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滝沢分科員 そこで私は、
日本の電源開発といいますか電気
事業の歴史というものを大体五つぐらいに区切って反省してみるときに、多々学ぶものがあると思うのです。
第一期、これは先ほど申し上げました、電気が
日本に入ってきましてから大正時代を通りまして
昭和十五年に至ります
期間、私は、これを草創期とも言ってもよろしいだろう、こう思うわけであります。その当時、電気はいわば新しい時代の夜明けでございまして、これが
企業化への試みという
段階でもあったでありましょう。ゆえにこそ
国民は、あこがれと恐れとを持ちまして、そしてこれは全面的に協力の体制ができてきたことは御存じのとおりであります。しかもこのときの電気の使命は、ともしびとして、明かりとしての
立場でございました。
しかし、
昭和十五年に
日本発送電つまりは国策
会社ということでこれが国家管理的な性格を持つものに統制されまして以来は、いわゆる第二期と私はこれを申し上げている。これは戦争期でありまして、統制が厳しくされ、したがって電気
事業は独占でございました。これは戦時体制の中に組み込まれたわけでありまして、総動員法がやがては発令され、そして戦力としての電気
事業ということになってくるわけであります。欲しがりません勝つまでは、こういうことで、戦争に協力するという名において電気
事業に協力を惜しまなかったわけであります。ところが、しかしこれは功罪相半ばするものがございまして、確かにこれは電気を全国にあまねく普及さして、いわゆる電灯のない家は全国にないという
状況をつくることもできたのでありますけれ
ども、一面、軍需工場もこれによって発達してまいりました。しかし、
国民の権利をいわば戦時体制の名において、国家総動員法の名において埋没させ、消滅をさせていった
一つの罪の部面も、今になってはやはりこれは指摘されていいことだと思うのであります。
ところが、終戦という時期になりますると、これは天地がひっくり返ったわけでありますから、抑制されておりました
国民の権利意識はにわかに発芽するわけであります。そしていわゆる戦後の、これは占領軍の強制的な助言、アメリカの例の調査団等によりまする調査結果の助言によりまして九電力制に改組されていくわけであります。これはしかし、一面から言うなれば、占領政策の名において、
国民の意識の発芽は先ほど申し上げましたとおりありましても、現実には
国民の権利はなきに等しく、これはいわば占領軍の至上命令というものがかつての戦時中の天皇のみ心というもの以上の力を持った時代でありますから、これは
一つの特徴でございましょう。そこの中で
日本はしゃにむに
経済開発といいますか高度成長
経済の道をたどるわけであります。
そこで、ここの中で
都市優先の開発が当然なされ、そして工業優先の開発がなされ、電力はそのことを推進する決定的な役割を持ったわけであります。天竜川そしてまた私の住もうております只見川等の、あの階段式のダムが示しまするとおり、これは水力発電の時代でもあったでありましょう。これによってこそいわゆる高度成長
経済はなし遂げられたわけでありますが、しかし反面、反省しますならば、これは乱開発を全国にいたしたことは否定できません。また、
経済至上主義でございまするから、心の面、これがまた置き去りにされているわけであります。そして、一面から言うなれば労使激突の時代でもありました。これは、いろいろと思わしからざる事件等も起こしながら、とにかく
日本の
経済の大きな発展の両翼としての労使双方の
立場が厳しく激突をした時代でございます。
また、その結果開発は促進されましても、一面から言うならば人口の
都市流出、つまりは発電地域等をも含めての農山村の人口の過疎という
現象がやってまいりましたことも皮肉な
現象でございました。そしてまた、さらには水害がおびただしく発生しました。これはしかし、当然のことながらこれらの反省の上に立っていわゆる四十年代に向けての数々の提言がされ、また試行錯誤がされるわけでありますが、そこの中で、特に電源開発地帯の住民の意識が高まりまして、これが組織化されたりないしは裁判ざたにまでなって、いわゆる
企業と地域住民との間のトラブルが生じてきた。これもいわばこの戦後期の四十年代における
一つの特徴かな、このように思うわけであります。
そこで、ここに私は、
日本の電源開発史上画期的な
一つの変化、革命的と言ってもいいほどの変化のときがやってくる、こう見ているわけであります。これは私は第四期、言うなれば原子力発電の時代と言ってもいいでありましょう。同時に、
昭和四十九年に日の目を見ましたあの電源三法、こういうものによって、
一つこれは大きな変化のとき、戦後も遠くなりにけりという時代であったな、私はこういうふうに見てきたわけでありますが、当然これは
企業と地権者との相克に対しましての、これは
企業と地権者それに
行政が一枚加わっての妥協の産物と申し上げでもよろしい、こういうふうに思います。そしてまた、実は地方公共団体の協力、これを求めないことにはもはや電源の開発はできぬ。電源の開発ができなければ
日本の
経済は伸びることができない。こういうジレンマの中で生み出されたものでもありましょう。これは地権者の意識を、いわば
企業に対する批判の意識を緩和する措置としてなされたあめ玉政策でもあったわけでありますけれ
ども、しかし結果としてこれは大変に益することがあったことは私も否定するものではありません。しかし、この原子力時代というものは、ややもすれば水力軽視の傾向がないでもなかったわけです。そこで、この電源三法を水力の発電地域にもひとつ適用せよというようなことでなされていることは御存じのとおりで、これを多とするものであります。
しかし、同時にまたこのことは、原子力、水力も含めて、ただ単に発電所を開発して電気を起こせばいいというのではなくて、地域の開発を促進することと両々相まってしなければならぬ時代への突入でもあるわけでありまして、ここにおいてこの電源三法が工場導入の呼び水となり、あるいはまた公共
事業の足らざる点を補完する
立場を持ってきたのでありますから、この電源三法の足らざる点を今我々がつぶさに反省をし協議をしてこれを改善していくこと、これがつまりこれからの時代に対する
一つの宿命である、こういうふうに思うわけであります。ここにおきまして、今の時点における電源開発、これは水力、火力も含めてでありますけれ
ども、反省いたすならば、この
法律が時限立法的な性格を持っているものでありまして、しょせんは終わりがあるということ。しかし、そこに住民は永遠に住まなくてはならぬということの差異であろうと思うわけであります。
もう
一つは固定
資産税等の税率の低下といいますか、償却
資産でありまするから税が低落していく傾向、これが当初地域市町村等が余り深く考えなかった
一つの落とし穴であったのではないか、こういうふうに反省をいたしているわけであります。さらにもう
一つは、現実においてその後の
経済の変遷のいたすところではありますが、
企業、工業の導入というものはうたわれるべくして実際にはほとんど成功しなかったという、このことであります。さらには人口の流出は、依然としてこれは食いとめることができなくて、過疎地はどんどん過疎をふやしていった、こういうことでございます。
もう
一つは、洪水は依然としてやはり絶えない。このことについての反省もここでしなくてはなりません。しかもその
原因の
一つでもありますけれ
ども、堆砂といいますか、ダムが埋まっていく。このことは否定しがたい事実として、これを私たちは見逃してはいけない、こういうふうに今存じまして、この機会に
政府の所見をただし、また
企業の御協力もひとつ再確認していただきまして、来るべき時期、言うなれば私はこれは第五期、六十年代を志向する電源開発の将来、こういうものをひとつ模索してまいりたい、こういう
気持ちで今この
質問を申し上げようという決心をしたことでございます。
私は、この来るべき時期というものは、これは調和と共存の時代でなくてはならない。これは労使もそのとおりです。都会と山村もそのとおりです。
企業と住民もそのとおりであります。もちろんそこに政治、
行政が賢明な介入をしてくれなくてはいかぬわけでありますが、総じて調和と共存の時代、これは核の時代であると言われるこのときに人類的宿命だ、私はこう思うわけであります。
こういうときに私たちが望んでおりますのは、この三法の期限の延長であり、もしくはまた情報の公開であり、あるいはまた地域住民がこれにどのようにして参画をすることができるか。そしてそれは国際協力にまで発展する路線であるかどうか、こういうことだと思うのであります。仮に電気
料金は今のところ十兆五千億前後と承っておりますけれ
ども、こういうものに対してこの電気の電気税、これがどのように絡み合ってくるか、ここら辺の操作によりましても随分と地域を益することもできよう。また送電のロス六%と言われておりますけれ
ども、これは自然の放電があり、また
投資の面のロスもあるわけであります。およそ物価におきまして、産地直売という話もありますけれ
ども、どこでも同じ値段で買えるものは新聞ぐらいでありましょう。大抵は生産地は安いわけでありますから、発電地域に安い電力を提供する、こういうことも考えられなくてはならぬ、私はこういうふうに思うわけであります。
聞くところによりますと、ダムの寿命は大体百年。これは長野県の泰阜ダムなどで既に完全に埋まってしまった例もあるわけでありまして、ここに私は心配しますのは、後で荒廃した土地が残る、そのときにいわゆる再開発といいますか環境の整備、これはどのようにされていくものであろうか。こういう心配を今からすることは決して早くはない、こういうふうに
一つは思うわけであります。これをひとつ承りたい。
質問に入りまして、初めの
質問であります。ダムが完全に埋まることは予想される、その後でどうなるか、こういうことであります。