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栗林卓司君 それで私も悩んでいましてね、遺族もしくは
関係者のお気持ちを察しますと、もうあれはとても無理だからあきらめなさい、後慰霊碑を建てて云々なんて、これはとても言えませんよね。といって、生きている者の二次
災害の
被害防止をまず優先的に考えなきゃいかぬ。
生活道路を含めていくといよいよ膨大な機械をあそこに持ち込むしかない。と、やっぱり時間の経過とともに納得をしていくんでしょうけれども、今、
政府とすると、やはり
行方不明になった
方々の御不幸もさることながら、今残っている人のための施策をまず優先に考えていく、冷たいようだけどそうせざるを得ないというところに私は据わるべきだと思うんです。
これまでは
行方不明の
捜索と機械力を持ち込むというのが、やっぱり遺族の
関係者の感情があってなかなか進んでこなかったけれども、もう日がたったし、
現地の方もあるいは気持ちが落ちついてきたかもしらぬという意味では、大変一抹のつらさを秘めながら、後大胆に
工事を進めていくしか私はないんではないか。こんなことないですよね、普通の
土石流だったら、洪水だったら、
遺体が
最後まで見つからぬなんてことはないですよ。そういった意味では本当に初めての、未経験の
災害だったということをしみじみと感じていた次第であります。
問題は、この事態に対して事前の予知ができたんだろうかとだれしも思うんですが、今度この
被害がありまして、にわか勉強して本を買ってみてびっくりしたんですけれども、これはNHKが出しているNHKブックスでしてね、「
地震に関する学問は、いま飛躍的な発展の時期にある。」と書いてある。お書きになっている方は竹内均さん、これはもうこの方面の権威であります。この方が何と書いているか。
地震の予知はできないと書いてある。なぜできないかというと、いろんな前兆があるというんですが、なるほどあるかもしらぬ。ところが、同じ前兆があって
地震がなかった場合がたくさんある。
地震が起こってみて、ああ、あれは前兆だったなと後で気がつくのがほとんどだ、後で気がついたら前兆予知もへったくれもないではないか。
普通
地震がありますと、地盤が沈下していたのが隆起をするとか、ある変化がある、だけとこれはおおむね
地震と同時なんです。もしくは百歩譲って考えてもせいぜい数時間前、ということは、実際問題としては
地震の予知はできない。これは私は一つの見識だと思うんです。だから、何でもかんでもつぎ込めば
地震の予知ができるような錯覚を与えてしまうのは私は間違いだと思うんです。
とはいうものの、今度はこの本を見ますとね、これは力武常次さんであります。この方もこの方面の権威です。この方は何とかなるんじゃないかと書いてあるわけです。これ読んでびっくりしたのは、大規模
地震対策が東海
地震を
中心にして
観測体制をしいていますね。あれは
マグニチュード八以上の
地震に対してどうするかということを考えている組織であって、七以下については全く無能力なんです。ああいう大規模
地震について常時観測をして何とか手がかりがっかめないかというのがあの体制であるわけです。七以下の
地震については全く無力です。もしかして運がよくてつかまるかもしらぬけれども、まあだめでしょう。これが飛躍と発展の時期を迎えた現在の
地震学でも、比べてみるとそんなところかもしれない。じゃ、しようがないですなというお立場にはとても長官立てませんよね。
そこで、力武さんが何と言うかというと、
マグニチュード七以下についてもなるほどできるかもしれない、そのためには予算と人を十倍欲しい、そう書いてあるんです。いわんや直下型についてはお手上げた。調べてみても事実お手上げのようです、
現状は。だけれども、そうやって全国を細かい目にしてひずみ計を入れていくと、あるいは予知ができるかもしらぬというのは、膨大な予算と人がかかるんですということだと思うんです、学問の進歩がありますしね。竹内さんはとても無理だというような見識ですが、それだけの人と金をかけていけばあるいは予知ができるのかしらぬ、学問も進歩しますしね。そうすると.それだけの金と人をつぎ込んでやる決意を我々が持つかどうか、これはとてもちょっとやそっとの努力じゃ間に合わないというのも事実だと思うんです。
今度
災害地に行って痛感したのは、日本の国土のもろさだということです。こういった可能性があるところは全国至るところにあるでしょう。そうすると、国土庁とすると、それだけのお金と人をつぎ込みながら、そういう予知体制に向ってねじり鉢巻きで努力をするか。それとも竹内さんがおっしゃるように、やっぱり無理なんだ、だから
地震の予知はできないから、
地震が起きたときに
災害が出ないような事前
対策をするのが正解ではないか。どっちを選ぶかというのは、これはどっちでもいいということにはならないんですね。だから、本当はこの竹内説によりますと、例えば今度の例で言うと、
濁川温泉なんというのはつくっちゃいけないんですよ。そんなところに人は住んではいけないのですというぐあいに、全国を検討しながら、人の住みかえ、建てかえをさせていくか、あるいは予知ができることを期待しながら金と人をつぎ込んでいくか、どっちかだと思うんです。
そこで、今後に対する
方針としてどのようなお考えで臨んでおいでになりますか。