○野口
委員 今回、
日本専売公社が機構を
改革いたしまして新たな
日本たばこ産業株式会社と
形態を変える案に
当たりまして、既に同僚並びに先難から
たばこの問題について各方面からの御
意見があるところでございます。実は、私、告白をするつもりではございませんが、祖父の時代からの
たばこ屋でございまして、三代目の
たばこ屋でございます。したがいまして、前者とは変わりまして、
たばこの功罪の功の方を少しく述べて御賛同をいただきたい、こういうように思うわけでございます。
たばこは一概に悪い、こうおっしゃいますが、確かに科学的に分析すれば悪い部分もなしとしません。しかし、もちろん
たばこのいい方もありまして、泥棒にも三分の理という言葉がありますように、全部が全部悪いわけではでざいません。したがいまして、
たばこの吸い方に問題があるのでありまして、実は私
どもの商売をやっておりまして、一日大体二十本入り一箱程度お吸いになる方は非常に健康的で、良識的でエリートでございます。それ以上といいまするか、ヘビースモーカーとおっしゃる方は、どうか健康に気をつけて吸い過ぎにならないように、表示のとおり少しく規制なさる方がよろしいのではないか、こう申し上げるのが私の本意でございます。
さて、お気に召さぬ方もいらっしゃるかもわかりませんが、
たばこ礼賛論を少しくやらせていただきます。
実は私も、この
法案の審議が始まる前に各種の
たばこに関する文献を読ませていただきました。これは
アメリカのW・ホイットビーという医学博士の「
喫煙が肺がんの原因であるという信仰は、もはや科学者の支持を受けてはいない」という
趣旨のもとに書かれた本でございます。そこで、その中の一部を、なぜ
喫煙は健康によいかということを読ませていただきたいと思うのであります。謹んで聞いていただきたい。
喫煙が健康によいなどといったら、禁煙運動の指導者のなかには発作を起こす者もいるかも知れない。しかし、これはどうしようもないことだ。
なぜならそれが事実だから
——。
私の患者は、しばしば
喫煙のおかげで咳の発作から救われだといっている。これは医学の教科書や講演でいわれていることと逆なので、私は最初のうちは、患者たちが単にそう思いこんでいるだけなのだろうと思っていた。しかし、そういうことが何年も続いたので、彼らの言葉には何か真実が含まれているのかも知れないと思うようになった。
やがて私自身の
喫煙の経験が、彼らの正しさを証明してくれた。私は子
どものときから、喉がひどくぜいぜいする気管支炎に悩まされてきた。私は医者からタバコを吸わないよう忠告を受けた。三十代後半になって、何度も呼吸器系統の病気にかかり、ときには肺炎になったりしたので仕事に支障をきたし、人生がみじめなものに思われていた。
ある日、田舎の老医師が私にいった。「わしも以前はあんたのようだった。ところがある人が秘法を教えてくれた。パイプを持つということだ。その通りにしたところ、これ以上よいことはないと思えるほど最高の健康状態になったのですよ」。
こういうことが書かれてあるわけでございます。
以後これを読みますと時間がたくさんかかるのでございまするが、少しくその主なるところの部分を読ませていただきますと、
「
喫煙が精神の安定をもたらし、仕事の遂行能力を高める効果を発揮するという印象を、実験的証拠によって支持する見解が、ぞくぞくと増えているし。
私は
喫煙者はおおむね幸福で、充実した人びとであることを発見した。
喫煙者は非
喫煙者より自殺指向が少ないだろうとも思っている。ということに始まりまして、今日まで
たばこを吸い過ぎて警察に御厄介になった人は余りいないが、酒を飲み過ぎて警察に御厄介になった人は多々ある、秩序、法例を乱し、いわゆる良俗を乱すということを
たばこの害によってやられたことはおよそなかった、こういうことが書かれてあるのでございます。これは
一つの本でございます。
さらにもう
一つの本を読ませていただきます。これは、
たばこは唯一の休息用品であるということであります。
活動には休息が必要である。多忙で緊張した日々の暮しに、一時的な休息と慰安を求めるのは生理的結果であって、
たばこは普通の状態ならば、休息によって求められるくつろぎの状態を、人のたくらみとして作りだす結果、休息感でない休息を与えることである。しかも安い
価格で軽便な形で、つねに手許に用意されているきわめてゆるやかな鎮静剤であり、人が作りだす休息用品として、生理的に心理的に心を惹くものである。
こう書かれてあるわけであります。
さらにその後に、人は
喫煙によっていろいろなものを得ているが、一体何を得ているかということについてたくさんのことが掲げてありますが、
一つだけ引用させていただきたいと思うのであります。
「わたしは亭主を九五%は死亡する肺ガンで失いたくないから禁煙させようと焦っているんです。わたしの愛と誠意を侮辱なさるのですか」と険のある目でにらんだマダムがあった。肺ガンと
関係のあるのはシガレットだけで、パィプも葉巻も刻みも嗅ぎタバコも噛みタバコも一切肺ガンに
関係はない。またそのシガレットにしても一日二十本までは有意の差はないから、一日二十本くらいにコントロールさえずれば、シガレットを目の敵にすることもない。
女心のデリカシイのわからないひぐまみたいな亭主への恨みつらみを、ニコニコして一時間も聞いてあげるコンサルタントのタバコは、絶対に必要品である。放心剤としてタバコほど有効な手はない。ストレス解消は、医師とかぎらず、作家でも判検事でも弁護士でもタバコは、不可欠の解消道具だろう。
こう書かれてあるのであります。
引用するものはたくさんあるのでありますが、余り刺激を与えるとぐあいが悪いので、そのくらいでやめさせていただきますが、私は、
たばこが有害だけであると言い切ってしまうのは、余りにも酷ではなかろうかと思うのであります。したがいまして、私も、適当な量と適当な時間によって消費をするならば、決して有害ばかりではないと信じておる者の一人でございます。
そこで、論点を変えて申し上げてみたいのでありますが、実は私のところは三代
たばこ屋をやっておりますが、余りよく売れる
たばこ屋でございませんで、
専売公社からたびたびおしかりを受ける
たばこ屋の方でございますけれ
ども、実は自動販売機を置いておりません。それは次の
理由によるものでございます。
たばこに関する禁止の
法律がございます。御案内のとおり、未成年者
喫煙禁止法というのがございまして、この第四条に「満二十年二至ラサル者ニ其ノ自用二供スルモノナルコトヲ知リテ煙草又ハ器具ヲ販売シタル者八十円以下ノ罰金ニ処ス」、もちろんこの十円は後ほど変えられておりますが、この
法律は生きております。したがいまして、
たばこを売る
立場から申しますと、その人が未成年でないということを明らかにして売らなければならないということがあるわけであります。
ところが、自動販売機は、夜中もあるいは人のいないときでもいつでも作動しているわけでありまするから、この
法律からいいますならば、まさに無制限に
たばこを売るという仕組みになっております。とすれば、私はこの問題こそまず解消しなければならない問題ではないかと思うのであります。
現在自動販売機の台数は、
たばこの店舗一戸
当たりに対しまして、全国で平均一・二台になっているわけであります。置いてないところもあるかわりに二台、三台と持っているところもあると思うのでありまするけれ
ども、そうなりますと、
たばこの禁止をしているこの
法律から見まして、未成年者に対してもその判別をしないで売ることができるという自動販売機の設置の問題は、先ほど来同僚
委員の方々がおっしゃっていますように、未成年者に対して、あるいはまたその判別が不可能な方々に対して無制限な
喫煙を助長するという
意味からも余りいいものではない、私はこう思うのであります。むしろ
たばこ屋がそのことを良識として持っていながら、その制限をみずからの販売の中に置いて売るようにするのが良識ある
たばこ屋の存在ではなかろうか。
実は、私の近所に一日百四十本お吸いになるお客さんがいらっしゃいまして、箕輪さんだったら喜ぶかもわかりませんが、実はその方は肺がんでお亡くなりになりました。確かに一日に百四十本という本数は異例でございます。しかし、実は私
どもの家内がその方にたびたび御注意を申し上げました。買っていただくのはありがたいが、おじさん
たばこを吸い過ぎですよ、せめて二、三十本にしてはどうですかということを再三申し上げましたが、その方は六十歳を待たず五十七、八歳であったと思いますが、とにかく一日百四、五十本
たばこを吸いまして、たまたま
たばこが原因で肺がんになったかどうかは別といたしまして、とにかく肺がんで死んだことは間違いないのであります。したがって、そのことについての規制を
たばこ屋自身が持つべきである、こういうのが私の持論であります。したがいまして、この自動販売機の設置は未成年者
喫煙禁止法第四条に反するのではないかと思うのでありますが、この点についてまず総裁の御見解を承りたいと思います。