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金城参考人 金城でございます。
初めに、私は、今いろいろ
星野先生がおっしゃいましたけれども、
国籍について、それとは異なった
考え方をとっているということからお話をしたいと思います。
一つは、
国籍というのは国が付与するものなのか、それとも
国民の
権利なのか、
国民がそれ相当の幸せに生きていくために
国籍を持つ、そういう
権利が
国民の方にあるのか、それとも国の方がその
判断によってするのかということが、まず
一つ大きな
問題点として浮かび上がってくると思います。
それからもう
一つは、
戸籍の問題ですね。現在
戸籍制度というのを検討いたしますと、
身分登録制度という
意味を持っています。それから、
戸籍というのは
国籍登録制度、そういう
意味も持っております。その
二つがそごするために、そして、しかも現在のところでは
国籍登録制度、
国籍登録簿であるという点がより優先して
考えられているために、
国際結婚などでは、
結婚をしても新しい
戸籍が編製されないというようなことはございました。しかし、今度の
戸籍法の
改正では、それについて、
国際結婚でも、
結婚いたしましたら新しい
戸籍が編製されるということになっておりまして、
身分登録制度としての
機能をより純化させる
方向に向いている。そういう
意味で、
戸籍というものを
身分登録制度として純化させていくということがやはり
個人の人権を守っていくという
意味で重要なものなのではないか。
この
二つの点から、現在の
国籍法及び
戸籍法の
改正について私の
考えを述べさせていただきたいと思います。
まず、
国籍を有する
権利、これは
国民のものなのか、それとも国の方がより優先して
考えていくべきなのかということですけれども、それについて問題になりますのは、
選択制度という問題です。もちろん、
選択制度は二重
国籍をなくする
国際法上大変重要な
原則となっております
国籍唯一の
原則を貫くためであるというふうに
一般には説明されております。しかし、
各国とも
父母両
系平等主義の
採用をいたしまして、事実上
国籍唯一の
原則というのは
放棄せざるを得ないというような
現状になっております。
父母両
系主義を
採用して重
国籍の
子供が生まれる、その重
国籍者については
国籍唯一の
原則を貫くためにどうしているかといえば、むしろ
本人の
意思を起点として
国籍唯一の
原則を達成するという方に行っておりまして、これは二重
国籍者について
離脱の自由を保障するということによって、二重
国籍者がどうしても
一つの
国籍になりたいという場合には、
各国ともそれを阻害しないようにしようという
方向で、スウェーデン、それから西ドイツなどでは
立法上の解決が図られております。
どうしてこういうふうに
国際法上非常に重要だとされた
国籍唯一の
原則を
放棄せざるを得なくなっているのかということですけれども、これは
二つの
理由が
考えられると思います。
一つは、二重
国籍者にとっては、
二つの
国籍を持つということが極めて自然だということなんですね。
個人と
国民とのきずなを法的にあらわすもの、これが
国籍だと言われておりますけれども、
父親と
母親が違うという
国際結婚から生まれた
子供にとっては、
父親の国とも非常に強い精神的それから生活的な臍帯を持っておりますし、それから
母親の国とも同じようでございます。そういうことから、二重
国籍者についてはどちらか
一つにしろと言うことが非常に困難だという、
個人の
国籍に対する要求ということを配慮してそういう
方向になったということが
一つでございます。
それからもう
一つは、国が
国籍について規定していくのに、
自分の国の
国籍についてしか云々できないということなんですね。ですから、例えば
日本で
選択制度を導入しておりますけれども、
選択制度を導入してみましても、重
国籍を完全には解消できないというのが
現状でございます。せめて
自分の
国籍については
放棄をしたい、
放棄をするなり
離脱をするなり、それを認めることだけしかできないということです。ですから、二重
国籍者の相手方の国についてこれを
放棄をさせるというようなことを
個人に強制してみても、これはあくまでも相手様のあることですので、国家としてはどうしようもない。
そういうことから、
国際法上
国籍唯一の
原則がどうしても重要であるというなら、むしろこれは国際
立法によって、条約によって解決するべきであって、それがまた現在きちっと整っていない状況では、
一つの国家として解決できるのは、先ほど申し上げましたように、重
国籍者が
自分の
国籍を
離脱したいという場合にはこれを寛大に認めていく、しかし、そうでない場合には、もう仕方がないから二重
国籍をそのまま放置しておくというより仕方がないというのが
現状だと思います。
現に、
日本の新しい
国籍法でも、十六条では、
日本の
国籍を
選択した人に対してもう
一つの
国籍を
放棄する、
離脱をするということについては努力義務ということになっているわけですね。これは努力義務としてしか決めようがないということが
現状だと思います。幾ら
個人に他国の
国籍を
離脱するようにということを強制いたしましても、相手方の
国籍法がそれを認めでないような場合には、これは
法律的に効果を持たないということで、そういう人の場合に、それでは
日本の
国籍を奪うかといえば、これは
国籍を有する
権利に対する大変な侵害になりますので、十六条では単に努力義務としているわけです。
この努力義務ということですけれども、どうも
婦人差別撤廃条約に関する
法律の
立法については、努力義務というのが大変はやるようでございます。これだけではなく、雇用平等法でも努力義務というのが出てきておりますけれども、努力義務というのは、これはここで言うのも必要のないことだと思いますが、
法律的な効果はないということなんですね。
ですから、
日本国籍を
選択した人、それが
日本の
国籍は有した、しかも
外国の
国籍も有したいというような場合には、
外国の
国籍の
離脱に努めなければならないという規定があっても、
自分は二重
国籍を持つ
権利があるのだといって
離脱をしない場合には、これは法的に何ら措置をとることはできない。したがって、事実上二重
国籍というのは放置せざるを得ないという結果になるわけです。もちろん、国の行政的な指導によって
かなりこれが効力をあらわすのではないかという気はいたします。だけれども、二重
国籍を有する
権利を持つのだという確信犯については、これは二重
国籍の防止には何ら
意味を持たない。しかも、そういうふうに一人一人の心の持ちようによって、二重
国籍を持っている人もいれば、それがだめになってしまう人もいるということですから、
法律の適用においては非常に不公平な結果をもたらすということになると思います。
こういうふうに
考えできますと、
国籍唯一の
原則というのは確かに
国際法上の
尊重しなければならない
原則ですけれども、
現状では、これを何らかの措置をとることによって、一国だけの努力でこの
原則を貫くことは不可能であるということでございます。とするならば、やはり寛大に二重
国籍を持つ
権利というものを認めていく、これが必要なことではないかと思います。
先ほど
星野先生も、重
国籍というのはそれほど国際社会において、また国内社会において問題になる規定ではないのだということをおっしゃいましたけれども、確かにそうなんですね。例えば
外交保護権ということが言われておりますけれども、二重
国籍者について
外交保護権が問題になるということはないのです。例えば
日本の
国籍とそれからソ連の
国籍を持つ人がいるとします。そしてソ連の国が
日本に住む二重
国籍者に対して
外交保護権を行使する、これは
国際法上自
国民に対する
外交保護権は許されないという
原則が確立しておりますので、
外交保護権について
日本が二重
国籍者についてあらぬところから、
日本国民だと思っていたのにあらぬところから異議が申し立てられて大変困るということは
考えられないわけです。
それから、兵役の義務についても私はそうだと思います。例えば
日本と韓国の二重
国籍者、その人について韓国では兵役の義務があるから、したがって
日本国民に対して兵役の義務が課されてくる、そして強制的に連れられてしまうというようなことが言われておりますけれども、
日本の国にその人が住んでいる限りは、兵役の義務を課されて強制的に
日本から連れられていくということはございません。
日本の国に対して韓国の官憲がそういう強制的な力を及ぼすということは認められないわけです。
しかし、その人が韓国などに自
国民として旅行したとき、そこで強制的に兵役の義務を行っていないということで処罰されることは、それは確かに起こると思います。だけれども、これは
個人の問題だと思うのですね。二重
国籍で
自分は韓国の
国籍を持って兵役の義務を果たしていない。それは
個人が注意をして、
外国に旅行するときにはきちっと
離脱の手続をとるなり、そういう旅行はしないようにする。それについてまで国が
保護的に
考えまして、そういうことがないように、だからこうやって
選択をさせて、そうして
放棄をさせるのだということは必要ないのではないかという気がいたします。
そういう
意味から、やはり
国籍というのは
個人の
権利である、しかも二重
国籍を持つ
権利を非常に望んでいる人もいるのだということを
考えまして、
選択制度というのは削除するのが私としては望ましいと思います。どうしても
選択制度というのは置かないわけにはいかないというのでしたら、せめて
選択については
本人の
意思を
尊重するように、現在のところですと、生まれたときから親が
選択をすることもできることになっておりますけれども、そうではなく、二十歳を過ぎてから
選択をするということにしていく必要があるのではないかと思います。
もう
一つ問題になりますのは、経過措置の問題です。これは特に沖縄と大きな関連がございますけれども、経過措置によりますと、二十歳を過ぎた人たちは簡単な届け出では
日本国籍を
取得できない、二十歳未満の人しかそういう簡易な届け出によって
日本国籍を
取得できないということになっております。
日本に沖縄が復帰する前は、どちらに帰属するかということは沖縄県民の間でも非常にはっきりしなくて、例えば七〇年の調査では、米
国籍を持っていた方がいいという人が三分の一、
日本国籍がよろしいんだという人が三分の一、どっちにするか迷っている人が三分の一というようなことだったのですね。しかし、七二年に返還が行われましてから、
日本への帰属
意識が非常に強まりまして、多くの人たちが
日本国籍を
取得したいと希望するようになりました。そして多くの人たちが、
帰化という手続しか現在のところでは認められておりませんので、
帰化という手続でできるだけ
日本の
国籍を
取得しているわけです。にもかかわらず、成人になっても外
国籍のままいる、ないしは無
国籍のままいるという人たちがまだまだ大勢おります。そういう人たちは、むしろ成人になってからの方が
帰化がしにくいというのが
現状なんですね。
そういう人たちに対して、今度の
国籍法改正によって経過措置ということをとりまして、すべて
日本国民の母から生まれた
子供であれば届け出だけで
日本国籍が
取得できる、こういう道を開いておくことがぜひ必要なことだと思います。これは法理論的に申しましても、
日本国憲法制定のときから、法のもとの平等、男女平等ということは
原則として確立しているわけですね。にもかかわらず、
国籍法の
改正が今まで見送られてしまったということから、沖縄の無
国籍だとか外
国籍の問題というのは起こっているわけです。
かつて佐藤元首相が沖縄にいらっしゃったときに、沖縄が返還されない限り
日本の戦後は終わらないということをおっしゃっているのですね。しかし、沖縄が返還されても、
国籍の問題は解決していないわけです。ここで
日本は、
日本国憲法施行のときに遡及効を及ぼして、そしてすべての
日本国籍を
取得したいと望んでいる
日本国民から生まれた
子供に対して、経過措置で届け出だけで
日本国籍を
取得する道を開くことが、人々の
国籍を有する
権利を保障するためにぜひ必要だと思います。
最後になりますけれども、
戸籍制度は
身分登録制度として純化させていく、これが必要だということを最初に申しましたけれども、これはどういうことかといいますと、
日本国籍の
選択宣言をいたしますと、この
選択をしたこと、それからさらに、いずれの
国籍を有するかということを
戸籍に書くということになっているのですね。こうなりますと、これはまさに
戸籍の中にその人が二重
国籍であるということを明確に記入をすることになります。それまでは
一般の
日本国民と同じように何もそういう記載がなかったのに、
選択をするとこういうことが書かれるというのは大変矛盾したものではないかと思います。
しかも、未解放部落の人々に対する差別なんというのも、すべて
戸籍を基準にして行われているわけですね。二重
国籍者はやはり
日本の国ではマイノリティーとしてこれからいろいろな差別が行われる。これは
日本国民の
意識の問題として変えていかなければいけないと思います。だけれども、こういうことを
戸籍に記入をすることによって、そういうマイノリティーに対する差別、これに国が手をかすこと、これは大変おかしなことだと思います。そういう
意味で、
選択をして、そしてどの国の
国籍を持っているのかというようなことは
戸籍に書く必要はない、
戸籍はしかるべく
身分登録制度として純化させていく、そういう
方向に持っていくのが必要なことではないかと思います。
このように
二つの観点からお話をしてまいりましたけれども、一九八四年に
国籍法が
改正をされる、これはむしろ二十一世紀をにらんだ
改正であってほしいと思うのですね。そして、国の
法律の
立法のときには
国民のコンセンサスということがよく言われるのです。だけれども、やはり
法律というものは、
国民のコンセンサスをもとにしてつくらなきゃいけないと同時に、
国民のコンセンサスというものをあるべき
方向に先導していく役割も果たしていただきたいという気がするのですね。それが
法律の役割ではないかと思います。
そういうことを
考えますと、二重
国籍を持つ
権利、それから
戸籍制度というものを
身分登録制度として純化していく、そういう観点も踏まえての今回の
国籍法の
改正であってほしいというのが、私の
考え方でございます。
では、これで終わります。