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1984-05-16 第101回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査特別委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十九年五月十六日(水曜日)    午前十時開会     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     委員長         植木 光教君     理 事                 大坪健一郎君                 土屋 義彦君                 堀江 正夫君                 佐藤 三吾君                 黒柳  明君                 上田耕一郎君                 関  嘉彦君     委 員                 安孫子藤吉君                 大木  浩君                 大鷹 淑子君                 倉田 寛之君                 源田  実君                 曽根田郁夫君                 鳩山威一郎君                 降矢 敬義君                 宮澤  弘君                 梶原、敬義君                 久保田真苗君                 和田 静夫君                 中西 珠子君                 和田 教美君                 立木  洋君                 秦   豊君    政府委員        外務省経済協力        局長       柳  健一君        外務省国際連合        局長       山田 中正君    事務局側        補任委員会専門        長        山本 義彰君    説明員        通商産業省通商        政策局経済協力        部長       荒尾 保一君    参考人        海外経済協力基        金副総裁     青木 慎三君        国債協力事業団        理事       石井  亨君        前国債復興開発        銀行総裁    服部 正也君        法政大学教授   力石 定一君        成蹊大学教授   広野 良吉君        国際協力事業団        青年海外協力隊        事務局長     野村 忠策君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件参考人出席要求に関する件 ○外交総合安全保障に関する調査  (国際協力に関する件)     ―――――――――――――
  2. 植木光教

    委員長植木光教君) ただいまから外交総合安全保障に関する調査特別委員会を開会いたします。  参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  外交総合安全保障に関する調査のため、本日、参考人として海外経済協力基金総裁青木慎三君、国際協力事業団理事石井亨君、前国際復興開発銀行総裁服部正也君、法政大学教授力石定一君、成蹊大学教授広野良吉君、国際協力事業団青年海外協力隊事務局長野忠策君、以上六名の方の出席を求め、意見を聴取することに御異議ごさいませんか。    〔「異議なし」と呼び者あり〕
  3. 植木光教

    委員長植木光教君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ―――――――――――――
  4. 植木光教

    委員長植木光教君) 外交総合安全保障に関する調査を議題とし、国際協力について参考人から意見を聴取いたします。  この際、参考人皆様一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本委員会に御出席いただきましてありがとうございます。本日は、国際協力につきまして参考人皆様方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査参考にいたしたいと存じます。  これより参考人の方々に御意見をお述べ願うのでございますが、議事の進め方といたしまして、午前中は五名の参考人からお一人二十五分程度でそれぞれ御意見をお述べいただき、午後委員の質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。  それでは、まず青木参考人にお願いいたします。
  5. 青木慎三

    参考人青木慎三君) 海外経済協力基金総裁青木でございます。  本日は、海外経済協力基金実情について述べさせていただきたいと思います。お手元に「海外経済協力基金概要」と申しますものと若干の数字の入りました資料をお配りしてあると思いますので、それに基づいて実情を申し上げたいと思います。  海外経済協力基金は、設立昭和三十六年三月十六日でございまして、設立以来約二十年余りということでございます。資本金は現在一兆二千八百二億円でございまして、全額政府出資でございます。  今までの貸し付けと申しますか、投融資契約を結んで承諾しました額の累計は、四兆六千四百五十億円でございます。そのうち、現実に投融資が行われましたものから返済のあったものを引きました投融資の残高は、二兆八千百九十五億円でございます。  役職員の定員は二百四十六名でございまして、直接比べるのはどうかと思われますけれども、同じような国際機関の中で、通常世銀と言っております機関人員は約五千人余りでございます。それからアジア地区対象としますアジア開発銀行、私どもアジ銀と申しておりますが、そこの人員が約千五百名程度でございますので、そういう機関と比べますと比較的小さな、簡素な組織になっております。それから、私どもは本部のほかに海外駐在員事務所を持っておりまして、そこに書いてございますように、バンコク、ソウル、ジャカルタ、マニラ、ニューデリー、北京、クアラルンプール、ナイロビ、カイロ、ワシントン、リマ、パリと、これだけの駐在員事務所を置いておりまして、大体二名程度駐在員を置いております。  それから主な業務でございますが、大別して二つありまして、直接借款一般案件と申すものに分かれております。このうち大半が直接借款でございまして、一般案件は一割弱でございます。  面接借款と申しますのは、開発に必要な資金開発途上国政府政府機関等に対して直接貸し付け業務でございまして、これに二種類ございまして、第一がプロジェクト借款と申しておりまして、ダム、道路港湾農業開発等発展途上国基幹産業の育成や振興に向けられる資金協力でございます。二番目のカテゴリーは商品借款でございまして、開発途上国国際収支改善経済の安定を目的とし、それに必要な物資の輸入資金貸し付けということで、これが相手方政府並びに政府機関に対します直接の貸し付けでございます。  一般案件と申しますのは、開発途上国開発事業に参加する日本民間企業等に対しまして、それに必要な資金を供給する業務でありまして、これには融資と出資、それから国際商品協定緩衝在庫に対する拠出というのがございます。これは例えば、すすとかゴムとかいう商品協定がありまして、それに緩衝在庫を持たせるというための資金拠出を私どもの方でやっておるわけでございます。  一番大きな対象でございます面接借款について若干説明をさせていただきますと、これは政府政府との間で約束するというのが通常でございまして、政府政府の間で通常交換公文を交換いたします。その交換公文には政府で決めるべきマターとしまして、プロジェクト内容、利率、期限等政府間で合意されるわけでございます。これは政府間の約束でございますが、それを受けまして私どもの方が相手方政府に直接やる場合と、公社公団のような政府機関相手とする場合とございますけれども借款契約を結びまして、細かな手続等契約上はっきりと決めて、ここで債権債務というはっきりした格好になるという仕組みになっております。  それで、こういうふうにプロジェクト借款商品借款とございますが、これに要する資金貸し付けるわけでございますが、必要な金額をぽんと先に渡すということではなくて、向こう事業資金需要ができたときにそれに必要な資金を順次貸し付けていくという形になっておりますので、向こう資金需要が出ない、あるいは事業をやらない場合には貸し付け実行されないという関係になっております。プロジェクト借款につきまして、こういう事業を中心にやるわけでございますが、貸し付けの基本的な考え方としましては、相手方政府ないし政府機関事業に要する外貨資金を供給するというのが原則でございます。そのほか、向こうの内貨予算に関するものがございますが、これは相手方政府ないし政府機関が自分で調達するという仕組みになっております。例外として、国内資金がたくさん要ります事業、例えばかんがい事業なんかにつきましては、例外として若干内貨分貸し付けを行う場合もございます。  原則としまして、こういう大きな事業でございますので、事業実施当たりましては国際入札を行って、相手方政府契約をするというのが普通でございます。その入札をする際に、一般的な公開入札にする場合と、それを一般アンタイドというふうに言っておりますが、そのほかに、LDCアンタイドという制度がございまして、これは入札に応札する資格を持ちますものが日本会社あるいは発展途上国会社というふうに限定されまして、日本以外の先進国から応札することを認めない制度というのもございます。いずれにしましても、事業実施当たりましては公開入札原則でございまして、これで事業が公正な実施をされるように担保しているわけでございます。  それから、少し借款内容に入りますけれども、この借款と申しますのは政府開発援助、いわゆるODAと申しておりますが、ODAの中で、年によって違いますけれども、大体四〇%から五〇%ぐらいを占めているのが通常状態でございます。そのほかには、国際協力事業団の行います技術援助とかあるいは無償援助というようなものと、それから国際機関に対する日本政府の出すお金、例えば世界銀行あるいはアジア開発銀行に対する日本政府出資というものがございまして、それを含めて全体がODAになるわけでございます。経済協力基金事業と申しますのは、そのODA全体の中で半分弱というのが大体の姿でございます。  それで、どれくらいの状況になっているかと申しますと、貸し付け実行が、ここに数字は出ておりませんけれども、四十八年度では一千五億円というのが貸付実行額でございます。それが昨年度、五十八年度では四千五百二十二億円になっておりまして、大体十年間で四倍半の増加を見ているということでございます。平均金利は、四十一年度のときが大体三・五%、それから五十八年、昨年度の平均金利が三・二五%でございます。それから平均償還期間でございますが、四十一年度には大体二十年、七年据え置きというのが平均でございましたけれども、五十八年度で申しますと、期限が大体平均しますと二十八年九カ月、据え置き期間が九年四カ月というように、条件その他も若干ソフトになってきているというのが実態でございます。  基金貸し付けのうちの地域別はどういうことになっているかというのは、お配りいたしました次の紙に「地域別業種別承諾額表」というのがございます。これで見ていただきますと、ちょっと見にくい表で恐縮でございますが、主たる業務のうちの直借で申し上げますと、アジア地区は、一番右の欄を見ていただきますと直借が八一・七%、約八割がアジア地区でございます。それから中近東が、これも直借の欄で見ていただきますと二・八%、それからアフリカが一〇・八%、中南米が四・四%と、大体こういう地域別配分になっております。  それから、どういう業種に直借が出ているかということでございますが、これは一番下の欄を見ていただきますと、業種別構成比というところがございまして、その直借の欄をごらんいただきたいと思いますが、一番大きいのは二番目にございます運輸関係、これは港湾とか鉄道でございますが、これが二五・八%を占めております。次にエネルギー関係、電力、ガスでございますが、これが二四%を占めております。その次に多いのは商品借款でございまして、これが一八・六%を占めております。その次が鉱工業で十三・一%、こういう大体の配分になっておるわけでございます。鉱工業の中で多いのは、肥料工場が比較的大きい案件でございます。  したがいまして、この表にはございませんけれども、現在私どもが直借を供与しております国は五十七カ国に達しております。地域別で申しますと、アジアが十八カ国、アフリカが二十三カ国、中南米が十一カ国、中近東が三カ国、その他二ということで五十七カ国にわたっておるわけでございます。  それで、どういう国にたくさん出ているかというのは、恐縮でございますが、次の表で図になっておりますが、次の図の左の上の図を見ていただきますと、国別にどれくらい出ているかという数字が出ておりますが、一番多いのはインドネシアでございます。これは五十九年度末の累積の承諾ベースでございますが、インドネシアが一番多くて二二・四%を占めております。それ以下、タイ、フィリピン、韓国、中国、ビルマ、バングラデシュというふうに続くわけでございます。こういう国が大口の借款供与相手国でございます。  以上が大体基金業務概要でございますが、若干の問題点といたしまして、最近基金赤字問題というのがよく報道されておりますので、その問題について二言だけ御説明いたしたいと思います。  この赤字は、結局資金調達コスト貸付金出資金利回りを上回っておる、いわゆる逆ざやが出てきておりますために生じたわけでございます。五十七年末で見ますと、貸付金出資金利回りが三・〇九九%でございます。それに対しまして資金調達コストが三・七三八%ということになりまして、〇・六三九%というのが逆ざやになっております。したがいまして、五十七年の決算で赤字が二百九億円出ております。これは五十九年度の予算で同額の交付金予算上認められておりますので、これで赤字を埋めるというシステムになっておるわけでございます。こういうことが生じます基本的な原因は、ODAがだんだんふえてまいりまして、貸し付け事業規模がだんだん大きくなっておりますが、一方、財政が非常に苦しくなっておりますので出資金に頼る部分がそう伸びない、借入金でその額を補っていくという格好になりますと、どうしても逆ざやが出てくるわけでございまして、私どもも非常に悩ましい状態にあるわけでございます。  これを改善するためには、何といたしましても逆ざやでございますので、出資金比率をふやしまして、一般会計負担を多くしていただくというのが基本的な対策でございますが、同時に、非常に厳しい財政事情にございますので、やはり基金事業規模あるいは貸付条件というもののあり方について、現在政府と私どもの方で幅広く検討しているという段階でございます。将来、このままいきますと交付金の額がどんどんふえていくということになりますので、基本的には出資金をふやしていただくこと、それから、あるいは若干援助の趣旨には反するわけでございますが、負担能力のある国に対しましては貸付金利を少し上げていくというようなことも並行的に考えていかなければならないものと思っております。  以上、簡単でございますが、経済協力基金の現状と赤字問題について述べさせていただいたわけでございます。以上でございます。
  6. 植木光教

    委員長植木光教君) ありがとうございました。  次に、石井参考人にお願いいたします。
  7. 石井亨

    参考人石井亨君) 国際協力事業団石井でございます。  国際協力事業団は、二国間のODAのうち技術協力実施外務省予算経済開発等援助費、いわゆる無償援助でございますが、これの実質的な実施を委託されている実施機関でございます。しかし、技術協力の中には、経済協力基金政府借款外務省無償援助事業団プロジェクトタイプ技術協力等我が国の重要なODAプロジェクトの発掘や形成に必要な開発調査が一元的に実施されておりますので、事業団我が国ODAの全体にそういう意味で重要な関係を持っております。それからまた、事業団予算そのものODA予算と重要なかかわりを持っておることは当然でございますので、月並みかもしれませんが、私は、まず我が国ODA状況につき一言意見を述べさせていただきたいと思います。  このための簡単な資料がお手元に配付されておると思いますので、これを御参照願いたいと思います。  配付資料の第一ページを見ていただきますと、これは暦年ベースでございますが、五十七年までの三年間の我が国政府開発援助、すなわちODA数字と、その下にございますが、OOFとPFの数字とが載っております。この分類の基本的な考えは、途上国への資金の流れを、その目的途上国開発にあるか、あるいは逆に供与する方の経済目的等にあるかによって分類されておりまして、後者は、結果的に技術移転開発途上国にもたらすものでありましても、援助とは言わないということでございます。したがって、国際的に援助が議論されるのはODAについてでございます。  そこで、我が国の五十七年度のODAに触れさせていただきますと、表の一番右の欄でございますが、二国間のODA二十三・六億ドル、それから国際機関への拠出分担金等の六・五億ドルとを合計いたしまして三十億二千万ドルが我が国ODA総額でございまして、これは対GNP比〇・二九%でございます。これはODAの欄の一番下の右にございます数字でございます。これらの数字が、我が国ODADAC国連等で議論する際の出発点数字でございます。  この我が国ODADAC十七カ国のODAとを比較したものが資料の二ページの表でございます。このページでは、まず左に国名がございますが、これはODAの対GNP比成績順に並べてございます。表は、各個の上に掲げてございますが、タイトルとしまして各国ODA総額、対GNP比国民一人当たり負担額贈与比率グラントエレメント技術協力比率というふうに分類してあります。一般ODAの量は対GNP比で判断されます。それから質の方はグラントエレメントまたは贈与比率で判断されることになっております。  ここで注目を要すると思います点は、表でごらんになるように、対GNP比日本は十七カ国中十三位でございますが、日本より低いニュージーランド、アメリカ、スイス等は、右の欄の贈与比率グラントエレメント、すなわち質の面では日本より高くなっておりますし、また質の面で日本は十六位と書いてありますが、日本より低いオーストリアは対GNP比では日本より高い、こういうことになっておりまして、ODAの量と質両面から見まして、日本成績はまだまだ大変低いという事実がございます。  我が国ODA拡充のため、一九七七年の三年倍増計画を初め、八一年度からの五年倍増計画等が進められておりまして、我が国政府首脳によって各種の国際的な場でこの意図表明が繰り返し表明されておりますので、一般には日本ODA日本の国力にふさわしいものと思われているかもしれませんが、事実はこのように大変低いところに位置している状況でございます。  私の考えでございますが、政府がこのように援助に特別の努力をしておりましても、我が国ODA状況が依然としてこのような姿であるということを国民一般、マスコミがもっと明確に認識することが、我が国ODA問題への対処に当たって最も重要なことであると考える次第でございます。世界GNPの一〇%を占める経済大国GNP比一%の防衛費というような平和国家としての我が国は、総合安全保障の見地から援助問題を考えねばならないと思いますが、それより以前に、今や国際的に義務化したと言えますODAについて、できるだけ各国平均程度に達するような努力がまず必要であり、我が国への批判が高まってからの対応では遅過ぎるように思う次第でございます。  ここで、やや視点を変えて御説明いたしますと、我が国途上国との直接的な経済関係からの援助必要性もございます。我が国貿易の五〇%以上は開発途上国との貿易でございまして、これは他のいかなる先進国よりもはるかに大きいものでございます。我が国のみが持つ途上国との特殊の関係と言えます。例えば、我が国の総輸出額を年間一千五百億ドル、三十五兆円といたしますと、その半分の十七兆円相当が途上国向けてありますので、国民一人当たり十四万円の商品やサービスを途上国に売っているわけでございます。これに対して我が国ODA援助は、我が国国民一人当たり二十五・五ドル、これは表にございます。つまり六千円足らずでございまして、しかも、その半分の三千円は貸し付けでありまして、返済を必要とするものでございます。このようなことから、我が国は特に途上国援助が必要であるということが言えるわけですが、もちろん我が国自身財政事情が苦しい、福祉厚生に金がかかる等の事情があるわけでございますが、これは他の先進国の多くもほぼ同じ状況で同じ問題を抱えているわけでございます。したがいまして、我が国援助を今後ますます拡充するということが当面重要な課題であろうかと思う次第でございます。  そこで、我が国ODAの質と量両面において拡充改善を図るために最も必要であり、有効な方法は何であるかという点につきましては、これはいろいろのお考えもあるわけでございますけれども、我々といたしましては、ODA贈与部分をふやすことで対応することが最も有効であると考えているわけでございます。これは他のDAC諸国が現にそうしているやり方でございます。特に贈与の中で、DAC諸国技術協力ODAの約二〇%であるのに対しまして、我が国のそれは、この数年間その半分にとどまっているという事実もございますので、特に技術協力の大幅な拡充が不可欠であるという点が言えるかと思います。  それからまた、この技術協力拡充は、単にODA数字上の問題からではありませんで、むしろ開発戦略的に見ましてその拡充が必要と思われるわけでございます。技術協力についての途上国の要請はふえる一方でございますが、途上国開発と社会の繁栄には鉄道道路、港、通信網発電所などのハードウェアのインフラストラクチャーと、それから開発に参加できる人的資源を生み出して、これを最大限に活用するシステムをつくり出すというソフトウエアの両面の問題がございます。途上国側は、みずからの発展段階をややもすれば忘れて、前者の方により大きな関心を持つ傾向があるわけです。しかし、途上国間の開発の競争において着実に勝利を得つつありますのは、東アジアを含めまして人的資源で元来すぐれていた国、または特別にその努力をしてきた国であると言えるわけでございます。  次に、国際協力事業団概要を簡単に御説明したいと思います。  まず、これは資料はございませんが、五十七年度の実績といたしましては、七百六十一億円の技術協力実績支出がございました。予算執行率は高くて九三%でございました。これに外務省無償援助実施委託分七百七十億円を加えますと、事業団が実質的に実施したものは合計約一千五百億円でございます。  次に、五十九年度の予算について二音申し上げます。  これは資料の三ページを見ていただきたいと思います。五十九年の真ん中の予算額という欄を見ていただきますと、この最後に八百二十三億八千五百万という数字がございます。これが五十九年度の事業団予算総額でございます。前年度比七%の伸びでございます。  ここに書いてございませんが、外務省無償援助関係は、一般無償としまして一千六十五億円、これに新たに事業団に委託されることになりました食糧増産援助、いわゆる第二KR関係三百四十五億円を加えたもの、これの約八割程度、すなわち約一千億程度実質的実施対象となりまして、全部を合計いたしまして五十九年度予算実施見込みは二千億程度の予定でございます。  なお、事業団予算昭和四十九年より五十九年度までの十年間の推移は、四ページの左上の方に示してございます。  次に、これも極めて簡単でございますが、事業団事業実績と動向を御説明いたします。  我が国ODA全体は、大変大まかに申せばアジア七、中近東一、アフリカ一、中南米一という割合で支出されております。これに比しまして技術協力の方はアジア五、中南米二・五、あとを中近東アフリカで分けるというふうになっておる点が違う点でございます。これは資料の四ページの右の方に地域的配分として書いてございます。昭和五十七年度と二十九年間の累計のグラフがそこにございます。それからなお、そのページの下段には、技術協力の累計実績で上位十カ国が掲げてございます。経費総額と研修員、専門家、調査団、協力隊、移住者、こういう欄に分けて掲げてございます。  次に、事業概要でございますが、技術協力の基礎的なものは人間が関係いたしますので、その概数をまず申し上げます。  研修員の受け入れは、五十八年度の実績で合計五千百四十六名、これは申しわけありませんが、ちょっと統計がおくれましたので資料には載っておりません。研修員が五千百四十六名、専門家派遣が二千六百七名、調査団派遣五千四十四名、青年海外協力隊千四百七十六名、海外移住者二百十七名でございます。事業団が取り扱っております人数は、五十八年度合計で一万四千五百人に上るわけでございます。  そこで、各事業につきまして簡単に触れさせていただきますが、まず第一に研修員の受け入れでございます。これは資料の五ページにございます。研修買受け入れ総数、五十八年度五千百四十六名というのがそこにございますが、これは集団コースと個別コースに分かれておりまして、集団コースは百八十五のコースで約三千人の研修をしております。これには特定のプログラムを要求してきましたマレーシアのルックイースト政策に基づく二百五十名の受け入れも入っております。それから第三国研修といいまして、第三国で日本の試験でもって行います研修が十四コースございます。このほかに、それぞれの要請に応じまして個別の研修を行っておりますのが二千名ぐらいございます。それからまた、中曽根総理ASEAN訪問の際に提唱されましたASEANの青年招聘計画に基づきまして、今年度からASEAN六カ国、ブルネイを含めまして六カ国、七百五十名の招聘を開始いたしました。第一陣は先週到着したわけでございます。それから最近の動きとしましては、一度に多数の研修員の受け入れを要請するというのがふえております。また、技術水準も大変高くなっておりまして、各種の資格の取得を要請する研修もふえてきております。問題がないわけではありませんが、これは関係当局と鋭意協議中でございます。  それから次に、専門家派遣でございます。専門家の派遣は、通常事業団でなくて外部の機関に依存しているわけですが、この質と量の確保が大きな問題でございます。民間からの派遣は現在全体のおよそ四分の一でございまして、まだ十分にその活力を利用させていただく状態に至ってないと言えます。今後、やはりこれは技術費などの人件費の充実を積極的に図っていかなければ対処できなくなるように思われるわけでございます。五十八年に国際協力総合研修所を設置いたしました。これは有能な専門家を国際協力事業団自身が持ちまして、しかし年間一千名、二千名の派遣でございますので、そういうものを事業団自身が持つというのでございませんで、重要な調査とか専門家派遣につきましてチームリーダーになりましたり、中心の中堅幹部として働いてもらうために特別の専門員を採用しております。そのほかに、その総合研修所によりましてこれまで蓄積されました技術移転の豊富な経験や情報を分析、蓄積して、外部に全面的に開放する体制をとるということをやっておるわけでございます。  次に、青年海外協力隊でございますが、青年海外協力隊活動は内外に高い評価を得ておりますことは皆様御承知のとおりであると思います。この活動の拡充事業団の重点計画の一つでございます。できるだけ早期に協力隊員新規派遣八百人体制を確立したいと思っておるわけでございます。このためには、各地方公共団体、経済団体等にも現職派遣制度の確立をお願いしてきております。まだまだ努力の途中でございますが、着実に成果は上がりつつあると言えると思います。なお、昨年の秋の募集では三千六十八名の応募がございまして、これは三百二十名の採用に対しまして三千六十八名でございますので、かなり高い率の応募でございます。協力隊の実情につきましては別途資料を追加配付いたしたい、本日午後にでも配付いたしたいと思います。  それから次に、プロジェクト方式技術協力というのがございまして、これは八ページにございますが、昭和五十九年の一月現在実施申の案件でございます。これは機材供与を中心としまして、専門家、研修員等の事業を総合的に一カ所で集中して技術移転を行うということで、大変効果的な技術協力でございます。これは現在実施中のもので百十九件ございます。その分野別内訳は、そこに各プロジェクトの名前がございますが、まとめて申し上げますと、技術協力センター関係が三十四件、保健医療協力が二十六件、人口・家族計画関係五件、農林業協力四十件、それから鉱工業協力十四件ということでございます。このうち、無償資金協力と連携して実施されているものは五十六件にもなるわけでございます。このプロジェクト方式の中には、鈴木前総理の提唱されましたASEAN人づくりプロジェクト五件が含まれておるわけでございます。  次に、開発調査につきまして、六ページに調査団派遣というのが左にございます。開発調査昭和五十八年度は合計二百七十件を実施いたしました。これらの調査は、途上国開発計画の立案実施に関する調査でありまして、また、資金協力の基礎となるフィージビリティースタディーもこの中にございまして、最近の我々の調査では、円借款アジ銀、世界銀行等の資金協力への結合率は七五%となっております。この援助案件の調整のためにも開発調査は重要でありますので、事業団としては、今後外務省とともに、調査プロジェクトの形成や情報の整備及び評価に一層努力したいと考えております。  それから最後に、無償資金協力促進事業につきまして御説明いたします。  これは一番最後の九ページの資料をごらんになっていただきたいと思いますが、右の上の方に四十五カ国、八十一件、七百七十億円とございます。一般無償案件が七十件で水産無償が十一件ということでございます。無償資金協力は、最近ではプロジェクト技術協力との関係が深くなりまして、むしろ犬型のプロジェクト技術協力と言ってもよいほどのものもございます。途上国からこれに対する要請は一段とふえておるわけでございます。  五十八年度の実施数といたしましては百件を実施いたしました。その中には中国の中日友好病院、これは無償援助では最大級の規模で百六十億円でございますが、今年十月には開所に至る段取りでございます。  この無償資金援助に関連しまして、最近見られます問題点は、最貧国におきましては軒並みに経済難、財政難でございますので、実施中のプロジェクトのローカルコストの負担が大変困難となっている、こういう状況がございます。このような国に対しまして、やはり自助努力必要性は強調しなければなりませんが、同時に、今後一層無償資金協力技術協力の弾力的な活用によってこれに対応しなければ援助の効果は上がらないというふうに考えておるわけでございます。  以上、事業内容の概略を説明いたしました。  最後に、私は冒頭におきまして、政府借款無償援助プロジェクトタイプ技術協力などODAの重要プロジェクトの発掘と形成に事業団開発調査が深く関係していると申し上げました。したがって、開発調査我が国援助政策にかかわるところ甚大でありますので、最後にそのあたりの事情を若干御説明したいと思います。  ODA援助予算をどのように使うかが援助政策でございますが、その根本は、国際協力事業団調査しましたプロジェクト途上国から集めて、これを開発戦略上優良なものから拾っていくというやり方ではなくて、まず政府がどの国にどのくらいの援助量を供与するかについて大体の考えを持って、その枠内で実行し得るような優良案件相手政府と交渉するというのが通常の段取りでございます。これは、世銀やアジ銀等の援助国際機関でも結局は同じ段取りでございまして、GNP、人口、貧困度などを中心に各国別の大体の枠を定めて、しかる後に案件の選定に入るわけでございます。他方、受け入れ国にありましても、経済開発が最大の国内政治問題でございますので、そのための援助の獲得が最大のその国の外交問題となりまして、相手国がそうでありますので、我が国にとりましてもこの援助の交渉が重要な外交問題となるわけでございます。援助外交の一元化が必要となるのはこういうところに根拠があるわけであると思います。一般には、援助の成果品を見れば、道路、病院、大学、かんがい、水産業等々万般の産業分野のものでございます。これらに関係のない外務省がこの調整役を務めることはなかなか理解されませんが、これはこの間の事情がわかりにくいからであると思います。  若干政府自体の問題に立ち至ったと思いますが、このような段取りを経て次に出てきます問題は、国別の大体の目標枠を念頭に置いて、それぞれの国において、ではいかなる案件を選定するかということが次に生ずるわけでございまして、この問題は、第一に相手国の考えを尊重するということが重要でありまして、相手側の要請の内容をよく聞いて、その妥当性を調べるわけでございます。しかし、各分野がばらばらに相手政府の各分野の当局者と交渉しておりましたのでは、相手国の中でもいろいろ各省、各産業界の間の調整が必要でございますので、意見の統一が難しくなることもございます。したがって、この問題についての交渉は、供与国にございます外交機関我が国の在外機関と受け入れ国の援助受け入れ調整機関との間で一本化して行われているというのが国際的にも原則となっておるわけでございます。このような基本的な理由によりまして、案件の選定のための開発調査国際協力事業団に一本化されていると我々は理解しておりまして、事業団は、外務省が今述べました相手政府との交渉の結果を在外公館より報告を受けた後に関係の各省と協議し、その結果を事業団に通報してまいりまして、このような指示に従って事業団調査の細目を立案実施しているわけでございます。  以上の点は、援助仕組みや段取りの根本の問題でございますので、質問の途中でなかなか説明しにくいので、あらかじめまとめて御説明させていただきました。  以上をもちまして私の御説明を終わらせていただきます。
  8. 植木光教

    委員長植木光教君) ありがとうございました。  次に、服部参考人にお願いいたします。
  9. 服部正也

    参考人服部正也君) 服部でございます。  私は、もう世界銀行をやめておりますので、世界銀行に対する説明をするためにここに呼ばれたとは思っておりません。それで、私が大体アフリカで六年、それから世界銀行で十二年の間を通じまして国際協力というものに対して若干得た考え方を御披露して御参考にしたいと存じます。  国際協力と申しますが、別段これは後進国援助とかに限った問題ではないと思うのであります。国際協力考えるときに、今の世界経済仕組みがどうなっているかということをまず前提にしなきゃいかぬのですが、今の国際経済仕組みは、一言で言えば、世界的な規模で各主権国家の間で自由な交易、貿易、人の流れがあるということが根本と申しますか、一口で言えばそういう体制だと思っております。現在の人は、これはもう長年続いておって、そして天から授かった自明の議論、よく言われるように空気と同じようなものだというふうに考えているように見えますけれども、実は今のような大きな規模での自由交易の体制というのは、決して歴史も古いものではございません。これは第一次大戦と第二次大戦の間、世界の混乱というものを踏まえて、そういうことが再びないようにということで戦後つくって、できましたときも、それから非情な困難な発展の過程を経て今日の姿になったわけであります。  なぜそういうようなものができたかといいますと、これは主権国の間でこれが一番よかろう、なぜよかろうか、この体制をとればまず第一に世界全体の利益と申しますか、経済の発展が一番この形でいいだろう。第二には、それで大きくなっていくパイの分け方について、各国とも普通の状態ならば程度の差はあっても必ず利益にあずかるということが第二点。それから第三点は、そう言ってもそのとおりにいかないときは困った国が出てくる、苦しいときが出てくる。そういうときにみんなで助け合っていこうというのが第三点。そういうことの合意に基づいてこれができたわけでございます。  この合意の背後には、各主権国家がこの体制の維持発展というものに努力するという暗黙の了解があることは当然でございます。これは国際連帯という理念を基礎にして、主権国家間の相互依存体制をつくるということでありまして、それは各主権国家の国際責務の負担を意味するものだと思います。それで、もしこの体制に期待された効果が出ない、つまり世界経済全体が発展する、その構成員に利益を均てんする、そして困っている国があったときにそれを助ける組織が動かないというようなことになれば、それじゃこの体制はやめた、ほかの体制にしよう、あるいは脱落する。それから、ある国がもしほかの国から見て応分の国際責務を果たしていないと見られたときは、当然それに対して督促が来るわけで、これは外圧と日本では言っているらしいのですが、外圧が来るのは当然でありますし、もしそれでも聞かなければ、それじゃクラブから出てもらおう、除名する。そこまでいかなくても、それじゃそのルールをその国に対しては少し厳しくするということが出るのは当然じゃないかと思うわけであります。  それで、日本の今日までの発展、私、途中若干日本に帰ってきた時期はありますけれども、実際は二十年ほど大体引き続き外国におりまして、外国で日本状況を新聞その他で見てきたわけでございますけれども、今度帰ってきまして、そしてゆっくり日本で地下鉄にも乗り、デパートも行く、こういったような肌に直接触れて日本を見て、いろんな外国を見ておりますけれども、これに比べてよく日本はここまでよくなったものだと本当に感嘆するものであります。日本はまだまだ問題はありますけれども、よその国に比べて実にいい社会、豊かな社会、平和な社会というものをつくったということは、これは本当に驚くばかりなんであります。これはもちろん日本人の努力というものがあったわけですけれども、その努力の前に、先ほど申しました世界的な規模の自由交易体制というものがあったから、その枠の中で日本人がよく働いたということであると思うわけで、その意味では日本が一番この体制の恩恵にあずかっておる。  そうなりますと、いろいろ議論がありますけれども、問題を逆にいたしますと、もしこの体制がなくなったら一番困るのは日本だということは、これは間違いないと思うわけです。そういう意味で、日本が一番この体制の維持発展というものに対して利益を持っておるわけでありまして、国際協力というのは、私はもちろんそのもとは人道的、世界は一つという考え方、そういう道義的なものもありますけれども、もっと切実に日本の国益であると思うわけであります。残念ながら、今の世界ではこの体制から利益を受けておるという国はかなり少ない。困っている国が非常にたくさん出てきておる。これは先進国も後進国もであります。それに比べて日本が非常によく経済が運営されておる、平和であるということで、必ずしもそれだからといっておまえ分け前をよこせということに直結していいとは申しませんけれども、現実の問題といたしまして日本が体制維持の責務を十分果たしてない、協力してないという認識があることは、これは確かにあるわけです、それが間違っている、間違っていないの議論は別としまして。  それで、現在そういうふうに困っている国が非常に多いということになれば、総体としてこの体制が世界全体に対して利益をもたらすという一つの大きな前提に疑いが出てくる。第二には、現実に自分の国が困っているというならば、そういう国が多ければ、この体制を変えようじゃないか、あるいは自分はやめたと言って出るかといったような危険があるわけです。それから先ほど申しましたように、もしある国がその利益を受けながら責務を果たしてないというなら、その国にはちょっとどいてもらおうかということで、この世界的な規模における自由交易というものは非常な危機に立っておるわけでございます。そういう背景のもとで日米摩擦あるいは日欧摩擦ということを考えなければいけないと思います。しかしながら、もっと深刻な問題は後進国の問題でございます。これは力がございませんから、訴えるというほかにない。いわゆる圧をかけることはできない、外圧にはならないわけですけれども、こういう問題をそれだからといって無視していいということはないわけでございます。  それで、国際協力として第一にとることは何かというと、まず第一にこの自由交易体制というものを維持強化する。今日では、これが崩れるのをどうやって阻止するか、保護主義が全般に広がってくる傾向をどうやって防ぐかということだろうと思います。そもそもの目的が世界的な自由交易体制ですから、日本経済活動、対外関係の自由化ということが、これが国際協力の第一だと私は思うわけです。よくこれは、交渉の技術としてならばわかりますけれども、おまえのところがやらないからおれもやらぬ、こういうことではそもそもの体制の約束とは違うわけです。みんなが栄えるということですから、困ったときには困ってないところが進んで自由化するということが必要ではないかと思います。  これは日米の問題とか日欧の問題という形だけで、新聞しか私読んでおりませんので、新聞で見ますとそういう形でとらえられておるように思うわけですが、もっと大きな問題、つまり世界全体の繁栄というものをもたらすための自由化ということで、まず第一には、後進国からの輸入に対して自由化するということがやはり非常に必要なことではないかと思います。後進国の問題として現在債務累積国の問題が言われておりますけれども、債務累積国が借金を返す、元利払いを続けていくというためには、これは輸出しなきゃいけない。その輸出をとめるような措置をやれば、借金は返せ、だけれども返す方法はあげない、これでは全く矛盾も甚だしいものだと思うわけであります。そして債務弁済が不能になれば、結局は借金を返さないと居直る、居直らざるを得ないような形になって、それでは体制が崩れていくことになるわけであります。  しかし、これは決して後進国だけの問題ではありません。自由化は先進国にとって大事なことだと思います。単にアメリカが困っているからとかあるいは欧州が困っているからという問題よりも、根本的に、まあ世界銀行で見ておりまして、いろいろの援助とか後進国に対する特別措置よりも何よりも、後進国が栄えるためにはあるいは輸出を伸ばすためには、一番効果的なのは先進国全体の景気の浮揚でございます。  私は現に、昔の話でございますが、アフリカにおって、その前に日本銀行におったわけですが、日本銀行に勤務していた、しかも外国局で勤務していたのですが、そのとき以上に私はアフリカにおったときはアメリカの景気というものを追ったわけです。と申しますのは、ルワンダの最大の輸出品はコーヒーで、コーヒーの値段は、いろいろ学者さんはその値動きについて議論はありますけれども、現実問題としてアメリカの景気が上がればコーヒーの値段も上がる、それから輸出も伸びるということで、実にああいう中央アフリカの小さな国でいかにアメリカの景気と世界の景気というものがその国に影響があるものかということを痛感したわけでございます。それで、摩擦の原因はいろいろな形の失業その他のことがあるわけで、先進国のそういう問題を少しでも協力してなくして、そして先進国全体が再び繁栄を取り戻すということが後進国に対する援助と申しますか、援助というよりも、後進国の経済発展というものへの最大の助けになるわけでございます。  この際ちょっと余談でありますけれども、私は後進国問題というものを歪曲しておる最大のものは、南北問題、南北格差の縮小という形で後進国問題をとらえたことだと思うのです。出発点が高ければ、それに対するその効果が、同じ成長率であっても格差というものは拡大する一方です。仮に後進国に対する資金援助が後進国を発展させるもとだとすれば、これは先進国の貯蓄から出るわけでありまして、その貯蓄はどこから出るかと申しますと経済発展から出てくる。それを超えて後進国に渡すということになれば、これは所得の再配分ということではなくて、富の再配分です。富の再配分というのは、これはどこの国でも、国内でも革命でもなければできない。所得は毎年の流れの配分でありまして、したがってもし後進国に対する資金援助をふやすとなれば、一時的には、当然南北格差が開くような、先進国の成長率がふえるような政策をとらなきゃいかぬ。最後に何年かたってからは後進国の方も経済発展が追いついてきて、そして格差は結果としては縮小するだろうと思いますけれども、当面の目標として格差縮小というのは、これはいささか、政治的に騒ぐスローガンとしてはいいでしょうけれども、冷静な認識というものを歪曲している最大のものじゃないかと思います。  それで、今度は狭義の意味における国際協力でございますね、後進国というか、途上国に対する経済援助の増強、これは確かに非常に重要なことであります。例のブレトンウッズができましたころは後進国の大部分はまだ植民地であったわけでありまして、それが多数入ってきて、そして割合独立国としてというか、大きな国際社会の一員としての独立園でございますね、そういう準備がまだできない、それだけの国力がないというときに国際社会に引っ張り込まれて、それでいろいろの独立に伴う問題、それから経済自立に伴う問題というものを抱えておりまして、これをやはり援助するということは非常に大切なことであります。  ただ、このときに、援助援助と申しますけれども援助には二通りございまして、例えば災害とか飢饉など、それからアフリカの干ばつなどといった災害その他に対する人道的な援助というもの、これは当然同じ人間でございますから、例えば国内で非常に困っておるところがあればその人たちを援助するということは、これは同じ人間として大事なことであるのと同じように、世界的にもこれは援助しなければいかぬわけでありますが、これと後進関の経済発展に対する援助というものは区別して考えなければいけないと思うわけです。それを区別しなければ実際に行われている援助の混迷というものは消えない。そして、おれは貧乏だから金をよこせ、こういう形の要求というものが出てくる。これがまた、それをおだてて、そして貧乏だから金をやれと。これはなるほど貧乏な人に金をやるということは麗しいことではございますけれども、国内の慈善の上でも、多くの場合にそれによってこじきというか、こじき根性を養成する、自助努力というものを阻害するということがあるわけでありまして、これは例外的生活、最低の生活というものを保障するということに決めて、それが経済発展に対する援助というものと混同されないということが大事じゃないかと思うわけでございます。  また、途上国と申しますか、困っておる途上国と申しましても、国によってその困っている理由、原因、それから形というのは全部違うので、ただ熱があるからといってアスピリンをやっていいということではないわけなんで、どうも国際政治の上で言われておる援助は、おれは困っておる、だからアスピリンをよこせ。アスピリンはお金ということになるわけですが、ただ金をよこせということでは、対症療法にはならないわけでございます。  それで、これもまた先ほどから前の参考人の方がおっしゃっておりますけれども、やれODAとかあるいはグラントエレメントとか言っておりますが、全部こういうものを発明するのは役人、日本の役人は別にしますが、官僚的な発想をする人あるいは実務を知らない学者が、総体を見て、そしていきなり総体をもって各論とするという考え方で一つの速記術としてやっているわけで、目的は後進国のあるいは世界全体の経済発展でありまして、効果がなければならない。そして同じ効果を生むならば、インプットは物が少なければ少ないほど効率がいいわけでございます。やたらにODA競争とかなんとか、これが国際政治の上で一つの基準になっていることは私はもちろん容認しますし、そしてそれが事実であればそれに対応するということもやむを得ないわけですが、仮に日本援助をふやさなきゃいかぬということで、日本が世界全体のGNPの一〇%になるような大国になったならば、日本援助哲学あるいは援助理論の間違っていることを正す、日本援助理論を出すということが日本のまず第一の責任ではないか。これは根本の目的はちっとも変わってないわけで、そして日本というのは私は援助大国だと思うんです、これは絶対量で言えば非常に大きいわけですから。それならば、その責務として当然行き過ぎになっている援助哲学というか、援助の理論というものを正すということは非常に必要じゃないかと思うわけであります。  そして、先ほどの慈善的な援助、災害に対する援助というものがエスカレートして、非常に安価なひとりよがりの善意で援助をやろう、あるいは実際に行われている援助があるわけであります。現場に行ってみまして、いかにそれがその国の経済仕組みというものを崩しているか、かえって害になっているということが多いのでございます。  途上国の多くは戦後新たに独立国になったのでありますが、そういう関の大部分は今日なお植民地時代の後遺症に悩んでいるわけです。そして、これは経済のあり方とかそれから政策のあり方、あるいは非常に大きな援助でそこに援助中毒といいますか、になっておる。それからその援助が政治的に使われて、したがって、どういう仕組みか自分はよくわからぬけれども援助を受けている何々国の御機嫌を損じるとどうもひどい日に遭うらしいということで、自分で考える、自分の国の自立自助努力考えるよりも、旧宗主国の御機嫌を損なわないようにするというようなことになっている。それで過度の宗主国依存という形が一つの後道症でございます。  それからもう一つの形は、急速な民族自立というものを目指す余り、まだ用意もできてないあるいは間違った方法をとる。これは固有化でありますし、あるいはアフリカ諸国にたくさんあります自分の国は社会主義体制だと言っているのは、これはうまくいっている国は、社会主義体制といっても普通言われている計画経済あるいは統制経済を決してやっていない。言っていることは、そういう植民地はすべて資本主義の国だった、それに反対するから社会主義だと言っている。ただ残念ながら、社会主義を本当に思い込んでいる国は、自分の国のよさ、活力というものを阻害するような制度を持ち込んでいる国もたくさんあるわけです。  それからもう一つは、経済的には昔植民地時代に発達した生産、これ以外にはないということで、それを続けていくという形をやっていく、そういうようなことがありますので、これは途上国にとりましては、まず第一に、そういう宗主国依存あるいは宗主国敵視、この両極端というものから離れて、そして地道に自分の国の自立というものを図る方法はどうだということを考えるということが大事なんでありまして、これは内政干渉と言われる場合もありましょうけれども、これはやり方の問題でございまして、日本などのように植民地、韓国、台湾はありますけれども、植民地の国と見られていない国がやるアドバイスというのは、これは非常に大事じゃないかと思うわけでございます。  それから次に、現在働いている人、働いている人というのは労働者という意味ではございません、実際に現役の人間というものに対しては、これはやはり教育というものを、仮に学校は出ておりましても、その技術が西欧直伝の技術であって現地になじまないもの、それからもう一つは植民地行政のときからあった学歴主義というもので、学歴のない、しかし仕事のできる人間というものがどうしても冷遇されるというようなことがあるわけで、そういう人たちに対する技術教育といいますか、技術援助というものはこれは非常に大事なことだと思うわけです。最後には長期的には結局教育でありまして、ここにおいて日本の果たせる役割は非常に大きいのじゃないかと思います。私、世界銀行におりまして、世界銀行は教育の融資がたくさんありますが、そこで気がつきましたのは、明治五年に日本が普通教育をやったわけですけれども、実に世界に類例のない問題は、日本の教育は普通教育というものそれ自体に目的があった。進学のための方法ではなく、一般国民をある程度の水準にまで上げるということを一つの目的にしたということで、役割は大きいのじゃないかと思います。  約束の時間が過ぎたようでございますけれども、最後に私が申し上げたいのは、後進国の経済発展というのは決して直線的にはいかない、飛躍と申しますか、地道には行かなきゃいけないのですけれども、きのうの生産をあしたも続ける、より効率よく続けるということができない構造的な改革が必要なものがありまして、今世界銀行ではそれをやっておりますが、世界銀行資金力、それからもう一つは、借金した金を貸すわけですからその条件について適当じゃないものがありますので、これを各国の協調融資でその条件なり、それから内容なり、あるいは量をふやすということは非常に有意義なことじゃないかと存じております。
  10. 植木光教

    委員長植木光教君) ありがとうございました。  次に、力石参考人にお願いいたします。
  11. 力石定一

    参考人力石定一君) 国際協力に関しまして戦後のいろいろな理論があったわけでございますけれども、一九七〇年代の宇宙船地球号の時代に入って、根本的な検討がえが必要になってきているのではないかと思います。その新時代における考え方のフレームワークみたいなものをちょっとお話ししてみたいと思います。  アメリカが非常なドルが強い時代に対外投資やあるいは対外援助を拡大いたしまして、それが西ヨーロッパにおいてはある程度日本に対しても成功したわけでありますけれども、南の諸国に対する経済援助はどうも余りうまくいってない。援助してかえって憎まれるというようなことが起こっているわけで、それを、援助して憎まれるのじゃなくて、援助を減らすことができるような援助をしなきゃいかぬ、自助努力ということが言われ出したわけでありますが、そういう援助というものは、新しい環境問題が激化した時代においてはもう少し発展させて考える必要があるのじゃないかというふうに思われます。  私は、先進国と特に熱帯諸国との間の関係考えてみますというと、エコロジー的には非常に重要な問題があるように思います。先進国は例えば石油型の文明をリードしてまいったわけでありますけれども、それが石油危機の壁にぶつかって軌道修正せざるを得なくなったわけですが、この問題が例えば不況を呼び起こすことによって南の諸国をますます債務奴隷化させておるというようなことになっていますけれども、ここをもう一工夫いたしまして、例えば石油化学製品をたくさん先進国は使っている、この結果としていろいろなところで環境問題を激発しているわけでありますから、この点を修正することを通じて何といいますか、熱帯諸国との間の新しい協力関係をつくる道が出てくるのではないかと思っております。  例えば、合成物質の代表といたしまして日本でも非常に問題になっております合成洗剤でございますが、この石油合成洗剤というのは、毒性も魚毒性というのはメーカー自身も認めているわけでありまして、手が荒れるとかそういう問題もありますけれども、例えば浄化槽の方へどんどん汚水が入ってまいりますと、浄化槽の中のバクテリアが、魚毒性があるものですから元気がなくなるわけです。そうすると、処理場がどうしても非常に莫大に要るわけでありまして、処理能力は大体粉石けんを使った場合に比べて半減すると言われております。  三島市役所が、郊外の住宅団地の処理場がパンクしたので調査したことがあるのですが、増設しなきゃいかぬ、一億円ぐらい金がかかってしまう。そんな金はとてもない。住民自治会の持っている浄化槽なんですが、それを拡大する金がとてもない。そこで静夫の工学部の先生がやってまいりまして、一年間ほど粉石けんにかえてみたらどうかと。ビーカー試験でやりますというと、粉石けんは光合成物質でありまして、植物油をもとにし、あるいは動物油をもとにしております。昔は、今でも大分そうですけれども、南の諸国のヤシ油を原料といたしまして、この植物油を原料とした光合成物質を使っておるわけですが、これはバクテリアにとっては健康食なわけでありまして、これを食べると俄然元気が出てくるわけです。合成洗剤を使うのに比べて処理能力は大体二倍に上がるだろう、そういう推計をしておりまして、実験してみようというわけで市役所の指導でやったわけです。そうしますと、処理能力が二倍にはね上がったために処理場がパンクしていたのが増設する必要がなくなった、こういうことがあります。  そういう状態を見ますと、粉石けんにかえるということは、現在日本の公共投資の金食い虫と言われているのはこの下水道なんですが、下水道の終末処理場だけで下水道建設計画に基づいて年間五千億円ぐらいの投資を毎年やっていると思います。あれがもっと小さな、半分ぐらいの規模で済むといたしますと、そこで二千五百億浮いてくるわけであります。それが財政再建に非常に大きく寄与するばかりでなくて、粉石けんにかえますと、これは南の諸国で生産したものを買うわけでありますから、技術的な援助をやって石けん工場から我々は輸入する、付加価値を加えたものを買うわけであります。したがって、ヤシ油、パーム油その他の熱帯産の工業原料の景気を刺激することになるわけであります。国内の環境問題に対処することが、同時に南の諸国の所得水準を引き上げるのに寄与することができるということでございまして、石油危機以後における新しい先進国と後進園との連帯関係をここにあらわしているのではないか、こういうふうに思っております。  もともと、そういうヤシ油やパーム油は植民地時代に熱帯産の原料として先進国が一生懸命技術指導をしてつくったものでありますが、それを戦後合成物質にかえることによって市場を失わせている。それをもう一度復活させることが可能になってくるわけです。  同じようなことは、合成繊維あるいは人絹その他人造繊維ですね、化学繊維、こういうものと天然繊維との関係においても見られます。先進国における合成繊維の過度の乱用がいろんな問題を起こしておるわけでありまして、例えばアクリル系繊維は難燃性、なかなか燃えにくいというので、建築構造物にはアクリル系をどんどん義務づけているわけです。ところが、これはすぐは火はっかないのですけれども、一たん燃えますというと青酸ガスが出るわけです。したがって、火災のときに大変大きな事故を起こしているわけであります。アクリル系繊維というのはこれは主として羊もの代用品でありますが、こういうものをできるだけ天然物にかえてあげるということをいたしますと、これは綿羊その他を南の諸国で飼うことによって、それに付加価値を加えたものを輸出すれば大きな所得を得ることになるわけです。  こういうふうな全般的な転換を考えていってみる。例えばゴムもそうでありますが、合成ゴム、タイヤの中で合成ゴムを使わなくて天然ゴムにした方がかえっていい部分がかなりあります。安全その他の問題を考えますというと、天然ゴムをもっと使用率を高めた方がよろしいという分野はかなりあります。そういう分野につきましては天然物を見直していくというふうにいたします。そうすると、これはマレーシアとかインドネシアのゴムに対する新しい需要を呼び起こす。今は非常に特殊なところだけしか天然ゴムを使っておりませんが、もっとやりようによっては使用量をふやすことが可能なわけであります。  そういうことで、石油合成物質というのはどうしても環境にストレスを起こしやすい。先ほどの繊維の話で落としましたけれども、肌着に合成繊維をまだ今でもファッション化しているところは使っておりますけれども、アレルギーの原因だとよく首われるわけでありまして、これはなるべく吸湿性がある天然繊維である綿の方がよろしいわけであります。そういうふうなことを全般を考えて軌道修正すれば、南の諸国に対する大きな寄与になるのではないか。こういう形の、援助よりも貿易をということがある。特恵関税によって関税率に特恵性を与えることによってサポートするということは言われていますけれども、もう一つのそういう工夫があるのではないかと思います。  そういう先進国における転換は、いろんな規制を使うこともできますし、それから税制を使うこともできます。例えば、合成洗剤というのは処理場に非常にストレスを与えて後の公共投資を呼び起こすのであるから、これは物品税を一〇〇%取る、粉石けんはゼロ税率にする。こうやりますというと、今粉石けんの方が高いのですけれども、逆転いたしまして粉石けんの方が安くなる。そうすると消費者はそちらを買うようになるでありましょう。まあこれは落ち方が悪いとよく言われますけれども、実はあれは静夫の教授の調査によりますというと、合成洗剤の方が落ち方は本当はよくないんだけれども、これは蛍光剤をまぜることができるものですから、白く光ってきれいになって落ちているように見えるんだ。ですから白く光らせているのであって、あかの落ち方は油脂溶解度で見なきゃいかぬ。それで見ると粉石けんの方がかえってよく落ちるということが言われています。  こんなことを考えますと、全般的に、例えば天然繊維の場合でも、天然繊維はゼロ税率にするけれども、合成繊維はこれはかなり高率の税金にする、物品税を取る、こういうふうな形で税制上の格差をつけてやりますと天然物にシフトいたしまして、これが南の諸国からの輸入を呼び起こし、これらの諸国の景気回復にも寄与するでありましょう。こういう工夫があり得るのではないかと思います。こういうふうなユニークなやり方は、サミットにおいて日本が主張すれば、当然ほかの国と一味違った環境問題に対する熱意を先進国の間に呼び起こし、一定の尊敬をかち得ることができるのではないか、こう思います。  さて、もう一つ例を挙げますと、石油危機以来問題になってまいりましたのは全般的な使い捨て経済でありますが、これは生産物をつくるときに猛烈なエネルギーを使ってつくったものを、非常に耐用年数を短くどんどん使い捨ててごみになって出てきております。これがごみという環境問題を呼び起こしているわけでありますが、例えば電気製品ですが、これは相当の量に達して廃棄物となって出ている。もう捨て場がなくて困っているわけでありまして、地方自治体は大型ごみの処理に非常に困っているわけであります。ところが、この電気製品のごみにつきまして電気屋さんなんかとよく話してみるのですけれども、大体半分ぐらいはちょっと直せば使えるのではないか。所得水準の高いところですと八割方はちょっと直せば使える、所得水準の低いところでも三割ぐらいは直せば使える。そういうごみがいっぱい出ているのですが、なかなか修理ができない。着手ボランティア的に老人なんかがやっていたりしますけれども、普通の人件費をかけますと非常に修現代が高くなるものですから、いっそ買いかえた方が得じゃないかということになってどんどん使い捨てられていっているわけであります。電気屋さんは自動車に一台下取りして集めますと、それを千円ぐらいの工銭でもってどこかで処理してもらっています。処理人に処理してもらっているわけですが、ブルドーザーでぶっつぶして埋めているので大変もったいないわけでありまして、これは人件費が高いためにそうなっているわけでありますから、人件費の安いところにリサイクルすればいいわけであります。  それの一番向いておりますのは私は中国ではないかと思いますが、中国は人件費が大体日本の三十分の一ぐらいであります。したがいまして、こういう電気製品の大型ごみは、中国から石炭を買っている空船が帰っておりますが、そういうものにどんどん乗せまして、そして向こうへ持っていって向こうの修理工場、向こうがつくるといたしますと、そこに提供する。そこで人海戦術でこれを修理していくということをやりますと、これは中国にとっては、今船乗りが、中国人はよくごみの中からよさそうなやつを適当に見つけて持って帰っていますよ。向こうで修理して使っているわけであります。向こうは今、修理産業というのを非常に重視いたしまして、もう小手先でちょこちょことやればいいというので自転車の修理なんかも非常にはやっておりますけれども、特に個人業種を育て、雇用吸収力が非常に高いというので中国経済でも非常に評価されておりますが、この修理産業と結びつけるというふうなことをやりまして、修理したやつを中国民衆に売る。売った代金を集めまして見返り資金特別会計という形で計上する。そうすると、これは金利のつかない内国資本を中国は手に入れるわけでありますから、日本の中国に対する円借款とこれをまぜますというと、円借款のいわゆる内資協力が拡大いたしますから、非常に助かるはずであります。  それで、これはどのぐらいあるんだろうかというので推計をしてみたのですが、総理府の統計によりますというと、毎年大体テレビが二百七十万台ぐらいごみとして出ております。それから電気洗濯機が二百五十万台、それから電気冷蔵庫がやはり二百何万台出ております。それから自転車が百万台ぐらい出ております。大変な大きさでありまして、それから古具だとか時計だとか、そういうものも皆廃棄物になって出ているわけであります。こういうのもちょっと修理すればできるやつがかなりあるわけでありまして、それを向こうで修理する。例えば、電気製品は半分修理できるといたしまして、安い人件費で加工して売り出す。売った代金を計上する。今のレベルは大体毎年同じぐらいのレベルでずっと出ているわけです。高度成長期のやつがずっと今買いかえられていっているわけでありまして、これは高度成長以後の非常に先端的な技術をいろいろ使ったものではなくて、もとの割と素朴なものでありまして、中国にとってはかえって向いているような製品なんですが、そういうものを向こうが、修理公社が売って代金を計上していくということになると、恐らく毎年一千億円ぐらいの見返り資金が計上できるのではないかという感じがいたします。今、円借款が年間七百五十億円ぐらいでありますから、これと比べましても相当の内資を調達することができる。  これは日本がアメリカの過剰農産物を買ったときのことを考えればわかるわけですが、あれは最初は無償みたいな形でもらいまして、政府はこれを民衆に売ります。売った代金が入ってきたのを見返り資金特別会計に計上して、そして開銀その他の復興投資をやってきたわけであります。こういうふうにしてリサイクルしていくということが、あのときは耐久消費財は余り問題にならなかったわけです、農産物を主としてやったわけですが、日本は米は過剰ではありますけれども非常に高くついておりますから、これはむしろ安い米を海外から買って援助した方がかえっていいぐらいなんでありますから、むしろ私は耐久消費財が着目されていいのではないかと思います。  こうやって中国の労働力過剰、そして資本不足、そういうものに対する適正なサポートが可能になってきます。これは地方自治体がそれぞれの姉妹都市とお互いに協力すればいいわけであります。例えば横浜は上海の姉妹都市ですから、この両市の間で友好提携関係があるわけですから、そこで発生する粗大ごみはそういう形でリサイクルいたしましょう、こういう形であります。  それで、この資本不足経済のもとで、資本援助がある程度ある、そして労働力過剰を吸収する力があるということは、非常に中国経済にとって重要でありまして、今中国は農村においてだんだんと自主的な農業経営の方向に転換し、工業においても価格メカニズムを利用するという、自主的な経営権を認めるという形でプライスメカニズムを利用する方向に進んでおりますけれども、これが資本不足が激烈であるということになりますと、ともすればこういうふうな形態、ゆとりのある形態はとれなくなって、また厳しい統制経済に返っていく可能性があるわけであります。これを逆行させないようにする一番大きなてこは、資本不足に対する金利のつかない金の援助であります。金利のつく金というのはどうしても返さなきゃいけませんので、例えば中国ですと、金利のつく金は消費財輸出によって香港やその他で稼いだ金で返すわけでありまして、国内になけなしの消費財を海外にハンガーエキスポートをやって、それで稼いだ金で返さなきゃいかぬ。こういうことで非常な負担になるわけで、円借款はいろいろ欲しがるけれども金利のつく金というのはその点では大変危険な面もあるというので、内部でしょっちゅう引き締めをやって、余り対外資本への依存度を高め、ポーランドみたいにならぬようにということで揺れ返しが起こっております。  そういうことを見ましても、我々ができる範囲でそういうふうに協力をしていくということは、中国の今の経済の軌道、成長モデルを助けることになる。この成長モデルは、恐らく価格メカニズムの弾力的な運用、それから農業経営の自主性を認めるというこの方向は、イデオロギー的にも政治的にも自由化の方向をたどる可能性を持っているわけでありまして、中国の自由化への方向というものは、現在の世界経済において非常に重要な役割を果たしております。  同じ共産主義国でも、自由化された共産主義国とそうでない国との間には絶えず問題が起こってまいりまして、例えばヨーロッパですと、ハンガリーが一番自由化しておりますが、このモデルはソ連に大きな経済的、政治的な影響を与えております。こういうふうな圧力が加わる要素が東の諸国からも起こってくるということになると、非常に大きなプラスになるのではないかと思います。恐らく、東ヨーロッパにおける自由化というのは過度にやりますとソビエトが干渉する力を持っておりますけれども、中国についてはこの点についての旧主権を持っておりますから、中国が自由化の方向に向かい出すと、これはかなりのところまで進む可能性があります。これが進みますと、北朝鮮及びベトナムに影響を与えるでありましょう。ベトナムに対してもそういうふうな経済体質と自由化された体質でもって接するようになりますというと、カンボジア間脳についてもまた違ったアプローチが出てくるでありましょう。そしてまた、いわばお互いに自由化というのは共産主義国においては感染しやすいわけでありまして、感染の度が広がっていきますというと、クレムリンの方向にも大きな圧力になってまいります。その自由化された批判力がないために過度に軍拡に走るという傾向があるわけでありまして、それにブレーキをかける一番大きなポイントはその社会的な過程に影響を与えるということであります。ソ連のタカ派に対する影響力は、そういう経済過程を通じて、社会過程を通じてじわっと働いてくるのが一番大きいのでありまして、やがてこれは東ヨーロッパの自由化と相まって、挟み打ちに遭いながらソビエトもその感染作用の中にさらされるようになる。タカ派の力が弱まってくれば第二のフルシチョフ市命が起こるかもしれません。そのことは、お互いさまであります。アメリカにおけるタカ派に対する逆作川を及ぼしまして、これも弱まってくるということになって、世界的な軍拡競争に対する冷水を浴びせることにもなるわけであります。  こういう意味で、中国に対するアプローチ、つまり社会過程を通じてタカ派のアキレス腱をカットしていくという意味で非常に重要な役割を持っているわけでありますが、中国もアメリカも、日本に軍拡競争に参加することによってソビエトに対抗しろと、こういう誘いをかけているわけでありますが、それは非常に不毛な要素を持っておるわけでありまして、そういう方向よりももっと生産的な社会過程を通じてひとりでに雪解けを起こしていくというふうな条件をつくる作用を我々が開いていく。そのためには、これを特に日本国民が全体として考えていくという意味で、ごみ問題という都市の重要な問題を考えながら、そのことは環境問題に対処することが同時に世界の南北問題にもあるいは東西問題にも大きな寄与をするのだと、こういう気持ちで民衆がこれに取り組んでいくということが外交問題を国民に根づかせるゆえんではないかというふうに思っております。そういう意味で、アメリカのチャイナカードは巨大設備をどんどん売り込んだり、原子力発電所やあるいは高度技術を売り込んだりということでありますが、我々はもっと地道な形で中国を動かしていく、こういう形のチャイナカードがあり得るのだということをぜひ日本でも議論してしかるべきではないかと思います。  さて、もう一つ環境問題が発生して以後重要になってまいりましたのは、これは南の諸国に対する、ちょっと最後のところでも触れましたけれども、資本援助というものが技術の選択に大きな問題があるのではないか。途上国の社会的、経済的な条件に必ずしもマッチしないような高度技術あるいは労働節約的な、資本集約的な技術を教えることによって、うまく稼働しないで借金だけ残って後困ってしまう。これに対してまた資金援助せざるを得ないというようなことになるわけでありまして、そういう技術の選択の問題が出てまいりました。南の諸国は大部分の国が労働力過剰で悩んでおります。それで資本不足でも悩んでおる。そういう資本不足で悩んでおるところに非常に高価な資本財を与えることによって、しかも省力的な、先進国で発達してきた労働力不足、高賃金という条件のもとで発達した技術の技術援助をやりますというと、これは資本財のむだ遣いになり、そして失業を減らすことが不可能になるというようなことで大変問題なわけです。  したがって、日本でも終戦直後ですと労働力過剰、むしろ資本不足で非常に困っていた段階がありましたが、その段階にはその段階にふさわしい資本援助というものがあるわけでありまして、むしろ労働力をたくさん使い、そして資本の価値はそんなに高くないけれども、しかし今の付図から脱出するにはいいステップになるような技術を選択しなければいけない。その技術を最近では適正技術という言葉で言われておりますが、シューマッハーというイギリスの学者が提唱いたしまして、適正技術研究所をつくって、本当に南の諸国に役立つような、もっと安くて、そして労働集約的でいい技術を発見しようと。それをすっ飛ばして先進国は発展してきているわけですが、そこのところにまだ残されたフロンティアがあるのではないかということに気づいたわけであります。これが後進国の経済発展の実績の中で出てきただけではなくて、これは同時に先進国における公害問題との対処の中で出てきた考え方でもあります。  先進国でいたずらにエネルギーをたくさん使い、そして労働節約的な技術をやってみたけれども、かえってそういう技術は環境問題の壁にぶつかってストレスを起こすばかりだということに気がついて以来、いろんな工夫が行われ出しました。例えばエネルギーにつきましては、農村地域で畜産をやりまして、水田でえさ米をつくる。これを牛に食べさせると牛がふん尿をするわけでありますが、こういうふん尿をタンクにためますというとメタンガスがとれます。大体二十度ぐらい以上の温度にしておきますとメタンがぶくぶく出てくるわけですが、冬場は寒いですから、その発生したメタンで温めながらメタンをとるわけです。これはメタン発生装置と言いますが、こういうようなものによって自然エネルギーを、いろいろ土着のところから工夫することによって安くてしかも無限に、まあこれは太陽エネルギーでありますから、生物と植物を通じて取り上げた太陽エネルギーでありますが、そういうようなものをローカルエネルギーとしていろいろ工夫してきております。そういう工夫の中で南の諸国にむしろ適正に合ったものが、それに近いものが発見されつつあるということに注目すべきではないかと思います。  例えば水力発電でも、低落差の水力発商機械につきまして、フランスではかなり中小企業が開発を進めました。こういうふうなものが本当に南の諸国にはかえって向いているのではないか。大型のアスワン・ハイダムみたいなやつをやりますというと、熱帯地域でありますから水分がどんどん蒸発いたしますし、それからそのダムを通じてかんがいをやりますと、かんがい地域に非常な新しい流行病が発生したり、ダムがなかったときには洪水を通じて肥沃な土壌が供給されたのが供給されなくなることによって、それには肥料を買わなきゃいかぬ。そうすると、またそれが金がかかってとても手が届かない。かえって農業のためにはならなかったというふうな、アスワン・ハイダムの実験はエジプトのエコロジカルなバランスから見るとかえって選択を間違ったのじゃないか、もっと小規模なやり方でやった方がいいのじゃないかということに気がつかれ出しまして、フランスではそういうものを援助しようとした。ところが、それに対して、大型プラントの資本援助計画を国が持っておるといたしますと、こういうダム計画があるんだから、そんなのが余り出てくるとこの計画がだめになってしまうというふうなことで競合してくるわけですね。そういうときに、どちらが本当に南の諸国に役に立つものであるかということを考える基準が要るわけです。それにはやはり南の諸国のエコロジカルなバランスと、それからそこに見合った適正技術というものは何であるかということを発見すること、これが援助の一番重要なポイントではないかと思います。  例えばメタン発生装置は、インドはたくさん牛を飼っておりますが、その牛のふん尿を乾燥させておいて、そして燃焼させる。これは燃やしてしまう。例えばネパールなんかは燃やしてしまう。そうすると、これは肥料となって土壌に還元されないから、土壌がますますやせてくるわけですね。そういう燃料にしてしまわないで、これを発酵装置でもってメタンをとって燃料をとる。そうすると、メタンをとった方があとの肥料としてはよくなるわけでありまして、この肥料を土壌に還元すればエネルギーと肥料と両方が供給できるという意味では、メタン発酵装置というのはインドにとって非常に大きな適正技術であるわけです。我々はそういうふうなところに着目していく。  それから、このメタンをもとにして発電することもできます。メタン発電機というのがいろんな形でアメリカでも使われておりますが、在来電力と同じコストでメタンが使われております。五百台ぐらいメタン発電機はアメリカにありますけれども、在来電気と余りコストが変わらない。なぜかと言うと、メタンはクリーンエネルギーでありますから、農村やコミュニティーの真ん中でやるわけです。小型ではありますけれども、真ん中でやって、その廃熱はそのまま使うわけです。したがってエネルギー効率九〇%。大型発電というのは、これはどうしても公害がありますから、過疎地へつくっておいて、熱は使う人がないから捨ててしまいまして、エネルギー効率三〇%で配電するわけです。しかも配線コストがすごくかかります。今の電力の半分は配線コストであります。したがって、こういう大型の発電機というのは先進国にはある程度合っておりますけれども、南の諸国はそんな配線設備の費用なんかとても出せないわけでありまして、非常に高いものにつきます。それがメタン発電機ですと、それぞれコミュニティーでメタンをとって、牛を飼っていればそこからメタンをとる。人ぷんからもとる。それをもとにして発電をする。そうすると配線のコストは非常に少ないし、廃熱もいろいろ使うというようなことができます。そして廃棄物はそのまま土壌に還元できる。こういうリサイクル型の農業経営が可能なんですが、日本でも有機船業をやっている人たちの間でそういうものについての工夫が、いろいろ新しい形のエコテクノロジーと言いますが、生態学的なテクノロジーに着目するものがふえてきております。  そういうものをうまく組み入れて、インドとか中国とかビルマとか、そういう国々にそういうものを提供していく。これはそれをつくる技術を提供するのも結構ですし、それから製品を売ってもよろしいでしょう。そういうものを売る場合には、南の諸国からそういう天然物をどんどん買って所得を与えなきゃいけません。つまり、天然光合成物質をもとにして加工したものを輸入するということは、太陽エネルギーをもとにした製品を買うわけです。一方、太陽エネルギーをとる設備を日本は売るというふうな形で、全般的な石油離れの経済をここに実現することが可能になってきます。  こういう意味で、巨大技術あるいは環境にストレスを起こす技術から見直しの過程が先進国で起こっているということは、南の諸国に対する新しい適正技術により近いものを、もちろんこれはいろいろまたモディファイしなきゃいけませんけれども、より近い技術というものがいろいろ出てくるのではないかと思います。したがってそういう点について、例えば中国なんかと専門家会議をやる場合には適切にこれを指摘する必要があるわけでありまして、巨大技術をやたらに、いろんなノーハウやそれから原料の質なんかでも全部違わなきゃならぬような、新日鉄のようなプラントをいきなりやるということとどうなんだろうか、電力設備も最も高度な技術のプラントをやることとどうなんだろうかというようなことについてもう少し詰めた議論をしていくことが必要ではないか。そのことによってより稼働率の高い、しかも安価な設備で今の貧困の水準から引き上げていくというふうな形の努力が行われる、ここが経済協力の一番のポイントではないか。  そういうものの教育を進めるためには、やはり教育水準、それから現地における組織、それから訓練というものが重要になってくるわけでありまして、先ほどの参考人もおっしゃっていましたように、南の諸国からの留学生をたくさん取り入れることによってそういう問題についてのいろいろな研究協力をしていく必要があるんじゃないか。日本にはアジア経済研究所というのはありますが、適正技術研究所というのは日本にはまだありません。こういうふうなものをそれぞれの既存の研究機関の、附属してもよろしいですから、南の諸国に適正な技術というのは何であるかと。技術の選択を間違えると先進国でも環境問題という壁にぶつかるのですが、南の国では経済問題でもすぐぶつかってしまうというふうなことを考える時期が来た、これが石油危機以後における南北協力の新しい問題ではないかと思います。  そういう問題について、例えばメタン発電機なんというのを、一番メタン発電機のいいのを持っているのはフィアットでありますが、フィアットは自動車のエンジンの工場が、自動車がだんだん売れなくなってくるとそれを転用する必要があるというので、将来の戦略としてメタン発電機に対する準備をしております。日本ではヤンマーディーゼルがメタン発電機についての技術研究をやっておりますが、そういうふうな適正技術を通産省の政策を通じてもどんどん奨励していくということをやっていくことによって非常にフルーツフルな南北協力が可能になってくるのではないか、こういうふうに考えるわけです。つまり、日本の国内の環境問題をゆっくり考えるということが、同時に南の諸国の問題とも深い根っこのところで結びついている。そうすることによって国民はより南北問題を前向きに積極的に取り組む条件をつくるのではないかということでございます。  どうもありがとうございました。
  12. 植木光教

    委員長植木光教君) ありがとうございました。  次に、広野参考人にお願いいたします。
  13. 広野良吉

    参考人広野良吉君) けさほど慶応大学におきまして国際会議がありまして、たまたま私が前から発表者ということになっておりまして、そんなわけでこちらの方におくれて参りまして大変どうも失礼いたしました。そんなわけで、私の前にお話しになられました皆様方参考人の方からいろいろお話があったと思いますので、若干繰り返しになるようなところがあるかと思いますけれども、御容赦をお願いいたします。  私はたまたま一九五二年からかなり長く海外に住み、海外で大学で教えたり、そういうような長い過去三十年以上の外国でのいろいろな勉強あるいは生活の中で、特に一九六〇年以降は東南アジアに長かったものですから、そんなわけで、きょうは国際協力という問題につきまして、特に私自身の経験から申しますと東南アジア諸国の経験ということが自分に一番身近に感じるものですから、東南アジア諸国の立場に立っての国際協力というのはどういうものかということをお話しいたしまして、東南アジア諸国、特にASEAN諸国と非常に緊密な関係にある日本としては、民間あるいは政府としてどういうような態度あるいは政策、方針というものを今後持っていくことが望ましいか、こういうところでもって何らかの結論的なことを申し上げたい、そういうふうに思っております。  御存じだと思いますけれども、東南アジア諸国、一九四五年日本とアメリカあるいはいわゆる枢軸国との間の戦争が終わりまして、かなりの国々は初めて政治的な独立をしたわけでございます。最初その政治的な独立というものが即経済の発展あるいは国民の生活の繁栄に結びつくという一つの、言ってみればイリュージョンと申しますか、そういうものを東南アジア諸国の方々は指導者もかつ国民も持っていたわけでございますが、しかし、その政治的な独立後三十年以上たちまして今日に至る過程で、東南アジア諸国の方々は政府の指導者もまた国民も、それは確かにイリュージョンであるということがわかったわけでございます。基本的には、政治的な独立はあくまでも経済的な発展、国民経済の形成というものの基礎をつくるものである、あるいはその出発点をつくるだけであって、政治的な独立だけでは経済は発展しないということが重々わかったわけでございます。  そういう中にありまして、私長い間東南アジア諸国の政府の政策のあり方あるいは進め方を見てまいりまして感じますのは、少なくとも東南アジア諸国におきましては、私たちいわゆる途上国という一つの言葉で何か十把一からげにやってしまいますけれども、少なくとも東南アジア諸国におきましてはかなり現実的な政策というものがとられてきた、こういうふうに考えております。それに対して、若干厳密性に欠けるかもしれませんけれども、幾つかのラテンアメリカの国々、あるいはアフリカの国々、あるいは時には南アジアの国々も若干非現実的な経済開発政策をとってきたと、こういうふうに思っております。少なくとも私たちが非常に今緊密な関係を持っております東南アジア諸国におきましては、そういうふうにして経済政策もかなり現実的なやり方をとってきたがゆえに、皆様方御存じのように経済成長率、GNPの成長率で見た経済成長率は非常に高いものであって、少なくとも私たち先進国経済成長率よりもずっと高い成長率を彼らは維持することができたわけでございます。その結果、東南アジア諸国の単なるGNPが伸びたというだけでなくて、資本形成もかなり伸びてまいりましたし、あるいはまた経済的、社会的なインフラも整備されてまいりまして、国民の教育水準もずっと上がってまいりましたし、あるいはまた生活水準もずっと高くなってきたというのが東南アジア諸国の現実ではないかと思います。  そういう意味で、私たちが南北問題とか南北ということを言いますと、すぐ南というのは貧しい、汚い、非衛生的な国々であるというイメージを持って、北の豊かな国々がそういう貧しい国々を助ける、そういうようなイメージを持つのですが、私は少なくとも東南アジア諸国についてはそういうようなイメージは絶対に当たらないし、あるいはまた単に東南アジア諸国だけでなくて、開発途上国の現在たくさんの国々ではそういうことは当たらない。すなわち、かつての明治維新以降いわゆる先進工業国に追いつけということで明治の近代化をやってきた日本も、当時はイギリスのいろんな旅行者あるいは政府の方々、あるいはビジネスマンの方々から見ますと、何と汚い国であったかというのがいろんなところに出ておりますけれども、やはりそういうようなところはもちろん初期の過程にありましたけれども、今や東南アジア及びその他のたくさんの開発途上国というのはまさに近代化の道を歩んでいると育ってよろしいと思います。そういう意味では、戦後三十数年に及ぶところのアメリカを頂点とした西側諸国の経済開発、第三山界に対する経済開発援助が失敗したともしだれかが言うならば、私は断固としてそれは全く間違った認識に基づいている、こういうふうに言いたいと思います。もし東南アジア諸国の現実についていろいろ細かな点でわからない点があれば、そういう国々の大使館もここにあるわけですから、大いにそういうところを利用して彼らの現実というものをしっかりと眺めていただきたい、こういうふうに思います。  ところで、そういうふうにして少なくとも開発途上国の中には、自国の経済成長あるいは自国の国民の生活の安定、繁栄というものについて邁進してきた国々があると同時に、他方では、確かにアフリカの国々にありますように、あるいはまた一部の南アジアの国々にありますように、まだまだ経済の成長もそれほどでなく、あるいはまた国民の生活も魁かでなく、貧しくかつまた飢餓その他が存在している、そういう国々もあります。すなわち、戦後三十数年の我々の世界経済の相互依存度が高まっていく中で、少なくとも開発途上国を見てみますと、そういう分化が起こってきている。開発途上国の中では、成長その他の面で、近代化の面でより成功してきた国々と、より成功しなかった国々と、そういう国があらわれているということ、この点は私は非常に重要だと思います。今後の日本経済協力、既にもう日本政府経済協力につきましては、政府開発援助その他につきましてはそういうようなことが議論されておりまして、この前の経済企画庁で行いました経済協力に関するもののいろんな審議の過程でも、国別その他経済発展段階別の援助考えろということが言われておりますので、少なくともそういうレベルにおきましてはその理解というものはかなり増してまいりました。かつまたOECD、DACの場におきましてもそういう理解というものはかなり増してまいりましたので、私たちはそういう開発途上国の現実、特に分化過程というものを十分に認識して今後やっていかなくてはならないと思います。  そういう方策の問題は後にしまして、次に、そういうような東南アジアを焦点に合わせて考えております開発途上国というものが、じゃ実際、現在どういうような問題にぶつかっているかということを私たちは見ることによって、あくまでも日本経済協力というものが、そういう開発途上国の言ってみれば経済的、社会的な発展というものを側面から支援するというのが本来の目的でございますので、そういう点から考えますと、彼らが抱えている問題点というものを私たちがまた現実的に考えていかなくてはならないというふうに思います。  その場合に、東南アジア諸国と私何回も言っておりますけれども、私たち日本では、何か南というのは一つであるような意識を持つだけでなくて、東南アジアも何となく一つのような意識を持っております。よく旅行者が、最近東南アジアへ行ってきたとかいろいろ言います。ところが、東南アジア諸国の中には国と国の間にいろんな違いがあるわけで、これはもう歴史的、文化的、伝統的、宗教的、その他いろんな意味で違いがあるわけです。この違いを私たちが十分認識しないと、先ほど申しましたような十把一からげ的な議論をしてしまう、こういうふうに思います。  例えば、よく私冗談に国際会議で言うのですが、もしアメリカ人あるいはイギリス人が日本の問題あるいは私たちが抱えている問題というものを議論するときに、北東アジアの人々はと、北東アジアではこうだ、北東アジアの人々はこうだという議論をされたら、一体私たちはどう考えるか。我々は日本のことについて議論してもらいたいの あって、北東アジアという形でもって、例えば韓国、北朝鮮あるいは中国、日本、こういうものを十把一からげで議論されたのではどうしようもないわけであって、しかしながら私たちは非常に無意識に東南アジアではどうだと、こういう議論をするわけです。とんでもないことであって、東南アジア諸国の中には国と国の間に非箱に大きな差があるわけで、その差は、それが開発途上国ということになるともっと大きな差になってくるわけでございます。  そういうような国と国との間の大きな差というものを十分意識しながらも、しかしながらどういうような問題にぶつかっているかということを、ごく共通項だけについて次の四点ないし五点を申し上げたいと思います。  まず第一点は、東南アジア諸国では、特にインドネシア、それからマレーシアが若干の問題がありますけれども、食糧の自給という問題でございます。御存じのように、今申しましたインドネシア及びマレーシアはまだ現在でもかなり大幅な食糧輸入に依存しているわけでございます。フィリピンでも、もちろん最近のフィリピンの経済情勢からしますと輸入せざるを得ない状況にあります。しかしながら、こういうような問題は何も東南アジアの幾つかの国だけでなくて、たくさんの開発途上国では食糧の問題が何といっても非常に重要な問題です。これは国民の生活に全く密着した問題でございますので、こういう面でいろいろな問題にぶつかっている。このいろいろな問題というのは、もちろん生産におけるところの低生産性の問題であるとか、あるいはまた食糧増産に必要なもろもろのインプットの問題であるとか、あるいは国内の流通制度の問題であるとか、いろいろ食糧に関する問題にぶつかっております。  時間がありませんので急いで次に参りますが、第二番目の問題としましては、いわゆる一次産品の問題でございます。特に、御存じのように世界的な不況、同時不況が一九八〇年の夏起こりましてから、最近は若干の景気の回復もありますけれども、一次産品価格がかなり低落いたしました。たくさんの東南アジア諸国及びその他の開発途上国は一次産品の輸出に依存してわりますので、どうしても一次産品価格の低落というものは彼らの外貨収入の動きに影響を与える。そこで、この一次産品価格の低落をどうやってこれから世界において防いでいくかということは非常に重要な問題であるし、また一次産品価格の低落というものがそういう一次産品を生産するに必要な投資というものを減額させていく、あるいは不確実にしていく、そこから来る長期的な問題がございます。  それから第三番目は、ただいま力石先生からお話ありましたように、エネルギーの問題でございます。たくさんの開発途上国、東南アジア諸国におきましてもそうですけれども途上国はエネルギーの輸入に依存しております。国によっては総輸入額に占めるエネルギーの輸入割合が四〇%、五〇%を超える国もあるわけであって、そういう意味では代替エネルギーの開発とかエネルギーの節約技術の開発、こういうことはこれらの国々が直面しているところの非常に重要な問題です。  それから第四番目には、これらの国々では労働力の供給の増大ということ、と同時に、先ほどお話しありました適正技術の問題を含めまして、いわゆる彼らの雇用の機会というものが必ずしも順調に拡大していない。そのために失業、あるいは特に不完全就業という形が農村並びに都市に顕著になっております。これはもちろん、それらの国々の農村における土地所有制度その他、そういう制度的な問題とも関連しているわけでございますけれども、この不完全就業の問題、失業以上にこの不完全就業の問題は彼らにとって大きな問題であります。単にこれは量的な面での問題だけでなくて、質の面でもいろいろ問題があり、これは先ほどお話しありましたいわゆる教育の問題とも関係してまいります。  それから第五番目に問題になっておりますのは、この高い経済成長の過程で、これは日本でも起きてきたことであります。私も個人的には非常にそれを痛切に感じてわりますけれども、それは経済成長過程で富あるいは所得の分配の不公平化という問題です。これはいかなる胴におきましてもどうしても起こってくる。これは我々経済学者から申すと当たり前のことですけれども、これは当然起こってくる問題であって、こういう富あるいは所得の不均衡化という問題は、これは必ずや単に経済的な意味でそれが大きな問題になってくるだけでなくて、実は政治的ないろんな不均衡というもの、社会的な不均衡をもたらし、政治的な緊張関係というものをその国においてもたらす大きな土台にもなるわけでございます。そういう意味で、最近このマスポバティーと申しますか、大衆の貧困の是正という問題は、東南アジア諮問を初めたくさんの国において彼らの開発計画の第一番に載っているというのが現実でございます。  それから最後に、これらの諸国が直面している大きな問題というのは経常収支の赤字という問題です。御存じのように、開発途上国全体としましては膨大な経堂収支の赤字が現在あります。先進工業国はOECD、DAC諸国だけでも二百何十億ドルといういろんな援助をしておりますけれども、実はこの数倍に上る経常収支の赤字途上国では毎年あるわけであって、ましてやそういう経常収支の赤字を穴埋めするために外国からいろいろ、服部さんもおられますけれども、世銀その他アジア開銀、あるいは二国間の借款、円借、そういうものを含めていろいろ毎年借りてやっておりますが、当然その債務の累積というものが大きな問題になってまいります。  今申しましたこれらの六つの分野、食糧問題、一次産品問題、エネルギー問題、それから不完全就業問題あるいは失業問題、それから所得あるいは富の分配の不均衡の問題、それから最後に経常収支の赤字の問題、それにつながる累積債務の問題というものがまさに途上国が抱えておるところの問題であって、一体こういう問題に対して我々がどういう対応をするかということがますます重要になっているわけであります。  その点、実は単にOECDとDAC諸国全体を眺めるのでなくて、日本というものに限定してちょっと見てみますと、私は東南アジア諸国でいろいろ向こうの大学で教えたり、あるいは自分の研究をずっとしている過程で、たまたま日本政府の方々で親しくなった方がたくさんおりますが、そういうような日本政府の方々といろいろ話をしておりますと、少なくともごく最近、最近と申しますのは一九七〇年代の中ごろ以降でございますが、いわゆる第一次石油ショック以降になりますと、日本経済の石油ショック以降の離脱というものがある程度うまくいった、そういう自信もあると思いますけれども、少なくとも第二番目の経済大国としての国際的な責任というものを日本政府の方々もようやく自覚しつつある、そういうふうに思います。しかしながら、そういう経済大国としての自覚を持たない人々も残念ながらいるわけであって、明らかに何も持たない人に幾ら持て持てと言っても無理なんで、自分がそういうような立場にない限りは当然それは難しい。そういう意味では日本の国内におけるところの途上国教育その他もこれから必要になってくるわけですが、しかしながら、日本政府のそういう政策を側面から見ておりますと、次のようなことが言えると思います。  まず第一に、そういうような南北の問題に対する認識というものがかなり日本政府の政策の中では現実化してまいりまして、そういう現実的な認識というものを持って自国の経済開発援助政府開発援助あるいはその他の援助姿勢を変えつつある、あるいはまた変えなければならないということでいろんな論議を企画庁、外務省、通産、大蔵その他いろいろなところでやり始めた。これは非常に私よい点だと思います。我々一国民として大変うれしい点だと思います。  第二番目に、そういうような自分たちの南北問題に対するあり方ということを考える場合に、我が国政府の人々並びにそれに関連する人々が、少なくとも一体私たちは何のためにそういうことをやるかということについて、育ってみれば援助の理念ということについての総ざらいというものを行われており、そういう意味でこれも私は非常によいことではないかと思います。  ただ、日本政府の政策を側面から見ておりまして、私のように特に東南アジアの方にいろいろな意味でいろいろな形で関係している人間から見ますと、果たして日本政府の政策というものが一体どこまで遂行されるのかどうかという点について非常に心配をいたします。すなわち国内では財政再建あるいは行革、そういういろいろ国内でたくさんの問題を抱えているわけでございますが、そういう中で、果たして日本政府あるいは日本国民は、南北問題に対する正しい認識のもとに、例えば政府開発援助についての国際的な公約というものを守っていくのかどうかという点にやっぱり疑念があります。本当に日本政府が言っていることをそのまま我々はうのみにしてよいのかというのが、これは少なくとも東南アジア諸国の人々がかなり考えている問題であって、私たちはそれに対してはっきりと答えを出していかなくてはならないと思います。  また、最近の日本政府の特に南北問題ということについての態度と申しますか、政策ということを考えてみる場合に、日本というものが直面している国際的な経済情勢あるいは政治情勢、それから私特に申し上げたいのは日米間の貿易摩擦その他の問題でございますけれども、あるいは先進国間の貿易摩擦の問題ですが、そういうような先進国間の貿易摩擦、経済摩擦というものに気をとられて、いわゆる南北問題ということに対して本当に真っ正面に向かっていくのかどうか、いろんな政府の非常にバラ色の発表にもかかわらず、本当にそうなっていくかどうかという点について、やはり東南アジアの方々はいろいろな意味で心配をしていると、こういうふうに言ってよろしいと思います。  それから最後に、日本政府の政策を見ていて、特に東南アジアの方々が心配いたしますのは、よく言われますように現在の世界というものを取り巻く問題で二つあります。一つは東西の緊張の問題であり、もう一つは南北の格差の問題である。東西の緊張という中で一体日本政府が今後どういう役割を果たすのか、果たしてそれが東南アジア諸国の今後の経済発展、あるいは彼らを取り巻くところのその地域の政治的な安定あるいは平和、そういうものとどうつながってくるのかということについて彼らは非常に大きな心配をしております。  一方では、極端な人々は、かつての第二次世界大戦におけるところのああいうような考え方、大東亜共栄圏的なものが出てくるのかどうかというそういう心配をしておる方もおりますし、また他方では、いやいや絶対そうあり得ない、日本は平和憲法のもとでいろいろなことを宣言したし、事実やっている点を見ても大したことはない、そういう意味では我々は特に日本の軍事的な進出ということについては心配する必要はないと言う方もおります。そういうふうにしていろいろな方がいるわけでございますけれども、要は私たちとして重要なことは何かというと、そういう東西緊張という、果たして現在緊張が激化しているかどうかという点についてはいろいろな評価があると思いますけれども、少なくともこの一、二年あるいは数年間のレーガン政権のもとでの、あるいはソビエトの政権のもとでのお互いの緊張ということを考えてみますと、そういう緊張の中で、東南アジアに対する開発援助、あるいはまた開発途上国に対する開発援助、あるいはまたより広くは貿易その他すべてを含めたところの経済協力というものに日本がどういうような政策を出してくるのかという点について、かなりいろいろな意味で議論がなされているといってよろしいと思います。  今、東南アジア諸国の方々がどういうような心配をしているかということを自分の経験に基づいてお話しいたしましたけれども、最後に、そういうような中において、締めくくりとしまして私一つだけ実は皆さん方にお願いしたい点があります。  それは、先ほどから出ておりますように、人類の連帯であるとか、あるいはまた相互利益と申しますか、相互依存というようなそういう大きな理念のもとで、日本を含めて先進工業国は途上国との間の経済的な交流の活発化ということをしておりますけれども、こういうようなものが、決してこれはいわゆる白国のためだけではなくて、やはり世界経済全体あるいは世界の平和と安定のためにやっているという、そういう意識がどの程度私たち一般の大衆の中にあるかという点でございます。  一部政府におきまして、あるいは国会の皆さん方におきまして、そういうような考え方は確かにあると思いますけれども、我々一般国民大衆の中に、果たして南北問題というものと国際的な平和とかあるいは安全とか、あるいはまた経済の発展というものとどう結びつけていくかということについては、私非常に日本では国内における教育が足らないのではないかと思います。大変残念なことを申しますけれども、これは文部省がかなり関係していると思いますが、少なくとも小学校の教科書、中学、高等学校のいろいろな検定された教科書というものを、たまたまかつて私の子供にもそういうのがおりましたので読んだことがありますけれども、少なくとも東南アジアの社会の歴史について書いてあるものは、教科書の中にほとんどありません。ましてや東南アジア諸国がその後、特に一九四五年以後どういう経済発展をしてきたのか、どういう問題を抱えているのか、あるいは日本としてどういうような政策をとってきたのかということについて、少なくともそれについていろいろなよい説明を、よいといいますか、より詳しい正確な説明をしているような教科書というのは実は非常に少ない。あるいは参考書が若干ある程度で、教科書そのものはないわけです。そういう意味で、日本の国内におけるところの、私たち専門家の間では開発教育という言葉が言われておりますけれども、少なくとも開発途上国に関するもろもろの正確な知識、そういうものを国民一般に知らしめるような、特にそれは小学校教育から重要であって、小学校から中学校、高校、大学へと重要であって、そういう教育課程でもって途上国の問題について真に知らしめるような、そういう努力日本の国内において十分されていないということです。マスコミ、政治家あるいは官僚の方々、その他学校の先生、いろいろな方でそういうことを個人的あるいはその他の形でやっている方はおりますけれども、少なくとも国民大衆の底辺にある小学生あるいは中学生あるいは高校生、そういうような過程で私たちがもっともっと途上国の問題についてしっかりと正しい理解を持つような、そしてかつまた総合的な理解を持つような、そういう努力を我々がするようにしていくことが重要であって、この点は文部省だけでなくて、我々一般がぜひこういうことを考えて、特に国会の皆様方におきましては、いろいろな場でもってそういうことが議論できると思いますので、よろしくお願いいたします。  どうもありがとうございました。
  14. 植木光教

    委員長植木光教君) ありがとうございました。  以上で参考人からの意見聴取は終わりました。  午後一時三十分再開することとし、休憩いたします。    午後零時三十一分休憩      ―――――・―――――    午後一時三十四分開会
  15. 植木光教

    委員長植木光教君) ただいまから外交総合安全保障に関する調査特別委員会を再開いたします。  午前に引き続き、外交総合安全保障に関する調査を議題といたします。  午前中、国際協力について参考人から意見を聴取いたしましたので、これより質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  16. 宮澤弘

    ○宮澤弘君 まずODA政府開発援助のあり方につきまして服部参考人に伺いたいと思います。  承りますと、服部参考人アフリカの第一線で御苦労になっておられますし、またワシントンで大所高所から物を見ておいでになってきておられるようでございます。そこで、我が国ODA政府開発援助のあり方につきまして、特にほかの国との比較におきましていろいろ問題点があろうと思うのでございますけれども、率直にひとつ御批判をお願いいたしたいと思います。
  17. 服部正也

    参考人服部正也君) 私は、日本ODA全体について特に見ておるわけでありません。したがって極めて断片的なことをもとにして申し上げるわけでございますが、まず第一に、日本ODAの問題は世界的に量の問題あるいは比率の問題としていろいろ問題になっておりますが、これは午前中申し上げたとおり、今の経済学というのですか、これが統計ばかになっているのじゃないかと私は思うんです。何でも何かで割れば何かの比率が出て、そしてそれがひとり歩きするという感じがするので、私はそういうものではかられていることは事実でそれに対応しなきゃいかぬと思いますが、それを別として、質の面で一体効果がどうか、グラントエレメントとかなんとかということじゃなしに、効果がどうかということになりますと、私は特に諸外国のODAと比較して悪いところというのが総体としてあるとは思いません。しかしこれは、いわば水準を低くすればみんな満点になるわけなんで、問題がないということを申し上げているわけでありません。  それで、現実に私が見た日本ODAプロジェクトの問題で言いますと、これはアフリカがやっぱり問題が一番多いような感じがするのです。これはもう各国ともそうですが、日本の場合は何といってもアフリカ実情を知らない。先ほど別の先生がおっしゃいましたけれども、東南アジアについてそう知識がないということ以上に、アフリカについてはせいぜい冒険ダン吉みたいにしか考えてないということが一番大きいのじゃないか。  それからもう一つは受け入れ機関向こうからプロジェクトを言ってくる経路が、およそそういうものを仲介するにふさわしくない日本政府機関から来ているということが非常に違うのじゃないか。  これはいろいろの問題がございます。大使の位階勲等というものが外務省の一番上であって、そしてすべてが大使であるということになりますと、どちらかという日本の直接的利害関係の比較的少ないところでは非常に優秀な方が行くとは限らない。これがフランスあるいはドイツ、ベルギーなどの大使を見ますというと、もしワシントンに行けばせいぜい一等書記官ぐらいの人が大使で行っている。そこで若いときにキャリアをつくって、経験をつくって、体力的にもそれから頭脳の点でも若いときにそこに行って援助というものを取り扱っている、こういうことがあるかと思います、これはいろいろありますが。  それからもう一つは、これは外務省全体のくせでありますが、外交というものは結局は人間と人間、国と国ということは人間と人間のつき合いだ、これを忘れておられる傾向が非常に多い。すべてが形式主義になっている。例を申しましょう。今ここにおけるマダガスカルの大使が、ラザフィンドラベさんという、この方は昔日本の大使、これは二度目の勤務ですが、その間に世界銀行アフリカ代表の理事として行っておったわけです。そして三年か四年おられたわけですけれども日本の大使館に招待されたことは一回もないと。それで、御存じのようにワシントンの日本大使館官邸でございますけれども、これは一つの観光名所になっているわけです。大変に立派なもので結構な話ですが、昔の日本に来た大使はもう大使じゃなくなった、はいさようなら、忘れてしまうといったような非常に形式的な外交をやっている。これはある程度やむを得ません、政府という関係ですから。しかし世銀理事で来ておったときに、日本の友人であったことは変わらないわけで、それがぽいと切れる、こういうような形で非常に形式的な外交というものが出ておる。  したがって、今おる政府の要人がこれらをぜひやってくれと言えばとかくそちらの方が、実際にその国のためになるのかならないのかよりも、その人の関係というものでとかくいくということがある。それが今度、なるほどそういうチャンネルを一たん通って、そして先ほど伺っておりますと何か四省で協議するということになっておりますけれども、ここは余りそれの内容について審査をしない。審査をしようにもその事実を知らないということで通ってしまう。私が見ておって一体これでいいのかなと思うような案件が少なくとも二つはあると私は見ておるわけで、これはやはり援助というものは効果というものを考えなければいかぬ、出す方ではなくて効果を考えなければいかぬという頭が徹底してないことによるものじゃないかと思っておるようなわけです。
  18. 宮澤弘

    ○宮澤弘君 もう一つ服部参考人に伺いますが、これは簡単でよろしゅうございますが、先ほどのお話の中で、日本援助の理論なり哲学を正すべきではないかと、こういうことを言われたのでございますが、簡単で結構でございますが、もう一言それについてコメントをしていただきたいと思います。
  19. 服部正也

    参考人服部正也君) 先ほども申し上げましたが、今の援助論というものはほとんどがインプット中心であります。インプットの大きさを競う。私はアウトプットを見なければいかぬということが第一。第二が、先ほどいろいろ話がありましたけれども各国経済の特性、そして経済援助は広い意味の生産的な資本の蓄積の過程であることは、これはマルクスだってだれだってみんな同じなんで、仮にそうだとすれば、当然それの資本の維持とそれから償却というものが問題になる。その償却という面で援助問題をとらえた本というのは私まだ見たことがありません。それから日本の本で、援助といって全部読んでいるわけではもちろんありませんが、帰りましてから見ましたものはほとんど欧米の学者の焼き直してございます。これをやっておる限りにおいては、援助というのが本当の目的に戻るということはないと思うわけであります。
  20. 宮澤弘

    ○宮澤弘君 国際協力事業団石井参考人に御意見を承りたいと思いますが、開発援助のあり方につきましては現地の実態に合ったものでなければならない、これはもう申し上げるまでもないところですけれども、しばしばマスコミ等ではこの実態に合わない事例というようなものが報道されておりますし、また先ほどの参考人の方々のお話の中でも、力石参考人広野参考人は、現地における雇用の問題との調整でありますとか、あるいは適正技術の問題、エコロジカルの側面を重視しなければならないというような御指摘がありましたし、また服部参考人からは、現地の経済仕組み日本開発援助は壊している例があるのではないか、こういう御指摘もあったわけでございますが、そこでこれらを避けるためには、何と申しましても、何をどうやるかという事前の調査でございますね、これが重要なことは申し上げるまでもない。これについては先ほど御説明がありましたが、事前の調査と同時に、やったことについての効果の測定、評価、これがまた極めて重要だと思います。  そこで、外務省外務省としていろいろな仕組みでやっておられるようでありますけれども事業団とされては、やった事業の効果の評価、測定ということを一体どういう仕組みでどういうふうにやっておいでになるのか、これを伺いたいと思います。
  21. 石井亨

    参考人石井亨君) 事業団の中の評価活動は、ずっと昔からとは言えませんけれども、この数年間大変重点を置いてまいりました。事業団の中だけに限って言いますと、各事業部、すなわち十七程度事業部がそれぞれの行った事業について評価を行っている。それは事業団の内部の評価でございますが、事業団体全体の評価委員会というものを組織しておりまして、そこに提出されて全般的なレビューをチェックを受けるという仕組みがございます。それから、それだけに頼っておるわけにはまいりませんので、重要な案件につきまして、既に完了したもの、それからほぼ完了しかかったもの、場合によっては進行中のものにつきましても、その適正な管理も含めまして、先ほどお話がありましたアウトプットの点を中心にしまして、もっともアウトプットは単なる経済的なものでございますが、そのほかの社会的なインパクトも含めまして広く評価をするという特別の調査団というか調査チームをつくりまして、必要があれば現地に参りまして、それからまた必要があれば外部の中立的な人も加えまして評価を行っております。  これは従来の重要案件といいましても数百もあるわけでございますから、一度には実施できません。そこで段階的に分けまして、重要国について、ある特定の国についていろいろのプロジェクトの適正、効率化の状況、それから各分野につきまして共通の評価ができやすいわけですからそういうものというぐあいに、特別の評価チームをつくって、この結果を評価調査委員会にかけてその報告書を出しておるわけでございます。場合によりましては、政府側と一緒になりまして評価調査を行って報告書を出しておる次第でございます。
  22. 宮澤弘

    ○宮澤弘君 事前の調査と事後の評価というのは、ひとつ今後ともぜひ徹底してやっていただきたいと思います。  次に、事業団の関連で青年海外協力隊のことについて意見を承りたいと思いますが、これにつきましては事務局長の野村さんがおいでのようでございますので、野村さんから意見を伺いたいと思います。  私は、この青年海外協力隊事業というのは単に当該国との間の友好促進をするというばかりではなくて、こういう青年が一人でも多く日本にふえていくということは、日本の今後の国家社会の活力を維持させるという点からは非常に重要だと思っております。そこで協力隊の数の問題で、きょういただいた資料にもありますけれども、本年度六百五十人ですか、これを八百人にしたいというふうな計画をお持ちのようであります。もとよりこれは財政事情等もありますでしょうけれども、私は八百人でも決してこれは多い数ではない。アメリカの青年のボランタリー活動というのは、聞きますと非清に減ったといいましても五千人ぐらいいるようでありますので、やはりかなりこれは今後ふやしていかなければならないものだと思っておりますが、それにしましても、ふえれば問題は質の低下を来すのじゃないかということが心配です。応募者は大変多いようでありますけれども、その辺はどうお考えですか。
  23. 野村忠策

    参考人(野村忠策君) 青年海外協力隊事務局長の野村でございます。  数だけふやすのが能ではございませんで、同時に質を高めなくてはいけないということでございます。全く同感でございます。  幸いにして応募者の数が非常にふえております。昭和五十五年、五十六年では大体年間の応募者が三千人台でございましたが、五十七年に入りますとそれが四千人台にふえ、さらに昨年の五十八年には応募者の数は五千人を突破したわけでございます。恐らくことしは六千人を突破するものと思われます。応募者の数がふえれば、他の条件が一定であるならば質のいい人も多いだろうということが一つ言えるわけでございますけれども、なお特定の業種、例えば農業の分野、これは必ずしも応募者が適格な人材が多く応募しないわけでございます。  これは一つには、日本経済構造が変化しておるということにもよるわけでございますけれども、農村青年の中には、私ども協力隊の試験科目の中に英語があるということで、英語はとてもかなわぬというので、本来力のある人が試験科目を見てちゅうちょする、こういうこともございます。これにつきましては、できるだけそういった英語に対するアレルギー、心理的な抵抗感をできるだけ少なくしたいということで、応募要領の中にもその辺を懇切丁寧に書いてございまして、中学三年程度の実力で十分合格するのだから、ちゅうちょせずにどんどん応募してくれということを訴えております。  それからもう一つの問題は、退職をしてくる人が非常に多いわけでございます。本来実務の経験のある適格者というものは、多くの場合には国家公務員とか地方公務員または民間の企業の社員に多いわけでございます。ところが、協力隊に参加したいと思っても、その親元の企業が休職ということをなかなか認めてくれない。したがって、やむを得ず会社を退職して応募される方、または休職を認めてくれないのであれば協力隊に参加することを断念しなくてはいけない、こういうことで非常に多くの優秀な人材が協力隊に入る道を閉ざされているわけでございます。したがって、私どもといたしましては、休職による協力隊への参加、この道をもっともっと広げなくてはいけないということで、特に地方公務員につきましては、県条例によって休職ということで協力隊に参加できる道をつくっていただく、あるいは民間企業の場合にも各社におきまして休職制度というものをつくっていただく、こういう方向で問題をぜひ解決していきたいと思っております。
  24. 宮澤弘

    ○宮澤弘君 ただいま御指摘がありましたけれども、確かに協力隊の問題は参加者の身分保障の問題、これが非常に大きな問題だと思います。  そこで、おっしゃいますように、国家公務員なり地方公務員は休職制度という制度があります。これがまだ必ずしも十分徹底しておりませんので、徹底させる必要があると思います。予算委員会でも私は中曽根総理大臣にそのことをお願いいたしたわけでありますけれども、同時に問題は、参加者の中には民間の企業を退職した人が半分ぐらいいるというデータもあるように承っておりますので、そこで民間の企業で休職制度というものをもっと広げていく。さらに、それができないにいたしましても、今度は帰ってきた場合の就職の問題ですね、これについて国を挙げてやっていかなければならないと思いますが、それらについて政府に対して特に何か希望される点がありますか。
  25. 野村忠策

    参考人(野村忠策君) 三月十七日の参議院の委員会におきまして宮澤先生より御質問いただいて、それに対して外務大臣、自治大臣、総理大臣がそれぞれ協力隊員の身分保障の問題について強力にこれからやっていくということを言明されております。こういう状況下におきまして、私ども実施機関といたしましても、ぜひともそのような形で問題が解決されることを熱望しているわけでございます。  なお、就職の問題につきましては、一般的に言って就職の問題はかなり好転してきておるわけでございます。先ほどちょっとおっしゃいましたように、協力隊員が現地で現地の風俗習慣を勉強しながら一生懸命になって汗を流しておる、非常にたくましくなって帰国するということがだんだん最近では企業の経営者の中にも知れ渡ってまいりまして、協力隊員をぜひうちの会社に欲しいと言ってくる会社が非常にふえてまいりました。しかし、これも東京とか大阪とかそういった大都市あるいはその周辺に事業所のある企業だけでございまして、例えば新潟県の田舎に行って就職したいと思う場合には、なかなか思うようにまいりません。  そこで、私どもとしては、これは政府にお願いするという筋合いではないと思いますけれども、できるだけ経済界の方々、それから各種の団体の方々にお願いをいたしまして、ぜひ地域社会で彼ら協力隊員が、みんな東京、大阪に出てくるのじゃなくて、彼らの出身県で彼らの得てきた貴重な体験をぜひとも地域社会へ還元してほしいということで、地域の経済界の方々あるいは全国的にネットワークを持っておりますJCの方々等にお願いをいたしまして、地方で就職がもっともっとスムーズにいくように願っております。最近では協力隊に来られる方々も長男長女が非常に多くなりまして、そういたしますと、やはり親元に帰って、親の面倒も見ながら自分の家から通えるところに就職したいという希望者が非常にふえてきております。したがいまして、特に今後は東京、大阪ではなくて、地方の協力隊員の出身地において就職がスムーズにいけるように関係者の方々にぜひともお願いをしたいと思っております。
  26. 宮澤弘

    ○宮澤弘君 最後に、経済協力基金青木参考人に承りたいと思いますが、先ほど赤字の話をされました。これは御指摘のように、資金調達のコストと貸し出しの金利との逆ざやというのはこの事業の性格上やむを得ない問題かもしれませんが、本年度二百何億でございましたか予算措置をなさいました。恐らくこれからああいうことが、どうやって措置をしていくかという問題がずっと続けて出てくると思います。  そこで、先ほど青木さんのお話で、これについては一つは出資金でありますか、政府の無利子の金ですね、出資金をふやしてもらうということが一つと、同時に、事業規模考える。恐らくこれは縮小ということでありましょうが、あるいは貸し付け条件のあり方について検討をする、というのは金利を多少引き上げるということでしょうが、そういうことを言われたわけですが、今のような特に行政改革、財政が非常に難しい事情のときに出資金比率をふやすということはなかなか困難であるということはわかるわけでありますけれども、同時にODAということは、一般に言われておりますように国際公約といいますか、新しい中期目標を達成する、倍増員標を達成するということが一種の国際公約ということになっているわけでございますね。そういたしますと、事業規模を縮小するということはその方向とは逆の方向になるわけであります。それからまた、貸し付け条件考えるということは金利を引き上げるということでありましょうけれども、これはまた日本の円借款の質の問題に影響をしてくるということだと思います。  そこで、財政当局は無論財政当局としてのお考えがあるだろうと思いますけれども、協力基金のいわば幹部としての御見解を承りたいのですが、やはりこの際は、出資金比率をふやしてもらうということに重点を置いてお考えになるべきではないだろうか、私はそう思いますけれども、その点について御意見を承って終わりにいたしたいと思います。
  27. 青木慎三

    参考人青木慎三君) 先ほど申し上げましたように、赤字問題につきましては相矛盾することがあるわけでございまして、したがって私どもとしましては、ぜひとも一般会計からの出資金をふやすことによって事業を縮小するとかあるいは金利を上げないで済むことを希望しているわけでございますが、何分にも予算の中では相当優遇された伸び率をいただいているわけでございます。したがいまして、そちらの方にも限界がございますので、その点が非常に苦しい問題でございます。そこで、金利を上げたくないわけでございますが、非箱に発展段階の低い国につきましてはほぼ据え置き、一%強の金利据え置きますが、ある程度負担能力のある国、例えば韓国とか中南米諸国のようなところではある程度負担をお願いするということもやむを得ないのではないかというように考えております。いずれにしましても、来年度の予算編成におきまして、私どもの方としても極力一般会計出資をふやしていただくように努めてまいりたいと思っております。
  28. 倉田寛之

    ○倉田寛之君 先ほど来、各参考人の先生方から大変貴重な御意見を拝聴いたしたわけでありますけれども総合安全保障というものを考えてまいりますうちで、一つには、脅威そのものをなくすための国際環境を全体的に好ましいものに努力をしていくのである。二つ目には、脅威に対する自助努力が必要であろう。さらには三つ目には、その中間としての、理念や利益を同じゅうする国々が連帯して安全を守り、国際環境を好ましいものに努力をしていく。この三つのレベルでとらえる考え方がございます。このうちの一と二というのは、まさしく非軍事的手段としての経済協力という点を位置づけておるものではないかというふうに思うわけであります。  そこで、現在の国際環境、つまびらかに私は存じませんけれども、少なくとも東西米ソの軍拡競争なるものが両国合わせて八千億ドルに上っていると至言われ、開発援助というのはその二十分の一にしかすぎない。さらに、パルメ委員会であるとかブラント委員会等々の報告書などを拝見いたしますと、特にブラント委員会、これは一九七九年の十二月に勧告と報告を行ったその第七章の中に、「軍縮と開発」というテーマでとらえられまして、特に「軍備競争が、世界の安定に対し恐るべき危険をもたらしている」ことを警告すると同時に、「安全保障の意味を純粋に軍事的側面に限定するのではなく、より包括的なものとして理解することである。」つまり、この軍拡競争に支出されている多大の巨額の支出というものを、開発という問題に目を向けることが必要であろうということをこの第七章の中では述べているわけであります。  私は外国にその身を置いたこともありませんし、長いこと地方自治体に身を置いてきた者でありますから、国際的な問題については極めて未熟な者でありまするが、我が国の場合を考えますときに、確かにGNP第二位という経済大国になったと評価されております。しかしながら、アメリカと日本を比べた場合に、少なくとも日本には三つの弱さがあるのではないだろうか。一つはエネルギーであります。日本は八六・三%も輸入に頼らなきゃいけないが、アメリカは二二%強の輸入で補いがつく。二つ目は食糧であります。日本は五〇%も輸入をしなければならないが、アメリカは輸出風であるというふうに言っても過言ではないであろうと思います。さらに三つ目は、貿易であります。このことは時間の関係で長くは申し上げませんけれども、この三点をとりましても、世界が平和であるということが前提条件に実はなるわけでありまして、我が国の国際経済協力の大切な観点というのが明白になってくるわけであります。  ところが、昭和五十九年度の我が国の国家予算配分を見てみますと、実は、経済協力には五千四百三十九億円、一般会計から支出をされております。ちなみに、一万円の税金の固まりを円グラフにあらわすといたしますと、一万円の中でどの程度経済協力のために支出をしているかというと百十円であります。しかしながら反面、社会保障費には千八百四十円の支出をする。さらには教育、科学の振興には九百六十円の支出をするということで、その比率は極めて低いのであります。  そこで、素朴な御質問でありまするけれども、ちなみに一万円のお金の固まりの中での我が国経済協力に対する支出は百十円であるというこの時点をとって、まさしくそれではならないのだ、そういう割合ではいけませんというような観点について御意見をお聞かせいただけるならば幸いだと思います。服部参考人力石参考人広野参考人、三先生に御意見を承りたいと思います。
  29. 服部正也

    参考人服部正也君) 非常に簡単に言いますと、私はわかりません。わかりませんと申すのは、まず第一に実態をよく知りませんし、それからもう一つは、午前中にもそれから先ほどの宮澤先生の御質問にも答えたように、そういう数字の比較というものが本当に意味のあるものかということに対して私は非常に疑問に思うのです。  私、今度帰りまして、老人問題ということが非常にやかましく言われておる。そしてテレビなどで哀れな老人というものが出ております。しかし、現実に私の接触している老人で困っている人は非常に少ない。困っていなきゃ何も金を出す必要がないということは言えるわけなんです。社会福祉全体が社会の不幸度を減らすということならば、これはインプットで考えるのじゃない、どれだけ社会が不幸であるかということによって必要度が決まってくるので、少なければ福祉費は少なくて当然なのであって、それを必要を超えて金を出すということが援助疲れあるいは福祉疲れの原因じゃないかと私は思っておるわけです。これはなるほどそういうことは望ましいといえば切りがない、それだけとれば。ですけれども、全体のバランスの中で、これは国民の貯蓄から出るものであって、その貯蓄の有効な使用のためには、何についても必要を超えてやるということは悪だと私は思っておるわけであります。
  30. 力石定一

    参考人力石定一君) 戦後、先進国経済協力活動をいろいろやって対GNP比率のウエートを上げていく努力を強化せよということで、五〇年代、六〇年代には意見の一致があったわけですが、それが今反省期に来まして、どうも援助して憎まれているのじゃないかという質的な問題が出てきた。そのときに二つの反応があります。一つは、自助努力に期待すべきであって、むしろ突き放せ。例えばレーガン政権のブレーンのグループたちは、反ケインズ主義の立場から突き放し路線を主張しております。もう一つは毛沢東みたいなグループでありまして、これも、それは新植民地主義だから援助なんというのは要らないんだという極端な自力更正論が反対側から出てまいります。  その二つの間のバリュエーション、いろいろあるのですが、そういう方向に反省を求めるのか、あるいは私は午前中に申し上げましたのは、全部突き放してしまうというようなしごき路線をとるとこれは何ともならなくなってくるわけで、どういう方向で協力するのがフルーツフルであるかという具体的な質的内容についていろいろ議論し、その結果として対GNP比率の援助資金が上がっていくことが望ましいのではないかというふうに思うんです。そういう観点ならば、しごき路線の人たちも、それはもちろん両者にメリットがあるわけだから協力しようということになって、それで食いとめることができると思うのですが、先進国が全体的な財政的な危機に直面いたしますというと、社会保障を切れ、教育を切れと同じように、国際協力資金も切ってしまえ、その方がかえって市場メカニズムの中で鍛えられた自立力が生まれてくるんだというふうな、古いアダム・スミス的な考え方で世界経済に対処するという傾向が強くなってまいりますので、それでは私は非常に危険ではないかと思います。  しかし、内容的に今までの援助に質的に問題があったわけでありますから、それを解きほぐして、それを総計してみるとかなりの対GNP比率の援助になったということならば結構なのじゃないか。先ほど中国に対する電気製品のリサイクル問題を話しましたけれども、それがリサイクルされて実際に見返り資金としてなると、そうすると日本からグラントした部分は、日本ではもう捨ててしまっているわけですが、グラントした部分はこれぐらいということにしましょうということになると、これは政府援助の中に繰り込んで実はこれだけやっていますというふうに報告することもできるわけであります。捨ててしまったらなくなるものがリサイクルすることを通じてそういう結果を生み出す。しかもそれは中国に対する具体的な無利子援助ということになるわけでありますから、そういう内容の命中するような援助活動を強化するということが、結果としてそういう比率の上昇というものにつながっていくようにしていただきたいというふうに思います。  そこで、内容的な問題につきましてもう一つ申し上げたいのですが、例えばガルブレイスが「大衆的貧困の本質」という本を書いておりますが、いろいろ援助してみたけれども、どうもうまくいかない。そこで彼は、最初は命中しない援助をいろいろ問題にしていたわけで、インド大使のころは問題にしておりましたが、そういうことよりもということで、最近の彼の考え方は変わってまいりまして、南の諸国の人口がとにかく多過ぎるわけだから、それを先進国へ移民を促進しろ、そうすることによって労働力の需給関係を緩和させる、そうして緩和した労働力、その移民した労働力が稼ぐお金が本国に送金される。こういうことを通じて資金配分ができるではないかというふうなことを書いておりますけれども、よく言われている南北格差問題の前にその問題を少し研究してみる必要があるのではないかと思います。  その問題、ガルブレイスの本を読んで私はいろいろ考えたわけですけれども日本のような国は一人当たり居住地面積が非常に小さくて、簡単に未熟練労働力を大量に入れるということは問題があるかと思います。西ヨーロッパ諸国は、ダーティーレーバーだとか非常にリスクの高い危険な労働を移民労働者に期待することによって、かえって自動車産業のようにオートメーション化、ロボット化なんかがおくれてしまって、非常に甘い考え方になってしまったわけですが、日本はその点は入国管理令で非常に厳しく制限をすることによって入れなかった。そのことが産業の近代化を非常に促進しているというプラスもあります。同時に、ヨーロッパの諸国では移民労働者で都市問題が非常に激烈で、ダーティーレーバーを入れますというと人種差別問題がどうしても起こってまいります。そういうことが日本では比較的少なくて済んできたというメリットもあったわけです。そういう意味で、日本のように狭い国で移民労働者を引き受けるというやり方は望ましくないわけですけれども、国際経済全体の考え方から見ると、これは当てはまる国もあるのではないか。例えばブラジルであるとか豪州であるとかカナダであるとか、もともと白色植民地として非常に広大な地理的領域を持ちながら、労働力が不足しておって、労働力がふえた方がかえって富がふえるというふうな地域においては、いわゆる混合的な民族のるつぼのような国家を築いてまいりました。それは特有の人種問題その他を抱えることになるわけでありますけれども、その点については建国の理想として引き受けるということに決めているわけでありますが、ここはやはり移民労働者を引き受けることのメリットというものも非常に大きいわけであります。  そういうことについて日本のように受け入れない国が理解を持ち、この移民を再教育したり訓練したりするために大変な費用がかかるわけでありますが、その費用について国際協力をやっていく。例えば、豪州やアメリカに対してインドネシアやあるいはフィリピンというふうなところから移民が起こる、その一人当たりについてどの程度の訓練費用がかかるかということを前提として相互援助を行うというふうなことは、大衆的失業問題に対して一つの解決策ではないかと思います。そういうことを冷静に議論できるような国際的な雰囲気をつくらなきゃいけませんで、今のところマスコミなんかも、日本が絶対に移民を引き受けない、あるいは難民を引き受けるのを逃げてはかりいる、そしてお金だけでごまかそうとしているというふうなことでいろいろ言っているわけでありますが、世界経済全体のバランスから見ますと、そういう形でもう少し冷静に相互協力をしていく必要があるのではないか。そして、日本としては人口を引き受けることはできないけれども、ノーハウとか資金とかそういう形で人口問題で悩んでいる国々に資金的な流動を図っていくというふうなことが必要なのではないかど思うわけです。そういうことについて少し整理した議論をしてみる必要があるのじゃないか。  それからもう一つついでに申し上げますが、対外援助の場合に、民間のさまざまの信用がございますが、民間銀行は最近は個人の貯蓄超過が非常に大きく続いておりまして、ところが、大企業の方は設備投資資金が非常に沈滞しております。政府の方は財政困難からこれ以上公債発行量をふやせないということで貯蓄超過基調が非常に強いわけです。そうしますと、金融機関はこの資金金利差を通じて海外に対して非常に大規模に投資する、このことが円安をもたらしているわけであります。この資金流出についてどういう考え方を持つかということ、これが一つ重要でありまして、民間資金の移動も対GNP比率でやはり国際協力の問題になってくるわけですが、これも私はかなり問題があるように思います。  といいますのは、例えばかなり公定歩合を下げれば、ますます資金が流出するというので公定歩合を下げられないわけでありますけれども、国内に資金を還流するということをしっかりやった上で資金移動というものをやらなければいけないので、今のあれは例えば住宅で見ますと、個人は貯蓄超過でありますけれども、住宅投資が減ることによって貯蓄格差はますますひどくなっているわけですが、住宅投資が多ければ貯蓄超過というのはかなり小さくなります。つまり、資金が住宅に還流することを通じて海外への流出が防がれるわけです。そのルートを妨げている国際的な比較で二つあるのですが、一つは日本の住宅に対しましては……
  31. 倉田寛之

    ○倉田寛之君 御発言中なんですが、私の持ち時間が二十四分なわけですから……。
  32. 力石定一

    参考人力石定一君) そうですか、済みません。
  33. 植木光教

    委員長植木光教君) この際、参考人の方々にお願い申し上げます。質問者の時間がそれぞれ限定されておりますので、御答弁は簡潔にお願い申し上げます。
  34. 広野良吉

    参考人広野良吉君) 御質問に答えになるかどうかわかりませんが、自分なりに考えていることを申し上げたいと思います。  日本政府開発援助が果たして国家予算との関係で多いか少ないかという御質問でございますけれども、私先ほど来申し上げておりますように、途上国の立場からちょっと考えてみたいと思います。  御存じのように、途上国としましては、先進諸国から政府開発援助、特に技術協力を除いた形での資金援助というものは実は貿易上のバランスがあれば一切要らないわけです。すなわち途上国としましては経常収支がとんとんであれば、彼らは特に先進諸国から政府開発援助というものをもらう必要は何らないわけです。ところが、問題は、現在でもそうですけれども、一千億ドルを超すような経常収支の赤字というものが途上国にあるわけであって、その経常収支の赤字を何とか埋め合わせなくてはならない。そういうふうになりますと、その穴埋めはどうしても何らかの形で先進工業国からか、あるいは多国籍の民間企業、あるいはまた国際機関、世銀あるいはアジア開銀というような国際金融機関からお金を借りる、あるいは贈与を受ける、そういう形でやらないと途上国の現在の経済開発のペースを守っていくことができないということでございます。  そういう意味では、私は、グローバルに考えてみますと結局問題は二つあるわけでございまして、一つは、途上国が現在抱えている膨大な経常収支の赤字、これを一体先進工業国はどうやって解決しようとしているのか、これを我々やっぱり考えなくてはならない。すなわち、政府開発援助という問題は実は貿易という問題で非常に密接に関係しているわけでございまして、貿易の面で例えば途上国が経常収支の膨大な赤字を少なくすることができれば、それだけ政府開発援助を減らすことも可能なわけでございます。その点はぜひ考えていただきたいと思います。  それからもう一つは、仮にグローバルにそういうふうにしまして、かなりの経常収支の赤字途上国が持っているわけでございますが、そうしますと、それを分担するのにどういう分担方式がよいかということであります。その分担方式には二つありまして、一つはいわゆる公的な資金の流入をどうするか、もう一つは民間の資金の流入をどうするかという問題、これが一つ。それからもう一つは、特に公的な分野については各国間でどう分担するかということであります。民間分につきましては市場のメカニズムによりますので、これは当然そういうような議論をすべきではありませんし、あくまでも市場のメカニズムに従ってやっていくことが妥当ではないかと思います。  そうしますと、最初の点、それから次の点、その二つの点を考えますと、私は少なくとも現在の日本の、もちろん国内に老人問題、医療問題、教育問題、たくさんありますけれども、現在の日本経済大国としての立場からするならば、我々はこの途上国が言っているところのある程度援助の増額あるいは質の改善、こういうことについて積極的にこたえるべきであって、そして特にグローバルに見て、それだけ足らない経常収支の赤字をそれぞれの公的な援助でもってもし我々が賄うとすると、その公的な援助は一体どの国がどれだけ負担すべきかという問題になるわけでございますから、これはOECD、DACのガイドラインにありますように、できるだけそれぞれの国々の自主的なGNPあるいはGDPというものの線に沿った格好である程度の分担を考えていかざるを得ない。すなわち、確かにそこにはアービトラリーなものがありますけれども、我々は何らかのそういう基準を使ってそのグローバルな足らない部分を補完していかなくてはならない、そういうわけでございます。そういう意味では、私は現在の日本のまだまだGNPの〇・二九というような、こういう政府開発援助のパーセントというものは、実はDAC平均から比べましてもかなり低いわけでございますので、我々は当然これを上げなくてはならないし、そのことについて議論する余地はないと思います。
  35. 倉田寛之

    ○倉田寛之君 終わります。
  36. 久保田真苗

    久保田真苗君 広野参考人に伺います。  東南アジア状況を大変興味深く伺わせていただきましたが、東南アジア諸国に共通する問題点として六つの共通項をお挙げになりました。つまり食糧問題、一次産品価格、エネルギー問題、失業または不完全就業、富の不公平、経常収支の赤字等お挙げになりましたのですが、このうち食糧問題は大変重要な問題でございますけれども、東南アジア諸国の食糧問題で深刻な状況にあるという国はどこなんでございましょうか。またそれに対する対策、これはどういうものが考えられますか、どうぞお願いいたします。
  37. 広野良吉

    参考人広野良吉君) 簡単に申し上げたいと思います。  先ほど申しましたように、東南アジア諸国は、御存じのようにタイ国はお米の輸出国でございますし、フィリピンはようやく何とか需給のバランスをさせることができるあるいはできないというようなことを言っている最中でございますが、現在御存じのように米を大量に輸入している国は相変わらず、もちろん年によってそれは違いますけれども、少なくとも過去十年間ぐらいの平均数値をとってみますと、大量に輸入している国はインドネシアとマレーシアでございます。シンガポールはもちろん国内にはほとんど何もないわけですから輸入に頼っているわけでございますが、そういう意味で申しますと、インドネシアとマレーシアの食糧増産というのをこれから私たちがどう考えていくかということが重要ではないか。  特に、これらの両国は自分たち自身が、外国が考えなくても自分たち自身でこれをどうやって増産したらよろしいかということで今一生懸命考えておりますが、少なくとも二つの国に共通して申し上げることができますのは、やはり食糧増産ということはどうしても農民にインセンティブを与えなくてはできない。ところが、農民にインセンティブを与えるということはどういうことかと言うと、戦後日本がやってまいりましたようないわゆる食糧についての、特に生産者に対するところの米価というものについてインセンティブを与えるということが一つあるわけでございます。このインセンティブを現在これらの国々はやっているわけでございますけれども、しかしながら、私から見ますと、やはり単にいわゆる米価という格好でもって、これは日本の国内の問題とも関係しできますので非常に実はセンシティブな問題でございますが、単に米価を支持するという格好でもって農民のそういうような米の増産意欲というのをかき立てるのは、これは好ましくない、こう考えております。  私は近代経済学を勉強しました人間としまして、やはり当然それではなくて、インプットに対するサブシディー、例えば肥料に対するサブシディーの問題であるとか、その他生産に必要なもろもろの要素に対するサブシディーというものによって、サブシディーの額を予算の中にはっきり明示できて、このとおり米の増産あるいはその他の増産のためにはサブシディーを出して、そのサブシディーに対して一体どれだけのリターンがあるかという、こういうコストベネフィットをはっきりさせるような格好でもって私たちが買い上げをやることを期待しておりますので、そういうことを、私も友人がたくさんいるものですから、向こうに行くたびに語をしておりますけれども、ただなかなかそれにつきましてもやはり国内のいろんな思惑と申しますか、いろいろなものがありまして、十分にできてないのが現状であります。  そういうわけでございますので、特に日本政府開発援助との関係で申しますと、できたらこれらの国々のそういうような米の増産計画について政策レベルでアドバイスできる方々が、専門家が向こうに行くということが一つ重要です。もちろんこの場合には、向こうからの政府のリクエストがないとそう簡単にこちらから押しかけていくことはできませんけれども、それが一つ。それからもう一つは、もっと何といいますか、土着のレベルと申しますか、いわゆる農民のレベルでもって申し上げますと、そういうような生産をあるいは増産をするために必要なもろもろの整備、インフラの整備、そういうようなものがどうしても必要でございますので、そのインフラの整備に対して日本が、従来もやっておりますけれども、これを一層拡充して、そういう食糧増産整備計画と申しますか、こういうものについてはっきりと我々が援助を拡大していくということが重要ではないかと思います。
  38. 久保田真苗

    久保田真苗君 農業を考える上で一つ問題とされておりますが、焼き畑移動農業の問題なんですが、これは熱帯樹林の消滅などとも関係して非常に地球内に憂えられていることなんですが、この点は東南アジアの場合、先生はどのようにお考えになりますでしょうか。
  39. 広野良吉

    参考人広野良吉君) 実は焼き畑農業というのは、東南アジアにおきましては重要なところはインドネシア、特にカリマンタンだけでございます。そういう意味では、このインドネシアにおけるところの焼き畑農業という点がありますけれども、私はこの焼き畑農業と米の増産とは関係がないと思います。それですから、これはあくまでも焼き州農業とそれから自給田足的なそういうもろもろのルートクロップ、こういうものをどうするかという問題だと思います。そういう意味では特に焼き畑農業のやり方を変えるということが米の増産云々との関連はないと思いますが、ただ、おっしゃいましたように環境の破壊、焼き畑農業が環境を破壊していく、この問題はやはり非常に重大な問題であるわけでございますので、現にあれば国連環境基金でございますか、そこでもこの焼き畑農業についてどうやったらよろしいかということで国際的な努力を今しておりますが、日本もその方向で、たしかこれは林野庁、それから農林省あるいは環境庁が一生懸命やっているように聞いております。
  40. 久保田真苗

    久保田真苗君 もう一つ、東南アジアには日本からビッグビジネスがたくさん行っております。今、多国籍企業の評価についてはいろいろなメリットもデメリットもあるということで、特に多国籍企業の行動について一つの綱領をつくりたいという努力がなされておるわけでございますけれども、先生の目からごらんになりまして、東南アジアにおります日本のビッグビジネスの評価はいかがでしょうか。また、これらに対して、あるいは政府機関に対してこの点について希望なさりたいことがおありでしょうか。
  41. 広野良吉

    参考人広野良吉君) 東南アジア諸国に対する日本の言ってみれば企業の直接投資ということでございますけれども、確かにおっしゃいますように莫大な数の、数は私よく知りませんが、たしか三千社近い企業が今東南アジア諸国に出ております。直接投資額にしましても膨大な額が出ておりますが、東南アジア諸国の立場から見ますと次の三つのことが言えると思います。  まず銃一に、日本の大企業を含め中小企業もたくさん出ておりますけれども、そういうような直接投資は、東南アジア諸国にとって必要な資本を供給してくれるという点ではやはり非常に高い評価を得ているというふうに言ってよろしいと思います。  それから第二番目には、同じくそういうような企業を通じて技術移転というものが、いろんな問題はありますけれども、徐々に行われている、こういう点では高い評価を得ております。  それから三番目には、日本の企業は過去においては、これは特に五十年代の後半から六十年代でございますけれども日本の企業進出は通産の政策もありまして輸出振興ということで過去にやったわけでございますが、今はもうそういうような時期でございませんで、日本の企業が東南アジア諸国に進出する場合、かなりその進出国におけるところの市場の確保とか、あるいはそこの安い労賃を使ってアメリカ、ヨーロッパその他の国にあるいは日本に逆に輸出する。ある先生によってはブーメラン効果というようなことも言うわけでございますけれども、そういうような輸出振興のための企業進出ということをやっております。そういう意味で、外貨の獲得という点から考え日本の企業は東南アジア諸国にとってかなりのよい貢献をしていると、こういうふうに言ってよろしいと思います。  ただ、日本の企業進出において彼らがやはり何といっても心配しますのは、日本の企業が非常に優秀であって、かつ能率的であって、そしていろんな意味で東南アジア諸国の経済開発に貢献してくれているけれども、同時に白国の資本家、民族資本というものの育成ということに彼らは非常に関心があるわけでございまして、できるだけ自国の民族資本の育成というものと相入れるような形で日本の企業が発展していくということが大切ではないか、この点が最も重要な点ではないかと思います。  その点に関連しまして、特に政府にもし私が何か希望するということであれば、それは次の二つをちょっと申し上げたいと思います。  一つは、東南アジア諸国は、技術移転ということを最近しきりにASEAN諸国は言っておりますけれども技術移転という場合に、これは大学の先生方とか、あるいはいろんな専門家がそこに行っていろいろ言っても何ら意味ありません。意味ありませんというとちょっと語弊がありますけれども余り大した効果はありません。やはり一番の大きな効果は企業の現場を通じて技術移転することであって、企業の現場を通じて技術移転すもということは、当然いわゆる日本の企業が彼らにとっての技術移転の経験の場として使われるということですね。ですから、東南アジアにとっては実は日本の企業というのは技術移転の場である。そこをオン・ザ・ジョブ・トレーニングとして、OJTと言っておりますけれども、そういうOJTを通じて技術移転するということが最も重要だ。そういう意味では、日本の進出企業をその国の政府あるいはその他の方々が技術移転の場として使うためには、何らかの訓練施設が必要なんです。ところが、名前は申し上げませんけれども、そういう訓練施設を持った企業は、先ほど言いました三千社近くありますけれども、そのうちの数社にすぎません、現在日本の企業で。ローカルに開放して自分の訓練施設を使ってくださいと言っている企業は数社しかないんです。なぜないかというと、それは相当のコストがかかるからですね。もちろんこれは民間企業が当然社会的責任としてやることだと言ってしまえばそれまででございますけれども、私は途上国との技術協力経済協力との観点からするならば、日本政府がそういうものに対して何らかのやはり資金的その他の援助をすることによって、民間企業が途上国における技術移転というものを促進する上において役に立つということが重要ではないかと思います。  それから第二番目は、これはJICAに関係すること、国際協力事業団関係することでございますが、私が思いますのは、現在国際協力事業団もかなりの何といいますか、向こうから研修生を連れてきて、研修生がこちらに参りまして毎年三千数百人の研修をしておりますけれども、できますれば、こういうような毎年三千数百人の研修をやっているそういうものが、今のところは国家公務員とかあるいは政府関係機関の人々に対する研修でございますが、もう一つ通産がやっておりますところの風間企業のレベルでの研修がありますので、私はそういう公的な機関の研修だけじゃなくて、民間機関の研修と申しますか、そういうものをもっともっとこれから拡大していただくことが重要ではないか。そのために日本政府のできることは幾らでもするというのが東南アジアに対するコミットメントではないかと、こういうふうに思います。
  42. 久保田真苗

    久保田真苗君 次に、力石参考人にお伺いしたいのですが、大変具体的な、国民がすぐにでもできそうな例を挙げて御説明いただきましてありがとうございました。おっしゃいましたことのうち、合成製品から天然製品へと、これは例えば粉石けんの例で言いますと、婦人団体なんかが今はある程度こういうものに協力をしております。また使い捨てからリサイクルへと、そして石油離れをして新しい南北関係に目を向けるということでございまして、また経済協力の最大のポイントが身近な安価なもので雇用量を吸収していく、この点も大変私も同感でございます。  そこで、お挙げになりました中国の例などにつきまして大変雄大な構想でリサイクルをしようという御提言でございますけれども、このようなお考えを実際に何らかの計画なりプロジェクトなりにこれを御活用になっているというようなことが先生はおありになりますか。
  43. 力石定一

    参考人力石定一君) 中国につきましては、いろいろ私は論文にも書き、テレビでも提案をしたことがございますけれども、まだ実際の動きはありません。ただ、可能性が非常に高いと見ております要素を幾つか挙げてみますと、福島県の自動車の修理会社が日中合弁会社を中国につくりまして、日本の中古車を向こうへ持っていって向こうで修理して、販売して、日中合弁会社が稼ぐという商業ベースの動きがあります。  こういう動きがあるということは磁気製品についても可能性があるということを示すわけでありますが、電気製品については商業ベースでは難しいと思います。といいますのは、完成品を売り込みたいというメーカーの欲求が非常に強いわけでありまして、それが中古品で出てしまいますと、この量はかなりのものでありまして、例えば中国の一九八〇年の電気冷蔵庫の生産台数は一万三千台、それから電気洗濯機は二十五万台、それからテレビは二百四十万台、このくらいの数字でありまして、自転車だけが非常に多くて千三百万台つくっておりますけれども、電気製品はかなり生産台数は少ないわけでありまして、この完成品を、新品を売り込みたいという、これは東南アジアなんか特に新品を売り込むネットワークができてしまっておりますので、中古品を売ろうとしますと、向こうで修理して売るというような活動はメーカー自身が嫌がる。それで通産省も嫌がって、それは余り促進しない。中国についてもちょっとその要素がありまして、一つの妨害要素にはなっているかと思います。  ただ、中国の日中合弁会社が自動車についてやっているということは、電気製品についてもそういうことをやっていく可能性があると思います。問題は、ナショナルというブランドをつけたやつが向こうで修理して売られて、故障が起こったらナショナル自体の権威が傷つくというような問題がありまして、そういうことを遮断するという意味では修理公社のブランドに全部変えて、この中古品の修理したものの責任はその会社が持つ、中国の会社が持つんだというふうに遮断してやれば、これはかなり違うのじゃないか。そういうことを通じて電気製品がずっと普及してくれば、やがて完成品の、新品の輸出市場に対するいわば露払いにもなるわけですし、それからそれが見返り資金という形で産業投資に向かっていけば、これは日本のプラント輸出に結びついてくるわけでありますので、そういう意味で可能性はかなりあるように思います。  中国側の事情から見ますと、川崎の市役所でちょっと調べたのですが、瀋陽と姉妹都市を結んでいる。そこで、いろいろな大型ごみがたくさん出ておりますけれども、修理してお使いになりませんかという話を瀋陽の代表にしたそうであります。そうしましたら、我々はプライドがあるからごみは要らぬというふうな話だったと言うんですね。確かにその感情問題はあるかと思いますが、どうもおかしいと思いまして、私は友人を通じて東京の中国大使館に聞き合わせました、こういうことが言われているけれどもどうかと。北京はそんなことは言いませんと、そしてアイデアとして非常におもしろいので、何台あるか、そしてどのくらい修理可能かというふうなことについての統計はないだろうかと言うので、私も一生懸命探して、総理府の統計の中にサンプル調査があるわけです。ずっと毎年どのくらい買いかえ需要が起こっている、そしたらこの部分がごみでありまして、新品需要と買いかえのやっと統計が出ております。それから推計して私先ほどの数字を申し上げたのですが、その半分ぐらいが大体修理できるだろうということを電気屋さんは言っていますよと。実際に向こうの船員さんが持って帰ったりしておるわけでありますので、可能性はあるのではないか。  それで、瀋陽みたいなことは北京は言いませんと。どうもちょっと派が違うようでありまして、瀋陽の方は華国鋒派の李徳生ですか、ですから、ちょっと派が違うと感触が違うのですが、だんだん派のバランスも変わってきておりますので、経済合理主義的に、ごみという考え方じゃなくて、いわゆる資源リサイクル時代における新しい国際協力だという考え方で両方の間の専門家の話し合いをして、そして専門家司土の間で、あるいは自治体の専門家同士の間で実際の動きが起こるということが必要なんじゃないか。今教科書ですね、日本語教科書のリサイクルというのがかなり行われておりまして、これは各自治体とこちらの運動団体との間の動きがあります。それは源氏物語だとかそれから普通の漱石の木だとか、そういうようなものが皆行っているわけですが、そういうルートもありますので、やる気にさえなればかなりいくし、この量は非常に無視できない大規模な量であるというふうに思っております。
  44. 久保田真苗

    久保田真苗君 私も、町田市が自転車やテレビのリサイクルをやっておりまして、ただしこの場合は国内で、身体障害者がこれに従事しまして大変市民に喜ばれているという話も聞いておりましたが、そうなってまいりますと、まさにそれが一種の日本からいいますと輸出産業ということになるわけなんでございましょうけれども、リサイクルのごみの回収といいますか、そういうのは今後の成長産業かもしれない、そういう感じを得たわけですが、ここには通産省おいでになっていると伺いますが、通産省のお名前も今ちょっと出たのですが、こういうことについてどういうふうにお考えになりますでしょうか。
  45. 荒尾保一

    説明員(荒尾保一君) 資源のリサイクル、そういう事業が非滝に重要であるという認識は、特に二回のオイルショックを経まして、そういった認識がだんだん広まっておるのではないかというふうに思います。国内におきましても、そういった資源のリサイクル事業というものを促進しようと、なかなか経済的に引き合わないという問題があってその事業自身がそう進捗しておるわけでもございませんが、しかしそういった動きがあることは事実であると思います。  ただいまの力石先生のお考え方もお伺いいたしておりまして非常に興味あるといいますか、参考にすべき御意見であるというふうに感じますが、通産省が、ほかの新品が売れないからそういったものをやるべきじゃないという意見を持っておるわけではございません。ただ、おっしゃいますように、そういった事業を進めるに当たって、やはりプライドというのも一つの重要な理素でこざいましょうし、またそういったものを実現するとすればそれに伴う経費が必要でございますので、それをどのような形で賄うかという点も相当研究しないといけない点ではないかというふうに感じます。
  46. 久保田真苗

    久保田真苗君 ひとつどうぞ御研究くださいませ。  それから力石先生、ほかにも一つ二つ何か具体的な例をお挙げいただけますか、もしおありになればですが。今おっしゃった新しい南北関係を育てる意味から。
  47. 力石定一

    参考人力石定一君) 先ほど広野参考人に対する御質問にありました焼き畑の問題につきましてちょっと申し上げておきます。  焼き畑農業の問題は、例えばフィリピンにしましてもインドネシアにしましても、日本のラワン材の採取にこちらは行きます。ラワン材というのは択伐でありまして、密生しているわけじゃなくて、ぽつんぽつんと生えているやつをとってくるわけですが、そのときに林道をつけてとってくる。そうすると、林道ができるとわあっとそこへ入ってきて、入りやすくなるものですから、入ってきて焼き畑をやってしまう。したがって、もう丸坊主になってしまう。NHKのテレビなんかで丸坊主の状態がしょっちゅう映されておりますけれども、あの丸坊主の状態日本の業者が全部丸坊主にしたわけじゃなくて、人口爆発との合成作用でああいうふうになっているということを見なきゃいけません。したがって、人口爆発と食糧とのバランスですね、ここのところについての手当てを同時に行わないと、林業がそういういわば引き金になってしまう、日本の進出林業が引き金になってしまうということだと思うのです。  そこで、焼き畑に対する代案は、化学肥料や農薬をたくさん使って、そして治水工事をしっかりやってというふうな日本でやってきたような水田農業を向こうに教えようとしますと、これはまた大変な資材が要るわけでありまして、化学肥料を買わなきゃいかぬ、農薬を買わなきゃいかぬ、そしていろいろな形でインフラをつくらなきゃいかぬ、それだけの資金はもちろんありません。したがって、結局なかなかこれに吸収されていかないわけでありまして、やはりそういう農業協力につきましても、伝統的な日本のリサイクル農業、つまり人ふんを肥料にしてやるとか、あるいは熱帯地域ですから草はたくさんあるわけであります、その草を肥料として集積しておいて土壌に還元しなさいとか、いわゆる洪水のときにわっと有機肥料が出てくるというのじゃなくて、人工的にリサイクルをやっていくというふうな農業の技術を教えることが必要なんじゃないか。そのことを通じて水田農業の生産力は、日本の生産力はもう昔から非常に高い生産性を持っておりますが、そういう高い生産性に向こうも移動できるのではないか。それは資材を買いませんから貧困な水準の段階においては非滝によくマッチしております。  そういう意味で、高価な化学肥料や農薬やあるいは農業機械というものに依存しない形のリサイクル農業を技術移転するというふうにやることがマッチしており、そして焼き畑にいくのをブレーキをかける。焼き畑はいろいろ当局が抑制をしておるのですけれども、大体ソフトステートでありまして、抑制することになっておってもなかなかブレーキがきかない。大衆がわっと来たら、ちょうど駅の周辺の自転車置き場みたいにもやもやになっちゃうわけですね。ですから、そういうふうな現象を一つ一つ協力活動によって抑えていくというふうなことが必要なのではないか、まあこんな感じがしております。  それからもう一つ、南の諸国の例えばネパールとか、そのような木材を主としてエネルギーにするという、その結果丸裸になってしまって土壌流出で洪水やその他で困っておる、こういう現象でありますが、これに対しましても、いわゆる植物生態学的な日本の林業のあり方の経験の中からある答案が出てくるのではないかと思います。先ほどの、木をそのまま切るのではなくて、牛ふんを燃料にしてしまうというようなことが起こっている。それをメタン発酵装置によってカットして、肥料と同時に燃料を供給すれば、それだけ木は守られますね。そういうふうな形で既存のストックというものに対して手を加えないで、うまくリサイクル型の安いエネルギー、自給エネルギーを持てるように導くということが決定的に重要なのではないか。  それから山林のあり方につきましても、燃料用の山林とそれから人工林というふうなもののバランスをよく考えて、生えてくる以上は切らないように、いわゆる利子で食っていく、森林の利子で食っていくような形の燃料の使い方、昔は日本でもそうでありますが、杉、ヒノキはこれは経済材にして、そしてマキだとかナラだとか、そういうふうなものを利子という形で、ストックは手をつけないで利子で食っていったわけですが、そういう形での木材の燃料としての利用の仕方をきちっと教えるというふうなことも非常に重要じゃないかと思います。  それからもう一つ、燃料といいますか、エネルギーといたしまして、石油が買えなくて国際収支が非常に悪くなっているわけでありますが、太陽電池を日本が早く開発して、これが在来電力と同じコストに下げられれば、これは配線は要りませんし、太陽をただで吸収して使うことができるわけで、日本の太陽電池に対しては東南アジアは非常に期待しております。これを期待に沿えるようにサンシャイン計画を変える必要があると思います。今のサンシャイン計画は二十一世紀に在来電力と同じところまで持ってくるという考えですが、それは主として研究開発でコストを下げるということです。ところが、一九七七年のアメリカのエネルギー庁の報告書を見ておりますと、開発のコストダウン効果だけではなくて、量産効果で下げる方法がある。シリコン電子計算機というのは何百分の一のコストに下がりましたけれども、このシリコン太陽電池も同じように量産効果で下げられる面がかなりあります。  例えばアメリカの場合は、アラスカパイプラインの腐食防止のための燃料として、電気として自家発電もいろいろ使っております。配線できないものですから、ガソリンの自家発電とか、それからディーゼル自家発電をいっぱい使っております。それから野戦電話、それから天候観測所、レーダー基地、こういうようなあたりは皆自家発電を使っておりますが、これはワット当たりコストがかなり高いですから、これを太陽電池に切りかえさせていきますというとメーカーに量産効果を非常に与えることになるわけです。日本でも、例えば緊急用の病院の自家発電だとか、それから離島であるとか、いろいろなところに使われております。そういう政府関係のあるところは、早目にこれを耐用年数が来た場合は太陽電池にかえるというふうな法律でもつくっておけば、これはかなり大きな有効需要になりまして、量産効果でコストは下がるわけです。  そのアメリカの報告書ですと、五年ぐらいで在来電力と同じコストに下げられるというわけです。そのときの全米の太陽電池の電力の供給量は五億キロワットといいます。これは百万キロワットの原子炉五百基分であります。それが一九七七年の報告書に出ているわけですが、もしやっていれば、大体五年間で四億ドルの国家購入をずっとやるというわけです。大した額じゃありません。八百億円ですね。それを五年間やれば在来電力と同じコストに下がるという報告書があるのですが、せっかくその報告書がありながら、在来電力は余りそういうのが早く出過ぎると、ただでさえ不況になっているのがますます在来電力メーカーも重電機メーカーも参ってしまう、早過ぎるから、四億ドルは多過ぎるので九千万ドルだということで議会を通過いたしました。九千万ドルだとすると、一九九五、六年ぐらいにならないと在来電力と同じにまで下がらないのです。  アメリカはそこで行き詰まったわけでありますが、そういうふうな隘路を日本でまず開いて、そして早目に太陽電池が安くなれば、東南アジア諸国は森林に手をつけないでエネルギーを自給エネルギーとして調達することができます。これは配線も要りませんし。そういうふうなものを日本として早く打ち出して東南アジア諸国に売っていく。これは商業ベースでもちろん売っていきますが、その場合に、先ほど言いましたような天然物を買ったりなんかして所得を与えなければいけないと思います。  それから自給エネルギーとしまして今後重要になりますのは、石油が枯渇した後に砂漠で太陽エネルギーをとりまして、例の太陽熱発電でありますが、太陽熱で水を分解いたしますと液体水素がとれます。これを液化天然ガスと同じように、液化水素として先進国が輸入するというやり方があります。これは今は天然ガスでやり出しました。東京湾周辺部は、東京電力では燃料電池に天然ガスを入れてきて、その水素と酸素との結合、つまり化学反応でもって電力を出す。これは廃棄物は窒素も酸素も出ません。そして熱が多少出るわけですが、そういう廃熱は利用する。そういう形にずっと切りかえていくという予定になりつつありますけれども、これは非常なクリーンエネルギーですから、町の真ん中でやってもできるわけです。大体一万キロワットぐらいのレベルのやつをずっと東京電力はやる予定になっておりますが、そういうふうなものに変わっていくといたしますと、天然ガスがだんだんだめになってくれば、砂漠諸国に対して水素輸出国になってもらう。タンカーで液体水素を輸入して、我々はそれをクリーンエネルギーとして使うことができます。だから、そのための協力を早くやる。  これはローマ・クラブの第二報告で言っているのですが、南の諸国は下に石油がありますけれども、なくなった後、砂漠しかない。食っていけなくなる。そのときに、物すごい広大なスペースを用いて、太陽を用いて液体水素の輸出国にするんだ、こういうふうな技術開発を強化せよと言っておりますが、そういうようなものについても我々がうまくこれを当てれば、石油国、OPEC諸国に対して協力になるし、その次に彼らが生き延びていくための手段でもあるわけでありますから、そういうユニークないろいろな技術を早く打ち出していくということが日本の環境問題にも役立つし、南の諸国にも役立っていくのではないかと、こんなふうな感じをしております。
  48. 久保田真苗

    久保田真苗君 今のお話で、日本は大変エネルギー資源のない国なんですが、通産省の方では、やはりこの代替エネルギーの問題で、例えば太陽エネルギーとか海洋エネルギーとかいったようなものを今月を入れて開発し、早期に実現しようという御方針だろうと思いますが、この点いかがでしょうか。簡単にお願いします。
  49. 荒尾保一

    説明員(荒尾保一君) おっしゃいますように、石油にかわる代替エネルギーの開発が重要であるということで、サンシャイン計画を初めいろいろな計画で代替エネルギーの開発を促進しておるところでございます。  ただ、それぞれのエネルギーにいろいろ問題もございまして、先ほどお話がございましたが、太陽電池も、量産によるコストの低減効果、これは非常に大きいと思います。しかし同時に、居間発電したものをいかに蓄電するか。夜利用するためには蓄電池を相当低コストでつくらなければならないという問題もございまして、なかなか短期に既存のエネルギーに匹敵し得るようなコストまで引き下げられるかどうかという点についてはいろいろ問題があるのではないかと思います。そういった問題点を挙げれば切りがないわけでございますが、しかし基本的には代替エネルギーの開発が重要であるということで、その研究を促進するという点は基本的にそういう立場をとっているわけでございます。
  50. 久保田真苗

    久保田真苗君 石井参考人に伺います。  今、力石参考人の方からも身近な、そして安価な、そういう経済協力が非常にポイントだと。このことは国際協力事業団技術協力につきましても大変いい御意見なんじゃないかと思いますけれども、ただ事業団の方では専門家、調査団あるいは協力隊等の派遣をしていらっしゃるのですが、その意味では、非常に土地を知り、そして土地の人と一緒になって、土地に適正な技術援助も行っていく、新しい南北関係に向かっての技術援助をしていけるような、そういう人材がぜひ必要なんだろうと思いますけれども、派遣の期間とかあるいはその土地での溶け込み方、そういったようなものに関連して今の状態をどうごらんになるか、どこに改善点があるか、それについて簡単に伺わせていただきたいと思います。
  51. 石井亨

    参考人石井亨君) 開発段階によりまして技術協力内容はできるだけ適正に変えていかなきゃならないわけでございまして、いろいろの国についてのお話はできませんが、例えば先ほど来お話しのインドネシアを初めとするASEAN諸国に対する農業の協力について申し上げますと、相手側の農業関係への要請は近年非常にふえておりまして、しかもかなり大量の専門家、それから調査団、それから無償援助、それからプロジェクト方式の技術協力というものが進んでおります。  例えばプロジェクト技術協力の方で農林関係プロジェクトは、お手元に配布いたしました資料を見ていただくとわかるのですが、インドネシアに約十件ございます。これはもちろん政府へのアドバイスをする専門家も行っておるわけですけれども、全国あちこちの農業開発、しかも各種の農業開発計画がございますし、それから各レベルの計画がございます。例えばかんがいとか、大規模な土地構造改善から始まりまして簡単なものに至るまでいろいろあるわけでございます。しかしいずれにしましても、かなり多数の専門家が長期に滞在していることは事実でございまして、少なくとも農林業関係におきましては、林業それから水産も含めましてかなり専門家の滞在人数と滞在期間はASEAN諸国においては多く、彼らの相手側との接触を通じて実施しておりますことは、今参考人の方々が言われた現地の事情に適応した最も効率のいい生藤体系をつくるということで進めておるものと我々考えております。
  52. 久保田真苗

    久保田真苗君 それからもう一つ、分野についてなんですが、このいただいた資料で見ますと、何といっても技術協力対象経済インフラ関係とそれから工業関係が非常に多いように思うんです。それは日本の得意とするところでございますけれども、反面、日本は東南アジアなどから非常に世界でもけた外れの熱帯木林の輸入をするなど、例えば造林とか農業関係、こういったものにも力を入れなきゃならないのじゃないかと思いますけれども、全体としてこの面に出ていく資金が割合と少ないように思うのですけれども、この辺どうなんでしょうか、こういった面への技術協力余り盛んにならない何か理由があるのでしょうか。
  53. 石井亨

    参考人石井亨君) ます、林業関係プロジェクトは最近非常にふえております。これはやはり先ほどのお話ではございませんけれども相手国の、もちろん日本の企業のビヘービアの結果生じたものもあったかもしれませんが、それよりも、各国におきましていろいろ水資源の問題との関連で森林の再生産のプロジェクトを要請してくる件がふえております。そこで、現在のところ非情に多いというわけにはいきませんが、この二、三年間、世界じゅうにおいて急増しております林業関係の、これは林野庁系統の専門家でございますけれども、これを中心にかなり進んできたと思います。  それから、農林関係技術協力が割合に少ないではないかというような印象を私は持っておりませんで、実は国際協力事業団の中におりまして感じますのは、農林業関係の人たちは世界の本当に隅々に至るまで農林業の、農林技術協力を含めまして各種のプロジェクトを取り上げようと、それからそのトータルの技術協力の量も平均して二五%以上だというふうに考えております。大変農林業関係が多いというふうに私自身感じておるわけでございます。ほかの公益事業が多いという点はございますけれども、それに続いて農林業は多いというふうに考えます。鉱工業部門よりは農林業の技術協力は多いということは言えるかと思います。
  54. 久保田真苗

    久保田真苗君 ここで外務省にお伺いしたいのですが、途上国の土地や人をよく知ってきめの細かい援助をするというのには、国連の専門機関というものがございまして、これは非常に土地に即した開発、しかも国連のもとでいろいろな専門機関が協力し合いながらやるという意味で、途上国開発をいびつにしない大変有効な方法だろうと私は思っているのでございますけれども、最近そのうちの一つ、ユネスコに対してアメリカが脱退問題を起こしておりまして、過去にもILOに対する脱退問題が起こった。これはいろいろな理由があるかもしれないのですけれども、アメリカのような大きな国が脳退いたしますと、それから後を受ける専門機関技術協力に対する被害は非常に甚大になりますので何とか防ぎたいと思うのですけれども、この脱退問題について外務省はどのようにごらんになり、またこれに対して日本としてはどういう態度をおとりになっていこうとしておいでになりますでしょうか。
  55. 山田中正

    政府委員(山田中正君) 今先生御指摘ございましたアメリカのユネスコの脱退でございますが、アメリカが脱退いたします理由といたしまして、アメリカが公にいたしました点は大ざっぱに三つあると思います。第一点は、専門機関の分野を越えた政治化の傾向が見られる。第二点は、アメリカが信奉いたしております自由主義に対する敵対的な動きがある。それから第三点は、ユネスコの運営、予算の点において非常に無節制な点があるということでございます。  先生御指摘のように、アメリカはユネスコの創立以来非常に大きな役割を果たしてまいりました国でございますので、アメリカが脱退いたしますことはユネスコの事業計画の推進の上においても相当大きな影響を与えると思います。日本の態度でございますが、私どもといたしましては、日本独自といたしましてもアメリカが指摘いたしておりますような点は従来のユネスコに確かに見られます。したがいまして、その点については、ユネスコの中にとどまりましてできる限りの改善を図りたいと思います。ただ、一方、この弊害というのはユネスコの一面でございまして、他面、ユネスコというものが教育の分野でございますとか文化財保護の面で非常に大きな役割を果たしておりますし、日本もその枠内でいろいろな協力をいたしてきたわけでございますから、私どもといたしましては、先ほど申し述べましたように、ユネスコの中にとどまってそういうユネスコのいい面の協力を増大していくとともに、弊害の面についてはできるだけ改善する努力をしたい、かように考えております。
  56. 久保田真苗

    久保田真苗君 希望でございますけれども、先ほどからお話が出ておりますように、何といいましても経済協力、技術協力の中核は人でございまして、特にユネスコがその面で果たす役割は非常に大きいと思います、一般的な教育を高める意味からも、文盲退治にも。でございますから、アメリカのこういう非常にユネスコ活動に大きな停滞を巻き起こすような脱退問題を何とか日本は防いでいくという、そういう方角でひとつぜひ御尽力いただきたいとお願いいたします。  それから最後に、青木参考人には先ほど宮澤委員から似たような質問をしていただいたので御遠慮申し上げますが、服部参考人に時間のある限りひとつお願いしたいのですが、先ほどルワンダでのコーヒーの値段の問題、これを例にお挙げになりまして先進国の景気浮揚が途上国にとって最も結構なことだ、そういうことを承りました。もし私の聞き方が不足でしたらお許しいただきたいのですが。  そういうふうに見ますと、今途上国で、例えば新国際経済秩序などといいましていろいろな問題が指摘されておりまして、例えばコーヒーでございますが、これをモノカルチャーで巨大な農園化していくという、そういう先進国向けの輸出作物をつくるということがかえって現地の食糧事情を悪くしているというような、そういった事情もあるやに聞いております。それからまた、農業、工業間の所得分配の問題というのは、日本でも御存じのとおり、農業というものの所得配分は非常に不利になりがちだという、どうしてもそういう点があると思います。でございますから、これを今度北と南の問題に置きかえても同様なことが言えると思うのでございますが、新国際経済秩序と言われるものを今のこの私どもが論議しております経済援助に対比しまして、この点、服部参考人はどんなふうにお考えになりますでしょうか。途上国が自立した経済を立てていく上で、何かいい御意見がございましたらお聞かせくださいませ。
  57. 服部正也

    参考人服部正也君) まず、新国際経済秩序でございますが、これは全く果実のない議論の場だと私は思っておるのでございます、非常に極論かもしれませんが。私は外交官でもなければ政治家でもありません。学者ではもちろんございません。私は実務家なんです。実務家とすれば、こういうところに貴重なエネルギーを使って無用な議論を繰り返す、そのエネルギーと、それからその会議費、出張費、これはもう後進国にとっては大変な負担なんです。なぜこれを、自分の国の今ある枠の中でできることをやらないか。先ほど力石先生がおっしゃっていたことはまさにそうでありまして、世の中を改造しようという大きなことを言えば格好はいいし、そして新聞受けはするし、大変虚栄心を満足する、しゃべっている人を満足させるのですが、全く働く人の金をむだ遣いするものこれほど大なるものはないと思うのです。  殊に、新経済秩序というものの枠は何かと申しますと、先進国家、おまえは金があるんだからおれたちによこせと。しかし、なるほど先進国の方でお金はありますけれども、一つとして稼がなかった金はないと思うんです。そうじゃない会ももちろんありますけれども、しかし大体は稼いだ金なんであって、そしてこれを大事に使うということは何も南北の問題ではございません。これは一番効率的にやる。先ほどアウトプットが大事だと申したのはまさにそれでございまして、この新秩序ということは、これは私は甚だむだな議論じゃないかと思っております。  といって問題がないわけではございません。それは、先ほどちょっと触れましたが、やはり経済発展の新理論というものを日本が自分の経験から、西洋の学者の猿まねじゃなしに、日本の実際に働いた人たちがどうやってきたかということを考えてやればいいと思うんです。先ほど債務累積問題の話が出ましたが、もう実に私は悲しいと思うんですが、日本で企業が倒産するときに、債権者が寄って、これを生かすか殺すかということをかなり慎重に討議するわけです。生かすと決まったときは、真っ先にやることは利子の減免です、利子の棚上げ。ところが、一たん成田の税関を出ますと、日本人は自分が国内でやっていることをまるで忘れて、そして西洋の猿まねをしなきゃいかぬと。そうすると、日本人は頭がいいですから、西洋人よりもっとあくどいことができる。それで真っ先になって、我々金持ちにお手数をかけたのだからもちろん手数料を上げます、金利を上げます、そうじゃなきゃ貸しません、こういう態度でやっておるというのは、これはもう日本人の恥だと思うんですね、日本人じゃないと。なぜ成田を出たときに国籍を捨てなきゃいかぬか。これが国際人という化け物かと私は思っているわけです。  先ほどのコーヒーの話でございますが、実はコーヒーは、先ほど広野先生が価格ではないというふうにおっしゃいましたが、なるほど価格を不当につり上げるということはいけないとは思いますけれども、いろいろこれはケースによって違いますが、あることがうまくいかないというときには障害がある場合とそれから力がない場合と、そして力がないから栄養をつけようといってやるのが、これがどちらかというとばかの一つ覚えで、国際援助の具体的なプロジェクトのやり方はそれが多いのでございます。  ところが、先ほど私は構造改革が必要だ、体制政雄が必要だ、政策の改革が必要だと申しましたのは、ルワンダという国は世銀の統計では最前国中の最貧国でございます。ですけれども、IMFの最近の評点では、これはアフリカの模範国になっている。それで、発展というものをどう定義するか。南北格差を締めるということは貧困国では全くそれは考えていないんです。実際に国民考えているのは、あしたをどうするか、あしたはきょうよりいいか、自分たちの子供は自分たちより幸福か、これが発展です。この原点に返ってやれば、特に巨大プロジェクト、巨大な資金の導入がなくてもできるわけで、これをやらなきゃいかぬ。  それでルワンダは、先ほどコーヒーの話が出ましたが、なるほどアメリカの景気というものが一番価格に実際に影響したのです、価格と売れ方、収入ですね。価格というよりも、価格掛ける量。アメリカが少々援助するよりも、よほどそちらの方が最終効果にはいい。なぜかというと、農民が働いて得た金である、もらった命じゃないという意味で事実の根本でございます。ところが、ルワンダのコーヒーの価格の決め方は、最終価格の、売れる価格ですか、農民に渡るのはそれから諸掛かりと税金を引いたものです。ですから、この諸掛かりと税金というものが少なくなれば農民の所得はふえる、農民にいく価格はふえる。  このインセンティブのやり方というのは、甚だ残念ですが、みんなそれを見ていない。どれだけ流通費用がかかるか、どれだけ中間マージンがかかるか、どれだけ税金がかかるか、これを全部与えられたものとしてやっている。これは国によって違いますが。それで、一番後進国のアフリカ諸国の一次産品の中で物を食っているのが政府関係の費用です。これは税金もありますが、しかし、国営産業の国営マーケティングボードの不能率というものに非常な金がかかっている。その負担が農民にいっている。したがって農民はやる気がないということになるわけです。  そうかといって、それじゃ、ルワンダで税金をただにしたかと申しますと、そうはしませんでした。非雅に高い税率をかけた。なぜかというと、なるほどルワンダは競争力としてはコーヒーはいいけれども、コーヒーだけに頼るということは、簡単に言えばブラジルのコーヒー農民以下の生活に甘んじるということなんです。それだけの速さがあります、距離がありますから。  それからもう一つは、コーヒーは一作間に三カ月しかとれない。そして、この三カ月の間にすべての経済活動が物すごい忙しさになる。先ほどの東南アジアでは隠れた失業とかあるいは失業というものがある。ところが、季節性のある国では、九カ月は過剰労働で失業しておって、そしてピークの三カ月は寡少労働。それから自動車、道路、倉庫というものの働く期間というのはわずか三カ月、あとは寝ている。  先ほど、私が償却を問題にしなきゃいかぬと言ったのは、一年分の償却を三カ月でやらなきゃいかぬというような経済状態で、これは競争力も何もないわけです。と申しますと、先ほどの両方の先生方がおっしゃったように、雇用の問題というのは、決して年末あるいは年度末の失業率を眺める、私は統計ばかだと言っているのはそれのことで、そういうものじゃないんです。非常にあるときはだぶついている、あるときは足りない。一番貴重な人間、それからインフラがそういうような形になっておるときは、それを一年間に平準して使うためにはどうしても経済の構造を多様化しなきゃいかぬ。そういうことになりますと、コーヒーは余りもうけさせちゃ悪い、それから価格は動きますから、市価が下がったときでも農民に同じような収入をやる、平衡賃金ですね、そういうようなことでやったわけでございまして、私は力石広野両先生の話を聞いていて、不思議に三人とも根本においては同じことをいろんな面でおっしゃっていると思ったわけですが、こういうようなところが一番大事なところじゃないかと思っております。
  58. 久保田真苗

    久保田真苗君 ありがとうございました。時間を過ぎて失礼いたしました。
  59. 中西珠子

    ○中西珠子君 本日は参考人の先生方、お忙しいところをお越しくださいまして、大変貴重な御意見をそれぞれ賜りましてありがとうございました。心から御礼申し上げます。  参考人の方々の中で、日本ODAの、質的、量的拡充ということにつきまして、殊に数字での表現の仕方などにつきまして御意見も分かれたわけでございますけれども、私といたしましては、やはり日本DAC加盟国中、ODAGNP比では〇・二九ということで十三位、また国民一人当たり負担額については十五位、そしてグラントエレメント贈与比率については十六位、また技術協力についても非常に低い比率であるということは、やはり日本としては余り誇るべきことではないと思いますし、国際社会において高い地位を占め、また尊敬のされる平和国家日本といたしましては、ODA拡充、質、量ともに拡充することが非常に重大なことであると考えております。  まず、石井参考人にお聞きしたいのでございますけれどもODA比率の中で技術協力比率日本は非常に低いわけでございます。大変多数の専門家を年々技術協力のために開発途上国にお出しになっているわけですけれども、先ほどちょっと質、量ともに問題もあるということもお漏らしになりましたが、最近やはり日本といたしましては、先ほど適正技術の問題もございましたけれども開発途上国に対して借款やなんかばかりでなく、技術協力技術移転をすることの重硬性ということがだんだん国民の間にも知れ渡ってきまして、そういったものを目がけて若い人たちが努力しているという而も非常にあるわけでございます。昨年からですか、国際協力事業団では総合国際研修所というものをおつくりになりまして、いわゆるライフワーク専門家というものの養成をお始めになったわけでございますが、今年度予算、五十九年度予算にはたしか十名分の予算が入っていたと思うんですけれども、これは何だか少し少ないような気がするのです。これはやはり財政が非常に逼迫している折から、予算上の非満な制約というか、枠というもののために十名というものになりましたのか。それとも、適格者というものが非常に少ないので、応募する人は相当ありましても、本当に適格な人材が少ない、これから養成していくというにも余り適当な人が多くないという理由でございますか。どういう理由で十名ということになすったのでございますか、ちょっとお伺いしたいと思います。
  60. 石井亨

    参考人石井亨君) まず、専門家のリクルートの一般的な御質問からお答えいたします。  やはり植民地等であった国々が独立しまして技術協力各国はやったわけですが、植民地的なものを持ってなかったのは日本を含めて本当に数えるほどしかなかったわけでございまして、ほかのDAC諸国は、いわゆる専門的なことをやる人材が当初からあったわけでございます。日本は、技術協力は始めた段階ではコロンボプランの援助を受けていたような状況で、次第に今日までの形ができてきたわけでございます。それに言葉のハンディも日本には特有の問題でございます。  したがいまして、現時点でも専門家の半分は国家公務員という状況でございます。したがって、専門的知識の点では問題なくても語学上の問題があるとか、それから民間の方のリクルートメントは、これも我が国の何といいますか、社会制度と出しますか、終身雇用制を中心といたしますいろんな諸制約がございますために、なかなか人材が出てきません。会社はそういう人たちを外に出すために雇っているわけじゃないわけでございまして、これを引きずり出して語学も技術も優秀な人に技術協力をやってもらうというためには、かなり会社が利益を得る程度の技術費を払わなければならないわけでございます。どうしても官の方にない技術を要請されて実施しなければならない状況になった場合にはそういう技術費を払うわけでございますけれども制度がございましても予算的には大変少ないわけです。  したがいまして、そういう一般的な事情とか予算的な事情から、民間の技術協力能力を開発することにも制約があるわけでございます。とはいっても、専門家の技術協力は非常に重要でございますので、こういう点を漸次改善しようと努力してきておるわけでございまして、そのうちの努力の一環として昨年十月に事業団内に総合研修所を設けたわけでございます。  これは、一千数百名出ております専門家がやっている仕事をそういう専門家がみずからやるというようなことではその効果は非常に少ないわけでございますし、国際協力事業団が数百名、一千名の専門家を自前で持つということは現状では不可能であると思います。そういう制度を持っている国はないことはないわけでございます。しかし、それは最初に申し上げましたような事情がある国、つまり昔からそういう人的資源があって外国で教えることができる人があったという国であるからできるわけでございます。そこで、今の総合研修所の再門員はいろんな技術協力の重要な部門、特に、いろいろ語が出てまいりましたが、事前調査の問題は大変重要でございます。それから最後の各プロジェクト技術協力の評価を公正にやるということも重要でございます。したがいましてある程度、ある程度と申しますよりも全面的に従来の覊絆から独立してでも、そういうことを評価できるという能力を持たなきゃならない、そういう重要な点に使うことのできる非常に優秀な人を採用しようということで始めたわけでございますので、そんなに数は多くなくても、少数の優秀な専門家でそういう問題を処理していこうという考えでございます。今年度十名の増が認められまして、一挙ではございませんけれども、これは漸次増強していきたいという点は変わりはございません。
  61. 中西珠子

    ○中西珠子君 日本では、非常に専門的技術的な知識を持ちながら、伝達の手段である言葉、英語なりフランス語なりができる人というのは希少価値が依然としてあるわけでございまして、大いに国際協力事業団あたりで研修をやっていただき、また事前調査必要性、また評価の必要性につきましても、これも宮澤委員や何かからもお尋ねがございましたから、その内部の機構につきましては重ねてお伺いはいたしませんけれども、大いに事前調査の面においても、それから評価の面においてもエキスパートの養成をしていただきますようにお願いいたします。  そして、やはり技術協力におきましては人材の養成ということが一番大事なんですけれども、専門的な技術的な知識とか語学力ばかりでなく、開発途上国経済社会発展に対して本当に貢献しようという情熱と意欲というものを兼ね備えた人が必要なんで、また多くの専門家の方々はそのような方たちであると思うのでございますけれども、そういった方々が開発途上国に行きまして災害に遭った場合、この間もマニラで国際協力事業団の職員が不幸にして強盗か何かに殺されるというふうな事件がございましたけれども、時々専門家が開発途上国で、これは日本人ばかりでなく、いろんな国、いろんな国際機関から派遣された専門家が事故に遭うということがあるのでございますが、国際協力事業団ではそういった外地での災害に対してどのような補償をお考えになっておりますか。そしてまた実際になさっておりますか。そういった面での手だて、それからまたアレンジメントについて少しお教えいただきたいのでございますが。
  62. 石井亨

    参考人石井亨君) けさほど御説明いたしましたけれども事業団が取り扱っている人間の数は年間一万四千数百人でございます。こういう人たちが一年に何回か日本と往復をしたり、現地におきましてあちこち交通手段を利用して移動しているわけでございまして、交通事故を含めまして、これだけの人がおりますと、必ず一年に二、三回は事故死を含めまして死亡事故があるわけでございます。こういう人たちの、移住者は別でございますけれども、そのほかにつきましては海外共済会を組織しておりまして、技術協力のために赴任するに当たりましては、そこと個人的に契約して掛金を払って保険を掛けるという仕組みにしておりまして、正確な数は、人によって違うわけでございますけれども、大体四千万円程度の保険金がそれだけで出ております。そのほかに事業団自体の保険と申しますか、弔慰金その他の制度がございまして、例えて申しますと、先般マニラで強盗に殺されました佐伯職員に対しましては約七千万円近くの金額が支払われたわけでございます。これは一時金を含めまして支払われたわけでございます。  せっかく取り上げていただいたので、二百その件につきまして申し上げますと、専門家はもちろんでございますが、事業団職員その他技術協力に従事しておりまして、特に南にすべて赴任しておるわけでございます。在外公館や政府関係のところから、警察庁その他、いろんな御注意を受けまして、最大の身の安全を守るための措置を講ずるよう、いろんなガイダンスを与えているわけでございまして、佐伯君の場合も完全にそれを守っていたわけですけれども、こういうことになりました。したがいまして、私は、このような事故が発生することはまず第一にできるだけ防ぐようにもっと努力しなければならないということのほかに、ある地域におきまして、どうしてもそこに赴任せざるを得ない、その赴任自体が公務ではないであろうか。先般の佐伯君の死亡の場合でも、これは公務死ではないという判断を下されるであろうと思われます。これはやはり退職年金その他、本人の遺族にとっては大変大きな問題でございます。どのような安全対策を講じましても殺害されるというようなことがある場合には、やはりそこに存在していること自体が公務遂行そのものではないかというような気がしておりまして、これは非常に大きな問題、基本的な問題でございますので、国家公務員の場合にもございますので私はとやかく言うことはできませんけれども一般論として言えば、そういうような考えも今後日本の国際化に当たりましては必要ではないかと思う次第でございます。
  63. 中西珠子

    ○中西珠子君 私も、命令によって派遣されて外地に行った場合は、やはりそこに存在し、そこで勤務につき、またそれがたとえ休息の時間であっても公務ではないかと考えますのですが、とにかく国際協力開発援助というものを推し進めていくに当たっては、それに従事する人たちの身分保障とか災害に遭ったときの補償というものが非常に大事だと思いますので、この点につきましては外務省、それから人事院、国際協力事業団、その他関係の方々が慎重にお考えいただいて手厚くやっていただきたいということを希望させていただきます。  また、国際協力事業団にばかりお聞きするのはちょっとまずいので、広野参考人にお聞きしたいのでございますけれども、先ほど開発教育というお話が出まして、私もそれこそ小学校の段階から国際理解、殊に開発途上国に対する理解というものを深め、国際協力開発援助必要性というものを小さいときから教え込むということが必要だと思いますし、また子供ばかりでなく、現在もう成人になっている人たちに対してもやはり啓発活動を続けていかなければいけないのではないかと思うのでございますけれども、この前の予算委員会でもちょっとこれを取り上げましたら、文部大臣御自身は大変これは重要なことだという御答弁でございましたけれども広野先生が文部省の事務当局に御接触になって得られた感触はどのようなものでございますか。
  64. 広野良吉

    参考人広野良吉君) 私は、実は直接この点につきまして文部省の皆様方とお話をしておりません。ただ、間接的にはそういうことは何回かやっております。  御存じのように、日本の教科書というものは、ある先生がそれぞれいろんな要項に従って書きまして、そしてそれを検定するという形をとっているように聞いておりますが、少なくとも現場の先生方のお話を聞きますと、やはり現場の先生方自身が例えば途上国には行ったことがない。そう言うと失礼ですが、余り関心もない。そういうことで、欧米には行きたいけれども途上国には余り行きたくない、こういう日本の現場の先生方の考え方も非常にそれには影響していると思います。といいますのは、現場の先生方はかなりいろんな参考書を利用することができるわけですから、当然そういう参考書をもし自分が関心があれば利用できるのではないかと思います。  それからまた、教科書そのものにつきましても、私は、もちろん教科書を書く方々は立派な先生方が書いているわけですから、この点に何ら問題を差し挟むわけではありませんけれども、ただ少なくとも、例えば世界史という教科書を見た場合に、世界の歴史が書いてあるはずなのに、書いてあるのが主にヨーロッパの歴史である。そういう形で世界史がつくられている。これはあたかも十八世紀から十九世紀、二十世紀にかけて、かつてイギリスあるいはその他ヨーロッパの植民者たちがいろんな歴史を書いたときに、世界史というときに自分たちの歴史を書いているのと同じようなものであって、私たち日本人はヨーロッパ人のまねをする必要はないわけで、やはり我々が本当に世界史ということをもし書くのだったら、単にヨーロッパだけのものでなくて、東南アジアあるいは北東アジアその他全面的に世界のいろんな国々の歴史についてバランスのとれた格好で世界史というものがあって初めていいものだと思っております。そういう意味では、かなり開発途上国についての叙述が少ないというのが現在の日本の世界史の教科書であって、私はこの点につきましては、いろんな場で今までも申してまいりましたけれども、ぜひ今後日本人の開発途上国に関する理解を増すためにこれを何とかして是正していただきたい。  ただ、一つ私自身最近非常にうれしく思っておりますのは、自分自身も時々やっておりますが、地方の県とか市レベルでの教育委員会が主催するもろもろの会合があります。その会合の中で教育委員会の方から、実は途上国についていろいろ知りたいけれども話をしてくれないかとか、そういうような話が時々ありまして、これは中西先生も議員になられる前からもそういう御活動があったと思いますけれども、そういうような御活動を、だんだんと御活動が多くなってくる状況にありますのはこれは非常にうれしいことでして、またこれはあくまでも聞いたところでございますけれども外務省の国内広報課長から聞いた語では、外務省の方々にも地方の県その他からそういうような依頼が来ているということで、かなりの数の外務省の職員がそういう形でいろんな地方に出てお話をしているということも聞いております。これは私非常にうれしいことでございますが、しかしながら、それにも限度があるわけでございますので、ぜひもっと小さな子供、特に小学生それから中学生という義務教育の子供たちに対する、子供たちの中での開発途上園に関する理解というものを増すようなあらゆる努力を今後続けていただきたい、こういうふうに思います。
  65. 中西珠子

    ○中西珠子君 私も一生懸命義務教育のレベルから開発教育を教科の中に入れていただくように、また教科書の中に入れていただくように努力をいたしますつもりでございますが、成人に対しては社会教育の面なりいろいろな機会をとらえて、外務省の方でも国内でのPRというものもやはり強化していただきたいと思うのでございますが、外務省からもお見えになっておりますが、いかがでございますか。
  66. 柳健一

    政府委員(柳健一君) 開発援助必要性国民皆様に理解していただいてこそ、私どもも本当にいい援助をさらに進めていくことができると思っておりますので、近年は特にそういうところに力を入れておりまして、講演会なりいろんな手段を通じまして、あるいはテレビを通じたりラジオを通じたりいろんなことをしております。  それから、できるだけ簡単に申し上げますが、もう一言申し上げますと、実は私ども近年本当にいい援助をするためということで評価活動というのをやっております。援助の成果をいろんな角度から、民間の方にも参加していただきながらやっておりますが、その評価の報告書を、まあこれはちょっと読みにくいという点はございますけれども余りおもしろい読み物じゃございませんので、しかしこれを私どもの内部の参考にするだけじゃなくて、公表する。そして少しでも理解していただくということもやっておるわけでございますが、今後ともさらにひとつ続けたいと思っております。
  67. 中西珠子

    ○中西珠子君 オーディオビジュアル、映像をもっとお使いになって、そしてPRなすったらどうかと思うんですけれども、もちろんテレビもお使いになっているとおっしゃいましたけれども、スライドのようなものとか、そういったものもお使いになって、そして子供ばかりでなく、子供ももちろん大事ですけれども、成人に対してもっともっとPRをなすっていただきたいと希望申し上げておきます。  それから、先ほど野村参考人からお話がございまして、青年海外協力隊の隊員が帰国した場合、長男とか長女が最近大変ふえているものだから、地方での就職がもっともっと拡充できるように雇用機会をふやしたいというお話でございましたけれども、地方でもこういった青年海外協力隊員の仕事、それからまた海外技術援助、また政府開発援助の仕事のようなものをもっともっとPRして理解を得るということがやはり就職の口を広げる、雇用の機会を広げるということにもつながりますし、また分限条例がもうすでに三十県できておりますし、それから職務専念を免除するというふうな条例も十県できているらしいのですけれども、まだ未制定のものが七県あるということでございますが、これはやはり財政上の理由からこういう条例ができないというあれですか、それとも理解がまだ十分でないということでしょうか。この七県は全然未制定だということにつきまして、理由は何でございますか。
  68. 野村忠策

    参考人(野村忠策君) 私ども努力がまだまだ不足な点もございますが、なお一つには、地方における協力隊等閥際協力に対する御認識がまだ十分進んでいないのじゃないかと思っております。
  69. 中西珠子

    ○中西珠子君 すべての地方の公共団体がこういった条例を制定していただくように私ども努力いたしますし、今後ともどうぞ御努力をお続けくださいますようにお願いいたします。  それから力石参考人にちょっとお伺いしたいのでございますけれども、適正技術の問題が出ましたが、適正技術でなければ本当は技術移転はいけないのですけれども開発途上国はどうも労働集約的な適正技術というものよりも、むしろ資本集約的な、ぱっと派手な、近代的な装備を持った工場を欲しがったり、先端技術を欲しがったり、そういった傾向がある場合がございますね。そういったものに対して、本当に国の発展を考え、また雇用の機会をもっと拡充するというふうなことを考えた場合、そして経済発展ばかりじゃなくて社会発展までも考えた場合には、適正技術が必要なんだということを相手国に対してきちっとアドバイスができるような方が日本にたくさんいらっしゃいますでしょうか、それが一点。  もう一つ、適正技術研究所というものが日本にはないということでございますが、どこかにやはりつくる必要があると思うのですね。つくるとすれば、どの官庁の所管が一番いいとお思いになりますか。
  70. 力石定一

    参考人力石定一君) 適正技術による南北協力というものが起こってくる背景は、シューマッハーの本を読みましても、西欧における環境問題と対決している住民グループの中から内発的に起こってまいります。それが南の諸国の内発的な要請とうまく合流できるのじゃないか。したがって、国内におけるNGOといいますか、非政府団体というものが続々と出てきて、それに対して、政府がNGOに対して援助資金を出して協力を進めるというふうにやらないと、政府レベルではなかなか思いつかないのじゃないか。研究所やその他をつくるのは自治体や政府は大いにやらなきゃいけませんけれども、そういう内発的な住民の、例えば最近大分あたりでは一村一品運動とかいって、その土地に土着の諸条件をうまく技術化した内発的な発展の研究が進んできておりますが、そういうものが視野が開かれてくるとうまくエコロジカルな技術を、制令と近い技術を持ち出すことができ、そういうものを援助していくということが必要です。  最近の「世界」の論文の中に、なぜ国際協力は失敗したのかという論文がありますけれども、あれの中でも、やはりNGOというものをもっと重視しなさいと。それがウエートが上がってくれば、おのずから近代的なプラントを追求することが資源のむだであったり、借金ばかりふえてしまったり、稼働率が悪かったり、あるいは汚職と結びついて利ざやはどこか政治家の方へ飛んでしまうというようなことがはっきりとクローズアップするわけです。それを今までのところは、その代案なしに今の国際協力はおかしいというので国際協力そのものを拒否する批判だけが日本の国内では発展しているわけですね。したがって、拒否ではなくてオールターナティブ、やはり国内でもオールターナティブが必要なように国際協力についてもオールターナティブとして出てくるということが必要なんじゃないか。そういうふうな国際協力についての理論家というのは日本は非常に欠けておるように思います。日本の環境運動がまだレベルが低いということもあるんですけれども、非常に欠けておりますので、そこをやはり大学の知識人なんかはもっと力を入れていくということが必要だと思います。  第二番目は、国際協力の前提条件としまして、先ほどPRを大いにやらなきゃいかぬ、住民PRと言われましたが、そういうNGO的な国民の下から盛り上がるような国際協力を輩出している諸国というのは、大体において国内において成熟社会に入った国が多いです。スウェーデンであるとかオランダであるとか、非常にグラントが多くなっておりますけれども、それは国内における成熟とかなり深く関係があるのじゃないか。日本の場合は、何しろウサギ小屋に住んでおりますので、やはりそういう状態ではなかなかそこまで視野が及んでこないわけです。したがって国際協力を強めるためには、ウサギ小屋から脱出して、本当に人間らしい生活環境を国内でつくるということ、それはエコロジカルなアメニティーのある生活環境をつくるということ、これがやはり前提じゃないでしょうか。そういう国ほど国際的な視野で挺身しようという気持ちが住民の中からおのずから出てくるのではないか。  そういう点で、先ほどちょっと時間がなくてはしょったのでございますけれども、今の日本の資本移動を見ますと、経常勘定は大黒字で、そして資本がどんどん海外に出ておりますけれども、この経常勘定の大黒字の背景に、ウサギ小屋のままで経常勘定が大黒字で、資本が金融機関にだぶついたやつが、前は国内で買い占めをやりましたけれども、現在は海外にグラントをどんどんやっておる。アメリカに対して金利差を稼いだり、それからリスクの高い後進国に銀行援助が、民間信用が拡大しているという形になっているので、何か資本流出ではないか。私は、資本流出ではなくて、本当の紳士的な経済協力になるような資本流出に質を変えなきゃいけない、そのための前提条件は何かということを考えておるんです。  私は、金融機関を見ておりますと、外国の金融機関日本の金融機関の根本的な相違は、外国の場合ですと大衆から預金を集める。住宅用の資金は必ず住宅貯蓄という名前がついております。そして四割ぐらい貯蓄をすると、あとの六割ぐらいを加えてすぐその人に両建てではなくて住宅金融として出てまいります。こういう目的別貯蓄形態をとっております。したがいまして、この場合は無尽と同じでありまして、掛ける人は将来安く借りたいものですから、少し安くても預金しておく。安い預金をしておいて、そして銀行は将来安い金利で一%か二%利ざやをとって貸す。つまり無尽的な相互扶助関係で住宅に資金がちゃんとリサイクルするようになっております。ところが、日本はそれがありませんで、無尽なんかみんな崩壊してしまいまして、挙げて資本不足のところで金利が高いところへずっと吸い上げられる。だから、ほとんど産業金融機関になってしまっている。そのことが高度成長を支え、現在は海外への資金流出という形になっていると思います。  したがって、ちゃんとイヤマークされた形で住宅に返るようなことをやれば、例えば西ドイツなんかの住宅ローンは、今でも市中金利は十数%と高いのに、それが相互扶助関係で五、六%の安い金利で預けておいて、それに一%足したやつを借りるというような、まあ公庫融資みたいな形で民間資金が返ってきております。そういうふうにして、いわゆる産業金融に流用されてしまわないような歯どめがちゃんと加わっておるということが一つです。  それから二番目に大きな差は、個人が住宅を建てよう、アメニティーのある建設をこれから進めていこうという場合に、住宅ローンの支払い金利は、日本以外の国は全部所得控除されます。所得控除されるということは、例えば限界税率が三〇%から四〇%、あるいは五〇%ぐらいの中堅層になりますと、所得控除をすることによって半分ぐらいは税金が返ってくるわけです。ということは、一〇%のローンを借りても五%の金利負担にしかならない、こういう形に日本以外は全部なっております。日本にだけはそれがないものですから、結局高い金利の住宅ローンではとてもこれはついていけないというので、みんな住宅建設をあきらめて鎮静化してしまっている。そうすると投資先はない。先ほど言いましたように設備投資の鎮静と、それから国は財政的にとても借金できないというので、余った金は全部流出する、こういう格好になるわけでありまして、そういうものを国内に還元するには、やはりそういう制度をきちっとしておく。そして、大都市は過密で困るようだったら、例えば国土計画による定住圏構想があるところは所得控除できます、そこへお移りになって、東京で売り払ってローンを返しちゃって、そちらへ行けば所得控除してもらえるというふうな傾斜をつけていくというふうなことを、もうほかの国が全部やっているようなことをきちっとやるということです。そうすれば、それによって余った資金というものは違った受け取り方をされてくると思うんです。そこをアメニティーのある環境をつくるということなしに続けようとすれば、やはり同意はなかなか得にくいのではないか。  そういう意味で、今の金融構造に自由化を迫られておりますけれども、こういうふうなシステムの変更の問題もあわせて議論をし、そしてちゃんとアメニティーのある環境をやった上で我々は協力していっているのだというふうな体制にする必要があるんじゃないかと思います。
  71. 中西珠子

    ○中西珠子君 先生申しわけございません、私の質問時間がアップになりましたけれども、もう一点、適正技術研究所をつくるとすれば、どこの官庁の所管が一番よろしいですかということにちょっと一言お答えくださいませ。
  72. 植木光教

    委員長植木光教君) 簡潔にお願い申し上げます。
  73. 力石定一

    参考人力石定一君) どこかわかりません。どこでも結構でございます。
  74. 立木洋

    ○立木洋君 参考人の方々の御意見、御提言を拝聴したわけですが、ほとんどの方が南北問題に言及されて、その重要性を指摘されました。私も、国際協力の問題を見る場合に南北問題を避けて通ることはできないし、極めて重要な点だろうというふうに考えております。一九六四年の第一回UNCTAD会議には、当時たしか宮澤恵一先生が日本の代表として出席されたのじゃないかと思うんですが、あれからもう二十年たちましたけれども、しかしやはり重要な問題というのは解決されておりませんし、依然として格差が拡大される状態にあるというふうに考えるわけです。  それで、この点で広野参考人にお尋ねしたいのですが、先ほどお述べになった、つまり貿易のあり方の問題ですね、これは南北問題の中でも非常に重要だということに言及されました。確かに開発途上国経済状態を見てみますと、UNCTAD会議以降の状態、推移を見ましても、開発途上国の輸出品の価格の上昇状態というのは、先進国の輸出品の価格の上昇状態に比べると極めて低率でありますし、また一次産品がほとんどですから、これは短期的に生際調整するというふうなことも極めて困難だ、いろいろと激動する市況の中で大変な状態を乗り越えていかなければならない、そういう状況にあるだろうと思うんです。そしてまた、交易の条件にいたしましても、開発途上国ではなかなか改善の余地が見られていない。  こういうことを見てみますと、貿易関係におけるあり方というのをやはり変えていくことは非常に重要ではないか。これは先ほどどなたかおっしゃいましたけれども、特に日本の場合の状態を見てみますと、これらの開発途上国に、とりわけ他の先進国と比べてみますと経済的あるいは貿易的に依存している度合いというのが大きいわけですし、輸出の面では五割近くですか、あるいは輸入の面では六割近くとかというそれだけの依存度があるわけですから、そういう意味では、日本としてはこういう問題を変えていく、改めさせていく点ではもっと積極的なイニシアチブを発揮する必要があるのではないかというふうに考えるわけです。  個々の国々に対するそういう状態を変えていくことと同時に、特に国際商品協定だとかあるいは共通基金の問題、これは何も開発途上国が述べていることを全部そのままやればいいということではもちろんありませんけれども、しかし、こういう面についても日本側としてはより積極的な対応をしていくことが重要ではないかというふうに考えるのですが、この点についての広野参考人の御所見をお聞かせいただきたいと思います。
  75. 広野良吉

    参考人広野良吉君) 今立木委員から申されたこと等は全くそのとおりでございまして、やはり途上国経済開発というものを今後円滑に促進していくためには、どうしても途上国自身が輸出によってその所得を稼ぐ、そうすることによって自分たちの外貨、それからまた収入を稼ぎ、それを開発に回していくという、こういう意味で国内貯蓄を拡大していくということが基本的なところだと思います。先進国はあくまでもそういう途上国の国内貯蓄の拡大というものを側面から支援していく、そういう意味では自助努力を支援するというのが先進国開発援助の基本ではないか。これは重々皆様方御承知のとおりでございます。  ただ問題は、そういうふうにして途上国が現在抱えている膨大な貿易収支の赤字あるいは経常収支の赤字というものを、これを解決する一つの方策は確かに輸出を拡大するということであるわけですけれども、その輸出が、たまたま今立木委員からお話ありましたように一次産品に偏っているというところから、その一次産品価格の変動が非常に激しいということで、この変動を何とかして食いとめるというのが、いろいろな形でもって共通基金あるいは商品協定あるいはその他STABEXといわれるような、そういう輸出所得保証協定のような、ECがやっているようなロメ協定、そういう形でもってできるだけ輸出所得を安定化させる、あるいは時には価格までも安定化させる、こういうことだと思います。  こういうような一次産品の輸出所得あるいは輸出価格を安定化させるということは、徐々にですけれども、国連を中心に行われておりますが、ただ私は、国連によるところの、UNCTADによるこういうような努力というのは、大変残念ながら十分に実っていない、そういう評価をしております。基本的には私はこういうようなものは、UNCTADのやっているようなやり方だけではだめだというのが私の個人的な見解です。  基本的に必要なことは何かと申しますと、これはかってロンドン大学の教授でありましたフラミント教授も言っておりますけれども、一次産品を一次産品として海外に輸出するという時代は終わった。一次産品というものは途上国がそれを国内で加工する、加工したものを海外に輸出する、そうすることによって付加価値を高める、あるいは雇用機会というものを創出していくということが重要である。そういう意味では、一次産品の加工というものが今後ますます途上国で行わなくてはならないことであって、その加工を先進工業国がいろんな形で側面から支援していく。そのためには加工に必要な工場の建設あるいは加工に必要な技術の提供、あるいはまた、その加工されたものが先進国の国内の流通市場に乗るような、そういう流通市場の整備、そういうような点につきまして先進国自身がやらなければならないのではないかと思います。  そういうようなことをやることによって、ようやく一次産品についてはある程度の何といいますか、ちょうどトンネルを通ったら向こうに明かりが見えたと申しますか、そういう明かりがそれでもって見えてくるのではないか。単に一次産品の輸出入ということだけを一生懸命私たちは国際商品協定その他でやっても、これは非常に限度があります。御存じのように、一つの商品でさえ数億ドルのお金が在庫投資のためにかかるわけでございますから、そういう意味では膨大な数の商品が一次産品でございますので、到底そんなことは私は国際的な協力でできないと思います。そういう意味では、我々はもはや一次産品というものを単なる原料という格好ではなくて、加工品という形でもって貿易段階を拡大していく。  その点につきまして、ここに通産省の方皆さん方おりますので、皆さん方いろいろと勉強なされておりますから私から何も申す点はありませんけれども、ただ、私は外国にいて、日本政府の通産政策と申しますか、通商政策について外国人がよく批判します。私はたまたま向こうの外国の大学で教える機会に学生からそういう質問を受けるわけでございますが、その通商政策の中で批判される一つの点は、何といっても日本の通商政策の欠点はいわゆる関税のエスカレーションという問題である。すなわち原料で輸入する場合には関税はかけないけれども、原料を若干加工するともうそこに関税を高くしていくという、こういう関税のエスカレーションというものが大きな問題だということをよく学生たちから指摘されます。  もちろん、そういうものに対する経済学者としての回答はあるわけでございますけれども、少なくとも南北問題というものを我々が今後より安定的に解決していくためには、何もこれは日本だけでありませんで、先進国が者もっと関税エスカレーションという問題に対して真正面からぶつかっていく。そしてできるだけ新しい今度の新通商ラウンドにおきましては関税エスカレーションという問題に対して我々が本当に前向きの態度でもってぶつかることによって、今申しましたような一次産品の加工化というものを今後奨励する方向でやっていくこと、これがある意味では私は究極の問題解決に役立つのではないか、そう思っております。
  76. 立木洋

    ○立木洋君 総合的な改革が重要だということはそのとおりだと思うのですが、その点で、先ほど申されたことに関連して力石参考人にお尋ねしたいのですが、一番最初に今日の状況のもとで国際協力を根本的に検討することが重要だという問題提起をなさって、具体的な幾つかの事例をお述べになりました。  その点でお伺いしたいのですが、確かに戦後のシステムや機構のあり方ということを見てみますと、やはり先進国にとって有利な形につくられてきておりまして、開発途上国が国際的な舞台に登場したのは極めておくれて登場したものですから、今のシステムのあり方や機構などについていろいろと不利な点や問題点を感じている点が少なくないだろうと思うのです。この点では、ブラント委員会等でも国際的な経済関係の根本的な変革が必要であるということを強調されて、南北問題等々で南側が提起している新しい国際経済秩序等の問題についても言及されていると思うんです。その点に関しては服部参考人の御意見も先ほどお聞きいたしました。お聞きしたわけですが、つまり、そういう戦後の国際的な経済関係のあり方に現在提起しておる開発途上国の新しい国際経済秩序の問題について、これを頭から抽象的なものだと言って拒否するのではなくて、これとよく対話し、そしていろいろと検討し合う。その中で本当に相互扶助の状況をつくり上げていく努力というのは私はやっぱり必要ではないだろうかというふうに思うんですが、この経済改革という、国際的な経済機構のあり方も新しく変えていくというふうな問題について、今開発途上国が提起している新国際経済秩序等について参考人の御意見を聞かしていただければと思います。
  77. 力石定一

    参考人力石定一君) 多国籍企業の活動のコントロールということが最近は言われ出しているわけですが、それも寡占的な支配力とかその他の問題が今までは主として議論されたのですが、私はそういうことよりも、例えば東南アジアに対して日本の電気製品がどんどん売り込まれる、新製品が売り込まれるということの、それらの発展段階の成長にとって及ぼす影響というふうなものを考えるような頭が必要なのではなかろうか。例えば自動車を売り込むためにまず道路をどんどんつくって、それがインフラストラクチャーの形成だと言われているわけでありますが、そういう形でいきますと、非常に資源が不足し、資本も不足しているところで、そちらに資金が奪われてしまって、結局教育であるとか、どうしても不可欠なインフラストラクチャーに対する資本が不足してしまうことになる。ですから、売り込みに便利なようにそのインフラストラクチャーの形成が行われているということを是正しなければいけないのじゃないか。  そのためには、例えば交通投資の場合に、資源が少ない段階においてはやはり公共輸送システムを中心に交通体系を組んでいって、道路輸送というのはむしろ抑えていく。今の段階では抑えていくことが必要だし、磁気製品やその他につきましても、余り高級な製品を広告でどんどん売り込んでいきますというと、つまり消費のアンバランスといいますか、ソーシャルアンバランス、それから優先順位のゆがみというようなものを通じて、ただでさえ少ない貯蓄がそちらに奪われてしまいますから、国内資本形成に何かうべき貯蓄がいわば吸い上げられてしまう。そういう意味での腐食的作用が先進国で発達した非常に便利な耐久消費財にはあるわけでありまして、先ほど中国に対していろいろ電気製品を出せと言いましたけれども、そういうふうな諸問題を制御する力を途上国が持ってなければいけない。そうやって制御する力があればあるほど、先ほど言った適正技術というものを選択する能力が生まれてくるのではないかという感じがいたしまして、そういう点での資本の活動に対するコントロールというのが必要なのであって、いわゆる経営権だとか主権だとか云々のような問題ばかりが問題なんじゃないのだということで、資源の最適配分という観点から一生懸命売り込み活動を先進国としてはやっているんだけれども、実際には非常に腐食的な作用をしている、善意の努力が腐食的な作用になってしまっているというふうなことをわかるような能力を商社の人たちにもやはりつけてもらうということが必要なのではないかと思うんですね。  そういう意味で、私は耐久消費財のメーカーがどんどん出るよりも、メタン発生装置のメーカーが向こうの人たちと協力して工場をつくって、それを農村に売り込むというふうな、あるいは公共輸送システム向こうでいろいろ修理、加工するというふうなことをやっていくとか、そういうふうな協力関係の方が資源配分としては優先順位をかけられなければいけない段階ではないかと思うんですね。そういうふうなことについての今までの資本活動のコントロールということが考えられなければいけないということなのではないかと思います。そういうのが定着してきて、そこでいい技術の技術移転が起こってくれば、それは成長を促進することになるだろうと思いますけれども、今のところは耐久消費財を低賃金で加工して、輸出産業として大いに外貨を稼ぐというふうなことを企業はしますけれども、実際には国内消費にかなり回りますから、そのことが及ぼす影響なんというものをもっと判断しておかなければいけない。  それから第二番目に、例えば日本なんかは南の諸国を食糧基地にしようなんということを考えたことがございますけれども、こういうのも世界経済の観点から言いますと、南の諸国は食糧不足で困っているわけですから、そこに食糧基地をつくって安く食料品を国内に輸入するというふうな商社活動というのは、やはりこれは問題があるわけであります。本来的には日本は食糧の自給率を高めて、そして南の諸国は飢えているのですから、飢えた人たちに還元されるような食糧の開発力を技術的に援助していくということが筋だろうと思うんですね。そういう意味で、工業原料はいいのですけれども、食糧原料基地というふうな形で南の諸国を考えるということは非常に問題があるのではなかろうか。  それから、アメリカから日本がどんどん穀物を輸入しておりますけれども、そして畜産物を食っているわけですが、これも世界経済の観点から見ると、一方では物すごく飢えた人がいるのに、肉にしておいしくして食べるというふうなことは将来においては許されなくなってくる。むしろ、そのえさは人間が食うべきだということだって宇宙船地球号では言えるわけであります。そういう意味では、日本の食糧自給率をできるだけ高めて、水田が余っていればえさ米をつくるとかそういうふうなことをやって、エコロジカルなエコテクノロジーによる生産性を上げた自給率の高い農薬を日本でつくり上げる、そしてアメリカの過剰農産物はアフリカやその他の飢えた諸国に回り得るように、そして日本政府資金でもってアメリカから買ってそちらに回す。今、タイとかビルマから買ってほかの国に供与していますが、そういうふうな形に本来はなるべきものであろうと思うんですね。  そういう意味での世界経済の望ましいヒューマニスチックな循環活動の中で、どういうことが経済活動として正しいのかどうかということについての基準を経済活動をやる人たちにははっきりと持ってもらうということが、南北問題を考えた企業活動のいわば憲章にならなければならないのじゃないか。どうも今の憲章は、主として経営権の問題その他はかりが中心でありまして、経営権を一定の時間がたったらば向こうに譲ってしまうとか、そういうふうなことが中心になっておりますが、もう少し視野を広めて考えていく必要があろうかというふうに思っております。
  78. 立木洋

    ○立木洋君 服部参考人にお尋ねしたいのですが、先ほど宮澤委員がお尋ねしたことと若干関連があるんですけれども、世銀での御経験を含めて、この間「世界銀行の十二年」というのを読ましていただいたのですが あの本の中に最近の第二世銀の第七次拠出の問題に関してお触れになっておりました。アメリカとしては、この第七次拠出の場合に、自分たちとしてはこれまで二五%、七・五億ドルでこれを強引に主張している。結局は、全体的には九十億ドルという枠になったというふうな結果が出されておりますが、その後日本として世銀への出資比率が高まるということについてはまた何かいろいろと文句を、文句と育っていいんですか、アメリカ側から問題を出してきているようです。  こういう問題を通じて最近のアメリカ政権の行っている点を見てみますと、例えば、どうしても多国間援助よりも二国間援助をと、それも援助対象国も、何といいますか選別していく、そして場合によってはそういう経済開発的な援助よりも軍事的な安全保障的な援助をというふうな方向というのが非常に強まってきているということに大変懸念を持っているわけですが、こういうようなことから見て、今度の第七次拠出等々の問題をめぐって、世銀の中でお仕事をなさっておって先進国としての援助のあり方の問題で何かお気づきになっている点があれば述べていただきたいと思うんです。
  79. 服部正也

    参考人服部正也君) まず第一に、アメリカ政府が第二世銀の増資に対してああいうふうに頑固な態度をとったということは、これはもう非常に遺憾だと思います。遺憾だと思います一方、そのときに我が国がそれにもかかわらず分担の増大をやったということは、これは非常にいいことだと思います。ただ、アメリカの方で第二世銀といいますか援助というものに対して非常に消極的というような態度をとってきた。そして二国間援助というものを重視する。それもアメリカの直接の国益というものを重視する。したがって軍事援助ども盛んにやる。これはまことに、今の自由交易の世界を主張したアメリカとしては全く悲しい話だと私は思っております。  ただ、このときに、私は先ほど援助哲学、援助に対する考え方を見直さなきゃいけないのじゃないか、日本がそれを指導的にやらなきゃいかぬかったと。それじゃアメリカの方で言い分がないかといいますと、日本の学者さんの中の一部では非常に日本は特殊な国だということを盛んに言って、そして印税をもらっておる方がおられるわけなんですが、その最大のものは本音と建前なんだ、これは日本的現象だと、こう言っている。これは少しでも世界の歴史を見れば、とんでもない、世の中全部、世界全部そうなっている。たまたま若い学者がそれに食いついた。日本は建前と本音の、本音の隠し方が下手だったというだけのことじゃないかと思うんです。  これはちょっと妙な前置きですが、まず第一に援助のあり方というのは、先ほど私が申し上げましたとおりに、これは主権国家の間の話でありまして、そしてもともとは確かに人道的な人類連帯というものに支えられているわけですけれども、現実にはかなり生臭い国益というのが入っているわけです。それで私が盛んに先ほど国益を申し上げましたのは、世界のほかの国並みに国益を主張しなさいと、そしてここで援助をやるのは日本の国益だと私は信じているからそう申したので、そしてほかの国がやれ人類愛とかなんとかと言っているようなことで、そういう建前でだまされてはいけませんぞというつもりで申し上げたのです。  それで、第二世銀がそもそもできましたときに、これの強力な主張者は英国だったのです。そしていよいよもってできるときに、ところで諸君、このただの金の四〇%はインドに向けてくれという条件をつけた。それが前例前例になって六次までこのただの、五十年間返済という本当にただの金です。利子はなし、手数料〇・七五%取る。それのおかげで第二世銀は赤字でございます。基金ども赤字だそうですが、そういうような非常に安い金をインドに第二世銀の創立以来二十年間やった。こうなったときに、インドは少しアメリカから見れば、あるいはほかの国から見ても余りかわいくない国だということもありますけれども、それじゃ世界の先進国が、税金で出した金をただで四〇%、二十年間やって一体どういう効果があったのだ、一体いつ終わるんだ、もうインドはいいんじゃないかという気持ちというものがあるのは、これはまた日本だって私はそう思う方はおるのじゃないかと思うんです。  そういうことがあるにもかかわらず、そして当然援助の執行者として第二世銀の職員としてはそれを考えなきゃならなかったのです。それで我々も考えたし、ただし声が小さ過ぎた。それからやっぱり世銀の大勢に逆らうのには心理的な限度もありますので、余り声が十分じゃなかった。気がついた人間だったら私はもう少し大きく言うべきだったと思いますけれども、そういうのをずるずるべったりやってきている。それに対して一体どうなんだと言われてくれば、これは残念ながら後進国にツケが回ったのはまことに残念ではありますけれども、第二世銀の運営としては大いに反省すべきものがあったと私は思うわけです。  それから、なるほど借りる方から見れば安ければ安いほどいいですけれども、これは先進国の税金から出た金でございます。そうすると、それによって収益性のあるものはもう少し金利をとる、あるいは五十年間というのは一体どうなのかと。これは現実にルワンダで、第二世銀でありません、バイの援助で同じような条件援助を申し込まれたときに、国会で、一体それは結構な話だけれども借款である金なら返さなければいかぬだろう、どうやって返すのだと言ったら、大蔵大臣が、いや君たちは心配しなくていい、君たちはその金をもらって大いに楽をすればよろしい、だけれども、あなた方の子供と孫は返しますぞと、それは返さなきゃいかぬのだから、あなた方は心配しなくていいんだと言いましたら否決されてしまったんです。子供にそういう負担をかけるのはとんでもないと。これはその国のある大使がルワンダの後進性として私に語ってくれたのですが、私は、これによって、ああルワンダはこれはいいと思ったわけです。子孫を大事にするということはこれは発展の第一歩だと思ったわけです。  したがって、先ほどの御質問ですが、これはいろいろ意見もあると思いますけれども、第一次産品の価格下落にしても、これはIMFなどでは輸出所得、つまり数量掛ける価格としてとらえている。いかに価格が高くても数が売れなきゃしょうがない。数の方が問題なんです。と申しますのは、生産はなるほどとめるわけにいかない。売れないから、ただでさえ少ないインフラを輸送とか貯蔵にとられてしまう。これは東アフリカ諸国に行きますと、ケニアにしてもルワンダにしても、ウガンダはがたがたでしたが、これらは全部コーヒーで倉庫が詰まっちゃっている。学校の講堂までも使っているというような状況になっている。商品協定というものはそういうものになるわけなんです。  ですから、結局これは冷たいようでありますけれども商品価格が下がるということは、世界全体で要らない物もたくさんつくっているから下がるわけなんで、これは先ほど私が申し上げたように、経済の多様化に進まなきゃいかぬ。そのつなぎならば、商品協定というものは結構ですけれども。それで、先生のおっしゃった裏には、恐らく経済新体制の中に工業化の問題があると思います。先ほど私が季節性の問題を考えなきゃいかぬと言ったのはまさにそれなんです。ですけれども、工業化の問題を南の方の国が言ったというからしゃにむにおまえの工業化の二五%よこせと、こうであってはいけない。工業化は必要である。しかしそれは季節性を緩和する、資源の有効利用をやる。価格が下がるのは、同じ生産量ならば先進国による資源の節約の結果として価格は当然下がるわけなんで、それを技術的に人工的に下げぬということは、これは決して救済の道ではない。むしろ経済の多角化をやる。そういう意味で、残念ながら、私は南北問題のこれは狭い意味の会議あるいは新秩序の会議のときではそういうピントが外れているのではないかと思うわけで、私は無用論を言ったわけでございます。  それからなお、ちょっと先生この機会に申しておきますけれども、私はODAのことを申しましたが、これは日本ODAが悪いと申したのではございません。土地の経済を非常に悪くした例としては、私はむしろほかの先進国の場合の例を頭に置いたので、失敗した例はありますけれども、現地の生産を阻害したという日本ODAは私は存じておりません。
  80. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 各参考人、けさ早くから終日いろいろ貴重な意見、我々の蒙を開いていただいたことを感謝します。時間は貴重でございますから同じ質問の繰り返しやめたいと思うのですけれども、私ちょっと一時間ほど、ほかの委員会のかけ持ちをしておりましてそちらに行っておりましたので、もし私の質問がダブった質問であれば、委員長からその旨お知らせ願えれば撤回いたしますから。  先ほど力石先生から廃品のリサイクル、電気冷蔵庫なんかたくさん捨てられている、私も非常にもったいないと思うのですけれども、それを中国なんかに輸出して、向こうで修理して向こうで使ってもらう、そういうふうにすれば一挙両得じゃないかというふうなお話をお伺いしまして、私も非常にいい考え方だと思うんですけれども、そのことにつきましてちょっと思い出したことがあるのですが、きょう通産省の方見えていますですね。  二年ほど前じゃなかったかと思いますけれども、記憶が正確じゃございません、あるいは間違って記憶しているかもしれませんけれども、埼玉県かどこかの市民運動の人たちが、駅前なんかに放置してある自転車の使えなくなったやつを中国に輸出しよう、それを中国で修理して向こうで使ってもらえばいいんだ、そういう考え方で市民運動の人たちが取り上げたのですけれども、それがだめになった。だめになった理由がはっきりしないんですが、日本の通産省の輸出検査手続、それに合格しない、そういうふうな問題があったのか、あるいは中国の方でそういうものを輸入してもしょうがないんだというふうな考え方で取りやめになったのか、ちょっとはっきり記憶してないのですけれども、その事例を御記憶であればお知らせ願いたいと思います。
  81. 荒尾保一

    説明員(荒尾保一君) 今お話ございましたように、二年ほど前にそういうケースがあったわけでございます。この件につきましては、今ちょうどお話がございましたように、日本としては品質のよくない商品が出ていくということを防止するという見地から輸出検査を行っておるわけでございます。放置されております自転車ということになりますと、品質上いろいろ問題がございます。しかしながら、そういうものであっても、あらかじめそういうものだと承知をして、そして向こう側でそれが入った後にきちっとそれを整備する、品質上あるいは安全上問題がないようにする、あるいは先ほどもお話がございましたようにブランド名は消すとか、そういうことであれば、我が方としてはまあ例外的にそういったものについても輸出をしてもいいのではないだろうかということで中国側の意向を打診したわけでございますが、先方におきましては、そういった中古の自転車の輸入についてはやはり先方としての許可が必要である。さらに、そういったものの許可を認めるかどうかということについては、先方における需給の状況を判断する必要があるんだということで、日本側としましては、もし先方から輸入が適当であるということでございましたら認めるという方針でございましたけれども、先方から以上のような回答でございまして、その後お話がそこでとまったままになっておるというのが現在の状況でございます。
  82. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 それは、中国の方はつまり自分の国内の産業のことを考えてなんですか、それとも不良品なんかが入ってくるというその心配ですか。
  83. 荒尾保一

    説明員(荒尾保一君) 回答がございましたのは、一般的に、今申しましたような抽象的に、国内における需給状況等も判断した上で許可が必要であるということでございますが、内情を聞いてみますと、輸入しようとする公司から、対外経済貿易部というところの許可が必要なんでございますが、そちらの方へ話が上がっていないということのようでございます。つまり輸入をする公司で正式の手続をとっていないということでございます。
  84. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 ということは、正確な理由はよくわからないということですね。
  85. 荒尾保一

    説明員(荒尾保一君) さようでございます。
  86. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 わかりました。  次に、服部さんに質問したいと思うんですけれども、けさのお話大変興味深く聞きました。普通の通念と違いまして、南北の格差を縮めようとするためにはむしろ南北の格差を拡大した方がいいんだ、つまり先進国がもっと大いに豊かになって貯蓄して、それを発展途上国の方に向けることが必要であって、むしろ発展している国はもっと金持ちになることの方が結局は発展途上国のために役に立つんだ、そういう趣旨にお伺いしましたけれども、同じことは国内についても言えるのではないかという気がするんです。つまり、こういう開発の初期の段階においてはどうしても国内における貧富の差が拡大してきて、ちょうど十九世紀のイギリスのように、いわゆる資本家と労働者との間の経済格差が開いてくる。しかし、それによって資本の原始的な蓄積が行われる。その段階を経過しなくちゃならないんだ、そういうふうな考え方になってくるんじゃないかと思うのですけれども、それ以外の方法経済の発展をすることは不可能なのか。つまり、貧富の差がだんだん国内において拡大していくということは多くの政治的な不安をもたらすことになるんじゃないかと思うのです。したがってそういった政治的な不安を避けるためには、ある段階においては、例えば公共的な機関が資本形成なんかをやっていく、そういう発展の方法考えられるのじゃないかと思うんですけれども、いかがでしょうか。
  87. 服部正也

    参考人服部正也君) 私は、先ほど申し上げましたように実務家でありまして、余りそういう難しい議論はわからないのでございますが、まず第一に、貧富の差と言っておりますけれども、お金持ちの人が個人でお金をあの世に持っていくわけにはいかないので、これは預かっているだけなんでございますね。それで、貧富の差と所得の差はこれはまた別じゃないかという感じがするんです。それから国全体からすれば、どこかで消費しないで持ったもの、持ち続けるもの、これが富だと思いますけれども、これがなければ子孫に何も残らない。そうすると、貧富の差ということはその富の使い方の問題であって、そして決して貧富だけの問題じゃないと私は思うんですがね。そして、非常に原始的な社会であるルワンダで貧富の差というか、所得の差というものが悪いと思っている人はだれもいない。それは貧乏な人はおれは貧乏だと言ってこぼしますけれども、しかし大部分は、働いてそして所得をふやす、そしてそれを蓄積するということだと思うんです。  ですから、やはり経済を発展させるというためには資本の蓄積は大事でございます。資本の蓄積は大事ですけれども、その資本、どういう資本がということがまた大変大事じゃないかと思います。日本の明治維新で、日本の近代化というのはほとんどは日本の金銀財宝の輸出で賄われたわけで、これはその意味では昔蓄積された資本を生産資本にかえたということなんです。  それからもう一つは、その資本の運営というものが大事です。なるほど国家による資本の形成というのも一つの形でございましょうけれども、国家による資本の運営というのが果たしていい方法か、効率的な方法がということはまた大いに議論があるんじゃないかと思います。後進国問題で非常に大きなのは、植民地経営だった、資本家は外国人だった。したがって、その所有形態を自分の名前に、例えばルワンダならルワンダ、タンザニアならタンザニア国立何とかと言えば問題が解決すると思っておったのが独立当時の幻想だったわけで、色が黒くても白くても黄色くても無能力なやつは無能力だし、そしてただひょっとしたら我慢できるのは、外国人がむだ遣いしているのじゃなしに、おれたちがむだ遣いしているんだと。しかし現実には、それに対する批判はもっと激しいんですね。つまり、植民地勢力というものでやむを得なかったというよりも、当然自分たちがもっと運営できるはずのものがうまく運営できていないということが非常に大きな問題になっていると思うわけです。  それで、これはなるほどルワンダその他、少数の国の例でございますけれども、国内の産業、国内経済を要するに借金経済じゃなくて発展させようとした国は、これは今の危機でもまだIMFには駆け込んでいないのです。ただし、私が世銀に行ったときは、世銀の通信簿では劣等生だった。なぜ劣等生だったかというと、そのときの技術援助が、それから旧植民地政府による技術援助があって、どうやって植民地体制を続けていくかと。しかし全的な独立に持っていこうとしたのだが、その失敗と。つまり、カメルーンという国はフランスからできるだけ離れようとした。そうするとフランスの政府、フランスの技術援助の人は、こいつらは黒いくせに白い人の言うことを聞かぬということで非常に点数が悪い。それが反映してきて国際機関にもそういう点数がつく。私は行ってみてカメルーンの方が可能性があると。今日はカメルーンは西アフリカ諸国の中のスターなんです。それからルワンダなども、これはどうしようもないと言われておった国でございますけれども、これも今日までIMFに駆け込んで金を貸してくれとは言っていません。国内的な理由で困って二回ほど借りていますけれども国際収支の上ではないんです。  ですから、国内経済というものを無視して、そして輸出だけによるということは、私は日本経済の発展を読み誤ったものじゃないか。日本経済の発展の中で輸出が動力だった部分は私は非常に少ないと聞いているんです。ですから、やはりこれは国内経済というものを上げていくというのが発展の根本じゃないか。ただし、そのときに分相応のことをやる、借金経済によらない。そしてしかも経済性を厳密に選択しなきゃいかぬ。先ほど私は理論の見直しが必要だと申しましたけれども、後進国では収益性の高い事業というのは少ないという神話が通っているわけです。これは全くおかしな話で、後進国は何もないのですから、ないものを出せば必ず収益性は高いはずです。ただ、それを阻害しているのは、国家統制とか官僚統制とかいった働かないで人の金を当てにしている人たちが、金をもうけるということに対してそれを敵視するということから来ているものだと私は思っております。
  88. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 服部さん、ルワンダの中央銀行時代のことを書かれたすばらしい本を発表されているそうですけれども、私またそれを読んでおりません。ただ内容を紹介したものしか読んでないのですけれども、ルワンダの場合、服部さんの場合、大統領が非常に賢明な大統領であって、それで服部さんにいわば全権を任した。これが成功の原因じゃなかったかと思うのですけれども、そういうことから考えまして、やはりああいう国が発展していくために、ある程度までは一種の啓蒙専制といいますか、これはイデオロギー的な全体主義的な統制とは違いますけれども、エンライトモナーキーといいますか、エンライトンアリストクラシーといいますか、そういった政治をとらなければいけないのではないか。どうもそういう国を評価する場合に、代議制民主主義が実行されてないからあの国はだめだというふうな評価をする人がヨーロッパにはいるし、殊にアメリカあたりに多いように思うのですが、いきなりそういった発展途上国先進国と同じ尺度を当てはめてそれを評価するのは私は間違いじゃないかと思うのですけれども、いかがでしょうか。
  89. 服部正也

    参考人服部正也君) 全く同感でございます。  私は先ほど日本人の役割というものを申しましたが、私が大統領からそういうふうに信用されたということは、わずか六時間の会話で仮に信用したとしたら、私は少しおっちょこちょいじゃないかと思うんです。私の言っていることが日本の体験に基づいたから、向こうとしては今まで聞いておった白人の開発理論、経済理論というものと一風違ったものを聞いたから、そしてそれが自分の国に合っていると思ったからまあ信用されたわけなんで、そういう植民地の過去がないという意味で日本人のやる役割、しかも日本などは、私が留学した一九五〇年では日本に重工業などやるのはナンセンスだという話がありまして、学校でも大学の先生でもいろいろ言われたわけです。そして私、それを帰って一万田総裁に話しましたら、それと関係があったかどうか知りませんけれども、川鉄のペンペン草の話があったわけですけれども、いかに人間の努力というものがいろんなものを克服するかということがこれは日本人の歴史の中であるわけなんで、これを伝えるということ、機械的な統計的なモデルというものでやることがいかに不毛だということ、これはもう人間信頼の問題、個人信頼の問題だと私は思っております。
  90. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 次に国際協力事業団の方にお伺いしたいのですけれども、まず最初に、野村青年協力隊事務局長の方に御質問したいのですが、これももう二、三年前のことになるんですが、バングラデシュで青年協力隊の人たちが非常に活躍しておられるレポートが文藝春秋かなんか雑誌に載って、私も非常に感動して読んだ記憶があるのですけれども、大変苦労して開発をやっておられる。ところが、やはりその人たちの中で、現地の本当に必要とするものが必ずしも中央の方にうまく伝わらない、現地で必要としないような、あるいは現地の必要と合わないような資材なんかが送られてくるんだというふうなことも書かれていたように思います。実際に現場で働いている青年協力隊の人たちが東京に対して、日本政府に対して、あるいは国際協力事業団の本部に対して最も不満に思っておられるようなこと、あるいはその連絡がうまくいってないようなこと、そういうことがありましたならばお知らせ願いたいと思います。うまくいっている例はいろんな報告書なんか読んでおりますのでよく知っているのですけれども、うまくいってない例があればそれをお聞きしたいと思います。
  91. 野村忠策

    参考人(野村忠策君) 現地の隊員、日本に帰ってまいりました一人一人と私会いまして、彼らがどのような現地活動をやっていたか、それからまたどういう点が不満だったか全部私は聞いております。その中で、彼らの若干の人たちが時たま不平をこぼすのは、ちょっと今おっしゃいましたように、機材を日本から送る場合に非常に時間がかかるということを時たま言うわけでございます。私どもの方針としては、機材はできるだけ現地で購入できるものを使え、現地に一番合ったようなものを使うのが一番いいんだから、そのためにはわざわざこちらから送る必要のないのがたくさんあるから、できるだけ現地のものを使えというふうに指導はしておりますが、しかし、物によってはどうしても日本から送る必要があるということで送っておりますけれども、その手続、入札したりいろいろ手続があるものでございますから、そのためにどうしても時間がかかる。そうすると、現地ですぐ送ってくると思って待っているけれどもなかなか送ってこない、そういうような苦情が多いように承知いたしております。
  92. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 単に機材の来るのが遅いという時間的な問題だけですか。例えば規格が合わないとか、そういったふうな問題がございますか。
  93. 野村忠策

    参考人(野村忠策君) 私が直接聞いた話では、時間がかかるということでございました。
  94. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 石井参考人にお伺いしたいと思うのですけれども、先ほどあるいは私の聞き違いかもしれませんけれども援助外交の一元化が必要であるということを強調されたように思うのですけれども、ということは、現在は必ずしも一元化されていないということと理解してよろしゅうございますか。
  95. 石井亨

    参考人石井亨君) そういうことではございません。現実に配置されている人間関係とか、それからプロジェクトを発掘する最初の人はいろいろな人が要るわけでございますので、そういう関係から調整が不十分であるというようなことが起きてはいけないから、そういう面で、一元化のルールで正式の調査から相手国との交渉から最後の実施まで公正なルールはありますけれども、現実の問題としてたまに相手国の政府としてこの程度しか援助が要請できないのに、その中で一番重点度が我々から見て低いというようなものが時々上がってくることがあるわけです。そういうものを取り上げているということではないのですが、そういうことが起きればそれだけ余計な時間がかかったり不能率なことが起きるから、そういうことを防ぐために一元化が必要であるし、その一元化をきちんと守ることが必要であるというふうに申し上げたわけでございまして、一元化のルールとか一元化の手続が行われていないということではございません。
  96. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 私の理解では必ずしもうまくいってないのじゃないかと思う点あるのですけれども、その問題は一応別にしまして、先ほど援助についてエバリュエーション、評価をしておられる、場合によっては外部の人に依頼して評価をしておられるという話だったのですけれども、うまくいかなかった例というのはどういうところに共通の原因があるというふうにお考えになりますか。
  97. 石井亨

    参考人石井亨君) 前回の御質問の際に、そういうことを評価をやっておりますと答えたわけでございますが、その結果につきましては申し上げませんでした。  大体、我々が今までに取り上げた案件につきましては大体よい。ただし、若干相手国が本当に要請したり本当に希望したことでなくて、途中で予算その他の制約で、例えば半分ぐらいしか技術協力をしないというふうに合意の内容を変えまして実施したというようなケースがあるわけで、その場合には、例えばある病害虫の駆除が相手国は欲しいといった場合に、我が国技術協力、これはプロジェクト技協でやるといたしまして、そこまでの余裕が現在ない。したがって、それの病害虫の原因を究明するというところまでしてあげましょうということで、相手側はそれ以上できないなら仕方がない、どうせ無償でやるからそんなに過大なことも言えないといって先方が折れまして、そういうプロジェクトをやる。それで一応合意は実施して、病害虫の病原体その他の究明が終わって相手側にその報告書を差し上げるということになるわけですけれども相手側はそういうものを知るということが目的ではなくて、現実にそういうものの害を除きたいということがあるわけでございます。そこまでやうてもらいたいというようなときに、やはりそこまでいってないというようなことが二、三出てきたわけでございます。それは、やはり最初の合意をそこまで半分にしたとか、相手側の要請を小さくして、それを受け入れたから問題ないんだというふうには言えないわけで、そこの合意自体が問題であったというふうに思われるわけです。  それで、共通評価をいろいろやりまして、共通して言えますのは、最初にどこまでやるかということについて日本側と相手側の意思の疎通が一〇〇%はっきりした形でなく、やや漠然とした形で合意を行ったときに、いわば同床異夢の間で行った合意については、実施が終わった後に相手側との思惑の違いというものが出てくる。したがいまして、共通して言えることは、やはりあるプロジェクトを合意するまでの事前調査がいかに重要であるかということがわかりましたし、その点についての重要性を一層認識して、事前調査の中身をよくするということが我々に今後課せられた大きな問題点であろうかということが一番大きな結論でございます。
  98. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 どうもありがとうございました。
  99. 秦豊

    ○秦豊君 大変長時間にわたって恐縮ですが、私の場合はごく短い時間で終える予定ですから。  私、日ごろから考えている一つの実感は、国会論議全体の中で経済協力のあるべき姿、あり方を論ずる分量は必ずしも多くはない、むしろ過少である。ただ、例えば対韓援助をめぐる癒着や、どす黒いスキャンダラスなテーマが噴出したときには、私を含めて極めて活発に追及をするが、何事もない場合には、息長く執拗に取り組むという姿勢は確かに国会論議全体の姿勢の中からも欠落していると実は考えております。  今確かに皆様もおっしゃいましたように、出しっ放してはなくて、出した金の効果にもっと眼を向けるべきである、これは今後の私は技術協力問題の一つのベースだと思います。私の知る限りでは、アメリカの議会では、もちろんこういう常任委員会システムではありますが、比較的特殊のアイテムをつかまえて小委員会の活動を非常に巧妙にクレバーに展開しています。私はこれは植木委員長それから各党の先生方への提案でもありますけれども、本委員会でこそ、例えば常設の海外経済協力問題小委員会というふうなものを、短期じゃなくて常設しておいて、国会が開かれている限りは、あるいは閉会中でも含めて、幾十人かの国会議員の眼が絶えずこの問題について注がれているんだということを積み重ねるべきではないか、こう実は考えております。  そこで、そういう観点に立って、私実は去る三月二十一日の当院の予算委員会でフィリピンに対する援助の問題を取り上げました。その責任感もあって、先週、極めて短期ではございましたけれも、マニラをべっ見してまいりました。得た一つの実感は、ややエモーショナルなものではありますけれども、あそこはさまざまな諸官庁よりも一人の大統領が強く、しかも一人のイメルダ夫人が強いという実態があって、せっかく両国の官僚ベースで積み上げたものがマラカニアン宮殿の恣意的な力によってとめどなく歪曲される、ゆがんでいくというふうな実態がやはりあるのではないか。もちろん外務省から通産省からあるいは経企庁からあるいは大蔵からすれば、そのようなことは杞憂であって、まことにそのような実態はございませんとおっしゃりたいかもしれないが、余りにも長期政権、王朝的独裁政権が十九年にわたって続いており、しかも戦時賠償以来の因縁としがらみの中で特定代表者が便利な存在として重用されており、それ以外の人々が入り込む余地すらないというふうなことを同じ代表者の幹部が嘆く現実が一方には厳としてあります。こういう中では、先ほどから皆様がおっしゃっておりますように、フィージビリティースタディーというか、事前調査は精密の上にも精密でなければならず、その合理性と現実性はあくまで貫徹されなければならない、私はこう思います。幾らまじめに現場現場で積み上げても、簡単にねじ曲げる権力が牢固としてある国への援助はとりわけそうでなければなるまいと思います。  今、たまたま選挙の開票中でございますけれども、既にして中央選管は発表をなぜかきょうの朝から中止しております。野党は一斉にこの間に操作をしていると言って抗議デモが頻発しているというのが、これは経済援助に直結した問題ではないけれども、今現実に行われている。私もたまたまトンドというアジア最大のスラム、五十万がひしめいている、平均月収が五百ペソというふうな、十六倍すれば邦貨になりますが、こういう中に行ってみると、力石先生じゃないですけれども、まさに生ごみの上にトタンの、それもさびて穴だらけのトタンを、これを屋根と言えるかどうかわからない、あるいはぼろぼろのビニールをちょっとかぶせて、あとは外国から送ってきた大きな荷物の板をはがして、それを壁と言うかどうか、ちょっと遮っている。ごみの山の上に人間が住んでいる、メタンガスのあのスモーキーなあの上に。だからスモーキーハウスと言っておりますが。ところが、外国の援助で、イメルダ夫人はメトロマニラの知事も兼務していますから、だからショーウインドーとしてショー効果をねらってその最大のスラムの一隅に鉄筋の住宅はつくっていますけれども、大変これは皮肉なことにがらがらです。なぜか。極めて理由は簡明であって、家賃が、低家賃住宅という名前はついていますけれども、その方々にとっては無理なんです。高ねの花だからがらがらなんです。ああいうところには、さっきの力石参考人の御意見じゃありませんが、適正技術のまねびではないけれども、あんな立派な壮麗な鉄筋をつくらなくても、もっとシンプルな、まあごみの山の上の掘っ立て小屋よりましなものをつくって、衛生状態のいいものをつくって、もっと大量に早期に提供した方がよほどフィリピンの民衆は喜ぶのではないだろうかというふうな感じがいたします。  だから、日本援助のあり方としては、アメリカはアメリカ、それは御随意ですから、もっと効果を上げて民衆にもっとしみ渡るためには現場をよく歩いて、決して英語ではなくてタガログ語で歩いて、そしてよく目で見て、ここにこういうものをむしろつくるべきではないか、ミセス・イメルダのこのプランは非現実的だというふうな独自のオリジナリティーを持ったプランをむしろ逆に提示するとか、そういうふうなことでいわゆるインフラに属するものを含めた見直しをすべきではないかというふうなことも感じてまいりました。  こういうことを言っていると切りがありませんですけれども、たまたまこれは私知らなかったのですが、外務省がさっき言った援助効果を確かめるために、部外の方に、特に今回一カ月近くASEANの各国を某社の論説委員クラスの方に委嘱されたようでありまして、たまたまそのミスター・フーとマニラで会談をする機会がありました。そこに同席されたのは、大使館の方も同席されましたけれども、ジャカルタ駐在、それからバンコク駐在、マニラ駐在、選挙の応援でみんな集まっていましたので、大変幸運なことに、ジャカルタへの経済協力、それからバンコク、それからマニラ、三つの国のさまざまな位相のずれとか、興味深い話を聞く機会がありました。それで、その方々も強調をしていましたのは、やはりASEAN各国といっても、さっきの広野参考人の御意見だと思いますけれども、やっぱりさまざまあって、共通項で全部大括弧でくくることはできないかもしれないが、率直に言ってフィリピンは問題が多過ぎ、インドネシアもまだまだ難しく、比較的タイがうまくいっているのではないかと。つまり、ある金を援助した場合に途中で幾ら消えていくか、タイなんかは五〇%程度であって、あとはしみ通っている。少なくとも五〇%はということをあるジャーナリストはシニカルに言っておりましたが、それがしかしいい状態だというふうな把握、もちろんそのジャーナリストの方の主観ですが。ならば、いい状態のバンコクが五〇%であれば、一体悪い状態のほかの国々はどうなるのかと言いたいような感じもいたしました。  きょうは、一つだけ広野参考人にお伺いしたいのですけれども、ASEANの現場、経済協力の現場といいますか国々の実態にお触れになったかどうか、それを聞かないで言うのは大変申しわけないのですけれども、その他御研究を通じて、ASEANへの経済協力の中では、共通性でくくることは無理は承知した上で、先生の観点でごらんになってどの国への協力は比較的うまくいっているというふうな御印象がありましたらそれを伺いたいのと、特にフィリピンへの今後の経済協力についてはこうあるべきだというふうな御意見があらば、ぜひお聞かせおきを願いたいと思いますが、いかがでしょう。
  100. 広野良吉

    参考人広野良吉君) 非常に難しい質問だと思います。私はどちらかと申しますと、その国の大学で教えたり、あるいはその国の学生とつき合ったり、あるいはその国の企業の方々、時には労働組合の方々とつき合うというか、そういうような形での生活体験でございますが、たまたま自分の仕事柄幾つか日本政府経済協力プロジェクトも見たことがございます。そういう若干の本当に限られた経験から申すわけでございますので、いろいろ間違いもあると思いますけれども、個人的な意見で申しますと、どの国の経済協力プロジェクトがうまくいったかということは言えないと思います。  経済協力プロジェクトが本当にうまくいっているかどうかというのは、もちろんその国の経済、本来のそのプロジェクト目的を果たしてそれが達成しているかどうかとか、あるいはその国のプロジェクトの地域の経済開発に貢献しているかどうか、あるいはまた、その国の経済開発の優先順位というものがありますので、そういう目標を果たして達成するのに貢献しているかどうか、こういうようなもろもろの基準でもって効果というものは算定するのじゃないかと思います。そうしますと、どこの国のものがよりうまくいったかという問題ではなくて、基本的にはどこのどういう種類のプロジェクトがよりうまくいったかという問題であると思います。そういう意味では、例えば同じインドネシアをとりましても、その中でうまくいっているのとうまくいってないのがあるのではないか。  三つばかり仮に非常に大胆に申しますと、一つは先ほど石井参考人からもお話しありましたように、その経済協力プロジェクトの、いわゆる事前調査を含めて全体のプロセスを十分に認識してかなり日本側が主張したプロジェクト、これはうまくいっております。日本側がいろんな意味で主張した、時には厄介なほどそれじゃいけない、これの方がいいという格好日本側からいろいろ口先を入れたものですね、ある意味ではその国の内政干渉ということも言えるかもしれませんけれども、それぐらいまで言ったものの方がうまくいっている。つかみ金でぽんと与えるような感じのものは、これはやっぱりどうしてもその国のいろんな事情によってうまくいかない、これが一つであります。  それから第二番目には、これも国によってではありませんで、しかしながら、いろんな国におけるところの中央官庁とそれからその国の地方自治体、こういうもののパイプが、ある省によっては非常にうまくいっていて、ある省によっては余りうまくいってない。そういう意味で、例えばある国で、ある省でもって非常に中央官庁と地方自治体とのパイプがうまくいっている場合には、かなり日本側が言ったところのものが反映されて、地方自治体レベルにおいてもそういうものが実際実施されている。そういう意味では私は中央官庁と地方自治体との連携というものはかなり重要ではないか、こういうふうに思います。  それから第三番目の点は、これは先ほど力石先生もちょっとおっしゃった点で、私も全くその点は賛成なんですが、それはいろいろなプロジェクトを見ておりますと、やはり最終的には、向こう政府の方はいろいろ言いますけれども、基本的にはやはりローカルのニーズと申しますか、その地域社会のいろんなニーズに合ったプロジェクトというものがやはり一番うまくいっているような感じでございますね。そういうローカルのニーズがあれば、当然そこの村の方々あるいは町の方々、地方都市の方、時にはその州知事とかのレベルまでかなり関心を持ってそのプロジェクトを遂行しようとする。あるプロジェクトのうまくいくかどうかは、向こう側にどの程度その遂行する能力とそれから意欲があるかどうかという問題、これと非常につながっておりまして、やはりローカルのニーズというものに密着したものであればそれだけ、規模は小さいかもしれないけれども、成功する率が高いのではないか。これは非常に雑な言い方でございますけれども、私の見てきたそういう経験で申し上げることができる点かと思います。
  101. 秦豊

    ○秦豊君 フィリピンへの協力問題、余りにも一般的な質問ですから、これは結構でございます。  ありがとうございました。終わります。
  102. 植木光教

    委員長植木光教君) 以上で質疑は終わりました。  参考人皆様にお礼のごあいさつを申し上げます。  本日はお忙しい中を本委員会に御出席願い、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきましてありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見等につきましては、今後の本委員会調査参考にいたしたいと存じます。まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時十四分散会