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上西委員 私は、人の命は地球より重いということを戦後厳しく教えられた世代の一人であります。そうしますと、ここで比較検討することが果たして妥当かどうかは別として、かつて赤紙一枚で引っ張り出されて
日本のため、
日本国民のために一命をささげた方々の公務扶助料はささやかに上がりまして、年額百三十四万六千円になりましたね。そうすると、少なくとも月に十一万以上になる。
〔
委員長退席、愛知
委員長代理着席〕
いや、戦死した方々にはそれくらいしてもいいと言う。私は、それが悪いと言うわけじゃありません。しかし、それに比べて遺族の
年金の最低保障は四万六千九百円なのですよ。それに寡婦加算がついても、子供一人だったら一万五千円でしょう。せいぜい二人目の子供で五千円だ。だから合わせて六万六千九百円。そうしますと、せっかく
国民年金に入っていて母子
年金四万六千九百円もらえるかと思ったら、何のことはない、五分の二カットされている現実がある。だから、あなた方も横断的に、同じ夫、父親を亡くしている家庭だということで見ていただきたい。私は戦死した方々の命の重さを云々するわけじゃありませんが、現実の姿として、公務扶助料なり援護法で出ている遺族
年金、これも
厚生省所管でしょう、大臣。そうすると、
厚生省所管の中で、援護法に基づく遺族
年金は公務扶助料と同額が出ている、片や、こちらの方はちょっとよくしたからといって三分の一を五分の二にしたことを平然としてといいましょうか、そのまま持続していこうとする。確かに
年金統合法は仮に議論がまとまっていけば六十一年四月施行になりますね。その間の犠牲者はどうするのですか。その間の夫を失い、歯を食いしばって暮らしていく母親はどうなるのですか。このことを私は訴えたいのであります。そうした観点で母子
年金のカット率についても再考を促したい。先ほどの大臣が総体的に検討する中で、ぜひこれも一項目入れていただきたいと強くお願いをしておきたいと思います。よろしゅうございますか。——うなずかれましたので、では次に移らせていただきます。
次に、これは
国民年金が持っているある意味では一つの制度的な欠陥でもあると私は思うのでありますが、遺児
年金と寡婦
年金がございますね。そうすると、遺児
年金と寡婦
年金をもらえる
権利のある方が、死亡した方の死亡一時金をもらってしまうと、自動的に遺児
年金も寡婦
年金も受給権が消滅する。
法律的には遺児
年金、寡婦
年金は死亡一時金との選択制になっている、これが
国民年金法に明記してあるわけでありますが、私たちがしばしば体験するのは、田舎で、これは都会でもあることでしょうけれども、例えば一家の大黒柱が亡くなった。そうすると、付近の方、御親戚の方、地域の有力者、民生
委員、そういった方々が、ああ、大変だとお葬式に駆けつけてきて、お金が要るねと言って、ちょっと印鑑を貸しなさい、お父さんの
国民年金の死亡一時金と
国民健康保険の本人埋葬料をあわせてもらってきて、あしたのお坊さんのお布施の足しにと、こうやってしまう。全く善意です。ところが、大黒柱を失って、極端に言ってみなしごになった子供さん、あるいは御主人を失って本当によよと泣き伏している未亡人の方々は、そんなことはさっぱりわからぬ。ありがとう、ありがとうで受け取ってしまう。そして、しばらくたって、あなたは遺児
年金をもらえるんだと言われたら、みなしごになった小学生、中学生あるいは高校生もいますね、あるいは六十歳未満の未亡人の方々が、
権利があると思って気がついて窓口へ行くと、いや、あなたはもう死亡一時金を受給されているから
権利放棄です、となっている現実があるのです。つい最近も、ある場所で私がこの話をしたら、私の目の前で泣き出された未亡人になっている奥さんがおられました。
今、私の体験では、寡婦
年金が去年で年間大体二十万程度になっていると思います。遺児
年金は、子供一人で月額四万六千九百円ですから年間で五十七万足らずですね。小学生でお父さん、お母さんも亡くなって十八歳までもらえば何百万でしょう。それを今の極めて少額な死亡一時金でちゃらにしてしまっている。この現実があることを私は鋭く指摘をしながら、
局長、私がここで質問をしたいのは、逆選択制を設けるお考えはないかということであります。平たく言いますと、民法の時効二年間に限り、寡婦
年金、遺児
年金の受給権があると判明した場合、死亡一時金を全額戻入することによって改めて遺児
年金、寡婦
年金の請求権、受給権を与える、こういうことがやはり
社会保障の一番大事なところじゃないでしょうか。そのことについての御見解といいますか、検討なされているならば結果をお答えいただきたいと思うのです。