○丸谷
金保君 わかりました。それで結構です。
大臣ね、こういうことなんですよ。
国会の
答弁の中で地方に余計出しているんだ、事実うそ言っているわけじゃなくて出している。ところが、いわゆる市中金融機関の方も今度は非常に苦しくなっているから、そちらの方の縁故債とかいろんな
借り入れを地方自治体は抑えざるを得なくなって、だから差し引きすると、結局それは片方から出た分片方が引っ込んでいくわけです。どういうことかというと、それは国の全体の財政計画の中でそちらへ余計出したと言っても、それは全体の資金が詰まってくるとどこかが引っ込むから、どこか押せばどこか引っ込むというふうなことで、同じサイクルの中のもんだということなんです。
それで、そういう面を踏まえますと、私は先ほどのサラ金財政というふうなこと、まさにそのとおりだと思うんですが、そういう
残高を全部
政府関係機関の長期借入
残高、その他五十七年度末で見ましても、国際だけを我々問題にするわけにいかない。
国債のほかにこういう地方債の
残高、
政府関係機関の
残高、こういうふうなものを全部合わせていきますと、もうかれこれ三百兆に近いものになるんです。これらを踏まえませんと、百二十兆の
国債だけを問題にしても、これは財政政策としての問題にならぬわけです。そうなると、今まで論議していたのよりははるかに大変だ。前回も結局、国鉄の借金だって、最後は国の借金だというふうにおっしゃいましたね。最終的にはまた国が支払いの責任を持つわけです。そういうふうに全部合わせますと、
国民の預金
残高が、個人の
残高が四百兆。そうすると、もう大体財投がどうだ、資金運用部がどうだ、いろんなことで差し引きしましても、七割五分ぐらいは国家財政、地方財政というそういう一連の公的な財政の仕組みの中で食っているんですよ。もう食うところはなくなってきているんです。さらにこの前資料をいただいたんですが、普通財産でもってさしあたって売れそうなのは二兆五千億くらいしかないですよね。これにも驚きました。特定財産、公共財産いろいろありますよ。しかし
大蔵省が持っている普通財産として売却可能なのはこんな程度なんですよね。
だから私は、今のあれから言いますと、憲法の財政の七章を踏まえた中で、これから借金をどう返すかということのあれは、きょうも答えができないようないろいろな問題を抱え込んじゃっているんです。この認識を
大蔵省は
国民にもっとはっきりした形で大変なんだということをしっかり言わないと。きょうは経企庁にも景気の問題を聞こうと思ったんですが、日銀とは多少違っても大体上り坂だと。ちょっと上り坂になると、そういう問題については非常にイージーに考えて、シーリングの問題なんかにすぐ走っちゃいます。しかし、事は私はそんな生易しい問題じゃないというふうに実は慄然としているんです、この
法案を中心にして。
それで
大蔵大臣、ひとつ蛮勇を振るってもらわなきゃならないんじゃないかと思いますのは、なぜここまで来る間に、日本をしょっているのは我々だというふうな使命感を持って入っていった
大蔵省の皆さん方が、机をたたいて、
政府・自民党に対し苦言を呈する人がいなかったのだろうかというふうに考えます。ここまで来る間には、冗談ではない、おれたちはとてもこういうことはできないと。こういう声がなぜ出なかったんだろうかなと、こう考えたんです。そうしましたら、そういうことをすると今度は天下りに響くんですよ。で、私は、天下りを現況ではやむを得ないと思ってますよ。なぜならば、そうしなければ方法がないんです。年金の今の制度の中で、机をたたいて、今の権力にこれは大変だというふうなことをお役人さんが言えば、後、浪人して今の年金で食えるかという問題に来るんですよ。これはやっぱり食えないんです。
諸悪の根源は、僕は、この食えない年金制度、こういうものをそのままにしておいて、天下りだけけしからぬと言ったってそういうことにならないなと、こういうふうな感じを強くしたんです。私は、年金制度については、厚生年金と国の年金との差があるのは当然だと思っているんですよ。それなんかももう少し
大臣が角を大きくして言ってもらわなきゃ困るんです。国家公務員や地方公務員の年金が一般と比べて高いのはおかしいというふうな議論がまかり通っています。しかし、これは守秘義務だとか職務専念義務とかいろんなのがあるんですから、義務が違うんですから、ここいら辺もきちんとしないで天下りけしからぬとか、なぜ抵抗しないんだと言ってみても始まらぬと思う。そういうところも全部くるめないと、これからの財政問題を論ずることはできないなと。
特にその点で、実は一昨日のテレビを見ていて、これは
大蔵大臣しっかりやってもらわなければならぬと思ったのは、今度の総務庁です。評論家の意見ですけれど、とにかく一律シーリングというのはおかしい、それぞれ重点をどうするかというふうなアクセントをつけていくということになれば、これは今度できた総務庁でやらなければしようがないなと。
大蔵省はどこへ行っちゃった。
大蔵省はそういうことをきちんとやるところのはずで、本来一律シーリングをやるところで、各省庁にシーリングの枠をおろすということは、私は
大蔵省としてはまさに自殺行為じゃないかと思う。
主計局が当然やらなければならないものをそれぞれのところに平均して分けて、上げてこいと。こういうことにも手をつけなければ、
国債の
借りかえの論議だけやっていても財政の問題というのは解決いかないと思うんです。で、そういう面につきまして言いますと、まだ借
換債と
公債の制度があるんですが、そういう点でもう少しぎっちりしてもらわなければならないということ。
最後に、それはおまえ、田舎町のことだから国には参考にならぬと言われるかもしれませんけれど、
大臣ね、どうしようもないときに私は池田町で管理職三分の一、三割でないですよ、三分の一に減らしたんです。そしてそのかわりほかの仕事をつくって、退職者は一人も出しませんでした。まず上の方からやらないで行政整理で財政を縮めようといったって、これは労働組合でも何でも腹に入らぬのは当然ですよ。第一、これは行
政府のことですから、そこまで言っていいかどうかわかりませんけれ
ども、最後に言わしてもらいますと、行政改革で総務庁できたけれ
ども、
大臣の数は減らないでしょう。そういう点から考えますと、この戦後最大の財政の
政策転換、これは公約違反だと思いますよ、いろいろなことを言っていますけれ
ども。公約違反までしてやらなければどうしようもないところまで追い込まれている国家財政として、そういう戦後最大の財政転換に対処する総理あるいは
大蔵大臣のもう少し決意がなかったら、結局こんなものは六十五年だの六十九年だと言ってみたって、やれっこないことを腹の中でわかりながら言っているだけにすぎないというふうにしかとれないんですが、
大蔵大臣の決意を聞いて、もう時間ですので、きょうは残念ながらこれでやめます。