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1984-07-04 第101回国会 衆議院 社会労働委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十九年七月四日(水曜日)     午前十時二分開議  出席委員  委員長 有馬 元治君   理事 稲垣 実男君 理事  小沢 辰男君   理事 丹羽 雄哉君 理事  池端 清一君   理事 村山 富市君 理事 平石磨作太郎君   理事 塩田  晋君      伊吹 文明君     稲村 利幸君      金子原二郎君     古賀  誠君      斉藤滋与史君     友納 武人君      中野 四郎君     西山敬次郎君      野呂 昭彦君     浜田卓二郎君      藤本 孝雄君     箕輪  登君      森下 元晴君     渡辺 秀央君      河野  正君     多賀谷眞稔君      竹村 泰子君     森井 忠良君      大橋 敏雄君     沼川 洋一君      橋本 文彦君     塚田 延充君      永江 一仁君     小沢 和秋君      田中美智子君     菅  直人君  出席公述人        慶応義塾大学商        学部教授     庭田 範秋君        弁  護  士  副島 洋明君        健康保険組合連        合会専務理事   広瀬 治郎君        東海大学文学部        広報学科教授   島田とみ子君        群馬県多野郡上        野村長      黒澤 丈夫君        日本労働組合総        評議会事務局        長        内山達四郎君        医事評論家    水野  肇君        明治大学政治経        済学部教授    吉田 忠雄君  出席政府委員        厚生大臣官房長  幸田 正孝君  委員外出席者        社会労働委員会        調査室長     石黒 善一君     ————————————— 委員の異動 七月四日  辞任         補欠選任   今井  勇君     森下 元晴君   谷垣 禎一君     金子原二郎君   塚田 延充君     永江 一仁君   浦井  洋君     小沢 和秋君 同日  辞任         補欠選任   金子原二郎君     谷垣 禎一君   森下 元晴君     今井  勇君   永江 一仁君     塚田 延充君   小沢 和秋君     浦井  洋君     ————————————— 本日の公聴会意見を聞いた案件  健康保険法等の一部を改正する法律案内閣提  出第二二号)      ————◇—————
  2. 有馬元治

    有馬委員長 これより会議を開きます。  内閣提出健康保険法等の一部を改正する法律案について公聴会を行います。  この際、御出席公述人各位に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は、御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございました。  健康保険法等の一部を改正する法律案に対する御意見を拝聴し、本案審査の参考にいたしたいと存じますので、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただくようお願い申し上げます。  なお、御意見を承る順序といたしましては、まず庭田公述人、次に副島公述人、次に広瀬公述人、次に島田公述人順序で、お一人約十五分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後委員からの質疑にお答えをお願いしたいと存じます。  それでは、庭田公述人にお願いいたします。
  3. 庭田範秋

    庭田公述人 御指名をいただきました庭田でございます。  それでは、健保法改正に関しまして私の意見をお聞きいただきたいと思います。  もう皆さんも既に御存じのことでございますが、医療費伸びというのは大変深刻な状態になっております。もともと医療費が重大な問題であると言われる一つのめどというのは、医療費伸び国民所得伸びを上回っている場合であります。最近は国民所得伸びを六から七%程度というふうに置いておりまして、それに対しまして医療費伸びは八%程度というふうに一応計算をいたしております。人口の高齢化医療技術の進歩、慢性病増加、そういったような問題が医療費伸び国民所得伸び以上に高めておるわけでございます。  ところで、昭和五十八年の国民医療費、これは十四兆五千百億円、五十九年が十四兆八千八百億円程度と推定されておりまして、昭和六十年十六兆八千億円、昭和七十五年五十兆円、昭和八十年一百六十九兆円程度、このように踏まれております。仮に今回の改正が順調に予定どおりに行われたといたしますと、昭和六十五年には、大体昨年の秋の二十四兆千七百億円という見込みよりも一兆円から三兆円ほど低目になる、このような数字が出ております。したがいまして、健保法改正が順調に通りませんと、少なくもこの一兆円から三兆円ほどの節約ということは御破算になる、このようにお考えいただいてよろしいわけであります。しかしながら、問題は、一兆とか三兆とかということではございませんで、百兆円を超えるような数字が将来に予定されておる、そういうところに我々は目を向けなければならないのではなかろうか。こういう事態を我々は踏まえまして、そして、健保法改正の問題を長期的視野から検討しなければならない、そのように私は考えるわけであります。  それでは、健保法改正に関しまして、私自身見解の結論の部分を先に申し述べたいと思います。  私は、この改正はやむを得ない、このように考えております。ある点におきましては進んで行ってもよろしい点があるのではないか、こう考えております。やむを得ないというのはやはり国民にとりまして痛みを伴う、こういうところがございます。ですから、それはやむを得ないという言葉で、消極的賛成ということになります。しかしながら、国民医療福祉というものを前向きに検討いたしまして、これの長期的改善というような部分を結構含んでおりますので、そういう部分につきましては積極的な賛成というような私の見解であります。  もともと、健保法改正の基本的な考え方というのは、医療費適正化、これは予防も込めて推進する。二番目が給付見直し、これは保険料を上げたくない、こういったような考え方に立つのではないかと思います。三番目は、医療保険制度合理化。これには幾つかありまして、一つ負担の公平ということであります。負担の公平ということは、これから高齢化が進みまして老人がふえますと、医療費はかさんでまいります。この高齢化医療負担国保にだけ押しつけてよろしいものであろうか、こういう点から考えまして、制度全体の中で負担の公平を図るべきではないか、これが一つ見方であります。もう一つは、我が国の医療保障制度というのはおおよそ八制度ほどありまして、ライフステージごとに人々はそれに所属をしながら転々とそれを移行していく、そういったような式になっております。これをできるだけ統合いたしまして、そして長い人生のライフサイクルに合った見地から医療保障制度というものを考えなければならない、こういうふうになるわけでありまして、この点で、例えば先般の老人保健制度、それから今回の退職者医療制度、こういったものはライフステージごと医療体制を整理する方向にある、私はそういう点でこれは大変好もしいものである、こう考えているわけであります。  ところで、医療保障に関しましては、改正をめぐって選択肢が四つあると言われております。  一つ保険料の引き上げであります。これは低成長下あるいは安定成長下で、もはや国民がこれにたえる力があるかどうかということが言われております。二番目は患者負担増加ということでありまして、給付率を引き下げるということであります。この辺が今回の改正一つの焦点になるわけであります。三番目が増税によりまして国庫負担能力増加させる、これは臨調答申その他に照らしましてほとんど不可能ということになります。四番目が医療の質的あるいは量的な影響覚悟の上で医療費の圧縮を図る、こういうわけでありますが、せっかく今日ここまで高まった医療の質というものを落としてそして財政対策に向かうということもいかがか、恐らく国民の積極的なコンセンサスは得られまい。  このように考えますと、今挙げました四つの中で大体二番目あたりというところが一番合理性といいますか、可能性があるのではないか、こう考えるわけであります。  ところで、具体的な改正賛成理由というものを私なりにまとめております。  まず、いろいろのものを見ますと、初めに予算があってこれとつじつまを合わせるためで、財政収支計算健保改正だ、こういうような見方もありますけれども、これは大変一面的ではないかと私は考えております。今回の改正内容、それから規模、多角性、そういうものを考えますと、とても予算編成というような小乗的なもので組まれているものではないと私は考えておるわけであります。医療保険本質に触れる部分も多々ありまして、余り小乗的なとらえ方は事態を正確に把握しない、こう考えております。  そして、恐らく今回の改正が大きな手術のきく最後チャンスではなかろうか。これを失いますと、今度は大変事態が深刻化したときに、激変を覚悟の上で改正に臨まなければならなくなる。漸進的な改正最後チャンスということになるんではなかろうか、こう考えるわけであります。  ところで、私は経済学的な方面の研究者でありますので、どうしてもそういう面が比較的頭に強く残るわけであります。国民福祉が低くて、そして同時に経済成長が高い時代には、まず福祉の方あるいは医療水準その他を引き上げまして、後で負担の問題を考えるという発想でありましたけれども、今日のように国際水準医療も到達しつつある、あるいは到達した、あるいは国際水準を上回るような状態にあると言われるようなとき、しかも安定成長というような高度成長から少し後退した経済環境が出ておるこういうときには、逆に制度防衛といったような見解が前面に出てもよろしいのではないか、こういうふうに私は考えるところであります。  今回の改正負担受給公平化というようなことを考えますと、当然ここで被用者保険保険者本人の一割並びに二割程度自己負担導入というようなことがあるわけであります。本来ですと国保の方の受給率を上げることによって負担の公平、それから受給の公平を期するべきでありますが、とてもそのような財政状態でない場合は、大変残念ではありますが、むしろ給付率を下げる形で公平を期するというのも一つ考え方ではないか、こう考えます。  そして、一割並びに二割の自己負担ということで自助努力要素導入できるのではなかろうか。同時に、医療に対して自分で健康に責任を持ってこれに向かう、こういったような思わざる期待、あるいは側面的な医療財政に対する期待というものが、一割あるいは二割の自己負担制度導入ということで期待できるのではなかろうか、こう考えるわけであります。当然自己負担がふえますとその分だけ国民には痛みが走ります。同時に、見ようによっては福祉の足踏みとかあるいは後退とかという言葉も使われるわけでありますが、少しその辺は心配し過ぎではなかろうかという気もいたします。  なぜかと申しますと、被用者保険の被保険者以外、被扶養者は既に定率一部負担導入されております。それから国保の方にも導入されております。だからといって、被扶養者並びに国保の被保険者が大幅に医療保障から外れたとか、あるいははじき出されたとか、その犠牲になったとかというような事実はほとんどないわけであります。そして、見ようによりますと国保の方も結構これを活発に利用しているというような点もございまして、余り過度に心配することはないのではないか。  一部負担制がありますと早期受診が妨げられる、ですから医療福祉にとりまして大変マイナスであるというような見解もあろうかと思いますけれども、実は国保健保を比較いたしますと受診回数におきましてはさしたる差はない、ただ受診日数の点においてわずかに開きがある、こういった事態を考えますと、早期受診にまず影響は出ない、こう申してもよろしいくらいの事態ではないか、私はそう考えております。  そのほか、この制度導入につきまして大変きめ細かな要素がございます。例えば従来の初診時本人八百円、入院本人五百円、これは一カ月限度というのでありますけれども、これは廃止をされます。ですから、一部負担制導入されましてもこの点と相殺関係が出ることを忘れてはならないであろう、こういうふうに考えるわけであります。それから高額療養費五万一千円、これが五万四千円に引き上がるという案ではありますが、とにかく高額療養費制度もありますから、一部負担制が入ったといたしましてもそんなに心配はないのではないか。仮にこれが五万四千円に引き上げられましても、この三千円はほとんどインプレスライド程度のものでありまして、そんなに大きな衝撃が走るものでない。まして低所得者救済措置というものがあるわけでありますから、過度の心配は無用ではなかろうか、こう考えるわけであります。  結局、私が言いたいことは、このようないろいろの改正案がありますけれども、実は我々は、この際、今の問題を考えると同時に、将来の問題も考えなければならないのではなかろうかと思います。制度の維持とこれを二十一世紀に安定させて送り込むということは、現在の我々の一つ責任ではなかろうか。給付率をいたずらに上げて、そのかわり財政赤字後代負担にどんどん送り込む、果たしてこれが長期的な目で見た国民福祉であろうかという点には若干考えさせられるところがあろうかとは思います。そして、一部負担その他というようなものが仮に今回も引っ込められたといたしますと、確かに中高年あるいは老人部分高齢者というところは大変喜ぶわけであります。なぜかと言いますと、もうそう長く保険料を出す期間もない、そしてこれを利用する側でありますから、一部負担がなくなるということは大変ありがたいわけであります。しかしながら、仮に若者といったようなところを見ますと、いずれは制度の累積してくる赤字というようなものが全部後代に転嫁されてくるわけでありますから、若者のところでは果たして単純に喜ぶかどうかという点では疑問があります。ちょうど、年金制度改革後代負担を余り増してはいけない、ついては今は譲歩すべきである、今の人たちがある程度の譲歩を耐えるべきであるというのと同じような論理がここにも生きるのではなかろうか、こう考えるわけであります。  長期的な見解に立ちますと、とにかく百兆円を超えるといったような数字が出されておる医療保障の前途ということを考え、今回が手術最後チャンスといったようなことを考えますと、私は、今回の健保法改正に対してやむを得ない部分があるがとにかく原則的に賛成である、このように自分意見を伝えるわけであります。  時間でございますので、一応打ち切らせていただきます。(拍手)
  4. 有馬元治

    有馬委員長 ありがとうございました。  次に、副島公述人にお願いいたします。
  5. 副島洋明

    副島公述人 指名された副島です。  私は、難病患者を抱える家族として、その重症患者とその家族立場から、そして私の職業が弁護士ということで、過去また現在も、そういう障害とか病のために起きた事件というものを弁護士という仕事を通じてやっている関係から、そのような立場から、今回の健保改革に対する意見を陳述したいと思います。  私としては、今回の健保改正の骨子とその思想は、医療現場をさらに荒廃させ、今回の健保の締めつけ、医療の格下げのしわ寄せが、患者、特に医療の中で底辺にある重症患者とその家族に重くのしかかってくるのであろうということをおそれています。  私は、三十四歳の重症進行性である脊髄小脳変性症の妹を抱えています。この脊髄小脳変性症という病気は私の家族に累々とつながっている病気なのですけれども、遺伝による進行性病気です。私の母、祖父、その前もそうであったと聞いております。妹は十七歳で発病しました。  妹の状態ですが、現在では寝返り一つ打てませんし、刻み食で一時間かけて食べる、文字盤を指す力をかすかに持っている、そういう状態で、頭と記憶と目の輝きというのは我々と変わりません。  私は、その妹を三年前に私のもとに引き取って、現在ある東京公的病院入院させています。現在、素人の付き添いさんを昼食から夕食までの時間帯でパートで、月曜から土曜まで雇っています。そして日曜は、私の家族は頭は小学校一年生から一歳半の子供三人抱えておりますけれども、家族五人で、毎週日曜日はピクニックといいますか朝早くから病院に、付添看護に出向くということがこの三年間続いています。  付き添い等の費用ですけれども、現在は本当に楽になりまして月約十三万円程度です。このパート付き添いさんを見つけるのには、職安、福祉事務所、知人とかいろいろなつてをたどって今の人をやっとこさ見つけたという状況です。それまでは専門の付き添いさんですから、私の姉たち兄貴たち、そういう兄弟たちの援助を受けても経済的にやっていけません。やはり人を雇うと東京では月三十万、残業というものがかかりますからその程度かかります。どうしても私の稼ぎでは間に合わないという状況です。  また、妹は十七歳で発病したということもありまして、現在の自分というものに大変いら立ちを持っている。夜を恐怖する、やみをすごく怖がるとか、発作を起こすとか、たんが大変詰まるとかいうような、難しい、つまり手のかかる患者なのですね。だから、そういう付き添いという条件入院条件と言えば条件なのです。基準看護病院といっても、これまでの経験からいってそれは無理もないと私は考えています。それでも現在の病院に、私が、また私らのような家族が非合法じゃないかということで文句を言っても、また文句も言えないような状況になっているのです。  今まで家族で妹を見るようになって、私らは多くの病院を転院してきましたし、また、特に我々が世話をするという形になってから六年間、現在が一番恵まれています。だから今の病院に長くいたいと思っております。病院から嫌われて、矢の催促のような、引き取ってくれ、退院させてくれというような催促を受けると、たびたび受けてきましたけれども、やはりその恐怖というのですか、それが私たちには強くあります。それでも、妹と私ら家族は、恵まれているとは言いませんが、特に例外というわけではありません。私ら以上に負担犠牲を払っている家族は多いと思います。  大きな総合病院の、私らも大きな総合病院転々と回ってきましたけれども、重症病棟には何組か、老いた母親なり奥さんなりが病床にある夫や子供を必死で看護に努めているという姿を多く見ることができるはずです。この家族付き添い付添婦による患者看護という問題、確かに病院にとっては、当然基準看護をとっているだけに許されないといいますか、非合法な存在だということは言えます。しかし、家族の多くはそれはもう納得ずくでやっているということです。それでも、建前建前であるだけに、つまりあってはならないという建前基準看護体制があるだけに、またそれがあるだけに家族医療現場においてはやはり物が言えないような状態、無権利状態といいますか、そういう状態がつくられています。やはり寝泊まりで付き添う家族が何組も病院のその病棟の中にあるのに、何組かのお母さんが頑張っているのに、時々炊事場には「煮炊き物厳禁」という張り紙が出されますし、私らはあくまで見舞いなんだということで、強制的見舞いというところですけれども、私らもやはり見舞いということで了承をとって納得ずくでやっています。時々お役人の調査があるということで、そのときは大騒動があります。  しかし、実態というのは、食事なり訓練なり身の回りの世話など、実際は看護婦さんのかわりを家族なり付き添いさんがやっているというのが現状です。私から見ても何年間、長い人は七年間、八年間というお母さんもいます。そういう家族お母さんたちは、睡眠不足と栄養失調という状態にあるように見えます。やはり厳しい現実の中にあると思います。  私は、付き添う家族みんなの人たちが、現在の医療に対して怒りというか、どうしようもないなというあきらめというか、そういうものがあるだろうと思います。なぜもう少しゆとりを与えてくれないのか、もう少し人間的な扱いをしてくれないのかというような気持ちが強いと思います。難病を初めとするそういう重症患者は、原因がわからないし、治療方法もわからないし、また回復見込みもないという、医学というか治療の次元の立場から、治療自体難しいし、またそういう患者だけに精神的には不安も強いし、緊張感もあるし、看護というものが、やはり私らから見ても、看護婦さんに押しつけるのは大変難しいという状況にあります。回復見込みがない、治療方法もない、その上介護が大変だ、手がかかるという患者になれば、やはり受け入れてくれる医療機関を探すということが非常に厳しい現実の中にあるんだということだと思います。  そんな現状のもとで、やっと受け入れてくれる病院で、その重症患者家族がある意味では日陰的な存在として無権利状態に置かれていくというのは、私自身もやむを得ないだろうと思っています。ただ、それだけに、そういう家族なり患者というのは、よい医療をつくっていただきたい、そういうように願っていると思うのです。  そういう立場から、今回の医療改正という問題について考えてみたいと思います。  医療改正というのは、その健康保険社会保険の精神から見て、現在医療現場で最も疎外されている患者家族のところから、そのような状態を改善するという視点が不可欠なのではないか、そう考えます。  私は、医療底辺にあえいでいるような状態にある患者家族、その治療生活看護生活を少しでも不安のないものにしていくという形で、今回の健保改正案が提案されているのかということを考えてみますと、全く逆ではないか。今度の改正案患者、特に重症患者家族をますます今以上に切り捨てて、やみというのですか日陰の中にますます追いやっていくものじゃないのかな、そういうように思っています。  特に、今回厚生省が出したこのパンフを私は読んでみて大変驚きました。患者負担つまり十割給付見直し理由として、税金とか保険料で賄うとすれば、医療費は使わなければ損とばかりにますます医療費がふえるということが書いてあるし、一部患者の薬ねだり、一部医者の薬づけ、検査づけ、高額医薬品の不適切な使用の誘発、むだをつくる十割給付は薬づけ、検査づけの原因をなしている、つまり患者負担という問題が、医療本質内容というかそういうところからどうされるべきという形で出されてきたんじゃないということ、医者患者に対する不信というところからどうも出発しているようだ。とにかく医療当事者医療現場人間たちは信用ならぬじゃないか、患者の懐を痛めさえすれば医療費の金の支払いは少なくて済むのではないかという立場から貫かれているんじゃないかと思います。さらにその上に、行政的に上から医療現場を厳重に取り締まり、チェックしよう、監視していこうという態度思想というものに貫かれている。医療費のむだは負担金を課すだけではだめだ、さらに医療を厳しくチェックしなくちゃいかぬと書いてある。医療機関に対する指導監視体制はさらに充実しなければいかぬと書いてある。行政のそういう力によって医療を監視しよう、指導しよう、そういうものが流れているんじゃないか。金のかからない医療とするためには、とにかく医療現場を取り締まろうとする態度考え方なんじゃないか。そういうことは、基準看護制度の中でいわば非合法に扱われている重症患者家族が、その取り締まりの強化という形によって本当に救われるのだろうか。私は、行政がそういう不信から出発する限り、取り締まられる医療機関からすれば、治療のめどがつきやすくて、看護がやりやすくて、見通しのつくような患者を中心に選択していくだろうと思う。つまり治療法がなくて手のかかるような患者はどうしても切り捨てられていくような医療体制に流れていくんじゃないか。現在でも医療機関は上に、行政にばかり目を向けています。制度、基準の建前ばかりが横行している傾向があるのに、さらにそれが強まることは、医療機関にとっては楽なもの、問題が生じないような形で基準をつくろうとするし、そういうことは反対に、手のかかる患者にとっては厳しいところの選択に追いやられていくんだというふうに感じるのです。医療の基準、制度というものが権力的に取り締まられ、強制力によってさらに登場してくる限り、医療がよくなるとは私は決して思えない。行政が効率化、金減らしという形で医療現場不信感で取り締まろうとすることは、医療現場において建前現実の乖離をますますつくり出していきますし、弱者を切り捨てていくものじゃないのか、そういう感じを持っています。  最後の要望ですけれども、重症患者家族としては、患者が本当によくなるためにでき得る限りの治療行為をやってほしいと望んでいますし、たとえ回復見込みがなくても、生きている一日一日は人間として生かせてあげたい、そういうように思っております。そういうところで優しい思いやりのある看護世話というものを切実に望んでいます。  そのためには、第一番目に必要なのは、医療現場においてお医者さんと患者家族との間に信頼とゆとりが欲しいのです。それが何よりも必要だと思うのです。現状だけからすれば、私も先走って告発したいような怒りもあります。でもそれでは何にもよくならぬという気持ちも私なりにはあります。ですから、まずゆとりをつくっていただきたい。看護婦不足、人手不足です。多くの看護婦さんがやめていきます。それを見ていると、本当にこの人たちをとめていただきたいという気持ちになります。そしてまた、信頼関係という形で言えば、点数出来高払い方式というのは、医者患者の信頼関係をつくっていくものかというと、大変私は疑問に思います。  行政としては、そういう医療現場の当事者たちに対して敵対的に臨むというのはやめていただきたい。医療機関、お医者さんが患者のところまで積極的に出向いていく、病人を施設とか病院とかに隔離するという形じゃなくて、患者の苦しみなり悩みのところまでおりていくような医療、お医者さんというものに仕上げしていこうというような形で行政は支援していただけないのか、そういうゆとりと信頼関係をつくるという方向で行政が積極的に働きかけられないのかというふうに私は思います。  今回の改正案は、人間の命とか健康をつかさどる医療制度について、どうしたら国民の健康、医療をよりよく保障できるのかという視点とか思想というものが私には余り感じられません。この改正案に流れる考えというものは、病院をまるで何か、私の職業から言えば留置所のような、不正のまかり通っている場所だというように決めつけているのじゃないか。そのために無責任医者患者を取り締まろうとする、一種の取り締まり法規なのかという感じすら私は少しいたしました。  やはりそれは基本的におかしいんじゃないか、もう一度本来のよい医療機関、よいお医者さんというのは何なのかということから論議して、その形で負担医療費というものはとらえていただきたいと思います。金減らしのためだけの医療の締めつけ、そういう形での今回の改正案というのは私は反対です。  現在、重たい病気、障害を抱えながら医療から疎外されて、切り捨てられて、絶望的に社会から孤立させられている家族とか親子というのがいないのかというと、そうじゃないのですね。私らも、今も子殺しとか重たい障害を抱えて心中しようとして生き残ったお母さんの事件とかを抱えています。そういう形で重たい病気、障害を抱えて、生きていく力を失って心中する家庭とか親子というのが今ふえているのです。そういうところの医療という問題を最初からとらえていってほしい。その上から、社会の責任、政治の責任とは何なのかということをまず最初に論議してほしい。そういう形の悲劇を繰り返さないような方策は何なのかという形で論議していってほしい。そのような現実が日本の医療現実にあるならば、そこから論じていくべきではないか。悲劇を起こさない、そういう重たい悲しさみたいな苦労みたいなものをさせないという形で、それはもう日本の医療にとって緊急の課題なんじゃないか。その立場からぜひ改正してほしい、医療制度をよくしていってほしい、そういう思いでおります。  今回の改正案は、私は、以上の立場から、大変心苦しいし、悲しい形で思っております。それは患者にとって重たく選択を迫られてくるんじゃないかという不安すら持っています。  以上です。長くなりましたけれども、終わります。
  6. 有馬元治

    有馬委員長 ありがとうございました。  次に、広瀬公述人にお願いいたします。
  7. 広瀬治郎

    広瀬公述人 ただいま御指名をいただきました広瀬でございます。  私は、今回の改正法案に対しましては、若干の希望意見はございますけれども、基本的に賛成であり、評価するものでございます。  すなわち、我が国の医療費は、人口の高齢化、疾病構造の変化、医学医術の進歩などに伴いまして、国民所得伸びを上回る上昇を続けており、その負担国民経済上過重なものになることは必至であろうと考えております。このような状況のもとにおきまして、医療保険の分野における今後の課題は、国民負担能力の範囲内において、効率の高い良質の医療を供給し、国民の健康と医療の水準を維持向上させていくことであると考えております。  このような考え方からすれば、今回の改正案は、本格的な高齢化社会に向けて医療保険制度の揺るぎない基盤づくりを目指し、すべての国民が適正な負担で公平でよい医療を受けることができるよう、医療費適正化、保険給付見直し負担公平化を三本の柱として、医療保険制度全般にわたり根本的な改革を行おうとするものでありまして、基本的には評価すべきものであると考えておる次第でございます。  次に、若干の項目につきまして意見を申し述べたいと思います。  第一は、医療費適正化についてであります。  医療保険における重要な要素として当然給付負担の公平ということがありますが、そこに効率という要素もつけ加えられるべきであると考えております。被保険者一人一人が自分の健康に気をつければ、医者に行く回数も減ってきます。また、いわゆる乱診乱療や不正不当な請求、薬づけとか検査づけとかいったことは徹底的に排除されなければなりません。また医療供給体制の面におきましても、医師数の急増や病床数の過剰、地域的偏在といったことに対しまして強力な対策が望まれておるわけでございます。あわせて健康づくり、疾病予防対策を推進することが必要であると思います。これらの対策を講ずることによって医療費が減り、保険料も安くなる。今回の改正案の中におきましても、過剰診療を行う医療機関に対する再指定の拒否あるいは審査支払い機関における高額レセプトの特別審査制の導入など、評価すべき点も少なくないのでございますが、あらゆる面にわたりまして医療費適正化努力こそ、国民にとって厳しい選択を迫る上での大前提であり、より一層の推進を図るべきであると考えております。  第二は、被保険者に対する一部負担の問題についてでございます。  私どもは、多年にわたりまして、被保険者本人につきましても適正な一部負担は必要であるということを強調してまいりました。したがいまして、被保険者本人に対する定率一部負担導入につきましては大いに賛成するところでありますし、また評価されてしかるべきものであると考えております。健康保険本人に対する定率一部負担導入は、まず将来に向けての給付率格差是正の第一歩であり、保険ファンドから恩恵を受ける者とそうでない者との間の負担のバランスを図り、特に健康に対する被保険者の自覚を促し、医療費総額が把握できることからコスト意識を喚起させる点において、極めて有効であると考えられます。  定率の一部負担につきましては、医療費が高額にわたる場合過重な負担になるという御意見もあるようでございますが、一定額以上の医療費につきましては高額療養費支給制度により保険でカバーされることになっておりますので、この自己負担限度額を適正なものとすればよろしいと考えております。  いずれにいたしましても、公的な社会保障制度の一環としての医療保険制度については、その給付は平等、公平なものであることが当然であり、将来の給付率統一に向けての第一段階として、今回の定率負担制は意義深いものであり、また、適正な受益者負担導入という意味からも評価し得るものであると考えております。とりわけ定率負担ということは、現物給付、出来高払いという現行の支払い方式のもとにおいて、患者医療機関の窓口において支払った額をもとに医療費全体がわかる仕組みであり、受診の都度コスト意識を患者医療機関の双方に喚起し、健康への自覚を促す点で極めて有効な医療費適正化対策であると考えますので、ぜひともその導入を図るべきであると考えております。  次に、退職者医療制度について意見を申し述べさせていただきます。退職者医療制度につきましては、退職後病気がちになるときに被用者保険から国保へ移行し、給付率が低下するという問題の解決を図ろうとするものでありまして、基本的には反対すべきものではございません。特に長期間企業に在職し営々として保険料を払い、被用者保険に貢献をしてきた人たちにとっては大きな福音であろうと考えます。みずからのOBはみずからが共同して面倒を見るということでありまして、そのための負担もある意味で当然のことであろうと考えます。  しかしながら、今回の退職者医療制度は、その実施主体を市町村国保としており、その効率的な制度の運営については率直に申しましてかなり不安を持っているものでございます。最近では、市町村国保におきましても、ヘルス事業の推進や保険料収納率の向上などに力を入れておられますが、国保保険者の所得の把握、レセプトの審査点検、医療費通知などの面で、なお一層の努力を期待しなければならない状態ではなかろうかと考えております。  特に退職者医療については、国保がその実施主体になっておりますが、その財政的な負担はしないことになっておりますので、退職者医療についての管理運営が、ややもすればルーズになるおそれがあることを懸念するものでございます。我々は、退職者医療制度の拠出自体についてはやぶさかではないのでございますが、その拠出金は現役被保険者の貴重な保険料でありますので、この制度の運営について拠出者側の意向が十分に反映される措置を講じていただきたい。また政府も、市町村国保の適正、効率的な制度運営を十分に指導していただき、被用者保険関係者が多額の拠出金を負担することについて、十分納得できるよう措置をしていただきたいと考えております。  また、退職者医療制度の対象者は、今後の人口の高齢化に伴いまして増加し、その拠出率は、初年度の千分の五・七四からピーク時には九・八へと増加すると言われております。当面は、定率一割負担導入医療費適正化努力によって、実質的には負担増加しないと言われておりますが、その着実な実行を望みたいのでございます。また、今後ともこのために負担が過重にならないよう十分な配慮をお願い申し上げたいのでございます。  なお、この制度について希望を述べさせていただきたいのでございますが、制度の運営主体が国保とされていることとの関連で、私たちはかねてより、退職者医療制度は我々の手で、すなわち被用者保険サイドでということを主張してまいりました。被保険者の管理や退職者の利便を考えますと困難な点もないわけではございませんけれども、我々のOBの医療については我々がその費用を負担することと、あわせて我々の手で、我々被用者保険の領域で制度の実施運営ができるような道を開いていただきたいと思っておるわけでございます。  最後に、今回の法案の国会における審議の過程で論議がなされております、医療保険制度の統合一元化や財政調整の問題につきまして意見を申し上げます。  医療費適正化のところで述べましたように、医療保険制度あるいはその改革を考えるに当たっての重要な要素として、効率性ということが極めて重要であると考えております。給付負担の公平を図るとともに、その給付負担を行う制度自体が効率よく運営される体制でなければなりません。  我が国の医療保険は職域と地域の二本立ての体系となっておりますが、職域と地域とでは就労や所得の態様が全く異なっており、また所得把握についての大きな格差があることなど、医療保険の適用条件に根本的な相違があるわけでございます。この両者の統合やいわゆる財政調整は、このような実態を無視した観念論にすぎず、こういうことをやればかえって負担の公平に反する結果になるのではないかというふうに考えております。また、制度の一元化ということが言われておりますけれども、その意味するところが統合というようなものであるならば、やはり同様の理由で、私は反対と言わざるを得ないのでございます。したがって、今後とも、医療保険は職域と地域の二本立てとしまして、それぞれにおいて整備合理化を図っていくべきものであろうと考えます。  さらに、医療保険制度保険者の間におきましては、医療費適正化努力等の経営合理化の姿勢に大きな差がありますが、制度の統合といったことは、その経営努力への意欲を減退せしめ、制度運営への活力を失わしめるおそれがあるのでございまして、その結果、医療費の一層の増大をもたらす結果になるのではないかと考えます。  このような意味で、自主管理を基本とする小集団で、効率性の高い健保組合方式を推進していくべきであると考えております。また、このためには、同時に、健保組合間の共助体制の拡大にも力を注いでいく必要があると思い、また我々もそのような努力をしていかなければならないと考えております。  以上で私の意見を終わります。(拍手)
  8. 有馬元治

    有馬委員長 ありがとうございました。  次に、島田公述人にお匿いいたします。
  9. 島田とみ子

    島田公述人 御紹介いただきました島田でございます。  私は、婦人運動にも関係いたしておりますし、多くの女性と日常接触がございますので、いわゆる生活を預かる女性の立場から、このたびの医療保険改正について意見を述べさせていただきたいと思います。  今回の予算を拝見いたしますと、医療保険といい、また年金制度といい、給付の切り下げということが非常にはっきりとあらわれております。これは非常に残念なことだと思います。多くの女性もまたそういうふうに語り合っております。  国の社会保障制度というものは、基本的に私どもの生活を心配ないように保障していただきたいということを私どもは日常、常に話し合っているわけでございますが、今回の予算はマイナスシーリングという要請のために、非常に大きな医療保険における予算の削減ということを行っておられるようで、これでは到底私どもは、この医療保険改正には賛成はいたしかねるというふうに私は考えております。  日本は世界第二の経済大国と言われておりますけれども、社会保障面においてこのような予算の削減ということをして果たしていいのだろうかということを非常に疑問に感ずるものでございます。特に健康保険本人給付を九割にし、さらにまた二年後には八割に下げるということは、一体これで歯どめがあるのだろうか、つまりこれで終わるのだろうか、私どもの医療給付というものがどこまで下げられてしまうのだろうか、そういうふうな不安を抱く女性が少なくございません。  それから医療費に対する国庫補助の点で、資料を拝見いたしますと、今年度は国民健康保険に対する国庫補助の大幅の削減がございます。四千二十三億円も削減してございます。これは退職者医療保険制度というものを導入するために国庫補助は少なくてよろしいんだというお考えというふうにとれますけれども、国保というのは御承知のように四千五百万人の国民をカバーしておる最大の保険でございます。しかも、この地域保険は、被用者保険と違いまして、非常に経済力の弱い人々が多数入っております。五人未満の零細企業に働く人々、その中には女性が非常に多いのでございますけれども、このような国民保険制度に対する補助を減らすということは非常に遺憾なことであるというふうに思います。そして、国保は御承知のように七割という最低の給付でございます。このように国庫補助を減らすことにより一体国保はどうなるだろうか、大丈夫なんだろうか、そういう声が国保に入っている女性の間でも出ているわけでございます。  その次に私の申し上げたいことは、このたびの改正では、健康保険を一割の自己負担とする、さらに二割の自己負担導入するということになつておりますけれども、病気になった場合にはそれだけでは終わらないということでございます。差額ベッドとか付き添いの費用というものが非常にかかります。これは皆様よく御存じのことと思います。差額ベッドは少なくとも一日三千円ぐらいというふうなことをしばしば聞くわけでございます。こういうふうな保険外負担を考えますと、病気はできないというふうに皆申しております。こういった保険外負担の問題を根本的に対応を考えておかないで、ただ給付を減らしていくということはいかがかと思われます。むしろこちらの方の対策をぜひとも強力にやっていただきたいと思います。  最近は、入院保険というものが私保険として非常に宣伝され、売られております。これは大企業の方は団体で入る、あるいは経済的な余裕のある方はこの入院保険に加入していらっしゃるという事実がございます。しかし、貧しい人々は全くこれに入ることはできません。つまり、私保険が公的保険と並んで入ってまいりまして、いわゆる弱肉強食の様相を呈しているというふうに私は見ております。これはまことに遺憾なことでございまして、公的な医療保険というものは、あくまでも国民のそのような医療に対する要望にこたえて、ぜひとも保険外負担というのをなくすようにしていただきたい、これをやってから給付の引き下げというものを考えていただきたいと思います。  外国では、例えば西ドイツとかイギリス等では、入院については十割給付であり、外来には一部負担がございます。これは定率の負担ではなくて定額の負担となっております。つまり差額ベッド等はないというふうに聞いております。こういうふうな医療保険のあり方というのが本来でございまして、我が国でもできるだけこのような方向に向かって努力するということが、豊かな国日本の社会保障のあり方ではないかと考えております。  それから、今しきりに言われていることは、乱診乱療というふうなことが批判されております。そして、乱診乱療を防ぐためには自己負担導入すればいいんだというふうな安易なことが言われていると思うのでございますけれども、現在の日本の医療のあり方は出来高払い制で、それによって医師は自由に診療ができる、患者は医師を自由に選ぶことができる、これは世界にも類のないような非常に自由な医療のあり方でございまして、それが日本の医療を発展させ、医療保険も発展させてきたのだろうと私は思っております。しかしながら、その中で乱診乱療という問題が起こってまいりました。これをどういうふうに防ぐかということが、日本の医療費を現在のような大きな膨張をしないで防いでいく一つの方法であるということは、皆様よく御承知でいらっしゃると思います。  その一つの方法として私が常々感じておりますことは、私もときどきお医者さんの厄介になるものでございますが、大きな病院、それから公立病院あるいは国立病院では、必ず患者に受取を出しております。しかしながら診療所では出したことはございません。ですから、これを義務づけていただきたいということがございます。義務づけるということは、つまり患者は非常に立場が弱いですから、領収書をいただきたいということを医者には言えないのでございます。ですからそれを何とかして義務づけることによって、医療費の削減につながるのじゃないかというふうに考えます。  それともう一つは、保険者がかかった医療費本人に知らせる、通知するということでございます。これは以前から、たしか元大蔵省におられた今井一男先生が非常に主張しておられたことだと思うのですが、これがいつまでたっても実行されておりません。このような対策をすることによって、本人自分医療にどのくらいのお金がかかったかということがわかりますから、むだな医療というものを相当に省くことに道がつくのではないかと私は感じております。  私は、このたびの医療保険改正案については、以上申しましたような理由で、もっと抜本的なことをやっていただきたい、その上で患者の一割負担、そういうものを考えることは結構でございますけれども、現在の段階では今度の改正案にはどうも承服いたしかねる、反対でございます。  御清聴ありがとうございました。(拍手)
  10. 有馬元治

    有馬委員長 ありがとうございました。     —————————————
  11. 有馬元治

    有馬委員長 これより公述人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。丹羽雄哉君。
  12. 丹羽雄哉

    ○丹羽(雄)委員 きょうは、公述人の先生方、貴重な御意見をお聞かせいただきましてありがとうございました。  健康保険制度改正の質疑も、去る四月十二日に実質審議を始めて以来三カ月間に及び、きょうは東京と大阪で公聴会を開催しております。いよいよ大詰めの段階を迎えたわけでございます。  委員会の質疑を通しまして数々の問題点も浮き彫りにされており、我が自由民主党からは、ただいま先生方の御意見にありましたようなことを十分に加味いたしました修正案も提示されておるわけでございます。  今回の改正案の最大の柱は、言うまでもなく被用者保険に対する自己負担導入でございますが、問題は、年間十五兆円に達する膨大な医療費庭田先生の話ですと将来は百兆円にもなるのじゃないか、こういうようなお話でございますが、これから先どうやってだれが負担していくか、こういうような問題でございます。つまり保険料で持つのが望ましいのか、財政再建が叫ばれる中で国庫負担はどのくらい持つのが適当なのか、あるいは患者負担はどこまでが適当なのか、この三つの組み合わせを考えていかなければならない、こう私は考えるわけでございます。  そこで、まず第一点として、今後の医療費の動向をどう見ていくか、そういう中でこの三つの組み合わせをいかにしたら有機的に進めていくことができるか、それによって、今日世界一の平均寿命を誇る我が国の医療体制の充実強化をしていく上でどれが一番望ましいか、これにつきまして、時間が余りございませんけれども、順次先生方のお答えを願いたいと思います。簡潔にお願いします。
  13. 庭田範秋

    庭田公述人 お答えをいたします。  医療費がだんだんと上がっていくということは、一面においてはありがたいことではあるわけであります。といいますのは、我々がそれだけ医療を豊富に使うことができるというありがたい面もありますが、同時に、どこかでこれを負担しなければならないという反動といいますか、もう一面の今度は痛い面も出るということは間違いございません。そして、我々が考える方法というのは、医療費を削りながらできるだけ痛い思いをしたくない、しないようにするにはどうしたらよろしいだろうか、こう考えるわけであります。ですから、ただ単に医療費を節減するとか圧縮するとかいうことではありませんで、それを通じて医療費節減効果がさらに増幅して出れば一番よろしい方法ではないか、こう考えるわけであります。  そういたしますと、保険料を引き上げる、これは源泉徴収のような形で給料から落ちていきまして、どうも我々は、そのことによって医療費を節約しなければならないといったような直結的な刺激は余り出てこないであろう、こう考えます。それでは国庫負担を増しますと、これは当然増税とかそういうことになろうかと思いますが、これはどう考えましても現在の社会環境の中ではもう実践の可能性がない、こういうふうに考えます。  そうしますと、患者が一部自己負担をする、定率ということが政府の案でございますが、定率で一部自己負担をするということになりますと、確かに自分のかかりました医療費が幾らぐらいということはすぐ算術で出てまいります。そして同時に、今回自分がどのくらい医療費を使ったか、こういう把握も可能になってまいります。さらに、一部負担があるということで、先ほど言いましたように早期受診があるいは妨げられるという心配もあろうかと思いますが、被扶養者の問題、それから国庫の問題などを考えますとそれほど大きくはない。むしろ、我が国の医療の使い方というのは、国際水準に比べまして実は若干異常だと言ってよろしいような面があります。入院日数の諸外国に対する比較の上での長さとか、あるいは今度は外来に年間どのくらい行くかという数字とか、あるいは薬を使うという点を考えますと、日本の医療は世界一であると言われながらも異常な部分を持っておる。この異常な部分は修正されたってよろしいのではないか。これが合理的あるいは効率的な医療保障のあり方ということになるのではないか。そうすると、患者一部負担というのは確かにその効果は非常に大きく出るであろう。こう考えますと、やはり一部負担というところに焦点を置いた改正ということは大変合理的なんではないか、こう私は思います。  ただ、これが異常に高くて何割もということになりますと生活を破綻いたさせますが、既に七割という実例を踏まえた上で、一割ないし二割ということはそんなに不合理はありません。私は将来二割という点を望みまして、この程度改正は大変合理的ではないか、このように考えております。
  14. 副島洋明

    副島公述人 国民の命とか健康を守るということが、究極的には社会保障のあり方ということになろうかと思います。そういうものが、今の健保体制なり日本という国の中で、いろいろな形での政策をやらなくてはいけないでしょうけれども、どれだけの重要な価値なのかというところにがかろう、やはりふえていくという形は一面はあろうかと思いますけれども、もう一度、私たちの生活のあり方なり職場なり家庭なりということで、予防という形でもそれが抑制もできるでしょうし、そして、それでもまたふえていくという問題が本当に否定されるべきなのかどうかという問題は、社会保障なり国民の健康、命を守るということの判断にかかろう、私はそういうふうに思います。そうであれば、政治の仕組みなり予算の仕組みというものは、その価値の中でどういうふうに位置づけられていくのかということで決まってくるだろう、そういうふうに考えます。
  15. 広瀬治郎

    広瀬公述人 この必要な医療費はだれかが負担しなければならないわけでございますが、やはり医療費適正化ということでむだな医療費は排除しなければならないと私は考えております。そのためには今三つの方法があるわけでございますが、私は医療保険は何でも十割給付にするというのが目的ではないと思います。受診抑制にならない程度で、またそのために生活を脅かされない程度で、自分負担できる程度はまず患者負担すべきであろうと思います。しかし、人によりまして所得に高低がありますから、低所得者対策は十分に考えなければならないと思います。ある程度自己負担をすることによって医療費のコスト意識がわき、また自分の健康は自分で守らなければならないという意識が涵養されまして、非常にむだな医療費の排除に役立つと思います。  残りは、保険料か国庫負担か税金かという問題でございますが、これは国の政策によると思いますけれども、我が国の国家財政の現状から考えますと国庫負担は余り期待できない。よって大部分保険料で賄わなければならないと思います。また日本人の通弊として、どうも税金だと使い道に余り関心がない、自分で払った保険料だと非常に使い方に関心があるということから考えましても、残りは主として保険料が中心になるべきであろうと考えます。  以上でございます。
  16. 島田とみ子

    島田公述人 医師の収入がいかに高いかということは、先日の税金の発表でも、高額所得者の中に医師が随分入っていらっしゃるのを拝見いたしております。もちろんそれは正しい診療報酬の請求によって高い所得をお上げになっていらっしゃるのだろうと思いますけれども、私の感じますことは、やはり医療費適正化をやる。そして、国民の側から、患者負担とか国民の一部負担をふやすという、そちらの方法で医療費を節約するということを考える前に、なぜお医者さんの側の問題を検討されないのか、そちらの方をもう少し審査とかその他の方法で厳しくしていただけないのかということを常々感じております。
  17. 丹羽雄哉

    ○丹羽(雄)委員 時間が来たものですから、一問だけ庭田公述人にお聞きします。  今回の審議を通じまして、厚生省は、被用者本人自己負担導入しても受診の抑制にはつながらない、医療費適正化つまりむだをなくすことが最大のねらいである、こういう見解を一貫して示しておるわけでございますけれども、それでは現に今の医療費にむだが生じていると思うか、あるいはむだがあるとすれば今回の改正によってむだをなくすることができると思うか、またそのほかに何かむだをなくするような処方せん、そういうものがあるかどうか、簡潔にひとつお答え願いたいと思います。
  18. 庭田範秋

    庭田公述人 医療というものは、我々の体に加えられるものでして、具体的に言ってむだなものというふうにその段階で言えるかどうかは大変疑問でありまして、ただ効率の面から見て、非常に悪い医療であったときにはどうやらむだがあったような気がするとか、あるいは逆に、医療を受け過ぎて余病が発生したというようなときには明らかにむだがあった、あるいは行き過ぎがあった、こんなような形で我々はむだがあったとかないとかいうことになるんではないかと思います。  ところで、一部負担制が今程度状態で入ったといたしまして、国民所得も相当上がった今日、それが受診抑制につながるということはほとんど考えられないのではないか。当座は確かにショックで減るかもしれませんが、自分が現に痛いものを、一部負担のためにこらえて死ぬまで我慢するなどということはとても考えられませんので、決して受診抑制には遠い将来を考えるとならないであろう。そしてその行為の中で、例えば過剰な医療とか行き過ぎなんというものが徐々に修正をされていく。修正をされたことをむだが排除されたという見方をすれば、間違いなしにむだが排除されたという結論にはなるんではないか、このように考えまして、多分そんなに受診率は落ちない、私はそのように考えております。
  19. 丹羽雄哉

    ○丹羽(雄)委員 終わります。
  20. 有馬元治

    有馬委員長 村山富市君。
  21. 村山富市

    ○村山(富)委員 きょうは、公述人の皆さんには、お忙しい中を貴重な御意見をお聞かせいただきまして、ありがとうございました。  四人の先生方の御意見を聞いておりまして、この健保改正問題に絡んでなおいろいろな意見があるものだな、ますます時間をかけて、慎重な国民の納得できる審議をする必要があるということを痛感をいたしたところでございます。  先生方すべてにお聞きする時間もございませんので、私は絞って端的にお尋ねを申し上げたいと思うのでございますが、医療を考える場合に一番大事なことは、国民のすべてが、いつ、どこでも、だれでも、安心していい医療を受けることができるような制度をつくっていくということが一番大事なことだと思うのであります。そういう観点から考えて、今の医療の中で何が一番欠落をしておるのかという視点から、先ほど副島先生から、医療現状について、重症患者を抱えた患者さんや家族の皆さんの立場から見た医療という問題についてのお話がございました。私は、こういう機会に、そうした医療の原点と言われるような現状についてもう少しお話を承りたいと思うのでございますが、重い、治りにくい、難しい症状を持った患者さん、あるいはその患者を抱えた家族の皆さんがなかなか受け入れてくれる病院がない。今お話しを聞きますと、公的病院に入られているそうですけれども、その公的病院に入るまでにいろいろそういう意味では苦労されたんではないかと思うのですが、そういう苦労されている患者さんや家族の方がたくさんあると思いますが、あなたの経験を通じて、そういう現状についてなお若干のお話をお聞かせいただきたいというふうに思います。
  22. 副島洋明

    副島公述人 数えて丸六年前ですけれども、妹が重度のそういう施設に入っていました。私の出身の九州の方です。そして、私は当時まだ修習生というんですか弁護士の卵のころ、まだ弁護士をやっても一年のころだったと思います。そのころに緊急の呼び出しがあって、九州に飛行機で飛んで帰りますと、妹が救急病院入院していた。やせ細って本当に死ぬかというような状況だった。そこから病院回りが始まりました。  施設は医療設備がないから戻ってこられては困るという形で、福祉施設で医療設備がないということだったし、それから救急病院付き添いをつけるというところから病院回りが始まって、付き添いさんを最初安心するまで一カ月くらいつけてくださいということでつけるのだけれども、安心するという段階以前に、こちらではそういう受け入れは難しいという形で引き取りの催促が矢のように来る。最初の病院は民間病院でしたし、民間病院は二、三カ月置きにかわりました。本当に最後のときはなくて、精神病院といいますかそこの方にもう行くところがないということで、付き添いさんをつけてですけれども、離れの使われてないところに置かしてもらって、そこに四、五カ月いましたか。  それから金のことで、そのとき私らの家族は、付き添いさんを二人、半年ほどつけましたから五十万ほどいく。だから家族の崩壊の危機というものを必死に感じまして、どうしようもない。兄弟みんなが出すのだけれども、共倒れするんじゃないかというような危険を本当に感じました。  病院回り、お医者さん回りをやりまして、このことが、ある公的な病院の院長先生にわかっていただいて、受け入れていただくようになった。そのときも付き添いさんは、専門の人を半日という形で毎日つけて、そこで一年半から二年ほどいた。その院長先生が退職ということもありまして、また田舎の父親が脳溢血で倒れる、それをまた姉が引き取らなくちゃいかぬということで、あちらの田舎の方にはだれも看護者がいないという状況に三年前なりましたので、私が東京に引き取ってきたというような過程なんですけれども、結論として言えるのは、私の経験からいえば、民間病院ではどうしても難しかったし、そういう民間病院では救えないようなところを、公的病院ではある程度現実として救えるところがあるわけですね。実際、田舎でも必死に探して公的病院に最終的には入れてもらった。東京でもいろいろ回りました、こっちで迎え入れるという準備のときに。そのときも公的病院のお医者さん等の判断で入れていただいたし、そういうことを考えると、公的病院といいますか、ある面では営利というものからはちょっと薄い形でもって、難しい患者とかを抱えるそういう家族負担を少し軽くしてでも受け入れてもらえるような、それは医療本質から外れるところがあるかもしれません、生活の看護みたいなところが強いですから。でも、そういうところを含められるようなのはやはり公的病院だろう、だから、私の実感からいって、公的病院の早急な充実、拡充整備ということを切に望んでいます。  以上です。
  23. 村山富市

    ○村山(富)委員 そういう立場に置かれておる患者さんや家族の皆さんが大変御苦労されているという現状はよくわかるわけでありますけれども、そういう苦労をされて今は公的病院入院をされておる。その公的病院は恐らく基準看護病院だと思うのですが、基準看護病院でなければもちろん付き添いも必要ですし、また保険外の莫大な金がかかるわけですね。しかし、幸いに基準看護病院ではあるけれども、見舞いという名目で付き添いをつけざるを得ないという状況になっておる。これは全く違法行為ではないかと言えるような筋合いのものだと思うのですけれども、現状はそうなっておる。しかも、そこで働いておる看護婦さん、労働者の人員やら労働条件やら何かを考えた場合には、余り文句も言えない。で、気まずい思いで、必要以上な心遣いをしながら患者さんは入院しておるし、家族の方も付き添いをやっておる。こういう病院看護婦さんと患者との人間関係といいますか、そういうものが一つは大きな問題ではないか。もう少し人間的にゆとりを持ち合って、安心して、少なくともそんなつまらぬ気を使わぬでも済むような条件をつくっていくということもある意味では必要ではないかと思うのですが、あなたの経験を通じて、入院された病院現状、特に働いておる皆さんの状況といったようなものについてどういうふうにお感じになりましたか。その経験をお話しいただきたいと思うのです。
  24. 副島洋明

    副島公述人 意見を言わせてもらいます。  基準看護なんですけれども、私らから見ると看護婦さんが本当に少ないのですね。よく走っておられる看護婦さんという形で見るくらいなんですけれども、それでもやはり少ない。重症患者である程度、言っては悪いですけれども、植物的な形で意識の相当薄くなった人だと、そういう患者さんも多いですけれども、そこまで進んでしまうとある程度機械的な管理ができるのですけれども、ちょうど私の妹みたいな状況とか、もう少し自分で座りながらでも食事ができる、トイレもおしめじゃ嫌だという状況の方の介護というのが一番大変なんですね。だから、家族はもう少し見たいし、看護婦さんはあっちもこっちもという状況だし、そういう中で、ある面では悲惨なというんですか、とげとげしい関係というのがいや応なしにつくられてくるというような状況があります。  遠藤周作氏でしたか作家が、思いやりとかやさしい病院という形でどこかの週刊誌に一時連載がありましたけれども、本当に思いやりのあるような、患者のところまで思いやっていけるようなものにするためには、とにかく看護婦さんの人手不足を解消していただきたい。本当に看護婦さんが日常的に、妹なり患者さんの過去のことを聞いたり生活会話ができるようなゆとりというものをつくって、おしめをかえて走ってもう次という形じゃなくて、三十分、一時間、患者さんと向き合った形で、看護婦さんが軽く運動させながらでもやっていけるような状況があると、家族は本当に救われる思いというのを強く感じます。  その意味では、看護婦さんの早急な充実といいますか増加といいますか、人手不足を早急に解消していただきたい。そうすることで患者の人も家族も大変助かるというのが切実な実感ですね。特にそれをよろしくお願いします。
  25. 村山富市

    ○村山(富)委員 大変恐縮ですけれども、あなたのような立場に置かれておる方がたくさんおられると思うのですけれども、そういう方々が今の日本の医療制度をどうごらんになっておるか、あるいは経験されておるか、あるいは今度改正案が通った場合にどういうお気持ちで受け取られるであろうか、どういうふうになっていくだろうかというようなことを、気になるものですから若干重ねてお尋ねをしたいと思うのです。  今度の法律の改正の中に、高度な医療を受ける場合、厚生大臣が承認をした特定の医療機関で受けた場合、あるいは特別のサービスや特別の材料を使った場合に保険で給付をする、これは一定の率ですけれども、こういう制度がつくられますね。この制度は、見方によっては、今まで全然見なかったものを見るんだから、こういう言い方をすればあるいはいいように受け取れます。しかし、主として大学の附属病院を指しておると思うのですけれども、そういう承認をされた医療機関で高度な医療を受けた場合には給付を受けられる、それ以外の病院では幾ら高度な医療を受けたって自分で金を払わなければいかぬ、こういう医療機関によって差別をする、区別扱いをするような医療のあり方についてはやはり問題があるのではないか。特に、特別のサービスや特別の材料を使った場合の例はいろいろあるわけでしょうけれども、差額ベッドの例なんか申し上げますと、差額ベッドあるいは個室を使う必要があるかどうかということは、その患者負担する能力があるかどうかということ以前に、患者の症状によってこの患者は個室に入れる必要がある、この患者は四人部屋でよろしい、こういう治療上の判断から分けるべきものではないかというような考え方に立って、差額ベッドは廃止するという方向で今まで厚生省は指導しておったわけです。それが今度は、その指導もするのでしょうけれども、一方では公然とそういうものを認める。こういう方向に変わっていきますと、せんじ詰めてだんだん進んでまいりますと、金のない者はもういい医療は受けられない、金のない者はいい治療は受けられない、こういうことになっていくのではないかという心配があるわけです。そういう問題についてはあなたはどういうふうにお考えになりますか。  これはできれば島田先生にも一言お答えいただきたいと思うのです。
  26. 副島洋明

    副島公述人 療養費給付改正問題で、ある意味では保険外のところが保険の中に含まれるといいますか、そういう形で、一つの現象としていいところが出てくるということは確かに私もわかります。ただ、それが制度として今後長く続いていくという形になると、逆に言えば選択というのですか、そういうものが強まってくる、現実として逆に患者に返ってくるのじゃないかなというような気持ちもあります。  それ以前に、厚生大臣が高度な医療サービスなりを大学病院とかに特定するということが、十年でも二十年でも家族と一緒に生きていきたいという重症の患者に対し、本当に治療行為であり介護の手助けのものなのかなということがまず私は疑問です。受療機会、受診機会というのですか、医療を受ける機会が、そういう特定なところとそうでないところで不公平に格差がつくられていくのじゃないかということをまず感じます。  私自身も今まで経験としてあります。妹のことで、難しい患者さんは来なさい、ただし一年で出しますがということですけれども、一年で出て行ってもらうということは絶対ですけれども、来なさいということを言われる。ただ、そういうのは家族としては何か人体実験みたいな気持ちを感じさせられるのです。そういう意味で、なぜ特定の病院だけがそういう高度なのか、我々が住んでいるような近所の病院でももっとそれができるようなシステムを考えていただけないのか。わざわざ自分の生活から離れたところで生活するというのは患者も不安ですし、患者のそば近くで、できるなら一緒でというのを家族も願っているわけですから、そのような形でつくり上げていってほしいというふうに思います。  ですから、この療養費改正について、これが制度として残る場合、ある意味では悪い形で及ばなければいいがというような気持ちが現実としてあります。
  27. 島田とみ子

    島田公述人 今のお話は大変危険だと私は思っております。といいますのは、そういうことが特定の大学病院とか大都会の病院で恐らく承認されることになるだろうと思うのです。そして、そのための非常にお金のかかる設備がないとできない、そういたしますと、それを受けられる人と受けられない人という差が非常に大きく出てまいります。しかも、そういう制度導入するということは、将来にわたってこれから医学がどんどん進んでまいりました場合に、こういう機械を使って治療するということについては、どうこうということで個人の負担がふえる方向に向かっていくのじゃないか。つまり、それを適用できない病院がたくさんありますから、医療技術が進んでいきましてもそれが適用できない、したがって国民負担になってくるという問題がございます。ですから、それを私は非常に心配をして、今の御指摘は私としても考えさせられております。
  28. 村山富市

    ○村山(富)委員 重ねて副島先生にお尋ねします。  あなたはたまたま弁護士をされていますが、弁護士という職業は素人の介入できない専門的な職業です。表現は悪いかもしれませんけれども、正常でない方が事件を依頼しにくるというか、何かの事件をその人は背負っておる。これは民事の場合も刑事の場合も同じですけれども、そういう関係にあるわけです。医師と患者さんの関係というのは、お医者さんはやはり専門的な職業、素人の介入できない立場で、患者さんは何らかのハンディを背負ってお医者さんに頼る。ある意味からしますと、弁護士と依頼人、医師と患者は似た関係にあるのではないかと思われるのです。  今、医師の場合には診療報酬制度があって、治療を行ったその行為は全部点数で評価されて、そして請求して金を払ってもらうという仕組みになっていますけれども、あなたが弁護士というお仕事をされておりまして、医師と患者という関係において、そういう点数で評価されるような今の診療報酬制度に対して何かお感じになるような点がございますれば、この際御意見を承っておきたいと思うのです。
  29. 副島洋明

    副島公述人 私は医者ではありませんから、現実に点数出来高払い方式というもので患者さんと結びついているお医者さんの気持ちとかいうものは本当にわからないのですけれども、先ほど言いましたように、トラブルなり社会的な問題を抱えて私の前に登場してくる市民の方と、病という形でお医者さんの前に登場してくる患者さんとは、同じように信頼関係、その人のために治療をやってあげる、私らが法律的な形で問題を解決しようと試みて努力するという、このつながりは信頼関係というところでは基本的には同じなんじゃないか。そしてまた、医者とか弁護士は何となくその市民と上下関係みたいなものをつくって、下の方から上の方に、そういう医者弁護士に何か言いにくいという関係があるような形も受けますから、それもまた似ている。そういうところから見ても、この信頼関係というものがどんなに大切か。もし私らの弁護料、弁護士さんに払う費用が点数、ここの診療報酬点数表みたいな形でなされると、我々の仕事はまず不可能だろう、できないだろうという現実一つあります。気持ちとしてまずできないだろう。本当にお医者さんがその患者のために、私らにすれば依頼者のためにその基本的な利益を守ってやっていく、そして問題を解決していく、そして今の日弁連の報酬基準の枠の中で報酬をいただくという際には、話し合いの中で——打ち割った裏話を言えば、この人は金を持っているか貧乏人かというのははっきり大きな意味で考慮に入れて、報酬基準の枠の中で、持っている人からそれなりに、持たない人ならそれなりにという納得ずくの形で報酬をいただき、それで我々は食べているわけです。そして、特にその信頼が私らの商売の一番の、商売ではありませんけれども、一番の依頼者というのは、事件の依頼者が次の依頼者をつくってくるというのが私ら弁護士稼業の鉄則だろうと思いますけれども、そういう意味で、信頼関係がない形、つくりがたい形で仕事をやらせられると我々の商売は成り立っていかない。その意味では、お医者さんの出来高払い、点数によって出来高を評価していくというのは大変苦しいだろうなという気持ちがあります。  その意味で、実際にどういう形でなされたものかわかりませんけれども、家庭医の登録の人頭払い方式とか件数定額払い方式とか、諸外国には点数出来高払いじゃなくて、ある程度人間の信頼関係を基礎とした保険の医療費の支給という制度もあるわけですから、もう少し医者との信頼関係を基礎に置いた形で医療行為はなされていくべきじゃないか。それは弁護士から見ても特に痛切に感じます。  特に、今回の改正案というのは、医者という立場にとって、私はパンフレットを読ましてもらいました場合も、大変きつい見方をお医者さんはされているのだなと痛感して、本当に同情しました。  以上です。
  30. 村山富市

    ○村山(富)委員 次に、広瀬先生にちょっとお尋ねをしておきたいと思うのですけれども、今度の健康保険法の改正の中の、強いて目玉といえば退職者医療制度ですね。ところが、この退職者医療制度も、事務費さえ国は金を一銭も面倒を見ないんですよ。見なくて、あなたからお話しがありましたように、国民健康保険の中に退職者医療制度をつくって、OBの方はそこに全部入って、そして市町村の事業としてやられる。そして、政管健保やら健保組合なんかは応分の金の拠出をする、運営には一切タッチをしない。こういう仕組みのものですから、若干あなたの御意見もございましたね。この日本の社会、風土から見てもOB、先輩の面倒は後輩がみんなで見ようじゃないか、こういう考え方がごく自然だと私は思うのですね。そういう意味から申し上げますと、任意制度というものがありますから、この任意制度を延長して、そして老人保健等へつなぐという仕組みが一番いいのではないかというふうに思うのですけれども、今度の制度の中では、目玉商品とうたいながら、国は一銭も金を出さずに、幸いに健保財政も黒字になっているから、健保健保組合でもって拠出をして面倒を見てくれ、こういう仕組みのものですから、そういう仕組みでつくられる制度というものに対して、単に健保連が運営に参画できない、したがって努力が報われぬというような意味だけではなくて、どういうふうにお考えになりますかということが一点ですね。  それから、これはもう新聞に報道されておりますから明らかになっておりますけれども、そういう皆さん方の要望にも若干こたえる意味で、健保組合の中にも任意適格退職者医療給付制度というものをこしらえて、その制度を実施するところについては拠出金の調整をする、こういうことになるわけですね。この案についても若干御意見があれば御意見をお聞かせいただきたい、これが一つです。  それからもう一つは、日雇健康保険は、今回、累積赤字が多くてこのままじゃ成り立ちませんから解消して政管健保に吸収をする、こういう仕組みになっております。いろいろなからくりはありますけれども、端的に申し上げますと、この日雇健康保険本質的には赤字を抱えるものになるわけですよ。その赤字の分の負担を政管健保健保組合でやりなさい、面倒見なさいというだけのものなんですよね、比較して言いますと。そういうやり方、考え方に対して、何か御意見がありましたらお聞かせをいただきたいと思います。
  31. 広瀬治郎

    広瀬公述人 ただいま退職者医療制度と日雇健保の問題で御質問がございましたが、実は先ほども申し上げましたように、私どもといたしましては、退職者医療制度そのものの趣旨には別に反対してはおりません。ただ、一つの問題は、だれがこれをやるかというところが一つの問題だと思います。私どもは、当初、退職者医療制度をやるためには、これはもともと被用者保険のOBですから被用者保険で、自分で金を出し自分の手で後の面倒を見るべきであろうというふうに考え、そういう主張もしたわけでございますが、人数が非常に多いということ、それから事務が非常に大変になるということで、被用者保険サイドでやろうとしても実際上なかなか大変なことになるじゃないかという議論が始まりまして、結局、現在退職者も市町村の国保におるからそこでやってもらわざるを得ないということになったわけでございます。  それはやむを得ないといたしましても、健保組合の中でもあるいは企業の中でも、少なくとも、自分の会社の健保組合に長くおった人がやめた後も引き続き自分健保組合で面倒を見たいというところがありますので、できないところはしようがないのですけれども、できるところは、自分たちのOBは自分たちでお金を出し、自分たちの手元でひとつ管理をしたいという気持ちがまだ現在もありまして、できますればそういうことができるような道を開いていただきたいという希望を持っておるわけでございます。  それから第二は、この退職者医療制度につきまして国庫補助の導入という問題がございますが、私どももいろいろな論議はいたしましたけれども、何と申しましても国家財政がこういう状況でございますので、現段階においてはやむを得ないのじゃないかというふうに思っております。  しかし、この退職者医療制度を実施してみまして、特に国保で運営してもらうわけでございますが、その医療費の増高がどういうふうになるか、あるいは我々被用者保険の拠出金の動向がどういうふうになるか、また将来国保財政がどういうふうになるか、いろいろの要素を勘案いたしまして、単に国庫補助だけではなしに、退職者医療制度そのもの、あるいは老人保健法との関係、あるいは任意継続との関係、そういうすべての問題を一遍ある時期に全部見直していただきたい、その中でひとつ検討もしていただきたいという気持ちを持っておるわけでございます。  それから日雇健康保険法の統合の問題でございますが、私どもは、日雇いさんといえども被用者保険であることは間違いないので、制度としては統合することに反対はございません。  ただし、今御指摘のように、こう言っちゃなんですけれども、赤字要素を抱きかかえることになるのは財政的には非常につらいわけでございますし、また事務もそれだけかかるわけでございますが、やはりできるだけ負担の公平をやっていこうという情勢から考えますと、このこともやむを得ないものと考えておるわけでございます。
  32. 村山富市

    ○村山(富)委員 長期の見通しの中で、租税や社会保険負担給付関係とか、あるいは今三五%ぐらいですけれども、臨調から言いますと四五%ぐらいを目標にする、一〇%ふえる、その一〇%というのは医療に使うのか、年金に使うのか、何が主体なのかといったような問題もまだあると思いますね。そういう議論の中で、医療保険制度というのはこれからどう考えるべきかといういろいろな問題もたくさんあるのですけれども、残念ながら時間がございませんのでこれで終わりたいと思うのですけれども、先生方の御意見を聞いておりまして、ますます今回の改正案国民生活に及ぼす影響というものの大きなことを感じました。  これから、皆さん方の御意見を大事にしながら慎重な審議を進めていきたいというふうに思います。  これで終わります。
  33. 有馬元治

  34. 平石磨作太郎

    ○平石委員 公述人の方々には、本日、このようにいろいろと御教示をいただきまして、心から感謝を申し上げる次第でございます。なお、いろいろとお聞きを申し上げたいことがございますので、若干御公述をいただきたい、こう思うわけです。  そこで、まず広瀬公述人の方にお伺いをいたします。  マクロ的に見るかあるいはミクロから見ていくか、こういうことでいろいろ考え方も変わってきますし、余りにもマクロ的に見ていきますと、ミクロから見たときに非常に落ちこぼれも出てきますし、また医療制度の中から非常に不公平な面も出てくる、こういったことを考えてみますと、やはりどのように調整するかということが一番大切なことではなかろうか、私はこういう感じがいたします。  そういう中で、今こうして原案の審議がなされておるわけでございますが、まずマクロで見たときに、今マイナスシーリングということが財政再建の中で出ております。これは財政再建ということから見ますと、そういったことの理屈が出てくるわけですが、厚生省予算がその再建の中で今年度六千二百億、これが一律に国のマイナスシーリングという中で厚生省におっかかってきておるわけですが、こういったことが果たしていいのかどうなのか。マイナスシーリングというものが今後も行われるようなことが言われておりますけれども、今後の医療を考えたときにどのようにお考えになるのか、一言お聞かせをいただきたい。  これは、庭田先生にもひとつお聞かせいただきたいと思います。
  35. 広瀬治郎

    広瀬公述人 お答えいたします。  医療費の問題で、マクロ的に見た場合とミクロ的に見た場合と、いろいろ問題点の所在が違うというふうに私も考えております。先ほど私が申しましたのは、大体マクロ的と申しますか一般論を申し上げましたので、例えば一部負担の問題につきましても、低所得者の問題あるいは先ほど来お話しのありました難病の方のような問題、そういうのはやはり特別に配慮する必要が十分にあると考えております。  それから、シーリングの問題でございますが、これは国全般のことにわたりますので、私は余りほかのことはわかりませんが、医療保険関係者の一人といたしましては、やはり医療保険というもの、社会保障はこれから非常に重要でございますので、余り一律に、幾らマイナスシーリングでも多少特例を設けていただくべきではなかろうか、そういうふうに考えております。
  36. 庭田範秋

    庭田公述人 お答えをいたします。  まず最初に、マクロとミクロという見方を分けて御質問でございましたけれども、私は余り画然とこれを意識して分けなくてもよろしいのではないか、このように考えております。  先ほど来、副島先生から大変深刻な御経験を聞かしていただきまして、私がもし副島先生の立場にいたならば、間違いなしにあのように訴えるだろうと思います。しかしながら、それは今回の制度改正の問題を個の問題とちょっとダブらせるといいますか、置きかえたような一つの論理になるのではないか。そういう点で、私らは、個人の経験はそのまま制度の改定の一つの支えにはなりますけれども、そっくりそのまま適用はできない。私が学校で学生を教えておりまして、ひどいのもおりますけれども、その個の経験をもちまして学生全体の教育は論じられないのと同じではないかと思います。  ところで、社会保障という制度は、実は制度がありましてその中でつまずいたお方が落ちこぼれてしまう、そういうようなことがないように、つまずいたお方、病気になったお方、そういうお方が出た瞬間に作用を発揮いたしまして救い上げるような制度、このように私などは考えております。したがいまして、現在健康な者は、恐らく医療保険というものをほとんど意識することなしに、お金が取られているときだけちょっと給料袋を見るときに考えるだけでありまして、その私が病気になった瞬間、落ちこぼれにならないようにさっと救い上げてくれるのが医療保障というふうに考えております。したがいまして、落ちこぼれの問題、現にあった問題はあった問題として対策を立てながら、制度合理化して、ミクロでもって、落ちこぼれのないようにいかにしたならば一番よく作用するだろうか、こういうふうに制度を変えるべきではないか、そういう方向を私は考えるわけであります。  それから、ゼロシーリングとかマイナスシーリングとかいろいろございますけれども、少なくも医療保険につきましては、あるいは社会保障につきましては、この原則は根本に、下敷きにある原則ではありますけれども、だからといってそのとおりになるということはできないのではないかと思います。  なぜかといいますと、高齢者がどんどんふえますと当然自然増で年金はかさみます。同時に、高齢者は非常に多く病気がちでありますから、その病人が多くなるということで医療費がかさむわけであります。ですから、原則とか考え方としてはマイナスシーリングとかゼロシーリングというものはどこまでも下敷きにしておきまして、さてそれが具体的な問題となったときには機械的にその原則を適用することもできないであろう、このように考えまして、高齢化社会の中にあっては医療保障を中心とする社会保障の費用は恐らくどちらかというとふえる傾向にある、ふえる傾向にあるからふえっ放していいというのじゃなくて、ただでさえふえる傾向にありますから、できるだけそれを合理化して節約に努める。このような意味での健保法改正、こう私などは考えております。
  37. 平石磨作太郎

    ○平石委員 今お話しにございましたように、マイナスシーリングという形で頭からまず予算を減して、それからということはどうかと思うというようにも伺ったわけです。したがって私は、制度の中で合理化をしていく、制度の中でより適正化していくということは考えなければならぬことですけれども、最初から医療に対してお金をカットして、そして行うということはどうも納得がいかない。  そこで、島田先生にお伺いをいたします。今先生の公述の中で、私保険としてのもの、入院保険とかいったものが非常に出ておる。公的保険がそういった形で後退する、それを補完する意味で、こういった形のものが出てきておるのではなかろうか。そういたしますと、そこには弱肉強食、強い者がいい医療を受けられるというような形の心配があるようなお話しを承りまして大変参考になりましたが、公的保険としての医療保険、これはやはりそういった方々の医療を保障するという面から考えたときに、今公述人のお話しがございましたように、これらが影響してきておるとお考えになっておられるかどうか、ひとつお教えいただきたいと思うのです。
  38. 島田とみ子

    島田公述人 全体としての数字とかそういうものは私は存じておりませんけれども、いろいろな形で、郵便局から、生命保険から、共済保険から、共済何とかというものが絶えずビラを新聞に折り込んで配っておりまして、多くの方々がそれに関心を持っているのは事実でございます。そして、できれば入りたいんだけれども、高いからなかなか入れないというふうなことをしばしば耳にしております。  私は、ずっと前ですが、アメリカの民間の健康保険制度を調べたことがございます。その状態たるや非常にひどいもので、あの国は六十五歳以上の老人以外には公的な健康保険制度はございませんから、全部私保険によっております。それが入っても必ずしもカバーされない。カバーされない病気であったとか入院がカバーされるとかされないとか、非常に複雑で問題を起こしているということを聞いたり読んだりいたしました。日本でも、今度いろいろな形でそういった私保険がいわゆるコマーシャルに売られているということは、それを利用できる人はいいんですけれども、普通の国民、私どものような平凡な生活をしている者にとっては手が届かないものが多いわけでございます。だからこそ、公的な社会保障というものがもっとしっかりしてもらわないと困るわけでございます。  もう一言申し上げさせていただきたいのは、私は調査やなんかで老人ホームによく参りますが、老人ホームのお年寄りたち病気になったら大変だということを盛んに言っております。それはつまり付添料と差額ベッド料が必ずかかるのでございます。それがとても負担できない、息子にも頼めないと言っております。そういたしますと、じゃ一体どうなるのかということを私は東京都に電話をかけて調べました。ところが、その返事は、そういう場合には個人負担のないようないわゆる医療の質の落ちる病院老人を移すんだ、そういう返事をもらいまして、それ以外に方法はないということで大変唖然といたしました。  以上でございます。
  39. 平石磨作太郎

    ○平石委員 次は、広瀬さんにまたお伺いいたしたいのですが、先生のお話しの中で、財政調整の話がございました。今回の制度の中で、医療費総体の中から国庫負担が四千七十三億円カットされております。そしてその中で、四千二十三億円が市町村の行う国民健康保険からカットされておるわけです。これは先ほどのと関連があるのですけれども、マイナスシーリングという中で、医療費全体からいわばカットするお金が市町村の行う国民健康保険からほとんどなされている、これを見てみましたときに、やはり社会保障といい、あるいは税金といい、そこには所得再配分機能も働かねばなりません。その立場から見たときに、これに逆行しておるのではなかろうか。国民健康保険に入っておられる方々はほとんどが低所得の方であり、無職の人であり、そして自営業者といいましても非常に零細、そして農民、漁民というような方々、高齢の方々が入るわけですが、これからは所得再配分の機能を果たさなければならない税金が逆に取られる、こういうことです。  それからもう一つ社会保険の中で、いわゆる組合健保として先生はやっていらっしゃるわけですが、そういういわばお金が比較的あると言っては語弊がありますけれども、負担しやすい方々の構成の中で、そしてこの人たちが、若いときは組合で保険料を納めて、そして年がいくと国保へ移っできます。もちろん今回退職者医療ができて私ども評価はいたしておりますが、そういう中で、個人のサイクルからいいますと、いわば残してきたお金を持って国保へ入ってくるということも一理あることであり、そういう意味で、効率ということで先生はお話しになりましたが、効率は当然のことですけれども、財政調整という意味でそういう負担をしていくということをどのようにお考えなのかどうなのか、ひとつお聞かせいただきたい。
  40. 広瀬治郎

    広瀬公述人 お答えいたします。  一般に財政調整という言葉がいろいろ使われておるわけでございますが、この内容が必ずしもはっきりしませんので何とも言えないのですが、一つは、やはり今度の法案の原則になっています負担の公平、それを図るために制度間の財政調整をやったらどうかという御意見があると思います。  私どももこの負担の公平という原則はそのとおりだと思うわけでございますが、先ほども申し上げましたように、自営業者、農民を対象とする国民健康保険とサラリーマンを対象とする健康保険、どうもこの両者の勤労形態とか所得の状況とかいろいろの要素が違う面がありまして、ただ片方は非常に苦しい、片方は金持ちだから会計を一本にするというような意味ですと、どうも余り納得できないわけです。  ただ、先般できました老人医療の経費を全部で負担しようじゃないかとか、今度の退職者医療のように、若いころは被用者保険におった、そして保険料も掛けていた、それがやめたら国保へ行って非常に迷惑かけておる、それをなくしろというような、そういう我々の納得できるような理由があっての一部財政調整ということにつきましては、我々も反対するものではございません。  それからまた、政府管掌と健保組合で財政的にかなり格差があるので財政調整をやったらどうかという論議も一時ございましたが、私ども健保組合から見ますと、政府管掌というのは全国一本の、口は悪いのですが、どうも親方日の丸的な運営の要素がありまして、経営努力に差があるんじゃないか。そういうことを無視して財政を一本化しようということになりますと、経営努力という意欲が阻害されてかえってマイナスになるんじゃないか。そういう意味で、ただ財政に格差があるから財政調整あるいは統合だということには賛成しかねておるわけでございます。ただし、そういう負担の公平を図るために、リーズナブルな理由のあるものについては、我々はそれを拒否する気持ちはないわけでございます。  以上でございます。
  41. 平石磨作太郎

    ○平石委員 先ほどの税金ですね。税金の中で国庫負担がカットされて、したがって再配分機能の面から逆行しておられるのですが、これは庭田先生にひとつお教えいただきたいと思います。
  42. 庭田範秋

    庭田公述人 お答えいたします。  今回の改正見方でございますけれども、国保の国庫負担を節約するといいますかカットする、そのためにいろいろの措置をとる、今回の改正本質をそういうような財政のやりくりの面からとらえるという見解は多々ございます。しかしながら、できました案全体を見ますと、先ほども私が申しましたように、その規模とか内容とかそういうものを見ますと、必ずしもそのような短絡的な見方は妥当ではないんじゃないか、こう考えます。  私はむしろ案そのものを正直にといいますか、あるがままに受け取りまして、必要上から、被用者保険保険者本人の一部負担一割あるいは二割の定率、これを行う、これがまず最初に置かれると思います。そうしますと費用が浮きますので、これをてこにして退職者医療制度というものを創設する、そうしますと国保に落ち込んでいきます老人がここにたまるわけでありますから、その結果国保は国庫負担というものの削減にたえることができる、こういうふうな順序で考えるのが案全体としてはむしろ妥当なんではないか、このように考えておりますので、これを逆にとりまして、国庫負担を削減した、そのために必要上やむを得ずほかの改正をするんではなくて、ほかの改正をしていって、そして最後に、国庫負担の削減ができて何とか臨調その他の要請にも応ぜられるんではなかろうか、こういうコースからひとつ理論を煮詰めていくのも妥当性があろうか、そのように考えます。
  43. 平石磨作太郎

    ○平石委員 終わります。
  44. 有馬元治

    有馬委員長 塩田晋君。
  45. 塩田晋

    ○塩田委員 公述人の四人の方々から、非常に貴重な御意見をいただきましたことを御礼申し上げたいと思います。  私は民社党の所属でございまして、現在出されております健康保険法案の政府原案に対しまして、反対をして、撤回を求めておるものでございます。  ただいまの公述人のお話の中で、副島洋明弁護士さん、そして島田とみ子教授のお話は本当に私も身につまされて感じたところでございます。深刻に悩んでおられる患者の方々、またその家族の方々、そしてまた、女性の立場からのいろいろなお話がございまして感銘を受けたところでございます。これは一つの経験ということだけではなくして、人間だれも一生のうちにお医者さんにかからない、お世話にならない人はまずなかろうと思うのです。そしてみずからも重病患者になるかもわからないし、また家族にそういった人を抱えることはだれしもあり得ることでありまして、これもまた国民各人、その総計が国民全体であるわけでございまして、その健康と命にかかわる問題が今回のこの健保法の問題であるわけでございます。したがいまして一、二の体験ということだけでは済まされない、国民だれもが現に経験をし、またする可能性がある問題だと思いますので、極めて重要なことであると思うのでございます。私自身もそういった重症患者を身近に抱えて苦労をし、また家族で不眠不休といいますか、睡眠不足に悩まされながら、体力も本当に限界ぎりぎりまでみんなで看護をするという状況がありましたから、今の御発言につきましてまことに身につまされて感じた次第でございます。  そこで、庭田さんと広瀬さんにお伺いいたしたいと思います。お二人とも、低所得者についての自己負担というものが家計にとってかなりの負担になるということで、その軽減措置は図られなければならない、現在の制度としては高額療養費制度があるということ、また低所得者については特別の配慮がなされておるということを言われたわけでございますが、この点につきましてお伺いをしたいと思います。  私たちが反対しております一番の理由は、言うまでもなく、今回の法改正の柱になっております一割の自己負担あるいは二割の本則での自己負担、これが各人の家計、生活に及ぼす大きな負担としての措置であるということにおいて強く反対をしておるわけでございます。特にこれは定率ですから、重病患者ほど、けがの大きい人ほどたくさんの負担になるということですね。病気の重い人ほど多額の負担になる、影響が大きいということでございますね。これはおかしいじゃないかということを申し上げておるわけです。  そうなると、現在でも国民健保なりあるいは被用者保険家族も三割あるいは二割を負担しているのだ、だから負担の公平からいって本人も一割、二割は持ってもらわなければいけない、こういう主張でございます。しかしながら、本人家族の場合では制度の成り立ち、また現在における意味も違うわけです。家族の場合は以前は全額払っておった。かかった医療費、最高は月に二千万という例もあるそうです。これは極端といたしまして、二百万以上でも六千数百人という実績が出ております。そうとするならば、二百万でも月二十万払わなければいけない。しかも一たんは総額払わなければならない。二百万かかれば二百万を月に払わなければならない。二千万かかれば二千万を払わなければならない。年間ずっと入院が続けば、二百万の人でもすぐに二千四百万円を調達して払わなければならない、後で返ってきますけれども。三カ月後に返ってきますけれども、それを調達しなければならない。だが、家族の場合はまだ勤労者、サラリーマン本人が調達に駆け回って何とか調達する。ところが、今度は本人が倒れて入院する、家族にそれだけの資金を調達するだけの余裕も力もない、本人が寝込んでしまっている、本人病院の中でベッドに伏しながら金策をどうして考えるか、こういった悲劇が起こるわけです。  そして成り立ちから見ますと、被用者保険昭和二年以来、非常に経済の貧しかった昭和の初期であっても、戦時中の苦しいときでも、戦後の非常に経済の荒廃したときでも、この被用者保険の十割給付本人の無料医療給付というものは維持されてきたわけでございます。ところが、今日本人医療費負担を定率でするということでございまして、これは大変な問題であって、家族の場合とはかなり違うわけでございます。それを我々は主張しておるわけでございますが、高額療養費につきまして、これがあるからかなり軽減されているはずだというお考えで御発言があったと思うのです。そして低所得者についても特別の配慮はしてあるわけですが、この高額療養費制度ができましたのは昭和四十八年十月、そのときは三万円から出発いたしております。そのときは何十万、時には何百万と払っておった人が三万円で済む、いまですと五万一千円ですね、これで済む。あとは保険で見てもらうということにおいて、大変な軽減措置であり、本人並びに家族患者にとっては非常な朗報であったわけです。ところが今度は、無料であり負担をしなくても済む本人が、一挙に月五万四千円、年間ずっと入院しますと六十万以上になります。しかも、税金を払い、保険料を払った手取り収入額の中から場合によっては新たに六十万を払わなければならない、月には五万一千円払わなければならない、こういう事態が起こるわけですね。低所得者についてはどうかといいますと、これにつきましても、一挙にゼロから、より正確に言いますと、八百円の初診料からいいますと、三万九千円なり三万円の医療費を低所得者が家計から持ち出さなければならない。年間にいたしますとやはり四十八万円とかあるいは三十六万円という負担に低所得者もなるわけでございます。  こういった点から我々は反対しておるのでございますが、お二方、この高額療養費制度についてこのままでいいのか、もっとこういうふうに考えるべきじゃないかという御意見がございましたら、お伺いをいたしたいと思います。
  46. 庭田範秋

    庭田公述人 お答えをいたします。  いまの御発言の一つ考え方というのは、社会保険、とりわけ医療保険というものが本来歴史的には労働者保険というものから発足していった、それがだんだんと拡充されていきまして、その被扶養者、それからいわゆる被用者でない農民とかあるいは自営業者、自由業者、最後には経営者にまでこれが拡大した、そういう歴史を踏まえての一つの御質問にもなるわけでございますが、労働者保険として発足したものであるから、被用者保険の被保険者本人が十割というのはうなずける、そしてそれは被扶養者や何かと比べて少し優遇されていいのじゃないか、こういうふうな要素もあるわけでございますが、遠い将来からの負担の公平、受給の公平ということを考えますと、余り過去からの歴史にこだわる必要もそろそろないのではないか。それから、被扶養者といいましても、女性もどんどん働きに出ているという今日の情勢から見まして、労働者当人と労働者でないような者との差別にこだわることを少しずつ後退させていった方がよろしいのではないか、一つがそれであります。  もう一つは、本人が倒れた場合でありますから、お金の調達その他で本人が飛び回れない、したがって家族が倒れたのとは少し事情が違うのではないか。まさにそのとおりでありますけれども、ただ、もう一つ別の数字を私が考えますと、昭和五十七年厚生省の「病院報告」といったようなものを見ますと、平均入院日数で日本は現在五十六日、長期化病気、例えば精神病とか結核を抜きましても二十九日でありまして、アメリカの五倍、イギリス、スウェーデンの三倍ということになっております。もちろんこれだけ長く入院できることはありがたいわけであります。だからといって、三倍とか五倍とかいうことが妥当であるかどうかということを考えますと、本人といえども三倍、五倍は少し妥当ではないのじゃないか。そういたしますと、一部負担制とかそういうようなものをもちまして、この三倍、五倍を例えば二倍にしたところが、そんなに福祉に逆行するという問題にはならないであろう、このように思います。そして入院の場合、むしろ問題は、この一部負担よりは差額ベッドとか付添看護料とか、そういうことになるのではなかろうか。ですから、この問題の解決のめどは、差額とか付き添いとか、こういうものの合理化ということで今後は図らなければいけないのじゃなかろうか、こう考えるわけであります。  一番最後の御指摘の点でございますが、経済が荒廃していたあの終戦当時も十割を確保した、それなのに今日十割を割るというのはどういうことかということでございますが、経済がよくなり、国民生活がよくなる、そして日々の所得がよくなったから、その中で一割、二割の負担にたえる医療費支出の余力も出てきたはずである、あるいは出し得る状態に徐々になってきた。したがいまして、経済がよくなったから十割を何割か引き下げるという案は実践可能でありまして、逆に経済が悪く、国民生活が荒廃しているところでは絶対に十割を守らなければいけない、私はこのように考えております。
  47. 広瀬治郎

    広瀬公述人 お答えいたします。  今庭田先生がお話しになりましたが、実は私も大体同じような意見を持っておりまして、現在の本人の十割給付というのは、当初、健康保険法が労働者保護ということから出発したわけでございまして、当初は家族給付の対象になっていなかつたわけでございます。その後家族も対象になってきまして、本人家族で今現在も給付率に差があるわけでございます。しかしながら、社会保障という見地から見ますと、どうも本人家族給付率で差をつける理由が余りないのじゃないかと私自身も考え、また外国の諸制度を見ましても、まず先進諸国では本人家族とで給付率の差がないように聞いておるわけでございます。そういう意味から申し上げますと、やはり本人家族とは将来は給付率を同じようにするのは方向として正しいと私は考えておるわけでございます。     〔委員長退席、丹羽(雄)委員長代理着席〕  それから、高額療養費のお話でございますが、今お話しのように、昔はそういうものがなかったので、定率の負担ですと場合によっては大変な負担になったわけでございますが、四十八年からでございましたか、高額療養費制度ができまして、現在それがスライド的な考え方で五万一千円になっておるわけでございますが、この制度は、定率負担の場合に非常に有効な働きをしておるものと考えておるわけでございます。それでも最高月五万円、入院しますと年間六十万円という大変な負担になるわけでございますけれども、先ほど来申し上げておりますように、これは一般的な原則でございまして、やはり低所得者あるいは難病の方その他、特殊な人につきましては特別な配慮が必要だろうと考えております。  それからもう一つ、これも庭田先生が言われましたが、実際に入院した場合に、月五万円の負担もさることながら、先ほど来いろいろお話がありましたように、付添婦の問題あるいは部屋代の差額、この問題がもっと大きな負担になっておると私は思いますので、むしろそちらの方の対策を急ぐべきではないか、そういうふうに考えております。
  48. 塩田晋

    ○塩田委員 終わります。
  49. 丹羽雄哉

    ○丹羽(雄)委員長代理 田中美智子君。
  50. 田中美智子

    ○田中(美)委員 もうお昼も過ぎましてお疲れのところを、大変恐縮でございますが、私とあと一人で終わりますので、もうしばらく先生方の御意見を聞かせていただきたいと思います。  私の持ち時間は大変少してございますので、二つの点をお聞きいたしますので、四人の先生方に簡単に順番にお答えいただきたいというふうに思います。  一つの問題は、先ほどの副島先生のお話は大変胸を打つもので、私は、妹さんのこれから人生花咲くというときに、そのように病気になられました妹さんの患者としてのお姿というものも胸にこたえますけれども、家族が日曜日にいつもお見舞いという形で付き添いにいく。子供も連れていく。よその子供たちは海や山に行かれるのに、おば様の見舞いに毎日曜日行かれるというこうした温かいものが残っているという、私は、子供にとっても一面かわいそうな面はありますけれども、人間としての一番大事なものがやはりそこではぐくまれていくのではないかというような感じも持ちました。そういう中から私が強く感じましたことは、国会議員として医療制度を考えるときに、患者とその家族立場に立つ、それこそ原点だと思います。金の問題よりも、その立場に立って少しでもよい方向が見出せるように、明るい光が当たるようにすべきだということを非常に強く教えられたような感じがいたします。その点で四人の先生に、今度のこの改正案が、今の副島先生の御家族に対して少しでもどこか改善されるところがあるであろうかということをまずお聞きしたいと思います。  もう一点は、庭田先生が先ほど、医療費が年々上がっていく、国家財政として非常に大変だから、これを解決するには保険料の値上げを考えるか、患者負担をふやすか、それとも給付を下げるか、それとも増税によって国庫負担をふやすか、それとも医療の質を落としていくかというようないろいろな考え方があるというふうにおっしゃられて、四点を挙げられました。私自身は、それ以外にも、長期にわたりますが、予防の医学にうんと力を入れて医療費を削っていくという道もあると思いますし、また島田先生からお話しがありましたような、乱診乱療や薬づけなど、こうしたものをどのようにして節約していくかという、努力の方向で医療費を節約するということの道もあると思います。しかし、この二つの道は今ちょっと置きまして、私がお聞きしたいのは、庭田先生のおっしゃったこの四つの考え方の中に、今の日本の軍事費を少しでも削るべきではないかと私は思うのですが、これは先生方に思うか思わないかという質問ではなく、こうした保険料を上げるとか、給付率を下げるとか、増税で国庫負担をふやしてはどうかとか、医療の質を落としてはとか、それは賛成、反対ではなく、その項目の中に軍事費を削ってはどうかということも一つの項目として入れるべきではないだろうか、考えてみる必要があるのではないか、この点について簡単に順番にお答えしていただきたいと思います。
  51. 庭田範秋

    庭田公述人 お答えをいたします。  まず、副島先生のいろいろの御経験、私が何か個の問題を制度の問題に必ずしも直結してはいけないというようなことで、少し皆さんに誤解をされているのかもしれません。個の問題を積み上げていって制度全体の問題が出る、こういう意味では、一つ一つの事例を丹念に拾い上げて、制度改正の方向にこれを向けていくという点が正しい姿勢だと十分私は考えております。  ところで、この制度の今回の改正の中で、副島先生の言われたような非常に苦境に立たれているお方を救うような要素はないかと言われるわけですが、当然そういうものも込められての改正部分があろうか、私はこう考えております。  私は、健保法の改正をいたしまして財政を健全化するということは、それで国がお金を浮かして楽をするためにというわけではありませんで、例えば限られた予算といいますかお金の中で予防活動をする余力を生ませるとか、重症患者の方たちにさらに十分な医療を提供するための財政上のゆとりをつくらせる、そういうねらいも十分あろうかと思います。とにかく日々の医療にすべての予算、お金を使い、さらにその上に重い負担を課さなければいけない、保険料の引き上げをしなければいけない、そういうことになりますと、地域医療の拡充、それから予防活動の一層の強化をする、新しい試みをする余力が消えてしまいます。そういう意味で、さらに重症患者その他の施策を強化するためにも、この際制度の健全化と運営の効率化を図らなければならない、そういう要素も随所に盛り込まれておる、私は今回の改正をそのように見るわけであります。  それから、二番目の軍事費の問題でありますが、ちょっと御質問の意味をあるいは私、取り違えているかもしれませんが、軍事というのは、一方においては装備の近代化が必要でありますが、もう一方においては国民が国を愛して守る心がなければ、物だけではとても国は守れない。それでは国民が国を愛する心はどこから出るかといいますと、病気になったときに救われる、それから日常の生活の中で余りに過重な負担をかけられないで日々を楽しく送る余力が出る、そういう生活なり保障体制ができたときに国民は国を愛する、そう考えるわけであります。ですから、同じ軍事、防衛という問題をとりましても、これを切り離すことなしに、国民生活の保障と防衛というのは相互にバランスがとれなければ真の効果は発揮しない、このように考えますので、どちらが過度に先行するのも余り好ましくない、ぜひ国民をして国を愛するような保障体制に医療保険改革してほしい、このように考えるわけであります。
  52. 丹羽雄哉

    ○丹羽(雄)委員長代理 副島公述人、ひとつ簡潔にお願いします。
  53. 副島洋明

    副島公述人 第一の点ですけれども、先ほど私が述べたように、改正案が通るということに対する不安はあります。それは、医療現場というものを、今回の厚生省の先ほどのパンフレットにありましたような、いわゆる不信感で決めつけたような形で取り締まる、そういう形でされることは、重たい患者家族人たちのゆとりなり、本当にもう少し伸び伸びしたい、もう少し人間的な形で扱ってほしいということをかえって切り捨てていくのではないか、私はそう思います。だから、まずもって、そういう医療現場に不正がまかり通っているのだという決めつけた形で臨むのではなくて、やはりもう一度、ゆとりと信頼関係はどうしたらつくれるのだという形で改正案を審議していただきたい、僕はそういうふうに思います。  第二の問題の、負担の公平ということが言われますけれども、例えばおむつ代一つで一カ月四、五万かかるという方はたくさんおられるわけです。それは保険から出ませんし、そういう付き添いをつけなくても、おむつ代だけで四、五万かかるような家族の問題が、その負担公平化の中に本当にどれだけとらえられて酌み上げられているのか。私からいえば、本当に実質的な公平の負担負担の公平ならば、そういうものも含めた形でとらえていただきたい。そうすれば、単に保険料を払い、かつ、おむつ代も付添費も保険外という形を、いろいろな負担がなされている形にすれば、実質的にはそういう人たち医療費は下がると思います。そういう意味で、実質的な公平の負担負担の公平というものをぜひ図っていただきたい。そうすることは、重たい患者家族にとって医療費が下がることだ、そういうふうに思います。(田中(美一委員「軍事費の問題」と呼ぶ)  軍事費については、やはり国民の命と健康というものを国の政治が第一義的にとらえるならば、私は、国民の命と健康を守るということで予算なり政治の仕組みなりというものをつくりかえていただきたい。その意味ではこれが優先するのは当然である、僕はそういうふうに思います。
  54. 広瀬治郎

    広瀬公述人 お答えいたします。  先ほどの重症患者あるいは救急医療の問題もあると思いますが、今度の健保法とのかかわり合いはどうかということですが、こうした問題は法律を幾ら直してもなかなかうまくいかないので、むしろ我が国の現在の医療機関のあり方を改善する。例えば病院と診療所の機能、役割を明確にし、相互の連携をもっとよくするというようなこと、あるいはまた、もっと大事なことは、医療そのものに当たられるお医者さんにも問題があると思います。経営だけではなしに、本当に患者のためを思って、いわゆる医師の良心に従って最大の努力をしていただくことも大事ではなかろうかと考えておるわけでございます。  それから、予防医学につきましては全く私も同感でございまして、現在治療中心でございますが、今後大いにこの予防医学に力を尽くすべきだと考えております。  それから、軍事費のことにつきましては私は全く門外漢でお答えできませんが、先ほど申しましたように、国家財政窮乏の折からマイナスシーリングはやむを得ないとしても、これから高齢化社会を迎えるに当たって、社会保障費についてはできるだけ特例を設けていただきたい、そのように考えております。
  55. 島田とみ子

    島田公述人 副島先生のような肉親の方を抱えていらっしゃる方にとって、今度の医療保険改正が果たしてどのような効果があるかという御質問でございますけれども、私は残念ながら余り効果がないというふうに感じております。なぜならば、今度行われる改正というのは医療費を非常に削って患者負担を増す、そういう方向の改善でございます。そして、そういう非常に難病、重病に苦しんでいる方々への対策というものは、この中に余り盛り込まれていないような感じがいたします。  二番目の御質問の、医療費を削るか、軍事費を削るかということでございますが、私は医療費を削るというこれからの方向というのはやはりしてほしくないと考えております。これからの医療は予防からリハビリまで充実してほしいと痛切に考えております。最近の老人保健法においては、四十歳以上は健康教育どか健康相談その他いろいろなことをすることになっておりますが、私は四十を過ぎておりますが、保健所から何ら連絡が来ておりません。そういう現状でございますので、そういう予防からリハビリにまでもっと力を入れるような方向をとるべきであると考えております。
  56. 田中美智子

    ○田中(美)委員 大変貴重な御意見、どうもありがとうございました。
  57. 丹羽雄哉

    ○丹羽(雄)委員長代理 菅直人君。
  58. 菅直人

    ○菅委員 きょうは、四人の公述人の方から本当に貴重な話を伺わせていただいておりまして、最後に私の方から、短い時間ですが、御質問をさしていただきたいと思います。  まず最初に、副島さんにお願いをしたいのですが、重い病気のときに手厚く、軽い病気のときには場合によったら多少自己負担があっても構わないというのが一つの保険の考え方であろうと思うのですけれども、特に非常に重い患者さんを抱えられた経験をずっと伺っていたのですが、その実際の体験の中から、現在の健康保険制度の中で、例えばこういう制度があってくれたおかげで大変助かったというような経験、あるいは逆に、こういう制度がないために大変苦労しているといった面、その両面についてそういった実感が持たれていましたら、できれば具体的に一、二点聞かしていただきたいと思います。
  59. 副島洋明

    副島公述人 こういうものがあったらというのはもう本当に数限りなくあるので、とにかく私が最初に言ったように、医療現場にゆとりをつくってほしいし、そのためにはまず人手をふやしてほしいし、そしてお医者さんにしても、例えば私の病院のところでは何カ月に一人ずつ亡くなっていきますけれども、亡くなる際にはせめてお医者さんにみとられて亡くなっていくようなゆとりと温かさがあってもいいのじゃないか、ベッドの中でだれにもみとられずに亡くなっていくような病人というのはなくしてほしい、そういうふうに思います。  助かったもの、これがあってよかったものというと、やはり特定疾患の形で私の妹の場合は入っていますから、医療費について負担がないということは本当に助かっています。それは同じ病院の中でも難病患者の方はたくさんおられますけれども、数から言えば特定疾患の指定を受けてない方たちがたくさんありますから、難病だということで同じように苦しみを受けている方もたくさんおれるわけですから、早急にその疾患を、二十四、五ですか、それをもっと多く、四十幾つあるなら早目にその人たちに、医療費国保であれば三割を国庫から負担してあげたらどうなのですかということを切に望みます。  以上です。
  60. 菅直人

    ○菅委員 もう一点、これは広瀬さんと、できましたら庭田先生にもお願いしたいのですが、できれば負担増加するのではなくて、むだをなくして、かつ、医療サービスを低下させないということができることがだれにとってもいいことだと思うのですが、先ほど来の話の中で、効率的な保険制度の運営という面で、一部に保険制度の統合問題の議論が出ているわけですけれども、最近の議論の中で、年金制度との対比でときどき話が進むのですが、年金という考え方には必ずしも効率的運営という要素は少ないように思うわけです。しかし、医療という場合は単年度会計でもありますし、ある意味ではサービスの提供側とそれを負担する側が別の主体でありますから、どうしても効率的運営ということもより強く望まれると思うのですが、そういう両側面からこの問題についてのお考えを聞かせていただきたい。  あえて言いますと、私は必ずしも制度をむやみに統合することが効率的運営につながることにはならないのではないかという感じを持っているのですけれども、その点についてお二人に御意見を伺いたいと思います。
  61. 広瀬治郎

    広瀬公述人 お答えいたします。  今お話しのように、最近年金につきまして統合論、基礎年金というお話があるわけでございますが、私は年金と医療保険とは本質的に違う点が一点あると思います。それはただいま御指摘のように、医療保険には効率性という非常に重要な要素があると思います。年金の方は一年たてばだれでも一歳年をとる、いわゆる乱診乱療とかそういう問題もなければ経営努力という問題もないわけでございますが、医療保険につきましては、例えば自分の健康に大いに気をつけて病気にならないようにすれば、それだけ医療費がうんと安くなるという要素もあるわけでございます。それから、お医者さんが不正請求をやれば非常にむだな医療費がふえるというような逆の面もありまして、医療保険におきましては、医療費適正化ということが非常に重要な問題だろうと思います。  そういうことを考えますと、私の所属しております健保組合は、ほかの制度に比べますと、支払基金の審査の終わったレセプトを点検してさらにチェックをしたり、あるいは健康づくり、疾病予防等につきましてもいろいろの面で努力しておるつもりでございまして、こういうのが他の制度と統合して財政を一本にすることになりますと、恐らくそういう経営努力の意欲がなくなりかえって医療費がふえるであろうと私は考えるものでございます。  しかしながら、一方、負担の公平ということも大事でございまして、現在千七百余の健保組合がありますが、全部が全部金持ちではございませんで、中には政府管掌よりもはるかに財政の悪い健保組合がございます。例えば石炭関係あるいは中小企業の集まりの総合組合もございます。したがいまして、最大の努力をしてもなおかつ財政に格差があるということはやはりほうっておけない。現在は、健保法の附則八条によりまして、約四百二十億円ぐらいの規模で、金持ち組合からお金を出してもらって財政の悪いところへお金を流す、あるいは高額な医療費は再保険するというようなことをやっておりまして、経営努力は最大限やるけれどもなお格差がある場合は、できる範囲内におきまして負担の公平を図ろうということをやっております。したがいまして、今後政管もできればこれから組合化して、できるだけ自主責任でやっていただくようにしたいと思います。それで、なお今後できてくる健保組合が財政が悪ければ、やはり同じ努力をした上で格差があれば、内部で助け合いをしていかなければならぬ、そういうふうに考えておるわけでございます。
  62. 丹羽雄哉

    ○丹羽(雄)委員長代理 庭田公述人、時間が経過しておりますので簡潔にお願いいたします。
  63. 庭田範秋

    庭田公述人 簡単にお答えいたします。  確かに統合という問題は、経営努力を生かすという点では若干支障がございます。しかしながら、医療には大変大きなリスクが時に発生をいたします。その異常なリスクが発生したときに耐えるだけの規模がありませんと、医療保障という制度は成り立ちませんので、そういう意味では最低の規模の大きさは必要とされる、こういうことが言えます。これが達成されるためには、国保の中でだんだんと国保一つ一つ保険者を統合していくというような要素も出てくるわけであります。  ただ、今御質問の問題は、むしろ日本の全医療保険を統合する、そういうようなお考えではないかと思います。当面そのような重大なことは軽々しくとてもできるものではないと思いますが、ただ、ごく長期を考えますと可能性というものはあります。  どういう点であるかといいますと、だんだんと我々は、病院だけが治療の場でなくて、家庭とか地域社会の中で重病とか老人病とか慢性病とかいうものを治さなければいけない。そういうことになりますと、地域の国民健康保険と職域の組合健保というようなものが協力した体制をとらないとそのようなことができないのじゃないか、こう考えますと、ごくごく遠い将来には統合あるいは統合に近いような調整措置、歩み寄りというようなこともあり得るのではないかと考えます。早急にはなかなかきつい問題だろうと考えております。
  64. 菅直人

    ○菅委員 どうもありがとうございました。
  65. 丹羽雄哉

    ○丹羽(雄)委員長代理 これにて午前中の公述人に対する質疑は終了いたしました。  公述人各位には、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにあっがとうございました。厚く御礼申し上げます。  午後二時から公聴会を再開することとし、この際、暫時休憩いたします。     午後零時五十一分休憩      ————◇—————     午後二時四分開議
  66. 有馬元治

    有馬委員長 休憩前に引き続き公聴会を開きます。  この際、御出席公述人各位に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は、御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございました。  健康保険法等の一部を改正する法律案に対する御意見を拝聴し、本案審査の参考にいたしたいと存じますので、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただくようお願い申し上げます。  なお、御意見を承る順序といたしましては、まず黒澤公述人、次に内山公述人、次に水野公述人、次に吉田公述人の順序で、お一人約十五分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後委員からの質疑にお答えをお願いしたいと存じます。  それでは、黒澤公述人にお願いいたします。
  67. 黒澤丈夫

    ○黒澤公述人 ただいま御紹介をいただきました群馬県上野村の村長、黒澤丈夫でございます。  まずもって、先生方が国政のために日夜御努力を賜っておりますことに対しまして、深く感謝申し上げます。  私は、国民健康保険制度の実施運営に携わる市町村の立場から、今回の健康保険改正案に対する意見を述べさせていただきます。  まず初めに、全体的な所感を申し上げますと、このたびの医療保険制度改革案はなお物足りなく感ずる面がありますが、改革案を貫く基本的な考え方は評価すべきものと考えております。  医療保険について今我々が真剣に考えなければならないことは幾つかありますが、  その一つは、今後、我が国が急速に高齢化社会を迎え、長期にわたりかなりの医療費増加が予想される中で、国民負担の限界を考慮しつつ、国民医療費の水準を適正な規模に抑えていくことが必要であるということ。  二つには、国民に等しく医療を保障すべき医療保険制度が、各種の制度に分立しておって、給付及び負担の両面において保険制度間の矛盾、不均衡が拡大しておりますので、これを早急に是正すべきこと。  さらに三つ目といたしましては、国民の心に自立自助の精神を高めて、自分の健康はみずからの責任で維持し増進させる気風を涵養することであると思っております。  これらの政策課題に真正面から取り組んで、国民の判断を仰ごうとしているのが今回の健康保険改正案であると私は認識しております。  改正案は、このような観点から具体的に、基本原理として、一、医療費適正化、二、保険給付見直し、三、制度間を通ずる負担公平化を柱として掲げておりますが、この考え方は、今後、長期的な医療保険制度のあり方を考えていく上で極めて適切な方向を指向しているものと評価するものであります。  以上、私が今回の改正案に対する基本的な見解として感じておりますところでありますが、以下、改正案に盛り込まれている個別の事項について意見を述べることといたします。  第一は、給付率見直し、すなわち健保本人の定率負担導入についてであります。  この問題は今回の改正論議の争点ともなっておりますが、医療保険制度全体の立場で考えれば、過去の老人医療無料化の経験からしても、また国保健保家族給付率との不均衡是正、さらには自立自助の観点から考えましても、十割給付、いわゆるただの医療というものは速やかに是正されるべきであると思います。  なお、これに関連して一言申し上げますが、なるべく早い将来に、全保険制度を通じて給付率を統一するという理念を明確にしていただきたいと考える次第であります。このことにつきましては、政府から抽象的な表現で、昭和六十年代後半に給付率統一の将来目標が示されてはおりますが、我々国保立場からは、一層速やかな、かつ、明確・具体的な将来展望が示されることを強く期待するものであります。  第二は、負担公平化についてであります。  この点で最も注目されますのは、退職者医療制度の創設であります。現行保険制度の中では、必然的に、国保は、その被保険者として多数の高齢者層と低所得者層を抱え込む宿命となっており、これに加えて被用者保険のOBも、高齢化退職して病気にかかりやすくなってから、こぞって国保に加入するという極めて不合理な姿となっております。この不合理の是正については我々が長く主張してまいったところでございますが、その一つは、老人医療費制度間の調整問題であり、他の一つが、被用者保険OBのための退職者医療制度の問題であります。前者につきましては老人保健法が施行され、なお若干の問題点は残してはいるものの、制度的には大きく前進を見たものと評価しております。他方、退職者医療制度につきましては、長年の懸案であるにもかかわらず、制度の構成、実務処理の面でいろいろな困難があって、今日まで実現を見なかったわけでありますが、今日、我々国保が実務を担当し、対象者を被用者年金の老齢あるいは退職年金受給者とする制度的な割り切りのもとに、ようやく提案されたものでありまして、ぜひとも実現させていただきたく切に希望するものであります。  なお、翻って考えてみますと、そもそもこのような制度が必要とされるゆえんのものは、保険集団の間に、特に被用者保険国保との間に極端なリスクの偏りがあるからであります。我々といたしましては、保険制度間のリスクの分散化という観点から、単に給付率の統一にとどまらず、さらに、医療保険制度全体を統合して地域保険に一本化するといった、抜本的な改革を行う必要があると思料しております。  第三は、国保に対する国庫補助制度見直しの問題であります。  今回、退職者医療制度創設との関連で、国保に対する国庫補助制度が見直されることとされておりますが、このことは保険料負担の大幅な増額をさせないことが基本であると考えております。つまり、今回の制度改正が、長期的視点に立った医療保険制度改革の第一ステップであるとの大局的見地からすれば、同じ医療保険を担う一員として互いに痛みを分け合うということはやむを得ないと考えますが、現在、国保では、毎年平均一二%程度もの保険料引き上げが措置されており、一世帯当たりの保険料を比較しても、国保世帯は既に組合健保等の世帯を上回っておる実情であることを考慮していただく必要があります。  我々は、今回の一連の制度改正については保険料負担増とはならないと説明を受けておりますが、実際にもそのとおりとなることを念願するとともに、仮に制度施行後、当初の見込みに反し大幅な負担増を来すような事態となりました場合には、政府において適宜適切な財政措置を講じていただくよう、この場をおかりして要望しておきたいと存じます。  第四に、国保の保健施設活動について一言申し上げます。  年々増大する医療費を抑制して負担増とならないようにするために、忘れてならないことは、事後的な治療同様に、事前の予防や体力強化等保健活動にウエートを置く必要があると思料いたします。このことは老人保健法において市町村の責任において実行することとなっておりますが、どの市町村も、この事業の担当医をどこに求めるか、保健婦の不足にいかに対処するか等に苦慮しております。このような問題点を抱えつつも、市町村行政は、この未熟な分野に積極的に対処して、保健予防活動を充実強化しようと努めておりますので、国政においても一層の指導と御援助を賜りたいと存じます。  以上、私は、今回の健康保険改正案の重要事項について率直な意見を述べさせていただきましたが、このような基本的な制度改正には、各分野、各団体の関心事項、利害得失において相反する部分存在することは避けられまいと思います。しかし、このような個別的事項のみにとらわれていては、いかなる国民もまだ体験したことのない我が国の人口動態の激変に対処して、高齢化社会にたえ得る医療保険制度を確立することは困難ではあるまいかと考えます。  つきましては、制度改革の全体像をいかに評価するかという観点から、本法案の御審議を賜りまして、速やかに成立が図られますことを強く期待申し上げまして、陳述を終わらせていただきます。(拍手)
  68. 有馬元治

    有馬委員長 ありがとうございました。  次に、内山公述人にお願いいたします。
  69. 内山達四郎

    ○内山公述人 内山でございます。  私は医療問題については素人でありまして、本公聴会の公述人としては必ずしも適任者ではないと思っております。しかし、私ども総評初め多くの労働組合員、労働者は、健康保険法の改正がどうなるのか、重大な関心を持って国会審議の行方を見守っております。そうした立場を代表いたしまして、率直に私の考えを申し上げたいと思います。  結論を先に申し上げますと、私は、今審議が進められております改正法案には残念ながら反対でございます。マスコミによって自民党の修正案というものも拝見をいたしましたが、残念ながら、この修正についても、私どもが考えているような基本的な修正が加えられているとは思われません。したがって、反対の立場を変えることができないということを初めに明らかにしておきたいと思います。  それでは、なぜ私たちが今次政府案に反対するのか、その理由を簡潔に申し上げます。  第一に私が申したいのは、政府は、改正案が中長期の展望に立った抜本改革である、厚生省も「二十一世紀をめざして」云々という文書を発表され、しきりに国民の理解を求められようとしていますが、果たしてそうでしょうか。私たちも、十五兆円になんなんとする医療費の問題や医療保険医療供給制度などが現状のままでよいなどとはもちろん思っておりません。大きな改革が加えられなければならない、そのための問題提起も行ってきたつもりでございます。しかし、今回の改正は結局は財政対策、いかにして国の負担を減らすか、そして負担した分を被保険者に回すかが発想の原点になっており、真の改革にはつながらか  いと思うのであります。  今日の医療費増加には、高齢化社会への移行の問題なり、高額医療機械の導入の問題、薬づけ、検査づけなど種々の問題があることは多くの方々が指摘しているところでございますが、常識的に考えて最も大切なことは病人をふやさないことである、このことはだれしもが否定し得ないことと思います。そのためには予防、制度の充実、リハビリの一貫した医療供給体制の確立こそが重要なのではないでしょうか。そうした基本的な視点が欠落し、国の予算の削減だけが先行するような改正案が、言葉の本当の意味で改正と言えるでありましょうか。  そのことは、国会上程までの手続にもあらわれていると思うのであります。今次法案の改正について法的に意見を聞く場は、社会保険審議会及び社会保障制度審議会でありますが、中心となる社会保険審議会で一体何回の議論が行われたでありましょうか。私の伺ったところでは、今年一月二十七日の諮問から二月二十二日の答申まで一カ月そこそこ、審議に充てられた日数はたった四日間、四回だけということです。社会保障制度審議会も大同小異であります。これだけの回数で、二十一世紀を展望する大改革案ができるでしょうか。両審議会の答申は、ともに「問題が多く慎重に取り扱われるべきである」、「審議期間が少なく極めて遺憾である」など、拙速の改定に疑問であるという趣旨が色濃くにじみ出ている点を指摘しないわけにはまいりません。  我が国憲法二十五条が定めている基本理念を踏まえて、国民が納得する改革を実現するためには、国会における慎重な審議はもとより、広範な合意形成のための努力が関係者には求められているのではないかと思います。憲法の基本理念よりも財政対策を優先させることが、国家百年の大計に立って果たして正しいのかどうか、ぜひ先生方には真剣にお考えをいただきたいと思うのでございます。しかも、その財源問題にしても、現に政府管掌保険はニカ年連続六百億円の黒字を出していること、あるいは不公平税制の是正や防衛費の抑制など肝心の対策は十分に行われないことでは、国民の理解と協力を得ることはできないと私は思うのであります。  第二に、本改正案の柱ともいうべき本人の十割給付を切り下げる点について意見を申し上げます。  歴史的に見ても、昭和二年の健保法成立以来、これはかつて例を見ない乱暴な措置と言わざるを得ません。健康保険本人の多くは世帯の家計の担い手であり、一家の大黒柱であります。病気やけがで仕事を休むこと自体、家庭生活に暗い影を投げかけることなのに、その上医療費の一割、二割を負担するということは、家庭、家計にとって大きな影響を及ぼすことは明らかなところであります。  一割負担の場合、厚生省のモデル試算では、心筋梗塞で十日間入院したとすると、現行五千八百円の本人負担は一挙に八倍近い四万三千七十二円にふえることになります。これはすべての労働者に対して等しく押しつけられる負担でありますが、とりわけ賃金の低い労働者や日給制の労働者にとっては、極めて重くのしかかってくることは言うまでもないところと思います。  国民健保などとのかかわり合いで負担の公平ということが言われますが、私たちは、本人の十割というすぐれた目標があったからこそ、そこに向けて家族国民健保の五割給付を七割、八割と改善させることができたのではないかと考えております。それをさらに改善していくことこそ正当なことであり、真に国民立場に立った政治と言えるのではないでしょうか。  第三に、退職者医療制度の創設について申し上げます。  もともとこの制度は、私どもも長年にわたって要求してまいりました。定年で退職しても、老人医療制度を受けられるまで、現役時代と同じ十割の医療が提供されるというのが私どもの要求の内容でした。しかし、今次法案の制度は、名称こそ同じではありますけれども、その中身は私たちの願いとは大きく隔たっていると言わざるを得ません。  厚生省の推計する初年度対象者四百万人の選定には、一定の条件を満たさなければという選別、差別の傾向があるという問題もありますが、何よりも現在は、国民健保の中から四五%の国庫補助を支出されている人たち、すなわち退職者とその家族から国庫負担を全部削ってしまうという問題点を指摘しないわけにはまいりません。そして、今後はその財源の八〇%相当分を現役の労働者の保険料で賄う、二〇%相当分は退職者自身から保険料を取るとしている点であります。高齢化社会への移行の中で、退職者医療への加入者はこれからふえ続けていくのが自然の成り行きでありますから、その結果、労働者及び退職者自身保険料もふえ続けることになるのではないでしょうか。私たちは、それをできる限り抑えるため、退職者医療制度にも国庫負担をと言わざるを得ないのであります。  以上の問題のほかにも、特定承認医療機関指定の問題、年収百万円以下の低所得者層が加入世帯数の四〇%を占める国民健康保険からの国庫補助削減の問題、医療費適正化という名目のもとに医療標準という制度導入の準備の問題などが、国民生活にマイナスの影響をもたらすのではないかという懸念を持っていることを申し上げないわけにはいきません。特に特定承認医療機関の指定の問題は、公的医療制度においてはあってはならない差別と差額徴収の拡大を持ち込み、貧富の差が医療内容の差になってあらわれる、公的医療が自由医療へと変質をしていくのではないかという危惧を抱くのでありますが、これは私の思い過ごしでしょうか。  冒頭に申し上げましたように、私たちも今日の医療制度健康保険法がそのままでよいとは思っておりません。多くの矛盾や問題点があり、それが医療の荒廃などと言われる社会的問題として、しばしばマスコミをにぎわすことに胸を痛めるものでございます。  戦前戦後を通じて、我が国医療制度の根本的な欠陥は、治療中心であって予防中心ではないと言われ、昭和二十年代から、これを改革するよう関係審議会が答申、意見書などで繰り返し指摘したと聞いております。しかしながら、有病率は高まっている、薬づけ、検査づけの傾向は強まっている、そして医師の技術報酬は過小に評価されているという現実を見るとき、私は、本当に問題の本質といいますか核心に触れるような改革がされないと、医療問題は社会的にも経済的にも大変なことになるのではないかと思うのであります。確かに行政も医師の側もそれなりの対策をとってこられたとは思います。健保問題がこれだけ大きな国民的関心を呼び起こしている今こそ、実態を明らかにし、中長期の展望に立った抜本改革をやるべきではないか。私は素人ではありますけれども、切実にそれを願っておるものであります。  しかし、そのために何よりも必要なことは、幅広い国民の合意形成であり、財政問題、財源問題があるからということで強引に押し切ってしまうようなやり方には、どうしても賛成できないのであります。  最後になりますが、ことしの二月半ば、ILOのブランシャール事務総長は、ピェール・ラロツク.フランス参事院社会部名誉会長を委員長とし、国際的に著名な十名の社会保障専門家から成る委員会が、二年がかりで行った特別研究報告を発表いたしました。この報告は、「二十一世紀に向けて先進工業国の社会保障はいかにあるべきか」を述べたものでありますが、それによると、「経済危機や不況に際して、社会保障をスケープゴートにして、ほかのあらゆる部分の公共支出や民間支出の増加を軽視するのは極めて不当である」としています。「社会保障は対立し合うさまざまな陣営から攻撃されているが、生活の質を改善し、所得を保障し、全国民医療を保障するという社会保障の目標は断固として守られねばならない。そして重要なことは、危機のさなかにあっても、否、危機のさなかにあってこそ、厳密にどのような決定を行わなければならないのかを正確に探り当てることである。この決定は、危機が去った後に関係制度に悪影響を残すものであってはならない」と述べております。  こうしたことも十分にお考えをいただきたいということを申し上げて、私の陳述を終わらせていただきます。  どうもありがとうございました。(拍手)
  70. 有馬元治

    有馬委員長 ありがとうございました。  次に、水野公述人にお願いいたします。
  71. 水野肇

    ○水野公述人 御紹介いただきました水野でございます。  医療費問題というのは大変難しいものでございまして、いわゆる一筋縄ではいかないテーマの一つなのではないか、私は常日ごろそう考えているわけでございます。  一九五〇年より前には、だれでもが医者にかかれる国というのは世界じゅうにどこにもなかったわけであります。それが五〇年以降、主として健康保険制度導入によってだれでもが医師にかかれるという国がふえてきたわけで、今日先進国と言われているのは全部そうであるわけであります。最初の間は、医療費というのはどうしても要るのだからということで、どこの国でも全部払ってきたわけであります。ところが、ある一定のところに来ると、医療費ばかりそんなにかけたのでは困るという議論が必ず出てくるわけであります。  私は、もう数年前でございますけれども、スウェーデンに参りましたときに、例のノーベル経済学賞をもらいましたガンナー・ミュルダール先生にお目にかかることがございまして、そのときにその問題について聞いてみましたら、ミュルダールさんのおっしゃるのはこういう御説明で、なるほどと僕は思ったわけであります。それは、ヨーロッパの各国を見ていて、大体GNPの六%を超えたところから、主としてエコノミスト、大蔵官僚から、そんなに医療費ばかり出してもいいかという議論が持ち上がって、それで医療費抑制というものをやっていくようになる。先生方も御承知のように、日本よりはヨーロッパの方が医療財政というのははるかによくないわけであります。そこで、各国でいろいろなことをやっているのは御承知のとおりだと思います。  ただ、そこで一つ言えることは、私は、医療費問題というのは、長期展望の上に立って、しかもタイミングというものがあるのではないだろうかということをかねがね思うわけであります。日本もこのまま放置いたしましたら、二十一世紀には大体三十兆円の医療費になるわけであります。三十兆円というのは、口で言うのは易しいですけれども大変な数字であるわけでございまして、いずれにしても、これは国民が何らかの形で負担しなければならないものであるわけであります。だとすれば、やはり早いうちからいろいろと対策を考えていかなければならないという考え方には私は賛成でございまして、この三十兆というのが今のままで絶対に持てるという保証は多分ないのではないだろうかと一つ思うわけでございます。  負担の限度というのは、かつて私もメンバーの端くれでございましたけれども、社会保障長期計画懇談会でいろいろ議論をしたときに、これは四、五年前でございますが、当時の西ドイツが限界であろうと言われた。西ドイツは国民所得の約五〇%というのがその当時のあれでございまして、そこら以上になって、例えばスウェーデンのように六五%も取るようになれば労働意欲が減退するではないかという議論が大変華々しく行われた結果、その辺に落ちついたということがかつてございましたが、やはり私はそういうこともあるのではないか、つまり負担の限度という問題が一つあるわけであります。  笑い話としては、東大のある先生がおやりになりましたのは、五百年先にはGNPイコール医療費になるというのがあります。計算上は確かにそうなるのかもしれませんが、僕は実際にはそうならないと思いますけれども、つまり負担の限度ということを考えなければいけない。その場合には医療費だけを考えたのではいけないわけで、やはり年金も所得税も地方税もひっくるめた形でどれくらいを国民が持てるのか、そういう考え方一つ必要であろうと思うのであります。  それからもう一つは、これは俗に国民の選択の問題と言われておりますけれども、つまり要るものは全部国民負担するという形でいくのか、そうではなくて、実際に病気にかかった人もそう厳しい形でない負担をするということの方がいいのか、これは私はむしろ国民の選択の問題だろうと思うのであります。その選択をどうするかということをいろいろ考えられたのが今度の案の一つではないかと思うのでございます。  スウェーデンは国会議員は初めから七五%引かれるわけでございますが、日本の場合には、そういうことよりは、病気になったときには若干持つかわりに、保険税の方は下げる方がいいのではないかという選択を多分厚生省はおとりになったのだろう、僕はそう推察するわけでございますけれども、やはりその辺が一つの問題点であろう。日本的なというのは、どう受けとめ、どう考えるか、あるいは将来との絡みをどう考えるかということはあると思いますけれども、私は、一応選択としてはこの辺がまあまあ妥当なところではないのだろうかという気がいたしておるわけでございます。  さて、ほかの先生方がいろいろおっしゃいましたから余り重複しない方がよろしいかと思いますので、今度の健保改革案というのは幾つかの点があるのは既に申し述べられたとおりでございますけれども、その中で私が特に感じておりますことを二、三述べさしていただきますと、一つは、監査の強化というのは評価できるのではないかと思うのであります。それはどうしてかと申しますと、大体支払請求書というのを見ますと、いわゆるレセプトでございますが、これは大学病院のが一番多いわけであります。もちろん大学病院は高度な診療をおやりになるところですからある程度高いのは私はやむを得ないと思うのですけれども、その大学病院の請求の中には、一番問題になりましたのは、ある医科大学で一カ月のレセプト五千万円というのが出てきた例があるのでございますけれども、どうもその中には、本来研究費であるべきものが保険に肩がわりしている部分があるのではないかという気が若干するわけであります。そういう意味からいいまして、しかも、地方の支払基金審査委員会というのは大体その大学の出身者が多いわけでございまして、なかなかそこになたを振るうことはできない。そこで今度考えられておりますのは、私はこれは一つの方法だと思っておるのですが、東京に全部持ってきて、どこの大学の出身者でも文句の言えないというふうな大先生が監査の委員を一応やるという形にして監査していくというのは、大変ユニークな方法なのではないだろうかというふうに私は思います。  それから二番目には、健康保険そのものを眺めた場合、ヨーロッパの保険と日本の保険とで際立つた違いというのは実は二点あるわけであります。  一つは、保険が八種類にも分かれていて、しかもそれぞれが給付内容も掛金も違う、そういう国はほとんどないわけであります。日本だけの特殊な現象であるわけであります。私はやはり、同じ日本人と生まれたら、同じ掛金を払い、同じような給付内容を受ける、この平等というものは、税金と同じことでございまして、平等でないと国民は納得しないということもあると思うのであります。そういうことで、私は、幾種類にも分かれておるということに一つの問題点があって、しかも公平でないということが一つと思います。  それから二番目には、これは余り指摘される方はないのですが、本人家族給付が違うというのもこれまた日本だけの現象でありまして、多くの国では本人家族も同じであります。負担を取る、取らないの問題は別としまして、それは同じであるわけであります。  それから、非常に話題になっております退職者医療制度については、組合健保に加入している若い間は原則病気にならないわけですから、その原則病気にならない人が会社をやめたら国保にいかなければならないということ自体に、僕は非常に疑問を感じる一人でございまして、これから病気になるというときになったら、給付も悪いし掛金も高い国保に入らなければならないというのは、ある種の矛盾なのではないだろうかと思います。  それから、一番焦点のようになっております自己負担導入の問題でございますけれども、自己負担導入は、せんじ詰めれば、日本には高額療養費給付制度という大変妙味のある制度がございますので、それの限度額が国民にとって負担にたえるか、たえないかという角度の議論が一番重要なのではないかと思うのであります。つまり、五万四千円か五万一千円かは別としまして、その金額が果たして今の国民にとって負担し切れないものであるということなのか、いや、その程度なら負担できるということなのかということが議論の対象になるべきではないかと私は思うわけであります。  私は、個人的には一割負担には賛成であります。なぜかと申しますと、まず一つは、一割負担することによって自分がかかった医療費がわかるということであります。将来新幹線に乗ってもただ、飛行機に乗ってもただという時代になれば、当然医療費はただでなければならないと私は思いますけれども、今のところは、新幹線に乗りましても、飛行機に乗りましてもちゃんと料金は取られるわけであります。だとすれば、私は、自分がかかった医療費が幾らかということがわからない制度は、制度としては必ずしも妥当ではないのではないかという気がするわけでございます。  それからもう一つは、大変摩訶不思議なことだといえばそれまでなのでございますけれども、レセプトを見ますと、本人の請求と家族の請求とは、同一疾病と考えられるものでも、検査料とか投薬料とかが違うわけであります。それは家族の場合と本人の場合とは実際に違う場合も僕はあり得るとは思うのでございますけれども、厚生省あたりのデータによりますと押しなべて違うわけであります。ということは、何かほかの作用がそこに加わって請求額が違うのではないかということも、やや勘ぐりかもわかりませんけれどもするわけでございまして、そういう意味から、財政だけで考えるのなら、確かに一割負担にするか初診時一部負担を上げるかというのは私は並行した議論になると思いますけれども、私は、今申し上げました問題点から考えると、一割自己負担の方がリーズナブルなのではないだろうかというふうに思っております。  それで、余り時間もありませんのであと簡単に申し上げたいのですが、私が考えておりますことの一つは、この法案が仮に衆参両院を無修正で通ったといたしましても、昭和六十五年ごろにはまたもう一度大改革はやってくると思うのであります。そのときは今よりももっとドラスチックな案が出るであろう。例えば保険の一本化とか、償還制とか、老人の管理制度というものが多分出てくるのじゃないか。それはどうしてかといいますと、基本的には老人増という問題が非常に根っこに強く大きく横たわっていること、医学・医療技術の進歩によるもの、そういうものが両方合わさって、相当シビアな形になってあらわれるのではないだろうかという気がするわけであります、それだけに、今の改革案が第一段階とするならば、第二段階はかくなる方向に行くという格好で、長期の展望を持って出てくるということがより国民を納得させるのではないだろうかと思います。  最後に一言触れたいのは、私も非常に感じておりますことの一つでございますが、なぜ医療費がふえるのかという根本的な問題でございますけれども、それはいろいろなことがあります。検査が多いとか、薬がどうとか、医療機器がたくさん入って日本はヨーロッパに比べると多過ぎるとかいうことがあると思いますが、私は一番大きな原因老人がふえることだと思う。ふえた老人はどうなっているのかというと、先生方はそういう御認識をお持ちかどうかわかりませんけれども、私どもが知っております範囲では、日本では老人は決して健康な国民ではないわけであります。おれは元気だと言う六十歳以上の方を集めて精密検査をしますと、大体七割は成人病であるわけであります。それから、六十五歳以上の人はほとんど九割弱が成人病を持っている。しかも、その成人病は何かと申しますと、実は老人医療費三兆二千億円の内訳を見ると、皆さんはがんが多いと思われるかもわかりませんが、実際にはがんは二千七百億円しか使ってないわけであります。がんは死ぬか治るかのどっちかですから、死んだ人の請求書は出てくることは原則ないわけでございますから、結局はそういうことになるわけであります。そういうことを考えますと、心臓血管系の病気で、死にはしないけれどもお医者さんにかかっている方が圧倒的に多いわけであります。これは老人医療費全体の四二%を使っておるわけであります。私は、本当に医療費を減らすのだ、つまりだれが負担するかという問題じゃなくて、本当に医療費そのものを減らすということをお考えになるとすれば、やはり三十五歳から年に一回チェックをして、非常に軽いうちに抑え込むということをやる以外には方法はない。これは老人保健法絡みで保険局ではないのですが、公衆衛生局で鋭意専心努力しておられるのは私も知っておりますけれども、国民に意識改革を起こさしてみんなが受けるというふうにならなければならないのではないだろうか。そうやって、仮に一病息災に持ち込むとかになりましても、実際には、八十五歳を過ぎても生きている人は、実は千人生まれると五人しかいないわけです。まことに少ない。これは先生方といえども、中学校のときに千人中五番以内だったという方は多分いらっしゃらぬと思うのです。それくらい難しいことなんです。だからこれは恵まれた人だけなんです。多くの人は大体七十七から八十二くらいの間にいずれは死ぬわけですね。そこをできるだけ死ぬ前の日まで健康でいくということが、実は医療費を減す唯一の方法なのではないだろうか、そういうふうに思います。  しかし私は、現段階で健保改革案を出されたということについては、いろいろ問題はあるにしても、タイミングの面等から見ましてある程度やむを得ないものなのではないか、言うなれば賛成である、そういうことでございます。(拍手)
  72. 有馬元治

    有馬委員長 ありがとうございました。  次に、吉田公述人にお願いいたします。
  73. 吉田忠雄

    ○吉田公述人 日本という国はすばらしい国だと私は考えております。もちろんいろいろな問題を抱え、改革しなければならないと思いますけれども、よくぞここまで国づくりに成功したと思うものであります。その原動力は、額に汗して働いた勤労国民の結晶だと考えております。しかし、日本の高度成長を振り返ってみますと、一般的には余り認識されておりませんが、一つの重要な要因がございました。それは生産年齢人口が極めて多いという過渡的な現象だったのであります。  振り返ってみますと、戦前は産めよふやせよでありました。戦後、昭和二十五、六年ごろまでベビーブームで人口が増大しておりました。ところが、それ以降突然少産ブームということで赤ちゃんを産まなくなったのであります。それから数十年経過したのであります。以前は老齢化した方々が大変少なく、つまり扶養される人々が極めて少なくしかも赤ちゃんが少ない、その中で産めよふえよの時代の人々が大人になっていましたために、異常なほど膨れ上がった生産年齢人口によって高度成長が達成されたということであります。過渡的な現象であり、私たちにとっては大変恵まれた時期であったわけでありますが、これはほどなく消えていくのであります。それは本格的な高齢化の出現であります。私たち、後世のためにもその対策を練らなければなりませんし、年金の整備、特に医療制度の整備は現代の急務だと考えるものであります。  現代の日本は世界の最長寿国でありまして、これは誇ってよいことだと思います。しかし、どのようにして改革するのか。現在、高齢化とともに医療費は急速にふえつつあります。そして将来何らかの手を打たなければならないのでありますが、その対策として私は二つの点を出発点にすべきだと考えております。  それば平等化という点、これが第一点でありまして、第二点は効率化であります。この平等化と効率化を基盤にして医療制度改革していってほしいと思うのであります。そして今日の健保改正案につきまして、私はこの原理に立って改めていくその軌道に乗ってほしいと願うものであります。  考えてみますと、世界には模範となるような医療制度というものはないと思います。この国の医療制度がよいという決定打はないと思うのであります。例えば医療を全部国営化して一切無料にするという案、一見耳には快いのでありますが、その代表的な国は、ソ連を例えにとってみたいと思うのであります。ソ連では確かに医療制度は原則として無料であります。けれども、いろいろな例外的な措置がとられているのであります。例えば人工妊娠中絶は有料であります。あるいは歯の例えばプラチナ、金その他をかぶせる場合も有料であります。それだけではなしに、すぐれた医師にかかるためにはコネを用い、あるいはさまざまのそでの下を使っているのであります。一番人気のあるそでの下は、外国製のチョコレートと外国製のウイスキーだそうであります。そのようなことで医療適正化は国営化によって、あるいは医療の無料化によっては達成されません。何らかの効率的な手法が必要であります。例えばイギリスやスウェーデンあるいはアメリカの例、いろいろ見ましても確かに見習うべき点はありますが、いろいろな欠陥も包含しているのであります。そうすると、最終的には日本の制度はそう悪くない、これを活用しながら改革していくことが一番よいと私は考えているものであります。いわば日本型の医療制度をつくっていくことでございます。  現在の健保改正案につきまして、私は従来のものから比べますと大変前進しており、評価できると考えます。しかし、まず問題点となるものは、このような医療制度改革を前提とし、平等化、効率化という点でなされているというよりも、突然行革の一環として出されていなかったかどうか、こうした点で私は問題点を抱えていると思うのであります。短兵急な見方ではなしに、もっと中長期のビジョンを持ち、その軌道に乗せるという点でこの改革案に取り組んでいただきたいということであります。  さて、こうした現在の制度をいろいろ検討してまいりますと、政府の原案に対しましては改めなければならないという点で、とても賛成できるものではありません。大幅な修正がなされることが望ましいと思います。そして、修正をして国民から祝福される健保案を登場させ、国民の信をかち得ていただきたいと思うのであります。  改正案の主な点、国民から祝福されるような改正という点で幾つかの点を私は申し上げたいと思うのであります。  本人家族ともに一割の負担というのは私は賛成であります。しかし、現在の案は二割が原則で、一割が例外的な措置となっているのであります。私は、まず一割という点で国民から祝福される制度に進める。  そうして第二に、一定期間経過後、例えば三年ないし五年後に見直して実態に合わせて改正することが望ましいのではないかと思うのであります。初めに二割があるわけではありません。検討した結果あるいは一割五分かもしれません、あるいは二割かもしれません、若干の時間の経過後見直していただきたい。それまでは、現在は一割で進んでいっていただきたい、これが第二の案であります。  第三の案としましては、高額医療負担であります。現在本人負担ということになっておりますけれども、もしも一世帯に二人とか三人出た場合に負担にたえられるのか。これらを考えますと、本人ではなしに同一世帯にすべきことだと思います。これが平等の精神にかなうことだと私は考えるものであります。  また第四番目に、退職者の医療につきまして、ここでは国庫負担が消えているのであります。このことを十分検討し、必要ならば国庫負担導入するという形で退職者の医療をつくっていっていただきたい。この退職者の医療は私は心から望むものであります。額に汗して働いて、退職後冷酷に扱われる現在の制度を退職者は恨んでいるはずであります。それが今回ようやく軌道に乗ろうとしておりますが、国庫負担ということではなしに、国庫負担を抜かされましてそしてほとんど考慮しないかのような形になっておりますが、温かな気持ちでこれらを認めていただくよう考慮していただきたいものだと思うのであります。  これらの改正案を十分検討しながら、私が最後に大きく望むことは、医療制度を一元化するその展望をもあわせて定めていただきたいということであります。  私は、今回の案につきまして、多くの方々の知恵、協力によってできたと思い、その第一段階として高く評価するものであります。けれども、これだけで終わるならば国民は決して喜ぶものではありません。なぜなら、いろいろな制度のもとに格差があります。平等化という立場から考えるならば、やはりうらみ多きものになる可能性がありましょう。それらを考えますと医療制度を一元化する中期展望を示していただきたい。そうするならば、国民はこぞってこの新しい健保改正案に賛意を表することができると思うのであります。  これからの高齢化の傾向を考えてまいりますと、日本はいろいろな課題を抱えており、そして国内での最大の課題はこの高齢化、私はこの高齢化とは別な視点からでありますが、日本が抱えているいま一つの外からの諸問題を解決するためにも、国内の一大問題であるこの医療制度改革していっていただきたい。そして、これと同時に、やがて次に来るものは年金の統一というふうな問題であります。これらを連動させるためにも、まず第一に、この健保改正案は日本の改革のために最も望ましいことだと信じます。特に私はこの行政改革は必要だと考えております。平等で効率的な日本をつくって後世に残すためにも必要である。その軌道に乗せる医療制度改革、今回の健保改正であってほしいと思うものであります。  非常に単純に簡潔に申し上げましたが、以上が私の陳述でございます。  ありがとうございました。(拍手)
  74. 有馬元治

    有馬委員長 ありがとうございました。     —————————————
  75. 有馬元治

    有馬委員長 これより公述人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。浜田卓二郎君。
  76. 浜田卓二郎

    ○浜田(卓)委員 公述人の皆様には、大変貴重な御意見を賜りまして感謝申し上げます。  極めて時間が限られておりますので、二点だけ御質問申し上げたいと思います。  最初に、黒澤丈夫公述人にお聞きしたいわけでございますが、今回の健保法の改正、それから私どもが先般やりました老人保健法の制定、これらはいずれも国保のあり方、あるいは経営をどうするかということが主眼になったものであると言っても過言ではないと思うわけであります。つまり老人保健法の制定により高齢者医療問題を国保から一応外していく、さらに退職者についても今回の改正で別途の方途を講じていく、それはいずれも国保負担軽減、さらにそれを通じて経営条件の改善を行っていくということになるわけであります。  ところが、私ども、今回の審議を通じて、与野党通じて国保の経営の実態についていろいろな疑問やら危惧やらが出ているわけでございます。例えば保険料算定の基礎をちゃんと把握しておられるのか、あるいは医療費適正化の面から通知制度とかそういうものの活用が十二分に行われていないのではないかとか、言葉はちょっと過ぎるかもわかりませんが、ある質問では、国保の経営というのは底が抜けているような危惧すら持たざるを得ない、そういうことも言われてきているわけでございます。  今回の改正の趣旨を生かしていくためにも、こういった国保の経営に対する疑問にどうしたらこたえられるのか、あるいはそんなことはないんだ、しっかり経営はやっていて大丈夫なんだということなのか、そのあたりの御意見をひとつ承りたいと思うわけでございます。
  77. 黒澤丈夫

    ○黒澤公述人 ただいまの御質問にお答えいたします。  私どもは、保険税の算定に際しましては相当厳しくやり過ぎているくらいじゃなかろうかというふうに思うわけでございます。私ども、市町村長の立場から、税に対しまして厳しい注文を受けるのは、住民税よりも保険税の方が強く注文を受けるのであります。保険税の方が住民税よりも一般に平均してみるならば高くなっている。だから「村長、保険税高いじゃないか」、こういうふうなことを言われるほど、保険税はたくさん集めるように努めているんでありますが、それでも足らないものでありますから、なけなしの一般会計をはたいて繰り出しているというようにしているわけでありまして、この問題については相当神経を各市町村長とも使ってやっているというふうに思っております。  それから、通知のごときも、今はやってない市町村はごく一部じゃなかろうか。ほとんどの市町村でやっているというふうに私は理解しております。  以上であります。
  78. 浜田卓二郎

    ○浜田(卓)委員 重ねて伺いますが、先ほど水野公述人の御意見あるいは吉田公述人の御意見の中にもありましたように、今後制度の一体化という問題を考えていく場合に、国保の実情とか国保の経営のあり方というのは我々の最も議論をしていかなければならない問題の一つだという認識を持っているわけですが、御自分の村の経営の経験を通じて国保経営について御意見があれば、一言お伺いしたいと思います。
  79. 黒澤丈夫

    ○黒澤公述人 一言申し述べさせていただきます。  私は、一番後の方のくだりで申し述べたのでございますが、老人保健法がうたっておりますように、ヘルスの問題を市町村長の責任において積極的に取り上げるという姿勢になってまいりますと、私は、自分の村におきまして四十三年から成人病に対する精密検診を三年に一回ずつ繰り返し繰り返しやってきた体験から見ましても、非常に効果が上がるというふうに考えるものであります。私の村は極めて山の中の重労働の村でありましたから、酒を飲んで、塩辛いものを食べて、どちらかというと健康に無関心な人が多かったわけでありますが、四十二年のときから保健所の先生の御指導をいただきつつ、四十三年からそういうことを繰り返しやってまいりましたところ、その精密検診に加わる人から順次健康水準が高まつてまいりまして、初めは私の村は、成人病関係の補助事業を受け入れることができるほど成人病にかかっておられる方が多かったわけですが、何年か繰り返しているうちに、成人病の補助事業の対象にはならないほど成人病にかかる人が少なくなったという実態をも私は経験しております。ですから、そういうことを通じまして、全国で最も模範とできるのは沢内村だと思いますけれども、ああいうようなやり方で我々が努めていくならば、それほど医療費を高めずに、しかも健康に一生を終わるという世の中を出来させることができるというふうに私は考えております。
  80. 浜田卓二郎

    ○浜田(卓)委員 どうもありがとうございました。  先ほど水野公述人のお述べになりました負担給付のそれぞれの関係とか、各種の保険制度における問題点、私も賛成のところが多いわけでございますが、結論としては一部負担導入には御賛成だ、それから吉田公述人もそのような御趣旨であったと思います。  そこで、内山公述人に伺うわけでございますが、昭和二年以来の十割給付の原則を破るのはまことに暴挙であるという御意見でありまして、本来国保あるいは家族についてもむしろ十割というものを目指していけというような御趣旨に承ったわけでありますが、これは結局医療費というのは全部ただの方がいいんだというふうな御意見になるのかどうか、その点を重ねて聞かせていただきたいと思います。
  81. 内山達四郎

    ○内山公述人 率直に申し上げて、ただほど高いものはないという言葉はございますけれども、先ほど水野公述人の言葉にもありましたように、全部がただになればそれほどいいことはないんだというふうに私は思っておりません。  ただ問題は、医療費というのは人間の命と健康にかかわる問題ですし、有病率は高くなっておりますけれども、すべての人が病人であるというわけではないわけですね。つまり何らかの要因によって病気になったりあるいはけがをしたりする、その場合に、私どもが十割給付をどうしても守っていただきたいというのは、先ほど申し上げましたように、特に被用者保険本人の場合には、全部がとは言いませんけれども一家の大黒柱であるわけですね。その人たちが今まで十割給付のもとである程度安心してきたものが、これが一割負担ということになった場合には、決して単なる既得権益の擁護ということではなしに、人間の命と健康にかかわる問題ですから、そこのところはほかのものと一緒に論ずることのできない性質のものがあるのではないか、そういうふうに私は考えますので、一割負担導入あるいは二割負担導入ということについては、私どもはどうしてもお考え直し願えないだろうかというふうに思っている次第でございます。
  82. 浜田卓二郎

    ○浜田(卓)委員 もう時間ですから意見だけ申し上げて終わりますが、健保本人が大黒柱であるということは確かにそうでありましょう。しかし、国保の被保険者でも大黒柱はたくさんおられるわけでありますし、負担という問題を家計という単位でとらえれば、本人家族とどこが違うのか、私どもはいささか疑問が残るわけであります。  それと、水野公述人が御指摘になったように、要するに負担はどこまでが限度かという議論を私どもはしていく必要があるわけであって、一割であろうと二割であろうと高額医療費という問題がきちんと制度としてできているわけでありますから、高額医療費負担の限度といいますか、そういう問題としてとらえて議論をしていった方がより建設的じゃないかなというふうに考えるわけであります。これは意見でございますので、以上で質問を終わらせていただきます。  ありがとうございました。
  83. 有馬元治

    有馬委員長 村山富市君。
  84. 村山富市

    ○村山(富)委員 きょうは、公述人の先生方には御多用中にもかかわらず、貴重な意見を拝聴させていただきましてありがとうございました。限られた時間ですから、それぞれ若干の御質問をさせていただきたいと思うのです。  まず黒澤公述人にお尋ねしたいと思うのですけれども、先ほどお話がございましたように、保険税というのは全国の市町村で十倍くらいの格差があって大分違いますね。現状でも違うわけです。しかも全体として保険税は毎年少しずつ負担が上がってきておる。そういう現状にあって、何とかもっと保険財政を健全化したい、こういう御努力をされていると思う。その御努力の一環として、老人医療負担が余りにも国保にかかり過ぎる、こういう切実な要求から、今回退職者医療制度をつくったということに経過としてはなっているわけですね。ところが、退職者医療制度をつくることによって、今まで負担をしておった分がその分だけ軽くなるという理由で国の負担が二千三百五十五億円削減される。補助率が、今まで医療費の四五%というのが給付率の五〇%に変わって、実質的には三八・五%に下がる。それがまた逆に、保険財政を非常に苦しくしていくのではないかということが心配される。同時に、先ほど来意見が出ていますように、給付公平化を図っていくためには、今の七割給付ではなくて早晩給付を上げなければならぬ。こういう状況にあるときに、退職者医療制度をつくるという名目で国保に対する国の補助率や負担を下げていく、削っていくというのは、今後の国保財政を考えた場合に大変心配があるのではないかというふうに思われるのですが、その点はいかがでしょうか。
  85. 黒澤丈夫

    ○黒澤公述人 これも先ほど私が公述する中で申し上げたところでございますが、私どもも先生と同じような不安の念は持っております。でありますから、予算編成のときにおきましては、その点につきましてはそういう不安が残らないように対処していただきたいというお願いを申し上げたこともあります。しかし、その後、政府関係から先ほども申しましたように負担増にはならないんだという御説明がありましたので、それを御信頼申し上げているというのが偽らざる私どもの心情でございます。ですから、先ほども申し上げましたように、もし法の改正が行われ、現実にはこれが負担増になるというようなことが起こりました際には、政府におかれて適宜適切に予算措置を講じてもらえるようにお願いしたいと思っております。
  86. 村山富市

    ○村山(富)委員 心配と不安がある、その場合には適切な措置を講じてもらいたいということですね。私はむしろ、退職者医療制度をつくることによって言うならば国保の財政に余裕ができる、余裕ができるこの機会に給付率を上げるというようなことをこそ考えるべきではないかというふうに思ったのですけれども、そういう意見に対していかがでしょうか。
  87. 黒澤丈夫

    ○黒澤公述人 先生のおっしゃるように、給付率を同時に上げていただけるということは望ましいことであるというふうに思っております。しかし、それを今すぐやっていただくということは、そうでなくてもなかなか対立の激しい改正法案でございますので通しにくいであろうというふうに思って、先ほども申し上げましたように給付率の統一をなるべく早い時期に、また具体的に明示していただけるように御配慮いただきたいと申し上げたところでございます。
  88. 村山富市

    ○村山(富)委員 次に内山公述人にお尋ねしたいのですけれども、昭和二年以来健保については本人の十割給付は守られてきた。これは御存じのように、従来三K赤字といいまして、健康保険財政が赤字を抱えて非常に厳しい抜本改革が叫ばれているときも、この十割給付だけには手をつけずにきたわけですね。それが今回手をつけられることになったわけです。その十割給付を九割給付にする、あるいは六十一年から八割給付にする。原則は八割給付にするというのが方針ですからね。その理由をいろいろ聞いてみますと、医療費がだんだん膨らんでいく、膨らんでいくことに対応して国の負担もふえていく、何としても医療費の抑制を図る必要がある、その医療費の抑制を図るためには、過剰診療や乱診乱療が行われる原因はやはり十割給付にある、そこで九割給付なり八割給付にすれば医療費の抑制ができる、こういう理屈を言っているわけですね。私はそうではなくて、医療保険制度というのは、医療を受ける側と医療を供給する側があって、それを保険で担保しているというのが保険制度ですからね。したがってそういう関係を考えた場合に、受ける患者の側は、私のこの病気に対してどの程度治療が必要か、どの程度の薬を飲むことが必要なのか、どの程度の検査が必要であるかということは患者自体にはわからないわけですよ。全部医療を供給する側の診断と判断で行われるわけですね。その責任もない患者負担をさせることによって医療費の抑制を図っていこうということは、まさに主客転倒ではないかというのが私の考えなんですけれども、それに対して内山さんはどういうふうにお感じになりますか。
  89. 内山達四郎

    ○内山公述人 実は私も、去年の秋から若干体調を崩しまして、今でも医者にかかっているわけです。たまたま私の学生時代の友人に医者がいるものですから、ただ彼は臨床専門ではなしに病理専門なものですから、臨床に関しての知識は普通の臨床医と違ってそれほど多くはありません。しかし、率直に言って、何人かの医者に三つほどの病気についてかかりますと、今御指摘がありましたように、二時間くらい待たされて大体四、五分くらいの診療で終わってたくさんの薬をもらう、中には病状についてある程度たちにも納得のいくような説明をしてくれるお医者さんもいますけれども、一体病気程度がどういう状況なのか、あるいは今飲んでいる薬がどんな薬であるのか、そういう事情については、私の友人の病理専門の医者に聞いてみて初めてわかるというのが現状ではないかと思うのです。  そうしますと、現在の医師と患者関係が、これもしばしば指摘をされているところですけれども、つまり患者立場に立って医師との関係が成立をしているかどうかといえば、必ずしもそうではないのじゃないか。したがってその辺の関係をどういうふうにしていくのか、これは今後の医療供給制度の大変大きな問題だと思うのですけれども、そこらを明確にされないままに、十割給付をカットして本人に一割を負担させれば、現在の医療費高騰の問題が解決できるかどうかについては私は正直に申し上げて疑問を持っています。医者患者関係あるいは医療供給制度関係、そういうものについて根本的にメスを入れていくような改革もやっていきませんと、一割負担あるいは二割負担によって高騰する医療費を抑制できるのかどうかということについては若干の疑問を持っております。
  90. 村山富市

    ○村山(富)委員 重ねてお尋ねします。午前中の質疑の中で、自分の身内に大変難しい重症患者を抱えておる方から、いかに苦しいか、現状医療は本当に困っている方々に十分こたえてもらえないものになっているというようなことについての切々たる訴えがあったわけですけれども、今の医療制度の中で、例えば一部負担とか、この法律が通れば一割負担、二割負担になるのですが、そういう保険の負担だけではなくて保険外負担が大変かかっていく、しかも単に医療費だけではなくて出費もそれによってかかっていく。収入が減って出費がふえて、しかも保険で見てもらえない保険外負担が大変多い、患者さんはこういう状況に追い込まれていくのです。しかも所得の高い方は、今は医療費控除がありまして税金の面では税額控除で相当控除してもらえるわけですが、税金を納めてないような所得の低い人は、何ぼ医療費がかかったって控除の恩典さえ受けられないわけです。全くマイナスになるわけです。そういう現状にさらされている労働者が大変多いという中で、私はいろいろな意味で矛盾を感じます。そういう現状を考えた場合に、この一割負担、二割負担というのは大変重荷になるのではないかと思うのですけれども、その点についてはどういうふうにお考えになりますか。
  91. 内山達四郎

    ○内山公述人 今先生が御指摘になりましたように、一割負担なり二割負担導入は、率直に言って、病気の軽い人にとってはそれほど大きな負担にはならないかもしれません。これは厚生省のモデル試算を見ても、二、三日程度の風邪とか軽い病気であればそんなに大きな負担にはならないと私は思うのです。しかし、実際に私たちの周辺にもおりますけれども、例えば糖尿病で余病を併発するという重症の患者といいますか難病患者、そういう患者に対するしわ寄せというのはかなり大きなものになるのじゃないか。その意味では一割負担、二割負担は、全部の労働者にかかる負担ではありますけれども、患者立場から見れば、重症患者あるいは難病患者に大きくしわ寄せされるであろう。そのことは、現在でもあるさまざまな保険外負担、差額ベッド料を初めとするさまざまな保険外負担が重くのしかかってくるということがまず第一番目には指摘できることではないだろうか。  もう一つは、これは個々についても言えると私は思うのですけれども、毎勤統計でいきますと今平均賃金が約二十万円か二十二万円くらいでしょうか、傷病手当金によって六割とすれば十二、三万円ぐらいは傷病手当金から出るわけです。しかし、さっき言いましたように、例えば心筋梗塞で十日間入院したとすると四万三千円程度負担がかかってきてしまう。そうしますと、これは高額療養費の対象にはならないわけです。そうすると十二万円から四万円ぐらいの出費をしてしまって、果たして八万円ぐらいで生活できるかどうかということになれば、これは賃金の高い労働者にとってはそれほど大きな負担にはならないとしても、賃金の安い労働者にとっては一割負担、二割負担というのはかなり大きな負担になってくるのではないか。そのために高額療養費制度があると言いますけれども、しかしそれ以下のすれすれのところでいった場合にはその対象にはならないわけですから、その意味では難病患者重症患者へのしわ寄せ、あるいは賃金の安い労働者、サラリーマンヘのしわ寄せという事実を私は指摘しないわけにはいかないというふうに思います。
  92. 村山富市

    ○村山(富)委員 内山さんだけに質問が集中して恐縮なんですけれども、あなたは健康保険の問題と関連の一番深い、直接関連のある働く労働者を組織したものの役員をされているわけですから、労働者の意識やら考え方に一番精通していると思いますから、そういうことでお尋ねしたいと思うのです。  今度、退職者医療制度を新しくつくる、これは午前中でも申し上げましたけれども、今度の健保改正の目玉のように宣伝されているわけです。私は、退職者医療制度をつくるそのものについては別に異論はないのですけれども、ただ、つくり方について国民健康保険制度、市町村を事業主体にしてその中に退職者医療制度をこしらえて、OBの方は皆そこに入っていただく、そして国民健康保険税は納めてもらう。そうしますと、同じ国民健康保険制度の中に七割給付国民健康保険の適用をされている方と八割給付の恩典を受ける国民健康保険の組合員と両方存在することになるわけです。これは新しい格差をつくることになるのではないか。しかも、さっき申しましたようにいずれ国民健康保険給付率は八割に上げたいという目標があるわけです。そうしますと、国民健康保険が八割に上がりますと退職者医療制度のメリットは、全く同じになりますから何もなくなるのです。ですから、制度としては今の任意制度を延長する、例えば六十五歳まで延長する、そして六十五歳からは老人保健に入っていくというつなぎの制度を考えていけばごく自然で、矛盾がないのではないか。先輩を後輩が全体としてお互いに責任を持ち合って面倒を見ようではないか、しかも若いときに健康保険に入っておって掛金は掛けて余り病気をしなかった、年をとって病気をし出したら、さっきもお話しがありましたけれども、罹病率が上がって、しかも負担が多くなって給付は下がるというのでは問題ではないかという意味で、退職者医療保険制度というものが問題になっているわけですから、そういう自然な姿でつくっていくことの方が労働者の気持ち、感情によりぴったりするのではないか、あるいは制度としては適正ではないかというふうに私は思うのですけれども、その点についてはどういうふうにお考えでしょうか。
  93. 内山達四郎

    ○内山公述人 若干観点を変えて申し上げたいのですけれども、実は今高齢化社会への移行の中で、高齢者の雇用の問題というのが労働団体にとっては非常に重要な問題になっています。労働省・政府は、昭和六十年までに六十歳定年制を一般化するということで行政指導を強めておられまして、御承知のように六十歳定年制を採用する企業はかなりふえてきています。しかし、昭和六十年代以降の雇用失業情勢というものを考えますと、むしろ六十歳から六十五歳までの階層が、昭和六十年以降はいわば団塊世代として急速にふえる状況になっています。  そこで、今、これは私どもだけではなしにすべての労働団体が要求をしていることは、六十歳代前半層の雇用保障をどうするのか。今の高齢化社会への移行の中で、六十歳定年だけでは対応できない。年をとりますと個人差がありますから、一律定年延長ということはできないにしても、少なくとも六十歳代前半層まで、六十五歳ぐらいまでは何らかの形で働けるような状態にすることが、本人にとってもあるいは国家経済、国民経済的な立場に立ってみても有効なことではないだろうか。そうしますと、今の任意継続制度、これはできるならばもう少し延ばしていただいて、老人保健法との間のつなぎをその中で考えていただくような、つまり六十歳で今は二年ということになっていますけれども、これを延ばしていただいてつなぐようなことを考える手だては当然検討していただいてしかるべきことではないだろうかというふうに思います。
  94. 村山富市

    ○村山(富)委員 それから、もう一点お尋ねしたいと思うのですけれども、最近健保は財政的には黒字になっているわけですね。相当大幅な黒字を計上しているわけです。累積赤字も解消して、保険料率も下げたという状況にあるわけですね。健康保険が黒字になったために、その黒字になったことを背景にして、日雇健保を政管健保に吸収をする、なお退職者医療制度をこしらえて、そしてOBの面倒、面倒といいますかその医療負担健康保険負担をしてもらう、こういう仕組みになっておるわけですね。健康保険財政というのは国が出した金ではないんですよ。もちろん国の若干の負担もありますけれども、しかし大部分は労使が負担したものなんですね。その労使が負担したものを、こういうふうな制度をこしらえることを名目にして拠出をさせるというのは、やはりいかがかと私は思うのですね。しかも、そのために、被保険者本人に一割なり二割なりの負担をさせるということも筋違いではないかというふうに思われるのですけれども、その点についてはどういうふうにお考えでしょうか。
  95. 内山達四郎

    ○内山公述人 私は、最初の陳述で申し上げましたように、一番心配をしておりますのは、今度の健保法の改正をめぐってさまざまな論議がさまざまな角度から行われている、このことは決して否定するものではないし、大いに論議をしなければならない問題だと私は思うのですね。しかし、そういう論議の中で、社会保障の基本的な理念、私は先ほど憲法二十五条を申し上げましたけれども、あるいはまたILOの特別研究報告を申し上げましたけれども、本来なら労使が折半して出して、折半でないところもありますけれども、労使が折半をして出しているものに対して、やはり国の責任というものをどういうふうに見るのか。国の財政が非常に窮迫をしているからということで、国庫の負担というものを後退させるということが、社会保障の基本的な理念の後退につながってしまうということについて、大変危惧の念を持っております。したがって、その意味で、先生の言われたことはそのとおりではないかというふうに私は思います。
  96. 村山富市

    ○村山(富)委員 水野先生にちょっと御意見をお聞かせいただきたいと思うのですけれども、最近やはり医療費にはいろいろなむだがあるということがしばしば言われているわけですね。その医療費のむだの中には、先ほどもちょっとお触れになったかと思いますけれども、大変高額な医療機械が世界じゅうで日本がトップになっているぐらいに使われておる、配置されておる。富士見病院のような事件が起こる背景にも、やはりそういうものもあるのではないかというようなことさえ言われている。これは一つの例ですけれども、そういう意味で、もう少し適正な配置を考えるなりあるいは共同利用を考えるなり、これは薬も含めてですが、そういうことを真剣に考えていくならば、言われるような意味の医療費のむだもなくなっていくのではないかというふうに言われる意見もあるわけですけれども、そういうことについてはどのようにお考えになっているのでしょうか。
  97. 水野肇

    ○水野公述人 この医療費のむだというのは、今先生のおっしゃった高額医療機器だけではないと私は思うのですけれども、高額医療機器というのは御指摘のようにやはりむだがかなりあるとは思います。例えばよく話題になりますCTスキャナーというのがある。要するにレントゲンの断層撮影を細かくして、それをコンピューターで連動して、脳の中がわかるという機械ですね。このCTスキャナーというのは今日本に二千台あるわけです。今から四年ぐらい前に五百台あったわけです。そのときに予想されたのは、現在では多分千台ぐらいになるだろうというのが実際はふえているわけですね。これは一体なぜそうなるかというのは、御指摘のように確かに医療機器の適正配置という問題が日本では余りないわけですね。例えば西ドイツなんかでは医療がピラミッド型になっているという問題もあるわけです。西ドイツでも州立の医科大学が完全に頂点に立っていまして、そこにしか原則としてCTスキャナーとか、向こうではEMIスキャナーというのですが、そういうものがないわけですね。ところが日本ではどこにでもある、と言うと言い過ぎかもしれませんけれども、かなり多いわけですね。  これは私は、一つは日本人の特性じゃないかと思うのです。日本人というのは図書館の利用の一番下手な国民だと言われるわけですね。つまりみんな自分が買い込んじゃうわけです。それで、図書館へ行けばあるような本でもみんなが持っているというようなことをよく医学部なんかでは指摘されるわけですね。そういう日本人自体の特有なものもあると思います。それからもう一つは、日本の産業というものが、あらゆるものが大体過当競争になっているわけですね。例えば原子力から電球までつくるメーカーが八社も九社もあるというのは、世界で日本だけなんです。そうするとどうしても競争が激しい。そこで、これはいけそうだと思うやつはやはり強烈に売り込むということ、それはあり得るわけでして、そういうことがあるわけです。  これはもしも先生のおっしゃるようにやろうと思えば、私は法的措置をとる以外にはないんだろうと思うのですね。ある一定の区域を限って、その区域内でCTスキャナーを必要とする患者は年にどれくらい出るかということを調べて、それじゃこの地域にこれだけあればいいということをやる以外にはないと思うのですが、ただ、いわゆる医療費のむだと言われておりますものはそういうもの以外にもいろいろとございまして、それは御承知のとおりで、ここで申し上げるつもりはありませんけれども、高額医療機器というのは、イギリスも西ドイツも今先生のおっしゃったような一種の規制はしているわけです。各地域に高額医療機器購入委員会というのがありまして、それはお医者さんだけではなくて、いわゆる学識経験者みたいな人も入られて、そこでオーケーと言わなければ買えないという仕組みにしている国もある程度あるわけです。だから、日本で考えられる点としてはやはりそういうことだろうと思いますけれども、しかしCTスキャナーについては既にその枠をはるかに超えて、たくさん配置されておる。次は、それのもっと高額なものでポジトロンというのが出てくるのですが、どこかでやはり規制をしなくちゃいけないだろうと思うのです。しかし、これは診療の自由というふうなものとの絡みもございまして、医務局総務課でぱっと案を出して通すというわけにはなかなかいかないのじゃないかと思って、割合複雑な要素もあるだろうと私は思います。
  98. 村山富市

    ○村山(富)委員 医療機器の問題は一つの例として申し上げたのですけれども、言われるようにそれだけでなくて、薬の問題やら検査の問題やら、いろいろ伏在する過剰診療の要因になるようなむだがたくさんあるというふうに言われていると思うのですね。  一番心配されますのは、医療費がどんどん膨らんでいって国民所得との関連が危なくなる、そして将来国民負担にたえ得なくなるのではないか、こういう点が一番心配されているわけであります。そこで医療費の抑制をする必要がある。その医療費の抑制をする仕方が、一割負担なり二割負担なりをさせることによって抑制するというのではなくて、その前にもっとしなければならぬことがたくさんあるのではないか、その手を尽くすべきではないか。かかった患者に、今自分医療費が何ぼかかったかということをわからせるというために一割負担やら二割負担が必要だというのなら、これは一割負担でなくて一部負担でもいいわけですからね、その理屈から言えば。領収証の発行とかいろいろな方法もあると思いますからね。ですから、そういう意味で、医療費のむだをできるだけなくしていくということが一つ。  それからもう一つは、水野先生が最後に強調されましたけれども、やはり三十五歳ぐらいからチェックをして、そして健康管理なり健康指導なり、そういうものに十分配慮されていくことが医療費適正化していく、抑制していく最大の要因だというふうに御指摘になりましたね。これは黒澤さんからも沢内村の例なんかも出されまして、ヘルス活動を活発化することによって相当医療費の抑制になるというふうに確信を持って言われたと思うのだけれども、そういう手だてをしっかり講じていくことによって医療費の総枠の抑制ができるのではないか。現に五十八年度は、老人医療やらあるいは薬価基準の引き下げやら等々の手だてが行われて、医療費国民所得伸びよりもずっと低くなっているわけですから、そういう努力をやはり総合的にやっていく。しかもなおかつ、財政がこういう状況だ、あるいは医療費が膨らんでいくというところで、十分皆さんと真剣に考えるということでもいいのではないかというふうに思うのですけれども、そういう点については先生はどういうふうにお考えでしょうか。
  99. 水野肇

    ○水野公述人 私も、原則的には先生の御意見とそんなに違わないと思うのです。  ただ、日本の政治なり官僚の組織というのは、局が違いますとなかなかうまくいかないわけですね、私はやはりそういうこともあるのじゃないかと思うのです。元来厚生行政というのは、もっと全体的に調整力を持って、いろいろな角度から医療費というものをできるだけ少なくしていくというふうにしていかなくちゃいけない。しかし、実際には、国会での審議でもそうだと思うのですけれども、健康保険の問題だけが突出してという言葉は穏当ではないかもしれませんが、突出してニュースになるわけですね。何かそういうエコロジーが日本全体にあるような気がいたすのです。しかし、私がもしそういう立場にあれば、当然やはり総合的に、つまりどこをどうシステム化していけば、今先生がおっしゃったように、トータルとしてこれだけ医療費が減るというふうな格好になっていくということが重要だと思うのです。  これは私見ですが、今先生が挙げられたいろいろな問題の中で、一番医療費を減す可能性があるのは健康管理しかないのですよ。つまり医療費のむだというのは、たまに新聞あたりに出てくるのはとんでもないのがあるわけですよ。だけれども、それはすべての医者がそうだというのと全然違うわけですから、たまたまそういうのが一件だけあったという話なんですよ。だから私は、健康管理をきっちりとやるということだけでも老人医療費の三割とかは減せると思うのです。だから、今私どもが努力をいたしておりますのは、いかにして検診を受けさせるかという研究会をやっておりまして、まだ答えは出ておりませんが、なかなか奇手妙手はないみたいですけれども、やはり一種の健康に関する意識革命をやらなくちゃいけない。後はできるだけ規則正しい生活をするというもう一つ要素があるわけですけれども、一番金額的に効果があるのは僕はこれだと思うのですね。ただ、先生のおっしゃる総合的にやれという御意見は、私も個人的には全く賛成でございます。
  100. 村山富市

    ○村山(富)委員 どうもありがとうございました。  吉田先生にちょっとお尋ねしたいのですけれども、今度の改正の中で、高度承認医療という、例えば大学附属病院で高度な医療を受ける場合等、厚生大臣が承認した医療機関で受ければ、その高度医療を受けた分について一定の保険給付を行います、あるいは認めた材料とかサービスとかいうものについても一定の給付を行います、こういう制度に変えようとしているわけですね。私は、同じ医療機関で、厚生大臣が承認した医療機関で受けた場合には一定の給付を受けられる、そうでない医療機関で受けた場合には全部自分で払わなければならない、そういうふうに医療機関に差をつける、扱い方に差別をするということも問題ではないか、ここのところが一つですね。  それからもう一つは、歯科の場合なんかに差額を取ることを認めて、そのために自由診療がどんどん拡大をされていった、保険で使える範囲がだんだん狭められてきたというようなことが一時言われたことがあるわけですけれども、そういう制度をとることによって差額ベッドを認めたり差額徴収を認めたりすることになってまいりますと、それをいいことにして自由診療の分野がだあっと拡大をされていって、保険で見てもらえる範囲がだんだん圧縮をされていくのではないか。私はそうではなくて、高度医療がどんどん進んでいけば、その医療の恩典をあまねく皆さんが受けられるような保険適用というものを拡大する考えを持つべきであるというふうに逆に思うのですけれども、そういう点についてはどのようにお考えでしょうか。
  101. 吉田忠雄

    ○吉田公述人 ただいま御質問受けました点、お答え申し上げたいと思います。  私は、組織というのは時には自動的に歩きまして、意図したところと異なつだ方向へ行く傾向がしばしばあろうかと思います。そうした点で、今回のいろいろな官公庁によるコントロールというものは危険な一面を持っていると思います。そうした点で先生の御意見賛成でございます。これが第一点でございます。  第二点、差額の問題でございますけれども、この点は日本の医師に対してはほとんど大部分信頼してよいと私は思うのです。ただ、ほんの一部分不心得な方が出て問題が起こるわけでございます。  自由診療制につきましても、自由診療制と一定のコントロールのもとにあるものとが両方うまくかみ合っていただきたいと思いますが、現在、自由診療制の名のもとに差額ベッドその他、いろいろな形でなされているものは望ましくないと考えております。したがって私は、先生の御意見にこの点でも賛成でございます。  ですから、その方向でそれではどうやって具体的に軌道に乗せていくのか。本当は一遍にぱあっと変えればいいのですけれども、私は一歩でも改善できるものならばそれを進めていただきたい、こう考えております。
  102. 村山富市

    ○村山(富)委員 最後にもう一遍内山さんにお尋ねをしたいと思うのですけれども、先ほど来申し上げておりますように、今度の健康保険法の改正は、一番直接的には今働いている労働者の皆さんに影響が大きいわけですね。それだけに、私どものところにも毎日のように反対の文書が来たり、手紙が来たり、電報が来たりしているわけです。これは村長さんもおられますけれども、今度ほど地方自治体が反対の意見書の採択をしたり、反対決議がされたりなにかしている数が多いことはないのですよ。それくらい反対の空気が強まってきているわけですけれども、この改正案に対して労働者の皆さんが率直にどういう気持ちで受けとめておられるか、あなたはそうした組織の指導者的立場にあるわけですから、この機会に、そういう労働者の気持ちを代弁する意味で、御意見を承りたいと思うのです。
  103. 内山達四郎

    ○内山公述人 これは率直に申し上げて、今度の健康保険改正問題に対する職場の組合員といいますか職場の労働者の関心は、かつてないほどに、非常に強くあらわれてきているというふうに私は思うのです。例えば私どもが旗を振って動かすというようなことよりも、先生方は御存じでしょうけれども、社会労働委員会の厚生日にはたくさんの労働者が心配をして議員面会所に集まってくるとか、あるいは署名運動、これは県評段階、地域段階でも取り組んでいるところがありますけれども、私どもが把握している範囲では、国会に請願として受け付けられた分だけでも既に八百万人に達しているわけであります。それから寸地方議会への請願や関係各省への陳情署名も、今までを全部含めてみますと確実に一千万人くらいは超えているのではないだろうか。それから、社会保険審議会、社会保障制度審議会、審議会段階での審議が開始された段階では、私どもの本部に来ていただけばわかるのですけれども、段ボール箱六、七箱くらいのたくさんの要請のはがきが来ておりますし、それから、いろいろな方から何とかしてもらいたいという要請が大変たくさん参っております。  したがって、見方はいろいろございましょうけれども、その意味では、今度の健保法改正問題ほど職場の労働者、サラリーマンの関心を呼び起こしている事態というものはいまだかってなかったのではないだろうか。先ほどもちょっと院外で音が聞こえましたけれども、実はきょうも、総評と中立労連で組織しております春闘共闘会議が集会をやって請願行動をやっているわけですけれども、中央だけではなしに地方、地域でもさまざまな集会、さまざまな行動というものがやられている事態というものを私たちは極めて重く受けとめて、組合の指導者としては何とかしなければならないという決意を持っていることだけは申し上げておきたいと思います。
  104. 村山富市

    ○村山(富)委員 貴重な御意見を、先生方には大変ありがとうございました。その御意見を十分踏まえて、これからまた一層慎重な審議を進めていきたいというように思います。  本当にどうもありがとうございました。
  105. 有馬元治

    有馬委員長 沼川洋一君。
  106. 沼川洋一

    ○沼川委員 本日は、先生方には大変貴重な時間、大変参考になる御意見を賜りましてまことにありがとうございます。時間も限られておりますので、特に私の質問は、医療の専門的な方でございます水野先生、また専門的な立場から吉田先生にお伺いいたしたいと思います。  先ほどからいろいろと話が出ておりますけれども、現在の医療費高騰の要因として挙げられるのは、先ほども指摘されました、一つは人口構成の高齢化、特に水野先生は、その中でお年寄りの病気、これが一番の医療費の高騰だ。確かにおっしゃるように、医療保険の中で見ますと普通の方の四・一倍、こういう数字が示しているとおりでございます。また、疾病構造の変化ということが当然大きな要因でございますけれども、これも先ほどからお話がありましたがんとか循環器系疾患、こういった成人病が非常に増加しておりまして、これが全体の医療費の約三割、このようにも聞いております。特にこういった病気というのは治療に相当長時間を要しますので、これがやはり大きな一つの要因になっていることもよく理解できるわけです。  さらに医学医術の進歩、先ほどはCTスキャナーの例を引いていろいろと御説明いただきました。  確かにこういったのが要因でございますが、先ほども吉田先生がおっしゃいました中に、改革をやるんだったら国民に祝福されるようなそういう改革をやってほしい。そういう点であえてもう一つの要因を挙げますと、薬づけ、検査づけと言われている今の乱診乱療という医療に対してどうしても国民がすっきりしない、これが前提にあるためにまともに医療保険の問題が審議できない、これが一つの壁になっているような気もいたします。  ですから、将来にわたって医療保険財政というのを考える場合に、みんなのものとして、やはりいっかはある最低限度の負担をしなければならぬ、こういう考えを私も理解できるわけでございますけれども、今回のようにいきなり財政対策というような形で出てきまして、そして限られた日数で上げてしまう、しかもその前提条件となる中長期ビジョンもはっきりしてない。さらに、今私が指摘しております乱診乱療といった問題が、どうも国民から見て、もちろん厚生省としてはいろいろな取り組みをやっていらっしゃいます、薬価基準の引き下げ、あるいは指導監視体制の強化、あるいはレセプト審査の強化、いろいろな対策を打ち出していらっしゃいますけれども、どうも国民の側から見ればいま一つすっきりしない。そういう前提条件を整備して、それでもなおかつ医療費が大変であるということになれば、そういう段階での負担の論議ならばもっと違った角度の論議が行われていたのじゃないか、こういう観点に立つものでございます。  特に、この中で私がお尋ねしたいと思いますのは、日本の医療問題について、これは薬価だけがそれじゃございません、一部でございますけれども、薬づけ、検査づけという言葉に象徴されますように、極論しますと日本の医療問題は薬価問題だ、こういうふうに指摘する人もおります。  そこで、ちょっと専門的な立場から、この薬価の問題について二、三お尋ねをしてみたいと思うのでございます。  特に、ここ三年間で薬価基準が約四〇・一%引き下げられまして、三月時点から今日まで相当影響が出ております。例えば大阪の薬品卸屋さんでは、昨年の当時と現時点では薬の売り上げが二〇%減った、こういう報告を聞いておりますし、また医療機関等で、病院の収入の中で薬剤費の収入が一五%減った、これは問題だ。ですから、薬価基準について特に私が聞きたいのは、薬価差益という問題でございます。医療機関のサイドから言うならば、この薬価差益というのは、別名潜在技術料という言葉で表現されておりますけれども、例えば薬品の消耗とか管理とか、あるいは破損料とか流通マージンとか、こういった間接的経費として、ある医療機関あたりでは二〇%から三〇%くらい必要だ、薬価差益というのは必要だ、こういう主張がございます。ところが、これを国民サイドから見ますと、医療保険制度である以上、もし薬価基準と実勢価格、そういう中の薬価差というのがあるとするならば、それは当然患者である被保険者に返還されるべきものではないか、こういう論理があるわけでございますけれども、この薬価差益という問題につきまして、よろしければ水野先生、吉田先生の御意見を賜りたいと思うわけでございます。
  107. 水野肇

    ○水野公述人 「薬価は厄介だ」と一般に言われておるわけでございますが、薬価基準と実勢価格の利ざやというのが結局どれくらい必要かという議論は、実はかつて余り行われたことはないわけであります。私どもの知っている範囲では、大体薬価基準と実勢価格の利ざやが三〇%を切った場合には、医薬分業にした方が収入はうまくいくということは一応あるわけなのですね。だから、すべての薬価を三〇%を切るところへ、薬価基準というのは国会の決議も要りませんし大臣の通達だけでやれるわけですから、それを強引にやれば自動的に医薬分業になるであろうということは一般に言われているわけです。それが実際にやれるかどうかは別として、僕は申し上げるわけです。  それからもう一つ、薬価でぜひ考えなければいけない問題というのは、別に僕はお医者さんの味方をするわけではありませんけれども、日本の医師の技術料というのは実は先進国の中では最低なのですね。ところが医師の収入はどうかというと、必ずしもそんなに低くないのです。それじゃ一体どういうことになっているかというと、結局患者をたくさん診て薬をたくさん出すことによって、かなり労働時間が長いというふうなことによってなっているわけですね。ところが、今度はお医者さんの側から言いますと、何もおれたちは好きこのんで患者をたくさん診ておるんじゃない、待合室にいっぱいおるから、あれを全部診ぬわけにいきますか、診療拒否したら医師法でやられますよ、こういうことになるわけですね。けれども、私は、技術評価はきっちりやる、そのかわりむちゃくちゃ患者を診ないとかむちゃくちゃ薬は投与しない。僕はむちゃくちゃしていると言っているわけではなくて、そういうことはないようにするということが重要なのではないだろうかと思うのです。  さっき先生がちょっとおっしゃったので、ついでに補足しますと、検査づけという方は、ある側面では、医師の側からいうと防衛診療だというわけなのですね。つまり訴えられたときにどれだけデータがあったか。これはいろいろな形で各国にありまして、例えばソ連では医師は確かに八時間働くのですけれども、診療しているのは四時間なのです。あとの四時間は書類の整理をやっているわけなのですね。それはなぜかというと、何か言われたときにこうですというのをさっと出すようにやっておるという実態を見たことがあります。そういうことをいろいろ見ますと、あながち検査をやたらにやってそれによってもうけようということだけなのではなくて、防衛診療というのはうまいこと名前をつけられたと思いますけれども、そういう要素が実際は一面にある。だから、薬価の問題と検査づけの問題とは非常に似ているのだけれども、ちょっとニュアンスが違うという側面があるということは一言申し添えておきたいと思います。
  108. 吉田忠雄

    ○吉田公述人 私、水野公述人と全く同じ意見でございますが、それと違った面だけをつけ加えて申し上げたいと思うのであります。  乱診乱療ということが言われておりまして、一つ原因として、患者側でも薬をもらわないと安心できないという側面もないわけではありません。ただ、今問題になっているのは恐らく製薬メーカー並びに流通機構、この問題が焦点になってくるかと私は思います。私も幾つかの製薬会社の実態について直接見てまいりました。全部見たわけではございませんけれども、私は、製薬メーカーは今こうした厳しい中に立ちながらも一生懸命やっている、こう思うのであります。  問題は企業と利潤の問題でございまして、私が企業が適正利潤を上げることは当然だと思うのであります。むしろ再生産するめどにもなりますし、適正な利潤は望ましい。現在の製薬メーカーのすべてが適正利潤かどうか、私はそれを申し上げる資格はございませんけれども、私が見ました幾つかの製薬メーカーは適正な利潤で一生懸命やっている、しかもその適正な利潤の中から新しい開発をやっておりまして、これには随分お金をかけております。我が国のこの薬の技術は世界でも非常に高いもの、私はこう確信いたしまして、そうした点で製薬メーカーの方では特に指弾されるようなことはないのじゃないか。  問題は流通機構でございまして、巷間言われるようなこと、いろいろ言われているわけでありますが、そうしたことをできる限り効率的なものに改めるようにしてほしいと思うのでありますが、残念ながら私、そうしたことを直接調べておりませんし、ここで申し上げる資格はないようでございます。
  109. 沼川洋一

    ○沼川委員 どうもありがとうございました。  さらに、水野先生にちょっとお伺いしたいと思いますが、今、医者の技術料の問題が出てまいりました。この技術料を何を基準に見るかというのが非常に難しい問題だと思います。そこで医薬分業との絡みで、やはり今みたいに薬価引き下げを幾らやってもまた次の実勢価格が出ていく。要するにイタチごっこみたいな形で、厚生省の方は一生懸命薬価引き下げばかりやっている。それに今度はメーカー、卸が防衛するためにいろいろなことをなさっていると思います。ところが幾らやっても薬価差益はなくならない。恐らくなくならぬだろうと思います。そういう状態であるならば、やはり低いとされている医者の技術料を何かの形で評価して、物と分離する、やはり医薬分業という方向を本気で考えていくことが、もうずばり言いますと、ただ負担の論議の医療改革じゃなくて、もっと哲学のある医療改革になるのじゃないか。現在医薬分業率が一〇%前後だと聞いておりますが、先ほど先生、三〇%になればというお話もございましたけれども、それとあわせまして、医薬分業が本当に日本に定着するのかどうか、先生の率直な御意見もまたお聞かせいただきたいと思います。
  110. 水野肇

    ○水野公述人 随分難しいだけでなくて、微妙な御質問ばかりが出るのでちょっと言いにくいのですけれども、率直に申しますと、医師の技術料と物とを分けろというのは、私は個人的には大賛成です。ただ、その前段階としてもう一つございますことは、先生も御承知の、現在の医師に支払います支払い方式である点数単価方式というのは、元来は点数が医師の技術の問題なんです。それから単価が、つまり一点単価十円といっているあの単価が経済変動に対応するものなんですね、本来あのシステムは。それで、初めは十円四十銭とか八円七十銭とかいうようなことがあったわけなんです。ところが、これはお医者さんの側の要望もあったのだと思いますけれども、ややこしいから十円にせいということで、つまり点数だけ動かす以外に方法がなくなったというところが非常に問題をやりにくくしているというのが一点あるわけです。それから、その点数の評価をいかにやるかということでございますけれども、これは厚生省は非常に嫌がられるんだと思うのですけれども、私はやはり点数というのを一遍全部見直す必要はあると思うのです。これは伝説の中でいろいろ言われておるわけですね、終戦直後にストップウォッチを持ってはかったとか、本当かうそか知りませんけれども。まあしかしそれに近いことをやられたことは、実際やった方がもう故人になられましたけれども、私も伺ったことがありますが、やはりどういう要素、例えばこういう技術というのは、医学部を出てからこれだけの経験を必要とし、その間にどれぐらい勉強しておるかというふうなことで決める。これはしかし物すごく難しいことなんです。だから私は、役所には大変やりにくいことだとは思いますけれども、これは医師会と相談されながら、あるいは病院とも相談しながらおやりいただいて、そして適正な技術については適正な評価をするというふうにいたしませんと、そこが少ないからわしらは薬で稼いでおるんだ、こういう話になるわけなんです。だから、それをきっちりしませんと、先生のおっしゃる物と技術の分離ということは恐らくできないのではないか。だから相当腹をくくってこれはやらないといけないと思うのですが、これをやりますと、かなり日本の医療というのは、金額がどうなるかは別として、すっきりした形にはなるのじゃないか、非常に疑問が少なくなるということは私はあると思うのです。  だから、さっきも先生おっしゃったように、もし薬価差益があるのなら国民に還元せよという意見が出てくるのは、それなりに僕たちもわかる気がするわけですけれども、そこはそう単純なものではないというところもあるのじゃないかと思います。なかなか難しいですけれども、やはり基本的にはそういう考え方で展開していかないとすっきりしないのではないか、そう思います。
  111. 沼川洋一

    ○沼川委員 水野先生ばかりで大変申しわけございませんが、もう一点お聞きしたいと思います。  先ほど先生の陳述の中で、今回の指導監査体制の中で、専門医療団をつくって、専門の医療団によってチェックすると非常にいいという評価がございました。私も、非常に専門的な知識を持った経験豊富なお医者さんによる医療団が中央から派遣されていく、恐らく説得力もあるでしょうし、これは非常にいいと評価しております。ただ心配なのは権限がないですね。今いろいろとそういった不正不当の問題があっても、今の法律の中ではいきなり監査ができない。まず指導しなさいという取り決めになっております。監査までいくのにはなかなか時間がかかります。よほどの問題がない限りは踏み込めない、こういう問題が現実にありながら指摘できないでいるということが問題になっているのではないかと思います。  最近いろいろ起こった事件を見てまいりますと、この前の大阪の中野医師の問題がございますけれども、五年前からいろいろ言われているわけです。五年たってやっと表に出てくる。その原因を考えていきますと、どうしても指導しなさい、監査体制が非常に弱い。ですから私は、日本の医療の矛盾だと思いますのは、一方では出来高払い制度をとりながら、いわば医者が自由裁量に基づいて診療できるという制度を存続させるならば、やはり監査という問題ももう少し国民から見てすきっとできるような監査体制が必要ではないか、そういう面では非常に不満に思っておりますけれども、いかがでございましょうか。
  112. 水野肇

    ○水野公述人 監査というのはある時期はかなり厳重に行われた。戦後の時期でもそれがあるわけです。あるとき監査されたお医者さんが自殺したというところから非常にトラブルになって、以後はできるだけ話し合いでやるという行政的な判断でやってきたわけです。  私は、例えばお医者さんには技術料などで払うべきものはきっちり払うべきだという意見ですが、そのかわり監査は税務署と同じようにやれるというのが本来の建前なのではないだろうかと思うのです。ただ、日本の医師に関する法律は、そう言うとお医者さんに怒られるかもしれませんけれども、割と医師に有利にできているわけです。そういう表現は悪いかもわかりませんけれども、お医者さんは皆さんヒポクラテスみたいな人ばかりだという前提に立っておるわけです。ヒポクラテスは悪いことをしないということで監査ができないというふうな格好になってしまって、別の面から見れば先生御指摘のように権限がない、こういうことになっているんだと思うのですけれども、何もかにも全部を監査するということは事実上不可能なのです。そこで、ある程度のところを超えたものしか実態としては監査できないのだろうと私は思うのです。これはやがてコンピュータリゼーションになって端末機が開業医の先生のところにも全部つく時代になれば、どうしたって監査はある一定のところで区切って、それだけ赤ランプがつくというふうにやる以外に方法がないわけです。そうは思うのですけれども、監査するのならいつでもできるという体制は私も要ると思うのです。  それはなぜかというと、お医者さんには非常に抵抗のあることかもしれませんけれども、国民はそういうことを思うわけです。先ほどもちょっと出ました領収証の発行という問題も同じだと思うのです。領収証が出てこないというのは、多分今のところ日本の社会ではお医者さんだけじゃないかと思うのです、スーパーでも一円のおつりと一緒に領収証が出てくるわけですから。そういうことから言えば、私は、お医者さんもそこはひとつ御理解いただいて、領収証も出そう、監査もいい、そのかわり要るものは要るんだから出せ、こういう御主張になっていく方がリーズナブルじゃないかという気がいたしますけれども。
  113. 沼川洋一

    ○沼川委員 最後に一問、簡単にお答えいただきたいと思いますが、五十七年度で不当請求ということで払い戻しをさせた金額が大体一千四百億と記憶しております。ある人に言わせると、もっと徹底した監査体制ができれば、少なくとも今の日本の医療費の一〇%ぐらいあるぞ、これはある専門家の方がおっしゃるわけですから相当何かデータがあるんじゃないかと思いますが、一〇%となりますと一兆四千億という膨大な金額になりますが、この点についてはどういうふうにお考えになりますか、こういう考え方につきまして。
  114. 水野肇

    ○水野公述人 いよいよ微妙な問題なんですけれども、どれだけあるかということは私自身調査したことがないからわからないので、いろいろの人のおっしゃるのを聞いて、うん、そんなものかいなと思う程度の認識しかないわけですけれども、確かに僕も一千四百億円よりは多いであろうと思います。しかし、一〇%あるかどうかというのはこれはちょっとわからないんじゃないかと思うのです。だから、本当にそういうことを考えるためには、医師会の了解のもとにきっちりしたことを一遍やってみる必要はあると思うのです。  ただ、さっき私も申し上げたのですが、本人家族の差というふうなものがありますね。そういうものもつまり不正なんだというふうな言い方をすれば、それは私は額は大きくなると思うのです。だけれども、不正というのはちょっとそういうものではないんじゃないかという気もいたしますし、どこまでが社会的に許容される範囲でどこからが社会的に許容されないという問題と、もう一つは、いや、これは患者のためを思ってやったのだ、本当はそうなんだけれども、見たらやっぱりそれはちょっと請求が多いんじゃないかというものもあると思う。しかし、私が先ほど申し上げました一カ月五千万円のレセプトが出てくるということは、それは明らかに問題であると僕は思います。やはり大きな魚から釣り上げる以外にはないんじゃないかという気がいたしますけれども。
  115. 沼川洋一

    ○沼川委員 どうも大変ありがとうございました。  以上で終わります。
  116. 有馬元治

  117. 塚田延充

    塚田委員 公述人の皆様方には、どうも御苦労さまでございます。  現在問題となっております健康保険法の一部改正につきまして、賛否両論かなり渦巻いておるわけでございまして、特に反対という立場におきましては、ほとんどの勤労者の方が福祉の後退であるということで、それこそこぞって反対を強調しているわけでございますが、特に特徴的なものとしては、医師会と申しましょうかいわゆる医療を供給する側の方々も、理由は違うかもしれませんけれども、同じように断固反対という態度をとっているわけでございます。ここにこの問題の非常に根深い面があるんじゃなかろうかと思われます。  今度の保険法の改正、そもそもなぜこういうふうになったのかと申しますと、やはり財政面の理由から極めて唐突的にこれが提案されてきた、このことに対する反発が多いことは確かでございます。しかしながら、それを突き詰めて考えますと、医療費が年々増大しておる、これを何とか逓減しなければいけない。これは政府、厚生省の立場を別といたしましても、国民的な立場から研究し、検討し、その方向に医療制度全体を仕向けていかなければいけないのじゃないか、このように考えるわけでございます。そうした場合、この医療費全体が膨張している原因としては、公述人の方々からそれなりに指摘がありまして、私もそのとおりだと思いますし、またそれを防ぐ手段として予防関係に力を入れるべきであるということが、数人の公述人の方からも御指摘賜ったわけでございます。  そこで、吉田先生にお伺いいたしますけれども、この医療費逓減につきまして、どのような処置を講じたらば、すなわち今新しく制度をつくるといいましょうか、白紙状態から医療制度を構築するんだといった場合、どの辺にポイントを置いてやったらばむだがなくなるとか、もしくは病気が少なくなるとかいうようなことがあり得るのか、医療費の逓減措置について御意見を賜りたいと思います。
  118. 吉田忠雄

    ○吉田公述人 大変遠大な御質問を受けまして大変戸惑っておりますけれども、しかし、私は、現在、医療費国民の健康を保ちながら逓減させていく妙案があれば本当にすばらしいことだと思いますし、こうしたことを目の前にある一歩でも可能な方法から手をつけるべきだ、こう思うのであります。  そうした点で、例えば高齢者医療費の増大が予想され、それから高齢者人口の増大とともにこれが加速化されてまいりますので、医療費を少なくする方法としては定年の延長が一番望ましいと私は思うのであります。特に男は職業を失いますとすぐに死んだり病気になったりする傾向がございますので、職場から墓場へ直行することが理想的かどうかは別でありますけれども、むしろ男は少なくとも六十五歳まで働けるような定年の延長が、第一に医療費を引き下げる間接的な方法でございます。それから、その後は年金で暮らせるような、いわば医療費改正と年金と本当に裏腹の関係にございまして、その後は悠々自適できるような年金、これは今のような官民格差の大きなものがあるのではなしに、一本化するような形で年金制度を整えていただきたい。  それから、そうした中で医療改正というふうなことが考えられるわけでありますが、私は、その中で最も効率的に医療費改正するものとして、水野公述人は予防面だとおっしゃったわけでありますが、その点で全く同感でございます。しかし同時に、今病気になっている高齢者に対してはどうしたらいいかといいますと、今は少しでも病気になりますと全部入院しているのであります。諸外国のほぼ同年齢の同一の病気で比較してみますと、入院日数は欧米諸国の二倍から三倍も入院しているのであります。病気が治りましても、家に帰ると大変なものですから、退院するよりも無理に入院させる、こうした点で在宅ケア、それから通院のいろいろな措置を講ずることができさえずれば、医療費はさらに減額させることができるのであります。  こんなふうに、医療費につきましては直接、間接のいろいろなアプローチの方法がありまして、国民の英知を傾けてやったらどうか。これは医者と社会福祉作業に携わっておる人々と家族と地域社会全体が協力する英知の産物として、軽減できるのではなかろうかと考えております。
  119. 塚田延充

    塚田委員 現在の保険制度における問題点といたしまして、いろいろの問題がある中でも、各制度間の格差、いわゆる平等の問題というものが強く指摘されているわけでございます。  そこで、内山公述人にお伺いいたしますが、特に勤労者の組合健保などの被用者保険でございますが、これは逆に、国民健保側の方からすればいい方のあれを受けておる。それが理想論としての平等化ということになりますと、今度起きております問題の本質になってくるわけでございますけれども、いわゆる一割自己負担反対というような主張とこの平等化の主張の整合性、この辺をどのように考え、どのように調和を図っていくことを提案されるのか、お伺いしたいと思います。
  120. 内山達四郎

    ○内山公述人 御指摘になりましたように、今八つも分かれております保険制度というものに、負担の公平という面から見れば大変大きな問題があると私どもは思っております。したがって、その意味で、本当の意味での平等というものはつくられなければならない。しかし、これは私が最初の陳述で申し上げましたように、それは低い水準のところにそろえるのではなしに、昭和二年以来、戦争中一時期ありましたけれども、守り続けてきた十割給付というものを中心にしながら、いかにしてそこにより低い給付水準というものを近づけていくかということを念頭に置いていきませんと、本当の意味での負担の公平は図られないのではないだろうか。ただ、率直に言って、医療費の高騰の問題、これから先どうするのかの問題、私も陳述で申し上げましたけれども、抜本的な改革と合意の形成、こういうものをいかにすべきかという合意の形成というものができたときには、私どもの中の議論というものもおのずから違ってくるのではないだろうか。ところが、率直に申し上げて、財政負担をいかに軽減するかということで、財政的な見地から今度の問題が出されたことに対する私ども内部の反発、抜本的な改革にメスを入れて、その中で本当の意味での負担公平化を図ろうではないか、そういう論議が十分になされていないところに、今多くの労働組合なり労働団体が強く反発をしている理由があるのではないかと私は思います。
  121. 塚田延充

    塚田委員 保険というのは、本当に困ったときに助けてくれる、これが趣旨だと思うのですけれども、今の制度ですと、高額医療費という歯どめはあるか知らぬけれども、大病、重病した場合に五万一千円か五万四千円か知らぬけれども、いわゆる負担にたえ得るかどうかが問題である。これにつきましては水野公述人がはっきりと指摘されておったわけでございますが、それでは負担の限度額は、現在の生活水準と申しましょうかその辺から考えて、どの程度になると思われるか。今の五万一千円ということを抜きとして、特に地方におられて、いろいろな職業の方を面倒見るような形で指導されておる黒澤公述人の方から、高い医療費で困っている方々のケースもいろいろ知っていると思いますけれども、その辺のところから、負担の限度額をどのくらいと考えるのか、お願いいたします。
  122. 黒澤丈夫

    ○黒澤公述人 極めて専門的なお話で、相当細かい試算をしてみないと、これは軽々に申し上げることができない問題だろうと思いますが、私どもが高額療養費の問題を通じて感じておりますことを一言申し上げたいと思います。  あの制度ができましてから高額の医療費を払う人たちは非常に助かっておりまして、医療制度に対して非常に幼稚な考え方しか持っていない人が一般でございますから、非常に高額の医療費がかかるというので心配している人が多いわけであります。ところが、今言われましたような五万一千円を超えた部分につきましては月々村の方で払うという措置が講じられておりますから、助かったという声が我々に寄せられるケースが非常に多いという点を見れば、あの高額療養費というものをもって医療費の頭打ちをしているという制度は、国民から非常に喜ばれているというふうに評価してもいいのではなかろうかと私は思います。  その金額がどこらということになると、これはちょっと難しい問題で一言で申し上げられません。
  123. 塚田延充

    塚田委員 私が冒頭に申し上げましたように、今度の件につきまして医療供給側がいろいろな理由から反対を述べておられるわけでございますけれども、この件についての御感想と申しましょうか、立場を擁護するのか反対されるのかわかりませんけれども、水野先生の御見解を伺えたらと思います。
  124. 水野肇

    ○水野公述人 僕の商売自体が三等席の外野から眺めているというんで、当たるかどうかわかりませんけれども、医師会が反対しておられるというのは大変微妙に、複雑に絡み合っているいろいろな理由があって、例えば労働組合の方々が反対しておられるというふうなのと同一の理由ではないであろうというふうに私は思います。  それは、基本的に日本医師会というのは、確かに武見さんがよく言っていたようにプロフェッションで学術団体であることには間違いがないわけですけれども、学術団体は金のことを言わないのかというとそうではないわけであります。だから、そういう要素がまず一つあるであろう。  二番目には、医師会が戦後からずっと主張しておりまして、私個人も賛成で三十七年からそう言っているのですが、保険の一本化という問題がここで引き出せるのならという意識は幾らかあるに違いないと思うのです。これは武見さんの一種の悲願でもあったわけですけれども、今日それはほとんどの医師会に根強くあると思うのです。つまり日本の医療の中で、医療費が足らぬ足らぬと言って何だ、かんだ制限を加えてくる場合に、必ず駿河台の中で問題になりますのは、保険を一本にしたらちゃんといくんではないかという議論なんですね。一本にしたちいくかいかないかは私も計算をしたことがないからわかりませんけれども、多分、保険を一本化するということに日医としてはかなり大義名分を感じておられるであろうと私は思う。私も日医の幹部の中に親戚の者がおったりして時々話をするのですが、言外のニュアンスとしてはそういう感じはかなりあるわけであります。  私は、その二点でこの問題が非常に微妙な段階になっているんであろうと思いますけれども、基本的にはやはり、お医者さん全体の収入が減ることにもろ手を上げて賛成なさるということはあり得ないと私は思う。言うならばそれはある種の常識なんではないだろうか、そう思います。  保険の一本化の方は今申し上げたようなことでありますが、もう一つ、技術の評価という問題は非常に根強く思っているわけでして、これは今度の健保改革案とは一見関係がないようですが、実は非常に深いところでは関係があるだろうと思うのです。そういう含みもあるんではなかろうか。ただし私は羽田会長ではありませんから、当たっているかどうかは保証の限りではないということだけ申し添えておきます。
  125. 塚田延充

    塚田委員 時間がなくなりましたので、最後に一点だけお伺いいたします。  今一番の争点となっておる自己負担という問題でございますが、被用者本人に対して自己負担をさせた場合医療費がガラス張りになる、また、それをやることによって医療費適正化に結びつくんじゃないかということを陰に陽に厚生省の方は考えているようでございますけれども、そのとおりと考えられるかどうか、内山公述人の御意見を伺いたいと思います。
  126. 内山達四郎

    ○内山公述人 医療費のコスト意識という面から見れば、さっき私の言ったことと若干違うかもしれませんけれども、私は、一割負担あるいは二割負担導入というものは、医師会の方が言っておられるように受診の抑制ということに当然つながってくるのではないだろうか。その限りでは医療費を抑えるということには役立つであろう。しかし、国民といいますか患者立場に立った場合に、健康の問題をそういったコスト意識の面からとらえることが果たして正しいのかどうか。医療費増大を防ぐためには、コスト意識を導入するという観点ではなしに、先ほどから水野先生初め公述人の方が言われていますけれども、そういった手だてがなされないで、単に一割負担導入すれば医療費の抑制ができるんだということは、私としてはどうしても賛成することはできませんというふうに申し上げたいと思います。
  127. 塚田延充

    塚田委員 公述人の皆様方、どうもありがとうございました。
  128. 有馬元治

  129. 小沢和秋

    小沢(和)委員 公述人の皆さん方には、大変御苦労さまでございます。  初めに、内山さんにお尋ねをしたいと思うのですが、二点あります。  一つは、健康保険本人家族も含めて全体を同じ水準にしていくことが改善だというような考え方がしばしば問題になるわけですけれども、八割というようなところで合わせるとすれば、これは本人家族を合わせると現在既に八八%というような点から見ても、改悪にしかならないことは明らかですし、九割でもどうかというふうに私は思うわけです。こういうような中で十割を崩すということは、ほかの方はアップするからというようなことは言われながら、今のような財政事情の中ではそれは結局のところ口約束だけで終わってしまう、そういう危険が非常にあるんじゃないかと思うのです。そういう意味からも、十割は崩すべきではないと私は主張しておるのですが、この点についてもう少し御見解があれば承りたい。  二つ目の点は、今回の改正が低所得者にとりわけ厳しいものになっておるというふうに私ども考えておるわけであります。特に、日雇健康保険の話がきょうは余り出ておりませんけれども、この日雇健康保険が今度政府管掌健康保険に吸収されました。このために随分保険料の値上がりも我慢をして、それであとは今までと同じだよという話になっておると思っておったら、よくよく調べてみたら、一年以上資格が継続をしていない人については、今まででしたら発病したら無条件に五年間は療養が保証されておったのに、これからは一年しか療養はできないというようになってしまうとか、あるいは傷病手当金の計算の方法が変わるために大幅に傷病手当金が下がるとか、こういうふうな問題が起こっておるわけです。恐らく総評としてもこれを重視して反対ということで取り組んでいただいておるんじゃないかと思います。  この二点について、一言ずつ御見解を賜りたいと思います。
  130. 内山達四郎

    ○内山公述人 先ほど申し上げましたけれども、将来的な展望としてはやはり負担公平化というものは図らなければならないと思うのです。しかし何度も繰り返しますけれども、今度の健保法改正問題の直接の発想というのは、国庫の負担をいかにして削減するかということがやはり発想の原点になっていると私は思うのです。  そうしますと、いろいろな論議がありますけれども、国保を含めて全体として八割とか九割とかいうふうに言われても、私どもはそれを直ちに、はい、そうですがと言って信用するわけにはいきません。やはり十割給付という柱を守る中で、もっと全体としての本質的な、抜本的な論議をお互いにやりながら、国民的な合意を形成する道を選ぶべきではないだろうか。やはり拙速な改定というふうに言わざるを得ないと私は思います。  それから、日雇い労働者の問題についてはお説のとおりでありまして、一番底辺で働いている労働者の問題についての対応は、今先生が指摘されましたように、そういうことであってはならないというふうに私どもは考えております。
  131. 小沢和秋

    小沢(和)委員 次に、水野先生にお尋ねをしたいと思います。  これも二点あるのですが、一つは、先ほど内山さんが、特定承認医療機関あるいは医療標準の問題などにも触れられまして、今後医療が貧富によって格差が生まれてくるおそれがあるというふうに指摘をされました。私はこの点全く同感でありまして、今までは公的保険で、とにかく保険に加入していさえすれば今の日本が到達している最高の水準のものをどなたでも受けることができた。ところが、これからは先端的な医療技術などというのは自分でお金を出さないと受けられないようになっていくであろうとか、保険の対象がだんだん狭まるような状況になっていくのじゃないか、そして後は自分でお金を出して診てもらいなさいという方向に行くのではないかということを非常に懸念するわけですけれども、そうなればそれこそ重大な問題じゃないかと私は思うのですが、この点水野先生はどうお考えか。  それからもう一つは、先生は、医療費を減らす抜本的な対策は予防からリハビリまで一貫した措置を推し進めていくことだというふうに強調されましたし、私も全くその点同感なのであります。しかし、現実には、老人保健法案が審議をされましたときにも盛んにそのことが議論されて、それから一年余りたつわけですが、なかなか思うようにそういう方向に足を踏み出していっていないのじゃないかと思うのです。どこら辺に問題があるというように先生としてはお考えか。  この二点をお尋ねをいたします。
  132. 水野肇

    ○水野公述人 お答えします。  特定医療機関の指定という問題は、私は、先生が御心配されるようなことが絶対にないとは言えないと思うのです。ただ、これは社会保険審議会でも随分問題になったことがありまして、私どもはそのときの保険局の説明を信じておるわけでございますが、そのときの説明というのは、それは非常に特殊な例である、例えば心臓移植とか試験管ベビーとかいったものであるという御説明であったわけで、今度は別の立場から、今の試験管ベビーのレベルであれを健康保険に採用せよと言われたら、私は審議会の委員としては反対したいわけであります。心臓移植もやはりどうかなと思うわけであります。そういう意味で、どういう指定の仕方をするかということがもう少し事細かに議論されて、一定のラインが出れば、私は今先生のおっしゃったような方向に行くばかりではないと思います。  それから、二番目の問題は、確かに先生のおっしゃるような見方もできるだろうと僕も思うのですけれども、私も公衆衛生審議会の委員をしておりまして、しかしそうは言うものの、老人保健法が施行以来多少は検診率も上がっているわけです。ただ、急激に上がらないという点は確かに我々も残念に思っておるわけであります。普通、前は一般の人を対象者に検診を受けにこいという呼びかけをいたしました場合に八%ぐらいだったのです。それが今は九%から一〇%の間ぐらいで、少しは国民も考えてくださるようになってきたと思います。しかし、私の希望では、これは三〇%に上げないと医療費ががくんと減るところまではいかないのではないか。一〇〇%というのは無理なんです。戦前結核が九十何ぼやらとおっしゃいますけれども、ああいう強制力を持ったものには多分できないと思いますので、そういうことは不可能だと思いますけれども、ただ、一般の企業あたりでは八八とか九〇とかやっている会社は結構ございまして、全部を押しなべると何ぼになるかというのはまだ計算はできてないですけれども、少しずつ上がっていっている。この問題はもちろん厚生省も御努力いただきたいと思いますけれども、やはり国民なんです。だから、国民の意識にどう訴えるかというノーハウあたりをもう少し先生方も含めていろいろ御議論いただいて、私どももマスコミなんかとの関係で御協力して意識を変えていく、つまり年に一回チェックするのはもうあたりまえのことだということになりましたら、私がさっき申しましたように三割ぐらいの老人医療費はさっと減ると思います。ただ、現在病気になっている人はこれは何か別の角度の話になりまして、特別養護老人ホームをふやすとかなんとか、そういう希望は非常に強いことも事実でありますが、大体そういうことじゃないかと思います。
  133. 小沢和秋

    小沢(和)委員 時間が来たということですけれども、最後にあと一言だけ、黒澤村長さんにお尋ねをしたいのです。  今もちょっとお尋ねしました医療費を減らす抜本策ということで、いわゆる保健事業、あなたのところで非常に力を入れて成果を上げておられるということを先ほどお伺いして、非常に心強く思いました。しかし、今全体として自治体に対する政府の財政的な措置もどんどん厳しくなってきているわけです。今度の老人保健法ではかなり自治体の負担が増すような仕組みになっておりますために、やりたいと思っても、財政的な問題やらで非常に困難を感じておられるのじゃないかと思うのです。先ほど保健婦が足りないというお話はあなたからも出たと思いますけれども、それも含めて直接そういうことに熱心に取り組んでおられる立場から、今後保健事業をさらに進めていくためには国に対してどうしてほしいとお考えになっていらっしゃるかもう少し補足的に承りたいと思います。  これで終わります。
  134. 黒澤丈夫

    ○黒澤公述人 お答えいたします。  私の村では、先ほども申し上げましたように、四十三年から成人病を対象にそういうことをずっと続けてきておりますが、大体受診率は、そこに参加する者は七五%から八〇%まできております。最初は、そういう呼びかけを保健所の先生が来てやってくださってもなかなか村民自体が言うことを聞きませんでした。私自身もそれほど真剣な姿勢でなかったと今では反省しております。しかし、やってみますと非常にその成果があらわれてきた。最も端的なのは、言うことを聞かない人から先に閻魔様が連れていってしまった、こういうことでございます。そうなりますと、どうしても、残っている人は保健所の指導を一生懸命受けて、生活を保健所の言うように改めていく必要がある。減塩生活も必要だ。またバランスのとれた食生活も必要だ。冬は暖かいところに寝起きすることも必要だということになりまして、非常に成果があったというふうに思っております。  私のところも保険税は先ほど住民税よりも高いのだということを申し上げましたけれども、去年までの統計から見ますと、それでも群馬県では一番低いというようになっているのも、若干この成果が上がっているものというふうに私は思っておる次第でございます。  費用はかかります。ですから、この点は、まず一律ではなくて、積極・真摯な姿勢でそういう問題を取り上げて実行に移したところは、いろいろな角度から格別な補助制度というものを設けていただいて、これこそ積極的に政府が指導し助長するような政策をとっていただきたいと思うわけであります。  私は、率直に申し上げまして、これは市町村長の姿勢にかかっている問題だ、先ほども申し上げましたように、沢内村の深沢村長のような立派な人がいるなら、全市町村でできない問題では断じてないというふうに思っております。
  135. 小沢和秋

    小沢(和)委員 終わります。
  136. 有馬元治

    有馬委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。  公述人各位には、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  これにて公聴会は終了いたしました。  次回は、明五日木曜日、午前九時三十分理事会、午前十時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後四時五十一分散会