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三浦(久)
委員 私は国歌を一般論として否定しているのじゃありませんよ。「君が代」というものを国歌として、そしてその斉唱を強要するということを否定しているわけです。今あなたは、新しい憲法になった、象徴天皇のシンボルとしてこの国歌があるのだ、こう言われましたね。ですから、歌詞は同じであっても新しい憲法のもとではその
意味、
内容は変わってきているのだ、そういうことをおっしゃりたいのだろうと思うのですけれども、それであれば、憲法第一条というのは天皇の象徴ということを規定したのじゃないのです。その本旨は、象徴としての天皇の地位は主権の存する
国民の総意に基づくという、まさに
国民主権そのものを規定したものだというのははっきりしていることでしょう。
ですから、そういうことであればいわゆる
国民主権にふさわしい国歌を制定させるとか制定するとか、そういう方向で論議を進めていくというのであれば結構だと思う。しかし、いわゆる
国民的なコンセンサスも得られていないような、いわゆる天皇主権を謳歌するような歌詞を持った「君が代」というものを
先生方に斉唱を強要するということは、私はどんなことがあっても認められないことだと思います。ですから、これを自民党がしゃにむに強要するということは、むしろこれは天皇を――憲法改正して天皇を元首化しようなんて、そんな動きも自民党の中にありますね。そういうものを押しつける、まさに党派的ないわゆる偏向
教育の典型的なものじゃないかと思うのですよ。
私はこれ以上
議論は続けませんけれども、はっきりしておくことは、
文部大臣、この「君が代」が国歌であるということは何らの法的な根拠もない、したがってこれをいわゆる行政が法的な根拠もなく他人に強要するということはできないと思います。いわゆる行政は法定主義でありますから、法的な根拠がなければできないことになっております。ですから、そういうことも念頭に置いて今後の
学校運営に当たっていただくことを強く要望して、次の質問に移りたいと思います。
一つは、学級編制の問題で
お尋ねします。
現在、
文部省は小
学校、
中学校の児童生徒数を五月一日で確定しています。そして、
クラスの数を定めているわけですね。つまり、四月の入学時に仮にその学年が九十人であるといたしますと、二
クラスで入学式のときは
スタートするわけです。ところが、五月一日現在で九十一名ないしは九十二名にふえたといたしますと、その時点でまた学級をばらしまして、そして三
クラスに編制し直すわけですね。こうしたやり方は
学校現場に大変混乱を持ち込んでいるわけです。
北九州のある小
学校の四年生の場合ですけれども、去年までは三年生だったわけですね。それで三年生のときは四
クラスだったわけです。ところが、ことしの三月の末に児童が減少いたしまして、四月の始業式には百三十五人しかいない。それでちょうど三
クラスで
スタートしたわけです。ところが、その後五月一日までの間に二名ふえました。そうすると、せっかく新学期でもって三
クラスで
スタートしたのに、二名ふえたものですから、今度は五月一日の
段階で編制がえを行って四
クラスにしたわけです。今まで四
クラスで来たのが三
クラスになり、そしてまた四
クラスになるという、一月もない間に大変慌ただしく学級の編制がえが行われているわけであります。
そういたしますとどういう障害が起きてくるかといいますと、
学校当局、また父母、この人々にとりまして、四月に三
クラスで
スタートはしたのだけれどもどうも五月になるとふえるかもしらぬ、こういう一抹の不安があるわけです。ふえると
クラスの編制がえをしなければならないな、こういうことになります。ですから落ちつかないのです。学籍簿も仮のものしかつくらないのです。それから児童の名札も、四年生という名札はつけますけれども、四年何組という組はつけないで、そのまま始業式を始めて授業をやっているということです。
それから、家庭訪問をしようと思っても、また
クラスがばらされちゃって自分の担任じゃなくなっちゃうかもしれないというようなことがありますから、
学校の
先生は家庭訪問もできない。そういたしますと、その
クラスだけやらないというわけにいきませんから、
学校全体が家庭訪問を延期せざるを得なくなってくる。また生徒にいたしますと、果たしてこの
先生がこれから一年間担任してくれるのかどうかということもわからないものですから、その期間は勉強に身が入らない、そういう状態が続くそうです。
それからまた
クラスの編制ができないと
学校の
先生は言っておられましたが、それはなぜかというとリーダーをつくることができないというのです。ですから、そういう
意味では、四月の二十日間ぐらいというのは
先生も生徒も父母も大変不安な状態に陥っているということが言われております。
ですから、できれば新学期に学級編制をするとそのままずっと一年間通した方が
教育上はいいのじゃないか、こういうことを現場の
先生はおっしゃっておられるわけです。例えば、我々でも一月一日というのは気持ちを新たにいたしますけれども、児童生徒も新しい学期になりますと非常に新しい抱負を持って
学校に来るそうです。例えば今まではどうもおれはいたずらをした、
学校の
先生にいろいろ怒られてきた、しかしことしこそはひとつ心を入れかえてしっかり勉強しようとか、スポーツに専念しようとかまじめにやろうとか、そういうような気持ちを持って来る。ところが、今までの
先生にはおれの悪事は知られているからほかの
先生に当たらないかな、そういう気持ちも持つそうですね。そうすると、四月の
スタートのときに今までの
先生と違った
先生に当たった、喜んで、さあこれから一生懸命やろうというふうに思っているときに、がらっと
クラスの編制がえが行われてまたもとの
先生に当たってしまった。そこで生徒のことしこそはという新しい抱負ががたがたっと崩れてしまう、そういうこともあるそうです。これは
学校の現場の
先生から聞いたことであります。
こういうことが何で起きるのかということです。これはレアケースだと言いますけれども、その学年の生徒たちにとってはいわゆるボーダーラインの層ですから、小
学校で言えば一年から六年まで同じような状態が毎年ずっと続いていくわけですね。ですから、レアケースであるけれども、その生徒たちにとっては大変な問題だということが言えるわけであります。何でこういう状況が出てくるかというと、学級編制を四十五人単位という硬直した、まさに弾力性のないやり方でやるために発生しているのじゃないかと思うのです。ですから、例えば四月
段階で四十五人を若干下回った、そういう場合でも、五月一日現在で四十五人を超えるのじゃないかと予想されるようなときは、その見込み数を基準として学級編制を行うという弾力的な運用を行ってやる必要があるのではないかと私は思うのですけれども、
大臣、その点いかがでございましょうか。