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志苫裕君 今、
官房長の
お話がありましたように、いろんなことをやっているんだが、その諸
施策の
徹底いまだしの感があるということでお述べになっておるんですが、何やっているかは別にして、そのやっておる諸
施策というのが実は案外役に立たぬことをやっているのではないのか。実は、
警察の
世界というんですか、
警察の
社会というのは我々からはちょっとのぞくことができないですね。
言葉は悪いんですが、閉鎖的な
社会と言ったらいいでしょう。そこで何が常識としてまかり通っておるのか、どういう
価値観が醸成をされているのかということはちょっと外の人ではわかりにくい。で、そこの中に住んでおる
人たちだけで、かくあれかしといういろんな諸
施策を講じていることが案外役に立たぬのかもしれない。もっと開放的にしていろんな人の
意見を聞いてみるとか、そういう方法もあるんじゃないかなということを毎回感ずるんです。こういうことがありますと、
皆さんの
お話は、
生活指導も
徹底をして、いや
規律を厳正にしてと言うんですが、一口に言うといかめしい
社会あるいは
集団というものしか我々の
印象はないわけで、ロンドンの
お巡りさんのような
印象はちょっと受けないですね。そういう
社会でありますだけに、ちょっと我々でも、何か言ってみようもありませんけれ
ども、何かそういう息苦しい
閉鎖社会という、さっき言いましたように、例えば
兵庫の今回のことについて言えば、あちこちで借金して無理な
暮らしがたたっておるというんですが、無理な
暮らしをしておる人だったらうんといますよ、これは。あるいは苦しい
生活をしている。問題は、
善悪の
区別というふうなものがこれだけ年長でそういう仕事のある人につかなくなってくるのはなぜなのかということを考えると、およそ結局、それも最近
価値観多様化していまして、あんまり人にぐずぐず言われるのは嫌いですね、最近の若い者は。そういう若い者がやっているのかと思うと、これはそうでもないんです。そうすると、そこにそれだけ長い
暮らしをしていながら
善悪の
区別というふうなものがちょっと鈍るというのは一体何なのかというふうなことなどになりますと、私
どもはなかなかわかりにくい。たまたま朝日新聞に「なぜ
兵庫県警なのか?」という記事ございましたね。私もこれ読んでおりまして、前にも言ったことがあるんですが、例えば
警察の
社会には
労働組合もありませんし、いわば横の
秩序というものが少なくて、上下の
秩序が恐らく
警察社会の中心なんでしょう。そうすると、同僚の
相互関係というふうなものとか、ちょっとおれこんなことで困っているんだわいというふうなものが気楽に出せないのかもしれないという
意味での、その縦の
秩序一点張りというふうなもので、
士気を高揚させようにしてもこれは無理なのではないか。事が起きると、本人の処罰はもちろんだけれ
ども、上司はメンツにかかわりますから、先ほど
大臣の
言葉に
警察の
威信という
言葉がありました。それは
威信も大事ですけれ
ども、その
威信のためにますます垂直の
秩序をきつくする。そうするとますます息苦しいという悪循環があるいは起きているのかもしれない。
それと、ここのところでは、もう
一つはその
閉鎖性と出世の問題にもなっておるんです。これくらいの年になって
犯罪を起こすのは、あるいは四十ぐらいになりますと、次のやつがどんどんどんどん偉くなっていくんで、おれは落ちこぼれたのかなというところで沈んでいるのかもしらぬけれ
ども、何かそういうところにそういう
問題点がないのか。
皆さんだけでこの問題を考えないで、もうちょっと開放的になって問題の所在を探してみる
手法がないかという気もするんですが、これどうですか。