○青島幸男君 この問題はただ単に
郵政省のみの問題ではなくて、施設としてネットワークを提供する
電電にしましても、そこでどういう通信が行われるかまではチェックしませんから、ですから使う方が悪いんだといえばそれまでですけれ
ども、何らかの法的な規制あるいはプライバシーを守るという積極的な姿勢がないと、おちおち暮らしていられないという不安を
国民に与えるということは事実だと思いますので、その辺は十分な御配慮が必要だと思います。
それから、私は先ほどCATVとの電話
回線の結びつきが、全く新たな電話的な利用法が行われるようになると電話と競合するだろうということを申し上げましたけれ
ども、そうなりますと新たな
料金体系も
考えていかなきゃならないと思うんですね。と申しますのは、そのCATVとCATVを第二
電電が結んで、しかも低廉な
料金でこれを
サービスしますと、
電電の
料金はとても太刀打ちできない状態になるわけですよね。というのは、今遠近格差が一対四〇ですか。それで、
市内通話は諸外国より比較的安くなっているということですけれ
ども、その遠近格差の上に成り立っておるということは先だっての委員会でも申し上げましたけれ
ども、今はもうそういう時代じゃなくて、星を使えば、練馬から中野へかけても、練馬から中野へ戻ってきても、北海道へ行っても、これは誤差の範囲ですね。それで、大体今のシステムでも、
東京から
大阪へかける場合、〇六を回して
東京の局から
大阪の局を探すわけでしょうけれ
ども、そこがいっぱいだったりすると北陸回っていくようなケースだってあるわけでしょう。それでも
料金同じですね。だから、遠いから近いからということは、先日も申し上げましたけれ
ども、これは歴史的な沿革の上に築かれた錯覚でしかない。
ですから、このことで新たに参入してくる
業者と太刀打ちしていくことは大変難しくなるだろうという気がしております。即座にはそうなりませんし、諸外国もやっぱり遠いところは高いんだという認識でそういうふうになっていますから、我が国も新たな参入の
業者が即座にダンピングをするということはないとも思いますけれ
ども、ついにはこの遠近格差というものの中にあぐらかいて財政的基盤を支えているというわけにはいかなくなると思いますね。しかも、究極的な問題としましては、そうなった暁には、
東京から沖縄へかけても北海道へかけても同一
料金で同一
条件だということは理想的な格好ですね。そうなって、まだ財政的な基盤が安定していて、しかも
サービスを落とさないで続けられるという理想的な立場になればいいんですけれ
ども、そうはならないと思いますね、即座には。
もう
一つ考えなきゃならないのは、電話系通信と非電話系通信と申しますか、情報の交換と通信とは別のものだと
考えなきゃいけないんじゃないかと思うんですね。つまりは、「もしもし」「はいはい」というアナログの会話につきましては、これは途中の
回線が
幾らディジタル化されようと、電子機器がすばらしいスピードで開発されて、それこそつめの上に何千ビットというような装置が乗るというような事態になりましても、ふるさとの母親にかける電話で「もしもし」「はいはい」につきましては何ら有効ではないわけです、これは。「もしもし」「はいはい」と言ってかける心温まる情緒的な
サービスと、あるいはその
回線を通じて即座に何十万ビットというような情報を送るものと、たまたま一緒の線でできるものですから同一に
考えがちですけれ
ども、これは全く異質のものである。ですから、通信に支払われる
料金というのは、情緒料といいますかね、いかなる機械をもってしてもおふくろの声を聞くにかわるものはないわけですねこれは、一方では。
だから、これはそれでいいんだと思うんですけれ
ども、しかし翻って
考えてみますと、田舎の郷里の母親と二十分も話しても、大体内容は原稿用紙二枚
程度の情報量だと思うんですね。ところが、同じ電話
回線を使っても、二十分間フロッピーとフロッピー、あるいはコンピューターとコンピューターをつなぎますと、二十分間駆動すれば優に図書館
一つの情報が片っ方へ移るというような時代ですね、今は。そうすると、
料金の算定基準は、遠いから近いからという問題ではなくて、この情報の質の問題と量の問題だというふうに先々は
考えていかなければならないのじゃないかと思いますね。ですから、今まだ
電電公社ですけれ
ども、
電電公社は、将来の
料金体系のありようについては、私が申し上げましたような方向で検討なさっているようなことはおありでしょうか。