○
熊澤参考人 熊澤でございます。
私は、現在
東京大学で
植物栄養学というのと
肥料学というのを講義しているわけでございまして、そういう点から、ここで何らかの
意見を述べろというように呼ばれたのだろうと思っております。
植物栄養学あるいは
植物栄養というのは、もちろんその
植物あるいは
作物の必要とする栄養分の必要とする理由、あるいはさらに、それをどういうような形でどういうふうに施したらいいかというようなことまで含む非常に広い
範囲の学問でありますが、一方、
肥料学というのは、
肥料そのものの
施用あるいは
施用の原理などを含めて、これも
土壌学との関連において割合と広く
研究されているものです。特に
地力との
関係におきますと、そもそも
肥料あるいは肥やしというのは、土を肥やすために施されているもの、あるいは今流の
言葉で言うと、
地力を増進するために
土壌に施されるものを広い
意味では
肥料というふうに呼んでいるわけでありまして、そういう点で
地力の問題、もしくは
地力を維持したりあるいは向上したり増進したりという問題というのは、
土壌学と同時に
肥料学の非常に
中心課題になっているわけです。
もう申すまでもなく、
地力あるいは別の
言葉で言いますと
土壌肥沃度というものは、
作物の
生産を維持していく
土壌の最も大きな
能力でありまして、この
能力をいかにして壊さないで維持して、さらに増進していくかということは、
我が国のみならず
世界各国の
重要課題でありますし、それは昔もそうであり、現在も依然として同じことが言われているわけであります。したがって、
地力が衰えたりあるいは
土壌母材の損失ということもありますが、それ自体は文明の盛衰に
関係すると言われているぐらいに非常に強調されておりまして、そういう点で、
土壌の問題というのは単に
農業のみならず、国家全体の問題として意識されていることは御
承知のとおりだと思います。
そうはいいましても、
土壌肥沃度あるいは
地力というものは
人類の
食糧を確保するという
意味において最も重要な性質でありまして、また、これは
個々の
農家の努力によって直接には維持されるわけでありますけれども、それの原理的なものあるいは政策的な方式は、広く、古くからそれぞれの地域あるいは
歴史に見合った
農法という形で展開されてきているわけであります。合理的な
農業経営あるいは
農法というものはすべて
地力の
維持増進と相反するものではなかったということは、
歴史的に明らかになっているわけです。既に御
承知のように、
土壌あるいは
土壌資源というものは
個々の
農家に属するものだけではなくて、これは国家的な
資源であり、それを維持していくあるいは増強していくことは、これもまた細かく考えていかないといけないところもありますけれども、一個人の
範囲を超えるようなところも大いにあることも御
承知のところだと思います。そういう点から、今回国で
地力増進法というものをいろいろ御討議なさっているということでありますが、私どもも、それに
関係している、そういう
領域で働いている者として大変喜ばしい
状態であろうというふうに考えております。
それでは、いわゆる
地力というようなことに関しまして
日本の現状はどういうふうになっているかということを若干考えてみますと、既に
我が国は古くからある面では非常に合理的な
農業を営んできた。これは
水田を
中心として
かんがい水を十分に利用する、それから、いわゆる
地方収奪要素を軽減して、また、そこで足りない
植物養分なども
人ぷん尿なりあるいは堆
厩肥などを
中心として合理的に循環をしてきた。そういう点で、百年ほど前までは
世界の中でも最もよい、現にかなった
農業を営んできたというふうに言われていたこともあるわけであります。しかし、そうはいいましても、
農業技術の発展というものは、それに伴って新しい
地力を増進する
資材としての
肥料の形態あるいは量などを次々と変化させてきたわけでありまして、途中をある程度飛ばして言いますと、現在、
有機質肥料に置きかわってきた
化学肥料施用の時代というふうになってきているわけであります。
しかし、十数年前あるいは二十数年前くらいの
状態を考えてみますと、先ほど
川田先生もおっしゃいましたけれども、やはり
基本としては堆
厩肥を
中心として、それに補助的に
化学肥料を使うという調和のとれた
農業経営が
中心に据えられておりまして、それで来たわけでございますが、比較的最近になりまして、御
承知のように
農業の方面における
機械化が大変進行して、それに伴って
個々の
農家で保有していた
労役家畜が減少してくる、あるいは
農業労働力が不足してくる、
労役家畜以外の
家畜類の使用も次第に減少してくるというようなことから、堆
厩肥の
生産が原料的に見てもそれから
労働力の上からいっても非常に停滞をしてきました。また、一方では大
規模のいろいろな
農業耕作、大
規模酪農なりあるいは大きな
経営が発達してきますと、いわゆる
耕種といいますか、そういうものと
酪農との結合と一口にいいましても、それがなかなかうまくいかなくなってきて分離をしてくる、そういうような要因が重なりまして、
経営内での堆
厩肥を
中心とした有機物の循環というものに対して一定の変化が起こってきたわけであります。それは当然
土壌の性質の
一つの変化として来るわけでございます。
ここで、それでは
土壌の性質というふうに一口に言いますけれども、どういうふうに整理して考えたらいいかということを、大学の講義的になって大変恐縮でございますが、ちょっと考えてみる必要があるというふうに思います。
作物の
生産に
関係する
土壌の性質というのは、大きく見て化学的な面あるいは化学性、それから物理的な性質あるいは物理性、また
生物的な性質つまり
生物性という三つの方面から考察されるのが適当でありまして、この三つの性質が一定の
条件のもとにおいて調和がとれているというときに、その
土壌は非常に
地力が高くなり得る、あるいは高い
状態にあるというようなぐあいにも考えることができるわけです。
それはまた
作物の側からいいますと、
地力の高い
土壌はその三つの性質からそれでは何が期待されるかといいますと、
川田先生が先ほどおっしゃいましたが、
一つは、
作土の層が一定の要求されるだけのものがなくてはならない。さらに水が必要であり、あるいはこれも根の成長に
関係しますが、
土壌の中の空気の流通がよくなければいかぬ。ある程度養分の供給というものもなければいかぬ。それから
土壌の反応性、余り酸性とかアルカリ性では困る。それから
作物の根の性質に対して有害なものがあってはぐあいが悪いというようなことで、幾つかの項目に分けて、それらの項目についての
作物の要求を十分に満足することができるかどうかということによって判定されていくわけであります。
そういうような
土壌の化学性とか
生物性とか物理性を改良するために我々はいろいろな手段を使うわけでありますけれども、そのうちの最も主な手段というふうなものとしては、やはり
肥料が使われていっているわけであります。この
肥料として使われているものは、初期には先ほど申しましたような堆
厩肥が
中心でございました。それに
化学肥料が加わってきた。この堆
厩肥の性質を分解してみますと、これは
土壌の化学性にもあるいは
生物性にもあるいは物理性の改良にも
関係をしていたわけであります。それが次第に
化学肥料の増大に持っていくわけでございますが、
化学肥料というのはその
土壌のうちの化学性の改良に主として役立っているものでありまして、そういう点で
土壌の化学性が悪いということによる
地力水準の低下ということは大いに防げるわけであります。しかし、
土壌の
生物性とか物理性の改良に対しては力が及ばないという性質を持っております。
かつて、第二次
世界大戦が終わった後しばらくの間は、この
土壌の化学的な性質、特に
植物養分の不足というのが
食糧生産に決定的に響いていたわけでありまして、その点で
化学肥料の増産ということが直ちに
日本の
食糧生産の増強ということにつながっていったわけでありますけれども、最近の事態はそうではなくて、むしろ堆
厩肥が減少してくる。堆
厩肥の中の
植物養分の減少分は
化学肥料によって補うことができますけれども、堆
厩肥の持っているほかの機能というのはなかなか補うことができない。物理性もしくは
生物性において不十分な結果が生まれてくるわけであります。農林水産省の各試験場その他県の試験場あるいは
農業関係者の間で既にこの問題は十分に意識化されておりまして、その結果、いろいろ契機はありますが、石油ショックのときなどを
一つの大きな契機といたしまして、やはり
地力を増強しなければいかぬということでさまざまな施策が展開されてきて、その効果というのもいろいろな面で確かにあらわれてはきているというふうに思います。
また、
土壌の化学性のみならず、
生物性、物理性を改良するというような思想も
農家あるいはその他そういう
資材を
生産する方面にも随分浸透してきまして、最近では化学的な性質以外の性質を改良するような
資材、ここでは特に
土壌改良資材というふうに呼ばれていると思いますが、そういう
土壌改良資材も非常に大量に
生産されて供給されるようになってきております。もとより、堆
厩肥、特に稲とか麦とか、そういったものの
植物性の
資材を
中心として発酵してつくりました堆
厩肥というのは、何千年というようなぐあいの非常に長い間の
歴史の試練を経ておりますし、それが最も有効であるということは間違いはないわけでありますけれども、そうはいってもなかなか要求されるだけのものを供給することはできない。そこで、それにかわるものとして、例えば有機質
資材としては木材の皮を発酵させたバーク
堆肥だとか、あるいは場合によっては泥炭のたぐいのものだとか、そういう代用品でどこまでいくか、代用品がずっと使われてきているわけであります。これらは、それ自体として合理的に使っていけば、先ほど申しました面の
土壌の性質の改良には当然使えるわけであります。
それからまた、水とか空気というふうに申しましたけれども、水と空気の面からいいますと、また別のいろいろな無機的な改良
資材が
土壌改良資材としてできております。
農業経営の中においても、これもいろいろな事業によって行われていると思いますけれども、極力いわゆる
堆肥もしくはそれに類似するものが
生産できるような
資材があるならば、それを集めて
農家の畑に還元していくというような施策は行われているわけであります。
そういうふうにして、現在、化学的な性質のみならず、ほかの性質についても極力手を打って改良していこうというふうにされているわけでありますけれども、何せこのような
土壌改良資材というものは非常に種類も多くて、またその
資材の
材料も多々あるわけです。それから、同じ発酵するといいましても、発酵の程度をどういうふうにして判定するか、なかなか
農家でも判定に困る。
化学肥料を
中心としたいわゆる
肥料、これは
法律で言う
肥料でございますが、これについては既に
肥料取締法がありまして、いろいろ規格その他については厳重な規制がされていて、そして使う
農家も安心して使えるということになりますが、後から出てきました
土壌改良資材につきましては、これは非常に種々のものがあります。
先ほど申し忘れましたが、微
生物肥料というようなものもありまして、これは例えば
農家が生わらを
水田から持ち去るということをしないで、それをそのまま
水田に置いて
堆肥にできないかというような要求がございますが、その場合に生わらがなるべく早く腐ってくれないと困る。早く腐るために微
生物を使う。微
生物を使うと、その分解菌の分解能の働きによって早く
土壌の上において
堆肥になるのじゃないかというような考え方があります。そのほか似たようないろいろなものがあるのですが、そういう微
生物肥料というようにして評価されるようなものもあります。
こういったものは、あるものは評価済みであり、あるいは現地において試験済みであり、効果がはっきりしているものもありますけれども、あるものは非常に実験室的である。例えば微
生物の効果を見る場合に、対象として殺菌
土壌を使う。ところが、現実の
土壌には非常に多種類の微
生物がありますから、殺菌
土壌で得られた結果というのは実際の
土壌に持っていった場合に果たして適用できるかどうかということはわからないのであります。
その他いろいろ種類が多いし、やはり安心して
土壌改良資材を使うということのためにはまだまだ
研究が不足している面もありますけれども、さらに、現実に使われている
土壌改良資材について
農家が安心して採用できる。それから、採用するだけではなくて、それを一定の基準のもとに使用する。
化学肥料であっても大量に使用すれば害があるということは明らかでありますけれども、
土壌改良資材においても、その
資材資材が非常に特殊目的を持っておりますから、その目的に従った使い方の指導が一方でなされていかなければいけないというふうに考えます。
また、当然、供給される
資材の性質というのが使用者にとって明確でなければいけない。そういうことは現在の
個々の
農家が自分で判定するということはなかなか難しいものですから、やはりある一定の基準というものを与えて、その基準に沿って評価できるというふうにするのは大変適切なことではないかというふうに思うわけです。
法案の中に、
土壌改良資材について
品質表示というようなことがあるようでございますけれども、これは現在使用者あるいは
生産者も含めて大変要求されていることであろうというふうに思っております。
最後に、現在取り上げられております
地力増進法というのは、
農業の発展の現
段階において考えられているわけでありまして、先ほど
川田先生も触れられましたけれども、かつて
耕土培養法が成立して、
日本の
土壌の化学的な性質を
中心として不良
土壌の改良に大変役に立ちました。これは統計的にもはっきりしておりますし、だれでも認められる。また、その改良の効果というのは、現在の
日本全体の
作物の
生産水準の向上のてこになっているということは明らかでありまして、その
耕土培養法にかわるものとして、あるいはそれを一層発展させたものとして
地力増進法が出てきたということは、
農業の現
段階にまことに相応じたものであろうというふうに大変高く評価するものであります。
しかし、この
法律の中にも触れられておりますけれども、実際に
地力を維持増強するということはそう簡単にできるものではない。これは絶えず
土壌を調査する、
地力の
状態を調査する、どこを改良したらいいか、どこに問題があるかというのを把握する必要があるわけです。そのために広範な調査が必要になってきます。調査のためには調査の
専門家というものを、これは維持培養というわけにはいきませんが、
専門家というのはやはり必要になってくる。そういう
専門家の必要性ということは、これは
農家ではなかなかできない。物差しではかったり、重さを見たりということは
農家でできますけれども、その中の化学的成分がどういうふうな変化をしているか、あるいは微量元素と申しますが、
植物にはなくてはならない、しかし余り
土壌にあり過ぎては困るという元素がございます。その中の代表的なものは銅であり、亜鉛である。銅などは少なければ銅欠乏になる、そして
植物は育ちません。ところが、多過ぎると銅過剰で害が出てくる。一体自分たちの
土壌はどのくらいの銅を含んでいるかというようなことは
農家ではわからない。そういうものに対して国もしくは公共
機関が
専門家を用意して、十分にそれらの
土壌の診断の要求にこたえるということは大変重要なことであろうというふうに思います。
それから二番目といたしましては、やはりそういう分析などをする場合に無手勝流ではなかなかできない。
農家の要求に従っての分析といっても、単純なものはいいわけですけれども、先ほど言いました高度の技術体系をつくっております現在においては、そういう分析
そのものもある程度突っ込んだものでなければ実際の役に立たない。そういうことで、やはり装備が必要である。
各地に要求に応じて装備を配るということについても、大いに考慮していただきたいと思います。例えば
農家が銅を分析してくれと持ってきても、そういうことはできないというふうにやられるのでは、これは何のために
地力の調査をしているかということもわからなくなる場合もあるわけであります。ましてや、カドミウムとかその他いろいろ難しい問題もありますが、
土壌改良資材で
土壌を改良していく中においては、これは一定の有機物である場合にあらゆるものが含まれているというようなことで、その中に何が含まれているかということを検定すると同時に、相手方の
土壌がどういう性質のものであるかは、今の細かい
段階からも十分に見る必要があると思います。
私も職業柄、
世界のいろいろな国で
土壌を見る機会もあるわけでございますけれども、総体的に見た場合に、
日本の
土壌というのは長い間の努力によって非常によいところに保たれている。しかし、その中でも農林水産省の調査によりますとまだまだ数十%以上が欠陥がある、あるいは改良しなければいけないところがあるということがわかっております。より地方の低い、あるいは
食糧生産能の非常に低い国と別に比較するということではありませんが、それらの国の水準は次々と高めることにして、さらに
我が国の水準というものを十分に安定した高位のところに持っていき、さらに増強していくということが、
日本の
食糧生産の安定に寄与すると同時に、
世界の
食糧問題に対する
日本の役割を果たすことにもなるというふうに考えます。
農業生産の非常に
基本をなすものとしての
地力について、今国会で一定の
法案を成立されようというふうにして御討議されているわけでございますが、全面的にこの
法案の趣旨に賛成するものであります。
以上でございます(拍手)