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1984-08-02 第101回国会 衆議院 社会労働委員会 第31号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十九年八月二日(木曜日)     午前十時三分開議  出席委員   委員長 有馬 元治君   理事  愛知 和男君 理事 稲垣 実男君   理事  小沢 辰男君 理事 丹羽 雄哉君   理事  池端 清一君 理事 村山 富市君   理事 平石磨作太郎君 理事 塩田  晋君       伊吹 文明君    今井  勇君       古賀  誠君    斉藤滋与史君       自見庄三郎君    谷垣 禎一君       友納 武人君    長野 祐也君       西山敬次郎君    野呂 昭彦君       浜田卓二郎君    網岡  雄君       河野  正君    多賀谷真稔君       竹村 泰子君    永井 孝信君       森井 忠良君    大橋 敏雄君       沼川 洋一君    橋本 文彦君       森本 晃司君    塚田 延充君       浦井  洋君    田中美智子君       菅  直人君  出席政府委員         厚生大臣官房長 幸田 正孝君         厚生大臣官房審         議官      古賀 章介君  委員外出席者         参  考  人        (社会保障研究所         所長)     福武  直君         参  考  人        (中央大学教授) 丸尾 直美君         参  考  人        (日本経営者団         体連盟臨時年金         制度検討委員会         委員長)    森岡 道一君         参  考  人        (上智大学教授) 小山 路男君         参  考  人         (年金評論家) 橋本 司郎君         参  考  人        (岐阜経済大学教         授)      平石 長久君         社会労働委員会         調査室長 石黒 善一君     ――――――――――――― 八月二日  保育予算増額保育所制度充実等に関する請願佐藤誼君紹)(第九五一九号)  現行保育制度堅持等に関する請願中野四郎君外十二名紹介)(第九五二〇号)  食品添加物規制緩和反対食品衛生行政充実強化に関する請願梅田勝紹介)(第九五二一号)  同(田中美智子紹介)(第九五二二号)  同(中林佳子紹介)(第九五二三号)  同外二件(藤田スミ紹介)(第九五二四号)  障害者福祉法の制定に関する請願田中美智子紹介)(第九五二五号)  同(平石磨作太郎紹介)(第九五二六号)  児童扶養手当制度改悪反対に関する請願中島武敏紹介)(第九五二七号)  同外一件(森井忠良紹介)(第九五二八号)  国立腎センター設立に関する請願中島武敏紹介)(第九五二九号)  保育予算大幅増額等に関する請願外一件(菅直人紹介)(第九五三〇号)  同(山原健二郎紹介)(第九五三一号)  心臓病児者医療充実等に関する請願佐藤祐弘紹介)(第九五三二号)  同(森井忠良紹介)(第九五三三号)  はり、きゆう治療患者救済に関する請願田中直紀紹介)(第九五六〇号)  職業安定法等の一部を改正する法律案反対に関する請願浦井洋紹介)(第九五六一号)  同(田中美智子紹介)(第九五六二号) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 八月二日  地域保健医療対策拡充強化に関する陳情書(第四四二号)  児童扶養手当制度改悪反対に関する陳情書外八件(第四四三号)  留守家庭児童対策に関する陳情書(第四四四号)  国立病院療養所の存続に関する陳情書外十一件(第四四五号)  老人保健制度充実強化に関する陳情書(第四四六号)  痴呆性老人福祉対策に関する陳情書外三件(第四四七号)  障害者年金創設等に関する陳情書(第四四八号)  国民年金法改正促進に関する陳情書外十五件(第四四九号)  優生保護法改正に関する陳情書(第四五〇号)  重度戦傷病者と妻の援護に関する陳情書(第四五一号)  はり、きゆう治療保険適用拡充に関する陳情書外一件(第四五二号)  公的年金制度統合等に関する陳情書(第四五三号)  簡易水道上水道施設整備促進に関する陳情書(第四五四号)  使用済み乾電池の処理に関する陳情書外十二件(第四五五号)  食品添加物規制に関する陳情書外七件(第四五六号)  労働行政体制確立に関する陳情書外一件(第四五七号)  民間林業就労者雇用安定労働条件等改善に関する陳情書(第四五八号)  パート労働者労働条件改善に関する陳情書外二件(第四五九号)  職業安定法等改悪反対に関する陳情書外一件(第四六〇号)  失業対策諸事業に関する陳情書(第四六一号)  労働行政充実に関する陳情書外二件(第四六二号) は本委員会参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  国民年金法等の一部を改正する法律案内閣提出第三六号)      ――――◇―――――
  2. 有馬元治

    有馬委員長 これより会議を開きます。  内閣提出国民年金法等の一部を改正する法律案を議題といたします。  本日は、本案審査のため、参考人各位から御意見を聴取いたします。  御出席願います参考人は、午前、社会保障研究所所長福武直君、中央大学教授丸尾直美君、日本経営者団体連盟臨時年金制度検討委員会委員長森岡道一君。午後、上智大学教授小山路男君、年金評論家橋本司郎君、岐阜経済大学教授平石長久君であります。  この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  参考人各位には、御多用中のところ御出席をいただき、まことにありがとうございます。本案審査参考にいたしたいと存じますので、それぞれのお立場から何とぞ忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。  なお、議事の順序でございますが、参考人各位から御意見を十五分程度お述べいただき、次に委員諸君からの質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、まず福武参考人にお願いいたします。
  3. 福武直

    福武参考人 福武でございます。  このたびの年金改革案は、私にとりまして十年来の夢が実現する端緒になるものでございまして、私は早急に成立させていただきたいと存じます。  なぜそのように考えるか、若干申し上げて、その後幾つかの問題点につきまして私見を述べさせていただきます。  私は、もともと農村社会学専攻者でございまして、農林省関係の農家と社会保障との関連の調査にかかわりました。それは農業者年金創設に関連するものでございましたので、その関係上、農業者年金を審議いたします国民年金審議会専門委員になりました。その後引き続いて、国民年金審議会委員を二期四年務めたわけでございますが、全くの素人でございまして末席を汚したにすぎませんでした。  しかし、その間、国民年金基礎年金として名実とも国民年金になり、これに国庫負担を集中して、それを超える年金につきましては各年金集団がそれぞれの条件において構成すればよくて、それらの年金には国庫からの拠出がなくてもよいというふうに考えるようになりました。  また、国民年金個人単位年金であることに注目いたしまして、婦人年金権を確立するために、無業主婦国年強制加入にするようにすることが必要であると考えました。  そして、一九七五年に国際婦人年が始まりまして、婦人問題企画推進会議の一員になったわけでございますが、翌七六年、推進会議意見を取りまとめるに当たりまして、私は、個人別基礎的部分を設けること、年金個人単位のものに再構成することを指摘いたしました。当時は年金世帯単位が常識でございましたので、そうすべきであるとは言い切れませんで、一つ方向として検討する必要があるというふうに表現を弱めたことを記憶しておりますが、それ以外に改革方向はないと素人ながら確信したわけでございます。  しかも、年金につきましては既得権を侵害することができませんし、期待権もある程度尊重しなければなりませんから、何とか早く改革が行われるようにと素人ながら気をもんでおったわけでございます。  したがいまして、翌年の七七年末に社会保障制度審議会が、「皆年金下の新年全体系」を建議されましたとき、改革の動きを刺激するものとして歓迎いたしました。しかし、この建議は、世帯年金に固執しており、無業主婦被用者年金保険に抱え込もうとしているわけでございますが、それについては反対でございました。また、基本年金目的税によって賄うということにも賛成できませんでした。  さらに、同じころ、年金制度基本構想懇談会中間意見が出たわけでございます。これも改革への胎動が大きくなっていることを予感させるものとして喜んだわけでございますが、実に歯切れが悪くて、私はいら立ちを感じました。  そういう不満といら立ちが、素人が口を出すべきことではないと考えておった原稿を書こうという気持ちを起こさせました。その原稿が、ある年金関係の雑誌に載ったのは一九七九年早々のことであります。その小論の中で、私は、国民年金を全国民を通じての基礎年金とし、婦人強制加入とすること、社会保険方式は存続させ、国庫負担はこの基礎年金部分に集中し、これを超える部分への国庫からの拠出はなくすこと、ただし、インフレによる減価分に対しては国庫から補償することなどを主張いたしました。  その後、一九八一年の初頭、私は断り切れませんで社会保障研究所をお預かりすることになったわけでございますが、最初に手がけました仕事は、年金改革について研究してもらいまして、研究所研究叢書一つとして刊行することでございました。その成果は、一九八二年の秋「年金改革論」として出版されましたが、そこで述べられている改革方向は、おおむね今回の年金改革と軌を一にするものだと理解しております。  私は、この本におきましては、午後の参考人小山路男君に主宰してもらいまして、序文を書いたにすぎません。しかし、所長になってみますと、素人だ、専門家ではないというふうに言いわけばかりするわけにもいきませんので、視力が落ちました目をかばいながら、思考力が落ちた頭にむちうちながら、多少勉強し、若干の文章を書きました。その文章を書きまして一本にまとめたわけですが、その中で、年金に関する部分におきましては、国庫負担最低保障基礎年金部分に投入され、所得比例部分にまで及ぶべきではないということを繰り返し強調いたしました。  こういうわけで、このたびの改革案は、私が年来考えてきたものに近く、綿密な経過措置配慮されておりまして、私は高く評価したいと思います。  この改革案が恐らく最も批判されるのは、基礎年金水準が低過ぎるということかと思います。私も、一九七九年、前述いたしました小さな論文を書きましたころは、はっきり明記はしておりませんけれども、国庫負担基礎年金の半分ぐらいにしたいというふうに考えました。しかし、その後、老齢年金は全国民を対象にするものでありまして、制度審の六二年勧告で述べておりますように、生活保護基準を上回るかあるいは同程度、そういうふうに考える必要はないというふうに思いました。言いかえれば、基本的に生活を支える基盤になればよいと考えるようになりました。老齢年金ミニマム生活保護ミニマムは異なってよいというわけでございます。そして、年金に手厚い国庫負担をつけるよりも、そのお金は、十人に二人の六十歳以上の高齢者、しかも、そのうち一人が七十五歳以上というふうな今後の高齢社会を考えますと、本当に困った場合にも安心できるように、福祉サービス拡充に回すべきだと考えます。  また、基礎年金は、制度審がかつて構想いたしましたように、税方式によって賄うべきだという意見もあろうかと思います。確かに無年金者はなくなるわけでございます。しかし、そうするには膨大な費用がかかります。そして、他の財政支出と競合したり、あるいはまた税収の変動があったりいたしまして、現実的には低い水準に抑えられる可能性が大きいと思います。また、税方式という方式上、所得制限を必要とするというようなことも生じます。将来、使途を明確にした目的税創設し、しかも社会保障勘定一般勘定から分離するというような制度ができ上がるといたしますならば、こういったことも可能かと存じますが、その場合にも、前に申しましたように、国庫負担によって年金額をいたずらに高めるよりも、福祉サービス充実の方に使っていただきたいものだと考えております。  また、今回の改正一つの目玉であります婦人年金につきましても、独身婦人独身男子専業主婦に水平的再分配を行うというような、そういう批判があろうかと思います。現在、現実に任意加入していない主婦たちは、制度が改められましても、保険料拠出できないで無年金者になるというような実際的な配慮と、あるいは医療保険の場合にも同様な仕組みだというふうな考え方から、個別の保険料負担を要しないという仕組みにしたものと考えますが、今回のところはやむを得ないことだというふうに思います。  ただ、将来の課題といたしましては、子供の養育期間や老親の介護期間などを免除しながら、専業主婦保険料を納付するようにすべきかとも考えますが、それらは、社会保障システムの全体の整合性を考慮しながら、今後追求すべき課題であろうかと思います。  なお、障害年金がこの改革によって改善されることにつきましては恐らく異論のないところかと考えますが、ただ一つ、現在の改革案におきましては、成人した後の学生に障害が生じた場合無年金になるという欠陥がございます。この点につきましては私は早急に手直ししていただきたいと考えます。  さらに、改革の結果、厚年グループ国年グループの間では、全体の年金額におきましてかなり大きい格差が生じます。そこで、国年グループにつきましても二階建て年金を構成するようにしたいと思うわけでございますが、それは極めて困難なことかと思います。しかし、将来の課題として工夫を凝らす必要があると考えます。  以上、限られた問題点につきまして私見を述べさせていただきましたが、年金改革は急を要することでもありますから、できるだけ早く成立させていただきたいと願ってやみません。そして、早急に第二段階としての共済年金との統合一元化に歩み出してもらいたいと思います。  最後に一言つけ加えますと、私はもう一度大きな改革をしなければならないときが来ると考えます。今回の改革案における給付負担につきましては、ほかの専門家の御意見もあろうかと思いますけれども、私といたしましては、現在設定されておる厚生年金の、直近男子平均標準報酬月額に対する標準的な年金額比率六九%というのは、高過ぎると言われる日が必ず来ると思います。また保険料率二八・九%も高過ぎます。したがって、六十五歳までは働ける仕組みをつくり上げるという困難な課題に挑戦しながら、六十五歳支給にし、厚生年金給付額も若干下げるという改革が必要になる日が必ず到来するものと思います。二十歳以上六十四歳までの人々が、三人半ほどで六十五歳以上の高齢者一人を支えるというのが二十一世紀高齢社会現実でございます。そういう現実がこのことを要求すると考えるからでございます。そのような高齢社会はとかく陰うつなイメージを伴いがちでございますが、その高齢社会を老いも若きもともに喜び合える明るいものにするためには、財政対策としてではなく、福祉対策として社会保障の全体的なシステム改革されなければならないと思います。このたびの年金改革はそのための一つの大きなステップであります。その誕生が一日も早からんことを願うのも、こうした視野に立つからでございます。  どうもありがとうございました。
  4. 有馬元治

    有馬委員長 ありがとうございました。  次に、丸尾参考人にお願いします。
  5. 丸尾直美

    丸尾参考人 私も、今回の年金改革案は非常に評価さるべきものを持っておりますから、成立させる方向でいくべきではないかという点では同じでございます。  どういう点で評価するかといいますと、第一に、基礎年金を一応制度的に導入したということ、第二に、基礎年金プラス報酬比例型年金制度といういわゆる二階建て年金構想、これは古くは一九七二年、現代総合研究集団が提言し、それ以後社会保障制度審議会社会経済国民会議、公明党、民社党各党だんだん同じころ導入した制度でして、広く国民合意に立っているという点で、そういう方向で一元化してきたということを評価するわけです。  第三番目に、婦人年金権を一歩前進させたということ。  第四に、既得権期待権を損なわないような形で上手につないでいったということ。  それから第五番目に、やり方ですけれども、社会保障制度審議会年金懇等の答申を一応制度的方向としては尊重し、さらに有識者世論調査などを通じて慎重な形で改革を進めてきた、そういう点で評価さるべきではないかと思っております。  しかし、今後の方向として、先ほど福武先生が言われましたけれども、もう一度一層の改革が必要となるということは私も感じます。ですから、将来の改革と不整合にならないように、今回、まずやれることは早急に改革して、その後未解決の問題を十分配慮し、それを近く解決するという形で、今回の改革を進めていただきたいと思う次第であります。  どういう点で問題があるかといいますと、全くの私見ですけれども、第一に非常に大きなところから申しますと、まずこの基本的な原理原則というものが明確でない。基礎年金にしましても、それがどういう性格のものであるのか、あるいは二階建てにするという根拠はどこから来るのか、あるいは婦人年金権と男女平等との関係等あらゆる点についての基礎的な理念というものなり原理原則がないと、将来改革してさらに補っていく場合ばらばらなものになってしまうおそれがある。そういう点で、はっきりとした基本原理原則を立てて、首尾一貫した形で将来も年金改革を進めていくし、さらに改善する場合にもその原則を十分考慮してやっていくという形で、本当に整合的なものになると思います。  第二に、そこから総合システム的な発想というものが必要であろうと思います。  第一に、年金だけでなくて、例えば年金を支える就業者給付を受ける人との比率とか、それはまた、さらには人々就業率、特に今後の婦人就業率高齢者就業率等によって年金財政というものは非常に影響を受けできますけれども、そういう面との整合性が十分にまだ考慮されていませんし、ですからまた、年金財政見通しも非常に不確定なものになっているわけです。  それから第二に、基礎年金も、将来基礎年金ががっちりできできますと、生活保護との関係をどう調整するとか、イギリスとかスウェーデンでは、基礎年金ができると、そういう人々生活保護を受ける場合も生活保護ではなくなって、年金の補完という形になりまして生活保護をなくしていくという方針であるわけですが、そういう面とか、あるいは老人福祉サービスとの関係とか、相互の関連する政策との整合性というものがほとんど考慮されていないということ。  それから第三番目に、将来の共済年金との関係、これはまだ審議してないからやむを得ないと思いますけれども、どういう形で統合するか。いわゆる官民格差の是正の問題についても基本的な方向明決でないということ。  それから四番目に、年金制度そのものにつきましてもシステム的な発想が非常に乏しいこと。例えば、二十数年前につくられたスウェーデン年金制度での基礎年金というものは、そこに基礎額があり、この基礎額がすべての年金制度社会保障給付メートル原器のような役割を果たしている。それによってすべてリンクしていて自動的に動いていく。年金ポイント基礎となるし、企業年金基礎にまでなっている。非常にシステム化されている。そういうような発想で組み立てていくという配慮がないわけです。今後コンピューター化情報システム化が進んでいきますから、そういう点で論理的に明快であり、システム化されていますと、将来の年金財政管理運営につきましても非常に効率的に行えることになりますから、そういう点が必要ではないかと思います。  全体として非常に名人的な職人的なつなぎの技術とか、それから当人やある制度加入者が気がつかないうちに自然に既得権期待権を切り崩していくやり方とか、各制度の有利な人が余り気がつかないうちに制度間の調整をするとか、知らないうちにだんだんと政府負担が小さくなっていくとか、そういうところは非常に名人芸的な上手なところがあるわけです。しかし、それは一たんそういうことがわかりますと非常に反発を買うわけでして、やはりそういう点は、御苦労されたことはわかるわけですが、私としては明快にして合意を得ていくという方が好ましいと思うわけです。  それからもう一つの特徴は、これも一種の官僚の方の権限保全的な自己本能、公共選択論的に言いますとそういう言い方をしますけれども、要するに自己利益保全本能なのかもしれませんけれども、あるいはもう一つ日本国民性かもしれませんが、非常に裁量余地を残しておくということですね。スウェーデン型のようなやり方ですと非常にぴちっといってしまって裁量余地が少ないわけですけれども、いろいろなところで裁量余地を残しているということがあるわけですが、将来の方向としてはよりすっきりして明快であるということを期待したいわけです。  大きな第三点は、基礎年金の問題であります。これは先ほど福武先生のお話しがありましたように、一応基礎年金といいますと、共通普遍的に条件に達したすべての人に支給するということ、第二にそれ自体国民最低生活を保障するということを少なくとも意図するということ、第三番目に長期間の拠出を必ずしも必要とせずに国民生活権として支給される、そういうのが我々の考える基礎年金でありますけれども、基礎年金という名前を使いながら、事実上は、今言いましたことの一部しか条件を満たしていないという点で、若干羊頭狗肉といいますか、看板に偽りがある。そういう基礎年金といういいイメージで若干幻想を抱かしているという点があるのではないかと思います。これが幻想にならないようになるべく早く基礎年金を成熟させる、基礎年金を成熟させるという言葉自体形容矛盾かもしれませんが、事実上そういうことをする必要があると思います。  財源問題がありますから非常に困難なのはわかりますけれども、いろいろ調整をしていく。基礎年金充実すると生活保護は減っていくとか、基礎年金が本当に充実すればある程度今後ふえてくる老人福祉サービス利用者負担を課すことができるとか、あるいは基礎年金でもさしあたりは夫婦で一緒のところがあれば調整して減額するとか、いろいろな形でやっていって、そして総合的にやっていけばどれぐらいになるかということはわかりますし、そういうことを少なくとも見せて、何年ぐらいで本当に基礎年金を導入するかということを考えていく必要があると思います。将来は軍人恩給とか老齢福祉年金はどんどん政府負担が減っていきますから、そういうことを考えていきますと必ずしもやれない問題ではない。もし早目に基礎年金をやればどれぐらいの財源でやれるかということを明快にして国民に選択させる。国民は何もかも負担は嫌だと言っているわけではないわけでして、アンケート調査などによりますと、相応の負担ということは考えているわけでして、そういう点で明快にして、合意を得て成熟化を早める必要があるのではないかと思います。  第四に、年金支給開始年齢をおくらしていくということ、将来、六十五歳までにするということを明示できなかったということはこれまでの経過からやむを得ないところもあるわけですが、将来は明快にして、今回もインプリシットにはそうなっているわけですが、そのつなぎの問題ですね。将来六十五にしていく、そして六十から六十五に、よく各種団体で提言された部分年金部分就労の方式を導入するとか、それと同時に、今回、これまでの在職年金制度を経済合理性等の観点からもう一度根本的に見直すという必要があると思います。特に、厚年の在職年金と共済の在職年金との非整合の問題、一種の格差の問題とか、そういう点もこの機会にすべて合理的な観点から調整していく必要があると思うのです。  それから第五番目に、国民年金はこのままですと付加年金もないという形になりますから、この問題につきましても、近い将来に選択的、段階的な付加年金部分、これは御承知のように所得捕捉が困難ですから、選択制にして、数段階設けてその段階を選ばせる、それをポイント制によって年金給付に計算していくという方式を導入すべきだろうと思うのです。それとの関連で、年金ポイント制というものを導入することによって、退職したときのいつの所得にリンクさして年金額を決めるかによって給付が非常に不公正になる、例えば安全共は非常に有利であるとか厚生年金の場合はそれに比べて不利であるとか、そういうのをなくするためにも年金ポイント制を導入していく必要があると思う。  それから第六番目になりますが、婦人年金権を一層明快にしていくことが必要である。特に四十歳未満の手なしの妻のような場合、離婚の場合等の配慮をもっと十分していく必要がある。この四十歳未満の妻の場合には、年金というよりも特別優先雇用助成のような形で、そういう点でも雇用制度との整合化を進めていく必要があるんではないかと思います。  それから第七番目に、将来、所得税や保険料率が高くなってくることは明らかであるわけです。そういう場合の現役の賃金とのバランスを、そういうものを取り除いた可処分所得で六九%にするのかそうでないのか、そういう点非常にはっきりしていないわけでして、こういう点は明快にしておくことが必要であると思うのです。  それからまた、標準報酬と総賃金との比率も、現存の比率がいつまでも同じであるという理由は何もないわけでして、そういう点に関しても明快な回答を出しておくということが好ましいのではないかと思います。  それから最後に、年金とか社会保険料すべてやっていきますと、将来どれくらい費用負担が必要になるか。そうしますと、その負担をしていくと、経済成長率が例えば三・五%で収入がこれだけふえていく、その場合に、それだけ負担がふえていくと手取りは幾らぐらいになるかとか、そういうことを明快にしていくと、どれくらいの負担で手取りがどれくらいふえ得るかというようなことも国民ははっきりわかるわけです。そういうことも、これは法律自体ではないけれども、関連してはっきりさしておいて、社会保障も福祉であるし、手取りの所得がふえることも福祉である。その選択を国民が選べるという明快な形をとっていくことも将来必要ではないかと思います。  私、今述べましたことはすぐできることだけではありませんけれども、今回の改正の場合にも、可能なものは導入していき、今回できない場合には、あくまでもそういう新しい将来の方向との改革整合性を十分考慮に置いて、今回の改革を進めていただきたいと思います。(拍手)
  6. 有馬元治

    有馬委員長 ありがとうございました。  次に、森岡参考人にお願いいたします。
  7. 森岡道一

    森岡参考人 ただいま御指名いただきました森岡でございます。  今次の年金制度の改定に当たりまして、改定案が出されて御審議されておるわけでございますので、法案の内容その他、いろいろもう御議論もされておりますので、余り細かいことを申し上げる時間もありませんし、省略させていただいて、私は大筋の考え方だけ申し上げたいと思うわけでございます。  今般改正されるということになりまして、ことしの一月に日経連といたしまして、技術的な細かいことは別にいたしまして、基本的な考え方というものをお出しいたしまして、これを各方面の御参考にしていただきたいというものを出したわけでございますが、今日は、そのとき出しました考え方というものの上に沿って、私の考え方を申し上げていきたいというふうに思います。  改めて申すまでもございませんが、我が国は、世界に類例を見ないほどの速度で目下高齢化が進んでおるということは御承知のとおりであり、二十一世紀の前半になりますとこれがピークになるということで、最近特に大蔵は大変だということの機運が盛り上がってきたわけでございます。  しかも、そうなってまいりますと、当然、高齢化の進展に伴いまして、年金あるいは医療等の分野におきましては、それに要する費用というものが恐るべき膨大な傾向をたどっていくということも予想されるわけでございますが、ただ、御承知のように、我が国の経済あるいは財政の環境というようなものが、かつての黄金時代のようにどんどん賄う財源がふえていくという状態はとても期待できない。そういった年金あるいは医療等に増大していくであろう費用を吸収する財源というものについては、極めてその余地が限られたものになってくることを心配しておるわけでございます。  社会保障制度におきまして、これらの環境変化への対応策を、この際十分に先を見て確立をしておかなくてはならぬということはまことに急務であるわけでございますが、特に公的年金というものにつきましては、現在でもそうなっておるわけでございますし、将来ますますそうなるであろう、国民の老後生活の中心的な手段であるというふうな期待がかけられるわけでございます。また、この制度を維持してまいるということのためには、現役とリタイア組といいますか、若い支える方と支えられる者との二つの世代にわたります合意というものの上に成り立たった制度でなければこれがうまく運営されていかないので、そういうことも必要であり、かつ、そういうものをスムーズに確立し、運営していくためには、極めて長い時間がかかるものであるということも我々十分考えておかなければならないところであろうと思うわけであります。  公的年金制度の現状を見ますと、残念ながら高齢化社会の到来というものに備えるに足る十分な対応策がとられておりませんので、これをこのまま存続するに当たりましては、給付負担の両面におきまして常識的な水準を超えるようなおそれが内蔵されており、国民生活上の調和を失わせるようなことの危惧もあり、またそれぞれの八つの年金が分立して成長しておりますために、そういった制度間におけるいろいろな差異が国民全体の不公平感を醸成しておるというような、幾つかの年金関係における構造的な問題が内在しておりますので、この高齢化社会が不可避である以上は、このことに対する問題の是正に早急に満目し、早くその手を打っていかなければならぬ必要があることを痛感しておるわけであります。  その意味で、現在審議いただいております年金制度改正政府案というものにつきましては、基礎年金というものを構想し、それの土台の上に新しい将来の年金というものを組み立てていくというような構想、また、そういうことによって各制度間の整合性を確保することも容易にし、また制度間の重複、あるいは過剰給付と言われるような問題の排除等、給付負担水準の適性化、あるいは障害年金の改定等、機能と財政の両面にわたりまして、制度の安定のために必要な改善方向が示されたものであるというふうに私ども認識いたしておりますので、これらの現状からの移行につきましてもまた、急に焦らず、かなり我々から見ると少しロングランな感じもしないでもないくらいにゆっくりと時間もどって、スムーズに移行するというようなことも十分に配慮されているように思いますので、私どもはこういった内容について早急に審議が進められまして、予定されておりますような六十一年の四月からの実現ということができますように、ぜひそうあってもらいたいということを念願をしておるわけでございます。  以上のように、政府案は一応妥当なものと考えておりまして、これの早急な成立を期待するものでございますが、なお、これに関連いたしまして、この際一、二要望を申し述べておきたいというふうに思うわけでございます。  第一は、インフレーションの問題でございます。  公的年金は、大体その長所としてスライド制が内蔵されておるということが非常な長所で、ほかの制度ではなかなかこういうことがうまく行われないわけでございますが、制度の安定という点から考えますと、このインフレーションというのはまことに困ったことになるわけでございます。年金の名目支給額がうんと増額してまいりますというようなことから、年金財政基盤の正常な運営、その推移というものを損なうものとなるわけでございますので、いわば年金の大敵であるというふうに考えられるわけであります。したがって、高齢化社会における諸施策の基本は、やはりインフレを引き起こさないでやっていくということを基本原則として、一層その認識を強めてやっていただくことをぜひお願い申し上げたいというふうに存ずるわけでございます。  それから第二番目は、今後の給付負担の問題でございます。  今般の改正が実施されました場合、厚生年金につきましては、成熟時におきまして給付水準が現役勤労者平均給与の六九%程度となり、また負視については、六十歳、六十五歳という二段の変遷はあろうかと思いますけれども、仮にこれを最終的に六十五歳になったというふうな前提で考えましても、二四%程度保険料率ということになるような設計になっているように私ども承知いたしておるわけであります。この点について、これが高いのか安いのかということについても御議論があろうかというふうに思いますけれども、私どもといたしましてはややこれは多いんではないか、これで経営が十分やっていけるのかどうかという感じがしないでもございませんけれども、しかし、制度というものを移していくのに、やはりスムーズになだらかに無理なく移行していくということが一番こういった制度については大事な問題でございますので、現状からのなだらかな移行という観点から考えまして、今回の改正程度というものもやむを得ないものであるというふうに考えておるわけでございます。  しかし、今後給付負担というものがバランスを失したり、あるいは水準が総体的に行き過ぎたものとなるような現象が出てくるというようなことになってまいりますと、やはり受給者の側としては自助の精神が損なわれるようなことも起こりかねませんし、また、負担世代においては過重な負担というふうな不満感が起こるということにもなりかねない問題が内蔵されておるというふうに考えるわけでございます。それらは、ひいては現役からの引退志向を促進するというようなおそれもあり、また勤労意欲の喪失にもつながるというようなことでもあり、企業も含めました我が国社会経済の活力維持という点から考えますと、甚だ好ましくない結果をもたらすおそれもないわけではないということを考えるわけで、したがって、負担給付という問題につきましては、年金制度の安定性と健全性というものが十分に皆の納得の上で維持されるように、そういうことを理念として、ことし改正されましても、その後においても、やはり我が国の状況を見定めながら、継続的にそういった検討というものは当然考えられていかなければならない問題であろうというふうに思います。  それから第三に、年金積立金の運用の問題でございます。  今後、最終的にはどんどん賦課方式になってまいるということはもう皆さん御承知のとおりでございますが、賦課方式になるにしましても、現在までにある積立金、さらに今後当分はふえていく積立金というものが、やはり将来の賦課方式時代の運営というものにも少なからぬ役割をなすということは間違いのない事実でございます。したがいまして、そういう大事な運営上のプラスサイドに立つ年金積立金というものにつきましては、保険料拠出者の立場から考えますと、その運用に際しては、安全ということは大事でございますが、安全ばかりでなしに、もっと安全の上にさらに有利ということもあわせて追求して、価値の維持強化に努めるということも、管理者としてぜひお考えいただかなければならない責務ではないかというふうに存ずるわけでございます。  最後につけ加えたいのは、世上言われておるいわゆる官民格差の解消という問題でございます。  今回の公的年金改正によりまして、制度格差というものは、公的年金制度の一元化構想というものが既に政府からも出されておるわけでございますが、やはり今回の年金改正も、そういった方向への一つの手がかりとしての改正という意味も入っておるというふうに思いますので、公的年金制度全般の一元化構想の中でこれが解消されていきますような御工夫、御努力をぜひ御期待申し上げたいということを申し上げて、私のお話を終わらしていただきたいと思います。
  8. 有馬元治

    有馬委員長 ありがとうございました。  以上で参考人の御意見の開陳を終わりました。     —————————————
  9. 有馬元治

    有馬委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。自見庄三郎君。
  10. 自見庄三郎

    ○自見委員 本日は、お暑い中、本当にわざわざ国民年金法等の一部を改正する法律案の当社労の委員会参考人として出席いただき、また、大変貴重な御意見をお伺いいたしましてありがとうございます。深くお礼を申し上げます。  そこで、若干の質問をさしていただきたいと思いまして、一番最初の福武参考人に質問でございますけれども、婦人年金問題でございます。  昭和三十六年以来、先生御存じのように国民年金になりましたけれども、それ以来、今さっき三人の参考人からも出されましたように高齢化社会に非常になった。それから産業構造、就業構造等の変化も非常にございました。また人口構成も、私は昭和二十年十一月五日の生まれでございますけれども、私の後、昭和二十二年、二十三年に生まれたいわゆる団塊の世代というのが今ちょうど三十六、七ぐらいでございまして、この人たちが年金をいただくときには大変なことになるという、そういった現象でございます。  今回の改正いろいろありますけれども、まず福武参考人にお聞きいたしたいのは、婦人年金権と申しますか、そのことについて若干お触れになられましたけれども、現在婦人年金に関しまして、今回の改正では、国民年金を全国民に適用して基礎年金支給する制度に発展させようというねらいでございます。これに関して、特に婦人は今まで基本的に年金権がなかったのでございまして、そういった意味で、婦人年金権につきまして御意見をお伺いしたいと思います。
  11. 福武直

    福武参考人 今お尋ねの婦人年金の問題につきましては、先ほど申しましたように、私、柄になく婦人問題の中に引き込まれまして、ずっとそれにかかわっているわけでございますが、その当時から重大な問題だというふうに考えてまいりました。  今までの年金は、男は働いて女は家を守るという前提の上に仕組まれたものでございますが、そういうことでは今後通用しなくなる。そういう意味におきまして、細かい点で不利になるというふうな問題を超えて同じように年金権がなければいけない、こういうふうに考えたわけでございまして、そのためには、家で専業主婦として暮らしている方々に対しては国年の中に強制加入していただくというほかあるまい、こう考えたわけでございます。  今回は、先ほど申しましたように、そういう方々は夫の保険料拠出の中に含まれるということになるわけでございます。それは、働く側の御婦人からいいますとやや納得のいかないところが出てくる。あるいはちゃんと自分の保険料として納めるべきであって、それは中途半端だという批判も御婦人の中にはあるということを十分承知しているわけでございます。ただ、しかし、現在任意加入している専業主婦の方々というのはほぼ七割かと思いますが、あとの三割の人にどういうふうにして拠出していただくかということは大変困難な問題でありまして、今のところ、今回の改正案のような形でやるほかはあるまいと考えております。  ただ、しかし、実際のところは、ずっと独身でおられる御婦人というふうな立場で考えますと、大変損をしているという感を免れないわけでございまして、そういう点は今後さらに少し考えてみなければいけないのではなかろうかという気がするわけでございます。そういう意味におきまして、育児期間は保険料を払わなくても払ったことになるとか、あるいは病気の親を抱えて介護している間は保険料を払わなくてもいいとか、そういう工夫が将来あってもいいんじゃなかろうかという気はしておりますが、いずれにいたしましても、これは、これから将来におきまして支えてくれる子供を、産みたいのだけれどもやめておこうかということがないようにしませんと将来大変になるわけでございまして、そういうことと絡めて大きなシステムの中で追求していかなきゃならない問題ではなかろうかと思います。  余り上等なお答えになりませんでしたが、私は今のところそういうふうに考えております。
  12. 自見庄三郎

    ○自見委員 どうもありがとうございました。  いわゆる亭主が勤労者で無職の婦人が約七割、国民年金の任意加入の方が七百万人強おられるようでございます。そういった意味で、私はこれはまず第一歩だと思います。今さっきの先生のお話しでも、できるだけ歴史的経緯を踏まえてできるところからまず改革していく、しかし、将来の理念というのは高く掲げる必要があるのじゃないかという意見ではなかったかと思います。そういった意味で、これは確かにまだまだ甘いという御批判をいただくかもしれませんけれども、婦人年金権というのを世帯別から個々の婦人に与えた、こういったことは私は一定の進歩ではないかと思うわけでございます。  それから、丸尾直美参考人にお聞きさせていただきたいわけでございますけれども、いろいろ貴重な御意見をお聞きさせていただきました。その中で基礎年金でございますけれども、今度は、基礎年金の導入によりまして将来、年金の一元化を図ろうというわけでございます。これは先生も少し触れられましたけれども、この基礎年金について、加入者が出して使用者側も出すいわゆる社会保険方式でなく、税方式でやるべきだ、日本人であれば、六十五歳になれば一定の額、国民の権利として当然国家から出すべきだという意見もございました。スウェーデン等々北欧の国では、そういうふうな方式を採用しているとお聞きをしているわけでございます。いわゆる税を財源として基礎的な年金創設すべきであるという先生の御意見もあるわけでございますけれども、そのことにつきましての先生の御意見をお聞かせいただきたいと思います。
  13. 丸尾直美

    丸尾参考人 付加年金の分は、民間の保険を公的に総合的に代行するというような考えに近くていいと思いますが、基礎年金に関しましては普遍的なものであり、相互連帯の考えに基づくものであり、付加年金の場合とは非常に性格が異なるわけでして、公的な負担でできる限り賄うのが好ましいというのが私の考えてあります。社会保障制度審議会もそうであったわけです。しかし、現実との一種の妥協というものがあるわけでして、スウェーデンの場合にも一般税で基礎年金すべてを賄っているのではないわけでして、財源のできる範囲で負担率を高める方が好ましいとは考えております。  社会保障制度審議会の場合には、御承知のように所得型の付加価値税の導入ということを前提としましたからああいうことが言えたわけですが、何か国民合意が得られる財源との兼ね合いが必要でして、そちらの見通しがつく限りにおいては、三分の一補助をもう少し高めることを私としては期待したいと思う次第です。
  14. 自見庄三郎

    ○自見委員 どうもありがとうございました。  時間がございませんので、最後に、森岡道一参考人にお聞きしたいわけでございます。  意見の中で、年金に対して、高齢化社会、それからインフレが最大の敵だというふうなことを言われたわけでございますけれども、私も本当にそのように感じるわけでございます。そのことに関しまして、給付負担、この問題についてお述べになられたわけでございますけれども、今現役とリタイアとの年金の割合が六九%だ、将来考えられる負担は、先生も言われましたように、このままほっておけば非常にふえてくるわけでございます。御存じのように、試算によりますと、このままほっておけば三八・八%ぐらいになるだろうというふうなことでございますけれども、改正によれば二四%ぐらいになる。先生からいろいろ御意見があったようでございますけれども、それでも、今回の改正につきましては、将来のより高い給付の切り下げだという御意見もございますし、また将来の負担の切り上げをねらったものだという御意見もあるわけでございます。そういったことにつきまして先生は今さっきも少し述べられましたけれども、もう少し突っ込んで、給付負担が将来どうあるべきだということを、具体的な数字はなかなか難しいかと思いますけれども、その辺につきまして先生の御意見をお聞かせいただければと思います。
  15. 森岡道一

    森岡参考人 ただいまの御質問にお答え申し上げますが、給付負担というのは、それが、絶対額が高い、安いということより、バランスがとれているかということが問題じゃないかというふうな感じが私はいたしておるわけであります。それで、現在の制度をもし改正しなかったらどうなるかといいますと、これは絶対的に掛金をどんどんふやしていかなければ、給付の財源というものは、国庫補助でも現在の二割を五割にする、八割にするというなら別でございますけれども、各人の負担が歴然とふえていくことは事実です。それがもう大変だというふうなことから、負担のふえることはやむを得ないけれども、ふえ方は最小限で望ましい給付が賄えるようなやり方はないかということが、負担の側の考え方になろうかと思います。給付の方はもう多々ますます弁ずで、余計もらえればみなありがたい話だということに尽きるのでございますけれども、しかしそのためには負担する人が要るんだ、その負担する人が承知してくれなければ何ぼ望んだってそれはできないんだということから、おのずから給付の天井というものも常識的に出てくるんじゃないかと思うわけであります。  普通、今まで、給付のあり方はどのくらいかということは、大体最終所得の六割程度というのがみんな常識的に言われておったことでございます。しかし、今回のはそれが大体七割になっておりますので、そういう改正以前のいわゆる常識というものから見ますとちょっと高いな、しかしこの高いのを賄っていけるのかなという危惧がやはりどうしたって中に残らざるを得ない。しかし一方で、そういうふうにやっても二四%ぐらいのあれでとどめるということであるならば、まあそのくらいは、七割というものを実現しようということは、この際の改正としてはまずやむを得ざるものであるとして我慢していこう。出す方ももらう方も両方で、この辺で我慢しようという線じゃないかと私は思っております。  ただ、今はそうでございますけれども、だんだん掛金が上がり、各人のいろいろな負担はこれだけじゃありませんから、そういうものが出てきますと、さっき申し上げました出す方ともらう方とのバランスという問題がやはり出てくる時期が、ないと言ったらこれはうそだろうと思う。出てきた場合にそれをどう処理するかという問題が、あと我々が勉強しなければならぬ問題じゃないかと考えておるわけでございます。
  16. 自見庄三郎

    ○自見委員 どうもありがとうございました。
  17. 有馬元治

    有馬委員長 村山富市君。
  18. 村山富市

    ○村山(富)委員 参考人の諸先生方には、御多忙の中にもかかわりませず御出席をいただきまして、貴重な意見を拝聴させていただきました。心からお礼を申し上げたいと思います。  今、年金の問題に関して共通しておると考えられる点は、将来を構想してみて、現代のばらばらになった年金制度というのはやはり問題があるし、いろいろな制度間の格差もある。何といっても給付負担の問題をどう調整していくか、あるいは世代間の不公平をどう考えていくかといったような共通した一つ問題点を抱えておると思うのです。それだけに何らかの年金についての改革が必要だということは、だれも認めざるを得ないと思うのです。  ただ、年金がそれぞれ八つの仕組みに分かれておりまして、それぞれの歴史があるだけになかなか難しい問題もあるわけですが、そうした難しい問題を克服をして、何とか将来展望に立って安定した年金制度というものをしっかりつくる必要があるという意味で、政府も今度の改正案を出されたんじゃないかと思うのです。そういう意味では、先ほど丸尾先生からも評価をする点と言って、お話しがございました。しかし、現状を踏まえて将来を見通した場合に、やはり幾つかの問題点があるという問題点の指摘もされていましたし、今、自見委員の方からも問題の指摘があったわけであります。特に基礎年金の構想につきましては、余りにも社会保険方式というものにとらわれ過ぎて、社会保障制度としての基礎年金構想といったようなものがやや薄れてきておるのではないかという感じがするわけであります。  先ほど丸尾先生からは、基礎年金について、共通普遍的なある意味からすると最低生活を保障するようなものでなければならぬ、あるいはまた看板に偽りがあってはならないし、幻想にならないようにこれをしなければいかぬと言われました。今度出されております基礎年金の考え方を見てみますと、例えば四十年掛けて五万円ですね。夫婦がおって六十五歳を過ぎますと、いかにも五万円ずつもらえるといったような感じがするわけですけれども、日本の夫婦というのは平均的に言えば男性の方が年が上で奥さんの方が若い。そうしますと、主人の方が六十五歳以上になって五万円の年金をもらえる、ところが奥さんの方はまだそこまで年齢が達せずにもらえない、そして奥さんの方がもらえるようになったら御主人の方がいなくなった、こうなりますと、十万円もらえるということは単なる幻想に終わってしまうわけですね。しかも、今の国民年金から申し上げますと、四十年掛けますと大体七万八千円くらいの額になるわけです。それが五万円に下がる、こういったようなものを考えてまいりますとやはりいろいろ問題があるのではないか。したがって、先生御指摘のように、私は、基礎年金というのはある程度国民共通して最低の条件を満たし得るようなものになるべきことの方が好ましいと思うのです。  そういう意味から申し上げますと、保険主義だけで問題を解消するのではなくて、やはり特別保険料を取るとか、あるいは先ほど来お話がございますように所得型の付加価値税といったようなものも考えて、それらも合わせて共通した負担で賄うといったような考え方が基礎にあっていいのではないか。先ほどスウェーデンの話やらイギリスの話等もあったのじゃないかと思うのですが、そういう外国の事例等もあるわけでありますけれども、基礎年金というのは、将来軍人恩給老齢福祉年金といったものもだんだんなくなってまいりますし、生活保護との関連といったようなものも総合的に考えて、基礎年金というものがしっかり老後の生活最低保障するものに位置づけられていくというような考え方が必要ではないかと思うのです。今のような内履きではなくて、やはり外履きに置くべきものだと私は思うのですけれども、そういう点につきまして、外国の事例等も含めてもう少し詳しく先生のお話を承りたいと思うのです。
  19. 丸尾直美

    丸尾参考人 今の御質問や御意見、私も大体賛成でありまして、できるならばという考えてありますし、社会保障制度審議会もそうであったようですが、それを可能な範囲でということで、少なくとも基礎年金のうち、全額が国庫負担でなければ、例えば三分の二が国庫負担で、その部分に関しては本当の最低保障ということで、保険的な拠出を必要としないで、年齢に達すれば出るというのが方向としては好ましいのではないかと思っております。  そして、本来の最低生活とそういう実際に払われる最低との差額を何らかの形で補わなくてはならない。ほかに収入がない人の場合あるいは家族もない場合にはそのまま生活保護に行ってしまうわけです。そういう場合に、それが生活保護にならないようにするために、欧米のやり方ですと、例えばスウェーデンでもイギリスでも基礎年金というのは最低生活保障が必要だ、そのためには賃金の二五%ぐらいは必要だ、そういう考えですね。しかし、その二五%は実際にはなかなか実現できない場合がある。その差額を補足年金という形で補ったりしますね。これは日本では生活保護と同じではないかと見られたりしますけれども、やはり根本的な発想はこれは年金を補足するものであって、生活保護ではないのだという考えですね。一種の権利的なものになるわけです。それからもう一つは、基礎年金というのはやはり自分の住宅に住む場合を想定しているわけですね。住宅分は入ってないわけですね。ですから、そういう分は補完的に補足するというような形で基礎年金を補うことによって、生活保護でなくて、基礎年金プラスそういう補足年金や住宅手当で最低生活ができるということを一応やっているわけですね。そういう方式がいいかどうかということを少なくとも検討していただきたいという気持ちは非常に持っているわけです。  やはり生活保護年金とは違うのだ、そして財源の問題はあるけれども、可及的速やかに本来の基礎年金に近づけていきたい。そのためには、先ほど言われましたように、将来、軍人恩給が減るとか福祉年金も減っていくとか、生活保護との調整、いろいろなことの調整を考えていくと、普通に考えた場合、この五万円とかいうのは、いろいろ足して出る計算よりはかなり額としては少ないと思うわけですね。ですから、そういう不足の分を十分出して、このくらい財源があればやれるんだ、そしてそういうことでいいではないかということで合意ができれば、ぜひそういう基礎年金をできるだけ早くやっていただきたいというのが私の気持ちでございます。
  20. 村山富市

    ○村山(富)委員 どうもありがとうございました。  これはやはり、これからの雇用の問題と年金、あるいは就労構造の変化というようなものに対応していく年金、老齢化社会に入っていくことに対応しての年金といったようなものがいろいろ考えられると思うのですが、そういう場合に、先ほど先生のお話しの中にもございましたように、例えば高齢者に対して部分就労を認めるとか、その部分就労と兼ね合った中で部分年金といったようなものも取り入れるとか、こういう方式も考えて、可能な限り年金を受給する側の立場に立って弾力的に運用できて、そして、年金の役割と任務が充足できるようなそういう仕組みというものを考えておるというようなお話もちょっとございましたけれども、そこらの問題についてもう少し詳しくお話しいただければと思うのです。
  21. 丸尾直美

    丸尾参考人 基本的な考えは、少なくとも六十五歳までは、できる限り本人の能力があり希望がある場合にはその能力に応じて働けるようにする、そういう形で就労を確保する、そのためには将来定年延長が必要になってくるでしょうけれども。その他のいろんな形で就労を確保する。しかし、体力的に職種や個人によって限界がある場合がある、全面的に働けない。そういう場合に、自分の選択でもって雇用の程度、働く程度を選ぶ。そして、そのことによる収入の減少を年金で補足するというのが部分就労、部分年金発想ですけれども、あくまでこれは本人の労働を基礎にするという点で、今の日本の在職年金発想と若干違うわけですね。この場合には六十歳になれば年金が出てしまう、そうすると、年金を前提として、おまえはこれだけ年金をもらうからあとこれくらい給料を払えばいいという形になるわけですけれども、どちらがいいかというようなことも十分検討して、合理的な在職年金方式も考えていただきたい。そのためには、やはり将来は六十五歳まで定年延長と年金が延びていく、そういう場合をそういう形でつないでいく、そうすれば年金がおくれてもそれほど問題はないんだ、むしろその方が国民の福祉にとって好ましいんだ、要するに自分で選べるということですね。高齢者の中でも、六十歳以上でも、あるいは六十歳以上でも、あるいは六十五歳以上でさえも、適切な自分に合った、それほど負担にならない仕事があれば、働きたいという人は非常に多いわけですね。それが、今までのやり方だと、六十歳までは超過勤務等々をやって猛烈に働いておいて、その後はたんとやめるかどっちか、そういうのは非常に非合理的だと思いますから、やはりそこで、選択可能な弾力的な種類の年金方式というものをぜひ御検討をいただきたいと思います。
  22. 村山富市

    ○村山(富)委員 質問が集中して申しわけないのですけれども、先生のお話の中に、ちょっと詳しく聞き取れずに聞き漏らした点があるのですけれども、ポイント方式という話がございましたね。あのポイント方式というのは被用者年金の場合に考えられる仕組みですか。国民年金との関連というのはないのですか。
  23. 丸尾直美

    丸尾参考人 年金方式は、基本的には賃金または年金基礎額にリンクさせて、過去賃金を点数化して、そしてそれを退職時の価値に換算する方式でありますけれども、いろんなことに使えるわけですね。例えばスウェーデンの場合は企業年金まで年金ポイントで計算しております。そして、あらゆることに使えるわけでして、スウェーデンの場合、例えば自営業の場合でも、選択して付加年金をとれば、それは年金ポイント方式で計算されます。ですから、日本の場合に、もし国民年金に付加部分を導入するとすれば、そして年金ポイント方式を導入するとすれば、その年金ポイント方式で計算できます。ただ、自営業者の場合は使用人に払う分まで自分で払わなくちゃならないというだけであって、同じ額を払えば同じ年金ポイント方式で支払われるということになると思います。
  24. 村山富市

    ○村山(富)委員 福武先生にちょっとお尋ねしたいと思うのですが、先生のお話の中で、国民年金については将来やはり二階建てを検討する必要があるという意味のお話しがあったと思うのです。私はやはり国民年金保険料が定額方式になっておるということについても若干問題があるんじゃないかと思うのですけれども、ただ、制度仕組みとして被用者年金世帯単位ということに建前がなっておる、国民年金個人単位という建前になっておりますから、難しい点があると思いますし、同時にまた、自由業やら一般の場合には所得がなかなか把握しにくいといったような面もあって、所得を取り入れるということについては難しさがあると思うのです。しかし、申告制にすれば、税金との関係等配慮があって、本人が自分の裁量でもって申告を少なくすれば年金が減る、少なくなる、たくさんすれば年金はたくさんもらえる、こういう困果関係があるわけですから、私はむしろ定額制そのものに問題があるのであって、国民年金もやはりそういうものを取り入れた形で、ほかの被用者年金と余り格差のないようなものに考えていく必要があるのではないかというふうに思っておるのですけれども、先ほど先生からお話しがございました国年も将来二階建てというものを検討する必要があるという御意見は、どういう内容をお考えになってお話しがあったのかということについてちょっとお話を承りたいと思うのです。
  25. 福武直

    福武参考人 今の問題につきましては、先生がおっしゃったような方法は考えられると思うのですが、具体的にどうやったらいいという成案は私、持っておりません。御指摘のように所得の把握が非常に難しゅうございますので。ただ、それが必要であろうというふうに考えますのは、設定された将来の水準が、ならしまして厚年は十七万円何がしで、国年グループは夫婦ともで十万円と、少し格差が開き過ぎる、したがって恐らくそういうことに対して要望も出てくるであろう、そういう段階で将来考えなければならない問題だというだけでございまして、こうしたらいいんだという余り確たる案は、申しわけありませんけれどもございません。
  26. 村山富市

    ○村山(富)委員 恐れ入りますが、この問題について丸尾先生、森岡先生、もし御意見ございましたらお聞かせいただきたいと思うのです。
  27. 丸尾直美

    丸尾参考人 私が関与しておりました社会経済国民会議が、一九七七年に、その前には一九七五年に出した報告のとき以来の一つの考え方が専門家の間にもあるわけでして、それはやはりおっしゃったように一種の申告制でありまして、所得把握が困難である以上、申告させて、段階を余りたくさんでなくて幾つか決めておいて、それに年金ポイント制をリンクさせておいて、どこを選んだかによって将来の付加年金が付加される、そういう方式の導入の可能性につきましてぜひ御検討をいただきたいと思います。
  28. 森岡道一

    森岡参考人 国年の方にも何らかの二階という考え方は、将来考えられてしかるべきでないかということはありますけれども、具体的にどうということは現在私は持っておりません。  それといま一つ、これもよくわかりませんけれども、そういう二階なら二階の制度というものができますと、やはりこれは、好きな人だけ入るというようなのではちょっと成り立たないのではないかという感じもいたしますので、そういう得する人だけ入って損しそうな人は入らないというようなことがもしありますと、それは制度としてどういうふうになるのかなという点がちょっと疑念がございますが、具体的にどうやったらいいということはございません。
  29. 村山富市

    ○村山(富)委員 これはちょっと、どなたにお尋ねしたらいいかと思うのですけれども、社会保障研究所所長をされております福武先生にお尋ねしたいと思います。  今、行政の仕組みとしては、例えば共済は大蔵とか、あるいは公企体の部分はそれぞれの事業体とか、運輸省なら運輸省、電電公社なら電電公社とばらばらになっていますね。それから国民年金厚生年金は厚生省というふうに縦割りで、行政がばらばらになっているんですね。そういうところにやはり年金が総合的に検討される場合、解決がしにくい点も出てきているのではないか。先般来、担当大臣を決めてそして厚生大臣ということになっておりますけれども、これは恐らく名前だけであって、内実は伴っておらぬというふうに思うのです。そういう年金全体の将来を考えた場合に、行政がばらばらになっているような今の現状というものについて何か御意見がございましたら……。
  30. 福武直

    福武参考人 大変大きい問題でございますが、私の希望といたしましては、こういうふうになってほしいという意味におきましては、おっしゃいましたように一つの省庁で、年金省ができてもいいぐらいの大きな問題だと思うのですけれども、そういうふうになることが望ましいというふうに考えております。  日本社会保障は大変ばらばらで、都合のいいところだけつまみ食いしてどんどんふえていったという面をやはり免れないというふうに思いますので、それが一元的に計画されるならばそういうばらばらは今後は防げるのじゃないかというふうに思いますので、おっしゃったようになれば大変ありがたいというふうに思っております。
  31. 村山富市

    ○村山(富)委員 最後に、社会保障制度審議会が五十二年でしたか、基本年金構想に対する見解といったようなものをまとめて出されたことがあるわけですけれども、私は大変興味深く読ましていただきましたし、内容的にも評価できる点がたくさんあったというふうに受けとめて、今日、年金問題を議論する場合に貴重な参考にさせてもらっているわけです。  森岡先生は当時制度審委員をされておられたと思うんですけれども、この五十二年の制度審の答申というものについて今日どういう御見解を持っておられるか、もしお聞かせいただければ、見解をお聞かせいただきたいと思うんです。
  32. 森岡道一

    森岡参考人 私が制度審委員になりましたときはあの答申がもう終わってしまった後でございまして、私のときにはもうあれは全然議題には上がっておりませんので、あの答申についてどうこうということは申し上げる資格がないと思っております。  ただ、先般の審議会のときにも、ああいう答申が出ておるのにということで、審議のときの議論には出ておりましたけれども、その時点においての私の気持ちは、あの答申はあれ自身として立派な御答申であるというふうに私も思うわけでございますけれども、それを実施する段階ということになりますと、やはり諸般の条件がそろわなければ実施というのは難しい。そういう点からいきまして、今日の情勢で、これに三年も五年もかかってゆっくり議論して、それからまたどうやったらいいか決めていこうというようなゆとりの十分にある問題ならばまた別の考え方も出るかもわかりませんが、できるだけ早くこれをやらなければならぬ、しかも、これならまず行って間違いがないだろうという見当がついたこの段階では、多少意見の違いがありましても、やはりまずそれをやってみて、さらにそれをやっている上で、将来それをもっとベターにするということは幾らでもやっていいことでございますので、さらに議論して、よりベターになるのならしていくということで、今回はちょっとその議論では間に合わないだろう。今回の御提案の制度が完全とは言えないにしても、まずこれでいくのがこの際は至当な判断であるというふうに私は考えておるわけであります。
  33. 村山富市

    ○村山(富)委員 きょうは、もう議論する場ではありませんからこれで終わらせていただきますけれども、今回出されておりまする改革案というのも、冒頭に申し上げましたように、将来の年金の安定したあるべき姿というものを想定しながら、お互いにやはり真剣な議論をしていく必要があるというふうに思いますし、ある意味からしますと、百年の大計を決める前提になるものだと思うのですね。一度制度が決まってしまうとなかなか手直しというのは難しくなりますから、そういう意味で、きょうお聞かせいただきました先生方の御意見も基調にしながら、これから慎重な審議をして、国民の皆さんの御期待におこたえできるようなものをつくり上げていきたいというふうに思っておりますので、今後ともよろしく御指導のほどお願いいたします。  本日はどうもありがとうございました。
  34. 有馬元治

  35. 平石磨作太郎

    平石委員 本日は、各参考人の先生方には大変貴重な御意見をお聞かせいただきまして、心から御礼を申し上げる次第でございます。わずかの時間ではございますが、ひとつ御意見を伺わせていただきます。  今、大体基本的なお考えをお聞かせをいただきました。その中で各先生が触れられたこと、基礎年金のところでございますが、福武先生はやはり最低保障の性格がある、こうおっしゃる。丸尾先生は生存権だ、この一つのあらわれだということもおっしゃられたわけです。したがって、この基礎年金というのが八つの年金制度統合一元化する一つの土壌として、土台としてできたことについては我々もこれに評価をしておるわけです。  そこで、丸尾先生にお尋ねをいたしたいのですが、公的年金というもの、原理原則のお話がございましたが、この公的年金という中で、基礎年金というものと二階部分の報酬部分、これをどうお考えいただいておるのだろうか、そこらあたりの御意見をひとつ伺わせていただきたいと思うのです。
  36. 丸尾直美

    丸尾参考人 基礎年金は生存権の保障だということを申しましたけれども、経済学的にもいろいろな根拠があるわけでして、マキシミン原理とかいろいろあるわけですが、その部分に関しましては、生活保護で下支えするよりはやはり年金という形で保障すべきだというのが私の考えであるわけです。そういう意味で、そこは一種の、原理としては連帯の原理によって平等主義でやっていくというふうなこと、しかしそれ以上の、最低生活以上の部分に関しましては、公正感にはもう一つ、一種のエクイティーの考えがあるのですね。これだけのことをやればこれだけのものが報いられる、別の形でいえば貢献原理のものがあるわけです。そっちの意味での公正感を満足させるのは、むしろ最低生活保障以上の部分の付加年金である。ですから、ここの部分に関しましては国家は補助せずに、拠出拠出期間に応じて、総拠出額の現在価値に応じて年金給付するというのが別の意味での公正感に合致する。平等主義という公正感と、エクイティーあるいは貢献的原則、そういう二つの公正原理を両立させるのが基礎年金プラス報酬比例年金の考えではないかと私は思います。
  37. 平石磨作太郎

    平石委員 よくわかりました。  そこで、考え方として、基礎年金でございますが、やはり最低保障をしていく、全国民ひとしく保障をしていこう、こういう考え方でございますので、そうなりますと、福武先生の御意見の中に、国庫補助を二分の一ぐらいはどうだろうかという御意見があったように承りましたが、現在三分の一ということになっておりますが、ここらあたりをひとつお聞かせいただきたいと思います。
  38. 福武直

    福武参考人 半分ぐらいというふうに考えましたのは少し前でございまして、制度審基本年金構想を出しましたときに税方式でというふうにお考えになったわけですが、その当時はもう少し高い方がいい、それからそういうことのためには社会保険方式を積み上げた方がいい、半々ぐらい、そういう考え方をしたわけでございます。そして、その水準というのは食うには困らないという線が妥当であるというふうに思ったわけでございます。というのは、年をとってから、年金では足りなくて生活保護、補足年金という形もあり得るかと思うのですが、そういう場合にミーンズテストというのはまことにうっとうしい話である。だから、せいぜい家を持っているか持ってないかということで少し継ぎ足しをする、そういうラフなことでもいいんじゃないか、それによって不公正があってもその方がまだましだ、そういう大ざっぱな考え方をしたわけですが、これは、今も素人でございますが、もっと素人のときの話でございます。  現在、三分の一というのはやむを得ないというふうに思いますのは、私、正確な計算はできませんけれども、大阪大学に藤田晴さんという財政学で社会保障専門家がいるのでございますが、その藤田さんの試算によりますと、半分にまで持っていくと五十九年価格で二兆円ぐらいさらに要る、そういうのもございますし、それから、これも正確な数字ではございませんので申し上げるのははばかるのでございますが、私の方で先ほど申しました「年金改革論」という本を出します研究作業をやっている間に、制度審方式でやった場合どのくらい金がかかるだろうということを試算したわけでございますが、その数字がたしかラウンドナンバーで四、五兆円というふうな、その程度の金がかかるというふうなことだったかと思います。そういう意味におきまして、現在のところは三分の一でも仕方がないのかなというふうに思ったわけであります。  ただ、これから先、私は先ほど社会保障勘定一般勘定を分けてというふうなことを申しましたが、これは一橋大学の野口悠紀雄君という教授なんかが言い始めていることでございますが、ただ単に目的税で持ってきても、それだけ入ったのだからといってちぎられたのじゃ話にならない。一般勘定とは別に社会保障勘定というのがあって、これで取ったものはこうなりますよというふうな国民的な合意ができればそういうことも考えられるのかな、私も三分の一よりはもう少し高くなることが望ましいというふうには思っておりますが、今のところはやむを得ないというふうな感じでございます。
  39. 平石磨作太郎

    平石委員 やはり財源へ問題は移るわけでございますが、そこでもう一つ財源の関係だけで、今なかなかこれは難しいのだといったようなお話しもございましたのですが、一方、年金として考えてみたときに、極端な言い方かもわかりません、考え方かもわかりませんが、日本社会保障というのは全部生活保護集中方式だ、こう私は考えておるわけです。何かいろいろな社会保障がございます、制度があります。いよいよいけなくなったら生保で救済いたしますという式に、すり鉢の底に生保がある。私はやはり社会保障を進めていくということを理論的に考えていけば、周りのこうした制度を高め、充実をして、生活保護は努めて少なくしていくというのがやはり一つの基本的な考え方ではなかろうか。こうなりますと、全部生保が一つのネックになるということ、それからもう一つは、生保のラインというものと基礎年金のラインというものを上へ持ってくるということもなかなか大変なことなんだ、そういう現実のもとに落ち込んでおるわけですから、考え方としたら、今言ったような考え方を私は持たざるを得ない。そうしたときに、この基礎年金というものは今の制度の中で定額方式でございます。それから一方、報酬比例の方は所得比例負担になるわけですね。だから一方は定額負担、一方は所得比例負担、これがだっこになっている。それで、その場合にやはり基礎年金の単給ということ、個人ということを考えたときに、所得の高い人がむしろ有利である。だから、所得の低い人は非常にしんどさをもって定額を掛けていかなければならぬという矛盾を内包しておる。そうなりますと、私は、今の負担の三分の二のところを、ある程度所得比例的なものを加味した行き方にした方がむしろ現実に合っていくのではないだろうか。手続的には大変厳しいのですけれども、理論的にはそこが合うてくる。報酬比例の方のいわゆる被用者年金の方々は、定額部分のところ、いわゆる基礎年金へも拠出するわけですが、これももとは所得比例負担なんでして、一方ではこの所得比例負担が行われる、一方では定額のみというのでは、所得配分機能もございませんし、むしろ所得の高い自営業者等は非常に軽くいく。だから、この定額部分をぐっと圧縮するという形にして、この比例方式をある程度入れていくというようなことはいかがだろうかといったような感じを持っておるのですが、この点についてひとつお教えいただければと思うのですが、丸尾先生、いかがなものでしょう。
  40. 丸尾直美

    丸尾参考人 基礎年金部分に関してその問題が出てきますのは、国民年金の所得捕捉が困難だということがあるのじゃないかと思います。やはりおっしゃられるように、可能でしたらばその方が私もいいとは思うわけですけれども、所得捕捉の問題がありますから、捕捉率の関係でかえって不公正になることもあり得ますから、その点の配慮が必要だと思います。それから、国民年金に選択部分をつけ加えますと、そのとき所得の幅がわかるわけですから、段階がわかる、そこの整合性もお考えになる必要があると思うのですね。
  41. 平石磨作太郎

    平石委員 福武先生、どうでしょうか。
  42. 福武直

    福武参考人 今の問題でございますか。国年グルーブでは丸尾さんもおっしゃいましたようにちょっと難しいだろうというふうに思います、所得が正確に捕捉できませんから。今おっしゃったような垂直的な再分配という観点から言いますと、少なくとも国庫負担分におきましてはそれが実現しているわけですから、そういうことよりも、将来の方向としては、国庫からの拠出分を先ほど申しましたような形でふやしていくという方が、むしろ現実的ではなかろうかというような気がいたします。
  43. 平石磨作太郎

    平石委員 どうもありがとうございました。
  44. 有馬元治

    有馬委員長 塩田晋君。
  45. 塩田晋

    ○塩田委員 参考人の皆さん方におかれましては、本日、御多忙のところをおいでいただきまして、貴重な御意見を賜りましてありがとうございます。  二、三問御質問を申し上げますので、よろしくお願いいたします。  現在の老齢年金水準、これは六八%余りということでございます。将来にわたってこれが維持されるべきではないかと私は思うのでございますが、福武参考人保険料との関係においておっしゃったと思いますが、将来高過ぎるという考えも出てこようというお話してございましたし、また、森岡参考人も同じような考え方を述べられたように思います。期間の延びによりましてこれの水準が上がっていく。場合によっては標準報酬よりも多いというケースも出てくる。これは問題でございますから、少なくとも現在水準程度は将来とも維持していくという考え方に私たちはいるわけでございますが、これについて福武参考人森岡参考人、いかがお考えでございますか。
  46. 福武直

    福武参考人 六九%、現在のモデルで六八%というのに均衡するわけでございまして、そういう設定がなされているかと思うのでございますが、その場合、私は、保険料負担が二三、四%になる、もう少し下がった方がいいというふうに考えるわけでございますし、それから、六九%というのはILO基準に比べましても少し高過ぎるんじゃなかろうか。ボーナスなんかを込みましても四五以上にいくであろう。そうしますと、これから先、それをもらう側は大変ふえていって、それを支える側は大変苦しくなる。そういうことから考えますと、もう少し切り下げざるを得ないというのが将来の方向ではなかろうかというふうな、そういう感じで申し上げたわけでございます。今すぐということではございません。
  47. 森岡道一

    森岡参考人 先ほども申し上げましたように、負担の方の公平性が得られるならば、支給額は多い方がいいだろうということは否定できないことだと思います。現在、四十年で六九%という数字に今の設計ではなっているわけですが、これは成熟時のことを考えて、だれでも皆四十年にはなるんだという一つの前提が入ってくる。大体そのころになれば皆そうなるだろうということでございます。そういった場合に、やめる時点の収入に対して六九%、約七割もらうという人が、やめる以前に果たして手取りがどのぐらいのことで、実際生活、いわゆる可処分所得というような問題から考えましてのバランスの問題が一つあるんじゃないかというふうに思うわけでございます。現在のところではまだそんなに可処分所得も、実際の年収からは二割程度引かれているぐらいで、あとは可処分というふうな概念、自分で使う金は別でございますが、大体そういうことだろうと思っておりますけれども、やはり年金の掛金にしても年々歳々これは上がっていくことは間違いございません。医療保険その他の保険制度にしても、それの負担というものが下がることは考えにくい、やはり上がっていくということを考えていきますと、いわゆる可処分所得率というものは将来にわたってだんだん低下していく。これが二十年、三十年たった後にどの程度の可処分所得率になるだろうかというようなことを、やはり先々になるとそういうことは一つの問題にもなってくる。そういうものとやめるときの七割もらうということとのバランスが、多いのか少ないのかという実感となって出てまいるのではないか。  一方、七割というものが、私、先ほども申し上げましたが、一般の今まで考えておった常識というのは、大体最終時の所得の六割ぐらいが年金としてもらえるというのが一応の見通しということで、これはどっちかというと、我々としては一つの常識的に考えておったわけでございます。それが七割ということでございますので、これはその常識に比べればよりよい給付ということになってまいるわけでございますが、これはまたいろいろ議論もあるところでございます。  では、将来の老後の生活は公的年金だけでやっていくのかという問題も一つあるわけでございます。公的年金とあわせてやはり私的年金というものも自分で考え、あるいはそれぞれの企業でも考えて、そういうものを総合的に見たものが、やはり老後対策の収入源ということになっていくんじゃないかというふうなことも考えますので、そういったものを合わせての退職者の生活実態というものと拠出者の生活実態というものが、十年、二十年先になってどういうふうにそれぞれが考えられるかということは、今は出てきませんですけれども、先になってそういう問題があるんであろうという予測をやっておるということでございます。
  48. 塩田晋

    ○塩田委員 最後に三問、丸尾参考人にお伺いいたしたいと思います。  最初の一間は、今の老齢年金水準に関連いたしまして、今回の改正案では、夫婦世帯の水準と単身世帯の水準とのバランス、差が大き過ぎるんじゃないかと思うのですが、これについてどのようにお考えでございますか、お伺いいたします。それが第一問。  第二問は、西欧諸国の現状から御説明いただきたいと思うのですが、保険料の被用者についての労使の負担の割合、これがどのようになっているか。我が国の場合はもう少し使用者負担をしていただいていいのではないかと思うのですが、いかがでございましょうか。お伺いいたします。  第三問は、国民拠出する保険料の管理なり運営の問題でございます。これにつきましては、特に年金の積立金が五十九年度末におきまして四十八兆円を見込まれております。利子だけでも三兆円を超える大きなものでございますが、資金運用部の運用で一元的に、ほかのものと一緒に運営されていることは御存じのとおりでございまして、これでは勤労者、納めた側の国民の声が十分に反映されていないのじゃないかと思いますし、また先ほど森岡参考人もおっしゃったのですが、有利性という観点から、安全性という観点からこの問題について言及をされましたけれども、丸尾先生はいかがお考えでございますか、お伺いをいたします。  以上三点、まとめてお願いします。
  49. 丸尾直美

    丸尾参考人 まず給付率に関しましては、確かに国民年金の場合、基礎年金について夫婦の場合に比べ、単身の場合半分になってしまう。婦人が生き残って最後単身になるということを考えます場合に、急に五万円になってしまう。これは少し厳しい、何らかの調整方式が必要だというのが私の考えです。ただ、そう言いますとすぐ偽装の離婚という問題とか同居者の場合とか、いろいろ出てきますけれども、何らかの形で一遍に半額にならないような方法が必要であろうと思います。その他、細かいところではいろいろ調整が必要だと思います。例えば先ほどのお話しで、六九%給付されるといいましても、妻が五歳若ければ結局六九%支給されるのは七十歳からだというようなこともありますから、そういうときの調整方式等もありますし、いろいろな点で細かい点ではまだ詰めるべき点があると思いますから、将来の改正を前提に置いて、できる範囲で、いろいろ経済合理性等を考慮に入れたやり方が必要であろうと思います。  それから、先ほどの六九%の話は、あれは現金給与そのものに関しては五〇%ちょっとぐらいですから、それほど高いとは私は思わないわけですが、やはり税、保険料の引き上げで可処分所得がだんだん低くなっていくということを考えますと、その点を考慮しておかないとちょっと問題が起こるということは事実であります。これは先ほど申し上げたとおりです。  それから、保険料につきましては、これは国によって違うわけでして、スウェーデンのように全額経営側が払うところと、オランダのような逆のところもあったりするわけですから、必ずしも欧米がどうかということは言えないわけですが、傾向としては労働側よりも経営側の負担費が多くなっている。一応原則としてあっても、若干補足するような部分については経営側が出していくというようなことは、健保等にも日本でもある程度傾向があるわけでして、方向としてはそうなっていくのではないかと思います。  それから、積立金の管理運営に関しましては、これだけ大きくなってきますと、やはり一方で有利運営をして効率的に運用する、そして他方で、還元融資分に関してももう少し本当の有利になるような考えで、そういう点についても十分な国民の参加の上での監視というものが必要であろうと思います。いずれにしましても、一方で経済合理性、一方で国民の福祉にとって本当に有利になるという発想で、管理運営方式を見直すことが必要ではないかと思っております。
  50. 塩田晋

    ○塩田委員 ありがとうございました。(拍手)
  51. 有馬元治

  52. 浦井洋

    浦井委員 どうも御苦労さまでございます。  端的にお三人の参考人の方にそれぞれお聞きしたいのですが、今も話が出ましたけれども、公的社会保険方式をとる限り、国と使用者と受給者と、給付をひねり出す財源はそれなりの、それぞれの国によって違いますけれども、分担をしなければならぬだろうというふうに思います。そういう観点で見ていきますと、ちょっと日本の場合は使用者の負担、国も問題でありますけれども、使用者の負担が軽過ぎるのではないか。そのやり方として、労働団体などで折半を七、三にせいとか、あるいは六、四にせいとかというような意見がありますけれども、例えばフィンランド、丸尾先生はスウェーデンが御専門だそうでありますけれども、フィンランドの場合には、公的な居住者年金に対する事業主拠出の率を、企業の資本集約度に応じて決定することになっておるというようなお話、これは文献に出ております。厚生省にいただいた資料を見ましても、フィンランドの場合、資本金額に応じて累進的に、これはここは税方式になっておるようでありますけれども、累進的に課税をするというような格好になっておるわけで、こういうのを活用いたしまして、被用者部分だけでなしに今言われている基礎年金、私どもとしては最低保障年金と言っておりますけれども、こういうようなところも含めて何らかの格好で、大企業ほど人を使わなくなれば、今、日本の場合はその人の賃金に保険料率を掛けて保険料が決まるわけでありますから、人がおらなくなれば安くなって、大企業の割合としては安くなる、比率が低くなるという矛盾が出てきておるわけで、これを調整して、きちんと、資本の集約度とかあるいは合理化の進みぐあいとか、そういうようなところから保険料を賦課するというようなやり方をとったらどうかというように私は考えておるわけでありますが、その一点についてお三人の方にお答え願いたいと思うのです。
  53. 福武直

    福武参考人 今の半々を現状のままで七、三にするというふうなことにつきましては、私は、それだけいろいろな面に転嫁されるであろうということと、小さいところはそれでは困るだろうということがありまして、無理かなという気がするわけでございますが、御説のようなことは将来恐らく検討しなければいけないのだろうというふうに思います。ですから、ファクトリーオートメーションの機器から保険料を取れという冗談が出るぐらいでございますから、将来はそういうことを十分考えなければいけないのだろうというふうに思います。
  54. 丸尾直美

    丸尾参考人 経済合理性から言いますとおっしゃるとおりですね。あるいは負担の能力からいきましても、フィンランドの方がそういう点では合理的であるということは事実です。スウェーデンの場合はどっちみち経営者が補足部分は全部、基礎年金基礎分枠については、あとの部分は人頭税でやっておるわけです。人頭税ですと、おっしゃるように、大企業は生産性から見て相対的に労働者が少ないですから、大企業が有利になるわけですね。ですから、経済合理性からいえばおっしゃるとおりです。これはやはり技術的な実行可能性とか面倒さとか、そういうことがあると思うのです。恐らくフィンランドの場合は非常に数も少ないし、かなりやり得るということであろうと思います。これは社会保険料ではないですけれども、将来スウェーデンの場合でも、公的年金基金の一環に組み込まれる今労働者基金制度が出ておりますけれども、そういう場合なども、やはり一方で人頭税的な形、他方で利潤から出るとか。本来はそれが合理的であるということは私も感じますけれども、なかなか実行可能性というのは難しい、困難が少しあるのではないか。まあ御検討いただきたいと思います。
  55. 森岡道一

    森岡参考人 公的年金というようなものを賄っていくのに、先ほど先生おっしゃいましたように、国とそれから勤労者、これは直接の受益者ですね。それと企業というものが三者で、それぞれ役割を果たしていかなければいかぬということは私もそのとおりだと思います。現在、既にそういう姿で行われておる。見方によって十分、不十分ということはあるかもわかりませんけれども、一応そういう形で現在も行われておる。それに対して、将来、企業負担というのは少ないじゃないか、もっと多くしたらいいじゃないかという御議論のあることも私ども承知はいたしておるわけでございますが、ただ、当面の現実の問題に今まだなっておりませんので、それに対してどういうやり方で、どういうふうに考えるかというところまで詰めた意見は持っておりません。  ただ、将来そういう問題が考えられるにしても、やはり企業としては、一つのそういう意味での広い意味の税金も含めた社会負担というもの全体の中で、そういうものがどういうふうなことになってくるのかというような問題が、企業経営サイドからは一つ出てくる問題ではないかという気がいたしますのと、同時に、今日、老後保障といいますか、老後の生活が安定に行われるようにという広い意味の一つの社会施策、これは公的年金については当然やっておるわけですが、それだけでなしに、企業では、やはりそれぞれの体質に応じて、また企業の給与体制、人事管理のやり方に応じて、老後保障というものに対して企業の負担におけるいろいろな施策というものも講じられておるわけで、端的に言えば、退職金制度というようなものによって老後の生活を見ていくとか、あるいは最近だんだんと年金的なもの、いわゆる私的年金企業年金ということになろうかと思いますが、そういうふうなことによってもやっていこうということが、最近非常にだんだんそういうことがふえてまいっておる。しかし、そういう面の負担というのは、これはいわゆる折半負担とかなんとかということよりも、むしろ企業負担が圧倒的に多くてそれをやっておるというのが実態であろうというふうに思います。  ですから、企業サイドからの実感から申しますと、ただ老後の生活の保障は公的年金の中における企業の負担というものだけじゃなくて、それぞれ自前で、独自のそれぞれの体質に合ったやり方で相当な拠出をもうやっておるということを考えますと、いわゆる折半がいいか七、三がいいかという議論には、企業の立場としてはなかなかそう簡単にはついてまいれないというのが今日の実態ではないかというように考えております。
  56. 浦井洋

    浦井委員 終わります。
  57. 有馬元治

  58. 菅直人

    ○菅委員 丸尾先生にお尋ねをしたいのですが、多くの方から出ました国民年金の二階建て部分をどのようにやればつくれるかという議論なんですけれども、確かに所得把握が非常に難しい分野だということはわかるのですが、モデル計算で十七万と十万というとかなりの格差で、何らかの手を早急に打つ必要があるのではないかと思いますが、例えば先ほどポイント制のことでおっしゃっていましたけれども、そういうやり方で、例えば任意加入で五万円、六万円、七万円、場合によったら八万円ぐらいまでを段階分けをして任意加入制度を設けていく、こういったやり方なら比較的スタートは切りやすいんではないかというふうにも思うのですが、こういった点についてどのようにお考えでしょうか。
  59. 丸尾直美

    丸尾参考人 先ほど申しましたように、私としては、あるいは私が関係しています社会経済国民会議というところの、これは労使も参加しておるのですけれども、考えとしては、従来の国民年金ですね、自営業者の場合にも報酬比例部分を今おっしゃったような形で導入すればできるはずだという考えですね、そういう点について、何か技術的に非常にどこに困難があるかとか、そういうことで政府も十分検討を少なくともしてみる必要があると思いますね。どうもそこら辺について、余りこういう点で問題があるからできないとか、そういうのは詳細なものをまだ見たことがないわけで、ぜひそういう点は確かめていただいて、できるものでしたら、今回は間に合わないとしても、次の機会までにはこれを導入するという方向をぜひ固めていただきたいと思います。私の見る限り、それほど技術的な困難はないし、それからまた、先ほどちょっと森岡参考人が言っておられたような、クリームスキミングの有利なものだけが入ってしまうということですね。その問題も、十分配慮してやれば問題は避けられるのではないかと思うのですね。少なくともそういうことを行うという方向でぜひ御検討いただきたいと思います。  先生の方も大体賛成なさる印象を今受けたものですから、ぜひよろしくお願いしたいと思います。
  60. 菅直人

    ○菅委員 私もこのあたりがよくわからないのですが、厚年の場合は上乗せ部分についても物価スライドがあるわけで、それは結局はその次の世代が面倒を見るということで保障されると思うのですが、任意加入の場合にその物価スライドが可能かどうかというあたりが、厚生省なんかの見解ではちょっと見通しが立たないという言い方をしているのですが、この任意加入分について将来を含めて、そんなことも議論の中で一部出ていたようなんですが、きょうは短い時間なので、またの機会にいろいろと教えていただきたいと思います。  もう一点だけ、これは福武先生にお尋ねをしたいというか御意見を聞きたいんですが、今非常に出生率が下がっております。出生率の問題は、ローマ・クラブの報告じゃありませんが、必ずしも年金だけで見るわけにはいかないのですが、団塊の世代が年金を受け取るころのことを考えると、私の友人なんかが五人目が生まれたなんというと、これは少し無理をしてもたくさんお祝いを出さなければ悪いかなと思ったりするのですが、出生率についてはどんなふうにお考えになっておられますか。
  61. 福武直

    福武参考人 私、そういうことにつきまして余り自信のあるお答えはできないのでございますが、人口問題研究所は大変厳しい予測を出しているわけでございますけれども、しかもなお、その前提といたしましては、二・一人の人口置きかえ水準に返ってくるということを前提としているわけですね。私、その論拠といたしましては、このくらい産みたいという希望があるからそうなるだろうということでありまして、余り安心できないんじゃなかろうかという気がいたします。したがって、やっぱり産みたい人は産めるような条件をつくらなければいけないんじゃないか。そういう意味におきまして、児童手当というふうなものも基本的に考え直してみなければいけないんじゃないか、社会保障システムとしてではなく別に。それから社会保障の中では、産めるようなシステムを何とかしてつくっていく。それで、私は、そういう意味におきましても、社会福祉サービス面における充実が必要になってくるんじゃなかろうか、そういう気がするわけでございまして、今は保育所に預ける子供も減っておりますし、幼稚園も私立はつぶれるというふうな状況でございますけれども、改めて、婦人の職場への進出ということをカウントしながら、基本的に考え直さなければならないんじゃなかろうかという気がしております。
  62. 菅直人

    ○菅委員 最後にもう一点だけ。これは同じく福武先生に、先ほど一橋の野口先生の独立会計、いわゆる社会保障勘定を別建てにするという話をちょっと出されましたけれども、この考え方をとっていく場合に、税の取り方の問題にもなるかとも思うのですが、福武先生としてはこういう考え方も大いに検討すべきだというお考えかどうか、ちょっとその点を一つだけお願いします。
  63. 福武直

    福武参考人 そういうふうに思っております。そういうふうなことになればはっきりした目的税が福祉に使われるということで理解が得られるのではなかろうか、そういう気がするわけでございます。今のままでございますと、それだけ税収があったんだからということで別の面で切られるということになったのでは困るというような、そういう気がしております。
  64. 菅直人

    ○菅委員 どうもありがとうございました。
  65. 有馬元治

    有馬委員長 これにて、午前の参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人各位には、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。  午後二時より再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時十一分休憩      ————◇—————     午後二時三分開議
  66. 稲垣実男

    ○稲垣委員長代理 休憩前に引き続き会議を開きます。  参考人から御意見を聴取することにいたします。  この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  参考人各位には、御多用中のところ御出席をいただき、まことにありがとうございます。本案審査参考にいたしたいと存じますので、それぞれのお立場から、何とぞ忌憚のない御意見をお述べいただきたく存じます。  なお、議事の順序でございますが、まず参考人各位から御意見を十五分程度お述べいただき、次に委員諸君からの質疑にお答えを願いたいと存じます。  それでは、まず小山参考人にお願い申し上げます。
  67. 小山路男

    ○小山参考人 御紹介をいただきました小山でございます。  私は、社会保険審議会厚生年金保険部会長を務めさせていただいておりまして、この法案の審議に最初からタッチしている立場でございます。その経過から御説明申し上げまして、本法案に賛成である旨のことを申し上げたいと思います。  実は、今回改正をどういうふうに持っていくかというのは、残された最後の機会だと私どもは承知しておりました。つまり、高齢化がこのまま進みますと将来負担増に悩んで、後代負担に依存するような年金制度は必ずや破綻するに相違ない。そこで、今回改正をどのようにやるのかということにつきましては、実は慎重審議をいたしたわけでございまして、昭和五十六年十一月以降三十回にわたりまして厚年部会で審議をいたしまして、五十八年七月十五日に、厚生年金保険制度改正に関する意見というのを厚生大臣に提出したところでございます。  その主な内容を申しますと、第一は、年金制度の長期的な安定を確保するためには、これまでの制度の枠組みにとらわれることのない思い切った発想、決断が必要である。つまり、従来の年金改正は、ややもいたしますと厚生年金なら厚生年金だけの給付水準改善、あるいは料率の引き上げというような点にのみとらわれまして、制度全体の整合性に対する配慮がややもすれば欠けておったと思われるのでございます。しかしながら、今後はそういう態度では到底年金改革は不可能である、このように思いまして、長期的な安定を確保するということから、各種制度全体を再編成する必要があると考えたわけでございます。  その一つが、各公的年金制度に共通する給付を導入し、年金制度全体の整合性を確保することであります。これが今回改正基礎年金という構想になるわけであります。  第二番目は、給付における夫婦世帯と単身世帯のバランスを図るとともに、サラリーマンの妻にも独自の年金権を確保することであります。  我が国の年金制度は、被用者制度、被用者保険にかかわるものは全部世帯単位給付されております。これも、共済年金の場合は加給年金がございませんし、厚生年金の場合は妻に対して一万五千円の加給年金が行われているのでございまして、これもばらばらであります。が、いずれにいたしましても夫婦世帯というものと、それから単身世帯と申しますのはこれは国民年金を想定しております。国民年金の場合は一人一人が保険料拠出して年金権に結びつくという制度でございます。そうなりますと、この原則が共存しておりまして、そして、サラリーマンの妻は現在七割程度国民年金等に加入していると言われておりますが、残りの三割の方につきましては年金上の保護が加えられていないわけでございます。そこで、どうしても、年金制度というものはやはり個人単位といいますか、単身世帯単位個人単位を中心にして、そして給付世帯単位で考えるという方式を考えざるを得ないだろうということでございまして、これが基礎年金を妻にも厚生年金の中で付与するという今回改正につながっているわけでございます。  それは、実はもう少し申しますと、給付の過剰、重複を避けるという意味もあるのでありまして、現在、厚生年金同士あるいは厚生年金保険と国民年金につきましては調整措置の講ぜられているものもあるのでありますが、しかし、例えば厚生年金を二つもらう夫婦というのはいるわけでありまして、御主人も厚生年金、奥さんも厚生年金、そうなると加給年金調整いたしましても四人分の年金で二人の世帯が過ごせる、こういうようなことになります。共済年金をもらっている御主人に厚生年金をもらっている奥さんがいらっしゃる、こんなときは何らの調整も加えられない、こういうことでございますので、やはり制度のバランス、整合性ということと、それから夫婦と単身のバランスを考えるということ、そういうことを考えますとどうしてもこういう制度を考えざるを得ないと思うのであります。  第三点といたしまして、受給者と現役被保険者のバランス等に配慮して、将来に向かって給付水準を適正化するということでございます。  これは現行のまま給付水準をほうっておきますと、年金と申しますのは、加入期間が長ければ長いだけ、拠出した保険料が高ければ高いだけ年金額がふえるという性格がございます。これを野放しにしておきますと、将来は標準報酬の八〇%を上回るような年金が近く実現する。こういうことになりますと、後代負担が非常に重くなりまして、とても負担にたえられるものではないということでございますので、結局現役被保険者の収入等とバランスをとりながら給付水準を適正化していく必要がある、こう思ったのであります。  それから第二に、厚生年金制度に固有の問題がございます。これは他制度との均衡が図れるように、各種特例の見直し等の思い切った措置が必要でございまして、例えば十五年年金の特例であるとかそういった各種の特例が講じられているところでございますが、これを思い切って合理化すべきだ、こういうことを言ったのであります。  この意見書を受けまして、今回改正の諮問が五十八年十一月二十八日に行われました。そして、五十九年一月二十四日に答申を行ったところであります。  諮問されました改正案の主要点は、一つ制度体系の再編成ということで、全国民に共通する基礎年金の導入ということであります。それから、二番目が給付水準の適正化ということでありまして、この適正化についていろいろ意見があると思うのでありますが、現行の給付水準を将来にわたってこれ以上引き上げないという改正であります。ごく大ざっぱに言えばそういうことでありまして、給付水準を適正化して、現行の給付水準はこれ以上引き上げないような措置を講じる。  それから婦人年金権の確立。これは基礎年金の導入によってこれが可能となります。  それから四番目に、これは私どもが障害生活保障問題専門家会議という別のところで議論したのでありますが、障害年金改善に関する点でございまして、障害年金につきましては、二十歳前で障害に遭われた方につきましては、保険の方から、最低保障基礎年金障害年金を保障するという思い切った改善をお願いしております。  それからまた、厚生年金におきましては、事後重症制度について五年という期間の縛りがあったのでありますが、これを廃止していただくということもお願いしているわけでありまして、この点は全員一致してひとつ障害年金改善ということを言っているわけであります。  いずれにいたしましても、これらの点は意見書にまとめられた措置をほぼ忠実に実施しようとするものであり、「諮問案については、基本的に了承するので、その早期実現に努められたい。」とする点で全員一致で答申をしたのでございます。  今回の案は、一つ既得権と申しますか、既裁定年金のレベルに思い切った手を加えないという点で、給付水準の適正化の面でまだまだ見直す点も必要かとも思いますが、しかし、現在与えられております条件の中では最善の案だと私は確信しております。これ以上の適正化案というのは恐らくだれがやっても考えられないのではないかと思われるくらい、慎重に考慮された案だと思います。  なお、この問題につきましては、一部で、基礎年金については全額、税でもって負担すべきだという意見もございました。  税方式について一言私の考え方を申しますと、税方式でやる場合には無年金者が絶対にいなくなるという意味での長所はあるやに見えますけれども、しかし、現実に今の制度は無年金者が出ない制度になっておりまして、拠出を故意に怠らない限り無年金になることはあり得ないというのが一つであります。それからいま一つは、基礎年金相当額をもし全額、税で補うといたしますと、その必要財源は今の価格で五兆円以上、試算の仕方によっては七兆ぐらいになりまして、それほど大規模な増税をやり得る余地が現在ないのであります。そういう点から考えましても、どうも税方式による年金というのはこの際とるべきではない。社会保険方式が定着しておりまして順調に発展してきた我が国の国情にかんがみますと、税方式はとるべきではないと私は考えたわけであります。  以上、ごく簡単でございますが、審議に携わった者といたしまして、この法案の内容について私は賛成の立場で陳述をいたしました。  どうもありがとうございました。(拍手)
  68. 稲垣実男

    ○稲垣委員長代理 ありがとうございました。  次に、橋本参考人にお願いいたします。
  69. 橋本司郎

    橋本参考人 私は橋本でございます。朝日新聞の編集委員をいたしておりまして、社会福祉、主として年金、老人問題を担当しておりますが、きょうは新聞の立場を離れて、私の考えておりますことを率直に申し上げたいというつもりで、年金評論家という肩書で参上いたした次第でございます。よろしくお願いいたします。  それから、ただいま共済年金をこれからどうしていくかという勉強会が大蔵省で行われております。自治省を初め関係各省の方々、それに私と村上清先生の二人が参加いたしまして勉強を続けております。それからもう一つは、国鉄共済に対する救援をどうするかという財調委員会がございまして、私はこれにも参加をいたしております。そのように共済、それから厚生年金国民年金すべてを見渡して物を考えておりますので、そういう立場で申し上げてみたい。何を申し上げても釈迦に説法になってしまうと思いますので、主として政府案について私はこう考えているということを中心にお話しをさせていただきたいというふうに思います。  まず、日本年金制度というのは、諸外国に比べましても、非常によく整備された立派な年金制度であるというふうに思います。思いますが、これには非常に大きなウイークポイントがあります。それは何かといいますと、制度がたくさんに分かれて分立しておりまして、しかも、支払い不能と思われるような大きい年金水準をそれぞれが主張しておるということであります。この点では、その結果、制度が分立しておりますために、経済社会的な影響をもろに受けるという体質がある。非常にこれは危険であります。しかも給付水準が異常に高い。あえて異常にと申し上げるほど高いわけであります。その結果、国鉄や一部の地方公務員共済は、もう来年度じゅうに支払いが不能になるという状況になっております。共済組合が発足をいたしましたのが、国鉄の場合には三十一年でありますから、わずか二十数年で支払い不能になるというふうな状態、これは常識では考えられない制度であります。ところが、厚生年金国民年金、船員保険についてもこれをよそごとだというふうに考えておれない状況になってきた。そこに、今回の改正をどうしてもやらなければならない根本的な理由があるように考えております。全国民をベースにした大規模な制度でございますので、国鉄の救済のような、一部を小手先で緊急避難的な対策をとるというふうなことは、厚生年金国民年金の場合にはできません。したがって、従来の考え方を大いに変えた根本的な改正をどうしてもやらなければならないという状況になっておると思うのであります。  そこで、それではどんな視点に立って改正をすべきかといいますと、普通の言い方をしても余りおもしろくないと存じますので、私の独断的な考え方をちょっと申し上げますと、今までの年金改正というのは、専ら受給者の立場に立って年金額をふやすということに突っ走ってきた。その結果、ふと気がついてみると、それがすべて将来の負担に頼らなければならないという状況になってきた。そこで、もう受給者の立場からの年金を考えるということはこの際やめたらどうか。将来の負担の側に回る人たちの立場に立って、その人たちの生活が果たして維持できるのかどうかというところの方から物を考えないといけない時期に差しかかっているというふうに考えます。特に将来の負担増のピークになりますと、ただいまの義務教育年齢以下、極端な場合はこれから生まれる子供たちの負担になるのでありまして、そういう人たちの意見というのは年金法の改正の場合に意見を集約することができません。そこで、我々先輩としては、後輩が生き残ることができないような負担を将来に残すということは絶対に慎まなければならない。それが先輩の世代である我々の責任であるというのが基本的な考え方であります。  そういう立場に立って今回の改正を見ますと、まず基礎年金の導入でありますが、これは厚生省の御説明はいろいろなことがあると思いますけれども、私はこれは国民年金財政対策であるというふうに理解をしております。厚生省はそういう御説明をなさいませんが、私はそう考えております。それで、いろいろ財政対策というと、そんなことをやってはいけないんだとかいうふうによく思われがちなのですけれども、全国民をカバーする年金の財政基盤がしっかりしていないようではすべての公的年金が崩壊してしまう、つまり保険料を払う国民にしても非常に不安な状況になってしまう。それでは年金というものに対する国民の信頼をつなぎとめることはできない。したがって、国民年金を全国民共通の年金制度としてその財政の基盤をしっかりさせる、つまり財政対策をしっかりやるということは絶対に必要なことなのであります。そういう意味で国民年金財政対策であって、これはぜひやらねばならぬことだというふうに私は考えております。  それから、もうちょっと小さな問題になりますと、婦人年金権の確保、先ほども小山先生がお触れになっておりましたが、これはサラリーマンの妻を強制加入にするということであります。強制加入というのは、社会保険では当然のことでありまして、強制加入でない社会保険などというのはちょっと考えられない。むしろ、現在任意加入のままにしておきますと、任意不加入ということによって年金がなくなってしまうということになります。それを防ぐという意味で強制加入にするということは当然であり、また評価できる改正であるというふうに考えております。  それから年金水準なのですが、これは相当程度のカットになっております。カットの率の見方は人によっていろいろ違いますけれども、この程度年金水準の将来に向かっての引き下げはやむを得ない、むしろ厚生省のおつくりになった案では経過措置が慎重過ぎて、これではちょっとなおかつ将来に心配が残るのではないかという気さえいたします。しかし余り急激な変化というのは年金にとってもよろしくありませんので、この際は恐らくこの程度水準を引き下げる限界であったのではなかろうかというふうに思います。  ちょっと余計なことですが申し添えておきますと、共済年金の場合には厚生年金国民年金の引き下げの幅よりもさらに大きく引き下げないと、どうにもやっていけない状況に数字上はなっておるということであります。  それから障害年金の問題なんですけれども、これは従来の社会保険理論からは全く考えられないような改正であります。しかし、障害年金受給者の六〇%を占める二十歳前の障害者というのは非常に気の毒な状況に置かれておったのでありますから、それの年金を適当な額まで引き上げるというのはぜひやっていただかなければならないことであったわけです。ところが、これを国庫でやるか保険でやるかですが、筋からいえば国庫でやるのが一番よろしいと思いますが、国庫でそれを負担するということが実現するのを待っている間に、低い年金障害者がどんどん亡くなっていっているという状況もございます。これはもうまさに一刻でも早い方がいいという状況もあります。そのためには現実的な選択として保険で見るという格好になったわけですけれども、この点については保険の側がかなり思い切った決断をしてくれたというふうに思って、実は障害年金の引き上げに割合根っこの部分から私、タッチしておりましたので、大変うれしいことであるというふうに思います。早期成立を望む障害者も非常に多いので、何とかその人たちの希望に沿えるようにしていただきたいというのが私のお願いであります。  それから、遺族年金についてもいろいろな問題があると言いましたが、現在の制度で問題があるということであります。それは制度が分立しておりますので、うまいぐあいにかみ合わされた場合には大変結構な年金がもらえる。ところがそうでない、例えばたまたま国民年金に加入していなかったとか保険料の納め方が足りなかったとかというふうな状況がちょっとあると、同じ未亡人であっても年金の額が非常に違ってくるというふうな状況であります。それを今回の場合にはかなり思い切った整理が行われるという意味で、評価してよろしいのではないかというふうに思います。特に母子、準母子福祉年金の受給者は、これが遺族基礎年金にまとめられますとかなりな増額になります。母子、準母子福祉年金の受給者というのはかなり気の毒な階層なので、新しい裁定を受ければこの人たちにとってはかなりな朗報になるのではないかというふうに思います。  子なし若妻の問題があります。これは実は私の気持ちで考えていたのは、子なし若妻に年金を差し上げる、そして再婚すると年金はなくなってしまう。つまり再婚を禁止するための年金みたいな変な感じなのであります。しかし、再婚してなおかつ年金をもらおうというのもまたちょっと変な話であります。そこで思い切って、子なし若妻は、もう新しい人生を歩んでいただくためのはずみに、例えば三年分とか五年分とかの年金を一時金で差し上げるという格好にでもしたら、かえってさっぱりするのではないかなというふうにひそかに思っていたのですけれども、年金でも悪いとは言えませんので、だから別に反対するという気持ちはありません。ちょっと御参考までにそんな考え方もあるということだけ申し上げてみたわけであります。  それから、国民年金の死亡一時金が今度拡充されます。これはどちらかというと、私は廃止すべき性格のものではなかったんだろうか。つまり、社会保険では掛け捨てというのは当然でありまして、例えば健康保険にしても、健康な人は保険料は払ったままで医者に一度もかからないという人もあるわけです。しかし、健康ということは最大の財産でありますから、保険料を払っても健康な方がいい、そういう考え方が社会保険ではなかろうか。つまり三途の川を渡ってしまえばもう年金は要らないんだ、なぜ遺族に死亡一時金などを渡さなければならないのか。私は意味不明であると思っておったのでありますけれども、残念なことにこれが増額になっております。しかし、日本では保険の掛け捨てというのは余りみんなお好きじゃなくて、例えば個人年金にしても、完全終身年金よりも十年確定、そしてその後は終身年金とか、そういった考え方が好まれますので、ある意味では仕方がないことかもしれません。その辺は御賢察をお願いいたしたいというふうに思います。  時間がもう余りなくなってまいりましたので、今後の問題というのをちょっと駆け足で申し上げてみたいというふうに思います。  共済年金は、できるだけ早く基礎年金に合流しなければならないというふうに思います。  一つは、共済の妻が御案内のとおり適用除外になっております。これは共済年金法の改正が行われるという前提でそうなっておるので、共済年金法の改正がついてまいりませんと、共済加入者の妻は無年金の状態になってしまうので、これはぜひ急いでいただきたい。  それからもう一つは、障害基礎年金の原資であります。これも基礎年金に参加しないと、共済グループは障害者のための年金の原資の負担をしないということになってしまいます。公務員その他にも子供さんに障害児が発生することだってあるわけですから、これは本当に全国民で支えていかなければならない筋合のものであろう。これは基礎年金に合流してもらわなければならないという理由の一つであります。今、共済の方で一生懸命勉強会を開いておりまして、できるだけ早い機会に法律として出てくると思いますので、何分よろしくお願いいたしたいと思っております。  それから、公的年金以外の各種の年金の再検討というのをぜひお願いしたいというふうに思います。例えば農業者年金基金、厚生年金基金、国会議員、地方議員の互助年金、こういった種類の年金も、年金法の改正に伴って国庫負担のつけ方がいろいろ変わってまいりますので、それと見合いができるような整理を全般的に見通した立場から行われないといけないのではなかろうか。  それから、今回の政府案で完全無欠かと申しますと、私は完全無欠だとは思っておりません。細かいことですけれども何やかやとございます。例えば社長年金。六十五歳になると全部年金をもらってしまいます。共済をこれにすり合わせるときに困っておりますのは、最高裁の判事さんたちは七十歳までおいでになります。そうすると、六十五過ぎるともう基礎年金が出てしまいます。共済年金も、厚生年金と一緒に六十五歳で打ち切り、被保険者としないということになりますと、最高裁の判事さんは基礎年金をもらい、共済年金をもらい、月給をもらうという格好になってしまうのであります。これは何とかどこかで整理しなければならないことであります。これも厚生年金の方に影響が将来発生してくるかもしれないというふうなことは、とりあえずこの法律が成立して、とりあえずといいますかできるだけ早くこの法律が成立して、その上で第二弾の、各制度整合性を保つための見直しという作業にすぐに取り組まなければならない。そのためには一刻も早くこの法案を成立させていただきたい。特に共済年金の方はお蔵に火がついているという状況でございますので、この整理も早くしなければならない。ところが一方では、もとになる厚生年金国民年金法が成立していないという状況のもとで、それとの関係を勉強しなければならないという、ちょっと困った立場に追い込まれております。それもできるだけ急がなければなりませんので、あえてこの法案が成立した場合ということを仮想して、それで勉強を進めているという状況であります。日本年金の全体を決定する非常に重要な時期でありますので、その辺の御賢察をいただければ大変ありがたいというふうに思います。  スライドの見直しの問題も将来の問題として出てくると思いますが、そういったような問題をやるためにも、繰り返して申し上げますが、少なくとも本法案を衆議院の段階でも通していただければ、我々の次の段階の勉強をしておる者にとっては大変ありがたいということをつけ加えて申し上げさせていただきたいと思います。  どうもありがとうございました。(拍手)
  70. 稲垣実男

    ○稲垣委員長代理 ありがとうございました。  次に、平石参考人にお願いいたします。
  71. 平石長久

    平石参考人 平石でございます。  今回提出されております政府年金制度改正案といいますのは、いろいろ御苦労された跡がよく見受けられるのでありますが、私は私なりに勝手に考えたことを、ここで申し上げさせていただこうというふうに思っております。  幾つかの点を拾ってまいりますが、一元化というのは大変結構なことであり、苦心の跡があると思われます。先ほど来話題になっておりますように、共済もできるだけ早く一元化するのが妥当であろうと思われます。  なお、保険方式を採用しておりますが、一部に租税で財源を調達してはどうかという意見もありますのに、保険方式を採用しておりますのは、もし租税で財源を調達した場合に、その財源が大蔵の所管になり、自由に年金制度で使うことができないような危険性があるのではなかろうかと思います。もしもそのような危険性が生じては困りますので、いっそのこと保険料で徴収しておいた方が妥当ではなかろうかというような考え方をしております。  なお、個人単位年金というのが基礎年金につくられておりますが、その場合に女性の年金権確立という言葉がよく使われます。その女性の年金権確立というのは、男女平等であるようにという意見もかなり聞くのでありますが、私は、男女平等だけでよろしいのであろうかどうであろうかということを考えるのであります。  といいますのは、我が国の年金制度では、これはよその国でも同じでございますが、無業主婦が家庭で家事労働に従事している場合に、夫の稼得活動に対して寄与した家事労働の評価というものがほとんど認められていない、評価をされていないというのが現状でございます。その主婦の家事労働というものを評価した場合に、当人自身が年金権を獲得できるのは当然であるというふうに私は考えるのであります。  なお、女性の年金権というのがよく話題になりますが、女性の年金権は、雇用の場についている人と雇用の場についていない人によって、それぞれ分かれてまいります。また、雇用の場についている人でありましても、結婚、出産、育児というような問題からもし雇用を離れた場合に、再び雇用の場に戻るのが非常に困難なのが女性であります。失業したときに不利益をこうむるのは女性と高齢者であるとよく言われますが、その不利益というのは、一つはこういう年金権に結びついてくるであろうと思うのであります。なお、もし雇用の場についておりましても、男女の賃金に差があるのが現状でございますので、この差はそのまま所得比例年金に持ち込まれていくということになるのであります。  なお、無業主婦の場合は、先ほど申し上げましたように夫の労働力再生産に寄与して、つまり稼得活動に寄与した家事労働というものを評価して、年金というものを考えるべきであるというふうに考えます。もしこのような家事労働の評価が可能であれば、夫の所得比例年金についても何らかの形で権利を持つということになろうかと思われます。これは、ことしの春発表されましたILOの専門家の報告の中にも、そのような考え方が出てきております。  なお、子供のいない未亡人の話題が先ほども出ておりましたが、私は、稼ぎ手を失った場合にこうむる経済的な打撃は、子供がいようといまいと同じであるというふうに考えます。したがって、子供のいない若い未亡人の場合でもある一定期間、そう長い必要はないと思います、ある一定期間いわゆる有期年金支給し、自立を促進させるというのが妥当ではないかと思います。年金を受給しているよりはむしろ自分で働いて、その労働により得た正当な報酬でもし自立できるのであれば、その方がその若い未亡人には経済的により有利ではなかろうかと思うのであります。したがって、その若い未亡人がある一定期間寡婦年金を受給している期間に職業訓練もしくは職業教育を提供し、雇用の場に早くつけるような手当てをしておく必要があるのではないかと思われるのであります。  あと若干申し上げますが、その中で、新しい厚生年金の適用はどうなるのかと思ってみておりましたが、五人未満が、今回では即座に五人未満にも適用されるのではなくて、いずれそのうちに適用される方向にいくのではなかろうかと思うのであります。同じ勤労者でありますから、五人未満の小さな企業に勤めている労働者も、できるだけ新しい厚生年金でカバーして、有利な年金に移した方がよろしいのではないかと思います。  なお、基礎年金の場合、例えば老齢基礎年金でございますが、二十五年加入、六十五歳以上、そして拠出の納入済み期間が不足している場合には減額を行うという形になっております。ところが、この二十五年という期間でございますが、我が国では、この国に生まれ、この国に育ち、この国で死んでいくというものがおよその形であろうと思います。強制適用という形をとり、全国民、むしろ全居住者と言った方が妥当だと思いますが、全居住者を対象として強制適用を行う、しかもよその国に移り住んでいくというような例は比較的にまれであるというような状況であれば、二十五年という長い期間が果たして必要なのであろうかという疑問を持つのであります。むしろ、この国に居住した期間が十年もしくは五年というような、もう少し短い期間でも年金の受給資格に結びつく方法を講じてもいいのではないのかというふうに考えるのであります。  なお、拠出期間の少ない場合には減額を行うということになっておりますが、計画では五十九年度の価格で五万円が一人当たりの年金であるというふうに説明をされております。五万円を支払うといいますが、これは期間が足らなければ削るということになりますので、この五万円というのは最低の保障ではなくて、悪く言えば最高額であるという形になってしまいます。しかも、五万円という金額は平均賃金から見てもそれほど高い水準ではありません。拠出の納入済み期間が不足しているからといってこの五万円を削るのが、果たして妥当であろうかどうであろうかという疑問を抱くのであります。むしろ減額というのは六十ぐらいからの早期受給に対して適用すべきであって、納入済みの期間が不足しているから減額というのはもう少し検討していいのではないかというふうに考えるのであります。  なお、計画では一人当たり五万円、二人で十万円という数字が示されております。この形は、夫婦二人の場合は一人分の二倍であるという形だろうと思います。いろいろ御苦心の結果この形になったのだろうと思いますが、二人は一人の二倍というふうに考えてそれでよろしいのだろうかという疑問を感ずるのであります。二人になれば二人分の生計費が必要なんだろうか。私はむしろ、二人でやれば一人分の一・六倍程度、つまり〇・六上積みした程度が二人分の水準ではなかろうかというふうに考えるのであります。もっともその場合は金額が幾らであるかによっても問題は生じますが、一人分と二人分というぐあいに考えた場合、二人分は一人分の一・六倍ぐらいが妥当ではないかというふうな考えを持つのであります。  なお、年金水準というのは厄介でございまして、よく話題にはなります。数字を出して考えるというのも一つの考え方でありますが、年金水準を考える場合に、特に勤労者の年金を考える場合、年をとって収入がなくなった場合、その失った収入を補い償うという意味が一つ、それから、かつて到達した生活水準をできるだけ維持させるという機能が一つ、この二つを組み合わせた形で水準を考えていかなければならないのではないかと私は思うのであります。通常、よくあらわれておりますのは賃金の何%でなければいけないというような形、これはILOでよく使っているのをそのまま使った形でありますが、もちろん、水準を示すには、そのように賃金の何%という示し方は一つの示し方であろうと思います。しかし、その考えの中に、失った所得を補い償う考えと、それから生活水準を維持させるという、二つの考え方を酌んでこなければならないのではないかと思うのであります。  それから、六十五歳という年金年齢がよく出ておりますし、今回のにも入っておりますが、大体六十くらいで仕事をやめてしまうというのは本来おかしいのでありまして、まだ働ける人を働けないように追い込んで、それで年金生活に移してしまうというのが従来の形でありますが、働ける人はできるだけ働く、働いてもらうというのがむしろ妥当ではないかと思います。しかも、そういうことを前提にしまして六十五歳の年金年齢を採用するのであれば、採用するのであればということは、五歳の年齢の差というのは財政的に非常に大きな影響を持ちます。五歳低くするか五歳高くするかによって、財政的に大きな影響を与えます。もし五歳引き上げて六十五歳にすれば、財政的な影響はもちろん生ずるわけです。将来は恐らく六十五歳の年齢を採用しなければいけないであろうと思います。しかしながら、その場合には、六十五歳まで働ける者には働く場を必ず約束しておくという必要があろうかと思います。年金支給開始というもの、つまり年金制度と雇用というものを切り離しておけば、路頭に迷う者が多数生ずるであろう。そのような者を生じさせないためには、年金制度と雇用というものは結びつけておく必要があるのではないのかというふうに考えるのであります。自分で働いてその収入で自立するのが、我々の世の中の本来の姿だと思います。そして、働いた収入で生活を維持できない、つまり収入を得ることができなくなった場合に社会的な給付社会保障が機能してくる、これが本来の姿であろうと思います。そのためにも、雇用と年金というものは結びつけておく必要があるのではないかと思います。  最後に、時間が来ておりますが、一言だけつけ加えておきます。  老齢者の雇用を言う場合に、私たちはよくフルタイムを考えます。しかし、少なくとも六十を越えた人たちの場合に、もう必ずしもフルタイムの雇用を考える必要はないであろう、部分的な就労でもよろしいのではないのか。もちろんそれによって賃金は減ります。部分的な就労によって、一人の雇用を二人か三人で分け合うことも可能でありましょう。しかし、賃金が減った分は年金の一部で埋めるという方法を講ずれば、六十から部分的な就労をすることも可能になるのでありますし、いきなり年金生活に入っていくショックを和らげる、ソフトランディングの手段にもなるであろうと思われるのであります。  以上で終わります。
  72. 稲垣実男

    ○稲垣委員長代理 ありがとうございました。  以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  73. 稲垣実男

    ○稲垣委員長代理 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。自見庄三郎君。
  74. 自見庄三郎

    ○自見委員 自見庄三郎でございます。  きょうは、本当に暑い中、お忙しい中、わざわざ参考人としておいでいただきましてありがとうございました。また、大変貴重な御意見を聞かしていただきまして、深くお礼申し上げます。  年金改正でございますけれども、まず小山路男教授にお聞きしたいのでありますけれども、いわゆる年金官民格差と申しますか、このことについて先生の御意見をお尋ねしたいわけでございます。  いわゆる基礎年金というのを今度導入することによって、長い目で見まして、この年金財政の確立、それから年金の一元化をしようというのが、御存じのように今回の改正案の趣旨でございます。そういった中で、昭和六十年度に予定されています共済年金についていわゆる基礎年金の導入を図るということは、そういった意味で大変必要なことだろうと私は思うわけでございますし、今さっき橋本先生もそのことを大変強調されたように私はお伺いいたしております。そういった意味で、いわゆる共済年金基礎年金の導入を図ることは官民格差是正の第一歩ではないかと思いますけれども、官民格差の是正について小山教授の御意見をお聞かせいただきたいと思います。
  75. 小山路男

    ○小山参考人 官民格差の是正につきましては厚生年金保険部会でも非常に強い意見がございまして、支給開始年齢が事実上厚生年金より早いとか、年金額が高過ぎるとか、そこでどうしても官民格差を平均化する必要があるということは、共通の意見でございます。このことは申すまでもないことであります。  ただ問題は、基礎年金部分に共済が乗るだけで、上積み部分が果たして合理的な解決ができるのかどうか、これは私は共済の方を専門にやっているわけではございませんけれども、技術的に非常に難しいと思います。それからもう一つは、厚生年金の場合は例の一万五千円という妻の加給がございまして、それを膨らませて今度五万円という基礎年金にする。共済の場合にはそういう加給という制度がないところを年金を割るといいますか、夫婦に分けてやるということが技術的に難しいんじゃないかなとは思っておりますが、官民格差の是正というのは当然のことである、ぜひそれは進めていただきたい、それは私どもの意見書、答申書全部において述べているところでございます。
  76. 自見庄三郎

    ○自見委員 どうもありがとうございました。  小山教授は、今回の改正案は最善のものであるというふうに言っておられたと思いますけれども、しかし長い目で見まして、今後の課題といいますのは、年金制度の中に当然いろいろな課題がある。現実的に一歩一歩改革していくには、今回の政府提出の案は最善であるというふうに言われたんじゃないかと私は理解いたしておりますけれども、特に長い目で見まして今後に残された課題と申しますか、そういったものについての先生の御意見をお聞かせいただきたいと思います。
  77. 小山路男

    ○小山参考人 実は、今回の改正で第三種被保険者というのがおります。坑内大でございます。これが昭和二十五年当時は十九万八千人の被保険者がおりました。現在どれだけいるかというと三万五千人でございます。言うまでもなく、エネルギー革命の影響で非常に人数が減った。もし坑内夫の年金が独立の制度であったとしたら、国鉄よりも既に前に崩壊してしまったであろう。私は、年金制度というのは、経済社会の進展に照らしながら絶えず見直さなければいけないものだと思っております。と申しますのは、今進みつつある技術革新というようなものは一体どういうふうな方向で動くのか、私どもいろいろ考えているんですけれども、なかなか予測がつかないのであります。  国民年金について申しますと、国民年金制度を設計いたしましたのが昭和三十年代初期でございますから、その当時の自営業者なり農村の状態を見て制度を設計いたしました。あの当時は、たしか自営業者と家族従事者が六〇%近くを占めていたと思います。サラリーマンは四〇%であります。現在はどうかと申しますと、サラリーマンが七・〇%近くを占めまして、残りの三〇%が自営業者と家族従事者にすぎない。このように非常に社会変動が激しいのでございまして、その社会変動が激しいのに対して制度が弾力的に適応していきませんと、今後の長期的安定というのも難しかろう。そういう意味で申しますと、これは意見書の中にも我々書いておいたのでありますが、絶えざる見直しを必要とする。具体的にどの点がどうだということを申すつもりはありませんけれども、例えば年金給付水準につきましても、あるいはその他企業年金制度につきましても、今回の整理というのはいわばむだなところを落とす、前局長の言葉を使いますと、肥満な体質であったものをスリムな体質に直すということに主眼が置かれております。しかしながら、そのスリムな体質にしておきましても、なおかつ、社会経済の変動がどういう格好で動いていくのかということを絶えず我々は考えながら、年金水準あるいは年金のあり方について手を入れていかなければならない。そういう意味でいきますと、今回改正はまことに画期的でありますけれども、それは改革の第一歩である、こういうふうに私どもは考えております、
  78. 自見庄三郎

    ○自見委員 先生の御意見で、絶えざる見直しが必要であるという御意見でございました。  それから次に、橋本司郎参考人にお聞きしたいわけでございますけれども、今後増大する年金給付費を賄うために、保険料負担は段階的に引き上げていかざるを得ないことでございます。ここで考えられることは、当然の議論でございますけれども、いわゆる保険料の労使折半の負担を改め、当然企業の負担を高めることによって被用者本人の負担を軽減しようという主張もあるわけでございます。使用者側が七、勤労者側が三というふうな御意見もございます。現実にヨーロッパにおきましては、フランスでは使用者側が六四%ですか、私、ちょっとあれですが、それからイギリスが五四%、西ドイツ、アメリカはこれはもう労使折半でございますけれども、そういった御意見が当然国の中にもあるわけでございます。この点について、橋本司郎参考人の御意見をお伺いさしていただければと思います。
  79. 橋本司郎

    橋本参考人 保険料をだれが払うか、これはかなり大きな問題だろうと思います。例えば公務員の場合に負担割合を七、三にいたします。そうすると、保険料の料率を二倍にしても労働者の負担はほんのちょっぴりしかふえないということになります。大変便利に見えます。しかし、民間労働者は果たしてどうだろうか。つまり、保険料を一たん賃金として受けとってから払うか、それとも労使の配分の前に、本来労働者に支払われるべき賃金の一部を使用者の方で留保して、それを支払うという格好に今なっておるわけですね。結局いずれにせよ、どんな形で払おうと、利潤の配分であるということにおいては変わりがないわけであります。ですから、保険料のもとが生産の配分であるのか、それとも生産でないものから払うのかというところの違いがあると思うのです。特に官公労系の労働組合の諸君の間では、負担割合を七、三にしろという意見はかなり前から出ております。しかし、それを民間労働者に適用した場合には一体どうなるのか。しょせんは利潤の配分の中なので、一たんは労働者の負担が軽減されるように見えても、結局はその次の段階で必ず全部取り返されてしまいます。まったく同じことであります。七、三負担にすれば保険料を上げても大丈夫だ、将来の高保険料に備えて七、三にすべきだというのは、どちらかといえば親方日の丸的発想であって、民間の特に中小企業の労働者になればそういうことは厳しいわけですから、例えば非常にもうかる会社ですと、七、三にしても会社の方で何とか持ってくれるかもしれません。しかし、中小企業の労働者はこれは全部もろに取り返されてしまいます。ですから、むしろ民間の恵まれない労働者を無視した意見だというふうに私は考えております。1労使折半というのは、健康保険が最初にできましたときに、いろいろな労使の負担の計算をした結果そういうのができて、それが今もう日本の国の中では非常になじんでおります。将来高負担の時代が参りましたときに、その負担の重みを一人一人の被保険者が感ずる方が、むしろその制度を維持するために非常にいい影響を与えるようになっていくだろうと思います。むしろ負担が軽くなってそれでもらうものがもらえるんだというふうな考え方は、もうこれから先はとるべきではないというふうに私は考えております。
  80. 自見庄三郎

    ○自見委員 どうもありがとうございました。  それから平石教授にお聞きしたいわけでございますけれども、老後生活において公的年金はどこまで保障すべきか。いろいろな私的な自助努力、企業年金、今さっき先生もそういうことを少し婦人年金権で言われましたけれども、基本的にどこまで公的なものと私的なものを役割として、特に年金の場合、役割をどこに持たせるかということは非常に重要なことだと私は思うのです。そういった意味では、公的年金と私的部分の基本的な位置づけについて先生の御意見があればお聞かせいただきたいと思います。
  81. 平石長久

    平石参考人 ただいま公的年金と私的年金との役割、位置づけをというふうにおっしゃったのでございますが、私は、公的年金というのはあくまでも基本的な部分をカバーする、いわゆる生活水準を維持する基盤になる役割を持つものであり、それを補足するものが企業年金であるというふうに理解しております。  その前に、余計なことでありますが、公的年金で、豊かな生活を確立できる公的年金を持っている国は一つもないと言って差し支えないと思います。そのような状態でございますから、公的年金というのはあくまでも基盤を守り、その上に企業年金を乗せる、それによって豊かな生活をできるだけ維持するようにする、そういうふうに理解しております。  終わります。
  82. 自見庄三郎

    ○自見委員 どうもありがとうございました。  それでは、もう時間も余りないようでございますので、小山教授に、今さっきのいわゆる労使折半でございますけれども、保険料負担の場合労使折半、今さっき橋本参考人から御意見を伺いましたけれども、そんなことについての先生の御意見をお聞かせいただければと思います。
  83. 小山路男

    ○小山参考人 労使折半原則というのは、御存じのように昭和二年に実施されました健康保険以来ずっととってきております。ただ医療保険、特に健保組合等につきましては労使折半原則は必ずしも守られておりません。労使の力関係で決まってきている、あるいは労務管理的な意味で事業主側が余計に負担する、こういうケースもあることはございます。  ただ、年金制度みたいな非常に大きな所得のトランスファーをやる制度におきまして、労使の負担割合をもし事業主側に重くいたしまして七、三というようなことにいたしますと、その分だけ結局物価に転嫁されることになります。自分の利潤を減らしてまで労働者を保護するということは考えないわけでありますから、結局事業主負担をふやすということは物価に転嫁される、物価に転嫁されるということは結局手取りでもうかったようで実は物価で取り戻される、先ほど橋本さんが言われたようなことになるのでございます。したがいまして、折半原則で来ているものを、この際特に資本家側に余計多く負担させようという理由は全然ないと私は思います。全く橋本さんと同じ意見でございます。
  84. 自見庄三郎

    ○自見委員 それでは、最後になりましたけれども、橋本参考人にお聞きしたいと思うのでございます。  年金がいわゆる現役勤労者の平均賃金の約七割弱、今さっきも六八とか六九という数字で出てきたわけでございますけれども、これは将来もどれくらいの水準が維持できればいいか。年金生活者でございますから、当然子供はもう大体育ち上がっている。教育費にも余り要らない。所得税等々も、勤労者に比べればいろいろある意味では有利な条件があるわけでございます。そういった中で、現役の勤労者の平均賃金の大体どれくらいの水準が維持されればいいというふうに先生はお考えになっておられるか。  それからもう一つ負担の問題でございますけれども、当然今回の改正案で将来の負担もある程度軽減されるわけでございます。その点、いわゆる給付の適正と、どれくらいの負担であれば適正かということについての御意見をお聞かせいただければと思います。
  85. 橋本司郎

    橋本参考人 労働者が受け取る年金として、労働者の平均賃金の六〇%以上あれば文句は言えない水準ではなかろうかと私は考えております。多いにこしたことはないのですけれども、これは負担との裏返しでありまして、先ほど申し上げましたように、私たちの年金というのはせがれのポケットに手を突っ込んで金を取り上げるようなものでありますから、これが孫子の代までそういうことになるということになればこれは考えなければいけない。平均賃金の六〇%以上あれば文句は言えない額であるというのが私の基本的な考え方であります。     〔稲垣委員長代理退席、委員長着席〕  それから、負担の限界なんですけれども、年金保険料だけで負担の限界ということはなかなか言いづらいことであろうと思います。今の厚生省案でまいりまして将来は二八・九%ぐらいまではいくということですけれども、現在の西ドイツが一八・五%であります。ただ、西ドイツの場合にはボーナスが原則としてないという考え方でありますから、ボーナスのある日本保険料率に直すと大体二三ないし二四%、それをはるかにオーバーするので、私は大体西ドイツ並みぐらいがぎりぎりのところではなかろうか。というのは、将来健康保険の保険料も上がりますし、それから税金も当然上がってくると思うのです。その辺でとめておかないと月収の半分が公的負担になってしまうというふうな事態になる。西ドイツ並み、大体二三、四%程度、その辺が限界ではなかろうかと考えております。
  86. 自見庄三郎

    ○自見委員 どうもありがとうございました。
  87. 有馬元治

    有馬委員長 多賀谷眞稔君。
  88. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 小山先生、橋本さん、平石先生、皆、前からよく存じておる方ばかりで非常に懐かしく思っておるのですが、さて、殊に小山先生と橋本先生は今度の法案審議については大変貢献をされた方でありますから、その点についてまず質問をいたしたいと思います。  現行法の年金制度の欠陥というのを、我々はいろいろ指摘してきたわけですが、それについては遺憾ながらほとんど手を加えられていない、その点、具体的に申し上げたいと思うのです。  私は、高齢化社会に向かうということについては何も否定をしません。急速度に向かうわけでありますが、しかし、日本は急ピッチに向かうということを盛んに言うのですけれども、それはどこの外国を見ましてもほとんど積立財源を持たないのですから、急ピッチに向かおうと緩やかに向かおうと、それは余り関係のない話で、ただ国民の意識の問題としてはありますけれども、財源的には、早く年金制度の成熟した国もほとんど積立金を持たないわけですから、余り意味のない議論じゃないかと思うのです。  さて、日本の場合は、厚生年金でもかなり積立金を持っておるわけです。将来においては早く手当てをしておかなければ大変だというのは、先生御指摘のとおりであります、国鉄のようにぎりぎりに来てデッドロックに乗り上げて、それから改正するというのでは非常に遅いわけでありますから、その点は賛成なんですけれども、日本厚生年金の現行制度というのは、御存じのように過去勤務期間を全然見なかったわけです。制度が発足して二十年たたなければ受給者が出ないなんという公的年金制度は、世界にないわけです。残念ながら、日本の場合は、厚生年金がいわば軍備費の調達、購買力の抑制から出発したという歴史的な経緯があります。そういうので非常におくれたわけです。昭和二十九年に十五年年金を入れたわけですけれども、炭鉱を除きますと、事実上はほとんど二十年かからなければ受給者が出なかった。制度が発足して四十数年たったわけですけれども、いまだに二百二、三十万しか老齢年金受給者がいないなんということは、私はここに大きな欠陥があった、やはり早く見直してやるべきだった、こういうように思うわけです。そこで無年金者もいるわけです。かって厚生年金に入っておりまして、脱退一時金をもらって無年金になっておる人が相当いるわけです。ですから、今度の新しい法律ができたからといって、その人たちの救済にはならない、こういう点が私は非常に遺憾である、こういうように考えております。そういう点はどういう御措置を考えられたのか、これをお聞かせ願いたいと思います。  それからもう一つ、それに関連しまして、今子二百万人ぐらいが老齢年金をもらっておりますけれども、そのうち八百五十万の人は三万円以下です。ですから、将来のことも大変なんですけれども、今の年寄りを今の現役が見ないで、そうして、その次の現役にひとつ負担してくれというのはいささかおこがましい話じゃないか。やはり今の現役が今の年寄り、年金受給資格がほとんどない三万円以下の人をある程度見ないでおいて、自分の時代は大変だから後代の人が見てくれなんというのはやはり問題があるのじゃないか。意識の上に問題があるのじゃないか。こういう点はどういうようにお考えになったのか、こういう点は論議されなかったのかどうか、この点をひとつお聞かせ願いたいと思います。これは両先生にです。
  89. 小山路男

    ○小山参考人 お答えいたします。  現行法の欠点につきまして、我々随分いろいろ議論をいたしました。足らない点があると同時に、行き過ぎの点もございます。そこで、そういう欠陥を補いながら新制度に直していこうというのが今回改正の趣旨であると承知しております。  確かに多賀谷先生御指摘のように、高齢化が急激に進もうと緩やかにいこうと、必要な金は賦課方式で調達したって十分できるのでありますが、ただ、もし全部を賦課方式でいきますと、最初のうちは保険料が極めて低廉で済みますけれども、成熱化するに伴って、健康保険と全く同じように毎年保険料を上げないと追いつきません。国際的に見ましても、賦課方式にならざるを得ないのでなってきたというのが現状だということは、先生よく御存じのとおりだと思います。  さらにまた、厚生年金保険が制度発足当時から過去勤務債務を見なかったではないか、おっしゃるとおりでございまして、私どももこれは最大の欠陥だと思っておりますが、ただ、厚生年金保険だけを見ているとそうなんですが、それをカバーするために国民年金では早期成熟化対策をとりました、福祉年金も出したというようなことで、結局厚生年金の不十分なところは国年が補ってきたというのが、日本年金制度全体を評価する場合の一つのポイントではないかと私は考えております。  なおまた、千二百万の受給者のうち八百五十万は三万円以下ではないかという点でございますが、これは国年の受給者が多いのと、しかもそれが、十年年金あるいは五年年金というふうに非常に拠出期間も短いし、国民年金の下の方の人たちでありまして、国民年金が二十五年拠出で本来の水準のものが出るのは、たしか三十六年から二十五年たつと六十一年ですから、六十六年になります、昭和六十六年にならなければ出てこない。今のところは経過的な年金でございますので、どうしても低く出てくるのではないかと思います。  さらにまた、今の老人を面倒を見ないで、後代負担にお願いするのはおかしいではないかというお話でございます。一応ごもっともな御指摘だと思いますが、しかしながら、現に我々は親を扶養してまいりました。これは事実でございまして、お互いに親を扶養して、家族と同居して、子は親を扶養するというのが我々が受けた教育でございますし、現に私もそうしております。そういう条件がない場合とある場合とではこれは大分違うのではないか、こう考えます。  それからまた、今の若い人に言わせますと、今の連中は保険料を安くしてそして後代に押しつけるのはけしからぬ、一八どころじゃない、もっと引き上げるというかなり過激な議論をなさる方もおりまして、積立方式にできるだけ近づける方が後代負担を緩和する方法だ、こういうようなことを主張して実は手をやいていると申しますか、そういう若い学者と論争いたしますとしばしば手をやくのであります。  今回改正は、そういった意味で申しますと、国民年金基礎年金と位置づけることによりまして、成熱化対策その他でやりました国民年金の財政的な欠点を厚生年金で補おうということでありまして、それは先ほど橋本さんが言われたように、国民年金の救済策だというふうにおとりになるかもしれませんけれども、私はそうではなくて、むしろ新しい基礎年金という制度国民年金の枠をかりて実現するのだ、こういうふうに理解しております。  後代負担云々の点につきましては、したがいまして今後の問題としては、やはり来るべき高負担をどのように緩和して高齢化社会に軟着陸できるかというのが、最大の私どもの関心事であることを一言申し上げたいと思います。  ありがとうございました。
  90. 橋本司郎

    橋本参考人 小山先生とほとんど意見が同じなので、同じことを繰り返して質問時間を縮めてしまうのはつまらないと思いますので、私の考えている部分だけ取り出して申し上げたいと思います。  低年金対策及び無年金対策、これは低年金なのは経過的であるのでやむを得ないという見方もありますし、もしうまく仕組むことができれば、つまり今の低年金はふやすけれどもそれが将来に後遺症を残さない、つまり将来はそれがどんどん減っていくんだということですね、そういうような姿のものがうまく仕組めて、それに負担が伴えば、私は大賛成であります。私は数年前から、今の低年金をふやして将来の年金を抑えるというふうに考えていかないと大変なことになるのだという論者でありますから、そういうことができれば大変結構だと思います。特に、国民年金の短い期間の計算方式の中に特例加算の部分がありますが、あの特例加算の部分というのはまさにそういう考え方に基づいているのだろうと思います。ですから、それを何かいじるということも考えられないことではない。  ただ、今の場合に、もう既に福祉年金は五年年金に追いつき、五年年金は十年年金につっかえて、拠出している者と拠出していない者の差がもうほとんどなくなってしまったというような状況になっておりますので、それ以上もし上げるということになると、今度はその年金負担との関係が、つまり過去において負担した分が全部むだになってしまうとかいうふうな格好になると。今の制度から新しい制度へ滑らかに移行することが非常に困難になってくるというふうなこともありますので、そう簡単ではないのではないかなというふうに思っております。
  91. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 純然たる無年金者というのはだんだん数が減るわけです。ですから、福祉年金の受給者の数も減っていくわけですから、私どもも一時、厚生年金の積立金を借りたらどうかという議論をし、法律を作成をした時期もあるのですけれども、私どもはやれなかったのですが、政府が後になって最近おやりになった。要するに補助金の点について政府の方がおやりになったということがございます。  そこでもう一点。従来から問題になっていますが、率直に言いますと、労働省が扱っております雇用保険あるいは労災保険は、一人でも、どんな業種でも全部適用になるのです。厚生省が扱っております医療保険、健康保険ですね、それから厚生年金は業種によって差別をする。今の時期に、業種によって差別をするなんということは実に不適当ではないか。  五名未満の問題もそうです。今度は法人であるかないかによって扱い方を変えるというのですけれども、これも従来から指摘をしておったわけですが、労働省がやれるのになぜ厚生省はやれないのか。それは変動が大きいとかなんとか言うけれども、コンピューターもある現代において、厚生年金受給のものと基礎年金しかもらえないものとでは、これは大変な格差がある。それがどうして論議にならないで、今度の改正案に出てこないのか、これもぜひお聞かせ願いたい。今度の審議に参加されております両先生にお願いします。
  92. 小山路男

    ○小山参考人 お答えします。  確かに、雇用保険、労災保険は企業種、一人でも雇ったら適用になる、たてまえはそうでございます。では、実際の適用者数を見てみますと、厚生年金の方が雇用保険より多いはずであります。私がこの間これを調べたら、実数が違うのです。だから、たてまえは向こうさんが進んでいますけれども、実態は、厚生年金の方が適用は一生懸命やっていると思います。それがまず一つであります。  それからもう一つ。今回は五人未満適用に踏み切ることにいたしました。ただし、それも法人格を有するという条件があるのは問題であると先生御指摘でございますが、実はこれは、社会保険審議会で健康保険にかかわって、健保問題等懇談会というのをやったことがございまして実態を調べたのですが、業態が非常に複雑である。一つの企業で、一つの事業体が年に三回も四回も倒産する、あるいは従事者が転々としておりまして一カ所にいないというケースが非常に多い。でありますので、今回はともかく法人格を有する五人未満事業所について適用するということでやってみようという程度であります。ただし、今後技術が進みますと、例えば電算機のソフトウエア等につきましては小人数、ほんの二、三人でも事業所ができまして、かなり高い収益性を上げるというようなことがでさるのでありまして、時代が変わってまいりますと、従業員の規模で適用を云々するというのは確かにおかしいと思います。五人未満適用を今回は法人格を有する事業所にまずしたということは、その様子を見まして、適用できるのであればもう少し進んだ方がいい。ただし、我々が四、五年前に実態を調べたところでは、現状では到底無理だという感じでございました。それは、もう一つには、零細企業の事業主が適用を嫌がるという面もあります。それから、保険料が高くなりますから、加入したがらないという労働者もおります。そういうことがございまして、非常にこの問題は難しいとは思いますが、いずれにいたしましても、五人未満事業所適用について今回はまず一歩を路を出してみたという程度でございます。問題は非常に実務的なことでございまして、私もよくわからないのでございますが、これなら何とかやれそうだというので、ともかく踏み切るようにと私どもも強く要望しているところであります。
  93. 橋本司郎

    橋本参考人 先生ちょっと誤解があるのではないかと思うのですが、私、厚年法の改正の原案づくりの段階では全くタッチしておりません。何の因果か、共済の方はどっぷりとつからされておって困っておるところであります。  五人未満のことについては小山先生と全く同意見です。要するに実務的にきちんとできないと、例えば保険料を国に納める前に事業主がどこかへ行ってしまったとか、こういうふうなことが頻繁に起こるような部分に無理やり適用すると、労働者のために利益になるかどうかという問題もあると思うのです。しかし、基本的には、零細企業の労働者が年金だけではなくて健康保険の適用も受けていないということですから、二重の不利益になっているので、うまく捕捉することさえできれば、できるだけそういう方向に進んでいっていただきたいというのは全く同意見でございます。
  94. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 これは、私も、雇用保険の加入者とそれから厚生年金加入者は、大体数字はむしろ雇用保険の方が多い、この間調べてびっくりしたのです。しかし、雇用保険の場合は、失業という事実があれば、過去にさかのぼって保険料を払えば資格ができるのです。それから労災もそうなんです。労災も、そういう災害にかかりますと、金額をある程度払えば要するに罹災者はちゃんとした支給を受ける、こういうことになって、その点は余り支障がないのです。ところが、年金の場合は長期ですから大変迷惑をこうむるということになりかねない。労働行政もかなりサボっておる点があると思いますけれども、そういう点は個人から見ると私は非常に不平等ではないか、こういうように思います。  今の時代に、カードを持っておればどこに行こうと、企業を転々しても全部期間は通算されるのですから、一回カードをもらったら、飲食店に行こうとクリーニングに行こうと製造工場に行こうと、それができないはずはないと私は思うのですけれども、健康保険法が、先ほど申されましたように大正の末期に制定されて以来、ああいう業種を書くのです。あれは伝統的に業種を書く。今ごろになって業種を書くなんということは許されないと思うけれども、役人というのは前のとおり書く風習があって、そういう点は非常に残念に思うわけです。これはせっかく新しい法律が出発するに当たって、従来問題にしておった点がはっきりしなかったという点であります。  そこでお尋ねいたしたいのですけれども、今度の法律で、五万円というのは一体どういう根拠で出ておるのか。これは小山先生に、一体どういう根拠で五万円というのを出してこれを基礎年金だと位置づけられておるのか、これをひとつお聞かせ願いたい。
  95. 小山路男

    ○小山参考人 まず先に、カードシステムにしたらどうかという御提案、非常におもしろいと思います。コンピューター化いたしますと、確かに先生のおっしゃるとおり可能だと思います。研究課題として当局にも勉強してもらいたいと思います。  それから、五万円の根拠でございますが、これは生活保護の保護基準を参考にしてつくったものと承知しております。大体夫婦二人で十万円といいますと、二級地で高齢者世帯ですとそれよりかやや上回る程度だったと思いますけれども、ほぼその程度をカバーする金額だと私は承知しております。
  96. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 これは厚生省の方では、根拠はありませんが、あえてその類似のものを探せばこういうものですと、言うならば余り自信のない話をされておるわけですね。強いて言うならば大体こういう程度ですということで、今お話しになりました生活保護の問題とか老人の生活実態調査の問題とかを例に出されておるわけです。この点は、基礎年金と銘打つ以上はやはりはっきり関連というものを出しておくべきものではないだろうか、私はこういうように思います。要するにナショナルミニマムという概念ですね、こういう概念は出てこないのですかね。これはまあ五万円が適当かどうかわかりませんが、ナショナルミニマムですから一人これだけの基礎年金を出します、何か日本の場合ははっきりしたそういう根拠がないですね。ですから、これはナショナルミニマムとして我々は五万円を考えるのですとかあるいは六万円を考えるのですとか、これだけ大改正をやろうというのにどうもそういう点がはっきりしないのですね。厚生年金なんというのはまさに本人が計算できないような仕組みになっておるわけですから、そういう点は、せっかく将来にわたって大制度改革をされるのに、何か基礎というものをはっきりさすべきではないか、こういうように思うのですが、これは三先生ともひとつ御意見を承りたい。
  97. 小山路男

    ○小山参考人 基礎年金でナショナルミニマムを確保すべきかどうかというのは、議論のあるところだと思います。つまり、国民年金ないしは今度の基礎年金にしか加入していない方というのは自営業者でございまして、自営業者とサラリーマンでは老後の生活事情が違うというのがございます。それから、年金でナショナルミニマムを担保しなければならないのかどうかということになりますと、年金は保険方式で出される給付でありまして、それとナショナルミニマムとは——本来から言えばこれを上回ることが望ましいのでありますが、原理原則が違うということは事実でございまして、生活保護基準というものは、先生よく御存じのように、資産調査をやり、所得調査をやった上で給付の適否を決めるのでございます。でありますから、その者の基礎需要額の総額を保障するものがナショナルミニマムだというふうに御解釈なさいますと、果たして五万円の基礎年金でナショナルミニマムは担保できるかといえば、私はどうもわからぬとしか申し上げようがありません。所得比例部分を乗っけて十七万幾らになれば、これはもうナショナルミニマムを上回る水準だと申せますけれども、今の五万円がナショナルミニマムだとは、とてもそんなことを言う自信はございません。
  98. 橋本司郎

    橋本参考人 どうも同じことになって困るのですけれども、やはり年金基礎は、賃金労働者が職を去ったときに所得が失われる、それを老後でカバーするものだというのが先にあって、それで、自営業者の場合にはどちらかというと、ちょっと言葉は悪いのですが、高齢によって、とか貧ではなくてじり貧であるということで、やや程度が薄いのではないかと思うのです。それで基礎年金が二つで十万円 それに厚生年金が七万円乗っかるというのが新しい制度のでき上がったときの姿だろうと思うのですけれども、その程度であれば、小山先生がおっしゃったようにナショナルミニマムというのは一応超えているんではないかというふうに私は思います。
  99. 平石長久

    平石参考人 ただいまナショナルミニマムとおっしゃいましたが、私の偏見でありましょうか、ナショナルミニマムというのは私は余り好きではないのでございまして、といいますのは、それが、その線さえ守ればそれでいいのかという考え方が出てくると非常に困ると思いますので、ナショナルミニマムというような考え方は余りとらないのでございます。  ただ、私が最近これがいわゆるナショナルミニマムであろうかというふうに考えておりますのは、ことしの二月か三月ごろに、二月だったと思います、ILOの専門家が十人でつくった委員会が、報告を出した中にありましたのについて記憶しておりますが、「最低の給付は、一人当たりの可処分所得の少なくとも半分で維持できる生活水準を提供する」という表現がありましたが、これは一つの考え方であろうかなというふうに最近考えているのであります。  お答えになりませんが、以上です。
  100. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 私どもが非常に将来不安を感じますのは、労使負担の問題、ことに使用者の負担を労働者の人数あるいは労働者の賃金に比例して負担するという考え方ですね。これは、私は、だんだん保険料が高くなりますと、なるべく人を雇わないように、こういう問題が出てくると思うのですね。ロボット時代を迎える、あるいはOA時代を迎える、あるいはFA時代を迎えるというようになると、まるっきり膨大な利潤を得るけれども、保険料をほとんど納めることが少ない。そうすると、零細や中小企業のように、労働者を抱えておるところは大変な保険料を納めなければならぬという非常な不公平な問題が起こってくると思うのですね。殊に日本の場合はピッチが速いですからね、これだけロボットを入れたりする国はない。ですから、ILOの基準も日本にはなかなか適用できないような問題が起こるのですよ。  そこで、石炭年金という年金があります。これはトン当たりで取っているのですね、トン当たり七十円。ですから、労働者の数ではなくて、いわゆる一種の企業年金でありますけれども、生産に応じて保険料を取っておるわけですね。何かこういう方法を講じなければ非常に難しい。ロボットに税金をかけるといいましても、具体的にはどういうふうにかけていいか、言うべきはやすいけれども、実際はどう具体的にやるかというのが非常に難しい。ですから、私は、そういう点では何か基準を設けて、労働者を少なくしてもやはり保険料は納めてもらうんだという方式を考え出さざるを得ないと思うのですが、どうでしょうか。それを先生方にお聞かせ願いたい。
  101. 小山路男

    ○小山参考人 お答えいたします。  先生の御指摘のように、確かに労働者を余計雇えば雇うほど社会保険料負担が企業も重くなります。労働集約型の産業というのは確かに不利でございます。  この問題は、実はきのうやきょうに始まったことではないのでございまして、例のコンビナートなんかができて装置産業が非常に盛んになったときに、やはりこれは問題じゃないか、あれだけ大きな付加価値を生み出しながら、労働者は少ししか雇っていないということでありまして、付加価値税みたいなもので財源を求められないかということを議論したことがございます。  最近ロボットが目立つものですから、ロボットに税金をかけると言うのですけれども、これもまた冗談みたいな話ですが、ロボットの定義が大体難しい。ロボットというか、むしろ機械化ということに置きかえて考えてみますと、付加価値率の高いところほど総体的に労働集約度が低いわけでございまして、したがって、付加価値税で年金の財源を集めるかどうかというのが一つのポイントであろうと思います。  ただ、現在の状況では、じゃこれをどういう基準で、どういうふうに付加したらいいかということについて、何らの成案もないのが事実であります。社会保険方式でいく以上、保険料は労使折半でやっていく。それによって労働集約型産業というのがそれじゃ将来衰えるかと申しますと、これは私は逆の意味で需要がふえると思うのであります。医療にいたしましても福祉にいたしましても、結局人でなければできないものは人がやるより仕方がない。人でなくてもできるものは機械がやればよろしいということになりますので、これは、将来の日本の産業社会がサービス化していくときに、一つの問題であろうと思います。御指摘の点は私どももいつも念頭にはあるのですけれども、ただ、うまい答えが見出せないというのが実情でございます。
  102. 橋本司郎

    橋本参考人 保険料負担の問題は、国民年金についても言えることだろうと思うのです。つまり定額であって、大だなの御夫婦でも、それから裏の陋屋に住んでおる夫婦でも同じ額の保険料を払う、やはりちょっと問題はあるのだろうと思うのですね。厚生年金の場合でも、私のところの会社のように、要するに人間そのものがつまり戦力だというふうなところと近代産業とは大分違う、まさにそのとおりだと思うのですけれども、要するに国民年金でも、例えば保険料に段差を設けてそれで年金が同じというのは一体いいのか悪いのか、いろいろな問題が発生してくるので、何かうまい手があればしかるべく採用していっていただきたいと思うのですけれども、今度の法律改正がもしできれば、年金の将来について一応の安心感というか安定感ができてまいると思うので、その次の段階で、保険料負担の公平化とか物価スライドの問題とかをじっくり考え直さなければならない点がたくさんあるのじゃないだろうか、こういうふうに私は考えております。
  103. 平石長久

    平石参考人 財源調達の問題でございますが、一つ二つ申し上げれば、一つ基礎年金のように全居住者と言ってよろしいと思いますが、すべての人を強制的にカバーする場合、この保険料は当然だれでも負担できる程度水準でなければならないと思われます。そのだれでも負担できる程度水準という保険料は、それほど高い保険料であっては困るはずであります。したがって、そのそれほど高くない保険料で財源を調達すれば、その反対側に出てまいります年金も、当然水準の低い年金にならざるを得ないだろうということになります。しかしながら、そこに大量の国庫負担を導入すればそれほど水準を落とさないで済むかもしれません。しかしながら、昨今の情勢では大量の国庫負担を期待するのは非常に困難であります。  そこで、先ほど多賀谷先生おっしゃいましたのにふと思い出したのでありますが、付加価値税という言葉で先ほど小山先生もおっしゃっておられましたが、例えば保険料で足らない分は租税を充てる、租税で補うという例を、ずっと前におもしろい例で見た記憶がありますので、今思い出したということでございます。  その例は、ノルウェーの森林労働者の社会保険に、材木の最終段階において租税を徴収する、それから沿岸漁夫の場合に、水産資源をとってそれも最終の段階で付加価値税をかけるという、その財源によって社会保険の足らない分を埋めていたのを思い出したのであります。  そういうふうに付加価値税をかければ、当然負担するのは消費者に転嫁されてしまいますが、この付加価値税は議論としてはおもしろいんだと思います。しかしながら、いざ実際に実施していく場合、非常にいろいろな問題を含んでいるのではなかろうかと思うのであります。  以上でございます。
  104. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 社会保障制度審議会は所得型付加価値税というのを答申したこともあるわけで、今後ロボットあるいはまたME時代を迎えて一体どういうようになるのか。ただ社会保障税とか福祉税といいましても、人間当たりで取るのではますます逆効果になる、同じ税金の名前でも取り方によってはいろいろ問題が起こる、私はこういうように思っております。これは今後の大きな問題になると思います。  そこで、先生、例の積立金ですね、これの運用問題。これは法律ができますときに、当時の年金局長小山進次郎さんが書かれました「国民年金法の解説」、これは立法経緯、そのときの論議が非常に詳しく書いてあるのですね。ですから我々は非常に参考になる。できた条文がどうだという解釈よりも、そのときこういう議論がありましたというので。我々立法者は、そのときの議論の状態を見ますれば、ああ、このときはこういう問題が提起されて、そしてこういう議論がなされたのかと、随分参考になるのですが、この中に例の積立金運用の問題があるのです。これには、株を買ったり土地を買ったりすべきではないか、そして要するに積立金の貨幣価値を下げるべきでない、実質的貨幣価値を維持すべきであるという論議があった。ところが、当時の政府は、大蔵省は、いや、日本経済を再建するためにはこれを全部預金部資金に入れて重点的に日本経済再建に役立てるのだ、日本経済がよくなったらいわば給付にお返ししましょう、大体これはこういう約束になっておるのです。それなのに五分五厘の利子でずっとやってきた。そして、最近は運用利子が六分五厘から七分一厘ぐらいになっておりますが、今日、国債を買っても既に七分五厘、八〇年度は八分八厘八毛。簡易保険でもこれよりも多いのですよ。民間の保険はなお多い。ですから、そういう点をどういうように論議されたか。  私が心配をしますのは、四十年で五万円という給付になると、障害年金とかなんとかというのは全部ネグレクトレして、老齢年金一本で私的保険がこれを宣伝すると、五万円よりも多く上げますよ、四十年も掛ければ五万円以上になりますよ、こういうことがPRされるんじゃないか。そうすると、この基礎年金に対する非常な不信感、ひいては全体の公的年金に対する不信感が出てくる。四十年ですから、利子がちょっと違いましても非常に大きな差になるのです。いや、インフレに対応できるんだとかなんとか我々は言いますけれども、ただ算術計算をすると、四十年でやってごらんなさい、これは五万円以上になりますよ、ですからうちの年金の方がよろしいんですよ、こういう宣伝になったら一体どう対応するのか。そういう論議はされたのかどうか、最後に小山先生、お聞かせ願いたい。
  105. 小山路男

    ○小山参考人 多賀谷先生十分御承知のことを御質問になるので、私もちょっと答えに困るのでありますが、積立金の管理運用については、安全性と有利性と二つの矛盾した要素がございます。安全運用、安定運用ということになりますと、これは資金運用部等に預託いたしまして、そしてきちっとしたところで運用してもらうより仕方がない。ただし、有利運用と申しますか、あるいは被保険者の福祉に還元するような運用ということになりますと、これは一括して自主的に、厚生省の年金局で所管した方が望ましいことは言うまでもない。これは長年のいわくつきの問題でございます。ただ、最近ではおかげさまで、被保険者の住宅融資等に随分思い切って資金運用がされるようになりまして、随分被保険者の皆様方にも喜んでいただいております。私どもといたしましては、直接被保険者の利益に役立つような資金運用を今後進めていきたい。  それから、四十年で五万円というのはどうなんだというお話してございますが、これも先生御存じのとおり、私どもは同時に物価スライド条項をつけておりますので、決して私的な積み立ての年金とは負けるものではない、公的年金の有利性は明らかだということは先生よく御存じだと思いますので、このくらいにしておきます。
  106. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 ありがとうございました。
  107. 有馬元治

    有馬委員長 橋本文彦君。
  108. 橋本文彦

    橋本(文)委員 本日は、大変お暑いところ、またお忙しいところ、ありがとうございました。  御三人の先生にお聞きしたいのですが、高齢化社会に向かって負担増が考えられる、そこで一元化を考えていく、今回基礎年金を導入していく、最大の眼目は給付の適正化を行うのだとあるけれども、実態は給付を今後引き上げていかないというここに固まっている、見方によれば給付を引き下げるんだというふうに聞こえできます。そこで、平石教授によりますと、年金というのは従来の生活水準の維持にあるんだ、こういう発言なんです。憲法二十五条のいわゆる最低生活の保障、この見地から見ますと、これから改正する基礎年金というもの、これは一体どういうものなんだろうか、どういうふうに位置づけるんだろうか。その意義というか年金の理念というか、年金とはこういうものなんだということを、個人の意見で結構なんですが、一人一人にお尋ねしたいのです。
  109. 小山路男

    ○小山参考人 私は、公的年金というものはつつましやかな老後生活を支える支柱であればよろしい、全面的に年金に依存して老後生活が安定するというような年金を出しておる国はどこにもないのでありまして、その程度でよろしいと思っております。
  110. 橋本司郎

    橋本参考人 年金というのは、本来、所得が失われたときにそれをカバーする所得保障の機能であるというふうに思います。ただ同時に、税によるにせよ、保険料によるにせよ、集めてこないと払えないという性格を持つものだ。ですから、そのバランスの上に立って、受ける側、払う側の両方がぎりぎりの合意できるライン、それを超えることはできないと思います。  老齢年金に限って申しますと、老齢年金だけで豊かな老後の生活というのは無理であろうというふうに思います。それに、現実には企業年金もございますし、もう一つプラス自助努力も必要になってまいる。その自助努力の中には人間関係なども含まれるというふうに思います。
  111. 平石長久

    平石参考人 ただいまお言葉をいただきました件について、私は、年金だけでなくて、総じて社会保障による金銭の給付というものはこういうふうにあるべきものでないかと考えております。  それは一つは、最低生活を保障するという表現を私は使わないということがあります。初めてその言葉を聞きましたのは、一九六八年であります。我々は最低生活を保障するという表現は使わない、その言葉は捨てたんだ、そして我々は生活水準を保障するという表現に変えたのだ、これを初めて聞きましたのが先ほど申し上げました一九六八年、今からかなり前でございます。それ以来いろいろ考えまして、私も最低生活を保障するという表現は使いません。社会保障給付というのは生活水準を保障するものである。その生活水準というのはこれまた問題があります。平均的な生活水準なのか、当人が過去に到達した生活水準なのか、いろいろな考え方がありますが、少なくとも平均的な生活水準を維持するに足る給付水準が、社会保障の現金給付水準であるというふうに理解しております。  しかし、それは必ずしも豊かな生活を約束させるものではありません。豊かな生活を約束するには、それにプラスアルファした私的なものを加えなければ豊かな生活は維持できないであろうと思います。もっとも、豊かという表現の意味と内容が何であるかということにもよりますけれども、先ほど来申し上げておりますように、生活水準を保障するものでなければならないというふうに理解しております。  終わります。
  112. 橋本文彦

    橋本(文)委員 橋本参考人にお尋ねしますが、平石教授並びに小山教授は、方式としては保険料方式にすべきであるという御意見ですが、橋本参考人はいかがでしょうか。
  113. 橋本司郎

    橋本参考人 私も社会保険論者であります。  社会保険で年金を運営することにいろいろなプラスマイナスがあると思います。  一つは、なぜ社会保険を使うのか。健康保険もそうですし、社会保険というのは、ちょっと釈迦に説法みたいなことを申し上げるので失礼になるかもしれませんが、保険の数理技術を用いて社会政策を実行する手段であるというふうに私は考えております。  それの一つのメリットは、国の財政からの独立、つまり国の政策から独立した運用ができるということであろう。つまり、もし税方式年金を運営した場合に、その年の予算が組めなければ年金は減らすという関係に当然なってまいります。どんなルールをつくっておいてもそうなる。しかし、社会保険の方式でやると、国の財政からは独立して運営できるという利点があります。その点が非常に大きいのではないかと思います。それから、社会保険ですと負担給付との関係が非常にはっきり見えます。こうすればこうなるのだということがはっきり見えるということは、例えば年金制度のような場合に非常に大切なことの一つではないかと考えております。
  114. 橋本文彦

    橋本(文)委員 いわゆる一元化問題につきましては、ことしの二月二十四日の閣議決定で、昭和七十年を目途に公的制度全体の一元化を完了する、こうなっております。橋本参考人からは、共済年金の妻、配偶者、それから今回の障害年金関係で、障害者のいわゆる原資という形で一日も早く共済年金を一元化すべきだ、こういう御意見がありましたけれども、小山教授並びに平石教授の見解はいかがでしょうか。これは七十年までに完了することが目途でありますけれども、できましょうかという質問にいたしましょう。いかがですか。
  115. 小山路男

    ○小山参考人 一元化を考えてみる場合、基礎年金に加入していただきまして、そして上積み部分は各制度で別個に考えてもらえばよろしいと思います。ただ、その場合の上積み部分が全体的に整合性を欠くものであっては困る。共済は、例えば退職金をもとにして企業年金を上積みすることも可能でございます。どういう制度の設計をなさるかよく聞いておりませんけれども、私の方は、一元化という場合にはとりあえず基礎年金に一元化するということでございまして、全制度を一本化するというふうには了解していないのでございます。
  116. 平石長久

    平石参考人 一元化の問題でございますが、本来、共済年金について私は二つの考え方を持っております。二つの考え方を持っているというのは極めて不徹底であり、不謹慎ではないかと言われるかもしれませんが。  一つは、共済年金というのは御存じのように給付水準が高くなります。そこでこれはけしからぬという意見がございますが、私は一つの考え方として、高い水準年金があるのははなはだ結構である、その高いのをだしに使って、低い方を引き上げていくのに使えばいいじゃないかという、いわゆるデモンストレーションエフェクトを利用するという考え方が一つあります。  それからもう一つは、最終的には一元化していくべきであろうという考え方であります。現在、共済年金で非常に苦しい保険集団もあれば、まだかなりゆとりのある保険集団もあります。その保険集団のうち、かなりゆとりのある保険集団はそれほど近い時期を想定していないようでありますが、うわさで聞きますところでは、うわさというのは、関係者、共済の方々に聞いておりますのでは、遠からず一元化せざるを得ないであろう。遠からずという時期が果たして十年になりますかどうか、そこはよくわかりませんが、いずれは一元化しなければしょうがないであろうというふうに言っておるのを聞いております。一  以上です。
  117. 橋本文彦

    橋本(文)委員 橋本参考人にお尋ねいたします。  先ほど冒頭に、共済年金について大蔵省、自治省あるいは国鉄共済関係の勉強会を開いておる、この国民年金の一部改正でどうなるかわからない時期にこういう質問をするのはまことに恐縮なんですけれども、先生がそういう勉強会に参加しておられて、いわゆる閣議決定したような公的年金制度の一元化というのができるかどうか、端的に言えば今のと同じですけれども、共済年金がこの一元化に入ってくるかどうか、その見通しというか感想はいかがでしょうか。
  118. 橋本司郎

    橋本参考人 一元化という言葉は、使う人によって内容が違うのですね。今、小山先生が御説明になった基礎年金に入るところがまず第一の一元化であります。それでもですね。共済は今四つの共済法がありますが、保険者である組合も非常にたくさんあります。それをそのままにしておくかどうか。あるいは共済は全部一緒にしてしまって、私学、農林も含めて共済グループの大合同をやる、そして共済は厚年とは別に独立していくという考え方もあります。もうちょっと進めると、すべての共済が全部厚生年金に合流する。そして上積みの企業年金部分、いわば厚生年金基金に相当する部分だけを共済でやるという考え方もあります。これが一番徹底した形であろうというふうに思うのです。  ただ、問題は、各共済組合が自分の共済組合を財政的に維持できるかどうかという見通しをどの程度持っているかということで、実は全く意見が違うわけです。極端なことを言いますと、極端なところはもう一刻も早く厚生年金に引き取ってもらいたい、つまり現在でも保険料負担がよそよりも高く、しかも将来的に厚生年金以上の年金を受給するという見通しもないというふうな状況のところは、一日も早く厚生年金に引き取ってもらいたいという気持ちのところもありますし、それから厚生年金から飛び出していった共済の場合には、厚生年金に戻れというなら死んじまうというふうな大変厳しいことを言っておいでになる。分裂したときの責任者がまだおいでになるところほどきついわけであります。  そういうようなことで、完全一元化というのが七十年にできるかどうかという返事をしろとおっしゃる点については、私はやるべきだと思います。そうしなければ共済ももたないだろうと思います。しかし、何せ追加費用というのがございまして、過去勤務の分で全額国なり地方自治体なりが負担する部分が、地方公務員でいいますと昭和三十七年以前の部分は全部地方自治体で持っていますので、昭和三十七年からスタートした年金になっています。そうすると、今のところは積立金も豊富にありますし、追加費用のある間は何とかかんとか転がしていけるだろうという自信もあります。しかし、年金制度の本来からいえば、その追加費用がなくなって完全に成熟化した状態の年金が維持できるかどうかというところで設計しないと、これから例えば、ことし地方公務員になった人が年金をもらうころにはこれはえらいことになっているという状況になってまいります。それでは困りますので、ぜひ一元化は一番徹底した形の一元化をすべきだと私は考えておりますけれども、今の共済の雰囲気からいいますと大変困難であろうというふうに思います。
  119. 橋本文彦

    橋本(文)委員 ただいまのお話しを聞いていますと、大変困難である、この問題はいわゆる大蔵省、自治省あるいは厚生省、労働省にまたがっておる、こういうふうに各省庁が関係しているだけに、厚生省だけが出てくる形でできるんだろうかどうかという心配があるのですけれども、この辺はいかがでしょうか、橋本参考人
  120. 橋本司郎

    橋本参考人 ちょっと御質問の趣旨が、厚生省だけというのが……。
  121. 橋本文彦

    橋本(文)委員 各省庁にまたがっておりますので、これは厚生省だけが案を出してきておりますけれども、一元化という問題では果たしてできるのだろうか。各省庁が連絡を密にするというか、徹底的に議論を尽くさないとできないんじゃないかという危惧があるものですから……。
  122. 橋本司郎

    橋本参考人 今回の法律ができる前に、これは私、現場を見ているわけではございませんけれども、各担当の公務員の方から伺うと、かなり大蔵省、自治省その他と折衝が行われております。それから、それらのところの意見を入れて一部厚生省の考えを変えたところもあるやに伺っておりますので、これはもう政府の中のことなので私が余り口出しすべきことではないかもしれませんけれども、その種の意見の取りまとめはかなり行われているというふうに思います。
  123. 橋本文彦

    橋本(文)委員 この問題は先ほど平石教授からもありましたけれども、ただ単に年金だけの問題ではなくて、いわゆる高齢化社会に向かっての雇用のあり方、あるいはいわゆる健康保険制度等々のいろいろな問題を総合的に見た上でないといわゆるいい年金はできないんじゃないか、こう思いますが、それぞれ端的で結構ですので御意見を。
  124. 小山路男

    ○小山参考人 年金ばかりじゃなくて、医療も福祉もインテグレートした総合的な高齢化社会対策というものが、今一番要求されている時代だと思います。それにいたしましても、やはり年金自体をスリムにし、それから福祉サービス充実を図り、老人保健等の見直しをやるというようなことも陸続とあって、仕事が残っておりまして、この件が上がったからといいますか、年金改正が一応できたから安心というわけにはいかない。先ほども絶えざる見直しが必要だと申し上げましたが、今後はやはり総合的な観点から、厚生行政のみならず、教育なんかも含めまして広い意味でひとつ勉強していかなければならない、このように私は考えております。
  125. 橋本司郎

    橋本参考人 先ほど平石教授が、雇用問題と年金との関係は密接不可分であるということをおっしゃいましたけれども、私も全く同意見であります。働いていれば年金は要らないんだということにもつながってまいりますので、非常に大事なことであろう。そのほかに、今の日本の社会福祉、広い意味での社会福祉ということを考えますと、社会保険は非常によくできておるのですけれども、そのほかの部分が立ちおくれの部分がかなり多い。例えば老人施設にしましてもとても数が足りない。ところがそれをふやそうとすれば金がかかる。金がかかったら、その金はどうするんだという話になってまいります。そこで国民の側でも意識を変えて、例えば特別養護老人ホームに入る場合に、一人当たり約二十万円かかるわけですから二十万円の公費が要るわけで、そこに入った人はもうけもので、例えば二万五千円の福祉年金で在宅している人は、それ以外には国及び自治体から何も援助がないというふうな状況で、うまく入ったのが得をしたというふうな格好では、ちょっとこれからはやっていけないのではないか。極端なことを申し上げますと、例えば特別養護老人ホームを二倍にしたければ、ただいまある費用の負担率は四%ぐらいしか負担しておらないのですけれども、これをもし五〇%費用として徴収する、年金をもらっているのですからそこから出しなさいということで徴収すれば、国の費用、つまり税金、住民の費用の負担はもとのままで、特別養護老人ホームを二倍にふやすことが算術上可能なわけです。そういうふうに算術的にきちんといくとは限りませんけれども、そういったような方向で、年金はもらったら使わないものというのではなくて、これは福祉の資源として回転させていくものだというふうな視点で、これからの社会福祉の構築というものにがっちり取り組んでいかないといけないのではないか。そういう意味では、まさに各種の政策を総合的に検討していくことが、高齢化社会に備える道であると考えております。
  126. 平石長久

    平石参考人 先ほど年金と雇用というものはぴったりくっつけておかなければいけないというふうに申し上げましたが、年金と雇用だけでなくて、社会保障全体が体系的に総合化されていなければならないと思います。その場合に、全体は単なる個の寄せ集めではない、その寄せ集めたものはそれぞれが有機的に機能し合う組み合わせになっていなければいけないというふうに考えておりますし、社会保障を取り巻く領域も一緒に取り込んでサポートしてくれなければ、社会保障は十分に機能できないであろうと考えております。  先ほどは年金と雇用を結びつけましたけれども、例えば年金と雇用保険を結びつけることでも可能なはずです。例えば六十歳を過ぎた人が失業した場合に、ある一定期間は雇用保険の給付でつなぐが、それ以上は、そうなりますと雇用保険の財政がもたなくなりますから、年金の早期受給を認める。もっともそこで減額するかどうか、これはまた別な問題になりますが、そういうぐあいに、雇用保険と年金をつなぐことも可能なはずです。こういうような、ほかの給付部門をいろいろに組み合わせて機能的に使っていくということは今後必要でなかろうかと思うのであります。  以上です。
  127. 橋本文彦

    橋本(文)委員 時間が参りました。  大変ありがとうございました。
  128. 有馬元治

    有馬委員長 塚田延充君。
  129. 塚田延充

    ○塚田委員 参考人の皆様方におかれましては、どうも御苦労さまでございます。  この年金制度につきましては、国民の間に大変関心の深い問題でございまして、基本的と申しましょうか初歩的な一般国民の受けとめ方としては、三つほどの非常に単純な考え方があり、それに集約されているのではないかと思います。  その一つは、老後保障として大変に頼りにしておるということは事実じゃないかと思います。しかしながら、例えば平石参考人の陳述にもございましたように、年金だけを頼りにして豊かな生活まで考えるとかいうのはちょっと行き過ぎかもしれぬし、雇用との関連とかいろいろな社会保障との関連も考えなければいけない、このような意見も承ったわけでございます。  そして、二番目の意見といたしましては、今一生懸命に掛金を掛けているけれども年金制度がパンクしてしまうのじゃなかろうか、実際そういう危惧があったから今度の大改正につながっているのではないかと思いますけれども、非常に初歩的に国民の皆様方は不安感を持っておられる、これが第二点でございます。  第三番目の、国民の間の不信感と申しましょうか、それは制度間の不公平があるということを非常に強く感じておられます。その中でも、官民格差ということで共済年金とかは非常に恵まれているんじゃなかろうか、それに比較いたしまして、特に自営業者の方々の国民年金の方は割が悪い、このように見てとっておられる国民が多いことは事実でございます。  そこで、この三点につきまして、年金制度につきましてオピニオンリーダーでございますし、また小山先生、橋本先生などにおかれましては、審議会に参加されるような形で直接制度改善に努められておる、衝に当たっておる、そのような立場も含めまして、お一方ずつ端的に御見解をお伺いしたいと存じます。
  130. 小山路男

    ○小山参考人 お答えいたします。  年金は老後保障として頼りになるという国民の期待は十分なことございまして、今回でも被用者保険の場合ですと十七万円余りの給付になります。これは物価にスライドいたしますから現在の価値が維持される。そういうことになりますと、賃金の手取り実収に比べてかなり高い線で保障がいっておるということでございます。その裏返しといたしまして、年金制度はパンクするのじゃないかという心配があるのだ。これは事実非常に困った体験がございまして、国民年金に入っているよりはうちの何とか年金に入った方が確実です、こういうことを言って、はっきり言えば簡易保険の人たちが個人年金を勧誘して歩いたというようなことがありまして、非常に迷惑をいたしました。そういうことを言われるのはまことに迷惑でありますが、ただ、率直に言って、現状のままほっておけば国民年金が非常にピンチになるのはわかり切っております。結局、成熟化対策を講じた強制適用の被保険者が減ってきておるわけでありまして、わずかにサラリーマンの奥さんが任意に加入しているからどうやらもっているという感じでございます。これが今回基礎年金ということに位置づけて、サラリーマンの方からそれに必要な部分拠出する、それから国庫負担をその部分に集中する、三分の一の国庫補助をつけましたので、国庫補助によって基礎年金が裏づけられるということになりますと、年金制度がパンクするかということになりますと、パンクはしないように今度の改正を一生懸命考えたということであります。  三番目の制度間の不公平につきましては、おっしゃるとおりでございますが、ただ官民格差といいましても、高いところと比べるとめちゃくちゃに差があるのですけれども、官でも低いところはこれは厚生年金以下ということもあり得るので、共済の場合でも、通算方式といいまして、厚生年金と似た同じような方式で計算しないと厚生年金を下回るというようなケースが現に起こっております。ですから、制度間の不公平というのも余り感情的にならないで、具体的にどの場合どう不公平かということを詰めなければ、本当は正確ではないと思います。  国民年金は割が合わないという話でありますが、割が合わないのは年金制度全部がそうでございまして、将来どんどん保険料は上がってまいりまして、自分がもらうときにはそれほど高い年金はもらえない、制度成熟化に伴って保険料率が上がるのはやむを得ないことであります。  ただ、国民年金につきまして若干意見があるといたしますと、それは国民年金について所得比例部分がないということであります。これはしかし国民年金の所得把握について問題があるので、そのために実際問題としてこれを導入する手だてがない、将来ともに所得把握等についてすっきりした形になれば、国民年金にも所得比例部分はぜひ導入されるべきだと私は思っております。
  131. 橋本司郎

    橋本参考人 前の二つの御質問のお答えは、小山先生と私とほとんど同じなので、第三点についてだけお答えさせていただきたいと思います。  公的年金は割が悪いという意見、先ほども多賀谷先生でしたが御指摘になっていたと思うのですけれども、実は物価のスライドということを考えますと公的年金の方が圧倒的に有利であります。例えば郵便年金の場合に三%の逓増年金というのがございます。三%逓増するためにどういうことをやるかといいますと、最初にもらい始めるときの年金を、定額でもらうときの大体四割引きぐらいの金額に設定いたします。そこからだんだんだんだんふえていくので、もとの額になるまでに十数年かかる。七十何歳にならないともとの水準に来ない。逓増年金で得をするのは九十とか百まで生きた人であるということになっております。それから死亡率の推定、それから事務費のカット、そういうのを考えますと、私的年金というのは決して有利ではない。しかも、物価スライドが、三%逓増以外では五%やっているのもありますが、それは最初の金額をうんと減らしてあるわけですから、定額年金でもらえば、実際に年金を受給するときには、実質価値でいうと期待している額の四分の一、五分の一あるいは十分の一になってしまうということがあります。そういう意味で、国民年金が不利だということにはならない。  ただ、共済との関係でどうこうという問題がありますが、制度間の不公平という問題は、今度の国庫負担のつけ方が基礎年金の三分の一に集中されます。したがって、報酬比例部分、さらに上積みの部分も全部自前でやらなければならないということになります。したがって、どんなに有利な年金を設定しようと、もし高い年金を設定すればそれだけの保険料を要求されます。ですから、これはもう官民格差と余り声高に言わなくても、自動的におさまっていってしまうものだというふうに私は考えております。
  132. 平石長久

    平石参考人 三点ほど御指摘でございました。  まず、老後保障として年金を非常に頼りにしているということでございますが、これは、少なくとも十五年くらい前から比べますと隔世の感だと思います。その当時は、例えば厚生年金などというのは果たして役に立つのかと言われたくらいの時代でございますが、その後、今日の段階になりまして、これは何とかいけそうだぞというような理解も生じましたし、また、年金に対するマスコミその他のキャンペーンが届いておりますので、年金に対する理解が出ると同時に、水準も非常に高まってきて、これは頼りになるというふうに理解するようになったのではないかと思います。そして、それは非常に結構なことだと思いますし、もっと頼りになる年金であってほしいと思います。  それから二つ目の、いわゆる財政の破綻でございますが、一部で将来、年金の財政は破綻するのではないのか、したがって余り頼りにならぬぞというような話を聞きますけれども、私は、そのようなことを聞かれた場合には、必ず絶対に安心して結構であります、一たんつくった年金制度、これは国民の財産です、国民の一人一人がつぶさないように努力してもらいたいと言っている。これは何も政府の財産ではなくて国民の財産なんです、したがって国民自身が自分で守る、そのような意識を持たなければいけない、そのように私はいつも説明しております。その場合に、一般の人々がそういう疑問を持つ場合、年金制度というものを川のこっち岸ではなくて彼岸の方、向こう岸に見ているということになると思います。本来であれば自分の立っている岸の方に年金制度を置いていなければいけないのですが、向こう岸の方、いわゆる年金は彼岸にありというような感じで年金を見ておりますので、自分の財産であるということを十分に理解できないのではないかと思うのです。  なお、制度間の不公平というのは、先ほど来皆さんもおっしゃっておられます。また、これは先ほども、共済が高いのは結構ではないか、共済の加入者というのはせいぜい一〇%程度である、いずれはそれに近づけるように、くっつけていくための材料にして、あの高い年金はけしからぬではないか、ほかの年金も引き上げるという材料にすればいいと私はよく言っております。  ところで、共済の中で高いのは幾つがあり、低いのが幾つかあります。これは御存じのとおりでございます。また国民年金は、つまり自営業者の年金が低いという意見をお持ちの方が一般におられるということでございますが、国民年金と申しますのは、御存じのように、何がしかの定額の拠出を支払い、それに国庫負担を加えて年金を支払う形になっております。国民年金制度それ自身が給付は高くない制度になっております。本来低くて当たり前であると私はいつも説明しておりますが、もし国民年金が少なくとも厚生年金と同じ程度水準を確保したいのであれば、事業主負担加入者が支払わなければならないでありましょう。しかし、我が国ではそういう形をとっておりませんので、制度仕組み上、国民年金というのはどうしても低くなってしまいます。  以上です。
  133. 塚田延充

    ○塚田委員 橋本参考人にお尋ねいたします。  将来の負担者の立場でこの制度改善を考えなくちゃいけないということをおっしゃっておられましたけれども、給付水準が、政府の案によりますと、その当時の現役の標準収入の六九%ぐらいをねらっておる。先ほどの御答弁の中では、六〇%を超えればそれでいいんじゃないかというような話もございましたけれども、政府案そのままでいった場合いつまでこの制度がもつのか。これは午前中の参考人の御意見によると、近々中にすぐ改善しなければいかぬような羽目に陥るんじゃないかという御意見もございましたけれども、端的な御意見をお伺いいたします。
  134. 橋本司郎

    橋本参考人 非常に難しい御質問なんですけれども、私もそう長くはもたぬだろうというふうに思います。というのは、二八・九%、つまり二五%を超える負担というのは、医療保険、それから税、税も地方税その他含めますとそのころにはもう大変な負担であろうというふうに思うのです。そうすると、そこのところをやはり見直していかなければならない。年金水準そのものを引き下げなければならないか、あるいは要するに給付費全体として下がればいいわけですから、みんなが例えば六十五までがっちり働くようになれば、六十五までの年金は要らないわけであります。こういうふうないろんな要素を絡み合わせながら、今度の掛ける〇・七五%というのを〇・七にしなければいけないか、六にしなければいけないかということだけではなくて、支給開始年齢の問題とか、それから在職者には例えば六十五を過ぎても払わぬようにするとかいろんな方法があると思いますので、それらを改めてじっくりと考え直さなければならない時期が割合に早く来るのではないかというふうに予測しています。
  135. 塚田延充

    ○塚田委員 ありがとうございました。  これで質問を終わります。
  136. 有馬元治

  137. 浦井洋

    浦井委員 どうも御苦労さまでございます。  午前中と同じ質問をまずしたいんですが、二点ほど午後はします。  一つは、今論議されております国年、厚年いずれも、言うまでもなく公的社会保険であります。そうなれば、先進資本主義国でほとんどそうであるように、受給者自身の負担とそれから使用者とそれから国というような形でさまざまな分担の仕方があるだろうと思うわけでありますけれども、そういう中で、そういう先進資本主義国と比べてみますと、私は日本の場合には使用者の負担がかなり軽過ぎるんではないかというふうに思えて仕方がないわけであります。特に、使用者といいましても、最近は技術革新であるとかあるいは合理化、人減らしというようなことで、かなりそういう能力を持っておる大企業の方で、この保険料負担比率が相対的に低くなっておるのではないかというように、いろんな指標も、インデックスも示しておるわけであります。だから、そういう点で何か掛け方、賦課の仕方を変えなければならぬのではないか。午前中も申し上げたのですけれども、小さな国ではありますけれども、フィンランドでは企業の資本集約度に応じて事業主拠出率というものを決定する。だからそういうことを今急ぐべきではないか。幸い我々、最低保障年金というふうに言っておりますけれども、基礎年金であるとかあるいは報酬比例部分、その両方にそういう何か修正保険料というような形のものをつくって、変な言い方ではありますけれども、合理化が進んで人をたくさん減らしているところ、かなり人が減れば、少々保険料をかけてもその方が安くつくわけでありますので、何かその辺に、衆知を集めなければなかなかこれからは、確かに財源問題等大変だろうというふうに私は思うわけで、こういう提案に対して先生方がどのように考えられるか、お聞きをしたい。これが第一点であります。  それから第二の点は、これはもう既にお話が出ましたけれども、やはり心配なのは、給付がとにもかくにも多いから下げるんだというふうに橋本さんなんかは言われておりますし、といって、期待権といいますか期待感がございます。給付が下がり、保険料は上がって負担が上がるということになりますと、先ほども言われておったように、企業年金はもちろんのこと、個人貯蓄ですか、こういうものも花盛りになってまいります。現に臨調などは、三段階で、公的年金の上に企業年金があり、その上に個人貯蓄でやりなさいというような趣旨のことも言っておるやに見受けますので、その辺の将来のあり方として、その辺の関連とか位置づけについて、第二点としてお三人の方にお尋ねをしたい。  以上であります。
  138. 小山路男

    ○小山参考人 使用者負担、事業主負担が軽過ぎるんじゃないか、資本の集約度に応じて保険料の賦課を修正するフィンランド方式のようなものも考えたらどうか、こういうお話しでございますが、実はこの問題は、それだけを取り上げて議論するわけにもいかないと思いますのは、完全雇用との関係でございまして、失業があって雇用がだぶついておりますと、年金給付水準も抑えられてしまいます。それから、資本の負担といいましても、資本は年金負担しないかわりに雇用保険の方で負担するというようなことになります。したがいまして、今後とも、現行の方式を維持するにいたしましても、完全雇用を維持しながら、スローでもいいからステディーな一定の経済成長が実現されない限り、年金制度は安定できないというのは私の感想でございます。  その次に、これは第二点目でございますが、給付水準が将来維持できるかどうかというのは負担との関係で決まることでございまして、二八〇を超えるような負担になりますと、やはり無理だと言わざるを得ません。したがいまして、どうしてもある程度  年金給付水準を下げなくても、下げるのと同じような効果を生み出す方法はございます。例えばスライドを抑制するとか、賃金の再評価を抑えるとか、今ヨーロッパ各国がやっているのはそういうこそくな手段でありますが、そういうことでも実は実現できるのでありますが、いずれにいたしましても、現役の労働者の生活水準年金受給者の生活水準とのバランスの問題でございます。どういうふうに考えたらいいかと言われましても、これは二十年、三十年先のことでございますから、今のところ考えるのは、現行水準をとりあえず維持する、現行水準を維持して、ただし長期間かけて将来に向かって上がらないようにする、そういうことでございます。  なお、それを補完するものとして企業年金があり、さらにその上に個人貯蓄がある。三段階というのは、イギリスでもそういうことが盛んに言われております。アメリカでもそうでございます。各国ともそういうやり方をとっておりまして、公的年金制度の守備範囲というものをやはり私どもとしては考えざるを得ない、こう思うのでございます。でありますから、従前所得のままできるだけその落ち込みを避けようと思うのなら、企業と労働者が協力して厚生年金基金というようなものをつくる、あるいはその上に個人が貯蓄をする、いずれにいたしましても、そういうことで老後生活を自助努力を含めてせざるを得ない、こう私は考えております。
  139. 橋本司郎

    橋本参考人 小山先生の御意見、私もほとんど賛成なので、重複しないようにお答えいたしたいと思うのですが、修正保険料、要するに今のような保険料の形のほかに、企業のもうかり度によって少し考えろとおっしゃる。これは実は、先ほどもひとつきり議論が出ておるところなんですけれども、将来的に考えていいのではないかというふうに私は思います。ただ、急にと言われてもなかなか間に合わないと思うのですが、先ほど先生がおっしゃられたように、それこそ衆知を集めて考えるということは必要ではないだろうかというふうに私は思います。  それから期待感の問題、それから老後を支える三本柱の問題、これはどこの国でも三本柱ということを言っておりますし、公的年金だけでゆったりということになると、これはもう大変なこと負担が絡んでまいりますので、ちょっと無理だろうというふうに思っています。それから将来に対する期待権の問題なんですけれども、今出ております政府案ですと、ちょっと慎重過ぎるぐらいの経過措置ではないかと最初私は申し上げたのですが、そんなに期待感を損なうようなものにはなっていないのではないか。ただ、現行法のままでということになると、これは大変なことは先生よく御存じのとおりなので、できるだけ早く将来はここまではどうしても抑えないと、それこそ若い人たちが働く気さえなくなってしまう状態になるのだぞというようなことなので、その将来の見通しをはっきりつけることですね。それがむしろ国民に正しい期待感を持ってもらえることだというふうに私は考えております。
  140. 平石長久

    平石参考人 財源の負担でございますが、なろうことならば折半をやめて、四分六か七、三でも妥当であろうと私は思います。しかし、これほどしつこく言ってもそれが実現できないということは、これはほとんど期待できないのではないかというふうに最近は考えるようになったのです。もし折半をどうしても通すというのであれば、その場合は事業主に負担させるという企業年金を持ち込んでくる方法を考えなければいけないでしょう。この事業主負担分というのは、御存じのように労働費用でございます。そして、我が国の労働費用というのは常にあちこちでとかく言われる水準だと思います。  現に、私がスウェーデンに行きまして、日本の日経連のようなところに行きますと、行くたびに、おまえの国の労働費用は安過ぎると言われて、おまえの国はいつも十何番目だという表を見せられました。私にそんなものを見せても、私は日経連の人間ではありませんし雇い主でもありませんから、私にそんなことを言っても意味がないのですが、常に日本の労働費用は低過ぎるというふうに非難された一つの原因は、その労使間の費用負担のバランスにもあったと思われます。しかし、残念ながらそのバランスを崩すことができないのが現状であります。したがって、私などは、できるところに企業年金をつくらせ、それを事業主にできるだけ負担させる、ただし、残念ながら、日本企業年金をつくれば企業単位にしかできません。横断的に企業年金をつくることはできませんので、この企業年金は非常に半端な企業年金になってしまう危険性があります。財源の負担についてはそのような考え方を持っております。  それから給付につきましては、給付の費用が増大していくのをできるだけ食いとめるにはいろいろな手段があります。その手段の一つとして使われるのが給付水準の凍結であります。今回の改正が出るずっと前から、給付水準がとやかく批判されていたときに、私は手を加えるとすれば恐らく千分の十の乗率であろうというふうに言っておりましたが、出されてきた計画は千分の七・五という数字になってきております。これは給付水準の切り下げという理解よりも、私は給付水準の凍結であるというふうに理解しております。凍結でございますので、単純に引き下げとは私は理解していないのでございます。  以上でございます。
  141. 浦井洋

    浦井委員 どうもありがとうございました。
  142. 有馬元治

    有馬委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人各位には、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。(拍手)  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後四時五十二分散会