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参考人(
深海博明君) ただいま御紹介いただきました
深海でございます。座って発言させていただきます。
私に与えられましたテーマは
資源・
エネルギー、
食料問題、後ほど三人の
参考人の先生から詳しい御
報告があるわけでございますけれども、むしろ
総論的な話をしてほしいということでございますので、私は大体次の四点に問題を絞って
お話をしてみたいと思います。
まず第一は、現在の
資源・
エネルギー、
食料問題をどういうふうに考えたらいいのかという若干過去のいきさつも
関連さした上で、現在一部では
資源・
エネルギー問題につきまして、
食糧問題は別個でございますけれども、非常に供給過剰で楽観的な
状況だというような話がございますので、それをどういうふうに考えたらいいのかという
現状認識の問題を申し上げさしていただきたいと思います。
第一点は、こういう
資源・
エネルギー、
食料問題を考える場合の基本的な
視点ないしは総合的な
判断の
必要性といういわばそういう問題について御
報告をしてみたい。
第三番目は、
資源・
エネルギー、
食料問題についての
対応策を考えていくとした場合に、
考え方としてあるいは
考え方の
進め方としてまず具体的にそういう
政策の目標をどういうふうに設定し、どういう形で問題なり
危機が起こる
可能性があるのか、そしてどういうふうにそれに
対応していったらいいのかという、そういう
意味でのいわばこの
問題論議の
考え方の
展開ないしは
進め方の問題について申し上げ、そして
最後に若干私なりにここで御示唆いたしたいというような点についても時間があれば触れてみたいと思う次第でございます。
そこで、早速本題に入らしていただきまして、この
エネルギー・
資源、
食料問題というのが
日本ではどういうふうな形で
議論されてきて、現在の
状況をどういうふうに見たらいいのかということについての私の
判断を簡単に申し上げてみたいと思います。
第二次
大戦までの
状況は省略さしていただきまして、第二次
大戦後現在までの
動きをごく簡単に要約してみますと、第二次
大戦後はいわば
エネルギー・
資源、
食料という問題につきまして、各
資源別に問題の所在は違いますけれども、あるいは
展開方は違いますけれども、全般的には一九六〇年代後半まではむしろ自由な貿易によって海外から単純に
輸入してくればいいのではないかというそういう形でのアプローチがされてきたのではなかろうかと思うわけでございます。
一九六七年十二月号の「中央公論」の誌上に、前の
外務大臣であった大来
佐武郎博士が、
資源輸入国日本を自覚せよというそういう警鐘的な論文を書かれまして、
日本のいわば生存あるいは
経済運営に基本的にかかわるこれらの
資源が多量に
輸入に依存している。しかも、この国際的な
資源情勢というのは非常に
逼迫化あるいは
不安化のおそれがあるんだという形で、むしろここにございます
資源・
エネルギー、
食料問題が取り上げられるようになってきたわけでございまして、そういう形で一九六〇年代末、七〇年代初めぐらいから
政府もあるいは
経済界もあるいは学界でもこういう
問題論議がされてきたわけでございます。それを現実的に実証すると言い立てられているような形で一九七〇年代に入りますと、例の有名なローマ・クラブの「
成長の限界」というような形で、
資源枯渇あるいは
食糧不足、あるいは
エネルギー危機が差し迫っているというようなそういう
議論が行われますと同時に、現実的にも
皆様方が御存じのように、七二年にはいわゆる
食糧危機が、そして七三年十月には第一次
石油危機、そして七八年末から七九年にかけて第二次
石油危機というような形で、いわば一九七〇年代はこういう問題の一番の焦点となるようないろいろな
危機が取りざたされたわけでございまして、この問題の
重要性というのがいろいろな形で
議論されてきたわけでございます。ところが、一九八〇年代に入ってまいりますと、むしろ
目先のというか現在の
状況を見た場合には、
食糧についてはちょっと除きますと、いわゆるここで言う
資源・
エネルギーというようなものにつきましては、どちらかといえば供給過剰、あるいは特に
石油問題について見ればおわかりのように、今まで上がり続けると言われていた
石油価格もその
石油価格の
決定権を握っていた
OPECは去年一九八三年三月には
標準原油のアラビアン・ライトで見ますと一バレル、百五十九リットルですけれども、三十四ドルから二十九ドルへ値下げをする。そしてまた、最近イラン・
イラク戦争の激化によりまして
ホルムズ海峡でそういう封鎖の
危機、あるいはタンカーが攻撃されるというような
危機になっても、いわば第三次
石油危機というようなことも起こらず、これはいろいろ問題が残されていることは事実でございますけれども、あるいは
スポット価格等々を見ましてもそれほど
危機的な
状況ではない。そういうふうに考えてみますと、
目先の
現状を見てみますと、割合に一般には
楽観論が支配的となっておりまして、むしろ
エネルギー・
資源というような問題につきましては、どちらかといいますと
関心が薄れてきている、あるいは問題がなおざり視されているというような
現状があるように思われるわけでございますが、私は今のような
状況をどういうふうに見たらいいんだろうかということがここでの
問題論議の基礎になるのではないかというふうに思っているわけでございます。
そこで、細かななぜ現在のような
状況が生み出されたのかというような
意味での
要因分析等々、本当は申し上げた方がいいのでございますけれども、時間の関係がございますので、むしろ現在の
状況及び今後をどういうふうに見たらいいのかというそれについてだけ、私は簡単に
現状判断についての大胆な
意見を申し上げてみたいと思うわけでございます。
エネルギーや
資源問題について見る場合に、一九七〇年代の
現実展開の過程を通じて基本的に変わった面があるということは確かでございますけれども、同時に変わっていない面、私なりの言い方をさしていただきますと、いわば十年一日のように、やはり依然として
エネルギー・
資源、
食料問題というものの
重大性は変わっていない面と、それから十年一昔と言われておりますように、確かに大きな
変化が見られている面というのが、両方現在存在しているのではないかというふうに思われるわけでございまして、そういうことを考えてみますと、それらを総合的に
判断されて、一体今後どうなるのかということをここでもまた
議論される
必要性があるのではないかというふうに思うわけでございます。
そこで、変わった点をまず
お話ししてみたいと思うんでございますが、それは
世界全体、あるいは
北側の
先進国、あるいは
日本というもののやはり
経済成長率自体がかなり変わってきつつあるのではないかということが
一つの
ポイントでございます。これは第一次
石油危機までは
日本の
経済成長率は一〇%を超えるあるいは一〇%
程度、それが七〇年代には約半分の五%
程度、そして、最近また立ち直りの兆しが見られておりますけれども、八〇年代に入っては五%に満たない
成長率である。
世界的に見ましても、
世界全体の
成長率もまた七三年の第一次
石油危機までと第一次
危機後、それから一九八〇年代に入ってという形でかなり
成長率の
変化が見られるのではなかろうか。確かに現在の
状況よりも高い
成長率、
潜在成長率その他を見れば高い
成長率が達成される
可能性はあるとは思いますけれども、しかし過去の
世界経済全体としての五%を超える
成長、あるいは
日本経済としての一〇%の
成長率というようなことは、今後は余り起こりそうもないのではなかろうか。すなわち、
経済成長率が変わりつつあるということは、やはりこれは
資源需要あるいは
資源情勢について大きな
変化をもたらす
一つの
要因ではなかろうか。
それから第二の点は、やはり
経済構造、
産業構造というのがかなり変わってきつつあるのではなかろうか。いわば
経済の
ソフト化、
サービス化、高
付加価値化等々というような形で変わりつつある。ただし、このことはだからといって
エネルギー産業、
資源産業等々の
重要性がなくなったというわけではなくて、総体的に考えてみますと、そういう
経済構造、
産業構造の
転換等々がやはり顕著に進展してきている。この面からも、やはり
資源需要や
エネルギー需要についての大きな
変化が見られるのではなかろうか。
それから第三番目は、節約、
有効利用というような形がかなり徹底した形で行われてきておりますから、
経済成長率に伴って必要となる
資源や
エネルギーの量というものについては、従来ほど一対一あるいは
経済成長率を上回るような形で伸びていくというようなことはどうもありそうもない。ちょっとジャーナリスティックな言葉を使って恐縮ですけれども、例えば従来、
重厚長大型のものから、
軽薄短小がいいかどうかということは別ですけれども、そういうような形で
技術体系やその他も変わろうとしているわけでございまして、こういう点から見ますと、従来と違った
現象が出つつあるということは確かに思えるわけでございます。
ところが、そうは言っても変わっていない面というのがあるわけでございまして、それは
経済成長率が一〇%から落ち込んできたといっても、今後ずっとゼロ
成長を続けるというようなことはとてもありそうもない。それから第二番目といたしまして、非常に重要なのは、この
委員会は
外交というふうに題されておりますので特に申し上げたいと思うんでございますが、今のような形で非常に
省エネが進み、あるいはそういう
産業構造の
転換が起こっておりますのは、実は西側の
先進国特有の
現象でございまして、
南側の
発展途上国におきましては、実は
経済成長と
エネルギー消費あるいは
資源消費との間のリンクはまだ明確にございまして、非常に
需要消費が伸びている。それから、
東側のいわば
ソ連、東欧あるいは中国といったような
社会主義諸国を見ましても、そういう
現象は見られていない。したがいまして、
世界経済が全体として立ち直ってまいりますと、
世界的な
意味では
需給の逼迫する
可能性というのは十分にあり得るのではなかろうか。
それから、
石油エネルギー問題になりますと、現在いわば
石油が余っている、あるいは
エネルギーが余っている、こういうことでございますから、脱
石油やあるいは脱
OPECが完成したかのように考えられがちでございますけれども、
日本で見ましてもやはり
石油への
依存度というのは六割を超えているわけでございまして、
世界全体でも
エネルギー消費の
石油への
依存度は四割を超えている。したがって、脱
石油が達成されておりませんし、これは後の
末次さんから詳しい
お話があると思いますけれども、脱
OPECあるいは脱
ホルムズ海峡あるいは脱中東ということを見てみましても、
日本は他の
欧米先進国と比べてみまして圧倒的にそういう
状態が強い。
それから、
最後にもう
一つ申し添えたいことは、現在楽観的な
情勢になってきておりまして、
価格低下あるいは
景気回復の見通しが強まっている。そういう
状況でございますと、今まで進められてきました省
石油、省
エネルギーといったような、あるいは省
資源といったような
動きに対して逆効果をもたらす、あるいは
景気回復が軌道に乗ってくるといたしますと、
日本や、あるいは
先進国の間でも
需要が伸びる
可能性がある。したがいまして、そういうふうに考えてみますと、私が申し上げたいのは、現在一時的な形で楽観的な
情勢が存在していますけれども、その内容をよく分析してみますと、確かに変わった面もありますけれども、変わっていない、特に
日本という
立場から考えてみますと、この問題をなお重視して取り上げていかなければならないいろいろな側面が見られるわけでございまして、そういった面で考えてみますと、現在の
目先の
楽観論に惑わされないで、もう少し突っ込んだ
議論をする形でこの問題の
重要性を認識された上で
対応策を考えていただきたいというのが第一の点でございます。
そこで、第二の問題に入らしていただきまして、それでは
総論といたしまして、
資源・
エネルギー、
食料問題というのをどういうふうに考えていったらいいのかということでございまして、
一つはいわば基本的な
問題視点あるいは総合的な
判断、
評価をめぐっての問題を申し上げたいと思います。
非常に
総論的になりがちで、私は
大学におりますので、
抽象論になることをできるだけ避けたいというふうに思っているんでございますが、私が申したい点は、こういう問題を
資源・
エネルギー、
食料というようなものを別個に、そしてまた個々に
議論される前に、
総論という
立場がございますけれども、総合的に
判断、
評価をする、そういう
視点をお持ちになったらいいのではないかということを私は申し上げたいわけでございます。そこで、申し上げたい
ポイントといたしまして、私は五つの点をここでは指摘いたしたいと思うわけでございます。
第一は、時間的な
範囲という問題が非常に重要ではないかというふうに思うわけでございます。この
問題論議ですと、多くの
議論というのはいわば短期的な形で、
ホルムズ海峡でいろいろな問題が起こって例えば
石油供給が六割削減された、あるいは油断というような
現象が起こったらどうかというようなかなり短期的な
問題論議というのに中心が置かれておりますけれども、今のような
意味で究極的にはやはり今後
資源や
石油、
エネルギー需給というようなものが
適道化の方向に向かうかもしれないというようなことを考えてみますと、いわゆる
異常事態、
緊急事態という短期的な問題への
対応というよりは、
中長期あるいは超
長期的な形で、例えば
日本の
エネルギー供給やそういうものをもっと安定的にするにはどうしたらいいのか、そうすると
石油から代替新
エネルギーへの
転換をどういうふうにしていったらいいのか、あるいはそういう
長期的な
意味での
省エネをどうするのか。そうなりますと、今のような
意味でいいますと、短期的ないわば
異常事態や
緊急事態への
対応策だけではなくて、
中長期あるいは超
長期的に抜本的に、
エネルギー問題の
解決になると言われておりますようなそういう例えば
核融合の問題であるとか、あるいは再生新
エネルギーだとか、そういう問題を考えてみますと、それらが実現されるまでの時間、これを
リードタイム、
懐妊期間というふうに言われておりますけれども、それがますます
長期化しているような
状態が続いているわけでございまして、そういうふうに考えてみますと、時間的な
意味でも短期、中期、
長期、超
長期というようなものを総合化する形、しかもそういう長くなった
リードタイム、
懐妊期間をどういうふうに
判断して
現状で
対応策をとるのか。例えば今着手しても三十年ぐらいたたないとその成果があらわれてこないというような、そういう問題もかなり
資源その他では出てきているわけでございますので、そういう点をどう考えたらいいのか。
それから次は、空間的あるいは地域的な
範囲の問題でございまして、
日本というものが非常に重要であることは当然ではございますけれども、やはり
世界全体としてこの
資源・
エネルギー、
食料問題の
解決を図り、その中で
日本の問題を考えるというようなそういう
発想が要るかと思いますし、それから後で
非鉄金属あるいは特に
レアメタルなんという問題が出ましたときの問題、あるいは
食糧問題につきましても、やはり
東側の例えば
ソ連というのは、そういういわゆる
資源については潜在的に非常に
供給能力を、あるいは
資源能力を持っておりますですね。それから、今や
食糧の
巨大輸入国になっているという、こういう
状態を考えてみますと、やはり
東側との
関連なしにこの問題は処理できませんし、あるいは
食糧問題あるいは
エネルギー問題等々というのを考える場合にも、やはり私は非常に重要だと思いますのは、
日本が直接
食糧輸入あるいはその
確保という問題を考えるだけではなくて、例えば
南側のアジアやアフリカやその他の国々で
食糧の
自給化やあるいは
エネルギーの
国内資源の
開発が進めば、それが迂回的ではあっても
日本のいわば
食糧あるいは
資源・
エネルギー確保につながってくるという、そういう
発想が要るのではなかろうか。
それからもう
一つ非常に重要なのは、
先進国とのかかわり合いの問題でございまして、
総論という形で私が申し上げたい点は何かと申しますと、
石油についてはこれは圧倒的に
OPECに代表されます
南側の
発展途上国が主要な
供給源ではございますけれども、
食糧ないしは石炭あるいは
資源といういわば
非鉄金属や
鉄鉱石あるいはその他を含めて
工業原材料というようなものを考えてみますと、むしろ主要な
供給国は実は
北側先進国であるという、そういう事実を考えてみますと、いわばそういう
意味でいいますと地域的な
範囲でも総合的に考えていく
必要性があるのではないかというふうに思われるわけでございます。
それから第三の
判断、総合的に考えるということは、きょう私ここで
総論を申し上げますので、
資源の
範囲と申しますか、
資源・
エネルギー、
食料というのを別個に考えるということは非常に難しいのではないかという、いわばその
連動性、
相互作用性を考える
必要性があるということを申し上げたいと思うわけでございます。例えば、ちょっと例は悪いかもしれませんけれども、米は一〇〇%自給されている、だから最悪の
事態の場合にお米と野菜ぐらい食べれば生きていけるかもしれない、こういう話が出ているわけでございますが、現在これはちょっと古い
統計データ、一九七五年の
産業連関表を使っての計算結果でございますけれども、米一キログラムの
生産だけで
石油換算で二百三十cc、〇・二三リットルの
石油が要る。今のような
耕作方法をとっている限り、実は
食糧と
エネルギーというのは非常に連動しているという、こういう
関連性がある。したがって、
石油が全然来なくなって
エネルギー不足というような
状態が起これば
食糧生産にも非常に大きな打撃を受けるかもしれない。
あるいは後で
尾本参考人から話があると思うんでございますが、
鉱物資源、特に
レアメタルという
希少金属というものと
エネルギーとの
関連をちょっと例として挙げさしていただきますと、
原子力開発がこれは純
国産エネルギーであって、非常に
原子力をやることはいわばそういう
資源・
エネルギー、一時に
エネルギー問題の解消に役立つということでございますけれども、
原子炉をつくろうと思いましても、
原子炉材として例えば
レアメタルのジルコニウムというようなものがないと素材としていわば
原子力に制約が出てくるというような
意味で、したがいまして
食糧と
エネルギーあるいは
エネルギーとそれから
資源というようなものが密接に
関連している。そういう
意味で言いますと、全体としてそれを考えていく必要がございますし、むしろ今の
問題関心は
エネルギーと
食糧に移りがちでございますけれども、また
尾本参考人からそういう話があると思うんでございますが、今、
日本は
最先端技術産業をどんどん伸ばしていこう。例えばICとか
LSIとか超
LSIとかそういうようなものを、あるいはそういう
最先端の
技術産業を伸ばしていくというような場合には、これは高純度のシリコンを初めむしろそういう
レアメタルと言われているようなものが必要不可欠なものというふうに考えられているわけでございまして、そういう問題をやはりここでは総合的にお考えいただく
必要性があるのではないかというふうに思うわけでございます。
それから、実はもっとたくさん申し上げようと思っていたのですが、時間の関係がございますのでもう一点、私はこういう問題を考える場合の担い手のレベルということを皆さん方に申し上げたいと思うわけでございます。これはもちろん総合的に
判断をしろというようなことを申し上げたので、例えば
世界的に言えば国連等々の機関あるいは
先進国でのIEAとかいうそういう機関はございますけれども、ここでは
日本としてこういう問題を考える場合にどういう形で各担い手が分担してこの問題の処理を図るかということが私は非常に重要ではないかというふうに思うわけでございます。これは一般にはこういう
資源・
エネルギー、
食料というのは主として国がやるべき問題だという
意見もございますけれども、私は国とそれから
経済界、産業界あるいは
生産者とがどういうふうに分担をし合うのかということが
一つの問題だと思いますと同時に、私は忘れられてならないもう
一つの当事者あるいは担い手というのは消費者あるいは一般国民というレベルが非常に重要なものではなかろうか。要するに消費者や一般国民は国やあるいは産業界、
経済界に対してこういう問題についての配慮を要求するだけではなく、私は個人的には
食糧だとかあるいは
エネルギー等々の、後でちょっと
対応策の
一つとして触れたいと思いますが、例えば備蓄手段だとかそういうようなものを考える場合に、
政府や産業界が備蓄をするだけではなくて、
食糧その他であれば、これは一部分は個々人が家庭レベルで備蓄なりそういうものを図るというような
政策手段もコスト・ベネフィットみたいなところから考えてみますとかなり
重要性を持っているのではないかというようなことも考えているわけでございまして、そういう点でいいますと、私は
総論ということだったものですから、その個々の
資源別の前にそういう
資源間の
関連、代替補完関係あるいは時間的、空間的な形でやはり大きな形で問題を設定して考える
必要性があるのではないかということを申し上げたわけでございます。
次に第三の問題に入らしていただきまして、それではこの
問題論議をどういう形で進めていき、
対応策をどのように考えていったらいいのかということについて時間がもうございませんので大胆に私なりの見解を申し上げさしていただきたいと思うわけでございます。
そこでまず、私は三つの段階を追って
議論を進めていく、あるいは考えを進めていく
必要性があるのではないかと思われてならないわけでございます。
第一は、一体ここで論議してまいりました
資源・
エネルギー、
食料問題という場合に、それを取り上げる
政策の基本目標というのはどういうものなのだろうかということを考えてみる
必要性があるのではなかろうか。特にこの目標設定の場合にどうも
危機、
危機ということばかりが論議されておりまして、有事あるいは
緊急事態ということに重点が置かれ過ぎているのではないか。それは重要でないというわけではなくて、私はやはり問題は二つございまして、
緊急事態、有事に至らない前の平常時、あるいはそういうある
程度攪乱的な要素があってもいわば
緊急事態にならない平時及びそういった
状態と、それから有事あるいは
緊急事態というのに分けて、そしてまた目標を設定し、それに応ずる
対応策をとっていく
必要性があるのではなかろうか。すなわち、この点で申し上げたいのは、やはり平常時というか、平時における
政策目標というのは必要な
資源をできるだけ総体的に安く、しかも安定的に
確保するにはどうしたらいいのか、こういうことだと思いますし、それから有事あるいは
緊急事態、
危機が起こった段階では、そういう
事態が生じたにもかかわらず、
日本人の生存をどういうふうに
確保するのか、あるいはある
程度のいわば生活水準あるいは
経済活動を維持するにはどうしたらいいのかというような
意味で、目標設定そのものも
緊急事態とそれから平時あるいはいろいろな混乱
事態が起こったとしても一応平常時と言われるものとに分けてやっぱりその
政策目標を設定し、その両方に対しての
対応策を考えていく
必要性があるのではないかというふうに思われてならないわけでございます。
そこで、私
一つだけここで申し上げたい点は、必要な
資源というものの設定、あるいはそれをする場合に非常に重要なことは何かと申しますと、むしろ必要量というものが与えられていて、それに対してどういうふうに
需要を合わせようとするのかという
議論が、これはまあ
需給合わせというふうに私はいつも呼んでいるんですが、そういう
議論が割合に行われがちである。むしろ必要な
資源量、これは
食糧、
エネルギーも含めてですけれども、これをどういうものが決めてくるのかというようなことを考えてみる
必要性がある。例えば
食糧については、後で
並木参考人から話があると思いますけれども、
日本人の今の食生活の水準というのは、生理的な最適水準に近い、
日本型いわば食生活の水準というふうに言い立てられているものでございまして、そういうものを考えてみますと、飽食しないような
意味で、生理的な最適水準を維持するような
意味での目標設定というふうなものも、
食糧については
需要水準としてはあり得るかもしれませんし、それから
経済成長率をどれぐらい見込むのか、そしてまたその中で
産業構造、あるいは生活パターンがどういうふうに設定するのかという、そういう問題も含めた形で必要
資源を検討してみる
必要性もございますし、それをできるだけ安価に、安定的に
確保しようという場合に、いわばコストが安く
経済性であるということと、それから安定的に
確保するというのが両立し得るのかどうかということが
一つの
ポイントになるのではなかろうか。これが両立すれば非常に望ましいわけではございますけれども、むしろ多くの場合は、これは両者は相互に矛盾する
可能性がある、トレードオフの関係。すなわち、安全性という
意味から言うと、自給率を高めれば高まるほど、一応外国、対外的な
要因による影響は受けないというわけでございますけれども、自給率がなぜ下がってきたのかということは、やはり国内で自給できないという絶対的な面もございますけれども、相対的、あるいはコスト面から考えてみて、外国から買うことが安いから
輸入してきた。そういう結果がやはり生活水準あるいは
経済成長率を非常に高めてきたという面があるわけでございまして、そういうことを考えてみますと、その目標における相互矛盾の
可能性あるいは両立の
可能性を考慮して目標設定をしてみる
必要性があるのではないかということでございます。
その次に、そういう目標設定をした場合に、今度はその目標設定が、あるいはどういう
要因によって
危機や問題が起こるのか、いわばどういう脅威なり、あるいはどういう
要因によってそういうものがもたらされるのか、しかもそういう脅威や
要因や
危機というのが一体どれくらいの確率で存在するのか。この点は各ケースについて後で御説明があるかとも思うんですけれども、いわばそういう
意味で私はどうもこの問題の論議の
一つの欠陥はどこにあるかというと、最悪の
事態というのがアプリオリに設定され過ぎているのではないかというふうに思われてならないわけでございます。これはどういうのかというと、
食糧輸入ゼロの日というような形で、例えば
食糧輸入が全面的に途絶して、これが一年間続いたらどうなるかとか、そういうことなんですが、それだけではなくて、今言いました
中長期的な問題をも含めてどういう問題、
危機がどれくらいの頻度で起こり得るのか。
それから、私が
最後に強調したい点はどういうのかと申しますと、そういう
危機や脅威があった場合に、一体それはどれぐらいのコストをかけると
対応できるのか、こういうことでございまして、例えば一〇〇%
食糧を自給しようという
政策を考えた場合に、それに要する土地面積は現在の
日本の耕地面積の二、三倍のレベルに達する、しかもそのための費用はどうなのか。あるいは
エネルギーにつきましても、その他につきましても、そういうふうに考えてみますと、現実的な
可能性と、それからコスト・ベネフィットというような、そういう問題を考慮して考えていく
必要性があるのではないかというふうに思われてならないわけでございます。
あと、
最後に一言二言、私、自分なりに、こういう
問題論議を
皆様方がお考えになる場合に重要な
政策手段あるいは
政策の前提として申し上げたい点が一、二ございますので、それをつけ加えまして結びといたします。
こういう問題を考える
一つの前提といたしましてやはり私がここで申し上げたい点は、二つのソフト面でのまあ前提整理というか、そういう問題をここでぜひお考えいただけないかということでございます。
一つは、やはり
資源・
エネルギー、
食料問題をこういう形で
議論するためには、それらが一体
世界、
日本、どういう
状態にあるのかというふうな
意味での情報の収集処理のいわばシステムがもっとうまく完成されておりますといいのではないか。これは、情報が不足しているという面もございますけれども、その情報を処理して
政府なりあるいは国民に的確な伝達あるいは処理して伝えるシステムというようなものがあり得るのかどうかということが
一つでございまして、それから第二は、先ほど担い手のレベルとして一般の国民の
重要性というのを私は申し上げたんでございますが、そのような
意味で言いますと、やはり
政府と、あるいは国と一般国民との間の信頼関係というか、そういうものが
確保されているというのが重要な
ポイントになるのではなかろうかというふうに思うわけでございますし、それからもう
一つは、できるだけいわばこういう問題所在やその他が国民にPRされて、国民自身がそういう認識を持って自分なりにも
対応しようというような姿勢を持つようなことが重要ではなかろうかというふうに思っているわけでございます。
時間がなくて、大変急いだ
議論をいたしまして、まさに
総論のイントロダクションで終わってしまいましたけれども、与えられた時間が参りましたので、これをもって一応結びといたします。