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国務大臣(
竹下登君) この問題
議論する間に、お互い
財政の専門家の
議論とまた政治家の
議論とそれぞれあろうかと思うんであります。
建設国債と
赤字国債の問題につきましては、これは概念的に、
赤桐さんのおっしゃること、私は同じ
考え方であります。
ただ、
公債政策そのものをもう
一つ考えてみますと、たとえこの資産が残るものであるにいたしましても、今日の時点で例えば五十兆を超す
予算の中の一八%が
国債費であります。言ってみれば利払い費であります。本来
予算というものは、
財政支出というものは二つの要素があって、
一つは
国民が共通する道路とかあるいは学校とか、そうしたものに対して
財政がそれに対応していく。いま
一つは富の再配分の機能だと思うんであります。あるところから御
負担をいただいて、それを生活保護とか等々の足らざるところへそれを還元していくという富の再配分の機能があろうかと思うんであります。その後者の富の再配分という機能から
考えてみますと、いわば利払い費というのは、どちらかと言えば、具体的にどれだけ個人がお持ちになり、どれだけ企業がお持ちになり、それはわかりませんけれ
ども、いわば利潤を生むところへさらに利払い賞として
国債費という形で出ていくわけでありますから、ある意味においては富の再配分が意図せざるところへ行くという意味で基本的にいいことじゃない、まあ極端な言葉を使いますと。それがもう
一つ基本にあろうかと思うんであります。
しかし、そういう性格を持つ中においても、今まで御
議論なさいましたように、
建設国債というものに対しては資産が残り、そしていずれにしても後世代の
国民にその
負担を求めるわけでございますけれ
ども、それは
国債という名において債権自身も持っていただく、結果としてはそうなる。だから、後世代の納税者は人により債権者であり、債務者であるという両方の側面を持つということにもなるわけであります。したがって、
赤字公債ということになりますと、まさにそのときばったりの消費的経費にこれが使われていく。
で、ただこれに対しても、これは私の
議論ではございませんけれ
ども、
議論の中にはある
議論といたしましては、それによって後世代の納税者たちは高い教育を受け、あるいはそれだけに世界に冠たる
日本民族としての諸要素を、自分たちにツケは回りながらも、有形でない無形の資産というものが人一人一人に残っていくから、
赤字公債というものもそれなりの意義があるものじゃないか、こういう
議論をする人がおるんです。これは私の
議論じゃございません。
それで、その
議論をしたら全く歯どめない
議論になるじゃないか。したがって、
公債政策の
節度というものには、やっぱり四条
公債と
特例公債というものが厳然として存在しておるというのがあるべき姿である。
そこで、今度
借りかえを行うということになりますと、言ってみれば、この
特例公債と建設
公債のある意味において区別がなくなってしまう。だが、
特例公債というものは、
財政審等々でも御
指摘なさっておりますように、可能な限り速やかに
償還すべきである。されば可能な限り速やかに
償還するということになると、その方法やいかにということになりますと、それにもおのずからある種の計画が必要であろう。その点については幅広くもう一遍検討してみようじゃないですか。が、
特例公債の持つこの六十年というものを最小限のものとしてこれを守っていく、最小限既に確立しておりますところのこの四条
公債の方法によることとするということで、最小限のものをそこに置きまして、そしてそうなると、きのうの御
議論にもございましたように、あるいは十年とか二十年とか、あるいは三十年、二分の一とか三分の一とか、いろんな
議論も出てくると思います、その幅広い
議論の中には。が、できるだけ早くなくすべきものであるという
考え方で、
借りかえというものを
お許しいただく
法律を出して、そのできるだけ早く返す計画は、さればこうですということをにわかにこれを策定していくというのはなかなか困難な問題だ。で、策定すれば、場合によってはそれがそれまでに返せばいいというある意味においてイージーな
環境をつくることにもなるかもしらぬ。だから、この問題は
年度ごと精いっぱい
努力して、そしてその六十年の問題がやってくるまでに衆知を集めて、幅広く各方面の
意見を聞いて検討しましょうということに、この
財政審でもいろんな
議論を、私のような政治論でなく、専門的な
議論の中から出た
結論というふうに私はこれを受けとめておるわけであります。したがって、今いわゆる無形の資産が残るという話をしましたが、そういう
議論をする向きが皆無ではございませんが、私はそれをとりません。それをとるのがある意味において一番危険な
財政運営だと思いますので、渋ちんだと言われようとも、その
議論はとらないという
考え方を今後とも貫いていこうと思うんであります。
これを非常に短絡的な点で
考えた場合に、例えば減税
財源を
赤字公債によって補てんするという
立場をとった場合、
一つの企業経営のあり方の中では、今日借入金をして設備投資に回しても、数年後それが果実を生めば結構だと思います。それは企業の責任の中で結構なことだ。仮にそれが失敗したらそれもまた企業の責任であろうと思います。企業責任の範囲内において埋め込まれるべき問題である。しかし、国の
財政ということになりますと、それが
予算が単
年度主義であるという厳しい現状と、仮に失敗に終わった場合は、それは一企業責任ではなく、
国民全体がその責任をかぶることになりますだけに、そういう施策はとれないという意味で、いわば後世の
負担、無形の資産が残るという
考え方の
議論をちょっと言の葉に上せましたので、私自身はその
考え方を持っていないということもつけ加えて
お答えの中へ含めさしていただいたわけであります。これはちょっと横道に入りまして申しわけありません。