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1984-05-15 第101回国会 衆議院 本会議 第25号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十九年五月十五日(火曜日)     —————————————  議事日程 第二十二号   昭和五十九年五月十五日     午後一時開議  第一 昭和四十二年度以後における地方公務員     等共済組合法年金の額の改定等に関す     る法律等の一部を改正する法律案内閣     提出)     ————————————— ○本日の会議に付した案件  武部文君の故議員島田安夫君に対する追悼演説  日程第一 昭和四十二年度以後における地方公   務員等共済組合法年金の額の改定等に関す   る法律等の一部を改正する法律案内閣提出   )     午後一時三分開議
  2. 福永健司

    議長福永健司君) これより会議を開きます。      ——————————
  3. 福永健司

    議長福永健司君) 御報告いたすことがあります。  議員島田安夫君は、去る四月十一日逝去せられました。まことに哀悼痛惜至りにたえません。  同君に対する弔詞は、議長において去る四月二十六日贈呈いたしました。これを朗読いたします。     〔総員起立〕  衆議院は 議員正五位勲三等島田安夫君の長逝  を哀悼し つつしんで弔詞をささげます     —————————————  故議員島田安夫君に対する追悼演説
  4. 福永健司

    議長福永健司君) この際、弔意を表するため、武郎部文君から発言を求められております。これを許します。武部文君。     〔武部文登壇
  5. 武部文

    武部文君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員島田安夫先生は、さきの総選挙後、体の不調を訴えられ、入院療養中であり、その後快方に向かわれ、暖かくなれば退院できると聞いておりましたのに、去る四月十一日、御病状にわかに悪化し、東京医科大学病院において逝去されました。病名は急性腎不全、享年六十四歳でありました。まことに痛惜の念にたえません。  島田さんは、昨年十二月、第三十七回総選挙において、見事最高点で再選を果たされました。その日の島田さんの満面さわやかなお喜びの様子は、ついきのうのことのようですし、また、この国会召集日の前日、上京の際一緒になり、「御苦労さんでした、お互いにしっかりやりましょう」とかたい握手をしたことを思うとき、ひとしお人の世のはかなさを感ぜずにはおられません。  私はここに、議員各位の御同意を得まして、議員一同を代表し、謹んで哀悼言葉を述べたいと存じます。(拍手)  島田さんは、大正九年、鳥取県東伯郡浅津村の農家に生まれられ、昭和八年、浅津高等小学校を卒業の後、向学の念やみがたく、大阪に出て、吉沢法律研修学舘に学ばれた後、郷里に戻られ、農業に従事されておりました。  昭和十六年、二十一歳で鳥取歩兵第四十連隊に入隊され、そのわずか十カ月後には太平洋戦争が起こり、島田さんの所属部隊南方方面に派遣されたのであります。島田さんは、フィリピン有数激戦地ルソン島バレテ峠の戦いで胸部盲管銃創の重傷を受けながら、千人に十六人生き残ったというその一人として九死に一生を得て、昭和二十一年一月、復員されたのであります。そのため、郷里において三年半に及ぶ療養生活を余儀なくされましたが、悲惨な戦争を再び起こしてはならない、日本国民の血と汗とで手に入れた平和を守り抜くために、自分は何をなすべきかと懸命に模索されたのであります。  その結果、世の中には、自分のように困っている人がたくさんいるはずだ、身体障害という十字架を背負った人々や老人、子供あるいは零細な農民漁民中小企業者、これらの弱い立場にある人々の幸せなくして、どうして平和国家を標榜することができようか、このような人々代弁者となって働くことこそ、自分の使命ではないかとのかたい信念島田さんの体じゅうに満ちあふれてきたのであります。  やがて、病いえた島田さんは、みずからの信念を具現すべく、政治の道に進まれることを決意されたのでありました。昭和二十六年四月、三十一歳で浅津村会議員になられた島田さんは、直ちに村会議長に選任され、浅津村が羽合町になってからも、羽合会議長として新しい町づくりのために献身されました。  さらに、昭和三十四年四月には、鳥取会議員に当選され、以来昭和四十七年十月まで、四期十四年の長きにわたって県政の推進に努力され、昭和三十九年には、県会議長要職に就任されたのであります。島田さんは、公平かつ円滑な議会運営をモットーに平穏な議事運営を実行し、定刻開会の励行による会議時間の厳守、さらに、県議会の開会されない月にも、必要に応じての常任委員会開会等議会のタイムリーな活動と能率的な運営に尽力され、ますます与野党の信望を集め、地方政界の重鎮として名声を高められたのであります。  また、この間、島田さんは、地方制度調査会委員及び全国都道府県議長会会長として、地方交付税率の引き上げ問題に力を尽くされ、昭和四十一年に三二%の現行交付税率実現を見るに至りました。  昭和四十七年十二月、第三十三回総選挙が挙行されるや、農林漁業の安定と弱い立場人々の幸せのため、真に豊かな国民生活地域社会充実実現すべく、勇躍立候補され、鳥取県民の熱烈なる支持を得て見事当選の栄冠をかち取られ、国政の舞台へと飛躍されたのであります。(拍手)  本院に議席を得られた島田さんは、地方行政農林水産災害対策の各委員会委員理事として、熱心に国政の審議に当たられ、そのまじめな態度とすぐれた識見は、党派を超えて同僚議員から厚い信望を集めておられたのも、けだし当然と申せましょう。(拍手)  島田さんが、地方行政委員として国政の第一歩を踏み出されたことは、まさに魚が水を得たごとくの感を与えるものでありました。地方自治確立のために、地方議会における多年の経験と豊富な知識を駆使して議案の審査に当たり、地方公営企業の財政難を訴えて国のより一層の助成を求め、また、農地に宅地並み課税をすることは弱い農民を苦しめるものであると強調され、さらに、難聴者自動車免許証の取得に便宜を図ること等を熱心に訴えられたのであります。  第七十五回国会昭和五十年二月二十七日、この壇上において島田さんは、地方税法改正案等につき自由民主党を代表し質疑を行い、地方自治確立社会福祉特別税の創設、地方交付税充実交付税率引き上げ等地方振興の諸施策について力強い所信を述べられるとともに、多年培われた政策論を披瀝され、鋭い切れ味をもって時の総理に迫られたのであります。  また、とりわけ、島田さんの農林水産委員としての御活躍には目覚ましいものがありました。東郷湖に近い農村に生まれ、農業問題、特に内水面漁業問題に精通しておられた島田さんは、機会あるごとに、農林漁業が安定してこそ一国の平和と安泰があることを主張し、これら農漁民に対し国は積極的に手を差し伸べるべきであると強調されました。  第七十八回国会開会中の昭和五十一年、台風十七号により我が国農業は甚大な被害を受けましたが、島田さんは災害対策特別委員会理事として、被害者の救済と被害再発防止を盛り込んだ災害対策に係る緊急措置に関する決議案提出者となり、本会議での成立に貢献されたのであります。  島田さんは、中央政界の多端な激務に当たられる一方、全国内水面漁業協同組合連合会会長日本傷療軍人会会長鳥取農業会議会長県身体障害者福祉協会会長等要職に当たられ、郷土発展のために終生骨身を惜しまず奔走されたのであります。また、御自身の体に戦争の深い傷跡を持っておられた島田さんは、身体障害者福祉活動でも多くの功績を残されました。福祉手当の問題について、当時の厚生大臣をして、鳥取県からえらいのが出てきた、うんと言うまでてこでも動かぬと嘆かせた話は、関係者の間で今なお語りぐさとなっております。(拍手)  しかし、島田さんは、その後行われた三回にわたる総選挙に苦杯を喫し、雌伏すること七年有余文字どおり臥薪嘗胆の日々を過ごされたのでありますが、さきの総選挙においては、まさに政治生命のすべてをかけて選挙戦に臨み、ついに鳥取県における総選挙史上最高得票トップ当選で本院への復帰を果たされたのであります。(拍手)  島田さんは、百八十センチを超える偉丈夫で、豪放らいらくな人柄である反面、非常に情義に厚い人情味のあふれる方でありました。また、事に当たるに果敢、その実行力はバイタリティーに富み、人に頼まれれば、いかに困難なことでも実現に向け渾身の力を発揮する人でありました。島田さんが好んだ「断じて行えば鬼神もこれを避く」という言葉に、信念に忠実な島田さんのお人柄がしのばれてなりません。  島田さんが徒手空拳で切り開かれた村議会から国会までの三十有余年にわたる政治経歴は、波乱に満ちた風雲児さながらのものでありました。  島田さんは、本院に在職すること四年六カ月、六十四歳の年齢は政治家としてはいまだ若く、これからその力量を十分に発揮されようとしていたやさき、雄図半ばにして忽然として去っていかれました。さぞかし、心残りが多かったことと推察せずにはおられないのであります。  今、我が国内外の情勢は激動を続けております。このときに当たり、庶民の中から生まれ、庶民とともに歩んでこられた大衆政治家島田安夫先生を失いましたことは、ひとり自由民主党のみならず、本院にとっても、はたまた我が国にとってもまことに大きな損失であると申さなければなりません。(拍手)  同時に、長い年月にわたって、清廉な先生政治生活を内にあって支えてこられた奥様を初め御遺族の御胸中を思うとき、何ともお慰め申し上げる言葉もございません。  ここに、見事な返り咲きからわずか四カ月、桜の花を待たずに逝かれたありし日の島田先生のお人柄をしのび、その御功績をたたえ、心から御冥福をお祈りして、追悼言葉といたします。(拍手)      ——————————
  6. 福永健司

    議長福永健司君) 御報告いたすことがあります。  永年在職議員として表彰された元議員稻田柳右エ門君は、去る四月十五日逝去せられました。まことに哀悼痛惜至りにたえません。  同君に対する弔詞は、議長において去る五月八日贈呈いたしました。これを朗読いたします。     〔総員起立〕  衆議院は 多年憲政のために尽力し 特に院議  をもってその功労を表彰され さきに財政及び  金融委員長商工委員長公職選挙法改正に関する  調査特別委員長等要職にあたられた正三位勲  一等早稻田柳右工門君の長逝哀悼し つつし  んで弔詞をささげます      ——————————  日程第一 昭和四十二年度以後における地方   公務員等共済組合法年金の額の改定等に   関する法律等の一部を改正する法律案(内   閣提出
  7. 福永健司

    議長福永健司君) 日程第一、昭和四十二年度以後における地方公務員等共済組合法年金の額の改定等に関する法律等の一部を改正する法律案議題といたします。  委員長報告を求めます。地方行政委員長大石千八君。     —————————————  昭和四十二年度以後における地方公務員等共済   組合法年金の額の改定等に関する法律等の   一部を改正する法律案及び同報告書     〔本号末尾に掲載〕     —————————————     〔大石千八登壇
  8. 大石千八

    大石千八君 ただいま議題となりました昭和四十二年度以後における地方公務員等共済組合法年金の額の改定等に関する法律等の一部を改正する法律案につきまして、地方行政委員会における審査の経過及び結果を御報告申し上げます。  まず、本案概要について申し上げます。  第一は、地方公務員共済組合制度について、恩給等における措置を参酌し、地方公務員等共済組合法に基づく退職年金等について、その年金の額の算定の基礎となった給料を昭和五十八年度の公務員給与改善内容に準じて増額することにより、同法の施行日前の期間に係る年金額については昭和五十九年三月分以後、同法の施行日以後の期間に係る年金額については同年四月分以後、それぞれ平均約二%引き上げるとともに、恩給における最低保障額改善に伴い、長期在職者等に係る退職年金及び公務によらない障害年金並びに公務による障害年金及び遺族年金最低保障額引き上げ等措置を講ずることとしております。  第二は、地方団体関係団体の職員の年金制度について、地方公務員共済組合制度改正措置に準じて所要の措置を講ずるとともに、地方議会議員共済会が支給する退職年金等について、増額改定を行うこととしております。  以上が本案概要でありますが、本案は、三月二十一日本委員会に付託され、四月二十四日田川自治大臣から提案理由説明を聴取し、去る十日質疑を終了いたしましたところ、本案に対し、西田司君より、施行期日に関する修正案提出され、その趣旨説明を聴取いたしました。  次いで、討論を行い、採決の結果、修正案及び修正部分を除く原案は、いずれも賛成多数をもって可決され、よって本案修正議決すべきものと決しました。  以上、御報告申し上げます。(拍手)     —————————————
  9. 福永健司

    議長福永健司君) 採決いたします。  本案委員長報告修正であります。本案委員長報告のとおり決するに賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立
  10. 福永健司

    議長福永健司君) 起立多数。よって、本案委員長報告のとおり決しました。      ——————————
  11. 福永健司

    議長福永健司君) 本日は、これにて散会いたします。     午後一時二十三分散会      ——————————