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前島英三郎君 いろいろこうして交流
教育を
議論する中で明らかになってきたように、
障害児教育の問題は決して障害児だけの問題ではないということなんです。それで、特殊
教育の対象となっている児童生徒の数は全体の一%でありますから、つい百分の一の小さな問題だと
考えられがちなんですけれ
ども、私は決してそうじゃないと思うんです。九九%の子供
たちは、一%の子供
たちが同じ教室にいないということによって何を見失い、何を忘れてしまっているのか。子供
たちばかりじゃなく、先生やあるいは子供
たちの親もそうだと思うんです。そして、人間社会、完全参加と平等ですなんて幾ら笛や太鼓をたたいても、やっぱり学校社会の中が障害児と触れ合うことがないということは、また子供
たちにとっても大変不幸なような気がするわけなんです。そういう
意味では、障害児に対するいろんな交流によって、あるいは統合によって、むしろ健康な子供が学ぶというようなケースもいろいろ見ております。
さっき大臣は、中野の養護学校の話をされましたけれ
ども、私は神奈川県の津久井中学校というところへ行きまして、実はそこに筋ジストロフィーという難病の中学生がおりまして、この子が初めてその津久井中学校というところにお父さんの転勤の都合で、
教育委員会はいつもと同じょうに、平塚養護学校へ行きなさい、あなたは普通学校で学ぶ資格はないということだったんですが、どうしても平塚養護学校まで行くのには三時間もかかる、津久井の山の中ですから。そこで地元の近い学校に入れてくれと懇願しましたら、校長先生が、一切送り迎えはお父さん、お母さんがやりなさい、学校での排便、排尿も一切学校は関知しません、それでよかったら、しようがない、入れますという一札を入れて普通学校に入るわけです。
最初のうちは、子供
たちは一体どうこの車いすの子供を迎えるのだろうと思って、その受け持ちの先生が、まず子供
たちに重障児施設の子供
たち
の生きている姿というか、入所している姿を八ミリフィルムに撮って見せて、まず子供
たちが率直に障害児にどういう感覚を持っているのかということを匿名で作文を書かしたのだそうです。すると、四十五人の生徒のうち二十人ぐらいが、どうしてこういう子供を生かしておくのだ、社会のためにならない、僕なら死んでしまう、みっともない、あれが人間かという、そういう作文を書いたわけです。この先生は、
教育は田起こしから稲の刈り入れまでいろんなことでそれは教えたいこと、学ぶことはたくさんあるけれ
ども、一体こんな子供でずっと育っていっちゃっていいのだろうかと、その受け持ちの先生は大変びっくりしたんです。むしろ、その子が早く入学してくれることを望んだ。
最初はどうだろう。最初はみんな奇異に感ずるんです。彼は筋ジスですから体がなえている。こう体に車いすから落ちないようにベルトをして、たすきをするようにして、お父さん、お母さんが学校へ連れてくる。最初は子供は遠巻きにするわけです。車いすなんて見たことがないわけです、さわったこともないんですから。しかし、一カ月
たち、二カ月たっていくと、何でお父さん、お母さんは送り迎えしなければならないのだと。今度は、生徒というのは大人が
考える以上に、いろんなことが子供の世界の中では新しい感覚として育ってくるわけです。それで、おれ
たちが当番をつくればいいじゃないかということで、先生知らない間に――先生はさわっちゃいけないというんです。何かあったら学校が何か弁償しなければならない、何か訴訟対象になる、けがでもしたら大変だということでやっているわけです。だけ
ども、子供
たちは学校の校長さんのそんな感覚、受け持ちの先生の感覚、周りの感覚なんというのは、どんどん新しいものを
考えていっちゃう。それで、その子供と一緒に送り迎えする当番をつくった。
二年生になった。修学旅行です。ところが学校では、京都へ行くのにもし何か事故があったら困る、できたら辞退をしてもらいたい、これは学校側は当然思うわけです。校長先生は停年も間近ですから何か事故があっちゃ困る、こう思うわけです。だけ
ども、生徒が今度は許さない。岩田君と言うんですけれ
ども、この岩田君が行かないなら僕
たちは修学旅行へ行かない、こうなっていくわけです。そうすると、岩田君は行かざるを得ない。いよいよ今度は修学旅行に行って、帰ってきて、中学三年のときに文化祭があって私が行ったんです。岩田君が車いすでみんなに押されて、だから車いすの扱いを全校生徒が覚えちゃっているわけです。行って、そのとき生徒会長さんから陳情書をもらった。京都へ行ったときに神社、仏閣に車いすで使えるトイレがない。あんな子供はなぜ生かしておくのだ、醜い、僕なら死んでしまう、社会のためにならないという作文を書いた生徒が、そのわずかな
教育の中で統合したことによってこうなっていく。
一緒に高校受験するという二十五人がその近くの高校を受けるんです。受けて、彼は合格通知をもらって一週間後に、筋ジスロフィーであるがゆえに十六歳で命を捨てざるを得なかったんです。これは難病中の難病ですから、どうしても二十まで生きるというのは難しい。しかし、お父さん、お母さんは、この子は死に急ぎだけれ
ども、この子にとって一番よかったことは、この普通学校で学んだことだった、いろんなことを知った。この生徒
たちも遺稿集を書きましたけれ
ども、何といたって
義務教育で一番学んだことは、この岩田君と一緒に勉強できたことだったというんです。
そうしてみると、何か障害児が普通学校に入ろうとすると、あの江戸川の話でありませんが、足立区の金井康治君じゃありませんけれ
ども、心のバリケードを張って、校長先生も、あんたはここの学校は入れないんだ、入れないんだということで七年間も頑張り通して、結果的には何とかレアケースで入れていただくような一つの形になりましたけれ
ども、現実はそのくらい障害があるということでかたくなに学校は閉ざしているという部分がおるんですけれ
ども、中にはそうして実践してひとつ門戸を開いたことによって実は多くの子供
たちが救われたというふうなケースがあることを
考えてみますと、私は、やっぱりこれからの
教育はいろんな
意味で、学校
教育の中で学ぶものは決して教科書だけを主軸とするような
教育の時代ではない。そういうものはむしろテレビやラジオやあらゆる社会の流れの中で大きく変わっていくわけですから、むしろ心を大切に育て合うような一つの
教育、その
教育の実践としては、まず私はこの統合
教育というのをこの中で文部省が胸襟を開いて実践的にでも道を切り開くことによって、僕は大きく子供
たちの命を大切にするとか、あるいは人のために何をするかとか、あるいはお年寄りを大切にするとか、弱い人に手を差し伸べるとかという
教育は、どんなすぐれた教科書よりも、まずそういうところから私は大きな成果が上がってくるだろうと思うんです。
文部大臣が三つの要約した、家庭の問題あるいは学歴偏重というようなものも、そういうところからおのずと私は解決する糸口が見つけ出されるような気がいたしますので、そういう全体的な私の
意見に対して別に御
答弁は要りませんけれ
ども、ぜひ今後そういう方向に文部省が胸襟を開いてくださることを心からお願いいたしまして、私のきょうの
質問は終わりますけれ
ども、実はやっぱりこの
臨教審の問題で一番は
大学共通一次の問題でありまして、そこで本当は共通一次の問題につきまして国大協の方に伺おうと思いましたら、風邪を引いてだれも出てこれないということでありました。何か非常に残念であります。実はそのこともあります。本当はあと残る三十分をそれでやるつもりだったんですけれ
ども、御出席いただけませんから、何かざる方は風邪はもう二、三日で治るというようなこともちらっと伺いましたので、治ったときにこの続きをやらせていただくことを
委員長さんに御
配慮をお願いしまして、私の
質問を終わりたいと思います。