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木島委員 少なくとも学歴を履歴の中に記入しなければならぬなんというのは、学歴
社会というものを否定しようとするならば、なくしようとするならば——しかし、これはあなただけではできませんね。しかし、これはやろうとすればすぐできる。この結論を待たなくたっていい。そういう努力が今までなされておらなかったところにむしろ問題があると思うのです。私が
子供のころに、平民だ、士族だなどと、
昭和の初めなんですよ、それも書かされている。それと同じことじゃないのかという
意味で、そういうものは、ひとつやれるものはやっていくということです。
時間になりましたが、
一つはそういう学歴
社会をなくするということと、そこで次に、じゃ学校
教育をどうするかということになってくると思います。
ちょっと古いのでありますけれども、また、かつて申したこともあるのでありますが、
昭和五十一年の
調査でありますけれども、私が
一つの
調査をしたところ、
一つの算式を得ました。(1プラス〇.3)かける3.44イコール4.5という算式であります。何かというと、一というのはそのときの高等学校の大学進学希望者と大学の入学許容数は一でありました。同じでございました。プラス〇・三とは浪人であります。したがって、本来ならば、浪人がなければ一、入学地獄はないわけです。浪人を入れると一・三倍であります。三・四四というのは、平均して全部で三・四四校受けたのです。これは大学格差があるからです。少し上のところ、ここら辺から少し滑りどめというようなことで三・四四。したがって、平均して四・五倍の入試競争になった。その形は今日も大きく変わっておりません。すると、〇・三をどうするかという問題が
一つあります。あるいは一・三でもいいです。一プラス〇・三、それをどうするか。これは生涯の、例えばいつでも大学にはいれる。あるいは高等学校でもいいですよ。という
制度をつくったならば、今すぐ行かなくたっていい。むしろ逆に、職場に行って、そして自分の適性を見詰めて、そこでそれに合うところの学部を選ぶということになったならば、一・三は緩和されますね。
これは私、ずっと言っているのでありますが、ILO百四十号条約というのは有給
教育休暇というものの条約であります。
日本は批准しておりません。これはきょうは言いません。けれども、そういう
制度を法的なことも含めてつくれば、一・三は緩和される。これは基本法を守るといいますか、基本法で言いましても、第二条は、「
教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において
実現されなければならない。」とありますから、あるいは第七条では、家庭
教育及び勤労の場その他
社会においての
教育は保障されなければならぬとあるのでありますから、この二条、七条からいっても、こういう
制度というものは、尊重されるとするならするほどやらねばならぬ。まあ仮に放送大学、あれは三分の一のスクーリングでしょう。二十日間の年休ではだめなんですよ。だから今までの実験では完了しないのですよ。みんな途中でやめなければならないのですよ、今までの放送大学の実験では。放送大学が一方でやる。しかし、スクーリングを三分の一受けられなかったら一会社を休んだら首になる、賃金が削られる。だったら有給というのは、それは必ずしも一〇〇%の
意味ではないですよ、一〇%もあるでしょう、五%もあるかもしれません。あるいは無給であっても休暇だけは保障するということだってあるかもしれませんね。そういう
制度がないところに、例えば立教なら立教が法学部で
社会人を五%入れましたね。あれは主婦が中心になってしまうのです。そのことが
一つ。後でまとめて簡単に答弁いただきます。
それから三・四四、これはさっき言いましたように、平均三・四四校受けたということは大学格差があるからです。今日まで大学格差の解消のために一体文部省は何をやってきたのだろうかと思います。もう余り時間がありませんから言いますが、例えば東大一校の予算は、これは簡単に言ってはいけませんが、東大一校の国から出る予算は、
国立大学を予算の順に並べまして、下から二十九校分です。そういう格差、それはもちろん一概にそれだけと言えないですよ。単純に言えません。しかし、この間の三塚さんじゃないけれども、これは我々が六年前に出していることでありますが、だから東大を大学院大学にしてしまえというのもそこから出ているのです。その努力は一体何をしたのだろうか。地域的格差もあります。例えば日大が大体一校で八万人と言われますよね。これは各県の下の方からいうと、学生数でいうと、下の十八県分に当たるのです。日大一校ですよ。こういう地域格差、これを挙げたら切りがないのでありますけれども、そういうことに対して一体文部省は今日まで何をやってきたのだろうか。格差があるから入試がある。みんな同列だから、同質だから格差が出るのです。特色を出せば、横に並べば格差がなくなるのです。比べてみようがないのです。その特色を出すためにどう誘導してきたのだろうか、なかったではないですか。
私学助成にいろいろ言われる。言われる中で、そういうことがあったろうか。確かにそういうものに多少の予算をつけたこともあります。けれども、
教育の荒廃だと言われるものをどう直すかという、その
視点に立ってのことはなかったでしょう。この間も大田さんが言っていることですけれども、大学の共通一次は三十数万受けるわけだ。三十数万が千からゼロまでずっと並ぶわけだ。序列ですよ。それで輪切りされるわけですよ。高校はその下でもってまた並ぶわけですよ。中学も並ぶわけですよ。三千万近いところの
子供たちが、国民総背番号ですよ。今日の
教育の荒廃の原因がそこにあるとするならば、ここに対する今までの努力というものは何をしているのだろうか。そして、
総理直属のなんと言ったって、僕らは何やと思うのですよ。だから文部省も悪かったら悪かった、一生懸命裸になってやりますという意気込みでなければならぬと思うのですが、どうですか。