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1984-07-30 第101回国会 参議院 社会労働委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十九年七月三十日(月曜日)    午前十時開会     —————————————    委員の異動  七月二十八日     辞任         補欠選任      高桑 栄松君     峯山 昭範君  七月三十日     辞任         補欠選任      峯山 昭範君     中西 珠子君     —————————————   出席者は左のとおり。    委員長          石本  茂君    理 事                 遠藤 政夫君                 佐々木 満君                 浜本 万三君                 中野 鉄造君    委 員                 大浜 方栄君                 金丸 三郎君                 関口 恵造君                 田代由紀男君                 田中 正巳君                 村上 正邦君                 糸久八重子君                 本岡 昭次君                 和田 静夫君                 中西 珠子君                 山中 郁子君                 柄谷 道一君                 下村  泰君    政府委員        厚生大臣官房長  幸田 正孝君        厚生省保険局長  吉村  仁君        社会保険庁医療        保険部長     坂本 龍彦君    事務局側        常任委員会専門        員        今藤 省三君    公述人        富士見産婦人科        病院被害者同盟        代表幹事     小西 熱子君        帝京大学経済学        部教授        薬事評論家    江見 康一君        東京都公立高等        学校PTA連合        会理事      木村  繁君        日本BCG基金        理事長      笠岡 輝昭君        日本医療労働組        合協議会事務局        次長       宇和川 邁君        筑波大学社会工        学系教授     市川  洋君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○健康保険法等の一部を改正する法律案内閣提  、衆議院送付)     —————————————
  2. 石本茂

    委員長石本茂君) ただいまから社会労働委員会公聴会を開会いたします。  本日は、健康保険法等の一部を改正する法律案につきまして、六名の公述人方々から御意見を伺います。  この際、公述人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  皆様には、御多忙のところ御出席をいただき、まことにありがとうございました。  皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の法案審査参考にしたいと存じております。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度で順次御意見をお述べいただきまして、終わりましたら一たん休憩とし、昼食をおとりいただきます。  公聴会を再開いたしましたら、委員の質疑にお答えをいただきたいと存じます。  それでは、これより各公述人方々から順次御意見をお述べいただきたいと思います。  まず、小西公述人にお願いいたします。
  3. 小西熱子

    公述人小西熱子君) ただいま御紹介をいただきました富士見産婦人科病院被害者同盟代表幹事小西熱子です。  私は、自分の体験を通して、現在審議中の健康保険法に関連して、患者立場から意見を述べさせていただきたいと思います。  まず、医療費の一部負担についてですが、政府改正案提出に当たりまして、十割給付だから患者は安易に病院に行くと言っております。しかし、ほとんどの患者は、できることなら病院には行きたくないと思っています。注射や薬が好きな人はまずいませんし、まして、窓口お金を払わなくてよいからなるべく病院に行った方が得だなどと考えている人はおりません。特に、今問題となっている健康保険本人について言うならば、病院に行くためにはやはり会社を早引きしたり休んだりしなければならないので、なるべく行きたくないというのが本音だと思います。本当に体のぐあいが悪いからこそ注射検査も覚悟で病院に私たちは行くのです。  また、政府は、患者医療費の一部を負担することによって自分にかかった医療費を知ることができれば、それが乱診乱療是正をして医療費適正化を推進できるとも説明してきました。しかし、今まで初診料だけで済んだ人が窓口で何がしかのお金を払うようになったため、以前より自分医療費とか診療内容関心を持ち始めたとしても、それが即乱診乱療是正につながるというふうに短絡的に結びつけるのは余りにも現実を無視していると思います。一割どころか三割負担している国保の加入者健保の家族がたくさんいます。その人たちの存在やその人たち意識が、特に医療費医療内容是正に力となっているという現象は見受けられません。病院に行って、医師からこの薬とこの検査が必要ですよと言われれば、患者は従わざるを得ないというのが実情です。そして、医療費というのはあくまで医師の裁量で処方し、はじき出されているのです。医療費医療内容患者がたとえ関心を持ったところで、それを詳しく知る手段はないというのが現実です。  私は、四年前に発覚した富士見産婦人科病院事件に、あの病院の一患者としてかかわりながら、そのことを嫌というほど知らされました。患者がどんなに医療費医療内容について知ろうとしても、どこも教えてくれず、調べてもくれず、知ることには限界があるとわかってきました。あの事件では、発覚前に行政の窓口苦情申し立てをした人も何人かいました。しかし、それにこたえる調査はされないで、被害はどんどん広がっていったのです。五十五年に事件が発覚して、埼玉県衛生部に届けられただけでも被害届けの数は千百三十八件にも上っております。富士見病院事件被害者もほとんどが主婦でありました。つまり、医療費の三割を負担する人たちです。医療費への関心も強く、明細書を要求した人もたくさんいました。それでも出された明細書は、差額ベッドなどの室料処置料といったぐあいに、大まかな項目に分けられているだけで、もっと詳しいものを下さいと窓口で言っても断られてしまいました。病院で断られてしまうと仕方がないというのが今の患者が置かれている立場です。  医療費医療内容について幾ら関心を持っても、知るための手段を与えられない限り、関心はただの関心でしかないと思います。政府が言うように、適正医療を促進させるための力などには、到底患者関心だけではなり得ません。今回の法改正では、この矛盾を解決する部分はどこにも見当たりません。これでは、患者にとってはただ一割負担という事実だけが残るだけで、こんなに私たちにとって割の合わない話はないと思います。  そもそも、問題となっている医療費増大の原因の多くは、患者側よりむしろ医者側にあると私たちは考えています。出来高払い制度のもとでは、たくさん薬を出したり検査をしたりすればするほど医師の収入はふえるようにできています。このため、時として必要のない検査、投薬、手術をする医師があらわれて、ここ数年、水増し請求架空請求の事実が全国的に明らかになってきています。  中でも富士見産婦人科病院事件は際立って大がかりな、行くところまで行ったと言える事件です。レセプトチェックでは、診断が正しいかどうか、その処置患者にとって本当に必要なものであるのかどうか、そういった医療内容チェックは全くなされておりません。その盲点をついたのがこの事件だったわけです。妊娠や出産、がん検診などで訪れた患者にまで、子宮や卵巣病気だと偽りの病名をつけて摘出手術をし、診療報酬を得ていました。このように、患者にとって全く必要でない治療に対して多額の医療費が支払われているとしたら、これこそひどいむだ遣いだと思います。このむだ遣いにメスを入れることなしに患者の一割負担解決策を求めようとするのは全くお間違いです。  濃厚診療問題点は、単に金銭的損失だけではなく、その悪い影響が患者の体にはね返ってくることにあります。過剰な薬が体によいはずがありません。体に傷をつけられたり、時には命にかかわることもあります。これまで問題が起こるたびにその解決策医師良心というあいまいで観念的なモラルに求められてきました。しかし、もはや良心に頼るだけでは何の解決も得られません。患者の健康を守るという立場からも必要のない治療が行われないよう、第三者機関による医療内容チェックを実現していただきたいと思います。  とりあえず早急に、疑わしい件については専門家患者と面接をして症状を聞き出すなどして、レセプトと突き合わせ、事実を把握するという作業が必要かと思います。医療内容適正が確認されて初めて医療費適正化が実現できると思います。  次に、医療費にかかわるもう一つの問題として、自費診療費について述べさせていただきます。  自費とは、保険とは関係なく、病院患者に直接請求するもののことです。保険対象となる診療行為は、レセプトとして第三者が目を通し、不十分とはいえ一応チェックされていますが、自費請求分は全く第三者の目に触れることはありません。それだけに、不正行為がやりやすくなっています。私たちの仲間で一つよい例がありますので紹介させていただきます。  この患者は、富士見産婦人科病院に行きまして、手術をしないと子供は産めないと言われて、卵巣整形手術という手術を受けました。二十一日間入院して総額四十一万七千四百十円を支払いました。このうち、保険自己負担分として支払ったのはわずか五万九千六百十円だったのです。病院に支払った総額の何と八五%以上が自費分でした。この人の自費分の内訳ですが、一つベッド差額です。富士見病院では、患者が望むと望まざるとにかかわらず、手術後一週間は強制的に個室に入れられました。これはそのときの室料差額です。患者の希望ではなく病院が判断して個室に入れたのですから、本来保険適用されてもよさそうなものですが、保険適用はされず、自費請求として一日二万円以上も請求されていました。もう一つは、当然保険適用になる薬や検査自費分として私たちに直接請求されていました。しかも、本来の値段の何十倍もの値段につり上げてです。例えば、手術の際の癒着防止剤として使うコンドロンは、保険の価格では四百六十円で済むんですけれども、これを何と三万円。それからアレルギーテスト、これはやはり保険請求で千円で済むものですが、これを二万五千円でといったぐあいです。  私たちも、事件が発覚して病院理事長が警察に逮捕され、裁判所を通じて証拠保全手続をして病院カルテコピーを入手して初めてこんなことがあったのだと知った次第です。カルテの記載を見れば素人にもわかるこんな単純な不正すら、自費請求という隠れみのをかぶってしまえばだれにもわからないのです。私たちはこの事実をつかんだ後、厚生省や県に報告をして、調査と返還を求めましたけれども患者病院の間での問題であると言われて、取り上げてもらえませんでした。しかし、このままこういうことをほうっておけば、保険医療機関の指定を受けた病院でも、自費診療という名目で患者同意を得ぬままこのようなことがどんどん進められていく危険性があります。国家財政上の医療費増大を論じる前に、こういった患者一人一人が支払う医療費増大にも目を向けて、保険診療同様第三者によるチェックを強く望むものです。  以上は、医療費を中心に患者立場から考えてみたことです。  次に、これからの医療はどうあってほしいか、二、三意見を述べさせていただきます。  まず、医療は受ける側に立ってみると、まるで一人の人間と認められていない、そんな気持ちにさせられるものです。だれでも一たび患者になると、それだけで健康人としての資格を失った弱い立場に置かれます。殊に、専門医師の前では、素人である患者はどういった質問をしていいかさえわからず、質問さえできないという場合がしばしばです。医者が進んでわかりやすい言葉説明してくれれば助かるのですが、現在の日本では余り期待できそうにもありません。勇気を出して聞いても、不機嫌な答えが返ってくるという目にもしばしば遭います。十分な説明がないということは、患者にとって不安のもとになります。医師との信頼関係もなかなかこれでは築けません。  また、病院をかえたいと思っても、先に行った病院お金を払ってした検査の結果やカルテコピーどもほとんどもらえません。出してもらえるのはせいぜい一枚の紹介状だけで、検査などは病院をかわればまた同じ検査お金を出してやり直すことになります。病気説明にもカルテにも、医者守秘義務というものがつきまとっているのはよくわかります。でも、基本的には患者についての情報患者のものだと思います。その扱い方にはがんのときなども考えて十分な配慮が必要だとは思いますが、この患者情報患者のものだという基本が認められていないために、患者が不利益をこうむっている場合が多々あります。  私たち富士見病院で受けた診療のあれこれを思い返してみると、患者がどんなに盲目的な立場にあるかわかってきます。まず、病院を選ぶための情報というものがなく、設備がよいからとか、女医さんがいるからと選んだわけですが、その理由にも根拠がないことをみずから思い知らされました。超音波断層装置の大がかりな器械で調べられて、自分自身見たこともないおなかの中がすっかり知られてしまったと思い込んで、白衣を着た男性が今器械診断した結果を大げさに告げる、手術を勧められれば、その人を医者と信じて従ってしまう。人間としての弱さをすべてさらけ出してしまうのが患者立場です。  そこで、私が言いたいのは、弱い立場患者には殊さらに人権が保障されなければならないということです。医療の場における基本的な人権、いわば患者権利というものを確認し合いたいのです。  既に諸外国では、それぞれの形で患者立場を擁護する宣言や憲章が出されています。一九七四年、今から十年前ですが、フランス病人憲章が出されて、患者への説明をこの中で約束しています。その一年前にアメリカ病院協会が出した患者権利章典には、十二項目から成る規定があります。参考までに四つ御紹介します。 一、患者は、思いやりのある人格を尊重したケアを受ける権利がある。 一、患者は、自分診断治療、予後について、完全な新しい情報自分に十分理解できる言葉で伝えられる権利がある。 一、患者は、何らかの処置治療を始める前に、知らされた上の同意を与えるのに必要な情報医師から受け取る権利がある。 一、患者は、どこが医療費を支払うにしても、請求書を点検し説明を受ける権利がある。といったようなものです。このような文章の形にすると、いかにも人権意識の発達したフランスアメリカらしいと言えます。けれども、私には逆に、人権意識の高いこれらの国でさえも、七〇年代、八〇年代に入ってこのような文が作成される必要があったのだと思われてなりません。  医療は、今改めて患者のためにという人間らしい土台に立ち戻らねばならないところに来ていると思います。健康保険法改正に当たっては、本人負担をめぐる論議が盛んに交わされてきました。しかし、医療費受益者負担の論理で弱い患者の重荷になっていくことは、福祉考え方にまるで逆行するものです。ただし、この論議の中で、レセプトチェック医療機関保険者に対して払い戻しをさせるケースがありますが、この場合、患者に対しても払い戻さなければならない分が出てきます。政府は、その患者請求権を認めてこれが行使できるよう患者にこの事実を通告する方法を検討し始めようとしているのは一歩前進だと思っています。このような患者権利尊重健康保険法だけではなく、ほかの医療関係法精神としてこれからの法改正と法の運用に最大限生かしてくださるようぜひお願いいたします。  それと同時に、医療の問題は法律だけでは解決できないものがたくさんあります。医者同士相互チェック医者患者が協力して解決していかなければならない問題もたくさんあると思います。  例えば、都道府県の各医師会が、医療内容適正化委員会のようなものをつくることはできないのでしょうか。それから、医療機関ごと利用者委員会をつくるといったようなことをぜひ検討していただきたいと思います。  以上、私は患者立場から意見を申し上げてきました。先ほどから申し上げておりますように、医師患者は、いわば百対ゼロの特殊な、そして危険もはらんだ関係にあるのです。これを補うためには、これまで私が提案した問題についてぜひ国会でも真剣に考えていただきたいと思います。  どうもありがとうございました。
  4. 石本茂

    委員長石本茂君) どうもありがとうございました。  次に、江見公述人にお願いいたします。
  5. 江見康一

    公述人江見康一君) ただいま御紹介いただきました江見でございます。  健康保険法改正案に対しまして、私は基本的に賛成立場から意見を申し上げたいと思います。  この案が最初出ましたときには、私は必ずしも賛成というわけではなかったわけでございます。そのことにつきましては、いろいろ社会保障関係の雑誌などに意見を述べてまいりました。幾つかの不満あるいは疑問の点などがございました。しかし、衆議院審議あるいは本参議院の審議、そういう過程を通じまして、当初不満と思い疑問と思った点が一つ一つ解消されてきたと、このように思うわけでございます。私は、新聞でフォローしておるわけでございますけれども、その限りではかなり全体の姿がよくなったのではないか。こういうふうに考えまして、ここまで熱心に審議を詰めてこられた関係者の方に心から敬意を表したいと思うわけでございます。  まず、意見といたしまして、総論的な部分とそれから各論的な部分について申し上げたいと思います。  最初必ずしも賛成できなかったということは、本案が財政的な事情ということで出てきたという印象がぬぐえなかったということでございます。当局意図がどうであれ、財政的な事情でもっての抑制的な志向というものがかなり強かったのではないか。結局、最終的な目的は国民健康づくりをどうするか、こういうことでございますから、それに向かってこの改正案がどういう位置づけになるのかということを明らかにする必要があるのではないかと、こう思ったわけでございます。つまり、迫りくる高齢化社会を私ども健康社会に転じなければならない。したがって、今回の案が中長期のビジョンとセットになった形で、それへの道程におけるどういう布石としての意味を持っているのか、そういう位置づけ、それを同時に示すべきではないかということをいろいろ私も書いたわけでございます。  それに対しまして、本年の四月の二十七日に、「今後の医療政策基本的方向」という形で厚生省の方からお出しになった文書、それ自体はまだ抽象的でございますけれども、しかし、この基本政策というものが出されたことによって、それとの関連で本改正案理解すべきであろう。つまり、現在のこの改正案は、主として保険の問題であり、負担をどうするかという問題でございまして、その後にくるポスト健保改革ということが当然予想されているわけでございます。したがいまして、その第一歩であるという形で私は受けとめておるわけでございます。  それから第二点といたしまして、健康保険制度を考えるときには、やはり昭和三十六年度の国民保険ということの歴史的な意味理解する必要があるだろうというふうに思うわけでございます。日本全体が産業社会を克服いたしまして、二十一世紀の福祉社会を目指して進みつつある、そのいわば契機となったのが国民保険制度ではなかったか。福祉社会へのはしりと申しますか、当局意図はどうであれ、今から振り返ってみますというと、国民保険というのは、雇用者のみならず国民全体を医療保険対象と考える、こういうことでございますから、すべての国民への均てんということを考えたと思うわけでございます。  そこで、やはり財政的な制約というものがございますから、そういう中ですべての国民に均等的な給付を与えるということと、それから従来の労働者に対する、雇用者に対する十割給付といったようなものと、この二つがどこかで折れ合わなければならない。その折れ合いをどうするかという問題だろうと思うのでございます。福祉社会というのは国民がみんなで支え合うという社会でございますから、国民がみんなで支え合うという場合に、やはり受益をある程度考慮した適正負担ということがどうしても必要だろう。受益を考慮した適正負担、そういう折れ合いの第一歩として今回の案が出されたのではないかというふうに受けとめるわけでございます。  それからもう一つは、やはり私ども健康保険のありがたさになれて、ややもすれば自分が今受けている医療サービスがどれくらいの価値のものであるか、あるいは、これは医師の方でもそうだと思いますが、今自分が与えているサービスがどれくらいの価値のものであるかということを知らずにサービスの授受が行われておる。ややもすればコスト意識が薄れていたのではないか。やはり資源というものを使う以上は、コストという考え方を我々は頭の中に入れておかなければならない、そういうことがあったと思います。  そこで、将来すべての国民を同じ給付率にそろえるという前提で今回の案を受けとめた、それは国民保険精神への接近である、そして、そのそろえるレベルとして八割が考えられているというふうに理解をするものでございます。  それから、総論の三番目でございますけれども、やはり高齢化社会の進行というものを真剣に厳しく受けとめる必要があるのではないか。つまり、ここ両三年の問題ということではなくて、十年後、二十年後の日本医療がどうなるであろうかという展望をしながら、今どういう手を打っておかなければならないかということを考えるべきであろう。したがって、いろいろ厚生省国民医療費の将来予測、あるいは民間のシンクタンクの国民医療費の将来予測などが出ておりますけれども、非常に厳しいというふうに私は受けとめております。そういう将来を展望して、その準備体制づくりに入らなければならない。一九八〇年代の後半の時期というのは、まさにそういう時期ではないだろうかというふうに思います。  第四番目といたしまして、医療保障というのは、生涯の一貫保障でなければならない。我々のライフサイクル生まれ落ちでから死に至るまでの人生行路の各段階において、給付率落差があってはならないはずのものでございます。したがいまして、今回の案は退職者医療が不利にならないようにという配慮セットの形で出されたという点で私は評価するものでございます。病気に余りかからない若いときに保険料を払って、いよいよこれからお医者様の世話にならなければならないという老後になって給付率が下がるというのは、いかにもライフサイクルとしては矛盾しておるわけでございまして、この落差をできるだけならして、生涯の一貫保障なんだということでの理解で今回の案を受けとめたわけでございます。もちろん、低所得者に対する配慮といったようなものも当然なければなりません。  次に、各論の方に移りたいと思います。  この種の制度改革に対しましては、次のようなことが必要であろうと思われるわけでございます。  まず、患者とか家計に対しては、一つ、急激な変化に基づくショックを和らげる措置が考慮されているかどうか。二つ、特定の者に対してしわ寄せが寄るといったようなことになっていないかどうか。三つ目、実際の適用に対してきめの細かい柔軟な配慮がなされておるかどうか。しかも、この際抑制するだけではなくて、改善すべき点があれば進んで改善をするということが必要でございます。そういう配慮が必要でございますが、今回の案の中には、例えば、当初は、当面十割を九割にいたしまして、六十一年度から八割にするという案でございましたけれども、これに対しては私は疑問がございまして、やはり早過ぎる、九割にしてしばらく様子を見て、その効果を見届けた上で次の手を打つべきであって、当初からある時期を設定するというのはどうかという考えであったわけでございますが、今回衆議院の方から回ってまいりました修正の一によりますというと、「国会で承認を受ける日まで」というふうに書いてございまして、そこに歯どめがあるという点で私は評価するものでございます。  それから、高額療養費あるいはまた家計の負担への考慮といったようなことも、やはり審議の中で、非常に皆さんのいろいろな配慮というものがあちらこちらにはめ込まれておるようでございまして、例えば長期の特定の疾病に対する考慮、例えば血友病などに対する考慮といったようなことがございますが、これは大変必要なことでございまして、さらに言えば、例えば人工透析などはかなり費用がかかる病気でございますので、また、血友病等ございますから、そういったようなものも含めて高額で非常に長期の療養を要するようなものに対する配慮といったようなものも含めてお考えいただきたい。  それから制度間のバランス、あるいはまた医療供給側に対するインセンティブと申しますか、そういったようなものも考慮されているようでございます。日雇健保に対する配慮、あるいはまた診療報酬体系といったようなこと、あるいはプライマリーケアの問題、これはいわゆる附帯決議の方のたくさんある中にいろいろなことが書いてございますけれども、そういうものを読みますというと、いろんな配慮が補完的に考えられているなというふうに思うわけでございます。したがいまして、この附帯決議の中にあるような事柄の中で、それを表に出してさらにこれを確定的なものにするかどうかといったようなところで今回の案の仕上げということができるのではないかというふうに思うわけでございます。  それから、やはり将来への展望ということがなければならないわけでございまして、このような案というものは、当面の問題ということに取り組むと同時に、将来どういうふうな展望を持った案であるかということが、同時に包含されていなければならないと思うわけでございます。そういう点で、例えば日本医師会などから出されております将来の制度の統合といったようなことに対して何らかの意見あるいはまた考え方というものが示されているように思いますので、そういう点も評価したいと思います。  要するに、結論的に申しますというと、今回の案はベストということは言えないと思います。しかしながら、いわばセカンドベストの案であろう。一つは、当初から明確に効果を確認できない場合もございます。こういう案が出されて、それに対して医療供給者あるいはまた患者がどういうふうにこの新しい案にアダプトしていくかといったようなことによって、この法案それ自体の成果を見届ける必要があるわけでございまして、どうしてもある部分は試行錯誤ということがあるだろうと思うのです。したがって、やはりフォローアップをする必要があるだろう。経験を積んで、そしてできるだけベストに近づけるという努力が必要でございますから、時間的な幅を見て効果を考えるという点からいってセカンドベストであるというふうに申し上げるわけでございます。  したがいまして、新しい事態に対しまして、できるだけ柔軟に対応していくということが必要でございます。特に、衆議院の方の修正案の中に、「政府は、新健保法の施行後の医療費の動向、国民負担の推移、財政事情等各般の状況を勘案し、健康保険制度の全般に関する検討を行い、その結果に基づいて」云々という言葉がございますけれども、これはまさに私が今申し上げました、いろいろ経験を積んで、できるだけ時間をかけていいものにしていく、そういう決意のあらわれだというふうに思いますので、こういうことを含めて、私は今回の案に賛成するものでございます。  以上でございます。
  6. 石本茂

    委員長石本茂君) ありがとうございました。  次に、木村公述人にお願いいたします。
  7. 木村繁

    公述人(木村繁君) 御指名をいただきました木村でございます。  健保法改正につきましての私の意見をお聞きいただきたいと思います。  私は、日ごろから薬に関係のある仕事に携わっておりまして、薬を通して医療を眺めております。そういった立場で私の意見を述べさしていただきます。  健保法の改正は、社会保険審議会あるいは社会保障制度審議会の答申にもありますように、医療保険制度における種々の体制の整備合理化を優先すべきでありますのに、総合的な展望を樹立しないまま、財政的立場のみに立つで被用者本人の一部負担を導入しようとする案でありまして、反対でございます。  本日御意見をお述べになります私以外の公述人方々は、社会保障について御造詣の深い方々ばかりでございますが、私は、薬以外は余り知らないという立場で、意見を、薬の問題に限って発言をさせていただきたいと思います。  アメリカの経済学者ヒックスという人が、薬は現代医療のかぎであるということを言っておるそうでございますが、これはまことに至言であると思います。日本におきましても、昭和四十年代後半から医療の中における薬のあり方についていろいろ議論が出まして、その正常化が叫ばれてまいりました。私は、現代の日本医療保険の中で、薬の抱える問題は三つに集約できるのではないかと思います。  一つは、薬価基準の問題でございます。もう一つは医薬分業を中心といたします物と技術の分離であります。それに、最後ではありますが非常に重要な問題といたしまして、患者の薬に対する情報という問題があるのではないかと思います。  ここで私が思い出しますのは、昨年八月、アメリカの週刊誌「タイム」に出ました日本特集号の中で、日本医療と薬に関連した記事がありました。「医学」という欄にあったわけでございますが、そこを少し読ませていただきますと、「大抵のホームドクターは薬剤師の仕事をも兼ねている。この二重の役割は薬剤師の数の少なかった百年も前から公式に認められている。十二万人もの薬剤師がいる今日でもその状態は続いている。日本医療に対する西洋人による最も厳しい批判の一つは、家庭医が薬を多く処方することである。足首をちょっとくじいて日本医者にかかったあるアメリカの学者は、筋肉の弛緩剤、抗炎症剤、副作用防止のための胃薬それに湿布薬をもらった。アメリカでだったら、しばらく足を休めるようにと言われ、アスピリンでも飲んでおきなさいと指示されるぐらいである。」、このように書いております。  昭和四十年代後半から薬価基準の不合理性について国会でもいろいろ議論が沸騰しまして、五十六年の六月、そして本年三月と、いずれも二〇%に近い薬価の切り下げが行われまして、一見薬価基準は正常化に近づいた感があることも確かであります。しかし、薬価基準につきましても三つぐらいの問題点があるのではないかと思います。  一つは、薬価基準収載品目の整理の問題でございます。第二は、新しく収載をされてまいりますいわゆる新薬の価格問題、三番目に、現在行われております銘柄別収載を再検討しなければいけないのではないか、この三つの問題があると思います。  第一番目の薬の整理の問題が現在最も急を要する点かと思います。現在薬価基準に収載されています品目数は約一万四千九百品目でございますが、このうちにはいろいろ効果に疑問の持たれている薬も含まれております。世界じゅうどこを探しても薬としての許可を得ていないものが、日本では、推定でございますが年間六百億円も使われているという薬があるわけでございます。それほど極端な例は別としましても、日本の薬の許可基準というものはかなり甘いのではないかと言う専門家は多うございます。  昭和四十二年以前に発売されました薬につきましては再評価が行われております。その結果が、昭和四十八年以降本年の六月一日に発表になりました第二十二次に至るまで一万六千六百五十二品目についての結果発表が終わっておりますが、そのうち、メーカーが提出しました適応症のすべてがクリアしたものは九千八百七十六品目、一部の適応症が否定されたものは五千九百七十五、有用性がないとして全く薬としての生命の終わったものが八百一品目という結果に終わっております。この再評価はなかなか進まないわけでございますが、あと一五%ほどを残しております。しかし、現在の状態で見ただけでも、過去の薬の許可基準というものがかなり甘かったのではないか、このように思われるわけでございます。  再評価の対象になっていてなかなか結果が発表されないもののうちにも、年間推定でやはり百億以上使われているんではないか、こういった薬も含まれておるわけでございます。薬価基準表を調べてみますと、一つの薬に四十社も五十社も、多い場合には六十社というような会社が競争をして販売をしているというものが約二十ございますが、そういったものの中には、これはやっぱり日本でなければ薬にならないのではないか、あるいは日本だとか韓国だとか台湾だとかというような国でしか薬にならない、そういったものがかなり含まれております。こういったものは、工作用——薬本来の作用でございますが、大したことがない、したがって、裏返せば副作用もないからということで安心して投薬されているのではないか、そういった疑いが持たれるものさえあるわけでございます。しかし、そういったものが年間一品目で四百億も五百億も健保の財政の中で使われておるということになりますと、これは患者に一部負担を強いる前に、十分検討をする必要がある問題であると思います。  薬価基準の第二の問題点の新薬の価格でありますが、これは国会でもしばしば御議論のあるところでございます。  薬価調査が厳しくなってまいりまして、従来発売している薬が徐々に価格が下がってまいりますと、メーカーとしては、どうしても新薬を発売しその新薬を高くするような方向に向かわざるを得ない、これは経済活動として当然のことであると思います。しかし、そうして高い値段をつけられた薬が患者にいかに使われるかということを厚生省は十分お考えにならない。また、悲しいことを繰り返す人が出てくる可能性がないとは言えないのであります。薬の一寸先はやみでございまして、昨日まで非常に安全だと言われていた薬がきょうからは非常に危険な薬だというレッテルを張られるケースが非常に多いわけでございます。どうか、値段をきちんと決めることによって実力以上の力を発揮しないように、そういった新薬の価格体制というものをおつくりいただきたいと思っております。  次に、薬価基準の第三の問題点であります銘柄別収載の可否ということについての問題でございます。  確かに現在のように実勢価格を反映した価格の決め方ですと、銘柄別に移行する前のように、すべて高いものに統一して価格を決定するという方法に比べれば確かに一歩前進でございます。しかし、いま少し深く考えてみますと、厚生省が許可をいたしました同じ規格、同じ製品が、ある会社では三十円で売られている、ある会社ではその倍の値段で売られておりまして、それが同じように三十円、八十円という値段で薬価基準に収載されることが適当なのかどうか、これはもう既に国会でも御議論になっておりますが、ぜひもう一度検討しなければいけないことだろうと思います。  アメリカの場合は、こういったマルチソースの医薬品につきまして政府関係しておりますメディケアだとかあるいは政府機関の購入する場合だけでございますが、こういったものについては値段の安い方へ、一応調査をいたすわけでございますが、大体私どもが見ておりますと、非常に安い値段に決められる、この制度は、マキシマム・アローアブル・コスト、MACといっておりますが、こういった制度がございます。日本医療保険の中で使われております薬は、これは全部政府機関あるいは公的な機関の関係しておるものでございますので、そういったMAC制度のようなものをもう一度検討するという必要性はあると思います。  次に、第二の大きな問題点でございます医薬分業の問題に移ってまいりたいと思います。  この健保法が衆議院を通過いたします際に、附帯決議というものがついております。この九番目に、「医薬分業については、その基盤づくりに努めるとともに、分業実現に向けて具体的計画の策定に努めること。」という一項が入っておりますが、これをぜひ強力に推進すべきであります。  今の状態で、基盤づくりという言葉があるんですが、日本の薬剤師数は決して外国の薬剤師の数に比べて少なくありません。厚生白書によりますと、人口十万人当たり日本は百二・二人、アメリカは六十八人、フランス六十人、ドイツ五十人、イギリス二十八人となっております。そして、これらのうちで、日本のようにきちんとした国家試験を実施している国はどこもないのであります。アメリカでは州によって試験があったりなかったりです。フランス、イギリスは国家試験は全くございません。西ドイツでは大学の認定を国が追認するという形をとっておるわけでございます。そういったことで、薬剤師の質、量ともに十分充足しておるのに、まだ基盤ができていないというのでしょうか。  現在不足しておりますのは、調剤薬局に薬のないことでございます。これは第一の問題ともかかわりのあることでございますが、一万四千九百種類の薬をそろえるということは至難のわざでございまして、この面からも薬価基準収載品目の洗い直しは急務であります。一人の医師が自由に処方できるという品目は百から二百ぐらいだと言われております。国立病院のように二十人もお医者さんのおられるところでございましても、二千種類以上の薬をそろえているところは少ないわけでございます。繁用度の高い医薬品を千種とりまして、それをいろんな病院の使っておられる薬で検討いたしますと、恐らく九〇%はカバーできるのではないかというぐあいに言われております。そういう調査を国の機関で早急に行われまして、収載品目の洗い直しをしていただくということをぜひお願いをしたいと思います。  医薬分業を進めていく上で大きな問題となりますのは、第二薬局の存在でございます。第二薬局については当委員会におきましても再三御議論をいただいておりますが、正しい医薬分業を進めていく上での大きな障害であります。五十五年十月の調査で千七軒、これは全国の保険薬局数の約三%に当たりますが、そこで調剤をした処方せんの全処方せんに対する割合は三一%だったという報告が厚生省から出されております。その後の数字は把握していませんが、全国で調剤されている処方せんの三割が、厚生省が好ましくないと判定している第二薬局で調剤されていたというのは大変問題であろうと思うわけでございます。  医薬分業についての最後の問題に入ります。  医薬分業が現在の日本医療においてぜひ必要なものであるということは、もう国会の御議論におきましても、また、医療関係者の間でも意見は一致しております。薬剤費の節減、医療の質の向上など、どの面から考えても異論のないところであります。しかし、一般国民の受けとめ方を見てみますと、少し様子が違っているのではないかと思います。その原因がどこにあるのかと考えましたが、その第一の原因は、国によるPRの不足であろうかと思います。毎年医薬分業啓蒙普及費というのが予算として上がっておりますが、これがここ十年ぐらい毎年百万円以下であります。これではパンフレット一枚もまともにつくれない少額でございます。国民医療の質の向上に大いに貢献する医薬分業でありますので、今後はぜひ予算をふやしていかなければと、かように考えております。  最後になりますが、国民に対する医薬品の情報の問題に移りたいと思います。最後に取り上げましたが、重要性からいくとこれが一番大事なことではないかと思います。  今日の日本は、まさに情報の時代と言われておりますが、薬の情報に限って考えますと、これは三十年も四十年も外国におくれていると言っていいのではないかと思います。しかし、その情報専門家の間までは十分に通じておるわけでございます。私どもも、医薬品の副作用の情報を整理するだけでも毎日手いっぱいでやっているような状態であります。専門家までの情報というのはかなり十分に来ております。ところが、その情報医療の主体である患者のところまでいかないというところに問題があるのではないかと思います。  私どもが、ある国立病院へ参りまして、出入りされる患者さんにアンケートをしたことがあります。そのときに、自分の服用している薬についてもっと知りたいと思われますかという項目を設けたわけでございますが、九〇%の人がイエスと答えております。それから、私どもがやったアンケートではありませんが、製薬メーカーの団体がおやりになりました場合でも、医師は薬についてすべてのことを話すべきであるということをお答えになった方が五五%あるわけでございます。国民は薬についてもっと知りたがっておるわけでございます。  ところがどうでしょう。日本患者は、自分の体の中に入れております薬の名前すら知らないわけでございます。これでは、暗やみで目隠しをして無理に薬を飲まされているようなものではないでしょうか。アメリカやイギリスでは、大衆向きに医療用医薬品の情報をいろいろ書いた本が出ております。スウェーデンでは国でそういう本を発売しております。消費者団体だとか学生さんだとか、そういったところに送っておるわけでございますが、そういった本を見ましても、まず薬の副作用を防止する一番大事なことは、自分の飲んでいる薬の名前を知ることであると、このように書いてあるわけでございます。この一番基本である薬の名前、自分の飲んでいる薬の名前を知って、それを自分で記録をとっておく。将来また薬を飲まなければならないときのメモとしてとっておく。これが副作用を防ぐ最も重大な要素であると私どもは信じておるわけでございます。この面が非常に日本ではおろそかにされております。  健保法の改正についての意見でございますが、薬のこのような状態を放置したまま、患者の一部負担だけを通過させる、そういった方向で取り上げられることに反対でございます。  以上で終わります。ありがとうございました。
  8. 石本茂

    委員長石本茂君) どうもありがとうございました。  次に、笠岡公述人にお願いいたします。
  9. 笠岡輝昭

    公述人(笠岡輝昭君) 各社労委の諸先生、本日こうして、私が日ごろ考えておりますことを公述をさしていただく機会を得ましたこと、大変ありがたく感謝申し上げます。  私は本日、一言お断わり申し上げたいのでございますが、ちょうど一カ月を経過いたしておりますのですが、肺炎をこじらせまして、マイコプラズマの系統でございますが、非常に体力も、また呼吸器も若干衰退しておりますので、簡潔に、そしてまたやや概説的にとどまりますけれども、既に三公述人からるるそのお立場によって御発言もございましたので、その点を御了承いただきたいと思います。  私は過去に、医学、ヒューマンバイオロジーそしてその後でライフサイエンスを専攻したものでございます。私ごとに及びますけれども、父は一生を僻地の医師に殉じております。前半は海外で、後半は、戦後でございますが、日本の中国山地の広島県の最奥地で医業をいたしておりました。約十七年前に六十四歳で故人となっております。自分が取り上げた子供が成人して大きくなって、ある日突然山奥で、これはくしくも十二月の八日の朝のことでございましたけれども、危篤状態になった。自分もぐあいが悪いんだけれども、これを助けてやらなきゃ、ほかに人がいない、こういうことで、自分で赴いてまいりました。幸いにその青年は助かりましたけれども、帰路で父は脳出血を起こしまして、そのまま約半日の余命で逝っております。私の兄弟にもそれぞれ医療専門家がございます。私は、幸か不幸かそういった家庭歴の中で育ちましたので、約十八年に及んでおりますけれども、国際医療協力、とりわけアジア地域、一部中近東、アフリカへ向けての民間の奉仕活動をする団体の理事長を現在は相務めております。これは私小使と任じております。したがいまして、アジアの各国にも過去何回か出向いておりますし、また、現在は、微々たる民間の活動でございますから大勢をお呼びすることはできませんけれども、切れないように研修生等々を我が国へお迎えして、しかるべく医療機関で研修もしていただいております。ネパールにも参っております。また、亡くなられておりますが、宮崎松記先生のインドの救レプラについて、これに対する御協力。ビルマ、タイ、これ等に向けて、亡くなっておられますが、東昇先生を中心とする京都大学の関係等々。現在は韓国にも縁がございまして、在韓国原爆被害者——向こうでは被害者と申しておりますが、この方々の実態調査とその方々への援助協力についての国内での啓発、現地での協力、こういったこともいたしております。  そういった閲歴の中で、総説的なことを申し上げるようでございますが、今回我が国における大正十一年に法律第七十号によって行われましたこの健康保険法、これが一部改正というふうにお示しがございますけれども、これは私流に考えますと、かなり抜本的なメスを入れられておるものだというふうに考えまして、本日賛成を申し上げたい、こういう立場で若干の意見を先生方に御聴取願えればありがたいと存じます。  まず第一に、この法案は、社会保障制度審議会、社会保険審議会のそれぞれ答申を得ておられます。たしか本年の二月の二十二日、及び二十三日であると思いますけれども、この答申にもお書き示しがありますように、何せ諮問を受けてから期間が短かった、もう少し時間を欲しかった、こういうことがどちらの答申にも盛られております。そして、あるいは記憶違いかもしれませんが、我が国における保険制度が発足いたしまして本年は五十八年目であろうかと思っておりますが、この間に、いろいろ付加されなきゃいけない社会的な有為転変を経た上でこの法案の一部改正、こういうところに及んだと思うのでございますが、それにつけては三つの大きい柱を立ててございますし、付加して政府が将来に向かっていろいろこれを検討し、必要なものを加え、不必要なものを取り除くのだと、こういう附帯的なことが添えでございます。私は、ここに非常に大きい意義を感じております。  六法全書を開いてみますと、まさに私どもの目がくらむほどの法律が枝葉を伸ばしておりますけれども、その中で某出版社の小六法を開いてみますと、千何ページの中で、健康保険法については二十ページに及んでおりません。その中で、これだけの項目について今回勇断を持って改善をなさるということに対して、重ねて賛意を申し上げたいと思います。  そこで、細かい法律論でございますから、私ども、一通りは承知しておりますものの、法律家をおいて一々についてとやかく申し上げるよりも、むしろ私の考える柱だけをお酌み取りいただく方が手短かだと思っております。  まず第一点は、いつのころからか、人から受ける恩恵、自分が人に手をかすこと、いうところのギブ・アンド・アイクです。この中で、我が国はギブ・アンド・ギブというような社会的風潮が強くなった。これは経済の高度成長に起因することであり、また、学校教育の中で高度な教育、いうところのエリート教育ですね、これに対する飽くなき競争をさせた結果、今日のこういう混乱状況を招来しておるのだと思っております。したがって、私はもう少しプリミティブな考えに立ち至っていただいて、国民自分の健康は自分で守らなきゃいけない、こういう意識に小さいときからしっかり立っていただかないと二十一世紀は危ないと、こう思っております。  もう一つは、日本人ほど薬に頼る国民も余り他国にないように思っております。最近は薬害等々についてのいろいろな情報が、マスコミその他学術機関でさえかなり大量に国民に提供しておられます。したがってい国民も薬の中の二面性、私も実はきょう服用しておるある薬がございますけれども、つまり、Aという薬であっても、これがプラスにもなり片やマイナスにもなるんだという大変危惧を抱きながら薬に対する対処をしておるのだと思いますが、こういった点を、教育の面もそうですし、医療全体の面でもそうですけれども、もう少し薬というものに頼り過ぎない、将来に向かって自分が健康なときにその健康状態をいかに維持していくかという細かいライフプランと申しますか、こういったものが国民の中に定着する必要がある、こういうことを御指摘申し上げたいと思います。  次には、第二の柱でございますけれども、乱診乱療にかかわる問題で、いささか申し上げにくいことでもございますけれども、やはり十二兆九千億、これは一昨年の数字でございます。国民医療費総額を新聞はこのように報じております。またこれを国民所得、つまりGNPに換算いたしますと〇・五%に相当するというではございませんか。私も私なりに試算をいたしてみましたけれども、これは大きい浪費があるのではなかろうか、こう思っております。  さて、現在私ども、私もホームドクターを持っております。またそれぞれ事が起きたときには、私の先輩であり知人である専門医のやっかいになるという計画をちゃんと持っておるつもりでございますけれども、しかし日本のこの医療制度の中で、診療を計画的に受けるという国民考え方がまだまだ定着していない。将来に向かってこれは大いに啓発しなきゃいけないものだと思っております。  片や、医師の所得でございます。実は、本来でしたらばこれを各委員の先生方にも謄写をしてお示しを申し上げたいと内々思っていたのでございますが、私の個人的なことにもかかわりますので、いささかちゅうちょもし、思いあぐねて、こういうものがあるのだということだけをお示しいたしますけれども、これは私の父が、昭和三十七年、当時豪雪が二年続いたときでございますが、国民保険になったけれども、我が国の地方の、特に当時高度成長に向かって若い者が出ていって疲弊した農山村、そういったところで医業を営むことがいかに難しいか。国民健康保険とすればわずか三分の一の窓口徴収料金です。これさえ十年も取れない。かかればかかりっぱなし。町長を初め、教育長を初め、僧侶を初め、土地の名士方も、後でな、ということで医師を苦しめたということがここにるると書いてあります。これは告発ではないんです。父の後継ぎをするはずであった私の弟が当時大学院で研究中でございましたけれども、それを何とか僻地に定着させたい、こういうことで準備をしておるときに、医療経済の実態調査日本医師会が当時いたしたのでありますが、それに準じて、父は父なりに、当時十七年間電灯もない村に定着をして村人たちと一緒に暮らしてまいった経過をたどって、自分のところの累積赤字が今どうなっているかということを当該地区の患者の皆さんにアピールをした書面なのでございます。それを見ましても、私ども、本当にのりをすするような思いをして父から若干の教育費を得て、あとは各種の奨学金によって学業を続けた家族、兄弟なのでございます。  その文章の中にこう書いてあります。「現在の治療保険一本(皆保険)でありますから、相互扶助、たすけ、たすけあいの人間社会の美風を破壊する一大事でありまして、」ということは、私が今前段で簡単に申し上げたことです。「こんな畑には「人作りの美しい苗」も決して育たぬこと必常と愚考いたすのでございます。  終りに、貴家様の治療費は、極めて少額でありまして、お願いするのは心苦しい次第でございますが、今度の建築費用に対して、」——これはもう窓から雪が吹き込むようなあばら家でした、これは私の注釈でございます。「御出宝、御寄附いただくお気持ちでどうぞ御納めいただきたく折り入ってお願い申し上げます。」と、父は申しております。そして、「別紙を持ちまして近日御請求させていただきますので、何分よろしくお願い申上げます。唐突御無理お願申上げ失礼の段どうぞおゆるし下さい。 向寒、何卒御家族様御揃いで御健康御留意お祈り申上げます。」、「笠岡隆輝」という個人名でこれをアピールしておるのであります。  その前にさかのぼってみますと、父は昭和二十一年に当該僻村に参りまして、村議会を動かして私設の健康保険制度をつくっておるのであります。しかし、それもわずか二年で破綻いたしました。もう来る医師もいないんです。やむを得ず父は、だれかがやらなきゃいけないことだからと、それで前半の半生も海外でいろいろ苦労した経験があるので少々のことにはめげないからと言って自分が犠牲になったわけです。  さて、話が飛びますけれども。私も海外医療協力に携わって十八年の間にいろいろなことを考えてまいりましたが、やはり日本医師は海外へ出向いておりません。特にアジア地区へは、お一人か二人のお名前が挙がるでしょう。今や同先生はスターです。そして同先生はもう既に某国立大学にお帰りになって、国際交流という名前の掲げられたセクションのプロフェッサーになっていられます。別にその先生をおとがめ申し上げる理由は何もございません。私も同先生に協力を申し上げた経緯がございます。しかし、その後継ぎになる方がいないんです。看護婦さんしかり、各種医療技術者しかりです。これは何を示しておるのでしょう。アメリカには行く、ドイツには行く、カナダには行く、今でもせっせとおいでになります、臨床医は。これを見習っているのは我が近隣の、我が国に追いつけ追い越せと言っておるややアジアで力を得ている国の医療機関であり、また国民意識でございます。日本ではいいお手本を示しておるということでございましょうか。十二兆九千億というお話を先ほど申し上げましたが、これはアジアの各国から見れば、本当にピラミッドの頂点です。どうか社労委の委員先生方、今回の抜本的な改正については、将来に向かって多角的な検討をする余地を残すと、こういうことを十分にごしんしゃく願いたいと思います。  なお、改正点には八割給付ということが論議の中心になっております。既に他の公述人からもその点について論及がございました。九割給付からどうだろうと、暫時様子を見てはどうかと、こういう非常に穏やかな御意見でございました。私も、英断をもって事に臨むということも事を急に片づけるときには必要であろうかと思いますが、やはり経過措置を踏まえて、もう少し時間をかけていただく必要がある点ではなかろうかと、こういうふうに思いました。  さて、話を結ぶ上でもう一言申し上げたいことがございます。  先ほど乱診乱療に若干触れましたけれども日本には登録医だけでも約十七万に及ぼうとしております。十年前、当時の医師会長武見太郎先生は、これは大変難しいことだけれども、やはり日本としては早急に各県に一医科大学を設置する必要があるので、当時十一万何がしであったと思いますが、十七、八万は必要なんだというお話を、先生のラボラトリーで重ねて伺った記憶もございますが、こうした医師を大勢つくることと質的な問題とはどういうことになるんだろうという危惧を持っております。  では、君は一体どういう論拠によってそういうことを言うのかとおっしゃれば、私は私なりに私の責任において申し上げる材料を用意しております。具体的に言ってみろとおっしゃれば、それも用意しております。しかし私は、恣意的に申し上げる意図ではございませんので、あえて自分からは本店で申し上げることを差し控えさしていただきます。  医は仁術と申しますけれども、ヒポクラテスは申しております。ヒポクラテスの誓いに我が日本国の医師諸先生、諸兄は、こういった機会にぜひ立ち戻っていただきたい。医は算術などということを世間で言われるようなことはあってはならないことだと私は思います。  最後に、この薬価及び医療費の原資でございますが、これはすべて国民の拠出によるものであります。国民共有のものです。その総額が来年は十三兆になるか、また昭和四十四、五年度のように二けた台の伸びになるか、と、こういうことを言っていけば、天井知らずになります。我が国の高度成長はもう既に峠は越しております。今や質的な問題を論じられる時代になっておるわけです。そういうときに、医療費についてもやはり有限だと思います。緑だけではございません。資源は枯渇すると言っておりますけれども、原資でさえもう限界に達しておるわけです。  高度技術と申しますが、ここで哲学を語るつもりではございませんし、医学を語るつもりではございませんが、果たして医学は学問でしょうか、技術でしょうか。この点を挟んで、やはり科学にも限界があるということを真摯に国民は受けとめてみなきゃいけないと思っております。そうすることによって、有限なるものを皆等しく、病める者も貧しき者も富める者も分かち合うんだということになれば、法外なレセプトを提出して、いやこれは大学総合病院等々が総合的に命の管理をし、命を救うために尽くしたんだからというようなことはあってはならないことだと私は思います。やはりおのずと限界というものがあるわけでして、いつのころからか、人類はと申しますか、人間は、何かをすることによって対価を求めてきたわけです。それが今日の教育をひずませておる原因の一つでもあろうかと思っておりますので、この点も、将来にわたって本法案を運用され、かつまたいろいろな隘路が出るということを予測してのことでございましょうから、弾力的に、多角的に、総合的に、グローバルに御検討いただくということをあえて意見として添えさしていただいて、まとまりのない発言でございましたが、諸先生の御理解を仰ぎたいと思います。  ありがとうございました。
  10. 石本茂

    委員長石本茂君) どうもありがとうございました。  次に、宇和川公述人にお願いいたします。
  11. 宇和川邁

    公述人(宇和川邁君) 私は、日本医療労働組合協議会に所属している宇和川であります。  私たちの組織は、国立病院とか赤十字病院、その他労災病院、それから一般の民間病院、そういう病院労働者を組織している約十六万の組織であります。私は、きょうの席では、日夜患者とじかに接触をして医療サービス活動を行っているという、そういう立場から、また、労働組合としての立場から、具体的な事実を挙げながら五点に問題を絞って私の意見を述べたいと思います。  私の所属する日本医療協は、今回政府が国会に提出された健保法の改正案には反対の立場をとっております。そういう立場に沿って、反対の立場をとっている多くの労働組合、それから医療関係団体、それから民主団体などと、中央、地方で連携をとりながら運動を進めているところであります。  五つの問題点の第一は、労働者立場から見て、健保本人十割給付の八割給付への引き下げは労働者の生活を著しく脅すものになるということであります。健保本人は、御存じのとおり政管健保約一千四百七十万人おりますし、それから組合健保は一千百七十万人おります。それから国家公務員共済組合関係は百二十万おりますし、それから地方公務員共済は約二百九十万、国鉄などの公企体職員共済組合は八十万人、その他船員保険に所属する組合員、それから日雇健保などを含めまして約三千百万人であります。これは日本の労働力人口の半分を超える非常に大きな数であります。ですから、この多くの労働者に一定の影響を与えることが非常にいろんな面で大変な事態を招く、そういう状況だろうというふうに考えております。  厚生省の発表によりますと、現在一件当たり医療費は、本年三月現在で入院の場合は甲表で約三十万円であります。そして、入院日数は約十八日ということが出ております。また、外来の場合は乙表で約一万一千円、通院三日という数字が出ております。これはあくまでも平均でありますから、これよりも著しく高い医療費の支払いをしているという場合もあると思います。そういう中で健保本人十割給付が八割へと引き下げられれば、入院の場合には高額療養費、自己負担限度額があったとしましても、一件について数万円という負担というのは当然なことになるわけであります。  入院は、厚生省自体が申していますように小さな引っ越しであるということを厚生省は言っております。引っ越してありますから、当然そのためには間接的な医療費も要るわけでありますし、また、現在では社会的に問題になっております付添料、差額ベッドなどを加えれば、入院の場合には大変大きな出費になるのは具体的事実であります。  現在労働者の賃金というのは、全産業所定内給与は、労働省の毎勤統計によれば、昨年七月現在で約二十万三千円ということが出ております。それも、その約一五%は税金とか社会保険料ということで差し引かれるわけですから、実際には十七、八万という、そういう可処分所得を持ちながら労働者は生活をするわけであります。ですから、そういう賃金の水準と比べてみましても、今述べましたような医療費給付が十割から八割に下がるということは、その生活に大変深刻な事態をもたらすということは当然だと思います。  そのことは、しばしば引用されることでありますけれども日本患者同盟が本年三月に行った健康保険法の改正の影響調査というのが端的に示していると思います。その調査によりますと、病気が治らないがすぐ退院するが一六・六%、病気が治らないがなるべく早く退院するが二六・一%、合計四二・七%が退院せざるを得ないという答えを出しております。  さらにつけ加えれば、定期的に人工透析を受けなければならない患者さんが約五万数千人いるというふうに言われています。その腎臓病患者さんの四分の一は健康保険本人であります。長期の治療を受けるために賃金カットを受け、いろんな意味で障害を受けております。そういう中でさらに健保本人十割給付が八割に下がるということになれば、その腎臓病患者さん、働きながら治療を続けている患者さんに対して大変深刻な事態が生ずることは明らかなことだろうと思います。  そういう意味で、病院であるいは診療所で仕事をしている私たちとしては、そういう事態になったときに大変なことが起こるだろうということは、具体的に患者さんを見ておりますから、そういう感じを特に強くするわけであります。  では、国民の健康状態についてでありますが、これはもうしばしば言われることで繰り返すこともないかと思いますけれども国民の有病率が七・九人に一人、それから三世帯に一人が病人を抱えているというようなのが現実であります。厚生省の資料を見ても、国民のどの年齢、クラスをとってみても、有病率が増大をしています。これは厚生省国民健康調査そのものが明らかにしていることであります。ですから、年齢、クラスを問わず、この二十年間ぐらいの間に大変病人がふえている。これが趨勢であります。  そういう中で、労働省が一九八二年に実施をした労働者健康状況調査によりますと、労働者二人に一人は仕事で大変強い不安やストレスを感じているということが新聞に大きく発表されました。では、そういう中で労働者はその解消法をどのような方法でやっているかと言えば、一つは、睡眠や休息をとるということでそれを解消しようとしています。それが七二・一%、圧倒的に多いのは当然であります。次いで多いのが、男性の場合には酒を飲むが四四・六%であります。女性の場合には、数人が集まって雑談をするということで、その不安やストレスを解消しようとしている、これが実態であります。この状態は、まさに労働者の中に不健康が非常に拡大をしているということを証明することだろうと思います。  また、最近職場の中にはOA化が進んできております。これはコンピューターやワープロのディスプレー装置、これを扱う労働者が大変ふえています。私たち医療機関の中でも、これがもう一般化しております。総評がこの春に約七千人を対象にしまして調査をした「VDT労働と健康調査」というまとめを発表しております。それによりますと、目がかすむなどの眼精疲労を訴える者が約八〇%に達しています。それから二番目に、全身疲労も大変多くて、慢性疲労に悩む者が約二〇%という数字が出ております。同時に、その労働条件といえば、四人に一人は西ヨーロッパの作業規制水準の一日四時間を超えて作業している。そういう労働の実態もあわせて出ております。全身疲労の内容を言いますと、肩がこるというのが五六%、全身がだるいが四一%、何とか横になって休みたいというのが三七%、作業後も疲れがとれないが六九%、朝まで残るという慢性疲労の訴えは、先ほど言いましたように二〇%に達しているわけであります。  今労働者が置かれている状態は、第一次、第二次の減量経営のもとで人減らしが進行して、労働強化の中で労働者の健康状態は大変悪化しているというふうに思います。こういう状況のもとで、繰り返しますが、健康保険本人十割給付の引き下げが出ているわけであります。大変深刻な事態の到来と、不安を感じざるを得ないのであります。  第二の問題は、健康保険本人十割給付の八割給付への引き下げは、国民全体の受診抑制を大規模に進めようとするものだというふうに私たちは考えて反対の立場をとっているわけであります。  政府は、健康保険本人十割給付の八割給付への引き下げは受診抑制にはならない、早期受診、早期治療の妨げにはならないと、これは繰り返して強調しています。これについては、去る七月二十五日にここで行われました参考人の陳述で、全国保険医団体連合会の会長の桐島先生が述べられましたし、桐島先生が所属されておられる団体の機関紙「全国保険医新聞」七月十五日号で、詳細に事実を挙げて、そういう主張は間違いだということを具体的に述べておりますので、それについては繰り返して申し上げることはしませんけれども、私自身がそれに触れてつけ加えておきたいというふうに思います。  その第一は、厚生省幹部の臨時行政改革推進審議会、いわゆる行革審での発言であります。これは昨年十一月十四日の第十七回行革審での発言でありますが、その発言は、指導監査とか審査の強化によって医療費適正化に努力しているが、健保本人を八割給付にすれば、もっと医療費が減ると思う。また現在、中医協で検討している診療報酬の合理化ができればさらに減ると思う。私ども保険料負担を減らすことを政策目標としているという内容であります。この発言には、受診抑制効果をねらっていることがはっきりうかがえると私は考えるものであります。  それから第二は、厚生省が直接運営をする厚生省第二共済組合の昭和五十九年度事業計画が受診抑制効果を明確にしていることであります。この事業計画は、本年七月から共済本人十割給付が九割給付になるということを前提にした計画であります。その中で、共済本人一割自己負担による受診抑制などの波及効果で五・六七%の給付減を見込んでいるのであります。つまり厚生省自体が、十割給付から九割給付になった、一割カットになった、そのことで既に厚生省の国立病院、療養所職員約五万人で組織されている厚生省第二共済組合の新年度の予算案、その中で五・六七%の給付減を見込んでいるのであります。すなわち共済本人一割自己負担による給付減一億六千二百万円、これが平年度に直せば一億七千九百万円という数字になるわけであります。それから、一割自己負担による波及効果による給付減は一億三千二百万円、これも平年度に直せば二億二千七百万円を見込んでいるわけであります。つまり、厚生省自身が運営をする厚生省第二共済組合の事業計画で、共済本人給付の引き下げがあれば受診抑制をもたらすということをはっきりと数字を挙げて明確にしているわけであります。  三番目は、老人医療費無料化を有料に転換させた老人保険法の実施一年間の実績が、明確に受診抑制効果を証明していると思います。その内容は、五月二十五日に厚生省老人保険部が発表しました。それによれば、この実施一年間の実績を見て、七十歳以上の高齢者の受診率は、入院、外来とも年間の各月すべて前年同月比マイナスになっています。外来は一カ月四百円、入院は二カ月を限度に一日三百円、こういう額は当然だということを主張をして老人保健法を通したわけでありますけれども、その効果は政府のねらいどおりの実績となってあらわれています。そのことを考えれば、七十歳以上の高齢者にとってこの額が決して少額のものではなかったということをリアルに示しているんだと思います。  第三の問題は、国保への国庫補助率の大幅な引き下げは、自営業者の家計を不安に陥れるものであるということを強調したいわけであります。  国保の被保険者は、自営業者とその家族を中心にして現在約四千四百五十万人の数であります。これは退職者医療制度を新設をして、現在国保に加入している被用者年金の老齢年金受給者とその家族四百万人を国保から除外をして、新しい退職者医療制度をつくるということを理由にして、国保への国庫補助率を現行の四五%から三八・五%に大幅に引き下げるということが今回の健保法の改正案の中に含まれています。  国保の保険料の実態を見ていただきたいのでありますが、厚生省保険局「国民健康保険事業年報」によれば、国保の保険料の調定額に対する収納額の割合は、昭和五十年以降毎年減っております。現在昭和五十七年度の資料が出ておりますけれども、九四・三四%であります。つまり、やっぱり景気の動向を反映しているんだと私は思います。  具体的事実で申し上げたいのでありますが、全国商工団体連合会の調査によれば、兵庫県明石市の国保の場合、保険料の滞納額は昭和五十六年度三億円、五十七年度五億円、五十八年度七億円と累増しています。それから昭和五十九年三月末で全額滞納世帯が二万五千世帯のうちの五百世帯が出ているというふうに言われています。同時に、問題なのは、この五百世帯に対して保険証を交付をしないという市の指導が入って、大変な問題になったそうであります。これを明石市の民主商工団体の明石の地域の組織が交渉を行って、一応保険証の交付はさせたという事態が起こっております。このように非常に国保の滞納がふえつつあるという状況であります。  それから、同時にここでつけ加えたいのは、国保料が所得に比べて大変高いということであります。これも厚生省保険局の「国民健康保険実態調査報告」の中の所得階級に対する保険料負担状況という資料が証明しているわけであります。例えば具体的な例を全国商工団体連合会から聞いたわけでありますけれども、名古屋市の例で、夫婦で冷凍機の部品を扱っている五人家族の自営業者がおりますけれども、その国保料は昭和五十六年度所得二百二十万円に対して最高の二十六万円であります。昭和五十七年度所得二百九十九万円に対して同じく最高の二十六万円。このように非常に所得に対して国保料が高い。こういう状況の中で、今度は国庫負担が大幅に減った場合必然的に国保料の引き上げが余儀なくされるという事態が予測されるわけであります。こういう状態になれば、国保料の滞納が増大する傾向はさらに促進されるでしょうし、それによって先ほど挙げたような保険証交付が打ち切られるというような事態も生まれかねないというふうに思います。その意味では国保そのものの存在基盤が大変問題になるということだというふうに思います。  第四の問題は、高度な医療は公的医療保険給付対象から切り離されるということであります。また、国民が解消を強く求めている保険負担法律で認めるということが問題だと私は思っております。今回の健康保険法改正案には、大学病院などの高度な医療を提供すると認められる医療機関を特定承認保険医療機関と指定をし、保険適用外の高度な医療を認め、保険医療と自由診療の併用を公認する制度の導入が組み込まれています。政府は、この制度は高度な医療はこれまで全体が自己負担であったが、高度な医療部分のみを自己負担にし、その他は保険で見るということにしたから改善だということを主張しています。しかし、私たち現場で働いている労働者側の立場から見ますと、健康保険本人十割給付の八割給付への引き下げと高度な医療保険外から外すということはセットなものだというふうに考えております。  実際に具体的な例を挙げますけれども、大学病院では、本人十割給付ということを原則にして、できるだけいろんな意味で新しい技術、治療方法を行っても十割給付立場を貫いて治療を行っております。ですから、例えば有名な俳優の石原裕次郎さんが難しい手術治療のために慶應大学病院に入院されました。それで慶應大学病院のすぐれた技術によって回復されたわけでありますけれども差額ベッド料、付添料などは別でありますが、その他のいわゆる医療費医療保険で全体がカバーされているわけであります。これも結局健康保険本人十割給付という原則が支えになっているからであります。このことについては先ほど述べましたけれども、七月二十五日に参考人として陳述された全国保険医団体連合会の会長の桐島先生が細かく証言をされたわけですから、ひとつその点についてお願いいたします。  時間が迫ってきたので、あと、省略させてもらいたいと思いますけれども、これが私たちが特に要望したい、また反対の立場であります。  最後に、ちょっと時間をいただきたいのでありますが、今回の健保法の改正案は、公的医療保険を全面的に後退させるものであるということであります。これまで述べましたけれども、今度の健康保険の改悪というのは、特に述べておきたいのは、今まで述べましたように直接国民の生活と命に大変具体的に影響がある。やはり政治というのはこのような国民の生活と命ということとの関連で物事を判断することが大変重要であるという立場であります。特に私たちはここで主張したいのは、この二月の二十五日にILOで報告書が発表されました。これは、「二十一世紀に向けて—社会保障の展開」ということで報告書がまとめられています。その中では、社会保障を経済危機、景気後退のスケープゴートにし、他の部門の公的支出及び民間計画の増大を無視することは極めて不当であるということを述べています。それで、さらに社会保障は、社会的危機により生活水準が脅やかされることはないという安心を個人、家族に与えなければならないということを強調しています。これが今日国際的な社会保障に対する共通認識だろうと私たちは思います。その意味で、このようなごく最近ILOが発表されました社会保障に対する報告書などを踏まえながら、現在の国際的な社会保障に対する認識がこのようなことであるということを踏まえて、やはり現在の健保法の改悪についてはあくまでも慎重審議の上、私たちはこれを廃案にもっていっていただきたいということを強く主張して終わりたいと思います。  以上で私の意見といたします。
  12. 石本茂

    委員長石本茂君) どうもありがとうございました。  次に、市川公述人にお願いいたします。
  13. 市川洋

    公述人(市川洋君) ただいま御紹介にあずかりました市川でございます。  実は、二年ほど前に、「日経メディカル」というお医者さんの読む雑誌がございまして、これに医療関係のオピニオンリーダーの意見、目下一番大きな問題は何であるかというのをとったことがございます。それによりますと、実は健康保険の問題はトップにはこなかったのでありまして、医師養成の問題、医学部の問題が実はトップにまいりました。先ほどからもいろいろ公述人方々の御意見にも医療の問題で最も重要な問題は、実はお医者さん側の問題、あるいは病院診療所の問題があるのではないかというふうな声もございました。確かに医療費が発生するのはやはりお医者さん側でございまして、その発生した医療費保険料あるいは国庫負担、それから患者の自己負担でどういうふうにして賄っていくかというのが本来の医療保険の問題であろうかと存じます。実を申しますと、一般的には医療の問題は実は供給側、お医者さんの側の方に非常に大きな問題があるということはほぼ共通の認識なのではないかと思うわけでございます。ここに健康保険改正案が先に出てきたわけでございますけれども、本来を言うならば、医療の供給側に関するいろんな問題の御審議の方がもっと先に進んでいなければならないのではないかというふうに考えるわけでございます。  そこで、先にちょっとそういう医療供給側のことを述べさせていただきまして、後で保険の問題に入らしていただきたいと存じます。  まず、供給側の問題で一番やらなければいけないのは、もちろん医師急増対策、医学部の問題でございますけれども、その前に、例えば健康増進対策のようなものが考えられます。健康の定義は何かと申しますと、これは御承知のように、病気にならないことだけではなくて、一定の行動能力があることというふうに一般に言われております。  ところが、最近の特に若者におきましてはモヤシっ子が大変増大いたしておりまして、体力年齢が上がっている。体力年齢というのは、これかなり理論的には問題があるそうでございますけれども、一応仮に使わしていただきますと、ある大きな健保組合におきまして十九歳以下の社員の体力年齢を測定いたしましたところが、平均四十二、三歳という数字が出まして、健保組合はびっくりして、これはいかぬということで、体力づくりを強力に推進することにしたというふうな話を聞くわけでございます。それから、よく学校保健におきまして背骨の曲がった子供がふえてきたとか、やたらしゃがむとか、それから肥満児がふえまして、これはどうも運動不足ではないか、持久力は全然だめであるというようなことがよく言われております。  実は、体力というようなもの、行動能力というようなものは、トレーニングによりアップするものでございますので、全体的な国民の健康水準を上げるということになりますと、お医者さんだけじゃなくて地域ぐるみで、できれば小学校単位で年一回ぐらいは体力テストをやるというふうな、そういうお医者さん以外のことも考えなければならぬだろう。実は、そういう体力増進をやるというようなことは、これは割と厳しい自助努力が、セルフケアと申しておりますが、自助努力が必要でございます。  よく最高の医療とは何かということが問題になりますが、最高の医療というのは、インテンシブ・ケア・ユニットと申しております非常に大きな器械で取り囲まれてやる医療、こういう医療は実は必ずしも最高の医療ではなくて、病気にかからないようにすることというのが実は最高の医療であるだろう。それで、基礎的な体力をつけまして予防をやる。それから健康診断を一年に二回ぐらいやる。そして不幸にしまして病気にかかりましたら、早期発見をして早期治療をする。要するに、手おくれ病を防止するというのが非常に重要なことであろう。そういうことのためには非常に自助努力が要るわけです。最近はよくセルフケアと申しまして、自助努力が盛んになりまして、例えば夜更かしたとかたばこ、それから塩分の過剰摂取をやめるなどということは大分普及してきたと思います。  実は、私の行っております筑波大学は茨城県でございますが、茨城県というのは秋田県と並びまして塩分摂取量が日本で最も多い県のうちの一つだそうでございます。脳卒中の発生確率もかなり高いようでございます。見ておりますと、確かにレストランの味つけは大変辛うございまして、うどんかけのおつゆが真っ茶色でございまして、非常に辛いんですね。見ていますと、その辛いおつゆを飲んでしまう人が半分ぐらいいるんですね。そういうことになりますと、これはやはり生活指導というのが必要なのではなかろうか。  成人病というのはやはり習慣病と言われておりますから、長い間の生活習慣でいろいろそういうものができ上がってくる。そうしますと、生活指導あるいは健康相談というふうなものがこれからの医療のかなり中心的な地位を占めた方がいいだろう。健康相談あるいは生活指導をするということになりますと、今までの急性疾患に対応するような医療体制じゃなくて、むしろホームドクターを中心とするような、そういう健康相談、生活指導、健康診査、予防、そういうようなことが考えられるわけであります。  それで、できればイギリスのナショナル・ヘルス・サービスのように、ホームドクターを登録制にして、そしてこの登録医によりまして、これは老人保健法に倣いまして、普通の健保で実はそういう健康相談あるいはそういう生活指導のようなものができないかどうか。これは大いに研究する必要があるんではないか。私、今豊島区に住んでおりますが、豊島区におきましては、成人病健診を地元開業医でやっております。そういうものを地域医療の核にしたい、そういうふうにいたしまして手おくれ病を防止する。それから、病気でなくてもお医者さんのところに行くというふうなことを考える必要があるだろう。本人の自己負担がありますと、受診率が下がるんではないかという話もございますが、それは自己負担をなしにするということだけじゃなくて、やはり積極的にそういう健診を年に二回ぐらいやるというふうなことによって、もう少し積極的に早期発見に努めるということも考えられるのではなかろうか。  それから、本人につきましては、お金負担ももちろんあり得ると思いますが、お金負担よりも、実は時間コストがかなりありまして、ちょっと大きい病院に行きますと大体半日がかりでございます。風邪引き、腹痛でも半日がかりになります。時間コストというのが非常に大きいわけですけれども、この時間コストにつきましては、これはやはり大きな大学病院に風邪引き、腹痛の患者さんがどんどん押しかけるという方が実は大変問題でございまして、それは実は間違いであろう。患者教育も必要でありましょうけれども、むしろ、そういう大病院にはホームドクターの紹介を持って行くというふうな、ヨーロッパ諸国のようなやり方にした方が本当はいいのではなかろうか。むやみと大病院に押しかけないで、日ごろその患者を診づけておりますホームドクターに健康管理をお願いした方がいいのではないか、そういうことも考えられると思うわけでございます。  それから、先ほど申し上げました医者の養成でございます。これは一番大きな問題だと思いますが、まずお医者さんの養成は、附属病院コストを含めまして大体学生一人当たり一年に六百万円ぐらいかかるかと存じます。したがいまして、医学部を留年しないで六年で出ましたと仮定しまして、大体三千六百万円ぐらいかかるんではなかろうかと思います。実は、そんなに学生一人当たり三千六百万円かけまして、卒業してはみたけどお医者さんが余っているというのでは、これは大変困ることでございます。  医学部の入学定員を調べてみますと、昭和三十五年が医学部が二千八百四十人でございます。そのとき歯の方が六百九十人。それが昭和四十年三千五百六十人、歯学部の方が千百四十人。途中飛ばしまして、昭和五十六年で落ちつきまして、これから先はふえておりません。昭和五十六年には実は八千三百四十人、歯の方が三千三百六十人になりました。ここまでふえますと、これに医学部に入った人間がどこまで出るか、卒業する確率ですね、卒業する確率を掛けまして、それに医師国家試験に合格する確率を掛けまして、医者になってそれが毎年年齢別の死亡率をこう掛けて足していけば、割と簡単な算術の計算で医師数が出てくるわけです。どうしてこれストップかけないでこんなに医学部をふやしてしまったのか、よくわからないわけでございます。実は必要医師数の恐らく倍ぐらいいると思います。  それでは、これ一体どうなるんだろうと考えてみますと、実は、お医者さんの数がふえただけではなくて、お医者さんの卵になるべき人の質の方がはるかに問題がある。実は受験産業で共通一次目標値とか偏差値とかいうのが出ております。日本の一番大きな受験産業の数字をちょっと御紹介申し上げますと、東大の医学部と京都大学の医学部の目標値が何と九百でございます。東京医科歯科大と九州医学部が八百九十。ずっといきまして、ほかの学部が出てくるのは、東北大の医学部、東大の法学部、京都の法学部、これが八百七十でございます。そもそも共通一次で九百も取るような、そんな頭のいい人はちょっと普通の人じゃないかもしれない。まともとは言えないんではないか。  さらに非常に問題であるのは、例えば教育学部ですね。では、教育学部の共通一次の目標値はどのぐらいになっておるかと申しますと、私の見ました資料によりますと、八百を超えているところはございません。一番高いところで七百六、七十だったと記憶します。本当は、やはり頭のいい人はお医者さんだけじゃなくて、いろんなところに行くのがまともでございます。実はこれは、その学生がお医者さんに向いているか向いていないかなんということは関係なくて、とにかく東大の医学部というのは九百ぐらいないと入れないんだ、最難関である、そんなら挑戦しようということで、最難関であるという理由で挑戦する学生が出てくるわけです。これを我々は受験オリンピックというふうに呼んでおります。医学部が受験エリートの集まりになるわけです。まあ最近は医師過剰が言われまして、ややまとも化しつつありますけれども。  一体それではどんな医者ができるのであろうかと申しますと、ここでちょっと柳原病院のお医者さんをしておられまして医事評論家でもある川上武先生のお話を御紹介申し上げます。現在は医師の黄金時代である。医学生の中には高所得に引かれて医学部に入った者もいる。エリート医師や金権医師が出現して、医学生の中には医学生になることによって他の人とは違った人間であるような気持ちになる者もいる。青年医師が非常に特権化してくる。医師への道の選択は、医学研究、医療への人間的な関心というよりは、医者になれば社会的、経済的地位が高いという、そういうことがこの選択基準になってくるから、ひどく営利と結合しやすい。そういうことを考えると、これから出てくる医師は非常に特権化が進む。まあそういうふうなことを言われております。大変危険な状態でございまして、したがいまして、これは健康保険の方の審議も重要でございますけれども、ぜひともひとつこの医師養成の方も御審議を願いたいと、こういうわけでございます。  それから、ちょっと申し忘れました。例えば医学部が普通の学科とどのぐらい違っているかと申しますと、普通の学科では浪人二年以上というのは実は一〇%いないんですよ、受験者で。医学部は、四浪ですね。まあ四浪もしたら大抵入るか、四浪もしてだめなやつはどうせだめだと思うんですけれども、四浪以上が実は一〇%を超えていますね。  それで、今度は保険の話になりますが、確かに保険に偏りまして、医療の供給側の話が少しおくれておりますが、まあ一割負担ぐらいはやむを得ないのではなかろうか。しかし、先ほどからいろいろお話が出ておりますように、一割負担で当面やってみまして、受診率の動向等をよく見まして、供給側の対策の方をもう少し促進いたしまして、そして二割負担にするかどうかはもうちょっと検討してもいいのではないか。例えば、入院と外来で若干差をつけて、平均をとれば二割というようなことも考えるというわけでございます。  それから、医療経済学の定理にアローの定理というのがございます。アローの定理というのは、若干の条件、これは主な条件は二つございまして、まず保険の悪用がない、つまり、乱診乱療などが起きないという条件が一つ。それから、所得の限界効用は逓減する。これは、手短に申しますと、百円玉のありがたみはうんと金持ちになればだんだん減っていく。百円玉のありがたみが減っていくというふうに御理解願えればいいのであります。もう一つ医療保険保険でございますから、すべての人はリスクを避けようとする。リスクが好きだという人はちょっと別なんですね。すべての人はリスクを避けようとする。この三つの条件がありますと、最適な医療保険は何かといいますと足切り制度でございまして、ある一定限度以下の医療費は全額自己負担。それ以上の医療費は全部十割給付というのが最適医療保険制度であるというこのアローの定理がございます。  ただ、アローの定理は、これは理想的な経済学の学問上のことでございますので、実際の自己負担を幾らにして、保険給付を幾らにするかというのは、これはいろいろ歴史的ないきさつや、いろいろ国民感情もございますので、アローの定理のようにはいかないと思います。いきませんけれども、アローの定理に忠実に考えてみるならば、医療保険の真骨頂は、実は高額療養費の方にあるということなんですね。でありますから、むしろこの高額療養費の方を少し慎重に検討する必要がある。アローの定理に忠実に考えてみますと、個人ではなくてやっぱり家族単位で考える、家族というか、生計を一にする世帯を単位にして考えるということ、それから一カ月五万一千円でございますか、一カ月五万一千円というのは、やはり暦の月で切りますと、二十五日に入院して、翌一カ月ばっちり入院して、また次の月の十日ごろに退院するということになりますと三カ月に当たるわけでありまして、足かけ三カ月になって非常に不利になりますので、これをひとつ三十日というふうな、そういう線で考えた方がむしろアローの保険定理に忠実になるんではないか。この辺はもう少しきめ細かく御審議いただきたいということでございます。  以上でございます。
  14. 石本茂

    委員長石本茂君) どうもありがとうございました。  以上で公述人各位の御意見の陳述は終わりました。  午後一時十分再開することとし、これにて休憩いたします。    午後零時七分休憩      —————・—————    午後一時十二分開会
  15. 石本茂

    委員長石本茂君) ただいまから社会労働委員会公聴会を再開いたします。  これより健康保険法等の一部を改正する法律案について、公述人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  16. 糸久八重子

    糸久八重子君 小西公述人にお伺いをいたします。幾つかまとめて質問させていただきます。  あなたは、埼玉の富士見病院被害者同盟の代表としていらっしゃっておりますので、富士見病院問題の中で幾つかお伺いをさせていただきたいと思います。  まず最初に、富士見産婦人科病院問題は、大変私たちの心胆を寒からしむる事件でございました。問題の発覚から四年を経過をしておるわけですけれども、現在病院の責任者は医師法やそれから保助看法違反に問われて裁判が進行中である、そして保険関係では保険医療機関の取り消しとか、それから健保医登録の取り消しとか、それから保険診療の不正請求についての返済が行われている、そういう形で、一応鎮静化した形にはなっておるわけですけれども、あなたを代表とした被害者同盟があり、そして市役所の一画に被害者同盟の事務所を設けて活動していらっしゃるということをお伺いいたしました。あなた方はなぜ被害者なのか、そしてどのような被害者なのかをお教えいただきたいと思います。これが一つでございます。  それから次なんですが、富士見病院の問題は乱診乱療の最たるものと言われているわけですが、御報告の中にも一部ありましたけれども、御報告の例は、不妊の原因の卵巣整形という例でお挙げになりましたけれども富士見病院では臓器、特に子宮全摘という例が非常に多かったわけですが、この場合に一体どのくらいの医療費が支払われていたのか、そしてまたどのような名目で請求をされていたのか、その辺のところをお教えいただきたいと思います。  とりあえずその二点についてお願いいたします。
  17. 小西熱子

    公述人小西熱子君) お答えいたします。  私たち被害は、医療内容とそれから医療費と、大きく二つに分かれると思います。  まず、医療内容の方からなんですけれども、必要がないのに子宮や卵巣手術をされたということが主な点です。その手術の中でも大きく分けて二つありまして、富士見病院に行った時点でたまたま子供が一人もいなかった女性に対しては、あなたは子宮、卵巣病気だから、子供を将来持とうと思っても、今手術をしておかないと子供は持てないよというような説得の仕方をしまして、卵巣の一部分切除術というのを行っております。これが先ほど申し上げました卵巣整形手術富士見病院で呼ばれていた手術です。ところが、医学的にはこのような名前は存在しないということです。それからもう一つは、富士見病院に診察に行った時点でたまたま子供が一人でも二人でもいた女性なんですけれども、こういう人は子宮とそれから両方の卵巣を摘出されております。この傾向ははっきりとあらわれています。  それから、医療費についてですけれども、これは医療費被害としては、先ほどとちょっと重複いたしますけれども、もともと払う必要のない医療費を払ったということが一番の被害だと考えております。  それから、卵巣整形以外、全摘出手術の料金についてですけれども、これは大体五十万から百万ぐらいの間です。人によって違います。  名目としましては、先ほどの卵巣整形と同じように私費請求の部分が圧倒的に多くなっています。これは証拠保全手続カルテコピーを手に入れることができまして、たまたま何を使って幾ら請求したかという明細がカルテに張りつけてありまして、その明細票がある人はすべてこの不正がされておりました。  以上です。
  18. 糸久八重子

    糸久八重子君 今の医療費の問題ですけれども、もう少し詳しくお話しいただけますか。いわゆる不正請求と言われている部分について。
  19. 小西熱子

    公述人小西熱子君) 不正請求の中では、一つはまず私費請求の問題と、それからもう一つは無資格者がした検査、これは超音波断層装置検査なんですけれども、無資格者がして、医者でも検査技師でもないわけですから本来医療行為とは言いがたいんですけれども、これについても保険請求しておりました。  それから、人間ドックというような制度がありまして、私たちに、何ですか、友の会という患者の組織の会員になれば非常に安く人間ドックが受けられるというふれ込みだったんですけれども、それについても診療したような体裁を整えて人間ドックの分についても保険請求していたということがあるようです。  それから、あとは私費請求の分ですけれども、これは投薬、注射処置、それから手術の材料、検査、このような項目に広くわたっております。  それから、ひどいのは、退院診察といいまして、退院する前の日あるいはその当日に無資格の経営者の理事長のところに私たちが呼ばれましてちょっとお話しをするわけです、お金のことも含めて。最後の退院の前のお話しをちょっと十五分か二十分程度するのですけれども、それについても退院診察料というわけのわからない診察料を取っておりました。
  20. 糸久八重子

    糸久八重子君 富士見病院の問題につきましては、事件の発覚一年ほど前から市役所とか保健所にいろいろ通告があったやに伺っておるわけですけれども、このような患者の訴えについて所沢市とかそれから埼玉県ではどのような対応をなさったのか。また、全般的に被害者同盟に対して行政の対応についてはどうであったのかということ。  それから、もう一つ加えてお伺いしますけれども、臓器摘出によって生ずる後遺症その他で現在苦しんでいらっしゃる方があるということもお伺いしておるわけですけれども、その現状についてはどうなのでしょうか。  この二点についてお伺いいたします。
  21. 小西熱子

    公述人小西熱子君) まず、事件発覚前の被害届につきましては、全く追跡調査がされておりませんで、これは申告を受けつけたままでストップしてしまっております。  それから事件発覚後の被害申告ですけれども、これは全部で埼玉県に千百三十八件今届けられているわけなんですけれども、これの方も、被害者は県に対していろいろな内容をお話ししているんですけれども、それが県の方から、総括としてそのまとめがまだ出ておりません。それで、事実上埼玉県の県庁の中にはあるというような状態で、私たちとしては、その被害届を何とか追跡調査をしていただいて、行政として事実はどうだったのかというあたりを確かめていただきたいというふうに今まで要望してきていますが、行政として、私たちの申告内容を確認するという作業を怠っているのが実情です。  それから、手術によっての体の調子ですけれども卵巣という女性にとって非常に大切なホルモンを出しますところを両方すっかりなくしてしまったわけで、このために非常に体の調子を狂わせている人たちが多いということが現状です。例えば、肩凝りとか目まいとかいらいら、それから汗をたくさんかいたり、そういう更年期障害に似た症状が出てきて苦しんでいるわけです。しかも、それが二十代とか三十代という非常に若い、最もホルモンの活発な年代の人たちが、ある日ふっと両方の卵巣をなくしてしまったものですから、その衝撃が大きくて、後遺症、その症状に苦しんでいます。そして、それは単に痛いとか苦しいとかということだけではなくて、性生活の方にも非常に影響を及ぼしておりまして、その辺が一番被害者にとっては、表にもあらわれないし、人にも話せない悩みになっています。そのために離婚に至るというケースも多くて、医療被害というものが、富士見病院の場合はそのときだけのものではなくて、その人の一生を狂わせてしまうような被害となっております。  これに対して、やはり行政に後遺症の調査それから救済措置ということでお願いしているんですけれども、これは病院とあなた方の間の問題だと、そういうことで、いまだに手がつけられていないのが現状です。
  22. 糸久八重子

    糸久八重子君 富士見病院はとかくうわさのあった病院と聞いているわけですけれども、どうしてあなたは富士見病院を選んでその病院の門をたたいたのでしょうか。  それともう一つ、あなた方被害者同盟は傷害罪で告訴をし、また、現在は、民事の問題として裁判が続行中だと伺っておるわけですけれども、この主たる理由等について御説明をいただきたいのですが。
  23. 小西熱子

    公述人小西熱子君) お答えいたします。  なぜ富士見に行ったかということですが、これは病院ですから、それなりの理由が私たちにもあったわけです。ただ産婦人科であるということで、不妊とかそれから妊娠、それからがん検診というような理由で行った人もたくさんいます。それとあとは、婦人科の病気を疑わせるようなちょっとした症状があったのでそれを確かめに行ったという、こういうふうな状態なんです。  そして、では、なぜあんな病院を選んだかとよく聞かれるんですけれども、とにかく所沢では一番大きな私立の産婦人科病院ですし、所沢というところが非常に東京に近いためにベッドタウンでして、十年に人口が倍になっているんです。私自身もそうですけれども、非常に人口の流入が激しくて、新しい住民が多いわけなんです。それで、被害者は、圧倒的に移り住んできた新しい住民に多発しているわけです。古くからいた住民は、あの病院は高過ぎるとか、すぐ切るとか、そういう評判があったらしいんですけれども、新しい住民にはそういう情報は全くうわさとしても耳に入らなかったわけです。  一方、富士見病院が故意につくった、富士見病院はいいんだという宣伝も片や行き届いていたわけです。例えば、新聞のなかにチラシを入れたり、それから自分のところで自費出版していた雑誌なんですけれども、ちょっと見るとどこかの医学雑誌で、先端医療を行く富士見病院の特集であるかのようなそういった雑誌を配布していたり、それから、徹底して超音波断層装置の宣伝を来る患者来る患者にしていたものですから、あの病院に行くとすごい器械がある、いい病院よ、設備のいい病院よ、お医者さんも四人もいるのよというような、いいんだという病院側でつくられた宣伝も流れていたのが事実で、この宣伝を聞いて行ってしまった人もたくさんいるわけです。それからあとは、そういう両方のうわさも全然耳に入らないまま産婦人科に行く理由ができた人は、じゃ、どこに行こうかしらといったときに、やはり建物が立派だし、所沢の中央に位置した本当に大きな病院だということで、あそこだったら間違いはないんではないかということで行ってしまったわけです。  それで、なぜ告訴したり、民事裁判を起こしたりしているかということなんですけれども、警察が当初北野理事長を逮捕しまして、その後、北野千賀子院長も書類送検されたんですけれども、いずれもその罪状というのが、無資格の人が検査していたかどうか、そして診断していたかどうかという点に絞られているわけなんです。私たちがはっきりさせてもらいたいのは、もう一歩踏み込んで、手術の内容がどうだったのかというところをはっきりさせてもらいたいわけなんです。ところが、それが思うようにはかどらなかったわけで、私たちは、手もとに非常に手術の妥当性を疑う材料ばかりそろったものですから、それを根拠に傷害罪で告訴したわけです。  例えば、富士見病院では、あなたの子宮と卵巣はこんなだったよということで机の上に並べて家族に摘出物の写真を見せていたんですけれども、中にはその摘出物の写真をもらってきていた家族がおりまして、事件が発覚してからその写真を持って近くの防衛医大病院であるとかいろいろな病院被害者が押しかけたわけですけれども、その写真そのものの鑑定は、写真に写っている限りでは全く病変がないというものがたくさんあったわけです。しかも、私たちと同じような病名を告げられて、すぐ手術しないと命にかかわると言われたんだけれども、たまたま御近所の奥さんの忠告とか何かきっかけがあって、もう一軒病院をかえて診てもらったところ、全く何でもないということがわかりまして被害を免れたという人がたくさんいたわゆです。それは私たちが知っているだけでも二百名を超えているわけなんですね。  それと、手術名も、とにかく卵巣嚢腫と子宮筋腫というのが全員全部につけられた病名でして、その診断の根拠となったのは、医師の資格を持たない北野理事長がやった超音波断層装置だったわけです。とにかく、初診で行ったのにすぐ超音波断層装置にかけられまして、そして子宮筋腫だ、卵巣嚢腫だということなんです。ところが、後でカルテを見てみたら、その根拠となっているはずの超音波断層装置の写真というのがまるで判別できないでたらめなもので、しかも、膀胱充満法と言って、膀胱におしっこをためるためにかなり我慢をさせられて、膀胱をいっぱいにした上で振らなければならない写真を、あそこではどんどんトイレに行かせてしまって、全く誤った検査方法で行っていたわけです。その誤った検査方法で行った判別のできない写真が最大の根拠とされていたわけで、これはもうきちんと明らかにしてもらいたいということで私たちは傷害罪で告訴をしました。民事裁判でも同じような趣旨で提訴をしたわけです。  ところが、傷害罪の方は今不起訴処分にされています。不起訴処分になると裁判にならないんですけれども、その処分の理由というのが、医者が必要な検査をして手術が必要だと判断したんだから、たとえその結果がどうであれ、手術をして開腹をしようと、した時点ではそこに医者の判断があったのだから、だからそれは医師の裁量権だということで、私たちからすると非常に医師の裁量権を無限に認めたような形での結論が出されてしまったわけなんですね。それで、その不起訴になった人たちの中には、臓器そのものがたまたま残っていて、それを警察が鑑定して、全く病変がなくて手術の必要がないということで、それを根拠に警察独自で傷害罪で送った分もあるんですけれども、それまで今のような理由で不起訴処分にされてしまったわけです。それで、私たちは、民事裁判も富士見病院の傷害行為というか、必要のない手術をされたということをはっきりさせるために今争っているわけです。
  24. 糸久八重子

    糸久八重子君 あなた方に代表されるような医療被害とか、それからその他現在では各種の医療被害が起こっているわけですけれども、そういう医療被害が起こらないように未然に防止をしていかなければいけませんけれども患者立場として、お医者さんに対してどのような注文をしたらいいのか、また、注文をなさりたいのでしょうね。その辺をお話しいただきたいのですが。
  25. 小西熱子

    公述人小西熱子君) お医者さんに対してということですね。
  26. 糸久八重子

    糸久八重子君 はい。
  27. 小西熱子

    公述人小西熱子君) とにかく、私たちの言うことに耳を傾けていただいて事実を知っていただきたいということが最初にあります。  そして、この事件は特にお医者さんの協力があればかなり明らかになる部分を持った事件だったわけです。で、私たちは、日本母性保護医協会であるとか日本産婦人科学会であるとか、産婦人科医の集まりである団体に協力要請を何度もしてきたわけです。とにかく、医療行為そのものが正しかったかどうかということですから、その判断は産婦人科医にしかできないということで、そういう部分でぜひ協力をしてもらいたいということだったんですけれども、これについてはもう全く協力してもらえないわけなんです。  何ですか、私たちの方から見ると、同じ医師仲間から出した不祥事については余りさわりたくないというような態度が見えるんですけれども患者立場からしますと、明らかに悪い医師をかばわれてしまうと、何か、どこかに悪い医師がまだまだ隠れているんじゃないか、どういうふうにしたら探せるのかと、もう不信感は限りなく募っていくわけなんですね。同じ医者仲間は、私たちから見るより、外から見るより、正しくない医療をしているかどうかということについては一番よくわかるはずだと思いますので、その辺を、同じ仲間の中のこととはいえ、間違ったことをした人はきちんと中で正していただくというようなことをしていただきますと、大変私たちも助かると思うんですけれども、それがそういう考え方をなかなかしてくれなくて、協力も得られないわけなんです。ですから、とにかくそういうできる協力をまずしていただきたいというふうに思いますけれども
  28. 糸久八重子

    糸久八重子君 小西公述人、ありがとうございました。  私の質問の最後に市川公述人にお伺いしたいと思います。  お話の中にも、これからの医療の内容についてどのようにしなければならないかというお話がいろいろあったわけですが、先生といたしまして、社会工学的な立場から、今富士見病院の問題がいろいろ出ましたけれども、そういう医療内容の適否をチェックする方法にはどんな方法があるとお考えでございましょうか。
  29. 市川洋

    公述人(市川洋君) 大変難しい問題でありまして、ただこれはアメリカの例を聞きますと、アメリカでは、いろんな症例を大勢のお医者さんがかなり厳しくお互いに検討し合うということがあるやに聞いております。したがいまして、一つの例につきましてお医者仲間で数人以上の、三人以上のお医者さんでどんどんいろんな診療内容についての検討などを行うような例が、そういうことがアメリカ並みに普及すればいいんではなかろうか。ただ私は、アメリカ医療を余り存じておりませんので、その辺ちょっと何とも的確にはお答えできないかと思いますが、そういうことでございます。
  30. 糸久八重子

    糸久八重子君 ありがとうございました。
  31. 浜本万三

    ○浜本万三君 大変参考になる御意見を伺ったわけですが、二、三の公述人の方に質問をさしていただきたいと思います。  まず最初に、江見公述人にお伺いをいたしたいと思います。  先生は、諸外国の医療制度について大変詳しく御承知をいただいておるということを伺ったわけでございますが、先ほど小西公述人からもお話しがございましたんですが、患者人権を尊重する必要がある、そこで初めて医師患者信頼関係が生まれるんだというお話がございました。  そこで、諸外国の例について伺うわけなんでございますが、例えば、お話しになったフランス病人憲章でありますとか、アメリカ患者権利章典というようなものがあるということを伺ったんでございますが、それを含めまして、諸外国に、これに類似するような立派な制度がありますかどうか、ありましたならばお話しをいただきたいと思います。
  32. 江見康一

    公述人江見康一君) 今の御質問、諸外国の医療制度について詳しいのではないかという私への期待の御発言であったと思いますけれども、私、余り諸外国のことはよく存じませんで、ただいま小西公述人の方からおっしゃいましたあの二例などは、一般的な意味で、そういうものがあって、日本よりもそういう点では人権意識が強い。フランスなどは、いわゆるフランス革命以来、人権問題については非常に過敏な国でございますので、そういうような伝統、あるいはまた、アメリカのいわゆる独立宣言以来の伝統、そういったことで医療の場にもそういうものが適用されているのであろうと、こういうふうに考えるわけでございます。  あと、個々の国について、どの国にそういう権利章典があるかということについては、詳しくは存じません。しかし、そのような世界の流れの中で、日本についてもそのような立場から、この患者権利を守るムードができることが望ましいというふうに思います。
  33. 浜本万三

    ○浜本万三君 日本の場合に置きかえて、さらにお考えを伺いたいと思うんでございますが、日本の場合に、よく医療費適正化でございますとか、その前提となる医の倫理でありますとか、そういうお話があるわけなんでございますが、日本に、今お話しになったような患者権利章典というものを導入しようといたしました場合に、容易に可能でございましょうか。可能でないとすれば、日本の場合にはどういう障害が考えられるでございましょうか。そういう点について伺いたいと思います。
  34. 江見康一

    公述人江見康一君) 今までは、やはり日本人には権利意識というものが弱かったと思うんですね、伝統的に。例えば社会保障などにつきましても、戦前の社会保障というのは恩恵としての社会保障、上から与えられる、仁恵として施される社会保障であるという考え方でずっと来たわけです。戦後新憲法ができて、社会保障制度審議会ができ、社会保障制度の理念というものができましてから、権利としての社会保障という方向に行ったと思います。したがって、歴史的にその権利意識というものがまだ弱かったというふうに考えられます。したがいまして、日本にそのような考え方を導入するにつきましては、時間をかけて患者の教育、あるいはまた学校教育のときからそういう考え方がだんだん植えつけられるようにしなければならないと思います。  それから、やはり医療の問題は非常に特殊、専門の技術を持った方が長年の経験、訓練に基づきまして医療サービスを施しますので、あるいはまた、午前中から出ております医学、医薬についての情報医師側の方が持っておりまして、そこに情報落差というものがございますから、患者医者を信頼して、そしてお任せする、こういう形で来ておるわけです。むしろその方が日本的な純風美俗と申しますか、医師患者との人間関係ということで来ておるわけでございます。したがいまして、いろいろそうでないことが起こりますと、それに対する対応の仕方というものがまだ十分できていないというふうに思いますので、これをいきなり今すぐにそういう形に持っていくというには時間がかかるのではなかろうかというふうに思います。
  35. 浜本万三

    ○浜本万三君 話題を変えましてお尋ねをいたしたいと思います。  先ほど、皆保険になれば給付の均等が要求されるであろう、その際、受益を考慮した適正負担はすべきであるという意味で、今回の改正案に対する賛成の御意思の一つの理由にされておるわけでございますが、これに関することについて伺いたいと思います。  これは、政府の方といたしましても中長期の計画の中で国民社会保障の負担等についての一定の目安も発表されておるようでございますが、健康保険法の場合を考えてみますと、大体従来患者負担が一割、国庫負担が三割ないし三割五分というところで推移してまいったというふうに思うわけでございます。今回の改正案は、そういう国の負担分を削減をしていくという考え方が前提にございまして、患者負担が逆にふえておるという事情になっておると私は思うわけでございます。  そこでお伺いをいたしたいのは、国民医療負担の限界を一体どの辺にお考えになっていらっしゃるであろうかということが一つと、それから国庫負担について全然負担しないような、例えば退職者医療制度というようなものが今度生まれるわけなんでございますが、国庫負担についてだんだん削減をしていくという考え方についてどのような御見解をお持ちか、お伺いをいたしたいと思います。
  36. 江見康一

    公述人江見康一君) 社会保障、あるいはまた医療保障というものを考える場合に、租税負担でやるか保険料でやるかという二つの選択があると思います。それで、公的扶助あるいはまた社会福祉などのような問題は当然これは公費負担でやらなければならない性質の保障であると思います。医療保険を含む社会保険というのは、一般の国民がお互いに相互扶助というふうな形で制度を支えていく、こういう建前でございますので、保険料でやる、賄うというのが原則だろうと思います。ただ、やはり制度を運営する上で社会保険は強制加入になっておりますから、最終的には国の責任に帰着する部分があるわけでございますので、制度運営上必要な事務費であるとか、あるいは制度が当初導入されてそれが定着するまでの間の経過的な費用であるとか、あるいは特に制度運営上政府が見なければならない特定の分野であるとか、そういうものについては当然租税を導入しなければならないと思います。  問題は、今回の健保法の改正は国民健康保険という問題がこれからの高齢化社会に従いまして一番たくさん老人を抱える保険でございますので、その分の制度を強化するといったようなことで、かつて老人保健法というものができ、そこでの財政調整ということを通じて保険制度間の所得のある意味での再分配ということが考えられたと思いますが、今回の問題も、退職者医療というような形で現役のサラリーマンの方とそれから退職後国民健康保険に入っていかれる方々、サラリーマンOBとの間で所得の再分配をしようというようなねらいから健康保険給付率の節約した分を退職者医療に回そう、こういうようなことだと思いますので、限られた医療資源をできるだけ効率的に使おうと、こういう趣旨ということで、私は今度の案を前向きに評価したわけでございます。  ただいまの御質問で、国民医療費の限界というお話でございました。これはやはり国際的に見る必要があるのではないかと思いますが、現在の日本の六十五歳以上の老年人口の比率は、ことしじゅうに一〇%になると思います。それが二十一世紀に転換する年である二〇〇〇年には一五・六%になる。今、西ドイツがほぼ日本の二〇〇〇年の比率と同じだと思いますが、したがって、ヨーロッパ諸国が大体国民所得に対する比率が一〇%を超えているわけでございますので、日本もだんだんこの一〇%に近づいていくであろう。しかし、福祉財政は医療だけではなく年金もございますし、あるいはそのほか社会福祉等々たくさんございますので、すべてを医療の方に割くということが難しいということでございますが、大体二〇〇〇年ごろには今のままでいきますと七、八%になるだろう。八%ぐらいになるのではないかと思います。したがいまして、やはりその辺が限度ではなかろうかというふうに考えるわけでございます。  それから、国庫負担の問題につきましては、さっき申しましたように、国庫負担というものを注入する基本的な理由は何かということを考えまして、保険料でやった方がいい部分と、それからここはどうしても租税負担でなければならないという部分と、両方あると思うわけでございます。国庫負担あるいは租税というものは、あくまでもナショナルミニマムというものとの関係で、それに足らざる部分を、あるいはそれに向けてその国庫負担というものが補完するという形になるわけであって、国民保険という以上は保険料というものを中心にして考えるのが筋ではなかろうか、このように考えます。
  37. 浜本万三

    ○浜本万三君 どうもありがとうございました。  次は市川公述人に伺いたいと思います。時間の関係がございますので、二つ続けて質問をさせていただきたいと思います。よろしくお願いします。  まず第一は、厚生省は、今回の改正に当たりまして、健保本人給付を下げても受診を抑制するということはないんだということを申しておるわけでございますが、その点についてはいかにお考えでございましょうか。  それから第二番目は、医薬品や高度医療機器に対する公的コントロールについてどういう御意見をお持ちであるか。この二つの点につきましてお尋ねをさしていただきたいと思います。
  38. 市川洋

    公述人(市川洋君) 健保本人の一部負担が受診を抑制をするかどうか、これにつきましては、いろいろ受診率を調べてみますと、確かに組合健保につきましては一部負担になる本人の方がむしろ受診率が低いわけですね。政管健保では逆でございまして、ちょっとその辺はよくわかりません。わかりませんが、先ほど私が申し上げましたように、本人に関しましては、ちょっと大きい病院に行きますと半日がかりでございます。したがいまして、確かに大学病院になりますと、受付でまず三十分ぐらいかかりまして、それからその診療科に行きましてまたさんざん待たされるわけで、そっちの方が大きいのではなかろうかと思った次第でございます。ただ、受診率が下がるかどうかということは、今ここではお答えするデータがまだ不十分と存じます。  それから、公的コントロールにつきましては、これから非常に高額な医療機器が多分できてくると思います。できてくると思いますので、最近はかなりいろんな器械が大型になりつつありますので、これはむしろ医療法なりあるいは地域医療計画の方で十分ひとつこれは配慮する必要があるのではないか。ですから、むしろこれは別な法律の地域医療計画なりそちらの方でかなりうまくやりませんと、だんだん医療機器が高額になりますので、このコントロールは公的にはぜひ必要だと思っております。  以上でございます。
  39. 浜本万三

    ○浜本万三君 もう少し時間がございますから、木村公述人に同じような質問を申し上げるんですが、後段の、医薬品や高度医療機器に対する公的コントロールについて、御経験上どんな御見解をお持ちでしょうか、お尋ねいたしたいと思います。
  40. 木村繁

    公述人(木村繁君) お答えいたします。  医療機器につきましては、今市川先生がおっしゃったように、非常に高額なものが出てきた場合には、当然その地域の医療計画を策定する中できちんとやっていかなければならないと思います。  それから医薬品でございますが、実は医薬品というのは果たして医療の中における技術の部分に入れるべきものなのか、あるいは完全に物という考え方でいくものであるかという問題に入ると思うんです。日本の従来の医薬品に対する歴史的な背景からいきますと、薬というのも技術の中なんだという患者の方の受けとめ方がすごく多いわけでございます。こういう場合に、メーカーの方は非常に企業化されておりまして、新しい薬をつくるためにはどれだけの投資をして、どこでどういう利益を生じなければいけないかという計算までしてやってきているわけでございまして、公的なコントロールといいますか、厚生省の業務局の裁量のとり方によりましては非常に国民の知らないところでいろんなことが行われる可能性がある。私は、先ほど江見先生も学校教育の中でということをおっしゃったわけでございますが、薬というものがどんなものであるかということをもっと学校教育、あるいは社会教育の中でよく皆さんが承知をしていただくということをやることがまず第一。それが行われた暁にそういう公的なコントロールという問題も出てくるのではないかというぐあいに考えております。  以上でございます。
  41. 浜本万三

    ○浜本万三君 時間が参りました。ありがとうございました。
  42. 佐々木満

    ○佐々木満君 まず小西さんから御見解を伺いたいわけでありますが、今もお話しがございました医療信頼関係でございますけれども、私は、医療とか教育というのは、やはりお医者さんと患者さん、あるいは先生と生徒、こういう間の信頼関係がなければどんなことをやってもこれは意味がない、また効果も上がらない、私はそういうふうに見ているわけでありますけれども、そういう信頼関係の中で、御経験を通されまして、患者権利の確立ということを諸外国の例を挙げてお話しになられたわけでありますが、この患者権利の確立ということももちろんこれは必要だと思いますが、それだけでもってこの信頼関係というものを回復なり確立することが可能かどうか。私どももなかなか名案が浮かばないわけでございますが、患者権利の確立ということは当然なこととして、そのほかに医療信頼関係を回復するための御提言がございましたらお聞かせを願いたいと思っております。  それから、同じことでございますけれども、宇和川さんにお聞かせを願いたいんですが、宇和川公述人は、皆さん医療の第一線の現場で働いていらっしゃるわけでありますけれども、やっぱり現在医療について信頼関係が失われているというふうにお思いなのかどうか。もしそういうことであれば、その信頼関係を回復し、確立するというための具体的方策は何であるとお考えなのか、御見解をお聞かせを願いたいと思います。  それから江見公述人でございますが、今回の健康保険法改正案というのは、これからの高齢化社会の中における医療保険のビジョン、目標、それへ向けての第一歩である、給付率をそろえるためのワンステップだと、こういう御認識のように伺ったわけでございますけれども厚生省はいつの日か、できるだけ早くということでありましょうが、八割給付ということでこれを統一したい、こういうふうに考えておるわけでありますけれども、この八割給付というものについて、先生はさっき一割負担でもって推移を見ながらとおっしゃいましたけれども、最終的な八割給付、ほぼ八割給付、これについてどうお考えがお聞かせを願いたいと思います。  それから木村さんには、医薬分業、これは都道府県によって状態が違うようでございますけれども、医薬分業を進めるための具体的な御提案、いろいろPRの問題等にもお触れでございますけれども、どうやったら我が日本で医薬分業が進むのかということについて御意見をお聞かせを願いたいと思います。  それから市川さんにお聞かせを願いたいわけでありますけれども医師の養成計画についてお触れでございましたが、確かに一年間で医大を八千三百名ですか卒業なさる、やがてお医者さんの数も大変ふえてくる、過剰時代が来るんじゃないかと、こう言われておりますが、これをどうするか大変問題でありましょうけれども、さっき先生が、茨城県と秋田県が一番塩分のとり方が多いというお話でございますが、私は実はその秋田県の者でありますが、私の方へ参りますと、僻地はもちろんでありますが、僻地でなくとも県庁所在地を除いてはお医者さんが足らなくて大変困っておるわけであります。私の県でも医学部を十年ほど前につくってもらいましたけれども、これは県民の立場からしますと、全国的な規模でお医者さんをふやすということもさることながら、地元に医科大学があれば何人かは地元へ定着してくれるのではないか、こういう願いを県民は皆持っているわけでございます。そういう医師の養成計画の中で僻地と申しますか、地方都市と申しますか、要するに全国的な、地域的な適正な配置、これがどうやったら可能になるのか、この点について御見解をお聞かせを願いたいと思います。  以上でございます。
  43. 小西熱子

    公述人小西熱子君) お答えいたします。  医者患者信頼関係ということですけれども、私たちももちろんそれは大切だということはわかっておりますし、それから医者を信頼したいわけなんです。富士見産婦人科病院に行った時点では、本当に心の底から信頼していたわけです。信頼していなかったら手術などはとてもじゃないけれども任せられないわけで、その信頼を見事に裏切られた立場としましては、単に盲目的に信頼をするということがいかに不安定なことかというのが痛切に感じられるわけなんです。  結局、今一番問題なのはやはり出来高払いの健康保険制度のような気がするんですね。医師の側も良心的にやろうと思っても、どこを見渡しても、何というんですか、同じ薬でも高い方を使えばそれだけお金になるとか、それから一本の注射のところを二本打てはそれの方がもうかるということになれば、そちらに走るのはもう無理のないことだと思うんですね。これはもうすごく人間良心に傷をつけるといいますか、そういう制度のような気がするんです。医者患者も同じものを望んでいながら、この出来高払い制度が物すごく立場を敵対させているような気がしてならないんですね。だから、この出来高払い制度をまずは検討していただきたいというのがありますね。  それから、悪いことしたんじゃないかというふうに疑われる例えば富士見事件のような場合、それをしっかりと調査をして本当に悪いことをしたのかどうか、そして、したんだったらきちっとそれに見合った処分をしていただかないと、やはり患者としては全体的に不信を持たざるを得ないということがあると思うんです。ですから、私の身の回りにも本当に一生懸命なお医者さんたちはたくさんいますし、そういう一握りの悪い人たちのために全体的に患者が不信感を持ってしまうというのも非常に残念な話だと思いますので、悪いものをきちっと悪いというふうなことをしていく中で、逆に患者の信頼は深まると思うんです。処分とか、そういうことをされない人はきちんとしたことしているんだと逆に思えるわけですから。  それで、患者権利のことが出ましたけれども患者権利というのは、口で言ったり文書が飾ってあってもしようがないものなんですね。それがどういうものであるかというのは、やはり私たちの側もそれからお医者さんの側も議論を尽くして、そして自分たちの中から探し出して確立していくものだと思うんですけれども、その患者権利を本当に保障できる制度とかシステムとかというのがあって、そして患者権利が保障されて初めて患者の側の信頼も生まれる、本当の意味での信頼が生まれるんじゃないか。今はどちらかというと——どちらかではないですね、対等ではないんですよね、医師患者関係というのは。その対等でないものを補うものができて、そして対等になれたときに初めて本当の信頼関係が生まれるような気がしますけれども
  44. 宇和川邁

    公述人(宇和川邁君) 私は、やはり全体としては医療従事者というのは、医療人としてよい医療とかよい看護とか親切な対応とかということでは努力をしているというふうに思います。もちろん、さまざまな具体的にマスコミに上るような事件も起こってきているわけですから、そういう事件もある。しかし、全体としては医療従事者はやっぱり医療人としての良識とか理念のもとに努力はしようとしているんだと思います。これは信頼関係を確立する上で一つ大事な基本だというふうに思います。  それからもう一つは、今の医療の仕組みの中で、患者医療機関、あるいは医師、それから看護婦との間で矛盾が起こらざるを得ないような条件も充満しているということだと思います。そしてその状況の中でどのようにそれを解消、改善していくかといえば、一つは内部的なチェックというんですか、改革というんですか、それは例えば医療人としてさまざまな職能団体もありますし、そういう団体が団体としてそういうものにどのようにきちんと的確に対応するかという問題、それから、例えば私たち自身のような労働組合のような形で組織されている医療の中のさまざまの組織、これが医療人としての理念とか良識に沿って現状をどのようにチェックをし、あるいは自主的に改革していくか、そういう努力が一つ大事だというふうに思います。  それから同時に、今の医療サービスというのは何といっても対人サービスですから、やっぱり人間人間との関係の中でさまざまな矛盾が起こるわけであります。特に医療機関の側から言いますと、今医療機関というのは大変な人手不足であります。ですから、その親切な対応——先ほど市川先生が言われましたように、病院に行けば何時間もまず受付で待つ。それから診療は極めて簡単で、終わりには薬でまた時間がかかる。そういうような状況というのが一般化しているわけであります。ですから、そのことが一つはかなり医療不信の中で患者とそれから医療従事者との間の疎通を欠くという点で大変重要な問題になっていると思います。特に、医療の方から説明がないということが不満の筆頭になっているような現状ですから、当然その裏づけとしては人手の問題というのは大変重要だというふうに思います。  それからもう一つは、やっぱり今の医療が、国立病院を初めとして全体的に企業化せざるを得ないようなさまざまな諸条件に置かれております。一つは、民間病院に対しては公的補助がないという問題、あるいは診療報酬が今の医学医療の進歩の状態に対応していないという問題、それから、特に医療機関が人手によって賄われる、そういう対人サービスですから、その要員が、質と量が十分確保されるようなさまざまな諸条件が整っていないというようなこと、そういう問題があると思います。  ですから、それに対して医療人のさまざまな組織、あるいは私たちのような労働組合の組織というのがやっぱり患者人権あるいは国民医療という立場でその改善に向かって具体的な提言、それからその提言を実践するような運動というものを繰り広げる、その点をもっと意識的、目的的に追求する、そういう努力の中でこそ医療機関患者、それから医師患者、さまざまなそういう間で起こっている矛盾というのが解消されていくのではないかというふうに私は考えております。
  45. 江見康一

    公述人江見康一君) 国民保険精神というのは、サラリーマンだけではなくて農民、自営業、その他一般の地域住民を含めた国民全体に対して給付率をできるだけそろえていこうという理念があると思います。したがいまして、現在十割のサラリーマン、それから七割の被扶養者並びに国民健保適用者があるわけでございますから、上を下げて下を上げる、そして国民全体を平準化していく、こういう方向に進むのが自然の勢いだろうと思います。  そこで、現在の財政事情などから考えて、それで上を下げるということの方に踏み出したというふうに考えているわけでございますが、サラリーマンの数は三千百万人ぐらい、ところがその他の国民は、仮に現在の総人口が一億二千万であるといたしますというと、約八千九百万人ぐらいの方がサラリーマン以外の人数になるわけでございます。したがって、三千百万人に必要な分と、それから八千九百万の人口に対する分とは重みが、つまり財政負担として重みが違いますので、それで上げる方は、衆議院での修正の附則にございますように、いろいろ医療費の動向とか、国民負担の推移とか、財政事情等各種の検討を行って実施の時期を考えるというふうになっておるわけでございますね。したがいまして、そういうことで目下のところ八割というのがそろえる基準として考えられているのではなかろうか、このように思います。  要するにバランスの問題で、給付を充実しようと思えば租税とかそれに見合う社会保険料負担がふえるわけでございますので、給付の面とそれから負担能力の面と両方のバランスに立って、しかも二十一世紀の高齢化社会ということを考えますというと、八割というのは大体妥当な、今すぐにということではなくて、そういう方向に向かっていくという遠景に置いたレベルとしては妥当な線と見ざるを得ないのではなかろうか。もちろん今十割を九割に下げるということでさえもいろいろ問題があって、いろいろな犠牲を払わなければならないということがございますから、さらにそれが八割になるということになりますと、それに伴って九割にするときにいろいろ考えられている低所得層への配慮とか、あるいは高額療養費に対する配慮であるとか、あるいは特定疾患に対する配慮であるとかといったようないわゆる配慮がさらに必要になるということは考えておかなければならないと思います。
  46. 木村繁

    公述人(木村繁君) 医薬分業を具体的に進める方法について提案をしてみるという先生の御意見だと思いますが、先生からも御指摘いただきましたように、国民へのPRというもの、それから二番目に、現在薬価基準に収載されております収載品目の交通整理ということにつきましては、実は午前中私の陳述の中でお話しを申し上げたとおりでございます。  これは実はこの二つとも裏の問題といいますか、現在日本で医薬分業を進める一番の表からの方法というのは、医師と薬剤師が話し合いを十分しなさい、こういうことになっておるわけでございます。それで、昨年の八月だと思いますが、厚生省の中にも医薬分業推進懇談会というようなものができまして、ここで約三回ぐらいの会合が開かれたというぐあいに聞いておりますが、ただ、処方せんをお出しになりますのは医師でございます。薬剤師の方はどうしても受け身になりまして、実は薬剤師の方の、薬局側の受け入れ体制というものについては、もう既に何度も何度も調査をやっておるわけでございますね。この推進懇談会で医師側の調査をやろうという問題が出た途端に、医師会がそれはできないというようなことをおっしゃる。それで審議がそれから進まないという状況になっておるわけでございます。本年は相変わらず、薬局側の調査をやると、この懇談会では決めてやっておるわけでございます。  ですから、私は当事者だけで話をするのでなく、もちろん学識経験者という方も入っておられるわけでございますが、こういった懇談会の中にやはり患者の代表の方であるとか、国会の先生方であるとかという方を入れていただきまして、もっと広い国民の層からの御意見を吸収して医薬分業を進める具体的な方法というのを御検討いただかないと、これは実は百年にもなって医薬分業、医薬分業とお題目ばかりでございますが、こういう状態はまだこれからも続くのではないか。医薬分業は本当に必要だということは私ども薬剤師としては非常に強く感じておるわけでございますので、ぜひそういう状況になるように御努力をいただきたい、かように考えております。
  47. 市川洋

    公述人(市川洋君) 先生のおっしゃいましたように、特に秋田県、青森県、岩手県、それから特に沖縄県が非常に医師の不足で悩んでおるということをよく承知しております。特に私は、沖縄県と青森県につきましてよく勉強したことがございまして、そのときには青森県は、北里大に二人ぐらいかなり高いお金を払って学生を入れるポストを確保するとか、県の方のお医者さんをしてくれた方に対して海外留学制度をつくるとか、いろいろな涙ぐましい御努力をされたことをよく存じております。  ただ、適正な配置計画が必要だとは思うんですけれども、やはりお医者さんにとりまして、自由開業医制度を守る、計画的に、強制的に配置するというようなことはやはり余りしない方がいいんではないか。ただ、医学は日進月歩だそうでございまして、もう三年も勉強しないでいると全然変わったりすることがあるというふうに聞いております。したがいまして、お医者さんにとっても患者にとりましても、お医者さんの卒業した母校の存在というのは非常な重みがあるのではないか。バックに母校が控えていて、何かあったときはこの母校が何とかしてくれるということ。それから、一年に一回かあるいは何年に一回か、お医者さんが一つの内地留学というような格好で母校に帰って、そして新しい知識を持ってまた現場に帰っていく、これは絶対に必要であるだろう。ですから、難しい病気にかかったときは、お医者さんがすぐ患者を母校に送る、こういうシステムは、お医者さんにとりましても患者にとりましても非常に重要でありまして、そういうことをねらいまして、確かに各県に医科大学を配置することによってそれを第三次病院として中核として位置づけるというその発想は非常によかったと思います。  ただ秋田大学は、あれは昭和四十五年につくりましたときに定員八十人で、四十六年にたしか百人にしたと思います。それでずっと来ておりますが、これはやはりいずれは各県ともお医者さんがだんだんふえてくるとお困りになる時代が来るんではないか。少し早手回しに、例えば百人の定員をもうちょっと減らして考える。確かに昭和三十五年ごろは各医学部入学定員、大体六十人とか、四十人という大学もございました。したがいまして、少しこの定員を減らしてはどうだろう。ただ、そうしますと教授、助教授の定員が余るわけでございまして、そうすると非常に学生定員は削りにくいんでございますけれども、経過的には、例えば先ほど申し上げましたお医者さんの卒後教育のために普通の定員よりももうちょっと余計に採りまして、その辺緩和する措置が考えられるんではなかろうかと存じます。  それから実は僻地と申しましても、例えば徳島あたりでは、徳島市内はお医者さん通りというのがあるそうでございますけれども、ところが車で一時間ぐらいか山へ入りますと今度は無医地区になる。なかなかそれは難しい。特に沖縄県あたりですと離島がございますが、そういう離島のようなところでは、できれば巡回システムでございますね、船で何回か巡回する。それから緊急なときにはヘリコプターでお医者さんを直送をするというふうなヘリポートの施設とか、それから最近は光ファイバー・システムのようなものが非常に発達しておりますので、その離島に例えば保健婦さんを置きまして、光ファイバーのようなものでどんどん患者の状態を送りまして、お医者さんがテレビスクリーンに映った患者さんの像を見まして現地の例えば保健婦さんにいろいろ指示をするというふうな、そういうシステムも考えられなくはございませんし、現在透析の患者さんに関しましては、離島の透析患者さんに対しましてはそういうことが行われているように聞いております。  ただ、非常に難しいのはむしろ歯の方でございまして、過剰度から申しますと歯の方がはるかに過剰度が高く、かつ、歯科大学の方は非常に地域的に偏在しておりますので、非常に難しい問題で、これはやっぱりこれから慎重に審議をする必要があると存じます。  以上でございます。
  48. 中野鉄造

    ○中野鉄造君 本日は、公述人方々には、お忙しい中を一日さいていただきまして、本当に御苦労さまでございます。  午前中は、有意義なお話をいろいろ聞かせていただきましたが、私は、それに基づきまして二、三お尋ねをしたいと思います。  まず初めに、木村公述人にお尋ねいたしますが、我が国の医療費総額は約十五兆円にも達する額となっておりまして、しかし、まだまだ薬価には実勢価格と薬価基準の間にはかなりの乖離があるようでございまして、よく耳にする言葉でございますが、日本医者の技術料は世界一安い。しかし世界の医師の中で最も高い高収入を得ているのは日本医師である、こういうことをよく聞きます。これは何を言わんとするのか、おのずとわかることでございますが、そこでお尋ねしたいのは、先ほど申しましたこの乖離の額ですね、これが総額としてどの程度のものになっているか。もしかなりの額になっているとしたならば、今回のこうした医療保険改革による国庫負担削減、こういうようなものはなくなるんじゃないかとさえ思うんですが、いかがでしょうか。それが一点。  それから、政府も、最近いろいろな世論の高まりの中で薬価調査を毎年行い、また、それに基づいて改革もたびたび行われておりますが、午前中にもお話しがありました新薬の薬価の決定について、いろいろとお話を聞いておりましても、矛盾点、問題点があるようでございますが、何か具体的にこういう点をお話しいただければと思います。  まず初めに、この二点をお願いいたします。
  49. 木村繁

    公述人(木村繁君) 中野先生にお答えいたします。  まず最初に、薬価の実勢価格と薬価基準との乖離はどれくらいあるかという非常に難しい御質問でございますが、この乖離というものを考えてみます場合に、五十六年の六月に実は一八・六%下げられたわけでございますね。このときの医療費から逆算しますと、やっぱり年間七千五百億円ぐらい。この一八・六%を年間に換算いたしますと七千五百億円。ことしの三月にやはり一六・六%の引き下げがあったわけでございます。そうするとその間に、一六・六%というのはことしの医療費で考えればやっぱり七千五百億円ぐらいになってくるんじゃないかと思いますが、それくらいは二年間でやれたんだというところが一つのポイントではないかと思います。  それから、この乖離でございますが、非常にまじめな診療を行っておられる先生は非常に苦しいということを私どもも伺っております。もう一〇%か一五%ぐらいしかないんだというようなことをおっしゃっているお医者さんもあるかと思いますと、また、私の周りにはそういう方はないんですが、いろいろ耳に入ってくるお話によりますと、例えば四十円のものを四円で買っておられる——これは参議院での御議論の中でも出てきておることでございますが、そういった話も聞くわけでございます。実際、メーカーがそういう形でお医者さんの方へお話しに行っているというような実態はかなりあるのではないか。特にことしの六月に、いわゆるゾロゾロ品目というものがまた千五、六百収載をされまして、そういう動きが活発になっているというような話が専らでございます。  それから、第二の、新薬の価格を決める場合におかしなものの具体例はないかということでございますが、先生方御承知のように、新薬の価格の決定方法は、同じような働きをする薬との使用量の比較でするということになっておるわけでございますが、この比較試験というのが非常に難しいものでございますので、対象に選ぶ薬の選択によっては非常に値段を有利につけることができる。  これは既にこの委員会なんかでも御検討をなさったことでございますので、薬品名を申し上げてよろしいと思うんですが、三年ほど前にセファロスポリン系の注射で、商品名はちょっとあれでございますが、パンスポリンというあるメーカーのこれは商品名で恐縮でございますが、パンスポリンというものが通りましたときに、やはりセファメゾンという商品名のものを対象にいたしまして、それが通るまではセファメゾン四グラムに対してパンスポリン二グラムを使ったデータで申請をしているはずでございます。これは厚生省はこういうものは秘密だとおっしゃいますが、私どもがいろいろデータを調べてみますと、セファメゾン四グラムに対してパンスポリン二グラムでデータをとって同等の効果があるということが書いてあるわけでございます。ですから、四グラムに対して二グラムですから、値段は二倍でよろしいと、そういうことで約二倍に値段をつけたわけでございます。ところが、それから半年もたたないうちに出ました抗生物質協議会というところで出しております抗生物質の使い方の表を見ますと、両方とも同じような量を使ってよろしいということが書いてあるわけでございます。そうしますと、四グラムと二グラムが同じだった、セファメゾン四グラム、パンスポリン二グラムで同じ効果だったのが、同じように使っていいということになりますと、パンスポリンを使った場合には倍の価格になってくるのではないかということが起きております。これが具体例を申し上げた次第でございます。
  50. 中野鉄造

    ○中野鉄造君 今いろいろお話を伺っておりまして、こうした薬品をめぐっての不祥事が、最近よく私ども耳にいたします。新聞等をにぎわしておりますけれども、こういうことに対して、私ども国民としては大きな不安と同時に、ある場合は激しい憤りを持つわけでございますけれども、我が国の薬事行政の過去を振り返ってみますと、サリドマイド事件だとかあるいはスモンに代表されるいわゆる薬禍、つまり薬害というようなことがいろいろあったわけでございますが、そういう過去の反省に立って厳正な薬事行政が行われていかなければならない、こういうように私ども思うわけでございますが、今後、そうした反省に立って我国の薬事行政をやっていく上において、どういう点に最も留意すべきだと公述人はお考えでしょうか。
  51. 木村繁

    公述人(木村繁君) お答えをいたします。  薬事行政というのは、非常に複雑な立場におありになると思います。日本の製薬工業の振興という使命もございますし、それから国民の健康を守っていかなければいけないという使命もあるわけでございます。  それで、ちょっと問題は違うのかもしれませんが、実は、私どもが第二薬局というものを見ました場合に、患者医師がうまくコミュニケーションのいっている場合はよろしいんですが、もし患者医師の間にトラブルがあった場合に、これは表現は別といたしまして、どちらの側に立てるかによってその薬剤師の薬局が第二薬局がどうかということを決めることができるんだということをおっしゃる先生が実はあるんですが、私は業務行政も、製薬メーカー側に立つのか患者側に立つのかというところを迫られるような問題になった場合に、どういうぐあいにそれを処理をしていくかというところが一番の問題ではないかと思います。私は、製薬メーカーは企業でございますので、ある意味ではもちろん利潤を上げなければいけません。利潤を上げて、その上げた利潤で、がんの薬であるとかそういった、今後世界へ日本の薬が輸出できるようなものをどんどんつくっていただきたいわけでございますが、その利益を上げていただくんですが、その利益の上げ方の中で国民を犠牲にするようなことがあってはならないということになるわけでございます。  私は午前中も申し上げましたように、少なくとも国民自分の飲んでいる薬はどんな薬であるか、これはどんなときに飲んではいけないのか、どういう症状が出たら副作用を心配しなければいけないのか、そういうことのわかる薬事行政であってほしいと、そのように考えております。
  52. 中野鉄造

    ○中野鉄造君 今先生のおっしゃった、自分が今飲んでいる薬はどういう薬であるかということを知る権利もある、やっぱりある程度は知らせるべきであるというお話ですけれども、どの程度まで知らせたらよいかということもあるのではないかと思うんです。これは、あなたが今飲んでいるのは抗がん剤ですよ、制がん剤ですよ、こういうようなことはやっぱりがん患者には言いにくい点もあるんじゃないかと思いますが、この辺のところについてはどのようにお考えですか。
  53. 木村繁

    公述人(木村繁君) お答えいたします。  実は、がんの薬については私も非常に今悩んでおるわけでございますが、外国の本を見ますと、例えばイギリスでは、これは「ペリカン」というペーパーバックに入っておりますが、その中でははっきりがんの薬については説明をしております。それから、アメリカでも大衆向きに薬の解説をしている本が二、三冊あります。一番よく出ておりますのが「バンタム」という二番目に大きいペーパーバック会社の「ザ・ピル・ブック」というので、先生方ももし機会がございましたらぜひお読みいただきたいと思うんですが、約三百種類ぐらいの薬について、この薬は何に効くか、それからどういう副作用があるか、どんな状態になったら気をつけなければいけないかというようなことを解説している本があるわけでございますが、この本を見ますと、がんの薬は実は出ておりません。  私も、若い薬剤師さんなんかと話しをしておりまして、ぜひこういう本も日本で出したいなということを検討しておるわけでございますが、その中でがんの薬をどうするかということはまだ実は決めておらないわけでございまして、考え方によれば、見たい人は見ればいいんじゃないか、だから載せてもいいという意見もあるわけなんですが、今お答えできるまで自分では結論に至っておりません。  以上でございます。
  54. 中野鉄造

    ○中野鉄造君 木村公述人が午前中お話しになった中で、例えば外国では禁止されているような薬品が日本では堂々と出回っている、こういうお話もありました。  そこでお尋ねしますが、例えばメフェナム酸やフルフェナム酸が毒性が強いということになっているにもかかわらず、我が国ではこれは子供に対しての使用もよろしいということになっておりますし、最近ではシロップ剤まで発売されているということをお聞きしますけれども、どうしてこういうことが行われているとお考えでしょうか。
  55. 木村繁

    公述人(木村繁君) お答えいたします。  メフェナム酸は、アメリカで別に禁止になっているわけではございません。フルフェナム酸もアメリカの同じ会社がつくったんですが、これは発売に至っておりません。禁止になったわけではございませんが、アメリカでは発売になっていないわけでございます。  実は、メフェナム酸というのは非常によく効くんですね。非常によく効きます。私、こちらへ出てくる前にたまたま女房が歯が痛くなりまして、ほかの鎮痛剤をやってもだめなんです。メフェナム酸をやりましたら、一時的に三十分か一時間ぐらいはよくなるんです。ですから、薬というのはもろ刃のやいばということを言われるわけでございますが、そこのところをどのようにうまくやるかという教育が十分いっているかどうかという問題になってくるんだろうと思います。日本の場合は、これは安全な薬だというようなことで、先ほど先生もおっしゃいましたが、メフェナム酸のシロップ剤まで出ているというようなところに問題があるんではないかなというぐあいに思います。お答えになっているかどうかあれですが。
  56. 中野鉄造

    ○中野鉄造君 薬はもろ刃のやいばだとおっしゃる、まさにそのとおりだと私も思いますが、そうした医薬品の副作用について、先ほどもちょっとお触れになりましたけれども情報システムが一見整備されているように思いますが、まだまだこれは十分でない、こういうように私は思いますが、そうした点で何かお気づきの点があればお聞かせいただきたいと思います。  もう一つは、我が国でも過去において、先ほどもちょっと触れましたが、不幸にしていろいろな薬害に見舞われでいろいろな後遺症を抱えているという方々もあるわけでございますが、こうしたことに対して医薬品の副作用被害救済基金という制度があるやに聞いておりますけれども、私もちょっと不勉強で、よく勉強しておりませんでわかりませんでしたけれども、これがもう実は発足して四年にもなる。しかしながら、現在ほとんど、余り機能していないということを聞いておりますけれども、この医薬品副作用被害救済基金、これをどのように公述人は見ておられますか。また、この基金に対して、何か御提言がありましたらお尋ねいたしたいと思います。
  57. 木村繁

    公述人(木村繁君) お答えをいたします。  患者に対する情報の提供で何か提案がないかということでございますが、実は日本でも日本薬局方というのがございます。米国の場合はUSPと言っておりますんですが、これの非常に新しい版から医療用の医薬品について患者への情報というような項を設けておるわけでございます。これはUSPをごらんになるのは専門家でございますが、患者にはこういうことを伝えなさい、例えば下痢が何日以上続いた場合には危険な副作用のおそれがあるから、すぐに処方医あるいは薬剤師に御相談なさいというような患者用のインフォメーションというのを、かなり厚いものなんでございますが、別冊としてつくっておるわけでございます。日本も局方というのは最近五年ぐらいに一回ずつ改定されておりますので、ぜひそういうような問題も御検討をいただけたらよろしいんではないかと、かように思っております。  それから、二番目の、救済基金の問題でございますが、私も実は余りこれ詳しくないんですが、この問題が起きましたときに、ある高谷な医事評論家の方が、この救済基金というのは入り口がない救済基金ではないかということをおっしゃったわけでございます。例えばスモンの場合にしましても、患者さんは自分でキノホルムを飲んでいるという認識はないわけでございます。専門の精神神経医が患者さんの様子を診られまして、これはキノホルムを飲んでいたのではないかと疑いまして、カルテで確認をして初めてこれはスモンの疑いがあるということになるわけでございます。そういう意味で、午前中から私何度も言っておりますように、患者が、少なくとも自分の飲んでいる薬の名前を知っておくということは非常に大事じゃないか、そのように考えるわけでございます。  以上でございます。
  58. 中野鉄造

    ○中野鉄造君 最後に、もう一つ木村公述人にお尋ねいたします。  漢方薬についてお尋ねいたしますが、漢方薬が五十一年の二月から薬価基準に取り上げられておりまして、最近ではこの製剤技術の近代化が進んで、錠剤だとかカプセル剤の量産化が非常に可能になってきておりますが、この漢方薬についてどのようなお考えをお持ちでしょうか。
  59. 木村繁

    公述人(木村繁君) お答えいたします。  私は、実は漢方薬は余り詳しくございません。ございませんが、非常に漢方薬はいい面があるわけでございます。人間を全体として診て投薬をするという、少なくとも西洋医学の、先ほどから小西公述人のおっしゃっておられますように体を刻んで診ていくというようなことじゃなくて、人間の個体全体を診てこの人にはどんな薬が合うのかというような、言ってみれば西洋医学と東洋医学の哲学の違いみたいなところがありまして、私は好きな面もあるわけでございます。  ただ、五十一年から今日までの収載されましてからの漢方薬の使われ方というのを見てますと、少し異常じゃないかなという感じがないこともありません。非常に熱心にお勉強をされて漢方薬をお使いになっておられるお医者さんもあるんですが、中には漢方薬も一緒につけ加えておいたらいいんじゃないかなというような気持ち、軽い気持ちで漢方薬をお使いになっていて、これが漢方薬のブームを生んでいるという要素もないことはないと思いますね。ですから、このあたりの問題は、やはり東洋医学の専門家の先生方ともっとよく検討をしなければいけない問題ではないか、かように考えております。
  60. 中野鉄造

    ○中野鉄造君 どうもありがとうございました。  では次に、江見公述人にお尋ねいたします。  午前中の先生のお話では、今回の改革案に対しては一応評価するという公述であったわけですが、その中で先生は、その評価の中の一つとして、今回のこの改革案は特定の者への、つまり特に高額療養者への配慮等が盛り込まれているという点を挙げられました。つまり、特定の人たちへのしわ寄せが少ないと、こういうような評価の仕方をなさっておりますが、私ここでお尋ねしたいことは、例えば国保に対して考えてみるとき、果たしてそうかなと、健保だけの中で考えるとそういうことも言えるんじゃないかと思いますけれども、全国民的に考えた場合に、国保というものに対する配慮がいま一つこれは欠けているんじゃないかというような気がしてならないわけです。むしろ国保の場合は、国保の人たちは三割も負担しているから一割負担ぐらいはというような今回の一割負担への材料に、材料というか引き合いに国保が持ち出されている、こういう気がしてならないんですが、この国保についてのお考えをひとつお聞かせいただきたいと思います。  それともう一点は、将来の統合一本化への一里塚というか、そういうものであると、こういうお話でありましたけれども、先生のお考えというものの、この統合一本化というものの、つまり職域と地域もこれは一本化と考えておられるのか、それとも職域は職域、地域は地域としての一本化と、こういうお考えに立たれるのかお聞かせいただきたいと思います。
  61. 江見康一

    公述人江見康一君) 国保の方は、国民の四割が国保の被保険者になっておりますので、当然国保についての考慮は十分払わなければならないと思います。それで、従来から国保の財政をどうするかというようなことが非常にやかましく論じられていて、政府の方でも国保問題懇談会などをつくって、国保の財政をいかにして強化するかというようなことで、例えば全国三千数百の市町村を単位として営まれている国保事業についてはもう少し広域化して、広域化された中でいろいろ相互に助け合うというようなことを考えてみたらどうかといったような案も出ておるようでございますし、それから老人保健法などもある意味では国保の財政を救済する。従来、現行の被用者保険の相互の間ではなかなか財政調整といったようなことが難しかったわけでございますけれども、いわゆる老人の問題は、国民的な全体的な基盤の上に乗せようといったような趣旨から、老人保健というものを仲立ちとして、被保険者相互間の財政調整というものが間接的に行われるというようなことであれば、それもまた国保に対する財政的な支援といったような意味合いもあったのではないか。  国保の問題は、一つは今申しましたように、全国三千数百の市町村単位で行われていて、制度としては一つでございましても、個々の保険者保険事業としては非常にばらつきがありますので、その辺は十分実態を調査してきめの細かい配慮をしなければならないと思いますが、一番の問題は、やはり従来老人を一番たくさん抱えておるのが国保である。したがって、老人の方に国保の資源が食われてしまって、国保の中に若い方もいらっしゃるわけでございますから、そちらの方のあれが手薄になるということがあってはならないわけでございますので、御指摘のように、その辺は、今の医療問題の一つは国保問題であると言っても過言でないほどの重要性を帯びていると思いますので、今ここですぐ具体案は申せませんが、御指摘の点は十分承知しておるつもりでございます。  それから、統合一本化というお話が出ましたが、年金の場合と医療の場合とではやや事情が違うのではないかと思うのです。いずれ年金の問題が日程に上ってくると思いますけれども、年金の場合の統合一本化はまさに一元化、一本化ということになると思いますが、医療の場合には、やはり職域は職域、地域は地域というような統合的な運営という段階があるし、また、それ以上進むのはかなり難しいのではないかという感触でございます。  ただし、午前中申しましたように、医療は生涯の一貫保障でなければならないというふうに申し述べましたが、本当は地域保険といったようなものが生まれ落ちてから死ぬまでの間の一番基底にあって、ちょうど年金の方で基礎年金というようなものがあると同じような意味で、本当はその地域保険というものが一番基底にあって、そして勤労段階では勤労段階にふさわしい保険が乗っかり、老人段階では老人のヘルスの方の意味での老人保険が乗っかって、相互に補完し合うというのが理想的だと思うわけでございますが、年金のように、例えば現役段階の六割ぐらいの給付で一本化するといったような一律一斉にいかないような面が医療にはある。つまり、医療それ自体は非常に個人差があって、とにかく疾病は千差万別であるし、老幼男女全部個別需要が違いますので、それを一本化するといっても年金のようなぐあいにはいかないだろう。少なくとも財政運営においては統合的運営ということが必要だろう。ただし、個々の医療需要に対するニーズについては個別的な管理ということは必要であるかもしれない。だから、財政的な運営での統合と、それから個々の職場なり地域なりでの目の届いた健康管理というものとは分けて考えられる面もあるのではなかろうか。  それで、今のお答えとしましては、職域それから地域ごとの統合ということをまず考えるということでございます。
  62. 中野鉄造

    ○中野鉄造君 最後に、笠岡公述人にお尋ねいたします。  笠岡公述人は、午前中のお話の中で、今回の改革は、一部改革どころかそれこそもう歴史的な抜本的な大改革だと、このような認識に立っておられるようにお聞きいたしたわけですが、私考えますのに、そうであるならばなおさらのこと、もっともっと広範な国民皆様方の意見を聞き、慎重でなければならないと、こういうように思うわけです。ところが、もう公述人も新聞等で御存じのとおりに、当院で審議される時間は余りないみたいな——もしこの会期末で終わるとすれば、そういうような結果になるわけでありまして、これはもう余りにも拙速に過ぎるのではないかと私思うわけですが、こういう点については、賛成という立場ではございましょうけれども、どのようにお考えですか。
  63. 笠岡輝昭

    公述人(笠岡輝昭君) お答え申し上げます。  本案が衆議院から参議院へ送付されましたのは、資料によりますと、七月の十三日となっております。会期は八月の八日を予定しております。本日は十三日以降から起算いたしますと約二週間でございます。私どもが公益の立場と申しますか、一国民という立場と申しますか、そういう意味合いでこうした公述を得る機会が得られましたのは二十五日、六日、七日の間でございました。こういうことを委員長ほか社労委の諸先生の前で申し上げるのはいかがかと思いますけれども、やはり我が国の立法府の、とりわけ本院の重みに対して、もう少し深い御配慮が要るのではないか。これは内閣から国会に提出されましたのは、資料によりますれば本年の二月の二十五日となっております。約五カ月を衆議院で費やしておられるという勘定になります。これで日程上はどうなのかわかりませんけれども、私どもの耳に入ってまいりますについては、八月の二日あたりが夏の陣の一つの峠ではなかろうか、これからが言うところの戦争になるわけですね。これだけ将来に対する展望を持ち、また、厚生省ほか関係省庁において長い間にわたって練りに練られた素材をもとにしてこうした改正についての機会を持たれたについては、少し無理があるのではないか。  したがいまして、私は総論的なお話を申し上げた中で、二度賛成ということを申し上げた記憶がございますけれども、しかしながらここで哲学を論じるような大仰なことではございませんけれども、やはりもう少し根底に大事なものがあるんだということをしっかりと見きわめていただきたいといっただし書きを入れたわけでございます。  以上でございます。
  64. 中野鉄造

    ○中野鉄造君 終わります。
  65. 山中郁子

    ○山中郁子君 公述人の皆さんには、貴重な御意見をいただきましてありがとうございました。  私は、初めに宇和川公述人にお尋ねをいたします。  第一点は、先ほどの御意見の開陳の中にも若干触れておられましたが、今回の法改正を私どもは大変大きな改悪だというふうに認識をし、反対をします立場に立っておりますが、その中で、高度医療の問題がございました。それで、この点につきまして、宇和川公述人の御意見の中に、これが法律的に導入されることになると、今まで本人十割給付ということとの関連で、この点が、医療の中の大きな格差を生み出さない、新しい高度医療医療の中でお金がなければできないというようなふうになっていく方向を抑える、そういう働きをしていたのが、今回の措置によって、高度医療を受けられる、受けられないという問題でのかなり大きな経済的な問題になって、端的に言えばお金がある人はそうしたものを享受できるけれどもお金がなければ結局命を縮めていかざるを得ないという、そういう方向にならざるを得ないという趣旨だと存じますが、私どももその点を問題にしてきたところであります。石原裕次郎さんの例をちょっとおっしゃっておりましたけれども、具体的に、現在のところ大学病院なんかで十割給付ということが支えになってこの問題がよい方向に動いていく力を果たしているにもかかわらず、今回の改悪によってそれが反対の方向に行くという実態をもうひとつ突っ込んでお話を例えれば幸いだと思います。まず、その点からお願いいたします。
  66. 宇和川邁

    公述人(宇和川邁君) 私たちの組合の中には、大学病院とか、それも国公立を含めて、それから私立も含めて入っております。ですから、そういうところの実際に医療事務なんかをやっている方々から聞くわけであります。そのことについて先ほど申し上げたわけでありますけれども、今実際に大学病院で、大学病院というのは高度な医療ということが一般的に言われているわけです。そこで、健康保険本人に対しては、やはり全体として医療費については十割給付という立場をとるためにさまざまなことをしているのが実態だと思います。ということは、逆に裏返せば、全体として保険でカバーをしているというのが実態であります。  一つは、私たちが聞くところでは、医療保険そのものを通して申請をして十割給付を確保する方向と、それから研究費その他、国からの出る補助、そういうものを投入するとか、それからあるいは病院自体が若干の食い込みを覚悟しながらカバーするとかいうことで、実際には十割給付ということで医療が行われている。そしてこれがやはり先ほど触れましたけれども、現在医療保険が十割給付ということを建前にしている、それをベースにして、その方向で大学の中でも高度な医療、難しい治療、それから難しい手術というものについて、全体としては患者負担がないような形で努力がされている、その努力の結果でありますけれども、そのベースというのはあくまでも本人十割給付というのが存在をしているという現実の上にそのようなことが行われているというように私たちは考えております。実際としては十割給付が大学病院の中でも行われているということであります。
  67. 山中郁子

    ○山中郁子君 ただいまのその高度医療の問題とも若干関係して、今回の改定の中にある問題の一つとして、差額ベッドの扱いの問題がございます。  私はちょっとここで、医療を受ける立場国民立場として非常に大きな問題だというふうに感じ、自分自身の経験でも大変大きな問題だというふうに感じてきていることで、差額ベッドと同時に付添費の問題があるんですね。これは今回の本人一割負担、二割負担の問題が、現在でもさまざまな負担で苦しんでいる国民の上に、さらに負担が重なるという意味で、とても賛成できないし、多くの国民の方が反対していらっしゃるのは当然だというふうに思っているんですが、その付添費の問題、差額ベッドの問題なんです、お伺いしたいのは。  実は、私事でございますが、私も、二年前から一年半ぐらい前にかけて、義理の母を病院でお世話になって、見送ったわけですけれども、やはり完全看護の病院だということになっていても、どうしてもやはり付き添いをつけなければできないような状況になるんですね。それからまた、差額ベッドというか、そうした個室ないし二人部屋などをこちらで要求しなくても、重症の患者ではどうしてもそこに入れざるを得ないという状況になる。先ほども小西公述人から、自分が希望しないでもそうしたところへ入れられたというお話しもございましたけれども、どうしてもそういうところに入れざるを得ないような状況に追い込まれる。それで、そういうことができないと家族に付き添ってもらわなければ困るということで言われる。私の場合なども、こういう仕事をしておりますから、病院で付き添うことができない。これは私のような立場でなくても、家庭の主婦が働いているような場合には、それができないわけですね。  だけれども、一日一万円にもなるような付添費をとても出せない。そうすればもうどうしたって、仕事をしている主婦が、女性が実情からいって職場をやめて付き添いをしなければならないみたいなことが日常多くのところであるし、また仮にそうしたところで、今度は主婦が——大体は主婦がその責任というか、負担を負うことになるのが実情なんですけれども、それで体を壊していく、そういう状況になって、一日一万円からの付添費、そしてまた差額ベッドで三千円、四千円というふうになってきますと、もう月に三十万、四十万の負担になるわけですよね。そういうことはとても負担し切れるものではないわけなので、実際問題としてこういう問題は解決していかなければいけない問題だというふうに私たちはもちろん考えておりますけれども、例えばこういうことを厚生省に問題提起しますと、厚生省は、いや、それは完全看護のところで付き添いをつけるなどということはこれは違法だからやめさせます、こういうような見解を述べられるんだけれども、じゃ一体病人はどうなるのかという問題に結局家族は追い込まれていく。  これは大変深刻な問題だというふうに思っておりますけれども、この辺についての、実際に医療の現場で働いていらっしゃる、医労協の仕事に携わっていらっしゃる立場から、若干御見解をお伺いしたいと思います。
  68. 宇和川邁

    公述人(宇和川邁君) 今、健康保険改正案をめぐっていろいろと意見が出ておりますけれども、その中で一つの問題として、現在、付添料、差額ベッドがまかり通っている。特に付添料の場合には一日一万円というような費用ということが一般的に言われておりますし、ですから月にすれば三十万円というのが現実です。この問題が放置されていることについて、これを解消するということなしの健康保険法改正案の検討というのはおかしいじゃないかという意見はかなり強く広がっております。  私たちも、先ほどちょっと時間の関係で付き添いのことについて触れませんでしたけれども、この問題は大変重要視しております。ですから私たち自身も、労働組合としても運動としては、例えば差額ベッドについて言えば、厚生省の通達をきちんと守りなさい、あるいは民間では二〇%ですか、それから国立ては一〇%以下。一〇%以下の場合にはさらにそれを低くするということです。ですから私たちとしては、通達の遵守と、それから国立と自治体病院の場合には差額ベッドをなくすということを要求に掲げておりますし、それから特に、入院した場合には大変家計の重荷となる付添看護料の自己負担をなくすという問題については、患者からのもらい物の廃止なんかと一緒に反対運動をしています。  それで、特に付き添いの廃止について、その解決策としては、労働組合側から言いますと、やっぱり看護婦さんの数が絶対的に今の医療実態に合わないという問題についてどうしても触れなくちゃいけないと思います。看護婦さんというのは一応患者四人に一人ということで、これは医療法に基づいて施行規則で決められています。しかし、これは昭和二十三年にできた法律及び規則であります。ですから、その後、医療が大変進歩をしたし、それから複雑化していく中で看護婦さんの仕事も多様化していますし、それから病院の中においては、もう今現在三十数種の職種の人が協力し合っているという点で大変複雑になっています。そういう中で、特に看護婦さんの不足をどう解決するか、今の患者のニーズに合った要員を確保するかという点では、一つ医療法の定数の問題の改正が必要だと思っています。そして、私たちは、患者二名に一名というのを最低ベースにして、重篤患者あるいは術後患者については常時一対一という要員を配置するように規則を変えるべきだという立場をとっています。と同時に、そのことが可能になるような、病院がそのことを可能にできるような財政的な措置をきちんととる。特に、この問題は民間病院が多いわけですから、診療報酬における基準看護の問題についての抜本的な改正、改善ということでこの問題を解決しなくちゃならないんだと思います。  特にそのことを申しますのは、今の看護婦さんの状態を言いますと、大体月に平均して九日あるいは十日というのが夜勤の日数であります。ですから看護婦さんは、いわゆる日勤という生活が非常に少なくて夜間勤務が多い。その点で、一つは大変な肉体的、精神的な苦痛を味わっていますし、もう一つは、現状として、人手不足の中で特に看護婦さんの中の労働基準法違反が圧倒的に高いわけであります、特に医療においては。今、医療における女子というのはほとんど大部分を看護婦さんが占めています。女子の労働時間の違反率というのは、全産業平均では一九八二年で六・九%であります。しかし医療では三五・八%、つまり約五倍の違反率であります。ですから看護婦さんは、先ほど申しましたように、一つは夜勤回数が非常に多いということと、それから人手不足の中で患者さんのためのサービス等をこなしていくために必然的に時間外労働、つまり違反を構成するような時間外労働を課せられる、こういう状態で労働が行われています。  ですから、やはりこの付添問題を解決するのには、どうしても看護婦さんの要員を法制的にも、それからそれを裏づける診療報酬上の問題、公的補助の問題を含めてきちんと措置をしなければいけないという立場をとっております、やはり付添問題というのは、その点では国民の側から言えば、むしろ最優先して改善をしなくちゃならない問題であると思います。  しかし、国会の論議の中でもこの問題についてはほとんど触れられていないというのが現状で、この点については私たちとしては非常に不満な状況での審議だというふうに考えております。やはり医療というのは対人サービスでありますから、そこで働く従業者全体の労働条件、それから権利というものをきちんと踏まえながら、同時に医療費問題についても改革を加えるということが必要だというふうに思っています。  その点で、解決の方法については先ほど言いましたとおりであります。この点については、先ほど供給体制ということを市川先生が申されましたけれども、やはりこの問題というのは大変重要な問題だと私たちは考えております。ひとつこの問題についても十分国会の中で御審議の上、健康保険法改正案についての討議を深めていただくということを特に要望したいというふうに思います。
  69. 山中郁子

    ○山中郁子君 もう一点、宇和川公述人にお尋ねをしたいのですが、私どもは、この審議の中でも、まず初めに財政抑制政策、国庫負担を削減すると、こういう大きな目標があって、しかもそれは臨調答申の医療費適正化などに発しているということで問題にしてきているわけでありますけれども、その中で、国立病院の整理統合の問題がございます。  実はこれは私も本委員会で、労働組合の方々調査されました資料などに基づいて質疑をしたところでありますけれども、やはりこうした問題は、先ほど最後に宇和川公述人項目的にお触れになりましたが、公的医療機関の役割の問題と大いに関係があって、国立病院、国立療養所の整理統廃合の問題が、今こういうふうに健保制度の改悪が推し進められようとしているところで、そしてまた国民の健康が大きな不安にさらされているもとで、国民の健康を守るという上での公的医療機関の役割をやはり総体的に低下せしめていくものだというふうに私どもは考えざるを得ないのですけれども、これもまさに国立病院、療養所の直接の現場で働いておられる立場を代表する御意見としてどういうふうにお考えか、お尋ねしたいと思います。
  70. 宇和川邁

    公述人(宇和川邁君) この問題が具体的に出てきたのは、やはり臨調答申がされて、それに基づいて政府が行革大綱を決めてきたという、そういう状況の中で、国立病院二百五十四カ所を約百程度縮小整理をするということが出てきたと思います。同時に、国立病院だけじゃなくて自治体立病院についても、赤字の病院は、特に累積赤字がたまってくると各地方議会で必ずこの問題が論議されて、民間に移管するか廃止するかというようなことが問題になるという点では、この臨調の路線の中で国立病院、自治体立病院の整理統合というのは非常に大きな圧力として進行しているのではないかと思います。そして、この点については、私たちは、臨調の理念そのものからきているんだというふうに考えています。  一つは、臨調の第三次答申の中ではっきりしていますけれども、今後、行政の責任領域問題について三つの分野に区分けをしております。一つは、外交、経済協力、防衛の問題、これは本来的に行政の責任領域に属するものというふうに位置づけています。それから、国土、住宅・土地やエネルギー、科学技術、これは行政の責任領域の見直しと制度、運用の改善という両方の視点から検討が必要なものというふうに位置づけています。それから、農業、社会保障、文教、この分野は、行政の果たすべき役割、責任領域の見直しが必要なものというぐあいにランクを置いているわけです。  実は、今のさまざまな政治の動きを見ていますと、特にこの農業、社会保障、文教というのが今国会の中で圧縮、抑制というふうな動きが出ていますけれども、これはまさにこの臨調そのもの、つまり理念、それから基本方策というところからきた大きな政治的な圧力だというふうに考えています。ですから、国立病院で二百五十四のうちの百の整理統合もその線に沿ったものだというふうに考えていますので、私たちは今その立場で国立病院を残すということについては運動をしています。  特に、国立病院とか自治体立病院を残すというごとについては、これは重要な意味があると考えています。というのは、今国立病院、自治体立病院というのは、もう病院の数においても、それからベッド数においても、極めて小さな存在になっています。その点で、やはり公的医療機関、つまり国立、それから自治体立病院、これを確保してその内容を充実させ、いわゆる地域の模範的医療機関としての存在としてきちんとつくり出していくということは民間全体にも影響力を波及させる一つの拠点だというふうに思います。その点で、私たちは公的医療機関、特に国立病院、自治体立病院の整理統合については反対をし、同時にその中身を本当に地域住民、国民のための水準の高い、それから地域の要望にこたえられる医療機関にしていく運動は、日本医療そのものを改革していく一つの重要な要因になっているんだと思っております。そういう立場で私たちは運動をしているということであります。
  71. 山中郁子

    ○山中郁子君 ありがとうございました。  次に、木村公述人にお尋ねをしたいと思います。  御専門でいらっしゃるので、もちろんよく御承知のところなわけですけれども、最近いわゆる製薬企業の産業スパイだとか、データの捏造問題だとかということが起こっております。これは裏返せば、新薬が一つ当たれば巨大な利益が確実に医療保険薬として会社のものになる、こういう背景があると思うんですが、この辺の本質的な問題に関連いたしますが、新薬はメーカーの申請を基礎にして薬価が決定されるようですけれども、この薬価の決め方が不明朗であるということを指摘する人が多くあるし、また問題にもなっています。第一点は、この点についてどう思われるか、また公述人の改善方の御見解をお伺いをしたいわけであります。
  72. 木村繁

    公述人(木村繁君) お答えをいたします。  山中先生の御質問は、新薬の価格についてだろうと思うわけでございますが、新薬の価格の決め方につきましては、午前中にも申し上げましたように、類似薬効比較という方式で、これはやり方によってはかなり問題のある方法ではないか。ですから、新薬の価格問題等の懇談会の答申にもありますように、場合によっては、外国で発売しているものについては、例えばアメリカだったらレッドブック、フランスだったらビダールという本があるわけでございます。ドイツだったらローテ・リスナというようなもので比較をしなさいということになっております。ただ、類似薬効比較ということでやっていきますと、そういうことが答申されます前に既に高い値段で決まっているものを比較してまいりますと、その後で来るものは高い。これは衆議院段階でもある議員さんが御質問なさったんですが、最近老人病が非常に多くなっておりまして、β—ブロッカーという心臓だとか高血圧なんかに使われる薬、このβ—ブロッカー一部のものは、アメリカの場合、イギリスの場合なんかの五倍ぐらいになっているというような実態がございますので、そういったものについては根本からもう一回見直さないとなかなかできない。  日本の製薬産業というのは自己開発力というのはまだまだなくて、それに似たものをつくるというのは非常に上手なんでございます。そのために、そういうジャンルがありますと、ジャンルといいますかそういうカテゴリーの薬がありますとそこへ集中をしてくるというような、これは私は企業としては当然の企業活動だろうと思います。そこのところをどのように厚生省がやっていくかということが問題ではないかというぐあいに私は考えております。
  73. 山中郁子

    ○山中郁子君 私の第二点目の質問は、今公述人からお答えがあったところにまさに関係するのでありますけれども、今御意見がありましたように、日本の場合に、各分野、科学技術の水準は非常に高くなっております。にもかかわらず、今の新薬の問題に関しては、公述人が今御意見を述べられた側面、つまりおくれていて、そしてよそで開発されたものをまねるということになって、そこに集中するという問題が出てくる。企業である以上はある意味ではそういうことはどうしても出てくる。そこで私は、安全で有効な医療品の開発というのは、もちろん薬害問題その他問題がありますけれども基本的には安全で有効な医薬品の開発が、医療政策上も、また国民の健康保持の上でも大変重要な分野を占めていて大切なことだというふうに思っています。  それで、問題はこうした新薬開発がいわゆるメーカー任せ、私企業任せになっているところにも、まさに今木村公述人がおっしゃったように、そこにやはり問題が一つあるのではないかというふうに私どもは考えています。それで、私はこういう点について、例えば国が国立て薬物研究開発あるいはまた薬効、つまり薬の効果についての試験機関などを設置して、そしてこの成果を国民に還元されるようにする、これがやはりどうしても一つ現状に照らしても求められるし、基本的にもあるべきことではないかと考えておりますけれども、その点の御意見はいかがでしょうか。
  74. 木村繁

    公述人(木村繁君) お答えいたします。  非常に難しい問題でございますが、新薬の開発の力といいますか、こういったものを今見ておりますと、やはり世界ではアメリカ、イギリス、それからドイツ、フランスというようなところになるわけでございますが、その中では、アメリカ、ドイツが全くメーカーに任せっきり、自由競争の中でお互いに切磋琢磨していい薬を開発していくということ。まあイギリスとフランスの場合には多少政府の干渉があるというような問題があります。それでも、どちらが多いか、私実はちょっと正確なところはわかりませんが、極めて大ざっぱに見ますと、大体同じじゃないかなという感じを持っております。日本はずっと歴史的にも自由経済社会で、自由競争に任せられてきたわけでございます。  問題は、薬の評価の問題の方が大事ではないか。今山中先生がおっしゃったように、医薬品の実験といいますか、これが効くのか効かないのかというようなもの、これは実はアメリカでも、例えばエドワード・ケネディなんかは法案を提出しておるわけでございますが、国立の臨床薬理センターというものをつくったらどうだというような提案をしているわけでございますね。今日本の場合、新しい薬を出しましてそれのテストをやる場合には、結局メーカーがお願いした大学の先生のところへ参るわけでございます。いろいろ言われておりますように、ある病気の場合にはその病気のボスという先生がおられまして、その人を通じなければ薬の実験もやってもらえないような状態にあるというようなことを言われる問題もあります。ですから、そういう意味では、そういう国立の医薬理学センターあるいは臨床薬理学センターというようなものができれば非常に結構だとは思いますね。  ですから、製薬メーカーのいわゆる企業活動に国が制限を加えるよりも、むしろできたもののチェックをきちんとやるということの方が現在の日本の実情にはかなった方法ではないか、私はそのように考えております。
  75. 山中郁子

    ○山中郁子君 もうあとわずかな時間でございますので、最後に江見公述人一つだけ端的にお伺いしますので、簡単にお答えいただいて結構です。  先ほどの御意見の開陳の中で、一割負担と二割負担との関係で、修正されて早急にではなくて推移を見る期間ができたという趣旨のことで肯定的な御意見だったと思いますが、法案はあくまでも二割ということなんですね。当面一割だけれども二割ということが柱になって、必ずしもその間の推移を見て、例えば受診抑制が働くとか、あるいは私どもが問題にしておりますように国民の暮らしを大きく苦しめるものになるとかというふうな、そういういろいろな推移を見た上でということではなくて、あくまでもこれは八割ということは法案の骨子になっているわけなんですけれども、その点については、そうであってもやはり賛成であるというお考えか。それとも、やはりそれはあくまでも推移を見るというのが前提であるというお考えか。端的にお答えいただきたい。
  76. 江見康一

    公述人江見康一君) 法律は、理念、原理、原則というものをうたっておりますので、その理念という点から二割というものが決められたと思います。私はそれにつきましても賛成意見でございます。
  77. 山中郁子

    ○山中郁子君 ありがとうございました。
  78. 柄谷道一

    柄谷道一君 本日は、貴重な御意見をありがとうございました。  まず、江見公述人に御質問をいたします。  江見先生は、総論として具体的に四つの理由を挙げられまして、ベストではないがセカンドベストである、こういうことで本案に賛成と、こういう意見を述べられました。私は、医療保険制度改革を考える場合に、給付保険料負担という保険サイドの問題だけではなくて、多くの公述人から述べられておりますように、健康管理、健康増進の一貫した体制化の問題。包括医療、主治医ないしは家庭医と専門医との機能の分化の問題、病院診療所の機能の問題、医師養成の問題、医薬分業問題等々、医療供給サイドの整備の問題。さらに、疾病の中で公費負担医療保険医療との分野の調整の問題。さらには、診療報酬体系の是正や医薬制度の改善問題、出来高払い制度をとっております現在の支払い制度の改善及び不正請求の防止対策など、医療保険を取り巻く前提諸条件の整備というものと相並行して、給付及び負担という問題が論議され、かつ解決されなければならない。これは単に私の意見ではなくて、昭和四十五年、社会保障制度審議会、社会保険審議会のつとに答申いたしておるところでございます。両公的審議会は、これらの整備なくしては保険財政崩壊の危機に見舞われるであろう、何よりも前提条件の整備こそ先決されるべきであるという意見を出しているわけでございます。  江見先生は、非常に厚生省の「基本的方向」というものを評価される陳述をされたわけでございますが、この厚生省のビジョンは、「給付負担の見直し」という一項については具体的年次を明示いたしておりますが、その他の問題についてはいずれも論文としての段階にとどまっているわけでございます。  そこで御質問いたしますのは、私は、これらの前提諸条件については、保険制度改革する以上、少なくともその長期構想とそれを実現するためのプロセス、年次計画というものが明らかにされるべきであると、こう思うのでございますが、御所見はいかがでございますか。
  79. 江見康一

    公述人江見康一君) 私は、医療保障というものは、医療保険制度医療供給制度と二つから成り立っていると思います。医療保険の方は費用の負担関係の問題を扱う制度が中心でございますし、それから医療供給制度の方は、つづめて言えば医療制度というふうに言えると思いますが、それは医療供給システム、あるいはまた医療供給上いろいろな基本的な問題、これを制度化したものが医療制度だと思います。  そこで、この二つはもちろん車の両輪でございまして、お互いに相互補完関係にあると思いますから、当然、この医療保険の問題を論ずるときには、医療供給制度のかかわりというものに配慮しながら医療保険制度を考えなければならないし、逆に、医療制度を考える場合には、医療保険的な基盤と財政基盤とのかかわりで考えなければならない。相互に影響関係を見ながらレベルアップをしていくべきものであるというふうに理解しております。  したがいまして、私は最初この健康保険法の一部改正案が発表されましたときに、中長期ビジョンなしに財政面だけが強いではないかといったようなことで、最初は賛成できませんでした。そこで、中長期ビジョンとセットで示すべきであるということをいろいろな論文に書きまして、その結果、厚生省の方では、先ほども申しましたように、この四月二十七日に「今後の医療政策基本的方向」というものが出されてきた。これはもう少し早目に出して、そうして保険医療政策基本的方向とのかかわりを国民の前に明示すべきである、やや遅きに失したという感じはしましたけれども、しかし、これが出されたということで一応私は納得したわけでございます。  しかし、もちろん先ほど市川公述人の方からお話しがございましたように、従来医療問題というのはどうも保険の方に問題の焦点が当たって、医療供給の方にやや問題点というものの切り込みが少ないのではないかと、こういう御意見がございましたが、私もその点に対しては全く同感でございまして、本日、いろいろ先生方の方からの御質問の中身は、むしろ保険の問題というよりも医療供給をめぐっての、例えば薬の問題とかあるいは差額ベッドの問題であるとか等々の問題が非常に強く出されておるわけでございます。したがいまして、当然この保険の問題、先ほど私はポスト健保の、健保改革と申しましたけれども、実は問題はこれからなのだと、健保の問題はその入口の問題であって、いわば仏をつくって魂を入れるかどうかというのは、これから医療法の改正というものが日程に上ると思いますけれども、まさにその段階で大いに議論されなければならないだろうと、こういう手順の問題として健保法の改正に賛成を申し上げたわけでございまして、私自身の考え方の中では、繰り返しになりますけれども医療保険制度医療供給制度とは車の両輪であるという考え方を持っております。
  80. 柄谷道一

    柄谷道一君 後ほどまた御質問することといたしまして、市川公述人に御質問いたします。  市川先生は、医師養成、地域医療体制等、医療供給サイドの改革が先行されるべきであるということを前提とされた上で、一割定率負担というものはやむを得ないとしても、これらの前提諸条件の整備状況というものを広範かつ慎重に検討せずして二割の給付率をあらかじめ本則で定めておくということに対しては反対である、こういう御意向をお述べになりました。そして、その場合も、高額療養費の制度の抜本改正が真骨頂である。これが相並行しなければならぬ、そういうことで、アローの定理に近づくための方策として、生計を一にする世帯単位、三十日単位への改革、これを提唱されたわけでございます。  私は、それだけではなくて、例えば難病、長期高額医療に対する措置、激変緩和の措置、ないしは最近医療費が年次高額化いたしておりまして、一疾病二千万円という医療費も出てきておる。その一割を負担せよということになりますと、償還払いとはいえ二百万円もの金を一時立てかえなければならぬですな。その金をサラ金等にゆだねるとすれば、これは一家の破滅にもつながりかねないという深刻な問題があるなど、この高額療養費制度というものについては現行制度というものを抜本的に洗い直してその対策が樹立されなければならないと、こう思うものでございますが、先生の御所見をお伺いします。
  81. 市川洋

    公述人(市川洋君) 先ほど、まあ一割の定率はやむを得ないだろうというふうに申し上げました。これはやはり将来いろんな各種の医療保険を統合するという、あるいは給付率をそろえるというところを照準に定めると、よろずただほど高いものはないと申しますから、余りただというのは、どうしてもむだに流れる場合があり得ると思いますので、まあ一割ぐらいがいいんではないか。  ただ、先ほど申し上げましたように、前提条件の整備は、これはぜひとも必要である。例えばお医者さんがふえるというようなことをもう少し慎重に考えまして、まあ別を言い方で申しますと、元栓の方はこれでいいのか。元がきちっとしていませんと、お金はどう払うかという問題だけ議論したのでは片手落ちであると、こう考えたわけでございます。確かに、一応一割負担なら一割負担をやってみて、少し情勢を見ないと実はわからないわけでございまして、実は先ほどちょっと御質問がございまして、一割負担が受診率を抑えるかどうかということに関しまして、私よくわからないと申し上げたわけでございますけれども、それはこういう意味でございます。  昨年の老人保健法施行に伴いまして、若干、定額の一部負担をとったわけでございます。そうしましたら、確かに受診率がやや低下したわけでございます。ただこれは、七十歳以上のお年寄りの方々は、どちらかといえば時間コストは余り高くないんですね。働いている人たちは、病院に行くというと課長さんや係長さんの顔色をうかがいながら、あの実はと、ちょっと病院に行きたいんですがと断らなきゃいけないわけですね。ところがお年寄りの方は、上司に恐る恐る断わってというようなことをしなくてもいいので、そういう意味ではお医者さんにかかるためのいろんな精神的な、あるいは時間的なコストというものはお年寄りの方が少ないから、したがって定額でも響いたのではなかろうか。一年ぐらいやってみて、ある程度制度が走り出してみますと、一割の定率で受診率はどうなるかということはわかるわけでございまして、それから考えてもいいだろう。  それから、先ほど江見先生のお話もございましたように、車の両輪でございますから、どちらにしましても並行的にいかなきゃいけない。特に、今までは保険の議論がちょっと先に、まあ保険の議論が先に行ったんじゃなくて、供給側の方がおくれ過ぎたわけでございますから、大いに供給側の議論をこれから促進していただく必要がある。  それから、難病、あるいは長期、あるいは激変緩和、もっともでございまして、特に難病、まあ指定難病の中でもいろいろたくさんございます、神経難病のような患者さん、非常にたくさんございます。しかも難病の中で、ほとんど治らないとか、もうあと二、三年しかもたないというような患者さんを私もたくさん見ました。これはやはりある程度公費医療なり何か、そういうことを考えなきゃならない、その辺も含めまして審議の議題にする必要があるだろう。あるいは、現在行われております難病医療につきましては、既に研究費というような名目で若干もうお金が出ておるわけでありまして、それをむしろ公費に切りかえる、まあ公費と申しますか、普通の一般会計からの支出に切りかえるということはむしろやるべきではなかろうか。  それから、高額の問題でございますが、確かにアローの定理の立場から言えば、むしろ医療保険の本当の価値、本当に困るような病気になったときにそれを全額保険が見るという立場から考えますと、高額療養費の性格というのは、これは最も医療保険の本質的なところでございますので、これは確かに一時的とはいえ、二、三カ月かかると思います。これは償還払いではなくて現物給付、これが何か制度的にできないだろうか。やってできなくはないんではないか。これはできるだけ早くひとつ検討する必要があるのではないかと、こういうふうに思っております。  以上でございます。
  82. 柄谷道一

    柄谷道一君 もう一点市川公述人に御質問いたしますが、高額療養費制度とあわせて検討しなければならない問題は、保険負担の問題でございます。  厚生省は盛んに改善されたと、こう言っておるのでございますが、健保連大阪支部の調査によりますと、一人室の八四・六%、二人室の五六%、三人室以上でも四・二%が差額ベッド料を取っておりまして、医科大学系の病院はさらにその差額ベッドの比率が高い。しかも金額は、一人室の場合一日三千円から一万円が六五%、二人室の場合は千五百円から四千円までが五八%、三人室でも五百円から二千円が七二%、傾向としては逐次高い方の金額ランクにシフトしておるという調査の結果を発表しております。  付添看護料にいたしましても、入院患者の五四%が基準看護病院であることを知らなかった。そして、基準看護病院で七七・一%は自主的に付添看護人をつけておるが、二二・九%は病院からの要請に基づいて付添看護人をつけておる。しかも、一日当たり経費は半数以上が八千円以上になっておる。これは大阪健保連の調査結果でございます。  こういった保険負担の改善というものを、やはり定率負担を行う場合は相並行して、これを合算して患者負担という視点でとらまえなければ、これは家計に対する影響云々と、一割じゃ大したことないんじゃないかという議論は当てはまらないと思うわけでございます。  私は、こうした保険負担の具体的改善対策というものと自己負担率というものは相関連して解決されなければならないと、こう思いますが、御所見をお伺いします。
  83. 市川洋

    公述人(市川洋君) 保険負担でございますが、これは、差額ベッドと付き添いと若干一部性格が違う部門もあると存じます。保険負担差額ベッド料をかなり取っておる病院は、私立大学の附属病院がかなり多いのではないか。この差額ベッドにつきましては、もうその差額を余り取らない病院も、例えば東京都内にはあるわけですね。特に都立病院あたりそんなに込んでおりませんし、そんなに満員ではなかったと思います。それで、私立医大の附属病院において特に保険負担の率が高いということ、これは若干問題でありまして、本来ならばこれは研究費とか教育費とか、つまり健保でどうこうという問題でなくて、むしろ教育、研究の方の本来はそういうお金ではないか。したがいまして、ちょっとそれはそちらの方の、文部省所管か何かそっちの方で何かもうちょっと考える必要があるんではないか。  ですから、先ほど申しましたように、差額ベッドに関しては、差額ベッドではないところも十分あればいいわけですね。差額ベッドを使うか差額ベッドを使わないかは患者の自由であって、患者自分で選択してやるなら構わないだろう。ただ、選択の自由がなくて、頭から病院からもう強制的にやられると、それは非常に困る。したがいまして、むしろそういう面の行政指導みたいなものをやる必要があるだろう。だから、強制的でないことと、それから、いわゆる差額のつかないベッドも十分その数があればいいんではないか。  それから、保険外の負担の中でも付き添いにつきましては、先ほどのアローの定理で、これはかなり本質的でございまして、むしろ五万一千円の一部負担などというものではないわけであって、恐らく先ほどからいろいろお話が出ておりますように、三十万とかそのぐらいのオーダーでございまして、やはりちょっと本腰を入れましてこれはむしろ早急に解決する必要があると、厚生省におきましても早急に検討してもらいたいというふうに私も思います。  以上でございます。
  84. 柄谷道一

    柄谷道一君 木村公述人に御質問いたします。  医薬分業と高額療養費の関係ですね。今は個人単位、暦月単位のほかに、一医療機関ごとと、こうなっているわけです。したがって、私非常に矛盾を感じますのは、一つ病院に入院して医療も薬も一つ病院からもらった、六万円の自己負担がかかった、その場合は九千円還付されるわけですね。ところが、医薬分業に協力いたしまして、病院に三万円払い薬局に三万円払う。合わせまして同じ六万円を自己負担しても、これは高額療養費の適用にならないわけです。現行の高額療養費は、むしろ医薬分業を阻害する要因を持っておると、こう思うんですが、御所見いかがですか。
  85. 木村繁

    公述人(木村繁君) お答えいたします。  柄谷先生のおっしゃるとおりだと私どもも思っております。  それから、例えば高額医療だけでなくて、今回一割負担になりますと、これで全部ということになるわけでございますが、医院で支払いをいたしまして、また薬局へ来て二重に払うんではないかという患者さんからの質問が非常に多いわけでございます。これは午前中から申し上げておりますように、薬も医療の一部なんだという考え方日本の歴史的な物の考え方としてありまして、お医者さんのところでお金を払ったらもう薬代も終わっているんだというような長い日本の習慣があるわけでございます。ですから、私ども医薬分業を促進させるためには、今先生のおっしゃいましたような、高額医療に属する部分というのは割合数は少ないんではないかと思うんです。金額的に外来でおやりになるケースでございますので、割合少ないんではないかと思うんですが、それ以外の面で、二カ所で払うということで非常に抵抗をお感じになる、それがために医薬分業を阻害しているという面もあるのではないかと心配をいたしております。
  86. 柄谷道一

    柄谷道一君 もう一点木村公述人にお伺いしますが、薬の問題は大変議論を深くしなければならぬ問題でございますが、私は、その根源にあるのは九〇バルクラインという現在の薬価決定の方式そのものでございます。今数千の製薬メーカーがある、市場に流れておる。医療供給のいわゆる病院、お医者さんの側がどうしても力関係は強い。したがって市価は落ちる。落ちたところでまた九〇バルクで薬価の調査が行われ、決定する。そういう悪循環の中に、絶えず薬の実勢価格と保険薬価との乖離が際限なく繰り返されている。  それから先生は銘柄別収載の問題にも触れられましたが、これは、かつてアリナミンとニクビタン問題が起きまして、新薬の開発をやらずに類似の同一薬効の薬品を使うことによってコストが安い、したがっておまけつき薬がはんらんをいたしまして問題になった。その是正の方法として、薬効別同一薬価、同一薬効同一価格という方式が銘柄別方式に切りかえられてきた。これは、試行錯誤はいろいろあると思うのですが、いろいろ歴史的過程があるわけですね。  そこで、先生に端的にお教えをいただきたいんですが、適正な薬価決定の基準はいかにあるべきか、先生の御所見があればお伺いいたしたい。
  87. 木村繁

    公述人(木村繁君) お答えいたします。  外国の例が参考になるかどうかわかりませんが、アメリカでMAC、午前中申し上げましたマキシマム・アロウアブル・コストという政府機関で購入する場合の基準になる価格を決めます場合には、IMSといいます統計会社に頼みまして七〇%バルクラインで計算をしておるようでございます。日本の場合に七〇%で計算をしたらどうかという提案をするつもりはございません。ただ、七〇%でやった場合にどうなるかということをやっぱり検討しなければならないし、それともう一つの問題は、やはりバルクの引き方というよりもオンラインにあるんではないかと思います。これも経済活動でございますので、オンラインに決まればオンラインに合ったような売り方をメーカーはできるわけでございますね。そこのところを私はメーカーさんは考えていいと思うんですが、それが国民のプラスにならないのであれば、どこを直したらいいかということになってまいると思います。  私は、やはり処方をする人が薬価差益を得られる状況でございます。端的に言えば医薬非分業でございます。これさえ直せば、医師は本当に患者に必要な薬だけを投薬するようになるのではないか。事は簡単ではないかもしれませんが、私の気持ちとしてはそのように思っております。  以上でございます。
  88. 柄谷道一

    柄谷道一君 最後に、また再び江見公述人にお伺いいたします。  過般、当委員会に参考人をお呼びいたしました。自民党から御推薦のありました千葉大学の地主教授は、参考人の意見として、一割負担というものはやむを得ないとしても本則二割に確定するということについてはより慎重な検討が必要ではないか、医療供給体制の整備の状況はどうか、受診率の変化がどうあらわれるのか、それが国民の健康に及ぼす影響はどうか、保険負担の改善がどうなっているのか、さらに各種保険一元化に当たってはその給付負担の公平というものをどうして保つことができるのか、これらを慎重に検討して決定すべきであって、それらの検討がこれからなされようという時期に、八割給付を前提とすることについては適当でない、こういう御意見でございました。本日の市川公述人の御意見もそのようであろうと思います。  先生は、八割給付賛成立場をとっておられるのでございますが、多くの検討しなければならない課題を抱えながら、しかも一元化といっても、その場合のたとえば国保の給付負担率のあり方、これへの財政的影響というものも全然議論もされずして本則八割を明記する、これは最悪の場合といえども努力目標であって、本則に八割と書くことについては大いに議論の存するところではないかと、こう思うのでございますが、この点に関する先生の率直な御所見をお伺いしまして、時間でございますから私の質問を終わります。
  89. 江見康一

    公述人江見康一君) もちろん私も、その点について自信を持って、胸を張ってというわけではございません。先ほど御指摘になりましたような各参考人が、今後の新健保法の施行後、その動向を十分いろいろ勘案して次の手を打つべきであるといったようなことにつきましては、私自身もそういうふうには考えておりますが、さらにその先を考えると申しますか、十年後、二十年後のことを考えた上で、そのバランス関係から考えて、二割というのはやむを得ないんじゃなかろうかというようなことで申し上げているわけでございます。したがいまして、先ほど申しましたように、自信を持ってというか、胸を張ってということではございません。  ただ、高齢化社会というのは厳しいという認識なんです。したがって、そのことを考えますと、今やっぱり苦しい選択なんですけれどもやむを得ずという立場で二割ということを申し上げたわけでございます。
  90. 下村泰

    ○下村泰君 公述人の皆さんは、朝の十時から休憩を一時間挟みましてもう今十六時、長い間本当に御苦労さんです。  私はいつでも一番最後に質問させられますので、ほとんどの先生方がもう質問なされていらっしゃいます。それで、角度を変えて二、三の質問をしてみたいと思います。  小西公述人は余りこういうお席には出席なさった御経験がないと思います。並びに笠岡輝昭公述人も初めてのことだと思います。お二人の公述人に同じことを伺います。  これだけのお時間、当委員会の様子をどんなふうにごらんになりましたか、御感想を述べてください。それから、お二人とも、今何を望んでいらっしゃるのか。この二つをそれぞれお答えください。  小西さんからどうぞ。
  91. 小西熱子

    公述人小西熱子君) もっとたくさん出席者がいらっしゃるのかと思っていました。それが感想です。  それから、望むことは、私のような患者立場にある人間、こういうところには余り縁のない人間を、もっと早い時期からどんどん呼んで意見を聞いていただきたいなという感想を持ちました。
  92. 笠岡輝昭

    公述人(笠岡輝昭君) 率直にお答えを申し上げます。なお、失礼の段があるとすれば私の責任の負うところでおわびを申し上げなければいけません。  実は、私は、過去にテレビやラジオで若干の科学の解説などにかかわったこともございました。しかしながら本店は、社労委の諸先生から非常に深く御勉強になられた上で、私どもごとき者に御質問をいただくと、こういうような状況でございまして、私どもは私どもなりに考えるところを申し上げたつもりでございますけれども、やはり先ほどお尋ねがございましたように、もう少し公聴の機会を多角的に、そして一回ということではなくて複数、過去にもあったように伺っておりますけれども、持っていただく程度の余裕は必要ではないか。基本的には、私は、これは将来を見通したなかなか立派なものだと評価しておるんですから、しかし、これが国民の目、国民の耳にどう反応するか。  私は私なりに、きょう反応を得ておるのでございます。けさ参ります車の中で運転手さんと多少の論議をしてまいりました。二割アップですねと、すぐこう言ってまいりました。二割負担ということは今まであったことがない、あなたはどうするんだと聞きましたら、私は医者は嫌いです、薬は嫌いですからと。この暑いときですから、約二十四時間に近い勤務をされる運転手さんは、いろいろ自分自分で守らなきゃいけない姿勢をちゃんと持っておられる。私は非常にそういう方に対して深い敬意を払っておるつもりです。  したがいまして、今下村先生からの御質問にずばりお答えができなかったかもしれませんけれども、やはり公述人はいろいろな角度から、もう少し時間をかけてお選びになる必要がある。各政党が委嘱される、こういうことも必要だと思いますけれども国民の中からアトランダムと言っては少し言い過ぎますけれども、やはりそれ相当の、日ごろ考えを持っておる人がいるわけですから、そういう生の声を、余り煮詰まった段階、かつ余りせっぱ詰まった段階で御聴取にならないで、もう少し早い段階で、それが国政に生かされる非常に手短なかつ生きた方法ではないかと、こういうふうに愚考いたします。  以上でございます。
  93. 下村泰

    ○下村泰君 そうしますと、今あなたが何を考えていらっしゃるかということも含めてのお答えであると……。
  94. 笠岡輝昭

    公述人(笠岡輝昭君) さようでございます。
  95. 下村泰

    ○下村泰君 ありがとうございました。  木村公述人に伺います。  新聞の活字なんか見ますと、三師会——医師、歯科医師、薬剤師、こう三つ並べますと、薬剤師というのはどこに位置づけられるものなんですか。これ、平等の一線上にいるものなんですか。それとも薬剤師というのは一段下に置かれているものなんですか。どうなんでしょう、私はよくわからないんですけれども
  96. 木村繁

    公述人(木村繁君) でき方から申し上げますと、医師、歯科医師は大学六年でございます、薬剤師は四年でございます。六年を過ぎまして、薬剤師は四年過ぎましてから国家試験があることは同じでございます。  これ以上お答えできないことを、お許しをいただきたいと思います。
  97. 下村泰

    ○下村泰君 木村公述人のお話を伺っておりますと、薬剤というお仕事に従事すること自体、もう大変な仕事なんだなという私は感触を受けるんです。ところが、おもしろいことに、テレビやなんかで医薬品の宣伝をします。必ずあそこには医師の指示に従えと書いてあるんです。ところが、本当は薬剤師の方が薬のことはよく知っているはずなんで、何であれ、薬剤師の方の指示に従えとは書いていないんでしょうか。私はちょっと、大変単純な疑問がと思いますけれども、薬剤師の方が薬に対しては詳しい、詳しい方の指示じゃなくて、医者の指示というのは、これちょっと私にはわからないんですがね、どういうふうにお考えですか。
  98. 木村繁

    公述人(木村繁君) お答えいたします。  あの宣伝を出しておりますのはメーカーでございます。メーカーがつくっております薬の八五%は医師が使っております。一五%が薬局で売られております。それが原因でございます。
  99. 下村泰

    ○下村泰君 それから、一般の国民の中には薬局と薬店の区別がないはずなんです。公述人に言わせると、これはどういうふうに区別したらよろしいんでしょうか、薬店と薬局というのは。
  100. 木村繁

    公述人(木村繁君) 薬局といいますのは、調剤室——薬局と言っておりますが、それを持っておりますのが薬局でございます。これがわかるのは実は薬事監視をなさいます保健所の役人さんだけでございまして、大衆から見ていただきますと、薬店は、外に何々「薬局」と書けないことになっております。薬局は書けます。ただ、薬局はどんな名前を使ってもいいということになっておりますので、「薬局」がないから薬局でないとは言えないということになりまして、下村先生の御質問の、まあ一般的にはちょっとなかなか見分けにくいのではないかと思っております。
  101. 下村泰

    ○下村泰君 これ、非常に単純なことかもしれません、一番単純なことかもしれません。ところが、むしろこういうことから私は薬に対する観念というのは、医者に頼らざるを得ないと、こういうところに大きな私は原因があるような気がするんです。  木村さんのお考えになる医薬分業のメリット、これはもう大分前にさかのぼったころから問題にされているんです。いまだにできない。やっているところもあります。私の知り合いの医院で、やっているところもあります。しかし、おおむねはやっていません。しかも患者の方は、この先生にもらった薬は効いた、こっちの先生にもらった薬は効かない。こういうふうに患者は簡単に見るんですよ。こちらの医者にかかって治りが遅いとこちらの医者にかかる。こちらのAという医者にかかって治りにくかったところが、Bへ行ったら治った。ところが、もうそれは治る状態にあったから治ったんだと私は思う。けれども患者の方にすれば、Aという医者のくれた薬は悪くて、Bという医者のくれた薬の方がいいんだと、こういう判断をするんですね。  だから、医薬分業のメリットというのは一体どういうことになるんですかね。私、素人で余りわからないんですが、御専門の目から見てどうなんでしょう。
  102. 木村繁

    公述人(木村繁君) お答え申し上げます。  ただいままで先生から三、四問の御質問をいただいたわけでございますが、それに対する補足も含めまして申し上げます。  私は、こういう言い方をするとちょっと誤解が生ずるといけないんですが、自分への反省ということも含めましてはっきり申し上げますと、一番最初の御質問にありました、三師会と言われていると、三師会と言われて国民医療の少なくとも薬剤に関する部分専門家はお前たちなんだぞというぐあいに国から負託を受けて、免状をもらっておるわけでございますが、それがどうも今までの薬剤師が、その負託にこたえるだけの自信を表にあらわすことが下手だったんじゃないか。今先生おっしゃったように、薬局と薬店ということもわからないじゃないかと言われるんですね。そういったことも含めまして、あるいはメーカーさんが宣伝するときに、薬局さんじゃ一五%しか売っていないんだから、八五%使うお医者さんの機嫌とっておけばいいんだという感じでおやりになっても文句は言えなかった、そこら辺の問題。  これは少し言い方が嫌らしくなるんですが、私も日本薬剤師会の一員でございますが、日本薬剤師会の中には、私どものように薬局をやっている人間もあります。それからお医者さんのところへ薬を売りに行っているメーカーも入っております。それからもちろんその中間の卸業者もおります。それから大学病院なんかで働いております病院薬剤師もおるわけでございます。こういった者の中で、実は十二万人もあると今申しましたが、開局薬局というのはわずか三万なんですね。非常に薬剤師のおる場所が多様です。それから逆に言いますと、医薬分業にならないからみんなほかのところへ行っておりまして、一般の薬局は、表から見たら雑貨屋じゃないかと言われる場合があるんですね。それは処方せんが来ないものだから、しようがないから石けんを売っているというような面も今まではあったんです。それではいけない、まず私ども店を片づけようという態勢に今なってはおるんですが、従来国民の皆さんの目に映っていたのは、薬局さんは鼻紙売っているじゃないかというようなことで、これは私ども反省を含めて、もっときちんとやっていかなきゃならないだろうと思っております。  以上でございます。
  103. 下村泰

    ○下村泰君 ありがとうございました。  それでは、市川公述人に伺います。  先ほど、先生のお話を伺っておりますと、ある企業が体力テストをしたところが、十九歳以下の人間が四十二歳から四十三歳、これはよほどだらしのない会社だとは思いますけれども、それにしても、そういうデータが出たということは恐るべきことだと思いますし、現実に各高校、あるいはノンプロ、あるいはプロにおきましても、野球の選手が非常にけがをしやすいという状況は確かにあります。それから小学校や中学においても転んだだけで骨折をするという子供さんも多うございます。そういうことを考えてまいりますと、何といっても人間医療機関にかからないのが一番いいことであって、医療機関にかからないような体をつくるにはやはり保健体育が必要である。そうしますと、もっとさかのぼりまして、いわゆる小学校あるいは幼稚園から健康教育というものをなさねば、将来丈夫な国民はできないだろうという気持ちが私には多分にあるわけです。  今市川先生のお考えの中で、そういったような、十九歳以下の人間を体力テストしたら四十二から四十三と。これを根本的に考えて、小学校からどういうふうな健康教育体系がありましょうか、お聞かせ願いたいと思います。
  104. 市川洋

    公述人(市川洋君) 先ほど申し上げました、十九歳以下の社員はかりましたところが、四十二から四十三の体力年齢であると、これは、体力年齢というのが実は理論的にかなり問題がございまして、実はちょっとトレーニングしますとすぐ二十代ぐらいまで上がるわけでございますけれども、それは確かにジョギングでも何かこうやりますと上がるんですね、確かに。余り深刻に考えなくてもいいとは思いますけれども、実は、この企業で調べましたところが、二十歳から二十四歳も、二十五歳から二十九歳も、大体そんなものでございまして、これは特別にだめな企業ではないと思います。  それで、医者にかからないでもいいようにというのは、要するに、もうちょっと別な言い方をいたしますと、病気でなくても一年に二回ぐらいは健康相談あるいは生活指導で行なった方がいいんですね。病気でなくてもホームドクターにはかかった方がいいと思います。ただ、そのホームドクターの方が、実は今医科大学でそういう教育が十分なされておるかどうかは私どもよく存じませんし、例えば健康増進というのが医学部でどういうふうに位置づけられているのかよく存じませんし、どうもお医者さんに聞きますと、いややっぱり医学部の教育は病理学が基本であるというふうにおっしゃいますので、その辺の医学部のカリキュラムがどうなっているかよく存じませんけれども、医学部のカリキュラムをもうちょっと慎重に御検討いただきまして、健康増進の方の研究もやってもらって、そして、お医者さんがたくさんできる、できたときに、そのできたお医者さんをむしろ幼稚園や小学校とか中学校に大いに置いていただいて、そういうところで保健教育あるいは健康教育をやっていただくことが将来の国民の健康水準の向上に非常に資するんではないか。ただ、そのためにはいわゆる急性疾患の治療専門のようなお医者さんがやっぱり小学校や幼稚園に配属になってはだめでございますから、そういう健康教育のいわゆる健康学に強いようなお医者さんをたくさん医科大学で養成していただきまして、そういう健康学の方の専門家を学校になるべく保健の先生かなんかに採っていただくというのは、これは一つ考え方としてはあり得るのではないかというふうに考えております。
  105. 下村泰

    ○下村泰君 木村さんにもう一つ聞くのを忘れていましたから、これだけ伺って終わりにしたいと思います。  先ほど、何か一万六千種ぐらいの薬がある、そのうちに効かない——効かないというのは語弊がありますわな。大して効力もない、かといって害毒もない、そうすると私らの仲間の口で言わせれば、これはへみたいな薬と、こういうことになるわけです。そんな薬を渡されて銭を取られたんじゃこちらかないませんわな。そういう大した効力のない薬、そういったものをなくす方法というのはありますか。
  106. 木村繁

    公述人(木村繁君) ちょっとなくす方法というのはあれなんですが、やはり国民が、もっと薬の問題を勉強をされたらいいんじゃないかと思うんですね。外国でどんな程度に使われておるかというような問題、最近、私どもではなかなか難しいんですが、語学の達者な若い人たちが出ておられますので、それこそ外国人との文通やホームステイやなんかでおやりになるときにいろんな資料が入ってくるわけなんです。そういったもので薬に目を向けるという、向けさせるという努力をするだけでも随分違ってくるんではないかなと、そのように思っておるわけでございますけれども
  107. 下村泰

    ○下村泰君 薬剤師の皆さんのお力で、それを売薬の方でなくすということはできるんでしょうか。
  108. 木村繁

    公述人(木村繁君) そういう許可は厚生省の方がおやりになることでございますので、私どもは、一応会としてお願いをしているようなものもあります、そういったものであるのでございますが、今のところは厚生省は認めておられますのでどうしようもないという感じでございますね。効いたんだということで、きちんと偉い先生方のデータも出ているわけですね。ところが、外国では全然使われていない、こういったものはかなりあります、今の日本で。これは一度きちんと調べなければ、非常なむだ遣いであろうというぐあいに思っております。
  109. 下村泰

    ○下村泰君 ありがとうございました。
  110. 石本茂

    委員長石本茂君) 以上で質疑は終わりました。  公述人方々には長時間にわたりまして有益な御意見を述べていただきましてまことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  以上をもって、本公聴会の議事をすべて終了いたしました。  これをもって公聴会を散会いたします。    午後四時二十分散会