○
参考人(
江幡玲子君)
江幡でございます。よろしく
お願いいたします。
私は、
思春期問題研究所という
研究所をしておりまして、たくさんの
子供たちの
相談を受けているわけですけれども、年間百五十人ぐらい、
大学の教師も一緒にやっておりますのでそれほどたくさん受けられないのですが、延べ数にして四百から五百ぐらいの
子供たち及び親と会っているわけです。反
社会的な
傾向の
子供と非
社会的な
傾向、つまり
刑法犯の
子供とそれから
登校拒否とか御飯を食べなくなってしまう
子供とかいう非
社会的な
子供の問題と両方、それからお父さんやお母さん、
学校の
先生方から、どういうふうにしたらばいいであろうかというふうな御
相談を受けております。私
自身は
心理学と
福祉を勉強しまして、現在は
大学で
教職課程にある学生のために
教職課程の
必須科目を教えておりますので、
教育と
心理と
福祉の三つの側から
お話ができるのじゃないかなと思っております。
御存じのとおり、反
社会的な
傾向は、昨年、一昨年、戦後
最高と言われまして、二十歳未満の
少年年齢千人に対して十八・八人という数で
非行少年の数が上がっているわけでございます。千人に十八・八という
非行者率は、百人で一・八、四捨五入しまして百人で二というふうに考えますと、五十人に一人ということで、一クラスに一人ぐらいいると、こう言われております。これは統計の都合上一人が二回とか三回やっても一人になっていると思いますが、それにしても五十人に一人ぐらいの割合で
非行少年がいると考えられます。それから非
社会的な
傾向、これはカウントすることができませんので、
教育センターその他で調べますと、大体どこの都道府県、市でも一クラスに二人から四人ぐらいの
登校拒否の
子供たちがいると言われています。
登校拒否、はっきりは出ておりませんが、
問題行動の
子供としているということです。何があっても絶対他からの
影響を受けない
子供が約半分で、
先生方の経験的な理解によりますと、約三〇%の
子供がよくない
環境があるとそこへ引きずられていく。
水島恵一先生という方、これは
非行の
専門家ですけれども、
非行感染性あるいは
非行感応性な
性格と言っておりますが、大体三〇%がそういう
性格だと言っております。
少年問題の中で、やはり反
社会的な
傾向を持つ
子供たち、一夜にしてなったわけではなくて、
準備状況というかそれなりの時間がかかってなっているわけですけれども、その中で
有害環境との
接触のある者を調べますと
男女の差があります。それからもう
一つは
年齢差があるということなんです。
年齢差ですと、小
学校、中
学校の
子供たちというのが、
非行少年というか問題を起こした
子供と問題を全く起こさない
子供とを比べてみますと、問題を起こさない
子供というのはほとんどいわゆる
有害環境への
接触がないわけです。それから
高校になりますと、問題を起こした
子供も起こしていない
子供も
有害環境への
接触がいささかあるということなんですね。ですけれども、
高校ぐらいになりますと、
自分に対するコントロールの
能力が出てきますので、
有害環境に
接触してもどこかで思いとどまることができるわけですが、小学生の場合に、ゲームセンターその他へ出入りしますと、少ない小遣いで遊びますのでどうしても
二次的犯罪を呼びやすいということがございます。
二次的犯罪というのは、恐喝とかあるいはもう少し軽いたかりとか、
年齢の低い者から
お金をカンパすると称して取り上げるとかというふうなこと、それから、こそ泥とか親からの
お金の持ち出しとかが出てくるわけですが、ばくちというのは、これも御案内かと思いますが、短い時間で
勝負がつくものほど熱くなると言われております。そして、短い時間で
勝負がつくものほどもう一度やりたいもう一度やりたいと呼び起こされるのはこれは当然でございます。
思春期の
子供、まあ十歳前後から十七、八歳までを
思春期と呼んでおりますけれども、
思春期の
特徴というのはいろいろございますが、その
特徴の中で非常にはっきりしているのは、自立を求めていくための、あるいは
独立欲求のための
反抗ということがございます。
大人は第二
反抗期と呼びますけれども、それは独立したいという
欲求があるわけです。それから新しいものを見たい、新しい体験をしたいという
好奇心というのが非常に強いわけです。もう
一つは、
自己確認のための
冒険心、つまり
自分というものがどのぐらい
能力があるかということを確認したいという
冒険心があるわけです。
反抗と
好奇心と
冒険心に満ち満ちている
少年が
有害環境に
接触したときに、
有害環境にならざるを得ない
状況が起きてくるのじゃないかと思うのです。一口にいろんなものを
有害環境と申しますけれども、問題のな
いっき合い方あるいは上手な
つき合い方というのがございます。それからもう
一つは危険をはらんだ
つき合い方。これは酒、たばこ、すべて同じだと思いますけれども、危険をはらんだ
つき合い方をしてしまうのじゃないか。その危険をはらんだ
つき合い方の背景には
家庭の問題があるわけです。うちがおもしろくない、
学校がおもしろくない、おもしろくないずくめのところで
好奇心を満たすもの、あるいは
冒険心を満たすものが出てきたらば、どうしてもそこにのめり込んでいくのじゃないかと思います。
それから
女子と
男子の差を見ていきますと、低
年齢では
男子の方が圧倒的に多いですけれども、高
年齢になると
男女ともに同じになっていくわけでございます。そして、その
つき合いの中で直接に
影響を受けていく。例えば先ほど申しましたように、
お金を取るとか、あるいはポルノに刺激されて何々とかというふうな直接
影響を受けるものと、もう
一つ高年齢の場合に大変怖いのは、
有害環境の中で培われた
人間関係というのが出てきます。夜遅くまでディスコで遊んで帰れない、そこへやさしい
言葉をかけられて泊まってしまう、あるいはごちそうになるということから、まあ
暴力集団と言われる
人たちとの
つき合いが出てくるわけです。このあたりにここ数年来ずっとふえ続けております
福祉犯罪の問題が出てくるわけです。
福祉犯罪、昨年は三千十四人の
子供たちが
被害者になっておりますけれども、その中の半数が
暴力団関係の
被害に遭っている。それは、やさしい
言葉をかけられて、そして
覚せい剤を打たれたり、あるいはトルコに売られたり
中間搾取をされたりと、そういうことですが、私
自身、
福祉犯の
被害に遭った
子供の
補導を何回かしまして、
自分が
被害に遭っていながら、
自分に
覚せい剤を打った男のことを恨んでいないということがあるわけです。なぜ恨んでいないかというと、やさしかったよと、こう言うんですね。今の
子供たちがいかに
大人のやさしさを求めているかということがよくわかるわけですけれども、やさしかった、でも最後的に言うならば、やっぱり家へ帰りたい、でも帰りたくない、
大変心の中に葛藤があるわけです。
学校がおもしろくないと言いながら、でも
学校は卒業したい。非常に
自分でどうしていいかわからないという
気持ちがあるのではないかと思います。
そういう中で、私は、
子供たちに対していろんな人がいろんな
角度から、現在もたくさんの
人たちが、あるいはたくさんの
公私どもの機関が
子供の問題にかかわっておりますけれども、でもここでもうひとつやっぱり強力に働きかける人が必要なんじゃないかなと思う。それは
子供の心というのは、実は拒んでいながら求めているという
状況がある。いやだいやだと言いながら、時には
補導されたい
気持ちがあるわけですね、
補導されて
けりをつけたいという。
自分から、済みません、ここから足を洗いたいですとは言っていかれないから、何とか
補導されるという
状況で
けりをつけたいということもある。
それからもう
一つは、現在の世の中というのは
役割の
時代と言われております。私がこの格好で
子供たちに何か言うと、
おばさん何と、こう言われます。ただの
おばさんだよと言っても、じゃ言うことを聞く必要はないんじゃないかと、こう言われるわけですね。ところが、たった一枚のパスを出して、こういう
おばさんなんだけどともし言ったとしたら、ふうんといって言うことを聞かなくちゃならなくなるわけです。笑い話ですけれども、本当に
おばさんは
少年補導員かと言われて、そうだと言ったら、パス見せてみなと言われて、見せたらうんといって言うことを聞いた
子供がいて、やっぱり
役割というのは
子供にとっても
大人にとってもある種の
規制というか役目を果たしているんじゃないか。そういうことから言いますと、
少年指導委員というものが強力な形で、特に低
年齢の
子供の問題に、小中学生の問題に入り込んでいくことが必要じゃないかと思います。
それは
家庭の機能が低下しているということ。低下しているだけではなくて、問題が起きたときの
復元力が非常に
家庭の中に少ないということ。それから今申したように、
社会のどこかの
おばさんの、
おじさんの言うことでは
子供たちが聞かなくなっているというふうなことで、
社会の力というものが非常に少なくなった。これは力が少なくなっていると同時に、受け取る側の問題もあるだろうと思います。そういう
意味で、
少年指導委員という形で、今までのいろんな形の
補導係、
補導員、
婦人補導員などという形からもう一歩進んだ形の係ができて、ある
地域を決めて強力な
補導をしていくことがやっぱり
子供にとっては大きな
意味があるのじゃないか。それは
子供というのはある
意味では一罰百戒的な
行動抑制があるということも言えるだろうと思います。
ただ、私
自身の
希望をもし言うならば、人格高潔で有識者という
少年指導委員の中にぜひ若い人を入れてほしいということでございます。若くなければやっぱり若い
子供と話が通じないということがあるわけですね。それは
言葉から違います。読んでいるものから違います。そういうことから言うならば、立派な人格高潔な
おじさん、
おばさんも必要だと思います、ベテランの方も。でもその中で未熟であってもいいから、人を入れるならば若い人がそこに入り込んでいくことによって、
子供に
禁止をかけるという
指導だけではなくて、打っちゃいけない、遊んじゃいけないという
禁止で取り上げるだけではなくて、もう
一つどうしたらいいかという生き方を教えていかれるのじゃないか。今の
子供は
遊び方を知りませんので、
遊び方もそこで教えていくことができるのではないかなと、これは
個人的な
希望でございます。