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国務大臣(
岩動道行君)
原子力船「むつ」による舶用炉の
研究開発、実験というものは、
日本の置かれている
立場から極めて重要な
政策課題であったと思います。また、現在でもそうであると思います。
何と申しましても
資源のない国、特にエネルギーの大半を占める石油は、九九%を海外から輸入しなければなりません。しかも、その七割くらいは中東という極めて政情の不安な
地域から輸入せざるを得ない現状でございます。そして、二度の石油危機を受けた
日本としましては、何としても脱石油、そしてまた海運
国家、造船
国家であり、かつまた貿易立国である
日本にとりましては、何といたしましても
原子力の平和
利用と、そしてまた将来へ備えての舶用炉というものの
研究開発というものを確保しておかなければいけない、このような基本的な考え方に基づいた
原子力船「むつ」であったわけでございます。
問題は、御指摘のように
昭和四十九年のいよいよ
試験研究、実験に入ろうという段階で、ぼんのわずかではございましたけれ
ども、
放射線漏れが起きたことはまことに遺憾でございます。したがいまして、この
放射線漏れは、レントゲン、我々が病院に行って撮る一枚分にも足りないくらいの
放射線ではございますが、このようなことがあってはならないわけでございますので、まず遮へい工事をやらなければならないということで、その工事を行うための港を探したのでございますが、
なかなかどこも引き受けてくれるようなところはなかったのでございます。ようやく佐世保で引き受けてくれると、これもなかなか容易なことではございませんでした。そこで遮へい工事が行われました。そして、総安全点検も行いました。
そして、私
どもの現在までの
科学技術の知見から申しますならば、全くこれで安全なものになった、
放射線漏れはないと、こういう安全点検も行われて、さてそれではこの
原子力船「むつ」をどこに置いて
試験研究、実験を行うかということになりました。
日本全国六十に余る港に、引き受けてくれることを、定係港としてもらうということで検討いたしましたけれ
ども、どこも引き受けてくれるところはなかったのでございます。大変残念でございました。やむを得ず青森県の大湊に引き続きお願いをいたしましたが、これもお断りされました。しかしながら^これを洋上に漂泊させるわけにまいりませんので、何とじて否むどこかに定係してもらいたいということで一仮に大湊にお受けをいただいたんでございます。
しかし、そのときには
昭和五十七年王者協定ができまして、そして大湊は仮の停泊としては受け入れると、しかし、よその港にこれを持って行ってもらわなければならないということで、ようやく関根浜というところに新しく港をつくるならばそれは受け入れましようというのが青森県地元の対応であったわけでございます。そこで、私
どもは関根浜を定係港とするということで地元の御了解をいただき、ようやく「むつ」のいるところが決まったのが経過でございます。その間、
政府と地元との間のお約束をいたしました。そして、私
どもは関根浜に港をつくろための
予算も計上させていただきました。
そういうような中におきまして、
原子力船「むつ」のあり方について各方面からのいろいろな御意見が出てまいりました。そして五十九年度の
予算編成の段階におきまして、私
ども政府・与党の中におきましてもいろいろな議論が出たわけでございます。廃船論も出たわけでございます。一方、ここまできて、もうあすにでも実験ができる、
研究が開始できると、こういう状態になっているので続けてやるべきだという考え方もございました。それらのいろいろな御意見、そしてまた党内外の御意見、これらを私
どもは拝聴しながら来年度の、六十年度の
予算編成に間に合うように「むつ」のあり方を検討したいということになったわけでございます。
しかしながら一方、このような
原子力船「むつ」の所在する場所はどうしてもこれは決めてやらなければなりません。そこで私
どもは、
政府と地元の
関係者とのお約束によって関根浜に港をつくるということにいたしたわけでございますが、ただ問題は、
試験研究、実験を継続するかどうかということは、本年の八月に結論が出るわけでございますので、それまでの間関根浜に港をつくるといいましても、どういう形のものをつくるかということが問題でございました。したがって、これにつきましては、結論が出るまでは最小限度の――いずれ廃船というような結論が仮に出るにいたしましても、大湊はこれは受け入れるわけにはいかないと、やはり関根浜でやってもらうほかないのだということでございましたので、最小限度の工事ということで関根浜に着工するということになったわけでございます。
いずれにいたしましても、過去の長い経過とそして地元の御
協力と御理解がなければ、このような
原子力船の
研究開発というものはできない。陸上における
原子力発電につきましても、大変な地元との御了解と御理解がなければ進められない。
原子力船「むつ」も同様でございます。かような
意味におきまして、私
どもはこれからも各方面の専門的な、そして貴重な御意見を拝聴しながら対応してまいりまするが、
原子力船「むつ」の停泊するところだけは早急に決めていかなければならない、こういうことで関根浜に着工をすることにいたしているのが現状でございます。この辺の過去の長い歴史と、そしてまた地元の御
協力というものを私
どもは大事にしていかなければならないという現状にあることを御理解いただきたいと思います。