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1984-07-26 第101回国会 参議院 内閣委員会 第18号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十九年七月二十六日(木曜日)    午前十一時二十四分開会     ―――――――――――――    委員異動  七月二十四日     辞任         補欠選任      峯山 昭範君     高桑 栄松君  七月二十五日     辞任         補欠選任      菅野 久光君     野田  哲君      高桑 栄松君     峯山 昭範君      藤井 恒男君     関  嘉彦君  七月二十六日     辞任         補欠選任      野田  哲君     菅野 久光君     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     委員長         高平 公友君     理 事                 亀長 友義君                 坂野 重信君                 小野  明君                 太田 淳夫君     委 員                 板垣  正君                 岡田  広君                 源田  実君                 沢田 一精君                 林  寛子君                 林  ゆう君                 桧垣徳太郎君                 堀江 正夫君                 穐山  篤君                 菅野 久光君                 矢田部 理君                 橋本  敦君                 関  嘉彦君                 前島英三郎君    委員以外の議員        発  議  者  久保  亘君    国務大臣        文 部 大 臣  森  喜朗君        国 務 大 臣        (内閣官房長官) 藤波 孝生君        国 務 大 臣        (総務庁長官)  後藤田正晴君    政府委員        内閣法制局長官  茂串  俊君        総務庁行政管理        局長       古橋源六郎君        総務庁行政監察        局長       竹村  晟君        法務大臣官房審        議官       濵  邦久君        法務省刑事局長  筧  榮一君        文部政務次官   中村  靖君        文部大臣官房長  西崎 清久君        文部大臣官房総        務審議官        兼内閣審議官   齊藤 尚夫君        文部省初等中等        教育局長     高石 邦男君        文部省教育助成        局長       阿部 充夫君        文部省高等教育        局長       宮地 貫一君        文部省社会教育        局長       宮野 禮一君        文部省体育局長  古村 澄一君    事務局側        常任委員会専門        員        林  利雄君    説明員        文部大臣官房文        教施設部長    佐藤  讓君        農林水産省畜産        局食肉鶏卵課長  鎭西 迪雄君        建設省都市局都        市計画課長    鈴木 政徳君        建設省住宅局市        街地建築課長   久保 敏行君        会計検査院事務        総局第二局審議        官        黒田 良一君    参考人        奈良大和郡山        市と畜場建設反        対期成同盟会長  中川 義隆君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○臨時教育審議会設置法案内閣提出、衆議院送  付) ○国民教育審議会設置法案久保亘君外二名発議  )     ―――――――――――――
  2. 高平公友

    委員長高平公友君) ただいまから内閣委員会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  昨二十五日、藤井恒男君が委員辞任され、その補欠として関嘉彦君が選任されました。     ―――――――――――――
  3. 高平公友

    委員長高平公友君) 次に、参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  臨時教育審議会設置法案及び国民教育審議会設置法案の両案の審査のため、本日の委員会奈良大和郡山と畜場建設反対期成同盟会長中川義隆君を参考人として出席を求めることに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 高平公友

    委員長高平公友君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ―――――――――――――
  5. 高平公友

    委員長高平公友君) 臨時教育審議会設置法案及び国民教育審議会設置法案の両案を一括議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  6. 橋本敦

    橋本敦君 私は、まず今重大な問題になってきております大学並びに文部省にかかわる汚職問題、これを糾明しなくてはならぬという立場から質問を始めたいと思うのであります。  最初に、文部大臣に伺っておきたいと思いますが、戦後、文部省の歴史で検察庁あるいは警察の司直の手による強制捜査文部省本省が受けるというような事態、あるいは本省から汚職という忌まわしい犯罪で逮捕者を出すという事態がこれまでにあったでしょうか。
  7. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 一昨年、残念なことでありますが、文化庁関係でやはり刑事捜査当局捜査が行われ、逮捕者が出たという経緯がございます。
  8. 橋本敦

    橋本敦君 それは私も知っております。  文部省会計という財政の機能の中枢、ここにかかわる事件はここのところ初めてではありませんか。
  9. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 御指摘のとおりでございます。今回が初めてでございます。
  10. 橋本敦

    橋本敦君 しかも、この問題は今重大な段階になりつつあります。今どういう事態にこの事件が発展しようとしているか。一つ大阪大学事件が発覚したわけですが、今や大阪大学だけの問題にとどまらない。まさに、この事件の主舞台は文部省本省にと移りつつあるということであります。もう一つ事件広がりについて言うならば、 大阪大学にとどまらないで、その他の大学にも事務機購入をめぐって波及しつつあるということであります。こういう広がりがある。そしてまた、文部省本省中枢にかかわってきつつあるというこの事件重大性について、まず最初に、文部大臣はどう認識されておられるか、簡単でいいですから、この点を伺いたいと思います。
  11. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) ただいま橋本先生から御指摘をいただきましたが、大阪大学経理部長、また文部省会計課総括予算班主査、さらに引き続き一昨日、文化庁会計課長がそれぞれ収賄容疑逮捕されました。まことに私にとりましてもショッキングな事件でもございましたし、正直申し上げて、まさかと思っておりましただけに残念でいたし方ございません。先生からも御指摘ございましたように、文教行政が大変重要な課題を抱えております。そしてまた、国民から大変大きく教育に寄せられる関心の高いときでございますだけに、国民信頼を著しく損なうものであるというふうに私も受けとめておりまして、極めて遺憾であるというふうに考えております。  先般、衆参文教委員会でも私は陳謝を申し上げましたが、当内閣委員会におきましても、臨時教育審議会の御審議をいただき、教育に寄せる最大の皆様方の深い御関心をいただき、大事な国政の重要課題として教育問題の御論議をいただいているこの内閣委員会の諸先生方に対しましても、まことに申しわけなく存じております。委員会を通じまして、国民皆様方にも深く私はおわびを申し上げたい気持ちでいっぱいでございます。  事実関係解明は既に捜査当局にゆだねられておりますので、もちろん私どもとしても解明をしなきゃならぬ面もたくさんございますが、事柄の筋としては捜査当局解明を待つということが正しいのではないか、こう考えております。しかし、文部省といたしましても、予算上の仕組み、あるいは購入物件予算配分、あるいはまた人事綱紀の面、こうしたことについては対応しなきゃなりませんので、直ちに事務次官を長といたしまして検討委員会というものを設けてございまして、なお、本件につきましてもさらに検討いたしました結果、二十三日から三つ部会に分けまして、一つ予算事務処理体制、もう一つ人事綱紀、もう一つ契約事務処理体制、この三つ部会に分けまして、今その解明体制を整えて調査をいたしておる段階であります。  一昨日も、私はもっと急いでそのことは早く国民の前に明らかにして、文部省としての対応を具体的に明らかにするということは大変急がれている問題であろう、こういうふうに指示をいたしたところでございます。ただいま私を中心といたしまして、省員一丸となってこの不祥事の根絶に取り組み、一日も早く国民信頼を回復いたしたい、このように考えて不退転決意努力をいたしておるところでございます。もちろん、捜査当局事件解明等々の結果を見てでございますけれども、私初め全体として責任を十分痛感しておる、本人等の処分を含めてそのことも十分考えていかなければならぬ、こういうふうに考えております。  再度、先生方を通じまして、御心配をちょうだいいたしておりますことを心からおわび申し上げる次第でございます。
  12. 橋本敦

    橋本敦君 今、大臣答弁がありましたが、大臣お話の中で、これから私もさらにお尋ねをする幾つかの課題があります。それは後にいたしまして、刑事局長は十一時半に法務委員会に行っていただくという約束で来ていただいておりまして、後で濱審議官におかわりいただくことになっておりますが、刑事局長一言まず伺っておきたいと思います。よろしゅうございますか。  一つは、けさテレビ報道では、この事件全国で九十はある国立大学のうち三十大学ぐらいに波及するのではないか、そして捜査当局がそのうち十二、三の大学に既に事情聴取に入ったという報道、こういう報道も出ているわけであります。そこで、今、鋭意捜査を続行されておられますけれども、この教育界に起こった重大な汚職事犯について、私は一つ不退転決意で徹底的な捜査をやってもらいたい、このことを強く希望するのでありますが、検察当局のこの事件に対する取り組みの姿勢、そしてどういう状況で今拡大しつつあるか、けさテレビ報道にも触れて、一応話せる範囲捜査状況お話しいただきたいと思います。
  13. 筧榮一

    政府委員筧榮一君) お答え申し上げます。  現在までの捜査状況の概要でございますが、六月十九日、御承知のように、大阪地検大阪大学経理部長中曽根武収賄、それからオリエンタルマシン代表取締役辻宏志贈賄逮捕いたしまして、七月九日にそれぞれ公判請求をいたしております。  それから七月十三日に、文部省会計課総括予算班主査鳥野見博収賄逮捕いたしますとともに、オリエンタルマシン辻宏志代表取締役鳥野見に対する贈賄罪で再逮捕をいたしました。  また、二十四日には、文化庁長官官房会計課長田中潤佑収賄罪逮捕いたしました。  いずれも、身柄勾留の上、現在、鋭意捜査中でございます。  今、先生指摘の三十大学に波及ということでございますが、捜査の具体的な内容については現在捜査中でございますので差し控えさせていただきたいと思いますが、事案の性質上、関係大学に必要な範囲事情聴取等を行っているものと考えております。  この事件につきましては、大阪地検挙げて取り組んでいるわけでございますが、実態解明し適切な措置を講ずべく、今、鋭意努力をしておるところでございます。
  14. 橋本敦

    橋本敦君 刑事局長一言。  オリエンタルマシン幾つ大学に機器を納入しているか、この範囲はつかんでおられると思いますが、その数はどうですか。
  15. 筧榮一

    政府委員筧榮一君) 大阪地検では当然必要な範囲捜査をしておると思いますが、その数については具体的内容にわたりますので、差し控えさせていただきたいと思います。
  16. 橋本敦

    橋本敦君 この起訴事実を見ましても、あるいは被疑事実の記載を見ましても、例えば鳥野見に対する被疑事実では、国立大学に購入してもらうために有利、便宜な取り計らいを云々、こうありまして、大学の数は特定しておりません。また、辻について言うならば、大阪大学という特定はありますけれども田中については九州大学等ということで、九州大学以外にもあることを示唆しております。  したがって、端的に伺いますが、捜査は徹底的になさっていると思いますが、問題が今明らかになっている大阪大学九州大学、この二つに限らず、その関係する大学については鋭意捜査中である、この二つに限らないということは間違いありませんね。
  17. 筧榮一

    政府委員筧榮一君) 御指摘のように、本件被疑事実が国立大学に納入される物品に関するものでございますので、今御指摘大学以外でも必要な範囲に応じては事情聴取等捜査をしているものと考えております。
  18. 橋本敦

    橋本敦君 刑事局長、ありがとうございました。あと濱審議官の方にお願いすることにいたします。  そこで、文部省に伺いますが、オリエンタルマシン納入大学の数、前回も話がありましたが、もう一度正確に何校であるか言ってください。
  19. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 前回申し上げました点では、五十八年度ワープロ購入予算を追加配分示達した国立大学ということで申し上げたわけでございます。  これは、大阪大学以外に十八大学ございます。具体的に申し上げますと、小樽商科大学、弘前大学、岩手大学、東北大学、秋田大学、山形大学、筑波大学、東京外国語大学、横浜国立大学、金沢大学、岐阜大学、滋賀大学、京都大学大阪大学――先ほど大阪大学以外と申し上げましたが、大阪外国語大学、神戸商船大学、和歌山大学佐賀大学、宮崎医科大学、以上でございます。
  20. 橋本敦

    橋本敦君 追加配分予算以外に当初予算を含めてオリエンタルマシンから購入している大学はもっとあると思いますが、それは調べていますね。その数を言ってください。
  21. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) ただいま申し上げました大阪大学を含めて十九大学につきまして、これらの大学オリエンタルマシン社から買ったかどうかについては、書類上で事実の把握を私ども現在差し控えておるということは前回も申し上げさせていただきました。  ただいま先生の御指摘の、当初予算オリエンタルマシンから買った大学の名前につきまして、実はこの点につきまして私ども大阪大学事件が発生して全体調査を開始しておった次第でございますが、それらも含めて現在事実関係調査を全体差し控えておるという現状でございます。
  22. 橋本敦

    橋本敦君 なぜ差し控えるんですか。
  23. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 実は、その点につきましては、前回も申し上げたわけでございますが、非公式なことではございましたが捜査当局から、各大学関係について文部省からの問い合わせ、そして照会等については、捜査の都合もこれありであるので、捜査めどがつくまでしばらく差し控えてほしいというふうな要請がございました。その点で調査を差し控えておるわけでございます。
  24. 橋本敦

    橋本敦君 法務省に伺いますが、文部省自体がみずから、事件の外縁から核心に迫るいろいろなプロセスがありますが、調査をする責任が当然あるということはこれは私ども考えておるわけですが、そういう文部省みずからの調査をするということに当たって、今おっしゃったように、法務省の方が捜査めどがつくまで文部省独自の調査待てと言うのは、これはどうでしょうか。そういう指示をなさったんでしょうか。法務省、来ておられますか。
  25. 濵邦久

    政府委員濵邦久君) ちょっと恐縮でございますが、政府委員交代いたしましたので、別の委員会出席しておりましたので、御質問をもう一度お願いいたします。
  26. 橋本敦

    橋本敦君 わかりました。今お入りになったばかりですから、もう一度聞きます。  実は、文部省自体が今度の事件についてみずから可能な範囲調査をするというのは当たり前だと思うんです。その調査をみずからやろうとしたら、法務省の方から捜査めどがつくまで待った、文部省独自の調査として各大学への問い合わせ、例えばオリエンタルマシンから当初予算ワープロ何台、幾らで買ったかというようなことも含めて聞くのは待ちなさいと検察当局指示があった、こういう話があった。私は、そういうことは異常な事態だ、法務省がそんな指示をなさるということはこれはおかしいというように思わざるを得ないんですが、今お着きになったばかりですが、そういう事実があるのかないのか、まずそこからお伺いします。
  27. 濵邦久

    政府委員濵邦久君) ちょっと私、おくれて参りましたので、御質問の御趣旨をよく聞いておりませんので、あるいはお尋ね趣旨を私取り違えている点がございますればまた御指摘いただきたいと思いますが、今のお尋ねは、要するに法務当局の方から……
  28. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 委員長前段のことでちょっと。  ただいま橋本先生からのお話で、法務省からというふうには私は申し上げておらないわけでございまして、捜査当局からというふうに申し上げておるわけでございます。
  29. 橋本敦

    橋本敦君 失礼、捜査当局だそうです。そうすると、検察も含む話ですね。
  30. 濵邦久

    政府委員濵邦久君) 私の方では、今御質問にございましたようなことについては報告を受けておりません。
  31. 橋本敦

    橋本敦君 そうすると、検察庁関係ではないということが明確になったわけで、捜査当局というと警察ということ以外に考えられぬですね。そういうことですか。
  32. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 先ほど申し上げましたとおり、私どもの方には、非公式ではございますが、大阪捜査当局から電話によりましてそのようなお話があった経緯がございます。
  33. 橋本敦

    橋本敦君 これは警察庁を呼んでもらわないと話ができません。検察庁はそういう指示はしていないことがはっきりしました、あと捜査権限を持っておるのは警察しかないんですから。
  34. 濵邦久

    政府委員濵邦久君) 私申し上げましたのは、私の方で今御質問にございましたような事実について報告を受けていないということ、確認していないということを申し上げているわけでございます。
  35. 橋本敦

    橋本敦君 それじゃ、はっきり言ってください。検察官なのか警察なのか、どっちですか。いずれはっきりするんですから。
  36. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 大阪検察官からの電話によるお話でございます。
  37. 橋本敦

    橋本敦君 検察官のようであります。  今、警察官とおっしゃった。どちら。
  38. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 検事さんでございます。
  39. 橋本敦

    橋本敦君 検事さんということのようでございます。  ですから、報告は受けていらっしゃらないということですが、こうなりますと、私は法務大臣に御出席いただいてこの見解は私は聞かねばならぬ、こう思います。だから、そういう意味で法務大臣への質問は留保しますが、とりあえず、検察官だということははっきりしましたので、報告は受けていらっしゃらないけれども、そういうことが本当に検察官としてあり得ていいのだろうか、そしてまた文部省みずからが独自に真相解明することをそういうことで妨げでいいのだろうか、どうお考えになりますか。
  40. 濵邦久

    政府委員濵邦久君) たびたび私申すようでございますが、おくれて参りましたので、前段質問の詳細を私理解できておりませんので、もしお許しいただけるなら、もう一度その点について事実関係を御説明いただければ、私の方でもう一度お答えできる範囲お答えさせていただきたいと思いますが。
  41. 橋本敦

    橋本敦君 委員長、どうしましょう。私、同じ質問を繰り返したら時間がかかります。時間に入れないというなら私やります。
  42. 高平公友

    委員長高平公友君) 質疑を続けてください。
  43. 橋本敦

    橋本敦君 同じ質問を何遍も繰り返したら貴重な時間がなくなりますが、答弁者質問を繰り返してくれとおっしゃるのだから、私は繰り返します。しかし、同じことを言うのはこれは時間がもったいないから、その点を配慮してくださいと委員長にお願いしたわけです。私は、無理な要求じゃないと思います。  そこで、検察官が、文部省が独自で真相解明をしようと努力されているその努力に対して待ちなさい、待ったをかけるということがあっていいだろうか、簡単に言えばこれだけのことですから、お答えいただいたらいいんです。
  44. 高平公友

    委員長高平公友君) ひとつ、はっきり言ってください。
  45. 濵邦久

    政府委員濵邦久君) この事件の具体的事実について、先ほど申しましたように、私確認しておりませんけれども一般論として申しますれば、例えば検察官事件捜査に着手いたしました場合に、その関係者につきまして捜査協力をお願いするということはあるわけでございます。そういう趣旨のことがあるいは誤解されて今御質問趣旨のようにお伝えいただいているのかもしれないと思いますが、一般論としては、先ほど申しましたように、捜査関係者に対して協力をお願いするということはいろんな角度からあると思うわけでございます。
  46. 橋本敦

    橋本敦君 いかがですか。捜査協力してくれということで言ったとおっしゃるんです。ですから、必要な書類を提出する、捜査協力する、それは結構です。だから、独自の解明をやめなさいとは決しておっしゃっていないということです。調査をやってくれますか、私が質問したことについて、この次までに。
  47. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) この点につきまして は、昨日の衆議院の文教委員会におきまして同様の御質疑がございました。法務省刑事局刑事課長も御出席でございまして、そのときのお答えにおきまして、文部省検察当局と別の立場で独自の調査をなさることはそれは文部省として当然であろう、しかし捜査が現在進行中であり、捜査めどがつくまでその点についての文部省調査自体を差し控えていただくということはあり得ることであるというふうなお答えはございました。しかし、現時点で先生からもそういう御指摘があり、法務省当局の本日のお答えもあったわけでございますから、私どもとしては全国関係における調査をさせていただきたいというふうに考えております。
  48. 橋本敦

    橋本敦君 結構です。  だから、その調査を遂げられた上で、次回に私が質問をするときまでに文部省調査の結果を、このオリエンタルマシンがここ四年間にわたって国立大学のどこに、当初予算及び未配分予算それぞれ分けて、ワープロをどういうように、あるいは他の事務機をどういうように納入しているか、その実態報告をいただきたいと思います。よろしゅうございますね。
  49. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 捜査当局に私ども関係書類を提供しているものもございますし、それから関係大学において提供させておるものもございますので、私どもが把握し得る限りの書類に基づきまして御指摘調査はさせていただきたい、こういうふうに考えております。
  50. 橋本敦

    橋本敦君 したがって、大臣、先ほど大臣お答えの中で、真相解明捜査当局捜査があるので大分後になりそうだというように聞こえかねない話がありました。そうではなくて、捜査への全面協力とともに、みずからも可能な範囲で徹底的に真相解明に全力を挙げる、これは当然だと思いますが、大臣いかがですか。
  51. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 既に、捜査当局が事実関係解明をいたしておるところでございますから、ここに基本的にはお任せをするというのが筋で、また文部省といたしましても捜査当局にできる限り御協力を申し上げるということが正しい、こう考えております。  しかし、その判断といいましょうか、解明はどの程度かかるのか、これは私どもわかりませんが、文部省といたしましては、先ほど申し上げたように、先生お話にもございましたように、予算の留保の問題とか、あるいは契約事務処理体制とかということについてはできるだけ早く解明をし、新しい環境をつくり上げなきゃならぬ、こう考えますから、その点については関係大学あるいはいろんなところの調査も当然文部省として進めたいと思いますが、一つ間違えますと捜査の妨げになるようなことになってはいけない、これを官房長が配慮いたしておるところでございます。文部省といたしましては、事務体制あるいは予算留保の問題、この点の新しい仕組みというものを十分考えなきゃなりませんので、そういう面からいえば文部省当局としての解明は急いで進めていくことは当然であろうというように考えております。
  52. 橋本敦

    橋本敦君 これだけの重大な事件が起こっているわけですから、しかも今教育問題が論議されているさなかですから、徹底的に解明するという誠意を文部省は当然国民の前に明らかにすべきだし、そのことの解明なくして私は臨教審のこの問題をすらすらと討議していくというような、そんな甘いものじゃないと思います、この事件の重大な意味というのは。いやしくも、教育畑で文部省中枢が、これが汚職にまみれたなんというのは前代未聞です。  しかも、私が極めて許せぬと思うのは、わいろの受け渡しをどこでやっているかというんです。役所でやっているという事実が新聞で報道されているでしょう。文部省や、文化庁会計課や、その他の役所は、わいろの受け渡しを公然とできるような、そんな状況になっておるんですか。こういうことに徹底的にメスを入れずして、何が教育改革かと言いたくなりますよ。  審議官に伺いますが、実際の金品の授受がどの場所で行われたかということを明確にしていただきたいんですが、おわかりですか。
  53. 濵邦久

    政府委員濵邦久君) 事実関係の詳細につきましては、現段階お答えできるだけの資料を準備しておりませんので、差し控えさせていただきたいと思います。
  54. 橋本敦

    橋本敦君 例えば、中曽根の公訴事実を見ましても、五十八年二月十八日から五十九年五月十六日ごろまでの間、何と前後十三回にわたって金品の受け渡しがやられている。これは公訴事実として特定しているんです。だから、金品の授受がなされた場所についても、公訴事実として十三回ということまで公に特定されておるんですから、いずれ公判で明らかになるけれども、これは例えば新聞で報ぜられているように、女性名義の口座に振り込ませた事実がある、あるいは大学で受け渡した事実がある、こういうことについて、全部十三回特定せよとは言いません。今私が指摘したような事実も含まれているのかどうか、これぐらいは明らかにしていただかなくちゃいかぬと思いますが、どうですか。
  55. 濵邦久

    政府委員濵邦久君) 今、委員指摘のように、銀行の普通預金口座あてに振り込み送金が行われたという事実もございます。
  56. 橋本敦

    橋本敦君 もう一つ田中について。  この文化庁の官房会計課長であったこの本人については、文化庁の役所で現金の受け渡しをした事実があるというように報道されていますが、これも回数、金額特定しませんが、場所についてはそれもあったという事実は間違いないのじゃありませんか。
  57. 濵邦久

    政府委員濵邦久君) 被疑田中潤佑の被疑事実についての御質問でございますけれども、この事実につきましては、委員御案内のとおり、先般二十四日に逮捕、勾留しているばかりの事実でございますので、まだ詳細なことは申し上げられる段階ではございませんが、被疑事実の中には大臣官房会計課において授受が行われたという事実もございます。
  58. 橋本敦

    橋本敦君 これ以上多くを聞きませんけれども大臣お聞きのとおりです。間違いないでしょう。自分の勤務場所である文化庁、しかも汚職犯罪です、そこでわいろをもらっている事実がある。これは私は絶対に軽々に見逃しちゃならぬ重大な事実だと思うんです。官庁の綱紀粛正を歴代内閣も言ってきました。事もあろうに文部省、まさに子供たちに品性と道徳教育を、そしてまた豊かな情操をと常々おっしゃる文部省文化庁も含めて、その役所がわいろの受け渡し場所になるというのは私は恐らく前代未聞と言って過言ではない、こう思います。  そこで、文部省に伺いますが、このオリエンタルマシンという会社はどういう会社か調べられましたか。簡単に言ってください。知っていますか、知っていませんか。少しは調べてみましたか。
  59. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) オリエンタルマシン社について申し上げますと、資本金九百万円、従業員六名でございまして、現在私どもが相手方として承知しておりますのは、大阪大学における関係として資格審査の関係で申しますとC等級というふうなことで、契約の相手方としては一応の有資格者であるというふうな関係を承知いたしております。
  60. 橋本敦

    橋本敦君 C等級を説明してください。
  61. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 契約におきまして五百万円以下の物品の契約についての有資格者というふうな関係で押さえられておるようでございます。
  62. 橋本敦

    橋本敦君 お伺いしますが、阪大のワープロは総額で何ぼでしたか。大阪外大に納めたワープロの総額は何ぼですか。五百万以下の契約で済んでいますか、どうですか。
  63. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 大阪大学におきましてのワープロの購入台数は全体で四十三台にわたっておる。私ども金額として把握いたしておりますのは、六千万円余というふうに承知いたしており ます。
  64. 橋本敦

    橋本敦君 五百万円以下というCどころじゃないですね。いかがですか。こういう便宜を図っているんですよ。本当なら、Cクラスと文部省は認定しているのだから、五百万以下の契約しか認めちゃならぬ。ところが、大阪大学の場合は、Cクラスどころか六千万円の随意契約を悠々と認めている。こういう便宜をだれが図ったのかというところに今度の本質の重大な問題があるんです。それを図ったのは中曽根であり、田中であり、鳥野見なんですから、だから検察庁の公訴事実で、大学事務機を納入するについて予算の配賦等に有利、便宜な取り計らいを得たことに対する礼として金を渡した、将来得ることを目的として金を渡した、こうあるのはそのとおりなんです。国がみずから内規で決めたことさえ、予算を総括する責任にある者がみずから五百万という枠を悠々とオーバーしてやることの便宜を図って、それで自分のわいろをもらう、これは何ということですか。  さらに伺いますけれども、このオリエンタルマシンという会社は、実は今おっしゃったようにたった六人、資本金九百万、小さな会社ですが、昭和五十七年ごろまでは赤字だ、倒産だということを繰り返してきた。ところが、五十八年以後急成長を遂げて今や年商二億円、こうなっている。こういう事実を調べられましたか。
  65. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) そのような関係報道その他においては承知いたしておりますが、具体的には私ども調査いたしておりません。
  66. 橋本敦

    橋本敦君 わいろ工作が始まって急成長を遂げたという状況があると見てよいようですね。  もう一つ、このオリエンタルマシンは取引先はどこか。ほとんどが文部省国立大学系とほかは一般官庁、こう言われています。そうしますと、中央官庁のどこにオリエンタルマシンのどういう機械が入っているか、一応これは目を光らして調査をしてみる必要がある。そして同時に、直ちに中央諸官庁に対して、こういうオリエンタルマシンとの契約は今後一切まかりならぬ、Cどころか指名業者、資格から全部排除するという処置をとりあえずとるべきだ、私はこう思います。  その点については、官房長官まだいらっしゃらないので、綱紀粛正にも責任を負ってこられました総務庁長官、今私が申し上げましたようなことについてどのような処置をなさるか、お尋ねしたいと思います。
  67. 後藤田正晴

    国務大臣後藤田正晴君) 公務員の綱紀粛正、従来から政府としては、しばしば部内に、それぞれの官庁で厳重な指導監督をしてもらいたいということは努力しておるわけでございます。しかしながら、こういった不祥事が起きることは本当に国民に対して申しわけない、こう思います。今度の事件については、先ほど文部大臣お答えになったとおりの気持ちを私自身も持っております。  ただ、私の立場、これは総務庁の立場お答えをいたしますれば、やはりこの種の事件は、一つ人事管理の問題がある。この人事管理で気をつけなければならぬことは、契約当事者なんというのは相当な専門知識が要りますから、ある程度の勤務期間というものはこれは必要なんです。しかし、さればといって余り同じような仕事に同じ人間がつくことは適当でない。これは時々配置転換をする必要がある。  それからもう一つは、行政の仕組み。どうしてもこういう場合には一人に権限を集中させてはいかぬ。やはり相互牽制の仕組みを各官庁がとらなければなかなか防ぎ切れないような事態が起こりやすいということではないのか。  それからもう一つは、契約のやり方なんです。御案内のように、いろいろな契約のやり方がありますけれども、随契というものは、これはよほどの場合でなければいかぬのじゃないか。競争入札、指名競争とかいろんなのがありますから、そういうようなこと。そして、その業者の選定、これはやっぱり役所が真剣に調べれば大体見当がつくわけですから、そういうようなことが必要なのではないか。  それからもう一点重要なことは、御案内のように、役所にはいわゆる資格者という者と、そうでない下から上がってこられる大変実務に明るい、大分苦労をする、しかしながら必ずしも役人としての地位はおのずから限界がある者、こういったような従来の人事のあり方、これらについては先に希望を持たさないと人間ですから弱点が出てくる、こういうことを注意する必要があるのではないか。  これは私どもの役所の役割でございますから、こういった事件、本当に申しわけありませんので、今後とも政府としては真剣に取り組んでいきたい、かように思います。
  68. 橋本敦

    橋本敦君 今、長官がおっしゃった同一職種に長くとどまるという人事管理の問題なり随契の問題なり、これは私も問題意識を持っておりますから、さらに重ねてお尋ねをしたいつもりでおります。  私が今聞きましたのは、長官がおっしゃっている、業者の選定も慎重にやるという役所側の姿勢が要るとおっしゃいました。そのとおりです。そこで、このオリエンタルマシンについてどういう会社か知っているかと文部省に聞いたら、今おっしゃった程度しかこの事件が起こってからわかっていないという、こういうずさんな状態なんです。それで、このオリエンタルマシンは、文部省大学関係だけじゃなしに、ほかの民間との取引はほとんどなくて、中央官庁を含む官庁との取引が主であるという報道もありますから、だから私は長官に、文部省以外にオリエンタルマシン事務機を入れている官庁はどこどこか、ここ二、三年でいいです、もしあれば。今後は厳しい選定ですから、とりあえず、こういう事件を起こしたオリエンタルマシンは、政府としては政府機関が取引相手にしないということをきちっと今すぐ通達をするという必要があるではないか、このことはやってもらいたい、こう言っているんですが、この点はいかがですか。
  69. 後藤田正晴

    国務大臣後藤田正晴君) それは私の役所のことではありませんから、所管官庁にそういう御議論があったということはよくお伝えしたい、こう思います。
  70. 橋本敦

    橋本敦君 もちろん、オリエンタルマシンは、辻が逮捕された後、五人しかいないですが、文部省国立大学関係一切出入り差しとめ、契約者どころか一切相手にしてはならぬという体制は間違いありませんか。
  71. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) そのような体制になっております。
  72. 橋本敦

    橋本敦君 そこで、文部大臣、今、長官からもお話があってお気づきだと思いますけれども一つは契約者の選定がずさんであったということがはっきりしました。もう一つは、随意契約の問題です。C業者に何千万も取引させること自体が問題ですが、その取引の中身として随意契約ということをやらせている、ここに重大な問題があるということは自覚していらっしゃいますか、いかがですか。
  73. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 大阪大学事件に関しましては、先生指摘のとおり四十三台、六千万円余ということで、実態として随意契約で行われておる。御承知のとおり、百六十万円以下という金額の抑えが随意契約の基本でございます。契約の性質、目的に応じてという例外の原則はございますが、ワードプロセッサーがそのような性格に該当するとは私どもも考えにくい次第でございます。その点において、大阪大学を私ども事件発覚後すぐ調査が可能であった範囲で調べましたところ、やはり随契で行われており、契約担当を行いますのは事務局長であるべきだということで、経理部長の中曽根には六十万円以下の委任しか行われていないはずであるということは私どもも承知したわけでございますが、にもかかわらず、そのような事態が起きたというところが、私ども先生とまさに同じような気持ちで問題点であるという認識を持っております。
  74. 橋本敦

    橋本敦君 はっきりしてきました。随意契約は百六十万以下でなくちゃならぬというのは会計令で国が定めていることです。文部省国立大学と もあろうものが国が定めた会計令の規定も踏みにじって、しかも自分が権限を持つ数十万という権限を超えて阪大だけで六千万円の機器を随意契約で購入する、もってのほかです。こういうことがなぜわからなかったのかという重大な問題があるし、そういう随意契約ということを会計令を無視して悠々とやらせてきたのは、実は中曽根だけじゃない。田中だっている。いいですか。そういう立場でやっているわけです、中曽根、田中という名前がいろいろ出てくるけれども。この随意契約をめぐる法的側面について、刑法の構成要件の適用あるいは会計令からどう解釈すべきか、さんざんやられた。文部省はそれでいいです、わかったんだから。  私は、あと会計検査院の解釈、それから法務省捜査を遂げられていく上で会計令を無視した点は便宜供与の一つとしてお考えになっていらっしゃるのかどうかということも含めてお伺いしたいと思っておりますが、会計検査院、お越しですか。  そこで、まずこの問題、時間がかかりますので、一点だけ申しておきますが、阪大あるいは国立大学オリエンタルマシンから会計令違反の随意契約で機器を購入したという事実については会計検査院は全く御存じなかったのか、発見のしようがなかったのか、まずこの一点だけ伺いたい。
  75. 黒田良一

    説明員(黒田良一君) 私どもは、最初はそういう点につきましては全然知りませんでした。と申しますのは、私どもの検査は、台帳での書面検査と実地検査でやるわけでございますが、その場合に、実地検査でやる場合に、大阪大学のような大きな大学につきましては、従来、購入価格五百万円以上のものを中心として見てまいりました。現に、大阪大学におきましては、一件十一億円、レーザー関係の機器の購入でございますが、そういう大きな購入のものがございます。したがいまして、そういったものを中心に検査をしておりましたし、現に実地検査に行った場合に、五人の調査官が五日間程度の調査しかやらないということでございますので、非常に細かいものにつきましては見ておらなかったということでございます。
  76. 橋本敦

    橋本敦君 問題がありますね。細かいものと言うけれどもワープロ一台はあなたがおっしゃる何億という機器と違って細かいかもしれぬ。四十三台合わせればおっしゃるように六千万なんです。まさにその盲点を突かれているわけです。どう思われますか。
  77. 黒田良一

    説明員(黒田良一君) その点につきましては、今、先生のおっしゃったとおりでございまして、私どもといたしましては、先ほど来いろいろここで御論議されておりますように、文部省関係におきましてああいった汚職があるということは信じておりませんでした。そういうことも含めまして、私どもは、従来細かいから見ていないというわけではございませんで、特殊なもの、特に随意契約のものにつきましては主として見ておることは見ておったわけでございますけれども大阪大学につきましては見ておらなかったということでございます。
  78. 橋本敦

    橋本敦君 実に悪質ですな。  法務省に伺いますが、公訴事実あるいは被疑者の被疑事実でオリエンタルマシンに対して事務機を有利、便宜な取り計らいをして大学に納入をさせるということで便宜を図ったその内容に、国が定めた会計令を潜脱して随意契約という方法によることをオリエンタルマシンの辻と共謀、協議、意思相通じてそういうことをやったということも、便宜を図ったことの具体的中身の一つとして法律的にはとらえられねばならぬと思いますが、いかがですか。
  79. 濵邦久

    政府委員濵邦久君) 先ほどお答え申し上げました公訴事実以外の、あるいはその詳細の事実関係については答弁を差し控えさせていただきたいというふうに思います。
  80. 橋本敦

    橋本敦君 詳細はいいです。今、私が言った大きな筋について。
  81. 濵邦久

    政府委員濵邦久君) 今、御質問の点も含めまして、先ほどお答え申し上げました公訴事実以外の事実関係については、詳細ここでお答えは差し控えさせていただきたい、こう思います。
  82. 橋本敦

    橋本敦君 一般論として聞きますが、法律で国が定めた基準がある、その基準ではなかなか商売ができにくい、しかしその基準を無視してもらう方法を考えてもらう、入札でなきゃならぬと定めてあるが入札でなくて随意契約だという方法に、入札しなきゃならぬ場合も随意契約にしてよいという方法をとってもらうという方法で物を納入して、それがうまくいくならば便宜供与の一つになる、一般論でですが、これは当然じゃありませんか。
  83. 濵邦久

    政府委員濵邦久君) 一般論としてのお尋ねでございますが、要するに刑法百九十七条一項前段の罪と申しますのは公務員がその職務に関して賄賂を収受した場合でございますので、今御指摘のような事実関係がどういう事実関係、具体的な事実関係いかんによると思います。したがいまして、それはケース・バイ・ケースになるのではなかろうかというふうに思います。
  84. 橋本敦

    橋本敦君 あり得るでしょう。
  85. 濵邦久

    政府委員濵邦久君) ある場合もございますし、ない場合もございます。
  86. 橋本敦

    橋本敦君 ある場合があるというのは、その職務に関して予算、支出あるいは承認、配分の職務権限があり、そしてそれに関連をして当然入札しなきゃならぬところを随意契約にするという意味の便宜を図ってやるということが職務範囲として可能であれば、私は法律上賄賂罪が正当に成立する内容に入る、こう思いますから、あるというのは当たり前だと思います。  そこで、委員長、私は随意契約問題について、具体的事実についてこれから伺っていくのですが、ちょうどここで切りがよろしゅうございますので、次は一時十五分ということでお願いをしたいと思いますが、どうですか。
  87. 高平公友

    委員長高平公友君) 午前の質疑はこの程度にとどめ、午後一時二十五分まで休憩いたします。    午後零時十五分休憩      ―――――・―――――    午後一時四十分開会
  88. 高平公友

    委員長高平公友君) ただいまから内閣委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、臨時教育審議会設置法案及び国民教育審議会設置法案の両案を一括議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  89. 橋本敦

    橋本敦君 それでは、大学汚職問題について、午前に引き続き質問をいたします。大臣も走ってきていただきまして、ありがとうございます。  さて、この問題について、この犯罪を犯した田中にしろ、あるいは中曽根にしろ、鳥野見にしろ、共通していることは、一貫して文部省会計経理をずっと続けてきたという、その意味ではまさに実務的な予算、経理、会計のベテランだという経歴を持っていることであります。例えば中曽根について言いますならば、中曽根は昭和五十年五月から文部省本省に行っておりますが、五十二年から五十六年阪大に移るその間、大臣官房会計課予算班主査という要職にありました。鳥野見について言うならば、この鳥野見は三十四年文部省に移ってまいりまして、昨年四月に鳥野見は官房会計課予算班主査となるわけでありますけれども、その間、通算十二年に及んで予算全般を掌握する立場にあった。田中について見てみましても、田中は二十七年に本省会計課に入りまして、まさに予算畑一筋のベテランと言われ、その間、国立大学経理部長に二年間転出をしただけで、ずっと文部省大臣官房企画官兼総括予算班主査になってまいりますまで会計畑を一貫して歩いている、こういう経歴であります。  まず、文部省に伺いますが、この三人がこうした会計畑一筋といってもいい経歴の持ち主であることは間違いございませんね。
  90. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 御指摘のとおりでございます。
  91. 橋本敦

    橋本敦君 そこで、後藤田長官お急ぎのようでございますので、長官にお伺いしたいことを先にお伺いさせていただいて御退席願いたいと思いますが、私の手元に昭和五十六年八月行政管理庁行政監察局が出しました「行政事務運営の公正確保に係る体制及び手続に関する調査結果報告書」がございます。先ほど長官も、本件の犯行を生み出す土壌の一つとして、例えば同一職種に長期に在職をしたという事実、これを是正する必要があるということをおっしゃいましたが、この報告書でも百八ページに、「官房長等会議申合せでは、予算執行等の事務について同一の職員が同一の職に長期在職することのないよう人事配置の適正化を期することとしている。」と、こうありまして、これに基づいて各省庁を調査なさった結果が報告されています。そういう点で言うなら、まさに文部省本件犯行を犯すに至った三人は、この行管庁の指摘された、「官房長等会議申合せ」で示された予算執行等の事務について同一職員が同一の職に長期在職をしたということの問題点に該当する事実であると私は見ておりますが、今経歴は間違いないと文部省おっしゃいましたが、この点、まず長官いかがでしょうか。
  92. 後藤田正晴

    国務大臣後藤田正晴君) やはり先ほどお答えしましたように、一つの仕事に余り長く従事するということは望ましいことではありません。そういったことから、五十四年当時だったと思いますけれども、役所の空出張とか、あるいは官公庁相互の間で儀礼的な会食なり贈答なりがあるのはよろしくないとか、あるいはまた例の励ます会の切符の問題等もございまして、行管庁としては今お読みになったような御指摘を各官庁に申し上げて是正方をお願いしたわけでございますが、私は各省庁はその指摘事項に従って人事の面等では十分御配意いただいておるものと、こう考えております。  具体的に今問題の、中曽根さんですか、それから田中さんですか、同じ会計の中で配置の問題でどのような動きをせられたのか、わかりませんので具体的にお答えできないのですが、一般論として言いますと、やはり会計の仕事というのはどうしても会計事務に従事する、これはやむを得ません。しかし、御案内のように、会計の中にも予算だけを担当する人あるいは契約だけを担当する人あるいは検収の仕事に従事する、いろいろ仕事がございますから、そこらはそれぞれの役所でやっておられるのじゃなかろうか。だから、一概に会計課としての勤務が十年になる、十五年になるということだけで即断できない面がございますから、私は各官庁はそれぞれ十分御配意になってやっていただいておるものと、かように考えておるのですが、具体的に該当者の会計の中での仕事がどうかというのはわかりませんので、その点はお答えいたしかねる、こういうことでございます。
  93. 橋本敦

    橋本敦君 具体的にはお調べいただいたらいいわけですが、一つ申し上げますと、田中の場合は、具体的に言いますと、五十六年四月から大臣官房企画官と総括予算班主査を兼ねておりまして、昨年転出するまでずっといたということでありますから、総括予算班主査としては丸三年は経過しておるわけです。これは客観的事実です。だから、この意味においては総括予算班主査というこれは文句なしに重要な予算執行の責任ある部署ですから、ここに三年少々いたという事実があるわけです。だから、こういう事実からすれば「官房長等会議申合せ」ということに抵触しておる疑いがある、私はこう言って差し支えない、こう思うんです。  もう一つ、行管庁のこの調査によりますと、先ほども長官がお触れになりましたが、「随意契約の適正化」ということもぴっちり指摘されております。この随意契約の適正化についてどういうように言っているか読んでみますと、「随意契約は、行政機関が任意に特定の者を選んで締結する契約方式であり、契約の機会均等、経済性及び公正の確保を図る観点から、随意契約とする具体的理由を明確にして適正に運用する必要がある。」。当然のことです。  本件の場合は、先ほど言いましたように、阪大にとってみれば六千万円という巨額の金額に上るこの問題を、百六十万どころじゃありません、次次と随意契約をやっていったという事実があるし、しかも契約はCクラスですから五百万を超えてはならぬというリミットがあるにもかかわらず六千万になっている。こういうことですから、行管庁の立場で随意契約の適正化ということでずっと指導してこられた、この点からいっても今度の文部省のこれらのやり方というのはこの行管庁の調査をした方向とも抵触をしておるということが私は言えるのではないか、こういうふうに見ておるわけです。  そこで、こういった問題について、先ほど長官も問題が何もないわけではないということで問題点を指摘してくださった。それを私は言っておるわけですが、今おっしゃったように、具体的にそれではどうかとなりますと、一歩突っ込んで正確に事実をつかんで調べる必要が出てくるわけです。そこで、文部省自体としては、先ほど大臣もおっしゃったように、改善対策委員会をおつくりになって検討ということでしたが、行政庁の職務が制度上、運営上欠陥があればこれを除去するということについて、しかもそれを未然に防止するということについては行管庁としては当然、行政監察という立場で所管されるわけです。  だから、行政監察というのは決して犯罪をえぐり出すという意味でなくて、行政運営の適正を図るという意味で当該庁がやる努力とは別に政府として運営上の適正を期するということでおやりになるわけですから、私は今度の場合は、今、長官がおっしゃったように、原則は随意契約の適正化、同一職種に長期在職することはやめなさいというこの原則はありますが、本件の場合どうかということについては、今後の未然に防止するという立場も含めて行政監察ということで御調査をいただいて、しかるべき勧告が必要であればやっていただくという処置をおとりいただくのが妥当なケースではないかと思っておりますが、御見解はいかがでしょうか。
  94. 後藤田正晴

    国務大臣後藤田正晴君) この具体的な事件ということになりますと、今司直の手で捜査が進行しておりますから、文部省としても捜査が一段落するまでは捜査上いろんな支障が出てきますからその結果をお待ちにならなければいけないのじゃないかと思います。しかしながら、そういう事件が起きたということは、文部省の中にもこれはいろんな欠陥があったかもしれません。したがって捜査が終われば、私は文部省御自身で是正すべきところは是正をなさるであろう、こう思います。  それで、その是正が必ずしも十分ならずといったようなことであれば、私の方は監察の仕事もございますから、これはまだその時点で監察の必要があれば監察させていただくということもあり得るのではなかろうか。いずれにいたしましても、現時点においてはまず捜査、それから文部省自身の中におけるその後の調査、それでその結果を見て政府全体として我々がどう対応していくか、こういう段取りで考えざるを得ないのではないか、かように考えております。
  95. 橋本敦

    橋本敦君 一般論として御趣旨わかりましたが、今これだけ大きな問題になっているこの事件の中身として、今私が指摘をした、行管庁が取り上げてこられた随契の適正化の問題や、同一職種への長期在任という問題が含まれているケースであるとして今後の行政監察もないわけじゃないというお話ですが、当面、重大な関心を持って検討していただくという立場に長官はおありだろうと私は思いますが、その点はそれでよろしいですか。
  96. 後藤田正晴

    国務大臣後藤田正晴君) そのとおり御理解なさっていただいて結構でございます。
  97. 橋本敦

    橋本敦君 それでは、重大な関心を持って将来、行政監察もあり得るケースだということで検討を深めていただきたいと思います。長官に対する質問はこれで終わります。ありがとうございました。  そこで次に、官房長官にお伺いしたいわけでご ざいますが、昭和四十八年十月三十日に内閣官房長官通達第百九十九号というのがございまして、「官庁綱紀の粛正について」と題する文書であります。私がこれを取り上げますのは、内閣官房長官綱紀の粛正を特に重視をされてこれを出されたわけでありますが、その中で第三項に、「予算執行、許認可等の事務については、特定の職員に職務権限が集中することのないよう配慮するとともに、同一の職員が同一の職に長年在職することのないよう人事配置の適正化を期すること。」というのがございます。これは先ほど総務庁長官がお述べになった行管の調査からも当然出ていることです。これは非常に大事なことだと思うんです。  この点について、今度のケースはこの官房長官通達を文部省の方が人事配置に本当にしっかり腹に入れて適正にやらなかった、こういう問題があるというように私は言わざるを得ないと思うんです。官房長官は具体的事実は正確にお知りにならないかもしれないけれども、今度の文部省汚職について同一の人物が会計畑に長くずっといて、しかも総括予算班主査という職務に三年以上いたという事実もあるんですが、こういう事実についてこの通達から見て今度の文部省汚職はメスを入れるべき必要があるのかないのか、どう考えるか伺いたいと思います。
  98. 藤波孝生

    国務大臣(藤波孝生君) 今回、逮捕者が出ておりますことは極めて残念、また政府としても遺憾に思っているところでございますが、早速に文部省としても事務体制等についていろいろ検討を加えておるというふうに聞いておりますので、それらの検討の結果を踏まえて文部省としても適切に対処をされるものと、このように期待をいたしておるわけでございます。  御指摘のように、特に予算事務につきましてどうしても大きな権限を持つことになりがちでございますから、一人一人の職員に権限が集中しないように配慮をしていくこと、そしてその事務に携わります者が一つのポストで長く事務を執行していくということになりますと、どうしてもそこに権限がさらに集中をしていくということになりましょうから、十分人事配置等についても配慮をしていかなければならぬ点であるというふうに一般論としては考えるわけでございます。検討をしていただいておる文部省がどういうふうな検討の結果をお出しになるかを見ていかないとわかりませんけれども、それぞれ一つ一つの仕事が専門の分野になりますので、習熟した者がやりますと要領よく、手際よく事務を解決していくというようなこともまた一面あるわけですので、そこがなかなか人事の難しいところだろうと思うのです。しかし、間違いが起こるということは一番よくありませんので、そういう意味では、今お読み上げをいただきましたようなそういう注意を十分守って、それぞれ人事配置等を考えてもらうということが大切なことであるというふうに思う次第でございます。
  99. 橋本敦

    橋本敦君 もっともな御答弁ではありますが、それでは文部省にお伺いしますが、この経歴に関連して、経歴は客観的に明白なんですから、私が指摘した行管庁の調査あるいは内閣官房長官通達、これから見て文部省はどうだったんですか。この二人について恥ずるところがないと言えないでしょう。
  100. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) まず、総括予算班主査のポストでございますが、このポストにつきましては、設置されましたのは昭和四十八年でございます。それ以後の総括予算班主査の歴代の在職年月の平均値といたしましては二年十カ月ということになっておるわけでございますが、私ども文部省の方針といたしまして、原則として在職期間というものを同一ポストについては三年以内というふうな原則で人事の執行を図るという建前でやっておるわけでございます。ただ、現在……
  101. 橋本敦

    橋本敦君 中曽根についてはどうかと聞いている。
  102. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 中曽根経理部長につきましての問題といたしましては、経理部長としての在職は、五十六年四月一日でございますから、三年をちょっと超えておるわけでございます。その点につきましては、確かに御指摘の点、結果として三年という原則の例外的な扱いになっておるという点は遺憾でございますが、この点はやはり専門的、技術的な点ということなど会計経理事務についてあるということを御承知いただきたいわけでございます。  それから田中会計課長、元総括予算班主査につきましては、総括予算班主査としての在職が約三年でございます。それから大臣官房企画官としての総括予算班主査を兼ねた経歴というものが二年余、三年近くあるわけでございまして、その点では五年にわたる、これは先生指摘の三年を上回るという点でケースとしては遺憾な点になっておる、こういうことでございます。
  103. 橋本敦

    橋本敦君 有能な人だから例外だと言わんばかりのことをおっしゃったが、有能な人が例外で、買収やら汚職をやったらどうなるんですか。けしからぬ話じゃないですか。だから、官房長官通達が出ているのだから厳しく守らなくちゃならぬじゃないですか。  随意契約についてお伺いしますが、随意契約についても汚職が起こらないように内閣は通達しています。「現に、収賄のごときは、公正な職務執行の責任を有する公務員として最も悪質な行為であり、この際、政府としては重大な決意をもってその根絶を期する。」。当然ですね。そういう立場で出された四十四年五月二十三日の総理府からの具体的処置の通達を一遍読んでください。「責任体制の整備」の第二項の末尾に、「高額の随意契約その他とくに慎重を期する必要がある場合には、」、いいですか、入札をやらずに随意契約をやる、しかもそれが高額の場合には、「慎重を期する必要がある場合には、委員会、審査会等の合議機関を設けてこれに語る。」と書いてある。一人にやらせちゃいかぬというんです。当然ですな。文部省は、この六千万に上る阪大随意契約をやらせたのだが、これを守って、随契をやるのに合議制あるいは審査会、委員会等を設けて審査をする手続は何にもとらなかったですね。事実どうですか。
  104. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) その点は、先生指摘のように、私どもといたしましても、従来から随意契約その他につきましての契約事務執行上は複数の人間による審査、判定の機関を設けることが必要であるという認識で、経理部課長会議その他あるいは会計課長通知に。よりまして指導は重ねておるところでございます。しかし、その実効が上がっていないということにつきましては私どもも現状認識としては遺憾だと思っておるわけでございまして、そのような点において、このような事態が起きたということはさらに厳しく反省しなければならないというふうに思っております。大きな改善の課題として、私どもは今後、この点について十分、大学関係につきましても指導してまいりたい、こういうふうに考えております。
  105. 橋本敦

    橋本敦君 大臣、お聞き及びのとおりなんです。今回の事件が発生をしたその背景に、文部省自体が繰り返し内閣官房あるいは総理府から出された綱紀粛正通達について指示されておることを守っていないところにある。守らないで予算執行を漫然とやらせ、会計令に違反をした随意契約をやらせ、そして予算執行の職務に長期滞在をさせ、内閣がせっかく汚職根絶のためにこう言って指示したそれらに文部省は耳を傾けなかった、厳格な指導をやらなかった、ここに今回の事件が発生している土壌があるということは、文部行政そのものが責任を持たねばならぬ重大な問題なんです。大臣、いかがお考えですか。
  106. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 特定の同一人物が同じ職務にあったということについて、内閣の通達に対してその意に沿っていなかったということについては、大変私も遺憾なことであろうというふうに考えます。決してかばうわけではございませんけれども、やはり文部省のこうした予算の執行あるいは購入契約等につきましては、国立大学という教育機関であるというその特殊性、お互いにそういうところの研究体制というものに対する信頼性 ということが一つの大きな前提になっておるということも、今日まで文部省としては、学問の自由といいましょうか、大学の自主性といいましょうか、そうしたことなどもある程度考慮をしていたのではないかということが一つ考えられます。  もちろん、予算総括主査というそうした仕事は、むしろもっと大きな文部省全体の予算に対する責任を持つという業務ではございますが、これについても極めて難しいところでございますが、私も長い間、党の文教政策の仕事をいたしておりましたので、なかなか文部省予算というのは細かくて非常に難しい業務であるというふうに私も承知をいたしております。そういうところから、ついついこうした予算体制を執行していく、あるいはまた文部省全体の予算というものを組んでいく、そういう中でこうした人たちに対して便宜的に、人事ということについての配慮に少し欠け過ぎていたということは反省をしなければならぬ大事なところであろうというふうに私も感じております。  どういう経緯であったか等々については、今私はまだ事務当局には定かにいたしておりません。事務次官を長として、このことについても十分、今反省をいたしておるところでございましょう。先ほど申し上げたような三つ部会を設けて検討をいたしておりますので、その報告を私は待ちたい、こう考えておりますが、その中に当然、今、先生から御指摘があったようなことなどは、私としては事務当局からたださなければならぬことだというふうに、考えております。
  107. 橋本敦

    橋本敦君 これは事実ですから、大臣も否定できないお立場で今責任を感ずるということを言われたと思います。まさに私は、信頼を職員が裏切ったということじゃなくて、こういうことが公務員体制の中に起こってはならないということの経験から繰り返し出された内閣の綱紀粛正通達を、事もあろうに文部省が自分のところの職員について厳正に適用していなかった、それが今度の事件を起こしたという意味において、今度の事件の本当の深い根源的な問題というのは文部行政そのものが厳しく裁かれねばならぬ、そういう立場で真剣に解明していかなくちゃならぬ、こういうふうに思って言っておるわけです。  官房長官、午前中の議論は聞いていただいておりませんので、ひとつお伺いしたいことがありますので申し上げますが、このオリエンタルマシンという会社は、これは本当にたった六人で、資本金九百万の小さな会社だ。今まで倒産だ、赤字だと言っておったんですが、鳥野見だとか田中だとか中曽根などに取り入り始めた四年ぐらい前から急成長を遂げてきておるという状況がある会社ですから、業者の選定ということについてこれは本当に真剣にやらなくちゃならぬという立場からいえば、非常に文部省は甘かったわけです。  そこで、もう一つ文部省に伺いますけれども、この鳥野見は、契約の相手としてはCクラスですから五百万以下ということで、その程度の認定しかしていないわけですが、随意契約でなくて入札ということであれば、当然、入札業者は指名の範囲に入らなくちゃなりません。このオリエンタルマシンは、ワープロ等の納入等について各大学及び文部省本省に関して入札の指名権を持っていましたか、持っていませんでしたか、どうですか。
  108. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) Cクラスの五百万円以下の契約の資格としては持っておった、こういうことでございます。
  109. 橋本敦

    橋本敦君 ところが、それを超えた商売をするということになりますと、五百万以上の入札権はないんですから、だから阪大のように六千万を超すワープロを入れようとすれば、指名業者にしてもらえないのだから随意契約にする以外にないんです。おわかりでしょう。そこで随意契約として取り入ったわけです。全く悪質ですよ。そういうことをはっきり見定めもしないでやったという行政の責任は重大ですが、官房長官にお伺いしたいのは、このオリエンタルマシンという会社がそれじゃどこへ売っているかといいますと、全部官庁です。民間会社に売っておりません。文部省であり、次に大口の納入相手は大蔵省だというように私の調査ではなっておる。  そこで、官房長官、内閣を総括する立場にある官房長官として、きょうは総理いらっしゃいませんから、長官にお伺いするんですが、この業者が、文部省、各大学以外に、大蔵省を含めてどこの官庁に事務機をここ三年なら三年以内に納入したか、至急に調べる必要がある。それから同時に、こういう汚職事件贈賄事件をやった会社ですから、一切この会社の事務機は購入しない、五百万以下であっても指定業者になっていたらそれを取り消す、そして一切出入りさせないという処置をすぐおとりになるというのが必要な処置ではないかというように思っておるのですが、いかがでしょう。
  110. 藤波孝生

    国務大臣(藤波孝生君) 御指摘をいただきまして、調査するのにやぶさかではありませんが、現在、司直の手でいろんな調査が進められておるところでございますので、それらの事件解明を待って対処させていただくようにしたらどうか、こんなふうに考えますが、今、先生から御指摘になりましたことは十分頭に置いて今後対応させていただきたいと存じます。
  111. 橋本敦

    橋本敦君 官房長官に、犯罪、汚職事件捜査をやれと私はお願いしたのじゃありません。そんなことを言っていません。行政官庁としてなし得る、納入がどうなっているかという実態調査、そして今後、こういう業者が指名権をまだ持っておる、どこかにあれば、それはやめなさいという指導を、犯罪捜査とは別に、政府の姿勢を正す立場でおやりになるべきではありませんか、こう聞いておりますので、この点、もう一遍答えてください。
  112. 藤波孝生

    国務大臣(藤波孝生君) 私が申し上げておりますのは、この事件は司直の手で今解明が急がれておるところでございますので、それはそれで十分見守りつつ、この事件の持っております意味合い、今御指摘がございましたような意味合いを十分頭に置いて対処させていただきたい、このように考えております。
  113. 橋本敦

    橋本敦君 会計検査院にお伺いいたしますが、会計検査院は、私がいただいた資料によりますと、六月に阪大に実地検査でお入りであります。間違いございませんか。
  114. 黒田良一

    説明員(黒田良一君) ことしの六月、大阪大学の実地検査を施行しております。
  115. 橋本敦

    橋本敦君 済みませんが、六月に実地検査をなさったのは何日から何日までか、日にちがわかればおっしゃってくださいますか。
  116. 黒田良一

    説明員(黒田良一君) 六月の五日から六月の九日まででございます。
  117. 橋本敦

    橋本敦君 本件が阪大で発覚したのが六月の二十日でございます。だから、会計検査院が阪大に実地検査に入ったまさに一週間直後にこの阪大汚職事件が発覚をしておるわけであります。私は、ここで会計検査院の実地調査が甘かったことを必ずしも非難するつもりはございません、犯罪を行う者が隠れてうまくやるんですから。だがしかし、せっかく実地検査にお行きになって、しかも先ほどから言っておる会計令違反の随契でやっておる、巨額の金が動いておる、こういう問題について疑点があるかないかということについて少なくともそういうことがつかめなかったというのは、会計検査のあり方について反省点があるのではないかと思いますが、いかがですか。
  118. 黒田良一

    説明員(黒田良一君) 午前中も申し上げましたが、確かに私ども少ない人数で、大阪大学の場合は五人の調査官で五日間実施したわけでございます。午前中申し上げましたように、五百万円以上、大きな金額を中心として見ました。これはいわゆる経理のチェックの場合に、いわゆる重要性の原則と申しますか、大きな金額のものから見るということでございまして、その辺から当たっていたために見られなかったということでございます。  それと、これも午前中申し上げたことでございますが、文部省というようなお役所でこのような汚職があるとは思いもしませんでしたので、その 辺の細かいものにつきましては見ておらなかったということでございます。私ども会計検査院は、少ない人数でございますが、それぞれ一生懸命やっておることは事実でございますので、この辺は御理解をお願いしたいと思います。
  119. 橋本敦

    橋本敦君 それは田中金脈の追及以来会計検査院にも随分お話を伺い、少ない人数で頑張っておられることも承知しておりますし、私ども会計検査院の一層の充実、そしてしかも会計検査院法の改正で一層の権限を持って契約のダウンストリームの方まで徹底的にメスが入れられるように再発防止へ改正すべきだということで会計検査院を応援しておりますから、これからも応援はしますけれども、今度の問題はやっぱり重大な問題だと思います。  そこで伺いますが、会計令で随意契約ができるのは百六十万以下というようにはっきり明定しておりますが、今度の阪大や各大学オリエンタルマシンが随契で入れましたものは随意契約でやってよいというケースにどこも該当しないと見ておりますが、会計検査院がつかまれた範囲でどうですか。
  120. 黒田良一

    説明員(黒田良一君) 大阪大学関係書類につきましては、ただいま大阪地方検察庁検察官検事から刑事訴訟法の規定によりまして提出を求められておりまして、全部お貸ししてございます。したがいまして、振り返って今直ちに見るということはできないわけでございますが、今、先生指摘のとおりに、随意契約であったということは承知しております。随意契約につきましては、会計法、それから予算決算及び会計令に事細かに書いてございますが、ただいま先生おっしゃいました百六十万というのは物品の購入の場合でございまして、随意契約の根拠といたしましては、「契約の性質又は目的が競争を許さない場合、緊急の必要により競争に付することができない場合及び競争に付することが不利と認められる場合」という場合には随意契約によることになっておりますし、また「予定価格が少額である場合」などには随意契約によることができるということになっております。  それで、大阪大学のものにつきまして証拠書類をちょっと見たところでは、いわゆる非常に細かく分割発注という形をやっておって、その辺で随意契約だったということでございます。したがいまして、それぞれの範囲内におきましては会計手続上は一応、まさに適正とは申しませんが、一応やっておったということでございまして、その点は認めたいと思います。
  121. 橋本敦

    橋本敦君 ここに本件犯罪の巧妙な計画性、そして仕掛けがあるんです。会計検査院も見られているように、阪大は四十三台、六千万の金額です。それで百六十万以上は随意契約でできないのに六千万もなぜできたか。会計検査院へ出した書類は、今言ったようにみんな少額に抑えて、そして買い入れの時期をずらして、一遍に買ったら一遍にばれるし、随意契約できないからということで操作をして、会計検査院の目をごまかしたという実に悪質な問題である。経理のベテランはその職に大事にしなきゃならぬという意味のことを多少大臣もおっしゃった向きもあるのだけれども、ベテランを大事にしたら大事にされただけ巧妙な計画をやるんです。けしからぬですよ、会計検査院もごまかしちゃって。これは私は絶対に許せぬことだと思います。こんなのを許したら、会計令があったって意味なくなります。国の会計監査は厳正にやれなくなります。  そこで伺いますが、会計検査院も御存じのとおりに、財務通則の計算証明規則によりますと、随意契約に関する特別の書類が要請されていまして、それをやるためには予定価格、その算出の基礎、それから見積書、これを全部添付して書類を出さなくちゃならぬ、こうなっておりますが、これは間違いございませんか。
  122. 黒田良一

    説明員(黒田良一君) ただいま先生がおっしゃいましたとおりでございますが、一定金額のものによりましては出さなくてもいいというものもございます。  以上でございます。
  123. 橋本敦

    橋本敦君 本件ワープロのような最低数十万以上のものについては全部出す必要がありますね。
  124. 黒田良一

    説明員(黒田良一君) 本件ワープロについて申し上げますと、出す必要があろうかと思います。
  125. 橋本敦

    橋本敦君 そこで、私は公文書偽造の疑いもある事件だと見ているんです。本当に正当に、買い入れ時にこの財務通則に基づいて書類をつくったかどうか疑問だということと、今会計検査院も認められたように、故意に、殊さらに分割をして会計令による随意契約にすべり込ませるという意味では、ある意味では国に対する詐欺ですよ。ある意味では背任です。ある意味では公文書偽造です。だから、ここも含めて徹底的に捜査をしなきゃならぬという重大な事案である。  私は伺いますが、先ほど文部省が明らかにされた、オリエンタルマシンが追加未配分予算を使って機械を買わせたこの手口もひどいもので、買いなさい、予算をつけてあげますからというようなことで、オリエンタルマシンの辻を行かせて買わせてわいろを取るんですから全くふざけた話でありますけれども、十八か十九の大学オリエンタルマシンが納めたという話があって、その中の一つを私は調査してみました。その結果、この会社が地元業者から入札で当初予算を使って買い入れたワープロがあります。金額は、定価が百六十五万であります。それを入札の結果、各業者が安く入れますから、定価の二〇%引きで落ちまして、その業者が定価の二〇%引きで納入をいたしました。結構ですね。ところが、その同じ大学に、これはさっき言った田中及び鳥野見に関連してくるわけですが、未配分予算で随意契約でオリエンタルマシンに同じ機械を、定価百六十五万のワープロを入れさせました。オリエンタルマシンは幾ら割り引いたかといいますと五%だけてあります。入札していれば一五%の割引で国は費用が安く済んだのに、オリエンタルマシンでだった五%、いいですか、一〇%の違い、一割の違いができる。こうしてわいろをつくり出しているんです。これは国にとっては国民の税金、大変な損害です。こういうことを許しちゃならぬということが、まさに会計検査院や会計原則や国の立場じゃありませんか。  そこで、会計検査院に伺いますが、大体この事務機ワープロあたりは、入札で業者に競争させますと大体一五%から二〇%引きで納入されている実例が多いと私は調査の結果承知しておりますが、経験からいかがでしょうか。大体そんなものじゃありませんか。
  126. 黒田良一

    説明員(黒田良一君) ワープロ等新しい機械につきましては、発売後直ちに値引きで販売されるというのは私ども常識だと聞いておりますが、それが一五%引きで入っておるか二〇%引きで入っておるかということにつきましては、私どもまだ承知しておりません。
  127. 橋本敦

    橋本敦君 大体の見当もつきませんか。
  128. 黒田良一

    説明員(黒田良一君) 先ほど先生おっしゃいました大阪大学の分につきましては、このオリエンタルマシンが納入しましたものが五%引きで納入したという事実は承知しておりますが、ほかの大学につきましてはまだ承知しておりません。
  129. 橋本敦

    橋本敦君 わかりました。会計検査院も私が言った阪大の方は御存じで、オリエンタルマシンは五%しか引いていないわけです。  だから、文部省調査してください。ほかは、当初予算で買ったやつを調べればすぐかわりますから。一五%から二〇%引く。これが国に対して重大な損害を与えていることになります。そう思いませんか、文部省として。
  130. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 大阪大学ワープロ購入価格につきましては、私ども事件発生当時に調査いたしましたが、会計検査院お話しのとおり五%ないし八%しか引いていないというふうに承知しております。したがいまして、当初予算オリエンタルマシン以外からワープロを購入したものがどのくらい値引きで引かれているか、これは午前中に先生お話し申し上げましたように、こ れから調査をやらせていただきますので、その結果を私ども把握してみたいというふうに考えております。
  131. 橋本敦

    橋本敦君 私の調査は間違いないはずですから、調べたらわかります。そうでなきゃオリエンタルマシンが随契でやるということのうまみもないし、わいろをつくり出してくる財源もないです。  そこで、予算執行職員等の責任に関する法律という法律がある。国は厳密に法律をつくってきちっとやっています。この法律の第三条で、「予算執行職員は、故意又は重大な過失に困り」予算執行の法令あるいはその職分等に「違反して支出等の行為をしたことにより国に損害を与えたときは、弁償の責に任じなければならない。」と、こうあるんです。ですから、まさに予算の主査という地位を利用して随契に問題を移して業者に利益を得させ、そしてその業者と相通じて、本来なら一五%引いて買い入れるものを五%しか引かずに国に不当な支出をさせたら明白に国に対して損害を与えたことですから、こういう意味では刑事上の背任罪が成立すると私は思うし、同時に、行政的には、この財務通則の第三条、これによって、国は当然、中曽根、田中あるいは鳥野見に対して、文部省として独自の調査を遂げて、国に与えた責任があるなら全部弁償させる、断固たる措置をとるのは当たり前じゃないかと思いますが、任命権をお持ちの大臣の見解を伺います。
  132. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 今の先生お話は、もちろん先生の御調査ということもございましょうが、またある意味では推測という点も、若干そういう点も含まれておると思います。私といたしましては、今日、事態解明を今急がせておりますので、そうした事態を十分承知をし、把握をいたしてから考えなければならぬ問題であろう、私はそういうふうに理解をいたしております。
  133. 橋本敦

    橋本敦君 事実だったらどうするんですか。
  134. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) ただいま先生の御指摘予算執行職員等の責任に関する法律でございますが、国立大学関係ワープロ購入に関しまする予算執行職員といたしましては、支出負担行為の担当をする者というふうな押さえでございまして、この関係大学のこの法律が適用になる職員と、ただいま御指摘田中総括予算班主査、この関係、それから中曽根経理部長自身はこの関係でどのような責任に立つかということなど、これから私どもも詰めてまいりたいと思いますが、この辺につきましても、事実関係とともに、職員の置かれているポストとの関係で私ども十分詰めてまいりたい、こういうふうに考えております。
  135. 橋本敦

    橋本敦君 大臣、あなたの答弁で私は絶対に承服できないと思うのは、私が指摘したことは推測を含んでおるから今後事実を調べてと、こうおっしゃった。私が調査した事実は事実に基づいて聞いておるんですが、オリエンタルマシンの五%引きは会計検査院も文部省もつかんでおりますが、片っ方の一五%引きという私が調査した事実を、あなたはこれは推定と言われましたか、想像とはおっしゃりませんでしたが、事実でないような言い方をなさったのは私は承知できません。  私の調査が間違っているなら、間違っていると文部省調査し、言ったらいいじゃないですか。私が調査した大学がどこかというのを知りたかったら、私のところへ来たらいつでも言ってあげます。国会議員として私はあやふやな調査でこの委員会で物を言っていません。きのうも会計検査院とお話ししたら、あなたは来られなかったけれども、大体入札をすれば一五%から二〇%の値引きというラインになることは一般的にそれはよくあることですとおっしゃっていました。  文部省は、何にも調査しないで、きょう聞いてみたら、検察官調査をするな、待てと言ったからというようなことを言って、聞いてみたらそうではなかったということも出て、調査をすると約束されたけれども、はっきりこういう問題について調査もしておかないで、私の指摘が推測だからと言っていいかげんにしていいですか。私は承知できません。直ちに調査をして、次の私の質問までに当初予算で買い入れたワープロ、この機械が大体定価の何ぼぐらいの値引きで落ちているか、一つ大学でも二つ大学でもいいです、わかる範囲で全部調べてください。大臣、調べさせてください。
  136. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) ただいまの先生の御指摘でございますが、当初予算配分にかかわる既定経費の中でワープロを購入した大学があることは事実でございますし、その点の調査をすることは既にお約束しておるわけでございます。その中で、どのような価格でそれが購入されているかということを把握いたしますれば一般的な市場価格との値引き率は判明するわけでございますが、極力早急に私ども調査をさせていただきたい、こういうふうに思っております。
  137. 橋本敦

    橋本敦君 調査した結果、調査資料も私は求めます。大臣に私の調査が推定だなんて言われたら、私承知できません。調査の結果と、裏づけとなった資料の写しを要求します。その結果、私が指摘したとおりであれば、大臣もう一遍はっきり答弁してください。いいですか、推定じゃない事実で。
  138. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 私の言葉が適切を欠いておるとしたらこれはおわびを申し上げますが、先生の御調査なさったことがすべて推測で申しておられる、私はこういうふうに言っているのじゃございません。御調査をいただいている面もございますが、実質的にはこれは検察当局調査をいたして解明を進めておるところでありますから、そうしたこともやはり事実を明確にいたさなきゃならぬ面もございますし、一部先生の、言葉は適切じゃないかもしれませんが、そういう事実関係、数字の関係をある程度御調査をされての上でありますが、そういう推測の上でお話になっている面も多少あるわけでございますから、極めてこの問題はシビアに物を考えていかなきゃならぬ点でございます。  したがって、不正があったり、おかしな点があるということは、これは当然正さなきゃならぬことでございますが、私はそういう意味で事態解明というものをきちっとしていかなきゃならぬ、そういう点で申し上げたわけでございます。言葉の不適切についてはおわびを申し上げます。
  139. 橋本敦

    橋本敦君 今後の調査に待ちたいと思いますが、要するに、私が指摘したように、本当に直ちに厳密に調査をしなくちゃならぬという問題は、本件をめぐってまことに山積みであります。  それで、官房長官にお伺いしたいんですが、文部大臣と並んで長官は、この臨教審法案の問題については責任をお持ちの有力な閣僚であります。まさに、これがこういうふうに審議されているときに文部省の本丸の中に、法律を潜脱するわ、ベテランであることをよいことにして会計検査院までごまかしてしまうような仕組みをつくるわ、業者にわいろを三代にわたってたかるようなこういう汚職構造を丸出しにするわ、わいろの受け取りは役所で行うわ、まさに人を人とも思わぬような悪質な事件を今発生させておる。どう考えたらいいんですか。これで教育改革を論議せよと自信を持って政府は言えますか。官房長官の見解を聞きたいのであります。
  140. 藤波孝生

    国務大臣(藤波孝生君) いかなる官庁であれ、公務員として絶えず綱紀を粛正して国民全体に奉仕するという立場で仕事を進めていかなきゃいかぬ、そういうふうにお互いに戒め合っておるわけでございますが、先生指摘のように、特に今日、文教上いろいろな問題があって、審議会を設置させていただいて各界の代表の方々に委員に御就任をいただいてひとつ思い切って教育の論議を深めていただこう、こういうふうに考えて設置法の御審議をお願いしてきておるところでございまして、今日、教育が非常に大事で、いつの時代でも大事でございますけれども、特に今日、大事であるということにかんがみて、この審議会を設けて教育論議を出発させよう、こういうふうに言っております時期でありますだけに、文部省本省あるいは大阪大学文化庁から逮捕者を出して、事件が今解明されておるということ、こういう事件 が起こりましたことはまことに残念なことだと思っております。しかも、文部省だけでなく、内閣全体を通じまして大変申しわけない、こういう気持ちでいっぱいでございます。  今、文部省では調査を進めまして、二度とこのような事件が起こらないようにいろんな対策を講じていきたい、こういうふうにその作業を進めておるところでございますので、ぜひこの作業の行方をお見守りをいただきまして、二度とこのようなことが起こることのない体制をとることによって内外の御期待にこたえていくようにしていただかなければなるまい。内閣としても今回の文部省のこの事件を参考にいたしまして、内閣全体を通じまして、今御指摘をいただきましたように、一つのポスト、特に予算を預かる立場、その人事配置等につきましては十分心して進んでいくようにいたしたい、このように考えておる次第でございます。
  141. 橋本敦

    橋本敦君 官房長官の御趣旨はそれなりに理解はできますが、問題は、汚職というのは実に重大だということを本当に教育の場としてとらえなくちゃならぬ。政府としてもそういう立場でなくちゃならぬ。したがって、どこに原因があったのか、そしてこういう汚職を発生させる土壌がどこにあったのか。私が指摘したように、汚職というのは最も憎むべき、卑しむべき公務員犯罪だと繰り返し綱紀粛正で政府は言ってきたにかかわらず、事もあろうに文部省でこういう重大な事件が起こった。こういうことに対して官房長官は徹底的に調査をすること、その調査の結果、どこに責任があったかを明らかにすること、こういうことも含めて、臨教審、臨教審とおっしゃるけれども、そのことを国民の前に官房長官の責任において、内閣声明とまでは言いませんけれども国民にきちっと明らかにするというぐらいの決意があってしかるべきじゃないんですか。あなたのお話から私はそういう決意はまだうかがえない感じがしたので申し上げるんですけれども、それほど重大な問題だというように私は認識しておりますが、内閣のとるべき責任と処置について、もう一遍お答えいただきたいんです。
  142. 藤波孝生

    国務大臣(藤波孝生君) 気持ちは御指摘のような、そんなふうに責任を痛感いたしておりますし、事の重大性を認識いたしまして、二度とこのようなことの起こらないように措置を急がなければなるまい、このように考えておる次第でございます。  ただ、当面、事件の起こりました文部省で、事件調査と、そして一連の対策を講じていくことの作業が進んでおりますので、そのことをぜひ急いでいただいて、文部大臣も随分責任を痛感しておりまして、この臨教審の審議の中でも元気がなくてしょげかえっておるものですから、元気を出せと私、文部大臣に言っておるぐらいで、気の毒なぐらい責任を痛感しておられる。しかし、それが今回の事件の意味合い、そしてそれを所管される文部大臣の御態度だろう、私もそう思うわけであります。  内閣の中にこういう事件が起こりましたことにつきましては、当然、内閣全体も責任を痛感をいたしておる次第でございまして、内外に声明を発するというのもちょっと形としていかがかと思いますけれども、この委員会の席上を通じまして深く事件の起こりましたことを遺憾とし、また国民の皆さんにおわびを申し上げ、二度とこのようなことの起こらないように、文部省を中心にさらに他の省庁においても十分心して進んでまいるように一層努力をしてまいりたい、このように考える次第でございます。
  143. 橋本敦

    橋本敦君 官房長官、くどいようですが、本来なら総理をお呼びして、総理にも聞くべき重大な事件です。いずれ、その機会があるとは思いますけれども、私は文部大臣責任を痛感されておられることを決して否定はしておりません。問題は、まさに今の政府としてこの事実をどう把握し、国民の前にどう対処するかが問われているということです。だから、早速閣議でこの問題を取り上げ、内閣総理大臣報告をし、文部大臣の意見も聞き、いずれ司直の手はどうなるか、これは先のことです。文部省調査もこれから進むことです。だがしかし、それも含めて、内閣として繰り返し綱紀粛正を宣明してきたにもかかわらず、今この大事な時期に文部省でこの事件が起こったというこのことについて、閣議できちっと文部大臣報告も聞いた上で、内閣としてしかるべき方策をとるという方向について議論をするというぐらいのことはやらなくちゃいかぬと違いますか。いかがですか。
  144. 藤波孝生

    国務大臣(藤波孝生君) 内閣としては、この種事件が起こらないように絶えず綱紀の粛正を呼びかけまして、それぞれ各省庁でいろんな権限を持ったポスト、いろんな仕事の進め方、さらに人事配置等につきましても十分配慮して進むように戒め合ってきたところでございます。今度の事件が起こりましてから、文部大臣から刻々と事件の様子を総理のところにも御報告がございまして、内閣全体で厳しくこの事実関係を受けとめているところでございます。いずれ、調査の全容が見えましたところで文部大臣からまた御報告も正式に閣議にありましょうし、その節、また改めて各省庁の一層の注意を喚起していくようなふうにしてまいりたいと思いますが、今司直の手で一方で捜査が進んでおりますし、刻々と報告も受けて、連絡を取り合っているようなことでございますので、気持ちの上では先生指摘のようなことで進んでいる、このように御理解をいただきたいと思う次第でございます。
  145. 橋本敦

    橋本敦君 納得できません。そういうようななまぬるい内閣の姿勢であるなら、私はこの臨教審法案の審議はできぬと思います。そんな甘い問題じゃないですよ。  文部大臣に伺いますが、文部大臣が事実の進行の経過につれて問題の深さを認識され、責任を感じておられることはわかりますが、初めに文部大臣はどう言われたか。衆議院の文教委員会でこの問題について、鳥野見逮捕された直後のことですが、あなたの御発言では、こんなことでつまづいて気の毒な気がする、まじめな公務員を陥れた業者を憎みたい気持ちだ、こうおっしゃった。この事実は間違いありませんね。
  146. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) その部分だけをお取り上げいただくということは不適当かと思いますが、そういうことを申し上げたことは事実でございます。私は、きょうの午前中の参議院の文教委員会でもそのようなことは申し上げています。  それは、まじめに一生懸命に国家、国民に対し奉仕をしなきゃならぬ公務員がこういうことで不祥事を招くということ、それはもちろん本人に責任は当然あることでありますけれども、たとえ商いとはいえ、こういう公務員をこういう中に陥れていくということ、そういう点については本当に悲しい思いだということは、私は今でもやっぱり思っております。それは、先ほどから先生がおっしゃって、官房長官もお責めになりますが、私自身は、やはり文部行政がこういう形で国民に不信を招いている、そういうことについて大変な怒りを覚えます。しかし、こうした予算執行、物品購入等についての文部省国立大学との関係というのは、大学の研究体制を進めるという意味では、機種の選定とかいろんな形については一般の官庁とやや違った趣があるのではないか、私はまだつまびらかには承知いたしておりませんが、あくまでも学門、大学の自治、自主性ということを考えると、そうしたこともあったのではないかという感じがいたします。これは感じです。いい悪いは別です。ですから、そういう中でそういう予算を執行する、物品購入の権限を持つ人たちをこういう中にもしはめ込んでいったとするならばかわいそうだなという気持ちは、私は人間としてやっぱり持つんです。そのことを私は申し上げました。  もちろん、先生が今お取り上げになった新聞のコピーは、恐らくその部分的なところだけをお取り上げになったわけでございますから、その前段や後段が当然ございますので、どうぞその点だけで私はその犯人といいましょうか、今の容疑者たちを私がただかばい立てをしておるのではないと いうふうにぜひ御理解をいただきたい。私は短い間の文部大臣かもしれませんが、やはり文部省の職員として私にとっては大事な大事な部下であるという気持ちもあって私は申し上げているわけでございまして、決して犯罪をかばい立てたり、容疑者をかばうというつもりで申し上げておるのではない。むしろ、文部行政、教育の任にあるというそういう公務員に対して、こういう社会の中に巻き込むということに対する怒りを私は強調したかったのだというふうにぜひ理解をいただきたいと思います。
  147. 橋本敦

    橋本敦君 あなたが部下を思うということをおっしゃっても、この場合、私はあなたの責任ある大臣としての立場ではそういうことは通用しないと思います。まさに泣いて馬謖を切る思いの方が正義の立場でしょう、公平の立場でしょう。そして、本件汚職がどういうようにして起こってきたかということについて私が時間をかけて解明をしてきたのは、まさにそれは本人だけに帰せられない、この二人だけに帰せられない、文部行政そのものの中に政府が本来とるべき方向づけをとらなかったということにおいて、人事管理の問題あるいは業者との関係の問題も含めて重大な責任があるということを私は明らかにしてきたわけです。これは繰り返しませんが、大臣もおわかりでしょう。  したがって、この汚職の問題については、わいろを役所でもらった、とんでもないことですが、私はその個人を責めるという立場で今物を言うのじゃなくて、そういうことを起こさせてきたという文部行政そのものに一体どこに責任があるのか、真剣な反省を一体どこにすべきなのか、このことを今国民の前に明らかにするのが最大の課題ではないか、こう言っているんです。文部大臣は詳しくは事実関係を全部は今つまびらかにされていないにしても、私が指摘をしたこれまでの経過に照らして一切責任をお感じにならないわけではないと思います。あなたに、文部大臣として本件についてどう責任を感じておられるのか、そのことを感じておられるだけじゃなくて、責任をおとりにならなければならぬ立場であるし、またおとりにならねばならぬ重大な事件が今起こっているのじゃありませんか、教育論議を前にして、こういうことで私は申し上げているんです。みずからの責任をどうとるかということについて、大臣の見解を伺いたいのです。
  148. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) この問題につきまして、衆議院文教委員会あるいは参議院文教委員会を通じまして、私は、私も含めて責任はある、こういうふうに御答弁を申し上げさせていただいております。率直に申し上げて、文部省の省員全体は今意気消沈いたしております。私は、きのうも事務次官とも夕方ゆっくりいろんな話をいたしました。官房長官が私にしょげ返っているという表現をされましたが、私以上に事務次官は責任を痛感しております。それは今、先生がいろいろと御指摘なさいました事務的な責任というものも、十分しっかりと掌握していなかったという面もあろうかと思います。そういう面で、私は今一番責任責任としてとらなきゃならぬ、それは事態解明、そして今一番急がなきゃならぬことは目の前に概算要求というものを迎えておる、文教行政に瞬時たりとも私は怠惰があってはならぬ、そういう意味で今全職員が一丸となってこの大事な行政に当たってほしい、責任のとり方はそれからであっていいはずだ、私はそういうふうに激励もいたしております。  そのことと、決してこの問題の責任を転嫁したり、そしてまたこのことについてまさに責任がないという立場をとるものではありません。あくまでもこの事態解明はしなきゃなりません。そして、私は最初のときから申し上げておるんですが、この事件が起きましてから、本人はもちろんのことでありますが、私も含めて全員がこの責任というものは明らかにしなきゃならぬ、私はそういう気持ちでおります。しかし、現実の問題としての行政、そしてまた国民教育というものについての大きな関心といいましょうか、そうしたものを今持っていただいておる大事な時期でありますだけに、威儀を正して、そして職務を遂行していこうじゃないか、こういうふうに私は申し上げておるわけでございまして、事態解明ということももちろん当局にお願いしなきゃならぬこともございますが、もう一つは、先ほどから申し上げたような三つの部門に分けて、このことだけは直ちに早く国民に向けて明らかにして、そして健全なる体制をつくり上げていくということも私どもは大事な反省点でなきゃならぬ、こういうつもりでこの問題に取り組んでおるのだということをぜひ御理解をいただきたいと思います。もちろん、責任は私を含めて文部省全体が受けとめていかなきゃならぬということを再度申し上げておきます。
  149. 橋本敦

    橋本敦君 私は、国会も国民に対してこの問題の徹底究明の責任を果たさねばならぬ。御存じのように、田中金脈問題やロッキードについては国会決議もございました。徹底解明ということが国会全体の責務でありますが、国民教育という重大な問題について、非行をなくす、すし詰め学級をなくす、子供たちにゆとりのある教育を、さまざまな教育要求を持っているときに、まさにそれを裏切るこういう事態が発生したということについて、文部行政のあり方、あるいは本件の真の原因はどこにあるか、徹底的に国会も国会の責任において明らかにする必要がある、私はこう思っているんです。私は、臨教審の審議を促進するということ、官房長官も大臣もこの問題との関連ではいろいろなお考えがあるかもしれませんけれども、やるべきことは、まず国会もこの責任を果たして、徹底的に問題を明らかにして解明することが先決だというふうに考えているわけであります。  そういう意味で、私は文部大臣と官房長官からそれぞれの立場お話をいただきましたけれども、まず第一に、文部省自体は、私が指摘をして約束した調査はいっぱいあるんですから、まず徹底的にこれを明らかにすること、これをやってもらうこと、そして国会も、文教委員会等でやっておりますが、我が内閣委員会もこの問題では集中審議を行って事態を究明していくこと、こういうことをすべきだという考えを持っておりますので、この問題はいずれ理事会等においても御協議をお願いしたい、こう思っております。  それで、私の時間は刻々と過ぎてまいりますので、いつまでも汚職問題ばかりやっておるわけにはまいりませんので、次の問題に入ってまいります。  官房長官はお急ぎのようでございますから、また次回のときにお願いすることとして、ありがとうございました。  文部大臣にお伺いしたい第一点は、この臨教審が、法案そのものを見ますと、会議は公開にするとも非公開にするとも書いていないのであります。修正案を見ても、守秘義務は書いておりますが、会議そのものの公開、非公開には何ら触れていないのであります。この会議は、こういう法の規定のもとで非公開にする法的根拠は私はないと見ておりますが、その点についていかがお考えなのか、大臣の見解を聞きたいと思います。    〔委員長退席、理事坂野重信君着席〕
  150. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 教育改革は広く国民全体にかかわっておりまして、たびたび申し上げておりますが、我が国の将来の命運を左右する大事な問題であろうというふうに考えております。したがいまして、臨教審の審議のプロセスあるいはその概要等につきましては国民に、当然多くの皆さんの意見が反映されますように、そしてまた国民の理解と協力が得られるように配慮しなきゃならぬ、これが大前提であるというふうに考えております。したがいまして、先生から今御指摘がございましたように、これを公開するかどうか、これは審議会において審議会御自身で御判断をされて御決定をすべき事柄であろうというふうに考えております。  私は、今まで文部省としてこのことについてお答えを申し上げておりまして、確かに審議の公開 というものは大事な一つの考え方であろうというふうに思いますが、御発言をなさる委員のお立場というものを常に私どもは考えてあげたい。できるだけ自由濶達な御論議をしていただくということが日本の教育の将来にとって大事なことではないだろうか、こういうふうに考えますと、委員の自由な発言が制約される、そういう意味では審議会の審議に影響を及ぼすということになるのではないか、そういうふうに私どもは考えておるわけでございます。  しかしながら、御指摘をいただきましたように、教育の論議というものの中には秘密性があってはいかぬと私も考えておりますから、そういう意味では審議の経過や概要は必要に応じまして適宜公表していく。これも御人選をいただく会長や委員の皆さんでその方法等については御検討をいただきたいというふうに考えますが、そうした審議内容を適宜公表していくとか、あるいは地方で公聴会を開きますとか、アンケートの調査やあるいは論文を募集するとか、さまざまな工夫を凝らしていくことが妥当ではないか。その工夫等についてのそうした仕方、やり方というものについては審議会自身で御検討をいただきたい、私どもはこのように考えているわけでございます。
  151. 橋本敦

    橋本敦君 結論的に言いますと、大臣、この審議会は法案自体で公開にせよとも非公開にするとも書いていないが、あなたの期待として、審議会で決めることであろうけれども、非公開にして適宜、適当な報告をと、こういう意見を希望的に述べられた、こう伺ってよろしいですか。
  152. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) そのとおりでございます。
  153. 橋本敦

    橋本敦君 私は、それは重大な問題だと思うんです。審議会が非公開にするか公開にするか自主的に決めるということをおっしゃりながら、所管の大臣が非公開にしてくれとおっしゃることは、自主的に決めることについてあなたの公権的な期待を述べるわけですから、そういう意味では審議会の論議を自主的にとおっしゃるこれまでの経過からして私は慎まれるべきことではないかと思います。いかがですか。    〔理事坂野重信君退席、委員長着席〕
  154. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 臨時教育審議会の設置法案の中に公開制という問題を条項として書いていないではないかという御指摘は、衆議院段階でもよくございました。今、先生お尋ねのも、この審議の公開についてどう思うかということでございますから、私なりの見解を申し上げたわけでございまして、どちらも言わないでおくということは答えにはならないだろうということになります。一方的なことを言ったらそれは拘束することではないかというおしかりをいただくのも、これも一つの私は御意見であろうというふうに思いますが、公開についてどう思うかということでございましたから、私は先ほど答えたようなことを申し上げたわけでございます。
  155. 橋本敦

    橋本敦君 あなたの期待に反して審議会が公開と決定して会議を行うことも、これはそう決められた以上はあえてそれ以上の大臣の介入的行為というのは一切ない、お決めになって結構だ、こう伺っていいわけですね。
  156. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 審議会自身で御判断をいただくことであろうと思います。
  157. 橋本敦

    橋本敦君 私は、大臣、あなたがおっしゃった審議会が公開か非公開かを自由に決めていいということよりも、一歩進んで、そうではあってはならぬという立場で考えています。  これは法制局長官とも、これから御意見を伺いながら、議論をしていきたいところですが、例えばこの審議会というものは、本来、行政の中でどういう位置を占めるかということです。それについていろんな資料がございますけれども、行政法の権威である憲法学者の佐藤功教授の「審議会」という本をちなみにひもときますと、「審議会は、要するに、専門知識の導入、公正の確保、利害の調整、各種行政の総合調整等を目的とするものであるということになろう。しかし、これらの目的のさらに根本的なところにある目的―存在理由―としては、行政に関する国民の直接的参加ということを挙げるべきであろう。」と、こうおっしゃっています。これは、私は憲法が原則としている国民主権という立場から見て、国民の前に開かれた行政という憲法的要請から見てこういうことは当然言えるだろう、こう思います。  そして、これが憲法学者の単なる見解ではないということで、昭和三十九年九月の臨時行政調査会の「中央官庁に関する改革意見」というのを見たんですが、これにはどう書いてあるかといいますと、「審議会等は、行政運営上、各種専門知識の導入、公正の確保、利害の調整、各種行政の総合調整等の目的をもって設置される。」。次が大事です。「戦後においてこの制度は、行政の民主化または官僚行政の打破という観点から、行政委員会制度の採用と並んで重視されるようになった」と、こう言っています。妥当だと思います。つまり、昭和三十九年の政府側の臨時行政調査会の意見でも、審議会とというのは本来的に行政の民主化、これを目指すところにその基本があるということを言っているわけです。  だから、こういうことを考えますと、審議会というのは公開か非公開か審議会が自由に決めるということが憲法的要請なのではなくて、憲法的要請は、本来的に行政の民主化の一環としてこういった審議会は公開にするということを憲法は要請していると今の民主的行政秩序の中では考えられる、そういうものだということが一つあるわけであります。その証拠として、これまでの各種審議会がどうなっているかを見てみましょう。そうしますと、どうなっているかを見てみますと、例えば航空事故調査委員会、運輸審議会、あるいは社会保険審査会、いろんなものがあります。国会同意人事もあります。そこで見ますと、社会保険審査会は公開、労働保険審査会は公開、公害健康被害補償不服審査会は公開、地方財政審議会は特に決めていない、それから航空事故調査委員会は明文規定は特にないが慣例的に非公開でやっているということで、公開でやっている委員会も随分あるということです。慣例的に非公開のもあります。だがしかし、原則として私が言ったそういう建前から考えるならば、可能な限り審議会等は公開であるということが憲法的な要請としてあるのだということは言えるのではないかと思いますが、この点について法制局長官の御見解はいかがでしょう。
  158. 茂串俊

    政府委員(茂串俊君) ただいまのお説、いろいろ示唆に富んだ内容を含んだものだと考えておるわけでございますが、ただ審議会の運営一般論として申し上げますと、これは先ほど文部大臣からのお話にもございましたように、審議会それぞれのお考えがあり、またその審議会で審議すべき事柄、内容、そういったことにかんがみまして、果たしてこれを公開するのが適当であるか、それとも不適当であるか、あるいは公開は当座はしないでおいて後から取りまとめてこれをいわば事後に公開するという方式の方が適当であるかという、そういったいわゆる審議のあり方につきましては、これはそれぞれの審議会がいわば自主性を持って決定し、そうして最もその審議会にふさわしい方式によって処理するというのが私は最も好ましいあり方である、かように考えており、また憲法の点から申しましても、確かに知る権利、これは判例にも取り上げている面がございますし、また憲法のよって立つ基盤である民主主義社会のあり方と結びついたものとして十分尊重されるべきであるということは当然でございますけれども、この審議会の審議につきましては、およそ公開しなければ憲法に触れるとかあるいは疑いが生ずるということはないのであって、その審議会のそれぞれのお考えで最も好ましい、ふさわしい方式を編み出され、そうしてそれによって審議を進められるというのが私は最もあるべき審議の形ではないか、かように考えております。
  159. 橋本敦

    橋本敦君 法律論争になってくるのは恐縮ですが、私が指摘した民主的な行政の中における審議会のあり方と憲法的要請、そのことについては頭から否定なさることはできぬと思います。それは 今も御答弁にあったとおりです。  大臣も長官も御存じと思いますが、私は改めてアメリカの行政機関会議公開法をひもといてみました。これは大変立派なものであります。情報公開法、知る権利、これを決めた上に、例のニクソンのウォーターゲート事件の教訓に照らして、国民の前にもっともっと政府の政治、行政、これを明らかにしなくちゃならぬという要請から、行政機関会議公開法というのが一九七六年に定められていったわけであります。  これによりますと、これはアメリカ合衆国における連邦準備制度委員会、合衆国輸出入銀行委員会、合衆国郵政公社その他、各省約五十の機関が、この法律が施行されて以後、この法律が定める特別の場合を除いては会議を全部公開にしなくちゃならぬということをこの法律の第三条ではっきりと明定し、その会議のテーマ、開かれる場所等を事前に開示することとともに、国民が行政が今何を問題にしているかということを明確に知り得る条件を見事につくっていっているわけであります。  この会議を非公開とすることができる十項目がありますが、国防・外交問題、内部的人事規則問題、企業秘密、いろいろあります。しかし、それに該当する場合でも、その会議の逐語的速記録は完全にとり、レコーディング、録音もやり、その会議が将来司法的要請で会議録を出さねばならないようなことがあり得ることに備えて会議録はきちんと置いておけということもこの法律は命じているわけであります。  私は、すばらしい法律だ、こう思うのでありますけれども、まず、この法律の第二条で、この法律の目的に関する政策宣言でどう言っているかといいますと、アメリカ合衆国はその政策として、行政府の政策決定過程に関する情報についての知る権利を公衆に与えると宣言しているのであります。文部大臣、ここが非常に大事です。あなたは会議の結果は適当に国民に知らせる方法をとるということが妥当だとおっしゃいました。しかし、本当に知る権利と民主主義を徹底するなら、政府が決定した政策の結果だけではなくて、その政策が決定される政策決定過程に国民の目が届くようにしなくちゃならぬと言っているのでありますから、私はアメリカのすべてを褒めるわけじゃありませんが、事民主主義ということになれば、この法律は私は立派なものだ、こう思うのであります。  ちなみに、この法案を提出するに当たって提案理由を述べたチャイルズ議員はどう言っているかといいますと、「ブランダイス連邦最高裁判事はかってこう書いた。『公開ということは、正に、社会、産業における病弊の治療法として推奨される。日光は最良の消毒剤であり、電灯の明りは最も敏腕な警察官であるということができる。』」、これはブランダイス判事の名言ですが、「政府の活動に対しても同様にブランダイス判事のこの治療法を適用することができると私は思う。民主的な自治政府と情報に通じた市民層とは、白日の下に公開される公務の執行を不可欠のものとしつつ、おのずから手に手をとりあって歩むものである。国民は、このような公開を通じてのみ、投票や発言によって政府のどの決定が正しく、公平であるかを判定し、表現することができる。」、こう言っているのであります。  そしてまた、この法律に署名をした当時のフォード大統領は、署名と同時に声明を出してこう言っております。「民主主義下にあっては、公衆は知る権利を有している。政府が決定したことのみならず、なぜ、どのような過程を経て決定されたかを。(新法は)、政府が奉仕し、国民が支配するというアメリカの誇るべき伝統に一致するものである。(本立法は)、この伝統を再確認し、かつ、これに目の光を当てるものである。」、こう言っております。  そこで、この法律の名前はガバメント・イン・ザ・サンシャイン・アクト、つまり太陽の白日のもとに政治を置くという、こういう名前がつけられたすばらしい法律であるわけであります。私がこれを言うのは、アメリカのこの法のとおりにせよというのではありません。普遍的な原理としての民主主義の行政のあり方として今日日本でも定着しつつある知る権利ということを考えても、憲法的要請を考えても、法自体に公開にするか非公開にするかを特別に決めていない、自主性に任されてあるということになれば、それは今日的な憲法的、民主的要請としてみだりに非公開にしてはならぬというように法を解釈、運用するのが当然ではないか、こういうことをこのアメリカの例を通じて私は指摘しているわけであります。  そこで、文部大臣に伺いますが、旧教育委員会法において公選制の教育委員会時代がございましたが、そのときには旧教育委員会法で会議は当然に公開と定められていた、この事実は御承知のとおりだと思いますが、間違いございませんね。
  160. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 御指摘のとおりでございます。
  161. 橋本敦

    橋本敦君 戦後、多くの行政委員会がつくられましたが、公開ということを、押しなべてこのアメリカのガバメント・イン・ザ・サンシャイン・アクトのように全部公開にしなくても、教育委員会教育委員会法において会議は公開と決めている、これは非常に重要なことであります。なぜなら、それは大臣もおっしゃるように、およそ教育ということは、国民的合意、それを基盤としてつくるべき重大な国民課題ですから、教育に秘密があってはならぬという民主的な意思が反映をしていた、こう見るわけであります。  ところが、この法律が残念ながら地方教育行政の組織及び運営に関する法律ということに変わって、公選制は廃止されました。そういう公選制がなくなって現在の教育委員会制度ということになりましたが、現在の教育委員会会議を公開にせよという明定の法律がなくなったもとにおいて、全国の都道府県教育委員会の会議はどうなっているかを文部省に調べをお願いしたんですが、全国都道府県の中で原則として公開としている規則を持っている県、原則として公開としていない県、それぞれの数をお述べいただきたいと思います。
  162. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 四十七の都道府県の状況でございますけれども、それぞれの県の規則の規定の仕方等が大変まちまちでございますので、なかなか分けるのが難しいわけでございますけれども、大体の概況として御説明をさせていただきますと、四十七都道府県のうち、原則を公開としておるものが四十、それから非公開が原則となっていると認められるものが七都道府県の教育委員会、大体そんなような状況になっております。
  163. 橋本敦

    橋本敦君 私がいただきました資料もそうです。  だから、大臣、ここのところを考えてほしいんです。教育ということの論議は、やはり本当に民主的にやっていくというために、旧教育委員会法が公選制でなくなって任命制になったもとでも、各都道府県はそれぞれの規則で四十が原則として公開を守ってきたんです。そして、そのことで支障が生じて非公開にするというような論議は起こっておらぬのです。原則として公開としていない県は七県ありますが、許可を得て傍聴できるということで国民に開かれた部分を持っているのがたくさんあります。私は、教育という問題について、戦後の民主教育の伝統はやっぱり死んではいないという一つの例証と見て尊重すべきだ、こう思うんです。これはこれとして尊重すべきだということについて特に御異論がないと思うのですが、念のために大臣の御意見を聞いておきたい。
  164. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 教育委員会の現状につきましては、今、局長から御答弁申し上げましたように、現状についてはそういう認識をいたしておりますし、それは基本的にそのような判断でよろしいかと思います。
  165. 橋本敦

    橋本敦君 そこで、私は若干の通達を調べてみたんですが、例えば昭和三十一年六月三十日、文部省の初中局からの三百二十六と番号のある文部事務次官通達、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律等の施行について」とあるのを見ますと、法制局長官にお伺いしたいんですが、「会議 公開の原則は、本法」、つまり地方教育行政の組織及び運営に関する法律「に規定せられてはいないが、これを禁止するものではなく、」、つまり公開を禁止するものでなく、「その採否は教育委員会規則にゆだねたものである」、こうして教育委員会の自主性に判断を任せているという通達を出していますが、これは地教法の法解釈として間違いではないと思いますが、そうでしょうね。
  166. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 現行の地方教育行政の組織及び運営に関する法律におきましては、会議の公開について何らの規定を設けていないわけでございますので、これについてどうするかという判断は、各都道府県、市町村の教育委員会それぞれが判断をすべきものと考えておるところでございます。
  167. 橋本敦

    橋本敦君 もう一つ、昭和三十三年一月九日に、地初八十九、文部省初等中等教育局長から秋田県人事委員会委員長あてに大事な通達が出ております。これは大臣、こういう諮問を秋田県からしたんです。公選制がなくなって任命制になった、そこで会議公開の原則が法律でなくなったのは、任命制になったから公開原則を特に維持する必要がないためであると思うかどうかという諮問です。これに対して文部省はこう答えています。そうではない、会議公開原則の採否はこれは教育委員会の自律によって定めるよう教育委員会規則にゆだねたもので、委員選任の方法、公選か任命か、これの変化とは関係がない、こう言っています。これは文部省通達です。この通達の考え方も法解釈として私は正しいと思うんですが、法制局長官、いかがですか。
  168. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 当時、旧教育委員会法におきましては、教育委員会の会議につきまして、会議の招集者、主宰者、職務代行者、会議招集の方法等々非常に多岐にわたって細かく決めておったわけでございますが、新しい法律に改正をいたしました際に、こういった細目的な事項についてはすべて教育委員会自体の方針に任せようということで改めたもので、現行のような制度になっているということでございます。
  169. 橋本敦

    橋本敦君 それはわかっています。  その趣旨は、教育委員が任命制であるか公選制であるかという委員の選出方法にかかわるものではない、委員会の自主性に任すのだという通達は解釈としては間違いないですねと、こう聞いているんです。そうでしょう。
  170. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 当時の通達を手元に持っておりませんのであれでございますけれども、御趣旨として、先ほど申し上げたような趣旨で法改正が行われ、自主性に任せるという趣旨で法改正が行われたわけでございますので、他の理由によってどうこうということではないわけでございます。
  171. 橋本敦

    橋本敦君 そこで、もう一回もとへ戻ることになりますが、こういう建前で教育ということのやっぱりそれ自体重要な民主的な内容を持つということを踏まえてまいりますと、私は憲法の知る権利を保障した二十一条以下の民主的の原則、それから先ほども触れました行政の民主化ということ、知る権利を当然憲法的要請とする国民主権の原則、そして何よりも、教育は国が教育権を持つのではなくて、二十六条で国民教育を受ける権利を持っているという民主的な宣言、こういったものとの関係で正しく会議が、その委員会の公開、非公開が自主性に任せられているということを解釈するなら、それは私はどちらでもよいという解釈ではなくて、特別の事情がない限りは公開にするという解釈をとることが今日の憲法体系下においては当然正しい解釈になるのだということを、事教育審議会、事教育委員会ということに改めて問題点を置いて強く指摘をしたいのであります。こういう私の考え方が間違っているでしょうか、間違ってないでしょうか、文部大臣並びに法制局長官の御意見を聞きたいと思うのです。
  172. 茂串俊

    政府委員(茂串俊君) 文部大臣お答えになります前に、いわば憲法にも絡む問題もございますので、私から先に御答弁を申し上げます。  先ほども申し上げましたが、知る権利につきましては、これは民主主義社会の基本をなすあり方と結びついたものとして十分尊重すべきことはもとよりでございますが、今日、この知る権利というものが権利として実体的に成熟しているかといいますと、これは残念ながら判例の積み重ねもまだございませんし、またよく問題になります情報公開法というようなものもできていないわけでございます。また、行政手続につきましてもいろいろ問題がございまして、いろいろ検討は総務庁でなさっておりますけれども、まだ結論のところまで行っておりません。そういう意味で、この知る権利というものが憲法上のいわゆる保障される権利として成熟しているかといえば、必ずしも成熟しておらないということが一つございます。  それからもう一つは、これは建前論でございますが、いわゆる審議会なるものはこれは合議制の独立した機関でございまして、その自主性というものは、行政組織の建前から申しましても十分にその自主性を尊重されるべきものであるという性格を持った機関であると思うのでございます。そういった面から、今御質問のあった点も検討、判断をされるべき筋合いのものである、かように考えておる次第でございます。
  173. 橋本敦

    橋本敦君 文部大臣に伺いますが、公開にするか非公開にするかはその審議会が自主的にお決めになることだ、自主性は尊重する、大臣の希望は別です。もとへ戻りますが、この大臣立場は変わりませんね、尊重するという立場は。
  174. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) もちろん、運営の仕方あるいは公開をどうするか等々については審議会自身で御判断をいただくものであろう、このように考えております。
  175. 橋本敦

    橋本敦君 そこで、この審議会が私が指摘をしたような考え方、法制局長官と違いましたが、私が指摘をしたような憲法的な要請を基本として、教育に秘密はない、教育国民的合意を一層進める上からでも教育政策の問題は公開にすべきだということで、この会議を公開にするいうことを自主的に決定した場合、法制局長官、それはそれで法律的には当然妥当であり、違法だというような問題は一切起こらない、これは確認できますね。
  176. 茂串俊

    政府委員(茂串俊君) 審議会が自主的な立場審議を公開すべきであるというふうに御決定になられた場合を考えますれば、それはおっしゃるとおり違法というような問題は起こらないと思います。
  177. 橋本敦

    橋本敦君 今、法制局長官は国民の知る権利、そういったものはまだ我が国の実際の行政や法律的な実情の中で定着していないとおっしゃいましたが、次第に定着しつつあることは事実であります。例えば、私はここに埼玉県の都市計画地方審議会の会議録を公開せよという埼玉県の情報公開条例に基づく事件判決を持っておりますが、これは一審で確定いたしましたが、会議の非公開を理由に議事録を出さないという処置がこれが違法な決定であるとして、その取り消し処分が昭和五十九年六月十一日に言い渡されております。  それから、さらに私は手元にもう一つ大阪の箕面市の教育委員会の会議録の閲覧を請求したところ、それが不許可になったので、それの取り消し請求を求めた事件で、住民が勝訴をして、議事録の閲覧を許可すべきだということで判決が下された判決も持っております。これも確定をいたしました。  この二つの判決で共通していることは、知る権利が民主的秩序として、法解釈の現実の適用として妥当し始めているということであります。そして、特にこの箕面市の判決で重要なことは、こう言っているんです。「当裁判所は、会議公開の規定は、地方自治法上重要な規定であると考えるから、」それは地方教育委員会ですから、「この規定を廃止すること自体が、」、つまり教育委員は規則で決めているのだから、規則で会議公開を決めたのだから、会議公開に決めるのも、またこれを廃止して非公開にするのも自由だと主張したことに対して、それはだめだ、「会議公開の規定は、地方自治法上重要な規定であると考えるか ら、この規定を廃止すること自体が、違法ではないかという疑問をもつ。」と判断理由の中に判示しているのであります。  そこで重ねて、私の質問時間がなくなってまいりましたが、文部大臣に言いたいことがある。あなたが教育に秘密はないとおっしゃるなら、そしてこの審議会が公開でやるということを自主的に決めれば、それは法制局長官が言うように違法ではないし、文部大臣が言われるようにそれはその自主性は尊重すべきである、こういうことならば、教育を預かる文部大臣として、ガバメント・イン・ザ・サンシャイン法ではありませんけれども教育国民的合意を本当にガラス張りにしていくという民主的な立場に立って、あなたは堂々と公開で論議していただいて結構ですというようにおっしゃるべきではないかと私は強く思うわけです。  そして同時に、そのことがおっしゃれないということであるなら、そしてまた大臣も政府もこの会議が非公開で行われることをこれまでの答弁のように期待をされるというのであれば、私はこれはまさに法の規定において欠陥法である、非公開を当然に許すような法自体は欠陥法である。箕面の判決が言うように、非公開にすること自体が憲法秩序に違反するという疑いを持つという裁判所の考え方も定着し始めているときに、非公開で結構だというそのことを政府が要請し妥当視するようなことで運営されていくようなことを許す法律ならば、私は重大な欠陥がある悪法であり、全国四十都道府県の教育委員会会議が公開しているそのときに、中央の臨教審が非公開でやるなどということはもってのほかではないかということを教育立場において改めて厳しく指摘をして、大臣の所見を伺って、ちょうど三時二十分になりましたので、きょうの私の質問を終わります。  さらに、これと関連をして守秘義務等の問題についてお尋ねしたいことが山ほどありますが、次回に譲らせていただきます。
  178. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 審議会の公開、非公開につきましては、先ほどからも答弁をさせていただきましたように、審議会御自身が国会の御判断をいただいて成立をいたしましてスタートいたしました時点で御判断をいただく大事な点であろうと思います。  また、おしかりをいただくといけませんので、あくまでも先生がどう思うかということでございますのでそういう立場で申し上げれば、私はやはり教育の御論議を深めていただくということについては、これは確かに秘密性はないと思います。しかし、また一面においては、先ほど先生幾つかの例を、航空事故審査でありますとか労働保険云々と申されましたが、これはやはり特定の一つの事柄についての公正な判断をするという、そういう審議会でもありましょうし、教育の諸制度全般にわたるものでございますから、場合によっては今ある制度をある意味では改変をしていくということがかなりドラスチックに行われる線も出てくると思うんです。  先ほど成熟のお話が法制局長官から出ましたけれども、日本の国も民主主義というものが大分成熟はいたしてまいりましたけれども、まだやはりいろんな意味で、例えば私が予算委員会で幼保の問題をとらえて幼保一元化の考え方を示した途端に、私のところには随分抗議が参ります。私は決して保育所をなくしてしまって幼稚園に併合させようという気持ちで申し上げているのではないんですが、そういう考え方がどうも外に喧伝をされていくわけであります。どんな圧力が来ましても、圧力と言っていいのかどうかわかりませんが、保育所関係の皆さんから随分私に対してはそういう発言をするなということはよく参りますし、一番つらかったのは、選挙区の保育所団体から来るのが私はつらかったです。ですから、決してそんなことに、政治家でありますから信念は貫いてまいります。  しかし、臨時教育審議会委員の皆さんがどういう方々になるかはこれからの問題でありますが、私どもと違って、そういうことを専門に議論をし、政治的に考えていく立場の人ではない、それぞれいろんなお仕事を持って、広くいろんな御見識を持った方々がお集まりになっておられますから、先ほど申し上げたことに戻りますが、諸制度をかなり改めていこうといたしますと、今の権益を守っていこうというそういう考え方の方もあるわけでありまして、そういう意味では、日本の国の場合は往々にいたしましてそういう面について非常に民主主義というものはまだまだ成熟していない面もなきにしもあらずという例は幾つかございます。  したがいまして、先ほども答弁申し上げましたように、いわゆる審議を秘密にしておきたい、国民に公開をしないでおきたいという考え方ではなくて、論議を進めていただくためには、できるだけ幅広い、そして自由な論議をしていただくということを期待したい。そういう立場から委員の皆さんに自由な御発言をいただけるような、そういう場面を私はできるだけつくってあげるということがよりよい改善の案が出てくるのではないか、改革の案が出てくるのではないか。こういう考え方から申し上げておるわけでございまして、先ほどちょっと先生質問でお間違えになったのだと思いますが、決して私は結果を公表するということではございませんので、審議の経過は逐一私は公表をしていくということは大事であろうというふうに申し上げておるわけであります。私の考え方はそういう考え方でございまして、もちろん審議会を拘束していくものではございませんことは言うまでもありません。
  179. 関嘉彦

    関嘉彦君 私は、森文部大臣に対して臨時教育審議会法案につきまして、また久保議員に対しましては国民教育審議会法案につきまして質問したいと思っておりますけれども、その前に、私がどういう立場から質問するかということを説明しておきたいと思います。  政府の案の方は、民社党の呼びかけに応じてできたものと考えていいと思いますので、内容的には私は賛成でございます。しかし、でき上がった結果だけは同じでありましても、我々の考え方がどの程度政府の方に理解されているのかどうか、案外その趣旨を誤解して法案だけ一致しているということもあると思いますので、その趣旨をただすという点から質問申し上げたいと思っております。  また、久保議員には本当に御苦労さんでございますけれども、今度社会党の人が臨教審に単に反対するだけじゃなしに、その対案を示して、反対案を出されたことを私は高く評価します。内容自身については私は反対ですけれども、しかしやはり二つの案を、政府の実とそれに対する反対案を並べまして、それぞれがどういう意図を持っている、どういう目的を持っている、これを議会の中の論議を通じて国民の前に明らかにする。今度の議会では社会党の方は少数ですからあるいは敗れるかもしれませんけれども、しかし、この論議を通じて国民の間に選択の材料を与える、そういう意味においてこれから質問をいたしまして、社会党の考え方と我々の考え方とどこが違うか、そういうことを明らかにするために質問したいというふうに考えております。  まず、個々の問題に入ります前に、全般的にお二人に対して質問したいんですけれども、戦後現在まで、戦前の教育から変わっていわゆる戦後教育というのが実施されてきたわけですけれども、どういう点をいいというふうに評価され、またどういう点に欠点があるというふうに評価されているか、まず文部大臣の方からお伺いして、そして後、久保さんにお願いしたいと思います。
  180. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 戦後教育の評価あるいは戦後教育の欠点という点をどう考えるかということでございますが、どうも御質問をされます先生教育に極めて御経験深い関先生、私は年齢的にも極めてまだ非才でございまして、御質問をされる方の方がよく教育に御精通をされておるお立場、そういう面で私がお答えを申し上げるということは大変御無礼のような気持ちがいたします。  ただ、私は昭和十二年生まれ、そして昭和二十 年のときに小学校二年生でございましたので、戦前の教育を若干幼児期において承知をいたし、そして戦後はずっと新しい教育、どちらかというと日本の教育の大きな変遷の中で私は学校教育を終えた。前島先生もそうだろうと思うんです。同じような年代で、そういう考え方で実感としていろんなことを体験をいたしてきておるわけでございます。  いわゆる戦前の教育は、明治政府が世界に目を向けて教育を開いた。それはまさに身分制度や家柄制度というものを廃止して、人間の力というものをある意味では平等、そして努力する者は報われるのだ、そういう一つの形を、民主的な形といいましょうか、個人が努力するということを教育の上でこれを明らかにした、そういう意味で私は大変大きな成果があったと思うんです。  さらに、戦争という大きな反省がございました。もちろん、失ったものは大変大きかったと思いますが、そのことによって、民主主義あるいは平和でありますとか平等とかいうような近代的な国家としての哲学というもの、そうしたものを、戦争によって犠牲は大きかったけれども、また日本はそれを得ることができた。そして、先般お亡くなりになりましたが、森戸先生の時代に義務教育をさらに三年を延長された。これも当時の財政状況やいろんなことから考えますと大変なことであっただろうと考えますが、そういう中で六・三制を中心にして普及発展をさせてきた。  この制度は、教育の機会均等を実現し、国民教育水準を向上させていく、そういう意味で国民の人間形成や人材育成の面で大変大きな成果を上げて今日の社会の発展に大きく寄与いたしてまいりましたし、また国際社会におきます日本の地位の高まり等々も、こうした戦前と戦後の教育をあわせて大きな効果をもたらした、そういうゆえんのものであろうというふうに私は認識をいたしております。そういう一つの大きな背景の中で、国民教育に対する熱意あるいは人格の完成を目指す教育の理念、教育の機会均等、今日の高い教育水準、そういう面が維持発展を図られてきたということでは戦後の教育の大きなプラス面であろうというふうに私は考えます。  そして、そういう大きな成果を誇ってまいりました今日の日本の教育でございますが、最近のこの急激な社会の変化あるいは価値観の変動といいましょうか、文化の発展、こうしたことは、先生にこんなことを申し上げるのは大変御無礼だとは思いますが、私はそういう社会の変転といいましょうか、変化というものに、今の日本の諸制度はすばらしい成果をおさめたものの、対応していくということがなかなか制度として硬直化してしまったといいましょうか、あるいは画一化してしまったと申し上げましょうか、そういったことがさまざまな、教育というものを一つの要因と考えられる社会的な荒廃、病理現象みたいなものを生み出してきている。あるいは学校教育、社会教育、家庭教育全体に考えてみましても、さまざまな問題というものが指摘されるに至っている。そのことが児童生徒の問題行動あるいは過熱した受験競争、そして学歴偏重の社会的風潮というものをつくり出してきた。こういうことが指摘をされているというふうに私は見ているわけでございまして、そういう面が戦後教育一つの、今日の時点で考えられます欠点というふうにあえて申し上げていいか、私は教育を今日、戦前と戦後に並べてみた場合、そういう考え方を持っておるわけでございます。
  181. 久保亘

    委員以外の議員(久保亘君) 私は森文部大臣よりも少し年長でございまして、昭和四年の生まれでございます。そして、私は戦時中、少年のころに陸軍の幼年学校に入学いたしました。終戦のときは士官学校に在学中でございました。私どもは、そういう意味では戦前の日本の教育というものを実際に教育を受ける側の者として体験をしてきた人間の一人だと思っております。  そのとき、私どもが少年時代に思いましたことは、国家の命ずるところに従って天皇のために命を捨てることが日本人としての一番の生きがいである、こういうふうに教えられてまいりましたし、そう信じてまいりました。そして、戦争に負けてから民主主義という新しい言葉を初めて聞くようになりました。私たちは、人間のまた違った生き方というものを砂漠で水を求めるように大変新鮮な気持ちで受けとめてまいったように記憶をいたしております。それで、私はそういう中で戦後に教師の道を歩んでまいりました。戦後の教育では、今度は教える側の人間として経験をしてまいりました。  そういう経験を通して、今、関先生お尋ねお答えするとしますならば、やはり戦後の教育は民主、平和、人権という日本国憲法の三つの原則、その上に立って個人を人間として尊重する人間主義といいますか、そういう立場に立って個性を伸ばしていく、そういう教育基本法の考え方に基づいて教育が進められてきたことは大変すばらしいことであったと思っております。そして、この教育基本法の根幹に座っております、すべての子供たちに教育の機会を均等に保障するというこの戦後教育の理念が、今日、我が国の世界に類例を見ない高い就学率を生み出し、国民教育の水準を上げてきたものではなかったろうか、このように考えているのでございます。  また、教育行政の理念で申しますならば、戦前と戦後の違いというのは、例えば義務教育というものについて考えてみますならば、義務教育というのは国家の定める教育を子弟に受けさせる親の義務をいうばかりではなくて、それと同時に、国民の求める教育を国家がすべての子供たちに対して保障する義務を指しているのだと私は思っているのでございまして、そういう点では戦前と戦後の教育は大変異なっていると思っております。そういう戦後の教育の理念、教育行政のあり方というものを通じて、今日、戦後の日本の教育はかなり成果を上げてきたと考えております。  しかし、欠点、批判すべき点は何かということになってまいりますと、このような憲法や教育基本法の理念、新しい民主主義教育のあり方という立場に逆行するような考え方や動きが、日本の政治の変遷と相まって非常に強くなってきていることも事実でございます。教育の主権が国民にあるとするならば、教育委員会の公選制を廃して任命制に変えたことなどは戦後の教育の理念を私はゆがめる原因になったと考えているのでございますが、そういうことや、あるいは文部省という役所が教育行政のあるべき立場を越えて、教育の現場や教育内容に余り深く介入し過ぎていったことも戦後の教育に欠陥を生じてくる一つの原因になったように思っております。  また、財界等の要請や介入とも相まって、学歴偏重の風潮が非常に強くなってまいりました。この学歴偏重の風潮が、学校教育の中に偏差値によって人間を判断したり、偏差値によって差別をつけたりするような考え方を持ち込み、それがまた受験地獄にも発展するというようなことによって、今日、教育の荒廃と一般的に言われます青少年の社会における荒廃を生み出していることは、戦後教育の中で私どもは批判をしなければならない問題だと思っております。そして、そのような戦後教育の批判の上に立って、今私たちは教育改革を求める国民の声が高まっているのではなかろうか、かように存じている次第でございます。
  182. 関嘉彦

    関嘉彦君 文部大臣は私が大学を卒業した翌年お生まれになり、久保さんは私が高等学校を卒業した年にお生まれになった。私から言わせれば非常にうらやましいと思いますけれども、私自身の、年をとった者としての戦後教育に対する評価の問題は後で申し上げるといたしまして、早速、臨教審及び国民教育審議会の入れ物についての質問に入りたいと思います。  臨教審の方は民社党は大体賛成でございますので、最初国民教育審議会のことに、つきまして久保さんに御質問したいと思うんですけれども、この二つを並べてみますと、国民教育審議会の方は恒久的な機関であり、臨教審の方は臨時的なものでありますから、それをそのまま並べて比較するということは妥当ではないと思いますけれども国民教育審議会の方はむしろ現在の中教審にかわるものというふうに考えた方がいいと思いますけれども、しかしまた共通の問題もございますので質問いたしたいと思います。  まず最初に、社会党の案では総理大臣のもとに委員会を置くことに反対して文部省に置くことを主張されているわけですけれども、総理大臣のもとに置くことに反対される論拠、つまりこれは自民党政権のもとであるから反対なのか、あるいはもし石橋委員長が総理大臣になれば、そのときにはそれで構わないのか、これは恒久的なものですから、そういうことはないとは決して言えないわけでございます。あるいはこれは首相が中曽根さんであるから反対されるのか、その点をひとつ明らかにしていただきたいと思います。
  183. 久保亘

    委員以外の議員(久保亘君) 私は、教育基本法を支持し、尊重する立場に立っておりますので、今、先生お尋ねに具体的にお答えをいたしますと、どの党の政権であれ、私は、これらの教育改革を論ずる審議機関が総理大臣の直属であることは教育基本法の精神に必ずしもそぐわないものだ、こう考えておりますから、たとえ石橋総理大臣のもとでありましても、総理大臣直属の審議会をつくるということには反対をいたしたいと考えております。
  184. 関嘉彦

    関嘉彦君 教育基本法の精神に反すると言われましたけれども教育基本法の第何条の精神に反するどいうふうにお考えですか。
  185. 久保亘

    委員以外の議員(久保亘君) これは目的にも関係してまいりますが、主として明文化されておりますのは十条でございます。  少しお時間をいただきますが、私は逆に考えてみる必要があるのじゃないかと思っております。なぜ臨教審が文部大臣ではなくて総理大臣なのか、そういう立場で考えてまいりますと非常に明確になってくるような気がいたします。しかも、主務大臣文部大臣、それから事務局長は文部事務次官、そして文部大臣に非常に多くの権限を委譲するという形をとっておりながら、なぜ総理大臣の直属でなければならないのか、これが私が大変わかりにくいことの一つでございます。そうなってまいりますと、やっぱり総理大臣がこの種の会合で最も影響力を持ち、最も役割を果たす会長の指名権を、たとえ国会の承認人事になっても放さない、ここに一つ問題があるように思います。また、教育改革に対する審議事項の諮問権を総理大臣が握っているということにも私は問題があるように思います。  総理大臣の直属でできます審議会も、文部大臣のもとにおきます審議会も、構成する人が同じであっても、文部大臣のもとにつくった審議会ではその答申の実行力がないというならば、これは内閣全体の責任にかかわることでありまして、大変おかしな論理だと私は思っているのでございます。文部大臣のもとで教育行政の専門の分野が審議会を主宰して出しました答申に対して、これを内閣が自分の直属でないから実行できないというのは問題でございます。また、審議をしていく場合に、広い分野の意見を取り入れることが文部大臣のもとでは難しいというならば、これも大変私はおかしなことだと思うのであります。文部大臣のもとにつくられる審議会であっても、総理大臣のもとにつくられる審議会であっても、その構成するメンバーが同じなのでございますから、これはそういう考え方は成り立たない。むしろ、それを非常に固執しております理由は、教育基本法に定める「不当な支配に服することなく、」という精神に反して、時の政権、時の政治権力の頂点に立っている者が自分の目指す教育の方向をこの教育審議会を通して実現しようとする意図が大変濃厚になってくるおそれが大きい、こう思っております。  余計なことでございますけれども、中曽根さんの場合にはそのようなおそれがなお強い人だ、こういうふうに私は思っているのでございます。中曽根さんは、かつて高等学校の学生の時代に同級生たちにアダンシオンというあだ名をつけられていたと、ある本で私は読みました。アダンシオン、何でそんなあだ名がついていたのだろうとよく読んでみましたら、中曽根さんは若いころ大変愉快な方だったと見えまして、友人たちの前に行って、放屁をする前にアダンシオンと、こう言ってやられた。それでそれがニックネームになった、こういうことでございますが、今私は、やっぱり中曽根さんの教育改革の提唱というのは、それこそ私どもの方からこの中曽根さんを、アダンシオン、アテンション、要注意という立場で見なければならないほど、この戦後の総理のいろいろな改憲論、教育基本法を否定する御発言などがずっと続いてまいっておりますから、そういう意味では、総理大臣直属の機関の持つ危険性に加えて、なお私どもはそのおそれを大きくするものでございます。
  186. 関嘉彦

    関嘉彦君 今の問題につきましては、まだ私の方からも言いたいことがあるんですけれども、その前に文部大臣の方にお伺いしておきたいと思います。  どういう意味で総理直属にされたのか。
  187. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 臨時教育審議会は、先般の委員会でも申し上げましたが、教育改革に対します国民的な要請にこたえていかなければなりません。そしてまた、教育というのは将来の日本の命運を左右する大変大事なことでございますし、また穐山先生におしかりをいただくかもしれませんが、二十一世紀をまさに担ってくれる青少年のその教育のあり方を、そしてその諸制度を問うという大変重要な問題でございます。そういう重要性にかんがみまして、政府全体の責任において教育改革に取り組む必要がある、こういうふうに私どもは考えまして設置をいたすものでございます。  先ほど申し上げましたけれども、我が国の社会におきます教育のあらゆる機能全般にわたって臨時教育審議会の諸先生方に御論議をいたたかなければなりません。こうした課題というのは、文部省のみならず、行政各部の施策とそれぞれ極めて密接な関係を持つ、そういうふうに私どもは考えているわけでございまして、広く総合的な調査審議をしていくということが必要でございますので、総理の諮問機関として設置をいたすものでございますが、同時に、事柄が教育でございますので、先ほど久保さんのお話の中に御指摘がございましたように、文部大臣がこの教育の任にある立場、あるいは文部事務次官がその重要性にかんがみまして事務局を構成していく、こういう考え方で総理直属の機関とした審議会をお願いいだしている理由はこういうところにあるのでございます。
  188. 関嘉彦

    関嘉彦君 この問題は、先ほど申しましたように、社会党の方の考え方は恒久的なものであり、政府の臨教審の方は臨時的なもので、ちょっとこれを同じ平面で議論するのはあるいは適当でないかと思います。私も恒久的なものであれば文部大臣のもとに置くべきだというふうに考えるんですけれども、やはり臨時的なものであって、これは戦後の今までの教育を改革すべき点は大いに改革しなくちゃいけない。しかも、その改革をする場合に、今までの文部行政も含めて改革しなくちゃいけない。そのためには、文部省文部大臣の下に置くよりは総理大臣のもとに置いた方が私はより改革がしやすいのじゃないか、そういう意味で、民社党としては総理のもとに置くことを推薦しているわけでございます。  それから不当の支配の問題は、これは後で触れたいと思いますので、次の質問に移らせていただきたいと思います。  これも、まず社会党の久保さんの方にお願いをしたいんですけれども審議会の委員の任命の方法です。国民教育審議会の法案によりますと、「教育、学術又は文化に関して優れた識見を有する者のうちから、両議院の同意を得て、文部大臣が任命する。」ということになっていますけれども、何かそういった任命の基準というふうなものがあるかどうか。つまり、これをお尋ねするのは、社会党から出されております本年三月の社会党の教育改革特別委員会報告というのがござい ます。あれを読みますと、委員の任命の方式は、各党推薦を含め各層の代表ということになっていると思うんですけれども、そのことは、例えば議会における議席数に比例して委員の割り当てをする、そういうことを含んでいるのかどうか、各層の代表というのは団体の代表を含むのかどうか、日教組であるとかあるいはPTAであるとかいった団体の代表を含むという意味であるか、その点をお聞きしたいんです。
  189. 久保亘

    委員以外の議員(久保亘君) ただいまお尋ねのございました、私どもの特別委員会でいろいろと協議をいたします過渡的な段階において、政党の推薦を含めた方がよいじゃないかという議論をいたしまして、一つの考え方としてそれを文字にしたことがございます。しかし、最終的に私ども議論をいたしました結果、やっぱり政党が委員を直接推薦する形は望ましくない、こういうことにいたしております。  ただ、今、先生お話しのように、人選の基準というものは、これは国会の意見を十分聞いた上、その人選の基準というものが定められることが望ましい、こう思っております。その場合に、私は、団体とか個人とか、余りそういう形にこだわらず、教育の現場の経験者であるとか、あるいは行政の経験者であるとか、教育学者であるとか、PTAの父母の代表であるとか、いろいろな立場の人たちに幅広く参加をしていただくことがよいのではないか。その場合に、現場の経験者というのは特定の団体の代表がいいのかどうかというようなことについては、私どもはこれがいい、これが悪いという結論を今申し上げることは余りどうだろうかと思っておりますが、私は、そういうものにこだわらず、この人に審議会の委員になってもらうのが一番望ましい、この人の場合は人選基準のこういう立場から出てもらうのだ、そういうことで決めていく方がよいのではないか。団体の代表という形で、団体に推薦を求めるという形ではない方がいいのではないか、こう思っております。
  190. 関嘉彦

    関嘉彦君 今の久保さんのお話で大変はっきりしてきたんですけれども、そうしますと、任命権者が、片一方は総理大臣、片一方は文部大臣と違いがありますけれども、学識経験者といいますか、広くそういう人の中から個人個人として選ぶということになって、団体の代表じゃないのだという考え方です。そうすると、先ほど言いました社会党の特別委員会報告なんかでは、つまり民主的に選んでいくのだというふうな考え方を述べておられましたけれども、民主的というといろんな考え方がありますけれども、例えば教員の代表というと日教組という組織がある、その中から執行委員なら執行委員が選ばれる、したがってそういう人たちが最も民主的に選ばれた人であり教員の団体の代表であるからそういう人を任命すべきであるというふうに受け取れるんですけれども、そういう考え方ではないわけですね。
  191. 久保亘

    委員以外の議員(久保亘君) 私は、結果的に団体の代表的な立場にある人が教育改革を審議するためにふさわしい人物として推薦され選ばれることは、これは可能だと思っております。だから、どのような場合でも、どこどこの団体であるからこれはいけないとかいいとかいうようなことではなくて人選をしていった方がいいのではないか、こう申し上げているわけであります。  したがって、もし選出の基準というものをつくります場合に、例えば父母の代表をどうして選ぶかということになったときに、文部大臣の恣意によってどこかのお母さんをお願いしてくるというのが大変難しいという場合に、PTAに一つの複数の推薦を求めてその中から選ぶというのも一つの方法ではあろうかと思っております。現場の代表という場合に、教職員団体にももし適当な人がいるならば推薦をしてみてくれぬかといって、その中から選ぶ選ばないは任命権者の方に係るわけでありますから、そういう人たちの中から、この人はいいではないかといって選ばれる場合もあっていいと思いますから、団体の選出する者とか団体の代表とかいうようなことに余りアクセントを置いてこだわらずに幅広くいろいろな層から選ばれる方が望ましい、こう思っております。
  192. 関嘉彦

    関嘉彦君 お話を聞きますと、政府の臨教審の考え方とそれほど大きい違いがないように私承ったのですけれども文部大臣いかがお考えでしょうか、今の御答弁
  193. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 私も具体的な委員の人選についてはいろんな委員会等でも申し上げてまいりましたが、あくまでも国会における論議を十分にまず踏まえておかなければならぬ。そして、具体的に審議会の設置を国会でお認めをいただいた上で検討いたしたいと考えておりますが、たびたび申し上げておりますように、教育改革は国民全体にかかわるそうした問題でもございますので、広く国民各界各層から御人選を申し上げなければならぬと考えております。  したがって、先般も私は衆議院内閣委員会で今と同じようなお尋ねをいただきました。私も、久保さんがおっしゃっておられましたように、日教組の代表であるとか、小学校長会の代表であるとか、やれ中学校長会、国立大学から選んだから私学会というような、そういう団体の代表としての選び方はいい選び方ではないというふうに私自身考えています。ただ、お選びいたした結果が場合によってはどこかの団体の指導的お立場の方もあろうかと思いますが、そのことは必ずしも排除条件にはならない、このように考えております。
  194. 関嘉彦

    関嘉彦君 ちょっと余談に入りますけれども、私は議会というのは政府とそれから反対党とが今のような問題について直接に討議をするところ、討議をしてみればちょっと見ると非常に違っているようなところでもそれほど違いがないということがわかる。この日本の議会ではそういった直接の討議という慣行がとられていないものですから、私を通じて間接的な対話になっていささか隔靴掻痒の感がありますが、だんだん両者の考え方の異同点がはっきりしてきたように思います。  もう一つ審議の方式として、これも先ほど申しました社会党の資料によりますと、原則として満場一致の方式をとるということが書いてあります。やはりその審議の方式としては満場一致の方式がいいというふうにお考えですか。
  195. 久保亘

    委員以外の議員(久保亘君) この種の審議会は何かを決めて何かをやる、実行するという会ではございませんで、これから国会や政府がその答申を受けて実行していかなければならない方向を決めていただく審議会でございますから、そういう意味では全会一致、皆さんの意見が一致するような方向が見出されることが最も望ましいことであると考えておりますから、この種審議会は全会一致制を原則とすべきである、こう思っております。  しかし、どうしても意見の一致しない問題があることは当然でございますから、その場合には民主主義の原則によって、多数決によって一つの結論を得るということもあろうかと思います。しかし、その場合でもこの種審議会の性格からいたしますと、必ずそのまとめには少数意見が付記されることが望ましい、このように思っております。
  196. 関嘉彦

    関嘉彦君 私は、デモクラシーというのは多数の意見と少数の意見が分かれるのが当たり前であって、満場一致になるのはむしろ例外です。イザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」という題の本によりますと、日本人は満場一致をたっとぶけれども、ユダヤ人の間では満場一致で決まった決議は無効だというふうなことが書いてあります。私は、満場一致になるのは一人の英雄のもとにほかの人たちがみんな無条件に従っていく、あるいはみんなが神様になった状態、その場合には満場一致になると思いますけれども、不完全な人間がそれぞれ違った意見を持ってているのが当たり前ですから満場一致になるのはおかしいと思う。  その点は別ですけれども、両者の考え方に一致する点もあるんですけれども、かなりまた違う点があるように思います。今後それを明らかにしていきたいと思いますけれども、その場合に満場一致というのを原則としますと私はなかなか改革案は生まれない。ただし、久保さんが言われました ように、あくまで少数意見を尊重するという意味におきまして、こういった報告の場合には多数意見と並んで必ず少数意見を併記する、少数者が多数者を批判する言論の自由を保障する、これが私は多数決の原理の一番大事な点だろうと思うんです。したがって、最後に言われた報告の場合に少数意見を付記して報告される、これは私は非常に大事な点だと思いますけれども、これを文部大臣に確かめておきたいと思います。
  197. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 基本的な議論といたしましては、今、関先生指摘のように、また久保さんもお話がございましたように、できるだけ議論というものは広く濶達におやりをいただく、そしておまとめをいただくときにはもちろん少数の意見をたっとび、それは必要によっては併記していかなければならない、これは一般論としては私は正しいあり方だろうと思います。ただ、今、政府がお願いをいたしております臨時教育審議会、この審議の運営あるいはそうしたまとめについては、これは今ここで私が拘束するという形は適当ではない、審議会自身で御判断をいただく、そうした運営、規則等々、これは審議自身で御判断いただくことが必要ではないだろうか、私はそんなように考えておるわけでございます。
  198. 関嘉彦

    関嘉彦君 審議会の委員に選ばれる人たちは立派な人たちでしょうから、恐らく今言ったような議論は御承知だと思いますけれども、特にできるであろうところの審議会の委員の人たちに対して少数意見を必ず併記して報告されるということを私は希望しておきます。  それから、この点が政府案と社会党案の非常な違いなんですけれども審議の公開の問題です。政府案の方には何も書いてありません。これは審議会自身に決めさせるという考え方だろうと思うんです。社会党の方は原則として公開で、三分の二の多数決によって秘密会にすることができるという考え方です。条件つきではありますけれども、公開を主張される論拠をお伺いしたいと思います。
  199. 久保亘

    委員以外の議員(久保亘君) 総理も、教育改革を施政方針でお述べになりましたときに、教育改革は国民の合意、すそ野の広い論議の上に進められなければならないということを特に力説なさっているのでございまして、私もその点については総理のお考えに賛成でございます。国民の合意ということは、国民審議に直接的、間接的に参加していく、こういうことが必要であろうかと思うのでございます。そのためには、審議の結果が知らされるということだけではなくて、審議の過程をまた国民は知ることができる、そしてそれに対していろいろな機会、場所を通じて意見を述べることができる、こういうふうにしておくことが特に教育改革のようなものを進めていきます場合には重要なことだと考えますので、これは公開をぜひ原則としていただきたい。しかし、私どもも全く無条件な公開を主張しているわけではございませんで、一つ審議会に特に必要な場合に、皆さんの大多数の意見がここはひとつ非公開にして意見を交換してみようというような場合にはそのような措置をおとりになる自由もまた保障しておかなければならぬ、こう考えたのでございます。  それから審議の公開というのは、報告の公表ということではなくて、私は審議の公開に一歩近づく手段というのは議事録の公表ということもあろうかと思っております。だから、公開という手段が会議の運営上どうしても困難である場合には会議後速やかに全議事録を公表する、こういうことによって国民の参加や合意を得やすくするということも一つの方法であろうかと思っております。
  200. 関嘉彦

    関嘉彦君 その問題についても、私は最初、非常に意見の違いがあるかと思いましたけれども、少なくとも私との間にはそれほど大きな差はないように思います。  私は、いわゆる審議の公開というのを、一般に開放して傍聴人を入れる、あるいはマスコミを入れる、そういう意味の公開であれば私は自分の経験から反対いたします。昭和四十四年でしたか、大学紛争のころ、大学の教授会及び評議会において大学制度改革の議論がいろいろなされていたときですけれども、そのとき学生の代表が教授会を公開しろ、我々にも聞かしてくれということを要求したんですけれども、私は断りました。というのは、大学先生たちも完全な聖人ばかりではございませんので、その討議の過程においていろいろな圧力がかかってくる、そうすると自由な発言ができなくなってくる、もっと自由に各人が考えていることを討議するのが教授会ないし評議会における大学改革を取り扱う理由であるから、だから公開は断る、ただし、その結果については学部長ができるだけ詳しくこういうことが議論されたということは報告しようということを言ったことがあるんです。  先ほど久保さんが言われたことで大事な点だと思うんですけれども、これは文部大臣にお聞きしておきたいんですが、この審議会自身が決められることと言えばそれまでですけれども審議会の会長なりがその討議が一段落したところでこういうことが問題になってこういう議論がなされているのだということはマスコミなり何なりを通じて発表されることが私は大事であると思いますし、また三年なら三年たって臨教審が報告を出した後においてその議事録を公表されるということは私は必要じゃないかというふうに考えるんですけれども、その点いかがお考えですか。
  201. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 基本的には、私は今、先生がおっしゃいましたような考え方と同じ考え方でよろしいかと思っております。先ほど橋本さんの御質問に対しても私は申し上げましたが、決して議論を隠すということではなくて、制度の改革でありますので、できるだけ自由な発言をしていただきたい、そのことが日本の教育のためになるのだ、私はそういう基本的な考え方を持っております。  先生からまた後ほど御質問があるのかもしれませんが、この審議会の委員は二十五名以内というふうに今お願いをいたしております。何かこういう会議の約束事といいますか法則というのはいろいろなものに書いてあるようでありますが、本当に自由濶達に語り言葉で議論をし合えるというのは二十人以下の方が本当はよろしいんだそうです。そういう学説がパーキンソンの法則だとかなんとかいうのだそうですが、二十人を超えてまいりますと、どうしても議長を選ばなければならない。そして、一々発言を、議長に手を上げて名指しを受けて許可を得てやるというスタイルになると、どうしても話の発言の中がかたくなってしまう。  国会も決して秘密があってはいけないんですけれども、やはり傍聴席、記者さんがいらっしゃる。私は構えて発言をせざるを得なくなります。もちろん、そういうときと、そういうときでないことの発言は違えるわけじゃありませんが、言葉の一語一語にも物すごくやはり頭を使ってお話をいたします。こういう例示も申し上げたいなとこう思っても、待てよ、こんな例示を挙げると品位を欠くのではないか、文部大臣として適切ではないかとつい考えてしまう。もっと具体的に述べた方がわかりがいいこともあるのかもしれません。  そういうふうに考えますと、二十五名以内ということは、この理由はまた理由なりにございますけれども、そういう審議会の構成というものも考えてまいりますと、隠し立てをするということではなくて、できるだけ自由な御発言をしていただきたいのだ、そのことがより実りの多い教育改革の御提案が出されるであろうという、そういう期待感で私はこういう考え方を持っておるわけでございます。  もちろん、国会の答弁でございますから、普通の議論はこれでいいんですが、あえてまたおしかりをいただくといけませんので、もちろん基本的には審議会御自身でお決めをいただくということを、こうして念を入れてお話をしなければならぬというのも、こうした形の委員会でございますと、そこまでどうしても前提を置いたり、後からのフォローをした説明をしないと誤解を生むということになりますので、ついつい念を入れるとい うことになるわけでございまして、あくまでも御自由な論議で改革の実りを持たせたいということでございますので、御理解を願えるのではないかというふうに考えております。
  202. 関嘉彦

    関嘉彦君 私はパーキンソンの法則とかなんとかいうのは知りませんけれども、教授会の経験に照らしまして、本当にインディメードな討論ができるのは二十人が私は限度だと思います。今度の場合二十五人、五人ぐらい欠席する人もあるでしょうから、その点まではアローアソスとして認めていいと思いますけれども、これ以上多くすることは私は反対でございます。  入れ物の議論ばかりやっていますと内容について時間が切迫してまいりましたので、内客の問題。これは教育基本法に関しますので、両方にお答え願うこともありますけれども、主として文部大臣質問したいと思うんですけれども、政府案の方を見ますと、「教育基本法の精神にのっとり、」というふうになっておりますし、社会党の案では、「憲法及び教育基本法に規定する教育の目的の達成等に資するため、」というふうになっておりまして、両方とも教育基本法を挙げている点は同じであります。しかし、どうも私の解釈では、今までの話をお伺いしても感ずるんですけれども、基本法に対するお二人の解釈が必ずしも一致していないのじゃないかということを感ずるわけであります。  学問的なことを質問して大変恐縮なんですけれども教育基本法の中には「人格の完成」ということが書いてありますけれども、これはわかったようでわからない言葉だと私は思うんです。私、この問題を随分研究してまいりましたけれども、いろんな考え方がある。人格の完成という言葉は同じですけれども、その解釈としてはいろんな考え方がヨーロッパにもあるわけです。日教組の「「教師の倫理綱領」解説」、昭和二十六年九月二十五日ですけれども、これを読んでおりましたら、この中に書いてあることは私は反対する点が多いんですけれども一つだけ賛成する点があります。それは、こういうことが書いてあります。「日本の教育基本法という法律は、「人格の完成」というきわめて抽象的な原理宣言を公けにしているが、それでは教育の目的は明らかにはならないのだ。」というふうに書いてあるわけです。私は、単に人格の完成というだけでは、これが全部共通の理解の言葉であれば問題ないんですけれども、かなり解釈が違うとしますと、単にこれを掲げただけでは、そして教育基本法の精神がそこにあるから、教育基本法にのっとり、あるいは教育基本法に定める教育の目的を達成するといっても、はっきりしないのじゃないか。一体その人格の完成ということはどういうことをお二人は考えておられるのか、そのことをお二人にお伺いしたいと思います。まず、文部大臣
  203. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 何か大学で、関教授のもとで試験問題を与えられているような感じがいたします。  大変お答えを申し上げにくい雰囲気でございますが、私も教育基本法というのは、もちろんこの法律のみならず、文部大臣として、大事なすべての教育に関する法体系、教育基本法あるいは憲法の精神というものがこれは一つの基本になるところでございますから、いろんな角度で私なりに勉強もさせていただいておりますが、また先生から御批判、適切なる御指摘をいただきたいということを前提に申し上げて、人格の完成というのは、個人の価値と尊厳との認識に基づいて、人間の備えるあらゆる能力をできるだけ、しかも調和的に発展をせしめることであろうというふうに私は理解をいたしております。そして、この人格の完成は、決して国家や社会への義務と責任を軽視するというものではなくて、国家及び社会の形成者の育成ということの根本にあるものでございまして、この広い立場で養成された人間であって、初めて国家及び社会のよき形成者となり得ることができるもの、そういうふうに私は理解をいたしておるところでございます。
  204. 久保亘

    委員以外の議員(久保亘君) 人格の完成といいましても、別にすべての人間がお釈迦様のような人物になるということではない、こう私は思っております。人格の完成というのは、社会的に調和のとれた人間になるということじゃないかという感じがいたします。そのために学校というのがどんな役割を果たすのかということになりますと、学校が学問をするだけではなくて、学校という場所で社会的調和の根底になります友情というか人間関係をつくり上げていく、そういう意味で大きな役割を果たさなければならないと思っております。  人格というのはいろいろな徳目もあるのかもしれませんけれども、戦前の修身教育で、いわゆる完成された人間像を目指しての徳目をたたき込まれたから人格が完成するというわけではないと私は思っておりまして、戦前の修身教育の中で育った人間が今では政治倫理を問われるというようなこともあるわけでございますから、必ずしもそういうふうな人格の完成というものを修身的な道徳に求めるということによっては難しい面もあるのではないか、こういうふうに思っております。
  205. 関嘉彦

    関嘉彦君 私がこれを質問したのは、別にお二人を試験するつもりで出したわけではなしに、今のお二人のお答えを聞いておりましても、ニュアンスの違いといいますか、微妙な違いがあるように思うんです。つまり、私が言いたいことは、こういった何か社会共通のはっきりした考え方がある言葉ではないわけなんで、したがって、それが教育基本法の中に書かれているから、教育基本法に書かれていることは絶対に動かすべからざることだというふうな考え方をしない方がいいという意味でその質問をしたわけです。  同じく教育基本法の中に、義務教育の年限は九年に定められているんですけれども、これを八年なり十年なりに短縮あるいは延長することは、教育基本法の精神あるいは教育基本法の規定する教育の目的に反するというふうにお考えでしょうか。お二人に質問します。まず、文部大臣
  206. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 必ずしも私は法律の専門家でございませんので、法的にどのような解釈をとるかというのはこれは専門の方々に御判断をいただかなきゃならぬことだと考えております。教育基本法の精神を大事にして教育改革をしたいというのが政府の考えておる基本的な立場でございます。  私は、これも衆議院段階で随分御議論をいただいて、また私も大変おしかりをいただいた面でもございますが、政府といたしましては教育基本法を改正しないのだ、この精神を大事にしたいのだ、こういう考え方でこの改革に当たりたい、それから委員の皆さんにも教育基本法の精神を大事にして御論議をしていただくことを期待いたしたい、このように総理も私も述べております。しかし私は、教育の制度、このことが充実をするということであるとするならば、論議を高めていただくという意味では余り委員の皆さんに制約を加えるというのはいかがなものかという考え方を持っております。したがいまして、義務教育の年限等について九年を仮に改めるといたしましたならば、当然、教育基本法というものにこれはさわらざるを得ないわけでございます。そのことについては、やはりそのことも含めて広く御検討をいただくことは私はよろしいのではないだろうか、こういう考え方をいたしておりまして、論議をしていただく上においては御自由な論議を私はむしろ期待をいたしたいと思います。  さてそこで、先生も今たまたま例としてお話しになりましたが、例えば義務教育を八年にし、七年にするというふうに縮減をした場合に、これは教育基本法という普通教育、義務教育というものをより充実させることになるのかどうか、あるいはこれを十年に十一年に延ばしたからといって充実させたことになるのかならないのか、この辺は私どもの判断では非常に難しい判断でございます。やはりこの義務教育、普通教育、これを充実させていくということが基本法の精神を大事にするということになろうかと思いますから、そういう意味ではただ物理的に年限を延ばすということ は、場合によってはこれは単純に考えれば精神を大事にするということを満たすことになるのかもしれませんが、この辺の考え方というのはこれは法制局等法律の専門の方に御判断をいただくということが正しい判断であろうと思います。  私は、この臨時教育審議会の中で教育制度、義務教育の年限について御審議をいただくかどうかというのは、余りこれは私の方で申し上げることではございませんが、教育諸制度を考えるに当たっては義務教育の問題について触れないで私は御論議というものはあり得ないだろう。そういうことも考えますと、でき得る限りこうしたことは御自由に御論議をしていただいていいのではないだろうか。私は、この問題についてはそのような考え方を今日まで答弁として申し上げてきておるわけでございます。
  207. 久保亘

    委員以外の議員(久保亘君) 私は、教育制度についていろいろ論議をすることは必要であろうかと思っておりますが、制度の区切りを変えるというようなやり方を今性急にやってまいりますと教育に大混乱を起こすことになろうかと考えております。  先生お尋ねの、義務教育の年限を短縮するあるいは延ばすということについて教育基本法の精神に照らしてどうかということでございますが、一般的に言えば、義務教育の年限を短縮するというのは教育基本法の精神に反すると私は考えております。しかし、義務教育をより豊富なものにする、発展させるという立場で検討をしていきます場合に、今の小学校の就学前の幼稚園教育、これをすべての児童が就園できるようにするということを検討することは私は教育基本法の精神に反するものではない、また高等学校の全入運動というのが長い間国民の間に続けられておりますけれども、既に九十数%が高校に進学するようになったこの段階において、高等学校を既に義務制に準じたものとして充実させていくためにはどうすればいいかというような検討を行うことは教育基本法の精神に反するものではない、このように考えております。
  208. 関嘉彦

    関嘉彦君 私自身は、もし教育内容が非常に充実して行われるならば九年のやつを八年にしてもこれは一向に差し支えない、教育基本法の精神に反するものではない。ただ、実際問題として、八年に短縮して本当に今の水準を落とさないものができるかどうかという点については、私は自信がないので短縮することはやめた方がいいだろうと思いますけれども、必ずしも年限なんかにこだわらないで議論していただきたいというふうに考えております。  それから、まだお二人並べて質問したいと思うんですけれども質問時間が三十分カットされましたもので、ちょっと時間が足りなくなると思いますので、今度は一人ずつ、どっちか一人に質問することにいたしますから。  同じく教育基本法第三条でしたか、「(教育の機会均等)」というところに、「ひとしく、その能力に応ずる教育」ということが書かれております。しかし、この「ひとしく」ということと「能力に応ずる」ということとは必ずしも一致しないのではないかという考え方もあるわけでございます。「ひとしく」の方に重点を置いて機会均等であればいいのであって、能力の差があるのにかかわらず、それをみんな同じように同じものを教えなくちゃいけないのだというふうに解釈するのはかえって教育に対する冒涜じゃないかという考え方もあるわけですけれども、例えば能力差に応じてクラスの編制をやっていく、そういうふうなことはこの「ひとしく、その能力に応ずる教育」という基本法の精神に反するものと考えられるか、あるいはまた生徒の学業を評価するということはこれは生徒を差別することであってよくないのだということを主張する人もあるんですけれども、その点どいうふうにお考えですか。これは久保さんにお尋ねしたいと思うんです。
  209. 久保亘

    委員以外の議員(久保亘君) 後の方からお答えいたしますと、私は学業の評価といいますか、子供たちの個人の絶対的な評価、ここまで今進んできたという評価をやることは教育上必要なことだと思っておりますが、全体を並べて、そして君は何番目だ、あるいは君はだれよりもいいとか、そういうような評価の仕方に力点を置くことは、これはいわゆる今日の偏差値教育の弊害と言われているものに連なってくるのだ、こう考えております。  教育基本法に言う、すべて国民はひとしく、能力に応じてという場合の能力というのは、これは御専門の先生に向かって申し上げることを大変恐縮いたしておりますけれども、きょうはお答えをするようにということでございますから申し上げさせていただきます。  私が考えておりますここに言う能力というのは、例えば高等学校の場合は、高等学校の教育を受ける能力、つまり中学校を卒業するということによって高等学校の教育を受ける能力を有するものと私は考えております。また、大学というのは、高等学校の課程を卒業する、または高等学校の卒業と同等の資格を有することによって大学教育を受ける能力を持つものだ、私はこう考えております。その能力をここに示しているのでございまして、その能力を持っている者はひとしく経済的な理由などによって差別されることなく教育を受ける機会を保障される、こういう意味ではなかろうかと思っております。
  210. 関嘉彦

    関嘉彦君 今のひとしく、能力に応ずる教育というのは、久保さんのような御解釈であれば私は賛成なんです。ただ、その能力差に応じたクラス編制をするとこれは差別教育だというふうなことを言う人があるんですけれども、私は数学の能力が非常にすぐれている者は数学を伸ばしたらいいし、英語の能力がすぐれている者はそれを伸ばす、また劣っている者は劣っている段階に応じてこれを伸ばすような教育をしていけばいいので、体育についても非常に能力の高い者とそうでない者とあるでしょうから、それに応じたクラス編制をするのはこれは一向この教育基本法の精神に反するものではないというふうに考えておりますけれども久保さんも大体同じ考え方じゃないかと思います。違いますか。違いましたら答弁してください。
  211. 久保亘

    委員以外の議員(久保亘君) 私、先ほど申し上げましたように、子供たちを並べて偏差値的な区分を行うということはこれは教育の正しいあり方ではない、こう考えております。子供たちの絶対的な学力の進達度というものをどうやって伸ばしてやるかという工夫は、これは教育の場においてやらなければならないことでございますが、それを直ちに能力別編制でやることが最もいい方法だというふうには私どもは考えないのでございます。
  212. 関嘉彦

    関嘉彦君 それはつまりどっちがワイズであるか、どっちのやり方がいいか悪いかの問題であって、そういうことをやっても教育基本法には違反するわけではないわけですね。
  213. 久保亘

    委員以外の議員(久保亘君) そのことのもたらす弊害が私は教育基本法の広い意味での人間の教育という意味においてマイナスを大きくしていくということであれば、教育基本法の精神に忠実なやり方ではなかろう、こう思っております。
  214. 関嘉彦

    関嘉彦君 多少、私と意見違いますけれども、今度は一番意見の対立する問題じゃないかと思うことを質問いたしますけれども、「教育は、不当な支配に服することなく、」と書いてありますけれども、その不当なる支配ということについて、恐らく文部省側と久保さんとは大分意見の違いがあるのじゃないかと思う。例えば学校において校長が教員に対して一定の指令を与える、あるいは教育委員会がそれぞれの学校に対して指令を与えるというふうなことは、これは久保さんの御解釈では恐らく不当なる支配に当たるというふうにお考えじゃないかと思いますけれども、いかがですか。
  215. 久保亘

    委員以外の議員(久保亘君) 一つの制度が円満に機能していくためには、私は今、先生がおっしゃるようなことも必要だろうと思っております。  ただ、今の日本の教育と行政との関係を見てまいりますと、行政権力というのはひたすら統制や 画一を目指してまいります。これに対して教育の現場は、自由や創造性を非常に尊重しようとするのであります。ここに摩擦が起こってまいります。この摩擦をどういうふうに調和させていくかということについて権力の側というものは非常に謙虚でなければならぬ、こう私は思っております。  それから、今、先生がおっしゃるような関係が本当に日本の教育のために、円滑に機能していくということのために必要なことは、先ほど先生もおっしゃられたと思いますけれども、今の日本の教育行政の総本山であります文部省自体も、そのあり方、人事、そういうものについて抜本的な改革を迫られてきているのじゃなかろうか、こう思っております。例えば行政と現場が全く違った人たちによって構成され、この間に、全く交流もない。一方は、初めから行政官として、かつての内務官僚的な立場に立って学校を支配し、画一化しようとするということでは日本の教育はうまくいかぬのでありまして、そういう意味では、文部省の改革もまた教育改革の重要な課題一つだと私は考えております。  まず、私が今そのために必要だなと一つ思っておりますことは、ぜひ文部省教育の現場、大学、高校、小学校を含めて、教育の現場と文部省との人事交流というようなことが頻繁に行われるようになれば、もっとお互いに意思の疎通というものもできるようになると思っているのであります。一方はあくまでも行政権力の側に立つ、一方は教育の現場での実践者としての立場から物を考える、こういうことでこれが平行線でお互いに非常に違った立場をとっているということでは日本の教育にとって大変不幸なことではないか、こう思っております。
  216. 関嘉彦

    関嘉彦君 私は、学校は一種の有機体的なものでなければ学校の運営はできないのじゃないか。ただ、この有機体という言葉は非常に誤解を招きやすい言葉で、いわゆる社会有機体説的な考え方の有機体というふうに受け取られると困るんですけれども、やはり統一した意思のもとに行動しなければならない場合が私はあると思います。例えば、非行少年であるとか学校暴力なんかの問題が起こったときには、一つの命令系統のもとに職員が共同して、一致団結してこれに対処するのでなければ対応できないのじゃないかと思います。そういう場合にどういうふうな対処をするかということを決める場合に、もちろん職員会議の意見を十分聞くということは必要であります。それ以外のときにおいても職員会議の意見を聞くということは必要でありますけれども、何もかも職員会議で決定するのでなければその学校が行動できないという考え方では私は本当の教育というのは行われないのじゃないかと思いますけれども、いかがでしょうか。
  217. 久保亘

    委員以外の議員(久保亘君) 職員会議の意見をどういうふうに取り入れるか、どうするかという問題の前に、私は、校長と職員、教育委員会と校長、教育委員会と教職員というような立場に立って、いろいろな秩序や法規の前に大事なことは何かといえば、これは相互の人間的信頼関係だと思っております。一方が統制、支配することによって現場を自分たちの思うとおりにしようとすれば信頼関係はなくなるわけでございます。学校においても、校長が教育委員会から命令されたことを、教職員の間にどんなに反対の意見があろうとも、それをやらせることが校長の任務だということだけに終始していたのでは学校が円満に機能するはずはないと思っております。  今、先生がおっしゃいましたように、非行青少年に対する対策であるとか、そういうものに学校が全体としてどう取り組んでいくかというときに、たとえどのような命令系統を図式の上で、法律の上でつくり上げておりましても、教職員と校長の間の人間的信頼関係というものがその基礎になければ私はそのような法律や制度というものは有効に働かないのだと考えているのでございます。
  218. 関嘉彦

    関嘉彦君 四時四十四分までということで、あと十分しかないんです。もっといろいろ聞きたいことがあるんですけれども、それじゃ一つだけ教育基本法に関してお聞きしておきたいと思うんです。  教育基本法では「民主的で文化的な国家」ということがまず書いてあるんですが、民主的あるいは民主主義ということも、これはわかったようで決して一義的な言葉ではないように思うんです。例えば、議会制民主主義あるいは自由民主主義的な考え方と、それからいわゆるソ連、中国なんかの人民民主主義の考え方、私はこれは随分違うと思うんです。社会党の方では、この教育基本法に規定してあるような「民主的で文化的な国家」というのはソ連のような国を含むというふうにお考えでございますか。
  219. 久保亘

    委員以外の議員(久保亘君) 大変難しい質問でございまして、これは私がお答えいたしますのは全く私の個人の見解としてでなければ、この法案の提出者として今のようなことにお答えいたしますと、法案を提出した者の意見を代表してということになりますと、なかなかお答えしにくい問題だと考えております。ただ、今の問題は直接この法案とはかかわってまいりませんので、そう申し上げているんです。私の個人的な見解を申し上げますならば、民主主義といいますか、いわゆる人間を大切にして、人間を中心にして文化が創造されていくというような立場において、その行き方はいろいろなやり方があると思っております。いろいろなやり方があり、その国を構成している国民、民族がそのことを支持しているか支持していないかによって判断をしなければならない問題ではないかと思っておりまして、その形態をもってソ連の現在の状況はこれは民主主義の範疇に属さないとか属するとかというような判断を下すことは大変難しいと考えております。
  220. 関嘉彦

    関嘉彦君 私がお伺いしているのは、ソ連なんかも確かに一つの意味では民主主義だと思うんですけれども教育基本法で規定しているところの「民主的」というのは何を意味しているか、ソ連のような国を意味しているのかどうか、そのことをお聞きしたんです。  久保さん、立場としてお答えしにくいような事情もあるかもしれませんので、それ以上は追及いたしませんけれども、私はやはり日本では民主主義ということが非常に誤解されておりまして、少数意見あるいは複数政党を許さない、これがある意味では、これも余り文学的になりますから歴史的なことは省略いたしますけれども、民主主義と言われた時代があります。つまり、これは人民の意思を一つに解釈して、人民の意思は一つなんだからそれを代表する政党は一つあればいいじゃないか、意見は一つなんだから少数意見なんか認める必要はないのじゃないか。そういうふうな考え方をすると、人民の意思を単数で考えるとソ連みたいな全体主義的な民主主義になってしまうと思う。  それに対して自由民主主義の考え方は、人民の意思は複数なんだ。先ほど言いましたように、人間というのは不完全でありますから、いかに議論しても一つにならないのが当たり前なんであって、少数意見と多数意見に分かれる。であるがゆえにこそ、少数者に対して言論の自由、団結の自由を保障する必要があるのであって、先ほど久保さんのお答えで必ずしも全会一致に固執するものじゃないのだということをお答えになりました。私は、むしろ原則的に全会一致にならないのが当たり前、そういうふうな会議の運営をすることが必要じゃないか。久保さんも少数意見を併記するということをおっしゃいました。これは、まさに自由民主主義の考えなんです。ソ連なんかでは少数意見なんか出すことはできないわけなんです。だから私は、久保さんは内心ではやはり自由民主主義の考え方を持っていると思うのであります。そういうふうに理解するんですけれども、この点、私は非常に大事な点だと思いますので、改めてお伺いします。
  221. 久保亘

    委員以外の議員(久保亘君) ただいまのような先生お尋ねでございますと、少なくとも私ども の政党の日本社会党、そしてそのメンバーの一人であります私が今支持しております考え方というのは、複数政党の存在を認め、そして私どもが政権を掌握することがございましても反対党の存在、政権の交代を認める、こういう立場に立っておりますから、その意味では先生が御指摘になりましたような立場とは違う、こう思っております。しかし、そういう意味で、先生が私も自由民主主義の立場に立つものであるとおっしゃいますならば、私はその点について反対ではございません。  ただ、はっきりしておかなければならないのは、日本では自由民主主義というと自由民主党のことと考えることがございます。自由民主党と自由民主主義とは全く無関係のものだということを私は理解をいたしております。
  222. 関嘉彦

    関嘉彦君 それはイギリスに自由党という政党がありますですね。それで、自由党と自由主義的な政党との考え方が一致するかどうかという論争があるんです。つまり、リベラルのエルを大文字で書くか小文字で書くかの問題ですけれども。そういうふうな問題、また突っ込んでいきますとまだいろいろ問題があると思いますけれども、どうも時間があと十何分しかございません。実は、一番最初に出しました人格の完成とか、つまり教育基本法に関することについて私の意見を述べてお二人の批判を伺いたかったんですけれども、どうも時間が三十分ほど縮小されましたので、もし時間に余裕があれば一番最後にそれを述べることにいたします。  きょう、もう一つ質問しようと思っていましたことは、これは予算委員会でも私申し上げたことなんですけれども、小学校における教科目が多過ぎるし、かつ教科書が多過ぎる。一年生の教科書を予算委員会で私持ってまいりまして文部大臣にお見せしましたので、ここでは同じことを繰り返しませんけれども、ああいうのはいたずらに教科書会社をもうけさせているだけじゃないかというふうに私は考えるんです。小学校の例えば低学年の社会科なんかで教えていることは、特に社会科を設けて、教科書はただで配付ですけれども、しかし副読本なんかは買わされています。ああいうことをして教える必要はないのじゃないか、教えるに値することじゃないじゃないかというふうに考えるんですけれども、これは文部大臣にお伺いしたいと思います。
  223. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 先生の御質問に対してお答えを申し上げる立場で大変恐縮でございますが、若干私の私見を交えて申し上げたいと思います。  人間が学び取っていかなければならぬ学問の領域というのはどの程度にあるのか、どこまでを学ばなければならぬのかということについてのこれの必ずしも定まったものはないと思うんです。人間がやることでございますから、人間がおのずとこの程度の学問を身につけていかなければならぬだろうということは、今までのずっと流れといいましょうか、経験上から考えて判断をしていくものだと思うんです。そういう意味からいいますと、最近の学問の領域というのは大変広がっておりますから、そう昔の人間と今の人間とは能力的に違いはないと思いますので、そういう意味では非常に私は過重な学問を身につけていかなきゃならぬという、そういう子供たちの立場というものはもう少し理解をしてあげたいというのが私の率直な気持ちでございます。  そういうふうに考えますと、今、情報化社会、例えば新しい科学技術の機械というのはどんどん教育の中にも入ってきております。子供たちがパソコンでありますとか、その他いろんな情報機器というようなものを果たして学校の中において学ばなきゃならぬのかどうかということの議論はいろいろあると思うんです。しかし、社会に生き抜いていくためには、こうした学問も身につけさせてあげなければ現実問題としては上の学校に進んでいけないという、そういう事態にもなっている。また、子供にかける親の期待度ということから考えても、そうしたものをも学校で当然これを教え込むものであるという、そういうことをやっぱり親はある程度期待をいたしておると思うんです。そういうように考えますと、今の子供たちのキャパシティーの面から見ても大変気の毒だということを私は率直に感じております。高等教育機関に直接携わっておられた先生に端的に申し上げますと、大学に入るためにはそれだけの学問を身につけなければ大学に入れないのか、むしろ高等教育に入ってそうした学問をそれぞれの能力に応じて求めていくということが正しいのではないか、こんなふうに私は個人的に考えておるわけでございます。  そういう意味で、今度の臨時教育審議会等でお考えをいただきますことは、単に小学校課程や中学校課程だけで教育の中身について議論をいたしましても、結果的には高等教育の構えのところとの差がまた大きく広がってくるだけである。かつて、政府といたしまして、ゆとりある教育というものをちょうど海部文部大臣の時代に国民の前に明らかにし、展開をいたしましたが、現実の問題としては、子供はともかくとしても、親から見ると、中学や高等学校等においてもっともっと授業数をふやしてくれ、もっと理科や数学の科目をふやしてくれというような請願書が国会にたくさん出てきておるわけです。そういう現実の問題とのギャップというものを解決していかなきゃならぬ。そういう意味で今度の臨時教育審議会は、部分的な改善というのはこれは私は基本的な改革にはならないだろう。そういう意味で幅広く諸制度全体についてというふうに政府としてはお願いをしておるゆえんはここにあるわけでございます。  御質問について、いささか長くなって恐縮でございますが、そういう考え方を持っております。
  224. 関嘉彦

    関嘉彦君 片言隻句をとらえるわけではございませんけれども、今、文部大臣は親の期待が非常に高い教育要求しているのでそれにこたえなくちゃいけないというふうにお答えになったように思うんですが、私は親の期待がすべて正しいというふうな考え方は捨てられた方がいいと思うんです。ただ、文部省としては、その点、いろいろやりにくい点もあるでしょうから、その意味において文部省を超えたところの臨教審において、あえて親の期待に反するような教育の理念を示してもらいたい。それが私は本当の教育改革につながるのじゃないかと思います。親の期待に甘えるばかりに学歴社会というふうなものができてきている。現在の小学校の教育にしましても、私に言わせますと、どうも物知りをつくる、百科事典に載っているようないろんな知識を教える。これはNHKの「クイズ面白ゼミナール」ですか、ああいうのが教育であって、どういうことを知っているかということを知るのが学校教育であるならば、それはそれでもいいかもしれませんけれども、あれはあくまでも娯楽であって教育じゃないと思うんです。どうも小学校あたりの社会科の教科書を見ましても、物知りを育てているのじゃないかというふうに思われる点が非常に多いんです。それで、根本的に教科書を再検討していただきたい。  それに関連しまして、私ここに持ってきました筑波大学附属中学校の今年度の入学試験の問題、私には答えられない。中学校の入学試験です。こういう問題があります。  これは、日本と世界との結びつきについて述べたもののうち、四つほどの選択肢があって、その中の正しいものの記号を書きなさいという問題です。「日本の援助にたいして、いろいろな発展途上国から不満がのべられることがあります。それらの国々に共通する不満をのべた文を、つぎのカからケまでの中から一つ選び、その記号を書きなさい。」という問題で、「日本は原料資源を開発する援助はしてくれるが、工業をさかんにする援助はしてくれない。」、これが一つ。二番目が、「日本は資金の援助はしてくれるが、技術の援助はしてくれない。」。三番目が、「日本は資金の貸付けをしてくれるが、それを返す期限を長く決めるので借金がふえる。」。四番目が、「日本は日本製の機械類の買い入れを援助の条件にすることがある。」。  こういうふうな問題が出ているんですけれども文部大臣、正しい答え、つけられる自信がおありでしょうか。これは、ある国の、ある時期の援助について選べというんでしたら、私は選ぶことができると思いますけれども、一般的にこういうことを選ぶことができるでしょうか。私はこれを選ぶ能力ございません。
  225. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) この問題、私も今これを拝見いたしますと、答える自信はございません。  それだけではなくて、私の娘は今高校一年生ですが、中学二、三年のころから彼女が私に時々社会の問題で質問を浴びせますが、全く答えられないです。これは正直なところでございます。
  226. 関嘉彦

    関嘉彦君 私は小学校六年の教科書を全部調べたわけじゃないので、私の孫が持っている教科書にはこういった時事問題はございませんでしたが、そのほかには石油ショックの問題なんかもあるんです。教科書にはそういうのはなかったんですけれども、筑波大学国立大学の附属中学校の入学試験問題にこういう問題が出るということは、これは以下の中学に右へ倣えしろと言わんばかりじゃないかと思うんですけれども、こういう時事的な知識は何年かすると完全に変わってしまうわけであります。そのときは役に立ったかもしれないけれども、何年かすると全く役に立たなくなってくる。こういうことを、これは試験問題に出れば学校でも教えざるを得なくなってくるんです。これは時間のむだだと私は思うんですけれども、いかがですか。
  227. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 時間のむだかどうかということについては議論があると思いますが、私自身もこういう社会的な変化や政治的な変化というものも考えていく問題も一つの考え方でありますが、例えば私は高等学校でコサイン、タンジェントというのを不承不承一生懸命やらされました。卒業してから一回も使ったことないんです。こんなに苦労してあの問題をなぜやったのだろうか。その問題をやらなければ大学というのは入れてくれないんでしょうか、関先生。逆に、私は国立大学の学長さんにそのことをいつもお尋ねをするんです。  なぜこの学問が必要なんだろうか、私たち大変疑問に思っているところでありまして、それよりは、もっともっと人間的に大事な、人間としての基本をしっかり身につけるということをもっともっと学んでほしいというのが正直な気持ちでございますから、私はそういう意味で文部省独自でこの問題を考えていくということよりは、やはり総理のお考えのように政府全体としての、さっき私はちょっと先生からおしかりをいただきましたが、一面と申し上げたんです。そういう親の過大期待という面の一面もございます。社会の要請もあります。むしろ、社会の要請の方が多いかもしれません。そういうことも考えますと、やはり内閣全体でこの問題を考えざるを得ないだろうという総理の考え方に、私は同じ考え方の立場をとっているわけでございます。
  228. 関嘉彦

    関嘉彦君 問題が大学の入学試験までに飛び火をしてきて、どうも私の責任が問われているようなんですけれども、その大学の問題についても私はいろいろ言いたいことがあったので、用意してまいりました。しかし、時間がございませんから、ただ項目だけを列挙して、教育審議会で討議していただきたいと思います。  例えば、現在の教養課程。これは全般的に言いますと、私は同じことの繰り返しが多くて学生の学習能力を阻害している面が、全部とは言いませんけれども、かなりあるのじゃないかと思いますし、第二外国語の教育方法が中途半端、やるのだったらもっと徹底的にやれ、やらないのだったら全廃した方がいい。  それから大学院。これはマスターとドクターとをはっきり分けて、マスターは一度社会に出た人が特定のテーマを持って再教育する機関にするし、ドクターの方は学者養成機関にした方がいいのじゃないかと思います。大学は、自然科学系統を除いて国立にしておく必要があるかどうか、全部私立にした方がいいのじゃないか。しかし、これはいろんな条件があります。単に金もうけのための私立大学なんというのがありますから、これはよほど注意する必要がありますけれども、文化系統の大学を果たして国民の税金によって賄っていく必要があるかどうか、これを検討していただきたい。私は必ずしもやめろと言っているわけじゃないんですけれども、臨教審で検討していただきたい。  それから卒業証書あるいは学士号というふうなものが必要かどうかというふうなことを再検討していただきたい。  それから、最後になりましたけれども、これだけはぜひとも言っておかなくちゃならないんですけれども、臨教審でいろいろ制度の問題を議論されるだろうと思うんです。私は制度というのは大事だと思いますけれども、どんな制度でも完全な制度なんてあり得ないんですし、変えればまた何年かするうちに欠点が出てくる。できるだけ欠点の少ない制度を選ぶことが必要ですけれども、同時に、教育の理念、教育基本法を掲げれば何か教育の理念がわかったような風潮がありますけれども、私が先ほど申しましたように決して一義的ではないんです。  私に言わせますと、戦後の教育の理念というのは、正しい面と間違っている面とを含んでいる。正しい面はこれは一々申しませんけれども、やはり私に言わせますと、教育は伝統文化を継承してきて、しかもそれを改革していく、そういう能力をつけるのが教育ではないかと思います。したがって、低学年であればあるほど一定の型に押し込めて、そしてその型を強制する。そのうちにだんだんその型を破る型破りの人間ができてくる。高学年になればなるほど、反抗期になればなるほど型を破る人間が出てくる。子供のときに型がしっかりつけられていないと型破りの人間も出てこない、型なしの人間になってしまうわけであります。そういう意味で、伝統文化、日本人の生き方、そういったふうなものをしつけとして低学年においては型に当てはめることが必要ではないか。  それから教育基本法及びその根底になっておりますアメリカの教育ミッションの考え方を見ますと、個人からいきなり人類に結びついているわけであります。しかし、私はこの考え方は十八世紀の啓蒙思想の考え方であって、十九世紀を経過するうちにいわゆる歴史主義的な考え方が生まれてきて、個と類の中間に種の論理、これを築いてきたのが私は十九世紀ではないかと思う。つまり、いい国民であることがいい人類につながっていくわけであります。何か国民性を大事にすることは人類愛と相反するというような考え方がありますけれども、私はそういった考え方は間違いで、本当の正しい国民性というのは、インターナショナルであることがインターナショナルにつながるわけであって、種の論理を持たない単なる人類愛だけの考え方はこれは口先で言うだけであります。  おれは自分の村を愛しないのだ、村なんかを愛するのは官僚による結びつきであって、そういったものは封建的である、あるいは自分の出身学校を愛するなんというのは封建的であって、我々は四十億の人類全体を愛するのだというふうなことを言う人がありますけれども、そういう人に限って口先で人類を愛するだけであって、実際には少しも愛していない。正しい家庭を愛する、正しい郷土愛を持つ、正しい出身学校を愛する、母校を愛する、その考え方を拡大していくことによって自分の国を愛する、その考え方がさらに拡大していくことによって人類愛になるんです。その種の論理が戦後の日本の教育においては欠けていたのじゃないか。これなんかも審議会において十分討議していただきたい。  私の考え方が全部正しいとは申しません。  そのほか、例えば自由というふうな考えについても随分誤解されている。これもヨーロッパあたりで随分長らくいろんなところで議論されてきた。臨教審に入られる人たちは、恐らくそういうことは御存じだと思いますけれども、どうも日本における自由の考え方は誤解されている点が非常 に多い。正しい自由ということを理解していくことがいわゆる自由民主主義、これは自由民主党ではございません、自由民主主義の考え方を育てていく上において非常に大事である。  そういう意味において教育の理念、そういうものを議論していただき、それでまとまった考え方が生まれれば、多数意見と少数意見併記で構いませんから、どういう教育理念に基づいて日本の教育を改革するのだ、単なる結果だけを書くのじゃなしに、こういう教育理念に基づいてこうこういう改革の提案をしているのだ、国民の人たちに十分それを審査してもらいたい。そういうふうな考え方で、例えば四十六年の中教審の改革のときには高坂正顕先生が「期待される人間像」という非常に立派な本を私は書かれたと思いますけれども、ああいったふうなものを、これは強制するのじゃないですよ、十分国民が批判する、そういうものとして、多数意見と少数意見に分けても結構ですから、それを臨教審として発表されることを希望して、大分時間が超過したようですから、これで私の質問を終わらせていただきます。  まだ、そのほか、いろいろございますけれども、また機会があれば改めて討論したいと思います。どうもありがとうございました。
  229. 前島英三郎

    前島英三郎君 長い時間でございますが、私が本日はラストバッターでございますので、おつき合いのほどをお願いしておきます。  臨教審設置法案、それにまた国教審設置法案に対しまして、私はまだ賛否につきましては結論を出しておりません。結論を出しておりませんので、本委員会における審議は私にとりまして態度を決定するための重要な委員会でございますし、審議でございますから十分議論を煮詰めたい、こう希望しております。ですから、答弁の方もぜひ懇切にお願いしたいということをまず申し上げておきたいと思うんです。  さて、一般論といたしましては、教育改革についてきちんと議論をして実のある改革を進めていくということ自体、私も必要だと考えている者の一人であります。  文部大臣とは、ちょうど昭和十二年生まれで同じ世代でもありますし、私たちは小学校へ上がりましたのが昭和十九年です。おまえ、大きくなって何になる、兵隊さんになります、兵隊さんになってどうする、お国のために死にます、そう言って国民学校一年生と、こう入ってきまして、何か教育というものの変化、それから小学校二年から戦後の民主教育ということを体験してくるわけですけれども、しかも私たちの中には一番貧しい時代を非常に窮屈な思いの中で学んでまいりました。  しかし、そうした学んだ中には、貧しさの中にまた大変温かい人の心というようなものもともに学んできた経緯を考えますと、私は大学をあきらめざるを得ない、貧農の三男坊でありましたので一日も早く社会に出なければならない、大志を抱いて東京に出なければならないという一つの夢を持っておりましたので、そういう形では今のようなすべてが大学というような時代の子供たち、またそういう中で生きている子供たちの何とも言えない、教育工場の中で追い立てられていく姿を見るにつけましても、私も親として、私の家にも三人の子供がおりますが、今、長男も夏休みは一切友達と遊ぶこともなく、いよいよ大学受験を控えておりますから、この夏休みが勝負だというような気持ちで、単に夏休みという言葉の中で、辞書を片手に、また教科書を片手に毎日朝出かけていく姿を見ますと、非常にさみしい思いを持つ毎日でございます。  そこで、いろいろ議論、教育改革ということは必要には違いないんですけれども、その前提、その方向性が、しかしそうはいっても大切だと私も思います。  そこで、まず文部大臣お尋ねしたいわけでありますが、本法案の提案理由を聞きましたけれども、まず冒頭におきまして、我が国の教育の充実ぶりを高々とうたい上げております。そして次に、「社会の急激な変化、教育の量的拡大等は、教育のあり方に対しても大きな影響を与えており、」云々、だから教育の改革が今必要なんだ、こういうぐあいにうたい上げて語っているわけでありますけれども、すなわち、その論理構成を全体的に見てみますと、教育それ自体の中にゆがみが生じているのじゃなくて、社会が変わった、社会が量的に拡大したといういわば教育の外という感覚、教育の外形の問題に責任を負わせているというようなトーンを私は感じているわけなんです。  それでは、その教育の内面に問題はなかったのか、こう言いますと、文教政策のあり方にはかなり私は欠点があったのじゃないかというふうにも思うんです。そういう意味では全然文教政策のあり方には問題がなかった、こう文部省がおっしゃるなら、これは文部省の思い上がり以外の何物でもない、こういうふうにも思うんです。二十一世紀を念頭に置いて将来に向けた改革を目指すのは結構なんですけれども、現状の教育の荒廃、ゆがみ、文教政策の抱える問題点、こうした点に対する厳しい認識あるいは厳しい文部省の自省という視点が、私はいろんな意味で今この委員会に臨んでおりましてもちょっと少な過ぎる、ないのじゃないかというものをちょっと感ずるんですけれども文部大臣の率直なお考え、もし自省があるとしたならば、その分も含めてお答えいただければと思います。    〔委員長退席、理事坂野重信君着席〕
  230. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 先ほど関先生からお尋ねいただきましたことと若干関連もございまして、同じようなことを繰り返すことになるかもしれませんが、冒頭にその点については御了承を賜りたいと思っております。  話は少し変わって恐縮ですが、たまたま先生できるだけ懇切に答えろということでございますから、できるだけ時間はかけないようにいたしますが、先生と私とはたまたま同世代、同年の生まれでございまして、この間、総理と私は仙台の学校に行ってきたんです。大変寒いまだ冬、雪もございましたが、太陽がこうこうと輝いておりまして、その視察をいたしまして、新しい学校制度を見ておりまして幾つか感ずるところがございました。  時間ありませんから一つだけ申し上げると、とても明るくて、五年前にできた小学校で、新しい建材も使っております。空気調整もできております。たしか暖房も通っておりました。そういう教育現場を見ていると、なるほど、足らざるはいろいろあると思いますが、教育の条件というのは逐年これは整備をされつつあるなという感じが私はいたしました。アルミサッシか何かできれいな窓枠で、とても大きな明々とした窓から太陽がさんさんと輝いている。外は大変いてつくような寒さでございました。そういう時点の子供たちの教育を見て、ふっと私は自分の小学校のころを思い出していた。    〔理事坂野重信君退席、委員長着席〕  私は石川県の田舎でございますから、冬は雪が物すごいです。外から雪が入ってまいります。火鉢も何もありませんでした。当然、終戦直後でございましたから全くはだしでありました。寒いときは背中を一生懸命みんなでさすり合って暖をとる。それでも直らないときは外の雪の中を走り回って、湯気で顔が上気しながら授業を受けたということを思い出します。  それはそれなりに、当時の時代と今の時代とを比べてみると、どっちがいい悪いということじゃなくて、もちろん今の条件がいいことは決まっておりますから、ふっとそのときに、この子供たちに風雪に耐えるというようなことを一体だれがいつどこで教えるのだろうか。いつまでも日本の国はこういう形でやって進んでいかなきゃならぬ、これは政治家の我々の務めでございますが、しかしやはりこれから新しい世紀に向けて生きていく子供たちにとっていろんな苦難というものがあるだろう、いろんな困難というのはまさにアクシデントで出てくる、そのことに勇気を持って立ち向かっていけるだけの人間性というのを一体だれがどう教えているのだろうか。  こういうことを考えますと、私は戦前、戦後の教育を含め、いろんな自分なりの体験を積んでまいりました。関先生から比べれば全く私どもはまだまだ乏しい体験でございますが、子供たちに対して、単に教育というのは学問的な領域を広げて学問や知識を教え込むということよりも、人間としての正しい判断をしていく一番大事なところ、これも先ほど関先生がちょっと述べられておりましたが、先人が築き上げてこられた規範、知識を継承させて、なおその上に発展をさせていくという人間にとって大事な使命がある。そういう人間形成に当たってはその観点からその基礎を確実に身につけさせるということが大事だろうと思います。こうしたことなどを中心に教育というものをもう一遍考え直していくことが大事だろうというふうに考えております。これは、私は個人的な考え方を述べたにすぎませんが、やはり教育改革の一番大事な視点でなければならぬというふうに私はこの国会を通じて述べてきたところでございます。  そういうことを考えてまいりますと、先ほども申し上げましたが、量的には確かに拡大もいたしましたし、ある意味ではそれぞれの分野は、レベルといいましょうか、学問的水準というのはとても日本は高くなりました。しかし、それだけにすばらしい教育でありながら、今日的なさまざまな問題、指摘、このことについては世の中の変化にすべて責任を押しつけるのではないかというふうに今、前島先生から御指摘がございましたけれども、そうした社会の変化や人間の持っております文化というものに対する価値観というものがどんどん変わっていく。そのことに対して、これだけ年月のたった日本の教育から見ればこれはなかなか柔軟な対応がし切れない。先ほどもちょっと関先生久保先生の御議論も私伺っておりましたが、例えば人間の能力というものをどう区別するのか。そのことは、民主主義に反するのか、教育基本法に反するのかという議論になってくる。伸びる子はどんどん伸ばしてやる、やりたくない子供までそこに入れて勉強させることが果たして正しいのかどうかという、そういう議論もございます。  そういうふうに一つ一つ考えてまいりますと、ある意味では成熟した今の日本の教育制度ではなかなか対応し切れない面が非常に出てきておるのではないか、こういうふうに私どもは考えます。こうした点は当然、反省と自省の上に立たなきゃならぬということは言うまでもないことでございまして、そういう中でもう少し生き生きとした、そしてだんだん世の中の変化や文化の進展、科学技術というものはどんどん進んでまいりますだけに、それに即応した知識だけを子供たちに押しつけていくということであっては、人間の大事な規範、先人がつくり上げた伝統や芸術、文化、そうしたものを正しく次の世紀、世代へ受け継いでいくということの使命をややもすると私は忘れがちになるのではないだろうか。  特に、今日的な社会の変化の最大のものは、国際的感覚といいましょうか、国際化ということを考えておかなきゃならぬ。国際社会の中に日本人が生きていくということを考えてまいりますと、まず自己を見詰めて、自分の国を愛し、理解をし、日本の国の伝統や文化というものを正しく掌握して、そして他の国の人たちを理解していくということが国際社会の中に生きていく子供たちにとって最も大事なこれは約束事でなきゃならぬ、こういうふうに私は考えます。  そういうことを考えますと、量的な面も質的な面ももちろん充実はしたと思いますが、もう一遍基本的な考え方を改めて見て、そして教育全体の諸制度をもう一遍眺めて検討し直してみる、このことは私ども現世に生きておる大人の子供たちに対する責務ではないだろうか、こんなふうに私どもは考えております。したがいまして、あくまでもこのことはこれからの審議会を拘束するものではございませんけれども、やはりこれからの審議はこうしたことの基本的な視点をぜひ参考にもしていただきたいと私は願っておるわけでございますが、そういう意味で幅広く教育全体に対して御議論をいただく最も適切な時期ではないか。  それは予算委員会でも申しましたが、日本のちょうど今の民族のバランス感覚というのは、端的に言えば、昔の修身あるいは教育勅語を学んできておられる方々というのもやはり何分の一かいらっしゃる。同時にまた、私どものように全く幼児期にはそうした時代を経験してまいりましたけれども、戦後の新しい民主教育を体験した世代もおります。また、私どものような考え方を持っておる者の子供たちもいるし、さらにもっと言えば、今はやりの言葉で言えばナウいというような考え方を持つ人たち、この人たちも何分の一がいらっしゃる。こういうさまざまな教育の環境や社会の背景によってそれぞれ人間として完成をされてくる、そういう民族というのが今の日本にいる。このことを一言で言えば価値観の多様性という言い方があるのかもしれませんが、そういう考え方を持っておりますから、教育の根本的なものに手をつけるということになりますと、すぐ昔のことにどうも戻るのではないかとか、あるいは憲法を踏みにじるのではないかとかというおそれがあって、ついつい教育行政、制度については何となくさわらないまま今日に来たという感じを私は否めないと思うんです。  そういう意味で、この時期に私はさまざまな考え方を持つ日本の幅広いこうした民族的構成というものを考えてまいりますと、これは血の通った意味での民族の違いということではございません。人間それぞれ学んできた教育、あるいはその環境ということの違いによってという、私はそういう意味での民族的ないろんなバランスがとれた今の時代だろうというふうに考えますと、今教育改革を行うということは極めて私は適切な時期ではないか、こういうふうに考えておりますが、当然、先生から御指摘がございましたように、決して内面的な、内容的なものに全く自省も反省もしないままにこのことについての考え方を述べているわけではございません。当然、社会の変化や、そうした文化の変化というものにも即応していかなきゃならぬと思いますし、多くの成果を得た日本の教育でありますが、同時にまた、その中から反省というものを十分見出して新しい柔軟な対応を求めていく、そういう大きな姿勢というのは、当然、文部省としても、また文部大臣としても、政府としてもとるべきであろうというふうに私は考えております。
  231. 前島英三郎

    前島英三郎君 そういう意味では、非常に戦後の教育の中におけるいろんな意味の自省を込めた文部大臣お話も今伺ったわけでありますけれども、国際的な中における日本のありよう、こういうことを見ていきますと、私は今障害を持った立場で生きているわけですけれども、一時期は大変健康でありました。その中におりますと、まさに障害を持った人々の心、苦しみというのはわからないわけで、これもまた当事者になってみて初めて痛みというものがわかっていく。そういう意味では今、日本の子供の世界の中に何が欠けているだろうか、こういうことを見ていきますと、本当に苦しみ、悩み、一生懸命生きている人々の心、命の大切さというものを健康な子供たちが学ぶ場所で学んでいない。また、その当事者である障害を持った人たちが、また健康な人々の愛とか、あるいは支えられる心とか、あるいは手助けをしてもらうとかというようなものに接する機会がない。  私は昭和十二年に生まれ、そしてまた我々は小学校二年で敗戦を迎えた。疎開者が恐らく石川県にもたくさん来たと思います。私たちの山梨県というところにも、私の家にも大体四世帯ぐらいの皆さんが来た。一クラスが大体七十人、八十人、木の机に三人がけ、四人がけの中で私たちはお互いに肌をこすり合うようにして教育を受けたものです。そして、中には知恵おくれの子供も、あるいは体に重い障害を持った子も、松葉づえの子も、当時は今のように養護学校というものもありません。盲聾というような立場の中にも、小さな山村にはなかったわけでありますけれども、そう した子供たちがみんな一緒に学んできたわけであります。  ところが、今非常に教育が選別方式になって、多様化したといいますか、国際社会に出るためには秀でた能力を生かしていくという教育の方向もわからぬでもありませんけれども、今の教育は、百メートルはカール・ルイスのようにならなければだめだ、十秒から二十秒ぐらいで走る者以外は百メートルのトラックには入ってはいかぬ、そういう教育なわけです。一つのベルトコンベヤーに乗せられる。先ほど関先生がおっしゃいましたあの中学の問題、私ども子供に、小学校三年生あたりから一切教育はノータッチです。ノータッチにならざるを得ない。子供たちも、お父さんに聞いてもだめだというのははなからわかっております。  こういう中で、子供たちはベルトコンベヤーにどうしても乗っかっていかなければならない。必死の思いでの教育になっていくものですから、今の障害を持った人たちは選別されて特殊学級、特殊学級にも入れないという子供は養護学校というような形の一つの区分けになっていくわけですけれども、実は臨教審の中でもこの問題は私はやはり避けて通ることはできない、一つのこれからの教育の問題としてしっかりとやっていただかなければならない問題でありますから、これは二巡目、三巡目あたりに総理も交えた中で統合教育という問題は触れることにいたしまして、実はきょうは限られた時間でありますので、参考人の方などもお迎えしておりますから、臨教審の中にも当然、学校の環境という問題が議論の対象になってくるだろうと思いますので、その辺を踏まえまして関係省庁の皆さんにも幾つかお伺いをしていきたいというふうに思っているわけです。教育環境ということは、特に学校を取り巻く環境というものは、障害を持つ子供の教育環境であろうと、健康な子供の教育環境であろうと、重要だというふうに思うわけであります。  そこで、まず大臣に伺いたいわけでありますが、学校を取り巻く環境としてどのようなあり方が望ましいのか、あるいは最低限とのような条件を満たしているべきか、大臣のひとつ見解を承りたいと思います。
  232. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 具体的な学校の立地の条件といいましょうか、そうしたことについては当然、設置主体、持ちます責任であります教育委員会等が考えなければならぬことだと思いますが、具体的なことにつきましては後ほど必要があれば政府委員からお答えをさせていただきますが、学校の立地条件は教育上ふさわしいものであるということが最大のものであろうというふうに考えます。それは従来から学校設置者に対しましてはそういう指導を文部省としてはいたしてきておるわけでございます。学校の立地、環境を保つためには、日ごろからやはり地域社会全体がこのことについて関心を持っていただかなければなりません。  そういう意味で、確かにいい場所であった、そこで学校ができた、しかし、これは決して差別をする意味じゃありませんが、その近くに、これは職業としていい悪いを言うのじゃないので、誤解を生むかもしれませんが、例えば後からパチンコ屋さんができた。これはもちろん社会における大変大事な産業でもございますし、今日ではパチンコ産業が五兆円ということですから、日本の財政にとっても大変大きな貢献をしておるわけでございますが、例えば学校の正門の前に、このことがいいか悪いかということについては法律的な規制はできないでありましょうが、社会全体、地域全体としてやはりそこに何が必要なのかということは社会全体で考えていかなければならぬ大事な問題だという例として、例えは悪いかもしれませんが、申し上げたわけでございまして、そういう意味では学校の立地、環境というものについては、その維持向上ということについては絶えず地域全体の問題として考えていかなければなりませんし、文部省もそのように設置者に対しましては常日ごろから指導をいたしておるということでございます。
  233. 前島英三郎

    前島英三郎君 そうした望ましい環境、これは言ってみれば地域の常識というとり方であろうと思うのです。環境を守るために、あるいはそうした環境をつくるために文教行政として今後どのように努力をしていくべきなのかということになるわけですけれども、これは事務当局の方からむしろ御答弁をいただいた方がいいと思うんですけれども、今後の努力につきましてはいかがでございましょう。非常に生活が多様化していきます。そういう意味では都会といわゆる地方との境というものもだんだんなくなってまいりまして、かつてはリヤカーしか通らなかった道が今や外車が通るというような時代に私どもの故郷も変わりつつあるわけでありますから、そういう意味では一つの守りの文教というものも当然、今後必要になってくるだろうと思うんですけれども、どうあるべきか、今後の姿勢を伺いたいと思うんです。
  234. 佐藤讓

    説明員(佐藤讓君) 新しく学校を建てるときに、学校として大変ふさわしい環境の場所を選ぶというのは当然でございますけれども、既設の学校で同じようによりよい環境を保全されるということは全く同様に大切なことである、こう考えております。
  235. 前島英三郎

    前島英三郎君 学校を新たに設置する場合、「学校施設設計指針」というようなものもございますし、いろいろなまた法律も絡んでまいります。この中を見ますと、いろいろ問題もあるかもしれません。例えば風俗営業等取締法とか、旅館業法とか、建築基準法とか、あるいは競馬法とか自転車競技法といった各種の法律の規定を念頭に置いたものであろう、こう理解されるんですけれども、いろいろなことがこれには書いてございます。つまり、校地の環境で教育上ふさわしくないというような一つの形なんですけれども、これはいろいろ論議すべきところもあるかもしれませんけれども、ところが、こういった指針にのっとって校地を選んだ後何年かたつと、たった後、逆にその指針に書いてあるような施設が学校の近くや隣接地にできた。先ほどパチンコ屋さんの話が出てきましたけれども、それをとめるといいますか、やめさせるといいますか、教育的な配慮ということにおきましてそのようなことのないようにするために、手だてといいますか、そういうものはどうなっているのかお尋ねしたいと思うんですが、いかがでしょうか。
  236. 佐藤讓

    説明員(佐藤讓君) いろいろ諸法令によりまして規制するということは、現在あります法律の中で考えられるわけでありますが、文部省当局がそういうものを規制するということは、実際問題としては現在のところできないわけでございます。ただ、やはり既設の建物にそういうものが入ってこないように、あるいは環境を悪くしないような方策を講ずるというようなことで指導する必要はあるのではないかと考えております。
  237. 前島英三郎

    前島英三郎君 つい先ごろ小学校のすぐ近くにパチンコ店ができた、これは東京葛飾区だったと思うんですけれども、校長が区教委と相談をしてオーケーしてしまって、地元でこれが大問題になった。こういうことで学校の環境を守れないわけなんですけれども文部省として、こうした場合に対して、それじゃその辺もパチンコの機械は見えないようになっている、あるいは入り口に花壇をつくった、しかしパチンコという名前ももっと見えないようにするとか、いろいろな工夫さえすればそれは文部省としてはとめることはできない、こういう解釈になるわけでしょうか。いかがですか。
  238. 佐藤讓

    説明員(佐藤讓君) ただいまの例の場合には条例によりまして規定されておりまして、そのとおり進められたわけであります。それを法的にあるいは文部省がとめるということはできないのだと思いますけれども教育委員会を指導いたしまして、よりよき環境を保持するような指導をするということは当然のことだと思います。
  239. 前島英三郎

    前島英三郎君 もう一つ、具体的な事例についてお尋ねしたいと思うんです。  奈良県の大和郡山市に奈良県唯一の県立の盲学 校、聾学校がございます。寄宿舎もございまして、幼稚部もございます。特に、聾学校は三歳からの早期教育をやっております。ところが、この盲聾学校の隣に食肉流通センターを、「学校施設設計指針」では「校地の環境」の項のア、イ、ウ、エ、オの部分のオに書いてございます屠殺場でございます。センターを建設しようという話が進んでいるわけなんです。  私も、つい先日、その盲聾学校のPTAの皆さんの要請を受けまして行ってまいりました。実は、機動隊が三百人ほど参りまして突然そうした測量が行われたりしたものですから、それから音に対して寄宿舎で目の不自由な視力障害の子供たちが非常におびえるようになったというようなお母さんのお訴えもありまして私は行ってきたわけでありますが、県立学校でありますから環境を守るのは県の責任、また県の教育委員会責任ということ、その指導は文部省が当然やっておられるわけでありますけれども、これはまた守られるべきだというふうに思うわけですが、実は食肉センター、つまり屠畜場を建設するのも県なわけです。  事柄の性格は地方自治の問題でありますが、このような形で指針が形骸化されてしまうと全国どこでも同じようなことが起こりかねない。じゃ、耳が聞こえない障害児の聾学校の隣には飛行場があってもいいではないかという形になっていってしまうというようなことを思いますと、私が冒頭、子供たちの教育の環境にいかに配慮をすべきかということをお願い申し上げたのはそういうことだったわけですけれども、こうしたことのきちんとした考え方を示す必要が文部省としてあるのではないか、私はこう思うんですけれども、現地では当然のことながら地域住民による強い反対運動が起きております。  きょうは、その奈良大和郡山市と畜場建設反対期成同盟の中川義隆会長さんに参考人としておいでいただいているわけですが、早速お尋ねしたいと思うんですけれども、屠畜場の建設に反対をされている皆さんの理由ですね。実は、この問題を私が伺うために奈良県の東京事務所の方に御説明を伺いましたら、ある特定政党の党員拡大運動であるというようなことの説明を受けたんですけれども、私、現場に行きまして、本当にひたむきな、盲聾学校の障害児のお父さんやお母さんの真剣な子供たちの教育環境を守ろうという運動に接して私はいたく感動をしたわけですけれども、その理由をお伺いしたいと思うんですが、いかがですか。
  240. 中川義隆

    参考人中川義隆君) ただいま御紹介をいただきました大和郡山市と畜場建設反対期成同盟の中川でございますが、御質問お答えしたいと思います。  この問題が起こりましたのは昭和五十七年の二月二十日でありますが、これも約一カ月ほど前から地元の方に屠畜場ができるといううわさが流れておったわけでありまして、そのうわさを確かめるという意味合いにおいて、地域の自治会が奈良県の当局に対して説明を求めるための要請をこちらからして、初めて県の方からの説明が聞かれたというようないきさつがあった。それが五十七年の二月二十日でございますけれども、その説明を聞きますと、もう既に用地の買収が終わっておった。  それともう一つは、地元の土地改良区の所有をしております土地を、一部の役員だけに了解をとって、その屠畜場に進入する道路としての賃貸借契約が結ばれておったというようないきさつでありましたから、説明会というよりも、むしろ既成事実をつくっておいてそれに従えというような、いわば命令会的なようなものであったというところから、当然踏んでもらうべき手続を何一つ踏まずして、いきなりその問題をぶつけられたというところで、住民無視であるという慣りがまず一つ出てきた。  そして、その説明の中で、建設の予定地が、先ほど前島先生がおっしゃった県立の盲聾学校の、全く金網を一つ隔てた隣接したところに建てられる。しかも、その場所には県内の各地から通えない人たちを泊めるところの寄宿舎、母子寮がある。そういうことからして、またその二、三百メートル近くには幼稚園なり小学校なり保育園なりがあるという、いわば教育施設が集中しているところでございましたものですから、地域のお母さんたちが子供や孫たちのための教育環境を守りたいという意味合いにおいて、その説明を受けた時点において猛反対が起こりまして、地域の自治会が十一ございますけれども、それらが中心となって反対運動に立ち上がったといういきさつでございます。
  241. 前島英三郎

    前島英三郎君 手短に、時間がありませんので、お願いをします。参考人の方、申しわけありません。  これまでの経過の中で、機動隊出動という事態が数回あったと聞いております。そのとき盲聾学校の教育にも影響があったと思うんですが、いかがでしたか。
  242. 中川義隆

    参考人中川義隆君) そのとおりでございまして、機動隊が入ったのが五十八年の一月二十五日ですけれども、ちょうど十一時ごろに出動命令が出て、授業中でありまして、大変みんなが驚きまして、学校自体が混乱に陥っておったということは確かでございます。
  243. 前島英三郎

    前島英三郎君 盲聾学校の隣接地以外にセンターを建設できるような土地は奈良県内にはないと皆さんお考えですか。
  244. 中川義隆

    参考人中川義隆君) 奈良県も広うございますから、ちょっと申し上げますけれども奈良県の酪農、いわゆる屠畜関係の業者がたくさん集まっておられるところは南和なり中和というところなんです。この建設の予定地は北和でございますから、北の方に偏っておるわけでございます。業者の全くおられない地域に建てる。中和、南和地域では十分そういった土地があるはずなんです。そういうことは業者の方もおっしゃっておられます。
  245. 前島英三郎

    前島英三郎君 つまり、センターの建設は、県内の食肉関係業者、この屠畜場の関係業者に大変影響をもたらす。六ケ所あって、それは確かに非常に老朽化しておる。昭和の初めにできた屠畜場であります。しかし、その人たちも、つまり大和郡山市にできるというのは業者も反対をしているわけです。そして、地元住民も知らない間に土地がつくられ、買われて、そして測量が終わった後、屠畜業者にこういうところへつくるというようなことがあったものですから、実際にセンター建設に屠畜業者も反対をしておられる。そういうことを私聞いておるんですけれども、そう理解してよろしいですか。
  246. 中川義隆

    参考人中川義隆君) そのとおりでありまして、私たちに説明があった五十七年二月から三カ月後に業者に説明をしたということですから、業者の実態を全く無視されたような計画であるということが言えます。猛反対をされております。
  247. 前島英三郎

    前島英三郎君 つまり、こういうことの経過には市の審議会があり、県の審議会があり、そしてそれがつまり秘密のうちに審議会が幾つかつくられていって、一つの結果がぼんと後で住民に知らせられた。私は、例えばこの臨教審が秘密裏になるという危険性がこういう形と非常に相似通ってくるという怖さを持つわけです。結果的には、すべて段取りは終わっていて、そこの盲聾学校の隣接地には既成事実として一つのものができる。地域の人たちの声あるいはこれを業とする屠畜業者たちの意見さえも無視されて、県の一つの形が既成事実として機動隊導入というような形でもってつくられていく、そして教育環境も破壊されていってしまうというようなことになってきますと、一つ教育審議というものが、あるいは教育に限らず、いろんな一つ審議が密室の場合には非常に危険であるというような感を強く持つわけです。  そこで、奈良県の食肉流通センターの建設計画をめぐって地元の住民から強い反対の声が上がっているわけなんですが、農林水産省、これは重要な管轄省でありますから伺うんですけれども、農 水省としてこのような反対運動が起きていることなど、現地の現在の状況をどのように把握しているかお聞かせいただきたいと思うんですが、いかがでしょう。
  248. 鎭西迪雄

    説明員(鎭西迪雄君) ただいま先生からお話がございましたように、奈良県の大和郡山市におきまして食肉センターの設置計画がございまして、このことに関しまして学校関係者あるいは近隣住民等の間に設置反対の動きがあることは、私ども地方農政局あるいは直接反対の方も本省に見えられまして、お聞きしております。  ただ、その設置計画につきまして、現段階奈良県の方から私どもに対する事業申請がなされていない段階でございますので、農林水産省といたしまして、具体的にこの場でどうこう申し上げられる立場にはないわけでございまして、地元から申請が行われるまでの間に、当然、私どもとしてはこういうものについての調整というものが行われるべきものであろうというように考えております。
  249. 前島英三郎

    前島英三郎君 つまり、食肉流通センターを設置する場合、国庫補助金の種類とその概要みたいなものはこれは農水省の管轄だと思うんですけれども、その国庫補助事業を申請するには地域住民の同意書を必要とすると聞いておるわけなんですが、今はまだ一つの申し込みが農水省の方には来ておらないから何とも言えない、こういうことだろうと思うんですけれども、その申請する場合どうしても必要なものと解釈してよいものには住民の同意書というようなものがあるやに聞いておるんですが、その辺はいかがですか。
  250. 鎭西迪雄

    説明員(鎭西迪雄君) 県が単独で行われる事業の場合は別でございますが、私どもが国の補助事業として、現在、食肉センターの設置に対しまして予算計上しておりますのは、総合食肉流通体系整備促進事業というものがあるわけでございまして、これの事業実施計画を出していただく際の添付書類といたしまして、これは当然、統廃合されます屠畜場の関係業者の同意をはっきりとっている書類のたぐい、それから地域住民等の同意書というものが添付書類ということになっております。
  251. 前島英三郎

    前島英三郎君 県の方では、国がいろいろ難しいことを言うなら県の単独事業でもやるというような強い意見もあるようなことを聞いているんです。  そこで、建設省に伺いたいんですが、建設省の都市計画法それから建築基準法で、屠畜場等の建設につきまして都市計画において位置決定をすることを必要条件としているわけなんですけれども、これは周囲の環境との調和あるいは地域住民の意向といったものを考慮に入れて適切な配置を確保するために規定してあるものだと私は思うんですけれども、この点について建設省の見解を伺っておきたいと思うんですが、いかがでしょう。
  252. 久保敏行

    説明員久保敏行君) お尋ねの屠畜場等の建築物につきましては、建築基準法の第五十一条の規定によりまして、都市計画においてその敷地の位置が決定しているものでなければ建築物を新築したり増築してはならない、このように規定されております。  屠畜場等の施設の位置につきましては、都市の総合的な土地利用計画でありますとか、開発計画でありますとか、こういったものに基づきまして各種の都市施設の計画が都市計画で決められるわけでございますが、屠畜場もその一環として全域にわたる都市計画的な見地から決めていかなければならないだろう、こういう趣旨でそうなっておるわけでございます。
  253. 前島英三郎

    前島英三郎君 大和郡山市の都市計画審議会は、これは新聞の報道ですけれども、強行採決という形で審議会の決定を出しているわけなんです。こういうようなことでは、形式的には違法でなくとも、実態としては法目的にかなっていなくて極めて好ましくないと考えるんですけれども、建設省の見解、その辺はいかがでございますか。
  254. 鈴木政徳

    説明員(鈴木政徳君) ただいまのお尋ね大和郡山市の屠畜場の都市計画でございますが、これは市町村が決定する都市計画でございます。その市町村の審議会に諮りましてつくり、それを地域住民に縦覧した上で都道府県知事に上申いたしまして、都道府県知事が審議会に諮り決定するものでございます。  この件につきましては、私ども県の方から間接的に状況を聞いておりますけれども審議会につきましては法律上瑕疵のあるものではないというふうに聞いております。
  255. 前島英三郎

    前島英三郎君 ですから、自治体の説明によってどうにもならぬというような部分が、審議会の中でも流れの中で変わっていっちゃう。これは臨教審の中における審議の経過も、そういう意味では密室というのは非常に私はやっぱり問題がある。しかし文部大臣は、そうした臨教審の中における経過、審議状況というプロセスは絶えず公開をしていくというようなことをおっしゃっているわけですけれども、現実にこの大和郡山市の審議会の強行採決なんですが、正しく採決されたかどうかというのは、参考人はその現場におられたわけですから、その辺はどういうふうな形でこの審議会は結論を出したのですか、ちょっとお伺いしたいと思います。
  256. 中川義隆

    参考人中川義隆君) これは多分五十八年の十一月二十九日に委員を任命して、その翌日の三十日に審議会を開いたという形です。それから委員には代理者も認めてやった。そういう形ですから、代理の参政権まで認めてやったというような形で、委員を決めたのは前日で、審議会を開いたのが翌日であるというような非常に強硬なやり方をやったわけです。  実は、五十八年の七月に当然、委員が改選されなければいけないというにもかかわらず、引き延ばして十一月にまで持ってきたというのは、その当時の委員は建設に反対をされる委員が多かったわけなんです。それで、それを引き延ばしたというようなやり方をやられたということでございます。
  257. 前島英三郎

    前島英三郎君 これはよく調査をしていただかないと、建設省に再度答弁を求めましても難しいと思うんですけれども、そういうことであっても、一応、市町村の報告であるからこれは建設省は問題はないと判断せざるを得ない、再度の答弁もそうならざるを得ないのですか、ちょっと伺います。
  258. 鈴木政徳

    説明員(鈴木政徳君) 市町村の都市計画審議会につきましては、実は法令で何ら規定がないわけでございます。ただ、建設省としましても、行政指導上、市町村にそういう審議会を設けまして、住民の意向を入れるようにということで指導しているものでございます。したがいまして、ただいま先生のおっしゃったような委員に対して代理を認めるかどうか、あるいは過半数で議決していいものかどうかというようなことはすべて市町村の意思あるいは市町村での慣例に任されているものでございます。  代理につきましては、ただ一般的に言えますことは、機関の代表として選任されている委員の場合には代理の方が出ましてもその機関の意思を代表する。機関と申しますのは、都市計画に重要な関係を有します例えば建設省の出先機関であるとかあるいは国鉄の出先機関であるとか、そういう委員が都市計画の審議会には多数選ばれております。そういう委員につきましては代理を認めることでその機関の意思は代表できるというふうに解釈しておりまして、特に違法な点はないというふうに考えております。
  259. 前島英三郎

    前島英三郎君 それでは、文部省に伺いたいと思うんですけれども文部省はこの件につきましてどの辺まで承知されておられるのか、お伺いします。
  260. 佐藤讓

    説明員(佐藤讓君) 何度か反対運動の陳情をいただきまして、県を呼びましていろいろ諸事情を聞いております。  ただいまのような詳しい話についてはよく承知しておりませんけれども、私どもの聞いているところでは、用地を選定するに当たって適地としてあれ以外は存在しなかった、それから流通センタ ーの建物については学校に影響の与えないような今でき得る限りの最善の方策を尽くす、そういう報告を受けております。
  261. 前島英三郎

    前島英三郎君 奈良県議会の本会議の会議録によりますと、上田奈良県知事は、昨年九月二十九日に、「文部省に対しまして学校建設指針につきまして文部大臣にも要請したことがございます。」と答弁で述べておりまして、指針を改めるべきだ、つまりこの指針は非常に間違っておる、改めるべきだということを主張しておるわけです。つまり、「校地の環境」という問題、そこにふさわしくないものがア、イ、ウ、エ、オというような形に列記されているわけですけれども、この指針について改めるべきである、こういうことを述べているんですが、文部省はこのような要請を受けたことがあるのかどうか、これについてはいかがでございましょうか。
  262. 佐藤讓

    説明員(佐藤讓君) 前瀬戸山大臣がそういうお話を伺ったとは聞いておりますけれども、設計指針では校地を選定するに当たりまして、「環境は、教育上ふさわしいものとする。」ということで、支障があると思われるような施設の周辺には学校をつくることは望ましくないというような意味で屠畜場を考えておるわけでありまして、これはと畜場法上設置場所の制限があるとか、あるいはこういう種類の建物というのは悪臭とか騒音とかいう、そういう公害源となる可能性が強いとか、そういう意味で私どもといたしましては近接する場所に学校をつくるなという、そういう指示をしているわけで、これは変えるつもりは全くございません。
  263. 前島英三郎

    前島英三郎君 そうすると、「学校施設設計指針」というものは変える気持ちは毛頭ない、こういうことでよろしいわけですね。
  264. 佐藤讓

    説明員(佐藤讓君) 当然、施設のことでありますし、それから物事は年々進歩してまいりますから、どういう事態が起こるかわかりませんし、また技術面の開発その他も考えられますので、絶対変えないということはあり得ないと思いますけれども、こういうような想定されるものについて今直ちに変えるという気持ちはございません。
  265. 前島英三郎

    前島英三郎君 臨教審の中でまたこうした環境問題も当然語られるだろうと思うんですけれども、それでは屠畜場の近くに校地を選定しないことが望ましい、この場合とは逆なんですけれども、としてある教育的理由は何なのか、改めてお伺いしたいと思うんですが、いかがですか。
  266. 佐藤讓

    説明員(佐藤讓君) これはただいま御説明申し上げましたけれども幾つかの種類の施設のそばには学校施設をつくらない方が望ましい、こういうことで申し上げまして、屠畜場につきましてはと畜場法の中に設置場所の制限というのがきちっとございます。それから一般的に考えまして、こういう種類の建物というのは悪臭とか騒音とかいう、そういう公害源の可能性があるというようなことを勘案いたしまして、屠畜場を指針の中に入れたわけでございます。
  267. 前島英三郎

    前島英三郎君 また、上田知事は同じ答弁の中で、「具体的には文部省からは何ら支障ない旨の回答――も実は基準は改正いたしておりませんけれども、具体的な回答も実はいただいておる」、こういう答弁をしているんですが、文部省はこういう回答を上田知事にしたんでしょうか。いかがですか。
  268. 佐藤讓

    説明員(佐藤讓君) 文部省では、教育委員会からこのようなことについてこれの指針の見解はいかがかと、こういう質問に対しまして見解を述べたところでございまして、そのときにセンターの用地の選定については現在の敷地以外に適地は認められなかった、それから教育環境の維持については県の責任においてとり得る限りの最善を尽くすとか、そういう条件を付されましたわけで、それに対しましての回答をしたわけでございます。ですから、文面といたしましても、「センターが近代的かつ衛生的なものであり、また、教育環境も保全することとされているとのことであるので、今後、当該施設の維持管理に万全を期し、良好な教育環境が保持されるならば、教育上ふさわしくないとは言えないと思われる。」、こういう返事をいたしております。
  269. 前島英三郎

    前島英三郎君 六ケ所、大和郡山市には屠畜場がありまして、そこの従事者、お仕事に一生懸命頑張っておられる皆さんにお話を伺いました。そしたら、私たちは反対である。したがって、七つ目の屠畜場が奈良県にはできることになるということなわけです。そういう意味では、実際に近代化をしようという県の姿勢もわかるわけですけれども、しかしそれが本当に屠畜業者がその願いを持ってお願いしたものでもない。そして、地域住民には全く知らないままにいろんな形でそうしたものが行われた。しかも、そこは奈良県に一校しかない盲学校、聾学校、しかもそこには寄宿舎もある、こういうことをいろいろ考える。  しかも、三、四年前でしたか、大変大雨のときには、あの一帯は遊水地でしたものですから、その写真を見ましたけれども、水が学校の床上までずっと来る。しかし、そこに遊水地があったものですから、むしろ一メートルぐらいの、床下か上がどうかわかりませんが、浸水で済んだ。しかし、今度ここに屠畜場ができ、舗装がされ、水のはけ口がなくなったという場合には恐らく学校では大変なことになるだろう、こうあるお母さんは心配して語っておりました。この子供たちは目が見えない、この子供たちは耳が聞こえない、こういう子供たちの環境なわけです。すぐそばには幼稚園もあります。そして、高等学校もあります。大学もあるという、一帯は文教地帯である。そのど真ん中に実はこの屠畜場が建設されようとしているわけでありますが、まだ農林水産省の方にはその申請は出ていない。しかし、そういうことをいろいろ考えてみますと、私は文部行政でもしっかりと指導をすることが必要ではないかというふうな気がするんです。  ことし五月、抜き打ち的にまた建設予定地の地質調査を行って、授業といいますか、学校行事に大変大きな支障を来たしたというようなことも、PTAの方、また学校の先生からも伺いました。奈良県当局の姿勢は一貫して教育に対する配慮に欠けているということは明らかだというふうに思うんですけれども、こうしたあり方につきまして文部大臣はどう思われますか、お伺いをしたいと思います。
  270. 森喜朗

    国務大臣森喜朗君) 参考人お話やら、また前島さんの御調査お話を承っておりまして、正式には、私が就任をいたしましてから、そのことについて具体的な経緯等についての私に対する報告等はまだございませんが、一般的に言いまして、いろいろと経緯はあったのだろうと思いますが、今のお話をこうして承っております上での判断で申し上げますと、どうもやはり適切な指導といいましょうか、また適切な手段といいましょうか、どうもそれにいささか欠けている面があるのではないかという判断を、今のお話だけを伺うとそんな感じがいたします。  もちろん、これはそれまでの経緯、市当局の経緯あるいはまた県の考え方等もあるのでありましょうが、その点については今、前島さんの方からのお話だけを伺うという立場でございますから、必ずしもそのことが的確、不的確であったということを申し上げるということは適切ではないと思いますが、今のお話だけ伺いますと、手続等について慎重な、あるいはまた地域の住民の十分なる了解を得るということなどがもう少しあってしかるべきであったのではないかということを感想として申し上げることはできると思います。
  271. 前島英三郎

    前島英三郎君 私は、そういう意味では、去る十三、十四の二日間にわたりまして現地へ行ってまいりました。その盲聾学校も訪ねました。付近もよく見聞をさせていただきました。私は、屠畜場が近代的な一つの働き場所になる、流通センターになるということは賛成であります。賛成でありますけれども、しかしそれをつくっていくプロセスの中に、やっぱり教育の環境を守るという意味におきましては若干その場所としては不適格ではなかろうか、これは率直に私は持つわけであります。屠畜場というものが近代化していくこと、 あるいは奈良県において老朽化している現状を思いますと、これは改善に迫られていることは十分私も理解をするわけであります。  しかし、そういう意味では、いろいろ考えてみますと、盲聾学校の隣以外にあいた土地がないのかというと、奈良県も広大なところでありますから、私はもっと話し合いを煮詰めればいい場所があるのではないかというふうに思います。わざわざ隣接地に持ってきて、食肉を食べるのも人間の営みなんだから正しく教育せよというのは私は詭弁だというふうに率直に思います。問題のすりかえのようにも思います。言葉を覚え、点字を学び、さまざまな基礎的なことを学んで社会を理解する力を持つ、そういう教育段階教育一般とを混同させているような気がしてならないわけでありますけれども、実は奈良県議会では社会党もこれは建設を促進する立場をとっております。そして、ある文書で、他人の殺したものを平気で食べる人間をつくるのは間違いだと力説しているわけでありますけれども、私は三歳からの子供たちが学ぶ場所であることを考えたときに、他の適地が全くないとは考えられない状況のもとではこの教育論は社会党らしくないと思っているのでありますけれども国民教育審議会設置法案の発議者としての見解を私は伺いたいと思っております。
  272. 久保亘

    委員以外の議員(久保亘君) 大変難しいお尋ねでございますが、私、現地をよく存じておりませんし、今、前島先生の御質問や、当局の御答弁や、参考人お話をお聞きしながら、いろいろとここで私も考えさせていただきました。私は、これらの問題を考えるときに、二つの問題があるように思っております。  一つは、地域住民の声が尊重されるような形で民主的に計画が進められているかどうかという点だろうと思います。それからもう一つは、文部省が学校の環境に関して一つの基準を示している。そのことは、学校教育上の必要な理由があってのことだと考えております。  それらの問題、私も十分現地の実情などを調査してみなければ今何とも申し上げられないのでございますけれども、ただ一般論として申し上げるならば、学校は可能な限りすぐれた教育環境の場所につくられるべきであるし、つくられた学校は教育環境がすぐれた状態で保全さるべきものだと考えております。
  273. 前島英三郎

    前島英三郎君 参考人の方、ありがとうございました。  さて、それではいよいよ本論といいますか、本論に入るにはあとわずかしか時間がございませんので、続きはまた二巡目ということになると思うんですけれども、現在の日本の学校教育制度が、実は重度の障害児を一般の小中学校から分離する形をとり続けております。これは昭和五十四年度養護学校の義務化の一つの実施に伴いましてそういう形になっているわけでありますが、憲法二十六条では、すべての子供が、「ひとしく教育を受ける権利を有する。」、こういうことをうたっておるわけでありますので、そういう意味では、今まで就学猶予をされていた子供たちも教育を受ける権利があるという意味で、大変私もいい方向なんだな、こう思ったんですが、実はこれが選別する形が非常に顕著になっていく流れを持ったときに、先ほど文部大臣がおっしゃった、子供たちが国際的な感覚を非常に受けていない、それと同じように障害を持った子供たちにとっては一般の子供たちとの交流がない、あるいは一つの市町村が世界だということでそこから一歩も表へ出れない、こういうような現実があるわけであります。  実は、三年ほど前ですが、私は車いすの子供たちを連れてアメリカヘ参りました。この子供たちは、初めてアメリカヘ行ったわけです。障害を持つということにおいて、いかにその地域の中から外に出ないかということを思いますと、これからは国際人としての障害を持つ立場でなければならない、そんな思いから実は十人ほどの車いすの養護学校の生徒を連れてまいりました。アメリカヘ参りまして、ロサンゼルスとかあるいはサンフランシスコとか西海岸を回りまして、この子供たちにアメリカの印象を実は作文に書いていただいたわけであります。一体、ディズニーランドの楽しさを書くのだろうか、あるいは金門橋の美しさを書くのだろうか、あるいはハワイのワイキキの浜辺の水の清らかな部分を書くのだろうか、こう私も思っておりましたら、この十人の子供たちのうち七人が真っ先にアメリカの印象として書いたことに私は愕然とする思いを持ったのであります。  その一つは、アメリカ人は目と目が合ったら笑ってくれたという書き方をした子供がおります。あるアメリカ人は私のほっぺにチューをしてくれたというのを真っ先に喜びとして書いておりました。また、あるアメリカ人は頑張れよと言ってくれたということを一つの印象として書いておりました。そういうことを見たときに、この子供たちは地域の中で一体どういうまなざしを受けながら学校に通って、あるいは友達との交流を、人との触れ合いを深めているのだろうということを思ったときに、そこに差別の問題、そして障害を持った者だけしかその環境の中にいない今の一つの分離教育の問題点、こういうことを見たときに、これから教育の中における一つの流れは混合教育とでもいいますか、統合教育とでもいいますか、そういう障害があるなしにかかわらず、それぞれの子供たちが気楽に学び合える、気楽に机を同じゅうするような形をとっていくことが最もこれから二十一世紀にふさわしい教育のありようではないのか、こういう思いを大変私は強くするわけです。  そこで、障害種別によって分離されている問題といいますか、それはどういう形でそういうことを文部省がとっておられるか、これは非常に初歩的な質問でありますけれども、その辺からまず伺っておきたいと思います。
  274. 高石邦男

    政府委員(高石邦男君) すべての国民にひとしく、能力に応じて教育の機会を保障するということが基本的に重要なことでございます。したがいまして、障害の程度、種類に応じまして、その子供たちの能力を最大限に伸ばしていくための教育がどうあったらいいかという観点で、今日まで日本の学校教育ではいろいろな工夫、努力をしてきたわけでございます。そして、その結果、やはり障害の程度の低い者につきましては、普通の小中学校の特殊学級で教育をしていく、それから障害の程度の重い子供についてはそれにふさわしい養護学校を整備して、そしてその能力を最大限に引き伸ばしていくということが教育の効率性の観点からも必要であるということでございます。  ただ、今御指摘のありますように、障害児とそれから普通の子供たちの交流教育ということも一方において重要であるということで、そういう機会もできるだけふやしていくような施策をあわせてとっているというのが今日の障害児教育に対する基本的な姿勢でございます。
  275. 前島英三郎

    前島英三郎君 文部省が出しました古い本を一冊見つけたわけです。これは昭和三十六年に刊行されました「わが国の特殊教育」という本でございます。この本の全体を流れるトーンとしては、当時、障害児の教育をよくしようと懸命に取り組んでいた熱意のようなものを何となくひしひしと感じるわけなんですけれども、次のようなところがございました。特殊教育が一般の教育の発展に寄与した点を挙げた後、「それはそれとして、」と断りまして、当時のすし詰め学級の状況を嘆いております。そして、次にこういうぐあいに書いてあるわけです。   この、五十人の普通の学級の中に、強度の弱視や難聴や、さらに精神薄弱や肢体不自由の児童・生徒が交じり合って編入されているとしたら、はたしてひとりの教師によるじゅうぶんな指導が行なわれ得るものでしょうか。特殊な児童・生徒に対してはもちろん、学級内で大多数を占める心身に異常のない児童・生徒の教育そのものが、大きな障害を受けずにはいられません。  五十人の普通学級の学級経営を、できるだけ完全に行なうためにも、その中から、例外的な心身の故障者は除いて、これらとは別に、それ それの故障に応じた適切な教育を行なう場所を用意する必要があるのです。  特殊教育の学校や学級が整備され、例外的な児童・生徒の受け入れ体制が整えば、それだけ、小学校や中学校の、普通学級における教師の指導が容易になり、教育の効果があがるようになるので  す。こういうように書いてあるわけです。  当時、極めて率直に記述したと思われるんです。どうやら、このように書くことが社会的にも余り異論が出てこないという状況にあったようにも思うわけでありますが、文部大臣、実はこのような記述について今日でも同じ考え方が続いているものなのかどうか、その辺はいかがでしょうか。
  276. 高石邦男

    政府委員(高石邦男君) 御指摘の我が国の特殊教育と普通教育との関係について、今お読みいただいたような記述があるわけでございますが、その前に、実は、特殊教育についての「教育の機会均等と特殊教育」という事項で記述されている分野がありまして、その中では、我が国の「憲法や教育基本法にうたわれている「能力に応じた教育の機会均等」という理念が、文字どおりの意味で、わが国に生を受けたこどもたちのすべてについて実現するためには、特殊教育の果たすべき役割がきわめて大きいといえましょう。」と、こういう表現で書いているわけでございます。そして、その裏側の問題として、普通教育と一緒に教育をすることによる普通教育側の一つの問題として今お読みいただいたような記述をしているわけでございます。  したがいまして、特殊教育の障害の程度、種類に応じてその子供たちに最大の適性、能力に合う教育を展開していくというのが重要であるということを強調しておりまして、普通の子供たちの教育の中で混入するとそれが十分に果たせないという視点を強調するという観点でそういうような表現になっているかと思っております。
  277. 前島英三郎

    前島英三郎君 それはそれで当時は、ですからそういう背景であったろうと、こう思うんです。  実は大臣、私は今回の質問に先立って何点かの資料を文部省要求したんです。その中に、さきに触れました中心協の特別委員会での統合教育をめぐっての論議というようなものがありまして、これは提出してもらいまして、いろんものを提出いただいたんですけれども、その結果一枚のメモをいただいたのがあるんです。その中心協のやつではなくて、中にまじった中に一つ実は妙なのが出てきたんです。それは昭和五十六年八月のメモなんだそうですけれども、表題は「障害の重い子どもを小・中学校で教育することの問題点」というのがございまして、これは短いメモですから全部読みます。  一、障害の重い子どもに対しては、小・中学校では適切な教育ができない。(一) 般の教育課程に適応することが困難(二) 障害に応じた特別指導(点字学習、口話法等の指導、機能訓練など)を受けられない。  二、一般の子どもたちの教育に支障が生ずる恐れがある。(一) 四十人学級では、担任教員が、障害児の世話に追われ、一般児童の教育に支障が生ずる。(二) 教員及び一般児童の負担が増える。(善意の手助けのみを当てにできない。)  三、多額の財政負担を強いられる。(一) 学校施設の改善(スロープ、エレベータ一など)や、特別設備、スクール・バスの整備が必要となる。(二) 専門教員、介助職員の配置が必要となる。(三) 盲・聾・養護学校整備との関連で二重投資となる。  四、現行の特殊教育制度、ひいては学校教育制  度全体の根幹に触れる大きな問題となる。こういうことを書いている。  この資料がいただいてある。実は、二十三年前じゃないんです。いいですか。二十三年前じゃないんですよ。二十三年前じゃなくて、三年前なんです。これ、三年前。そうすると、五十人学級が四十人学級となっただけで同じ思想、同じ考え方がはっきり書いてあるわけです。ただ、それだけのことなんです。  私は、このメモがストレートに出てこないのじゃないかと実は思っておったんです、こんなメモは。いいですか。こんなメモが出てくるとは思わなかった。私の感覚では、こうしたメモを公表するのに普通なら恥じらいを文部省が持たなければ。私は、そういう意味ではこの問題は大変重要だと思うんです。ところが、要求したその日に実はこの資料が出てきたんです。つまり、ここに書かれていることは全く違和感も抵抗も感じていないという文部省の姿勢が私は非常に許せないという気持ちで実は今怒りに燃えているわけなんですけれども、これはたくさんコピーをしてきましたから皆さんにお配りしてもいいんですが、文部大臣は率直にこのメモをどうごらんになりますか。
  278. 高石邦男

    政府委員(高石邦男君) 実は、先生からのレク要求があった際に私にも相談がありまして、そういう問題点についてのペーパーを会議の席で配った、それをどうしようかと。会議の席で配った以上は、それを隠すことが後でいろいろかえって問題になるし、むしろ率直にそういうことは出した方がいいのじゃないかということで、私はそういう判断をしてあれしたわけでございます。
  279. 前島英三郎

    前島英三郎君 いいんですよ。出したのはいいんだけど……
  280. 高石邦男

    政府委員(高石邦男君) そこで、考え方といたしましては、先ほど来申し上げておりますように、障害の種類、程度に応じてそういう専門的な教育機関をつくっていく方がその子供たちのためにやっぱりプラスであるという基本的な姿勢を一面に持ってきているわけです。したがって、そういう意味で養護学校の義務化を五十四年来施行し、そしていろんな設備を投資いたしまして養護学校の整備を図ってきているわけでございます。そして、それを一般に言われている混合教育というような形にするとやはりこういう問題点というのは率直に言って存在するということかと思うわけでございます。
  281. 前島英三郎

    前島英三郎君 実は、私はこういう意味でのベルトコンベヤー式選別教育教育工場、私は一つの子供たちの差別に対する意識のこの現実に直面しまして、この問題だけでも私は二時間や三時間じゃ足りない。きょうは、とりあえずイントロだけを振っておきまして、次回に私は引き続いて……。この問題一つを取り上げましても、これは重要な障害者に対する差別と文部省の挑戦だと私は思うんです。そういう意味ではじっくりとこれから特殊教育課の皆さんとひとつやり合いたい、こう思いますので、ひとまず次回に譲りたいと思います。
  282. 高平公友

    委員長高平公友君) 両案についての質疑は、本日はこの程度にとどめます。  本日はこれにて散会いたします。    午後六時十三分散会