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参考人(山上賢一君) ただいま御紹介をいただきました高知医大の山上でございます。
これから公述申し上げますことは私の考えでございまして、大学等とは
関係はございませんので、この点、よろしく御了解をいただきたいと思います。
まず、御承知のように、
日本国憲法におきまして、「すべて
国民は、健康で文化的な最低限度の
生活を営む」ことを保障されているというふうに規定されておりますが、この憲法の趣旨を具体化しているのは、社会保障に関するいわゆる行政実定法であろうと思います。しかしながら、今日各種の社会保障
関係の法律を見ますと、憲法が意図している
方向で、生存権あるいはまた快適な
生活を営む権利の実現を図っているかというと、必ずしもそうとは言えないと思われるのでございます。
我が国の社会保障は、
基本的人権の尊重という立場から考察する必要が私はあろうかと思います。また、現代のこの社会保障は、広く
国民の全般の権利として推進されていかなければならないときにきていると思うのであります。
まず、そこで、
医療制度の
問題を見てみますと、この
医療という言葉は、御承知のように健康の保持あるいは増進、
疾病の
治療、
予防、さらには
リハビリテーションなどのために
医学を応用すること、すなわち
医学の具体化ないしは実践であろうかと思います。そうして、
医学が
医療へと具体化されるに当たりまして媒介とされるものが
医療保険制度でございます。
御承知のように、
世界的に最高水準にあると言われております
我が国の
医療が、その水準のままあまねく
我が国民に応用されているかといいますと、その理想が必ずしも実現していないのが今日の姿でございます。しかし、今日の
医学の場面におきまして、時間的、いわゆる緊急性でございます。あるいはまた、空間的な
問題、地域差でございます。あるいは経済的な諸制約、その他さまざまな要因がその実現を
妨げております。さらに、目覚ましい現代
医学の
進歩に伴って高度化されてきた現代
医療は、高度の専門知識、技術を有する
医師を初め、多数の
医療関係者、高度の設備、
医療施設、あるいは高額の費用などを要し、
医学が
進歩し、
医学が高度化するにつれて、ますます一般
国民がその恩恵に浴するということが難しくなるという、まことに皮肉な結果となっているのでございます。
医療保障ないしは
医療の社会化とは常々よく言われておりますが、御承知のように、簡単に言えば、だれでも、いつでも、どのような
医療でも受けられるということでなければならないと思うのでございます。
そこで、いかにして今日の
医療の社会化を達成すべきかという課題でありますが、私は、
我が国の
現行の
医療制度の現状と
問題点を明らかにすることによって、その課題へのアプローチを試み、なおかつ将来への提言をも含めまして述べさしていただきたいと思うのでございます。
まず第一に、今回の
健康保険法の一部
改正の
問題点を指摘いたしますと、まず第一に、私は
給付率の見直しであろうかと思うのでございます。高齢化社会を迎え、財政危機をめぐる社会保障
制度への対応策として、公的年金と
医療保険が最
重点項目として注目されておることは皆様御承知のとおりでございます。今回の
医療保険の改革の
問題は、
国民の世論や野党の
意見を吸収しないまま
政府の予算編成の中に組み込まれた、そして発表されたという感じを否めないのでございます。例えば社保審とか社制審の両答申が、各
意見の併記により異例の注文と苦情を述べているにもかかわらず、原案の骨子はほとんど修正のないまま国会に提出されたということでございます。年金の場合は、御承知のように、グリーンペーパーというふうなもので各界の知識属の
意見を集約をしてつくられたやに聞いております。
ともかく、今日
医療費の
伸び率と申しますか、年々一兆円のペースで増大する
医療費の
抑制は不可欠であるとしても、今回の
改正というものは、
国民皆
保険制度の理念に基づく
医療保障、あるいは
医療制度の崩壊や解体につながる危険性をも包含しているのではないかと思うのでございます。
国民が社会保障に寄せる期待や安心感を消失させる可能性をはらんではいないか。
ただし、
退職者医療制度の創設は、それ自体、私はその点については評価をいたすものでございます。ただ
問題は、御承知のように
退職者医療制度の運営につきましても、原資を拠出するいわゆる政管、組合、共済に発言の場がなく、ただ資金を拠出するだけというのは
問題であろうかと思います。さらにまた、
国庫補助がなく、公的な
制度としての他の類似の
制度に比して不公平ではないかと思うのでございます。
また、
国保という同一
制度の中で、八割
給付の
退職者としても、その割合が、七十歳以上の老人、そして七割
給付の自営業、農民、漁業というふうな、
給付の格差のあることも疑問がございます。あるいはまた、
国保への
国庫補助の削減も、歴史的な経緯を無視をしたものであろうかと思うのでございます。
次に、今回の改革点の最大の争点でございますが、被用者
保険本人の十割
給付という、いわゆる
健康保険制度発足以来の原則を取り崩して、いわゆる八四年七月から九割
給付という
改正がなされておりますが、
基本的には我々はこの点について非常に疑問を感ずるわけでございます。確かに
政府の掲げておられますように、
現行十割
給付は乱診乱療を招いている、あるいはまた、被用者
保険の
本人と
家族、あるいは
国保との間に
給付率の格差があるから、それを是正して一本化したい、あるいはまた、二割の自己
負担は過大ではなく、別に高額療養費
制度がある、あるいはまた、かかった
医療費がすぐにわかるようになるというような点を挙げておられますけれども、健康に対する被
保険者自身の自覚を高め、乱診乱療を防ぐ趣旨であれば、
医療費の
内容にいわゆるむだや不正が含まれ、
差額ベッド等の
保険外の
負担の
問題が未解決の現状では、
本人の
給付率を十割から一挙に引き下げるという点につきましては、
国民の納得は到底得られないのではないかと思うのでございます。
確かに、
健保の
本人の一割
負担の導入で削減できる
国庫の
負担は、いわゆる
受診の
抑制効果も含めて二百九十三億円程度というふうに言われておりますが、国側の真のねらいはこの一部
負担の導入ではなくて、これによって浮く
保険料の財源で
退職者医療保険制度を創設することにあるのではないかと見られるのでございます。
次に、
医療費適正化の
問題でございます。
医療費適正化と申しましても、
医療機関に対する
支払いの削減をねらっているものであって、それらの性格がどのような性格を持ち、
医療機関が
国民の
医療にどのような
影響を与えるかが注目をされるわけでございます。
まず第一に、
診療報酬の合理化とかあるいは薬価基準の適正化とか、また指導監視体制の強化、またレセプト審査の充実強化などによる不正請求の排除とか、いろいろな点を
内容とする、
保険財政からの
医療支出対策が述べられておりますが、これらの点につきまして、一、二の私見を述べさせていただきたいと思います。
まず第一に、薬価適正化でございますが、国際的に見ましても不当に高い
日本の
保険薬価を適正化することが、
保険財政の健全化のために不可欠であろうかと思います。ところが、
現行の薬価
改定の方法は、薬価基準と、製薬会社がいわゆる
医療機関に実際に販売納入をしておりますところの価格、すなわち実勢価格との間に生ずる薬価の差を減少するという考え方に基づいているのではないか、この最も高い独占価格にメスを入れて、製造原価によって適正に下げるというものではなく、
医療機関のいわゆる薬価差益としての収入の
部分の減少をするというふうなことに
問題点があるのではないか。この点、特に
医療の
診療技術の評価の見直しをすべきではないかと思うのでございます。
医療の技術の評価の見直しをするならば、そういう点もカバーされるのではないかと思うのでございます。ともかく先般、臨調の第一次答申で
医療費の適正化の
一つとして薬価
改定が取り上げられ、一九八一年の六月に平均一八・六%の引き下げが実施されましたが、それにより打撃を受けたのは
医療機関、特に外来
診療で薬剤の割合の高い
内科中心の開業医であって、決して製薬会社ではないのではないか、こういうふうなことさえ言われております。ともかく、このような状況で
診療報酬と薬価の
改定が進行しますと、本当の
意味の技術評価がなされずに、実際は
差額ベッド料や付添
看護料で
保険外の
負担の拡大にならざるを得ないことになるのではないか。
医療機関を通じて
医療のゆがみの拡大が私は心配されるのでございます。
二番目に、指導、審査、監査体制の強化とレセプトの
関係でございますが、
政府案によりますと、点検強化措置といたしまして、手作業からコンピューターを導入する計画を経て十五名から成る特別
審査委員会を新設し、
高額医療費の請求を
重点的に審査する体制を整備するということも聞いておりますが、しかしこの
政府の実施の観点は、適正な
医療かどうかを点検するというよりも、当初から
医療費の削減という明白な経済的動機が先行してはおらないか、これが必要な
医療をも削減する
方向へ、誤った導入をすることにはなりはしないかと危惧するものでございます。
次に、第三番目に
医療見直し、いわゆる自己責任の
問題と
医療のゆがみの
問題でございます。
先般、
厚生省では、
医療標準の
概念を導入すべきだというふうな
厚生大臣の見解が、林前
厚生大臣によって明らかにされたことがございますが、これを受けまして大蔵省も、
医療保険の
国庫補助は一九九〇年ごろには全廃するとの意向を表明されたことがございます。このような考え方は、
老人保健法の法文にもあり、老人の
医療費の無料化が崩され、有料化に移行し、ともあれ老人の
受診率が明らかに低下傾向を示したことは事実でございます。老人の
医療機関の渡り歩きとか乱診乱療の是非はありますけれども、これが老人の長寿や健康に与える深刻な
影響ということも徐々に明らかになるもので、楽観できるものではないわけでございます。特に、
老人医療の分野のゆがみが今日も懸念されておるのでございます。この
高額医療の
問題一つを取り上げてみましても、自己
負担限度の現在
審議されております五万一千円が五万四千円に引き上げらると、あるいはまた、課題であるところのこれまでのレセプトの方式改革、そういうふうなものを見ましても、特にこの
老人医療の分野のみならず
医療の自己責任というふうな
問題は私は慎重に考えていくべきではないかと思うのでございます。
健康の自覚というふうな場合、各自が病院に行って得るのは健康の自覚ではなくて、病気に対する自覚ということになりはしないかと思うのでございます。本当の
意味の
予防医学というものをここで選別をつけなければならないのではないかと思っております。
最後に、
医療保険の将来への提言と申しますか、今回の国会
審議の中で
厚生省では、将来のビジョンを出されて、その目標として三つの柱を挙げておられるようでございますが、まず第一に、
医療費の規模を適正水準にし、
国民所得の
伸びと同程度にとどめる。二番目に、すべての
国民について
医療保険の
給付率は八割程度で統一を図る。三番目に、人生八十年型社会に適応する
医療保険の構造を考え、
負担の公平化を期すると、その目標を掲げております。この目標自体は私はまことに結構であろうかと思います。これらの将来展望と当面の目標に沿って今回の
政府案が
位置づけられると
政府は考えているわけであります。しかしながら、その
政府案は、
国民医療を軽視した、いわゆる財政
抑制策としか受けとれないのでございます。
給付率を九割にする、その前提として、
保険料をこれ以上引き上げないでというふうな考え方があるといたしましても、将来
国民医療の八割
給付は、
保険料を引き上げないで実現することは恐らく私は至難のわざではないかと思うのでございます。
次に、具体的な提言でございますが、私は過去イギリス連邦ニュージーランド、あるいはイギリス、北欧と、あらゆる欧米先進国に留学をいたしました経験と申しますか、そういう中で得ましたことを私の個人的な考えでございますが、一言述べさしていただきたいと思うのでございます。
それはどういうものかと申しますと、いわゆる
自由診療の中におきまして、イギリスで行われております人頭割の方式でございます。このイギリスの事情を申しますと、地域にホームドクターが配置されまして、
住民はそれぞれ自分が信頼するホームドクターに
登録をする。今日よく言われております
プライマリーケアということになろうかと思いますが、
医師はその
登録者一人につき二ポンドずつ
政府から支給をされるというふうな形になっております。こういう方式によれば、
保険給付の総額が初めから計算できるわけでございますから、
保険収支の計画が立てやすい利点があるわけでございます。したがいまして、
登録関係において地域
住民との
信頼関係が非常に優先される。
しかも、具体的に申しますと、その
登録医のホームドクターというのは、職場の近くかあるいは自分が住んでおる近くか、どちらかを選ぶことができます。そういたしまして、
日本に古来からありましたいわゆる家庭医
制度的なもの、近所のお医者さんと非常に親しくする、例えば生まれ落ちてから死ぬまでカルテがそこに残る、そういうふうな方式でございますれば、そのお医者さんがカルテを見て、そうしてそのカルテに従ってすぐ病気が重いかどうかというふうなこともわかりますし、そしてどうしても重症の場合には公立の病院に回すことができる、こういうふうなシステムでございます。したがいまして、
医師の技術料の評価という点のバロメーターにもなります。そういうふうな、
日本ではなくなりつつあるそういう地域
住民との
信頼関係がこの
登録関係において優先することができる、非常にいいのではないか。
したがいまして私は、
日本に従来あります
出来高払いとこのイギリス型のホームドクターの
制度をドッキングすることによって
日本的なものができるのではないかというふうに常々考えておる次第でございます。ただ、
問題点といたしましては、費用や手間のかかる
患者を抱えた
医師は不利な時間を費やすということにもなりかねない点があるようでございます。
次に、二番目に、医の倫理の確立の
問題でございます。
私が長年社会
医療審議会の
会長をやらしていただきました京都におきましても、あるいはまた、今奉職をいたしております高知医科大学にいたしましても、私が
関係いたしましたそれぞれのお医者様は非常にすばらしい方たちばかりでございます。
医師は、知と徳と社会的な地位の重さということで人後に落ちない職業でございますので、そういう
先生方は別に
問題はないわけでございますが、最近の新聞紙上によりますと、御承知のように、いわゆる不正請求とか、あるいはまた脱税の
問題とか、ごく一部のお医者さんではあろうかと思いますが、そういうふうな点が絶えず新聞紙上をにぎわしておるというのも事実でございます。そういう点を考えてみまするに、有名な貝原益軒の不朽の名作ではございませんが、「養生訓」に掲げておりますところの、「医とならば君主医となるべし。小人医となるべからず。君主医は人のためにす。」という、そういう観念を持った
医師の倫理というものを確立をしていかなければならないのではないかと思うのでございます。
次に、三番目に、今日よく言われております
医療費の増大の
抑制策といたしましては、
医療保障の
制度的体系と申しますか、現在
日本は御承知のように
医療保険の体系をとつております。あるいは欧米各国では
医療サービスの体系をとっておる国が割と多いわけでございますが、それぞれ一長一短はあろうかと思いますが、特にこの際、
制度的な歯どめを考えるべきであろうかと思います。そのためには
制度的なメカニズムの確立をする必要があるのではないか。例えば、将来、非常に情報化社会が叫ばれております。オンラインで、地域の
医療にかかったその血液検査なら血液検査をしたものがすぐ中央のセンターに直結できるというふうなことをすれば、いわゆる過剰
診療の防止というふうなことも可能ではないかというふうな、これからの情報化社会にそういうふうな
方向も
一つの方法ではないか、かように考えておる次第でございます。
また、先ほども申しましたように、今日のお医者さんあるいは大学の
先生、とても皆すばらしい方ばかりでございますけれども、ただ
問題は、これは全く私の個人的な考え方でございますが、従来から医薬分業というふうなことが叫ばれておりましたが、私は、医薬品の
内容の表示をすべきではないかと、個人的な
意見でございますが、そのように思っております。それはなぜかと申しますと、いわゆる生きるか死ぬるかというよりも、簡単な食品衛生法というもの自体
一つをとってみても、その食品衛生法には
内容が明示されております。したがいまして、人体に一番
影響のある薬に今日その
内容が明示されていない。そういう点につきまして、そういうものを明示することによっていわゆる
国民の薬の乱用というものも防げるのではないか。これは私の全く私論的な
意見でございますが、そういう点も考慮していただいたらいかがなものだろうか、かように考えております。
ともかく、今回の
健康保険法の一部
改正に当たりまして、我々
国民が
生活を託しておるこの社会保障自体のあり方に対しまして、正しい洞察と、それを愛する心が息づいていなければならないことは当然でございます。と同時に、私は、本格的なこれからの高齢化社会に備えまして、
医療費の規模を適正水準にする、あるいは
給付と
負担の公平を図るというふうなことによって、
医療保険制度の安定した基礎をつくることができるのではないかと思うのでございます。
以上で終わらせていただきます。どうもありがとうございました。