○国務大臣(奥田敬和君) 確かに一種
事業に関しては非常に厳しい
技術水準なり、そういったアナログからディジタル社会には移っておりますけれども、基幹的な
サービスが課せられておることは事実です。
ただ、今現在の
電気通信というのは、もう私はくどいほど申しません、
先ほどからの
質疑を聞いていて思うわけですが、
電話中心のアナログの社会から完全にディジタルの社会の
サービスに移行しておる。先生の言われる御
指摘は、一元的なあまねくやってきた形はそのまま残しておいて、それならそれはわかったと、恐らく二種の
VANなりテレックスなりファクシミリなり、あるいはキャプテンなり、いろいろなメディアの
サービスは二種
事業に開放したらいいじゃないか。一種
事業はそういった形にする必要ないじゃないか。
全国あまねくの基幹
サービスをして、そうして多彩なメディアのつまみ食いするやつは、それぞれの業者の自主
活動にやらせればいいじゃないかと、そういうことだと思うんです。幹線のクリームスキミングと言われているような
状態のいいところだけを食う一種業者が出た場合に、
電電公社の今日の経営体というものの原則の中で地方への
サービス、中央でもうけた形を
遠隔地、僻地にまで
サービスしているという
サービスが不徹底になってくるんじゃないかというような御
指摘でもあったかと思います。
確かに、クリームスキミングにすれば、その形の区間だけには
競争原理が大いに働きます。あるいは宇宙衛星を使ってやるのかもしれませんし、あるいはマイクロを使ってやるのかもしれません。あるいは道路のそういった敷設や国鉄の脇を使ってするのかもしれませんし、その間における光ファイバーの新
技術によって見れば、確かに今までの
電電はコスト計算がなかったんですから、その
意味においてはその区間は半分になるかもしれない。ですから、
電電公社もそれに対応してもう既に光ファイバーの敷設網は持っているわけです。ただ、今までは
競争相手がいなかったから、どんぶり勘定と言っちゃ悪いですけれども、そういった形になっていたやつを今度ははっきりしたコストに基づいた
一つの企業
競争という形がその間には行われるということは間違いない。
それじゃそれが不当に行われるか。不当というか、
国民にとったはいいことですけれども、ただでもいいわけですから、ただにこしたことないわけですけれども、それに近い形にまでダンピングされた場合どうするんだという場合に、それでは今の民間の新規参入といえども、
全国あまねくという形は別としても、東京−大阪間といえども、個人の家庭に引く場合には、これだけのネット網を何十年にわたって蓄積してきた
電電公社にとても対抗できない。結局アクセスは
電電公社に頼まなきゃいかぬということになれば、アクセス料なり、あるいは今さっき言ったように、例えば
VAN業者が
電電公社対相手の対取引によって、やっぱり相当額の専用線以外、目的以外、
電話線に使うんだったら、我々の営業にも差し支えあるからこれに対してはこれだけの
料金にしてほしいという私契約に基づいてやるでしょうし、また民間の今言われたうまいところを食う、効率の高いところを食べるというようなコスト主義の業者というのは当然あらわれるでしょう、公益業務という厳しい基準はありますけれどもそれにパスした業者なら。
しかし、そうなった場合でも、接続料、アクセスチャージに関してはやはりある程度の公正
競争が保たれると。もちろん新規参入業者は今の新
電電より必ず安い
料金で参入します。そうでなければユーザーがつかぬわけです。それによって
電電も新
電電も
お互いに
競争するという形の中で、それよりも高いだろうけれども、けたの大きくなる分くらいは確かにある程度
料金は高くなるでしょうけれども、しかし、今までの慣例、信用も含めて、やはり私はそれでもかえって市内
料金のトラフィックもふえることですし、私はこれからの
技術革新の度合いから言うと、市内
料金の十円のコストがあるいは実際は安いのかもしれない。
だから、そういった
意味合いにおいて
——いや、これからの
技術革新は、本当に先生がさっき言われたように、網を持っていれば遠近格差がゼロになるくらいのそういう時期なんですから、そういった形の将来の
技術革新の動向を踏んだときに、まさにそういった改革というものを今の時点においてやらないと、新規参入といいましても実際には二年、三年の時間経過がかかります、現実には。ですから、そういった形において今からやっても、この
法案を通しても実際の
競争原理が現実に働くというのは二年半ないし三年後になる、四月からこの
法案がもし断行されると仮定して。そういった
状態も踏まえて、しかしそれなら三年後にはこの社会はどうなっているのだということを考えると、今のうちからやっておかなければ、いろいろな人の個人
ニーズにも企業
ニーズにもこたえるわけにいかないんじゃなかろうかという懸念があるわけでございます。
NHKと民放とを比較するのじゃありませんけれども、電波を開放して、NHKは現在の
公共体質を持ったままやってまいります。民放が二百社ほどふえたことによってやはりいろいろな批判もありますけれども、いろいろな電波の恩恵というものを
国民が受けるようになってきた。電信においても、それらと同等とは言いませんけれども、じゃ
公共放送のNHKと同じように
電電公社をしておけばいいじゃないかというと、それでは今の経営体質も含めて果たして当事者能力を持ってやれるだろうか。何年ごとに
料金の値上げをまたこうして頼まなきゃいかぬような体質になった場合に、果たして同じ二の轍を踏んじゃおかしい。それよりも、むしろ新しい先行した
情報社会に先導的な役割を果たすために、
通信のある程度の開放というのはこの際断行すべきではなかろうかという形に達したというわけでございます。