○伏見康治君 伏見でございます。
原子力船に関する
法律が変わることにつきまして、
原子力船については過去いろいろなまずいことが重なりまして、どなたも大
成功であったということは言えないような
状態でございますが、これは
日本の
科学技術的プロジェクトにとって非常に大きな汚点になっているわけでございまして、多少とも
関係のある者といたしましては大変残念に思っているわけでございます。しかし、そういういろいろな
失敗があったといたしますというと、その
失敗を十分吟味いたしまして、その原因がどこにあったかということを十分尋ねるごとによって、今後の
日本の
科学技術政策に少しでもプラスになるように努力するのが我々として課せられた
課題であると考えるわけでございます。
そういう意味で、私の
質問の最初の
段階は少し古い
お話になって恐縮でございますけれ
ども、古い
お話ですから今ここにおられる
方々の大
部分は直接その時代にはおられなかったわけで、本当の意味の責任のある御返答は実は期待できないのかもしれないのですが、過去にさかのぼってどういう点が悪かったかという点を少し吟味していきたいと思うわけでございます。
大変話が古くなりますが、ことしは一九八四年で、ちょうど三十年前のことを考えますというと、ことしは
日本の
原子力について極めて記念すべき年になったと思うのでございます。それはちょうど三十年前の三月の初旬に、現在は
総理大臣になっておられる中曽根さんがまだ改進党の一代議士であったときに、原子炉
予算というのをおつけになりました。そこから
日本の
原子力が始まったわけでございますので、そういう意味でことしは
日本の
原子力にとって記念すべき年になると思います。何か
長官の方でその
日本の
原子力のあけぼのを記念するような行事をあるいはお考えになっているかと思うのでございますが、私自身にとりましてもこの三十年目というのは一つの記憶を新たにするべき年に当たるわけでございます。
それは、その中曽根
予算に
対応いたしまして、その何年前からか
日本学術
会議の場におきまして
日本の
原子力研究をどういうふうにするかという
議論をしておりましたが、そこにその中曽根
予算の
お話が出てまいりましたので、
日本の
原子力開発というものを正しい軌道に乗せると申しますか、そのことのために幾つかの制約が必要であると考えまして、
日本学術
会議の場でいわゆる
原子力平和利用の三原則というものが確立されたわけでございます。幸いその当時の
政府が、学術
会議の唱えました
原子力平和利用三原則、つまり公開の原則、自主の原則、民主の原則というものを全部その年の暮れから翌年の正月にかけてできました
原子力基本法の中に取り入れていただきまして、それ以来
日本の
原子力研究開発というものは、いろいろ技術的にはまずいことがあったかもしれませんけれ
ども、
平和利用に限定するというその大きな線ではそこから逸脱することなくしかも
日本の
国民に対して
石油危機の中でもそれにかわる
原子力エネルギーを供給することができたという、
原子力平和利用の線で立派な
仕事をしてきたということが考えられるわけでございます。
ことしはそういう意味において、中曽根さんにとりましても私にとりましても記念すべき年になるわけでございますが、この
原子力船というものにとりましてもちょうど三十年前というものはやはり一つのきっかけをつくった年であると私は考えます。それは、先ほて申し上げましたように、
日本学術
会議において
原子力の
開発をどう進めるかということはその三十年前よりももうちょっと数年前から
議論しておったわけでございますが、ちょうど三十年前の二月の末に、つまり中曽根
予算が言われる直前でございますが、直前に学術
会議におきまして
原子力に関するシンポジウムが開かれまして、そのシンポジウムの席上で、
日本の造船界の大御所的存在でございました山懸昌夫先生が
原子力船の可能性について講演をなさいました。そのときの
お話が私にはいまだに非常に印象深く頭に残っているわけでございます。
山縣さんの
お話の大要はこういうことであったと思うんですが、つまり、新しいエネルギー源を既存のエネルギー源の中に取り込もうとするときには、必ずやその競争相手をいわば排除していかなくてはならないわけですから、新しいエネルギー源としての特徴が最もよく発揮される場所にまずそのエネルギーを使ってみるべきである。
原子力の特徴というのはどこにあるかというのはいろいろの考え方がもちろんございますが、一つは、
石油や石炭と違って空気を必要としない動力源であるというところが非常に大きな特徴である。そこで山縣先生は、この
原子力というものを最初に使うべき場所は潜水船であると。潜水船というものは、実は水上を浮かんでいる船に比べましていろんな特徴があるわけでございますが、山縣先生の長年の御苦労は、水面を浮かぶ船というものは造波抵抗というものがございまして、ハイスピードでもって進行
しようといたしますというと余計に波を立てるためにエネルギーを非常に消費するわけでございますが、潜ってしまいますと造波抵抗がなくなります。したがって、エネルギーを余り消費せずに進むことができるという意味において潜水船というものは非常に特徴があるわけですが、ただ、その潜水船が従来十分に
開発されなかった根本的な理由はどこにあるかというと、海の底に潜ってしまってなおかつ空気を取り入れるということが非常に難しいからであります。
原子力が出てまいりまして水中で酸素を必要としないエンジンができたということになるわけでございまして、それで山縣昌夫先生は、
原子力の一番大きな特徴は空気を必要としない動力源であるというところにある、したがってそれは潜水船の形で使うのが一番よろしいという、そういう
お話でございました。
私は、この
お話に非常に感銘いたしました。というのは、そのころの
日本の
原子力に関する
議論というものは、実はネガティブな方向の
議論が大
部分でございまして、積極的に
原子力を前向きに使って見せようというような
お話はほとんどないような
状態でございました。学術
会議の場でも大体そういう傾向であったと思うのでございますが、その中で山縣先生がひとり前向きの姿勢を示されたということに対して私は非常な感銘を受けたわけであります。
そのころから私は、
原子力船というものに対して強い関心を持っておったわけですが、具体的には何もしておりませんけれ
ども、歴史の流れの中では
原子力船がどういう動きをするかということを見ておったわけでありますが、その山縣昌夫先生が最初抱いておられましたようなそういう非常に大きな観点で物事を考えるということが、その後
原子力船が具体化すればするほど見失われてしまって、だんだんつまらないプロジェクトに成り下がっていったような感じがいたします。特に、
予算がとれて、そして実はその
予算ではとても足りないということになったような
段階で、海洋
調査船といったようなやや前向きの考え方がいつの間にか変形いたしまして、特殊貨物船でしょうか、何かそういったような形になって、
原子力というものとその船とがどういう意味で結びついているのかということの意味がほとんど行方不明になってしまったような形になってしまった。
その辺あたりからだんだんいわゆるボタンのかけ違いが始まってきたのではなかろうかと思うわけですが、こういう意味で今後のプロジェクト、
科学技術庁となさいましても今後いろいろな大きなプロジェクトを打ち立てていかれることと思いますが、その際に、こういう最初の発想というものが極めて大事だと思うのですが、そういう点について
長官どういうお考えをお持ちでしょうか。