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佐藤(誼)
委員 あなたは、異質だ、違う、区別するというこの点だけを強調しておりますけれ
ども、実態は、あなたが
答弁されたことに沿っていっても、鹿児島県で実際行っている標準学力テストの実態からいっても、業者テストと非常に共通点と類似性を持っているし、弊害という点からすれば、この標準学力テストについても十分留意をしなければならぬという、この点は常識的に出てくる線ではないか。まあ、あなたが抗弁されれば別ですよ。そのことに固執されて抗弁されれば別です。しかし、私はそれ以上追及いたしません、これは議事録としても残るでしょうから。
そこで、問題は、業者テストの持つ
教育的弊害は何かということを考えなければならぬのではないか。業者テストが悪い悪いという、あるいは何とかそれについて扱いを適正なものにしなければならぬということは、
教育的弊害があるという観点だと思うのです。そこで、業者テストの持つ
教育的弊害は何かというと、端的には次の
二つだと私は思う、それはたくさんありますけれ
ども。ペーパーテストとそれによる偏差値で児童生徒を序列化することだと思う。簡単に言うと、一点刻みでずっと点数を出している。これが、よく言われる知育偏重の
教育を助長したり、ペーパーテストによる序列、すなわちそれが全人格的な序列に転化していくといいましょうか、そういう問題を提起するという、極めて非
教育的なものにつながっていくという点で、この序列化を主なるねらいとして材料を提供しようとする業者テストが問題になるのだ、こういうことだと思うのですよ。それから、もう
一つの問題は、偏差値によって序列化したデータを進学の振り分けのために利用する、これは表裏の問題、表裏一体の問題でありますけれ
ども。あえて私は
指摘するならば、この二点だと思うのですよ。こういう点から業者テストは問題がある、こういうふうに言っているんだと思うのです。
この業者テストに対しては、
昭和五十一年の八月
文部省の職業
教育課、
昭和五十一年九月
文部省初中
局長の通達、
昭和五十八年十二月今度は事務次官の通達ということで、
学校における適切な進路指導ということで業者テストの行き過ぎを戒めているわけですね。戒めている根拠になっているのは、今申し上げたような点を
教育的に問題だということで指導しているし、また、業者テストが問題だと言われる点はその辺にあると私は思うのです。
そこで、確かに、このような弊害は、今私は序列化と振り分けのための指導という二点を述べましたけれ
ども、これが業者テストに代表的にあらわれていることは御案内のとおりです。しかし、それはそのことだけに限定されたものではないと思うのですね。確かに、業者テストに今のような点は集中しますけれ
ども、これは例えば
学校のテストにだってあるわけだ。
学校外の、例えば業者テスト以外のいろいろなテストもありますから、もちろん塾のテストでもあります。予備校のテストはいわんや。つまり、そういう業者テストに見られるところの偏差値の序列化、振り分けのための資料というのは、業者テストだけにあるのではなくて、今申し上げたようなテストにはずっと普遍しているわけです。
それから、もう
一つの問題は、業者テストというと進学のことを考えますね。三年とか進学の学年、確かにその学年に集中します。しかし、それはその学年だけに固有の問題じゃないですよね。もう、入ったときから、一年、二年から、三年の進学を考える。次の
学校に、つまり、中
学校から高等
学校に行けば、次に
大学のことを考える。そういう
意味では、御承知のとおり過熱した受験競争の中で、すべての
学校が予備校化し、日常的に今の序列化のためのテスト
教育が行われ、それがあらゆる面に波及していって、そして塾産業を生み、多くの偏差値万能、落ちこぼれという問題まで波及しているわけです。
だから、私が言いたいのは、この業者テストに見られる
教育的弊害というのは、確かに業者テスト、しかも進学という年に集中的にあらわれるけれ
ども、ここに固有の問題ではないということです。確かに、ここにあらわれるから弊害を除去しなければならぬというけれ
ども、今申し上げたように、
教育のすべてと言っては語弊がありますが、主要なテストには共通している問題である。三年だけでなくて、もう
学校に入ったときからそういう問題になっている、こういうとらえ方をしてこの問題を考えなければならぬのではないかと私は思うのです。そうしないと、専ら異質論だ、区分け論だということで、業者テストだとか三年生だとかここを幾らいじってみたって、今持っている問題点、つまり偏差値による序列化のいろいろな問題点、振り分けのための資料、輪切り、こういう問題の核心に触れるものが出てこないと思うのです。だから私はこの問題を取り上げているのです。そういうとらえ方をぜひしてもらいたいなと私は思うわけです。
そこで、今のような観点で見たときに、鹿児島県で実施している標準学力テストは、今申し上げたような業者テストに類似した弊害を持っていると私は思う。ちょっとくどいようですけれ
ども、業者テストの弊害といえば、つまり偏差値による序列化、そのデータによる進学等の振り分け。こういう点に集中的にあらわれる業者テストに見られる弊害というのは、鹿児島県の場合にもこれに類似する点があるのではないか。それは、先ほど言いましたように、民間業者に依存して実施している、あるいは
個人、
学級、学年にあらゆる側面から得点、偏差値でずっと序列化している。むしろ業者テスト以上に偏差値でもって全国レベルで詳細にわたって序列化している。これはデータを見れば明らかです。しかも、そのデータは
個人や
学級、学年の比較競争に現に利用されている。あなたがもう一度鹿児島へ入って実態を調べてもらいたいと私は思う。
それから、もう
一つは、テストの目的が
入試とのかかわりで明示されている。これは先ほど言った高尾野の中に明確にありますね。そして、実際は進路指導に利用されている点などを見れば、非常にくどく申し上げましたけれ
ども、偏差値による序列化、しかもあらゆる学年から進学指導が行われている実態に印すれば、当然、これは進学のためのデータとして、あるいは振り分けのためのものとして、輪切りのためのものとして、ストレートではないけれ
ども、そういうベースをずっとつくっているという点では、全然問題がないとは言い切れないと思うのです。そういう点でこの問題を重視して見なければならぬのじゃないか。このことから見て、業者テストに際立っている偏差値による子供の序列化、そのデータによる振り分け、輪切り指導に、あなた方が異質だ、別だと言うところの標準学力テストも相通ずるものがあるというふうにとらえるのが至当だと私は思うのです。
御承知のとおり、特に今日、偏差値万能の偏差値
教育が問題にされ、しかも偏差値より人柄、
入試事項の緩和などが
教育改革の中心として叫ばれているときに、もう一度繰り返すようですけれ
ども、この標準学力テストは全国レベルで偏差値による序列化を行うものであり、これは今求めている
教育改革の方向に逆行するものではないか、改革の方向に進めようとするものとは少なくとも方向が違う。さらに、これは、
文部省が出した偏差値重視の進路指導の是正、このことにも方向としては沿わないのではないか、私はそう思うのです。これは業者テストとは別だ、異質だというだけでとらえて、そこでちょん切って終わりの問題ではないだろうと思う。今
教育改革を進めようとするときに、今のような掘り下げ方の中で、業者テストも問題にするが、この標準学力テストについてやはり問題にする必要があるのではないか。特に、それが
教育行政当局、つまり公的な力、県教委、地教委が画一的にしかも強制的に進めている点は特に問題があると私は思います。しかも、あえて言うならば、このような標準学力テストは業者テストとは異なる、異質であるというそのことを、
調査不十分のまま事実に基づかないで強調し、それを容認しようとする
文部省の態度に私は納得ができない。しかも、このような問題の多いテストの実施を教職員の意に反して強制し、
職務命令を出すということは、極めて問題があり、不当不法な内容を含んでいるんではないかというふうにも考える、やり方として。
そこで、私は、この辺で
文部大臣に、鹿児島県で実施しているこの標準学力テストが、我々が今問題にしている業者テストの弊害、この点とのかかわりで問題がないのか、それから、今私たちが臨教審法案などを議論しながら、
国民の期待にこたえてこの
教育的弊害を改革していかなきゃならぬ方向にこれがマッチしているものがあるのかどうか、これにプラスしていくものであるのかどうか、この辺の
基本的見解について、
文部大臣の所見を聞いておきたいと思う。