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1984-04-11 第101回国会 衆議院 文教委員会 第6号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十九年四月十一日(水曜日)     午前十時三十分開議 出席委員   委員長 愛野興一郎君    理事 石橋 一弥君 理事 大塚 雄司君    理事 白川 勝彦君 理事 船田  元君    理事 佐藤  誼君 理事 馬場  昇君    理事 有島 重武君 理事 中野 寛成君       青木 正久君    稻葉  修君       臼井日出男君    榎本 和平君       河野 洋平君    坂田 道太君       二階 俊博君    葉梨 信行君       町村 信孝君    渡辺 栄一君       木島喜兵衛君    佐藤 徳雄君       田中 克彦君    中西 績介君       池田 克也君    伏屋 修治君       滝沢 幸助君    藤木 洋子君       山原健二郎君    江田 五月君  出席国務大臣        文 部 大 臣  森  喜朗君  出席政府委員        文部政務次官   中村  靖君        文部大臣官房長  西崎 清久君        文部大臣官房審        議官       齊藤 尚夫君        文部省初等中等        教育局長     高石 邦男君        文部省大学局長  宮地 貫一君        文部省学術国際        局長       大崎  仁君        文部省社会教育        局長       宮野 禮一君        文部省体育局長  古村 澄一君        文部省管理局長  阿部 充夫君        文化次長     加戸 守行君  委員外出席者        警察庁刑事局保        安部少年課長   山田 晋作君        外務大臣官房審        議官       遠藤 哲也君        外務省アジア局        北東アジア課長  高島 有終君        大蔵省主計局主        計官       米澤 潤一君        厚生省児童家庭        局母子福祉課長  佐野 利昭君        厚生省援護局業        務第一課長    森山喜久雄君        通商産業省生活        産業局文化用品        課長       山浦 紘一君        文教委員会調査        室長       中嶋 米夫君     ————————————— 委員の異動 四月六日  辞任         補欠選任   臼井日出男君     平泉  渉君   北川 正恭君     山中 貞則君 同日  辞任         補欠選任   平泉  渉君     臼井日出男君   山中 貞則君     北川 正恭君     ————————————— 四月六日  身体障害児者に対する学校教育改善に関する請  願(上野建一者紹介)(第二一六一号)  同(武部文紹介)(第二一六二号)  私学助成大幅増額に関する請願池田行彦君  紹介)(第二二三八号) 同月九日  私学助成増額等に関する請願外十一件(中西  績介紹介)(第二三五八号)  高校増設費国庫補助増額等に関する請願(山  本政弘君紹介)(第二三五九号) 同月十一日  私学助成等に関する請願中島武敏紹介)(  第二四四二号)  高校増設費国庫補助増額等に関する請願(岡  崎万寿秀紹介)(第二四四三号)  同(中島武敏紹介)(第二四四四号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  昭和四十四年度以後における私立学校教職員共  済組合からの年金の額の改定に関する法律等の  一部を改正する法律案内閣提出第五九号)  文教行政基本施策に関する件      ————◇—————
  2. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。江田五月君。
  3. 江田五月

    江田委員 おはようございます。  入学式も終わって新学期になりまして、大分所信に対する質疑を待たされましたが、やっと私も衆議院で新入生になったようなつもりで、フレッシュマンのつもりでお伺いをしますので、ひとつよろしくお願いします。  森文部大臣のいろいろな言動を興味を持って注意深く見たり聞いたりきせていただいているのですが、せんだって臨教審の法案が提出されたときのマスコミのインタビューで、たしかNHKだったと思うのですが、なかなかおもしろい、すばらしいことを言われている。初めて言うんだがという前置きで、ひとつ教育について国民から論文を募集してみたらということをおっしゃっていましたね。私は非常におもしろいアイデアと思ったのですが、ひょっとして文部大臣のお考えが、私がおもしろいと思っていることと違っていると困りますので、どういうようなお気持ち意図でああいうことをおっしゃったのか、御説明願います。
  4. 森喜朗

    森国務大臣 江田さんの御質問大分遅くなりまして、秋の責任でもないのですが、おわびを申し上げるわけであります。私も同じように初めての体験でありますので、私もフレッシュに、一生懸命に頑張って日本教育のために努力をしたいと思っておりますので、江田先生の御指導をまた心からお願いを申し上げる次第です。  今お尋ねのことでございますが、新しい臨時教育審議会設置法案国会お願いをいたしたわけでございますが、私が大臣に就任いたしまして、そして教育改革の問題を御提言を申し上げる。本当に毎日のようにお手紙が来るんです。大体平均一日十通ぐらいお手紙が来ます。全然私の存じ上げていない方からです。なかなか全部読み切れませんが、できるだけ目を通しておるんですけれども、教育問題に対して国民皆さん関心が非常に広いなということをうかがえる一幕でもあるわけです。  そこで、これから教育改革を、総理も私も申し上げておるように、できるだけ国民のすそ野の広い議論をと、国民の多くの皆さん参加してもうえるようなそういう機会は、また新しい審議機関皆さんでお考えをいただくことになるだろうと思いますが、一つ方法として、たまたまお手紙をたくさんいただいて、書く人にはってはもう二十枚も三十枚も便せんに書いてあるのもあるわけですから、何か国民的に多くの関心がありますだけに、そういう教育に関するお考え方を広くお呼びかけをして求めるという方法一つ方法ではないかな。たまたまNHKの記者の方が、どんな方法がございますかということでございましたので、幾つかのその場で考えたことの一つとしてそういうふうに申し上げたわけでございます。
  5. 江田五月

    江田委員 まさにそのとおりだと思うのです。今この教育というのは、本当にもう一億総教育評論家なんて言われる。これはある意味でやゆした言葉ではあるけれども、同時にやはりそれだけ国民関心が深い。国民皆、子を持つ親であったり、あるいは子供立場というものもあるでしょう。と同時に、これから先の日本が一体どうなっていくのか、世界がどうなっていくのか、みんなに関心があることで、みんなそれぞれにいろいろな思いを持っている、悩みを持っている、希望を持っている。ですから、ひとつ広く議論を大いに沸き起こしてほしいと思うのですが、その中で文部大臣文教行政に関してはベテラン中のベテランでいらっしゃいますけれども、私なぞは文教というのは全くの素人で、しかし今、国民みんなが関心を持っているみんなの課題であるということを考えるなら、もちろんそういう教育の専門の皆さん発言は大切ですが、いわゆる素人、しかし本当は素人じゃないかもしれませんよ。いろいろなところでそれぞれ、子供をどう育てるかというのは親が一番関心がある、一番重大に思っている、一番利害関係を持っている、そういう意味でいわゆる素人が、ピントが外れていようが当たっていようが、さまざまなそういう大きな論議の渦を起こしていただきたい。私などピント外れ発言も、ひとつそれなりに大いに参考にしていただきたい。この全員参加教育改革新聞も、ある新聞を見ますと、教育をめぐり百家争鳴なんていうことで、いろいろな投書をいっぱい集めておるということですので、全員参加教育改革を目指していただきたいと思うのですが、いかがですか。
  6. 森喜朗

    森国務大臣 教育成果といいますか、これはなかなか予測しがたいものもございますし、今日までも日本国民、そしてまた行政政治、各種あらゆる分野の皆さんが、敗戦の中から今日の日本の興隆を皆目指して大変さまざまな努力をされたわけであります。やはりその基本的な大きなバックボーンというのは教育にあっただろうと思っておりますが、そういう意味でこれから特に、江田さんもそうですし、私たち世代は、それこそ二十一世紀の中盤ぐらいまでのそういう日本の将来に対して責任がある政治家立場でございます。  そういう中で日本教育はどうあるべきなのか。そういう意味で、多くの国民皆さん意見をいただきながら、間違いのない日本の将来をきちっと定めておくということがとても大事なことだと考えておりまして、そういう意味で、私も多くの皆さんの声に謙虚に耳を傾けながら過ちのないような日本教育行政を担当していきたい、こう思っているわけでございます。
  7. 江田五月

    江田委員 今文部大臣のお言葉の中に出てまいりましたけれども、戦後の教育ですね。大臣昭和十二年生まれとたしか伺っておりますか、そうすると終戦時が小学校の二年生ですか、ある意味では戦後の大変混乱した時期に教育のスタートを受けられた。私は昭和十六年生まれ、大体同世代ですが、小学校へ入ったのが昭和二十三年。大臣の場合は、恐らく墨で消された教科書をお使いになった。私の場合にはそれよりちょっと後です。しかし学校運動場は、かわらのかけらなどがごろごろしている。学校の隅の方は、戦争中に空襲で亡くなった皆さんを積み上げて焼いたような場所がある。骨こそ出てこないようになっていますけれども、ある意味ではそういう劣悪な教育環境教育の内容も、私、たしか小学校二年のときに、国という字が国構えに或という字を習って、今度三年のときに今の国という字を習って、一円二円の円という字も途中で変わった。そういう時期に教育を受けて、騒然たる教育環境であり、不十分な教育設備、しかし、何かあの当時の教育に私は自分教育原点を持っているんですが、文部大臣教育原点というのは一体どの辺におありなのか。
  8. 森喜朗

    森国務大臣 私も初めて大臣として国会で答弁いたしましたのは、参議院決算委員会だったんですが、そのときに参議院社会党の先生から、大臣は戦後の教育を受けた初めての大臣だから、戦後教育がよかったか、戦前の教育がよかったか、どちらかという質問をいただきまして非常に困ったのですが、やはり教育というのはゼロ歳から生涯にわたるものだということ、私は内分の体験上そう確信をしているわけです。  戦後のさまざまな変化はございましたけれども、今江田さんがおっしゃったように、私たち小学校から中学に至る過程というのは、教育に非常に大きく動かされたわけでございます。しかし、その割には、自分で言うのはおかしいのですが、我々の世代はみんなそれなりにしっかりしていたと思うんですね。それは、やはり小学校に入る幼児教育というのが一つの基盤だったんじゃないかな、確かにそのころは戦争志向の、まさに戦争の激化の中での子供時代でございましたけれども、それなりに物事に対する判断力というのはきちっとついておったような気がいたしております。そういう意味で、いたずらに昔はいいとか今は悪いとか、今がいい、背がいいということではなくて、いいことと悪いことをしっかりと見きわめて、そしてそういう体験を通じながら人間生涯を全うしていきたい、そんなふうに思っているわけでございます。
  9. 江田五月

    江田委員 私は、教育原点は、私自身にとってはやはり情熱であり、悩みであり、模索であり、何かをやっていこうという触れ合いだという気がするんですね。それは小学校校庭石ころだらけだったけれども、僕らは石ころを片づけながら自分たち校庭をつくった。僕らのちょっと先輩は、新しくできた中学校自分たちでつくったわけですね。勉強の中身についても、先生方も、社会科なんというのが新しくできて、どう教えていいかわからない。しかし、その中で何か子供たち一緒にやっていこうと……。地域学校との結びつきも随分あって、運動会学芸会なんていうと、それが地域の共通の楽しみの場所で、弁当を持ってござの上に座って、一日子供の下手な演芸を楽しんだなんていうのが、できのよさ悪さじゃなくて、そういう一つ触れ合い教育原点じゃないかという気がするのです。これは大臣も同じだと思うのですが、さて、そういう教育が今何かおかしな方向に行っている。それで教育改革。  ところで、大臣は就任のときに、この教育改革については臨調方式でやることを総理に進言するつもりだ、そういうようなことをおっしゃいましたが、これはどういう意味ですか。簡単で結構ですからお答えください。
  10. 森喜朗

    森国務大臣 臨調方式という言葉がどうもひとり歩きをして、行政改革と同じように受けとめられているということについては、いささか言葉足りずであったなと思って反省をしておるわけですが、要は教育は、文部省行政はもちろん中心でありますが、いろんな各行政の部局に関係のあることが非常に多くなってきている、それから長期的なものとして取り組んでいかなきゃならぬ、そういうことも考えまして、政府全体としてこの問題に取り組んでいくべきだ、私はこういう意味のことを申し上げたかったからでございます。
  11. 江田五月

    江田委員 それならいいのですが、しかし、どうも気になる言葉が時にあったですね。今私がここに持っているのは、「内外教育」という雑誌のインタビュー大臣が、「もし教育改革をするということになれば、相当なところから抵抗が出てくると思う。教育臨調——それくらいの構えがないと」、こうおっしゃっている。抵抗を排除して、何かのものを目指してがむしゃらに、切って切って切りまくって教育改革をやる、そういうようなニュアンスに聞こうと思えば聞こえるんですが、そういうことなんですか。それとも、何かちょっと言葉足らずで、意図は別だということなんですか、どうなんですか。
  12. 森喜朗

    森国務大臣 それぞれの教育の任に当たっている方々は、自分たちの持っておられることに手を入れられることはやはり嫌なものだと思うのです。例えば四十六年答申がございましたいわゆる先導的試行という、今から見ればみんなが検討しなきゃならぬという立場になりますが、あの当時は国民が大変大きな議論を沸かせたわけでありますが、その当時、幼保の問題が出ると、あるいは就学年齢のことが出てきますと、何となく幼稚園が侵されるのではないか、あるいは学制の年限の話が出ると小学校長会が何となく異論を唱えるというふうに、やはり自分たちが抱えておりますところに手をかけられるということに対しては、どうしても抵抗するということがございまして、抵抗を排除しようという言葉はちょっと私も反省しなきゃなりませんが、まだ大臣になったばかりで、ちょっと言葉の選び方がまずかったんだと思います。先ほどから申し上げましたように、やはり政府全体として取り組んでいかなければならぬ、そういうような意味で私は申し上げたわけでございまして、まあ反対する者を押しのけてがむしゃらにやっていく、そういう意味ではないわけでございます。
  13. 江田五月

    江田委員 それを聞いて安心したんですが、中曽根さんも恐らくそういう抵抗を排除してということじゃないんだろう、文部大臣も、広く国民意見を聞きながら、国民的な大きな議論の中で方向を探っていくということなんで、ぜひそうしていただきたい。いろいろ雑音があるけれども、そういうものには耳をかさずにじゃなくて、あるいはまた、あらかじめ何か——これは聞いておかなきゃいけないんですが、あらかじめこういう教育方向にもう向けていくんだということを設定されて、それに向けていろんな段取りだけをつくっていく、そういう教育改革じゃないわけでしょう。みんなの意見をこれから闘わせて、一つ方向をみんなで探ろうということなんでしょう、これは確認ですが。
  14. 森喜朗

    森国務大臣 何度か申し上げてまいりましたが、基本的には今まで日本教育というものは大きな成果を見ているんです。量的にも質的にも充実をいたしておりますし、世界の国々から比較いたしましても、日本教育はまさに注目を集めている、こう申し上げてもいいぐらい充実をしていると思います。  ただ、いかなる制度もこれで完全だとは言い切れない。これからはやはり二十一世紀を志向する。日本の国の中にも、例えば高齢化社会高学歴化社会、あるいは情報化社会、あるいはコンピューター時代、いろんなことが考えられる。そういう時代に対応して、今のこの制度だけがすべて真っ当で進んでいくとは私には考えられない。現に、先ほど申し上げたように量的にも質的にもかなり効果が出ているのに、現実の問題としては、先ほど江田さんのお話もございましたように、何か今の日本教育に対して物足りなさをみんなが感じている。それは一体何なのか。それは結局、国民の物の考え方社会が対応していけなくなってきている。そういう意味で、もう少し柔軟に、あるいはまたもう少し多様化した考え方、あるいは教育を受ける立場のニーズに対してもう少し柔軟な教育体制はできないものだろうか。全体として、今の教育を踏まえながら、新しい二十一世紀を担う子供たちに対して、また国際社会の中で生きていく日本として、どのような教育があるべき姿なんだろうか、こういうことをそれぞれのお立場皆さんで広く御協議をいただきたい、こういうことが基本的な私どもの構えでございます。
  15. 江田五月

    江田委員 先ほど大臣、もう毎日のように手紙をいただく、いろんな意見があるとおっしゃいました。私は、いろんな意見だけでなくて、日本教育全体として大きな問題を抱えているけれども、しかし、それぞれ地方地方で、現場現場で、実はいろんな工夫がやはりあるんだと思うんですね。日本教育は悪いばかりじゃない、みんな一生懸命やっている。先生方も一生懸命、PTAも親御さんたちも一生懸命、地域の人も一生懸命のところがあって、そういうかなりの成果を上げているところは至るところにゃはりあるんだと思う。そういう現場に学ぶという姿勢がこれから必要なんじゃないかと思うんですね。  一つ、今私のすぐ身近なところにある、これはおもしろいな、大臣にぜひこういうのを知ってもらいたいなと思う例を、これは別に私が申し上げる例が全国でただ一つすぐれているという意味じゃなくて、一つの例として申し上げてみたいんです。  実は私の住んでおりますところ、岡山市に旭操小学校という学校がありまして、その学区は人口がおよそ七千人ぐらいのところなんですが、ここでお年寄り皆さんあいさつ運動子供たちに「おはよう」、「こんにちは」とあいさつをする運動をやろうとやり出したら子供たちが返事しないというんですね。なぜだろう。お年寄りを知らない、知らない人から声をかけられてうっかり返事したら誘拐でもされるなんという時代ですからね。そこで、お互いに知り合おうじゃないか。学校の方も、それはなかなかおもしろい、地域学校結びつきをひとつ考えていこう。それで、六十五歳以上のお年寄りに「ふれあい会」の会員になってください。これが八十何人か会員ができまして、いろいろな催し物に参加をしていただく。遠足に一緒に行く、あるいは学習発表会運動会へお招きをする、七夕、もちつき、お年寄り皆さんに昔のおもちゃをつくってもらう、子供たちがそのお返しで肩をたたいてあげる、そういうことをやっていまして、それでこういう文集ができたのですね。後で学校の方から文部大臣に贈呈をさすようにちょっと言おうかと思いますが、この中で、おもしろいですよ。  あるおばあさんの書いていることですが、「今まで六回出席させていただき、遠く離れた孫達のことを想像して楽しい一時一時を過ごさしていただきました。有難うございました。七月六日、三・四年生を対象に七夕祭り、昔の遊び等で過ごした時の思い出について書いてみます。」ずっとこうやっていまして、お手玉、「「わあ、おばあちゃんすごい。」と、おほめに預りすっかり六十年位昔に帰った様で私の方が嬉しくなりました。」そして七夕、「その日、女のお子さんが「おばあちゃん方に犬がいる。」「おらんのよ。」」岡山弁ですがね。「「ねこは。」「おらんのよ。」「何にもおらんの。」「お庭に鯉がいるよ。」というと、「ほんとう。見にいっていい。」「来て頂戴。でもお家の人に言ってからくるのよ。」」そうやって、しばらくして子供たち遊びに来た。池のコイにえさを上げて、「「食べた。食べた。」「大きいのがいろんなあ。」」こうやって子供たちと遊んで、子供たちがお茶を飲んで帰っていった。何となくほのぼのするのじゃないですか。それから、三年生の男の子ですが、  きょう、七夕まつりがありました。学区にすんでいる、おじいさんおばあさんといっしょにやりました。  ぼくたちは、おじいさんとやりました。おじいさんは、やさしく教えてくれました。ぼくたちは、紙でっぽうを教えてもらいました。作っているとちゅう、手を切ってしまいました。おじいさんは、「つばをつけてごらん。」と言いました。ぼくは、つけてみました。つけるとあんまりいたくありません。おじいさんは、やさしいと思いました。けがしてつばをつけると、つば化膿防止効果か何かあるらしい。そんな研究発表もあるようですが、そんなようなことで地域とお年寄りとが結びついていく、学校とお年寄りが結びつく、子供たちがお年寄りの友達を何人つくったなんて競争を始める、お年寄り一つの生きがいを見つけていく。今大臣高齢化社会を迎えたと。こういうすばらしい現場の実践というのがあるんだ、これをずっとたずねていこうじゃないか、そんなお気持ちになられないでしょうか、どうでしょうか。
  16. 森喜朗

    森国務大臣 今の江田さんの地元の旭操小学校お話、大変興味深く伺いました。  私は、戦後の教育の中で、地方のそれぞれの教育委員会教育のいろいろな意味での権限をお任せをしてある、それは学校教育が多様的になっていくという意味で非常にいいことだと思うのです。ですから、その地域地域の実情に合った教育年教育委員会あるいは学校長教職員皆さん、そして児童生徒、みんなが一緒になって自分たち学校を盛り上げていく、そして教育効果をよくあらしめていく、これは私は戦後の教育の一番いいところだ、そういうように思います。  したがって、今日本子供たちは、僕たち考えてみてかわいそうだなと思うのは、やはりお父さん、お母さんは忙しい。どうも日本のこの現代社会というのは、それぞれ独立して核家族になっていくことが何となく文化生活のように一時的に思っていた時代があった。おじいちゃん、おばあちゃんのいないところにお嫁に行くというのは、何か若い人たち希望みたいであった。しかし最近では、おじいちゃん、おばあちゃんがいてくれた方がいいなという考え方にだんだん若い人たちも少しまた変わってきたような感じもするわけであります。特に幼児教育などというのは、長い人生の経験をしてこられたお年寄りの方から自然な形で教えられる知恵というのが、我々の昔を振り返ってみても、父母に教えられたことよりも祖父母に教えられたことの方が非常に印象に残っているわけであります。そういう意味で、こうした旭操小学校のような、地域全体がお年寄りを理解して、おじいちゃん、おばあちゃんも、どちらかといえば戦後何となく子供たちにそっけなくされておったけれども、こういう学校を通していろいろ多くの、みんな我が孫のように触れ合うことができるというのは私は大変すばらしい教育のあり方だろうと思います。  私自身自分の生まれ出た小学校を見てみましても、やはりおばあちゃんおじいちゃんを入れた運動会をやりましたり、いろいろそれぞれの工夫をしているようでございますし、孫とお年寄り運動会なんというのは私の選挙区でもよくやっておりますが、見ておりましても、非常にほほ笑ましくていいなというような感じがいたします。そうすると、町の中を歩いておりましても、親を全然知らなくても孫の顔を知っていて、「おい、五月君」なんて言っておじいさんが頭をなでている。みんなが地域社会全体に子供たちをよく導いていこうということになる。そういう意味で大変すばらしいことだと思います。ぜひ江田さんを通じて、学校皆さんにも激励をしてあげていただきたい。こうした考え方でできるだけ地域全体と取り組むということ、いわゆる不良、問題児童というものの対応には、家庭と地域社会学校の連帯というのが一番大事なことでございますので、文部省としてもそういう方向は大変ありがたいと思っておりますし、またできる限りそういうような方向で指導もしていきたいな、こう思うわけでございます。
  17. 江田五月

    江田委員 確かに核家族の動きに対して一つの反省も起こってきている。しかし、これは国が三世代同居をしろとか、おじいさん一緒に住めとか言って号令をかけてそうなるわけでもないし、やはり核家族という大きな趨勢はあるんだと思うのですね。ですから、家庭の中でお年寄りと孫と触れ合わさせるというのは、なかなかそうはいかない。そうすると、やはり地域でそういうコミュニティーづくりにみんなが励む。背はコミュニティーづくりなんて励まなくても、強過ぎるくらいな向こう三軒両隣、隣組とかなんとか、私はその当時は小さいから知りませんけれども、そういうのが強過ぎた。今はなくなってしまって、コミュニティーというのをみんなが意識してつくらなければいけなくなってきている。そういう時代ですのでこうした動きが本当にありがたいと思うのですが、しかし、こういう中で大臣悩みもあるのですよ。  まず、こういう前例が余りどこにでもあるわけじゃないので、それなりに教師も決断をしなければならぬ。ひょっとして教育委員会に怒られるのじゃないかなんということを気にしながら、いや、しかしといって信念を持って決断をする、これは決断をします。ですからよろしい。しかし、カリキュラムが込み過ぎていてなかなかその時間がとれないというような問題、あるいは予算がもうどうにもしょうがない。この旭操小学校の場合には、学校全体の予算から二十万何とかひねり出したんだけれども、それを老人クラブの予算の方から出してもらってどうやら使わずに済んだとかいう話ですが、予算的にも非常に困る。  これは一般的要望で、そういうこともひとつお考えになりながら手当てをしていただきたいと思いますが、特に困るのがお年寄りがけがした場合ですね。あるいはお年寄りですから何かの拍子に事故が起きた場合に、これは一体どうなるのか。例えば学校安全会は子供たちだけということですけれども、そういう学校での教育の場で事故が起きたときに、先生はいろいろ手当がありますけれども、地域皆さんが入ってきて学校での一つの行事をやっているようなときに事故が起きた場合に、学校安全会では無理ですかね。そうでなければボランティア保険とか、そうしたことで何か知恵を絞ってみるという態度が今文部省に必要とされているのじゃないかと思うのですが、いかがですか。
  18. 森喜朗

    森国務大臣 今お話がございましたような行事だけでなくて、学校を中心とした社会教育におきましても、できるだけ参加者の皆さんの健康とか安全に配慮するというのは当然のことだろうと思いますが、今御指摘をいただきましたように、教育行政の中でこうした立場の特別の補償制度、これはやはり教職員そして児童生徒というふうにある程度限られているわけでありますから、それを社会参加皆さんへも及ぼすということ、現実の教育行政の中でそれを組み入れるということは困難だろうと私は思います。詳しいことが必要でございましたら政府委員から答弁をさせますが……。
  19. 江田五月

    江田委員 教育行政という小さな枠じゃなくてもっと広く、だって教育改革なんという内閣全体にわたるようなことをお考えなんですから、教育行政と今の行政のいろんなシステムの中で、こうやったらあそこが問題、ああやったらここが問題なんというちまちましたことじゃなくて、こういうものに対して本当に安んじてそういうことをみんなでやっていただくために、国の方は心配のない体制をつくるよういろいろ勉強してみますと、そのぐらいのお答えがあっていいと思うのですが、どうですか。
  20. 高石邦男

    ○高石政府委員 学校管理下における補償については先ほど大臣が御答弁申し上げたとおりでございますが、例えばスポーツ保険というのがありまして、スポーツ活動を重視している際に、自主的な形での保険の仕組みができ上がっているわけでございます。したがいまして、一般的なボランティア活動だとかそういう面について、スポーツ保険と同じような形での自主的な保険制度ができれば一つの前進かと思うのです。そこまでいくためには、検討していかなきゃならぬ問題がいろいろあろうかと思います。
  21. 江田五月

    江田委員 問題を変えまして、地域の実情に合った教育、それぞれの地域地域での教育実践というのが大切だ、そういうものが教育を生き生きさせるという、そういう認識を大臣がお持ちであることを伺って本当にうれしいんですが、それにしては先般「中野区教育委員会委員の選任に関する事務の改善について」五十九年三月五日付、文部事務次官、東京都中野区長殿という、これは地方自治法に基づく勧告ですか、お出しになった。どうもそれぞれの地域教育実践に対して、文部省が余計なくちばしを差し挟んでいるんじゃないかという気がするんですが、この点はちょっと文部大臣と対立をするかもしれませんけれども、なぜ一体こういうことをおやりになったんですか。
  22. 森喜朗

    森国務大臣 今申し上げたように、それぞれの教育委員会のもとで生き生きとした教育をやるということは大変私は結構なことだと思いますが、やはり日本の国は法治国家ですから、法律の枠の中でやるということが基本的な姿勢じゃないでしょうか。教育行政を進めるに当たっては、教育基本法、学校教育法あるいは地教行法、それぞれの法律があって、その法律の中で柔軟にやっていくということでなかったら、法治主義ということを否定することになるのではないか。そんなことは江田さんが一番よくおわかりになっていると私は思うのであります。そういう意味で、文部省といたしましては、かねてからこの問題については違法であるという見解を表明してきたところでございます。
  23. 江田五月

    江田委員 違法であるか違法でないかというのも、これもいろいろ見解が分かれる場合があるんですね。憲法九条についてもいろいろな解釈がある。やはり見解が分かれる場合に、余りかたくなに考えてしまってもどうも困るので、恐らく文部省は区長の教育委員選任権が阻害されるというお考えなんだと思います。  ところが、これは教育委員の場合じゃありませんけれども、裁判所の判断が、東京の場合ですが、区議会が区長を選任するという制度時代に、投票をしてその投票結果を参考にして区長を選んだ。だから、区長についてだれがいいかという一種のアンケートのような投票を行ってみて、その結果を参考にして区議会が区長を選ぶという、そういう制度を採用したときに、東京高等裁判所もそれから最高裁判所も、そういうような制度は違法でない、こういう判断をしておるんですね、この最高裁、高等裁判所の判断、裁判所の判断というのがやはり法律の判断については最終的な判断だということは、これは法治主義ですね。それならば、その判断を尊重されたらいかがですか。
  24. 森喜朗

    森国務大臣 それは区長を選ぶということに対しての法を皆で定めたんだろうと思いますが、教育委員を選びますのは、教育委員を任命制にするということは法律で決められているわけでございます。したがって、参考にする——当時は尊重するとかいろいろ変化をしたようでありますけれども、やはりこれは区長の権限でありますから、たとえ参考ということでありましても、端的に言えば区民の税金を使って、そしてまあ一応公選のような形で選挙をして、その選ばれた順位を全く無視して選ぶということは区長としては恐らくしにくいはずでございましょう。したがって、区長が教育委員を選ぶという権限はやはりそこに制約を受けるということになるので、それは法に触れる、我々はそう考えているわけであります。
  25. 江田五月

    江田委員 区民の税金を使ってとおっしゃいますけれども、教育改革にお金が一銭もかからぬなんて、大臣も思っていらっしゃらないわけですよね。これで区長の参考のための投票というのは、五十九年度の場合の予算が三千五百万円だそうですね。三千五百万円程度で区の教育に対する区民の参加ができて、みんなが区の教育について関心を持って、すばらしい教育制度ができるならば安いものじゃないですかね。私はこれは違法じゃないと思うのです。違法じゃないところか、むしろすばらしい区民の知恵だと思うのですが、もし違法だとおっしゃるなら、なぜとことん違法だからやめろというふうに文部省は頑張らないんですか。頑張っておられますか。
  26. 高石邦男

    ○高石政府委員 第一回目の準公選の際にも、文部省は東京都を通じてそういう見解で指導してきたわけです。今回も、区の方で条例を議決する前に文部省の見解を明らかにするということで勧告を出してきたわけです。  ただ、法律的にいろいろ区とそれから国が争うということについては直接的なルールがない、裁判にこれを持ち込むというようなルールがないということで、基本的に文部省の姿勢は、この制度は違法であるということで見解を明確にしてきているわけでございます。
  27. 江田五月

    江田委員 前回のとき、区議会が議決をして、区長がそれに対して再議に付して、もう一週区議会が議決をして、そして区長が都知事に対して審査の申し立てをして、都知事がその審査を却下する裁定を下した。  さて、地方自治法にすごい規定がありますね。たとえ住民に選ばれた知事であっても、その知事に対して所管の大臣がある行動をとるように命令して、もしその命令に従わなければ、最終的には知事を罷免させることができるような制度がありますね。なぜそういう制度をおとりにならないんですか。
  28. 高石邦男

    ○高石政府委員 確かに御指摘のように、地方自治法の形態で国の機関委任事務につきましてはそういうルールがあるわけでございます。ただ、今回の教育委員選任の準公選について地教行法の解釈をする立場にある文部省文部大臣、それはその意思を明確にしているという立場でいろいろ行政指導をしてきたわけです。  そこで、地方自治法の規定に基づく機関委任事務と考えて、そういうルートでそれが処置できるかどうかという問題が残るわけでございます。この問題は、地方自治法の解釈については自治省が有権的な解釈をするわけで、自治省にもいろいろ問い合わせをしておりますけれども、自治省の見解はこれについてまだ検討していかなければならないということで、それが機関委任事務になるという判断を明確にしていないという段階でございます。
  29. 江田五月

    江田委員 かなり言いわけでして、三年前ですか、この問題が起きたときに、都知事の裁定の権限が国の機関としての権限であるかどうかというような検討はされてないんじゃないですか。そこまで、職務執行命令、地方自治法百四十六条ですか、までやらなければというようなことまではお考えになっていなかったんじゃないですか。そうじゃなくて、見解は違うけれども、しかし、しばらく情勢の推移、様子を見ていこう。行政指導という形で、指導に従わなくてもそれはそれで、地方でやっていることだから、別に違法だという見解を変えるというところまではいかなくても、様子を見るのもまた結構じゃないかという程度の気持ちじゃなかったのですか。どうなんですか。
  30. 高石邦男

    ○高石政府委員 第一回目のときに、御指摘のように、ぎりぎりいっぱい争って最終的には区長の罷免権までいくような決心でやるかどうかと、そこまでの詰めた議論を徹底してやられなかったという点は御指摘のとおりだと思うのです。  ただ、第二回目の中野区の投票をやるという状態が実は全国的に、関西においてもそういう動きが出てきたということで、これは中野区だけではなくして、かなり全国的な問題として波及するという状況を憂慮しているわけでございます。したがいまして、そういう段階になれば、なお一層これに対して強い対応をしていかなければならない。先ほど先生御指摘の三千五百万という話がありましたが、これを全部の市町村三千に掛けて、ないしは都道府県までそれをやると一千億ぐらいの金がかかるわけですね。だから、そういうような形でやるのが、本当に準公選にそれだけの金を投資する値打ちがあるのかという議論もあろうかと思うのです。
  31. 江田五月

    江田委員 時間がありませんから、もっともっと本当は突っ込みたいのですが……。  私がびっくりしたのは、「自由新報」五十九年二月二十八日号がありまして、「教育の中立性守れ」、これは自民党ですが、「二月八日開催の都連・区議運協は、中野区の教育委員準公選制度撤廃めざし、戦い抜く決議を全会一致で採択した。」非常に勇ましい。私は、教育政治的中立それ自体がどういうものであるかは別にして、政治によって左右されちゃならぬと思うのですが、こうやって自民党が都と区と、都連・区議運協というのはよく知りませんが、都連の中の区議運協という機関という意味ですかね、そういうところで決議をして、その決議に影響されて文部省がああいう勧告を出したんじゃないか。これはもう時間的な推移を見ても、まことにぴったりなんです。それで政治的中立てすか。
  32. 高石邦男

    ○高石政府委員 自民党の東京都連の決議とは全く関係ないことでございます。暮れからいろいろこの問題についてどう対応していくかというのを検討していって、区の方に予算の条例が出されるというタイミングをとらえて勧告をしたわけでございまして、全く関係ございません。
  33. 江田五月

    江田委員 どうせそうお答えでしょうから、それはしょうがないですけれども、しかし、私たちは、普通に考えれば、中野区の皆さんは者やはり非常な不快感を持っていますよ。しかも中野区で準公選ということによって、随分教育についての区民の関心も高まってきた。準公選はよかったというのが、今、中野区だけじゃなくて、ある程度教育について心配をしている持さんのこれはもう一致した見方じゃないか。法律的に仮に疑問があるなら、それはそう法律を変えればいいじゃないですか、そういうことができるように。やはり国会というところは法律を変えることもできるわけですから。みんなが教育について関心を持つ。教育委員会議論もみんながそこで傍聴できるような議論をやってきた。しかもみんなが傍聴できるようにわざわざ夜やるとか、あるいは委員会もかなり頻繁に開いていくとか。大体普通だったら、だれが教育委員か知らないですよ。ああやって投票ということによって、教育委員がだれであるかということがみんなにわかっていく。この人に言えば教育について何かが発言できる、何か自分の言いたいことが言える。文部大臣のところへ投書が来るからいいじゃないかと言うけれども、そうはいかないんで、やはり自分のすぐ地元の教育委員のところにいろいろなことを言っていく。そういう教育についての、妙な教育の過熱はいけませんけれども、関心を持っていく制度、これに水をかけるようなやり方というのは森文部大臣らしくないと思うのですね。  その点は水かけ論の点もありますから置いておいて、臨教審ですが、臨教審は、私はやはり多く広くいろんな人がここに入って議論をする、そういう臨教審にしなければならぬと思うのです。今まだ国会で審議も始まってない段階ですけれども、各党のいろんな対応があって、しかし私は、臨教審については、土俵に上がる前に、上がるのはいいとか嫌だとかという議論になってしまうと、これはまず教育改革スタートから不幸になってしまう。そうじゃなくて、やはりみんなで土俵に上がろうじゃないか、その中で議論しようじゃないか。なかなか最終的な教育の結論についてみんなで一致したコンセンサスを得るというのは困難なことです。しかし、こういう場で議論をしようという、そういう方法についてのコンセンサスは、一生懸命がんばればできるかもしれない。ですから、各党が土俵に一緒に上がれるような、そういう努力を最後までひとつ粘り強く文部大臣、やっていただきたいと思うのですが、いかがですか。
  34. 森喜朗

    森国務大臣 今の江田さんのお尋ねの点、御意見の点、ちょっと二つあるような気がします。  私が間違っていたらお許しをいただきたいのですが、設置法案国会お願いをして御審議をいただき、一日も早い御採決をいただきたいわけでありますが、それまでに至ります過程としまして、各党のできるだけの御意見をと、幅広く参加するようにというお話であったというふうに受けとめておりますが、今、党を通じまして既に法律は国会へ出さしていただいておりますので、向山民主党から各党にお願いをして、いろいろと御議論をいただくような御努力をいただいておる、こういうふうに承知をいたしておりまして、当然、法案を旧会で御審議いただく際におきましても、各党の皆さんの御意見というのは十分に踏まえて、そしてその法案審議のプロセス、結果を得て所掌事務からすべてが決まってくるわけでございますので、まずひとつ入れ物をつくっていただくといいましょうか、機関をつくっていただく、そこからスタートすべきだ、こういうふうに考えておりますので国会の御議論を私たちはむしろ期待いたしておる、こう申し上げておきたいと思います。
  35. 江田五月

    江田委員 法案をお出しになる前に十分に各党との間のお話し合いをなさっていなかったという点について、私たちは非常に遺憾に思うのですが、しかし、それは今言っても、もう出されているわけですから、今後最大限、とにかくみんなが参加できるような教育臨調としてスタートさせるというために努力していただきたい。  そのためには大臣日本教育について、文部省はもちろん重大な責任を負っている役所です。同時に私は、好むと好まざるとにかかわらず、日教組というのもやはり日本教育について大きな責任を負った組織です。非常に大きな役割を好むと好まざるとにかかわらず果たしているわけですから、文郡大臣、この際かみしもを脱いで日教組の皆さんと腹を割っていろんなことをひとつお話しになってみる、日教組に会いに行かれる、そういうことをやったらいかがかと思いますが、どうですか。
  36. 森喜朗

    森国務大臣 日教組の委員長には、私は大臣に就任いたしましてからも比較的早い時期にお目にかかって、いろいろと御意見も交換をさしていただきました。この問題であろうとなかろうと、必要があるということでございましたら、やはりお話をするということはやぶさかではございません。ただ、常時、文部省事務当局が日教組と事務的にいろんな問題で協議を重ねてきておるわけでございますので、今後とも事務的に関係者がいろんな形で意見の交換を随時していくということは、私はこれからもあると思いますし、そういう方向で進んでいただきたいと思います。もちろん日教組だけではなくて、いろんな教職員の代表の皆さんいらっしゃるわけでありますから、日教組も含めていろんな教職員団体の皆さんの御意見を伺うことに私は決してやぶさかではないと考えております。
  37. 江田五月

    江田委員 臨教審という議論の場に日教組の皆さん、どういう資格でというのは、それはいろいろあるでしょうが、少なくとも日教組によって代表される一つの物の考え方、あるいは勢力、そういう皆さんもこの臨教審という議論の場の土俵に上がって、そこで議論をしていただくことを大臣希望されるんですか、されないんですか。
  38. 森喜朗

    森国務大臣 どういう方々にこの臨時教育審議会に御参加をいただくかということは、教育審議会がスタートいたしましてからお願いしていかなきゃならぬことでございますが、日教組と限らずに、幅広くいろんな皆さんの御参加というものは私ども、期待をいたしておるところであります。また、広く現場先生方お話を伺うということも大事でございましょうし、父兄という立場の御意見を伺うことも大事だと思います。いずれにいたしましても、現時点におきましては具体的にどのような方をということは申し上げる時期ではない、こういうふうに考えております。
  39. 江田五月

    江田委員 人の特定の問題じゃなくて、臨教審というのは、それは委員二十五人以内、だけれどもやはりそのすそ野は広いわけですね。いろんな議論がずっと同全体に起こっていって、その何か中心に臨教審があるという、そんな構想でなければ……。臨教審の二十五人程度の委員皆さんが、どこか文部省の奥座敷で勝手に何か気炎を上げて、円木の教育は、今の若者はけしからぬとか言っている、そんなことじゃ教育改革はできないわけですから、やはりそこは大いにお考えを願いたいと思うのです。  まあ、これはこの程度にしまして、次に移りますが、外務省、来年が「国連婦人の十年」の十年目。そこで、婦人差別撤廃条約の批准が問題になっている。この婦人差別撤廃条約について、日本の国内の条件整備で、国籍法、男女雇用平等法がありますが、きょうはそれは伺いません。そうじゃなくて、教育課程の問題で家庭科の問題があるというふうに伺っておるのですが、この点について、婦人差別撤廃条約の批准のために日本教育課程のどのあたりが問題になっているか、問題と思っていらっしゃるか、お答えください。
  40. 遠藤哲也

    ○遠藤説明員 お答え申し上げます。  婦人差別撤廃条約の第十条、ことに(b)項と(c)項というのがございますが、その二項が今先生御指摘の点に当たるかと思いますが、この条約の求めておりますのは、まず一つは、男女双方について同一の教育課程の機会が与えられること、それから(c)項は、男女の役割についてのいわゆる定型化された概念の撤廃、これをすること、こういう二点が挙げられておりまして、現在の日本の体制といいますか制度等々を見ますときに、教育の面につきましては、家庭科の学習につきまして男女の間での取り扱いを異にしておる、この点がこの条約を批准するに当たりましての問題ではないかというふうに思っております。
  41. 江田五月

    江田委員 それは、家庭科について男女が別の取り扱いになっているというのは、高等学校もそうですが中学も実はそうですね。高等学校、中学あわせてという御見解ですか。
  42. 遠藤哲也

    ○遠藤説明員 そのように解しております。
  43. 江田五月

    江田委員 さて文部大臣、さきの三月二十四日でしたか、参議院の予算委員会で、この問題に関する質問で、婦人差別撤廃条約の批准に障害とならないように知恵を絞るというお答えがあったと思うのですが、この高等学校の家庭科女子必修という問題をどういうふうにお扱いになるつもりですか。
  44. 森喜朗

    森国務大臣 家庭科につきましては、日本教育におきまして、大変長い歴史とそれぞれの伝統を持って展開をしてきたわけでございます。今、江田さんから外務省にお尋ねのように、それが女性生徒の必修ということになって男女差別撤廃条約に触れるということでございます。  日本の今日までの教育から見て、私は個人的にはそれが負担だというふうには実は考えていなかったわけでございますが、条約を吟味していけば確かに触れるということになるとすれば、なるほどとうなずけるわけでございます。しかし、先ほど申し上げたように、日本の長い歴史の中で出てきました家庭科という教科でございますので、どういう方向にこれを改善するか、差別撤廃条約の批准の妨げにならないようにするにはどうしたらいいのか。そのためには、この教科全体を一遍検討してみなければならぬし、各方面の御意見もいろいろ伺わなければなりません。  確かに今日までは、女性に対する差別だというふうな形で私たちのところにもいろいろな意見は来ておりましたが、今先生から御指摘ございましたように、先般、私どもとして妨げにならない方途を見出さなければならぬ、こういう国会答弁をいたしました途端に、随分いろいろな方からまた逆の投書が来ております。きのうも大分参りまして、家庭科をなくするのじゃないかとか、女性にとって家庭科は最も大事なんですということもございましたし、特に子供たちを持つ母親の立場からも、家庭では忙しくてなかなか教えられない面を学校で教えていただけることにむしろ大変感謝をしていたくらいなのに、大臣は家庭科を廃止するんですかというような、そんな極論のお手紙まで来まして、実は私もちょっと困ったわけでございますが、決してそういうふうに廃止するということではなくて、もう少し、どういう形で教科として生かしていくかというようなことを、新たに関係方面の皆さんの御意見を伺いながら検討を始めたい、したい、こういうふうに申し上げたわけでございます。  具体的にどういうように取り組んでいくかにつきまして、必要がございましたら初中局長からでも答弁させたいと思います。
  45. 高石邦男

    ○高石政府委員 まず、高等学校の場合と中学校の場合に若干取り扱いに差があるわけでございます。したがいまして、全く同一に条約上の抵触の問題について論ずるのはどうかというふうに感じている次第でございます。  そこでまず、高等学校の家庭科一般の取り扱いにつきましては、基本的にはその検討会議をできるだけ早い機会に発足させまして、できれば年内にその方向を出したい。それで、今後の具体的な作業としては、次の教育課程改定の際に、他の教科とのかかわり合いがありますので、その出された方向に従って具体的な教育課程改定の作業をしていく。一般的に言いますと、問題を提起して教育課程を改定するのに大体十年ぐらいかけているわけです。これは戦後、通常の場合でございます。それくらい慎重にやっているものですから、批准前に具体的実態ができ上がっているということは非常に難しいと思いますので、せめてそういう方向づけをしておきたいというふうに思っております。
  46. 江田五月

    江田委員 少なくとも批准前に一つ方向づけくらいはしないと、これは批准が泣くと思うのですがね。  検討会議とおっしゃったのですが、どういう構成、アウトラインあるいはアイデアぐらいで結構ですが、どんな構成になるのですかね。
  47. 高石邦男

    ○高石政府委員 まだ具体的にその構成まで大臣とも相談しておりませんが、家庭科関係について理解のある関係者、それから婦人問題についての専門家、それから一般の学者、そういうような人から成る協力者会議という形のものを設けて検討していったらどうかということを考えているわけでございます。
  48. 江田五月

    江田委員 一つ提案ですが、その検討会議に女性を半分入れたらどうですか。
  49. 森喜朗

    森国務大臣 いろいろこれから検討いたしてみますが、そういう考え方もできるかもしれませんが、女性が見るより男性が外から見た方が案外公平な意見が出るかもしれません。大変お考えとしては一考察あるべしと考えて、一応参考に承っておきます。
  50. 江田五月

    江田委員 大臣、国の各種審議会の委員に女性が今どのくらいいるか。数字は調べればすぐわかるのですが、大臣御存じかどうか、ちょっと聞きたいのです。どのくらいいると思いますか。
  51. 森喜朗

    森国務大臣 全体的にどれだけあって、どれだけかというようなことになると、私も残念ながら藩学でございましてそこまで承知しておりませんが、国際婦人年のときにそうした提言というのですか、お考え方のまとまりがあったようでございまして、大体審議会で二割ぐらいですか、そういうことを一つの目安として女性の方に参加してもらうようにというふうに、当時政府が何かそういうような話し合いを決めたようでございます。
  52. 江田五月

    江田委員 それが現実に今どのくらいと、まあ感じですが、どのくらいになっていると思いますか。
  53. 森喜朗

    森国務大臣 今、江田さんからもたまたまこの問題でもお話あったように、やはりその機関によって違うんじゃないかなと思いますが、そうですね、大体一割から二割、二割いっているかどうか、その辺はちょっとわかりませんが、大体そんなところじゃないかなと思います。
  54. 江田五月

    江田委員 いや、中身のことはいいのです、調べればすぐわかるのですから。  この国連婦人の十年の行動計画ですが、これだと目標は一〇%というのですよ。二割入れて差し上げたいという大臣のお気持ちは本当にありがたいのですが、一〇%が目標で、しかし実際には四・九%だというのですね。ですから、せめてこの家庭科の分くらいでぱっと稼いで女性の委員の割合をふやさないと、今婦人週間ですから、そのくらいの気持ちでひとつやっていただきたいと思うのです。  さて、家庭科について、これは廃止をするのかというような心配のお便りがあったということですが、私は、むしろこれは男女とも家庭科はきちんとやはり学んでいった方がいい、学んでいかなきゃならぬ、そういう時代が来ているように思うのです。今、核家族時代あるいは高齢化社会を迎えていくというときになって、身辺自立の学問としての家庭科というもの、やはり男も少なくともそういうもののある程度の素養がないとこれから暮らしていけない。  実は高等学校先生がついせんだって、私の高校先生ですからもうかなりのお年ですが、奥さんに脳出血で倒れられたんですね。もう見ていて、何というんですか、本当に悲しいですよね。そのくらいのお年の男になりますと、愛情は降る星のごとくです。お母ちゃん、お母ちゃんとへりで呼びかけて、一生懸命リハビリの手伝いをしようとする。しかし、スプーンで口へ持っていって御飯を食べさせることさえできない。おなかを押して便を出させることさえできない。つまり、そういうような感覚がないのですね。これは一つの感覚の問題なんで、男がやはり単身赴任なんというのも今はいっぱいある。年をとって奥さんに先に死なれたら、これは哀れです。二十一世紀というのはそういう時代になっていくわけですね。ですから、何も高校のとき、中学のときに習ったスパゲッティーのつくり方で、六十になってスパゲッティー食うとかいうのじゃなくて、そういうような感覚、これをやはり身につけさせていくためには、男女とも家庭科というものはきちんと学んでいかなければこれから生きていけない時代なんだ、そういう程度の感覚を政治家もこれから持っておらなければいかぬのじゃないかと思うのですが、いかがですか。
  55. 森喜朗

    森国務大臣 現在も、これは必修ではなくて自由選択として男子も履修ができるようになっておりますし、今ここに数字がございますが、年々男子の家庭一般の履修者はふえているようでございます。五十五年〇・三九%が五十八年度では〇・七八%というふうにふえておりますので、いささか男性の女性化という傾向もあるわけですが、一緒に理解をしておるような気がいたします。  これから家庭科全体をなくするとか、家庭科が必要でないということではなくて、むしろより重要なものであるというように、全体の教養を高めるという意味では大変大事なことだと思いますし、恐らくこれを教科の中に入れてありますのも、やはり女性がこういう仕事をすること、あるいはお母さんがこういう仕事をされることに対して、子供として、男性として、むしろ女性をいたわり女性を尊敬する、差別ではなくてむしろ女性を大事にするという気持ちからこうした共学共修の問題が出てきておるのだろう、こう思っております。  教育課程全体の中の家庭科教育の位置づけというものもございますし、家庭科教育の実績というものも踏まえなければ——これは慎重な検討が必要だと考えておりまして、先ほど局長から申し上げたように、そういう方面に詳しい方々で検討会議を開いて、ぜひ過ちのないような形にしたいと思っております。
  56. 江田五月

    江田委員 この問題についていろいろ深く研究されている方から見ると、今の大臣の答弁はやはり問題だと思われると思うのですよ。恐らくお気づきにならないだろうと思いますけれども、男性の女性化という面があるとおっしゃった。世相の評論としては確かにそういうこともありますけれども、男であるからこう、女であるからこうというふうに、男女の性による役割の定型化をしていてはいけないのだというのが婦人差別撤廃条約の基本なんですね。そういう性の違いによる役割の定型化について根本的な変更を迫っていかなければならぬというのが、この婦人差別撤廃条約です。  私なんかもそんなことを言いながら、実際には家庭に帰ると時々女房に、あなたはわかってないなんて言われるのですけれども、少なくともそんな気持ちを持たなければいかぬ。非常に昔流の言葉を使えば、男らしい男がどんどんできていく、女らしい女がどんどんできていく、そのことが悪いわけじゃないのですよ。そうじゃなくて、家庭、家庭でそれぞれの家庭のあり方があって、尽くし型の女性が一生懸命尽くす。飯、ふろ、寝るで男は済むという家庭があっても、そんなものはけしからぬからそれは国が変えろ、そんなことを言っているのじゃないのです。人間としてのそれぞれの個の役割というのがいろいろあるわけで、男が台所に入るのは恥ずかしいことだなんということはなくしていかなければならぬ。女が社会参加でどんどん職場に出ていく、それはやはりちょっとはしたないぞ、結婚したんだからやめろなんということはだんだんなくしていく。やめる人がいたっていいけれども、やめない人はどんどんやっていけばいい。そういう意味で、家庭科というのがかなり重要なポイントになっているのじゃないか。  私はもっと進んで、何か家庭科というとすぐに被服だ、調理だと、裁縫と炊事のようにみんなが思っちゃうからそれが問題なんで、実は女の子にしか教えないから被服と調理になってしまうのです。文部省の指導要領には、家庭科は被服と調理でございますなんということは書いてないですね。むしろ指導要領は、中学はちょっと悪いように思うけれども、小学校と高等学校ではもっといいこと書いてありますよ。人間としての自立、そして家庭と社会の役割、家庭の中での構成員のいろんな役割、そういうことをずっと学んでいくんだ。  ですから、そういうことを考えれば、これからの二十一世紀社会をしっかり背負っていく家庭をつくっていくためには、やはり生活教育といいますか、単なる被服だ、調理だということを超えた、一体人間というのはどういう自立をしていくのか、自立した人間がどう連帯していくのか、それがどういうふうに社会をつくっていくのか、そして自然の中でどう人間が生きていき社会が存在していくのか。そうすると、例えば今しつけの問題が出ていますが、しつけなんというものもそういう観点からとらえ返してこの生活科の中で扱っていく。あるいはセックスの問題も非常に今混乱していますが、こういうものもきちんと人間として位置づけて扱っていく。あるいは生活をしていく人間として、こういう社会的な基本的ルールがあるんだということをその中でちゃんと教えていく。もちろん調理にしても裁縫にしても、あるいは家庭の中のハウスキーピング、いろいろありますが、こういう問題も教えていく。  さらには、これから生きていく上には、例えばエコロジーといった基本的な考え方、これはだれもが持たなければいけない。資源を大切にしていくとか再利用していくとか、あるいは食品に色がきれいなのがいいというんじゃなくて、あるいは農薬をどんどん使ったのがいいんじゃなくて、そういう基本的な素養、あるいはまた公民として例えば経済活動の中で家庭がどう役割を果たしていくかとか、クレジットなんというのがどんどん来る、うっかりサラ金に手を出したらどうなるかというようなこととか、そういうようなことを——これは点数を上げるための教科教育、やれ、こうこうやって、テストをやって、はい何点ですと、三段階でも五段階でも成績がつく、そういうものじゃなくて、生活教育というものをひとつ一番基本に踏まえた教育考えていかなきゃならぬじゃないか。そんなものは家庭の役割だなんて言う人がいますけれども、今その役割を家庭が果たせないでしょう。家庭がそうなってない。それどころじゃなくて、家庭という私的な営みを越えて二十一世紀社会をどうつくっていくか、その社会の基本的な単位の家庭をどういうふうにつくっていくかという、ある意味では非常に社会的な課題なんです。  私は、生活教育という面から、ひとつ教育の教科のあり方を基本的に考え直してみることを提唱いたしますが、文部大臣のお考え、感想みたいなものをお聞かせ願いたいと思います。
  57. 森喜朗

    森国務大臣 先ほど私も答弁申し上げましたときに、長い歴史と伝統ということを申し上げました。確かに家庭科というのは、何となく、今江田さんがおっしゃったような概念というのは日本人全体が共通して持っていることは間違いないと思いますが、もう既に台所というのは随分変わってしまいました。まあ我々の子供時代は掃除機さえもなかったわけでありますし、ぞうきんを絞って、バケツに一生懸命絞って、洗って、そして廊下をふく。今はもう貸しぞうきん、固有名詞を出しちゃいけませんけれども、ダスキンの時代とか、あるいは電子レンジ、冷凍庫の時代でありますから、一々自分らでつくらなくても、出してきて温めればいいという時代に変わってきている。あるいはまた、コンピューターは恐らくこれから家庭の中に、台所の中にもやっぱり入ってくるでありましょうから、ワープロも含めながら、そうしたものをこなし得るということも大事なことでありましょう。  それから、今先生お話しなさった中で、ああ、すばらしい御意見だなあと思いましたのは、生命あるいは人間尊重、人間教育という面から考えまして、世の中の仕組み、理屈あるいは道徳に至るまで、むしろ家庭等そういう中で教えていく。環境問題、あるいはまた先ほどおっしゃった性教育なんかも、かえってその方がなじみいいかもしれない。そういう意味では、私は、この家庭科というのは家庭教育という全般的な面から見まして、これからむしろ多岐多様にわたる学問をやっていけるという意味で、とても大事な学問だというような感じがいたします。特に生徒間の理解、それから先生と生徒間の関係も、かえってそういう教育の中でむしろほのぼのとした人間愛ができてくるのかもしれません。そういう意味で、今の先生からの御指摘は大変示唆に富むすばらしい御意見であるというふうに私も受けとめさせていただきました。  要は、もともとは男女がお互いに理解し、尊敬し合っていくということが家庭科の教育のやはり原点であろうというふうにも考えております。むしろ幅広く、いろんな角度から家庭科全体を眺めるということも大変大事なことだというふうに考えまして、十分文部省事務当局も今の先生の御提言等も踏まえて検討さしていただきたい、こういうふうに思います。
  58. 江田五月

    江田委員 これは非行の問題ともいろいろ関係していましてね。父性の不在だ、つまり家庭に父親的なものがない。またその父親という役割、性によってと言うことはちょっとひっかかる言い方ですけれども、そんなこともあって、実は今考えてみると、例えば、大臣はどうでしょうか、僕なんか家庭参加を一番してないかもしれませんね。多分女房が子育てにいろいろ頭を使っているんだろうと思いますけれども、今、日本じゅうで、飯、ふろ、寝るで、そしてゴルフで日曜日は費やして、何か父親というのが家庭参加の資格を持ってない。そこに子育てノイローゼになったりいろんな問題が起きている。あるいは子供たちが父親的なものに触れずに育っていく、そういうことが家庭内暴力につながっていく、そういう家庭経営に参加をする資格を男に与えていくというようなことからも、やっぱり必要だと思うのです。  さて、時間もだんだんなくなっていくので話を変えますが、昨今レコードレンタルにつきまして裁判所の判決や決定が幾つか出たりでちょっと議論になっており、人の注目を引いたりしておりますが、昨年、貸しレコードに関して暫定措置法が成立をいたしました。この暫定措置法では権利者の保護が規定され、同時に、その保護との兼ね合いで貸しレコードという業種が成立をし得ることが公認をされたという画期的な法律ですけれども、許諾権の及ぶ期間が政令で定められるということになっておるのですが、この政令、六月二日というと、そうゆっくりしてはおれないと思いますが、どういう段取りになっておりますか。
  59. 森喜朗

    森国務大臣 昨年、暫定法を当文教委員会お願いをいたして、各党の御協力をいただきまして可決をさせていただいたのですが、当初この法案の検討を、当時たまたま私は自民党の方の著作権のプロジェクトチームの座長というのですか委員長をいたしておりまして、いろんな意見を双方から伺いながら判断をいたしたということもございまして、各党の皆さんにも大変御理解、御協力をいただいたことに、立場は今ちょっと変わっておりますが、お礼を申し上げたいわけでございます。  関係団体の意見を今踏まえて調整をいたしておりますが、そういう経緯もございますので、私が余り直接この問題に言及することはちょっと遠慮した方がいいな、こう思いますので、文化庁次長からでも答弁をさせたいと思います。
  60. 加戸守行

    ○加戸政府委員 暫定措置法に基づきます政令の期間でございますが、先国会におきまして当委員会の中に置かれました審査小委員会の小委員長報告で、関係者の意見を尊重して定めることとされておりますので、その後、鋭意、権利者団体、具体的に申し上げますと、日本音楽著作権協会、芸能実演家団体協議会並びにレコード協会、使用者側といたしましてはレコードレンタル協会側、この四団体から意見を聴取してまいりまして、おおむね四団体間の意見の合意がほぼ得られましたので、近々のうちに期間を定めさせていただきたいと考えている次第でございます。
  61. 江田五月

    江田委員 もう既に相当この準術も進んでいるはずで、近々というのはまさに近々なんだと思うのですが、今この場ではっきりしたことを言うわけにはいかないのですか。
  62. 加戸守行

    ○加戸政府委員 御承知のように、政令は閣議で決定されますので、近い閣議で決めさせていただきたいと考えております。
  63. 江田五月

    江田委員 「許諾権の行使に当たっては、公正な使用料によって許諾することとし、関係者の間の円満な秩序の形成を図る」政府はそういうことを目指して「適切な措置を講ずべきである。」という、これは参議院での附帯決議でもあり、同時に、そういう趣旨のことが小委員長報告にも盛られておるわけですが、その「関係者の間の円満な秩序の形成を図る」ための話し合いというものがどう進んでおるか。  どうも、聞きますと、貸しレコード側はレコードレンタル商業組合ができて、これはテーブルにのっておる、あるいは著作権の側はJASRACがテーブルにのっておる。しかし、レコード協会の方がその許諾使用料を定めるテーブルにもついておらないというように聞くのですが、その辺の指導はどういうふうにされていますか。
  64. 加戸守行

    ○加戸政府委員 この関係者団体、関係者間におきます協議の問題につきましては、法律が成立しました直後から、文化庁といたしましては、この関係団体との間のいろんな事前のお話し合いあるいは相談等をさせていただいたわけでございますが、当初はそれぞれの団体におきまして、この暫定措置法の性格、目的等に関します考え方の違い等もございまして、まずそういった考え方の食い違いをなくしていきたい。特に本委員会等での小委員長報告等の内容を踏まえまして、この円満な秩序の形成のためにまず基本的な考え方の差をなくしていくということからいろいろ進めまして、具体的には、レンタル側にいたしましても実は商業組合が設立されましたのがつい三月末という時点でございましたが、それ以前の段階でも事実上の代表者との間の相談をさしていただいたわけでございます。  今の許諾権の行使に伴います使用料の問題といいますのは、思惑がそれぞれ違うわけでございますが、基本的に、まず日本音楽著作権協会側といたしましては、この使用料の認可を文化庁長官から受ける必要がございますので、まずプライスリーダー的な役割に立ちまして先に話し合いに入ったという状況でございまして、当初かなり言い値の食い違いがございましたが、最近の情報によりますと、両者間の金額の間につきましては、大分詰まってきつつあるというぐあいに承っております。  それから、隣接権者側といたしましての芸能実演家団体協議会並びにレコード協会につきましては、まだ公式のテーブルには着いておりませんが、非公式な形での接触でお互いの間の感触の打診、意見の交換等は行われておりまして、日本音楽著作権協会側におきます使用料のおよその詰めにほぼ連動した形で、そういう話し合いもだんだん進んでいくものと期待しているわけでございます。
  65. 江田五月

    江田委員 これは、ですから、許諾権の行使というものが公正な使用料によって許諾をする、そういうことによって健全な、関係者間の円満な秩序をつくっていくという方向で文化庁も指導するし、各権利者団体もそういう方向で新しい円満な秩序をつくっていくために努力をすることが期待されている、こう文化庁はお考えである、これは間違いないわけですね。
  66. 加戸守行

    ○加戸政府委員 先ほどお答え申し上げましたように、当委員会に附置されました小委員会の小委員長報告の趣旨を体して、文化庁としても指導さしていただいているということでございます。
  67. 江田五月

    江田委員 通産省に伺いますが、通産省の方は、レコード業界それからレコードレンタル業界、この両方を管轄していらっしゃるんだと思います。今の文化庁の基本的立場は、著作権という一つの権利あるいはその隣接権、こういう権利をめぐっての権利関係の円滑な調整ということでしようが、通産省はまた別の観点から、産業秩序を一体どういうふうに混乱なくつくっていくかという観点だろうと思います。そういうレコード業界とレコードレンタル業界間の円満な産業秩序の形成ということについて、どういう基本的なお考えでいらっしゃるか。
  68. 山浦紘一

    ○山浦説明員 通産省といたしましても、健全な産業秩序がこの過程におきまして形成されるということは望ましいものと思っております。
  69. 江田五月

    江田委員 今、話し合いがきちんとできていっているということならばいいんですが、どうも私たち聞くところによると、話し合いのテーブルに着く団体もあるけれども、まだ依然として話し合いのテーブルにも着かないというような、レコード協会がどうもそういう態度であるというようなことも聞いたり、それでは困ると思うのです。円満な産業秩序の形成という立場から、通産省も、この国会の附帯決議で言う「政府は」「講ずべきである。」というこの政府の中に入るわけですから、何らかのイニシアチブを発揮される、リーダーシップを発揮されるべきじゃないかと思いますが、いかがですか。
  70. 山浦紘一

    ○山浦説明員 本件の問題につきましては、レコードレンタルの使用料でございますから、第一義的には暫定措置法の運用をめぐる問題であると思っておるわけでございますが、通産省としましても音楽産業が健全なリサイクルに乗るということが望ましいと考えております。そういう意味でも、国会の附帯決議にありましたとおりに、関係者の健全な秩序が形成されるということをうたわれておりますので、通産省といたしましても、文化庁と十分連絡をとった上で業界を指導していきたいと思っております。
  71. 江田五月

    江田委員 話し合いがつかないままで六月二日を迎えたら、これは一体どんなことになるのですか。
  72. 加戸守行

    ○加戸政府委員 私どもといたしましては、六月二日の法施行までの間に両者間で適正な金額に妥結を見ることを期待し、またそのような指導を行っているところでございます。  先生質問のように、仮に六月二日までの間にまだ食い違いが残り得るとした場合、しかしながらその差の——およそ金目の話でございますので若干の高低のぶれはあろうと思いますが、仮に話がつかなかったといたしましても、それは一定の利用許諾を与え使用料を支払っていただくという前提での話し合いが正常に継続されておる限りにおきましては、それはわずかの期間の差でございますので、当然利用関係が絶たれるということにはならないと思っております。
  73. 江田五月

    江田委員 形式的には、この使用料についての話がまとまらずに、公正な使用料が定められてそのことによって許諾権が行使されたということになっていなければ、貸しレコードというのが暫定措置法上違法になる、そして犯罪行為を形成する、犯罪の構成要件に該当するということになってしまうわけですが、そこはしかし、この貸しレコード側の方で誠意を持って対応し、一方、権利者のどの部分ががあえてそういう話し合いのテーブルにもなかなかのってこない、テーブルにのってきても誠意がないということで終始をした場合には、これは健全な産業秩序の形成の面から、あるいは著作権、著作隣接権をめぐる健全な秩序の形成の面からいっても、貸しレコードというものが、構成要件に該当するからといって直ちに違法性を備え、責任の要素も満たしてしまうということではなくて、例えば可罰的違法性がないとかあるいは期待可能性がないとかいうような形で、犯罪になって直ちにやめなければならぬというようなことになってしまうことはない、こう考えておいていいですかね。
  74. 加戸守行

    ○加戸政府委員 現時点では、まだあと二カ月近くあるわけでございますので、話し合いがつくことを期待し、またその強い指導を行ってまいりたいと思います。仮定のケースでございますが、仮に六月二日までの間に金額が詰まらなかった場合におきまして、文化庁といたしましては権利者側に対して、そういった話し合いの継続中の場合でございますれば、許諾についてはまず与えていただきたい、それでその金額の話はもうちょっと持ち越しというケースもあり得るだろう、そういう観点の指導を行いたいとは思っておりますけれども、仮に今の先生の御質問の具体的な可罰的違法性等の問題につきましては、そういった考え方は当然とられるのではないかというぐあいに想定はいたしております。
  75. 江田五月

    江田委員 最近、宮城ファミリークラブに対する裁判所の仮処分判決、それからもう一つが、高速ダビングをやっているものに対する裁判所の仮処分決定が出て、どうもそういう裁判所の決定やら判決やらに対するマスコミの報道などで、貸しレコードというのはまるで悪だ、悪い、こういうように裁判所が言ったかのごとき報道がありますが、一方は、やはり経済的利益の関係調節の問題ですよというのが、この宮城ファミリークラブの判決の基本なんですね。もう一方の決定の方は、高速ダビングを店内に備えておる業省に対することなんで、どうも新聞報道というのが妙な印象を与えておって、これでいいのかなと思うのですが、どうですかね。
  76. 加戸守行

    ○加戸政府委員 裁判所の、しかも私人間のことに関します決定でございますので、当方から感想を申し上げることはちょっと差し控えさしていただきたいと思いますが、基本的に、貸しレコード問題に対応いたしましてこの暫定措置法を成立させていただき、あるいは今国会にも著作権法の一部改正案を提案させていただいている。そういった流れの中でのそういった方向の判決ということでございまして、そういう意味では、貸しレコードに関します一つの秩序といいますか、そういう形成へ向けての一つのステップとして私どもは受けとめているということでございます。
  77. 江田五月

    江田委員 ひとつ文部大臣、いろいろありますが、大いに期待をしておりますので、小さいこと、大きいこと含めてこれからいろいろ提案もさせていただきたいと思いますので、大いに頑張っていただきたいと思います。  これで質問を終わります。
  78. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 午後一時に再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時一分休憩      ————◇—————     午後一時一分開議
  79. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。佐藤徳雄君。
  80. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 私にとりましては初めての質問でありまして、教育改革の問題を柱といたしまして幾つかの問題、広く教育全般の問題にわたりましてお尋ねをいたしますから、文部大臣以下関係者の皆さん、ひとつ明快なお答えをいただきたい、こう思うわけであります。  文部大臣の所信につきましてお聞きもし、そして丹念に読ませていただきました。幾つかの問題が今日まで指摘をされているわけでありますが、私がまず第一にお尋ねをいたしたいのは、中曽根総理が本会議の施政方針演説の中で、第三の改革として教育改革の問題を御承知のように取り上げられました。それを受けまして、大臣がこの所信の中で次のように言っているわけであります。「私もこの点に同感であり、二十一世紀の我が国を担うにふさわしい青少年を育成するため、教育全般にわたる改革を着実に推進していく必要があると考えます。」こういうおっしゃり方をされているわけであります。  それで、教育改革の中身がまだ明確にはされておらないわけでありますけれども、「教育全般にわたる改革」と申しますとかなり範囲が広くなるわけでありますが、大臣がおっしゃられております「教育全般にわたる改革」のその構想をぜひひとつお聞かせいただきたい、こう思います。
  81. 森喜朗

    森国務大臣 予算委員会を初めといたしまして、この国会が始まりましてからたびたび御答弁をさせていただいておりますので、繰り返しになって恐縮でございますが、日本教育制度は戦後大変大きな発展を見ました。先ほども申し上げましたが、量的にも質的にも十二分に行き届いておりますし、世界の国から見ましても、日本教育はある意味ではむしろ範にしたい、そんな声も聞かれるぐらいであります。  しかし、いかなる諸制度でもやはりこれですべてだというものはございませんし、特に社会の変化あるいは文化の進展ということに対して教育はどうあるべきだろうか、こういうことをやはり考えておかなければならぬと思っております。  今日、社会党さんを初めといたしましてどの政党も、教育問題を政治の課題の中に取り入れられておるぐらいでございますし、また社会におきます各界各層の中にも、教育に対していろいろな意見が出てきておるわけであります。教育は量的にも質的にも充実をしていながら、社会に起きておりますいろいろな現象というのは、やはり教育が因となるものもかなりあるわけでございます。そういう意味で、これから二十一世紀を担っていってくれる日本の若者たち子供たち、その人たちに、なるほど国際化社会の中で、あるいはまた情報化社会の中で、また高学歴化あるいは高齢化、従来の私どものいわゆる戦争直後のそうした時代から大きく変わってきているわけでありまして、そういう意味でこれから二十一世紀はどのような教育が行われるべきであろうか。それを幅広く、国民的なすそ野の広いそうした議論を踏まえながら、そうした権威あるいはまたいろいろな角度から、いろいろな方々からそういう御議論をいただいて、二十一世紀の我が国を担うにふさわしい青少年を育成する、そうした教育制度というものを皆さんでこの機会に御検討いただきたい、こういうことでこの教育改革をぜひ進めていきたい、こういうようなことを私は申し上げているわけでございます。
  82. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 議事録を丹念に調べますと、予算委員会の中でも教育問題がかなり触れられておりますし、さらにまた中教審の問題についても、深く突っ込んだ質問なり御答弁がなされているようであります。  私も中央教育審議会答申総覧を一通り読みまして、いろいろな勉強をさせていただいたわけでありますが、これを見ますと、中教審は御承知のとおりかなり古い歴史を持っているわけであります。第一回が昭和二十八年の七月二十五日に答申がなされて今日に至っているわけでありますが、さらにまた二月十七日の衆議院の予算委員会において、我が党の湯山勇議員がこの問題についても触れられて、大臣が答弁をされているわけであります。  そのいきさつはともあれといたしまして、そのやりとりの議事録を見ますと、中教審の答申がなされて今日かなり実行に移されておる、しかしその二割ないしは三割が残っているのだ、こういう言い方をされているわけでありますが、総理がおっしゃったことを受けて大臣が答弁しているようであります。  そこで、私は中教審が、あるいは中教審の答申が果たしてきた役割りはかなり大きいものがあるだろう、こういうふうに思うのでありますが、中身につきましてはいろいろ評価が分かれておりますし、私もかなり批判的なものを持っているわけであります。それはともあれといたしまして、今日までかなり歴史の長い中教審に対してどういう評価をされておられるのか、答申を含めまして大臣考えをお尋ねしたいと思います。
  83. 森喜朗

    森国務大臣 今佐藤さんおっしゃいましたように、昭和二十八年に設置されて以来今日まで、教育、学術、文化に関しまして、重要政策の調査審議を機関として数々の答申をちょうだいしてきたわけでございます。先ほど申し上げましたように、戦後の日本教育はいろいろな意味日本の繁栄のために大きな役割を果たしてきた。そのことは、中教審の数々の御提言、答申、それに基づいて教育行政を進めてきた、また国民の多くの皆さんもその答申や意見に対して、教育に対して深い理解を持ってきた、そういうことが最大の原因であろう、私はこう考えておりますので、そういう意味では極めて重要な役割を果たしてきたと私は考えております。
  84. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 私は、この場で中教審の中身の議論をしようとは思いません。一定の考え方を聞きましたから、いずれ時間があった折に触れてみたいと思います。  さて、長い答申がなされて、実施をした部分と積み残された——そういう表現が当たるかどうかわかりませんけれども、例えば四六答申の問題などが、やがて政府が設置をしたいと言っております今日の臨教審の問題にもかなり関係する部分が出ているわけであります。  四月六日の読売新聞の「論点」に、文教委員であり、そして新自由クラブの代表代行であります河野洋平議員が文章を載せてあるのを拝見いたしました。河野さんは、この中でこう言っているわけであります。「文部省は、長い間、教育改革を審議してきた中教審と、今回の臨教審の関係をはっきりさせておくべきだと考える。中教審では、教育に高い識見を持っ委員が、日本教育をどうするか、経験と知識を傾けて論議を積み重ねてきた。ところが、そこでまとまった答申の根本事項が、十数年にわたって放置されている。」と指摘をしているわけであります。  まさに事実経過からいうとそういうことが当たるわけなのでありますが、十数年も放置をされてきた。しかも四六答申が、全然とは言いませんが余り手をつけておられない。そして突如として教育改革の問題が提起をされて、臨教審設置の方向政府が踏み切ろうとしている。どうもこの十数年と今日の状況を考えました、その経過を見たときに、何となくすっきりしないものが実は残っているわけなのでありますが、四六答申が今日まで、放置したという表現が当たるかどうかは別にいたしましても、なかなかいろいろな難しい問題がありましょうから手がつけられなかったとは思いますけれども、一体その間どういう経過措置をとられてきたのか、大臣考え方を聞かしていただきたい、こう思います。
  85. 森喜朗

    森国務大臣 佐藤さんから河野先生の「論点」についてのお尋ねがあるということを伺っておりましたので、私もここにコピーを持っておりますが、その中で「放置されている。」——河野さんいらっしゃるとちょっと困るのですが、放置をしておったということではないと思います。  その経緯については政府委員から答えた方が適切だろうと思いますけれども、やはり幾つかの問題が、それを二割とか三割というふうに数字的に申し上げることがいいかどうかわかりませんが、量的な項目からいえばその程度になるかもしれませんが、ある意味では大変大きなウエートを占めるものになるのかもしれません。例えば先導的試行のように、やはり当時としては法改正をしなければならない、現行の教育体系を大きく変えるということでもございまして、そういう意味で世論形成というのが当時の時点としてはかなり激しく、やはり賛否両論もございました。そういう意味国民的コンセンサスを得るという段階ではなかった。今のような教育改革の論議が出ておりますような事態でございましたら、恐らくこの問題はもう少し積極的に取り組むということができたのではないかというふうに思いますが、当時といたしましてはそういう世論といいましょうか、そういう環境でございました。したがいまして、それはそのまま放置するのではなくて、文部省といたしましてもそのことを踏まえながら研究は進めてきたわけでございます。  その他につきましてどのようにしてきたとか、その間の経過をどうしたかにつきましては、政府委員からの説明をお聞きいただきたい、こう思います。
  86. 齊藤尚夫

    ○齊藤(尚)政府委員 昭和四十六年の中央教育審議会答申に係るお尋ねでございますが、この四十六年の答申は、幼児期から高等教育までの学校教育全般にわたる改革と拡充整備の基本的な方向を示したものでございます。大変重要な意義を持つものと考えております。文部省といたしましては、以来今日までこの答申の趣旨を尊重し、これを指針といたしまして、各界各層の御協力を得ながら、同答申に盛られた事項の実施に積極的に取り組んできたというふうに考えております。  実施いたしました主なものを掲げさせていただきますと、第一に、小学校から高等学校までの教育内容、方法の改善の問題、これは新学習指導要領を実施しております。  それから、学級編制と教職員定数の改善の問題、これは第四次、第五次の教職員定数改善計画を実施しているわけでございます。  それから、幼稚園教育の普及充実、これにつきましては昭和四十七年からの十カ年計画で振興計画を実施いたしたところでございます。  それから、特殊教育の拡充整備につきましては、養護学校の義務制の実施をいたしたところでございます。  それから、教職員の資質向上と待遇改善ということで、御承知のように人確法の制定等に伴いまして大幅な待遇の改善をいたしたところでございます。  それから、高等教育の改革とその計画的な整備充実ということで、前期及び後期の高等教育整備計画を実施中でございます。  さらに、私学助成の拡充、奨学事業の拡充、そして大学入学者選抜制度の改善。  主なものを申し上げますと、そのような状況でございます。
  87. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 かなり積極的に進めてきたというお答えが今あったわけでありますが、どうも四六答申だけが、意識的に手をつけなかったのかどうかはわかりませんけれども、今お答えをいただいた中身と比較をいたしますと、ほとんど進んでいないと言ってもいいんじゃないかと思うわけであります。十数年の間そういう状態が続いていて、突如として中曽根総理の方から施政方針演説の中で、教育改革の問題が第三の問題として提起されてきている。午前中における江田議員の質問の中にもあったようでありますが、まさに教育の問題は今日重要な位置づけをされていることは言うまでもないわけであります。  それはいずれ触れるにいたしまして、ちょっと具体的な問題についてお尋ねしたいわけでありますが、二月二十五日の衆議院の予算委員会において公明党の有島議員が質問をされて、総理が答弁をしているわけであります。それは大臣御承知のとおり、「義務教育九年というのを変える考えはございません。」議事録にはこう妻いてあるわけであります。これはちょっと大臣にお尋ねしたいのですけれども、新聞に掲載されておりましたが、この九年間を変えないという前提に立ちながら就学年齢を下げる、つまり、五歳児という表現を使ったかどうか定かでありませんけれども、予算委員会の答弁の中で、それに関連する就学年齢、つまり六歳児から五歳児に下げるというお答えをしたように新聞では伺っているわけでありますが、それはどういうお答えをされましたのか、お尋ねをしたいと思います。
  88. 森喜朗

    森国務大臣 衆参あわせまして、予算委員会あるいは文教委員会等で何回かこうしたお尋ねがございましたので、どの点をどのような経過で申し上げたか、ちょっと今記憶いたしておりませんが、私の申し上げた趣旨は、例えば幼保の問題を議論いたしますときに、幼稚園、保育所を一元化するというのは、基本的にはその方が教育を受ける立場から見ると整理がついていい、私はこう思っておりますが、その幼保の問題を議論する前に、一体人間が学校教育を受ける年齢はどのあたりが一番適当なんだろうか、昔のような五十年人生から今のように七十年から八十年のこういう寿命に来ている以上は、もう少しその辺のことも検討してみる必要があるのではないか。仮にそういう問題に具体的ないい考えが出れば、あるいは幼保の問題も別の角度で解決ができるかもしれない。だからといって、ひとり歩きして、幼稚園と保育所をなくすればいいというように文部大臣が言った、こうなるとまたおしかりをいただいて、最近はあっちからもこっちからもおしかりばかりいただいているものですから、答弁に非常に苦労いたすわけでございますが……。あるいはまた、いや逆に言えば、できるだけお母さんのもとに一緒にいることの方が子供にとって幸せなんで、早くから学校へ出してしまう、あるいは幼稚園、保育所に出してしまうことはいかがなものかというふうな、そういう児童心理学の学者もおられるわけでございまして、そういう意味で新しい審議機関でいろいろな御議論をいただくことになるであろうが、幼保の問題も含めて就学年齢という問題も、御検討いただく課題としては非常に適切な課題ではないだろうか、こんなような考え方から私は五歳児就学という話をしたわけでございます。
  89. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 それは大臣のお答えの中にも含まれておったようでありますが、かなり以前から年齢の引き下げの問題については議論があったことも承知しています。  これはしかるべき機関でいろいろな議論がなされるだろうとは思いますけれども、例えば就学年齢を一歳下げたと仮定をいたしますと、新しい臨教審の中でひとつ討議してもらいますからという、そういうお答えではなくて、もしそれを前提に踏まえるとすれば、一体それじゃ中曽根総理の言う、九年を守る、教育基本法にのっとるのだから九年を守る、こう言っておられますので、そういった場合に、年齢を下げた場合に小学校、中学校の枠組みは一体どういうふうになさるおつもりなのかは別にいたしまして、構想としてはどういう構想を持っておられるのか、もしおありでしたらお答えをいただきたい。  あわせて、そうなりますと、中学校と高等学校の枠組みの関係、六・三・三制あるいは幾つかの順列組み合わせみたいなものが出てくるだろうとは思いますけれども、そういう点について構想があればひとつぜひお聞かせをいただきたい、こう思います。
  90. 森喜朗

    森国務大臣 基本的には、義務教育が戦後三年間延長して九年になる、そのことが今日の学校教育の発展に大きな功績があった、こう私は思っております。したがって、義務教育の年限を変えようという気持ちは、総理も申し上げたように、私自身も、今変えることがいいか悪いかということよりも、変える必要がない、定着したものだというふうに考えていいと思うのであります。ただ、その出口とか入り口のところはいろいろ議論があっていいだろう、先ほども申し上げたとおりであります。  それから、どのあたりで学制の年限を切るかということも大変課題のところでございまして、中学校と高等学校のところの連結というのは、いわゆる入学試験という問題でやはりよく議論になるところでございますが、逆に言えば、また一貫教育という立場から小中一緒という意見もございますし、中高の中で考えるべきだという、いろいろな意見があるわけでございます。中高一貫というのは、私立の高校などではやっておるところはかなりあるわけでございますが、これは義務教育との関連からいうと、高等学校の問題がどういうふうに処置されるのかというようなことにもなってまいります。こうした区切りの仕方は、各界の御意見というのはそれぞれに一長一短あるだろうというふうに私は考えております。  そういう意味で、九年間の義務教育というのはかなり定着化しておるわけでございますから、九年間そのものを変える必要はないだろう、こういうふうに私は常に国会でも申し上げておるわけでございます。ただ、御議論をいただく上におきましては、自由濶達な御議論があってしかるべきであろうというふうに私は期待もいたしておるところでございます。  私に対してどういう構想を持っておるかというふうにお尋ねをいただくと、大変私は浅学でございまして、どのような制度が一番いいかというのはなかなか私自身も結論が出ないところでございますが、やはりもう少し多様な、柔軟な考え方ができないだろうかな。小学校からいわゆる心身の発達状況に応じて教育をしていかなければならぬわけでありますが、だんだんだんだん高学年齢にいくごとに能力の差というのはいろいろな意味で出てくる。そのことが学校教育現場の中で一番先生が苦労されるところではないだろうか。そういうところを初めから、学問がある、ない、できる、できないというような区別をしてはいかぬし、個々に応じて適切な教育をしていかなければなりませんけれども、今の中学校あるいは高等学校などでいろいろ登校拒否が起きたり、あるいは突っ張りの生徒たちが出てきたりするのは、やはりこのあたりの問題が一番大きな、関係の深いところではないかなというふうに私も承知をいたしておるところでございまして、私の構想云々というよりも、こうしたことはそれぞれの御専門、そしてまた教育の中でとうとい経験をなされた方々、いろいろな方々でひとつ御議論をいただいて、むしろ私どもにお示しをいただきたい、そういうように、私はこの新たな審議機関にむしろ期待をいたしておるところでございます。
  91. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 これは仮定の話になって恐縮でありますが、仮に臨教審が設置をされた場合に、幾つか議論をしていただく項目設定は当然すると思いますけれども、その際、構想を出し切れるかどうかは別にいたしまして、例えば今就学年齢の引き下げの問題等についても検討してほしいという考え大臣は出される考えがあるのですか、ないのですか。これは全般的にかなり大きな関心を持っておられる問題でありますのでお答えをいただきたい、こう思います。
  92. 森喜朗

    森国務大臣 諮問をいたしますのは総理大臣でございますので、総理がどのようなお考え方をお示しになるか、あるいは設置法をこれから国会で御議論をいただきまして、その国会議論の中で多くの皆さんのいろいろな御意見もあろうと思います。それは当然踏まえなければなりませんし、そして審議機関が設置をされて所掌事務が決まりましてから初めて諮問の案というものが出てくるわけでございまして、今の段階でああだこうだということを具体的に申し上げることはむしろ差し控えなければならぬというふうに私は思っております。
  93. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 それでは、ちょっと別な面でお尋ねをしたいと思います。  一昨日でありますが、読売新聞教育問題に関する有識者、著名人の調査をやった結果を、かなりスペースを割いて新聞で報道しておりますが、大臣、これをごらんになっていますか。
  94. 森喜朗

    森国務大臣 拝見しました。
  95. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 それでは、この問題についてお尋ねをしたいと思いますが、二十一項目にわたって設問をされて、それぞれ答えを出されているわけであります。しかもこの調査は、教育問題に関して有識者、著名人五百人を対象にした特別調査であるということを公表されて調査を行い、そしてまた集計をされているわけであります。ある意味からいいますとかなり質の高い、あるいは権威のある調査だなというふうに私なんかは受け取ったわけでありますけれども、同時に、この五百人の中には教育を経験された方がかなりいらっしゃるということが新聞にも掲載をされているわけであります。  例えば設問の第二の、教育の中で悪くなったと思う点があるかないかということに対して、この中には明快な答えが出ているわけであります。つまり「受験教育偏重になっている」というのが実に七一・六%にも上っているのですね。あるいはまた「徳育が忘れられている」というのもそれに次ぎまして六一・一%という高い比率に実はなっているわけであります。  さらにまた、教育改革を行うとしたら次のどの点を最優先で行うのがよいと思うかという質問であります。この答えを見ますと、一番多いのは「教師の質の向上」の問題が挙げられておりますし、その次には、集中的には「大学入試制度」と「高校入試制度」の問題が高い比率を実は示しているわけであります。教育改革の問題等につきましても非常に関係のある、極めて関心の高い問題だというふうに私なんかは受け取っているわけであります。  あるいは問十番目の問題につきましては、高校入試の問題について触れています。この中で「生徒会活動やクラブ活動、ボランティア活動など人格面をもっと重視する」というのが何と五五・二%なんですね。半分以上を占めているわけであります。さらにまた「学力検査の比重を減らす」、これが三六・五%の比率を示しているわけであります。  共通一次につきましても、かなり委員会の中でも議論がありましたけれども、この問題につきましてもいろいろな問題が提起されています。例えば二期二期校制の復活などのように受験機会を増やす」というのが五〇・二%、そしてまた「試験科目の削減」をしてほしいというのが四一・三%であります。現状のままでいいのだという答えは非常に少ないわけであります。  問題は十九問であります。これで大臣考え方をお聞かせいただきたいのでありますけれども、「教育改革を検討する場として、いろいろな意見がありますが、どのような機関で検討すれば成果を期待できるとお考えですか。」という質問であります。この質問は、政府文部省皆さんが期待していた答えとは違うのですね。つまり、「文部省にある従来の機関」、これでよろしい、いわば中教審を指しているなと思っているわけでありますが、これが一〇・七%であります。「内閣が新たに設ける機関」、いわば中曽根さんが言っている臨教審の問題だと思うのでありますが、これが三〇・一%なのであります。そしてまた「内閣や省庁に関係しない第三者の機関」、これが実に四六・九%、高い比率に上っているのですね。  国民的合意という言葉をしょっちゅう総理大臣も使われるようなんでありますけれども、まず最初に、お読みになっておられますから、この調査の結果について大臣の感想をひとつお聞かせいただきたい、こう思います。
  96. 森喜朗

    森国務大臣 今、佐藤さんが主な点をお挙げになりましたように、調査結果は、教育の現状と今後の教育のあり方につきまして、国民意見や要望の一端を示しているものといたしまして、大変傾聴に値するものである、このように考えております。  現在、政府におきましても、教育に対する属民的な要請にこたえまして、長期的展望に立って政府全体で教育改革に取り組んでいきたい、こういうことで臨時教育審議会の設置法案お願いしているわけでございますが、この調査結果がそういう意味では、臨教審におきまして審議を進める上でも大変参考になるのではないかな、こういうふうな考え、感想を持っております。
  97. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 とりわけ、最後に申し上げましたその機関の問題でありますが、臨教審を否定したような結果となって実はあらわれているのであります。つまり、そのことは、政府権力が教育を支配することへの危惧と、あるいはまた戦前戦中における教育の国家統制に対する反省が含まれて、こういうことを二度と繰り返しちゃいけないんだというような警告であると私は受けとめてみたわけであります。国民的合意という表現を、先ほど来から言っておりますように触れられておるのでありますが、極めていい表現でありますけれども、残念ながら国民的合意へはこの調査の中ではほど遠いのであります。無理をすれば国家百年の大計を誤るのではないか、こんな感じすら、あれを読ませていただいて思ったわけであります。一新聞社の調査であると受け流すことはできませんけれども、あるいはまた一新聞社の調査そのものが絶対であるというような言い方ももちろんできないことも事実なんであります。  中教審あるいは四六答申が議論をされ、そしてまた今回の臨教審、そして一読売新聞でありますけれども、こういう調査結果が出てきている。そうなりますと、まさに屋上屋を重ねるようなことにもなりかねませんし、あるいはまた、私どもが心配しておりますところの政治的中立性の問題や、内閣が教育そのものを直接支配していくのじゃないかという心配を、やはり依然としてぬぐい去れないわけでありますけれども、そういう点について大臣のお考えをぜひ聞かしていただきたいと思います。
  98. 森喜朗

    森国務大臣 これも国会議論を通じまして、たびたび私も総理も申し上げておりますように、憲法、教育基本法の精神を大事にして教育改革に取り組みたい、こうはっきりと申し上げているわけでございます。  今佐藤さんから、読売新聞のアンケートといいますか、この調査結果のお話でございますが、先ほど申し上げたように、私は、この結果につきましては大変傾聴に値するものと考えておるというふうに申し上げております。  ただ、御心配をいただくような、いわゆる政治的中立が守れるか、こういうことでございますが、これも今申し上げた教育基本法を大事にしていきたいということでもございますし、むしろ内閣全体がこのことを国民的な要請と受けとめていく、あるいは先ほど申し上げましたように、社会党さん初め各党会派の皆さんが、それぞれ教育に対して大変大きな意見を持っておられます。そういう御意見もすべて踏まえて、やはりこれは政治がかかわり合うということではなくて、政治全体がこの問題を受けとめていかなければならぬ、そういう時期に来ている。これはまた政治家としての務めであろうというふうに私は認識をいたしておるわけでございます。  御心胆のような、いわゆる教育に対して不当な介入をするのではないか、そういう心配は全くありませんし、当然、委員の方々にも、広く国民的な立場からいろんな方々に御参加をいただいて、そして諮問機関として御討議をいただく、そしてその御討議を踏まえて私どもに、総理に答申をいただき、その答申をいただいてから具体的に法律や制度としてこれからお願いをしていかなければならぬ。その具体的な施策を進めていく上でまた国会での議論をいただくということになるわけでございますので、佐藤さんが大変御心配いただく点はよく私も理解はできますが、そのような心配は全くなく、正しい教育のあり方というものをいわば幅広く議論をしていくことができる、このように私は期待をしておるところでございます。
  99. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 この改革の問題につきましてはさまざまな論議がこれから展開されるわけでありますが、時間的制限もありますので、なお、この後に同僚の田中議員、馬場議員が別の角度から多分、大臣考え方を聞かしてもらう機会が出てくると思いますので、次に移らしていただきたいと思います。  校内暴力、非行の問題について、若干意見を申し上げながらお尋ねをしたい、こう思います。  中曽根総理は、御承知のように教育改革の中で、校内暴力、青少年非行の激増等の問題に触れられました。そして、その背景について総理なりの見解が実は施政方針演説の中で述べられているわけであります。すなわち、学校教育にのみ依存し、家庭、社会教育等、より広い視野からの総合的教育を重視するという考え方が弱かったことである、こう言っているわけなんであります。  今、現に起こっております校内暴力問題や非行の激増は極めて嘆かわしい問題でありまして、一日も早くこういう問題について解消をしなければならない私どもの責任があるわけでありますが、限られた時間の中での演説でありますから、そう多くを語ることができなかったとは思いますけれども、何か私は、あの演説を聞き、あるいは後ほど議事録を読んで思いますのには、とらえ方に非常に甘さがあるんではないか、そんな考えを実は持ってきたわけであります。  問題は、子供たちが校内暴力を起こす、あるいは非行に走っていく、そういうよって来るその原因の探求を、教育という立場とそれからそのように走った子供たちの流れというものを丹念に調査をしなくちゃいけないんじゃないか、単に押さえつければそれで直るというものじゃない、私はこう思っているわけであります。  幾つか資料もいただいて、低年齢に移ってきたという傾向も実は統計上出ているわけでありますが、校内暴力や非行の激増の問題、そして、そこに走った子供たちのその原因というものを一体どのようにとらえられておりますのか、お考えを聞かしていただきたい、こう思います。
  100. 森喜朗

    森国務大臣 校内暴力あるいは青少年の非行すべて含めまして問題行動が大変多いということについては、私も深刻に受けとめているわけでございます。こうした現在の状況というものを何とか解決をしていくということ、これがまた政治の上においても大変大事な問題だというふうに考えております。  やはり校内暴力等の原因、背景というものを考えてみなければならぬわけでありますが、これはどれが優先するものか、個々のケースによってそれぞれ違って、さまざまな理由があるようでございます。大体全体的に見て言えることは、やはり家庭におきます親の養育態度といいましょうか、あるいはまた社会におきます学歴偏重という考え方、こういうことが子供に対してむしろ教育の押しつけになっていく、そういうことに対して子供がいろいろな意味で反応を示しているということは一つあると思います。  もう一つは、現代社会がやはり物質中心の世の中になってきている。物中心的な考え方というのが子供たちの心をすさましている、こういうふうにも言うことができるかと思います。  もう一つは、いい面も悪い面もございますけれども、やはりマスコミの影響。子供たちを取り巻く環境がいろいろな意味で問題がある、また有害な点が多い。心身の発達程度に応じてこれらの問題に対応でき得る、それだけの受け入れ態勢がまだできていない、そういう面もあるのではないかというふうに思います。  もう一つは、先ほど午前中の江田さんの御質問の中にもございましたが、地域社会全体の連帯感というものが薄れてきている、そういう急激な社会環境の変化というものがございます。我々大人が受けてきたそういう社会的な変化と今の子供たちが受けている社会の変化というのは、大きな違いがある、そういう子供たちの環境というものも一つの原因であろうと思います。  もう一つは、先ほど先生からもお話がございましたが、読売新聞のアンケート等にも出ておりますように、教師の指導態勢というものもございますし、もちろんそれに伴う受験の過度な競争というものも当然挙げられる。このようなことが原因として挙げられるというふうに文部省としては受けとめているわけでございます。  校内暴力に対しましては、文部省としてもこのことにつきまして非常に積極的に取り組んでおりまして、昨年の三月に有識者による最近の学校における問題行動に関する懇談会というもので有識者から御意見をいただきまして、その提言をちょうだいいたしておりますので、その提言を受けまして緊急対策と長期的な対策、両面から今施策を推進いたしておるわけでございます。  ちなみに、校内暴力は昨年の後半から見ますと最近非常に減少してまいりまして、ことしの三月の卒業式もますます、昨年に比べまして警察官を導入するなどといったような学校はかなり減少いたしておりまして、学校、家庭、社会、みんながこの問題に対して重要な問題として意識を持つということがやはりこうした減少傾向に出てくるのだろう、こう考えますが、今後とも、先ほど申し上げたような緊急対策あるいは長期的な対策、両面の中で文部省としても一層指導をしていきたい、こういうように考えておるところであります。
  101. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 その背景、要因、大臣の今の答えでは、学歴偏重の問題、物質的な問題、マスコミからの影響の問題、私もそうだと思います。どれが一番比重が高いかなどということには、それぞれの特徴がありますからならないと思いますけれども、共通的には大臣がおっしゃったとおりだと私も思っているわけであります。  そこで問題になるのは、私も長い間教育の経験を持ってまいりましたので、よくその辺は自分でも承知をしているつもりなのでありますけれども、今日一番問題になっている、あるいは先ほどの読売の調査の中でも明確に答えが出ておりますように、偏差値教育というのが子供たちの心を非常に傷つけて、そして場合によってはついていけない子供が先ほど話があったような非行に走っていく、そういう傾向が非常に多いということは私はやはり共通的な一つの課題だ、こんなふうに実は理解をしているわけであります。  後ほどもこの問題に関連をいたしましてお尋ねをいたしますが、まず偏差値教育についてどういうふうにお考えになっておられるのか、大臣のお考え方を示していただきたいと思います。
  102. 森喜朗

    森国務大臣 偏差値教育はもう先生も御承知のとおり、これは業者がいろいろな形で出してきているわけでありまして、文部省としても、この偏差値教育学校の中に取り込んでいくということについてはできるだけ避けていきたい、こういうふうに考えております。  これまで二回にわたりまして初中局長の通達あるいは次官通達をこの三月にもいたしておりまして、要は先生方が適正な進路指導ができ得るということが一番大事なところでございますが、やはり全国、それこそ北海道から沖縄まで、先生方ももちろん学業も教えていかなければなりませんが、幅広い日本じゅうで将来の進路を教えていかなければならぬ。あるいは高等学校の場合は全県下全体を見ていかなければならぬ。いろいろな意味先生の負担も大変なのだろうと思います。そういうことで安易に偏差値を利用するというところも出てくることは全くこれは理解できないわけではございませんが、学校教育の中に業者の偏差値を生かしていくというやり方については、極力私どもはそれを避ける方向で指導をしてきたつもりでございます。  具体的な指導をどのようにしたかということについて、もしお尋ねでございましたら、政府委員から過去の経緯もございますのでお答えをさしたいと思います。
  103. 高石邦男

    ○高石政府委員 昭和五十一年に初中局長通達を出しまして、業者によるテストの取り扱いの通知を出したわけでございます。  このときの通知は三点ございまして、子供たちの能力・適正、進路希望等をもとにしてやるべきであって、安易に業者テストに依存してはならないというのが第一点。第二点は、授業時間中に業者テストが行われているという実態がありましたので、学校ではそういうことは望ましくないということで、授業時間以外にもしやるとしても考えるべきである。第三点は、教師自身が業者テストの業務に従事する、そして一定の報酬をもらうというような点もありましたので、そういう点は自粛をするように、こういう三点の通知を出したわけでございます。  この結果、授業時間中に業者テストを行うということ、それから教師が業者テストの業務を分担するということは著しく低下していったわけでございます。しかしながら、依然として業者テストによる受験、進路指導が行われているという実態はなかなか改善されないということから、事務次官通達を五十八年十二月八日付で出したわけでございます。  その中身は、一つは、進路指導をやる際に偏差値のみを重視してこれを行うべきでないということ、そしてあくまで児童生徒の適性・能力、進路希望等に応じて進路指導を行うべきであるというようなこと、そしてそれは生徒が入学した時期から継続してやるというようなことを努めるべきであるというようなことで、進路指導に当たっての基本的な考え方を述べてこの是正に努めているわけでございますが、これは単なる指導通達で解消できる問題ではないということで、これも去年の十二月に高校入試改善の検討会議を発足させまして、そこで今高校入試のあり方も含めて鋭意検討を重ねているという状況でございます。
  104. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 公教育に関する問題でありますからいま少し突っ込んだお考えをお聞かせいただきたいと思いますけれども、関係をいたしまして、高等学校において習熟度学級編制をやられていると思うのでありますが、実施をされている学校のその効果は一体どういうふうにあらわれているのか、もし資料があったらひとつ御説明いただきたいと思います。
  105. 高石邦男

    ○高石政府委員 新しい学習指導要領の基準を決めましたが、昭和五十三年度の習熟度別学級編制というのは一五・七%程度、公立学校で行われていたわけでございます。昭和五十七年度におきましては四一・八%と、かなり習熟度別学級編制が公立高等学校で採用され、浸透してきているという方向が出ているわけでございます。  これを実施いたしましたねらいは、一人一人の子供たちの適性・能力を最大限に引き出すというところにあるわけでございます。ただ、一クラスの子供を形式的に一定の進度で授業を展開するのではなくして、学習のおくれがちな子供にはそれなりの手間暇をかけて習熟度による指導を展開していくというようなことで、一人一人の適性・能力を伸ばすためにこの習熟度というのは大変な成果をおさめつつある、こういうふうに理解しておるわけでございます。
  106. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 文部省のとらえ方はそういうとらえ方をされているようでありますけれども、具体的に言いましたら、いわば能力別学級編制、この問題については子供たちの差別、選別の問題あるいは中途退学者の問題を含めましてかなり検討を加えなくちゃいけないのではないか、私はこんな意見を持っているわけであります。  さて、大臣、ちょっと意地悪い質問になるかもしれませんけれども、最近よくテレビで「よい子、悪い子、普通の子」なんというのを毎週やっておるわけであります。ときどき私も目に映るわけなのでありますが、大臣がお考えになっている「よい子」とはどういう子をよい子とお考えになっているのか、「悪い子」とはどういう子供を悪い子とお考えになっているのか、ひとつお聞かせください。
  107. 森喜朗

    森国務大臣 「よい子、悪い子、普通の子」、なかなかこれは、ケース・バイ・ケースですから、物事の考え方にもよるでありましょうから、そう簡単に識別できるものではないだろうと思います。テレビはどういうことをよい子と悪い子と普通の子の基準にしているのかわかりませんが、ごく普通を普通として、それよりいいものはよくて悪いのは悪いと言っているのだろう、こう思います。子供たちは、それぞれの環境、それぞれの問題のとらえ方、テーマによって行動して、またあるいは思考を持っておるわけでございますから、一概に「よい子、悪い子、普通の子」というふうに教育上決めつけて識別をすることはよくない、私はそう思っております。
  108. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 私は、二月の段階でありましたけれども、地元で、非行を前提といたしましてこの問題を考えるシンポジウムに参加をして、大変勉強させていただきました。  ある女の小学校先生でありましたが、子供たちは非常に愛情に飢えている、そのはけ口が悪さとなってあらわれてきていることを知ったと実は発表しているわけであります。だから、子供だけを責めるわけにはいかない、大臣が先ほど、いろんな要因があるとおっしゃいましたけれども、そういうものを組み合わせて教育的に一体どうなくしていくのか、私は、これを真剣に政治の中でも考えていかなければいけないのじゃないかと、シンポジウムに参加をして考えたわけであります。  さらにまた、ある中学校の教師はこういうことを言っているわけです。よく「問題を持った子供」という言葉が使われるわけでありますが、今の中学校の生徒の中で問題を持たない中学生はいないというのです。みんな持っているというのです。だから、問題を持っている子供というのは決して特別な子ではない、それをしも悪い子だなどと規定づけることが逆に非行に追いやってしまう結果になる、実はこういう発表もありました。  あわせてまた、学校に行けば非常に授業が難しい、子供たちはおもしろくない、一人一人対話をすればこういう本音がぽんぽん子供たちの口から出てくるということも実は発表されているわけであります。あわせて、家庭に帰れば勉強、勉強とせき立てられることが、結局は勉強嫌いになってしまうという、これはかなり問題になっている点でありますけれども、こういう点にも十分目を向けなければいけないのではないかと私は思っているわけであります。  そしてさらに、現代のよい子とは一体母親はどう考えているのだろうかということを引き出しましたら、勉強のできる子が即よい子だというとらえ方をしているところに問題がある、こういう言い方であります。つまり、そのことは、目標はよい高校に入り、そしてよい大学に入ることであると認識しているところに、今日の教育の荒廃がなくならない、こればかりではありませんけれども、やはりこういうところに目を向けて考えていかなければいけないし、勉強する子をよい子、勉強しない子を悪い子だというふうに簡単に大人が決めつけてしまうところにも、実は問題があるわけなのであります。  さてそこで、時間も大分たちましたから、非行の問題について関連してお尋ねいたしますが、三月二日、朝日新聞の全国版でありますけれども、これは茨城県の水戸の中学校の生徒の問題であります。警察官が親に無断で踏み込んだ、そして親が、その子供たちのことを考えながら、かなり怒りを燃やしているというのが茨城県の地方版の中でも載せられているわけであります。警察庁の方、来ていらっしゃると思うのでありますが、その事実経過についてお知らせいただきたい、こう思います。
  109. 山田晋作

    ○山田説明員 お答えいたします。  今お尋ねのございました事案でございますが、ことしの一月上旬ごろ、水戸市内におきまして警察官が管内をパトロールしておりましたところ、家出中の生徒を捜しておられた先生方が、仮にAさんとしますけれども、Aさん方の前でたたずんでおられまして、どうもこのお宅の勉強部屋の中に家出の生徒がいるらしいので一緒に見ていただけませんかというふうなことを依頼された。そこで皆一緒にその勉強部屋の方へ行きまして、家出中の生徒がいるかどうかということで、プレハブの勉強部屋でございますけれども、かぎがかかっておりましたので、ノックをして少年にうちをあけてもらった、こういうことでございます。そしてその中に家出少年も発見した。その上で、そこに一緒に来ておられたお母さんにその少年を引き渡した。こういう事案でございます。
  110. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 警察と学校との関係としていろいろなことがよく問題にされるわけでありますけれども、警察が入っていいかどうかというのはそのときの状況にもよるだろうと、私はこういうふうに思うのでありますが、少年法あるいは刑事訴訟法から言えば、現行犯でない限り家宅捜索は令状を持っていかない限りはできない、こういうことになっているのは御承知のとおりであります。新聞そのものを私はうのみにはいたしませんけれども、やはり教育的な配慮を十分された上で、そして関係者と非常に緊密な連絡をとって、そういう行動をされるときには慎重にやってほしい、こう思うのでありますが、警察庁の事実経過はわかりましたから、大臣、その点について見解があったらお示しいただきたいと思います。
  111. 森喜朗

    森国務大臣 今の茨城県の問題は、事実関係は今警察庁からお話があったとおりでございます。  一般的に申し上げて、校内暴力等の問題につきましては、やはり学校が主体的に取り組むということが基本的な姿勢でなければならぬ、そういう点では佐藤先生のお考えと同じだと思います。ただ、非常に複雑にもなっておりますし、それから、やはり子供たちが集団化していくという傾向もございます。また、体格的にも非常に、先生とそう遜色がないように中学生もなってきておりますから、そういう面で先生方もまた現場で大変お困りの面もたくさんあるのではないか。そういう意味で、あくまでも学校が主体的に取り組むということは大事でありますが、同時に、関係機関との連携も十分とっておくということも必要であろう、こういうふうに思っておるわけでございます。できれば警察と学校の連携のそうした協議会等を設けて、そして非行防止や問題に対処するように、共通にお互いに理解を持ち、そしてまた相互の協力を図るように文部省としては指導しておるところでございます。
  112. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 福井県警が三月二十三日に発表した定期異動の中で、初めて現職警察官、警部三人を福井県の三つの市の教育委員会や市民相談室に派遣をして、非行対策に当たらせることにしたそうであります。この新聞を見て私は非常に驚きました。一体現職の警察官を教育委員会に配置しなければならないほどになっているのかと、大きな疑問を持ったわけであります。私は、これはかなり慎重を要する問題でありますし、極めて重要な問題だ、こういうふうに認識をしているわけでありますが、全国でこういう事例が福井県のほかにあるのかどうか、あるいは福井県の問題につきまして文部省に事前にこのような相談や報告があったのかどうか、いかがでしょうか。
  113. 山田晋作

    ○山田説明員 お答えいたします。  福井県下におきましては、すでに昭和三十五年から、福井市で少年愛護センターに職員を派遣してございます。全国的に見ましても、福井県の例のほかに二、三例はございますが、青少年の非行防止にいずれも取り組んでおるというのが実情でございます。
  114. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 私も大分調査をしたのです。名前まで知っていますが、名前を言うのは控えるにいたしましても、しかし、私の調べたところによりますと、例えば福井県のある市の教育委員会社会教育課長補佐として入っているのですね、現職警官が。少なくとも教育委員会というのは教育行政に携わるところであります。非行あるいは校内暴力の問題が激増していることもよくわかるわけでありますが、しかし、茨城県で起こった、先ほど報告があったような事例とは全く違いますね。現職警察官が市の教育委員会に正式に辞令を持って配置をされる。私は非常に重要だと思うのです。だから、文部省に事前に報告があったのか、相談があったのかということを聞いているのでありまして、大臣、どうですか。
  115. 高石邦男

    ○高石政府委員 一般的に、市の大事については市の判断で行うわけでございますので、個別のことについて文部省の事前の了解とか承認とか報告ということは行われないわけでございます。この件についても、市の独自の判断で処理されているわけでございます。  若干補足いたしますと、社会教育課ということでございますが、具体的には青少年センター所長補佐、もう一つは青少年愛護センターの所長補佐ということで、青少年の補導関係の仕事をやるところにそういう専門的な知識経験を持っている方を人事交流で受け入れたというようなことのようでございますから、このこと自体は特に問題であるとは考えておりません。
  116. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 問題でないという認識にやはり問題がある、こう私は思うのであります。教育というのは、やはり教育的に処理をしなくちゃいけないでしょう。校内暴力なり非行の問題が激増しているから、お気持ちはわからないわけでもありません。そういう状況をよくしていくという考え方にいい意味では立つのでしょうけれども、しかし少なくとも、例えば敦賀市の民生部に、市民相談室にも配置をしておられるんですね。これは何と、ある警察署の現職の警備課長ですよ。警備課長を配置しているんですよ。しかも、ことしは三人ですね。愛護センターの話も調べた結果出てまいりました。これだって、社会教育課長補佐として実は入ってきているのであります。だから、警察官を選任して教育委員会に配置をしなければこの問題が解決できないのかどうかというところに教育的配慮があるかどうかを私はやはり問いたいと思っているわけなんですね。市教委独自の立場でやられたと思いますけれども、こういう行為が望ましいと思いますか、大臣
  117. 森喜朗

    森国務大臣 佐藤さんと私で物の見方が多少違うかもしれませんが、どうも現職警察官、警察官と、警察官が悪いみたいなことのように私には受けとめられるのですが、警察官というのはお巡りさんという意味で、やはり子供たちにとって大変大事な、愛される職業だろうと私は思っております。しかも、その警察官が直接教育現場に当たるということじゃないのでありまして、これからの青少年の非行というのは非常に複雑な要素をいろいろ持っておると思うのです。そういう意味で、警察の行政に当たる皆さんも、そういう青少年非行の現状や子供たち考えというのはどういうところにあるのだろうか、そういうことにやはり広範な、総合的な対応をしていかなれけばならぬだろう。現職の警察官が学校現場に入って教壇に立つということではなくて、具体的に言えばそうした青少年教育、そういった中に人事として入っていろいろ勉強される。そのことが子供たちに理解を示すことになるし、そうした子供たち、青少年の問題に対する警察官の対応がよくなっていくのではないか、子供たちにとってむしろいい方向に行くのではないか、私はそのように受けとめております。もちろん、これは佐藤さんと物の考え方が違うだろうと思いますけれども、やはり防犯、補導、専門的な知識経験というのは、これから非行防止、青少年の健全育成にむしろ生かしていくことができる、今のお話を聞いて私はそのように感じました。  ただ、先ほど高石局長から申し上げましたように、一般的に文部省が了解するとか、それが間違っているとかいうようなことではなくて、福井県自体がお考えになったことである、私どもはそのように考えております。
  118. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 大臣、私は、一警察官がいいとか悪いとかと言っているのじゃないのであります。また警察官を敵視しての発想で言っているのじゃないのであります。仕組みとして問題があるのじゃないかということを言っているわけなんであります。教育行政を預かる市の教育委員会、私は市の教育委員会の仕組みや状況というのは知っていますよ。そういうことを考えれば考えるほど、現職の警察官を市の教育委員会に出向させて対策に当たらせることそのものが問題であろうと私は言っているわけなんであります。例えば警察と学校とのいろいろな連絡協議会とか、それはたくさんありますよ。多種多様な格好で実は出てきてい令わけなんであります。教育行政の中に現職警官を人事異動で配置して、監視という言葉は当たらないでしょうけれども、警察は警察の立場で非行防止あるいは補導、善導というものがあってしかるべきだと思います。そういう意味で聞いたのでありますから、警察官を敵視したり、いいとか悪いなどというのでないのであります。仕組みが問題がある。  しかも、ずっと調べてみましたら、県の教育委員会さえ知らなかったということなんであります。報告の義務があるかどうかわかりませんけれども、そういう意味でお尋ねをしているのでありまして、いま一つ御答弁をいただきたいと思います。
  119. 森喜朗

    森国務大臣 私は、出向人事自体は特に問題ではないというように考えております。
  120. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 問題がない、私どもの方ではある、そういう言い方で水かけ論になりますから、いずれ私の方でも十分検討して、しかるべき機会にこの問題についていま少し突っ込みたい、こう思っているわけであります。  さて、警察庁の方にお尋ねをいたしますが、青少年非行の統計をとられていると思いますけれども、今日的状況はどうなっておりますか、ひとつお知らせをいただきたいと思います。
  121. 山田晋作

    ○山田説明員 お答えいたします。  少年非行の現状でございますが、現在、戦後第三の少年非行のピークを形成しておる時期だ、こういうふうに言われておるわけでございますけれども、昨年中の刑法犯で補導されました少年、刑法犯と申しますのは十九歳未満十四歳以上の少年で刑法犯で補導された少年、こういうことでございますが、十九万六千七百八十三人、二十万人に達するという人数でございます。十年前に比べますと約一・八倍、五十五年以来毎年連続して戦後最高という状態がずっと続いておるということでございます。  内容的に見ましても、先ほどお話がございましたように、低年齢化の傾向がさらに進む、それから中学生の非行が十年前の二・五倍というふうなことで、今やもう少年非行は中学生が主役だというふうな状況でございます。また女子少年につきましても、性非行を含めまして補導された少女の数が十年前の約三倍ということで、これまた大きな問題になってございます。校内暴力の問題は、先ほどからいろいろお話がございましたが、やはり先生方に対する凶悪、粗暴な事件を含めて多発しておるというのが実情でございます。そのほか、シンナーの乱用で補導された少年も、昭和四十七年に毒劇物取締法が改正されて以来最高の補導者数を出している、こういう状態でございます。そのほか、少年を取り巻くもろもろの環境とか条件が非常に悪いというふうなことから、この状態を放置いたしますと再び急増に転ずるとか、さらに増加するとかいうふうなことで予断を許さない、こういうことでございます。  このような原因につきましては、少年自身の規範意識の問題とか忍耐心とか自立心、いろいろな問題がございますけれども、そのほか家庭とか学校とか地域社会の問題、少年を取り巻く社会環境の問題、こういった問題がいろいろ指摘されておりますが、私ども警察といたしましては、少年非行防止の問題につきまして、関係機関とか脚係団体と密接な連携のもとに総合対策を講じてまいりたいと思います。  なお、先ほどの質問で私ちょっと漏らしましたのですが、福井県におきましてもこういった見地から、知事部局と教育委員会と警察の三者で福井県の青少年総合対策本部といったようなものを設けまして、本当に一生懸命に県民総ぐるみで非行防止を進めておる、こういうことでございます。こういったことを背景にしまして、地元の市長さんから県の公安委員会の方に、警察職員をひとつ派遣していただきたいというふうな要請があったのでこういうふうな措置を講じた、こういうことでございます。  以上でございます。
  122. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 質問を別な面に変えます。  最近、高等学校の中途退学者が非常に多くなっております。私の県におきましても、実は毎年毎年ふえておりまして、いわば一年に一つの高等学校がなくなるほどの数の中途退学者が出ているわけであります。文部省の調べによりましても、五十七年度は全国的に一年間で百六校分の高等学校が消えてなくなるほど中途退学者が激増しているというのが載っているわけでありますが、高校中退者の現状についてどうなっておりますのか、お知らせをいただきたいと思います。
  123. 高石邦男

    ○高石政府委員 五十七年度の調査で申し上げますと、まず公立高等学校について申し上げますと、全体の二%の子供、人数で言いますと六万五千余りの子供が中途退学をしております。私立学校で言いますと、全体の在籍者数の三・二%、約四万七百程度の中途退学が五十七年度、出ているわけでございます。
  124. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 希望を持って、苦しみもあったんでしょうけれども、高等学校に入った瞬間あるいは一年ぐらい勉強して、私の調べでは、一年生の退学者が非常に多いというのが統計上出ているわけでありますが、非常に残念なことだと思っているわけであります。それにはいろいろな要因があるとは思いますけれども、中途退学者を、ふえるのでなくて減らしていかなくてはいけないだろう、こういうふうに思うわけであります。つまり、歯どめをかける、このような状態にある生徒たちを、やはり教育の力で、政治の力で救い上げていかなくてはいけない、こんなふうにも考えるわけでありますけれども、そういう具体的な方策がおありなのかどうか、そしてまた、大臣の見解もひとつお示しいただきたい、こう思います。
  125. 高石邦男

    ○高石政府委員 先ほど申し上げました状況でございますが、それを内容的に分析いたしますと、一つ学校生活、学業不適応、要するに高等学校教育の生活になじまないというのが約二割、それから勉強についていけないという学業不振、これが一八・五%、これも約二割弱、それから途中で専修学校等へ進路を変更する進路変更が一九・七%、これも二割というような状況でございます。  高等学校への進学率が九四%を超えるという状況でございまして、中学校から高校に入る際に、一つは進路指導が適正に行われているかどうかという問題があります。どうも高等学校に行くよりも、この子には早く実学を身につけさせるというための専修学校とか各種学校を選んだ方がいいのじゃないかという子供もいるようでございますけれども、そういうことを含めた進路指導が十分徹底されていないということでございます。したがいまして、まず中学校段階における進路指導を、本人の適性・能力、それから将来の進路希望を聞いた上で的確な進路指導を強化していくということが必要であろうと思います。これが第一でございます。  それから第二は、高等学校における教育内容の多様化、弾力化、これを進めていかなければならないと思います。そういう点で、新しい教育課程の改定の際には、できるだけ多様化、弾力化ができるような制度にしたわけでございます。これは五十七年度から高等学校にも実施され、五十九年に完成するという状況でございますので、今後一層高等学校における選択の問題、それから教育内容の多様化の問題を推進して、一人一人の子供の適性・能力に合う教育を展開していくような指導を徹底していかなければならないというふうに考えているわけでございます。
  126. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 時間がありませんので深いやりとりができないことを残念に思います。いずれかの機会にいたします。  次は、質問を変えますが、私は、学校の教師というのは授業で勝負するのだということをよく先輩から言われました。そして、今でも私はそうだと思っております。ところが、今日の状況は一体どうなっているのかということを、随分私も歩きまして、いろいろな調べをしたわけであります。  つまり、授業をするためには、小学校でも中学校でも高等学校でも同じなのでありますけれども、教材研究がどうしても必要になってまいります。そして、その研究の中から、いわば指導案の日案であるとか週案であるとかいうのがつくられまして、準備をして授業に入る、そういう繰り返しになるわけでありますけれども、こういう教材研究の時間がなければ、本当に子供たちといい授業ができない、子供たちと接することができないというのは、もう言うまでもないことなのであります。  ところが、今日の学校現場の状況は、各県によってもちろん違うとは思いますけれども、一概には言えないと思いますが、現場の中で一番問題になっておりますのは、研究指定校の問題なんであります。これは御承知のように、文部省からの研究指定校、あるいは県教委、市町村教育委員会、そして小中教研、中高教研、さまざまな研究指定校があるわけであります。この中で、私も何回か自分で経験しておりますからよくわかるのでありますけれども、それでは研究指定を受けている学校の実態というのはどうなっているのかと、ごく最近のものを調査してみました。そうしますと、一年間に職員会が二十三回あるわけであります。それから校務運営協議会というのが八回、学年打合会が十二回、研究会の会議が七十二回もあるわけであります。この研究会の会議の七十二回というのは、すべて研究指定校にまつわるところの研究のまとめやあるいは討議やということなんですね。そうしますと、先生方が非常に忙しい。子供に接する時間が少なくなってくる。そういう指導をしている、そういう学校経営をとっていること自体が悪いのでありますけれども、一般的な傾向として、こういう教師の多忙化が往々にして研究指定校の中から生まれてきているということを、残念ながら言わざるを得ません。  研究指定校の果たしてきた役割、その効果、それは十分に上がっていることは私も自分の経験からよく知っているつもりなのでありますけれども、もっと指定校の数を少なくして、そして実りのある、効果のある、しかも現場先生たち子供たちと接する時間を多くしてやる、こういうことが必要だと思いますが、お考えを聞かせていただきたいと思います。
  127. 高石邦男

    ○高石政府委員 研究指定校は、先生も御指摘のようにさまざまな分野において行っておりまして、そのねらいとすみところは、一つは教材の開発、そして指導方法のあり方についての研究、それと今後の教育課程改善の参考資料としてデータを積み上げていくということで、研究指定校の果たしている役割、効果というのは、全国的に見て非常に重要だと思うわけでございます。  問題は、指定された学校の研究のあり方、そしてそれに対する対応のあり方という点が、いろいろ御指摘のような問題もあろうかと思います。したがいまして、そういう点である程度の負担が増大するということは、これはやむを得ないかと思いますけれども、肝心め児童生徒教育自体がそのことのために大きな阻害を受けるというようなことがあってはならないと思いますし、そういうことに十分留意されながら研究を進めていくようにということを指導しているわけでございます。  なお、研究指定校の数の問題につきましてはいろんな意見がありまして、文部省で絞りますと、もっと各県に一つぐらいはとか、各県の南と北ぐらいにちゃんと当たるように数をふやせというようないろんな意見もあるものですから、現実的にはそういう状態も踏まえて現在の数の指定をしております。ただ、今後この問題については十分教育委員会等の意見も聞きながら、実態も踏まえながら検討してまいりたいと思います。
  128. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 文部省の指定が多いから減らせという意味で言っているわけじゃないのであります。全体的に文部省だけの指定ではないと言っております。御承知のように、県教委もあり、地方教育委員会もある。かなり多いですよ。ですから、そういう意味で、全体的にバランスがとれるように、しかも指定を受けた学校の研究が他の教科に悪影響を及ぼしたり、あるいは阻害をしたりすることのないような体制をつくってやるためには、私は総体的にバランスをとるべきだ、こういうことを言っているわけであります。ですから、単に文部省だけではなくて、市町村教育委員会に至るまで十分整理をしていただいて、御指導をお願いしたいと要望、しておきます。  もう時間がありません。あと一、二の質問で終わります。  高等学校の歴史教科書記述改訂の問題について、お尋ねをいたします。  日韓関係筋は、四月七日、今月初めに来日した韓日議連の幹部が、日韓議連を通じて非公式に、外務、文部両当局に是正措置をとるよう要望していたことを明らかにしたと新聞は報道されているわけであります。そしてまた、最近だと思いますが、東京で日韓議連の幹部や自民党の文教議員の皆さんと懇談をしたことも報じられているわけであります。韓国側が早期是正を求めている十三項目の改善、こう言っているわけでありますが、七項目しか改訂されないと韓国側は指摘しているというふうに新聞は伝えているわけであります。  そこでお尋ねいたしたいのは、外務省の方いらっしゃると思いますけれども、どのような是正措置をとるように要望されましたのか、事実関係わかりませんから、そういう事実があったのかどうかを含めましてひとつお答えいただきたい、こう思います。
  129. 高島有終

    ○高島説明員 四月一日から五日まで、御指摘の韓日議連の文化協力委員長の李大津という方が来日されまして、日韓、韓日議連の社会文化委員会の懇談会に出席されたという話は伺っております。ただ、その報道にあると御指摘がございましたような形で、この李議員あるいは日韓議連の方から、歴史教科書の問題につきまして外務省に接触があったというような事実は私どもは一切承知いたしておりませんで、したがいまして、外務省に対してもこの問題について要望があったというような事実はございません。
  130. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 文部省、どうですか。
  131. 高石邦男

    ○高石政府委員 私の方も、その日韓議員連盟が開かれたことは承知しておりますが、その中で具体的にどういう内容がどうだということは承知しておりません。
  132. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 なお、私の方でも事実関係をもっと調べまして、明確になれば、機会を与えていただきましたら再度お尋ねをいたします。  さて、最後に中国残留孤児の日本教育の問題についてお尋ねをしたいと思います。  文部省の予算には、そう多くはありませんけれども予算がとってあるはずであります。そこで、中国から帰国をされた人たちに対する日本教育ですね、一体どのような施策をとっておられるのか、これがまず第一であります。  それからいま一つは、実は私の地元の福島県郡山市の問題でありますが、後ほどお上げいたしますけれども、新聞のコピーが私の手元にあるわけであります。ボランティア活動として非常に活発な日本教育を現在に至っても指導しているわけでありますが、さらに一歩踏み込んで、中国に今いらっしゃる残留孤児のうち帰国希望予定者を対象に、あるいはその人たちを含めまして、現地に行って日本語を教えることができたら、ある程度日本語をマスターして永住帰国を果たすようなことができれば、さまざまな問題が起きました悲劇がなくなるのではないか、こういう考え方で真剣に考えて、今中国側と接触を保っているようであります。非常に重要な問題でもありますし、そして一歩踏み込んだ大切な問題、こう私は思っているわけであります。  ところが、この新聞の中にも出ているわけでありますが、「今回の「教室開設」は”民間団体のボランティア活動”とみなされ、日本行政がノータッチであるため、中国政府に公式に受け入れ要請を出せない状態にある。」こういう記事が実は掲載されてきているわけであります。私としましては、何としてもこういう人たちの活動というものを援助し、そして実現させてやりたいな、こういう気持ちでいっぱいなんでありますが、厚生省の方あるいは文部省考えをぜひ聞かせていただきたい、こう思います。
  133. 森山喜久雄

    ○森山説明員 最初の方にお話しになりました、中国残留孤児の方が日本永住を決意されまして家族とともに帰国してくるわけでございますが、こういう方々につきましては、ことしの二月に所沢に中国帰国孤児定着促進センターというのを新たに設置いたしまして、ここで約四カ月この施設に入っていただきまして、集中的に日本教育並びに生活指導というのをやることにしております。現在十五世帯の七十七名が入所しておりまして、二月スタートでございますのでまだ最初お入りになった方が出ておりませんので、その研修の成果というものはまだ出ておらぬわけでございますが、今後ともこの施設を活用いたしまして日本語の教育などをやっていきたいというふうに考えておる次第でございます。
  134. 宮野禮一

    ○宮野政府委員 中国から帰国された方の日本教育についての文部省の方の施策でございますが、私どもの方でとっておりますのは、まず第一に、日本語の学習教材というのを作成して関係の方々、皆さんに配付しております。それから二番目に、日本教育をやる指導者に対します研修会というのを毎年二カ所実施しております。それから三番目に、小中学校におきまして引揚者の子供が入っているところがございますので、引揚者の教育研究協力校というのをその中から指定しておりまして、五十八年度は七校指定しておりますが、五十九年度は十校分の予算を用意しているところであります。  それから、五十九年度予算では、さらに新たに今のに加えまして、学習教材のほかに日本語の教師用指導書というのを作成する予定になっております。  これらの措置を通じまして、今まで厚生省を中心にして中国帰国者に対するいろいろな業務を行っているところでありますが、さらに、今厚生省からお話ございました定着促進センターがいよいよ開所いたしましたので、その実情を見ながら今後の問題は関係省庁とも協議してまいりたいと思うわけであります。  それから、最後の方にお話がありました第二点の、向こうの方へ行きまして日本教育をやるのはどうかということでございますが、これは、ただいま申し上げました定着促進センターをつくるに際しまして、厚生省が中心となりましてつくりましたレポートがございますが、その中でもいろいろやはりこの問題につきましては、中国当局の非常な御好意といいますか、中国側の御好意をもとにいろいろな業務が実施されているわけでありますが、さらに向こうへ出かけまして日本教育を帰国する予定の方にするということについては、いろいろ向こうの方の国内事情、例えば、いらっしゃる方々背離れて生活しているわけでありましょうし、それから新聞等で聞きますと、養父母の問題等もありまして、向こうの国内事情等もいろいろあろうかと思いますので、直ちに今そういうことが適当であるか、現実的であるかということについては、私どもとしてもちょっといかがかと思うわけであります。  それで、先ほど申し上げましたレポートでは、そういう事情を考えまして、日本へ帰ってきたときにまず入っていただいて、そこで四カ月間集中的に、インテンシブに日本語を勉強していただくのが実際的であろうということで、その施策に踏み切ったわけでございます。
  135. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 質問を終わります。ありがとうございました。
  136. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 中西績介君。
  137. 中西績介

    中西(績)委員 先般、国士舘問題で質問いたしましたその結果、いろいろございましたけれども、最終的には何らかの方策を模索しなくてはならぬということが明確になってまいりました。  その結果かと思いますけれども、昨日、国士舘におきましては柴田梵天辞任を発表いたしておるようであります。そこで本日、文部省に柴田梵天氏を呼び、意見聴取をした模様でありますけれども、その結果はどうなったのか、この点についてまず、時間がございませんから、簡単にお答えいただきたいと思います。
  138. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 昨晩、国士舘大学の方から私どもに連絡がございまして、大学の管理運営に関しまして理事会で一つの決定を昨日いたしたので、それについての報告をしたいということで、本日の午前中に先方から報告に見えたわけでございます。  その報告の内容でございますけれども、一つは、柴田梵天氏はこれまで理事長兼学長であったわけでございますけれども、四月十日付をもって退任をするということと、その後、今後名誉的な職として館長という職を設けて、それにつく方向考えているという点が一点でございます。  それから第二点は、後任の理事長、学長につきましては文部省の推薦を得た方を理事会として決定したい、ついては文部省から御推薦を願いたいという依頼がつけ加わってございました。  さらに第三点でございますけれども、それまでの間につきましては、暫定措置といたしまして理事長事務取扱及び学長事務取扱を置くということで、来省されました光定氏、現在理事でございますけれども、この方が理事長事務取扱をやるということでございます。  それから、理事の定数につきまして、現在五名の者をふやして八ないし九名ということにいたしたいということ、また、評議員の定数につきましても、現在十一名ないし十三名と規定されておりますが、これを十七名ないし二十名といたしたいというようなことでございました。これらのために必要な寄附行為の変更についての認可申請を行うということを決定した、ついてはよろしくお願いをしたいという旨の報告兼依頼があったわけでごいます。
  139. 中西績介

    中西(績)委員 そうしますと、新聞に発表された中身以外は何も出てこないわけでありますけれども、なぜ彼が辞任をするのか、あるいは文部省からの勧告をどう受けとめたのか、こうした点あたりについての具体的な態度表明というのはなかったのですか。
  140. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 柴田氏は既にもう理事長を退任したわけでございますので、前理事長ということになるわけでございますが、報告の最初に柴田前理事長から、文部省からこれまで正常化のための指導を受けて種々検討してきたけれども、昨日こういう結論に達したということと、これまで長い間御迷惑をおかけしたことをまことに申しわけなく思う、今後とも御指導をお願いしたい、こういう意向の表明がございました。
  141. 中西績介

    中西(績)委員 そうなりますと、これは大臣にお聞きすることになるかと思いますが、今言われたようなことでは、先般この文教委員会におきまして私たち、国士舘のとってきた態度というのは、本当に残念だけれども、文部省に対する挑戦的な対処の仕方だという受けとめ方をしたわけでありますけれども、その回答として、今出てきた中身であれば、どのように判断をすればよろしいのか。特に、朝日新聞では、文部省はこの点について了解済みと言っているわけですね。読売では、光定理事が、改善勧告の完全な実現として文部省は受け入れた、こういう発言までしていますよね。ですから、そういうことになってまいりますと、報道がこのままであれば、我々が先般確認をしたように挑戦として私は受けとめて、何らかの措置をしなくてはならぬと言っておったんだけれども、どうも腰が途中で砕けたんではないかというような感じがするのですが、この点どうですか。
  142. 森喜朗

    森国務大臣 再三先生からも御質疑がございましたし、文部省も当初から申し上げておりましたように、早く正常な状態に立ち返ってほしいということで、六項目につきまして厳しく指導をしてきたのは御承知のとおりでございます。特に文部省としましては、中心的な課題は理事長体制の刷新にある、つまり柴田総長について最高責任者としての何らかの責任を明確にとっていただく必要がある、これを指摘してきたわけでございます。  今お話がございましたように、そしてまたこれまでも私が何回も申し上げておりましたように、大学の自治、そして大学の自主性というのは尊重しなければなりませんので、私学といえども文部省が立ち入って、大学についていろいろと指導するということはできるだけ避けていかなければならぬ、あくまでも文部省と大学の信頼感の中で解決をしていくということがやはり基本的なスタンスだ、私はこのように申し上げてきました。  ただ先生からも御指摘がございましたけれども、そうしたお互いの友好、友好といいますか、お互いのスタンス、お互いに深く踏み込まない、自主的に大学がみずから刷新をしていただく、解決をしていただくというその姿を逆に盾にして、そして世間の常識では理解がしにくいようなことになるのでは、私どもとしてはなはだ遺憾だし、むしろ私も大臣個人としても怒りを感じます、このように申し上げてきたわけでございます。こうした今日までの皆さんのいろいろな御提言やまた国会文教委員会におきます御議論を踏まえながら、国士舘大学といたしましては、ただいま管理局長から御報告申し上げたような形でみずから理事会の中でこうした動きを示し、そして文部省にきょう報告をしてきたということでございますので、ある意味では私どものこの意見のやりとりがむだではなかった。そして大学みずからが姿勢を恥じ、新たな刷新をしていきたい、こういう動きをしてきたものであるというふうに私は受けとめておりまして、もちろんまだ十分にその報告もすべて聞いておりませんし、これからの大学の動き方あるいはまたきょう報告いただきましたことなども十分検討して今後の対応をしていきたい、こういうふうに考えておるところであります。
  143. 中西績介

    中西(績)委員 そうしますと、サンケイに出ました大臣の、「十日深夜、国士舘大学の柴田梵天総長の進退問題について「柴田体制をあくまで守るというのは許しがたいことだ。世間をごまかすことだ」」こう出ていますけれども、これは真意はどうなんですか。
  144. 森喜朗

    森国務大臣 ちょっとそれ、見せていただけませんか。きょう私、まだサンケイを見ておりませんので。  きのう夜、私の家の方に各社の記者さんが何人がお見えになりまして、ちょうど十一時のニュースを見た後に、どう受けとめていますかという質問でございました。別に改めて記者会見をいたしたわけではございませんが、立ち話の方もございましたし、電話の方もございました。新聞というのは前後がいろいろと切り刻まれてしまいますので、すべて私の趣旨をそのまま表現してあるわけではありません。  私は、大学がみずから、柴田さんが理事長をおやめになるということは大変これは歓迎をしたい、そしてまた世間全体から批判を受けるようなこの今日の事態を、少しでも大学みずからが解決をしようという動きに対して私は歓迎をしたい、こう申し上げた。ただ、ニュースを見ておりましたら館長制とかいろいろなことがございましたので、館長という制度も直接聞いたことでもございませんし、もしこれが柴田さんの従来の指導体制が引き続き持続されるものであって、そして単に目先だけをかわすために理事長をやめたということであるならば、私はこれは許せないことだ、世間ではそういうことは通じない、こういうふうに私は申し上げた。ただ、大学としてこのようなみずから、いろいろな形で文部省から指導をしてきました刷新について新たな対応をしてきてくれたということについては、私はむしろ喜ばしいことだと思います。今後ともその推移を見ていきたい、私は、こういうふうな大体お話を各社の皆さんに申し上げたと記憶をいたしております。
  145. 中西績介

    中西(績)委員 そういたしますと、今回の場合については、勧告の第一項においては本人がやめるということになっているわけですから、もし今言われたように館長というものが院政をしくということにならなければそこで完全に離れてしまって、今期待をするようなものになれば問題はないわけだけれども、もしこれがそういう中身であるとするならば、これは大変なことですね。ですから、今出ておるいろいろな声明なり、例えば学部長の声明あるいは学内における学生の動向、その他いろいろずっと見てみますと、完全に皆さんの受けとめ方というのは、引き続き柴田体制をいかに学内で維持していくかということを中心に据えたものにすぎないという皆さんの見解なのですね。  ですから、この点をひとつここで御確認いただきたいと思いますのは、柴田梵天体制打破が目標でありますから、このことがもしなされずに温存される、こういうことが出てくるといたしますと、依然としてこの改革案はゼロに等しい、こう見なくてはいけませんので、この点についての見解はどうなのですか、大臣
  146. 森喜朗

    森国務大臣 私はまだ詳しい報告を全部承知いたしておりませんが、先ほど申し上げましたように、新しい動きをみずから大学の理事会がやってくれたということには、私は大変好感を持っております。  ただ、この館長制度というのはどのようなものか。いろいろな新聞等を見まして、理事会とかそういうものに対する権限等はないということ、あるいは理事会に出席をしないとか言っておりますので、そういう面では館長というのは単なる名誉職であるということであるならば、これは一つの前進であることは間違いがないと思います。もちろん、大学全体の中にもいろいろな考え方をする人たちがおられるようでございますし、そういう意味で、文部省が指摘をいたしました大学の改善の方向に沿ってこれからの国士舘大学を新しくよみがえらしていただけるということであれば、私学というものを全体に大事に、責任を持って当たってまいりました文部省としては、大変喜ばしいことだというふうにむしろ考えていきたいと私は思っております。  ただ、今後の推移を見なければ何とも申し上げられぬわけでありますが、単に理事長が館長という名前に変わっただけだというなら確かにこれは世間の目をごまかすものであろうと思いますし、理事会における権限とかそうしたものがないというふうにも新聞等で見たりいたしておりますので、そういうことであるならば、これは前進をして今後どのような形で大学自身が新しい体制をつくっていくかということを、むしろ注目していくべきだというふうに私は考えるわけでございます。
  147. 中西績介

    中西(績)委員 それじゃ、もう一回御確認をいただきたいと思いますのは、今の時点でこのことについての断定的なことは言えないということですね。まだ内容がどう展開されていくか、これらについては十分な検討がなされたわけではありませんから、そうした中での判断としては、本人がやめるということの申し出をしたことについては今までとは一歩前進である、ここまでは言い得ても、将来的なものについてはまだ触れることはできない、こういうことになるわけですね。その点で理解をしてよろしいですか。
  148. 森喜朗

    森国務大臣 先ほどもたびたび申し上げておりますが、十分検討してみなければわかりませんという前提はございますが、一つの前進になる可能性は十分あるというふうに考えております。
  149. 中西績介

    中西(績)委員 時間がございませんから、そこで最後に、前進をする可能性をこの中から引き出していきたいという、むしろ積極的なものを持っているということになるわけでありますから、そうなってまいりますと、先ほど私が指摘をいたしました大学の学部長の声明の中に見受けられるような中身、例えば寄附行為内容については、根幹に触れる問題については今度の場合まだ触れていませんからね。あるいは、その後に出てまいります柴田梵天氏が依然として院政的なものをしいていくのではないかという危惧。それからさらに、もしこういうことが全く改善もされずにいくとするならば、この前から認識をしておる挑戦的なもの、今回の場合はごまかしであったとしかとれないわけですから、私たちはこういう受けとめ方をするわけでありますけれども、今私が申し上げたような、依然として解決すべきポイントがあるわけですから、その点が解決を見ない限り、この点についての十分な対応の仕方あるいは解明の仕方あるいは六項目改善について、皆さんが子としたとは言い得ない、こういうことをここで確認をしておきたいと思いますが、よろしいですか。
  150. 森喜朗

    森国務大臣 先ほどからくどく申し上げて恐縮でありますが、十分にきょうの報告を検討してみたいと思っておりますが、一歩前進をした。それからまた、中西先生を初め多くの皆さんが、この神聖な国会の場で国士舘大学の問題の議論をたび重ねて積み重ねてきた、そうした結果からこうした動きが出てきたということであるならば、これはむしろ歓迎すべきことで、大学の自主性というものを守るということが文部省にとって一番大事なことだというふうに私自身考えておるわけでございます。  したがいまして、これから、例えば理事長、学長の推薦等などとも言っておりますが、これは国立大学じゃないのですから、文部省が派遣をすることが果たしていいか悪いかは別といたしましても、新しい理事長や学長にどういう方が選ばれていくか、その方々と柴田さんとの関係がどういうようになっていくか、理事会の構成あるいは柴田さんの理事会における権限はどういうことになっていくのか、やはり今後の推移を見なければならぬと思っております。  六つの改善項目につきましては、今後そういう新体制の中でどのように改善をされていくか、そのことが皆さんやあるいはまた国民の前で明らかになっていくことでございますので、文部省としてもさらに努力を積み重ねながら、国士舘大学が本当に生き生きとした、伝統と建学の精神を十分に生かす立派な大学として再生してもらいたいというのが文部省としての一番の願いでありますから、今後私どもも努力していかなければなりませんが、大学自体がどのような方向で進んでいくか十分に見ながら、そして推移を見守っていきたい、こんなふうに考えておるところでございます。
  151. 中西績介

    中西(績)委員 最後になりますが、九州産業大学は理事長が交代をしたんですね。ところが、実際にはそれがちゃんと中に入れるような仕組みをまた後になってつくり出していく、こういう状況等があるわけですから、単純なものでなくて、一ひねりも二ひねりもあるということを前提にしながら我々側が対応しておかないと、後になって裏切られるところがたくさんあるということを最後に申し添えて、大臣もこの点についての十分な考慮をしていただくようにお願いをしておきたいと思います。よろしいですか。
  152. 森喜朗

    森国務大臣 そうした御指摘も十分に踏まえながら見守っていきたい、このように思っております。
  153. 中西績介

    中西(績)委員 終わります。
  154. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 田中克彦君。
  155. 田中克彦

    ○田中(克)委員 大臣の所信表明に対する質問が既に長く続いておりまして、私もそれぞれの議員の方の御意見を大変敬服をしながら拝聴してまいりました。私も、私なりの立場からこれから大臣にいろいろただしてまいりたいと思います。     〔委員長退席、白川委員長代理着席〕  そういう点では若干重複を避けられない部面もあろうかと思いますが、お許しをいただいて、ぜひ親切な御答弁をお願いいたしたい、こんなふうに思います。  言うまでもなく、中曽根総理が選挙の際から教育改革を公約し、また年頭の所感の中にもそのことを明言し、さらには今国会の冒頭の施政方針演説の中で三つの改革、行政改革、財政改革、教育改革を柱に据えてこれから行政を担当する、こういう意思を表明されたわけであります。言われるところの教育臨調の設置、この構想はこの時点から明らかになってきたわけでありますけれども、文部大臣が今回の組閣の中で一番年齢も若いし、また、自民党の文教族の若手の雄と言われた非常に有能な方だというふうに私どもは聞いておりました。それが中曽根総理森文部大臣大臣に選んだゆえんだと私は思っているわけでありますが、そういう文部大臣であればあるほど、この重大な教育改革、その持っております若さなりバイタリティーなりというものが、正しい方向への教育改革として発揮された場合には非常に好ましいことだと私ども思うわけでありますが、この方針が仮に誤った方向へ行くというようなことになると大変危惧しなければならない、こういう観点に立って、以下、私はただしてまいりたい、こういうふうに思うわけであります。  それで、特にお願いしておきたいのは、大臣はよく最近の子供教育の傾向を、伸び伸びとしたゆとりのある教育をしなければだめだ、こうおっしゃっておるわけですが、いわばわかりやすい教育、これを進める文部大臣でありますから、ひとつ答弁の方もぜひわかりやすくお願いいたしたい、こんなふうに思うわけであります。  第一の問題としては、中曽根総理のリーダーシップのもとに率いられる内閣の閣僚の一人の文部大臣である、したがって、文部行政を担当してこれを執行する任務を持たれた大臣でありますけれども、その重要な基本になる問題、重点施策や方針、こういうものについては総理との間に意思疎通は十分に図られてしかるべきであるし、そうでなければ同じ閣内の閣僚とは言えない、こういうことになろうかと思います。今回の教育改革についての問題提起というのは、確かに選挙の期間中言われた公約あるいは総理が示した七つの教育改革目標あるいはまた年頭の所感、そういう一連のものは私ども拝見しておりますけれども、今回出てきた経過の中で、文教行政を担当する文部大臣が今の教育改革の必要性を痛感されて、私どものこの委員会の中で所信表明をされた中には、総理教育改革の時期に来ているという考え方にはまさに私も同感である、こう言われているわけであります。  そこで、総理が提唱をされたそのことについて、文部大臣は同感を示して、その後、臨教審設置構想というものに積極的に踏み切っていくという態度であったのかどうか、その辺の臨教審構想が生まれてくるまでのかかわりについて、文部大臣考え方、かかわった経過を私はお聞きをしたい。
  156. 森喜朗

    森国務大臣 まず、田中さんから今いろいろと、私に対して御激励をいただくという意味でも、大変温かい御発言をいただきまして、むしろ私は恐縮いたしております。私も決して年齢的にはそんなベテランの域でもございません。ただ、ここにいらっしゃいます馬場さんや木島先輩、中西さん、同じように私も国会に出てまいりまして、内閣の方の、政府の仕事をしている以外はほとんど文教委員会に籍を置きながら仕事をいたしてまいりましたので、そうした方々と同じように、日本教育について一番関心を持ち、そしてまた心配もしてきた一人でございます。  総理が、かねてから教育改革をしていきたいというお気持ちがあることは私も承知をいたしておりましたし、これは何も総理だけではなくて、どの政党、会派も問わず、今の政治にかかわり合いを持つ皆さんはみんな日本教育についての御関心は大変深いし、そしてまた教育に何らかの改善を進めていかなければならぬ、ある意味ではまた改革も進めていかなければならぬ、立場は違えども、みんなそういう考えを持っておられることであろうと私も思います。  また、そういうことが、先般行われました総選挙に際しましても、あるいはまたその前に行われました地方選挙や参議院選挙を見ましても、どの政党のどの会派も、どの候補者も、教育問題をやはり政策の中に入れておられない方はない、こう申し上げてもいいかというふうに思います。  先生も今度こうして国会にお出になりましたまでの間、もちろん県の委員長として御活躍をなさっておられたわけでございますが、その間は町会議員もおやりになり、あるいは県議会の副議長もおやりになり、十分教育の問題についてやはり関心を深めていらっしゃっただろうと思います。そういう意味で、教育改革全体に今取りかからなければならぬというそういう気持ちに、皆さんも、立場は違ってもお考えは私どもと同じであろうというふうに考えるわけでございます。  私も短い経験ではございますけれども、この教育制度を見直していくことは、もう少し今までの視点と違って長期的な問題として、あるいはまた政府全体としてとらまえていく、こういう姿勢が必要ではないだろうか。そして、中教審の問題とのかかわり合いあるいは総理のお考え、いろんな形の中で私自身も随分悩んでもまいりましたし、また日本教育をよりよきものにしていきたい。少なくとも、今私どもがちょうど生きている日本の国を構成している人口の構成比率といいましょうか、そういう意味から見ますと、確かに昭和生まれは非常に多いわけでございますけれども、戦前の教育を受けた方、戦後の教育を受けた方、そしていろいろな意味で、やはり民主主義教育、平和あるいは自由、こういうものを尊いと考えておられる方がこれだけ定着をしている今日の中で、やはり日本教育をみんなが正しく理解をしていただく、あるいは議論をし合っていくちょうどいい時期に来ているんじゃないだろうか、単に戦前のものはすべて悪いということではなくて、やはり戦前の教育の中にまた失ったよきものもあるはずでありましょうし、また戦後新しく得たものの中では現実の問題としてそぐわなかったものもあるだろうし、少しは反省を加えなければならぬものもあるでありましょうし、そういう面で総合的にかつ幅広く考えていく場合には、先ほども触れましたように、政府全体がこの問題に取り組むことが重要ではないか。そしてまた、そのことが国民的な要請にこたえる一番大事な課題ではないだろうか、こういうふうに私は考えます。  したがいまして、ここまで田中さんの御心配があったのかどうか、お尋ねには入っておりませんでしたけれども、これまでの文教委員会あるいはまた予算委員会の中で議論に出ましたが、中曽根さんのいわゆる戦前回帰志向みたいなものに対する非常な危機意識を持っておられたこともまた事実でございましょうし、あるいはまた教育に対して文部省固有あるいはまた中教審というものがあるではないかというようないろいろな意見もございましたし、特に社会党さんを初め日教組の皆さんも、文部省というものをとても大事にしてくださった。このことはいろいろなところで、新聞等に出ておりまして、私も本当に感謝をしているわけでございます。  そういう意味で、この設置法案をいろいろ検討している中で、教育基本法や憲法を大事にしよう、そして文部大臣文部省というものを大事にしようという総理のお考え方も、私どもと一致をいたしました。そういう中で、今度政府全体として総理大臣の諮問機関として臨時教育審議会の設置をお願いいたしたわけでございまして、いろいろと先生から御指摘あるいはまた御注意等もいただきましたが、そうしたことも踏まえながら、本当に二十一世紀日本にふさわしい教育のあり方を、多くの皆さんの御論議を深めながら、現世に生きる我々の大きな責任として、ちょっときざな言い方かもしれませんが、次代の子供たちへの贈り物として、我々政治家がこのことだけはしっかりと今検討する一番いい時期に来ておる、このように私は考えておるところでございます。
  157. 田中克彦

    ○田中(克)委員 私の質問の趣旨に沿って答えていただけなかったように思っておるわけですが、私は、この総理が打ち出してきた教育臨調設置法の構想が出てくるまでに文教行政を担当する大臣としてどうかかわってきたかということについて大臣に伺ったわけなんです。  と申しますのは、予算の大蔵査定というのが一月二十日ごろ終わったと思います。それから復活折衝が行われて、文部大臣文教予算を獲得するために、こういう財政事情のもとで大蔵省を相手に獅子奮迅の闘いをされたと思います。その結果は、我々が見ても、それは行革関連法案等の抑制の関係もあるとは思いますけれども、文教関係するものから見た限り満足すべきものとは言えないわけですね。文部大臣努力努力として私ども一応認めますけれども、ただ、そういう中で私どもが非常に不可解に思うのは、一月二十五日、ちょうど閣議決定したころだと思います。この時点で参議院決算委員会が開かれています。決算委員会の中でこの教育改革問題についていろいろ質問がされております。そのときに文部大臣の答弁は、依然として、第十四期中教審を中心にして、教育改革をどう進めていくかということについて文部省部内で鋭意検討しているところでございます、こういう答弁になっているわけなんですね。  ところが、二十七日の新聞ですか、森文部大臣が新しい機関を設置する構想を示唆するようなことを言ったという程度の記事がちょこっと出ました。いよいよ総理がそれを打ち出してきて森文部大臣に正式に、文部省総理という形で会談をしたのは二月の一日です。ここから急遽その方針は表へ出てきました。  そうしますと、私がお伺いしたのは、要するに文教行政を預かる文部大臣として文部省の力だけではこの改革が不可能であって、内閣挙げての改革という構想にすることの方がより今の教育改革をする上で必要であるということを、文部大臣は逆に総理に進言をしてなるという経過も一つはあるわけです。そういうリーダーシップを持つ内閣総理大臣というものが、これはこうしなければだめだから文部大臣やりなさい、こういう形もあるわけです。一体どっちだったのですか、その真相は。
  158. 森喜朗

    森国務大臣 私も総理もやはり同じでありまして、それなり立場でいろいろとこのことについては考えますし、また当然苦悶もいたしてきておるわけです。総理自身も記者会見等々の発言ではいろいろな意味で微妙に揺れ動いていることも、これは先生も御承知のとおりだと思います。私自身も、中教審でやっていけるか、あるいはまた文部省として文部省固有のものとして取り組んでいけるだろうか、いろいろな角度から検討もしてみました。また、文部省のすぐれた、今日まで教育行政の任にあずかっておりました事務次官以下皆さん意見も、十分に踏まえてみました。そういう中でるる、長く今日まで申し上げてまいりましたけれども、やはりこれは総理の諮問機関として新しく審議機関を設置して、その中で政府全体で長期的な展望に立ってこの教育の見直しをした方がむしろ実効が上がるし、そのことが政治責任であるというような判断も、私自身もその過程の中でいたしました。  一々細かくそのスケジュールを申し上げるわけにはいきませんが、たまたま今お話がございました二月一日には、私自身もこのような考え方に立ち至りまして、総理自身も最初からすべてこの方向でやれということを申されておったわけでもございません。ですから、一月四日のお伊勢さんにお参りになったときの記者会見も、その後のいみいろな記者会見も、総理自身の御発言もいろいろ微妙に揺れておりますのは、やはりいろいろな意味で模索をし、いろいろな方の御意見もまた聞いておられたのではないかと思います。  私も私なりに、文部省として大事な問題でありますので多くの意見を聴取いたしました。また、我が党の皆さんの御意見も十分に、今ちょうど入っていらっしゃいましたが、坂田先生や、ここにいらっしゃいます文部大臣経験者であります稻葉先生や、こうした諸先輩のお話も承ってまいりました。その中で二月一日に、私もそういう考え方でいくべきであろうという判断をいたしましたけれども、私が総理に申し上げたことは、文部省の権限、文部大臣立場、そういうことを十分に踏まえた考え方をしていただけるかどうかということについて総理と懇談もいたしました。総理は、そのことを十分に受け入れていきたいし、文部大臣立場を十分に踏まえているし、文部省の権限というものも侵してはならないし、そのことも十分に踏まえた中でぜひ政府全体で受けとめていけるような機関にしたらどうかということで、そこで初めて私の希望も、また総理希望も一致をいたしたわけでございます。その後、そうした基本的な考え方を持ち帰ってさらにいろいろな角度から検討いたしまして、二十七日の法案の提出にまで至ったというのが経緯でございまして、先生からいろいろお話がございましたように、いろいろな立場でいろいろな角度から、いろいろな視点から十分に検討してみたということは、この際はっきりと申し上げることができると思います。
  159. 田中克彦

    ○田中(克)委員 予算委員会以降いろいろな議論がされておりますので、できるだけそういう議論と重複する点については私、触れようとは思っておりません。ただ、経過の中からずっと流れを見ておりますと、どうしてもひとつ何か釈然としない、そういうものを感ずるわけです。それが一つ、改革を目指すこの内容についての危惧になり、また唐突な感じを与え、そのことがこの改革の方向を憂える考え方につながっている、こう私は思うのです。  そこで、特にこの設置法構想を打ち出す際に、私は二つちょっと問題を感じているわけです。というのは、この設置法を打ち出す構想の中で総理も、きょう坂田先生おいでになっておりますけれども、坂田先生だとか奥野先生だとか、いわゆる自民党の中の文教に精通されている方々に、総理として直接このことについて理解と協力を要請するようなことをされておりますし、そのことは新聞に報道されている、こういう点が一つ。その際に、できるだけ今まで文部省が中教審を中心に積み上げてきたそのことに沿っていくべきだ、尊重すべきじゃないか、やはり改革の主体は文部省なんだ、こういうことについて新聞も書き立てているわけです。これが一つです。  もう一つの問題というのは、要するに総理がこの改革を打ち出すについて、私的な諮問機関である文教懇の答申をこの三月に合わせて急がせた、この具体的現実というものがあります。そういうものとあわせてみますと、いわゆる文部大臣文部省を所管する大臣として考えてきた教育を改めていかなければならないという発想と、総理政治的に意図している教育改革の発想というのは、必ずしも歯車が合っていなかったのじゃないか。私どもには、経過の中からどうしてもそうしか映りません。  そこで私は、どうかかわってきたかということを文部大臣に聞いたわけですから、仮にこの経過が示すとおり、私どもが危惧するようなこういうことであるとすれば、この教育改革構想というものは、政治の介入という言い方がそのまま当たらないとしても、いわば政治的配慮による構想の打ち出し、こういうとらえ方にならざるを得ない。だから危惧をする意見も、拙速を慎まなければならないという意見も出てきているんではないか。審議会の審議の経過を公表する、国民的合意を求めるために現場へ行って視察もする、あるいは顧問制度も置く、いろいろなことを言われております。しかし、そういうことの中で本当に今、文部大臣がさっき言われましたように、これだけ国民的な教育改革論議が起こっているときはなかった、私はそのことだけの意味からいえば、大変これは意味のあったことだ、こう思いますよ。しかし、どういう改革をするのかということになると、さっき大臣がくしくも言われたけれども、本当の意味での国民的、こういう改革の議論が起こっているのは、国民的合意を得るその手だてというものをどうつくり上げていくかということがむしろ問題であって、だから私はそのことについての文部大臣の見解を聞いているわけですから、そこをひとつ、さっき言いましたようにお答えをいただきたい、こんなように思うわけであります。
  160. 森喜朗

    森国務大臣 今まさに先生がいろいろお話しされましたことは、大筋におきまして私と同じ考えでございます。  お名前を余り申し上げていいかわかりませんが、総理が坂田先生初めいろいろな方のお話をお聞きになったというのは、新聞では要請したとか、書き方は新聞社によっていろいろあるでしょうが、要は文部省のお仕事の文部大臣としての御経験あるいはまた教育問題に御精通された党の先生方に対して御自分考え方を述べ、そうしてそうした先生方から意見を聞かれるということは大変大事なことで、先ほども申し上げましたように総理も、また私も、どのような方法が一番いいかということをいろいろな角度から検討しておった時期でございますから、そうした方々のお話を聞いて参考にされるということは私は当然なことだろう、こう思っております。  そういう意味でありますから、今田中さんがおっしゃったように、私も最初から申し上げておりますように、ゼロからスタートすることではなくて、中教審が今日までいろいろと集積してくださったその議論を踏まえてそこからスタートさしていきたい、こういうふうに申し上げているわけでございます。そしてまた、文部省立場文部大臣立場ということを私も総理に申し上げるし、総理もそのことを十分考えられましたからこそ八条機関、従来の機関にないような、文部大臣意見を聞くとか、あるいはこれは行革の場合ございましたけれども、文部事務次官を事務局長に充てるというようなことをきちっと法律の中に明記された八条機関にいたしたということも、そうした多くの方々の意見総理も十分に反映をするように私に命じていただいたからでございまして、その辺については私も同じ考えでございましたので、そうした設置法になるように今日まで努力もしてきたところでございます。  もう一つ、二番目に御指摘がございました文化懇との関連でございますが、これもたびたび申し上げて、同じようになってまたおしかりをいただくかもしれませんが、これは総理が私的機関として、それなりの文化、教育に対する考え方を持つ先生方意見を個人的にお聞きになるということでございまして、それが私的諮問機関でございますから、確かにそのまとめは先般出ております。確かに教育の今後の方向を求めていくためには、いろいろな意味で大変貴重な、参考になる意見はたくさんございました。それは先ほど読売新聞調査のことも、佐藤さんがお話しになったと同じように、やはり教育改革に対してはいろいろな意味で示唆に富む提言であろうというふうに考えております。  ただ、私が当時総理に申し上げたのは、こうした個人的な諮問機関でありますけれども、総理の私的諮問としてのこうしたものが同じようにあるということは、これはやはりいろいろな意味で誤解も受けますし、私はいいことではないのじゃないかなということも率直に総理に当時申し上げました。そして、総理も、これはあくまでも私的な機関でありますから、できるだけ早く設置法案が出るということならば、その方向一つの目途として、早くこの文化懇はその仕事を終えたい、私自身もその意見を早く求めたい、こういうふうにおっしゃっておりました。したがって、そのこととこの新しい臨教審との関係は直接ございません。ただ、私自身としては、何か総理の私的機関と法律による八条機関と、全く違うものではございますけれども、教育の問題に対して考え方議論し合うという機関が総理の周りに幾つもあるということはいかがなものかということは、私も率直に総理に申し上げた経緯がございまして、総理もそのことを子とされて、この結論を急がれたというふうに私は伺っております。
  161. 田中克彦

    ○田中(克)委員 今の御答弁の中で、いわば国民的合意を求めることは必要だということを大臣もお認めになった答弁をいただきましたが、私はこの点非常に大事だと思いますので、記憶にとどめておきたい、こう思うのです。  そこで、現実にはその法案の審議はこれからの問題でございますので、要するに大臣としてそういう前提に立って、いわゆる国民的合意とは、国民的合意の教育改革とは一体何を具体的には指しますか。
  162. 森喜朗

    森国務大臣 これから設置法案お願いするわけでありますが、その設置や審議のプロセスで、教育現場の方々の意見を含めまして、各界各層の意見が反映でき得るように配慮をすることであろう、こういうふうに思っております。したがって、委員にも国民の信頼にこたえ得るような、そうした幅広い分野の方々にもお願いをしなければならぬというのは、そういう点を十分に考えておることでございますし、審議の進め方についても、これは審議機関で十分御検討いただき、工夫をしていただくことになりますけれども、概要などを時に公表するとか、地方意見を聞きますとか、あるいはまた視察をするとか、あるいはアンケート調査をするとか、いろいろと、私のような浅薄な知恵で目新しいものは——これから、そうした造詣の深い方々ですから、いろいろな知恵もまた出てくるだろう、こう思いますが、要は国民意見あるいは各界各層の意見が反映でき得るように配慮をするということが国民的な合意を得る具体的なことであろう、こういうふうに考えております。
  163. 田中克彦

    ○田中(克)委員 各界各層の意見を求めて教育改革を行う、このことが国民的合意の教育改革である、こういうお答えですが、例えばこの審議会の委員の選任の問題、運営の問題、私ども先ほど申し上げましたように、総理もやっぱり私的な諮問機関の答申だとはいっても、これが明らかにこれからの臨教審の審議のたたき台になるということを答弁の中でも明確に言われているわけですね。それは大臣も御承知だと思いますけれども、また新聞でもそのことは発表されています。例の事務局を開いたときの総理の談話の中に明確に出ているわけでございます。したがって、私ども、そういうことから見ると、必ずしもこのことが国民的合意を求めていく教育改革にならない危険というものを非常に強く感じています。  それともう一つ、そういう形の中で私はどうしてもこれではおかしいではないかと思われるのは、大臣教育問題を教育改革として論ずる場合に、教育を与える側の方ではなくて受ける側の方からこの教育問題を議論しようじゃないか、こういうことを盛んに言われていますね。しかし、教育問題を議論する以上は、教育をする方もされる方も一緒議論しなければ、私は本当の教育改革議論にはならぬと思うのです。そこで最も重要な点は、教育現場教育に実際に携わっている教師の意見というものをこの教育改革へ生かす手だてというものが決定的に欠落をしているのじゃないか。形の上からいっても、今の構想のずっと審議を見ていて私ども感ずるわけでありますけれども、この点が問題だ、こう思います。  文部大臣も日教組の委員長ともお会いになりました。一体そういう点で、文部大臣という立場でこれから進めていく教育改革の中で、現場で最も子供と接触をし手がけて、教育現場の問題をいろいろ抱えて、いろいろ言われてはおりますけれども、その教師は、その子供たちを心身ともに健全な人間に育てようと思って情熱をつぎ込み、日々悩みながら教育を現実に続けている人たちなんです。その人たち意見を聞かずして、それはどんな立派な学者、どんな立派な有識者を呼んで審議をしてみても、私は本当の意味教育改革論議にはならない、こう思うのです。その点、大臣、どうお考えになりますか。
  164. 森喜朗

    森国務大臣 これまで私がこの件に関しまして発言をいたしてまいりましたが、現場先生方意見を脚かないなどとは一遍も言ったことはございませんし、設置法案の中に現場の声云々というようなことの条項が入れられるものでもございませんが、もちろん、これから人選の問題にいたしましても、設置法が国会で御成立をいただかなければ、所掌事務初めすべてのことをお決めいただかなければ今どうこうという人選を進めることでもない、そういう段階ではないわけでございます。私は、日教組とかそうしたことにこだわらず、教育のあり方を問う以上は、教育現場に当たる皆さん意見は十分に聞くべきことは当然なことで、そのことを議論すること自体、私はおかしいと思っておるくらいでございまして、そういう意味では、これから幅広くいろんな方々の御意見を伺うということも再三申し上げております。その中に当然、教育のそうしたことに、どなたを推すということについて今の段階で申し上げるわけにいきませんが、そうした御経験のある方々、またそういう形をいろんな形で、先ほど申し上げた工夫は、これから審議機関がお考えをいただくことでございますが、当然現場先生方とのいろんな接触あるいはお話を承る機会、あるいは場合によればそのメンバー等に対しましては、そうした方々に対する配慮を十分考えなければならぬ一つの面であろうというふうに考えておりますので、先生御心配をいただきましたことは十分私もわかりますので、そうした現場の声を全く聞かない、また教育の第一線に立っておられる方々の意見を全く無視する、そんなことは、まさに先生のおっしゃったとおり、この新しい臨時教育審議会の御審議の中で考えられないことだ、私はそう思っておるわけでございます。
  165. 田中克彦

    ○田中(克)委員 私も、決して現場意見を無視しているなどと言っているわけではありません。できるだけその意見を酌み上げて教育改革の中へ生かしていくことを最大限努力しないと、本当の意味の改革案にならぬではないかということを言っているわけであります。したがって、例えば文部大臣現場教師の代表である組織の代表と会われました。しかし一方は、これは容認できないとか参画もできない、そんな教育改革反対ですよ、いや我々はその改革をやりますよ、こういうことで、ただ別れていってしまったのでは、やっぱり私には、文部大臣としての立場からすれば、まだまだ突っ込んだ努力が足りないじゃないかというふうに見えるわけです。本当に文部大臣が、いや、そんなことはないよ、現場の教師の声はできるだけ聞きたいんだということを考えておいでになるとすれば、そのことの努力がまだまだ私どもの目に映っていない。最大限、文部大臣、そのことについて努力を尽くしたなどというふうには映っていないわけであります。そのことを私は、私の印象としてそう映っておりますので申し上げておきたい、こう思うのです。  ただ、このことは、議論していきましてもそれぞれ行き違いになってしまうと思いますから、私は、文部大臣文教行政を担当する大臣として、自分の任務と使命である文教行政を預かり、これを推進をしていくために、ことしの予算編成の中で大変努力はされた、こう思います。しかし、結果として見ると、大変行革というものに阻まれて苦しまれている。しかし、私ども思いますのは、この臨調、行革というものと教育の改革というものは必ず衝突する性格のものだと思っています。というのは、四十六年の中教審の審議の中でも、教育改革、中教審の出した方針を実際に現実のものとするとすれば、十年の歳月、七十二兆円を要する、こう言っているわけです。だから結局、金をかけない教育改革論というのは空念仏に終わる、こういうことまで言われているわけです。したがって、ことしの行革との関係の中では、例えば文教関係では、一般会計でも〇一八%伸びただけだ、国立学校で五・七伸びているけれども、これは給与の伸びがあるからだけにすぎない。全体でも一・四%というようなことになってしまっていて、これから教育行政教育改革を鳴り物入りで進めていく上で、いわゆる現実に予算的な裏づけというものを伴った改革にしていくためには大変な問題があろう、私はこう思っているわけです。  そこで、実は行革と教育改革についての議論もありまして、そのときに後藤田さん、こういうことを言っています。「行政の改革は、御案内のように行政の簡素化をやりなさい、同時に変化への対応、つまり、新しい国民のニーズにこたえて、必要なものは必要なものとしてやってよろしい。しかしながら、ニーズの変化に伴って需要の少ないものについては思い切って削減をやれ、こういう御趣旨だと思うのですね。そうしますと、今論議せられている教育の改革、これは国民的な課題になっておりますから、」ちょっと中略しますが、「御質問のような予算を伴うとか増員を要するといったような事態になればなったで、」「やはり行政改革のさなかでもそれには応じて」いかなければならないと思う、こう言っているわけです。  私は、この点がもし閣内で、さきに大臣言われるように、この教育改革についても完全に意思統一を図って臨んでいるということであるとすれば、後藤田大臣が言われているこの答弁というのは、私は大変我々にとっては心強い限りだし、注目をしなければならぬと思っているわけです。  現に、四十人学級も、来年はもう三年の凍結が解除されるときを迎えているわけですね。六十年度の概算要求も始まります。こういう状況の中で、本当に大臣、今、後藤田さんが言われるような答弁を信頼して、森文部大臣文教予算の獲得のために四十人学級開始に向かって頑張ってくれるのかどうか、その決意はいかがですか。
  166. 森喜朗

    森国務大臣 問題がいくつかありましたので前後いたしますが、四十人学級初め文教予算はこの抑制期間で大変厳しいものになった、そして次の六十年度への予算編成に当たっては最大限の努力をいたしますということは、先般の文教委員会でもまた予算委員会でもたびたび申し上げておるところでございまして、全体的な計画自体については変更は全くいたしておりませんので、文部大臣として全力を挙げて取り組んでまいります。このことはもう一度、田中先生にその決意を申し上げておきたいと思います。  先ほど、もう一点といたしましては、この教育改革と財政、行革とのかかわり合い、この点につきましては、後藤田さんの御答弁のそのときに、ちょうど私も当然その委員会におったわけでございまして、後藤田さんの答弁の前に実は私が答弁を求められました。私は、総理といろいろと議論を展開してまいります中で、教育を国政の最大の中心に据えられていく以上は、教育問題について財政的な問題、行革との関連の問題で十分にそのことも踏まえておいていただきたい、それは国民総理を見ておりますよ、教育というものを大事にということである限りは、そうした財政的な問題も十分にこれから問題となって出てくることであります、これは我が党の諸先生のすべての皆さん意見でもございましたので、そうしたことも総理に申し上げてきたわけでございまして、総理はたしか衆議院の予算委員会でも、その問題に対しましては、貴重な答申をいただくことが、場合によっては財政的な問題で、やはり大きな財政的な必要があるということであれば当然その答申を尊重していかなければならぬ、こういうことも申されておられるわけでありますし、私も予算委員会ではそのような答弁をしてまいったところでございます。  これは一般的なことでございますが、ただ現時点の中で申し上げることは、新しい審議機関がどのような方策を取りまとめていくか、現時点ではまだ明らかにされていないわけでございますし、またどのような経費がどの程度になっていくなんということも今日の段階では予測できることではございませんので、このことについて今即座に、どのようにするのかということの言及をすることは極めて困難でございますけれども、ただ、一般論として先ほど申し上げたようなこともございますし、また後藤田長官の御答弁もございますし、そしてまた同審議会の答申あるいはまた意見は、これを十分に尊重しなければならぬということに規定をされているわけでございますから、政府としても最大限の努力を続けていくということは当然のことであろうというふうに申し上げることはできると思います。
  167. 田中克彦

    ○田中(克)委員 最大限の努力をするという答弁ですけれども、私が具体的に聞いたのは、六十年から三年の時限立法は切れますけれども、来年はやれるのかどうかということについてお答えいただいたわけですから、そのように理解してよろしいですか。  あと、四十人学級の問題にちょっと話が触れておりますから、それに関連して伺っていきたい、こう思っていますが……。
  168. 森喜朗

    森国務大臣 ですから、さっきちょっと、先生の御質問には幾つもあるので前後いたしますよと前もって申し上げて、先生は最初に行革全体の問題との関連を申されて、その後に四十人云々とおっしゃったから、私は答えを忘れるといかぬので、先に四十人等の話をしてしまって、後から、先に御質問のあった点を申し上げて、逆になったので、ちょっと先生から答弁が違っているというふうに思われるかもしれません。  四十人学級等につきましては、文教委員会や予算委員会で何回も申し上げておりますように、全体的な計画を変更いたしておりませんので、今、六十年度の予算編成をいたしますこの夏、その時点でなければ全体的な判断はできませんが、基本的にはこの問題を最後まで貫いていきたい、こうしばしば申し上げておる、また、きょうも先生にそのようなことも改めて決意を申し上げますと、こう先ほど答弁をしたところでございます。
  169. 田中克彦

    ○田中(克)委員 今、教育改革が非常に議論になっているということですが、もちろん偏差値の問題等も大変重要な問題ではありますけれども、具体的にこの教育改革論議が起こったきっかけになったものは、何といっても高校を初め、最近は中学まで年齢が下がってきましたけれども、校内暴力問題、青少年の非行の増大、この低年齢化の問題、これだと思います。これがきっかけになってさまざまな問題の原因が究明をされ、それがいわば受験競争になり大学間格差になりと、こういう順に広がって、教育改革全体の問題に火がついていったということだろうと思うわけです。  そこで、さっきもちょっと触れましたように、やはり教育改革というのは議論だけで片がつく問題ではない。したがって、どう具体的に対応する措置をとるかということが、いわば本当の意味教育改革につながっていく。先ほどから議論されておりますように、こう改革したらこれが最善の策だというものは、教育改革には絶対にないはずなんです。やればメリットもあればデメリットもあるという状況が必ず伴うものだ、私はそういうふうに思っておりますけれども、ただ、私ども思いますのに、今これだけ火がつき始めた校内暴力や非行の問題、この問題を今ここで直ちにどういう対応をするかということになりますと、やはり一番大事な点というのは、現場における教師と教育を受ける子供がどう人間的に触れ合うような教育の環境をつくっていくかということだと思います。これができれば、私は、かなりこの問題は解決をしていけるのじゃないか、こういうふうに思うわけです。もちろん社会環境やいろんなことがありますけれども、そこで非常に大事な点は、さっき話に出ました四十人学級それから大規模校の解消、この問題だと私、思っております。  大規模校の解消について総理も一遍新聞発表されたこともあった。非行化の問題がいろいろ世上の問題になった際に、この対応として過大規模校を解消していく手当てを講ずるということを総理が記者会見で発表になったことがあります。しかし、今回いわゆる三十一クラス以上を大規模校として解決をしていくというものが予算の上には出てきているわけですが、この三十一学級以上が大規模校であってこれを解決するということを決めた基準、考え方、これは一体何ですか。
  170. 阿部充夫

    ○阿部政府委員 大規模校、いわゆる過大規模校につきまして何学級以上だという定義を私どもは持っているわけではございません。先生御案内のように、関係の法令におきまして、小中学校の適正規模は十二学級から十八ないし二十四学級程度ということに定められておりますので、その標準に合致をするのが一番望ましいという姿勢で、これまでも二十六学級、二十五学級というようなケースのものにつきましても分離をして大規模検問題を解消し、できるだけ標準に近づけていくという試みにつきましては、補助執行に当たりましても優先的にこれを採用するということを補助要綱等にも明記をいたしまして対応をしてまいったわけでございます。  ただ、現実に最近の状況といたしまして、各地方の実態等を見てみますと、三十一学級を超えるもの、さらに三十六学級を超えるもの、さらには四十学級を超えるもの等々いろいろあるわけでございますが、こういったものを逐次解消していくに当たりまして、実際の運営は財政上の問題ばかりではなくて、学区制の定め方でございますとか現実に土地があるかないかという問題等々、いろいろ複雑で難しい問題を抱えておるわけでございます。各市町村がそういった中で実態的な行政上の課題として、大部分のものが三十一学級以上あるいは四十学級以上というあたりをねらいに検討しているという実態がございますので、そのような実態をも踏まえまして、まずは著しく規模が過大になったために問題が大きいと思われるものから適宜片づけていきたいということで、三十一学級のものを当面の宿題としておるということでございます。
  171. 田中克彦

    ○田中(克)委員 教育的観点から、こういう考え方に基づいて三十一学級以上は解決していくということであれば私どもも十分納得がいくわけですが、今の御答弁では納得できるような解明になっておりません。  これは私どものいただいた資料で五十七年なんですけれども、小学校の場合で二十五クラス以上というのが四千五百十三校で一八・四%ある。十九クラス以上ということになると八千百三十六校で三三・一%。中学校の場合で十九クラス以上、こうなりますと三千二百十四校で三一・四%、これも三〇%を超えております。傾向からいえば、中学の方がより規模を適正にして先生子供との触れ合いの機会をふやしていくということが望ましいわけですから、中学校の方をそういうふうに考えた場合には、十六クラス以上ということになればまさに四〇%を超えている、こういう状況であります。  問題行動というものを防いでいくためにいろいろ現場の教師等に世論調査した資料もいただいておりますけれども、そういう中で「生活指導上の必要から」が小学校で五八・〇、中学校で七三・七、「教師のまとまり」という点、これは非常に重要な点だと思いますが、小学校が五二・一、中学校が四一・八、「子供との接触」が小学校が二四・七、中学校が三八・〇、こういうことになっております。したがって、教師のまとまりというものが問題行動を防いでいく学校の対応のためにいかに必要であるかということも、この数字の上にはっきり出ているわけであります。  そういう点から私は思うわけでありますけれども、諸外国の学校規模に比べても、日本の場合はまだ四十五人ということでクラスの規模も大きいわけですし、また、さっきから言うように過大規模校も多い、こういうことで、その問題にもう少し積極的に文部省が手だてを早急に加えなければ、問題行動を防いでいく対応策にはならぬのではないか。例えば、ここでもって教育臨調を設置していろいろ検討をしてこれから対応していく、こういう段階を追っていくこと、それはそれとして、結論を待ってそれなりに対応していくことも必要でしょうけれども、今起こっている直面する課題というのは、総理も言っているように、文化と教育に関する懇談会の結論を三月に繰り上げて出させ、それに基づいて教育臨調の作業を急がなければならぬ、それほど教育現場が荒廃しているということであるとすれば、こういう問題こそ文部省当局は先駆けて手をつけていくという姿勢があってしかるべきではなかったか。  私は、ことしの予算編成を見て、文部省の各予算の中で文部大臣がはっきりした考え方を持ってそのことに当たってくれているとすれば、文教行政を預かる文部大臣に対して大変惜しみない賛辞が贈られるだろう、こう思うのですけれども、残念ながら今前段で聞いた答弁の中でも、そのことについては明確にお答えをいただけなかった。いずれにしろ、この過大規模校の解消、四十人学級の実現、そのことは、今荒廃している教育と言われている具体的な問題に対応する最も緊急な対応策じゃないかというふうに私は思っておりますけれども、重ねて文部大臣のお答えをいただきたい、こういうふうに考えます。
  172. 森喜朗

    森国務大臣 田中さんもお認めをいただくように、厳しい財政、そして行革臨調の答申等を踏まえながら文教予算について努力をしているわけでございます。  今申し上げましたように、過大規模にいたしましても、三十一でなければならぬということを文部省は言っているわけではないわけで、二十五学級以上でも分離をしたいという申し出があれば、先般藤木先生からも集中的にこの問題の御質問がございましたのでその際も申し上げたように、設置主体者がぜひそうしたいということであれば、文部省としてもそれにできるだけ優先的に予算をつけてきたわけでございます。ただ、児童生徒の急減、急増というような問題もございまして、おおむね三十一学級以上分離ということに取り組んでこられたようでございます。ただ、理由が幾つかございまして、私が一番承知をいたしました中では、校下意識みたいなものがございます。あるいは交通の手段、通学の手段というような問題もございます。そういうような問題や幾つかの要因があって、その中で最大の問題は用地取得難であるということから、急増用地の予算をいたしたわけでございます。  したがいまして、先生から御指摘をいただきましたように、いわゆる過大規模校と校内暴力とが即結びつくと言うことは直接はできませんけれども、校内暴力対策といたしましてもまた当然意義のあることであると文部省としても受けとめて、この昭和五十九年度予算、昨日参議院も通過をいたしましたが、この予算の中で改めて分離促進に積極的に対処でき得るように、そういう形で新しい用地取得費の予算を計上いたしたわけでございます。もちろん文部省といたしましても、この問題も、また先生御指摘がありました四十人学級等の問題も、すべて教育の条件、環境が少しでも整うように今後とも私どもも最大の努力をしていかなければならぬ、このことは先生にもたびたび申し上げているわけでございます。そういう方向で、来年度予算編成にいたしましても、間もなくまたその作業が始まるわけでございますが、皆さんのそうした御要望等も踏まえて積極的にこの問題に取り組んでいきたい、こう思っているところでございます。
  173. 田中克彦

    ○田中(克)委員 実は今の四十人学級、過大規模校のことについて調査した詳しい資料を私、持って来ていたわけです。先ほど中西議員の国士舘大学問題が急にあんな事態になりまして、それに時間を割かれましたので、ちょっとはしょった形で質問いたしておりますので、私の質問の趣旨がわかりにくかった点もあろうかと思うわけですが、先へ急がせていただきます。  今回の教育改革構想の中で、総理も言われました、それから文部大臣も言われておりますが、幼保一元化の問題が改革の一つの課題だ、こういう形で提起されております。そこで、私ちょっとそのことに触れてお伺いしていきたい、こう思うわけです。  教育改革教育臨調の構想の中でこれも教育改革として検討の一つの課題だ、こういうことになりますと、あくまでも幼児を教育していくサイドからこれを一本化していくという立場での問題のとらえ方でありますから、当然これは文部省サイドという形でとらえている、こう思うわけでありますけれども、この幼児教育を担当する文部大臣という立場で、幼児教育のあり方についての考え方をちょっとお聞かせ願いたいと思います。
  174. 森喜朗

    森国務大臣 田中さん御承知のことだろうと思いますが、問題の提起として私がこれを新しい臨時教育審議会にかけると言った、そういう前提でお話をいただいているわけでございますが、私はそういう趣旨を申し上げているのではなくて、幼保の問題というのは、目的と機能が全然違っておりますけれども、受ける立場子供さんや特にお母さん、親の立場から見ると、どちらも同じようなことをやっていながら、どうもいろいろな条件が違っておるという意味での不満があるわけです。  それからもう一つは、幼稚園や保育所を設置いたします市町村長が非常に困っておられるということ、私どもが今日こうした仕事をやっておりまして、そういう問題に一番意見が出てくるわけでございます。しかし、今までの経緯やらあるいは厚生省と文部省とのいろいろな関係もあり、これまでのいろいろな検討を加えてきた中でなかなか話が決まらない、わかっていてもなかなかそのような方向に行かない、いろいろなこともございますから、こうした問題はもう少し長期的にでもいいから結論を出していくということでなければいけないのじゃないか、そういう意味で新しい臨時教育審議会において検討に値する課題だというふうに私は今日まで申し上げてきたつもりでございます。  文部省といたしましては、幼児教育の重要性というものも十分認識をいたしておりますし、今後とも幼児教育に対する振興施策はいろいろな角度でこれをとらまえているわけでございます。ただ、幼児教育を進めていこうとすればするほど、直接文部省がやるわけではございませんので、地方教育委員会等からのいろいろな意見あるいは自治体の意見を踏まえてみますと、どうしてもそこで保育所の問題とぶつかってくるということを、私どもも政治立場でも今日までよく聞かされてきたわけでございます。そういう意味で、幼児教育文部省としては重要に考えれば考えるほど、この問題を避けて通れないというのが私の正直な気持ちでございまして、そういう意味でこうした問題はこうした機関で考えていただいた方が一番なじむのではないか、そういうふうに私は考えて、今日までそうした発言をしばしばいたしてきたわけでございます。
  175. 田中克彦

    ○田中(克)委員 臨教審で検討をするということですから、もちろん文部大臣としても、幼児教育という教育の観点からこの一元化問題をとらえて対応しようとなさっている、こういうふうに受けとめておりましたのでお聞きをしたわけですが、必ずしもそうではないというようなお答えに今、私は受けとめたわけであります。  そこで問題になるのは、参議院の予算委員会の際に渡部厚生大臣がこのことについての質問で当惑しまして、このことについては総理にも十分理解していただかぬと困るのだというようなことを言っております。そこで私はこの問題をあえて取り上げさせていただいたのですが、時間がございませんから、文部当局には三つの点をお伺いしたい。  御承知のように、保育所と幼稚園というのはもちろんそれぞれの機能を持っております。厚生省の所管と文部省の所管ということですが、この費用負担についても、幼稚園は低所得者、生活困窮者に対しては就園補助制度というものもとっておりますけれども、これは保育所に比べたら明らかに負担が重いわけです。低所得者層に対する負担は重いわけですが、一本化するという状況を前にして、まずこの格差をできるだけなくしていくという前段の措置があって終局的に一本化できる、こういうことになろうと思いますが、それについてはどう考えているかということが一つ。  それから、公立の幼稚園、公立の保育所、こういうものを両方設置している町村があります、保育所は保育時間が長い、幼稚園は決められたように四時間が基準とされて、二百二十日の保育ということになっております。しかし、そういう状況の中で、幼稚園が持っている教員免許の保母さん、保母資格のある保育所、こういう幼児教育に対する内容の違いがある。その二つの機能をそれぞれ補完し合って、幼稚園は保育所に準じて長時間保育をする、それから保育所の方は幼稚園に倣って教員資格のある保母さんを入れて幼児教育の機能を高める、こういうことで双方が持っている機能を補完し合い、欠点を補い合ってやっているという町村を私は実際に行って調べてまいりました。実に末端町村が持つ行政の知恵だなと思って私は感心をいたしたわけでありますけれども、そういう動きについてどう評価をされるか。  それからもう一つは、保育所と幼稚園というのは、さきに大臣が言われたように、機能は別々のものだ。だから、必ずしもそれは私が言うようなとらえ方だけではとらえられない問題を含んでいる、私も実はそう思っているわけです。  そこでお伺いしておきたいのは、本来保育に欠ける子供が保育所に措置される、こういうことでありますから、例えば生活保護世帯、非課税世帯、こういう低所得層は当然保育に欠ける状況だと思いますから、これは保育所に措置することの方が筋ではないか、こういうふうに思いますけれども、一方では就園補助費というものが出ているわけですね。全国的に見ても、今や設置義務がある保育所というのは各所にある。幼稚園は私立、公立ありますけれども、府県によってかなりアンバラがありまして、公立の圧倒的に多い府県もあれば、私立に圧倒的に依存している県もあるという状況の中で、これをどう評価をしているか、これをお伺いします。  それから、厚生省の方へお伺いします。保育所が幼児教育のために果たしている役割をどう評価するか。  それからA、B、C、Dランク、保育料負担の現状をどう見られているか。特にDクラスの負担、これは大変重くなってきているわけですけれども、各町村とも対応に本当に苦慮しています。こういう状況は十分御承知だと思いますから、この問題に対してはどういうふうにとらえられて、今後仮に幼保一元化という方向を目指すとすれば、そういうものを踏まえて厚生省はこれをどう考えているか。  それから三つ目は、さきの幼保一元化を現実に町村行政の段階あるいは市の段階で自治体が受けとめて行政の知恵として生かしていることを、やはりこれは厚生省は厚生省としてどう評価しているか。  これをそれぞれひとつお答えをいただきたい、こう思います。
  176. 高石邦男

    ○高石政府委員 まず、補助金の一本化の問題でございますが、まず五歳児で申し上げますと、六四%が幼稚園で幼児教育を受けております。それから二七、八%、三〇%足らずが保育所で幼児教育を受けているというのが全国の状況でございます。その全国の状況は各県によって非常にばらばらでございます。ほとんど幼稚園が主流を占めているところと保育所が主流を占めているところと、大変全国的にばらつきがございます。そういう実態がまず一つ。それから幼稚園の中でも、公立幼稚園が発達しているところと私立幼稚園に全面的に依存しているという実態がございます。  まず幼稚園だけで申し上げますと、公立幼稚園でございますと一人当たりの保護者の負担が約五万足らずということになります。私立てすと十七万かかるということで、公立と私立における保護者の負担の格差というのが実態として存在してくるわけでございます。  それから、保育所の関係とのかかわり合いは後で厚生省からお答えがあると思いますので、そちらまで並べて言いますと、そこにまたいろいろな保護者負担の格差が存在するということでございます。  そういう実態でございますので、補助金の一元化といいましても、その目的、機能がそれぞれ、幼児教育を行うという観点の幼稚園と、保育に欠ける子供たちの世話をするという保育所に機能の差があるということで、それに対する国の助成の仕方がおのずからそういう観点で出てきておりますので、その抜本的な今後のあり方についての方向が示されればまた別でございますけれども、示されない現在の段階で、ただ親の負担だけを均一にするという政策を簡単にとりにくいという事情が存在するわけでございます。  それから第二番目の、保育所と幼稚園の補完機能という点でございます。幼児教育という観点でとらえますと、小学校の低学年が午前中で子供を帰すと同じように、発達段階に応じて子供たちに対する保育、幼児教育という観点で可能な時間というのがあるわけでございます。そういうところから四時間であるとか、そういうような保育時間、幼児教育の時間を決めているわけでございます。したがいまして、それを全面的に八時間に延ばして教育をするというのは、幼児教育という教育の面から考えた場合にいろいろな問題が生ずるということになります。したがいまして、幼稚園教育を受けた後、保育に欠ける子供がその幼稚園にいるといった場合に、その子供を保育的な機能で面倒を見るという役割を幼稚園が補完的にやるということが現実的に出てきているわけでございます。そういうような観点から、幼稚園と保育所についての双方の補完機能という点では十分検討していかなければならない問題であろうと思います。  それから第三番目の、ばらばらの問題は、先ほどの地域の実態、背景をもとにして誕生してきておるものですから、これを画一的に何%は幼稚園、何%は保育所というようになかなかしにくい歴史の積み重ねがございますので、この問題は新しい機関でいろいろ抜本的な方策が検討された暁に、どう対応していくかということを考えていかなければならない問題であろうというふうに理解をしております。
  177. 佐野利昭

    ○佐野説明員 お答えいたします。  まず第一点の、保育所におきます幼児教育のあり方でございますけれども、これにつきましてはかねてより文部省の方と十分御相談をさせていただいておりまして、保育所におきましても幼稚園教育に劣らないような幼児教育が行われるように、例えば幼稚園教育要領に準拠した教育水準を行うとか、あるいは保育所の保母にも幼稚園教諭と同等の資格を与えるような教育を行っていく、こういうことを実施いたしております。こういうような形から、私どもといたしましては、保育所におきます幼児教育の水準も相当高まっておる。既に地域によりましては、幼稚園に決して劣らないような教育を行っておるということを私どもは考えております。  それから第二点の、保育料負担の現状でございますけれども、これにつきましては、これも先生よく御承知のように、幼稚園におきます保育料というのと保育所におきます保育料といいますのは、基本的に考え方が違うわけでございます。保育所におきます保育料というのは、本来的に言えば、これは先生も御承知のように、児童福祉法で保育所にお子さんを措置する場合に、それにかかります経費は全額自己負担であるという形が原則でございます。保育所にかかった経費は全額保護者からいただく。ただし、家庭の所得状況に応じましてそれを減免できるという形になっておりまして、現在、その家庭の所得状況における減免基準を実施いたしております。それによりますと、例えば生活保護世帯なりあるいは市町村民税の非課税世帯のような低所得階層におきましては、これは全額公費で負担をする。ただし、所得税がかなりの額になる、例えば年収六百万ぐらいの平均世帯ぐらいになりますと、これは全額保護者からいただく、こういう形になっております。この状態は、例えば保育所におきます保育水準を上げていけば、当然のことながらその負担は高まっていく、こういう形でございまして、また、保育所の態様によりましても、あるいは保育所にお預けいただくお子さんの年齢によりましても、当然それに伴います職員配置なりあるいは保育の、例えば給食を行うとか副食を出すという、そのような保育の態様などにも応じまして当然のことながら費用が上がっております。あるいは保育所の規模が小さい保育所と大きい保育所ではやはり相当違ってくる、こういうことでございまして、その金額は、特に割り高になります小さな保育所で低年齢児をお預けいただく場合には、それは相当高額になる。私どもといたしましても、かなりの高額な費用にはなっているというふうには考えておりますけれども、これはあくまでも現在の児童福祉法の建前上からいきますと、保護者負担が原則であるというこの法体系のもとではやむを得ないのではなかろうかと考えております。  次に、幼保一元化の現実の自治体の対応に対する私どもの考え方でございますけれども、現実問題としまして、お子さん方をお預けになる家庭の状態によりまして、例えばパートの家庭の場合あるいは農家世帯の場合などで、お子さんの保育に欠ける時間帯が少ない場合などにおきましては、必ずしも一日八時間というような保育が必要ない、あるいは十時間という保育が必要ないという場合がございます。そういう保育形態の場合には、場合によったら午前中だけで済む場合もある。そうすると、あたかも幼稚園と全く同じじゃないか、こういう状態も来すわけでございます。こういう状態、なかなか現場ではいろいろ難しい問題があろうかと思いまして、そういう状態につきまして自治体がいろいろと知恵を働かしていらっしゃるということについては私どもも評価をいたしているわけでございますけれども、ただ、それが本来保育所の対象とならないような方を保育所の対象として措置をするというような形になりますと、これは先ほど来申し上げているように、保育に欠けるという福祉的な措置で実施している関係上、国庫負担の割合などが非常に高くなっておりますので、そういう関係で非常に問題があるのではなかろうか。したがいまして、実際にお子さんを措置するときの対応によって、やはり地方自治体のいろいろなお知恵の出し方も考えていただかなければならないと考えております。
  178. 田中克彦

    ○田中(克)委員 お伺いしましても、ただ現状を説明していただいているということだけであって、私の質問には全然答えてくれておりません。  問題は、幼保一元化という方向を目指していく上においての文部省なり厚生省なりの対応を、将来に向かってどう考えていくのかということで私は聞いているわけです。現状がどうであるかということは、私どもはかなり知っているつもりです。ですから、そういう答弁が欲しかったのですけれども、実は大変時間がなくなりまして、予定をしましたもう一つの点が聞けなくなるとあれですが、幼保一元化というのは、今説明を聞いただけでも大変根が深いように私は思っております。今後の中で、それぞれ厚生大臣文部大臣の言うことが、議会の答弁でも真っ向から既に張り合い始めた印象を受けるような形で、むしろ、一体この行方はどうなるんだろうという印象で私どもはこの問題を眺めています。ぜひひとつ精力的に、本当にこの課題を教育臨調の中で解決していくというのならそれなりの対応で臨んでいただきたいことをお願いをしておきたい、こう思います。  時間がなくなってしまいますのでもう一つだけ聞いておきたいと思うのですが、実は、これは先ほども申し上げましたように臨調絡み、それから文部省予算の実態から見て、予算措置には大変苦労をされている、そのことは私どももそれなりに受けとめているわけでありますけれども、ただ、私ども地方の議会で長くやっておりまして感ずるのは、超過負担の問題がいつでも議論になります。しかし、町村でも県でも、議論をして、しょせんこれは国の問題じゃないかということで、その議論はもう全く竜頭蛇尾に終わってしまうわけであります。したがって、直接国に物が言える場というのは同会しかないわけでありますから、そういう意味で、この問題を一つだけ、ぜひあと残る時間で聞かしていただきたい、こう思うのです。  実は、最近、予算も絞られてくる、そうなりますと、その少ない予算をどう配分していくかということが非常に重要になってくると思うわけです。私がいただきましたこの資料の中で、例えば文部布の予算とか警察の予算というようなものにつきましては超過負担が比較的多い。特にこれで見ますと、国民体育館の場合、これは去年の数字ですけれども、現行補助単価が十一万一千三百円で、実施単価が十四万三千三百四十円と、これだけ差がある。この程度ならまだいいわけですが、例えば水泳プールの小中高、こうなりますと、現行の補助単価が七万七千二百円で、実施単価は十五万一千二百六十一円、実施単価が倍額になっているわけですね。今申し上げましたのはずっと平米ですが、中高の柔剣道場、補助単価が七万四千二十円、これが実施単価は十三万三千八百五十三円、これも倍額なのです。  そうすると、この基準単価ではじかれた後の継ぎ足しの分は自治体が負担せざるを得ない、こういう状況になります。しかし、教育施設のことであればしょうがないじゃないかということに結果的には落ちつくわけですよ。そこでやはり、警察さんの言うことだったらしょうがないじゃないか、こうなります。そのしょうがないではないかがずっと習慣として長く続いてきたし、こういう財政事情の中では特にそのことが問題だ、こう私は思っているわけであります。したがって、このことについて、六月概算要求が既に近づいている、大蔵折衝も始まるでしょうが、文部省考え方、大蔵省がおいでになりますれば大蔵省の考え方をぜひお聞かせいただきたい。
  179. 古村澄一

    ○古村政府委員 体育施設については主として市町村なり都道府県が措置される問題でございますが、その設置される場合に当たって、国が奨励的に補助をするという制度をずっととってきているわけでございます。したがいまして、補助の対象といたしましては、標準的な単価を決め、そして標準的な面積を決めてその範囲内で補助をするという制度を貫いておりますが、その単価と実勢の単価との問題であろうと思います。従来も、いろいろほかの事業等の単価を見ながら物価高騰に合わせた措置もとって、ずっと、ここ五年程度も毎年単価アップを重ねてまいりました。ただ、五十八年度から五十九年度にかけましては物価騰貴がないということで、五十九年度の単価は五十八年度とおりの据え置きにいたしておりますが、ある程度そういった諸般の物価騰貴の状況に合わせて措置をしてきたというのが現状でございます。  そういった点で、これからもいろいろな情勢を見ながら、現実の問題としては、いろいろな市町村でおやりになるときには、ある程度デラックスなやり方というふうなこともおやりになるわけでございますので、丸々それについて見るというわけにはなかなかまいらぬわけですが、その間に乖離があるということが明々白々となれば、そのときにはまた処理をしなければいかぬというふうに考えております。
  180. 米澤潤一

    ○米澤説明員 お答え申し上げます。  厳密な意味での超過負担、すなわち地方財政法第十条に規定されております岡と地方との負担に基づいて因が負担するものについては、超過負担の解消に努めてきているところでございます。  例えば、文部省関係で例を申し上げますと、公立小中学校の屋内運動場の補助単価につきましては、五十七年度に大蔵、文部、自治三省共同の実態調査を行いまして、これに基づいて、五十八年度予算で既に三・五%の超過負担解消を上積みして行ったところでございます。そういう意味で、厳密な意味での超過負担の解消は文部省関係で十分されているというふうに認識しております。  ただ、先生が例に引かれました総合体育館、柔剣道場、水泳プールといったものはスポーツ振興法に基づく補助ではございますが、スポーツ振興法にもございますように、政令で定めるところにより予算の範囲内において補助するもの、先ほど文部省の方からも御答弁がございましたが、奨励的に補助しているものでございますから、これはやはりおのずから国としてのかかわり合いというものの対応は違ってこようかと思いますが、それにつきましても、やはり先ほど文部省の方から御答弁がありましたように、単価の改定には予算の範囲内で努めているところでございます。
  181. 田中克彦

    ○田中(克)委員 説明がありましたけれども、これは単価差だけのことであって、対象差だとか数量差だとか、特にことし校舎の問題につきましては、広いスペースを新たに対象にしていくという考え方に立って文部省努力された。それは私は評価をいたします。しかし、現実にはまだまだこういう問題がたくさんあって、地方自治体の側から言わせますと、超過負担の議論はもっと深くすればいろいろあると思います。     〔白川委員長代理退席、委員長着席〕  これは基準単価のことだけであって、あと、対象のことも数量のこともあるわけですから、そういう面から、今の財政事情の中でもってだんだんそういう傾向が高まっていくというようなことに少なくともならないように、概算要求の前ですから、大蔵省にも要望したり文部省にもぜひ頑張ってもらいたい、私はこのように要望しておきます。  以上で終わります。
  182. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 馬場昇君。
  183. 馬場昇

    ○馬場委員 教育改革につきまして、今改革しなければならないというのは大体国会で各政党も一致していますし、国民もコンセンサスを得ておることだろうと私は思います。そこで問題は、どのような力が例えばどのような手順で、どのような方向でこれを行うかということは、非常に大切なことだろうと私は思うんです。そういう意味で、今まで質問を多くの人がしまして少しダブるところがありますけれども、教育改革の問題についてそういう立場から質問したいと思うのです。  先ほど田中議員の質問がございまして、手順からいきまして、中曽根総理大臣教育臨調方式教育改革をやろう、こういうことを言い出して、文部大臣がそれに同調をした、こういうことにさっきのお話を聞いて受け取ったんですけれども、それでいいですか。
  184. 森喜朗

    森国務大臣 総理も私も同様に、どのようなやり方でやった方が一番国民的な合意を得ることができるだろうか、あるいはまた各党の皆様のお考え方というのはいろいろあるわけでございましょうし、そうしたことも踏まえながら、総理総理なりに、私も私なりにいろいろと考えてみまして、その結果、先ほどもちょっと田中さんのときに申し上げたように、教育の中立性あるいは教育基本法あるいは憲法、こうしたことに対する疑念や御心配が、予算委員会を通じて非常に出ておりました。そうしたことも十分踏まえて総理もそのことを尊重していきたい、こういうことでもございましたし、だとするならば、やはり私も、短い期間ではございますが、教育問題にある程度党という立場で携わってきた関係もございまして、やはりこれは長期的に、しかも政府全体でこのことを受けて立っていく方がより効果が上がるであろう、また国民的な大きな合意を得るためにその方がよりベターである、そのように私どもは考えまして、総理のお考え方もそのようになりまして、私も総理に幾つかの問題点を申し上げ、総理もそれに賛意を示していただいた、それが今度できました法律案の中にもいろいろ盛り込まれているところでお感じ取っていただけるのではないか。このようにいろいろな角度で検討しました。お互いに同じような考え方で、いい方、悪い方、いろいろ考えてみた結果、両方の意見が一致した、こういうふうに御理解をいただければと思います。
  185. 馬場昇

    ○馬場委員 文部大臣は大胆になられたときに、いろいろ記者会見とかやっておられるわけですけれども、そういう中で教育改革、特に学制改革等については、中教審を五十九年度予算編成終了直後に一月か二月に発足させて、そこでやっていきたい。それを大臣になられたときに考えておられて、そういう発表をしておられるわけでございます。そして、中曽根さんの教育臨調方式に今一致したとおっしゃるわけですが、このことについては、文部省の中とかおたくの政党の中でも、新聞なんか報ずるところによりますと、森さんが所属しております派閥なんかが特に大分批判しておられます。新聞なんか出ていますのを読みますと、おたくの派閥の首脳がこう言った、中教審や党の文教部会があるのに信用できないと言ってそういうのをつくるのか、お手並み拝見だ。本会議質問でも少し似たような質問がありましたけれども、こういうことなんですが、問題はいろいろと、そういうことはくどくど言いませんけれども、文部大臣が中曽根さんと一致したということですから、中曽根さんはこのことについて以前からたくさんのことをしゃべっているわけですよね。そういうことについて今から聞きますが、そういうところまで一致したのかどうか、ちょっと答弁願いたいと思うんです。  例えば、中曽根さんという人を私が知る限りにおいては、あの人は青年代議士のころから占領憲法改正を強く主張し続けて、歌までつくって歌っていたということもあるんですけれども、ずっと憲法改正をしなければならぬという言動を続けてきておりますね。そして最近、戦後政治の見直したとか総決算だとかと言っておられるのも、私は、その憲法改正ということを志向しておられるのではないかと思うんです。  教育臨調方式に関しては、かつて五十七年に生長の家の集会で講演をなさっているのです。そのとき、行革に取り組んでおられるときだったと思うんですけれども、「行革の仕事に失敗したら、教育の改革ができなくなる。防衛問題も駄目となります。いわんや憲法をつくる力も駄目になってしまうのであります。したがって行政改革で大掃除して、お座敷をきれいにして、そして立派な憲法をつくる、これが我々のコースであります」こういうことを公の演説会で演説しておられるわけです。  そして、ここに持ってきておりますけれども、「新国策」という冊子の中でこういうことを言っておられます。行革第一次答申のあった直後の話ですけれども、「第二次臨調の次に必要なものは、教育大臨調を考えています。文部省の中教審程度のスケールの小さい、技術論による教育改革でなく、教育体系の基本的在り方まで掘り下げるような教育大改革であってしかるべきだ」こういうことも書いておられます。私もそれを持ってきております。  それからまた、「新しい保守の論理」というところの中でこういうことを言っておられます。これは文部省を痛烈に批判しておられるわけですが、文部省や中教審について、「占領軍によって指導された、外来種の教育理念や、制度の上を走りながら、小刻みの教育改革をやっているに過ぎない」ということで、文部省や中教審に対して痛烈な批判をなさっておるわけでございます。  こういう流れの中から、中曽根さんの教育臨調方式による教育改革というのが出てきておる。これはあの人は変わっていないと私は思う。文部大臣は、そういうことも知っておって中曽根さんの教育臨調方式に賛成されたのか。とにかく文部省はもう本当に痛烈に批判されて、だから頭越しにやるんだというような意図にもとれるんですけれども、そういう点について、こういうところまで考えて賛成なさったのか、そういうことじゃないんだと考えておられるのか、どうですか。
  186. 森喜朗

    森国務大臣 今、馬場さんから御指摘をいただきました総理のいろいろなお考え方については、承知をしておるところもございますし、私も中曽根さんとそう深いおつき合いかないわけですので、断片的なことしか承知をいたしておりません。  ただ、中曽根さんが総理になられましてから、国会議論を通じまして、憲法改正については中曽根内閣としてその政治的なスケジュールといいましょうか、その中にはないのだということをはっきり明言をしておられます。また、私もそのことを承知をし、信用をしなければならぬ、こう考えています。  それから教育改革につきましても、確かに文部省についていろいろな御批判があったということも、これはまた私も漏れ聞いておるわけでございます。だからこそ、私は文部大臣になりましてから、総理に、教育改革に向かわれる姿勢を私も私なりによくお話を申し上げたつもりでございます。文部省が大変苦労をして今日まで来たということも、よく御説明申し上げた。これは単に私だけではなくて、我が党の教育政策に今日まで携わっておられた方々も、いろいろな立場総理にいろいろなお話を申し上げ、総理もそのことはよくおわかりになったから、新しいこの審議機関の設置の法律の中に、文部省文部大臣立場を十分踏まえるということを入れることを総理自身が判断をされたということも、その辺を十分理解をなさったからというふうに私は受けとめているわけでございます。  また、教育の問題に対します野党の皆さん国会議論を通じて、憲法の問題や教育基本法の問題も予算委員会で出てまいりました。このことも総理は、明確に明記しよう、またすべきであるというふうに、総理自身が私に言われたことでもございます。そういう意味で、総理自身も、教育をこれから自分の手でしっかりとやっていこうという気持ちになっておられることは、これは従来のことの考え方と全く違った方向でいかなければならぬということは、総理自身が十分気づいておられることだろうと思うのです。  今馬場さんがいろいろ御指摘をされました総理の今日までの御発言等は、これはまだ総理大臣におなりになる前、総理大臣になりたいというお気持ちはあったかもしれませんが、総理大臣にすぐなれるとは思っておられなかった時点だろうと思いますが、そういう中で政治家としていろいろな考え方を述べられたものでございまして、現実に総理大臣になられてからは、きっぱりと考え方国民の前に明らかにされていますし、教育問題につきましては、私が今申し上げたようなことなども、十分総理の方が積極的にそのことに応じておられます。そういう意味で私も、総理が、今御心配をいただいたようなそういうお考え方ではないのだということがよく理解をできました。また、私の党の皆さんも、いろいろなことで総理とお目にかかり、総理考え方も十分理解された。そういう中から与党の方も、そういう考え方皆さん御納得をいただいた。そして私も、改めて総理との意見の中で、十分そうした点が担保されていくというふうに感じましたので、考え方を同じにした、こういうことでございます。
  187. 馬場昇

    ○馬場委員 森さんは非常に素直な方ですね。中曽根さんが総理大臣になってからそういう考え方を変えられた、青年から三十何年代議士をやっておられて、そしてあの年になって総理大臣になって……。そんな森さんみたいに素直に国民は信用しないと思うのですよ。風見鶏だ、方向を変えたのかもしれぬと思って、国民はしんから信用していない。水かけ論になりますからそれ以上言いませんけれども、あなたは教育責任者として、文部大臣として素直にとって、そういうことで一緒にやっておられる。ところが、衣を脱いでよろいがあらわれてくるということがなしとしないと私は思うのですよ。そういうときには、それはだまされたことになるのだから、やはり文部大臣としてきちんとして、そういうことのないように立ち向かっていただきたいということを申し上げておきたいと思うのです。それは答弁はいいです。  もう一つだけ、ちょっと。国民が思っていることだし、私も思っていますし、おたくの政党の中の代議士さんたちも思っておられる心配がもう一つあるのですよ。これは非常に露骨で生臭い話で恐縮でございますけれども、中曽根さんは教育臨調、教育改革を、秋の総裁選挙の戦術に使うのじゃないかというようなことを、国民も言っている人がおりますし、我々も心配しておりますし、おたくの政党の中でもそういうことを言っておられる人がおられます。例えば、おたくの自民党の中でこういうことを言われたのだということはよく新聞なんかに出てきます。新聞ですが、しかし、うそは書かないと思いますから。秋の総裁選挙で再選をねらう実績づくりだ、行財政改革が行き詰まったから日をそらすためだ、財政難の折、教育論議には金がかからぬからなと、こういうことで冷ややかに、おたくの自民党の中で受けとめられておる方もいるわけでございます。そうして、先ほど出ておりました私的諮問機関の文化教育懇談会、あれをつくられるときには、自由に、そして文化にかかわる教育の問題について意見を出し合って、ある程度期間をかけて議論してくださいということで、私的諮問機関をつくられたのですよね。ところが、それをなぜか急に急がせて、森さんは、こういうのがあると混乱するから急がされたんだとさっきおっしゃったけれども、私はそうじゃないと思う。これを至るところで教育臨調の下敷きにするとかなんとかしゃべっておられるわけだが、その中で言われておりますのは、早く文化懇から答申してもらって、そしてできれば教育臨調も早くつくってもらって、六月ごろには緊急なものを答申してもらって六十年度の予算に入れて、そして秋の総裁選挙に臨みたい、こういうことだということが世間では言われているわけですね。そうすると、森さんは総裁選挙に一生懸命加勢している書いやしくも国家百年の大計をやるべき文部大臣が、一人の人間の総裁選挙に加勢するということはないと思うけれども、そういう心配を国民がしているのですよ。それについて文部大臣はどういう考えを持っておられるか、ちょっと所見を伺いたいのです。
  188. 森喜朗

    森国務大臣 馬場さん、いろいろ御心配をいただくことは大変ありがたいことでございますし、また教育問題に大変御造詣の深い先生でありますから、何もかも承知の上であえて私に尋ねられているのだと思いますが、私は、やはりこの問題は、仮に中曽根さんが総裁選挙に利用しよう、あるいは利用したい——あるいはそうお考えになっているのかもしれません。それは私はわかりません。しかし、そんな簡単な形で教育問題の議論ができるはずがないです。だからこそこの設置法にも三年というふうに、普通よりも年限を長くしておるわけであります。急いで来年度予算編成の中にこれを織り込もうなんて、そんな簡単なことで教育改革ができることでないのは、馬場さん一番よく御存じです。  私は、そういう意味で総裁選挙は総裁選挙、そして教育政策は教育政策、中曽根内閣が進んでいこうと変わろうと、あるいは、この秋にはまた改造があるでありましょうから、もっと早くあるかもしれませんが、場合によれば私が大臣でなくなることも十分あり得ますが、要は、自民党の政策というものはやはりこれは永遠でなければならないし、ましてやこのいわゆる教育改革については、総理もしばしば申し上げておるように、公党の皆さんにぜひ御協力をと呼びかけておられるのです。どなたが総理・総裁になろうと、自民党内閣として社会党さんを初め各党の皆さんにお呼びかけをいたしておるし、各党の皆さんもいろいろな御意見をすでに発表もなさっておられます。もちろん、基本的に軌を同じゅうするところもございますし、そうでないところもございます。これは社会党の教育改革だというふうに結びつけるのはいささか失礼かもしれませんが、例えば先日、日教組の皆さんも、ある程度大まかな柱をお立てになりました。  そういう話もずっと、私も全部細かく分析はいたしておりませんが、かなり私どもと考え方は軌を同じゅうするところもあるわけでありまして、こういうことで、これから国会議論を踏まえ、そして各党の議論の中から設置法案が通り、そして新しい審議機関ができて人選が進められていく、こういう方々がそんな、総理のために、総裁選のプラスになるような形で議論を進めたり答えを出してくれるはずがない。私は、そんな権威のないものだとは思わないのです。まして、先ほど申し上げたように、繰り返すようでありますが各党間にお願いをしておるわけですから、各党の皆さんの御意見も十分踏まえながらこれから議論を進めていくということでございますので、そういう御心配は御心配で十分わかりますが、私どもは、そういう政争の具になったりあるいは総裁選挙のための手段になったりしないように十分に、自由民主党の大事な教育政策であり、そしてそのことは、単に自由民主党のことだけではなくて、公党の各党の皆さんにもいろいろな角度で御審議をお願いしたり、また政策的な形で話し合っていこう、こういうふうにお呼びかけをいたしておるところでございますので、どうぞその点で、先生も本当は十分おわかりをいただいておるのだろうと思いますが、今後ともそういう方向にならないように、私は私なりに、政治的な立場を踏まえながら、正しき教育改革が本当に日本の国のために、二十一世紀につなげていけるように、私自身はその最初の緒につけるところの仕事でございますから、十分そのことに心配りをしながら進めていきたい、こう思っているところであります。
  189. 馬場昇

    ○馬場委員 私も、審議会がそんなに早く結論を出すとか、また中曽根さんに緊急答申を一つぐらい早くやってくれと言われたって、そんなにおいそれと応ずるとか、そんなことは思いませんけれども、問題はやはり、審議会をつくったということだって利用すれば利用できるとも思うのですが、しかし、私がさっきいろいろ心配しましたのは、私だけの心胆でないわけですね。国民でそう言っている人も多いわけだから、そういうことで、先ほども田中さんからちょっと出ましたけれども、土俵づくりでの意見が一致していないわけですよ、今。  国民の合意を得たいとおっしゃるけれども、なかなか合意を得ていない。そういうときには一歩下がって、読売新聞の世論調査で出てきておったということですが、いわゆる第三者機関、こういうもの、例えば内閣とか省庁とかとかかわりのないような第三者機関で教育改革議論する。どういう手続があるかとかいろいろ複雑な問題があると思いますけれども、そういたしますと、やはり中曽根さんの改憲の意図とか総裁選挙の意図とかいろいろあったにしても、第三者ならばそういう心配はなくなるわけだから、そういう点でやはり第三者機関というこの土俵が一番いいのじゃないか。これは国民もそう思って、読売新聞の世論調査で出てきておるわけでございますから……。まあ大臣たちは、もう法律を出しているから今さら第三者機関とは言えないわけですけれども、私はやはりそういう機関でした方がいいのじゃないか、こういうことをまず考えるわけでございます。  いずれにいたしましてもそういう心配があるわけですから、それにはやはり国民にきちんとこたえなければならないし、少なくとも各党に呼びかけておるとおっしゃるならば、各党がそれぞれの話し合いをして、ある程度コンセンサスを得なければ強行なんかできる筋合いのものではないと思いますけれども、そういう点はもう少し後でまた触れますので、要望だけしておきたいと思うのです。  そこで、ちょっと話は外れますけれども、この間、三日でしたか、アメリカのベルという教育長官から森さんに、日米両国の教育政策について協議するために七月ごろ訪米してほしいという招請状が届いた。森さんは行こつと約束されたということですが、これについて。ここに、向こうの招請状には教育政策について協議をするためにと。アメリカと日本教育政策のどういうところを協議するのかと、私はこの呼びかけを見てちょっと不思議に思いました。そして、私は森さんたちと十分議論をしたのですけれども、我々の立場から言うと、日本教育基本法体制の教育とか民主教育とか、これがだんだん空洞化されてきたというのは、かつての総理大臣池田さんとロバートソンの会談、ああいうのが、言うならば日米安保条約をいわゆる教育安保と言う人もおるのですけれども、そういう結びつき教育の上でもやった。そこから日本教育がひん曲げられてきたと私たちは主張して大分議論してきたのですけれども、今度森さんが行かれるのは何を協議なさるのか。その辺、かつての池田・ロバートソン会談みたいになって、人から教育安保とかなんとか言われぬようにしなければいかぬと思うのですが、どういうことを協議されに行かれるのですか。
  190. 森喜朗

    森国務大臣 ちょっと長くなっておしかりをいただくかもしれませんが……(馬場委員「ちょっと長くならぬでください、時間がなくなりますから」と呼ぶ)経緯もお話しをしなければなりませんが、まだどのようなことを協議するとか、そういうことは全く考えておりません。また、それから具体的に七月ごろというようなお話もございましたが、国会の日程もございますから、必ずしも、一応今後詳しい日程はお打ち合わせをいたしましょう、こういうことでございます。  ただ、ちょうど私が大臣に就任をいたしまして直後に、マンスフィールド大使が表敬にお見えになりました。たまたま私が福田内閣で官房副長官をいたしておりましたときに、日米科学技術協力、そういう柱を立てて、本来の目的は余り軍事費に金をつぎ込まないで、お互いに何%でもいいからみんなで世界の平和のために使えるような、そういう学問をお互いに協力し合っていく方がいいのじゃないか、その先鞭を切る意味で、日本とアメリカがお互いにお金を出し合って、日本日本、アメリカはアメリカで勝手に科学技術を進めるのじゃなくて、お互いに補てんし合えるようなことになると世界のためにいいのじゃないか、こういうことで科学技術協力というのはスタートをいたしました。そのときにその準備をいろいろしていたのは、私がたまたま副長官という立場でございましたので、幾つがその作業をした経緯がございます。そのことをマンスフィールド大使が十分承知をしておられまして、それで、私にたまたま表敬訪問に来られたときに、科学技術を初めとして、またアメリカは今日本教育に大変関心を持っております、ある意味では日本教育は改革しなければならぬけれども、アメリカは逆に初等中等教育などは日本教育にまねたらどうかという意見が国内にもある、そういう中で日本教育とアメリカの教育と、いろいろなふうに話し合っていくことも大事じゃないだろうか、その国の内政干渉をする、そういうことじゃありませんけれども、お互いに教育議論や文化の話や、さっき言った科学技術の話や、そんなことをこれから議論をしていく意味で、毎年アメリカと日本文部大臣がお互いに意見交換をすることは意義があることじゃありませんか、こういうお話がございましたので、私も、そういう意味では大変いい御意見ですということで申し上げましたら、マンスフィールド大使が恐らく本国にそういうことをお話しになったんだろうと思います。先日次官補がお見えになりまして、ぜひそういうお話し合いの機会をつくられたらどうかということで招請状が来ましたので、私もいろんな意味で日程がつき次第ぜひお伺いをしたい、こういうふうに申し上げたわけでございます。  まだ、どんなことを協議しようとか、お互いに日本とアメリカとの教育をまるで、今おっしゃったようなそんなことで提携してどうこうしようということじゃなくて、文化や科学技術や芸術、いろんな意味でお互いに意見交換をするということは私はお互いの国のプラスになることだ、こういう気持ちでお受けをした、こういうことでございます。
  191. 馬場昇

    ○馬場委員 まだはっきりしていないということですが、例えば中国なんかと教科書問題なんかでいろいろありましたね。だから、やっぱり各国と話すのは非常にいいことだと思うし、そういう点、例えば中国などとも、文部大臣行かれてそういうような話をされるとか、あらゆる国とも、お互いにその自主性を持っているわけだから、干渉されないようにして話し合いをされるのはいいことだと思うわけです。中国などともそういう機会があればぜひやってもらいたい、これは要望しておきたいと思います。  そこで、教育改革はしなければならないというのはもう国民的コンセンサスになっているし、各政党も皆一致しているわけですけれども、問題は、これは教育が荒廃しているということがやっぱり一番の原因だということで、改革ということも議論になっているんですが、そのほかにまた理由もあるわけですけれども、教育の荒廃。教育改革に着手する前に教育の荒廃があるわけだ。問題は、その改革する前に何で荒廃したのかというその辺の分析とか、それをきちっとやっておいてやらなければ。荒廃したのはもうだれの責任でもありませんよ、荒廃しているから改革しますよじゃなくて、こういうことでこう荒廃した、こういう原因からこうなってこうなったんだ、いいところも、こういうことでこれはよかったのだ、そういうようなことも含めて今日の教育の荒廃の現状、その原因の分析、そして原因を分析して、これは責任がだれにあるのだ、それを反省してその上に改革をのせる、これでなければならないと思うのですよ。そういう意味で、今日の教育の荒廃というのをもたらしたという中で、それはいろいろあると思いますね。  その中で特にきょうは二つぐらいに絞りまして、文部省日本教育責任者ですから、少なくとも教育荒廃についての文部省とか、あるいは自民党が政権政党でずっとやってきたわけですから、文部省とか自民党とか、こういうところに教育の荒廃のやっぱり原因があったし、こういう責任があるのだという、責任政党がまず責任を明らかにするということが私は必要じゃないかと思うのですよ。  いろいろずっと、例えば教育については、教育課程からしても教科書にしても、それから教育行政の問題にしても、公選の教育委員から任命になった教育行政にしても、いろいろあったし、そのほか教員養成にしても、たくさんの改革をやってこられたわけですからね。そういう中で結局今はこういう荒廃になっているわけですから、そういうのを含めて文部省とか自民党の責任というのは、例えば荒廃についてどう考えておられるのかということをやっぱり明らかにすべきだと思うのですが、どうですか。
  192. 森喜朗

    森国務大臣 教育荒廃の原因というのは、先ほど佐藤さんの御質疑の中でもありましてお答えを申し上げましたが、これは繰り返しになるわけでありますが、幾つかの要因がすぐ考えられるわけであります。  ただ、今馬場さんが、それを文部省と自民党の責任とするのはどこか、こういうふうに言われても、大変これは、そのことが党のすべての責任だというふうに私は考えておりませんが、ただ、教育そのものは、これは効果が上がってきているのです。量的にも拡大しておる。ただ、量的に拡大したために非常に多様化をしてしまう。高等学校の進学率はもう九四%を超えているわけでしょう。大学の進学率も三五%を超えておる。ですから、昔のように高等学校へ進む層の枠が非常に広がってきているわけですから、もちろん、目的意識も、あるいは学ぼうという考え方も、個人の素質も、能力も、進路についての考え方も、それぞれさまざまに意見が分かれてくるわけで、それを一つ教育現場の中にすべてをおさめていくところにいろいろなぎすぎすした問題が出てきておる。ですから、そういう意味での荒廃の原因というものはやはり出てきておるわけであります。だから今のものが悪いというのではなくて、やはりこれをどう改善をしていくのか。そのためには、こういうふうな形に教育はすそ野が広がってきておるわけでありますから、やはりそれにこたえられるような新しい制度考えていかないと、要は社会の変化についていけなくなってきてしまっている、そういうふうに私どもは受けとめているわけでございます。  恐らく馬場さんはよくわかっておられるからそういうふうにおっしゃるかわかりませんが、よくおしかりをいただく面では、施設や設備が整ってないからだとか、もちろん教室は五十人よりも四十五人、四十五人よりも四十人、四十人よりも三十五人が、それはいいに決まっています。だから、それを早く四十人学級にしないからこういう混乱になったのだ、それは一つの言い方はそういう面もあるのかもしれませんが、それがすべて荒廃の原因だというふうには言えません。逆に言えば、校舎が古びていて、恐らく、馬場先生どんな学校に通っておられたか熊本県で私はわかりませんが、私たち子供のころは、あの北風の吹く北国の中ですき間風がびゅうびゅう入っておりましたし、そのころはまた窓ガラスも破れておりましたし、あるいははだしで歩いておりましたけれども、そう混乱した教育現場というのはなかったような気がいたします。何も精神的にいいということを言うわけじゃありません、必ず条件は整えていかなければなりませんが、条件が整ってないから荒廃したのだ、それは自民党の責任だ、こう短絡的に決めつけるのも私はいかがなものかと思います。  要は、そういう機能が少しずつ社会の変化、文化の進展といいましょうか、そういうことに合わなくなってきている。そういう意味で、新しい考え方教育制度考えてみる必要が今の段階で来ておるのではないか。これが私どもが今教育改革に取り組む一つの基本的なスタンス、スタンスというか考え方、基本的な態度、こういうふうに申し上げた方がいいかと思います。
  193. 馬場昇

    ○馬場委員 今、森さんが、それが基本的な態度と言われると、全然受け取れないわけです。それは、今や荒廃の原因は何だ、そういうところで悪かった点は悪かったと認めなさい。ところが、今よかったことばかり言っているのです。やはりどこでも政権を持っている政党というのは、戦後ずっといろいろやってきたわけですから、その中ではこういう点が悪かった、こういう点が悪かったとあると思うのです。しかし、そういうよかった悪かったを全部並べると今、私は言っているのではないんですよ。今荒廃しているのが現実にあるわけだから、この荒廃の原因というのを、いろいろな社会の進歩とかなんとかと言われた、それはやはりそうでしょう。そういう点について、これはもうここで議論したって時間がありませんけれども、私はやはり言っておかなければならぬのは、政権政党である自民党あるいは文部省、いや野党もまた野党なりにこういうところはよかったとか、こういうところは悪かったとか、やはり自分考えなければならぬと思いますよ。そこでしかし、政権政党ですから、少なくともこういう二十一世紀に向かって教育大改革をやろうというときだから、今までの通称言う総括というのをしないでおいてそれでやるのは、私はだめだと思います。だから少なくとも、よかった点もいいでしょう、悪かった点もいいでしょう、今の荒廃の原因はこういうところがある、こういうところがあるというようなことは、きちっと分析する必要があろうということをまず申し上げておきたいと思います。  とともにもう一つ。何も政治に携わっておる者だけではなしに、こういう問題、荒廃の原因については、日本の経済界とか財界とか、こういうものが本当にたくさん教育の提言をなさっていますね。ずうっと数え切れないぐらい財界とか経済界の提言があっております。そして、ある意味において介入と思われるようなこともあります。そういう意味で、やはり経済成長のための教育とか、あるいは物的繁栄のための教育とか、そういうものを要請されたということもあると私は思うし、また今度は逆に言って、経済発展の中でそれについていけない、そういういわゆる経済成長後の教育とか、物的発展した後の教育とか、そういうものに対しての対応のまずさとか、いろいろあったと思うのです。思うのですが、やはりここで申し上げておきたいのは、こういう教育改革をするとき、何とかの提言とか、いろいろありますね、財界から出てきます。そういうときに一番思うのは、例えば自分たちは荒廃をつくったのに全然責任がないのかということを問いたい気持ちでいっぱいなんです。全然口をぬぐって、こうせいああせいと、自分らは何も荒廃の責任はないんだと言わんばかりのような言い方をしている。やはり物をやろうというときには、責任者であった音あるいはいろいろなことを言った者は、よかった点、悪かった点を明らかにすべきだと思うし、財界も経済界も、荒廃に対するきちんとした総括、反省というものを明らかにしなければならぬ、私はこう思っております。だから、何も文部省だとか政府、自民党だけに言うわけじゃございません。そういうことをしなければやはり本当の改革はできないのじゃないか、こういうことを私はまず思っておりますので、申し上げておきたいと思います。  そういう中で、今一番言われておりますのは、やはり学歴社会とか受験競争、そこに荒廃の大きい原因があるということは大体皆認めるわけですね。そういう点について、例えば企業なんかが人を採用するやり方とかいろいろありましたし、高度経済成長のときに人手が要るという場合に、我我から言いますと、安上がりな教育をやらないかとかというような提案なんかもあったのですけれども、そういう点で今の学歴社会、受験戦争、そういうところが何で出てきておるか。教育界だけに出てきておるわけじゃないのだ、社会がそうだからこそ教育がそういうところでしわ寄せが来ているわけですから、そういう点について、すべての人たちがまず荒廃についての反省を先にするということが大切じゃないかと思うのですが、大臣、どうですか。
  194. 森喜朗

    森国務大臣 もちろん、教育改革を進めるに当たっては、文部省も政党も、従来の教育がよかったか悪かったか、それは謙虚に反省の上に立つことは当然なことだと思います。いろいろな角度で、例えば今経済界というように馬場さん直接おっしゃいましたけれども、やはり経済界が頑張って、日本じゅうがみんな一生懸命働いて、そしてみんなでパイをつくり上げた。そのパイをみんなで分かち合うことができることによって日本全体の経済が底上げをされていく。その中でまた国の財政も豊かになって、教育諸条件も整ってきた。しかし、逆に言えばまた物質中心になってしまう、あるいはみんなが中産意識になる。そしてまた、それぞれの家庭の経済的水準も上がる。そのことによって教育を進めよう、教育を受けようという国民の当然受けるべき権利が広がりを見せていった。その中に、かえってまた受験戦争とかいろいろなものが惹起されていった。こういう一つの繰り返しがあるだろうと思うのです。したがって、どれが悪くてどれがよかったというようなことは、それぞれ人によって違いますから、なかなか判断がしにくい面があると思います。  ただ、先生も今おっしゃったように、総じて知育教育偏重であったことは否定できないだろう、私はこう思います。そしてまた、どうしても学歴社会というものがあって、何でもいいから上の学校に進めば、いい学校に進めば世の中に出ていい方向に進むことができるという母親、父親としての切なる気持ち子供に過大にかかってきたこともこれまた事実だと思いますが、最近では、単に上の大学に進むことだけがプラスではないんだということもだんだんわかってきているし、やはり天職としての仕事を持っていくことが正しいという行き方も徐々にわかりつつありますけれども、そういう知育偏重あるいはまた学歴社会というものが、やはり今日の教育的な一つの状況をつくったということは否定できない現実だろうと私は思うのです。  前にもちょっと申し上げたかもしれませんが、私も非常に単純なところがございまして、本当はそんな単純で物事をやってはいけませんが、私は国立大学の学長さんにも申し上げたのです。一番基本的なことは、やはり試験の問題を楽にしてくれませんか、もう少し試験の問題を下げてもらう、あるいは人を選ぶ評価の仕方を変えてくれませんかと、私は単純にそう申し上げた。そういたしますと、やはり学者さんの使命感というのは、教育を少しでも伸ばそう、少しでも能力を開発していこう、こういう使命感に立っておられる。森文部大臣のときに高等教育の水準が下がってきていいのか、日本の学術がそれによって停滞をしていいのか、こう言われると私も非常に心配になる面もございますけれども、しかし現実の問題としては、そうした大学入試の問題が学校教育現場を愉快なものでないものにしていることだけは事実だ。こういうふうに考えれば、私どもは政治的な立場で入試の改善を考えてみなければならぬかもしれない。しかし、何といっても入試をして受け入れるのは大学が考えることであって、文部省といえども、こういう制度にしろということはあれこれ強制できるものではない。大学自体にお考えをいただくことが当然のことであるとするならば、やはり高等教育機関全体がどうあるべきなのか、社会の中で学歴社会というのはどういうふうにあるべきなのか、こういうことをむしろ新しい審議機関でお考えをいただかない限りはこの現場はなかなか、ところどころつまんで改善してみても、こちらがよくなればまた別のところが悪くなってくるというようなことになってくるのではないか。  そういう意味では、馬場さんにおしかりをいただきましたけれども、そういう反省の中で新しい教育改革はもう一遍見直してみる、今までの視点、検討の角度を少し変えてみようという基本的な考え方を、私は新しい臨時教育審議機関の際に常々申し上げておるわけであります。従来の角度を変えてみない眼力はこの問題の解決はなかなかつかないのではないか、こういうふうに私は考えます。したがいまして、反省の上に立っておるということはお認めをいただけると思うのであります。
  195. 馬場昇

    ○馬場委員 我が国の戦後の教育は、戦争の反省の上に立って憲法、教育基本法にのっとって行われてきているわけであります。ところが、私が見る限りにおいては、本当の意味教育基本法の精神を教育現場で実践に移したというよりも、逆に教育基本法の精神が空洞化されてずっと来た、こういうぐあいに私は考えざるを得ない点がございます。私は現場におり、かつて教育運動をし、今でもそう思っておりますけれども、だんだん国家主義的になってきたし、能力主義的になってきたし、先生を統制する、学校を統制する管理主義的になってきたし、教育基本法の精神というものを空洞化して粗末にしてきた。教育基本法というのは人間を大切にするという基本があるわけですから、教育基本法を粗末にするということは人間を粗末にする、粗末にされた人間が荒廃してくる、こういう面も非常にあったんじゃないかと思う。例えば受験戦争——戦争というと、私も兵隊に行っていないので兵営のことはわからぬけれども、受験戦争戦争という言葉を使うならば、ある意味において中学とか高校とかは兵営みたいなところになってしまった。そうすると、兵営というのは人間を集めて最も非人間的な暮らし方をさせるわけだから荒廃するのは当たり前であって、受験戦争というのはそういう形で教育を荒廃させていく、こういうこともあるわけでございます。  時間がありませんので、ここで最後に言っておきますのは、やはり問題は教育荒廃の犠牲になっているのも子供ですよね。そして、二十一世紀で生きるのも今の子供なんです。だから教育改革原点は、大人の都合で改革するんじゃなしに、本当に子供を主人公として改革をしていかなければならぬ。その点ははっきり共通の認識として改革に取り組まなければならぬ。非常に犠牲になっている子供、将来生きる子供のために子供を中心にして教育改革をやっていくということで、ぜひひとつやっていただきたいと思うのです。  そこでもう一つ、今のと関連するのですけれども、大臣、僕らがよく言うし、どこでも大体、子供というのは社会を映す鏡だと言われますね。子供は大体大人の後ろ姿を見て育つ、こう言われるわけですが、その社会、後ろ姿を見られている大人が果たして立派であるか。特にその中で象徴的に言えば、今の政治のあり方、政治家の姿というのは、本当に子供がすくすくと立派な人格を持った人間に伸びていくのに理想的な後ろ姿に見えるだろうか、世間はそういう鏡だろうかと思うと、そうでないと私は思う。  そういう点につきまして、やはり問題は、例えばこの前の選挙でも争点になりましたが、田中角榮さんの問題ですよ。このことは、一審判決で有罪になったわけですけれども、教育に相当影響を与えておる。これは人から聞いた話ですけれども、非行、暴力を起こした生徒に注意すると、おれに注意する前に田中角榮に注意してこいと言ったとか言わぬとか、そういう話もよく聞きますけれども、そういうことはある意味における国民気持ちだと私は思うのです。そういう意味で、森さんは文部大臣として、田中さんの政治的道義的責任というのが教育に与える影響というのをどう考えておられるのか。  それからもう一つは、中曽根さんは田中さんのことで解決に全然旗を振らない、リードしないのです。そして、田中派の影響を排除するという総裁声明を出しておきながら、また何か副総裁問題なんかでその声明を守っていないじゃないかという状態をつくり上げている。田中問題なんかで政治倫理を確立するのに一生懸命リードをとらない総理大臣教育改革だ、教育改革だと言って一生懸命リードをとる、これはちょっとおかしいとみんな思っているんです。そういう点もあるわけでございますし、田中さんは総理大臣のときには、五つの大切十の反省とか何か言いましたね。そうすると、また中曽根さんも、教育改革七つの構想とか言っておりますよ。そういうところはどこか似てるのですよ。そういうことを考えるならば、政治がこういうぐあいに腐敗しておっては真の教育改革というのはできないと私は思う。そういう意味で、田中問題の政治的道義的責任とかそういう点、今の国会でそれをリードしない中曽根さんの姿勢について文部大臣はどう思いますか。
  196. 森喜朗

    森国務大臣 政治国民の信頼がなければ一日たりともこれを担当していけない、私は基本的な真理だろう、こう思います。  中曽根総理が田中元総理に対してどういうお考えを持っているか、私は本心を考えたことありませんが、ただ、私の今文部大臣という立場からいえば、学校教育あるいは子供たちが、教育上できる限りそうした問題の影響を受けないようにするということが文部大臣として一番とるべき態度だ、こう思っております。ただ、田中さんの問題につきましては、大人の考え、見方というのはそれぞれさまざまでございます。新聞等もいろいろな伝え方をいたしますが、子供によって、高等学校の生徒と中学の生徒と小学校の生徒では、これに対する対応、またそのことを判断する能力というのはおのずと違っているわけでございますから、それに対しまして、そうした政治的な問題ができる限り学校に入らないようにしてあげたいな、そして心身の発達によってそのことを正しく判断していく子供たちになってほしい、私はそう願うことが切でございます。  ただ、田中さんの問題を処理しないで中曽根さん云々というお話がございますけれども、今私どもは教育改革を何としてもやり遂げたい。総理気持ちも、また私の気持ちも同じくいたしておりますし、各党の皆さん方からもそういうお声があるわけでございます。したがって、中曽根さんが今や本当に国民の信頼をもし受けていないとするならば、内閣の支持率ももっと下がるべきであろう、こう私は思いますが、一社のみならず、最近の支持率を見ましても、内閣がスタートして一年過ぎておるわけでありますが、むしろ逆に内閣の支持率については、選挙当時から見るとかなり高い評価を受けておる。ということは、国民が内閣を信頼しているのだろう、あるいはまたいろいろな政治的な課題を解決してくれるだろうという期待感もあるのだろうと思います。またあるいは、田中さんの問題に対していわゆる自民党としての姿勢を先般明らかにしたわけですから、そういうことについての国民的な期待感もこの中にあったのかもしれません。そういう意味で、現在のところではそうした国民の信頼はつなぎとめられている、その上に立ってこれからの教育の改革も進めていきたい、私はこういう気持ちでいるわけでございまして、それ以上深く立ち入った党内の問題は、馬場さんもそこのところはよくおわかりになっていて私にあえて御質問をなさるのだろうと思いますが、私としては、文部大臣として教育の場の中にこうした問題ができるだけ入らないようにしていく、そのことが一番大事だ、別に覆い隠してしまうという意味ではなくて、子供たちの発達状況に応じてこうしたことを理解させることが大事だというふうに考えております。
  197. 馬場昇

    ○馬場委員 僕は森さんを、何か政治的なことを言わせて追い詰めようと思って質問しているのじゃないのです。やはり文部大臣は、いいことはいい、悪いことは悪い、はっきりしなければいけないと思うのですよ。そしてまた、お手本にならなければいかぬと思うのですよ。例えば公務員は起訴されたという段階で休職になるとか、一般の人たちなんか起訴された段階で首になるとか、そういう休職とか免職とかになるわけですよ。そういうときに、片一方で総理大臣をした人はああやっている、これはやはり生徒が見たっておかしいのです。なるべく生徒に入らぬようにせい、生徒はそういうものを映す鏡、きれいな心を持っているわけですから、そういう意味でやはり文部大臣は、政治的道義的責任はあるのですよ、こういうことはしちゃいけませんよ、やはりそれを国民に説かなければいけないんじゃないか、私はこういうことを思いますし、特にこういう教育改革をやろうとするときには、非常に政治的な動きだって国民はそれを見ているわけです。  支持率なんか上がったり下がったりするわけだし、もっともっとこの次、教育改革の本旨とかなんとかいって、あるいはいろいろな運営の仕方によってはまた下がるかもしれませんし、そういう点でぜひ文部大臣は、例えば田中問題につきましても、中曽根さんのはまあ抽象的に言ったのですが、やはり道義的責任政治責任とある、こういうことをしてもらっては教育によくない、そういうことを国民に言う義務が、ある意味においてあるんじゃないですか、どうですか。
  198. 森喜朗

    森国務大臣 私は全く触れてないわけじゃありませんので、先般予算委員会でもそういう御質問がどなたかから冒頭にございました。田中問題というのは、教育の中にいろんな意味で影響は受けました。私はこれは的確に認めております。また、私自身は、田中さんの行動というのは政治家としてやはり反省すべきことが多い、こういう姿勢は今日まで貫いてまいりました。  しかし、文部大臣として何とか教育現場からこうした政治の問題ができるだけかかわり合いのないようにしていきたい、私としては教育現場を大事に守っていきたいという立場を先ほど申し上げたにすぎないわけでございまして、政治家としての私の基本的なスタンスは、こうした言動は政治の上で好ましいことではない、これは私は常日ごろから申し上げておるところであります。
  199. 馬場昇

    ○馬場委員 揚げ足を取るわけじゃありませんけれども、やはりこの社会があるいは大人が、特に政治家が立派であれば子供にはよく映るし、立派なものはなるべく学校に入っていった方がいいわけです。だから、悪いことをしておって学校に入らせないようにということは間違いであって、やはり私は、子供に映る社会、映る大人の姿というのを、いわゆる政治家で言えば政治倫理の確立というのをまずみんなでやって、我々襟を正すよ、日本全体の教育をよくしよう、そういうことのリードをとっていただきたいということを、文部大臣には特に要望しておきたいと思います。  それから次は、時間が余りありませんので、文部省それから中教審、これと今度の教育臨調とのかかわりについてでございますが、これは先ほどもちょっと申し上げたんですけれども、私の見方によれば、首相は中教審とかに不信任を突きつけたというような感じがしてならないのですよ。おまえたちはもう全然だめだ、改革できないのだ、おれがやるんだ、文部省や中教審はどちらかというと不信任を突きつけられたような感じが私にはするのです。そしてまた、うがって言えば、おまえたち文部大臣の力も弱い、中教審の力も弱い、総理大臣の強い力で総理大臣の諮問機関をつくってそこでやるんだ、簡単に言えばそういうぐあいにもとれないわけじゃないわけですから、そういう点について、特に文部省の幹部の人が新聞なんかに出しておられましたが、文部省には中教審というのがあって、改革のスケジュールもあるのに、それに総理大臣が横やりを入れた、こういう感じだと言われたということも新聞なんかに報道されておるのです。  そういうことは先ほど言ったんですが、ここで聞きたいのは、四十六年の第九期中教審のいわゆる第三の教育改革、坂田先生おられますが、坂田先生文部大臣のときにこれは答申になったのではないかと私は覚えておるのですけれども、この中教審の答申を下敷きにされるのですか、新しい教育臨調の。
  200. 森喜朗

    森国務大臣 これもしばしば申し上げておりますように、中教審から答申をいただいたものは、教育を進める上に当たって大変すばらしい意見が多かったわけでありますし、ある程度それを教育行政の中に取り入れて実施してきたものも数々、まあほとんどと言っていいぐらいあるわけでございます。したがいまして、この新しい審議機関は中教審の御論議をいただいたものを踏まえつつ、こういうふうに私は申し上げております。つまり、ゼロからのスタートではなくて、中教審の議論一つの基盤にして、その中でもう少し、他省庁との関連もあるでしょうし、政府全体として取り組まなければならぬ問題もございましょうから、総合的に審議調査をする必要がある、こういう意味で新しい臨時教育審議会をつくったわけでございまして、決して中教審を否定しているものでもありません。  それから、馬場さんは大変私たちのことも心配してくださって、文部大臣は力がない。まあ私自身はないかもしれませんが、文部大臣という職制が力がない、あるいは文部省は力がない、このような考え方総理がいるわけじゃありません。したがって、今度の法案には従来の機関にないような、文部大臣意見を十分に聞く、あるいは文部事務次官の立場も明らかにして、そして教育改革政府全体の責任において取り組んでいこうという姿勢、そういうことを意図いたしたものでございまして、そういう意味では、先ほどからも申し上げておりますが、従来の審議の視点や検討の角度というものを少し変えた、そういう面で審議調査をしていこう、こういうことでございますので、先生からいろいろと今お話がございましたようなそういう、文部省を全く否定したというものではないということは、この際はっきり申し上げておくことが必要かと思います。
  201. 馬場昇

    ○馬場委員 中教審はこれをやる間は凍結というようなことを聞いておるのですが、そうなのかということと、今度の臨教審は総理府の附属機関としてできるわけですね、法案を見てみますと。そうしますと、総理府の担当大臣というのは総理府の総務長官でしょうが、文部大臣がこの担当大臣に今度なっておられるわけですが、その関係。  それからもう一つは、例えば「文部大臣意見を聴いてこというようなことでたくさんありますね。ところが、例えば文部大臣総理大臣意見が合わないというようなときには、やはりこれは総理大臣意見でいくんじゃないかと思うのですが、そういう総理府総務長官と文部大臣関係、そして意見が合わない場合の文部大臣総理大臣関係、それはどうですか。
  202. 森喜朗

    森国務大臣 最初に、中教審はどうするのかという御質問でございましたが、この設置法案をこれから国会で御議論をいただくわけでございますので、それが国会議論をしていただきまして御決定をいただくまでは所掌事務等も決定をいたしませんので、どのような事柄をこれから具体的に諮問するかということについて、まだ明言ができないわけでございます。したがいまして、中教審は文部省固有の事務でございます教育、文化、学術について調査審議をしていただく機関でございますから、今のところ、スタートするまではどのような所掌で進めていくかということが定かじゃございませんので、当面見合わしていきたい、こういうふうに考えているわけでございます。  なお、八条機関でございますので、総理大臣の諮問機関でございますから総理府にということになるわけでございますが、事柄が教育ということでございますので、法案を閣議決定し、国会に提出をいたしました際に、法案の担当大臣文部大臣であるということを閣議で御決定をいただいたわけでございます。もちろん、この法案が今度スタートいたしますということになりますれば、総理はこの担当大臣を改めて文部大臣ということにお考えをいただけることになるかと思います。  総理意見と合わなかったらどうするか、それはもう閣内が不統一ということになってしまうわけでございますから、総理文部大臣意見を聞く、こういうふうにわざわざ法律の中に明言をしよう、こういうことになったということで御信頼をいただくしかないわけでございまして、そういう想定、仮定の問題というのは、この際私から申し上げるのはいかがかと思いますが、心同じゅうして進めていかなければならぬことだ、こう考えております。  法律的なこと、総理府とのかかわり合い、総務長官とのということになりますと、事務的に進めてまいりました齊藤審議官の方で、必要があれば御説明いただいた方がいいかと思います。
  203. 馬場昇

    ○馬場委員 まだ提案されたばかりですから、これはあんまり中に入ったってしようがありませんし、きょうは土俵づくりのお話からやっておるわけですが、そこで、しかし、この法案に「教育基本法の精神にのっとり」ということが出ていますね。これは何のために入れたのかということと、教育基本法の精神というのは何ですか。その辺についてちょっと最初お伺いしておきたいのです。
  204. 齊藤尚夫

    ○齊藤(尚)政府委員 お答え申し上げます。  今回の教育改革に当たりまして、政府といたしまして総理大臣並びに文部大臣が、今回の教育改革は憲法及び教育基本法にのっとり進めるんだということを繰り返して申しておられるわけでございます。その趣旨を法律案の第一条に明定をいたしたわけでございます。  教育基本法の精神とは何かというお尋ねでございますが、通常の場合、法律の精神といいます場合には、第一条で法律の規定の目的等が定められておりまして、そういう趣旨を一般的には示すことかと存じますけれども、教育基本法は、戦後におきます我が国の教育の諸法令の準則を示す基本的な法律でございますので、教育基本法の精神ということは、とりもなおさず一条から十条まで規定されております各条項の精神にのっとっていく、こういう趣旨であるというふうに理解しております。
  205. 馬場昇

    ○馬場委員 そこで、この間予算委員会じゃなかったかと思うのですが、はっきり聞いていなかったのですけれども、何かかって清瀬さんが文部大臣のころ、国家とか親孝行とかというような話があって、その中身のことをきょう聞くわけでありませんけれども、総理大臣がちょっと、もういたけだかだというような感じをして私は聞いたのですけれども、教育基本法の解釈は私がするんだというようなことをちょっと言われましたね、中曽根内閣においては教育基本法の解釈は私が言うのが解釈だ。これはちょっとうがち過ぎかもしれませんけれども、だれが何と言おうとおれが解釈すればそれが教育基本法の解釈だ、こういうような形で教育基本法の精神なんか言われたって、これは全然話にならぬわけでございまして、あのときのあれは文部大臣はどう受けとめておられるのですか。
  206. 森喜朗

    森国務大臣 あれは清瀬文部大臣が、今の教育基本法では国を愛するとか親孝行ということは読み取れない、こういうふうに御答弁があったという議事録を示されまして、たしか矢野さんだったと思いますが、公明党の矢野さんがそのことをお話しになったわけであります。文部省といたしましては、今の教育基本法の第一条の中で、国を愛する、あるいは親孝行のこと、兄弟のこと、家族のことを思いやるということは十分読み取れる、こういう判断をいたして、学校教育指導要領にもそのことは明らかにしているわけでございまして、そのことを申し上げたわけです。  ただ、矢野先生が執拗に、前の文部大臣はそう言っているじゃないか、こういうことで再度追及されたものですから、総理は、今の教育基本法の中にそう読み取れるのです、こういうことをちょっと強くおっしゃったことが——そんな、教育基本法はおれが解釈するんだ、そういうことをおっしゃらなかったと私は思いますが、雰囲気としては、若干矢野先生言葉が強かったものですからそういうふうにお答えをされたのかと思いますが、その後すぐ文部省として高石初中局長からその細目につきまして答弁をいたしまして、御了解をいただいたということでございまして、決して朕は国家なりというようなことに受け取られるようなことは、私もそこで聞いておりましたが、総理は言ってない、私はそう思っておりますし、文部省としても、今の教育基本法の中で十分そのことが教育の中に生かされてきている、こう思っております。
  207. 馬場昇

    ○馬場委員 先ほどの質問で、昭和四十六年の第九期の中教審のいわゆる第三の教育改革、その答申の中に、幼児学校の創設、それから小学校四年、中高一貫教育先導的試行というのが出ておりますね。そのときの中教審答申を下敷きにする、参考にするということをおっしゃったわけでございます。  問題は、教育基本法の精神にのっとってというのが今度の法律にはついているわけでございますが、そのかかわりにおいてちょっと質問したいのですけれども、例えば臨教審から、義務教育年限が九年ですけれども、これを変えるとか、十条全部精神があるわけですから、あの十条全部にわたって、その中で例えば教育の機会均等、こういうものを見直すというような答申が出たとした場合に、これはどうなるのかですね。教育基本法の精神にのっとってというので、そうすると、例えばこれを九年を見直せとか機会均等を見直せとかいうような答申になってきたら、答申尊重の義務があるでしょうから、そうした場合に教育基本法を変えるというようなことまで発展しかねないということがあるのですけれども、そこまでは発展しないのですか。
  208. 森喜朗

    森国務大臣 これは、御議論をいただく先生方がどのようにお考えになっていくかという、これも仮定の問題で今の段階では何とも申し上げるわけにはいきませんが、ただ、これも前の文教委員会でも、木島先生だったか佐藤先生だったか、随分おしかりもいただいたところでありますけれども、教育基本法の精神にのっとってということを明記をし、そのことの意味は、先ほど齊藤審議官から印したとおりでございます。  したがいまして、例えば義務教育の九年間というのは、私自身文部省としても、これは定着したものであるから変えるべきではないというような基本的な考え方は持っております。議論もそれだけで、その枠の中で、教育基本法の枠の中でおやりをいただきたいということですが、御議論の中に、できるだけ御自由に御濶達な議論をしていただくために、余り制約をしてしまうということもいかがなものかと思います。御答申をいただくところでは、これは恐らく審議委員や会長がお考えになることでありますが、当然教育基本法の枠の中で取りまとめて答申を得られるものである。議論の中ではいろいろあるだろうと思いますが、答申をされる中ではこの法律の枠の中で当然答申をされるだろうというふうに私は期待をいたしております。  よしんば、いささか違ったところが出てまいるといたしましても、諸制度を変えるということでありますれば、当然国会議論をしなければならぬことでありますし、法律改正を伴うことでございます。そういう意味では、同会の中で十分な議論というものが出てくるわけでございます。そういうことになる以前に、御答申をなさる会長や委員皆さんは十二分にこの設置法案の精神というものを考えて、議論はいろいろあるにいたしましても、取りまとめはその枠の中できちっとなさるであろう、私はそのように期待をいたしております。
  209. 馬場昇

    ○馬場委員 そこで、先ほどちょっと質問が出たのですけれども、この教育臨調で教育大改革をやろうというならば物すごい金が要るわけですよ。森さんもどこかでしゃべっておられますけれども、例えば学側の区切りを一つした場合でも何兆円と要る。この前の第九期の中教審答申では大体七十二兆とか、先ほど出ましたけれども、要るわけで、問題は金が出ないとなれば何もならぬわけですから、財政のこういう状況の中ですけれども、財政的裏づけがなければどんな議論をしたって同じです。そういう意味で財政的裏づけ、いわゆる財政百姓とこの教育臨調の関係、先ほども質問があったのですけれども、こういうものはどうなっているのか。文部大臣はどう考えておられるのですか。
  210. 森喜朗

    森国務大臣 これは私だけではなくて、我が党の教育関係先生方も今日に至るまで、総理といろいろとお話をなさっておられるわけでございますが、教育を国政の中心に据えるということは、いろいろな意味で当然諸経費も十分かかってくるであろうということは、当然総理自身にはお考えをいただかなければならぬ。これは私も総理にも申し上げてきたことでございます。総理もこれを国政の中心に据えるという以上は、当然そうしたことも踏まえていかなければならぬ、先ほど田中さんの御質問の中にもございましたように、後藤田さんも予算委員会でそのことについて、答申は尊重しなければならぬ、こうおっしゃっておるわけでございます。  ただ、今の時点でどの程度かけるか、七十二兆円云々というお話がございますが、この審議機関で御検討いただく教育の将来の制度というのは、何も今答申してすぐやるということばかりではないわけでありまして、短期的なものもあるでしょうし、将来長期にわたって徐々に解決していくという問題もあるでありましょうし、それから日本の財政も、これは竹下大蔵大臣が言うべきことでありましょうが、何とかして財政の改革をして日本の健全な財政をつくりたいということであるわけでございまして、今のような状態がずっと続くというふうに私どもも考えておりません。これは馬場さんから御批判があるかもしれませんが、自由民主党としましては、何とかして財政が安定して再建ができ得る、そういう財政状況下の中に、そのことと進捗状況を合わせながら教育の長期的なプランを立てていく、こういうことでございますので、教育を大事にしていこうという考え方は党も政府も一体でございまして、教育に対しては一生懸命、それこそ先生方の応援もいただきながら、今日までもいろいろ難しい諸条件の中でいろいろな角度でやってきた我が国の教育政策でありますから、今後ともそうした気持ち教育を第一に考えていく、そういう考え方で進めていきたいと思っております。
  211. 馬場昇

    ○馬場委員 何かしら願望の上に家を建てる、砂上の楼閣みたいな感じがしてしょうがないのですが、次に移ります。  総理大臣は、衆参の本会議の代表質問に対しまして、国民的合意がこれには必要だということを答弁なさっておりますね。先ほどから出ております十二年前の中教審の答申で、いわゆる第三の教育改革という中で、いろいろ実現できなかったものがあるのですけれども、私は、これは広い国民の民意に支えられた作業ではなかったからできなかった、こういうぐあいに思うのです。特に今度の臨教審は国民的合意が必要だ、総理大臣も本会議で答弁をしておられるわけです。そしてまた、こういうのは国民的基礎に立たなければ、何を出したってこの前の中教審ができなかったところと同じになっちゃうわけですから、そういう意味で設置をする段階で、少なくとも国民的合意の中で、例えばこの法律を審議する場合に全党一致というのは絶対の条件だ、国民的合意をつくる上においては絶対必要条件だ、こういうぐあいに思います。この設置にどこかの政党が反対をする。そういうことを押し切って強行してやった場合には、もうその瞬間でこの改革は失敗に帰するのだ、私はそう思うわけです。  問題は、大臣、これをする場合、全党一致でこの臨調審はつくる、国民的合意を得るということの中心はそこじゃないかと思うのですが、これについてどうですか。
  212. 森喜朗

    森国務大臣 教育改革国民全体に深いかかわりがあるわけでございますし、我が国の将来を左右する基本的な問題でございますので、馬場さんおっしゃるとおり、できる限り幅広い国民の御意見をぜひちょうだいでき得るように配慮していかなければならぬ、これは大前提であろう、こう考えます。  ただ、今お願いをいたしておりますのは機関の設置のお願いでございまして、機関の設置のことも何とか各党の皆さんの御賛成をいただきたい、こういう意味国会お願いをいたしておりまして、まだ御審議をいただけない状況でございましたので、どういう形になるかというようなことを私から想像で物を申すことは大変失礼なことになるわけでありますが、教育改革の必要性は、馬場さんを初め各党の皆さん方が今十分に声を上げてくださっておるので、恐らく御賛成をいただけるだろう、私はそういう期待を持っておるわけでございます。  ただ、審議する土俵、先生がさっき土俵とおっしゃいましたけれども、機関をお願いをしている。このことが前提で、各党全部の賛成がなければ国民的な合意にはなり得ないというのは、必ずしもそうとは言えないのじゃないか。むしろ議論をしていくその議論の中身、そしてその中で臨教審がつくり上げる答申、そういうものが国民の多くの意見をしんしゃくしたものでなければならぬというのが私は国民的合意だと思います。設置法案のところから全党が合意をし、一致しなければ国民的合意を得たものにはならないというのは、中身の議論ではないわけでございます、その手段、方法ということになるのかと思いますから、それは全く国民的合意にはならぬという言い方は、必ずしも私は賛成しがたいと思っております。ただひたすら、馬場さんの所属する政党にもぜひひとつこの機関の設置だけは御賛成をいただきたい。馬場さんのように長い御経験と文教いちずに来られた方のお考えとして、いろいろ危険なこと、御心配いただくことはわかりますが、むしろその中に入っていただいて大いに議論をしていただくことが政治の場において二番いいことじゃないかなと思って、ただひたすら懇願をいたす次第であります。
  213. 馬場昇

    ○馬場委員 先ほどから一時間余り質問しているのですけれども、非常に問題が多いということだけ残っているのです。土俵をつくる、これが基礎ですよ。ところが、それを各政党が反対の中で強行するなんということは、その瞬間からこの教育改革は成功しない、私はそう思うわけです。  そこで、まだ審議していないわけです、今質問をしているわけでありますけれども、文化教育懇、これと臨調の関係……(森国務大臣「臨調でなく臨教審です」と呼ぶ)私は臨調方式と思います。臨教審は知っていますけれども、まだその審議に入らないわけですから臨調、臨調でいくわけですけれども、総理大臣は、本会議の答弁でしたか、中教審答申と三月に出される文化懇の所見を参考にして新しい機構で検討する、こういうことを答弁なさっているのですよ。そして、文化懇の報告を受けた首相が、これは臨時教育審議会の重要な資料となるということを、答申を受けてすぐ国民に報道機関なんかで発表なさっているのです。これは私はおかしいんじゃないか。少なくともこれは総理大臣の私的な諮問機関でしょう。私的な諮問機関のやつを、私的に自分が参考にするのは勝手ですけれども、公的なそういう審議機関の参考にするという押しつけは私はおかしいんじゃないかと思うのですが、これはどうですか。
  214. 森喜朗

    森国務大臣 これは馬場さん御指摘のとおり、総理の私的な懇談の場でございます。先ほど田中さんでしたか、佐藤さんの御質問の中でもちょっと申し上げたわけでございますが、あくまでも総理の私的な意見を求める会でございますから、これが臨教審と一緒に歩調を合わせるということは私はあってはならぬ、こういう考え方総理にも申し上げてきたところでございます。新しい臨時教育審議会の審議をなさる先生方がこれをどのように受けとめておられるかは、先生方やその審議機関の自主的な判断にまつべきでありまして、これはあくまでも個人としてお考えになることだと思います。  これだけのみならず、いろいろな御意見がたくさんあります。例えばこの間、日教組さんが発表されましたのも貴重な意見でしょう。あるいは公明党さんがパイロットスクール等について御発表なさいましたのも貴重な御意見でしょう。そういう意味で、いろいろな貴重な意見がありますから、それと同じように、これもまた貴重な参考資料として私は審議機関皆さんが受けとめられる問題である、その判断によるべきものであろう、こう考えます。  ただ、総理は諮問をなさる立場でございますから、そういう意味で、個人的にそのことを参考になさるかどうかは総理の御判断だろうと思いますが、諮問することにつきましてどのようにするかについては、これもたびたび申し上げておりますが、設置法案国会で御審議をいただいて、その中で国会の各党の皆さんの御議論を十分踏まえつつ、そしてその中で所掌事務等が決定をして初めて諮問の内容といいますか、諮問の事項が定められていくわけでございまして、決してこのことが臨教審の中に入っていくということではない、私はこのことだけははっきり申し上げておくことができると思います。
  215. 馬場昇

    ○馬場委員 そうしたら、本会議で答弁の議事録を見たのですけれども、中教審答申と三月に出される文化懇の所見を参考にして新しい機構で検討する、この総理の答弁というのは間違いですね。
  216. 森喜朗

    森国務大臣 これは総理の御答弁ですから、どういう御意図があったかは本人じゃないとわからないところですが、あくまでも参考にするということでございまして、諮問案の中にそのことを入れるか入れないかは総理考えられることでございますが、そういう具体的なことが諮問案の中に仮に入ったとしましても、審議機関皆さんがそのことを認めなければ、これは別のことになってくるわけでしょう。ですが、先ほど申し上げたように、どういうことの諮問事項にするかについては、当然この審議機関国会で御議論をいただくことを踏まえなければこのことの項目は検討に入れないわけでございますから、私は、そのところで一つの私的懇談会というものとの歯どめがきちっとなっていると思います。総理の御意思は私自身直接聞いておりませんけれども、総理の御答弁というのは、あくまでも参考にしたい、こうおっしゃったということに私は受けとめておるわけです。
  217. 馬場昇

    ○馬場委員 時間がありませんが、今の話ですけれども、例えば諮問の内容は総理がいろいろ考えて諮問なさるということですが、ごく最近の新聞に、文部省の中で諮問の内容が決定をしたということが出てますね。こういう点について具体的にずっと、三月十九日、諮問内容の事務局案の概要固まるというぐあいにして報道されてきましたね。これも森さんが言っているのと全然違う。これは審議委員の方々がどういうことをやろうかということをやられるのであってということで、ずっと終始答弁なさっているんですが、私が新聞を見たところによりますと、四項目にわたっているいろ出ておるようです。そういう意味で、このことは文部大臣の今までの答弁と違うし、実際文部省の事務局で何か総理から言われてやっているのか、これはどうなっているんですか。
  218. 森喜朗

    森国務大臣 私は、まだ文部省事務当局にもそうしたことは命じたこともございませんし、ましてや人選のことも全く検討を命じたこともございません。これはもう信頼をしていただかなければしょうがないんですが、馬場さんと私と長いおつき合いですから、私は正直な人間だということをお認めをいただきたいと思うわけですが、ただ教育問題に対して非常に由民的な関心の深い時期でございまして、新聞報道関係が非常にいろいろな意味で前向きに報道なさいます。前向きというのはニュース的に前向きでございまして、とにかく毎日毎日、朝起きて新聞見るのが本当に息が詰まるような思いで見ているわけですが、総理が決めたのでも私が決めたのでもないのに、いつの間にか顔ぶれがずらっと並んでおりましたり、今日までその設置法案のことも随分詳しくいろいろ出てくるわけでありますが、全部すべてが合致しておったことはございません。新聞記者の皆さんは非常に勉強をされておられる。そしてまた、自分総理であり文部大臣だったらこういうふうにしようかなという、そういうほのかな願望を込めて書いていらっしゃるのではないかな、私はそう思っておりまして、そういう意味では新聞関係の報道も非常に勉強になります。私自身も非常に参考になることが多いわけでございますが、文部省といたしましても、総理といたしましても、そういうことはまだ全く議論をいたしておりません。
  219. 馬場昇

    ○馬場委員 文部大臣に対する質問ですからなかなかはっきりしなかったのですが、やはり私は、この中曽根さんの教育臨調方式の発想というものは、戦後政治の総決算、戦後教育の総決算、戦後の政治の特徴というのは憲法だし教育基本法だ、これを変えてという発想を前提として教育改革、そして総理大臣という権限でもって政治教育介入、いろいろなことを考えまして——文部大臣と約九十分やりましたけれども、全然そういう疑念が解消されないわけでございます。  しかし、これはまだ審議も始まっておりませんが、我々としてはやはりこういうのはコンセンサスが必要だし、しかも第三者というか、総理大臣の直轄機関、政治介入できる機関じゃなしに、やはり第三者機関的なものをつくって、そして国民のコンセンサスを全党一致をもってやるということじゃないと、私は成功もしないと思う。今子供も荒廃の中で非常に困っているんですから、そういう中でこういう問題はまた慎重に検討していかなければならぬ問題だ、そういうことを最後に申し添えまして、時間が来ましたので私の質問を終わります。      ————◇—————
  220. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 この際、内閣提出昭和四十四年度以後における私立学校教職員共済組合からの年金の額の改定に関する法律等の一部を改正する法律案を議題とし、趣旨の説明を聴取いたします。森文部大臣。      ————◇—————昭和四十四年度以後における私立学校教職員共  済組合からの年金の額の改定に関する法律等  の一部を改正する法律案    〔本号末尾に掲載〕     —————————————
  221. 森喜朗

    森国務大臣 このたび、政府から提出いたしました昭和四十四年度以後における私立学校教職員共済組合からの年金の額の改定に関する法律等の一部を改正する法律案について、その提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。  私立学校教職員共済組合は、昭和二十九年一月に、私立学校教職員の福利厚生を図る目的のもとに、私立学校教職員共済組合法により設立されたものでありますが、それ以後、本共済組合が行う給付については、国公立学校教職員に対する給付の水準と均衡を保つことを建前とし、逐次改善が進められ、現在に至っております。  今回は、昭和五十九年度における国公立学校教職員の年金の額の改定措置等に準じて、私立学校教職員共済組合法の規定による既裁定年金の額の改定等を行うため、この法律案を提出することといたしたのであります。  次に、この法律案の概要について申し上げます。  第一に、私立学校教職員共済組合法の規定による追撃金等の額を、昭和五十八年度の国家公務員の給与の改善内容に基づいて行われる国公立学校教職員の退職年金等の額の改定に準じ、昭和五十七年度以前の退職者に係る年金について、昭和五十九年四月分から引き上げることといたしております。  なお、昭和三十七年一月一日前のいわゆる旧法期間を有している者に係る年金の当該旧法期間分の額については昭和五十九年三月分から引き上げることといたしております。  また、これに伴い、旧私学恩給財団の年金についても昭和五十九年三月分から引き上げることといたしております。  第二に、既裁定の退職年金、障害年金及び遺族年金の最低保障額を国公立学校教職員の既裁定年金の最低保障額の引き上げに準じ、昭和五十九年三月分から引き上げるとともに、遺族年金については同年八月分以後、さらにその額を引き上げることといたしております。  第三に、標準給与の月額の最高額を国公立学校教職員の掛金等の算定の基礎となる俸給等の限度額の引き上げに準じ四十四万円から四十五万円に引き上げるとともに、最低額についても七万五千円から七万七千円に引き上げることといたしております。  最後に、この法律は、公布の日から施行することといたしております。  以上がこの法律案の提案理由及び内容の概要であります。  何とぞ十分御審議の上、速やかに御賛成くださるようお願いいたします。
  222. 愛野興一郎

    ○愛野委員長 これにて趣旨の説明は終わりました。  次回は、来る十三日午前十時理事会、午前十時三十分から委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時四十二分散会      ————◇—————