬というものは当然差し上げなければいけないというふうに考えております。
  144. 伏見康治

    ○伏見康治君 できるだけたくさん差し上げていただきたいと思いますが、それはほかの予算に比べたらまるで問題にならない少額なんですから、ひとつ大臣よろしくお願いいたしたいと思います。  ところで、今までは臨教審そのものの形の上での御議論を申し上げたんですが、百人百様の中の一人の意見を少し具体的な例をひとつ申し上げてみたいと思うんです。それは私が戦後の大学教育をしているときに思いついたことなんですが、チューターという制度をつくってはどうかということなんです。例えば物理の教室で申しますと、いろいろな数学的な演習問題を解かせる演習の時間というのがございます。それから、いろいろな小仕掛けの実験をやる実験実習の時間というのがございますが、そういうときに先輩が指導するということが非常に役に立つわけですね。それは上の方の例えば私のような年をとった者が指導をするよりは、つい二、三年上の先輩が指導するということが非常に有効なわけなんです。それは年齢が接近しておりますというと、つまり下の人がどういうところがわからなくてどういうところを間違えやすいかといったようなことが指導する側によくわかるものですから、いわば手の届くように教えることができる。  そういう意味で、まず教育効果的にいって、そういう数年先輩の人に後輩を教えさせるということは非常に意義があると思うんです。それから先輩の方も、人に教えるということによって自分の知識が非常に確実なものになるわけです。長い話というのはだめなんでして、要するに抽象的な学問というものは時がたつとともに忘れてしまうものなんですが、一たび人に教えてやるという機会を持ちますと、それで自分自身の知識が非常に固まってきて、教える側にも非常にいいわけです。  それで私はこういう制度を設けようと思って、実は文部省に何度か交渉したんですけれども、答えは非常に簡単でございまして、学生には国の金は出せません、そういうことでおしまいになってしまいました。私は、文部大臣はきっとそういう官僚主義を乗り越えて何か考えていただけるのではないかと思って、小さな問題ですけれども申し上げてみたんです。どうお思いになりますか。
  145. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 文部大臣は政治家でもございますが、やはり文部官僚の上に立ちます。そういう立場でもございますので、先生のお考えをそのまま私はなるほど大変結構なことでございますというふうには申し上げにくい立場にもあるわけでございます。しかし、教育を進めていく、研究を進めていく上で、確かに教授と学生との間よりも、そのことによく精通をした先輩あるいは大学院生、そうした形で先輩後輩という人間の関係で指導していくということはむしろ的確な面が出てくるだろう。特に、高等教育機関においての学生と教授との関係というのは、かなりその中に一つの人間の幅といいましょうか、先生なんかはそんなふうにお考えになっていないと思いますが、受ける立場から見るとかなり大きな開きをやはり感ずるだろうと思います。そういう意味からいいますと、やはり直接先輩や大学院生などから指導を受けるということは、これは良好な人間関係といいましょうか、研究を進めていく上での人間関係をつくっていく上にはとても私はいいことだろうというふうに考えます。  ただ、ここからでございますが、そのために手当とかそういうことになってまいりますと、現在のやっぱり法律の中といいましょうか、大学設置基準ということ、これも先生よく御存じのことでございますが、そういう資格あるいは専任教員の数とそういう規定ということからまいりますと、ここがひっかかってくるわけでございます。こうしたことなどもやはりより的確な、最近は特にこうした講座制をしいていくことがいいのか悪いのか、あるいは学部学科制度というのがいいのかどうか。また、よくよく議論に出てきますが、高桑先生などからよく出てまいります例のインターン、いわゆるオーバードクターの問題、こうしたことなども全く手をつけずにおれないような私はやっぱりこういう学界になってきていると思うんです。ですから、こうしたことなども十分踏まえて、高等教育の研究をどう推進していくのか、こうしたことなどもやはりそうした御専門の御論議をいただくということは大変私どもにとってもありがたいことになる。このまま放置しておけない問題が随分あると思うんです。  確かに、今のこういう枠の中、今の法律や基準の中でいけば、先生から今あの程度しか答えられないのかなということになるのはこれはやむを得ないだろう、こう思います。やっぱり幅広く柔軟な、まさに多様的な学術、研究を進めていくということも、そういう意味ではこの二十一世紀を志向する教育改革の最大の大きな問題にもなるのではないか。こんなふうにも考えますので、私どももまたそうした先生のお考えのようなことなどが広く御検討があればというふうに、私もそのよう  に感じておるわけでございます。  昔ならば臨時教育審議会等こうした審議会には国会議員もお選びをすることが当時はできたようでありますが、最近はそうしたことはなじまないわけでありまして、先生が参議院にお出にならなければ恐らく臨時教育審議会などの最大の私は候補者になっていただけたのじゃないかというような感じを持つわけでございますが、当然、審議委員におなりになるならないとは別個に、国会論議を十分に私どもは参考にしたい、こう申し上げておりますので、そうした先生のお考え方ども十分に生かされるようなそうした審議を進めていくように私も期待をしたい、こういうふうに考えております。
  146. 伏見康治

    ○伏見康治君 せっかくいろいろと、何というのか、おべっかを言っていただいたのに、ちょっと申しわけないことを次に言うんですが、それは文部省縮小論というのはいかがかということですが、今のお話で、恐らく私立大学でしたら私が述べたようなことは円滑にいってしまうと思うんです。恐らくうまくいくと思うんですが、それが私 が国立大学に属していたためにいろいろとお役所的な規制につかまってうまくいかなかったということがあるのではないかと私はそのときから考えていたわけなんですが、日本はいろんな意味でヨーロッパのいろんな制度をまねして入れたんですが、ケンブリッジとかオックスフォードとか、今、宮様がわざわざオックスフォードの学生になっておられたりするわけで、つまりケンブリッジとかオックスフォードというのはいろんな意味日本の文教政策のお手本であったのだろうと思うんです。そのケンブリッジやオックスフォードというのは、日本意味での国立の大学ではないわけです。国のお金が大部分でしょうけれども、それ以外のお金も入り得るようなシステムになっておりまして、もう少し国立て、そこの大学の先生が国家公務員であるというような解釈というものは少なくともイギリス流の大学考え方からいうと非常になじまない考え方じゃないか。  現に、私は国立大学の教授をしておりましたときに相当程度反政府的なことを言っているわけですが、これで国家公務員というのは内心じくじたるものがございまして、もっと政府に忠実なことを言わなくちゃいけないのかと思ったことがしばしばあるんですが、しかし一方、大学の先生というのはやっぱり自由であって、自由に自分の意見を述べるべきだということは抑え切れないわけです。その二つの要素を調和させるためには国立大学考え方を、国立の意味をもう少し何か直していかれるということができないだろうかというのをつくづくと感ずるわけなんですが、これは文部大臣質問しても無理でしょうか。
  147. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) どうも伏見教授の何か面接を受けているような感じがいたしまして、私、個人的な立場でございましたならばいろんなまた私なりの愚見も申し上げることができると思いますが、ただいまは文部行政の任の責任者でございます。そういう立場もぜひ御理解をいただきたい、こう思うんですが、確かに私は日本のこの文明といいましょうか文化というのは、やはり吸収をして、そして今では日本も先進諸国の仲間ですが、そうなったとしても、百十数年過ぎて、私はよく選挙区などでも話をするんですが、今、日本では地方都市へ行くと一生懸命下水工事をやっています。まさに下水なんというのは文化の象徴みたいなものです。その下水なんというのは、我々聞くところによればフランスなどはナポレオンの時代にあったというふうに考えますと、確かに国際社会の中の大変な大きな国にはなったものの、まだまだ文化的には歴史は浅いなという感じがいたします。  そういう意味では、政治的な我々の範疇のものもかなり新しいいろんな制度をとってきているわけでしょうし、これはある意味では完成をしてきている一つの姿ができておると思いますが、やはり大学を含めてのこういう学問の世界なども、先生から今御指摘がありましたようにイギリスなどからこうして導入をしている。わずかここ百十数年の中でこれだけの日本の国が大きな評価を得るように発展をしたということは、日本日本なりの知恵を編み出したのが今の制度だろうと、こう思うんです。そういう意味では、資源が乏しいし、我が国のようなこういう立地、まさに島国であるということなども考えていきますと、当時としては教育というものを広めさせていくには、今の国立大学のこのシステムで地域的にも分野的にもかなり平均的に進めてきたというふうに考えますので、私はこれについてはやはりそれなりの大きな評価があった。  しかし、何事もこれで絶対いいというものはないわけで、その中に幾つかの、今、先生も御指摘ありました、同じ高等教育の学問を進める上においても私立とあるいは国立、公立てはいろんな意味で制約がありますし、また私立大学においても、例えばいろいろと問題になっておりますような、いわゆる産学協同の民間の資金をどのように使っていくのかということについてのまたいろんな問題も最近は出てきておるようでございまして、一概にはどの制度が絶対だということは言い切れないだろうと思います。オックスフォードにいたしましてもあるいはケンブリッジにいたしましても、形は私立てありますが、実際の経費はやはりほとんどが公費を使っておるというふうに私どもも承知をいたしております。いずれにしても、先生がおっしゃったように、まさに大学の自治、学問の自由ということはこれは普遍の原理でございまして、そういう中でいろんな方策をまた編み出していくことも非常に重要な問題ではないかというふうに、先生のお話に対しまして答えにはなりませんが、感想めいたものとしてお聞き取りをいただければと思います。
  148. 伏見康治

    ○伏見康治君 先日の新聞に、東京工業大学の外郭団体があって、そこのお金を大学の先生が研究費にお使いになったということが何か非常に大きなスキャンダルのごとくに出ていて私は一つのショックを覚えたんですが、そういうやり方がむしろ非常に公正なものであるなら私はむしろ大いに奨励すべきだというふうに考えるんですが、ただ東京工業大学が国立なるがゆえに国のお金とそれ以外のお金との区別をちゃんとしなければならないということのために何かおとがめがあったように伺っているんですが、そういう点も、そのこと自体私は少しも差し支えないので、それが正々堂々とやれるような仕組みは当然あるべきだと思うんです。これについてはいかがでしょうか。
  149. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 詳細については私も明確に把握をいたしておりませんが、東工大のことなどだけを指摘するのではなくて、やはり上手にそういうところをうまくいい意味で利用していく制度というのはあるわけでございまして、そういう意味では一たん国庫に入れ、そしてそれをきちっとした協議の中で使用していくという、そういう手続をとっておられればよかったのだろうと思います。しかし、研究を進めていく中では、ついついそのまま流用してしまうというようなことも間々にしてあるのだろうと思いますが、とても私は大事な問題だと思うんです。このことを、日本人というのは非常に潔癖性といいますか、きちっとしなければならぬ国民性でもございますから、しかし逆に言えば、そういうことによって学術、研究を制約してしまったり、言葉はいいかどうかわかりませんが、角を矯めて牛を殺すようなことになってはならぬ。しかし、とても大事なことでございますから、十分これはひとつ文部省としても国立大学等についての指導はいたします。が同時に、このことによって大学の研究が停滞をするようなことになってはならぬ。そこのところのあんばいが非常に難しいところだというふうに私は感じております。
  150. 伏見康治

    ○伏見康治君 私に与えられた時間は終わったと思ったんですが、今メモによると三時過ぎまでよろしいということですが、あと四分。ほかのことを考えたら途端に流れが途絶えてしまいましたので、これでやめることにいたします。ありがとうございました。
  151. 橋本敦

    橋本敦君 まず、端的に文部大臣に伺いますけれども、まさに文部省の大臣官房の会計、しかも総括予算班主査という重要な地位にあった人物の汚職の問題が起こっている。そこで私は端的に聞きますが、いやしくも教育という問題を語る場合に、汚職に汚れた手で教育改革を論ずることが本当にできるのかということです。そこのところを大臣はどう考えていますか。  そしてまた、汚職といえば公務員として最も恥ずべき犯罪であることは間違いがない。そういうことが個人の悪ではなくて、私が前回指摘したように、文部省の人事管理と会計処理のそのことの中にも遠因があるという状況の中で、文部省に責任なしと言えない。そういう事態の中で、このことをはっきり責任を明らかにしないで二十一世紀に向かって教育改革を論ずる資格が一体あるのだろうか。私は古い汚れた革袋に新しい酒を盛ることなど到底できぬと、こう思っているのでありますが、まず最初に文部大臣の御見解を伺いたいのであります。    〔委員長退席、理事亀長友義君着席〕
  152. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) まず端的に、たびたび申 し上げて恐縮でござますが、こうした不祥事、そして逮捕者を出したという、文部省にとりましてこれだけ恥ずかしいことはございません。また、その責任は最も私が文部大臣として痛感をいたしておるところでございまして、これも国会を通じまして国民の皆様方にもたびたびおわびを申し上げておる次第でございます。  ただ、今、橋本先生御指摘でございますが、もちろんどういう事情からどういう経緯を経てこうした事態が出てきたのかということについては、まだ詳細は私どもはつまびらかにはできないわけであります。当然、捜査当局の進展を見守っていかなきゃならない。もちろん、文部省はほったらかしておいていいというものではない。文部省としても当然そういう事態というものの解明をしなきゃなりせんが、基本的には捜査当局にゆだねることが、これは法治国家としてはやっぱり一番とるべき態度であろうというふうに私は考えております。したがいまして、その捜査の段階、捜査の経緯を見た上で、私も含めて文部省全体のそれぞれの責任ある者は責任をはっきりしなきゃならぬというふうに私は考えております。
  153. 橋本敦

    橋本敦君 ところが大臣、この事件というのはまさにさらに広がり始めている。私は、重要な臨教審問題が国会で論ぜられているさなかに、さらにこの汚職が広がり始めているという重大な事実を無視して議論をするわけにいかぬと思うんです。  そこで、刑事局長にお越しをいただいておりますが、オリエンタルマシンの事務機の納入をめぐる汚職から大学病院等への医療機器の納入をめぐる汚職へと新たな広がりを見せておりますが、現在のところ医療機器をめぐる汚職についてはどれだけの事実が明らかになっておりますか、明らかにしていただきたいと思います。
  154. 筧榮一

    政府委員(筧榮一君) お尋ねの医療機器等購入をめぐる贈収賄事件でございますが、まず最初には大阪地検におきまして、本年六月二十九日、株式会社パシフィック科学貿易代表取締役井上旻を大阪大学事務局経理部長中曽根武に対する百五十万円の贈賄で逮捕いたしまして、七月二十日に石井上を贈賄、また中曽根武を収賄でそれぞれ大阪地裁に公判請求いたしております。それから本年七月九日にフクダ電子株式会社取締役永田明巳を今の中曽根武に対する六十万円の贈賄で逮捕し、七月三十日、右永田を贈賄で、また中曽根を収賄でそれぞれ大阪地裁に公判請求いたしております。それから本年八月一日、昨日でございますが、電子科学株式会社取締役小野寺幸雄を元文部省大臣官房会計課総括予算班主査田中潤佑に対する二十万円の贈賄で逮捕し、現在捜査に当たっております。  ただ、この電子科学、一番最後に申し上げました分は、広い意味では医療機器に入るかもしれませんが、実質は物質の質量分析機械の納入ということで、理化学機械と言えるかもしれません。
  155. 橋本敦

    橋本敦君 田中への新たな贈賄で問題になった機械の納入先の大学はどこですか。
  156. 筧榮一

    政府委員(筧榮一君) 被疑事実におきましては、奈良女子大学、大阪大学等となっております。
  157. 橋本敦

    橋本敦君 奈良女子大と阪大医学部のほかにまだあるという意味で等とおっしゃったわけですか。
  158. 筧榮一

    政府委員(筧榮一君) その辺は今後の捜査の問題でございますので、お答えは差し控えさせていただきたいと思います。
  159. 橋本敦

    橋本敦君 私がその点を聞きますのは、この問題について田中が四百万円の現金札束をひそかに部下に預けておった。そのことも発覚した。その四百万がわいろではないかという疑いも出てきている。今捜査はこれにも手をつけているという状況があるように思いますが、そういう事実はあるのですか。
  160. 筧榮一

    政府委員(筧榮一君) 昨日逮捕したばかりで、現在捜査中でございます。詳細につきましては、その余の捜査の内容につきましてはお答えを差し控えさせていただきたいと思います。
  161. 橋本敦

    橋本敦君 小野寺と田中とはいつごろから関係を持っていたという事実がわかっておりますか。
  162. 筧榮一

    政府委員(筧榮一君) その点も具体的捜査の内容でございますので、差し控えさせていただきたいと思いますが、逮捕事実の二十万円の授受は昭和五十七年十月上旬ごろから五十七年十二月中旬ごろまでの間というふうになっております。
  163. 橋本敦

    橋本敦君 それ以外に特捜部の方では、この田中、小野寺の関係ではさらに多額のわいろのやりとりがあったという容疑を含めて余罪を徹底的に追及するという方針だと報ぜられていますが、それは間違いありませんか。
  164. 筧榮一

    政府委員(筧榮一君) 毎度申し上げて恐縮でございますが、捜査の具体的内容にわたりますので、その点もお答えを差し控えさせていただきたいと思います。
  165. 橋本敦

    橋本敦君 一方、中曽根について二、三点伺っておきますが、中曽根は阪大に事務機を納入させ、受け取ったわいろを大阪口座に振り込ませただけではなくて、東京にも口座を設けさせ、東京口座にも金を振り込ませておった。それは医療機器の納入のわいろも東京口座に振り込まれたという事実も明らかになりつつあるということですが、間違いありませんか。
  166. 筧榮一

    政府委員(筧榮一君) 先ほど申し上げました中曽根武に対する起訴の公訴事実におきましては、わいろの送り先は東京所在の女性名義の普通預金口座というふうになっております。
  167. 橋本敦

    橋本敦君 まさに東京、大阪を舞台にして、そしてまた文部省管轄の奈良あるいはその他全国の大学をまたにかけての犯罪という異常な恐るべき発展の方向に事態は移るかもしれぬという重大な問題であります。私は、この問題について前回の質問で徹底的に調査を要求いたしました。五十七年ごろから今年度までに至るオリエンタルマシンが文部省並びに全国大学に納入した事務機の納入経過一覧、そしてオリエンタルマシン以外の会社が納入をした事務機の経過一覧等を明らかにするように強く要求してまいりましたが、多忙の中で文部省の方も鋭意調査を遂げられて、全部ではありませんが、さしあたり五十八年度だけについて私のところに報告をいただくことができました。  これによりますと、オリエンタルマシンは、全国の十四大学に九十四台、金額にして一億五千八百六十七万円に上る巨額のワープロ等事務機を売り込んでいることが明らかになりました。これは文部省が初めて明らかにした数字であります。一方、オリエンタルマシン以外の会社から全国の大学がどれだけ買い取っているかを調べていただきました。これも文部省が初めて明らかにした数字ですが、五十八年度でわずかに五大学、そしてその台数は四十台で金額は五千五百九十六万円。オリエンタルマシンの売り込みのわずか三分の一にすぎません。したがって、田中や中曽根にわいろを贈ったオリエンタルマシンという業者が、どれだけ文部省の中枢と全国大学へのこの機械の売り込みに食い込んでいたかという事実が、この調査だけからでも明らかになっているのであります。  さらにもう一つ重大な問題は、私はこの資料を分析してみました。随意契約で大学に機械を売りますと定価から値引きをするのが通例のようであります。国の費用で買うのですから安く買えることはそれ自体結構であります。そこで、どれくらいの値引きが実際に行われているか、いただいた調査で見てみますと、歴然としますことは、オリエンタルマシンが全国の十四大学に売り込んだ値引き率はわずかに九・六%であります、平均して。ところが、オリエンタルマシン以外の会社は、大学に同じように事務機を売り込んで、値下げ率は一八・二%であります。半分であります。逆に言えば、オリエンタルマシンは、ほかの業者ならば一八%値引いて国に安く機械を納めるところを非常に高い値段で売り込んでいるという事実が明らかであります。普通の商売ならば、安く売るからたくさん売れる。ところがこのオリエンタルマシンの文部省相手の商売は、高く売りつけて、しかもオリエンタルマシンの会社以外の三倍に上る巨額の機械を売り込んでいるという事実が明らかであります。こういうことが実際できるのはなぜか。 まさにこれは私は、中曽根、田中を中心としてわいろ商法がそこに横行していたと見ざるを得ない。明らかに随意契約で他の業者と競争して値引きしなくても、これだけのわずかの値引き率でも中曽根や田中の口ききがあれば買ってもらえるという状況が存在していたのではないかということを私はここから疑わざるを得ないのであります。  刑事局長、私が指摘したこういうような売り込みが成功した陰には、田中や中曽根の口ききがあった、巨額の未配分予算を処理し得る立場を利用して各大学に機械の売り込みを慫慂し、しかもその業者はオリエンタルマシンにするように陰に陽に便宜を図った、こういう事実があったと私は見ざるを得ないのですが、事実関係、捜査の中でいかがですか。
  168. 筧榮一

    政府委員(筧榮一君) 現在、捜査継続中でございます。検察当局におきましては、事案の全容を解明して、その実態に即した適切な措置をとるものと考えております。
  169. 橋本敦

    橋本敦君 例えば、被疑事実を見ますと、中曽根については、オリエンタルマシンが販売するワープロ等を大阪大学に購入してもらうに当たって、有利、便宜な取り計らいを得たことに対する謝礼だと、こう書いてあります。田中に対する被疑事実は、どこの大学への売り込みとは特定しなくて、国立大学に購入してもらうよう予算配分等に有利、便宜な取り計らいを得たことの謝礼の趣旨で金を渡したと、こうあります。まさに、この被疑事実の記載自体は、予算の配分や売り込みに有利、便宜な取り計らいをしたということの謝礼だと検察官は指摘されておるんですから、私が指摘したようなこういう犯罪事実や収賄、こういうことがあったればこそオリエンタルマシンの巨額の売り込みが成功した、この面は全面的に否定はできぬ。全面的に否定し得ない状況事実があるという程度のことは明らかになっているのではありませんか。
  170. 筧榮一

    政府委員(筧榮一君) 現在、捜査継続中でございますので、その内容については差し控えさせていただきたいと思います。
  171. 橋本敦

    橋本敦君 詳しくは聞きません。しかし、私がそういう状況事実があったという指摘に対して、否定はされないということは間違いありませんね。
  172. 筧榮一

    政府委員(筧榮一君) 申し上げられますことは、今、橋本委員が一部お読みになりました起訴状あるいは被疑事実の内容から判断いただきたいと思います。
  173. 橋本敦

    橋本敦君 刑事局長は捜査中ですから慎重な御答弁をなさいましたが、私の指摘は文部省からいただいた資料の分析からも、被疑事実の解明からも状況的に明らかであると言わねばなりません。  そこで、もう一つ進んで私は計算をしてみました。これは官房長、いただいた資料からの計算でありますが、今お話ししたように、このわいろを使ったオリエンタルマシンの会社と他の会社との値引き率の差は、言うまでもありませんが九・一四%あります。そこで、この九・一%を平均的に文部省が調査をなさった金額である総合計の一億五千八百六十七万という売り上げに掛けてみますと、一千四百二十八万であります。つまり、端的に言えば、五十八年度だけでオリエンタルマシンはわいろを使ったわいろ商法をベースにしながら、本来一千四百二十八万円という国民の税金、払わぬでもいい金を払わして多額の売り込みに成功したということになるのであります。こういう事実を二年も三年も続けさせられておきながらなぜ文部省はチェックできなかったのか、改めて答弁をいただきたいと思います。
  174. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) ただいま先生御指摘のまず数字の問題でございますが、全国九十五大学、先週末から緊急に調査をさせていただきまして、十四大学にかかわる数字につきましては先生御指摘のとおりでございます。ただ、オリエンタル社以外から買った大学の数の五大学は実はサンプルであるということを申し上げたつもりでございまして、このオリエンタル以外から買った大学数はまだ私ども調査を継続しておりまして、なおふえるであろうかという見込みでございますので、五大学につきましてはまだ確定数字ではないということを御承知いただきたいと思います。    〔理事亀長友義君退席、委員長着席〕  それから、ただいま先生御指摘の点でございまして、このオリエンタルから買った大学の割引率と、五大学ではございますがサンプルの大学に係る値引き率の平均値をとりますと、先生おっしゃいましたように約一〇%程度の差があるという御指摘でございますが、それを掛け合わせますと、金額としては御指摘のように出るわけでございます。ただ、私どもが現在、これからも調査をいたさねばならないのは、やはり各大学がオリエンタル社から購入することに至った経緯、これが一つございます。この経緯につきまして、中曽根なり田中氏がどのように関与したかということは、捜査当局の解明とともに、私どもも個別に調査してまいらねばならないというふうに思っております。  それから別個の問題といたしまして、オリエンタル社から買った金額の問題といたしましては、やはりオリエンタル社から買うにつきましても機種による差がございます、東芝であるとかシャープであるとか。この資料に基づきまして私も見てみましたら、かなり多様な機種を選定いたしております。どうも機種によっての差も若干あるような感じがいたします。それからもう一点は購入の日付でございます。これがまた購入の日付によって割引率も違ってくるような気もいたします。つまり、発売当初のものとか発売が行われた後一年ぐらいたったもの、いろいろこういう事務機器にはそういうふうな値引きのいろいろなあれがあろうかと思いますが、そういうふうな問題。それから地域性の問題と申しますか、東京近郊であるとか、地域が大分遠方であるとかそういうふうな問題とか、全体数量が多い少ないというふうなまとまりの問題とか、そういうふうなものも随意契約の場合には値引き率とのかかわりが出てまいるわけでございまして、これらを総合的に私どもも厳密に調査をしてまいらねばならないというふうに思っておりますので、ただいま先生のおっしゃいました金額の乗算による結果数字だけで今現在私がどうこうという判断を申し上げるわけにはちょっとまいらない、こういうふうに考えております。
  175. 橋本敦

    橋本敦君 ありがとうございました。刑事局長、結構でございます。  官房長、同じ機種で、あなたにいただいた資料で私はちゃんと調べていますよ。例えばシャープWD―二四〇〇という百六十五万円定価の機種、これは五十九年一月に滋賀大に売り込まれています。一方、同じ機種の機械が大阪大学に五十八年八月、四カ月ほどの違いですが売り込まれています。値引き率はあなたにいただいた資料を見たらどれだけ違うか。滋賀大には二六%値下げして売っています。ところが汚職事件が発覚している阪大、中曽根にわいろを渡したそこではたった五%です。あなたにいただいた資料で、同じ機械を滋賀大に百二十二万円で売っているのに、阪大には百五十六万円で買ってもらっているんです。こういう明白な事実もあるから、あなたの弁解はそのとおり全部いただくわけにはいかぬのです。  会計検査院、お越しでしょうか。  今、私が指摘をした全体としての平均的な数字は一千何万と申し上げました、これは平均です。しかし、こういう差があるという事実に着目すると同時に、私が指摘をした同一機種でも同じ随契でこれだけの違いがあるということについては、まさに国民の税金、国の金の不当支出に該当する可能性があるのではないかと私は見て、厳重に調べる必要があると思うんですが、会計検査院の御見解はいかがですか、こういう事実。
  176. 黒田良一

    説明員(黒田良一君) 私ども文部省からも同じような資料をいただきまして検討している最中でございますが、随意契約そのもののあり方等につきましては官房長がお答えのとおりでございまして、それぞれの機種、それからそれぞれの大学におきます事情、それをなおよく調査してみなきゃわからぬと思いますが、一般的に申しまして、今、 先生がおっしゃったような趣旨で調査をする必要はあろうかと思います。
  177. 橋本敦

    橋本敦君 そこで、官房長がおっしゃったように、それぞれの個別ケース、売り込んだ時期、台数、随意契約の内容、そういうことも含めて徹底的に私は調査すべきだ。会計検査院にお願いするんですが、犯罪を摘発し、これをクリアするのは検察庁の務めですから任せしましょう。しかし、いやしくも国の財政支出が今度の事件に関連をして不当でなかったかどうか、あるいは違法事項があったのであればなおさら厳しい指摘をする責任が会計検査院にある。今直ちにと言えば人員その他がありましょうが、この事件の進展状況を見て、今おっしゃったように会計検査院としては特別に会計検査、特別監査を行う必要のあるケースだと思いますが、いかがですか。
  178. 黒田良一

    説明員(黒田良一君) 大阪大学の汚職事件を発端といたしまして、今回のこういうような事件につきまして私ども一番虚心坦懐に基礎から洗い直す必要があるという点におきましては今、先生のおっしゃったとおりでございますが、これにつきまして直ちに特別監査をやるかどうかということは、文部省所管の検査の項目いろいろ私ども抱えておりますので、一昨日、七月三十一日主計簿の締め切りでもございました。計数の確認ということも私ども重要な作業の一つでございまして、計数の確認、そういうこともございますので、今後いろいろと検討をしながら先生の御趣旨を踏まえまして調査をしてみたい、かように思います。
  179. 橋本敦

    橋本敦君 ぜひ厳しく調査をお願いいたします。次の質問に移りますから会計検査院結構でございます。  そこで官房長、もう一つ私はただしておきたい。前回の私の質問に対して、このオリエンタルマシンという業者は従業員だった六人、資本金数百万円、小さな会社で、会社の経歴としてもそれはそれだけしっかりした会社でないから契約金額は五百万円以下、こういうことでないと契約資格がない会社だと文部省は認定をしていた、これは間違いありませんね。たった五百万円以下の契約しかなし得ないそういう資格であると文部省から認定されている業者が、五十八年度だけで何で一億五千万の商いが大学に対してできるんですか。どこでこんなからくりが可能になるんですか、この点を説明してください。
  180. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) 御指摘のオリエンタルマシン社が非常に小規模の会社であるということは御指摘のとおりでございまして、このような小規模な会社が年度を異にしていることに非常に大きい契約をしてきた、それが非常に多額の契約金額になっているということであるとすれば、その経緯がどこにあるか、今回逮捕されている者がその点でかかわっているのではないか、先生の御指摘の趣旨はそういうことにあるのではないかと思うわけでございまして、この点はやはり捜査当局の捜査の内容に私どももまつわけでございますが、私ども自身としても各大学の契約の実態を個別にこれから調査することによりまして、そのような経緯も含めて調査を進めてまいる必要があるというふうに考えております。
  181. 橋本敦

    橋本敦君 調査は結構ですから、本来的にあり得ないことが起こっているということは間違いありませんね。ちゃんとやればあり得ないでしょう。年間に一億五千万の契約、商いができるんですか、五百万円で。
  182. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) 私どもは、オリエンタルマシン社の全営業規模でございますが、この全営業規模の中で国立大学に係る事業規模がどの程度であるかということはまだ詳細に承知していないわけでございまして、先生御指摘のように、国立大学に係る営業規模が仮に年度ごとに巨額になってきておるということが事実であればその点についての事態の究明をする必要がある、こういうふうに思われるわけでございます。
  183. 橋本敦

    橋本敦君 巨額に事実なってきているわけでしょう、いかがですか。
  184. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) 私どもが現在調べておりますのは五十八年度の数字でございます。五十七年度につきましてはまだ緊急な調査の中に入れておりませんので、五十八年度の契約の規模は承知しておりますが、五十七、五十六についてのオリエンタルの規模がどうであるかということについては今後の調査にまたねばなりませんし、その調査結果によりまして五十六、五十七、五十八の推移を私どもとしても確かめる必要があるというふうに考えております。
  185. 橋本敦

    橋本敦君 それじゃ、引き続き調査をすることは約束されますね。
  186. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) この点につきましては若干時間の関係、その所要日数の問題がありますが、私どもとしては調査をなお継続したいというふうに考えております。
  187. 橋本敦

    橋本敦君 そこで官房長、この中曽根、田中というワルですな、名前がどうもいかぬのでつい笑うんですけれども、直接の上司はどなたが責任を負うんですか。つまり、汚職を犯した当時の文部省会計課予算班総括主査という立場で汚職をやっている、そして仕事もやっている、職務に関してわいろをもらっている、オリエンタルマシンにこれだけの大きな商売をさした、しかも会計規則あるいは人事管理方針の三年以内という方針にも反して長期同じ職場にとどまらしてきた、そういうもろもろの問題で、大臣は私自身をも含めて文部省のそれぞれの責任をいずれ明らかにするとおっしゃったわけですが、直接の上司というのはどういう立場になっていますか。
  188. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) 総括予算班主査という立場の上司を申し上げますと、やはり会計課の中のポストでございまして、会計課の職制といたしましては総括予算班主査の上に副長がおります。その上が会計課長、その上が官房長、それから事務次官、こういうふうな職制になるわけです。
  189. 橋本敦

    橋本敦君 わかりました。そこで、大臣は一々細かい人事配置その他責任はなかなか持てませんと。私はよくわかっています。だけども、官房長や事務次官は、こういう事態に対して私は責任の一端を負うという立場に置かれておられる方だと思うんです。  そこで大臣、私が聞きたいのはここなんです。この臨教審法案でこの審議会の事務局長はだれかというと、この法律で文部省の事務次官だと決めてある。私が、汚れた手で子供の未来を語る資格があるのか、できるのかと言ったのはここなんです。事務次官が、これだけの汚職を生み出した文部省の行政そのものに全く責任がない、シロだ、こうなったら私は言いません。しかし、私が指摘した構造的な汚職構造から見れば、監督不行き届きの点もあるでしょう。こういう事態を引き起こした責任は、たどっていけば事務次官にもないと言い切れない面があるでしょう。その事務次官が審議会の事務局長になられるというこの法律構造からして、なおさらこの徹底的な究明と責任を明らかにしない以上は、この問題は先へ進まぬ重大な問題を含んでいると私は指摘しているんです。もしも事務次官が責任をとる必要があるとなれば、どうなりますか。それでも事務局長に就任されますか。
  190. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) 公務員法上の監督責任あるいは指揮命令における責任で今回の事件を考えますと、やはりこの事件の発生した時点というものを考える必要がございまして……
  191. 橋本敦

    橋本敦君 簡単に結論だけ。言わんとすることは私はわかっていますから。
  192. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) 現在私どもの承知しておりますのは、五十七、五十八という年度の問題として考えておりまして、しかしそうは申しましても、全体の文部省の組織の問題、人事管理の問題として、現職にある私どものこれからの改善の問題も含めまして、いろいろな意味での責任があることは十分自覚をしておる次第でございます。
  193. 橋本敦

    橋本敦君 そのとおりですね。大臣、いかがですか。責任は自覚されているんです。事務次官だってそういう立場なんです。その事務次官が二十一世紀の教育を語る審議会の事務局長になっていいんですか。大臣の見解を求めます。
  194. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 先ほども申し上げました ように、この不祥事に対します責任は私も極めて遺憾にも思っておりますし、私も次官もまた官房長も全員その責任を痛感いたしておる、これは私もたびたび申し上げておるところでございます。ただこの事態を、もう少し捜査の状況を見きわめた上でなければ論ずることは非常にむずかしい、また非常に大事なところでもあろうと思いますが、先生の御指摘の点は、それはまさに文部省のそこの汚職的体質、システム上にあるのではないかという御指摘の、そういう立論でお話をされている。私どもとしては全くそのことを否定をまだいたしておるわけではございませんが、もちろん本人たちの当然公的な立場あるいはモラル、そうしたものの欠如であることは言うまでもございませんが、果たしてその職制上そうした構造があったからその構造でそういうふうにできるのだということであるというふうな議論は、私はそうした考え方をとるにはまだ時期的に結論を得られない事態だと思うんです。もちろん本人も悪いし、それからそれを長くそこにとどめ置いたということの責任は当然上司にもございます。  先生も御承知のように、監督の不行き届きという点はもちろん否めませんが、細かいそこまで果たして次官や官房長が見ておれたかどうか。役所は当然監督はしていかなければいけませんが、やはりお互いに信頼感というものが当然そこにある。初めから相手を疑って仕事をいたしておりましたら、これは官庁なんというものは動いていかないということにもなるわけでございます。しかし、事態はこうした形で起きたことは事実でございますから、いましばらくこの事態の進展を見させていただきたい、こういうふうに申し上げておるわけでございます。したがいまして、いろいろなその当時の責任もございますが、この事態が起きたこの時点の。ただいまの時点におきましても、大臣以下それぞれの立場の者が責任は十分にあるというふうに私も申し上げているゆえんはここにあるわけでございます。
  195. 橋本敦

    橋本敦君 まさにこの法案そのものに関連をして、この問題の徹底究明と責任の所在を明らかにする必要があるという指摘を私はこの法案そのものの中身の問題として指摘をしたわけです。だから、私がかねてから理事会でも主張している、まさにこの法案の大前提として当内閣委員会でも徹底的に集中審議をやって明らかにしていかなくちゃならぬ。これは国会に課せられた責務でもある、集中審議をやるべきだということを主張してきておるわけです。この問題はまた理事会で私の方から主張して議論をしていただきたい、こう思っております。  そこで、時間がありませんから、今の大臣答弁には私は納得はできません。納得はできませんが、いずれ推移を見て責任を明らかにされるというそういう答弁があったものですから、事態がどういう推移をするかを見きわめてまいりますが、そういうことで次の質問に移っていきたいと思うのであります。  前回、私は、この審議会公開にするのが当然だということを多くの論点から明らかにしました。一つは国民の知る権利。主権者たる国民との関係における行政の民主的あり方、そういう問題からして行政審議会は当然公開であるべきだということであります。そのために、私はわざわざアメリカで制定された行政機開会議公開法というすばらしい法律説明してこのことも明らかにしました。ましてや教育に秘密はないと大臣はたびたび言われておるのでありますから、当審議会が本来的に公開でなければならぬことはいよいよはっきりしているし、現に全国都道府県の教育委員会で、文部省から私がもらった資料で見ても、四十の教育委員会が規則で会議公開と定めている。任命制になるという重大な変更はあったけれども会議公開を保持しているという事態がある。そういうことで、私は会議公開であるべきことを主張したのであります。きょうは、それとの関連において、いわゆる守秘義務の問題について質問をしたいと思うのであります。  まず第一に、文部大臣がこの問題でどう答弁されているかでありますが、私の手元にある議事録で、昭和五十九年七月六日、衆議院の内閣、文教連合審査会での山原議員質問に対する大臣答弁でございますが、なぜ守秘義務という規定を置いたのかという質問に対して森文部大臣は、「一般論と申し上げて、あえて大臣がしゃべろということでございますから、」お話をいたしますが、「いわゆる国会の同意人事ということになることによって自動的にこうした規定」、つまり守秘義務という規定、秘密を守らねばならぬという規定「が設けられていく、私はそのように理解をいたしております。」と答弁されておられます。齊藤政府委員も全く同じ趣旨で、国家公務員法の適用が特別職の非常勤職員にはありませんので、同様の規定を特に設けなければならないというのが一般でございまして、その意味で、この審議会設置法案につきましても同様の規定が設けられているというのが実情でございますと答弁されています。この答弁は、大臣も齊藤政府委員も特に変更される必要はないということでしょうか。
  196. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) もちろん、内閣と文教の連合審査で申し上げたことでございますから、議事録のとおりでございます。ただ、そのイントロのところがどういうふうになっておりますか、ちょっと今記憶いたしておりませんが、たびたび申し上げておりますように、私どもといたしましては、衆議院の方で修正をしたい、そういうお考えで各党間でお話をなさっておられることであって、そのことについて私どもからとやかく意見を申し上げるということは適当ではないというそういう立場、そういう立場であえてお答えをしろということでございますのでと、こういうふうな気持ちで申し上げておるということを念のために申し上げておきます。
  197. 橋本敦

    橋本敦君 衆議院から修正議決をされてきたわけですから、今度は法を執行するという立場答弁をなさっていただかなくちゃなりませんが、そのために私は答弁変更の必要があるのですか、ないのですかと伺ったのですが、ないということですから結構です。  そこで、自民党、公明党、民社党の修正案ということで提案をされて、守秘義務規定を存置された提案者に伺いますが、これはやっぱり今お話しのように、国会同意人事ということになって特別職ということになるので国公法百条が適用されないから一般的に当然守秘義務規定を置く必要があるという考えで置かれたというこの御答弁、これは同じでございましょうか。
  198. 深谷隆司

    衆議院議員深谷隆司君) ただいま先生御指摘のように、本来、原案でありますと国家公務員法の百条に該当するわけでありますが、国会の同意を得るということで、つまり国民理解と協力を得るためにそのような新しい仕組みに修正をいたしたわけで、そうなりますと当然特別職でありますから国家公務員法の規定の範囲に入らない、そこで原案の意思も体して守秘義務というものを新たに設けた。  それからもう一つは、さまざまな審議会の今までの通常の状態を全部調べてみますと、特に戦後三十年以降の審議会はこのような項目を置いておりますので、私たちもその例に倣ってつけ加えたわけであります。
  199. 橋本敦

    橋本敦君 法制局長官に確認を一点だけしておきますが、国会同意大事になって選ばれる委員が特別職の国家公務員になったというそのことで、その審議会委員に対しては必ず守秘義務を規定しなければならぬという必然的な法律の定めというのはありますか。
  200. 茂串俊

    政府委員(茂串俊君) お答え申し上げます。  今回の臨教審……
  201. 橋本敦

    橋本敦君 簡単でいいです。法律的な定めがあるかどうか。
  202. 茂串俊

    政府委員(茂串俊君) 簡単に申し上げますが、そのような法律的な定めはございません。
  203. 橋本敦

    橋本敦君 大臣、ここが肝心なんです。国会同意大事になったからといって必ず守秘義務を置かねばならぬという必然的な法規定はないんです。ここが大事なんです。だから、国会同意大事にな るので守秘義務規定を置くのが一般論として当然だという二人の答弁は間違っているんです、法律的に。法制局長官が答えられたとおりです。事実そのとおり、調べてみますと、今、深谷さんもおっしゃいましたが、私の調査でも、国会の同意を得て選ぶ同意人事の審議会で守秘義務規定を置いていないのは九つあります。社会保険審査会、労働保険審査会、公害健康被害補償不服審査会、地方財政審議会、中央更生保護審査会、中央社会保険医療協議会、旧軍港市国有財産処理審議会、漁港審議会、商品取引所審議会であります。守秘義務を規定していないんです。守秘義務を規定しているものは原子力委員会委員ほかあります。  そこで問題は、公開論争のときに私がしばしば指摘したように、教育に秘密がないと大臣おっしゃるならば、国会同意大事になったからといって必ず守秘義務を置かなければならぬという法律規定は何もないわけです。つまり、守秘義務を課さなくてもよいのになぜわざわざこの守秘義務を課したのか、これはまさに教育を論ずる審議会、としては全く重大な問題ではないかと私は指摘しておるのであります。  改めて聞きますが、なぜ守秘義務がこの臨教審議会に要りますか、大臣の答弁を伺います。法律的には設けなくていいんです。
  204. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 私は、衆議院の段階でも申し上げておりますのは、国会国会の御意思として御判断をいただくことに私どもは従っていかなければならぬでしょう。もっともこの案件だけじゃございませんでした。いろんな御意見が当時ございましたので、そのときに私ども政府として提案をいたしておりますこの法律が最上のものであるというふうに私どもは信じて出しておりますが、しかし御論議の結論は国会でしていただくことでございまして、国会で御判断をいただくことに私どもは従っていくというふうな、そういう見解をたびたび申し上げてまいりました。  したがって、先ほど先生からこの発言に間違いないかという点の確認がございましたけれども、そのときも、もちろん前提はございましたけれども一般論として自動的にそういう形でその守秘義務規定が設けられていくものであろうというふうに申し上げて、それのよしあし、是非論というものは私どもから申し上げるのは適当ではない、こういう私ども考え方をいたしておったわけでございます。
  205. 橋本敦

    橋本敦君 大臣、私は大臣が誠実に答弁されていることを疑いません。だけれども、ある意味答弁は回避されているんです。この審議会自体を公開にするのか非公開にするのか、それは審議会自体が決めることだとおっしゃっている。しかし、あえて言えというならば、この審議会非公開にする方が望ましいという意見もおっしゃっているわけです。私は、そういうことを言われることは審議会自主性に対する介入になりませんかと言ったぐらいです。  ところが、今この守秘義務の問題については意見をお述べにならないというんです。いいですか。国会でお決めになることだから意見をお述べにならないというんです。審議会公開にするか非公開にするかも根本的には法案国会決めることです。その審議会非公開が望ましいとこうおっしゃりながら、守秘義務を置くことは望ましいとお考えかどうか、教育に責任を負われる大臣としてこの審議会について守秘義務を置くことはどうかと聞いたら、今度は答えないとおっしゃる。私は答弁回避だと思いますが、いかがですか。はっきり答弁してくださいませんか。
  206. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 私は、途中の前提の確認を申し上げておったところで先生がちょよと遮られたわけでございまして、私はそういう意味国会で各党の皆さんで御協議をいただくということでございますから、そのことについて私どもから論評をするということは適当ではない、こういう答弁をずっと衆議院段階でもいたしてまいりました。今改めてその点についてどうなのかとお尋ねをいただきました。決して私は答弁拒否をいたしておるのじゃございません。私どもといたしましては、やはり国会の皆様が御判断をされて決められることであって、そのことについて議論をするということは適当ではないという考え方を私はいたしております。
  207. 橋本敦

    橋本敦君 教育に秘密があってはならぬとあなたはおっしゃいました。恐らく異論はないでしょう。秘密があってはならない教育論議するこの審議会で、守秘義務があるというそのこと自体は、ある意味で言えば理念の上では二律背反ではありませんか。しかも、法律的に設けなくていいことを設けているという重大な問題があるんです。だから、本当に教育に秘密があってはならぬのだ、国民合意ということを本当に基本に置いて、まさに主権者たる国民との関係においてもガラス張りの教育改革論議を起こしていくということで国民合意を得なければならぬというのであれば、なぜ守秘義務が要るんですか。そのことをもっと考えていただかなくちゃならぬ重大な問題があります。  そこで聞きますが、文部省には文部省の行政に関連をして、いわゆる行政官庁として秘密がいろいろな面で指定されているのではないでしょうか。文部省としては、どういう秘密を、どういう基準で、どういう項目について、そして秘密の指定権限はだれが持っているのか、秘密指定が何件ぐらいあるのか、中身は聞きません、そしてその秘密指定を行っている根拠はどこなのか、何にあるのか、お答えいただきたいと思います。あわせて、文部省のこれまでの審議会で秘密を定めた審議会があるのかないのかについても答弁をいただきたいと思います。
  208. 齊藤尚夫

    政府委員(齊藤尚夫君) 各省庁そうであろうと思いますが、文部省につきましては、文書の適正敏速な処理を図るために、文書の接受、起案の方法あるいは決裁要領等、行政部内におきます文書の処理方法の基準を定めた規則があるわけでございますが、私どもは文部省の文書処理規程というふうに言っておるわけでございます。御指摘のような行政上の秘密とすべき文書の取り扱いにつきましてもこの文書処理の一環として定められているものでございまして、機密の取り扱い、機密文書の取り扱いにつきまして定めてございます。  この文部省の文書処理規程におきましては、その文書の内容が漏れるということが国の安全、利益に損害を与えるおそれがあるもの、その他関係者以外には知らせてはならないもの。例を申し上げますと、人事案件あるいは競争入札価格の決定等がございますが、そういうものにつきまして当該文書の主管の局長または課長が期限を定めて秘密文書の指定をすることができる、そういう規程を設けているわけでございます。具体的な数字は今持っておるわけではございません。  それから審議会につきまして、特にこのような趣旨の規程を設けた例はございません。
  209. 橋本敦

    橋本敦君 そこが大事なんです。文部省の中ではそういうような文書規程等に基づいてやっている。そういうことをできる権限というのは、行政組織法上、政府決めているんです。私は秘密があっていいと言いません、行政機開会議公開法の方がいいと思いますから。しかし、一応法的根拠はあるんです。そして、そういう法的根拠に基づいて昭和四十年の「事務次官等会議申合わせ」で、「秘密文書は、原則として次の種類に区分すること。」として、極秘、秘。そして、「各省庁は、以上の取扱いを当該省庁の文書取扱の規程にもり込むこと。」として、秘密指定権限者は、極秘についてはこれは事務次官を中心とするトップクラスです。いろいろ決めてある。今、審議会はないとおっしゃいました。ここが大事なんです。  そこで、提案者に伺います。守秘義務をお決めになったけれども、その秘密を定める基準なり法的根拠なり、そしてだれが指定権限を持つのか、この法律には全くないんです。どうされるつもりで立法趣旨としてはお考えなんでしょうか。
  210. 深谷隆司

    衆議院議員深谷隆司君) 御案内のように、原案の場合には国会の同意というのはありませんから国家公務員法に基づいて守秘義務というものが規定されているわけで、その原案の趣旨を生かす となれば守秘義務の規定を新たに入れることが必要ではないかと考えます。  それから、審議会でそれじゃどういう秘密があるのかということを考えてみますと、例えばまだ発表されていない文書その他、そういうものが漏えいされたりした場合に公務の運行上支障を来すとか、個人のプライバシーの問題に及んだ場合等々考えると、やはり審議会審議の過程の中でも守っていただかなければならない秘密というのはあるのではないだろうかと思います。
  211. 橋本敦

    橋本敦君 だれが基準を決めておるのか、その法的根拠はどこにあるのかと聞いているんです。答弁になっていない。  委員長、済みません、私の質問に対する再答弁を求めます。何を秘密にするのかと聞いたのじゃないですよ。
  212. 茂串俊

    政府委員(茂串俊君) 今、秘密の指定権者の話が出ましたので申し上げますと、私の立場上、一般論で申し上げますが、審議会は独立性を重んずべき性格の機関でございますから、審議会意思とかかわりなく恥の指定を行うことはこれは妥当ではないというふうに考えられるわけでありまして、会議運営のあり方の一環として審議会の自主的な意思に基づいて恥の指定手続を定める運用がなされることが相当であるというふうに考えられるわけでありまして、そのような形でいわゆる秘扱いの問題は処理されるべきであるというふうに考えております。
  213. 橋本敦

    橋本敦君 早々と助け船をあなたは出された。法的根拠はないんです。一般的解釈としておっしゃるしかない。法的根拠はないし、何を秘密にするかは重大問題だから、これまで文部省の審議会でも何も決めていないんです。  官房長官、四時まで御出席の時間と伺っておりますが、官房長官に私はお越しいただいて聞きたかったのは、昭和四十七年五月二十六日、内閣官房内閣参事官室首席内閣参事官の「秘密文書等の取扱いについて」という文書がございます。これは官房長官お答えが面倒でしたらどなたでも結構なんですけれども、これによりますと、各省庁の実情を勘案して、それぞれ秘密を分類し、「国家機関における各種の秘密の基準」を作成したので各省庁これを参考にせよという、こういうものなんです。これによりますと、国家機関における各種の秘密の基準として、「I 外交・国際経済、防衛に関するもの」、「Ⅱ 個人の秘密に関するもの」、この個人の秘密の中では何でも個人の秘密はだめだというのではなくて、財務内容だとか特殊な病気に関する経歴、いわゆるプライバシーです。「Ⅲ職務の特殊性に由来するもの」、例えば捜査関係資料、当然ですね。「Ⅳ 一定期間秘密にする必要があるもの」、例えば人事異動案等。こういう基準が決められている。  これ以外に、審議会教育改革を論ずる、教育制度全般を論ずるというのに秘密が適用できますか。内閣自体が決めている基準でも外交、防衛、個人の全くのプライバシー、職務の特殊性に由来する事項、一定期間秘密とすべきもの、これだけです。およそ教育改革を論ずるのに秘密はないと大臣おっしゃったが、正しいんです。内閣が出した四十七年の内閣官房内閣参事官室首席内閣参事官の秘密文書の扱いでも、教育問題なんて秘密にならぬことをはっきり示しているんです。  官房長官に伺いますが、教育問題を論ずるこの審議会において具体的に秘密にすべきだとするこれまでの政府の具体的な基準なり法的根拠はないと私はこの通達から理解をしておりますが、いかがでしょうか。
  214. 藤波孝生

    国務大臣藤波孝生君) 今回のこの守秘義務のところが問題になりましたのは、国会修正によりましていわゆる一般職の公務員から特別職の公務員、国会承認大事になったということに伴って、一般的な法律上の通例としてこういうことにしたという説明が再三和もこの席に座らせていただいて聞かせていただいているということでございます。そのように私ども心得ておるところでございます。  また、秘密の基準につきましては、今、先生御指摘になりましたように、内閣参事官室首席内閣参事官名で出されて、基準として示しておるところでございます。そのほかに、例えば今度の審議会を予想して秘密とせられるべきようなことが一体あるかということかと思うのですが、恐らく話は一般的に法律の通例としてこういうふうに含めだということを深谷議員お答えになっておられるわけで、文部大臣もそれを受けてこの審議会運営に当たっていく。ただ、実態としてどういうふうに秘密があるだろうかということになりますと、私はやっぱり文部大臣が言っておられるように、教育論議に秘密はないというお話は全くそのとおりだと思うのです。そういう意味では一体この審議会がずっと動いていく中で、具体的にそれじゃどんなことを守秘義務として課するつもりかという御質問に対してはなかなか答えにくいことです。  これはしかし、ずっと審議会が動いていく中で、委員の方々もいろいろ会長を中心にして運営どもお話しになるでございましょうし、そういった中でやっぱりこういうことは外へ出さない方がいいなとか、お互いの論議の参考として非常に秘密に関することをお示ししているのだから少し外へ出ることは見合わせようとか、あるいは教育論議の中で多分に例として出されたプライバシーに属することだから、これは外に出るとその人その人、一人一人のプライバシーに関して非常に失礼なことになるな、こういうところは気をつけましょうとか、そういうふうな話というのが、審議会の御論議が動いていく中で自然に出てくることではないんでしょうか。そんなふうに考えておりますが、政府の方からこういうことが基準になっていて、こういうことには守秘義務がありますから皆さん厳格にお守りくださいと言ってお示しするようなことではないというふうに思っておりまして、審議会運営の中で十分配慮しながら進んでいくべきことではないだろうか、こんなふうに考えるのでございます。
  215. 橋本敦

    橋本敦君 申しわけありませんが、私は大変苦しい御答弁だというふうに聞きます。  法制局長官、審議会の性質上、審議会自体でお決めになればいい、それが相当だという解釈をお述べになりました。ところが齊藤政府委員は、衆議院の五十九年七月六日、先ほど言った連合審査において我が党の山原議員がこの問題について、「職務上知り得た秘密を漏らしてはならないというこの問題をだれが判断するのですか、だれが判定をするのですか。」ということについては、それは任命権者だとおっしゃっている。任命権者はだれですか、内閣総理大臣です、こういう答弁をなさっているわけです。任命権者は内閣総理大臣です。だから罷免権も持つわけです。あなたの答弁趣旨からいえば、この審議会の任命権者である内閣総理大臣が秘密を指定なさるというように受け取れるんですが、そういう意味じゃないんですか。  それじゃ齊藤さんに聞きますが、この審議会法のこの秘密は、ここで言う秘密があるとすれば、どういう基準で、だれが、どういう法的根拠に基づいて定めるんですか、総理大臣でないとすれば。
  216. 齊藤尚夫

    政府委員(齊藤尚夫君) この規定はいわば実体的な規定でございまして、秘密を漏らした場合についての措置の規定であるわけでございます。その場合にどのような措置をとるか、そういう意味で私どもこの具体の法案について答弁する立場にはないわけでございますが、一般論として申し上げたわけでございますが、例えば罷免事由というふうに御指摘がございましたので、そういう意味で任命権者が制断をするということを一般論として申し上げたわけでございます。
  217. 橋本敦

    橋本敦君 もう一度お尋ねしますが、まさに修正されて、守秘義務が規定された法の執行を官房長官もあるいは文部省も関連的に責任をお持ちになるのです。いいですか。そこで、この守秘義務というのは、秘密が指定をされてその秘密を守りなさいということでしょう。何が秘密になるかわからぬのに、とにかく秘密を守らにゃいかぬ、それを違反したら義務違背だということで罷免され る、そんな不利益をいつ受けるかわからぬ、これじゃまさに民主的な行政じゃありません。だから、民主的な行政の中で秘密ということが実際あり得るとすれば、明確に客観的に基準があり、指定権者が決まっており、しかもその内容が実質的に秘密として保護するに足る内容のものでなくちゃならぬ。これは最高裁の判例でも実質秘論がありますから、これは言うまでもありません。  そこで、もう一遍聞きますが、この審議会で守秘義務前提となる秘密は、だれが、どういう法的根拠に基づいて指定するのでしょうか、もう一遍答えてください。
  218. 齊藤尚夫

    政府委員(齊藤尚夫君) やっぱり一般論としてお答えを申し上げるしかないわけでございますが、審議会の場合に、その具体の審議内容運営等につきましては、審議会自身でお決めをいただくというのが通常でございます。そういう意味から申し上げまして、万一、基準等をつくる必要が生ずる場合には、それは審議会自身でお決めいただくということになろうかと考えます。
  219. 橋本敦

    橋本敦君 総務庁にお調べを願っておきましたので、いらっしゃっていただいておりますと思いますので伺いますが、今、数ある審議会がございますね、政府関係で。そして、国会同意人事で守秘義務を課した審議会もたくさんあるということでございますが、これらの守秘義務を規定している審議会、あるいはそれ以外の審議会でもいいですが、審議会自体として秘密の基準を決め 秘密を指定しておるというような審議会があるのでしょうか、ないのでしょうか。これをお調べいただきたいとお願いしておったんですが、どうですか。
  220. 佐々木晴夫

    政府委員佐々木晴夫君) 現在、審議会等の中で守秘義務の規定を設けている審議会、法令の中に守秘義務の規定を設けている審議会は現在十二ございます。が、これはいずれも職務上知ることのできた秘密、もしくは職務に関して知ることのできた秘密と規定しているだけでありまして、お尋ねの秘密の内容について法令でもって規定しているところはございません。
  221. 橋本敦

    橋本敦君 法制局長官、お聞きのとおりです。大臣も官房長官もお聞きのとおりです。  その審議会自体が決めるのが法律的に相当だとおっしゃったが、どこも決めていないのです。なぜ決められないのか。これは秘密というものを軽々に特定し、あるいは基準をつくり、そしてそれに守秘義務を課して、それに違反したら義務違背として罷免その他の不利益を課するというような構造は、本来的に民主的な行政制度の中では根づくはずのものではないんです。だから、私は会議公開性が原則だという話もし、そして守秘義務ということは軽々に規定するべきでないことも言い、だから国会の同意人事である審議会でも守秘義務を規定していない審議会はたくさんある、守秘義務を規定しておる審議会でも審議会自体として秘密を特定したところは一つもないということを明らかにしたんです。そういう事実があるのに、あっさりとこの守秘義務規定をやめるのが相当ですが、なおかつこの守秘義務規定を置いて一体どういう秘密をこの審議会は守ろうとするのか、次はこの問題です。どういう秘密を守ろうとするのか。政府の基準からいっても、先ほど言ったように、外交、防衛、その他個人の財務内容とか人事異動とかいうことに限られるんですが、この審議会でそんなものがありますか。  法制局長官に伺いますが、この審議会が、今、総務庁がおっしゃったように、すべての審議会と同じように審議会自体が秘密を特定し秘密を決めないという状況であるならば、守秘義務規定が働いて守秘義務違反だとされる対象がない、無意味な規定だ、法律的には。こういうことになりはしませんか。いかがですか。
  222. 茂串俊

    政府委員(茂串俊君) 審議会、それぞれの任務なり性格に応じまして、その審議すべき内容とか、あるいは今お触れになりました、どういうものを秘密にするかということはすぐれて審議会の運用の問題にかかわるわけでございまして、先ほども申しましたように、審議会というものは審議機関ではあるけれども、あくまでも独立した性格を持ったものでございますから、その面に照らして考えますと、どういうものを秘扱いにし、どういうものを外部に漏らすことをしないようにしましょうということをお決めになるということは、あくまでも審議会が自主的にお決めになるのが妥当であると思うのです。これは先ほど官房長官もお触れになりましたように、もちろん審議会一つ一つ私は存じませんけれども、やはりこれは秘扱いにしようとかいう個別的なお取り扱いと申しますか、そういう運用は恐らくされているのじゃないかと思うのでございます。  そういう意味で、一般的に私申し上げているので、一つ一つの審議会にどういうものが一体今まで秘密にせられた実績があったかという御質問でございますと私もお答えに窮するわけでございますが、先ほど、このいわゆる臨教審につきましては、修正案の提案者であられる深谷議員からもお話がございましたように、やはりいろいろと個人のプライバシーを初めとして、秘密として扱った方が妥当であると客観的にも判断されるようなものがあろうかと思うのでございます。若干、私の立場からは言い過ぎでございますけれども、たまたま先生からそういう御質問がございましたので、あえて申し上げた次第でございます。
  223. 橋本敦

    橋本敦君 長官が幾らおっしゃったって、どの審議会もそういうことは決めておらぬのです。また、決められぬじゃないですか、何が秘密であるか。  長官、伺いますが、秘密というのは、あるものが、例えばこの審議会なら審議会がこれが秘密だと決めれば、それは法律上保護さるべき秘密に直ちになりますか。そうではないでしょう。本当にそれが法律上保護されるべき秘密、いわゆる公務員が不利益制裁を受ける対象というようなことで守秘義務を課せられる秘密は、国公法百条の秘密であり、そしてこの審議会法で言っている守秘義務で言う秘密であり、その具体的秘密の内容は、この前あなたも答弁されたように、最高裁判例が言っているように、秘密として指定され、しかも指定されたその内容が実質的に秘密であることを要する、国家機関が単にある事項について形式的に秘密を指定しただけでは足りず、「右「秘密」とは、非公知の事項であって、実質的にもそれを秘密として保護するに価すると認められるものをいう」、最高裁判例ははっきりこう言っています。これは長官も言われたところです。最高裁刑事裁判例集第三十一巻七号一〇五三ページです。  これは、私も弁護士時代に関与した事件ですから忘れがたい事件ですが、つまり審議会がこれが秘密だと決めただけで守秘義務の対象になる秘密にならぬのです。難しいんですよ。それが国家的に秘密として保護さるべき非公知性と実質的内容を持たねばならぬのです。教育論議するのに、教育問題がそういう自主的に恥とするような秘密性を持つなんということになりますと、これは国家教育権の思想です。なし得ないことなんです。そういうことを真剣に考えることがまさに教育の場で大事です。だから私は、この守秘義務問題というのは到底法律的にも、憲法的要請からいっても成り立たぬことをあえて決めておられる。  そういう問題だから、多くの審議会は秘密について何も決めていない、決められない。ましてや教育を論ずるこの審議会に守秘義務があっていいのか。それに違反すれば義務違反として総理大臣が罷免権を発動するというような、そういう総理大臣の強力な権限のもとに支配をするところで教育論議をしていいのか。まさにそれは教育基本法十条に反する。そのこと自体が教育基本法を遵守しながらというこの法の規定に背くではないかと私は指摘しているんです。これは重大問題だと私は思います。文部大臣、いかがお考えでしょうか。
  224. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) これもおしかりをいただくかもしれませんが、一般論としか申し上げることはできません。国会で御修正をいただく、そのことについて私どもからとやかく申し上げるということは適当ではないという考え方を申し上げておるわけでございます。  ただ、確かに一般法律論としてこの規定を設け ることは、適、不適、いろいろ考え方はあると思います。これはまた別途の法律論であろうというふうに考えます。文部大臣の今の立場でこのことについて私から申し上げるということは、これはやはり越権であろうというふうに考えております。  ただ問題は、こうして衆議院段階修正をされて、そして委員の任命がいわゆる国会、両議院の同意が必要とされたことに伴って委員の身分が変わった、このことによってこの法律が課せられてきた、こういう判断をしているわけです。これが参議院でもそうした御判断をいただくということであれば私どもはこれを遵守していかなければならぬという立場になるわけでございます。しかし、先ほどから法制局長官等の御意見、また先生の御意見等も伺っておりまして、当然その判断をどうするか、これは審議会自身の運用の問題であるというようなお話も法制局長官が申されておられるわけでございまして、そういう意味で、もし国会でこういう御判断を得るということになれば、最終的に審議会自身で十分にこのことの運用について御判断をされることがよろしいのではないかというふうに考えます。  私がたびたび申し上げ、また先生もそのことをお取り上げくださいますが、私が教育に秘密はないというふうに申し上げている趣旨は、教育をどのように改善していくかということの議論をすること自体には秘密はないという考え方を持っておるわけでございまして、そういう議論の中でプライバシーの問題でありますとか、やはり外に漏らしてはならぬということのものが出てくるのではないかというような感じは予想されます。しかし、大体こうした論議自体に対しての秘密というものはあり得ないだろうという考え方を私は基本的には持っておるわけでございます。
  225. 橋本敦

    橋本敦君 時間もなくなってまいりましたから、重要な問題ですが、端的に伺いますが、法制局長官、審議会がこれは秘密だと指定しただけで、直ちにそれはいわゆる最高裁判例が言い、国公法百条が言う実質的に秘密として保護さるべき秘密にはならない、このことだけは間違いないと思いますので、ひとつ御答弁をいただきます。
  226. 茂串俊

    政府委員(茂串俊君) 橋本先生十分に御承知の点だと思いますけれども、先ほど御引用になりました昭和五十二年の最高裁の判例におきましてもそのとおりでございまして、いわゆる実質秘と形式秘とがございまして、実質秘と申しますのは、「実質的にもそれを秘密として保護するに価すると認められるもの」に限るという判例になっておるわけでございまして、したがいまして、ただ単に秘密の指定権者が指定をしただけでは、これはそのことをもって実質秘に該当するということにならないことは当然でございます。ただ、実際上の運用としましては、恥の指定をする場合にはなるべく実質秘に限定しようというような動きがあることは、これは紛れもない事実であります。
  227. 橋本敦

    橋本敦君 そこで、官房長官も、齊藤政府委員も、修正提案者も、この秘密は審議会決める、こうおっしゃったが、それは秘密を決めることにならぬということを私は明らかにしました。それじゃ、だれがどう実質秘を決めるか、これは至難の問題であり、決めようがないし、この教育審議会においては、実質秘とすべき秘密内容は先ほど私が指摘した内閣官房の決定からいってもあり得ないということも明らかにしました。今、大臣は、非公開にすべきものがあるじゃないかとおっしゃいました。私はそれに対してもきちっと用意しておるのです。  会議非公開と守秘義務にいう秘密とは全然別のものであります。例えば、私がこの間使いました埼玉県都市計画地方審議会情報公開条例に基づく事件で浦和地裁がした判決ははっきりとこう言っています。「会議非公開とその会議経過や結果を記録した会議録を事後的に開示することとは事柄の性質上両立しえないではないと考えられる」。つまり、非公開と、だから直ちに秘密だということは両立しないのだと言うんです。「我が国の法制をみても、例えば、憲五七条二項、国会法六三条は、国会が秘密会を開いた場合においても、その会議録のうち」、つまり非公開会議録のうち「特に秘密を要すると認められるもの以外は、これを公開すべき旨を規定しており、この一事からも、」明らかである。おわかりでしょう。だから、非公開にしよう、知らせないにしよう、これが直ちに秘密になるのではないという法解釈が正しいことも私は明らかにしました。そういうわけで、いとも簡単に守秘義務を課すということは、まさに政治的に総理大臣の支配下に委員を置くということにしかならぬのです。教育審議会においてあってはならぬのです。  私は、有名な事件を思い出すのですが、アメリカ軍が六十万の大軍を送ってベトナムに軍事介入を行った。そのきっかけはトンキン湾事件でありました。トンキン湾でベトナムの水雷艇が米海軍艦船を攻撃したというのであります。ところが、後になって国防総省は、トップシークレットの秘密文書で、それは事実無根であり、仕掛けたわなである、日本で言えば柳条溝事件のようなことだということを文書で明らかにした。その文書が発覚して、ワシントン・ポスト、ニューヨーク・タイムズが連載をしました。国防総省はあわてて裁判所に記事の差しとめを請求しました。下級裁判所は差しとめました。だがしかし、アメリカ連邦最高裁が、新聞報道の自由、言論の自由、国民の知る権利を、まさに国家の将来を誤らしめないための重大な民主的権利だとして、記事の差しとめを命令した下級裁判所の判決を取り消して記事の連載を許しました。すばらしい判決であります。  そのときに、この判決に賛成をしたダグラス判事はこう言っています。「政府における秘密は官僚の誤りを温存するものであり、基本的に反民主的である。国家の健全のためには、公の問題に関する公然の討議と議論とが必要不可欠である。公の問題については「公然にして強健な討議」が行なわれねばならないのである」、こう言ってトップシークレットの国防総省秘密文書の掲載を許可したのであります。  まさに、教育改革を二十一世紀に向かって論ずるなら、秘密はないとおっしゃるなら、守秘義務を課して、秘密のベールのうちに事を論ずるようなことは直ちにやめねばなりません。私は、この法案がこういう重大な欠陥を持っている悪法であることを重ねて指摘して、時間が参りましたので質問を終わります。     ―――――――――――――
  228. 高平公友

    委員長高平公友君) この際、委員異動について御報告いたします。  先ほど本岡昭次君が委員辞任され、その補欠として菅野久光君が選任されました。     ―――――――――――――
  229. 小西博行

    小西博行君 先日、例の文部省あるいは阪大の汚職問題の特別の審議の時間をいただいたわけでありますが、トータルでわずか一時間というような非常に短い時間でありましたものですから、私どもはこの時間を利用して何点かについてお伺いしたい、このような形で、きょうはまずその問題をやらせていただきたいと思います。  けさの新聞を見てみますと、またもや問題が出ております。私は、こういう問題は新聞に出ている範囲のことしかもちろんわからないわけでありますけれども、たくさんの問題点を提起しているのじゃないか、そのように考えるわけです。したがって、今回の教育改革という大きな立場考えてみましても、当然この問題も、あわせて文部省の中の組織の簡略化といいますか、合理化といいますか、そういう問題も含めて考えていく絶好のチャンスじゃないか、このような感じを持っております。  特に、今回の場合は予算班主査と業者との癒着というような大きな問題があるわけでございますが、もう一方、どうしても問題になると考えられるのは学校側じゃないかと思います。この三者がそれぞれの関連を持ってまいりますから、予算の押さえ方も問題でしょうけれども、その辺の関連をできるだけいい状態に持っていかなきゃいけない、このようにまず考えているわけであります。  その中で、先日も少し他の委員の方から議論さ れたと思いますけれども、やはり課長さんあたりの異動期間といいますか、二、三年するとまたすぐよそへかわっていくというこの官僚のシステム、これが実は大きな問題があるのではないか。つまり、会計なんていうのは大変時間をかけて詳細に勉強しなければなかなか理解ができない。しかも、大学といっても大変多くの数を占めているわけでございますから、そういう面からもこの辺の人事異動をするにしましても、これはこの間から言葉は悪いんですがノンキャリア組という表現をされておりますけれども、そういうことも含めて責任、権限の分野と、そして会計処理をしていく場合のもっと簡便化というものをやっていかないと、恐らく二年、三年ぐらいで課長さんが全部理解するというのはとてもできないのではないか、そのように私は考えるわけです。その点について、官房長の方は、これは合理化をやればできるのだ、一般の民間の場合でも十分その辺はやっているわけでございますから、その辺はどういう見通しでやっていくのだ、こういう何か具体的なものがあればぜひ教えていただきたいと思います。
  230. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) ただいま小西先生御指摘の人事管理の問題でございますが、二年、三年という点でございますけれども、私ども原則として同一ポストに三年以上在職しないようにという原則を立てております。ちなみに数字で申し上げますと、現在、国立大学の経理部長が四十九人おりますが、三年未満が四十二名でございまして、三年をいろんな事情で超えているのは七名で、その意味では私ども三年原則というのをかなり厳密に守ってきておるつもりではございます。それから課長で申しますと、百七十七名おりまして、三年未満が百五十一人で、三年をちょっと超えますのが二十六人。そういう意味で、まず一つ申し上げられることは、同一ポストに余り長く置くことはどうかという御指摘について、私どもはやはりこの点は三年というのをアッパーにして今後も考えてまいらなければならないというふうに思っております。  それからもう一つは、先生御指摘の二年、三年、でもしかえるとすれば、余り会計制度が複雑である場合、課長が何も知らないでめくら判になりゃしないかという御指摘だと思います。この点実は会計事務につきましては、会計法令が厳密にできておりますし、その会計法令に従ったいろいろな処理手続がございますので、その点は法令に従っての予算執行ということで守られるべきでございますから、その簡略化と申しましても、やはり会計法令の厳密な執行との関連において考えてまいらねばなりません。しかし、簡略化のことを基本としつつも、チェックシステムの問題の導入とかいろいろ考えるべき点がございますので、御指摘の点も踏まえまして、私どもも今後の改善の方策につきましては十分検討してまいりたいというふうに考えております。
  231. 小西博行

    小西博行君 それで、しかもこの問題をそれぞれ起こしているというのは、年齢的にも五十二歳から五十五歳という非常に大事な責任のある立場でありながら、先ほどの人事の関係ですね。やっぱり最初に入ったときの成績次第といいますか、キャリアとかノンキャリアというそういう分け方というのが、これは文部省だけじゃないですけれども、そういう分野で大変失望してしまう。つまり、自分がこれからさらに上がろうと思っても、年齢その他から考えると、もうこれで終わりだという、そういうところが実は大きな問題ではないかと思うんです。だから、学歴偏重というのはできるだけなくしていこう。これは民間あたりはそういう傾向に徐々になっておりますけれども、そういうことも抜本的に改善していかなければ本当に優秀な人材というのはなかなか得らないような格好になってしまう、特別な人ばかりがそこのポジションに上がっていく。こういうのが私は大きな問題点として残ると思うんです。これは大臣の考え方をまずお聞きしたいんですが、その辺のところに対して大臣ばどういうようにお考えでしょうか。
  232. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 大変難しい問題です。ですから私、浅薄な知識しか持っておりませんし、なかなかどの方法がいいかということは非常に申し上げにくい。同じようなところに長い間いなければなかなか掌握し切れないものもございましょうし、全く知らない人が上に座ってきて、単なる管理職の立場で座っただけで掌握をできないから、さっきめくら判というお話がございましたが、そういう事態でなくても、どのような予算、物品の編入、契約の方法なども知らないうちに終わってしまうことだってあるわけでございまして、かえって人を動かすことによって、必ずしもそのことが、一般論ですよ、正常に行われるという保証にはならないわけです。逆に管理職が全然わからないままに終わってしまうという面もあるわけでございますから、要はこれは公務員のモラルであるとか服務規定であるとか人間性そのものでございまして、どの方法が一番いいかということをなかなか規定をするというのは難しい。だがしかし、やはり一般的に考えれば三年を超えないということは一つの常識的な考えであろうというような判断でこうした基準を内規として設けているわけでございます。もちろん、時と場合によりまして、そのことについてはやはり柔軟な考え方をせざるを得ないだろうというふうに考えます。
  233. 小西博行

    小西博行君 それともう一点は、これは再三ずっと質問の中にも出ておりました責任の問題というのがこれはいつも出てくるわけです。私も実は民間に長い間いましたし、特に民間の場合の責任の問題、例えば公害ですが、公害を引き起こした場合にだれが責任があるのかということです。よく新聞には社長の責任というような格好で陳謝しますみたいのが出ますけれども、恐らく役所の場合は分掌規程というようなことである程度明確にはしていると思うんです。ところが、ずっと読んでみると、何々の項目に関することについては責任を持てみたいなのは書いているんですけれども、どこまでのという具体的なものはないんです。民間の場合も必ずしも全部が全部じゃないわけです。一部の企業では、その点が職務分析という一つのテクニックをもちまして、これはもちろんどういう仕事をあなたはやらなきゃいけませんというのと同時に、責任の問題とかあるいは問題解決能力だとか、果たしてどこまであなたはできるのかということが非常に最近は明確にしておるものですから、もし主査の方がそういう問題を起こした場合には、主査のさらにその上の例えば課長さんなら課長さんが責任をとらなければいけない。つまり、指導、統括の責任とか何かというのが具体的にあると思うんです。そういうようなものをはっきり明文化しておれば、これは責任という形で明確化されると思うんです。  何となく質問を聞いておりますと、その上はだれか、官房長だ、それから文部大臣だ、だから皆さんそれぞれ責任があるのだという表現の仕方です。全然責任がないという表現はもちろんできませんけれども、その辺の私は内部の分掌規程、これはもっと、職務分析と言った方がいいと思うんですが、そういうものを明確にしておかないと、何となく同じことばかりやっているのではないか。例えば主査がやっていることを同じように判こだけ課長が押しているのじゃないか、そこに私は非常に非合理的な面があるのではないか。だから、何もかも上がチェックする必要はないんです。そうなりますと、下のが全部押して、文部大臣が全部の判こを押さなきゃいかぬような変な格好になります。企業の場合でも割合そういうことが多いんです。ですから、トップの人というのはやたらに仕事が多くて本来の仕事ができないということで最近合理化しております。だから私は、文部省だけじゃなくて省庁関係の中にもそういう合理化というものをこの際同じようにやるのでしたら、あの点はこうだったから悪うございましたで終わらないようにもう一回見直していく、そのことが国民に対する信頼の回復という非常に大切な問題につながると思いますので、その点をよろしくお願いしたいと思いますが、そういう検討というのは内部である程度できますでしょうか。
  234. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) 御指摘の職務内容とその責任の問題でございますが、お話にもありましたように、私ども内部規定で文書処理規程、決裁規程を設けております。大臣決裁事項、次官決裁事項、あるいは官房長、会計課長決裁事項を書いておりまして、会計事務について申しますならば支出負担行為の実施計画とかあるいは支出負担行為の計画の示達とか、そういうふうに細かく事項に分けまして、会計課長はどうというふうに書いております。その点で、今、先生から御示唆いただきましたように、今回のケースにかんがみまして、今ある決裁規程なり文書処理規程における職務内容の区分が果たして適当かどうかとか、その決裁者についての今の専決規定が果たして妥当かどうか、その点私どもももう一度振り返って検討の必要があろうかというふうに考えておりますので、御示唆の点も含めまして今後改善努力の中で検討してまいりたいというふうに思っております。
  235. 小西博行

    小西博行君 この問題は終わります。  もう一点、けさの新聞にこれも載っておりましたから、急遽、一点だけ大臣の御意見を聞きたいと思います。  日本私立大学連盟というのがございまして、それが私大財政白書というのを出しております。五十七年度ということで出しております。けさの新聞に出ておりました。これを見ますと、八十二大学でもってこれはつくっているわけです。そのうちで四十五校がもう既に赤字だ、累積赤字を起こしているのは五十六校になるのだ、こういうような非常に大きな私学の赤字財政の問題が出ております。そして。学費なんというのは最近余り上がっておりません。割合抑えております。しかし、現実には大学そのものの中で相当節約をしてやってきているけれども赤字だという状態が続いておる。きょうは全部トータルで大体一千億ぐらいの累積赤字だというふうに言っているわけです。せっかく今まで学校の中でも相当自粛しまして余分の入学者を採らないというような形でそれぞれやっていらっしゃると思うんです。そういう努力がこのことによってまたマイナス要素になっていくのではないかと、こういう感じがしたものですから、これから先、私学に対するいろいろな援助の方法、補助金、こういうものがどういう格好になっていくのかということが一番私心配になってきたものですから、この一点だけちょっとお伺いしたいと思います。
  236. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 小西さん御承知のとおり、私立大学には私大連盟、協会、その他懇話会等々幾つかのグループに分かれているわけでありますが、私大連盟が出しました財政白書というのは、私も全部詳細に読んでおりませんけれども承知をいたしております。時間の都合もございますから、詳細に申し上げることはかえって御迷惑でございますから省きますが、やはり今日までの私学助成は私立学校の経営に、法律を制定いたしましてから大変大きな効果はあった。先生も御記憶あると思いますが、一連の大学紛争などというものは、いろいろな要件はあったと思いますが、その一つには入学金等々授業料の問題もありました。そうしたことも非常に平穏になり、比較的健全に大学運営も行われるようになりました。そして、基本的には法律は二分の一を一つのめどに、当時法律を制定したのは私どもでございますので、立法した際はそういう気持ちでございましたが、いろいろと事情もございまして、その二分の一以内ということを一つのめどということでございました。  その一つの考え方としては、国公私立間の格差をできるだけなくすということもございました。そういう形でかなりの効果を今日まで見せてまいりました。私学助成というものに対する議論はいろいろでございましたが、ある程度私学助成、私学補助ということは近年定着をしてきておると思います。そういう中で財政状況の逼迫の状況からここのところ抑制をせざるを得なくなりました。大学側も非常に苦労をしてくれまして、先生も今御指摘でございましたように、授業料等についてもかなりシビアに抑えをしてくれておりまして、そのことによって父母の負担がふえるというようなことのそういう率からいいますと、近年非常によく落ちついた形になってきております。  そういう状況の中で厳しいということも私学側が承知をいたしておりますし、私ども文部省といたしましても、私立学校の助成はできるだけふやしたいという中にも財政全体のことを考えて今日的な考え方を示してきたわけでございまして、そういう意味ではこの白書というのは、もうそろそろある意味では抑えてきたものに対し、またある程度合理化もしてきた、我慢もしてきた、そのことについては限度に来ておるのではないか。そういうことをもちろん意図的に出したとは考えられません、時々こうした白書を出しておりますから。しかし、今度の白書を見ますと、そろそろぎりぎりのところにまで来ておるなということは、私も文教行政を預かる者として非常に責任を感じるところでございまして、そういう意味で、来年の概算要求の作業をまたいたさなければなりませんけれども、何とかして文教行政、特に私立学校の経営について少なくとも安定的な方向に行くように私としては最大限の努力をしたい、こういうふうに今の段階では申し上げざるを得ないわけでございます。  しかし、一方においては、私はこの私学助成のあり方というものについてはもう少しいろいろな面で検討を加えていく必要があるだろうというふうに思います。たまたま、きのう私は、テレビのニュースショーみたいなものを夜遅くでございましたが見ておりましたが、この問題について、けさの朝刊というところから出ておりまして、評論家がこの問題を取り上げておりまして、私学助成が欲しいから出したのではないかということがいささか見え見えだなと、こういう論評をしておられる方もおられました。ですから、従来のような積み増しをして、そして何%ずつアップしていくというやり方が本当にいいのかどうか。一方においては、ごく一部ではございますが、私学に対するいろいろな問題が出てきておりまして、国民全体から見ても私学助成に必ずしもみんなが共鳴をするという空気でない面も十分考えていかなきゃならぬ。どうも教員の数、学生の数、そういうことだけで積み増していくということはどうかという気持ちは前から私は持っておるのです。  それで、私立学校が安定をしていけばいくほど私学の建学の精神というのは逆に忘れ去られてしまって、準国公立的な、ある意味では、国がお金を出すということは決してそんなことではないのだけれども、いつの間に一がそういう空気ができて、どこの大学もそう差がない、気風というものもそう変わらなくなってきている。そういう面から見ると、もう少し研究や学問の気風や建学の精神をよく生かして、少なくとも私立大学の個性というものがにじみ出ているところに私学助成をしていくというようなそういうやり方というのはでき得ないものだろうか。そんなことなども私は私立大学関係者にもよく申し上げておるわけでございまして、私立学校自身もまたいろいろと検討をしていただいておるようでございます。  いずれにいたしましても、今のこの問題を先生があえてタイムリーに御指摘をされましたことは、私立大学としては非常に重大なところに来ておるというこの認識は私も持っておりますし、やはり私学助成は、先ほどからいろいろの御指摘もございましたように、定数改善あるいは教科書というような問題も含めて、大変大事な来年度の予算編成の最重点の問題であるという認識として私はとらえておる、こういうふうに申し上げておきたいと思います。
  237. 小西博行

    小西博行君 私自身は工学部の関係教員として見ておったものですから、文科系が果たしてどのくらいのメンバーを教えなければいかぬのかということは余りわからないんです。ただ、いろいろな学校の先生方に聞いてみますと、一クラス六百とか八百とか、そしてしかもゼミナールというのがございます。そして卒論を書く。そんなものも、実際聞いてみると一人で五十人ぐらいの担当をしなきゃいかぬのだというのですね。私ども やっぱり私学の工学部関係ですら多いときは二十人ぐらいおったのです。一人の教官が二十人のそれぞれについて一年間かかって卒論をやる。実際問題はできないと思うのです。国立だったら恐らく四、五人ぐらいを一人の教官が担当するぐらいな感じになると思うのです。ですから、そういう教育条件というのは、よく言われることなんですけれども、現実そういうものに直面してみるとまだまだ大変な問題がたくさんある。しかも大学という名前でございますから、やっぱり研究を大いにやってもらわなきゃいかぬということもございます。しかもまだ私学の中でも物すごいばらつきがあると思うのです。かなりそれが整備されている大学とそうじゃないところというのは余りにも差があり過ぎるのではないか、そういう感じがするものですから、その問題をぜひ一生懸命やっていただきたいということを申し上げたいと思います。  もう時間がほとんどないようでございますけれども臨教審問題にひとつ入らせていただきたいと思います。はしょって質問させていただきます。通告どおりにはまいらないと思うのですが、お願いしたいと思います。  私は、この臨教審でまず大事なのは教育理念だと思うのです。この教育理念というのが非常にまた表現がしにくい、それだけに私はこの辺が実は一番問題になるのではないか。ですから、望ましい行政の体制という物の考え方と逆に、財政再建のための施策のあり方という両方の解釈があると思うのです。この間からいろんな御議論があった中に、どうも財政改革をやりなさいと土光さんも盛んに言っていらっしゃる、だからそれに合わさなきゃいかぬと、つまり財政が厳しいからやむを得ず何か考えなきゃいけない、そういうことだけでは私は教育というのは論じられないと思うのです。したがって、これからの教育というものはどうあるべきかという非常に大切な問題点がそこにあるのじゃないか。そういう観点で、まず大臣のいわゆる教育理念というもの、これはどのように解釈されていらっしゃるか、その点をちょっとお聞かせ願いたいと思います。
  238. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 臨教審に諮問いたしますことにつきましては、国会論議を踏まえてから総理が御判断をされることでございますので、たびたび申し上げて恐縮ですが、基本的、包括的なことになるだろうと考えます。教育理念だけを取り上げでそのことを審議する、論議するということは政府としては考えておりません。そういうことを諮問するというふうには考えておりません。しかし、臨時教育審議会におきましては、今、先生がまさにおっしゃったように、望ましいこれからの教育行政はどうあるべきだろうかということも、論議が深まっていけばいくほど、教育は何のためにやるのか、どういう理念でもってやっていくのかということも、やはり基本的な方向づけというものは当然私は話し合われるのではないだろうか、そういう意味の観点から論議が行われるであろうというふうに私はむしろある意味ではまた期待もしたい、こういうように思います。
  239. 小西博行

    小西博行君 そこで、よく出てまいりますのは教育基本法というものですね。これは確かに私も教育基本法というのは大事なものだと考えております。ただし、戦後四十年ずっとたってきているわけです。今までの教育は全部間違っているというふうに私は考えないわけです。やっぱりそれなりにいろいろな問題はあったんですけれども、今日の経済の発展というのを見ますと、すばらしい教育もその中には幾つかあったのではないか、このように理解しているわけです。  ところで、この教育基本法についてはあくまでもこれを遵守するといいますか、守っていくと大臣おっしゃっています。だけれども私は、今まで四十年間やってきた、教育基本法を十分守ってやってきた、しかし結果的にはいろいろな問題が出ている、だから今度の審議会というのはそれ以外の問題も含めて、もっと広くそれを論議していかなきゃいかぬ、そういう感じを実は持っておるわけなんです。そして、採用するかどうかという問題はまた別でありますから、そういうものもあわせて考えていかなければ、せっかく戦後四十年間の教育に何か新しい新風を吹き込むという段階で、そういうものだけで規定して、これ以外のものは何物でもないというような表現の仕方というのは非常に私は論議を狭くするのではないかといつ心配があるわけですが、その辺はいかがですか。
  240. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 教育基本法解釈というのはいろいろございまして、沼地三十一年の当時のいわゆる清瀬文部大臣の際のこうした審議会、この当時の教育基本法の枠の中で考えることは、また今とは大分違っておったような気がするのです。速記録などを読んでみますと大臣の御発言ども随分今とは違う。しかし、やっぱり教育基本法は当時も今も同じなんです。そういうふうに考えますと、憲法や教育基本法の精神というのは人格の完成を目指す、そして平和的な国家及び民主的な社会の形成者として心身ともに健康な国民の育成を目標としている、このこと自体は私はどの角度から見てもそんなに誤りではないと思うのです。  ですから、やはりこの理念というものは今後とも遵守していくべきであろうと思うのです。このことの枠をはみ出す、出さないという議論になってしまいますと、また国会論議というのは私は変わってくるだろう、こう思いますので、教育基不法というものに対してのこの精神は大事にするという、法律に明記をいたします。同時に、この理念は大事にしなければなりませんが、これもしばしば申し上げておりますように、社会がいろんな意味で変わってまいります。情報化の進展、高齢化の進行、いろんな形で変わるでございましょうから、そういうことに対応していく能力を持って、そして知、徳、体、調和ある人間性、そういう豊かな国民の育成が必要であろう、こういう考え方から論議をしていただくということになりますが、先生もおっしゃったように、できるだけ私ども審議をされる方々には幅広く自由に御論議をいただくということが、むしろ私はいい考え方が出るというふうに思いますし、また審議される皆様方もそれだけの識見を有しておられる方でございますから、当然教育基本法という精神を一つの基本としていろんなお考えが出されるものであろうというふうに考えます。こういうふうに考えてまいりました結果、今後の社会の変化等を十分考慮しながら、教育改革の視点とか目標といったところが私は論議されてくるのではないだろうか、そういうことを期待したいというふうに思っています。
  241. 小西博行

    小西博行君 そこで、教育基本法というのは確かに読んでみましても悪いことは書いておりません。だから、私は何も教育基本法が悪いのだという表現はしているわけじゃないのです。ただ、この教育基本法というのは、法律の条文でたくさん書いてあるだけで、例えば一般のお母さん方が教育基本法とは一体何だろうかということになりましても余りわからない、もちろん子供さんもよくわからないということだと思うのです。ですから、私自身は文教委員会に所属しているわけですが、文教に携わっている人間というのはその面についてはかなり勉強させてもらう機会がある。そこで私は、これをもう少しわかりやすい表現、こういうものが端的にできないのだろうかという感じがするわけです。  したがって、私は、むしろこういう非常に簡潔に表現してい至言葉をさらにもっとわかりやすく一般の方々も理解しやすいような、一方では先生方ももっとそれを表現しやすいような、そういうようなことで教育憲章というものを、言葉はいいか悪いかわかりませんけれども、そういう皆様方の教育をする場合の共通のものをわかりやすいもの、すぐ教育勅語ということをまた言われるのはそれは特別どうかしていると思うのでして、何かそういうわかりやすいものを表へ出していくという、つまりそのことを臨教審あたりでも一回検討してもらいたい。つまり、教育基本法をもっと平易にわかりやすい、一般の人がなじみやすいようなそういうようなものにまとめていただきたい、 こういう気持ちを持っておるわけでございますけれども、その考え方はどうでしょうか。
  242. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 確かに、教育基本法は一般の国民から見ると、とても大事な法律でありますが、なじみにくい。我々も国会へ入ってきて読んでみると、いろいろ首をかしげながら読んでいる。確かにいいことは書いてあるのですが、ストレートにはちょっと話のしにくい面もたくさんあると思うのです。そういう意味ではなじまないということはございますが、これは法律の書き方でございますから、これをどうこうするというのはやはり難しいだろう。もちろん、法律というのは改正のたびに平易なものに改めていく、日本法律の中には昔のままのものが残っているわけでございますから、そういう意味ではわかりやすい方向になるということは大事なことかもしれません。しかし、そういう教育理念というものを具体的に示す方法として、先生が教育憲章とおっしゃった、そういうような一つの国民教育の目標みたいなもの、こうしたことを制定すべきというような提案というのは一つの考え方だろうと私は思います。そのことを審議会議論をするかしないかということは、これは私がここで申し上げることではないと思いますが、そういう考え方についての一つの提案として審議会で御論議をいただくことも私はあるのではないだろうかというふうに考えるわけでございます。  たしか一時、期待される人間像というのが出ました。そのときはやっぱりどうも昔の教育勅語の蒸し返してはないかというので、随分あの当時の新聞を読み起こしてみるといろんな御批判もありました。しかし、今の国民教育に対する関心から見てまいりまして、必ずしも当時のような私は声にはならないだろうなというような感じは確かにいたします。例えば四六答申でもそうです。あのころは大変な騒ぎでございましたが、今はむしろ遅いじゃないか、なぜやらぬのだという声もむしろ強いというふうにも考えます。いずれにいたしましても一つの御提案でございますから、私どもからこうしろああしろということではございませんが、たびたび申し上げておりますように、国会論議を十分に参考にされるということから考えれば、一つのまた御論議を深められていくよりどころにもなるのではないかというふうに考えます。
  243. 小西博行

    小西博行君 私は、最近の子供さんを見てみますと、特に権利の主張というものは非常によくやられる。それから義務と責任感というもの、これは非常に薄いような感じがするんです。これは大臣も同年輩だから大体同じような感じを持たれることがあると思うんです。そういうような問題を私は、それだけじゃなくてむしろ、もちろん個人の幸福だとか隣人愛とか公共性とか、こういう問題も同時に持ってもらわなきゃいかぬわけでありまして、そういう教育に少し力を入れていただきたいというのが私の考え方でございますけれども、これは全く大臣もそういうふうにお考えでしょうか。
  244. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 今の教育基本法、今の教育の指導理念からいって、ときたまどうも権利義務のところが上手にうまく表現されていないのじゃないかとか、あるいは権利意識が強くて、義務規定については例えば教科書の中などでも薄いのではないかという論議はいろいろございます。このことは私承知をいたしております。しかし、これも先ほど申し上げたように、教育基本法は昭和三十一年のあのころも今も変わっていない。変わっていないが、当時の文部大臣は、今の教育基本法では愛国心も親孝行も教えることはできないんですと、こういうことを国会答弁をしておられるんです。その教育基本法は今も同じでございまして、学習指導要領ではきちっと自分の国を正しく理解し、愛し、そして愛国心を持って、他の国に対しても同様な理解を持つことということはちゃんと教えているわけでございますから、そういう意味では、権利義務のことは必ずしも今の教育上の理念がどうだとか、そういうふうに私は解釈することはいささか少し見方が違うのではないかというふうに考えております。  ただ私は、先般にも申し上げましたが、この教育改革の視点について、私なりに三つぐらいの視点というものを考えておりますということを申し上げた。その前段になりますところに、基本的には、二十一世紀の我が国を担ってくれる青少年が今後における社会の変化及び文化の発展に主体的に対応する能力、この主体的に対応する能力は、私が個人的に愚考するには、やはり困難に立ち向かっていく強い意志、あるいは問題の解決に積極的に臨む知的探求心、自己の情報を選択活用していく能力、特に大事なのは、自己を抑制し、他者を尊重して良好な人間関係を築いていく、これが我々の先人たちが長い歴史の中で積み上げてきた私は規範だろうと、こう思うんです。ですから、これからの国際社会の中に生きていく日本の子供たちに対して、先人がしっかりつくり上げてくれた文化や伝統、そして個人の正しいそれぞれの信ずる宗教性、そうしたものを正しく身につけて、そうした主体的に困難に立ち向かっていく強い意志と良好な人間関係をしっかりはぐくんでくれる、このことをやはり一つの教育の目標の視点としてとらまえていきたい、僕はこう考えるんです。したがって、そういう考え方が一つの教育の目標として定められていけば、今の教育基本法の中で十分このことは私は生かされていくだろうというふうに思います。先生のおっしゃるとおり、御心配な点は非常に私もよくわかります。そうしたことなども十分に論議を深めていっていただくということでは、大事な私は問題点であろうというふうに理解をいたしております。
  245. 小西博行

    小西博行君 時間がないものですから、はしょって。  教育行政の問題です。つまり、中央でやられる文部省としては教育の問題についてはどういうことをやるのだと、それから今度もう一方では都道府県ですね、教育委員会にお任せする、こういう二面性が実はあるわけです。私は、実はこの間も大臣が新しくかわられたときに向丘高校の問題をとらえました。現実にああいう問題が実際は起きているわけです。これは氷山の一角だと思うんです。ですから私は、そういう現実論に立ち返って、そういう問題をどうやれば解決できるだろうか。これは何も現在の教育改革をしなくても現在の法律の範囲で、あるいは常識の線でできるのではないかということを私自身は大変大きな期待をして見守っているわけです。五十六年には小樽の小学校の偏向教育問題をやりました。これは田中大臣の時代でございました。そういうことをやっても、果たしてどこまでそれが地方教育委員会の範囲で、あるいは学校の範囲でできるかという問題なんです。いかにもそれは、内容的には何回も申し上げませんけれども、実際の問題があるわけです。  そういう問題をどう解決するかという問題と、それから文部省としてはそれにどう対応していったらいいのか、この辺の問題を私はぜひやっていただきたい。もし、法律的にそれができないというのであれば、何もそこで監督を強化するという表現だけじゃないわけでありまして、やっぱりそれは指導とか――指導の責任はあるわけですから、あるいは具体的な措置のとり方もあるわけですから、そういう問題だけは私は明確にしていただきたい。それを今度のこの臨教審問題の中でもぜひやっていかないと、今までと同じような形で終わってしまうのではないか。これは都道府県によって随分違いますから、非常にちゃんとやっているところもあるし、ある別のところでは大変なことだと、こういう問題が現実にあるわけですから、その辺も大臣には前に宿題を出しましたから相当いろいろ調べてはいらっしゃると思うんです。ですから、そういうことを踏まえてこういう問題をぜひやっていただきたい。御意見があったらぜひおっしゃっていただいて、これで終わりたいと思います。
  246. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 一般論として申し上げた方がいいかと思いますが、先生から御指摘をいただきました点などについては、十分文部省事務当局としても個々の問題については指導をさせてい きたい、こう思っております。  やはり、戦後の日本教育のいろんないい面、悪い面というのも出ております。一つの事柄がすべてよくて、そのことがまた悪い弊害であるというふうに論ずることはできないと思うんです。お互いの信頼関係の中で文部省は指導助言をしていく。学校教育におきましては、それぞれの設置責任者でございます教育委員会等が自主的にこのことを進めていくという面でいけば、非常に私は新しい、いい教育の一つの形だろうと思いますが、ややもするとそのことが逆になってあらわれる面もなきにしもあらずでございます。先ほどからいろいろとおしかりもいただいていますが、大阪大学の問題にしても、こうした不祥事が出てくることも、もとはといえば大学の自主的なもの、運営、あるいは学問の自由、研究の自由、そうしたことをむしろ文部省としては奨励をしていきたいという考え方が逆に裏切られた形にもなるわけでございましょう。あるいは九州産大の問題でございますとか国士館の問題も随分国会論議をされましたが、これもみんな、どちらかといえば当然お互いの深い理解の中で善意にこの関係があるべしというふうな考え方からこのことは成り立っているわけでございますから、しかしそれを盾にして逆にそのことについて悪い行為をしていくということであれば、これは許すことは私はできないというふうに常に国会でも申し上げてきたところでございます。  そういうふうに、今の文部省とそれぞれの都道府県、市町村の教育委員会との関係、あり方というのは、果たしていいとか悪いとかということを論ずる前に、やはりこうしたことについてのいろいろな意見の交換はあっても私はしかるべきだろうと思います。ただ、具体的な審議事項として審議会にこれもこれも御審議をいただくということを申し上げるということは、これは私は適当ではないというふうに考えておりますが、教育行政全体のあり方、あるいはそうした国と地方の役割の分担の求め方といいましょうか仕組み、そういうようなことなどは学校教育全般のあり方の検討の中で必要な場合においては十分論議をされていくのではないか、こういうふうにお答えを申し上げておきたいと思います。
  247. 小西博行

    小西博行君 終わります。
  248. 前島英三郎

    前島英三郎君 臨教審審議もだんだん大詰めを迎えつつございますけれども、まず臨教審につきまして何点かお尋ねしておきたいと思うんです。  これは重複するかもしれませんが、委員の人選についてなんですけれども、一応二十五人以内ということでありますが、これまで多くの質問も出たわけなんですけれども、その人選の基準、方法につきまして改めて伺っておきたいと思います。
  249. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 人選につきましては、国会で今、前島先生、大詰めでございますとおっしゃってくださって、私なりの解釈をいたしますれば大変ありがたいなと、こう思っておりますが、国会で成立をさせていただきましたら、国会の諸先生方からちょうだいをしました多くの論議、御意見、このことを踏まえまして幅広く各界各層から人選をさせていただきたい、こういうふうに考えております。  具体的には、きのうも合同審査がございまして、先生ちょっと席を外されておったかもしれませんが、その際に、今までの論議の中から私なりに幾つかの分野を考えてみました。十三ぐらい、私申し上げてよろしゅうございましょうか。その中で、やはり子供の成長に直接かかわっておられるお父さん、お母さん。現に学校教育に携わっておられる教師、またはその経験者。あるいは社会教育、青少年教育等ございますが、体育やスポーツの実践者、またはこれらに精通をしておられる方々。あるいは作家や芸術家等文化に関しての識見を持っておられる方。人間発達や社会の発展について識見を有しておられる方。国際関係の経験を有する方、または国際関係に関する識見を有する方々。あるいは大学の管理運営に識見を有する方、私立学校、例えば専修学校等も含んでの関係者。それから地方公共団体の関係者、これは教育行政関係も含めてのことでございます。それから財政の運営について識見を有する方。文教行政に精通をしておられる識者。経済界、労働界その他産業構造、雇用問題等に識見を有する方。それから新聞や放送等のそういう立場の中でのいわゆる学識経験者。今までの国会の御論議等を踏まえながら、こうした分野から幅広く御選任をしたい。もちろん任命をいたしますのは総理でございますので、私からそういう考え方総理に進言をしたいというふうに思います。  そして、その中でやはり一番大事に考えておかなきゃならぬことは世代構成のバランスを保っていきたい。端的に言えば、きのうもたしかどなたかの先生からお話がございましたが、将来を見通していける、ある意味では証言者になり得なければならない、そういう御指摘もございましたが、私もまさにそう思いますので、若い世代も登用していくということも大事だろうと思います。それから糸久さんなどからも御発言がございましたが、女性の登用ということにも十分配慮をしていきたい。基本的には、特定の利益団体あるいはまた政治団体等これを代表するものは避けなければなりませんし、できる限り私は教育団体にいたしましても団体を代表するという形で選任をすることは今度は御遠慮を申し上げた方がいいのではないだろうか。こういうようなことが選任の私は今までの国会の御議論を踏まえながら考えてまいっております基本的な考え方でございます。
  250. 前島英三郎

    前島英三郎君 いろいろな人選につきまして大臣のお考えを今伺ったわけでありますけれども、まさしく広く各界各層からというのが今の中にも盛り込まれていたようであります。やっぱり私は福祉を考え立場からいろんな人間社会を見詰めていくわけですが、そこで到達していくところは教育に起因をすると、原点は教育にある。教育から福祉も育ちもするだろうし衰退もしていく。中には財政とか、いわゆる高福祉は高負担とか、そういう決めつけ方があるかもしれませんが、私は根底には高福祉は心という財源が伴っていかなければならない。その心という財源を拠出していくのは多くの国民でありますし、それからまた人々の持っている心だということを考えていきますと、やっぱりこれからは教育という部分から人間社会を見詰めていくとするならば、どうも今、大臣がおっしゃった中に若干不足している部分もあるのではないか。それは広く各界各層からという中にお年寄りとか、これから高齢化社会を迎えそうしたお年寄りの人たち、それからまた障害者という立場の人たち、特にこれから障害を持つ人々はふえこそすれ減ることはない、そしてまた今、日本障害児教育も一つの過渡期を迎えているということを考えますと、そういう障害者の福祉に関係する方もぜひ含めてほしい。こういうぐあいにお願いをしたいと思うのですが、その辺はいかがでございますか。
  251. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 私は、できるだけ時間を御迷惑かけないようにと思って少し割愛をして申し上げて恐縮でございましたが、先ほども申し上げました分野の中に、人間発達や社会の発展についてというふうに私は申し上げました。これはもう少し私なりに細分化いたしますと、経済学や社会科学や情報科学や自然科学の関係、もう一つの項としては人間科学と申しましょうか、ここに哲学とか心理学とか医学などという中に当然先生が御関心を持っておられるような分野、そういう御専門の方々、こうしたことを含めておるわけでございます。もう一つは教育関係、これも随分論議の中に出てきたことでございます。こうしたことなどが人間発達や社会の発展についての識見を有する者というふうにも考えていきたいと思います。  なお、当然限られた二十五名の方でございますので、先生が先ほどおっしゃいました、例えばそうした障害を持つ立場の方々、関係者、これはやはり障害児教育というものをどうするのかということについての論議は当然大事な施策の一つである。これはきのうも私は申し上げたと思います。そういう中で当然専門委員とかそういう方をこれ から本当の意味でお選びをしていかなければならない。二十五名の審議委員というのは、これは一般論で言うわけでございますが、具体的にどういうことを、どういうふうにしていくのかということは、これは会長が判断をされて専門委員検討していくことになるわけでございますから、当然専門委員等については極めて専門的な識見や体験を持っておられる方をお願いするということは当然なことでございまして、先生から今お話がございました趣旨につきましては十分承っておきたいというふうに考えております。
  252. 前島英三郎

    前島英三郎君 それから審議会の諮問内容といいますか、その諮問方法というのはどうなるのかということも若干気になるわけでありますけれども審議会議論を縛るようなことは答弁では言えないという面もわからないわけではありませんけれども、しかしこうして連日衆参でいろいろな形で教育問題が論議されているわけなんですけれども、それが論議され、そしてまた答弁されてくることがどういう重みを持ってくれるであろうかということ、この辺は大変気になるところであります。少なくとも審議していただく事項、テーマぐらいは明らかにした上でこういうものは設置した方がいいのかどうかということが当然議論の中にあると思うんですけれども、プライオリティーをつけるとするならば、まず文部大臣とすればどういうところから一つの諮問内容はやってもらいたいと思っているのか、その辺はいかがですか。
  253. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) これから審議会をスタートさせていただきましたことを前提にしてお話しさせていただきますが、審議事項につきましては、これはたびたび申し上げておりますように、審議会の先生方御自身でお考えをいただくということであろうというふうに思います。諮問内容につきましては総理がこの諮問内容検討してつくり上げるわけでありますが、当然文部大臣として、主務大臣として総理に進言を申し上げなければならぬというふうに思います。  また、けさほど穐山先生から、総理が直接聞いているわけじゃないのだから、こういう御指摘がございました。そのとおりでございます。まさに、予算委員会、文教委員会内閣委員会、それも衆議院、参議院、恐らく何十時間と私は各先生方の御意見をちょうだいをいたして、そして私は私なりの判断としていろいろと申し上げてまいりましたので、当然その国会での論議総理に私は進言をしなきゃならぬ、こういうふうに考えております。  そういう意味で、諮問内容につきましては、私は、基本的に二十一世紀に向けまして教育改革を推進していく、そのことに当たって次の三点はひとつ留意をしていきたいというふうに考えております。まず第一は、学校教育の現状を再検討し、学校制度の改善や教師の指導力の向上等を図ることが基本的な課題である、これが第一であろうかと思います。それから第二は、同時に、教育は学校だけで行われるものではございませんので、家庭や社会において行われる営みであるということを考慮をいたしまして、広く我が国社会に存する教育の諸機能全般にわたって活性化の方途を探求する。三番目といたしましては、学歴社会を是正をしたい、生涯にわたる学習の機会をどのように充実、確保していくかということが、これも欠くことのできない課題ではないだろうか。私は、審議会におきまして、このような課題を含めまして、長期的な展望に立って広く、かつ総合的に御審議をいただきたい。これが国会で今日まで論議をしていただきました中で、私なりに今この三つを一つの基本的な考え方として、総理に諮問内容をお決めをいただきたいというふうに考えているわけでございます。なお、国会で先生方から御質問をちょうだいしまして幾つか私なりに申し上げた事柄を、たくさん項目として文部省の方でまとめさせておきました。  プライオリティーをつけてどうかというふうに先生から今御質問でございまして、どれを優先するかということは非常に難しいことでございまして、これは当然審議会皆さんでお考えにならなければならぬことでございますが、全般的に、学校制度の改善、教師の指導力の向上、こういうこと、こういう中には先導的試行でありますとか就学年齢とか、いわゆる中学校、高等学校の関係というようなことなど、あるいは大学の場合では単位の互換制、あるいは高等教育機関全体のあり方、あるいは入学期、九月入学などという例を申し上げましたが、九月入学期の問題、あるいは教養課程という問題も随分議論が出ましたが、こういうようなことなど、あるいは教師の指導力につきましては、教員の資格に関する問題や養成の問題、あるいはインターン制度の導入などについての御指摘もございました。そのほかには、教育の国際化ということが非常に大事な問題点としてやはり提起をされております。さらに、我が国の社会におきます教育の諸機能全般の活性化ということを申し上げました。これの具体的な問題としては、幼保の問題、それから先生から御指摘をいただきましたような障害児童の問題などを含めた福祉の問題をどのように考えていくか、あるいは幼児教育、あるいは塾や予備校の問題。さらには三点といたしまして、生涯学習の機会の充実、確保と申し上げましたが、その中では、社会が求めている人材はどうなのか、大学入試、人物評価の多様化、あるいは学歴社会の改善、それから社会全体の中での人間の評価をしていく物差しの多様化、ちょっと言葉はよくありませんが、私はそういう答弁をしたような記憶がございます。  こういうような事柄などを国会で各党の皆さんからいろんな御質問があり、それを私が御答弁申し上げ、それを大別して、先ほど冒頭に申し上げた三つぐらいの課題になるのではないか。このことを私はもう少し細かく、今日までの先生方の御指摘も踏まえて、総理に私から報告をし、そして一緒に相談をして諮問内容決めたい、こういうふうに考えております。
  254. 前島英三郎

    前島英三郎君 そういう中でいろいろ細分化された議論がなされるでありましょうし、まだ、それが二十一世紀へ向けての新しい一つの教育体系として答申もされてくるだろうと思うんですけれども、今までいろいろ見直さなければならない教育の問題は幾つかあると思いますけれども、学校教育の再検討、家庭の営みの問題、あるいは学歴社会の是正、こういうことを挙げてみましても、じゃ一体六・三・三・四制を変えたところでどうなるのだろうかとか、あるいは今のようなやっぱり学歴社会優先の社会的構造を変えない限り一部分にメスを入れたところでどうなるのだろうかとか、いろいろな問題が引き続き尾を引いていかざるを得ないというふうに思うわけですけれども、私はそういう中から、再三申し上げております障害児の問題というのが実は今の教育の中における非常に重要な問題であるということから、きょうはひとつその心の部分が大分全般的に流れてまいりますけれども局長を初め、またいろいろとお考えをもう一度ただしていきたいというふうに思っております。  まず、重度障害児に対する訪問教育についてでございますけれども、昭和五十五年三月二十五日の本院文教委員会におきまして、当時の諸澤初中局長が、「一般的な訪問教育の実態というものにつきましては、いま調査をやっておりますので、いずれそれがまとまりましたらまた一つの資料になると思います。」と、こういう答弁がございます。この調査のまとめというのがあるのかどうか、その答弁を受けまして。あるとすれば、訪問教育の実態というのは現在どのようになっているのか、まずここから伺いたいと思います。
  255. 高石邦男

    政府委員(高石邦男君) まず、訪問教育の対象になっている子供の数でございますが、国公私立を含めまして、五十八年五月一日現在における対象児童生徒数は六千八百三十三人でございます。これに従事している教職員が二千六人ということでございます。そして、県によって若干の差はございますが、大体一人の教師が三人から四人を対象に受け持っております。そして、一人の児童に対して週二回程度の訪問を行う、そして一回二時間程度の教育をしてくるというような形で行われているわけでございます。そして、訪問先は就学 が困難な児童生徒でございますが、一つは、家庭で治療を含めて、登校できない子供を対象にして家庭へ訪問を行うもの、それから児童福祉施設、医療機関等を訪問して行うというような形で、それぞれの子供の実態についての訪問教育が行われているわけでございます。こうした先生方の定数、それから処遇につきましては、特定の養護学校に籍が置かれまして、他の教員と同じような身分保障が行われ、そして訪問するに必要な旅費等については支給をされる、それは国庫負担の対象にする、こういう形の内容が現実の姿でございます。
  256. 前島英三郎

    前島英三郎君 つまり、およそ八千人の児童生徒が訪問教育の対象になっておるということですね。同じ時点での養護学校在学者というのが、小中学部では約五万八千四百六十六人、これは養護学校校長会の昭和五十八年五月一日現在の調査の結果なんですけれども、その比率というのは、つまり訪問教育を受けている子供の比率は一三・七%、かなりの比重を占めているわけなんです、八千人という数は。  訪問教育について考えますときに二つの面があると思います。今、局長も言いましたけれども、一面では、通学することが生命の危険につながるおそれのあるような子供たち教育の機会を保障するという積極的な面があると思うんです。しかしもう一方では、訪問教育は週四時間ですから、二時間ずつ二回ですから、教育内容の質と量の面では十分ではないと思うんです。週二回ですから四時間ですね、十分ではないと思うんです。それが八千人にも上るとなりますと、養護学校義務化により就学猶予免除者が大幅に減ったといっても、実は多くの子供たちが不十分な教育しか受けられていない、そういう実態を物語っているという心配も一面あるのではないかというふうに思うんです。もしこの後者の色彩が色濃く出てきたとしましたらこれは大変重大問題でありまして、文部省は現在の訪問教育においてそのような面がないと自信を持って言えるのかどうかということを伺いたいと思うのですが、その辺はいかがでございましょうか。
  257. 高石邦男

    政府委員(高石邦男君) 訪問教育は、養護学校への義務を履行いたしました五十四年度以降採用した方式でございます。したがいまして、訪問教育の現実の姿が十分な満足すべき状態であるとは決して思っていないわけでございます。したがいまして、今後そういう面での工夫をいろいろ積み重ねていって、そういう面での内容充実していかなければならない。特に教育の面で週四時間程度ということになりますと、なかなか与える教育内容というものも限界がございますし、そういう面でこれでいいかどうかも十分改善していかなければならない問題であろうと思っております。
  258. 前島英三郎

    前島英三郎君 確かにそうなんですね。それで、訪問教育につきまして文部省は昭和五十三年に「訪問教育概要(試案)」というのを出しておりまして、これは各都道府県ともこの試案に沿って実施しているようでもございます。この試案によりますと、訪問教育は「養護学校等の施設を整備するまでの経過措置ではない。」と、こう述べているわけなんです。経過措置であるということになりますと、先ほど申し上げましたように、学籍を与えたものの不十分な教育しかやっていないという批判が当たっているということになってしまいますからこれは大変ですので、文部省としてはこれは経過措置ではないと言わざるを得ないと思うんです。  ところがこの試案では、その後に訪問教育の法的根拠について書いてあるんですけれども、どうもこれは中身がすっきりしておりません。学校教育法の第七十五条に、一般の小中高等学校の児童生徒が疾病によって療養中の場合、教員を派遣して教育を行うことができると、こう書いてあるんです。一方、学校教育法第七十一条では、盲、聾、養護学校は普通校に準ずる教育を施し、あわせてその欠陥を補うため必要な知識、技能を授けることを目的とすると、こう書いてあるわけですね。試案の説明によりますと、七十五条については例外的な教育の形態だから特記する必要があったと考えられるわけなんですけれども、しかし七十一条では養護学校の教育の一形態として訪問教育を予定しているのだと、こういう内容のものであるわけなんです。なるほど多様な教育の形態という観点に立ては訪問という形も想定できないわけではないんですけれども、けれども想定され得る教育形態ならどのような形でもよい、こういうことになりますと、教育の質とかあるいは中身というものが薄くなる歯どめがなくなってしまうのじゃないか、こういう心配も出てくると思うんです。それなりの一つの条件整備というものが当然必要になってくると思うんですけれども、ところがその訪問教育のいわば基準に相当すると思われるものは現在のところこの試案しかないんです。  こうなりますと、週四時間の教育原則とすると書いてありますけれども、この説明を読んでみますと、子供に負担過重にならないように四時間としたけれどもなお検討課題としたいと、こう書いてあるわけです。こうなりますと、訪問教育は試みの、検討中の教育をやっているということになってしまうおそれがあるんです。これをいつまでも、五年も経過した中でこういう形でいいのか。すなわち、学籍を与えたけれども不十分な教育しかやっていないのじゃないかという心配が当然親御さんの方からも出てまいりますし、いつまでも試案であっていいのかと、こういうことになってくるんですけれども、この辺はやっぱりきちんと整理をすることが必要だ、こう思うんですけれども、その辺はいかがでしょうか。
  259. 高石邦男

    政府委員(高石邦男君) 基本的にはおっしゃるとおりだと思います。したがいまして、本来教育の機関として国公立、私立を含めまして学校という形態の集団教育を近代国家では子供の教育機関として整備していったわけでございます。その中で、今御指摘のありましたような心身に障害を持つ子供でどうしても学校に通学して教育を受けられない子供たちに対してどうやっていくかということで、いろんな多面的な方策、方法を探りながら今日まで教育が行われてきたというわけでございます。したがいまして、その方策は定着したものというよりも今後いろんな積み重ねによってなお充実改善していくべき面については積極的に取り組んでいく、こういう姿勢が必要であろうと思っている次第でございます。
  260. 前島英三郎

    前島英三郎君 それにしても、それはいつまでも試案であってはならないと思いますから、そろそろ結論を出すべきだというふうに思いますけれども、その訪問教育を担当する教員につきまして、五十二年度以前訪問指導という形でやっていた時期は非常勤の先生方に受け持っていただいたようですけれども、先ほどもちょっと局長答弁されましたが、それからは、義務化後は在籍する養護学校等に所属する教員ということに切りかわったわけなんですけれども、この試案では訪問教育担当教員の身分、処遇等についてなお詳細は早急の検討課題であると、こう結んでいるんですが、これはもう少しちょっとわかりやすく説明をしていただければと思います。
  261. 高石邦男

    政府委員(高石邦男君) 教員の積算の基準といたしましては、重複障害児の一クラス当たりの教員配当数、現在は五人をもって一クラスと、こういうふうにしておりまして、そういう積算で訪問教員を配置しているわけでございます。今度の十二カ年計画ではこれをもう少し改善いたしまして、一クラス五人を三人にするという形に進めるわけでございます。したがいまして、そうなりますと訪問教員に対しましてもそれに準じた教員配当をしていくということで、現在標準法上の取り扱いとしては養護学校の教員として、積算としては今申し上げたような積算をもとにして教職員を配当する、こういう手続をとっているわけでございます。
  262. 前島英三郎

    前島英三郎君 ちょっとよくわかりませんけれども、これは後でまたゆっくり伺うとしまして、訪問教育というものは、初めに申し上げましたように、積極的な面と、また不十分な教育に終わってしまうという危険な面と、常に二面性があることは否定できないと考えておりますけれども、一 つには子供たち教育には子供たちの一つの集団が必要だと私は常々思っているわけであります。同時に、教師にとっても教師集団が当然必要だというふうにも思います。訪問教育の場合はその集団から離れて教育するという形、特に家庭での訪問教育の場合はそうなるわけでありますから、そこにそういう意味でのマイナスの条件を負っているのだという面を考えに入れなければならないと思うんです。  また、子供に多くの負担をかけないと言いますが、週四時間を原則とするということになってしまいますと、量的にこれは不十分なケースがかなりあるはずだと思うのです。訪問教育を何とか通学に結びつけたいということも目標の一つでありましょうから、四時間の原則というのはこれは当然再検討されてしかるべきだと思います。試案の中でも弾力的かつ柔軟な運用を図る必要があると、こう書いてあるところもあるわけですから、実際に教育現場がそうできるように、これからも文部省は積極的にぜひともリードをしていただきたい、このように思います。  訪問教育内容充実についてということになりますと、やはりそうした意味でもこれから積極的に取り組んでいただきたい。そして最終的にはその地域の学校にそういう中から入っていけるような道づくりをしていただきたい、こう思うのですが、今後どのようにそういう意味での訪問教育充実についてお考えを持っているか、改めて伺いたいと思います。
  263. 高石邦男

    政府委員(高石邦男君) まず基本的に、学校に通学できる子供たちはできるだけ学校に通学をさせて、集団の中で一緒に教育を受けさせるということが基本原則であろうと思います。しかし、どうしてもそれができないような子供たち、例えば現在は医療施設等にそういう何人かの子供たちが集まっている、医療施設の中ではある程度集団的な教育の取り組みができる、こういうところもあろうかと思うのです。そういうところはできるだけ一つの集団教育の中で子供たち教育を展開していくということが必要であろうと思っております。そして、それでもなおできないというような子供たちに対しての訪問教育の展開ということになろうかと思うのです。訪問教育の展開をする対象の児童生徒が、時間を拡大して広げていけばいくほど教育効果が上がる障害であるのかどうか、これまたいろいろケースによって違ってくると思うので、その対応は十分考えていかなければなりませんので、原則、週二回、四時間程度という標準ではございますけれども内容によってはその時間をもう少し増減させて弾力的に対応して、一人一人の子供に適合する授業時間の展開というのは考えていかなければならないと思う次第でございます。
  264. 前島英三郎

    前島英三郎君 訪問教育の実践例としまして福島県の須賀川養護学校の事例をある本で読んだことがあるんですけれども、家庭ではなく施設での訪問教育なんですが、大変すばらしい報告だったと思います。中で私が特に印象に残りましたのは、介助について担当の先生が述べておられた点なんですけれども、そこは施設ですから病院も兼ねているわけなんですが、看護婦さんとか保母さんの日常的な介助が子供たちのために行われているわけです。これも一つの教育だと言うんです。何も一足す一を二とか、あるいは「サイタ サイタサクラガサイタ」はこれは古い話ですけれども、そういう話だけではなくて、やっぱり何か介助というとそれはもう教育ではないのだというふうなみたいなところがあるんですけれども、食事とか排せつどか衣服の着がえとか、そういうところから、実は教育という面からこれははっきりと一つの効果が上がってくる。これが述べているところを見ますと、こういうやり方もやっぱりこれからは訪問教育の中には取り入れることも当然必要になってくるのじゃないかというふうな気がするんです。  次に、交流教育について質問したいと思うんですが、先日来、私は障害児と非障害児とが同じ学校の中で机を並べて学ぶという統合教育ということを一生懸命申し上げてきているんですけれども、これは昭和五十二年からずっと障害者の問題を取り上げてまいりまして、五十四年に養護学校の義務化がされ、それからいろいろとトラブルが起き、そして特殊教育家のいろいろな方々と文部省の方々とやり合ってきたところでありますけれども、現状におきましては重い障害を持った子供と非障害児、普通の子供とが教育の場で接することができるのはわずかに交流教育という形の中に限られております。実際には文部省がレアケースだとして片づけるか、あるいは普通学校に行っているのだから障害の軽い子供に違いないはずだという形で直視しないだけで、いい事例もかなりあるわけなんですけれども、そういうことというのは調査をしてみたらどうか、統合されているケースがたくさんあるのだから調査したらどうか、こういうことを再三お願いしてもそれは調査はしておらないようでありますが、そこで、その交流教育というのが実際にどのように行われているのか、交流教育の中でどんな成果が生まれているのか。文部省の答弁を伺いながらひとつ議論を進めてまいりたいと思うんです。  昭和五十四年度から心身障害児理解推進校というものを小学校、中学校の中から何枚か文部省が指定して交流教育を進めてきたそうでありますが、これまでの実績といいますか、どんなふうに交流教育を実施してきたのか、まず、その辺から伺いたいと思います。
  265. 高石邦男

    政府委員(高石邦男君) 昭和五十四年から実施しているわけでございますが、小学校四十七、中学校四十七、九十四校、これを毎年実施しておりまして、五十四、五十五、五十六、五十七、五十八、五十九と同じ枚数の指定をやってきているわけでございます。指定の対象といたしましては、盲、聾、養護学校全体に及んでいるわけでございます。そして、やっぱりその交流する、隣接している小中学校等がないとうまくいかないので、隣接する小中学校にそういう受け入れ態勢の一方において協力方をお願いしていくという対応をし、そして双方の学校での協力態勢ができ上がるところで交流教育を推進していく。基本的に交流教育を実施するのは障害児の子供たちのためではなくして、いわば普通の小中学校に通っている子供たちにもそういう障害の子供と触れさせることによっていろいろな問題を学ぶという成果があるというような、両面性を持ってこの交流教育を実施しているわけでございます。  ちょっとその前に、全体の義務教育段階における特殊教育諸学校における全容を少し申し上げますと、国公私立て特殊教育諸学校としてございますのが八百六十三校でございまして、それに学んでいるのが六万六千四百三十でございます。そして、小学校や中学校に設置されております特殊学級は二万一千八百五十四学級ございまして、そこで学んでいる子供たちは十万八千七百五十一というような状況でございまして、障害の程度の軽い子供たちは特殊学級で小中学校の子供たちとも触れ合いながら教育ができるというような形になっておりますので、残りますのは盲、聾、養護学校等の特殊教育諸学校で、独立している学校でそういう子供たちに対する交流の場を与えていくというための施策としてこういう指定校制度を実施しているわけでございます。県ではこの指定校制度のほかに県独自でいろいろな試みを行う、そしてまたそれは学校という場での交流だけではなくして、青年の家、自然の家に一緒になって子供たちと団体宿泊訓練を行わせる、そういう多様な試みが行われておりますし、そういう面での交流教育は前向きに積極的に進めていかなければならないというふうに考えているところでございます。
  266. 前島英三郎

    前島英三郎君 ここに「交流教育の実際Ⅲ ふれあいをもとめて」、これは昭和五十九年、文部省ですか、ことしですか、こういうのがあるんですけれども、これを見ますと、「心身障害児との交流活動を実践してきた小学校、中学校からは、「今まで見落としがちだった他人のよさに気がつくようになった。」とか、「保護者から、相手の立場考えることのできる人間に育てるために、交流を継 続して行ってほしいという声が聞かれるようになった。」、また、「交流の実践を積み重ねていくうちに、これは心身障害児に対する単なるお付き合いではなく、心身に障害のない子供にとっても得がたい機会であるという理解を示すようになった」」などという報告がありまして、大変実は交流ということがいい、交流がいいということがわかっているのだから交流から一歩踏み出すことは容易ではないか、こう思うんです。この交流をしたことによってマイナスであった、実によくなかったと、障害児と一緒にやったら。それは一時期あったんです。ある親御さんが、障害児が普通学級に入ってくるということでそのお母さんが猛烈に反対した。クラスで一番優秀な子供のお母さんで、反対したのは、つまりその子が来ると先生がとられちゃう、先生がとられちゃうとうちの子は東大をあきらめなければならない、こういう感覚なんです。  だから、まさしく臨教審もその辺からやっぱり変えていかないと、本当の教育といいますか、本当の人間は育っていかないということを見ますと、この交流教育というものは実際文部省で実践してみて非常にいい効果が上がっているということは確かなわけです。こういうことがあるんですから、次のステップといいますか、より多くの学校でより日常的な交流を、指定校の九十数校ではなくて、やっぱりもっとどんどんふやしていく、そういう僕は構想は当然持つべきだと思うんですけれども、今後の構想といいますか、今九十四校ですね。これは三千三百の市町村があるわけですから、そういう一つの構想みたいなものがあって、いいことならこれほど得がたい実践的教育はないと思うんですけれども、その構想がもしありましたらお伺いしたいと思うんです。
  267. 高石邦男

    政府委員(高石邦男君) 交流教育の成果については、この報告の中でも評価をしているわけでございます。したがいまして、そういう機会をもっとふやしていくということは基本的に大切なことであるし、必要なことであろうと思っております。  ただ、一般的に文部省が指定をしないと動かないということでは非常に困るので、もう少しこれは県が主体的に、文部省の指定があるなしにかかわらず、そういうものを積極的に取り上げていただくというような方策もあわせて指導助言としてやっていかなければならないというふうに思っている次第でございます。したがいまして、今後こういう面での拡大の基本的な方向を保ちながら、できるだけの努力を重ねてまいりたいと思っております。
  268. 前島英三郎

    前島英三郎君 交流教育に関しまして、私はひところは実は大変疑問を抱いていたんです。これは統合教育に向けて移行すべきだというその論調に対して、それを何とかかわすというか、何とかお茶を濁すというか、そんなことのねらいを持って文部省が始めたのじゃなかろうか、こう最初は思っておった。多分一緒に行事をやるぐらいで、後はほとんど交流のないまま、それでも交流をしましたというようなことの一つの実績づくりの程度だろうと思っていましたけれども、今はその疑問というのはきれいに私も払拭されているんです。そういう意味ではやっぱりやらないよりやった方がいい、これは決まっていることなんです。そういう点で交流教育というものはこれからどんどんふやしていくということが大切だと思いますし、それが次への私はまた始まりであろう、こうも思っているわけです。  ですから、非常に局長がその辺は積極的であることに若干の安堵感を持っているわけですから、今度の臨教審にはまさしくそうした障害児統合教育のエキスパートが入って、総理も割合その感覚なんです。これは今度総括のときにちょっと総理に伺いたいと思いますのは、総理があるところで、障害を持った子供も普通の子供と一緒に勉強したがっている、アメリカやヨーロッパじゃそうなんだよと言っているんです。これは明らかに言っているんです。これは今言っちゃっては本当はまずいんですけれども、そのときにもう一回ぶっつけますけれども、もうそれは人の親なら当たり前。  昭和五十六年には、鈴木総理は、教育委員会がやれメンツだあるいは学校のメンツで障害児は入れないとか入れるとかなんとかというのはとんでもない、親が一番の教育者じゃないか、親の判断で普通学校へ入れたいと思ったらなぜ入れないのだということをそのときの鈴木総理は言ったんです。そしたら、後すぐ田中文部大臣が、それは誤り的な発言をして、さらに文部省は各教育委員会へあの総理発言の真意はこうだみたいな注釈つきの何か説明書を配ったりしたものですから、いろいろちょっとまた停滞ぎみになったんですけれども、そういう意味でも交流教育の意義というのは次へのステップという形で私たちも大いに推進をしていきたい。  そういう意味では、一遍にすぐ統合ではなくて部分的統合、あるいは盲、聾、こういう教育と肢体不自由児、体の不自由な子供との教育のまたありようというものを、全体をひっくるめて考えるのじゃない柔軟な姿勢がこれからは大切だというふうにも思うわけですけれども、文部省が出した「交流教育の実際」という冊子が、先ほども見せましたけれども、あったんですけれども、「交流教育の意義」というタイトルで書かれた文がありまして、読んでまいりますと、「心身障害児とのふれあいは、早い時期に始めるほどよいといわれています。それは、心身障害児に対する誤解や偏見が生じていない時期に交流を行うことにより、自然な形で友達になることができるからです。」と、こういうすばらしい文言があるんです。今までの文部省はとてもこんな文言を考えるような文部省じゃなかった。非常にこれはいい文言なんです。「心身障害児とのふれあいは、早い時期に始めるほどよいといわれています。それは、心身障害児に対する誤解や偏見が生じていない時期に交流を行うことにより、自然な形で友達になることができるからです。」と、これは本当にすばらしい文言だと思うんです。  そして、表面で述べている以上に非常に重要なこれは警告をしていると思います。すなわち、心身障害児との触れ合いかなければいつの間にか誤解や偏見を子供たちが持ってしまうんですよと、こういう警告でも僕はあると思うんです。とはいえ、文章は次のようにまた続いておるんです。「しかし、たとえ誤解や偏見をもってしまった子供たちでも、交流の機会を重ねることによって、心身障害児に対する正しい理解へと導くことができると考えられます。」と、こういうぐあいに言っているわけです。全くそのとおりだと思うんです。しかし、子供たちに誤解と偏見を持たせない方がやっぱりベターであるということは言うまでもありません。とするならば、より早い時期からの交流というより、むしろ一貫した統合の方が答えはわかりやすいということではないかというような気がするんです、局長。  それで、適切な教育のために分離主義をとる、しかし分離したままではまずいので交流が必要だ、これが現在の私は文部省の率直な考え方であり、進め方だというように思うんです。これを逆にいたしますと、人間尊重の総合的な教育のために統合教育基本とする、しかし障害の種類、程度に即した特別指導のため分離方式による教育形態を併用すると、こうなると思うんです。そういう意味では交流教育が必要であると考えれば考えるほど、そしてまた交流教育の意義、目的、これまでの成果を評価すればするほど統合教育原則とする考え方の方に傾いていくことが当然の時代の流れではないか、私にはそう思えてなりません。あるいは交流教育という現在の形を積み上げていって、そこから統合教育へと徐々に切りかえていくという道も当然あるかもしれません。  そういう意味でも、ぜひ文部大臣がこの臨教審を一つのきっかけとして、文部大臣、私は文部大臣は五年ぐらい本当は大臣のいすに座っていないと真の教育はできないと思うんです。重要なポジションの大臣は、福祉あるいは教育あるいは外交。防衛庁あたりはいいです、ころころかわっても、この辺は。三本柱はしっかりと五年ぐらいのビジョンを持って大臣が座ってもらいませんと、私 は二十一世紀のあるいは日本のこれからの国際社会における一つの教育の中で太刀打ちできない、こういうように思うんですけれども文部大臣のひとつ、今までいろいろ私も述べてきましたが、率直な御意見、この辺は私とそんなには変わってはい。ないと思うんですけれども、いかがでございましょうか。
  269. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 私は、先生が大変この問題に対しまして御勉強もされておられますし、またそうした方々の御意見も十分踏まえて代弁者として国政で御活躍しておられる、大変敬意を表しておるわけでございます。  大臣になりまして私が一番先に、実はこの間初めの本会議にも、私は本会議の初答弁をしたのは先生の御質問なんです。初体験でございました、大分緊張しましたけれども。そのときに、本会議ですから余りはみ出して答えちゃいかぬということで、事務当局がつくりましたペーパーを本会議で大体熟読玩味してお答えをさせていただきましたけれども、どうしてもやっぱり言いたい気持ちになりまして、それで私は先生に申し上げたと思うんです。雪の中で中野の養護学校を私は視察に行ってきました。これは文部大臣として初仕事でございます。これは大変な雪の中でございましたけれども、本当に感動しました。もうあの子供たちが、私がだれかわからない人がいっぱいいるわけです。だけど、とにかく手を振って迎えてくれまして、教室を全部見させていただきました。一生懸命黙々とティッシュペーパーを入れる箱をつくっているんです。どういうものに使うのかということさえも恐らく理解していないのかもしれないと先生がおっしゃる。それでも一生懸命につくっておられる、一生懸命に火で焼いたりやっておられる。最後に、雪が大変降るのに玄関まで出てきてくれまして、みんな見送ってくれまして、大変感動を新たにいたしました。  そのときに、校長先生とちょっと幾つかのお話を交わしておりました中で、やっぱり非常に感動を覚えた先生のお話、私は先生方が何人がおられたので御苦労が多いでしょう、大変ですねというように、これは偏見でも何でもないんですが、同情のつもりでちょっと申し上げたら、先生がおっしゃるんです。教育をやってきて、この現場に来て初めて教育というのは何かというのがわかったと、こんな楽しいことないんです、こんなうれしいことありませんと。校長先生は、もう自分も定年近くてここが最後の仕事だと思うが、これからまだできれば十年でも二十年でもここでやっていきたいということまで校長先生が本当にまじめに私にそうおっしゃっておられました。  それくらい私もいろいろな話を伺って感激を幾つかしたわけですが、その中で一つ校長がおっしゃっておられたのは、この交流教育でございまして、近所の子供たちと一緒に、ほかの学校と一緒に交流をさせるととてもいいですと。それは、特に一般の学校の皆さんが初めて自分たちが健康であるということで大変に甘やかされてきた、この子たちはひたむきにこの厳しい、苦しい中でこんなに努力しておられるのだと、自分たちが今までやっていることが恥ずかしいというそういう感想文を、たくさん一般の学校でつくったその感想文をその学校の校長先生がわざわざ持ってきてくださった、非常にいいなという感じがしました。屈託なくこうやって交流をしていくこと、その話も私にしてくださいました。  今、先生と高石局長のやりとりを伺っておりまして、交流教育というもののすばらしさといいましょうか、まさに教育の真髄をあらわしているような感じがいたしまして、ぜひこうしたこともいろいろと御忠告もいただきながら、推進校をもっとふやせということなどもございます。もちろん、予算の問題もいろいろございますが、私どもとしては、十分先生の意を体して進めていきたいというふうに考えておりますし、また訪問教育等でもまだまだ足らざる点もございますから、いわゆる第五次定数改善計画の中にも十分そのことも踏まえて善処していきたいというふうにも思いますし、また訪問教育そのものについても、まだまだこれからの段階でございますから、そうした講習会なども開催をして、なお一層充実を図るようにしていかなきゃならぬ。また、訪問教員に対する、担当者に対する資質の向上にもなお一層文部省として留意をしていかなきゃならぬ。  こうしたことなども今、先生のお話を伺いながら感じた次第でございまして、まさに臨時教育審議会等で大事な事柄は、私は常々言っておるんです、二十一世紀というのはなかなか予測できないことだけれども、一番わかることは、高齢化社会になることだけははっきりしている。今九・八%いるいわゆる年金受給の資格者、この年齢層が間違いなく一五%に西暦二〇〇一年になるという、地域によっては八〇%ぐらいが高齢者の中に入るという市町村もふえてくるかもしれない、医療の形態から学校の形態まで変わってくるだろう、こういうことを国土庁なども数字を示しております。  そういう中で、いろんな制度やいろんな法律、これは大事なことです。それに対する財政の裏打ちも大事ですが、やっぱり一番大事なことは、その時代に生きる人たちが、先生のさっきからおっしゃっておられる心の豊かさと温かさでしょう。やっぱり健康な者はみずから自分たちで立ち上がる、まず自助努力でやっていく。そして、そうした恵まれない人たち、あるいはそうした障害を持つ人たちに対して覆いし思いやりをもっていく、手を差し伸べていく、こういう気持ちを持つまさに二十一世紀を担う人々が育ってくれなかったら高齢化社会は成り立たないというふうに私は感じておりますから、そうした全体的な心の教育ということを大事にしていくことも臨時教育審議会での大事な議論をしていく柱ではないだろうかということを私は期待もいたしておるわけでございまして、まさにそうしたことなどを踏まえて、先生のいろいろと御質問をいただきましたり、また御示唆を賜ったことなどは大変私どもとしては参考になる御意見である、十分そのことを大事に考えていきたい、こういうふうに私は感想も含めて申し上げさせていただきたいと思います。
  270. 前島英三郎

    前島英三郎君 いろいろこうして交流教育議論する中で明らかになってきたように、障害児教育の問題は決して障害児だけの問題ではないということなんです。それで、特殊教育の対象となっている児童生徒の数は全体の一%でありますから、つい百分の一の小さな問題だと考えられがちなんですけれども、私は決してそうじゃないと思うんです。九九%の子供たちは、一%の子供たちが同じ教室にいないということによって何を見失い、何を忘れてしまっているのか。子供たちばかりじゃなく、先生やあるいは子供たちの親もそうだと思うんです。そして、人間社会、完全参加と平等ですなんて幾ら笛や太鼓をたたいても、やっぱり学校社会の中が障害児と触れ合うことがないということは、また子供たちにとっても大変不幸なような気がするわけなんです。そういう意味では、障害児に対するいろんな交流によって、あるいは統合によって、むしろ健康な子供が学ぶというようなケースもいろいろ見ております。  さっき大臣は、中野の養護学校の話をされましたけれども、私は神奈川県の津久井中学校というところへ行きまして、実はそこに筋ジストロフィーという難病の中学生がおりまして、この子が初めてその津久井中学校というところにお父さんの転勤の都合で、教育委員会はいつもと同じょうに、平塚養護学校へ行きなさい、あなたは普通学校で学ぶ資格はないということだったんですが、どうしても平塚養護学校まで行くのには三時間もかかる、津久井の山の中ですから。そこで地元の近い学校に入れてくれと懇願しましたら、校長先生が、一切送り迎えはお父さん、お母さんがやりなさい、学校での排便、排尿も一切学校は関知しません、それでよかったら、しようがない、入れますという一札を入れて普通学校に入るわけです。  最初のうちは、子供たちは一体どうこの車いすの子供を迎えるのだろうと思って、その受け持ちの先生が、まず子供たちに重障児施設の子供たち の生きている姿というか、入所している姿を八ミリフィルムに撮って見せて、まず子供たちが率直に障害児にどういう感覚を持っているのかということを匿名で作文を書かしたのだそうです。すると、四十五人の生徒のうち二十人ぐらいが、どうしてこういう子供を生かしておくのだ、社会のためにならない、僕なら死んでしまう、みっともない、あれが人間かという、そういう作文を書いたわけです。この先生は、教育は田起こしから稲の刈り入れまでいろんなことでそれは教えたいこと、学ぶことはたくさんあるけれども、一体こんな子供でずっと育っていっちゃっていいのだろうかと、その受け持ちの先生は大変びっくりしたんです。むしろ、その子が早く入学してくれることを望んだ。  最初はどうだろう。最初はみんな奇異に感ずるんです。彼は筋ジスですから体がなえている。こう体に車いすから落ちないようにベルトをして、たすきをするようにして、お父さん、お母さんが学校へ連れてくる。最初は子供は遠巻きにするわけです。車いすなんて見たことがないわけです、さわったこともないんですから。しかし、一カ月たち、二カ月たっていくと、何でお父さん、お母さんは送り迎えしなければならないのだと。今度は、生徒というのは大人が考える以上に、いろんなことが子供の世界の中では新しい感覚として育ってくるわけです。それで、おれたちが当番をつくればいいじゃないかということで、先生知らない間に――先生はさわっちゃいけないというんです。何かあったら学校が何か弁償しなければならない、何か訴訟対象になる、けがでもしたら大変だということでやっているわけです。だけども、子供たちは学校の校長さんのそんな感覚、受け持ちの先生の感覚、周りの感覚なんというのは、どんどん新しいものを考えていっちゃう。それで、その子供と一緒に送り迎えする当番をつくった。  二年生になった。修学旅行です。ところが学校では、京都へ行くのにもし何か事故があったら困る、できたら辞退をしてもらいたい、これは学校側は当然思うわけです。校長先生は停年も間近ですから何か事故があっちゃ困る、こう思うわけです。だけども、生徒が今度は許さない。岩田君と言うんですけれども、この岩田君が行かないなら僕たちは修学旅行へ行かない、こうなっていくわけです。そうすると、岩田君は行かざるを得ない。いよいよ今度は修学旅行に行って、帰ってきて、中学三年のときに文化祭があって私が行ったんです。岩田君が車いすでみんなに押されて、だから車いすの扱いを全校生徒が覚えちゃっているわけです。行って、そのとき生徒会長さんから陳情書をもらった。京都へ行ったときに神社、仏閣に車いすで使えるトイレがない。あんな子供はなぜ生かしておくのだ、醜い、僕なら死んでしまう、社会のためにならないという作文を書いた生徒が、そのわずかな教育の中で統合したことによってこうなっていく。  一緒に高校受験するという二十五人がその近くの高校を受けるんです。受けて、彼は合格通知をもらって一週間後に、筋ジスロフィーであるがゆえに十六歳で命を捨てざるを得なかったんです。これは難病中の難病ですから、どうしても二十まで生きるというのは難しい。しかし、お父さん、お母さんは、この子は死に急ぎだけれども、この子にとって一番よかったことは、この普通学校で学んだことだった、いろんなことを知った。この生徒たちも遺稿集を書きましたけれども、何といたって義務教育で一番学んだことは、この岩田君と一緒に勉強できたことだったというんです。  そうしてみると、何か障害児が普通学校に入ろうとすると、あの江戸川の話でありませんが、足立区の金井康治君じゃありませんけれども、心のバリケードを張って、校長先生も、あんたはここの学校は入れないんだ、入れないんだということで七年間も頑張り通して、結果的には何とかレアケースで入れていただくような一つの形になりましたけれども、現実はそのくらい障害があるということでかたくなに学校は閉ざしているという部分がおるんですけれども、中にはそうして実践してひとつ門戸を開いたことによって実は多くの子供たちが救われたというふうなケースがあることを考えてみますと、私は、やっぱりこれからの教育はいろんな意味で、学校教育の中で学ぶものは決して教科書だけを主軸とするような教育の時代ではない。そういうものはむしろテレビやラジオやあらゆる社会の流れの中で大きく変わっていくわけですから、むしろ心を大切に育て合うような一つの教育、その教育の実践としては、まず私はこの統合教育というのをこの中で文部省が胸襟を開いて実践的にでも道を切り開くことによって、僕は大きく子供たちの命を大切にするとか、あるいは人のために何をするかとか、あるいはお年寄りを大切にするとか、弱い人に手を差し伸べるとかという教育は、どんなすぐれた教科書よりも、まずそういうところから私は大きな成果が上がってくるだろうと思うんです。  文部大臣が三つの要約した、家庭の問題あるいは学歴偏重というようなものも、そういうところからおのずと私は解決する糸口が見つけ出されるような気がいたしますので、そういう全体的な私の意見に対して別に御答弁は要りませんけれども、ぜひ今後そういう方向に文部省が胸襟を開いてくださることを心からお願いいたしまして、私のきょうの質問は終わりますけれども、実はやっぱりこの臨教審の問題で一番は大学共通一次の問題でありまして、そこで本当は共通一次の問題につきまして国大協の方に伺おうと思いましたら、風邪を引いてだれも出てこれないということでありました。何か非常に残念であります。実はそのこともあります。本当はあと残る三十分をそれでやるつもりだったんですけれども、御出席いただけませんから、何かざる方は風邪はもう二、三日で治るというようなこともちらっと伺いましたので、治ったときにこの続きをやらせていただくことを委員長さんに御配慮をお願いしまして、私の質問を終わりたいと思います。
  271. 高平公友

    委員長高平公友君) 両案についての質疑は、本日はこの程度にとどめます。     ―――――――――――――
  272. 高平公友

    委員長高平公友君) 参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  臨時教育審議会設置法案及び国民教育審議会設置法案の両案の審査のため、明三日午後一時から参考人の出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  273. 高平公友

    委員長高平公友君) 御異議ないと認めます。  なお、その人選等につきましてはこれを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  274. 高平公友

    委員長高平公友君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時五十三分散会      ―――――・―――――