○板垣正君 私がそうしたことを申し上げますのは、この戦没者慰霊の問題について決して平穏に行われておらない、この追悼の日を設けられた趣旨が十分浸透しておらない、こう思うからでございます。
つまり、中心的な問題として靖国神社の公式参拝の問題がございます。この問題は、既に長年の懸案でございます。また、各県議会におきましても、三十七県の県議会で決議が行われ、あるいは千五百三十四の市町村でぜひ実現をすべきであるという決議が行われておりますし、多くの国民、一千万を超える署名が行われておる、こうした経緯もございます。また、何よりも靖国神社と申しますと何か戦死した軍人だけが祭られているところだと、こういうイメージがございますけれども、決してそうではないわけでございます。
これは明治維新以来の関連された女性の方々もたくさん祭られておりますし、今度の戦争でも同様であります。二百四十六万柱のみたまが祭られておりますが、そのうち五万七千柱は女性のみたまであります。例えば沖縄のひめゆり、白梅の部隊の生徒の方々、対馬丸で遭難をされたこれはいたいけな学童の方々であります。あるいはソ連の不法侵攻で最後まで通話を続けた樺太の真岡の女子電話交換手、こうした方々も祭られております。あるいは
民間防空組織の責任者として空襲中に活躍中に亡くなられた、学徒動員中に軍需工場等で爆死された学生、こうした方々も祭られておりまして、つまり戦場で戦死された軍人軍属ばかりでなく、文官、
民間の方、女性を含めた多種多様の方々がお祭りされている。
したがいまして、
日本国民のだれしもが崇敬し、今日までお参りも続けられている、こういうわけでございますが、この多年の期待にもかかわらず、まだ公職の
立場の方々のその資格における参拝という問題について解決されておらない。この問題は、それだけにとどまらず、派生すると申しますか、全国的にいろいろな問題が起こっているわけであります。
これは昨年の九月に
国会図書館でまとめた資料でございますが、国または国の機関が憲法二十条及び八十九条に関して問題となった多くの事例が掲載をされております。今申し上げました靖国神社、護国神社への参拝の問題、あるいは公金支出の問題、公有地、公的施設の提供の問題、行事への参加あるいは主催団体への参加、こうした問題があるいは訴訟となり、あるいは住民の監査請求、そういうような形でいろいろな抗争がもたらされておるわけであります。
詳細な紹介はあれいたしますけれども、岩手県なり、あるいは愛媛県、群馬県、栃木、長崎等々でもいろいろこのような問題をめぐって訴訟が行われておる。あるいは忠霊塔の敷地を提供していることについて、これは愛媛県の例でありますが、住民監査が行われておる。中には、大阪の例でありますが、町内会が市有地にお地蔵さんを建てたのは憲法違反だと、こういうことまで大阪地裁で現在係争中であります。
さらには、有名な箕面の忠魂碑の訴訟というようなものもございます。あるいは保谷市の例でありますが、市が慰霊祭に協賛をした、それで花を贈った、この生花代を贈ったのは憲法違反だ、返せというような市の監査
委員の
勧告があった。あるいは石川県では、小学校のプール開きにお清めの塩をまいたらこれが憲法違反だといって問題化した。あるいは仙台市内の三十七の市立保育所ではクリスマス行事を中上したと、こういうこともございます。あるいは宮崎県国鉄南延岡駅に神棚を設けておった、これは安全運転祈願の黙祷を行う、こういうことであったわけでありますが、これも裁判になったわけであります。これは最終的には、福岡の高裁そして最高裁判決によりまして、黙祷は慣行化された駅内の組織上の問題であるということになった、十年かかって裁判で。
さらには、団体の奉賛会に県知事等が入ったというようなことについても問題にされる。だんだんこうやって、遺族会に県から補助金を出している、そうしたことについてもそれが慰霊祭に使われるのは憲法違反であるというような、まことに国が戦没者追悼の日を設け、これは人間として最も
基本的な宗教、宗派を超えたものである、にもかかわらず、かえってそうした問題が各地に派生しておるということはまことに遺憾な状態であります。
これは帰するところ、やはり憲法上のいわゆる政教分離の問題をめぐってこの解釈がはっきりしておらない。そういうことで、いろいろな国民にも不安、動揺をもたらす、こういうことに相なっているわけであります。この政教分離についてもとになっていると申しますか、いわゆる
昭和二十年十二月十五日の占領軍による神道指令、これが
一つ大きな影響力をもたらした。そしてまた、その占領中に制定された憲法、現在の憲法二十条の信教の自由、政教分離の規定、これも極めて深く神道指令の影響を受けているわけであります。
私は、手元に憲法改正小
委員会秘密議事録をまとめたものがございます。今の憲法は、
昭和二十一年六月二十日に第九十帝国議会に
提出をされて、十月七日に修正可決され、十一月三日に公布されたわけであります。この間、小
委員会が設けられた、いわゆる有名な芦田小
委員会であります。このもとで二十一年七月二十五日から二十一年八月二十日まで前後十三回にわたりまして芦田小
委員会において検討されたこれが議事録であり速記録であります。
これにつきましては戦後公開されておらない。さらに、
昭和三十一年五月には衆議院の議運
委員会においてこれは秘密である、公開はしないということで、今日までどうしたわけか公開を見ておらない。たまたまその資料が
アメリカに報告をされた。
アメリカの
公友書館におきまして最近これが公開をされた。公開されたものが
日本の
国会図書館に来たわけであります。それをもとにしまして、衆議院の森清代議士でありますが、昨年まとめられたいわゆる秘密議事録であります。
これはいわゆる九条の芦田修正というようなことも、これを見ますと必ずしも今伝えられているとは歴史的事実は大分違うという非常にいろいろな問題もございますが、いわゆる政教分離をめぐってこの規定につきましても、この芦田小
委員会においてはいろいろ論議が行われたという経緯があります。修正
意見が出ております。いかなる宗教的活動も行ってはならない、これでは宗教教育等も行えないではないか、こういうことで国及びその機関は一宗一派に偏する宗教教育及び宗教的活動をしてはならない、こういう修正の
意見が出され、これをめぐっていろいろな論議が行われた記録があるわけでございます。
最終的には、現在のいわゆる神道指令、神道の置かれた現在の情勢のもとでこれは触れることができないというふうな趣旨において修正を見送られたわけでありますけれども、同時に、その制憲の憲法帝国議会における二十一年八月十五日に、衆議院におきましていわゆる宗教教育を行えるという、情操教育を行うというふうな決議も行われた。また、それに基づいて現在の教育
基本法が制定をされている。こういういろいろな問題のあった当時の占領下の、実質的には主権も制約されたもとにおけるこの憲法制定、そういうもとにおける神道指令を受けての政教分離の規定、そうした尾を引いて今日に至っているという点について
指摘しなければならないわけであります。
こうしたことについては当然修正が行われておる。戦没者の慰霊等につきましても、
昭和二十六年の九月でございますけれども、御承知だと思いますけれども、文部次官等の通達が出ております。今までは全く禁止されておりましたけれども、少なくとも
民間団体の行う戦没者の慰霊祭、その他慰霊祭に県知事、市町村長等が参列して差し支えない、香華料、玉ぐし料等を出して差し支えない、弔辞等を読んで差し支えない、こうした通達が出されているわけであります。この二十六年の通達に基づいて行き過ぎた占領中の規制が正され、その後公職にある方々の少なくとも県、市町村
段階における参列等が行われてきております。また、この二十六年通達は現在でも有効であるということは
国会においても確認をされているわけでありますが、どうでしょうか、この二十六年通達は現在も生きておるという点について再確認をお願いいたしたいと思いますが、
法制局長官、いかがですか。