○穐山篤君 これは答申が出てそれを
総理府総務長官が受けるか、官房長官が受けるか、時期によって違いがあるんでしょうが、それが改めて出た段階でやっぱり国民全体のコンセンサスが得られるような解決を図ってほしい、また我々もそのための
勉強をしたいということを申し上げておきたいと思います。
さてそこで、
質問の通告が、
水上参考人の時間のことがありまして、一番最後に通告してあったものを一番前に持ってきたんですが、それとの
関係で似たような問題を二つ問題にしたいと思うんです。
実は、衆議院で
恩給法等の一部を改正する
法律案に対する附帯決議、その一番最後に、「旧満州国軍内の
日本人軍官の処遇問題について検討すること。」、こういう附帯決議がついていました。これは多分こういうものだろうと思うんです。たくさん出ておりますけれ
ども、せっかくでありますので、紹介議員堀江正夫
先生の第八八七号、
昭和五十八年十月二十一日受理、これに類するものを衆参両院で各党各派で取り上げて、これが受理されて審議をした末、衆議院においてもこれが附帯決
議で上げられた。多分その資料は、「別冊 満洲国軍内の日系軍官の応召確認の件」という文書が
一つのよりどころであるし、それからもう
一つのよりどころは、
総理府から答弁が行われておりますこれらのものも参考にしながら審議をした結果、こういうふうに附帯決議が入ったと思うんです。私は、そのことを否定はしませんが、もう少し深く掘り下げてみる必要があると思うんです。
そこで、多少一方的な意見になるかと思いますが、しばらく聞いておいていただきたいと思う。
昭和七年九月十五日、満州国の元号でいきますと大同元年九月十五日、
日本と満州国との間に議定書が成立をしているわけです。それに基づいて満州国と関東軍との間にいろんな文書の交換が行われた、交換公文がなされたのは御存じだと思うんです。私は、この附帯決議にかかわるもので少し調べてみました。
昭和十二年の十一月三十日、満州回の元号でいきますと康徳四年十一月三十日に、関東軍司令官、特命全権大使植田謙吉、満州旧総理大臣張景恵、この代表者によって合意文書が調印され、交換公文が発表されました。たくさん膨大なものがあったんです。
その中で、
一つは満州国内に駐屯する
日本国軍の軍事
関係法規適用に関する件というのがあるわけです。これは治外法権撤廃に伴う具体的な軍事
関係のものであります。
それから二つ目は、
日本国軍の軍事
関係法規適用に伴う
日本国軍事警察機関の満州国の法権に服する者に対する権限行使等に関する件という交換公文が結ばれました。
それからその翌年でありますが、
昭和十三年、満州国の元号でいきますと康徳五年二月二十三日、満州国の治安部から治安部会第八号という軍機保護法の施行規則というものが出されているわけです。これを理解するのには多少
説明が必要であろうと思うんです。
この「別冊 応召確認の件」によりますと、こういう文書になっています。「以上各項の理由により日系軍官は
昭和二十年八月九日の関東軍の対ソ全面開戦の命令下達と同時に召集せられたものと認むべきである」、こう書いてあるんです。関東軍が発したものと同じだ、これが「応召確認の件」なんです。
ところが、私が先ほど具体的に交換公文を申し上げましたが、日満の議定書が結ばれて、満州国軍と関東軍との間には治外法権撤廃に関するものが議定書で結ばれたわけです。原則満州国人が満州国軍、原則
日本人が関東軍、それで部隊の編制をした。特に、
昭和十三年に出されました軍機保護法の施行規則というのは、一番危険な地域第一種、その次が第二種、第三種というふうに地域を決めて、関東軍と満州国軍の配置がみんな決められているわけなんです。
昭和十六年十二月八日の前後から、関東軍は南にどんどん進駐をしているわけです。関東軍が防衛守備に立っていたところに満州国軍が入っているんです。関東軍がほとんどいなくなったから満州国軍が第一種の最高の危険地域にいる。その中に、私が先ほど原則満州国人と言いましたのは、
日本人で満州国軍隊に入っていた人もかなりいるわけです。その第一種地域に、とにかく言葉が適当かどうかわかりませんけれ
ども、匪賊とかなんとか防衛上いろんなことがあったわけですが、関東軍の戦力低下補充ということを考えて、満蒙開拓青少年義勇軍とそれから一般の義勇隊がそこにかわりとして配置をされている。
時間がありませんから、また別の機会に
説明をしますけれ
ども、私が申し上げたいと思いますのは、少なくとも
昭和十二年からこの請願にあるような問題は存在をしていたということになるわけです。その点をお間違えのないようにしていただきたい。
「
昭和二十年八月九日」、こういうふうに書いてありますけれ
ども、私は
昭和十二年から問題の提起をしているわけです。その証拠には、
昭和五十三年に私はこの問題を取り上げたんです。満蒙開拓青少年義勇隊、通称義勇軍と言っておりました。このときに、軍との雇用
関係がありやなしやということが大いに
議論になって、当時の厚生大臣は、国との雇用
関係、軍との使用
関係はありませんでしたと。一年間論争した結果、私が出しました資料に基づいたかどうかわかりませんけれ
ども、結果として私の主張が全面的に認められて、援護法の中で適用がされた、こういういきさつが過去に残っているわけです。
そこで、せっかく請願が出て、衆議院で検討しよう、こうなったことは非常に喜ばしいことなんですが、私の研究とこの堀江
先生の研究では多少時間的に物の見方、現実の場面、背景になります資料で違いがある。ですから、私はそのことをあえて申し上げませんけれ
ども、ぜひそういう意味でもう少し期間をさかのぼって検討をしてもらえるかどうか、検討する場合に何を根拠に検討されるか、そういう問題について私は若干今触れたつもりでありますが、その点は
恩給局になりましょうか、厚生省になりましょうか、どこの主管庁でも結構であります。どういうふうに認識をされているか、ひとつお伺いしたいと思うんです。