○青島幸男君 ただいま議題になっております
公衆電気通信法の一部を
改正する
法律案の内容につきましては、いずれにしても実質
値下げでございますので私は異を唱えるものじゃございません。賛成でございますので、これにつきましてさまざまな角度から
質問をするという気持ちはないんですけれ
ども、冒頭から議論を伺っておりますと、どうも
遠近格差というものの
実態が昔とかなり違ってきているんじゃないかということを実感しているんですね。
遠いところへ物を届けたり、遠いところと話をしたりするのは金がかかると。昔の飛脚のころは確かにそうですね。ところが、確かに初期の
電話では、それこそ、東京から京都、大阪なんかへかけましても、朝特急で頼んで、夕方になって向こうが出るか出ないかわからないというような状況でした。と申しますのは、それぞれの交換手さんにそれぞれ伝えて、まあ駅逓のごとくにつないでいったわけですね。ですから、当然遠くへ行くほど金がかかるという事実はあったわけです。それにのっとって
料金体系はできて、それをそのまま踏まえて歴史的に進展してきているわけですね。ところが現在では、随分マイクロを使ったりいろいろしますから、隣にかけるのと大阪にかけるのと実質的には余り変わらない。遠いところへかけると高くつくんだという固定観念と申しますか、ある種錯覚に基づいて
料金体系は現在あるわけですね。
ところが、なぜ下げなきゃならなくなってきたか、
遠近格差の問題がクローズアップされてきたかと言えば、技術革新と相まってこれが錯覚であったということが
一般ユーザーが認識してきたわけですね、遠いところへかけると高くつくと。それは確かに九州に
電話がなかったら、出かけていって話ししてこなきゃならないとすれば、労力も大変ですし運賃も大変でしょう。やっぱり
電話は安いやということになりますね、幾ら遠いところだからといって高くとも。ところが、事実はそうでなくなっているわけですね。先ほ
ども総裁いみじくもおっしゃられましたけれ
ども、例えば将来衛星を使って通信を行うような場合ですね、
電話回線を。先ほど例が述べられましたけれ
ども、一万二千キロだか二万キロだか知りませんけれ
ども、その上空に衛星を打ち上げて、そこへ一たん送ったものをおりてきて
通話するわけですから、隣へかけても北海道へかけても、一万二千キロの隔たったかなたから戻ってくるわけだから、これは事実上は
遠近格差はないわけですね。そうなったときに、
遠近格差を今までの
料金体系で、遠いところは高いんですという錯覚に基づいた
料金体系をこのまま保持していくということはもう無理ですね。だから、
総裁のきのうの、
新聞に出た御
発言のような結果になっていくんじゃないかと、こう思うわけです。
今度上程されてきます二
法案について、その
審議をする前にこういうことを申し上げるのもなんですけれ
ども、そのとき当然
審議に参加しなきゃならない私としては参考のためにぜひ御
意見を承らしていただきたいんですけれ
ども、十年後、十五年後の
電気通信のあるさまはどのようなものになっているとお
考えになるかというのを
電電と郵政省と両方からお伺いしたいと思うんですけれ
どもね。未来図というものをある程度想定しておかないと手当てにそごを来すんではないか、多少狂っても恐らくこんな形になるであろうという未来図を想定するぐらいのことは当然行われているはずだと思いますが、その辺いかがなものでございましょう。